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ももいろクローバーZの2枚の新譜を読み解く(序説)

2016年の2月17日に、ももいろクローバーZの新譜『AMARANTHUS』(3rdアルバム)と『白金の夜明け』(4thアルバム)が同時に発売されました。これが近年稀にみる大傑作で、このグループにしか出せない唯一無二の味わいが、著しく強力な楽曲とコンセプトによって、理想的なかたちで表現されています。
2枚のアルバムの性格は全く異なるのですが、あわせて聴くことでさらに楽しめるようになる仕掛けも多く、単独の作品としても2枚組の作品としても極めて優れた仕上がりになっています。

この2枚をPINK FLOYDに例えるなら
「『ザ・ウォール』(2枚組)ではなく『狂気』『炎』の2枚を同時に発売したようなもの」。
「『キー・オブ・ライフ』(2枚組)ではなく『インナーヴィジョンズ』『ファースト・フィナーレ』の2枚を同時に発売したようなもの」、
NINE INCH NAILSに例えるなら『The Fragile』(2枚組だがどちらから聴いてもいい)という感じです。
どちらか一つだけ聴いても楽しめるし、あわせて聴くとさらに深く楽しめる。これほど緻密に作り込まれ、しかもそうしたことを考えなくても楽しめる作品は滅多にありません。

本稿は、この2枚の新譜の成り立ちとそれに関係する話題(発声技法・ブラックミュージック・バンドアンサンブルなど)について触れたものです。
どんなジャンルの音楽が好きな方でも楽しめる大傑作なので、興味をお持ちになられた方はぜひ聴いてみられることをお勧めいたします。



参考資料


ナタリー掲載インタビュー(メンバー・作家陣)
モデルプレス掲載インタビュー(メンバー)
ビルボードジャパン掲載インタビュー(音楽プロデューサー)
『SWITCH』2016年3月号(特集)
ミュージック・マガジン』2016年3月号(特集)



もくじ


・はじめに

・アルバムの“音楽的”コンセプト
・2枚同時発売の意義
余談:2ndが賛否両論だった理由の考察
・飛躍的に進化した歌唱表現力とそれを支えたボーカルディレクション

・「桃色空」とブラックミュージックの話
「マホロバケーション」とアンサンブル〜グルーヴの話
・「ROCK THE BOAT」と海外センス導入の話

・「一番目立つところに最高の作品がある」ことの大事さ



はじめに


ももクロの魅力としてよく言われる「全力」というキーワードがあります。「全力」で歌い踊る姿がなにより感動を呼ぶ、それがももクロの魅力なのだ、という話です。
これは確かに間違いではないのですが、個人的にはややピントがズレていると感じます。「全力」でやるパフォーマンスの“力強さ”よりも、むしろ、「全力であることを暑苦しく感じさせない」パフォーマンスの“質”こそが魅力の肝なのではないかと思うのです。

ももクロの重要な個性として「呑気だけど能天気ではない」というのがあると思います。力みすぎない飄々とした軽やかさがあるけれども、何も考えずヘラヘラしているわけではない。彼女たちなりに悩み、深刻に考えることもあった上で、それにとらわれ過ぎずにまっすぐ突き進んでいく。「屈託があるけど屈折してない」とでも言いましょうか。肩肘張らないのにエネルギーに満ちている、押し付けがましくないアツさがあって、出し惜しみせずに「全力」で行くところでもそれが暑苦しく感じられないのです。接する側に「何か重たい」というような心理的負担を一切かけず、さりげなく活力を与えて心を震わせてしまう。こういう絶妙の“力加減”があるからこそどんな相手の懐にもスッと入っていけるのでしょうし、テンションの高い人からも低い人からも丁度いい立ち位置にあって、その両者を取り込めてしまうのだと思うのです。ももクロがここまで広く強い支持を得ることができたのは、パフォーマンスの凄さはもちろんのこと、こうした人柄によるところが大きいのではないかと思います。

そして、こうした人柄は、動いているところを見なくても、録音されている声だけを聴いても伝わってくるものです。むやみやたらにスコーンと抜けたりしない(発声技術的な話でいうなら「頭頂部をひらいて高域のヌケをよくする」ようなことをあまりしていない)程よく“くぐもった”声質は、お行儀よく快活なJ-POP的発声とか、「私上手いでしょ?」というような自意識を力強く押し付けてくるR&B系ディーヴァの歌い上げなどとは異なる、どこか歌謡曲的な湿り気や“控え目”な落ち着きを感じさせます。そうした力加減が基本的なテンションとして維持されているから、どんなに力強く歌うところでも不躾で暑苦しい印象が生まれない。抑え気味な陰翳とまっすぐで衒いのない活力が自然に両立されているのです。
ももクロの楽曲について「別の上手い人が歌えばもっと良くなるのに」ということを言う人はわりと多いですが、フレージングの滑らかさというような「整った技術」に関して言えばその通りでも、上記のような人柄とか力加減について言えば、代わりになるものはありません。そして、音楽においては(少なくとも、完璧に整ったバッキング・トラックの上にのるリードボーカルに関して言うなら)そうした「味」の部分がなにより重要なのです。このメンバーの声質やパフォーマンス(そしてその源となる人柄)がなければ、ももクロの楽曲がこれほど“伝わる力”に満ちたものになることはなかったと思います。

このように、ももクロが成功したのはメンバーのキャラクタ・音楽的個性によるところが大きかったのではないかと思うのですが、運営側の音楽的ディレクションもそれと同じくらい大きな貢献をしているのではないかと思われます。幅広い音楽要素をつぎ込みめまぐるしく展開させる作編曲スタイルは「ジェットコースター的な」刺激と滋味の豊かさを両立するもので、小難しいことに興味がないライト層にも、細かく聴き込んで分析するのが好きなマニア層にも、ともに強く訴求する構造を勝ち得ています。
(この点RUSHあたりに通じるポジションにいるのではないかと思います。)
様々なジャンルを節操なく網羅する持ち曲も、そうして増やしていくうちに「何でもありなグループ」「どんなジャンルを追加しても方向性がブレない」という印象が生まれ、何をやっても(時間をかければ)受け入れられるようになっていく。このような流れを経て生み出されたのが今回の新譜2枚で、「無節操なまでに幅広いジャンルを並べているのにアルバム全体としては非常によくまとまっている」仕上がりは、こうした活動の賜物なではないかと思われます。


