【#ふぁぼされた数だけ自分の好きなCDアルバムを紹介する】1〜20

#ふぁぼされた数だけ自分の好きなCDアルバムを紹介する】120

 

ツイッター上のタグにのって軽い気持ちで紹介を始めたら思いのほか長くなってしまいました。20枚で約45000字。そのまま流すのも勿体ないので、ここにまとめておくことにします。

 

 

《目次》

 

 

1聖飢魔IIThe Outer Mission

2MESHUGGAHNothing』(remix

3キリンジ『ペイパードライヴァーズミュージック』

4スピード、グルー&シンキ『イヴ』

5Diggs DukeOffering for Anxious

6PARLIAMENTMothership Connection

7MORBID ANGELAltars of Madness

8SLEEPDopesmoker

9Marvin GayeI Want You

10WALTARIYeah! Yeah! Die! Die! -Death Metal Symphony in Deep C

 

11ももいろクローバーZ白金の夜明け

12面影ラッキーホール代理母

13Fripp & Eno『(No Pussyfooting)』

14STEELY DANGaucho

15JUDAS PRIESTScreaming for Vengeance

16筋肉少女帯Sister Strawberry

17MAYHEMDe Mysteriis Dom Sathanas

18THE BEATLESRevolver

19Syd BarrettThe Madcap Laughs

20Youssou N'dourSet

 

 

 

 

 

 

1聖飢魔IIThe Outer Mission

 

 

 

THE OUTER MISSION

THE OUTER MISSION

 

 

 

  ハードロック/ヘヴィメタルの世界を代表すべきアルバム。ソウルミュージック~ジャズ~プログレや歌謡曲をバックグラウンドにもつ達人たちがやりたいことをやり尽くした大傑作です。個性・深み共に完璧なのに知名度は僅少。勿体なさすぎる一枚です。

 

  聖飢魔Ⅱは独特のルックスにより色物扱いされることが非常に多いバンドですが、構成員は個性と技術を高いレベルで両立した達人ばかりで、作編曲と演奏表現の両面で素晴らしい成果を残しています。発表したアルバムの音楽性は全て異なり、その上で全てが傑作。本作はその中でも最高のものの一つです。

本作では、ソウルミュージックフュージョンプログレッシヴロック~ハードロックといった音楽の要素が、日本の歌謡曲的な音遣い感覚のもと、実に高度で個性的な形に熟成されています。そうした音楽性がHR/HM形式のもと口当たりよくまとめられた作編曲は見事の一言。アルバムの構成も完璧です。

こうした音楽性をリードしたと思われるのが本作のメイン作曲者エース清水10曲中4曲担当)です。スティービー・ワンダーやプリンス、パット・メセニージョージ・ベンソンなどを好む彼の音遣い感覚は実に個性的で、フュージョン的定型に縛られずに独自の薫り高いブルース感覚を完成させています。

そうした音遣い感覚が最もわかりやすく現れているのが担当曲のギターソロ。細部まで作り込まれた書きフレーズ&演奏は定型を外しつつ丁寧にツボを押さえるもので、彼以外には作れない独特の官能美に満ちています。特にタイトルトラック(7拍子の大名曲)のソロはロック史上最高のものの一つでしょう。

素晴らしいのはソロだけではありません。ミドルテンポの大名曲「害獣達の墓場」(サビで入ってくるメロトロンの副旋律がたまらない)ではあえてソロを入れずに特別な雰囲気表現を成し遂げていますし、「RENDEVOUZ 60 MICRON'S」などのフリーキーで効果的なリフは絶品です。

さて、本作はエース清水の以上のようなセンスが理想的な形で味わえるアルバムなのですが、素晴らしいのは彼だけではありません。後のメインソングライターとなるルーク篁もエースに勝るとも劣らない名曲を提供しています。

(エース=ジョン・レノン、ルーク=ポール・マッカートニーみたいになぞらえるとしっくりくるかも)

また、デーモン小暮作曲の「LOVE FLIGHT」(変則ビートを仕込んだ高速ファンク)の間奏ではフランク・ザッパ的にフリーキーなフレーズがツインリードギターで披露されたりもします。奇妙で個性的な作り込みを“印象的で理屈抜きに心地よい”歌モノに仕上げる作編曲がとにかく見事なのです。

こうした音楽性は構成員の卓越した演奏表現力があってこそのものでもあります。エース清水のジャズ~ソウルミュージック寄りギター、ルーク篁のテクニカルでメロディアスなHR/HMギター(ウリ・ジョン・ロートなどの影響下)は勿論、ジャズ~プログレ方面の一流であるベース&ドラムスが凄いです。

ベースのゼノン石川は現在はフュージョン方面のセッションで名を馳せる国内屈指の実力者で、分厚く貼りつく質感と機動力を両立するタッチが超強力です。ドラムスのライデン湯澤もハードロック~プログレの美味しい所を煮詰めた(ボンゾやニール・パート的なスタイル)鳴りが極上と言うほかありません。

フロントマンであるデーモン小暮もそうした個性的な達人たちに一歩もひけをとりません。フレージングに関してはこの時点ではまだ粗い部分が残りますが、著しく優れた発声は既に一流で、豊かで個性的な響きにより“バンドの顔”として理想的な存在感を発揮しています。音色表現力も素晴らしいです。

 

  というふうに、本作は「個性的な達人揃いのバンドが最高の曲を完璧な構成で並べた」アルバムで、HR/HMや日本のロックシーンでもっと高い評価を得ていなければならない大傑作なのです。HR/HM専門誌との諍いや見た目の“色物”イメージのせいで注目される機会を逃してきたことが惜しまれます。

ただ、本作は、バンドがそういう経緯を経て注目された(HR/HMの保守的なシーンから切り離されつつ売れた)から作れた大傑作と言うこともできます。初期の正統派メタル路線から離れつつ「あのルックスだから何でもできる」という姿勢でやりたいことをやらなければ、本作は生まれなかったでしょう。

よりポップに弾けて一般層にアピールしようとしながらも音楽的には日和らない、という姿勢のもと、バブル期だからこそ得られる贅沢な制作環境でやりたいことをやり尽くす。

本作は、ジャンルの狭間に落ちてしまった上で売れた優れた音楽家でなければ作れない、奇跡の一枚だったのかもしれません。

本作発表後のバンドは、自身のコンセプトに自縄自縛になったり“やりたいことをやり尽くす”姿勢を控えたりと、傑出した潜在能力をなかなか活かしきれなかったように思います。(他に大傑作は何枚もあるけれども。)そうした意味でも個人的には一際思い入れのある作品ですね。広く聴かれてほしいです。

 

 

 

2MESHUGGAHNothing』(remix

 

 

 

Nothing (Re-Issue)

Nothing (Re-Issue)

 

 

 

  世界最高のバンドによる歴史的名盤。4拍子4/8/16小節単位でループする複雑なリズム構成、無調寄りの曖昧な音進行など、高度な構造を極上のサウンド&演奏で理屈抜きに楽しませる音楽性は最高です。私は2000回以上聴いています。

 

  本作の3曲め「Perpetual Black Second」の周期フレーズ最初の3つを8分音符の数で表すと

 

0'000'13:〈7×2×4+8648小節)

0'220'38:〈10+8×3+10648小節)

0'511'04:〈4+5×6+4+5+1〉=648小節)

 

で、イントロから

×2→×2→×2→×1→×2→×2→

という構成になっています。

つまり、長大な周期フレーズの一部だけみると7拍子とか9拍子に思えてしまうのですが、複数小節単位で聴けば長い4拍子だとわかるのです。

このようなMESHUGGAHの“擬似ポリリズム”(フレーズの構成要素に奇数拍が含まれてはいるが、複数の拍が絡むことはない)は、ひとたび構造を理解してしまえば「最初から最後まで4カウントし続けながら聴くことにより滑らかに繋がり続ける構成に浸り続ける」ことができるものなわけです。

こうしたリズム構成は、多くの場合は8小節単位でループする長いスパンで流れていくものなため、どこかアンビエントな“気の長い時間感覚”をも生んでいます。それがクラシック的ですらある明晰な曲展開と両立されることで、滑らかな進行感とドープな酩酊感を同時に味わえるようになっています。

 

  MESHUGGAHが素晴らしいのはそうした複雑で滑らかなリズム構成だけではありません。ワーグナー以降の近現代クラシック~アラン・ホールズワース以降の現代ジャズに通じる艶やかな無調感覚が、スウェーデンならではの冷たく澄明な湿り気で解きほぐされているという趣の音遣いも最高です。

こうした音遣い感覚は独特の“明るくも暗くもない”曖昧な輝きを生み、テンションを上げすぎず下げすぎもせず“フラットに漂う”感じを提供してくれます。そのため、気分がアガっている・沈んでいる時の両方にしっくりくる雰囲気があり、いついかなる時でも楽しむことができるのです。

このような音遣い感覚を貫き、4拍子の均一なテンポのもと複雑に切れ込み続けるリズム/グルーヴを提供してくれるという音楽性は、聴き手の集中力を自然に引き出し無理なく没入させ続ける効果を生んでくれます。聴いていると1時間の長さがあっという間に過ぎる。最高のオーディオドラッグです。

 

  そうした唯一無二の音楽性が最も望ましい形で結実したのが『Nothing』です。MESHUGGAHのアルバムは全てが最高クラスの大傑作ですが、先述のようなスタイルが過剰でなくコンパクトに洗練された作編曲のもと纏められたという点では本作がベストでしょう。全曲が歴史的名曲と言えます。

本作では、全曲が先述のような4または8小節周期の4拍子構成で纏められ(ごく一部に16小節周期あり)、その全ての周期フレーズが異なるアイデアのもと美しく作り分けられています。「1小節より長い」「1小節より短い」断片フレーズの組み合わせ方がとにかく上手く多彩なのです。

普通のバンドならそれ1つで1曲は作れるというくらい緻密で洗練された周期フレーズを各曲に最低6つは投入し、それぞれの繋がりも著しく滑らかに整える。こうした作編曲は慣れるまでは複雑すぎるように思えますが、ひとたび理解すれば完璧な「ポップソング」ぶりにどこまでも快適に浸れてしまえます。

本作の収録曲は全てが異なるコンセプトのもと巧みに描き分けられており、その並びまとまりもこれ以上ないくらい美しく考え抜かれています。音楽的に凄いというだけでなく、一つのアルバムとして完璧な構成になっている。私はもう2000回以上聴き通ましたが、全く飽きる気がしません。

 

  などなど、MESHUGGAHの『Nothing』(remix:テンポを落として音響も万全の形に仕上げた)は、超高度な音楽性を最高の演奏(全パートが最高レベル)で美しく仕上げ、曲~アルバムとしても完璧な構成で快適に提供してくれるという、全ての面で理想的な大傑作になっています。

勿論「これがMESHUGGAHの最高傑作だ」と安易に言い切ることはできません。以降の作品にしかない良さも多いですし、好みの問題も大きいでしょう。ただ、直近2枚で定着した「1周期に16小節かかる」長大なフレーズなどは初見では間違いなく理解できませんし、解りやすさという点では微妙な所があります。

その点「Nothing」は、フレーズの周期を掴みやすく、曲ごとの表情の描き分けやアルバム全体の緩急構成も抜群によく、考えすぎずに浸ることができるようになっています。「取り組む意欲が出た時点での入門編」としても「快適に聴き込むための1枚」としても、これがベストではないかと思います。

 

  という感じで、MESHUGGAHを「紹介する文章」を書くならだいたいこんな所になるのではないかと思います。ちゃんと理解し聴き方の手掛かりをつかんでもらうためにはこれ以上情報を削れませんし、あまり細かく語ってもうるさいだけでしょうし。

 

聴くコツをちょっとだけ付記するなら

 

2小節まとめて聴く(繋がりを自然に把握できるように)

・フレーズを追い越さずに併走する

・数える際4拍め→1拍めの長さを変えない

スネアを無視して聴く(反応するとそこで拍節感覚を修正し正しく数えられなくなる):リフからビートの流れを読み取る

 

というところでしょうか。

 

などなど。聴けば聴くほど最高なバンドですし、ラウドパークでの来日(20171015日)が決まったこのタイミングでぜひ多くの人に聴いてみてほしいですね。

難しいことがわからなくても最高のサウンド(爆音音楽の一つの究極)に理屈抜きに浸れますし、先述のような聴き方でどこまでも浸ることもできる。超お薦めです。

 

 

 

3キリンジ『ペイパードライヴァーズミュージック』

 

 

 

  世界屈指のポップミュージックユニットによる大名盤1st。著しく複雑な構造を口当たりよく聴かせる作編曲と卓越した演奏表現力がどこまでも素晴らしい。「古今東西1stアルバム選手権」をやればジャンルを問わずトップクラスに入る逸品です。

 

  キリンジの音楽を構成する主な要素を箇条書きにすると以下のようになります。

 

フュージョン寄りポップス(STEELY DAN等)~ブラジル音楽方面の超高度なポップス

 

ソウルミュージックやカントリー~ゴスペル、BEACH BOYS等の淡いブルース感覚

 

③ポストパンク~ニューウェーブ

 

