某大学アカペラサークル・バンドクリニック解説:発声における呼吸の意義と、横隔膜呼吸の具体的な方法、およびそれを駆使した音色のコントロール

某大学アカペラサークルで行った講義
(レジュメ:http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2015/02/27/174957
の解説・理論的裏付けです。

こちらはだいぶ専門的な内容(というかイチから基礎を完成させたい方向けの内容)で、書きかけなのに簡単な発声の本1冊分を超える分量ということもあり、読みこなしにくいものだと思います。
ただ、
市販の類書の99%が疎かにする
・発声における呼吸の重要性
・横隔膜呼吸(いわゆる腹式呼吸)の具体的なやり方:胴体の筋肉の使い方
をここまで具体的に書いている文章も滅多にないはずです。
途中まででも気軽に読んでいただけると幸いです。

この稿は
①響きの評価基準(音色の意識の仕方)
②声のできるしくみ(発声機構概説)
③呼吸について(理論と方法)
という構成になっています。

③だけ読んでも実利は得られると思いますが、基本的には
「体のどこの筋肉をどう使うと声の響き(音色)がどう変わるのか」
という対応関係をつかみ、声の音色を自在に使い分けられるようにする、ということを目標として書かれている文章なので、①から順に読んでいただけた方が効果が得られるはずです。


【はじめに】


前説にも書いたとおり、音楽の表現力に最も影響するのは、音程でもリズムでもなく「音質(響き)」です。

これに注目する習慣をつければ、声の出し方から表現の仕方まで、全ての面において自然に、飛躍的に成長することができます。

音質(響き)を詳細に吟味できればできるほど成長の度合いが大きくなるので、
今回はまずその音質の評価基準を示し、発声(声のできるしくみ)の各要素と関連付けるところから始めます。


【①  響きの評価基準】

人の声やいろんな楽器で同じ音程の音を出すとき、声を出す人や楽器の種類によって異なる音色(音質)が生じ、同じ音程なのに異なる印象が生まれます。
これは、それぞれの音の倍音構成が異なるために起こる現象です。

それぞれの音においては、その音の音程を決める基本的な周波数(基音)の他に、その周波数以外の様々な周波数(倍音)が共存しています。
そうした倍音が周波数のどの帯域(低・中・高域)において豊かか・乏しいかという違いが、音色の違いを生み出すのです。
例えば、低域が厚く高域の乏しい音色は、重く安定感がある一方で抜けが悪く、こもった印象を与えます。
また、低域が薄く高域の豊かな音色は、抜けが良く明るいけれども軽く、頼りない印象を与えます。

木材や金属でできていて響く空間の型を変形できない多くの楽器と異なり、人の体は柔らかい肉質でできているので、同じ人の声であっても、響く空間の形を変えて音色を大きく変化させることができます。
裏返して言えば、音色の状態を分析できれば、響く空間の形、すなわち自分の体の状態を診断できるわけです。
こうした対応関係がわかれば、自分の出している音の響きを聴きながら筋肉の動きを変えていくことで、音色を自在にコントロールできるということになり、表現力が飛躍的に高まります。

従って、歌う際には、こうした倍音の構成に常に注目することが大事です。
もちろん、何ヘルツのどこどこが他に比べて何倍濃い、なんてことは常人にはわかりませんし、そういった数値的な把握は必要ありません。
低域から高域まで、どのあたりの帯域がどういう状態になっているのかということを、感覚的に、しかし詳細に吟味していけばいいのです。
そうしたことを続けていけば、響きに対する精密な感覚・比較基準が養われ、自然に表現力が高まります。

こうした感覚を培う最良の本当は、様々な音楽(歌だけでなく楽器や電子音なども含む)を聴くことです。
もちろん練習のときの自分の声や仲間の声もそこに含まれます。
そうやって知識や経験を豊かにすればするほど、違いを細かく識別できるようになります。


ここからは、その識別について、ある程度具体的にふれていきます。
響きを意識的に聴き分けようとしたことのない方は、まず以下の項目を頼りにして、違いを比較してみる習慣をつけると良いでしょう。


・深さ
・太さ(幅・輪郭の状態)
・クリアさ
・明るさ・暗さ
・密度


それぞれについて簡単に説明します。


・深さ

低域までしっかり出ているか否か。
呼吸の深さに対応します。
各帯域における響きの量は問いません。しっかり「ある」か否かの問題です。
低域までしっかり出ていれば、それがどんなに薄くても、ちゃんと土台ができた安定感のある音質になります。
低域までしっかり出した上であえて分厚く響かせないことにより、良い意味での軽やかさと安定感を両立した音質を作るということもできます。
響きを考えるにあたって最も重要な要素のひとつです。


・太さ(幅・輪郭の状態)