アルバムの“音楽的”コンセプト


先掲のメンバーインタビュー(ナタリー第一弾)では、アルバムのコンセプトについて以下のように語られています。

「『AMARANTHUS』(3rd)は“起きて見る夢”で、『白金の夜明け』(4th)は“寝て見る夢”」
「人間が生まれてから死ぬまでを描いたのが『AMARANTHUS』だから、こっちは人間味があるっていうか、すごくリアル。逆に『白金の夜明け』はみんながいつも寝ているときに見る夢の話だから、ファンタジーの世界なんだけど、夢には現実の話も出てくるじゃないですか?だから、ただただファンタジーじゃなくて。夢なのか現実なのかわからなくなる不思議な世界になってます」
「2つの作品は真逆なんだけと“夢”という部分ではつながっているんですよ、どこかで」
「それぞれの世界観がはっきり分かれていて単体でも成立しているんだけど、実は深い部分で2作がつながっているっていう」

このようなコンセプトは、一つ一つの曲の歌詞や音楽性だけでなく、各アルバムの収録曲の組合せにも反映されていて、それぞれがかなり性格の異なる作品になっています。
簡単にまとめるなら、
「3rdはこれまでの路線も意識しそれを足場に新味を加えたもの・勢い重視」
「4thはそこから一転し新境地を開拓・落ち着き重視」
という感じでしょうか。
3rd『AMARANTHUS』では、1st(元気でめまぐるしく変化するアイドルポップス)と2nd(高度で捻りの効いた音楽性)の中間という感じの勢いある曲調がメインで、既存のももクロファンにも今回初めて聴く音楽ファンにもストレートにアピールするものになっていると感じます。
これに対し、4th『白金の夜明け』では、曲調も演奏も“あえてフルパワーではいかない”落ち着いたものが多く、このグループとしては新境地に挑戦している場面が多いと感じます。特に印象的なのは「抑えめの力加減で素晴らしい効果を上げる」歌と、ブルース的な引っ掛かりが強めな音進行ですね。
また後述しますが、一枚のアルバムで人間の生老病死を描いたという3rdは、このグループにとっての「通過儀礼(大人になる通過点)」なのだと思います。これに対し4thは「大人になってからの試行錯誤」でしょうか。アルバム全体の傾向自体でそういう性格がわりと明確に描き分けられているのです。
このような仕上がりをみると、この3rdと4thは「2枚組の作品」ではなく「別々の作品を2枚同時に発売したもの」だと納得できます。区切りのあるものとしてしっかり作り込まれた上で、同時に聴けるようにすることにより様々なメリットも生まれている。よくできたやり方だと思います。

間口の広さや即効性は3rdの方が格段に上で、ももクロのファンもそれ以外の人もこちらを先に聴くのが良いと思います。アルバム全体の流れまとまりも実に良く、このグループ特有の「屈託があるけれども屈折していない」味わいを非常に快適に楽しめます。
先の【はじめに】でも触れましたが、ももクロには「呑気だけど能天気ではない」「全力であることを暑苦しく感じさせない」絶妙の力加減があります。浮きすぎず沈みすぎずのそうしたテンションが、この3rdでは明確に意識されています。
自分が3rdを聴き通してまず感じたのは、ももクロ特有の「浮きすぎず沈みすぎず“フラットに揺れる”」絶妙な力加減が、曲の並びやアルバム全体の構成によって明確に(おそらく意識的に)構築されているということでした。勢いのある曲を連発しすぎず、少し落ち着いた曲調をうまくはさんで流れを作るという構成が意識されているのです。
たとえば2曲〜4曲目の流れ。威勢よく始まりガンガン押していく2曲目からそのまま畳みかけるのかと思いきや、かなり勢いを落とす柔らかい3曲目をはさみ、その上で力強い4曲目につなぐ…というふうにして緩急の波を作る構成になっています。そして、こういう流れはアルバムの他の部分にも幾つも見られます。
こうした緩急の波が巧みに作られているために、元気で勢いがあるのに聴き疲れしにくい絶妙な居心地の良さが、アルバム全体を通して生み出されています。「勢いのある曲だけのブロック」「ゆったりした曲が連発される箇所」があまりなく、アルバム全体を優れたペース配分で走り抜ける構成ができているのです。
たとえば9曲目「デモンストレーション」は、後ろに「泣いてもいいんだよ」を並べると曲調的に非常に滑らかに繋がるのですが、あえてそうせず間にバラードの「仏桑花」を挟んでいます。
そうすることでなだらかな緩急の波を生み、“ペース配分を誤って一気に疲れる”ことがないようにしているのです。
3rdでは、このような「アルバムとして素晴らしい」絶妙の構成のもとで、様々なジャンルの一流の演奏にとても楽しく触れられるようになっています。既存のファンが負担なく入れる作品として優れているだけでなく、ももクロをきっかけに様々な音楽にアクセスする入門編としても見事な傑作と思います。

こうした3rdと比べると、4th(3rd最後の曲の歌メロの引用から始まる)は、緩急構成が巧みという点では同じですが、アルバム全体のテンションはだいぶ異なり、同じ気分で接すると肩透かしを喰らうようになっています。
元気で勢いのある3rdと比べ、4thは落ち着きのある感じが強めです。テンポが遅めな場面やバラードの比率が多く、音進行もブルース的な引っ掛かりが強め(いわゆるカノン進行の“安易に泣く”解決を避けた)ものが多く、クラブミュージックや欧州ゴシックに通じる要素も多く含まれています。
もちろんそうした“落ち着いた曲調”しか入っていないわけではなく、4曲目や9〜12曲目のようにガンガン押していく場面もありますが、アルバム全体として「勢い・落ち着きどちらに寄るか」というバランスは後者寄り。この点、「3rdは“起きて見る夢”」「4thは“寝て見る夢”」という話に通じます。
こうしたこともあって、3rdの元気な雰囲気に慣れた直後に4thを聴くと、流れに馴染めず「なんだか地味で眠くなる」気がしてしまうこともありえます。
しかし、これは「テンションの水準が異なる」だけのことなのです。夜や疲れた時に聴くなら格段にこっちが合いますね。そういう時に聴けばすぐハマるはずです。
6〜8曲目などはその好例です。3rdでは必ず「勢いのある曲調とゆったりした曲調を交互に並べていた」のに、ここでは深くリラックスする7曲目を真ん中におき、どっぷり落ち着く流れが作られています。そして、このアルバムの雰囲気(とそれが合う気分)ではこれがとても良く思えるのです。
また、こうした「落ち着いた感じ」は、曲自体のテンポや雰囲気だけでなく、演奏、特にももクロメンバーの歌唱においてもはっきり意識されています。3rd以前の作品で前面に出ている「ガッツリ声を張る感じ」がセーブされ、抑えめの力加減でなければ出せない陰翳豊かな表現力を生んでいるのです。
その最たるものが最後の「桃色空」(ピンクゾラ:堂本剛作曲)でしょう。60〜70年代のソウルミュージックを彩り豊かな歌メロで料理した素晴らしいバラードで、カーティス・メイフィールドのようなギターも聴ける演奏もたまらないのですが、それ以上にももクロメンバーの歌が良い味を出しています。
終盤の柔らかいロングトーンを聴けばわかるように、この曲では「むやみに声を張る」ことが明らかに禁じられています。10段階のうち8〜10の力加減でうるさく押すのではなく、3〜7位の抑えた柔らかい力加減で豊かな陰翳を描いていく。そうしたディレクションが素晴らしい効果をあげているのです。
これはももクロの過去曲では全く聴けなかった新境地であり(日本のメジャーな音楽全体をみても殆ど聴けません)そうやって「ほどよく力を抜いて歌う」ことで発声技術が成長する効果(脱力の仕方を身につけることも含め)を考えれば、ももクロにとって本当に大事な機会になったのではないかと思います。
この4thアルバムでは、そうした「力押しに頼らない(頼ることを許されない)」歌い回しが様々な曲調で試されていて、技術的にはまだ試行錯誤の段階なのではないかと思いますが、このメンバーにしか出せない音楽的個性をさらに深めた素晴らしい成果をあげているのではないかと思います。