兄弟時代のキリンジでは、堀込高樹(兄:日本最高のソングライターの一人)が①③を主に担当し、②は両者が担当しつつ堀込泰行(弟:兄に迫るソングライターにして日本最高のシンガーの一人)の方が得意、という感じに色分けされていたと思います。本作1stでもそういう傾向はある程度出ています。

そうした豊かな音楽要素(アメリカ音楽の精髄に日本や英国のエッセンスを加えたもの)をもとに構築される楽曲は、日本語の特性(英語に比べ1文節が長い)を反映した“長い歌メロ”を緻密にコードに絡めていくもので、バップ並みに複雑なフレーズを極めて口当たりよく聴かせるものになっているのです。

このような楽曲を実用可能なものにするのが堀込泰行の卓越した歌唱力です。コード進行的にも装飾音の細かい散りばめ方も実に複雑な歌メロ(完コピしてみると凄さに感心させられます)を涼しい顔で自然に歌いこなしてしまう技術/表現力は相当のもの。むっつりした美丈夫という趣の佇まいも実に良いです。

キリンジの楽曲は歌メロだけでなく全てのパートがこのような“ひねくれつつスムーズな”作りに仕上げられていて(これは冨田恵一や腕利きサポートミュージシャンの力も大きい)、「お洒落なのをひけらかさない粋な装いをしてるんだけどド変態」という趣が生まれています。本当に美味しい音楽です。

こうした味わいは作品を重ねるにつれ熟成されていき、兄弟の作編曲スタイルも先述の①③/②的にかなりはっきり分かれていくのですが、この1stの時点ではそれがわりと未分化で、あまり方向性を固めきっていない混沌とした感じになっています。そしてそれがとても良い感じに機能しているのです。

 

  1stの音楽性を簡単にいうと「ソウルミュージック~ファンクをベースにSTEELY DANTHE BANDBEACH BOYSあたりをある程度溶かし込んだ」という感じでしょうか。ブラジル音楽に通じる“陽当たりのよい暗黒浮遊感”も効果的にさしはさまれ、絶妙に表情を深くしています。

収録曲は全て名曲。若く野心に溢れた音楽家が聴いたら、発奮するか自信を叩き折られるかのどちらかでしょう。

全部良いですが、個人的には、最高級のゴスペル・ポップス「雨を見くびるな」や、ブラジル的な浮遊感が冬の暗さ冷たさと絶妙にかけあわされた「かどわかされて」あたりがお気に入りです。

キリンジはこれ以後も数多くの名曲・名盤を生み出していきますし、弟脱退後の現編成KIRINJIの方が「影響を消化しきって独自の音楽性を確立している」点では上で、全ての作品を聴き込む価値があるのですが、この1stの充実度や特別な勢いには代替不可能な魅力があります。永遠の名作でしょう。

 

  個人的には、本作でキリンジを知り全作品を聴き込み歌い込んでいくなかで(とりあえず4枚は全曲完璧に歌えます)実に多くのことを学びましたし、「日本のメジャーシーンにも世界基準でトップクラスの実力者が数多く存在する」ということに気付くきっかけを与えられたという点でも思い入れがあります。

キリンジ/KIRINJIは一応それなりに売れていたはずなのですが(10003000キャパを埋める力はあった/ある)固定ファン層以外にはあまり知られていない気もします。何かしらのシーンや文脈に紐付けされ語られていないからでしょうか。本当に凄いバンドですし、広く聴かれてほしいです。

 

 

 

4スピード、グルー&シンキ『イヴ』

 

 イヴ 前夜<2017リマスター>

イヴ 前夜<2017リマスター>

 

  71年発表。日本の地下音楽を愛する海外マニアやドゥーム/ストーナーファンから極めて高く評価される一枚です。正統派なようでいて奇妙なヒネリに満ちた構造、飄々とした佇まいで異常な圧力を生む演奏など、全ての要素が驚異的。シンプルで奥深い大傑作です。

 

  本作の音楽性を一言でいうと「初期LED ZEPPELINCREAMのようなプレ・ハードロック」なのですが、ブルースベースのシンプルなリフは他にありそうで無い独特の捻りが効いたものばかりで、そこに絡み装飾を施しまくるベースやギターソロなど、リードフレーズのセンスも驚異的に優れています。

そして何より凄いのが各パートの驚異的な出音の良さ。ベースの「地面にめり込み削り取る」異常な響きは他では聴けないもので、軽やかに跳ねながら地中に突き刺さるドラムスのタッチと併せて「圧倒的な重心の深さと隙間の広い空間感覚」を生んでいます。ギターのとんでもなく艶やかな鳴りも最高です。

本作では、このような超強力なトリオが「互いの出方をみつつ隙あらば主張し、その上で全体としてうまくまとまる」際どく絶妙なアンサンブルが出来ています。「喧嘩をするためには相手をよく見なければならない」という感じで、各自が自分を最優先しつつしっかり他者に反応し活かしあっているのです。

そうした「協調しつつ全く馴れ合わない」感じのアンサンブルが、「バンドを組んだばかりでモチベーションも低くない状態であまり強引に方向性を固めず、へらへらしつつ出方を伺う」という具合でうまくまとまる。このような 雰囲気や力加減は唯一無二の味わい深いもので、汲めども尽きせぬ魅力があります。

 

  以上のような魅力もあってか、本作では海外のマニアから極めて高い評価を受けています。たとえば、ジュリアン・コープによる日本の地下音楽研究の名著/奇書『ジャップ・ロック・サンプラー』巻末のベストアルバム企画で50枚中の第2位を獲得するなど。

(参考:http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2015/08/07/215353

こうした高い評価は、先述の演奏表現はもちろんこのバンド特有の音遣い感覚によるところも大きい気がします。メンバー3人が混血(ジョーイはフィリピンとアメリカ、加部はフランス系アメリカと日本、陳は中国と日本)ということもあってか、欧米や日本のロックに通じつつも異なる複雑な味の感覚が備わっている。これは他では体験できません。

(出身や国籍だけで何かわかるということはありませんが、バックグラウンドを見る上での参考にはなりそうです)

最後を飾る弾き語り「Someday We'll All Fall Down」はその好例です。和やかで淡々としていながらもどこか“この世とあの世の狭間にある”ような独特の雰囲気は、例えば水木しげるの南方モノに通じる趣(明るい絶望感を伴う楽園感)がある気がします。実に味わい深いです。

そうした弾き語りやジャーマンロック的な「M Glue」(シンナーでキマった状態の加部正義がよくわからない進行のベースソロを披露:berrys-cafe.jp/spn/book/n7307…参照)が強靭なブルースロックの合間に披露されるアルバムの構成は完璧で、何度でも快適に聴き通せてしまいます。

というふうに、本作は70年代頭の混沌とした音楽状況がシンプルなハードロックスタイルをベースに巧みに溶かしまとめられたもので、音楽要素の豊かさ・味わい深さ、演奏表現の美味しさ・興味深さなど、全ての面で稀有の魅力に満ちています。こんな凄いバンドは滅多にない。強くお薦めできる一枚です。

 

  なお、ギターの陳信輝は当時の日本ロックシーンにおけるキーパーソン、加部正義もGS期から名を馳せる日本屈指のベーシスト、ドラムス&ボーカルのジョーイ・スミスはフィリピンを代表する音楽家JUAN DE LA CRUZ主催)。人脈も凄く、色々掘り進める手掛かりとしても良いバンドです。

 

 

 

5Diggs DukeOffering for Anxious

 

 

 

Offering For Anxious [帯解説 / 国内盤] (BRC421)

Offering For Anxious [帯解説 / 国内盤] (BRC421)

 

 

 

  アメリカ人ソングライター/マルチプレイヤーによる2013年作。ディアンジェロロバート・グラスパー以降のオルタナティブR&Bにおける(現時点での)一つの極点で、複雑なアイデアを極めて快適に聴かせる大傑作です。

 

  本作の音楽性を一言で表すなら「SOFT MACHINE3rd』あたりの欧州プログレ~ジャズを高速ヒップホップ化した」感じでしょうか。1曲めの「裏拍で入るピアノなどが幻惑的だが全て4拍子で割り切れる」トラックや、2曲めの滑らかな5拍子など、複雑なリズム構成をすっきり聴かせる作編曲が見事です。

このような音遣いは、FLYING LOTUSGENTLE GIANTSOFT MACHINEを好んで聴く)の諸作やケンドリック・ラマーの歴史的名盤『To Pimp~』等でも多用される、ジャジーヒップホップ/ハウスの定番に連なるもので、それが好きなら一発でハマる魅力があります。

ただ、ディグス・デュークの場合は、ヒップホップに大きな影響を受けてはいるものの(フェイス・エヴァンスやトゥイスタ、ナズやPUBLIC ENEMYなど)、ジャジーな要素はヒップホップ経由でなくジャズそのものからしっかり学んだようです。

(参考:http://www.rhythmist.co.uk/diggsduke-interview/

の対談ではデューク・エリントンの全活動に対する愛情を熱く語っていますし、別の取材ではジョン・ケージについて細かく述べていたりもします。そうしたバックグラウンドもあってか、コード/フレーズの組み立て方は多くのジャジーなヒップホップとは一線を画す深く豊かなものになっています。

このようなことから推察すると、「初期SOFT MACHINEのような欧州ジャズ/プログレ的音遣い」(またはマイルス・デイビスin a silent way』や最初期WEATHER REPORT的な“霧のたちこめる早朝”感)は、別ルートを経由し偶々似てしまったものなのでしょう。個性と味の良さは抜群です。

本作では、このような薫り高い音遣い感覚が、複雑なアクセント移動を連発しつつ滑らかに纏まるリズム構成のもと、実に美味しくまとめ上げられています。打ち込みトラックを土台にしたグルーヴ表現も極上。ヒップホップの硬くラフな輪郭とジャズ由来と思しきスムースな密着感が完璧に両立されています。

個性的なアイデアを詰め込んだ各曲はいずれもどこかいびつな構成をしているのですが、複雑に捻られているのに理屈抜きにキャッチーな印象が常にあり、アルバム全体(1024分)の流れまとまりは完璧です。聞き流すのにも聴き込むのにも向いている居心地の良さは超一流。大傑作と言えるでしょう。

このような成り立ちをした本作は、伝統的なブラックミュージックのファンだけでなく、プログレやジャズといった“ヘッドミュージック”寄りの音楽を好む層からも歓迎される魅力を持っています。そちら方面の音楽ファンにとっては最高の黒人音楽入門になる一枚なのではないかと思いますね。

 

  などなど、ディグス・デュークのこの1stアルバムは、ミシェル・ンデゲオチェロやソランジュといったオルタナティブR&Bのファンにも、欧州プログレジャズロック愛する人達にも、ともに強くアピールする魅力と広がりを持っていると思います。少々短いですが掛け値無しの大傑作。お薦めです。

 

 

 

6PARLIAMENTMothership Connection

 

 

 

マザーシップ・コネクション

マザーシップ・コネクション

 

 

 

  ジョージ・クリントン率いるP-FUNKの代表作。黒人音楽史上の最重要作の一つでもあります。静かな決意を胸に秘めつつ“力みすぎず緩みすぎず”押し続ける緩急表現はファンクの真髄。全ての面で充実した歴史的名盤です。

 

  60年代末以降の黒人音楽には「ファンク」「ブラックロック」という重要な2つの流れがあります。ジェームス・ブラウンからスライ・ストーンを経由しディスコ等に連なる前者と、ジミヘンからやはりスライを経てプリンスやディアンジェロに繋がる後者。その両者は実は芯の部分で密接に繋がっています。

ジョージ・クリントン(プレイヤーというよりオーガナイザー)が率いるP-FUNK一派にはPARLIAMENTFUNKADELIC2大グループが存在し、前者がファンク、後者がブラックロック色の濃い活動をしてきました。メンバーの重複も多く、場合に応じて表現手法を変えてきたわけです。

そして、この一派は黒人音楽シーンにおける様々な重要グループから強力なプレイヤーを取り込んできた経緯があります。JBジェームス・ブラウンが鍛えた最強バンドJBズ(ミスしたら罰金をくらうので自然に上手くなる)の大部分を引き抜いた話は有名。本作はその直後のスタジオ録音作でもあります。

60年代末までの黒人音楽ではある意味タブーだったロックサウンドを積極的に取り入れ絶大な衝撃を与えたFUNKADELIC(ジミヘンの影響が大きい)に対し、このPARLIAMENTはシンフォニックでクリーンな色を前面に出しています。こうした両立はシーンへの目配せとしても重要だったのでしょう。

ただ、クリーンといってもこの一派の中で相対的にそうだというだけで、EARTH, WIND & FIREのようなスウィートな色合いに寄ったバンドに比べるとだいぶラフな質感が残っています。FUNKADELICのあの独特のアートワークに通じる粗雑な感じはちゃんとこちらにもあるわけです。

 

  本作においては、そうした“洗練されつつラフ”な感じが理想的なバランスで両立されています。「ラフな質感を洗練して薄める」のではなく「ラフな質感と洗練されたマナーをそのまま自然に混ぜる」感じ。汗臭くお洒落な佇まいが見事で、ブルース感覚を薄めずうまく呑み込ませる作りになっているのです。