幅:
響きの水平方向の厚みです。
共鳴腔(きょうめいこう:音が響き増幅される空間)をどれだけ広くとれているか、その断面積(水平方向の広さ)に対応します。
これが厚くとれていれば、ボリュームのあるパワフルな印象を与えることができます。
逆に、あえて厚くしないことでソフトな印象を与えることもできます。
できるかぎり厚く広く響かせられる体を作っておくのが望ましいですが、TPOに応じて使い分けるべきです。

輪郭の状態:
音の輪郭の硬さ・柔らかさなどの質感です。
共鳴腔の壁(気管や口の中などの粘膜)の状態に対応します。
緊張が強ければ壁は硬くなり、響きの輪郭も硬く引き絞られたものになります。
逆に、十分に脱力ができていれば、響きの輪郭は柔らかく広がりのあるものになります。ボリュームのある印象を与えやすく、他の響きと混ざり合いやすい(従ってコーラスに向いている)のはこちらの方です。
輪郭の硬い響きは、他の響きと混ざり合いにくく浮き出やすいので、コーラスには不向きです。逆にリードであれば、力強く攻撃的な印象を生むのに有用な場合も少なくありません。
基本的には柔らかい輪郭の響きを出せるようにすべき(十分な脱力ができるようにすべき)で、その上で場合によって使い分けられるようにしておくべきでしょう。


・クリアさ

光り輝く粒子が舞っているようなクリアな響きの有無です。
この響きは英語で「ringing」と呼ばれるもので、鐘が鳴るように澄んだ、少々ざらつくような質感を伴う成分です。
声帯でできた原音が周囲の空間(喉頭:こうとう)で直接増幅されることにより生まれる、最も共鳴効率の良い響きで、音質の一番美味しい(人の耳が理屈抜きに最も心地よいと感じる)部分であり、かつ他のどんな響きともうまく混ざる成分でもあります。
異なる個性を持ったクセ声が多数集まっても、全員がこの成分を豊かに持っていれば、何の問題もなく綺麗に溶け合わせることができます。その結果、クリアな輝きと複雑なニュアンスを両立した、豊かで強大なサウンドが生まれます。
響きを考えるにあたって最も重要な要素です。
この意味で、ここからはこのクリアな響き成分のことを「響きの芯」と呼ぶことにします。
響きの芯を確保しながら深い響きを得られるようになれば、その他の要素が多少未熟であっても、他の人の足を引っ張らない十分強力な音質を提供できます。


・明るさ・暗さ

こもっているか否かとも言い換えられます。
高域への抜けの良さです。
解剖学的には、気管の入口にあって息が出入りする際に開閉する軟骨のフタ:喉頭蓋(こうとうがい)の開き方(立ち上がり方)や、口腔と鼻腔の連結・風通しの良さなど、気管と頭部より上との連結状態に対応します。喉頭蓋の開き方が大きければ大きいほど、喉頭から下(中・低域)と上(頭部:高域)との連結がよくなり、抜けの良さと高域の豊かさが増します。その結果、「こもっていない」「明るい」印象が生まれます。
高域への抜けがよくなると、周囲の音に埋もれず聴き手に届きやすくなるため、広がりのある印象が生まれます。
喉頭蓋の開きがよくなればなるほど声帯を引き伸ばしやすくなる(従って高音を出しやすくなる)ので、基本的にはできるかぎり「明るい」響きを作れるようにしておくのがいいでしょう。
しかし、場合によっては、あまり明るくハキハキした響きよりも、こもってじめじめした響きの方が雰囲気表現上よい、ということもあります。
これもTPOに応じて使い分けるべき要素でしょう。


・密度

響きのボリュームです。
今まで挙げた要素が共鳴腔(響く空間)、いわば器の状態を表しているのに対し、この「密度」は、その器の中にどれだけの中身を注ぎ込めているか、内部にどれだけの響きが含まれているか、ということを指します。
(響く空間の容積を同一とする条件下で内容物の濃さを比較しているので、量というより密度、もしくは充填度という方が適切でしょう。)
肺から適切な量の息(空気の流れ)を送って響かせる技術の良し悪しを反映します。
基本的には密度が濃い(響きが豊かな)ほどいいと思われますが、緩急表現のためにあえて抑える場面を作る場合は、あまりたくましく濃い響きにしないという工夫も必要です。


以上のような項目を手がかりに、自分や他人の声質を比較吟味することで、響きの様々な要素を詳細に聴き分ける感覚が自然に身につきます。
そうすれば、体のどの部分をどう使えばどういう響きが生まれる/損われるのかという対応関係も見えてきて、自分の出したい音質を意図して出すことも次第にできるようになります。
それを続けているうちに、出せる響きのバリエーションが非常に豊かになり、歌う際の表現上の選択肢が増えるので、同じメロディラインを何通りもの表情をもって描き分けるということも容易にできるようになります。