そして、こうした歌唱表現に加え、個人的に好ましく思えるのが「ブルース感覚(ループミュージックの魅力)の強化」です。
(これについては「夢の浮世に咲いてみな」について書いた下記連続ツイートをご参照ください。音楽の味わいを深める良い試みと思います。
このような「引っ掛かり」の旨みが最もよく出ているのが「夢の浮世に咲いてみな」そして「もっ黒ニナル果て」でしょう。特に後者は素晴らしい。MURO/SUIによるフュージョン寄りヒップホップなのですが、トラックのリズムアンサンブルが超極上なだけでなく、メンバーのビート処理も見事です。
こういう「ブルース的な引っ掛かり」を見事に活かす曲が多いこともあわせ、4thはクラブミュージック(アゲアゲでなく夜の深い時間帯に合うほう)が好きな方に強くアピールする傑作なのではないかと思います。一方3rdは、ノリの良いロックやメタルのファンなどに強力にアピールすると思われます。
ただ、かといって4thに元気な曲がないわけではありません。「マホロバケーション」は3rd収録曲以上に爽快な勢いがありますし、「『Z』の誓い」は、このアルバムの曲順によって「サビの強さ」が引き立てられ、本当に感動的な聴き味を生んでいると思います。


2枚同時発売の意義


以上のように、3rdと4thは両方とも「アルバムとして」本当によくできた傑作で、2枚を同時に出すことにより得られる「比べて聴かせ理解させる効果」にも優れたものがあります。
たとえば、ももクロがこれまでに発表してきた元気で勢いのある作品群を考えると、この4thを3rdの一年後に単体で出したとしたら「なんだか落ち着きやがって」という反応をされる可能性もあったのではないかと思います。3rd(従来路線の正統的強化版+α)と一緒に出すことで、そういう批判を薄めつつ対比効果で3rdも引き立ててしまえる。実に見事なやり口だと思います。そういう「ファンに違和感を持たせにくくする」「新たな境地を開拓し、ファンをうまく教育する」ためにも、この「新譜2枚同時発売」という手法は最善の戦略だったのではないかと思われるのです。

この2枚を聴いて改めて感じたことなのですが、いまのご時世、「音楽を売り続ける」ためには、作品としてのクオリティが高くなければならないのです。つまり、「一聴して良いと思わせる(わかった気にさせる)」ことと「聴き込みたい気にさせる(わからない部分を残す)」ことを絶妙に両立しなければならないわけです。
(即効性のインパクトを備えつつ、繰り返し聴いても聴き飽きない“耐聴性”も備え、深く読み込みたいと思わせる“素敵な謎”があるのが望ましい。)
ももクロの今回の新譜2枚においては、神秘的なコンセプトの面白さだけでなく、音楽そのものでそうした楽しい深みが作り上げられているんですよね。
そういう「売るためにも自分の表現意欲のためにも本気で音楽を作る」姿勢が、潤沢な資金があるからこそ可能になる優れた客演陣/音作りによって、実に望ましい形で具現化されているのです。

この2枚の新譜は緻密なコンセプト(意味付け)で関連づけられていて「アルバム全体を聴き込む楽しみ」を積極的に与えてくれます。これは傑作2ndが「芯のないアルバム」として批判されたことへのリベンジでもあるでしょうし、今後を見据え「ファンを育てる」ためのものでもあると思われます。
90年代以降のJ-POPシーンでは、「作りの粗い音楽を売り、客の聴く力を下げて、質を落としたものでも満足してもらえるようにする」焼畑農業のようなサイクルが行われていました。「音楽を聴き込む楽しさ」を薄めて音楽を売るこうした流れは、昨今の音楽不況に少なからず関与していると思われます。
ただ、こうしたやり方はもう上手くいかなくなっていて、最近では「売るためには優れた作品を作らなければならない」ことがはっきりしつつあります。結果として最近の日本のメジャーな音楽には素晴らしい作品が増えています。とても良い流れです。
ももクロはそうした「作品史上主義」的なやり方を1stの時点からやっていて、それを意識的に徹底して作られたのが(ファンの間では賛否両論が生まれた)2ndでした。そこでの成果や反省点を踏まえて作られたのがこの3rd・4thで、そこには「曲単体でも楽しめるが、アルバム全体を聴くともっと面白い」ことを教えようという意図が感じられます。
今後の活動の質と自由度を高めるためには、それを受け入れてもらえる下地を作らなければならない。「ファンの解釈力を高める」ことが必要なのです。アルバム全体を聴き込むマクロの視点、そしてコンセプトを読み込むミクロの視点が育てられれば、ライヴの演出などを理解してもらえる度合も高まります。
そうやって今後の活動をよりよいものにするためにも、「ファンを(楽しませながら)育てる」のがとても大事なわけです。そういう方向性は2ndの時点から既に見えてはいましたが、この3rd・4thにおいて初めて完全に開花したのではないでしょうか。
実際にどう受け入れられるかは今後の展開を待たなければいけませんが
(ツアーにおいて「ライヴを体験することでスタジオ音源の理解度が深まる」効果をどう生み出せるかも見ものです)、
既存のファンにも他の音楽ファン(マニア含む)にもアピールできる大傑作なのではないかと思います。