もう一つ見事なのが緊張と弛緩のバランスです。長いスパンをヘタらず歩み抜くために「力み過ぎず緩みすぎず」の力加減を維持してゆく。同じコードの連なりを反復し、装飾音を微妙に変化させながらひたすら引っ張っていくという展開は、そうした演奏の表現力やマクロの構成力があってこそのものです。

このような「ラフな質感と洗練されたマナーの両立」「力み過ぎず緩みすぎの歩み続けるペース配分・持続力」こそがファンクという音楽スタイル~生き様の真髄であり(個人的意見ですが的外れでないはず)、それがスタジオ音源という形で意識的に表現されている。これこそが本作の凄みなのだと思います。

そして、そうした演奏表現にひけをとらないくらい素晴らしいのが作編曲です。一つ一つのフレーズ(ペンタトニック~ブルーノート主体)が巧みに作り分けられ、洗練されたホーン/キーボードアレンジでジャジー&クラシカルにまとめ上げられるという感じのアレンジが何とも見事。全曲名曲でしょう。

特に素晴らしいのが冒頭を飾る「P-FUNK」。シンフォニック&ジャジーなオケの上でジョージが小粋に語り続ける構成なのですが、「静かな決意を滲ませつつ長丁場を戦い抜くために力みすぎない」趣の佇まいが絶妙で、「でもやるんだよ」的なファンク精神が音で完璧に表現されていると思います。

もちろん他の6曲も負けず劣らず素晴らしい。どの曲も異なる表情に描き分けられつつ太い芯で繋がっていて、一枚を通して歩みを止めない感じがとてもよく表現されていると思います。アレンジも演奏も全てが美味しく、同一スケールでよくぞここまで異なるフレージングをし分けられるものだと感服させられます。

プレイヤーは本当に多士済々。フレッド・ウェズリーやメイシオ・パーカーブーツィー・コリンズといったJBズ出身者に加え、マイケル&ランディのブレッカー兄弟(ジャズ史を代表する超絶管楽器奏者:ザッパのバンド等にも参加)まで参加しています。勝負作のための完璧なシフトという感じです。

その中で個人的に最も惹かれるのがP-FUNK全体の音楽監督を務めるバーニー・ウォーレルです。正規の音楽教育を土台にした高度な編曲はもちろん、「キーボードであることの不自由さを全く感じさせない」闊達な演奏が本当に素晴らしい。本作でも2曲めや7曲めで最高のソロを披露しまくっています。

そうした極上のプレイヤーにより構成されるアンサンブルは、超高度に噛み合いながらもこのグループ基準でいえば少しラフな仕上がりで(次作『The Clones~』の完璧なまとまりと比べるとよくわかる)、それが“抑えつつも溢れ出る”勢いを出しています。本作の雰囲気には絶妙に合ってますね。

というふうに、本作ではこのジャンルの本質が極上の演奏&作編曲で具現化されており、そうしたものを理解し掘り下げていくための手掛かりとしても最高の素材になっています。「黒人音楽史における重要グループの代表作」という肩書きだけでなく、本物の深みと奥行きがある。聴く価値は極めて高いです。

 

  P-FUNKと黒人音楽史の関係については語れる事が多すぎるので今回はここまで。ファンク/ブラックロックにおける最大の影響源はジミヘンとJBですが、中継役としてのP-FUNKがなければ今のシーンもなく、プリンスやディアンジェロも存在しなかったかもしれない。本当に重要なグループです。

 

 

 

7MORBID ANGELAltars of Madness

 

 

 

Altars of Madness

Altars of Madness

 

 

 

  89年発表の正式な1stデスメタル史を代表するアルバムで、ロック史上屈指の大傑作でもあります。超絶的な技術と理屈抜きに突っ走る勢いが両立された演奏、複雑で個性的な作編曲など、全ての要素が最高級。永遠の名作です。

 

  本作の音楽性を一言でいうなら「ロマン派~近現代のクラシック(ベルリオーズ以降)と米英のブルースロックやスラッシュメタル~ハードコアを混ぜて融け合わせたら大爆発を起こした」という感じでしょうか。比較対象を挙げることもできるが何の亜流にもなっていない。高度で個性的な構造をしています。

こうした音楽性のバックグラウンドはリーダーであるトレイ・アザトース(歌詞に頻出するラヴクラフト世界観から取った名前)の口からそれなりに語られているのですが、それらを単純に組み合わせてできるというレベルの音楽ではないという気もします。

(参考インタビュー:http://www.enslain.net/interviews/morbidangel.html

トレイによれば、主な影響源はエディ・ヴァン・ヘイレンやジミヘン、JUDAS PRIESTBLACK SABBATHPINK FLOYDDEAD CAN DANCEなどで、クラシック音楽方面については(モーツァルト等を挙げてはいるものの)そこまで複雑な構造を売りにした作曲家の名前は出していません。

本作についても、PINK FLOYDのようなサイケな音楽にインスピレーションを受けつつ伝統的な音階を避けたフレーズ作りを心掛けたとのことですが、どのくらい独自の創意を凝らせばこういう作編曲ができるのか。それほどの個性があるのです。

メタル方面からの繋がりをみると、フリーキーなソロはSLAYERあたりが参照元でしょうし、3曲め中間部の音遣いはPOSSESSEDにそっくり。メンバー2人が所属していたTERRORIZERなどグラインドコアに通じる部分もあります。しかしその上で、完全に独自の仕上がりになっています。

 

  本作では、このような「エッセンスを汲み取った上で全く別のものを生み出す」創意が優れたメタル的構成(手際よくキメを連発し爽快にノらせる仕掛け)のもと実にうまくまとめ上げられています。複雑なエグみに満ちた音楽性を巧みに解きほぐした形で提示する作編曲は素晴らしいというほかありません。

そして、それを形にする演奏も極上です。超絶的な技術を持っているのにそれに淫することが全くなく、崩壊系スラッシュメタルハードコアパンクのような理屈抜きの勢いを出し続ける。粗暴なエネルギーと技術的な安定感を稀有のバランスで両立した演奏は、ジャンルを問わず最高級のものでしょう。

ピート・サンドヴァル(エクストリームメタル史を代表する達人)のタッチは一音一音が均等に強いアクセントを備えており、打ち込みドラムスに通じる“硬く跳ねない”質感と機械には絶対に出せない色艶を併せ持っています。勢いと引っ掛かりを両立するグルーヴはこのドラムスあってこそのものですね。

デヴィッド・ヴィンセント(デスメタル史を代表する名ヴォーカリスト)のボーカルはこの時点ではまだ“硬く押し潰した”感じで、後年のディープでジェントルな響きを出すことはできていないのですが、かっこつけすぎず勢いを全開にする本作の雰囲気においてはむしろこれが合っているようにも思えます。

2人のギタリストはもう素晴らしいという他ありません。サイドギターのリチャード・ブルーネルもトレイ(メタル史を代表する名プレイヤー)に見劣りしない極上のソロを連発しています。複雑に捻られつつ過剰に難解にはならない音遣いがどこまでも見事。本作のリフ・リードは全てが名フレーズです。

MORBID ANGELのアルバムは全てが大傑作で、近現代音楽やMESHUGGAHに通じる暗黒浮遊感(おそらくMETALLICAThe Thing That Should Not Be」から連なるもの)を開花させた『F』以降も魅力的なのですが、高度な構造とわかりやすさの両立という点ではやはり本作がベストでしょう。

アルバム一枚通しての流れまとまりも完璧。小難しいことを言わずに走り抜ける勢いと、聴き手のツボを予想外の方向から突きまくってくれる異様に魅力的な音遣い、安易に解決しきらない引っ掛かりに満ちた構成など、聞き流しても聴き込んでも美味しいつくりは最高。熱狂的に愛され続けるのも当然です。

このバンドに限った話ではありませんが、早熟な天才の活動においては「初期の考え過ぎてない作品の方が構造の凄さと語り口のわかりやすさがうまく両立されていて快適に浸れる」例が多いと思います。本作もその好例ですね。この先どんな傑作が生まれようが価値を失わない一枚。ぜひ聴いてみてください。

 

  ちなみに、80年代末~90年代頭の初期デスメタルブラックメタルは世界中の地下シーンで重要な役割を担っていて、他ジャンルにも大きな影響を与えています。グランジ~ヘヴィドローン音楽の歴史的名盤EARTH2』にMORBID ANGELTシャツ写真が載っているなど、色々面白いです。

 

 

 

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8SLEEPDopesmoker

 

 

 

DOPESMOKER (ドープスモーカー+ボーナス・ディスク)

DOPESMOKER (ドープスモーカー+ボーナス・ディスク)

 

 

 

  ドゥーム/ストーナーロックを代表するバンドが98年の解散間際に残した音楽の完全版。超人的なロックグルーヴが63分に渡りノンストップで披露され続ける大傑作で、逞しく繊細な演奏表現力も曲構成の巧みさも稀にみるものがあります。究極の音楽の一つです。

 

  SLEEPの『Dopesmoker』およびその短縮版『Jerusalem』は「一つ(or少数)のリフで60分引っ張る単純な構成」と言われることが多いですが、これは明確に誤りです。

全体の構成は少なくとも17場面に分割され、3040秒で1周する長大なリフが緻密に並べられています。

具体的に示すと以下のような感じです。

 

1】イントロ:メインテーマ

0'151'302'474'06

2

5'245'576'276'57

3

7'317'568'248'549'259'56

4

10'2610'5611'2611'56

5

12'2613:0413:43

6

14:20~(ソロ)~

7

16:2817:0617:44

19:0419:4620:23

8

21'3422'5424'25

9

25'5026'2827'06

27'4528'2829'1129'53

10】(フレーズの末尾が微妙に変化)

30'3631'1331'52

32'3233'1433'5634'40

11

35'3335'4736'0236'1636'3036'44

36'5837'2637'5538'23

(ソロ)38'5239'3040'0840'46

12】静かなパート

41'2442'0442'44

13

43'2543'4444'0344'21

44'4045'20

45'5646'1546'3446'53

47'1247'51

14

48'2949'0749'47

(ソロ)50'3051'10

51'4952'30

15】既出リフを連想させるオブリガードあり

53'1053'5754'4055'2756'0256'4457'16

16】序盤【3】のリプライズ

58'2558'5659'2559'55

17】メインテーマ【1】のリプライズ

1'00'221'01'41~終

 

こうしたリフは、構成音が少なく(しかもスケールのキーをロングトーンで弾く比率が多い)、ひとつの周期が著しく長いということもあって、何も考えず聴き流すと「単純で変化に乏しい」気がしてしまうのですが、↑のように細かく聴き取っていくと、非常によく作り込まれていることがわかります。

そして、一見単純な作りのリフの背景にはバンドの過去作で探求された複雑な音遣い感覚(BLACK SABBATH、ハードコア~MELVINSCELTIC FROSTなどにカントリーのようなアメリカ暗黒音楽を染み込ませたもの)があり、シンプルながら異様に奥深い滋味に満ちているのです。

このような極限にシンプルかつ複雑な音楽性を可能にするのがバンドの異常な演奏表現力です。一周3040秒に渡る長大なリフを集中力を切らさず急ぎすぎずになぞりきり、63分に渡って高いテンションを保ちきるマクロの感覚。そして、一音一音を丁寧に噛み合わせるミクロの感覚。出音の良さはもちろん、それを維持しコントロールする時間感覚が著しく優れているのです。

こうして生まれるバンドサウンドは、マッシヴなアタック感覚と密着しすぎず丁寧に絡む心地よいフィット感をこの上なく美味しく両立するもので、全パートが極上の鳴りを出して一体化しています。これは間違いなくロック史上最高のアンサンブルの一つであり、音楽史における到達点の一つと言えます。

 

  本作が本当に凄いのは、このような超絶的な演奏表現を全く“息苦しくなく”聴かせてしまえる所でしょう。圧倒的な迫力に満ちているのに聴き手を扇動したり緊張を強いる感じがなく、ぼんやりダラダラ聴き流すBGMとしてこの上なくうまくハマってくれる。これも草の助けによる所が大きいのでしょうか。

驚異的に逞しいロックグルーヴを泥に沈み込むような安らぎとともに提供してくれる本作は、シリアスな表情を伴いつつ常に楽天的な(聴き手に過剰な内省を強いる雰囲気が一切ない)佇まいもあわせれば、比肩するものは存在しないように思います。究極的に強靭なボンクラサウンド。最高の一言です。

このような成り立ちをした本作は、ハードロックやストーナーロックのような“ラフで生々しい”バンドサウンドを求める人は勿論、ジャーマンロックやアンビエント電子音楽のような(長い時間をかけて淡々と流れていく)没入感を求める人にとっても最高のご馳走ではないかと思います。超お薦めです。

 

  しかしそれにしても、今回初めてちゃんとフレーズを解析しましたが、聴けば聴くほどよくできている音楽です。一般的に抱かれがちな脳筋的イメージに反し非常に理知的な構成力がある。先掲のような展開を掴んでから聴くと興奮度が大きく上がります。ぜひ試してみてください。

 

 

 

9Marvin GayeI Want You

 

 

 

I WANT YOU

I WANT YOU

 

 

 

  ソウルミュージックの歴史を代表する名シンガーと超一流のプレイヤー達による史上最高のアルバム。完璧なリズム処理を土台にした演奏表現力は全パート極上で、黒人音楽ならではの整体感覚をこの上なく美しく体現しています。信じられないくらい良いです。