音楽の表現を考えるという点でも、ボイトレの練習指針を得るという点でも、響きを意識するということは全ての核になる大事な心構えです。
響きを意識する習慣さえ身に付ければ、ぼーっと音楽を聴いているだけでも実力が上がります。継続がそのまま力につながり、響きの意識のないそこそこ上手い人が絶対に得られない表現力を、いつの間にか身につけてしまえる、ということもありえます。

また、今まで意識してこなかった「音質(響き)」について考えるようになるだけで、自分の好きな音楽をすぐに何倍にも楽しく聴けるようになります。難しいことを抜きにして、音楽を単純に楽しむための最高の方法でもあります。
気楽に気長に、楽しんで続けていきましょう。


[参考音源⑦⑧]

上記の各項目について好対照を示す2名のシンガーの声質比較を通し、響きの違いを感覚的につかめるようにします。
これは同時に、特に重要な「響きの芯」(クリアに輝く成分)を見つけるための絶好のサンプルでもあります。
ぜひご利用ください。

(解説は前の記事(概説)のページで)


響きの評価基準についての説明はとりあえず以上です。
ここからは、声のできるしくみとその各要素について、上記の各項目と絡めて簡単に触れることにします。



【②  声のできるしくみ】

声のできる過程は、以下のようにおおまかに分類できます。


・呼吸
・声帯振動
・共鳴


それぞれについて簡単に触れたのち、③以降の項で改めて説明します。


・呼吸

声の材料になる空気を出入りさせる動作です。
特に吸気は、声を出す際にかかる緊張がないぶん、空気の通り道(=響く空間)をあらかじめ広く確保しておきやすい段階になります。

[吸気の入る空間]と[音の響く空間]の広さはほぼ同じなので、
息を吸う際、空気を深く広く入れるようにすれば、音の響く空間もそのぶん深く広くなります。
その空間をせばめず維持したまま息を出すことで、声をよく響かせることができます。


・声帯振動

声帯は喉頭という軟骨群(いわゆる喉仏のあたり)に収められている筋肉のひだで、ノドの左右から中央に向かって突き出ている1対のかたまりです。
これを複数の筋肉によってコントロールし、中央に向かって引き寄せ「閉鎖」させた上で、そこに空気の流れ(=呼気:吐く時の息)をあてると、声帯が振動します。
この声帯振動が気流に伝わり、空気の唸り現象による振動音が生まれます。
これが喉頭原音と呼ばれる「はじめの音」で、これを周囲の共鳴腔で増幅したものが声になります。

ここで注意しなければならないのは、この原音は、声帯そのものが出す音ではないということです。
声帯を揺らして通り抜ける空気が音を生むのであって、声帯自体は音源には(ほとんど)なりません。
従って、音源となる気流の量が変わらなければ、声帯にどれだけ大きい力を加えて強くすりあわせても、原音を大きくすることはできません。
声帯をコントロールする筋肉に過剰に大きな力を加えると、声帯に関わる複数の筋肉を繊細に使い分けて機能させることが難しくなり、声帯を自在に扱えなくなります。また、声帯をコントロールする筋肉が周囲(首まわり)の筋肉と連動し、引っ張り締め付けてしまうので、共鳴腔がせばまり響きがやせてしまいます。

従って、ノドにかける力はできるだけ少なくすべきです。
過剰な緊張は、自分は今頑張ってるんだというやりがい(自己満足)を除けば、負担や障害などの不都合しか生みません。
無理なく楽に歌うのがベストです。

しかし、
「そう言われても、ノドに力をかけると声が太く力強くなる気がするんだけど」
と思われる方もいるかもしれません。
これは、声帯全体に力をかけて厚く振動させるいわゆる「チェストボイス」のやり方で原音を作っているからです。
(註:いわゆるチェストボイス(胸声)は、こういう呼び方をしてはいますが、胸に響くかどうかとは全く関係ありません。声帯全体を使う発声法をさす(声帯の状態のみで区分する)呼称です。いわゆるアンザッツにおける「胸のあたりを意識した(≒低い帯域を重視する)響きのコントロール」と対応させてこう呼んでいるのだと考えられます。)

そのこと自体には問題がなく、確かに原音は豊かになるのですが、チェストボイスを作るのに必要な力を越えた過剰な緊張をかけると、円滑なコントロールや共鳴腔の広さが犠牲になってしまうので、総体としてみれば響きは十分豊かなものになりません。
声帯を厚く使うこと自体は良いことなのですが、それに必要な力は実はとても小さなものです。それ以上の力をかけても逆効果なので、ノドに力をかければかけるほど強力な音を出せるということはありません。

ノドを過剰に緊張させず、かける力は必要な程度(本当に微細な力で十分)に留めて、しっかりリラックスさせるのが重要です。

こうしたこともあわせて、声帯のコントロールについては、以降の④項で詳しく扱います。


・共鳴

声帯を通して生み出された原音を増幅する過程です。原音の持つ性質を強調し、量を増やします。
声の質(特徴・個性)の芯の部分は原音の状態によって決まりますが、それを共鳴により増幅することで、①に挙げたような様々な要素が加わります。