余談:2ndが賛否両論だった理由の考察


この新譜は2枚ともファンの間で大好評を博しているのですが、3年前に発表されて微妙な評価をされることが多かった2nd(傑作)を改めて聴くと、音楽的な方向性はそこまで変わっていないことがわかります。
それなのにこれだけ反応が異なるのはなぜだろう?ということを少し考えてみたので、簡単に書いておこうと思います。

考えられる理由は大きく分けて2つです。

・メンバーもファンも、新しく用意された音楽性に対応するための準備ができていなかった

・2ndでは幅広い音楽性を1枚に詰め込んでいたが、3rdと4thではそれを2枚に分けてうまく提示することができている

一つずつ説明を加えていきます。

まず、「2nd発売時はメンバーもファンも準備ができていなかった」点。
これは、
・メンバーの歌唱表現力が発展途上で、新しい音楽性に対応しきれなかった
・そのため作品の“刺さる力”が微妙になり、1stからの路線転換に突き抜けた説得力を持たせることができなかった
ということです。
3rd・4thでは発声技術も音色表現の意識も見事に成長していて(後述【飛躍的に進化した歌唱表現力とそれを支えたボーカルディレクション】参照)、どんな曲調でもそれに合った歌い回しで対応できるようになっています。
しかし、2ndの時点では、健闘はしていますが、その点十分とは言えませんでした。
それぞれの曲の仕上がりやアルバムの構成は見事でしたが、それらはメンバーの力量をかなりの度合で“無視して”ハードル高めに用意されていたため、余裕を持ってこなせない場面も多かったわけです。その結果、作品の表現力が“問答無用で凄い”ものにはならず、突き抜けた説得力を得ることはできていませんでした。
そうして“アーティスト路線”に踏み切った音楽性は、1st路線を期待したファンからすると「同じような接し方ができる」ものでなく取っ付き辛い上に、新たな路線としても問答無用の説得力を持ってはいない。従来路線の延長としても、全く新しい路線としても、対応し辛いものだったわけです。
これに対し、今では、2ndとそれ以降のライヴを経験することでファンが“アーティスト路線”に慣れているため、そこから少し1st寄りの雰囲気に寄せるだけで「相対的に接しやすい」印象が得られます。
その上、メンバーの歌唱表現力も飛躍的に成長していて、作品の説得力も格段に増しています。
つまり、メンバーもファンもこうした“新しい”路線に対応する準備がようやくできたわけなのです。
さらに言えば、2ndの曲がメンバーの状態をある意味“無視して”用意されたものだったのに対し、新譜2枚の曲は成長したメンバーの力量を前提に作られているはず。これも大きな違いだと思います。
1stでは、めまぐるしく複雑な展開をする曲が主ではありましたが、基本的には力押しで対応でき、しかもそれがやり方としてベスト、というものばかりでした。そこから路線転換して対応しきれなかった2ndの方向性を、数年かけて見事にこなせるようにした、というのが今回の新譜なのだと思われます。
そうした意味で新譜は、3年近くの時間をかけて様々なことをやってきた成果が見事に結実した作品なのだと思います。
たとえば、映画/舞台『幕が上がる』の指導・経験は、歌における音色/力加減の表現に非常に大きく貢献しているのではないでしょうか。
(「デモンストレーション」などの語り部分に限らず。)
というふうに、今回の3rd・4thの素晴らしい仕上がりは、2ndの試行錯誤とそれ以後の約3年という時間があったからこそ可能になった、今だからこそできるものなのだと思います。
逆に言えば、3rd・4thを聴いた今だからこそ2ndの良さがわかる、というのもあるのではないかと思います。

続いて、
・2ndでは幅広い音楽性を1枚に詰め込んでいたが、3rdと4thではそれを2枚に分けてうまく提示することができている
という点について。
先に述べたように、今回の新譜では
・3rd:勢いがある表現/わりと滑らかな音進行
・4th:落ち着いた表現/“引っ掛かり”のある(ブルース寄りの)音進行
というふうに、収録曲の傾向がかなり意識的に分けられています。
2ndでは、こうした音楽性が全て1枚の中に収められていたのです。

2nd以前の楽曲では、J-POP〜メロディックメタル/パンク寄りの“滑らかに解決する(キレイにドミナントモーションを起こす)”音進行がメインでした。これに対し、2ndでは、ブラックミュージック〜クラブミュージック寄りの“安易に解決しない”音進行が意識的に導入されていました。
これは、ブルース成分のある音楽やクラブミュージックなどに予め慣れ親しんでいる“音楽マニア”であれば対応しやすい要素なのですが、ももクロの既存曲やふつうのJ-POPしか聴かないファンからすると「なんだか渋くて爽快感が足りない」飲み込みづらさを招く要因になってしまっていたと思います。
2ndでは、全曲を同じディスクに収録してまとめて聴かせなければならなかったため、
“引っ掛かりの強い”ものと他のバランスを取るために、全体的な渋さの水準を高めに設定せざるを得なかったのだと思われます。結果として、そうしたものに慣れていないファンはうまくハマれなかったのでしょう。
これに対し、今回の新譜2枚では、そうした渋い要素を両方に仕込んではいるものの、
・3rd:滑らかな進行多め(メタル/プログレ/J-POP寄り)
・4th:引っ掛かり強め(ソウル/ヒップホップ/クラブミュージック/ゴシックロックなど寄り)
という風に、明確な色分けがなされています。
つまり、「1枚の中で並べるのが難しい曲は別の1枚に入れればいい!」という見事な割り切りにより、それぞれのアルバム全体のバランスを巧く取りながら幅広い音楽性を網羅できているのです。
各曲が2nd収録曲よりもうまく解きほぐされているのも大きいですが、こういう構成の妙も大きいと思います。
また、聴き手からしても、「爽快な曲が好き」なら3rd、「クラブミュージック的な“ループの楽しみ”が欲しい」なら4th、というふうに、好みや気分に応じて好きな方を選べるようになっています。こうした非常に巧みな成り立ちにより、どんな客も満足させられる完璧なシフトができているわけです。

現時点で思い当たる「2ndと3rd&4thの違い」はこんなところです。
2ndも大傑作ですが、新譜2枚と比べると渋い仕上がりで、それがハマりにくさにつながっていると思われます。
(2ndが「音楽マニア以外には刺さりにくい」傑作だったのに対し、新譜2枚は「マニアックな内容をライト層にも刺さりやすく解きほぐすことができている」傑作になっている、という感じ。)
ただ、そうした渋さは新譜2枚にない魅力でもあります。新譜をきっかけに再評価するファンが増えるのではないかという気もします。