 

  本作『I Want You』は、リオン・ウェア(「メロウ大王」の異名をとる天才アーティスト)が自作用に録音済だったトラックを聴かされたマーヴィンが譲り受け、自分の作品として完成させたものです。従って大部分はマーヴィンの管理下にないわけですが、この上なく良いまとまりを見せています。

本作の美点は枚挙に暇がありません。ブラジル音楽などの複雑なコード感覚をブルース成分の下地に溶かし込んだ音遣い感覚は官能美の極致で、スムースな肌触りとエグみを完璧なバランスで両立しています。そしてそれを形にする演奏陣が信じられないくらい素晴らしい。歌伴表現の一つの極点と言えます。

本作にはソウルミュージックの世界でも最高の力量を誇る達人ばかりが集められ、出すぎず引きすぎずの節度を心得つつ全編にわたって驚異的な表現力を発揮しています。特に素晴らしいのがデヴィッド・T・ウォーカー。リズム/オブリガード/リードギターの艶やかな存在感は音楽史上においても屈指です。

そして、黒人音楽ならではの完璧なリズム処理(全ての出音がビートマップの上に綺麗に乗り、響きの構成成分も含めてスムースに絡み合う)がもたらす“整体”感覚は全ての音楽の中でも最高級のものでしょう。聴いているだけで体や心のヨレが解きほぐされ、自然に落ち着いた状態に導かれる感じがします。

こうした整体感覚は超一流の楽器陣による所が大きいわけですが、マーヴィンのボーカルがなければこれほどのものにはならなかった気もします。極限までスムースな裏声寄りミックスボイスのシルキーな肌触りと“包容力はあるが身勝手”という感じのうるさくない佇まいから生まれる“距離感”が絶妙です。

 

  この感じは『I Want You』と並行してリオンが製作した名盤『Musical Massage』と聴き比べるとよりはっきりした形で見えてきます。リオンのバリトン寄り声質もあってかブルース的エグみが強めな後者と比べると、前者の重すぎず軽すぎずの絶妙なバランス感覚がよくわかります。

それにしても、これだけ煩悩に満ちた内容をこんなに軽やかに、しかも“堂々巡りする”感じも損なわずにまとめ上げられた作品は滅多にないですね。優しく寄り添いながら深く煩悶し続けるような雰囲気・時間感覚はブルース表現の一つの極致ですし、マーヴィンの人柄なくしては成立しなかったものなのでしょう。

マーヴィン・ゲイというと歴史的名盤『What's going on』ばかりが注目され、それは確かにとんでもない傑作なのですが(ぼんやりした不安を遠くに感じながら暖かくまどろむブルース感覚は唯一無二)、この『I Want You』も同等以上の大傑作です。

各曲の展開はどこかいびつなのにアルバム全体としては美しい輪郭をなしている。豊かな音楽要素がとろとろに溶けて混ざりあい、異様だけど底抜けに親しみ深いものになっている。素晴らしいの一言です。ぜひ聴いてみてほしいですね。

 

 

 

10WALTARIYeah! Yeah! Die! Die! - Death Metal Symphony in Deep C

 

 

 

Yeah Yeah Die Die

Yeah Yeah Die Die

 

 

 

  フィンランドの超絶ミクスチャーバンドとオーケストラの共演盤。シベリウスベートーヴェンのようなクラシック音楽交響曲に初期デスメタルやヒップホップ~テクノを自然に融合させるセンスは驚異的。奥深く豊かな大傑作です。

WALTARI80年代~90年代前半のあらゆる音楽要素を無節操に取り込み融合させる超絶ミクスチャーバンドで、ポップなハードロックを土台に黒人音楽やクラブミュージックなどを融合させるセンスは他の追随を許さないものがあります。

(北欧版FAITH NO MOREという趣もあるかもしれません。)

こうした音楽性は「本場でないからこそ既存の文脈から切り離して使いこなせる」環境だからこそ生まれたもののような気がします。XYSMA(↓の記事参照)やCIRCLEのような何でもありバンドがフィンランドから出てくる背景にはそういった事情がありそうです。

http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/04/120336

本作は、以上のような音楽性の佳作を発表してきたWALTARIが同国の作曲家/指揮者Riku Niemiと共作したアルバムで、95年にヘルシンキの音楽祭で披露された後にスタジオ録音されたものです。オペラのような筋書きも備えた全55分半の交響曲で、緻密で興味深い構造を持っています。

この曲は、「ロックバンドとオーケストラの共演」という企画から連想されるものとは一線を画した仕上がりになっています。「キーボードパートをオケで代用した(オケでなくてもいい)」ような箇所は一つもなく、メタルバンドとオーケストラがそれぞれの特性を活かしつつ完璧に融合し協調しているのです。

これは、作編曲が上手いからというだけでなく、オケを担当したAVANTI!交響楽団の素晴らしい演奏表現による所も大きいです。グラインドロック的高速パートに並走する場面やヒップホップパートでターンテーブル的なカッティングをする場面など、非クラシック的なリズム処理が抜群に上手いのです。

そうしたこともあってか、本作にはバンドとオケの共演にありがちな「両者のリズム処理がうまく絡みあわない」問題が全くなく、全編に渡り上質な“踊れるグルーヴ”が生み出されています。デスメタル・ヒップホップ・テクノなど多種多様なアレンジで一流のグルーヴを描き分ける演奏表現は見事の一言です。

もちろん素晴らしいのは演奏だけではありません。WALTARIの他作品でのメタル寄りリフはSLAYER的なシンプルなものが殆どですが、ここでは悪魔系ブルデス(DEICIDESUFFOCATION風)や北欧初期デス(CARCASSルーツの爆走タイプ)など、多様で興味深いものが聴けます。

そして、そうしたデスメタルパート(デスヴォイスはAMORPHISのTomiが担当)は充実してはいるもののそこまで多くはなく、それと同じくらいオーケストラだけで巧みに聴かせるパートがフィーチャーされています。要所に散りばめられているヒップホップやテクノのパートも非常に良いです。

本作においては、そうした多ジャンル由来の要素が「単に特徴的なフレーズを引っ張ってきて繋ぎ合わせた」という上っ面のレベルでなく「各ジャンル特有のグルーヴの性質」をも深く理解した上で融合されており、しかもそれがこのバンド/オーケストラならではの演奏感覚で個性的に改造されているのです。

こうしたエッセンスのレベルでの消化吸収~無節操な組み合わせは殆どの「ミクスチャー(個人的には安易な感じがしてあまり好きでない言葉)」バンドのそれとは一線を画します。様々な音楽要素をパクリつつ他では聴けない持ち味を生み出してしまうセンス&実力は稀有のもの。本当に魅力的なバンドです。

 

  WALTARIは他にも『Radium Round』(個人的にはこれが一番好き)や『Blood Sample』など数多くの傑作を発表していますが、コンセプトの面白さや希少性まで鑑みて一枚選ぶならやはり本作でしょう。お薦めです。

 

 

 

11ももいろクローバーZ白金の夜明け

 

 

 

 アイドルシーンの“何でもありの品質史上主義”を導いたグループの4thアルバム。ジャンルの異なる14曲が美しい流れ纏まりを描く構成は完璧で、音楽的な充実度は測り知れません。同時発売の3rdとあわせ、日本のポップスにおける歴史的名盤です。

ももクロのこの4th3rdに関してはhttp://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2016/03/04/2250212万字記事で一通り書きました。

(「全力であることを暑苦しく感じさせない」「屈託があるけど屈折していない」人柄と音楽的充実度など。)

ここでは本作の構成の見事さについて補足したいと思います。

 

  本作の収録曲は、J-POPらしい印象的な歌メロを備えつつ“安易に解決しない”コード進行を持ったものばかりで、それぞれが“サビで発散しきらず逡巡を続ける”優れたブルース感覚を備えています。そうした曲が並ぶことにより、アルバム一枚を通してゆったり没入させ通す効果が生まれているのです。

この4thでは、ごつごつした起伏をなす3rdとは異なり、ゆるやかなグラデーションを描きながら大きな波を生む流れが表現されています。沈む~フラットに揺れる~浮上する~落ち着くという感じの構成が実に滑らかで、全曲がそれぞれの位置で「これしかない!」という位うまく機能しているのです。

特に素晴らしいのが11曲め「Zの誓い」の存在感。SLAYERを激しくしたような爆音パートから一気にメロディアスに弾ける構成で、自分はシングルで聴いた時は全然ピンと来なかったのですが、アルバムで聴いたら見違えるように良くて驚きました。

この「Zの誓い」は、Aメロの爆音パートではコードが殆ど変化しない音進行になっていて、それがモノトーンで弾けきらない“逡巡”感を生んでいます。そこからややカラフルなB〜Cメロを経てサビで一気に解放されるわけですが、単曲で聴くとの展開が速すぎてわざとらしく思えるようなところがあります。

しかしそれが本作の11曲め(終盤)に配置されることで、10曲めまでの長大な“逡巡”パートをふまえた上でこの曲のサビに繋がるという流れが生まれます。その結果、この素晴らしいサビメロ(「よくこれを書けたもんだ」と聴くたびに感動します)が最高の形で活かされることになるわけです。

本作ではこのような「アルバムというマクロの流れの中で各曲が(単体では得られない良さを獲得し)さらに映える」という効果が理想的な形で実現されています。11曲別々の作曲者に発注しそれを並べる(簡単な設計図はあったものの)というやり方でよくぞこれ程のトータルアルバムを作れたものです。

そうした流れで聴き手を没入させた後、最大の名曲「桃色空」(ソウルミュージック史に輝くべき名曲名演)が最高の余韻を残しながら締めるという構成は素晴らしいという他ないですね。

 

氣志團万博での実演。原曲に勝るとも劣らない出来です。

https://m.youtube.com/watch?v=9vCuDlm8vLg

 

などなど、この4th3rdはともに稀有の音楽的豊かさ&構成の見事さを併せ持つアルバムで、の素晴らしいレビューが仰るように、アイドルシーンからしか生まれない深みと広がりに満ちた大傑作です。全ての音楽ファンに聴いてみてほしいですね。

https://www.amazon.co.jp/gp/aw/review/B0136O5SXK/R2UEFZWVYPICCR/ref=cm_cr_dp_mb_rvw_2?ie=UTF8&cursor=2

 

 

 

12面影ラッキーホール代理母

 

 

 

 

 

  難産の末発表されたメジャー1st。歌謡曲的な“こびりつく湿り気”と三流エロ劇画的な“どん詰まりのユーモア感覚”をファンクの「でもやるんだよ」的ブルース感覚と完璧に融合したアルバムで、作編曲も演奏も最高レベルに充実しています。驚異的な大傑作です。

 

(ちなみに、「三流エロ劇画」というのは「煽情的なだけで質の低いエロマンガ」ではなく、一般誌より制約の少ないエロ劇画誌で開花した優れた作品(純文学寄りのものが多い)を指します。詳しくは参照。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/エロ劇画誌

 

  面影ラッキーホール(現O.L.H.)は歌詞の凄み(吉本隆明に「この人は上手すぎる程の物語詞の作り手だ」と評されるなど)で知られるバンドですが、作編曲や演奏の面でも超一流の実力を持っています。歌謡曲と黒人音楽の真髄を掴みエッセンスのレベルで融合する腕前は比肩するものがありません。

本作においては、優れた劇画作品が持つ“あんまりにもひどすぎて笑える”感じ(~それを自嘲的に笑い飛ばそうとする“うつむき気味ながら逞しい”ユーモア感覚)および歌謡曲的な“涙がこびりついてすっきり流れ落ちない”感覚がともに深く理解され、完璧に絶妙なバランスで融合されています。

そしてそれが、ファンクなどの黒人音楽の「でもやるんだよ」的ブルース感覚(先掲PARLIAMENTの項を参照)と雰囲気表現・音楽性の両面においてこの上なく見事に溶け合わされているのです。このような“ニュアンスの融合”をここまで上手くやってのけた作品は滅多にないでしょう。

それを可能にするのが卓越した作編曲と演奏です。歌謡曲ならではの冴えた歌メロやコード進行の引っ掛かり感覚をベースに、ソウルミュージック~ファンク~ヒップホップの美味しい所を贅沢に引っ張ってきて巧みに組み合わせる。緻密な作り込みをすっきり聴かせる楽曲はいずれも最高の仕上がりです。

そうした楽曲に先述のような歌詞がのると、元々備えていた優れた表現力が数十倍に深められます。タイトルだけでもイメージを喚起する効果は相当のものですし、その歌詞本体が音楽と絡み合って生まれる味わいは想像を絶するものがあります。物語性とサウンドの良さを両立する作詞の力は驚異的です。

その上で素晴らしいのが演奏です。歌謡曲的な音色表現とファンク的なリズム処理を絶妙に両立するaCKyのボーカルには唯一無二の個性がありますし、sinner-young(歌伴としては間違いなく日本最高のベーシストの一人)を軸とした楽器陣も超一流揃い。全パートが極上の味を出しています。

以上のような要素が揃った本作はアルバム全体としても優れた構成になっていて、全ての面において死角のない仕上がりになっています。よく比較されるじゃがたらの傑作にも劣らない内容ですし(演奏のクオリティはこちらの方が格段に上)、日本のポップミュージック史においても屈指の一枚だと思います。