共鳴腔のまわりの部分(胸・首・頭)に緊張をかけると、その影響で共鳴腔の広さと内部壁面(粘膜)の滑らかさが損われ、響きが乏しくなります。
逆に、まわりの部分を十分に脱力することができれば、空間を広げることが容易になり、内部壁面も優れた反響効果を発揮するので、豊かな響きを得ることができます。
つまり、どれだけ「不必要な」緊張を取り除けるかで響きの豊かさが決まるのです。
全身を十分に脱力させ、必要な力だけを加えて歌うのが大事です。


喉頭
声帯が収納され接続している空間です。いくつかの軟骨とそれを連結する筋肉からなります。
声帯で生まれる原音が直接増幅される空間であり、ここでの共鳴によって豊かな低・中域が付加されます。
こうしてできるのが①で触れた「響きの芯」です。
最も効率のいい共鳴を得られるこの部分をどう扱うかが、発声の(呼吸と並ぶ)最も重要なポイントになります。


喉頭蓋:
喉頭咽頭の境目になる軟骨のフタです。
息が出入りしない時は閉じていて、喉頭・気管に異物が侵入するのを防いでいます。
息が出入りする時はこれが開き(上方向に立ち上がり)ます。これがよく開くほど喉頭でできる響きの通りが良くなり、損われることなく咽頭から先の空間に伝えられます。
①で触れたように、響きの明暗・抜けのよさに関わる部分です。


咽頭・口腔・鼻腔・頭部:
喉頭で生まれた響きの芯をさらに増幅する部分です。
様々な子音を生み出し、高域の付加に大きく貢献します。
抜けが良く広がりのある印象を生み出すのには重要な部分ですが、あまり子音を強く出そうとすると、唇や舌の動きによりノドまわりの筋肉が上に引っ張られ、共鳴腔がせばめられてしまうことが多いので、注意が必要です。


口の外:
口から外に出た音は、自分の体の筋肉によってコントロールできるものではなくなります。しかし、自分のいる場所(部屋の中や屋外など)の空間的特性に応じて、響くポイントを見つけてうまく反響させることも不可能ではありません。
クラシック音楽などでは、マイクを使わずホールの反響を利用する場合、こうした技術が重要になる場合もあります。
機材を使う場合はPAの技術に左右される部分も大きいですが、マイクを自分の口にどう向けるかで集音の良し悪しが変わることなどもあり、出音の響きを聴いて対策するのはやはり大事です。
自分の力で出来る限りのことをしていきましょう。


その他:
喉頭より下の部分、すなわち気管・気管支・肺の内部も、喉頭からの響きが伝わり反響する場所だと考えることはできます。
しかし、私の知るかぎりでは、この部分を「響かせることのできる空間」としてカウントしている情報に出会ったことはありません。
喉頭原音が声帯の閉鎖によって生まれるものである以上、音を出している声帯を通過してその先の空間に検査器具を突っ込むことはほぼ不可能なので、ただ単に研究が進んでいないというだけなのかもしれませんが、とりあえずは考えすぎないほうがいい部分でしょう。
呼吸を深くすることにより共鳴腔を深くとることができ、従って響きが深くなる、という結果だけわかっていれば十分です。

(呼吸が深くなる、つまり横隔膜が十分下がることにより、それに支えられている肺の底面が下がり、肺の容積が増すわけですが(これが吸気が流入する仕組みです)、それと同時に、肺が下がったぶん気管にかかる下からの圧力が減り、気道の途中にある喉頭にかかる緊張も減るので、喉頭自体の空間もせばめられず、深く広く使える状態になります。
肺を共鳴腔にカウントしてもしなくても、呼吸が深くなれば響きが深く豊かになる、ということは説明できます。)


声のできるおおまかな仕組みは以上です。

ここからは、それぞれの段階についてある程度掘り下げて説明していきます。



【③  呼吸について】


声の材料となる空気(息)を出し入れする動作です。

この③は、おおまかにみて
・呼吸の原理的な話
・呼吸の具体的な方法
というふうに分かれています。
「呼吸が大事なんてことはわかってるよ」という方は、後半の具体的な話のみをお読みいただければいいと思います。


《呼吸の原理的な話》


〈呼吸に注目する意義〉

呼吸は発声において最も重要な要素のひとつです。

主な意義は以下の2点です。


・声の材料になる空気のコントロール
・響く空間の準備


空気のコントロール:

②の声帯振動のところでふれたように、声は気流の振動音からなります。
従って、空気の出入りがなければ声は生まれません。

空気を送る量によって音の大きさが変わりますし、空気の流れをどう共鳴腔にあてるかによって響きの出来方も変化します。
空気を送る・止めるタイミングを自在に決められなければ音の入り・切りをコントロールすることもできませんし、一度に出さずに少しずつ使い続けることができなければ、長いフレーズを続けて歌いきることもできません。
また、空気を短時間でたくさん肺に取り込むことができなければ、息継ぎの時間が少ないフレーズ構成を余裕を持って歌うこともできません。