飛躍的に進化した歌唱表現力とボーカルディレクション


この新譜2枚は、先述のようなコンセプトや作編曲だけでなく演奏がとにかく素晴らしく、聴けば聴くほど表現力の深さに惹き込まれていきます。なかでも特に見事なのはももクロメンバーの歌唱表現力です。5人全員が場面に応じて声色や力加減を意識的に使い分け、TPOに応じた色合いを描き分けられるようになっている上に、他メンバーの表現を引き継いでそれに合う表現をするという“リレー”もばっちり決まっているのです。
ここからは、そうしたももクロメンバーの歌唱表現力と、それを可能にした諸々のボーカルディレクション(指示・指導)について触れていきます。

参考記事(発声関係の話):

この記事にも書いたことですが、歌の表現とは「感情の変化を音色の変化で表現する」ということです。頭の中が感情で一杯になっていても、それが声の響きに反映されなければ、他人に伝わることはありません。新譜2枚においては、そうした“響き”の意識とそれを扱う技術が格段に成長しているのです。
たとえば3rd収録の「モノクロデッサン」と「仏桑花」を聴き比べてみると、“しっとり潤う暖かく切ない曲調”というふうに形容すれば同系統にも思えますが、実際まったく違う力加減や表情を描き分けることができています。
こうした歌唱表現をみても、メンバーが“あるべき方向”に望ましい成長を遂げていることや、製作の現場でそうした音色表現力を良いものにしようという注意が払われていることがはっきり伝わってきますし、それが実際に素晴らしい成果をあげていることがわかるのです。

新譜の初回限定盤に付いてくるBlu-ray収録のドキュメンタリー(各1時間:それぞれ10曲の録音風景を収録)では、そうした“注意”がよく描かれています。

まず、今回のアルバム2枚においては、コンセプトを立ち上げる打ち合わせの段階からメンバーが深く関わっています。「死生観」や「恋愛観」などについての解釈をメンバー全員に述べさせ、それをもとに「仮の歌詞を構築→仮歌(外部の優れたボーカリストを起用)作成→再び歌詞を構築」という作業をしたり、その後の録音において歌の表現を考える際、メンバーが積極的に意見を出したりするなど、フレーズ単位の解釈にもメンバーが関与しているのです。
曲の製作段階からメンバーが自発的に取り組んだ(取り組まされた)ために音色や力加減について考えることが必然的に多くなり、それに必要になる技術&構成力も育ったため、表情豊かな歌唱表現が自発的に構築された、ということなのだと思われます。

また、このような表現力は「優れた指導により歌い方のコツがつかめた」からこそ得られたものでもあるようです。
各曲の録音(一人ずつ別録り)は「個別ボイトレ2時間」「そのあと録音2時間」というスケジュールのもと行われたのですが、そのボイトレでは

・トランペット練習用のマウスピースを使ってウォームアップ
(粘膜を温め、気道を開き、呼吸を深めるための矯正ギブスみたいなもの:「腹式呼吸(横隔膜呼吸)ができていないと鳴らない」のでそれができているか否かの判別にも必要)

・まず音程をつけずに歌ってみてフレージングを身につけ(文節の切り方やブレスの位置など曲の解釈を深める)、その上で音程をつけて歌えるようにする

・高音に跳ぶフレーズのところでは、腹式呼吸による横隔膜の“ささえ”を保持せずにノドだけで歌うと音程がブレてしまうということを理解させるために、水風船を使ってイメージを示し(下の方を押さえずに上に引っ張る・下の方を押さえて上に引っ張るという2動作の対比)、
その上で、“ささえ”を身体で覚えられるように重いもの(ここでは小型スピーカー)を持たせて重心を低くとらせて歌わせる
(「マホロバケーション」の「カ“タ”ルシステム」のところ:ももか)

というような指導がなされています。これはいずれも理にかなったもので、こうした練習を繰り返し重ねてきたことによりメンバーの基礎的な発声技術が育てられてきたことがよくわかります。

そして、このような専任ボイストレーナー岡田実音)の指導と同等以上に重要と思われるのが、「桃色空(ピンクゾラ)」の作詞作曲を担当した堂本剛のボーカルディレクションでしょう。
先掲のインタビューでは

「もう緊張しちゃってどうしても力が入っていたんです。そしたら剛さんが「何かを食べている時とか、ボーッとしている時とか、鼻歌で口ずさむ感じで歌ってみて」と言ってくださいました。レコーディングでそんなことを言われることもなかったので逆に難しかったんですけど、だんだんと力を抜いて歌えるようになりましたね」
(かなこ:モデルプレス掲載)

「堂本さんの場合、ご自身が歌い手でもあるじゃないですか。曲を作るだけじゃなくて、歌う側、レコーディングする側というのもあるから、現場で私たちがレコーディングしやすいように、たとえば余計な音はボリュームを下げて、ボーカルが録りやすいように配慮してくださったり、歌い方のディレクションも『お風呂で鼻歌を歌っている感じで力を抜いて』とか、すごくわかりやすかった。あと、この曲は間奏がすごく長いから、ちょっとフェイク(註:歌詞なしの即興スキャットフレーズのこと)入れてみようよって突発的に言われて。いきなりのことで、しかもご本人が目の前にいるわけで、『え、自分めっちゃ恥ずかしいです!』って、躊躇してたんです。でも『大丈夫大丈夫。最初の一、二回恥ずかしいのは誰でも同じだから」って。『うわあ…』と思ったんですけど、でも何回かやっていくうちにやっぱり楽しくなっていって。本当にその場のテンションや空気から生まれたものだったので、すごく面白かったです」
(ももか:『SWITCH』p.67)