個人的に特に惹かれるのはメロウ・ソウルの大名曲「ピロウトークタガログ語」と本編最後を飾る「小さなママに」ですね。特に後者のギターソロ(sinner-youngによるもの)はフレージング・音色表現力ともに最高級。アルバムの重苦しい展開の中でささやかな救いをもたらしてくれます。

 

  個人的にはこのアルバム、ブラックミュージックに慣れ親しみつつ歌謡曲はそこまでちゃんと聴いていなかった頃は「凄いと思いつつ素直にハマりきれない」感じだったのですが、ここ最近(V系方面を通して)歌謡曲的エッセンスに対応する回路を開発した上で接したら、格段に浸れるようになっていました。

そういうことも鑑みても、うまく味わいきるにはそれなりの経験値が要る内容ではありますが、エッセンスを噛み分け吟味できるようになればなるほど成り立ちの深さ巧みさに感じ入れる作品でもあります。この路線でこれを超えるものはちょっと見つからないくらいの大傑作。聴いてみる価値は高いと思います。

なお、面影ラッキーホール(現名義はO.L.H.Only Love Hurts)は年に12度ライヴをやっていて(大所帯なので中々集まれない)、スタジオ音源と同等以上に素晴らしいパフォーマンスをしてくれています。こちらもお薦めです。

http://o-l-h.jp/top/

 

 

 

13Fripp & Eno『(No Pussyfooting)』

 

 

 

No Pussyfooting

No Pussyfooting

 

 

 

  至高のギターソロアンビエント音楽。20×2の構成はどこまで意識的に構築されたものか解りませんが、ゆったりした展開と艶やかな音色に身を委ねていると時が経つのを忘れます。リスニング用としてもBGMとしても最高です。

 

  本作(73年発表)は、KING CRIMSONのリーダーであるロバート・フリップROXY MUSIC脱退直後のブライアン・イーノのデュオによるアルバムで、イーノが構築したテープループの上でフリップが延々ギターソロを弾き続けるスタイルをとっています。

イーノによるテープループには打楽器的な音が殆ど含まれず、明確なビートや拍節感覚をあまり読み取らせない(そこに意識を向けさせない)つくりになっています。そこにのるフリップのギターは全編に渡り不定形の長さのソロを取り続けるもので、フレーズの切れ目はよくわかるもののその並びに規則性を感じさせられることがありません。

このようなテープループ&ギターソロ編成は聴き手の「ビートを数えて拍節を把握する」意識を自然に放棄させ、「時間の流れを忘れさせる」「常に変化が起きるので飽きさせない」聴き味を同時に生んでくれます。フリップの唯一無二の美しい響きに浸っているといつのまにか再生が終わっているのです。

この不思議な時間感覚の源となるイーノ作のトラックは、1曲めではフリッパートロニクス(2台のテープループで数秒間隔のディレイを生むアナログなループシステム)を活用したフリップのギターサウンドの変調、2曲めではイーノの操るVCS3シンセサイザーの活用により生み出されています。

こうしたトラックは、曖昧で複雑なコード感により明るくも暗くもない不思議な浮遊感を生み続けています。こうした音遣い感覚は、一応4拍子系に記譜できるけれども“進行感”を殆ど感じさせないリズム構造とあわせ、何十分反復しても全く聴き減りしない異常なループ強度の構築に貢献しています。

以上のテープループシステムはテリー・ライリーやポーリン・オリヴェロス(ともにミニマル/電子音楽方面)が開発した機材を発展したものですし、これを製作したイーノはそちら方面の音楽も聴いてていたはず。そこから得た音響/時間感覚があったからこそ本作の音楽性が可能になったというのはありそうです。

そのような成り立ちをもつ本作は、小難しく近寄り難そうなイメージと反して非常に聴きやすく親しみ深い味わいを持っています。なんでこんな音進行になっているのかは全然わからないが、こういう音進行でなければ表現できない良い味が確立されていることはすぐわかる。理屈抜きに伝わる魅力があります。

 

  録音が行われたのは、1曲めが72年の9月、2曲が73年の8月。KING CRIMSONの『太陽と戦慄』が73年の12月録音→3月発売、イーノのROXY MUSIC脱退が73年の7月で、大きな転機を挟んで製作した作品なのですが、2曲の繋ぎに違和感はゼロ。全体的な統一感は完璧です。

フリップのリードギターKCでの攻撃的でざらついたソロとは異なる艶やかな音色で、抽象的で具体的なフレーズは記憶に残すのが難しいのに印象的で耳を惹くようになっています。この「じっくり聴いても聴き流してもいい」絶妙な成り立ちはイーノによるトラックと同様で、両者の相性は非常に良いです。

こうした「聴き込んでも聴き流してもいい」あり方はこの後イーノが提唱することになるアンビエント音楽の本質を既に体現しています。イーノのソロ名義デビューは本作発表のすぐ後で、そこから数々の傑作を生み出していくことになるのですが、それらにも勝るとも劣らない素晴らしい内容だと思います。

この後イーノはソロキャリアを進めつつデヴィッド・ボウイのベルリン3部作(7779年:フリップも少なからず関与)や『No New York』コンピレーション(78年)に携わるなど多彩な活動をしていきますが、本作で得た成果がそこにどう繋がっていくのか考えるのも非常に興味深いです。

それはフリップについても同様で、それまでのKING CRIMSONでは取り組む機会がなかった“長いスパンで流れ変容していく”ギターソロスタイルは後に「サウンドスケープ」という名の下に探求されることになります。それが同時期のKCにどうフィードバックされていくか考えるのも面白いです。

などなど、本作は“歴史の結節点”としても単純に美味しい音楽としても稀有の魅力を持った一枚です。アンビエントと言われる音楽の中では個人的に最も好きなものの一つですね。落ち着いている時にもそうでない時にもいい感じで寄り添う力加減と時間が経つのを忘れる聴き味は本当に極上。お薦めです。

 

  ちなみに本作、FKA Twigsがツアーの開演前BGMに使っていたりもします。来日公演で逆回転ver.が流れてきた時は興奮しましたね。

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/558233773360168961

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/558236986666799104

 

 

 

14STEELY DANGaucho

 

 

 

ガウチョ

ガウチョ

 

 

 

  究極のポップス・レコーディングユニットによる休止前最終作。彼らの完璧主義が極点に達した一枚で、「複雑で耳あたりの良い歌モノを超一流プレイヤーに演奏させる」しごきスタイルが質・表現力の両面で最高の成果をあげています。前作と並ぶ大傑作です。

 

  本作の前作『Aja』は「ポップミュージック史上で最高のクオリティを誇るアルバム」として有名で、50年代のジャズやR&Bフュージョン以降の複雑なコード感覚でチューンアップした名曲の数々を当時のフュージョンシーンを代表するプレイヤー達の名演のみを集めて形にした大傑作になっています。

そうして作られた『Aja』は、作編曲・演奏など全ての要素に隙がないうえに無難で小綺麗な仕上がりにもならない、超高品質で快適な聴き味と「ほんのり漂う底意地の悪さも含め完璧にお洒落」な雰囲気を両立する一枚になっています。超絶的なクオリティと個性的な表現力を併せ持つ大傑作なのです。

この『Aja』は、著しく優れた音質(グラミー最優秀録音賞受賞)がもたらす耳あたりの良さもあってか全米3位・200万枚以上という大ヒットを記録。この実績を背景に1年以上の執拗な録音作業(1億円以上かかったという)を経て作られたのが本作『Gaucho』で、品質はさらに上がっています。

この時期のSTEELY DANはメンバー2人(ドナルド・フェイゲンウォルター・ベッカー)およびプロデューサーのゲイリー・カッツによるレコーディングユニットで、超絶的に上手いセッションプレイヤーを徹底的にしごいてベストテイクのみを採用するという妥協のない手法を繰り返していました。

たとえば、本作には当初「The Second Arrangement」という曲が収録されるはずだったのですが、完成していた音源をスタッフが間違えて消去。再録音が満足のいく仕上がりにならなかったため、前作のお蔵入り音源「Third World Man」が収録されることになりました。

このような「著しく高い理想のために一切妥協しない」姿勢は製作現場に少なくない緊張感をもたらします。そうしたこともあってか、本作に収録された演奏は“滑らかで饒舌だが常に微かな緊張感が漂い続ける”ものばかりになっています。開放感のある曲調でもリラックスしきれていない感じがあるのです。

しかしそれは悪いことではありません。本作では、このような“終始滑らかだが常に硬く緊張している”感じが演奏感覚や雰囲気に実にうまく結びつき、唯一無二の表現力を生み出しているのです。それが最も顕著なのが「ロックグルーヴを極限まで洗練した」感じの演奏。黒人音楽と比べると実に面白いです。

 

  優れた黒人音楽では、全てのパートの演奏がビートの歯車に細部まで綺麗に噛み合い、マクロ・ミクロの両面において完璧に解きほぐされたグルーヴが出来ています。これに対し、ロック的な演奏では、どれほど精密に洗練されても“歯車の目が(無限には)細かくない”ためか、微かなぎこちなさが残ります。

STEELY DANの演奏にもまさにその“微かなぎこちなさ”があります。プロデューサー達が(黒人音楽を愛しつつも)結局そういうぎこちなさを求めてしまうからか、そして寸分の狂いも許さない完璧主義が「ミクロの噛み合いを意識するあまりマクロの流れが固くなってしまう」演奏を導くからなのか。

そして、STEELY DANの音楽ではそうした“ぎこちなさ”が人柄の本質に絶妙に合ったものとして活きているのです。「終始滑らかだが常に硬く緊張している」演奏感覚が、歌詞やボーカルの音色表現から生まれる「ほんのり漂う底意地の悪さも含め完璧にお洒落」な佇まいにこの上なく合っています。

タイトルトラックはその好例。音だけ聴けばリゾート地に行って開放感に浸っているような感じですが、歌詞は「ゲイカップルの間にガウチョ風の新しい男が現れ関係がギクシャクする」というもの。それを鑑みて聴くと、開放されているというより「開放されてぇなあ」という願いが滲み出たものに思えます。

このような複雑で俯いた(その上で無抵抗に沈むこともない)ニュアンス表現には、黒人音楽の完璧に滑らかな(“整体感覚”すらある)リズム処理より、意思の強さで綺麗に装っているけどどこかくたびれた感じがあるこうしたグルーヴの方がよく合いますし、そうでなければ絶対にこの味は出ないわけです。

こうした演奏&雰囲気表現の妙味は、このグループにおいても本作でしか味わうことができません。前作『Aja』ではどん詰まり感が強くなく屈託ないお洒落さが前面に出ていますし、本作の後に出たフェイゲンのソロ1st(歴史的名盤)ではどこか緊張感から開放されたような気楽さが勝っていますし。

この“微かに漂い続ける緊張感”は、「意識せずにお洒落な音に浸る」か「以上の関係性を掴んで肯定的に吟味できるようになる」かしないと微妙に溜飲が下がらない感じを居心地悪く思う可能性があり(自分は長い間そうでした)、うまく聴きこなすのが難しいのですが、唯一無二の優れた個性ではあります。

そしてそれこそが、STEELY DANという稀代のポップス・レコーディングユニットが他と最も一線を画する部分であり、このユニットの音楽でしか味わえない最高の珍味と言えるのです。こうしたことが最も濃くわかりやすい形で表れているという点でも興味深い大傑作。ぜひ聴いてみてほしいです。

 

 

 

15JUDAS PRIESTScreaming for Vengeance

 

 

 

Screaming for Vengeance

Screaming for Vengeance

 

 

 

  HR/HM(ハードロック/ヘヴィメタル)を代表する歴史的名盤。バンドの「正統派だけど流行も積極的に取り込む」特性が理想的に活かされた一枚で、演奏・作編曲・曲順全てが素晴らしい。文句なしの大傑作です。

 

  JUDAS PRIESTは“Metal God”という(自他ともに認める)異名から「様式美に固くこだわる」「音楽性に変化がない」という(HR/HMによくある)イメージを持たれやすいですが、実はそういう姿勢から非常に遠い所にいるバンドで、その時々の流行を無節操に取り入れてきました。

たとえば、「ヘヴィメタルの硬い音質およびリフ主導スタイルを確立した歴史的名盤」という評価を現在は得ている大傑作『British Steel』(80年)では、70年代にバンドが売りにしていた叙情的な音遣いがフィーチャーされる一方で、当時の“最新の”スタイルが様々に援用されています。

冒頭を飾る「Rapid Fire」は後のDISCHARGEGBHのような欧州ハードコアパンクに酷似する“重く滑る”サウンドが確立されていますし(ともに初期パンクに影響を受けた結果たまたま似たということだろうか)、音響面ではニューウェーブを大きく意識しその手法を取り入れています。

また、「The Rage」は70年代の正統派叙情ハードロックとレゲエのリズム構成をそのまま融合させるというありそうで殆どないアレンジになっています。(ここまで「そのまま足した」ものは私は他に知らないです。)確かに保守的な所のあるHR/HMシーンでは、これは極めて稀なことなのです。