空気を迅速に取り込み、一度に出さずに確保しておきながら、適量を解放して音に変換し続ける。
そうした動作を、声帯や共鳴腔に緊張をかけずにやりとげるためには、無理な力を使わない呼吸の技術が必要になります。


響く空間の準備:

[空気の出入りする空間]=[音の響く空間]ですから、息を深く取り込むことができている状態は、即ち響く空間を深くとれている状態だということになります。
息がどのくらい深く広く入ってくるかという感覚を持てば、その状態に応じて、音を出せばどういう響きができるのか予測することができます。

また、息を取り入れた直後は、声を出すために必要な緊張がかかっていない、つまり脱力が最もよくできている状態です。従って、共鳴腔を広げて響く空間を確保する最大のチャンスになります。
このタイミングを逃すと、響く空間を広げるチャンスは一気に少なくなります。
力を抜いた状態で力を入れるのが簡単なのに比べ、緊張した状態から(動作を止めずに)力を抜くのは極めて難しいからです。


以上のように、
呼気の扱いの良し悪しは音全体のコントロールの良し悪しに直結し、
吸気の扱いの良し悪しは特に響きのコントロールの良し悪しに直結します。

呼吸の技術は歌の基礎体力のようなもので、これができていなければ安定して歌い続けることはできません。
フレーズの合間にしっかり息を深く取り込む能力がなければ、歌い続けるうちに息の入る空間がどんどん浅くなり、響きも浅くなっていきます。
たとえ深く取り込む能力があったとしても、そうする習慣がなければ、息継ぎの余裕が少ないフレーズではつい吸気が浅くなり、響きを損なってしまう危険があります。
また、体調が悪い場合などは、なおさら意識的に呼吸を深く整える必要があります。
無意識のうちに呼吸の状態が悪くなり、声帯などに負担がかかる危険が増すからです。


呼吸は発声のすべての土台となる重要な要素です。
ここを意識することが(根本的な)成長の第一歩になります。


〈息の出入りするしくみ〉


・余計な力をかけないための考え方

呼吸を考えるにあたってまず大事なのが、
「息は吸い込んだり押し出したりするものではなく、自然に出入りするものだ」
ということです。

呼吸をする際には、ストローで吸引したりポンプで押し出したりするような特別な圧力は必要ありません。
肺を広げれば、増えた容積を埋めるべく空気が自動的に流れ込みます。
逆に、肺をしぼませれば、減った容積の分だけ空気が勝手に流れ出ます。
つまり、肺の容積を変化させれば、それに応じて息が自然に出入りするのです。
そして、そのためには特別な力は必要ありません。
少し押さえて少しずつ解放する、というくらいの感じで十分です。

呼吸を考える際には、空気の流れは従、肺の動きが主であるという認識が重要です。


・肺の容積のコントロール

肺は平滑筋からなります。これは不随意筋で、意識的に動かすことはできません。
しかし、肺のまわりにある「胸郭」(肋骨と筋肉の膜からなる空間)を動かすと肺も一緒に動くので、胸郭の操作を介して間接的に肺の容積を変化させることができます。
この胸郭の操作に関わるのが、肋間筋や横隔膜筋などの随意筋です。
こうした筋肉をそっと動かしてあげれば、肺の容積を自在にコントロールすることができます。

肋間筋は肋骨を動かし、水平方向に胸郭を拡大します。
また、横隔膜筋は、消化器のある空間(腹部)と肺や心臓のある空間(胸部)を分ける筋肉の膜、すなわち横隔膜を動かし、垂直方向に胸郭を拡大します。
この横隔膜筋の操作に関わるのが周囲にある腹筋や背筋、さらには骨盤筋や臀筋(お尻の筋肉)などで、こうした筋肉の操作(特に下方向への保持)に習熟すると、横隔膜をより精密にコントロールできるようになります。

上に挙げた肋間筋や横隔膜筋、連携して動く腹筋や背筋などの筋肉を、呼吸に関わる筋肉という意味で「呼吸筋」と呼びます。
こうした呼吸筋を鍛えれば(筋量を増やすというより連携を滑らかにするのが大事)、呼吸のコントロールが巧くなり、歌の技術全般が飛躍的に向上します。

ここからは、主に呼吸筋の扱い方の面から、良い呼吸のしかたについて説明していくことにします。


〈呼吸の種類について〉


大きく分けて2種類あります。

・胸式呼吸
・横隔膜呼吸


胸式呼吸:
肋間筋によって肋骨を動かし、水平方向に胸郭を操作します。
その結果、肺の容積が変化します。

横隔膜呼吸:
横隔膜筋および背筋や腹筋などの関連筋によって横隔膜を動かし、垂直方向に胸郭を操作します。
その結果、肺の容積が変化します。

実際の呼吸は、このどちらか一方だけでなく、2つ両方を組み合わせて行います。
一般に、肋間筋の動きに大きく頼っているものを胸式呼吸、肋間筋の動きにあまり頼らず横隔膜のコントロールを習熟させているものを横隔膜呼吸と呼ぶ傾向があります。