ということが語られています。これを見ると、ももクロの新境地を拓いたのは間違いなく堂本剛なのだのということがわかります。
(ドキュメンタリーによれば、この「桃色空」が収録されたのは一番最後の方だったので、ここで得られた成果は新譜の他の曲には反映されていないようですが。)
先に【アルバムの“音楽的”コンセプト】で述べたように、繊細で奥行きのある表現をするためには「声を張らない」のが大事なのです。力加減の幅を出すためにも、声が響きやすい体を作るためにも、脱力はとても大事。この感覚を身につけたことで、今後飛躍的に歌唱力が上がるはずです。
たとえば、終盤に出てくる「Life is one time」というフレーズ(のうち特に“Life”一語で伸ばすロングトーン)では、ももかの“コブシ”の悪癖(咽頭に過剰な緊張をかけるやつ:「ゴリラパンチ」イントロではこれのせいで一音ごとに響きの低域が不安定に変化している)が完全に抜け、個性的な声質が理想的な形で活かされています。
他メンバーも同様に、そういう“コブシ”を出さない力を抜いた歌い方をしているのですが、だからといって個性が消えてしまうことはなく、各個人の特有の声質が“不純物なしで”スムースに活かされています。小手先の歌い回しに頼る必要のない「この人でしか出せない味」があることがしっかり証明されているのです。
力を抜いて歌うと、体内の“響かせる空間”(=共鳴腔)が自然に広がり、響きの帯域構成(イメージとして「体の根元でできる低域」「頭頂部の方でできる高域」の両方)が幅広く豊かになります。そうなると、小手先の歌い回し(無理な緊張をかけて作る作為的な響き)に頼らず、最大の効果を得られるようになるのです。「桃色空」のボーカルテイクでは、このような望ましい発声状態が全編に渡り保持されていて、5人のメンバー全員が“他のどんなに上手いボーカリストでも代わりになれない”個性を活かした素晴らしい表現力を発揮できています。
そうしたテイクを引き出したという点でも、今後につながる“脱力の感覚”を体で覚えさせたという点でも、堂本剛のボーカルディレクションがもたらしたものは計り知れないくらい大きかったのではないでしょうか。2枚のアルバムの最後を締めくくるこの曲でこうした新境地が示されたことにより、今後の展開がさらに楽しみになる。こういう点でも非常によくできた構成になっているのではないかと思われます。

以上のように、今回の新譜2枚では、優れたプロデュース・ボーカルディレクションによりメンバーの技術や意識が育てられ、全編に渡って他では聴けない素晴らしい歌唱表現力が発揮されています。
今回の新譜2枚は「アルバムとしての構成」が見事なのでまずはそれに従って順に聴くべきだと思いますが、一通り流れを把握した後は、シャッフルしたり気になった曲をピックアップしたりして、ちょっと違った順番で聴いてみると良いと思います。歌における音色表現の幅や凄さがよりよく見えるはずです。




アルバム全編に関しての概説はこんなところです。
ここからは、いくつかの曲を選び、関連する“他の音楽”の話と絡めて簡単に掘り下げておきたいと思います。


「桃色空」とブラックミュージックの話


2枚のアルバムの最後を飾る「桃色空」の仕上がりは本当に素晴らしく、個人的には、キリンジ「スウィートソウル」などに匹敵する国産ソウルの名曲と思います。明らかにブルースというものをわかっている作編曲と、ブルース的な深み(【はじめに】参照)を元々備えているももクロメンバーの歌唱が堪りません。
この曲を聴くと、自分はカーティス・メイフィールドの名曲「Sweet Exorcist」や「So in Love」を連想します。特に1分45秒から始まるリードギター(ファンの方によれば「堂本剛自身が弾いている音だ」とのことです)が素晴らしいですね。“くたびれながらもささやかな幸せを愛おしむ”ゴスペル感覚。本当に見事です。テンポはもう少しディスコ寄りですが、ゴスペル感覚をにじませた苦く爽やかなソウルミュージックという点で、自分はカーティスを連想してしまいます。(ギターの音色も。)個人的には、こういうタイプの曲をももクロで聴けるとは思いませんでした。

この「桃色空」が参照しているファンク〜ソウルミュージックというのは、ロックにおける(同時期の)ハードロック〜プログレッシヴロックのようなものです。ジャンル勃興期ならではの混沌とした豊かさと、高度な技術や理論的裏付けが両立されている。音楽的構造も表現力も本当に素晴らしいものが多いです。
そのなかでも、カーティス・メイフィールドは“常識的で超絶的”な音楽性を持った天才だと言うことができます。黒人音楽の定型的な旨み(ブルース的な引っ掛かり感覚など)をきっちり押さえつつ、ひねりのあるアレンジを非常に緻密にほどこしてしまう。エキセントリックでないのに実に個性的なのです。
一口に黒人音楽と言っても色々ありますが、ひとつの分け方として、文学作品でいう「エンタテインメント」「純文学」になぞらえるとしっくりくることもあるのではないかと思います。
前者の好例がマイケル・ジャクソン、後者の好例がマーヴィン・ゲイスティービー・ワンダーはその中間でしょうか。
これはどちらが良いということではなく、苦いニュアンスをどれだけ前面に出すかという度合いの話です。
黒人音楽を「チョコレート」に喩える考え方がありますが、これも同じですね。ブルース感覚の濃淡をビター/スウィート(またはカカオの%)になぞらえることで、味わいの質を説明できるわけです。
そして、「チョコレート」が(カカオマスが含まれないホワイトでなければ)ビター/スウィートの配分に違いはあるにしろ全て“苦み”を含むのと同様に、黒人音楽においては、「エンタテインメント」も「純文学」も、同じく“苦み”を備えています。複雑なニュアンスの伝え方が違うという話なわけです。
たとえばマイケル・ジャクソン。彼の音楽は煌びやかで親しみ深い雰囲気と快適な聴き味(BEATLESなどに通じるクラシカルなメロディ感覚など)を持っていて、ブルース的な“そう簡単にはいかないぞ”という引っ掛かり感覚は薄いようにも見られがちなのですが、“伝えたい”という切実な想いも常にあって、複雑なニュアンスを楽しく呑み込ませてしまいます。
(その点ディズニーランドなどに通じますね。)
一方で、『What's going on』や『I want you』といった歴史的名盤で純文学的な表現をやり尽くしたマーヴィン・ゲイも、深刻で切実な雰囲気を前面に出してはいますが、そういう生真面目な雰囲気ばかりに頼らず、聴き手の身体に理屈抜きに訴えかける楽しさも提供してくれます。
そういう「純文学/エンタテインメント」「ビター/スウィート」の配分に違いはあるにしろ、喜怒哀楽が渾然一体となった複雑な味わい(=ブルース感覚)を常に持ち、それを理屈抜きの楽しさと共に伝えてしまう。いわゆるソウルミュージックは、そうした黒人音楽の良さを最高度に表現するものなのです。
そのなかでもカーティス・メイフィールドはかなり「純文学」「ビター」寄りの人ですが、厳しい姿勢を貫きながらもそっと勇気付けてくれるような“馴れ馴れしくない暖かさ”があります。先述のような音楽性も本当に凄いです。「So in Love」が収録された『There's No Place Like America Today』(1975)は黒人音楽の歴史における最高傑作の一つであり、山下達郎が「人生のベスト」に選ぶ一枚でもあります。