こうした姿勢はこの作品に限ったものではありません。前作『Killing Machine』(78年)は洗練されたメタルサウンドを確立した最初のアルバムの一つですし、次作『Point of Entry』(81年)では当時のポップシーン(黒人音楽やニューウェーブ)に急接近しています。

また、HR/HM史上屈指の名盤『Painkiller』(90年)はその頃完全に広く認知されたスラッシュメタル(~それ以降のエクストリームメタル)を独自に消化した傑作ですし、『Jugulator』(97年)や『Demolition』(01年)も同じような姿勢のもと作られた作品です。

というふうに、このバンドは同時代の流行を意識し積極的に取り入れてみる姿勢を貫いてきました。対象のことをうまく理解していなかったとしても、独自のフィルターを通して吸収し、他では聴けない個性的なものに再構築する。ロックの「誤解と誤読で新しいものを作る」本質を見事に体現しているのです。

そうした姿勢を続ける一方で、このバンドには確固たる芯となる音遣い感覚があります。70年代英国ハードロックの叙情的な(ブルースの粘りを欧州クラシックなどで溶かしほぐした)音進行が常に土台にあり、どんな要素を取り入れてもメロディアスなフレーズが聴き手の耳を惹くようになっているのです。

華麗なメロディを前面に出しつつ“安易に泣いて済ます”臭い展開にはならない英国ロックの音遣い感覚に、その時々の流行を分析することで得られた“新たなツボの突き方”が追加され、わかりやすく耳馴染みの良い印象と複雑で奥深いニュアンス表現がどんどん巧みに両立されるようになっていくわけです。

JUDAS PRIESTの作編曲能力はHR/HMの歴史全体をみても突出して高く、一つ一つのリフの出来映えもそれを軸とした各パートの絡み方も驚異的に見事なのですが、これは先述のような姿勢の賜物なのだと思われます。保守と革新の絶妙な両立。これこそがこのバンドの本質なのでしょう。

 

  本作『Screaming for Vengeance』(82年)はそのような本質が理想的な形で発揮された大傑作です。緻密で個性的な作り込みを印象的なリードフレーズと共にすっきり呑み込ませる作編曲が終始素晴らしく、アルバム全体の流れまとまりも完璧に良好。何度でも快適に聴き通せます。

バンドの叙情的な側面を代表する“史上最高のオープニング曲”「The Hellion」~「Electric Eye」から「Pain and Pleasure」に至る旧A面は1つの組曲のようですし、それ以降(旧B面)の繋がりも文句なしに見事。アルバム全体の輪郭がこの上なく自然で綺麗です。

各曲の出来も最高です。「アメリカ音楽を意識しながらも常に英国的な味の感覚がベースになっている」音遣いは何も考えずに楽しめる滑らかさとこのバンドにしか出せない個性的な深みを両立したものばかり。こうした絶妙なバランスを生み出せたからこそアメリカ史上で大きな成功を得られたのでしょう。

その最大の好例が「You've Got Another Thing Coming」。音遣い・演奏感覚の両方がAC/DCを滑らかにしたような仕上がりになっています。特に“貼り付きながら流れていく”感じのグルーヴ表現は極上。デモテイクが余りにも良かったから採用したというのも納得です。

また、最後から2つめに配置されたバラード「Fever」も素晴らしい仕上がりです。欧州ニューウェーブのゴシック感覚を芯に据えてアメリカの大陸的な広がりを加えたような仄かな湿り気が絶品で、ベースラインの仕掛けから生じる複雑なコード感覚も実に美味しい。注目されないのが不思議な名曲です。

その「Fever」で沈み気味に落ち着いた気分を「Devil's Child」の(俯き気味ながら)積極的に弾けるノリで無理なく吹っ飛ばす構成は絶妙で、アルバム全体を通して“浮きすぎず沈みすぎずフラットに揺れる”テンションが保たれています。気疲れさせず浸らせてくれる雰囲気は最高です。

というふうに、本作は“保守的で革新的な”音楽性が極限まで洗練された作編曲~曲順のもと(程よいラフさを残す演奏&音作りとともに)まとめられたアルバムで、わかりやすく耳あたりの良いポップ音楽としても、HR/HMというジャンル全体における達成としても、比類なき大傑作と言えるのです。

 

  個人的には、本作の「歴史的名盤」という評価は以上のような文脈のもとでなされるべきだと思います。HR/HMシーンでは「当時の音楽市場でメタルが“最も売れるジャンル”となった成功の先鞭をつけた記念碑的作品」という位の認識しかないようですが、本作の凄さはその程度のものではないのです。

JUDAS PRIESTは「HR/HM史上最も重要なバンド」という定評から「このジャンルのオーソドックスな音楽性を示す」と思われることも少なくないですが、基本ではあるけど決してオーソドックスではありません。こうしたバンドがMetal Godと称されるのは非常に興味深いですね。

固有のセンスを維持しながら他のあらゆる要素を貪欲に取り込み、独自の個性的な音楽を作り上げてしまう。実はこれ、メタルシーン全体にも言えることです。メタルと呼ばれる音楽の広がりはロックと呼ばれる音楽全体と同じくらい広いのです。

(参考:http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/

本作はSLAYERのメンバーも「死ぬほど聴いた一枚」として挙げる作品ですし、独特の音遣い感覚や創作の姿勢などが直接/間接的に受け継がれた部分も少なからずあるはずです。単純に聴き心地がよく、成り立ちも極めて興味深い。メタル以外の音楽ファンにも聴いてほしい大傑作ですね。超お薦めです。

 

  ちなみに、「固有のセンスを維持しながら他のあらゆる要素を貪欲に取り込み、独自の個性的な音楽を作り上げてしまう」ということに関連して。HR/HM及びその近縁にあるヘヴィロックの歴史を見てみると、“表現性を重んじる”タイプの(ロッキングオン方面で歓迎される類の)ロック/オルタナと同じ位“その時代をリードするスタイル”が変化し続けていることがわかります。

それなのに「メタルは変化を嫌う音楽だ」というイメージが色濃く残り続けるのは何故だろうと考えると、やはりこれはHR/HM関係の有力メディアの姿勢が大きいんでしょうか。メディアの方が変化を嫌い様式美的な音楽性ばかり歓迎し宣伝するため、そういうのばかりが目立ってしまうということかも。

HR/HMという枠組で語られるバンドには、このジャンルのファンに注目されなくて十分な知名度を得られず、ジャンル外からも知られる機会がなくて評価されない、という“ジャンルの狭間に落ちてしまった”素晴らしいバンドが多数存在します。ULVERWALTARIなど、枚挙に暇がありません。

そして、そういう“ジャンルの狭間に落ちた”(=豊かな音楽背景を持つ個性的な)バンドを“オルタナティヴ”なものとして挙げれば、こうした「HR/HMは変化を嫌う進歩のない音楽だ」というイメージは一瞬で払拭されるわけですが、そういうことに興味のないメディアやファンもかなり多いようです。

つまり、HR/HMがこういうイメージで語られるのは、(当時の他ジャンル担当メディアのイメージ付けが上手くそれにやられたという経緯もありますが)このジャンルのメディアやファン自身が先述のようなことを主張しない(または知らないからできない)からだ、というのも少なからずある気がします。

現在HR/HMファンの多くが抱き文句も言う「メタルは不当な評価をされている」という意識は、ある意味自業自得(先人の行動の積み重ね)というか、自分達が好んで選んだものという側面もあるわけです。

(参考:ULVERインタビュー

http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2015/11/02/201141

それを乗り越えるには、メディアやファン自身がHR/HMの豊かな金脈を掘り、他ジャンルの美味しいものも沢山聴いて比較できるようになり、“音楽的バイリンガル”としてのコミュニケーション能力を身につける必要があるのですが勿論これには相当な労力が要りますし、強要できるものではありません。

しかしまあ、「HR/HMへの不当な評価を払拭する」なんて(様々な意味で)面倒なことをしなくても、個人で楽しむためにも「色々聴いてじっくり味わう」のは良いことだと思います。こうやって様々な音楽作品を混ぜて紹介するのもそうしたことに貢献したいと思うから。何かのお役に立てれば幸いです。

なお、この「HR/HMの悪いイメージを払拭するために“音楽的バイリンガル”的活動を行う」のを史上最も上手くやっているのがBABYMETALだと思います。個人的にはそこまで好みというわけではないですが、確かに非常に興味深いグループです。

 

  ちなみに、先日ローリング・ストーン誌が発表したHR/HMベスト100ランキングは先述の意味において非常に優秀なリストになっています。こういう視野の広い&ツボを押さえたセレクトがこれほどの大手誌から出るのは良い傾向に思えますね。

http://amass.jp/90504/

 

 

 

16筋肉少女帯Sister Strawberry

 

 

 

SISTER STRAWBERRY(紙ジャケット仕様)

SISTER STRAWBERRY(紙ジャケット仕様)

 

 

 

  バンド初期における純アングラ路線の一つの到達点。(いわゆるプログレハードでない)真にプログレッシヴなハードロックが聴けるアルバムで、一流のプログレデスやG.I.S.M.等にも引けを取らないキレ味があります。稀有の大傑作です。

 

  音楽の世界には「プレイヤーとしては大した技術がないが異様な存在感によりバンド全体の個性や表現力を大幅に強化する」能力を持つ人が存在します。例を挙げるならジョージ・クリントンP-FUNK)や江戸アケミじゃがたら)など。そして、大槻ケンヂ筋肉少女帯、特撮)もその筆頭と言えます。

大槻は独特のボーカルと作詞で唯一無二の味を出せる稀有のフロントマンではあるものの、それ以外の音楽的技術を持たず、作編曲も共演者に任せることが殆どです。従って、どういう音楽性になるかは共演者の嗜好や実力による所が大きいのですが、不思議と外れはなく、常に優れた作品が生まれています。

これは大槻の人間的魅力やそれに起因する個性的なパフォーマンスの賜物と思われます。“神秘的なダメ人間”という趣の奇怪で親しみやすい歌詞世界は作曲者にインスピレーションを与え、どんな音楽性でも“許容する”姿勢は自在な発想を自然に引き出す。ある種理想的な創作環境を提供できるのでしょう。

KING CRIMSONを愛しつつ「じゃがたらのような(パンキッシュな)ファンクを志向したがうまく演奏できないのでこうなった」という初期筋少の逸話をきくと、知見や許容範囲は早くから非常に豊かだったように思えます。

そして、そういう音楽的な理解力・許容力があるからこそ共演者の持ち味を引き出せ、その上で自分色に染めてしまえるということなのかも。

当時のナゴムレーベルやイカ天が取り扱っていた音楽の無節操な広さを考えても、そういう何でもありの才能が出てきやすい土壌があった時代なのかもしれません。)

 

  橘高加入後の筋肉少女帯筋少)における「様式美HR+あらゆるジャンルの音楽要素」、特撮における「ハードコアパンク~エクストリームメタル+J-POPほか」、ソロ活動における日本のアヴァンギャルド音楽総決算といったものの全てを受け入れる懐の深さは、やはり稀なものなのだと思われます。

こうした大槻の音楽的個性は「狂気に憧れそれを演出しようとする所がありつつ別の(本人が意識できていない?)部分で本当に狂っている」「気が弱く神経質そうな一方で柔らかく親しみやすい“品の良さ”が常にある」感じのもので、ちょっと歌うだけで全体の雰囲気を染めてしまう力があると思います。

このような特性はキャリアを重ねるにつれてどんどん熟成されていき、今では卓越した発声技術もあってか素晴らしい包容力を発揮するようになっています。しかし、筋少の初期においてはそういう包容力は微塵もなく、猟奇的で神秘的なものに対する憧れが尖った勢いに直結するような感じがありました。

そしてそれに対応するかのように、ナゴム期~メジャー初期の筋少は神秘的で攻撃的な音楽を探求し、素晴らしい成果をあげ続けていました。異様な曲想が卓越した編曲能力(クラシックの楽理を修めた三柴理の貢献が大きい模様)により整理され、独特の深みを損なわず口当たりよく仕上げられるという感じ。

こうした方向性が一定の完成をみせたのが初期の最後を飾る本作かというとそう単純な話でもありません。異様な曲想が完璧に整理・洗練されたという点では前作(メジャー1st)の『仏陀L』がベストですが、ナゴム期の音源は(高度な音楽性はそのままに)以降にない異常な表現力が備わっています。

それに対し、このメジャー2ndでは、演奏技術を増強すべく招聘された2人の実力者がバンドの持ち味を汲み取らず暴れまくっていることもあってか、アンサンブル的にもアレンジ面(主にコードに対するフレーズのハマらなさ)においても荒々しい逸脱が多く、それが独特の雰囲気を生んでいるのです。

 

  そういう雰囲気に最も大きく貢献しているのがギターの“ジェットフィンガー”横関敦でしょう。高域に向かってよく伸びる音色を活かしたフレーズはリフ・リードともに実にフリーキーで、三柴理のクラシカルで極めて合理的な(その上で自在に暴れ狂う)音遣いと干渉することで異様な響きを生み出します。

このようなプレイスタイルは「シュラプネル系速弾きギタリストとSLAYERの崩壊系ソロを滑らかに融合させた」ような感じのもので、この人にしかできない凄まじいフレーズを連発しています。「キノコパワー」間奏部のギターvs.ピアノバトルはその最たるもの。超絶的すぎて何度聴いても笑えます。