2つの方法を比べると、横隔膜呼吸が全ての面において有利です。
(そもそも、肋間筋の動きに頼る傾向の強い人でも、空気の全交換量の50%は横隔膜の動きに依っています。これは、肋間筋による肋骨の操作だけでは十分な量の空気を交換できないからです。このように、空気交換の効率の良さだけを比べても、横隔膜呼吸の方が格段に上だと言えます。)

横隔膜呼吸がうまくできるようになればなるほど、呼吸全体の質も飛躍的に高まります。
ここからは、この横隔膜呼吸に注目して説明していくことにします。


〈横隔膜呼吸に関わる種々の誤解〉


横隔膜呼吸のしかたや有利な点についてふれる前に、この方法について広く蔓延している危険な誤解について説明しておきたいと思います。

横隔膜呼吸は一般にはむしろ
腹式呼吸
という呼び方で知られています。
横隔膜を動かすにあたっては腹筋も重要な役割を果たすので、この呼び方も間違いとは言えないのですが、「腹式」という限定された表現を意識しすぎることで、実際の発声や練習の邪魔になる様々な誤解が生まれてしまいます。

特に問題なのが、


・腹筋だけ使っていればいいと思ってしまう

・腹の動きだけを見て深い呼吸が出来ているか否か判断してしまう


というものです。

それぞれについて簡単に説明します。


・腹筋だけ使っていればいいという誤解

上で述べたように、横隔膜のコントロールには腹筋だけでなく背筋や骨盤筋、臀筋なども関係します。

腹筋だけを使っていると、横隔膜を動かせる方向が体の前側に限定されてしまいます。
また、骨盤筋(腰まわりの筋肉)や臀筋(お尻の筋肉)、さらに大腿筋など足の筋肉への連結がうまくいかないと、体の根元の筋肉を十分に下げてほぐすことができないので、腹筋や背筋を下げられる範囲も限定されてしまいます。
(土台が下がらなければ土台の上にある部分も下がりません。)

体の後ろ側は自分から見えないので、自分から見える体の前側に比べてついおろそかにしてしまいがちです。後ろ側にある背筋は前側にある腹筋に比べ日常生活であまり意識して使わない部分なので、しっかり意識して取り組まないとうまく動かすことはできません。これは骨盤筋の後ろ側や臀筋についても言えることです。

さらに言えば、体の後ろ側・前側だけでなく、側面も重要になります。
腹筋というと体の前側、いわゆる下腹部にしかないというイメージがありますが、体の側面にも広く分布しています。
背筋と前側の腹筋を下げた上で側面の腹筋も下げることができれば、胴体の根元の部分全体をまんべんなく下げてバランスよく保持することができるので、深い部分の響きを広くとることができます。

以上のように、横隔膜をまんべんなく下げてコントロールするためには、胴体の周囲全体の筋肉の動きが必要です。
腹式呼吸」という呼び方にとらわれて腹筋以外を無視してしまうと、必要な要素の多くに気付けていないのに「腹筋に注目できてるんだから大丈夫なはず」と思い込んでしまい、いつまでたっても成長できない、という危険性があります。


・腹の動きだけを見れば深い呼吸が出来ているか否か判断できるという誤解

「正しい腹式呼吸」の判断基準としてよく言われる表現に

「息を吸うと腹がふくらみ、息を吐くと腹がへこむ」

というものがあります。
これも、それだけ見れば完全に間違いとは言えないものなのですが、この基準で呼吸の出来不出来を考えるのは危険です。
なぜならば、横隔膜を十分に動かせていない場合でも、腹はふくらんだりへこんだりするからです。


「息を吸うと腹がふくらみ、息を吐くと腹がへこむ」
という考え方の背景には、
「息が腹に入る」という感覚・イメージがあると思われます。
そうした感覚を持つこと自体は悪くなく、深い呼吸を身につけるにあたっては重要だと言えます。
しかし、解剖学的に言えば、「息が腹に入る」ことはあり得ません。

先にも述べたように、肺のある胸部と消化器(胃や腸など)のある腹部とは横隔膜によって区切られています。
この横隔膜はだいたいみぞおちのあたりにあり、下腹部のあたりまで下がることはありません。従って、横隔膜の上にある肺も下腹部まで下りることはありません。
息(空気)の入る部分はどんなに深くても肺の底面どまりなので、息が下腹部まで入ることはあり得ないのです。