こうした優れた黒人音楽に共通するのが「でもやるんだよ」(©︎根本敬)という感覚です。簡単には乗り越えられない苦みを常に抱え、時にそれに悩まされながらも、決してくよくよしすぎず、明るく豪快に歩を進めていく。これは、いわゆるファンクにおいて特にはっきり表現されているニュアンスです。
引っ掛かりの強いフレーズを何度も繰り返し(音楽的にブルース感覚を表現する方法としてはこれが最も一般的)、“長期戦を覚悟して”ほどよく緩み滾りながら歩み続けていく。ジェームス・ブラウン(JB)やPARLIAMENTの音楽ではその最高のものが表現されています。
カーティス・メイフィールドの音楽でもこういう「でもやるんだよ」というニュアンス/力強さが濃厚に表現されています。(音楽的にもファンク要素は多いです。)
そういうブルース感覚を丸裸で放り出すのではなく、ある程度口当たりのいい音進行にときほぐして示している、という点でも凄い音楽です。

ファンク〜ソウルミュージックのマナーに則った「桃色空」では、こうした「ビター/スウィート」「でもやるんだよ」という感覚が見事に表現されています。
(そして個人的には、そのバランス感覚はカーティス・メイフィールドに通じるもののように思えます。)
黒人音楽のファンに強くお薦めできる名曲ですし、逆に「桃色空」を深く理解するために黒人音楽を聴くのも良いと思います。


「マホロバケーション」とアンサンブル〜グルーヴの話
 



この「「マホロバケーション」はドラムスが後録りだった」という話、個人的には深く納得させられました。この曲のアンサンブルの完成度は2枚の新譜の中でベストだと思うのですが、それは〈ベースを先に録りそこに自然に注目が集まるようにした〉からなのかもしれません。
基幹ビートを最も直接的に反映し“アンサンブルの結節点”になるのはベースなのです。そこに注目が集まるようにすれば、演奏全体のまとまりが自然によくなります。

音楽を聴くとき「リズムを先導するのはドラム」という考え方が広くあると思うのですが、これは必ずしも正しくない場合が多いです。
一般的には、基幹ビート(アンサンブルが共有する“座標軸”)はベースが担当し、ドラムスはそれを装飾するのみです。
ジャズの4ビートなどはその好例で、基幹ビート(4分音符)のプレーンな姿に最も近いのはベースの動きです。ドラムスはそれに様々なアクセントをつける役割を担うことが多く、タメや突っ込みといった“加工”も含めれば、ビートの“ありのままの姿”を表しているとは限りません。
アカペラのアンサンブルを教える時に自分がよく言うこととして
「出音は“言っていること”、ビートは“考えていること”。
前者でなく後者を掴んで合わせるべき」
というのがあります。
出音は基幹ビートからズレていることが多いので、それにいちいち反応すると正確なビートの流れを見失ってしまいます。
実際に出る音の一つ一つに愚直に合わせるのではなく、その背景にある基幹ビートの流れを読みとり、そこに自分の基幹ビートの流れを一致させて、それを下敷きにした音を出す。
それができていれば、一つ一つの“縦”(楽譜上の音の並び)は合わなくても、全体の流れは完璧に合うのです。
こうして生まれるアンサンブルの「一体感」こそが、いわゆる「グルーヴ」なのだと思われます。
基幹ビートの流れがキレイでなかったとしても、アンサンブル全体でそれを共有することができていれば、個性的で味わい深い「一体感」が生まれる。ROLLING STONESのそれなどは好例ですね。
で、例えばブラックミュージックでは全てのパートがほぼ完璧にときほぐされたリズム処理をしているので、どれを聴いても難なく基幹ビートの流れを掴めます。
ただ、先のROLLING STONESのようなロックバンドなどにおいては、基幹ビートの流れにクセがあり、それに最も近いパートを探す必要があります。
LED ZEPPELIN(ZEP)などはその「クセのあるグルーヴ」を持つバンドとして有名ですね。ベースが最も洗練されたリズム感覚を持っていて、基幹ビートの流れを正確に反映しています。ギターやドラムス、ボーカルはそこからズレて好き勝手にヨレるのですが、ベースがそれを見事にまとめています。
つまり、ZEPの場合「アンサンブルの結節点」がベースで、グルーヴの全体像を正確に観測するためには、ベースを通して全てのパートを聴かなければならないわけです。こうした聴き方のコツはあらゆるバンドに異なる形で存在します。基幹ビートを担当し全体をリードするパートを探す必要があるのです。

こうしたことを踏まえて「マホロバケーション」を聴くと、アンサンブルの鍵になっているのはやはりベースで、よく粘りながらぐいぐい突き進む“高速の重いシャクトリムシ”的なタッチが素晴らしい手応えを感じさせてくれます。ドラムスはそれを土台に瞬発力を生む役目に徹する。ベースが骨格で、ドラムスがその肉付けをするわけです。
その上にのる管楽器セクションはトメハネと勢いを完璧に両立する極上のものですし、音量的に目立たないものの多様な音色でサウンドを豊かに彩るギター(低音タムと重なる歪み音色やアウトロの超絶変態ソロなど)も、超一流の仕事をしています。こうした演奏陣が素晴らしいまとまりをみせているのです。
こうした演奏陣は「アンサンブル全体として」力強くも陰翳豊かなグルーヴ表現をすることができていて、ボーカルを無視してバッキングだけに注目しても終始シビレてしまうことができます。そして、そうした超一流の歌伴に余裕で拮抗するももクロの存在感&歌メロも超強力。本当に凄い曲だと思います。

(この曲を作ったinvisible mannersは「高校時代にSLY & THE FAMILY STONEに最も影響を受けた」といい、SLYの名盤『Fresh』収録「Babies Makin' Babies」のアナログ編集感覚をヒップホップと絡めて語っています。この曲の高速ファンク感覚もあわせ、ブラックミュージックと繋がる要素は多そうです。)

先の「桃色空」にしろこの「マホロバケーション」にしろ、新譜2枚には様々なジャンルの超一流の演奏が贅沢に収録されています。そういう部分を聴き込む楽しさにも満ちたアルバムと言えます。