そして、本作から加入したテクニカルドラマー太田明も強力な存在感を発揮しています。ジャズロック系の多彩なフレーズで曲の表情を豊かにする一方、(この時点では内田雄一郎のベースと微妙に息が合っていないこともあって)アンサンブルに生硬い粗を与え、音楽全体に独特の異物感を加えているのです。

こうした「非常に上手いプレイヤーばかりだがアンサンブル全体としては微妙に息が合っていない」感じは、機動力の高さと“神経質で危なっかしい”勢いを同時に生み出し、猟奇的で神秘的な歌詞世界を絶妙に引き立てます。大槻のハイテンションで危険なボーカルもそういう印象をさらに強化するわけです。

このような演奏で形にされる楽曲も素晴らしいものばかりです。江戸川乱歩的な歌詞世界と5拍子の組み合わせが見事な「夜歩く」、三柴理(日本を代表する鍵盤奏者)の多彩なフレージングがどこまでも素晴らしい大名曲「いくじなし」(9ver.)など、全ての曲が他では聴けない魅力を持っています。

作編曲の構造は、基本的には「鍵盤の整ったコードを他パートのフリーキーなフレーズが効果的に汚していく」もので(ソロ以外のピアノやキーボードを抽出して聴いてみると実はかなりオーソドックスな進行をしている)、その“合理的に歪む”感じは超一流のプログレッシヴ・デスメタルなどにも通じます。

実際、演奏技術の面でもそうしたものに殆どひけをとりませんし、“プログレッシヴな”音楽のファンが聴いても驚愕するとんでもないクオリティの作品になっています。内容の凄さに見合った知名度を得られてはいませんが、日本の地下シーンにおける隠れた名盤として語り継がれてきた大傑作なのです。

大槻ケンヂ関連作には個性と品質を高度に両立した傑作が多く、筋少だけみても『月光蟲』や『レティクル座妄想』など日本のロック史上屈指の逸品が複数ありますが、理屈抜きに伝わるインパクトではでは本作が一番でしょう。ぜひ聴いてみてほしいです。

 

  なお、大槻ケンヂ関連で自分が一番好きなものを挙げるなら「Guru」ですね。筋少の一時凍結中に行われた企画「アンダーグラウンド・サーチライ」で生まれた大名曲。三柴理の神がかった鍵盤に一歩もひけをとらないボーカルが本当に素晴らしいです。

https://m.youtube.com/watch?v=OAO3qLaIsL8

 

 

 

17MAYHEMDe Mysteriis Dom Sathanas

 

 

 

De Mysteriis Dom Sathanas

De Mysteriis Dom Sathanas

 

 

 

  ブラックメタル史上名実ともに最も重要な作品。スキャンダラスな話題ばかりが注目されがちですが、「北欧地下シーンにおける固有のブルース感覚の確立」という音楽的達成だけをみても比類なき功績があります。大傑作です。

 

  この「北欧地下シーンにおけるブルース感覚」についてはhttp://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2015/03/27/050345で詳説しました。アメリカ黒人音楽のブルース感覚が英国でクラシック音楽等と融合された後にスラッシュメタルハードコアパンクを通して変容し、独自の形に確立されていったという流れです。

(ここでいう「ブルース感覚」は「ミニマルな音楽が反復を通して醸し出す感覚」のことを指します。同じようなテンションを保ちながら長いスパンで流れていく音楽が生む酩酊感・引っ掛かりなど。の趣旨は「ブラックメタルの場合はルーツを辿れば確かに(遠縁だけど)黒人音楽のブルースに繋がる」ということです。

欧州寄りメタルにはドミナントモーションを多用し“解決”する音進行を好むものが多く、よく言われる「ブルースの影響を排したのがメタル」という話は正しいことが多いです。その点ブラックメタルはある意味先祖返りなのかもしれません。

そもそもブルースというのは「気が晴れない」感覚とかそれが持続する状態を描写すべくああいう反復構造になったのだと思われます。(終わりなき日々という感じ。)そういうスタイルが北欧の閉塞感を描くにあたって最も適していたからこそブラックメタルという形で利用されたのだと考えるとしっくりきます。興味深いです。)

 

  本作収録の名曲「Freezing Moon」ではそうした独特の“引っ掛かり感覚”がはっきり示されています。3分頃から始まり3分ほど繰り返される〈Ⅰ(キー)Ⅰ♯(キーの半音上)〉(この曲の場合はE→F→E)がその最大の好例です。

https://m.youtube.com/watch?v=z8VIhIIq-kk

この「半音上がって半音下がる」反復進行は、ハードコアパンクスラッシュメタル以降のエクストリームメタルや現代音楽~ジャーマンロック方面のミニマル寄り音楽における音進行の“引っ掛かり感覚”を統合する素材としてある種の真髄となるもので、それをここまではっきり示したフレーズは希でした。

こうした“強くない引っ掛かりを保ちながら流れ続ける”反復進行は、低域を厚く固めない隙間のある音作り~トレモロギターのぼやけた音色といった“冷たい霧のように漂う”サウンドと非常に相性が良く、暗く沈み込みながら終わりのない内省を続ける雰囲気にこの上なくよく合っています。

このような音楽性を形にする演奏も凄まじく、「機動力と安定感を両立するジャズロック系超絶ドラムス」を土台に「微細に揺れながら漂い続けるギター&ベース」と「驚異的に豊かなバリエーションで呪詛を吐き続ける強力なリードボーカル」が絡むアンサンブルは、他にない異様な深みと迫力に溢れています。

以上の諸要素からなる本作は、洗練された音楽的コンセプト・演奏の魅力・刺激と深みを両立する雰囲気表現といった全ての面において凄まじい存在感を持っています。それがのような事件性と共に注目されて生まれる影響力は測り知れないものがあります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%98%E3%83%A0

ノルウェーの初期ブラックメタルシーンは初期プログレや初期ニューウェーブに通じる何でもありの世界で、早熟の天才達が一人一ジャンル的な活動のもと生み出した大傑作の音楽性は一括りにするのが難しいのですが、音進行における好みや“出汁の感覚”には、先述のような傾向が共通して存在しています。

そのような音遣い感覚~(アンビエントですらある)長尺反復の時間感覚をわかりやすく提示し飲み込ませる本作は、同シーンの何でもありな傑作群(メタルどころかロックですらないものも多数)の存在を知らしめその味わい方を体で理解させる入門編としても、極めて大きな役割を担ってきたと思われます。

シーンの“味の感覚”を洗練された形で示す大傑作が、「バンドリーダーでもあるシーンのNo.1が録音に客演したシーンのNo.2によって殺害される」という大事件とともに注目される。品質と話題性を最高度に両立し得た本作は、やはり「ブラックメタル史上最も重要な作品」なのだろうと思います。

 

  なお、本作とMAYHEMはメタルシーンの外にも大きな影響を与えています。SONIC YOUTHのサーストン・ムーア(は今年の来日時)やCONVERGE(特に『Axe to Fall』)は勿論、彼らを通しての間接的な影響力も大きそう。そうしたことを考える資料としても興味深いです。


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18THE BEATLESRevolver

 

 

 

Revolver

Revolver

 

 

 

  名実ともに史上最高のバンドによる到達点の一つ。幅広く豊かな音楽要素を各3分以下にまとめた全14曲はいずれも稀有の名曲で、アルバム全体としての流れまとまりも完璧。聴きやすさと耐聴性を兼ね備えた至高のポップ・アルバムです。

 

  BEATLESが世界に与えた影響は(音楽に留まらず)測り知れないものがありますが、その中でも特に重要なのが「欧州伝統音楽と黒人音楽の融合」でしょう。クラシック音楽の流麗なメロディ進行とブルースの引っ掛かり感覚を〈こういう形で〉成し遂げたバンドはそれまで存在しませんでした。

もちろん、クラシカルな音進行(ドミナントモーションによる解決を多用)とブルースの引っ掛かり感覚(反復により解決を避ける)を両立した音楽がそれまでなかったわけではありません。デューク・エリントンなどのプレ・モダンジャズからビバップ以降のモダンジャズに至る流れはそうしたテーマに長く取り組んできました。

しかし、そうした融合をする際の土台はあくまでブルース側で、その固形物感をときほぐす水気としてクラシック要素が機能してはいるものの、ブルースの粘り感覚は音遣いの芯にしっかり残り、捨てられないこだわりとして存在し続けてきました。良くも悪くもそうした在り方から逃れられなかったわけです。

一方BEATLESの音楽では、ブルース成分が濃厚に含まれてはいるものの、どうしてもなくてはならないものとしては扱われていないように思われます。ブルース的な引っ掛かりを必要に応じて放棄し、クラシック音楽的な滑らかな進行感を自在に活かしきれる。足元にまとわりつく粘りが少ない感じです。

そのような特性を持ったBEATLESの楽曲は、ブルース的な引っ掛かりを濃厚に持ちながらも、R&Bソウルミュージックやロックンロールなどの黒人近傍音楽(ブルース的な引っ掛かりを生む必要があるため歌メロも動き方が限られる)とは比較にならないくらい豊かで滑らかな歌メロを持っています。

BEATLESの音楽があれほど凄まじいヒットを記録できた理由はこの辺りにあるのではないかと思います。非常に印象的で個性的な歌メロ(複雑な和声感覚あってこそのもの)とブルース的な引っ掛かりを両立し、聴き易さと聴き飽きにくさを両立できた。一発で耳を捉え酔わせる作りになっているのです。

 

  BEATLESがこのような楽曲(ほぼ全てが稀代の名曲)を量産できたのは、先にそういうスタイルを歌ものポップミュージックでやっていた先行者が殆どいなかった(開拓者としてやりたい放題の創意工夫を尽くせた)というのはもちろん、 英国出身のバンドだったということが大きいと思われます。

イギリスはある意味「ヨーロッパとアメリカの中継地点」で、欧州クラシックやアメリカのブルースといった様々な音楽の“本場”ではありません。しかしだからこそ、本場の文脈にこだわりすぎず自在にミックスできる立ち位置にあるわけです。

(参考:http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/04/120336

BEATLESの代表作で「史上最高のアルバム」とされることも多い『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』は「世界中の音楽要素を取り入れた」「音楽の万国博覧会」というふうにも言われる作品ですが、あらゆるものの中継地点となる英国という土地柄はそうした成り立ちに少なからず貢献していそうです。

BEATLESのこのような在り方は、バンドの自身の稀有の作編曲能力&個性的で優れた演奏表現力を伴い最高の作品群を生み出すだけでなく、彼ら以降の「あらゆる音楽要素を無節操に取り込み(“誤読”と“誤解”を通して)新たなオリジナルを生み出してしまう」ロック音楽の特性をも決定付けました。

凄まじい魅力に溢れた“アイドル”達が、最高級の作品群と創作姿勢を示し続け、一般層にも同時代以降の音楽家にも絶大な影響を与える。(映画『エイト・デイズ・ア・ウィーク』のウーピー・ゴールドバーグの話のように、人種の壁を取り払うのにも大きく貢献。)名実ともに世界最高のバンドなわけです。

 

  そのBEATLESが残したアルバム(全てが稀代の名盤)の中でも特に優れたものの一つが『Revolver』です。ライヴツアー活動を(歓声が大きすぎて自分達の演奏が聴こえないのを不毛に思うなどして)中断する時期の作品で、奇妙で野心的な音作りが最高の作編曲のもと絶妙に活かされています。

収録された14曲はいずれも23分というコンパクトな形にまとめられているのですが、それが短く感じられることはありません。それぞれが過不足なく絶妙な構成をもち、完成された雰囲気を生み出している。雑多な音楽性が“溶けて混ざる途中で固着している”感じの混沌とした味わいが堪らないのです。

本作が語られる際、『Tomorrow Never Knows』(テープ逆回転とワンコード反復がジャーマンロックを彷彿とさせる最高級のアヴァンポップ)やインド音楽バラード『Love You To』といった“変な”曲が注目される事が多いですが、“普通の”曲も素晴らしいものばかりです。

ポール主導の『Here, There, And Everywhere』はブルース的な引っ掛かりをほどよく薄めた美しいバラードになっていますし、ジョン主導の『I'm Only Sleeping』や『She Said, She Said』の親しみやすくもひねくれた勢いは実に強力です。

 

  こうした個性的で耳あたりの良いポップソングが、それぞれに完成された世界を描きつつ「これしかない」というくらい絶妙な曲順で流れ繋がり、アルバム一枚として申し分なく美しい輪郭を形成する。おそらく「初めから全体像を想定して作った」のでない小曲集だからこそできる成り立ちが味わい深いです。

本作の次作『Sgt. Pepper's~』は音楽史上初のコンセプトアルバムとされる作品で、「雑多な曲想を一枚にまとめる言い訳として〈架空のバンドのコンサートを描写する〉というコンセプトが用意された」と揶揄されることもありますが、全体の構成はマクロの視点から巧みに設計されています。

わざわざ言う必要もなさそうなことですが、『Sgt. Pepper's~』以前もコンセプトを持ったアルバムは多く存在しました。マイルス・デイビスの『Kind of Blue』やジョン・コルトレーンの『Giant Steps』などは、ともに明確な音楽的コンセプトのもと作られています。