息の入るスペースや響きのできる空間を感じとる際には、この肺底面までの部分が胴体の底面までの部分全体に拡大されてイメージされます。
例えば、横隔膜が下がり、下方向に拡張された肺の底までしっかり息が入り続けているという状態では、胴体の根元まで息が達し、底面から地面に向かってまっすぐ抜け出ていく、というようなイメージが得られます。
これは、胴体の呼吸筋群が下方向に向かって滑らかに連動するときに得られる
「胴体の周囲全体が一緒に動いて真下に向かい、胴体の根元に差し込まれて突き抜ける」
というような感覚を、息(空気)の動きとして捉えたものだと説明できます。

つまり、「息が体の底まで入る」という感覚は、空気の動きというよりも、呼吸に関連する筋肉の動きによって生じるものだと考えられるわけです。

以上のように考えると、息が腹に実際に入ることはありませんから、腹のふくらみ方と呼吸の深さはあまり関係ない、ということがわかります。

深い呼吸をするためには横隔膜を真下に下げなければならず、そのためには背筋や腹筋を「垂直下方向」に下げる動きが必要になります。
それができていれば、
「息を吸うと胴体のまわり全体が少しふくらみ、息を吐くと少しずつしぼむ」
状態になります。

胴体を水平方向にふくらませる動き、すなわち筋肉を水平方向に押し広げる動きは、垂直下方向への動きを阻害する可能性があるので、過剰に行われるべきではありません。
つまり、腹がふくらみすぎる呼吸(「下部胸式呼吸」とも呼ばれるやり方)では横隔膜が十分に動いていない可能性があるのです。


腹式呼吸」という呼び方や腹のふくらみ方などにとらわれず、息の深さや響きの深さそのものに注目するのが大事です。


〈横隔膜呼吸が有利な理由〉


横隔膜呼吸は、胸式呼吸に比べ非常に有利な呼吸方法です。
その理由としては、以下の3点が挙げられます。


・空気の交換が迅速で、交換量も圧倒的に多い
・横隔膜を直接操るので、空気の流れを意識的に調節しやすい
・胸から上に緊張を加えにくいので、声帯や共鳴腔への悪影響が少ない


それぞれについて簡単に説明します。


・空気の交換が迅速で、交換量も圧倒的に多い

横隔膜による垂直方向の動きと肋間筋による水平方向の動きを比べたとき、前者の方が胸郭の容積変化が圧倒的に早く・大きいので、相対的にみて短時間で大量の空気を取り込むことができます。
息継ぎの余裕が少ないフレーズを歌う場合は、横隔膜呼吸をうまく使えないと、息の量の確保についても響きの深さについても、安定して高い質を保つことが難しくなります。


・横隔膜を直接操るので、空気の流れを意識的に調節しやすい

横隔膜を下げて息を深く吸った後、下げた横隔膜を少しずつ戻していけば、それに応じて少しずつ空気が出ていきます。
(下向きの力を少しずつ緩めてあげればそれだけで横隔膜が戻るので、「上方向に力を入れよう」とする必要はありません。)
この際、背筋や腹筋を調節し、横隔膜を戻すスピードやタイミングを変えれば、息の出方を自在に変化させることができます。

肋間筋による胸郭の拡大ではこうした意識的な「止め」の調節が難しく、息の出方を(横隔膜に比べ)精密にコントロールできません。
また、胸式呼吸に頼る傾向が強い人でも横隔膜は動いているわけですが(〈呼吸の種類について〉参照)、横隔膜を直接操ることができていないため、横隔膜の上下運動が不規則で断続的、不安定になってしまいます。

つまり、息を出す際の調節精度に関しても、横隔膜呼吸の方が格段に上なのだと言えます。


・胸から上に緊張を加えにくいので、声帯や共鳴腔への悪影響が少ない

肋間筋の動きが大きいと、ノドまわりや胸にかかる緊張がどうしても大きくなってしまうので、声帯や共鳴腔のコントロールに障害が生まれてしまいます。
これに対し横隔膜呼吸では、横隔膜から下にある背筋や腹筋を使い、胸から上にはほとんど負担をかけないので、声帯や共鳴腔を緊張のかからない状態で使うことができます。

つまり、横隔膜呼吸に習熟すればするほど、声帯や共鳴腔を余計な邪魔の入らない状態で自由に使えるようになるわけです。


以上のように、横隔膜呼吸をマスターできれば、空気を迅速に取り込み、息の量を自在に調節し、ノドまわりの緊張を排除することができます。
そうなれば、体全体にかかる負担が一気に減るので、日常生活の段階で体にしみついていた緊張、すなわち悪いクセも次第に抜けて、余裕を持って歌えるリラックスした状態になっていきます。
こうした良い循環を得るためにも、横隔膜呼吸はぜひ身につけておくべきです。