「ROCK THE BOAT」と海外センス導入の話


『白金の夜明け』にはどんなお題のもとに作られたのかよくわからない曲が複数ありますが、なかでも「ROCK THE BOAT」は特に面白い一曲です。インダストリアルミュージックに60年代末サイケ(アメリカものやGONGなど)を振りかけたようなゴシカルなエレポップ。奇妙で素敵な異物感があります。
実はこの「ROCK THE BOAT」、ブリトニー・スピアーズの未発表曲「Dangerous」(2008年の『Circus』に収録されなかったもの:2011年にネット上に流出しyoutubeなどでも閲覧可能)が原型になっているようです。
インタビューによると、ももクロ側がこの曲の権利を買ったのは1年半〜2年半ほど前とのことで、うまく歌いこなせる時が来るまで寝かしていたとのこと。その上で、バックトラックはデータで貰ってそのまま活かし、歌詞は完全にイチから構築されています。

(それぞれの歌詞はこちら。
ブリトニー版(2008)
ももクロ版(2016)
サビは「Can't stop it」→「Rock The Boat」に変化。その他テーマ等もかなり違います。)

このブリトニー版を知った上でももクロ版を聴くと、その「ROCK THE BOAT」のトラックにも、意図的に解像度を落とした“いかにもデモ音質”というような音作りが採用されていて、しかも非常に良い効果を上げていることがわかります。
ある種のヒップホップや60〜70年代志向のロックでは、わざとmp3圧縮したり(前者)、ビンテージ機材でこもり気味の音色を出したり(後者)というふうに、クリアすぎない音作りを採用し、それによりほどよい影/闇を表現しようとする志向があります。この曲でもそれが実にうまくキマっているのです。
ゴシックロック〜インダストリアルミュージック(70年代末〜80年代)と60年代サイケを足したような音進行も、そうした“陰のある音作り”と良い相乗効果を生んでいますね。ブリトニー版の流出音源がデモなのか完成品なのかはわかりませんが、それをほぼそのまま使った判断は正解だと思います。
そして、あからさまに背徳的な(その上でキュートな)雰囲気を演出しようとしていたブリトニー版に対し、ももクロ版の方では健全な(そしてガッツのある)雰囲気が主になっていて、それがダークなサウンドと補完しあい、全体として“多面性のある”優れた深みを生んでいます。良い仕上がりだと思います。

さて、この「ROCK THE BOAT」と並べられた「夢の浮世に咲いてみな」(KISS作)もそうですが、あえて「日本のポップスの常識を知らない作家に発注する」ことで面白いものを生み出すという手法があります。
たとえば、デーモン閣下の『Girl's Rock』(女性ボーカル曲のカバーアルバム)シリーズでは、アンダース・リドホルム(スウェーデンの名メロディアス・ハードロックバンドGRAND ILLUSIONのリーダー)が、原曲のイメージに囚われないアレンジで素晴らしい効果をあげていました。
たとえば大黒摩季の「熱くなれ」では、原曲の歌謡曲〜J-POP的な“日本特有の湿り気”ある音遣い感覚が北欧HR/HMならではの爽やかなものに入れ替えられていて、日本のポップスとは似て非なる潤いの感覚が出ています。スウェーデン人のアンダースならではの仕事です。
同じ歌メロを使っていてもコード進行を微妙にいじれば仕上がりは大きく変わりますし、その進行を選ぶセンス、言ってみれば“ダシ/味付けの好み”は、育った国やシーンによって大きく異なるのです。

先述の2曲にも日本人作家には出せないタイプの滋味があり、アルバムの中で良い存在感を発揮しています。
ブラックミュージック〜クラブミュージック寄りの反復や“引っ掛かり”ある音遣いが多い『白金の夜明け』においては、この2曲のブルース感覚がほどよい異物感を示しつつ他の曲とうまく並べられているのです。
(これが『AMARANTHUS』だとうまく収まらなかっただろうと思われます。)
このような“海外のセンス”を導入するという試みがなされ、それが優れた曲順構成により見事に成功している、という点でも、興味深く読み込めるアルバムなのではないかと思います。




収録曲の各論は(この記事においては)とりあえず以上です。
それでは最後に、「このようなアルバムがメジャーシーンで発表されることの意義」についての考えを付記し、ひとまずの締めとさせていただきます。


「一番目立つところに最高の作品がある」ことの大事さ


ももクロの新譜2枚で個人的に感慨深いのが、メタル/プログレとブラックミュージックがひとまとめに網羅されていることです。(一般的には双方のファンは被りません)
前者で始まる3rdから、後者で終わる4thに至る。双方を大事な要素として身につけ、ともに良いものとして口当たりよく提示する。見事です。
自分はまずメタル/プログレから入り、その後イチからブラックミュージックを開拓するというルートを通ったのですが、それぞれのジャンルだけにいるともう一方の情報はほぼ入ってきません。そのジャンル/シーンの歴史体系を効率よく掘り下げる道は用意されているのですが、外に出るのは難しいわけです。
最近は(特にJ-POPシーンでは)様々なジャンルの良い所どりをするものが多く、ジャンル意識(メタル好きのヒップホップ嫌いなど)を初めから持たない人も増えていると思います。一つのアルバムを聴いているうちに、ジャンルの壁を易々と越えてしまえるわけです。
ももクロの作品群はその中でもベストの一つですね。こんな素晴らしい作品で育つことができる人達を羨ましく思います。

たとえば60〜70年代の音楽シーンには、「一番売れているものを買えば一番良いものが手に入る」理想的な状況がありました。誰からも目につくところに極上のものがあるから、自分から掘り下げていろいろ探す習慣のない音楽ファンも自然に優れた“教育”を受けることができるし、音楽に興味のなかった天才が衝撃を受けて取り込まれることも多くなり、素晴らしいものが生まれる土壌が育つ。
豊かなポップ・シーンが良い循環を生んでいたのです。
最近の音楽シーンでは、先述のように、一時期の焼畑農業的な粗製濫造から脱し、「売るためには優れた作品を作らなければならない」ことを意識した健全な傾向が生まれつつあります。ももいろクローバーZのこの新譜2枚は、そうした傾向がもたらした記念碑的な大傑作だと言うことができます。

ありとあらゆるジャンルにアクセスしうる豊かな内容が聴きやすくまとめられ、繰り返し接しているうちに素晴らしい演奏によって“聴く力”も自然に鍛えられていく。
しかも、内容的に優れているというだけでなく、チャートの1位&2位を獲得し(発売された週においては)最も注目されるポジションを勝ち得ている。
このような素晴らしい作品にリアルタイムで巡り会えて本当に幸せです。
これからも楽しく聴き込んでいきたいと思います。


(語れることはまだいくらでもあるので、別記事に続くかもしれません)