しかしそれはあくまで“音楽的な”コンセプトで、多くは「単独で設計された楽曲が共通する要素を持っているから結果的にまとまる」というものでした。これに対し『Sgt. Pepper's』は、明確な音楽的コンセプトはなく、歌詞や設定などの“脚本的な”コンセプトのもとでまとめられています。

そうやって作られるアルバムは「できたものを並べれば自然にまとまる」ことは少なく、「全体を俯瞰しどのあたりでどういう展開になるか考え設計する」のが必要になります。『Sgt. Pepper's~』はそういう構成が非常に優れた作品で、一枚を通して完成するゆったりした流れが出来ています。

一曲単位で場面を完結させるのではなく、数曲単位でダイナミクスの波を構成する。全体の流れを滑らかにするために、あえて「単独ではキマりきらない構成の曲」も作り配置する。このアルバムが革命的なものになったのは、そういった「マクロの設計」を優れた完成度で提示できたからだと思われます。

そこで『Revolver』なのですが、本作は『Sgt. Pepper's~』ほど「マクロの設計」が意識的になされていません。各曲が完成された世界観を持ち、それぞれが特濃の内容になっている。全体の流れを滑らかにするためにあえて薄めの場面も入れている『Sgt. Pepper's~』とは展開の引っ掛かりの強さが違います。

そしてそれこそが『Revolver』の個性であり美味しいところの一つなのだと思うのです。全体の流れまとまりが大変良い上で各曲の密度が実に濃く、噛めば噛むほど滲み出てくる味わいがある。聴きやすさと奥深さや“素敵な謎”が併立されているため、何百回聴いても飽きない耐聴性があるわけです。

このような「聴きやすく聴き飽きにくい」成り立ちはポップミュージックの理想と言えるものですし、それを「個別に作られた(と思われる)“良い曲”の集合体」としての(非コンセプト)アルバムだからこその作りで味わえるという点まで考えると、本当に稀有の大傑作なのだと思えます。永遠の名作です。

 

  さて、本作に限らずBEATLESの音楽を聴くときにひとつのネックになる要素があります。それはリンゴ・スターのドラムス。テクニカルなドラマー(手数が多い・キレがあるなど)のわかりやすい刺激に慣れた人ほど「ヘタクソ」と文句をつけ嫌う事が多いパート。これについて簡単に補足しておきます。

実は自分も長く「リンゴ・スターのドラムスはよくわからない」と思っていました。HR/HMハードコアパンクのような疾走感がなく、ファンクなどの黒人音楽のような精密なリズム処理でもなく、ジャズのようなキレもないなど。グルーヴ面でのわかりやすい刺激を求めすぎてピンとこない期間が長かったのです。

しかし、そういうわかりやすい刺激を重視しすぎず落ち着きのある質感をありがたく思えるようになった頃、ポールのベース(フレーズも出音も超一流)をメインに聴いてそれに対するドラムスの動きを吟味するようにしたら、一気に印象が変わりました。丁寧な絡み方も音色表現力も実に素晴らしいのです。

リンゴのドラムスはどんな曲でも“出過ぎず引き過ぎず”の絶妙な力加減を守り、その曲の雰囲気に最も合った音色を選ぶことができています。先述の『Revolver』『Sgt.~』は勿論全てのBEATLES曲で異なるニュアンス表現をし、その全てでこれ以上ないくらい自然にハマっているのです。

その結果、BEATLESの曲では常にこのバンドにしか出せない極上の「アンサンブル全体としての鳴り」が出来ていて、しかもそれが曲によって異なる表情を自然に描いています。このバンドのプレイヤーは唯一無二の表現力を持った名人ばかりですが、このドラムスがなければこの味は出ないのでしょう。

以前の自分にはおそらく「こういうタイプの(締まったor勢いのある)演奏の方が優れている」という固定観念があり、そうした形式からみると足りないものが多いBEATLESのアンサンブルはうまく吟味できなかったのですが、ここにしかない旨みを積極的に見れるようになったら印象が一変しました。

そうなってみると、フィル・コリンズGENESIS)やスチュワート・コープランドPOLICE)といった稀代の達人ドラマーが絶賛するリンゴの美味しさも体で実感できるようになってきます。作編曲や深みある雰囲気表現だけでなく演奏もエクスキューズ抜きに素晴らしい。本当に凄いバンドです。

 

 

 

19Syd BarrettThe Madcap Laughs

 

 

 

Madcap Laughs

Madcap Laughs

 

 

 

  初期PINK FLOYDのリーダーとして同時代以降の人々に絶大な影響を与えた天才のソロ1st。楽曲の良さはもちろん“正気と狂気の境目にある”演奏の表現力が圧倒的。いわゆるアシッドフォークを代表する傑作の一つです。

 

  シド・バレット60年代後半の英国ロックシーンを代表する天才で、個性的で卓越した作曲&演奏能力により優れた音楽家達(デヴィッド・ボウイマーク・ボランも含む)に大きな影響を与えました。彼が殆どの作曲を担当したPINK FLOYD1stサイケデリック・ポップを代表する名盤です。

バレット曲の音遣いは当時の英国ロックの基本的なフォーム(ブルースロックやフォークなど)を土台にしてはいるのですが、そこに加える捻りは実に個性的かつ効果的で、時代を越えてなかなか真似できない新鮮な深みがあります。「Astronomy Domine」なんかはその好例です。

このPINK FLOYD1stには整理された歌モノとフリーな展開をする曲(その筆頭である「Interstellar Overdrive」は映画『ドクター・ストレンジ』でも効果的に使われていました)がバランスよく収録されています。両スタイルの間で揺れ動く楽曲の混沌とした豊かさが味わい深いです。

さて、本作(1967年発表)の製作当時(BEATLESSgt.~』と同スタジオで同時期に録音)、バレットはLSDなど向精神薬の依存症に陥り、ライヴ活動ができない状態になっていました。その結果、2nd収録曲に関与はしたもののバンドを脱退。バンドはデヴィッド・ギルモアを加入させることになります。

その後の196869年に行われた断続的な録音を纏めたソロ1stが本作(邦題『帽子が笑う、不気味に』)です。PINK FLOYDでの煌びやかな(意識的に洗練された)サイケデリック・ポップスとは異なるラフな弾き語りスタイルがメインで、作編曲も演奏も非常に充実した内容になっています。

 

  本作の楽曲は、基本的にはオーソドックスなブルース~フォークのスタイルをとっているのですが、大枠はともかく細かい部分に奇妙で自然な捻りが多数仕込まれていて、全体としては非常に個性的な色合いが生まれています。冒頭を飾る「Terrapin」は好例です。

ものによっては(特にアルバム後半に収録された曲では)柔らかい宵闇にまどろむようなゴシック感覚が漂うものもあります。こうした「神秘的な雰囲気が飾らず親しみ深い佇まいと地続きなものとして示されている」感じは本作の大きな魅力の一つでしょう。

その上で本作を唯一無二の傑作にしているのが演奏です。正気と狂気の狭間を衒いなく揺れ動くようなテンションは薬物がもたらしたものでしょうが、それでなければ出せない驚異的な表現力があるのも事実。ミステイクをあえて収録した「If It's in You」なんかは凄いです。

こういう「アシッドフォーク」と呼ばれる音楽にわりと共通する感じとして「神経質な緊張感と深い落ち着きが自然に同居している」というものがあると思うのですが、本作ではその緊張感・落ち着きが両方とも強く出ている感じがします。(薬物効果による朦朧とした気分で強引にまとめているという趣。)

以上のような成り立ちをした本作は、「作編曲や演奏のフォームはわりとよくあるものなのだがそれを用いるセンスやテンションが個性的なため唯一無二のものに仕上がっている」ものになっています。「誰も真似できないのはそれが固有のスタイルではないから」という評価がしっくりくる、稀代の傑作です。

 

  それにしても、私はこのアルバムを15年ほど前から聴いていて、今回もこれを書くにあたって(下準備の資料読み時も含め)10回は聴き通しているのですが、それでもこの位のことしか書けません。採譜した上で英国フォークなども掘って比較対象を見つければもっと細かく分析できるのでしょうか。謎に満ちた作品です。

しかし、それも無粋な分析を試みようとするから悩まされるのであって、何も考えず流し聴きすれば、この(微かな悪酔い感覚を伴った)親しみやすく神秘的な雰囲気に理屈抜きに浸ることができてしまいます。疲れているのに妙に気が張ってうまくリラックスできない時などは絶妙にハマってくれる音楽です。

そういう意味において、個人的にはピーター・アイヴァース(ドラッギーな感覚は薄くもっと自然に「神経質に落ち着いている」感じ)辺りと同じ枠で重宝している音楽です。狂気を有り難がる怖いもの見たさ的姿勢で接するのもよいですが、そんなサブカル的扱いには回収しきれない本物ですね。お薦めです。

 

 

 

20Youssou N'dourSet

 

 

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Set

Set

 

 

 

  セネガルを代表する超絶シンガーの世界戦略盤。アフリカ音楽ならではの異常に精密なリズム処理を美しい歌メロとともに楽しめる作品で、聴きやすさ・音楽的深みともに比類なき充実度を誇ります。いわゆるワールドミュージックの中でも最高級の傑作です。

 

  アフリカ音楽というと「アメリカ黒人音楽のルーツ」みたいなイメージからファンクのようなリズム処理&反復構成が想像されがちで、それは実際間違いでない所もあるのですが(ジェイムス・ブラウンと影響を与えあったアフロポップの帝王フェラ・クティなど)、根本的に異なる部分があります。それはブルース感覚の濃淡です。

実はアフリカ音楽にはアメリカ黒人音楽的な“引っ掛かりの強い”音進行が少なく、同じようなコードを保ちつつ薄い引っ掛かりのもと自在にメロディを動かす傾向があります。本作の中でも特に凄まじいアンサンブルが楽しめる「Sinebar」なんかはその好例です。

https://m.youtube.com/watch?v=ee5zstlRqyM

アフリカ音楽の愛好家が現地を旅していたら日本の歌謡曲がわりと普通に聞かれていて驚いた、というエピソードが菊地成孔のディスクガイドで語られていたりしますが、本作のようなアフロポッブの音進行における“引っ掛かり”感覚は実際かなり似ています。コードの動きよりも単旋律の強さ重視なのです。

優れたアフリカ音楽においては、そうした(互いにわりと独立した)よく動くフレーズが、著しく正確なビート感覚のもと、32分音符(~64またはそれ以上)クラスの微細な分割単位まで余裕でコントロールする異常に精密なリズム処理をもって噛み合います。アンサンブルの強度は信じがたいほどです。

こうした(少なくとも本作における)リズム処理はヒップホップ~“新世代ジャズ”~オルタナティヴR&Bのようなある意味ファジーな(あえてビットマップからズレる・“間”の感覚に通じる)ヨレとは異なり、極限まで滑らかに分割された歯車上での噛み合いになっています。自然でメカニカルというか。

そうやって徹底的にときほぐされたビート感覚のもと、4拍子フレーズを土台に4 or 3 or 5などの拍節単位を自在に乗せてみせるポリリズム的アンサンブルは超絶的。非常に印象的な歌メロに注目しているとさらっと聴き流せてしまうためつい見逃しがちですが、演奏とアレンジの奥行は驚異的に深いです。

このようなアンサンブルを可能にする演奏陣はいずれ劣らぬ達人揃いですが、それ以上に凄いのがボーカルのユッスー・ンドゥールです。完璧な発声(文句をつける所など一箇所もない)と緻密なフレージングは超一流の楽器奏者以上で、きめ細かく大枠も美しい歌メロをこの上なく見事に歌い上げます。

本作『Set』(町の清掃活動の意)は全編においてこのような超絶的アンサンブルを楽しめる逸品で、収録曲も全てが「美しい歌メロを理屈抜きに楽しめる」優れたポップソングになっています。英語詞を多用した世界戦略盤としての完成度も完璧。いわゆるワールドミュージックにおける歴史的名盤です。

 

  ユッスーのような“第三世界”の民俗音楽の達人たちが「ワールド・ミュージック」として注目された背景には80年代ニューウェーブの脱ブルース志向(既存のロックとは異なるルーツを求める動き)などがあったわけですが(ピーター・ガブリエルやスティング、坂本龍一などとの共演もその流れにある)、本作も世界各地の民俗音楽要素を取り込み活用する試みを成功させています。

本作は、そうした時代の流れを追体験する資料としても、単純に聴きやすく幾らでも聴き込めるポップアルバムとしても、ともに最高の内容になっています。欧米や南米あたりで充足してしまいがちな洋楽志向をうまく打破してくれる“入門編”としても素晴らしい大傑作。ぜひ聴いてみることをお勧めします。

 

なお、本作とは直接関係ない話ですが、ディアンジェロのバンドがピノ・パラディーノのような(タイトにビートを捉えつつ出音は大胆に“ヨレる”)ベースを求めるのは、先述のような「意識的になりきらないヨレの感覚」によるのかもしれないという気もします。ヒップホップのサンプリング(“黒くない”音楽:ロック方面からも積極的に引用)やブラックロックといった視点も併せるといろいろなものが見えてきそう。とても面白いです。