というわけで、
呼吸一般についての理論的・解剖学的説明はとりあえず以上です。
前置きが大変長くなってしまい申し訳ありません。

ここからは、横隔膜呼吸を中心とした「楽に歌うための工夫」について、具体的に説明していくことにします。


《呼吸の具体的な方法》


〈姿勢を整える〉


横隔膜呼吸の方法を説明する前に、その方法をうまく使うための体作りについてふれておきます。


姿勢の良し悪しは呼吸筋のコントロールに大きく影響します。

姿勢が悪いと呼吸筋を十分に動かすことができないので、正しい方法で呼吸しようとしても、十分な効果を得ることができません。
(同じように歌っているつもりでも、姿勢を少し変えるだけで、息や音の状態は大きく変わります。)

逆に言えば、姿勢に気を付けるだけで、呼吸筋を格段に動かしやすくなるので、呼吸の状態は見違えるように良くなります。
そうなれば、声の響きも自然に良くなります。

自分の実力を十分に発揮するためにも、姿勢に気を付けることは非常に重要です。


歌うための姿勢を整える際は、以下のような手順を踏むのがいいでしょう。


・足の平を肩幅くらいに開く

・かかとを土台に足の骨をそっと乗せ、関節には力をかけすぎない

・ひざをピンと伸ばさず、少し緩め、緊張をかけすぎずにまっすぐ立つ
(他人から見てわからない程度のかすかな中腰)

・両足を台として、その上に腰をそっと乗せる

・尾てい骨(腰の後ろ側・お尻の出っ張り)のあたりを土台に、背骨をそっと乗せる

・胴体底面の中央は締め付けず、筒の先の通りをよくするイメージで力を抜き、緩めておく

・腰を支点・背骨を軸にして胴体をまっすぐ乗せ、安定したら余計な力を抜く

・胸まわりの筋肉は使わないので、完全に脱力する
(背中側も)

・肩の力も完全に抜く
(重力にまかせて垂らすようなイメージ)

・両腕を下に垂らす必要はないが、肩との付け根など関節には力を入れない

・首の付け根(特に内側)の力を抜き、締め付けをなくす

・アゴは上げず、かといって下げもせず、アゴの力を抜いて先を真下に垂らすイメージでバランスをとる

・後頭部(首の骨と頭の骨との接続部のあたり:AO関節)の力を抜き、内側の空間を広くとるイメージでリラックスする


「姿勢をよくする」というと、「背筋(せすじ)をピンとする」「視線はまっすぐ」というような「きをつけ」「しつけ」のイメージから、
つい胸のあたりを中心に考えたり、無理な力を入れて固く緊張した立ち姿をとってしまいがちです。
しかし、歌う際は、そういった余裕なく締め付ける力は例外なく邪魔になります。

足元から上には余計な力をかけずにゆったり構えて、すぐに動作に移ることのできる準備を整える。
そのためには、筋肉を固めず、余裕を持って動かせるようにするための「たわみ」(締め付けないスペース)が必要になります。

たわむ余裕を残しながら各部位の重心を合わせ、柔らかくしなる一本の筒を組み上げるイメージで、足元から姿勢を組み立てていくのです。
積み木をそっと重ねていくように、余計な力をかけず下から積み上げる感覚が大事です。


この際に重要になるのが脊椎(背骨)の感覚です。
正中線(体の真ん中を垂直に通るライン)と、胴体を水平に切った断面の中心を通る軸をあわせてイメージすれば、胴体の中心部としての脊椎を意識することができます。
(註:脊椎は横から見るとS字状に湾曲しており、まっすぐな棒ではないのですが、
垂直な中心軸としてイメージすることで、おおまかな位置をつかむことができます。
これは体の重心をまっすぐに整えるために有効なイメージでもあります。)


脊椎の中には脊髄と呼ばれる太い神経の幹が通っています。これは延髄を経由して脳につながる中枢神経系の一部で、脳からの命令を伝達する経路の中心になります。

良い呼吸をするために重要な横隔膜筋のコントロールにも、脊髄が大きく関わっています。
首のあたりから出る頸髄神経(C3-C5)は横隔膜筋の中心腱を、みぞおちと腰の間から出る胸髄神経(T8-T12)は横隔膜筋の周辺部を担当し、横隔膜の上下運動を支配します。
(詳しくはまた後述しますが、この胸髄のあるあたりの気道の連結を良くするイメージで筋肉を押さえると、喉頭で生まれる最もクリアな音質=響きの芯を豊かにすることができます。)

また、頸髄のすぐ上には呼吸活動の中枢である延髄があります。
ここは不随意・自動的な呼吸(意識しない普段の呼吸や睡眠中の呼吸など)を担当する部分なので、歌う際の随意的な呼吸を扱う際はそこまで注意する必要のある場所ではありません。
しかし、脊髄からここを経由して頭部につながるラインを意識することは、呼吸の効率の良い情報伝達を考える際、決して無駄にならないと思われます。


体の中心軸としての脊椎を意識することで、
こうした脊髄・延髄・頭部(脳)のつながりを意識することができます。
そうすれば、
軸を力まずまっすぐ整える姿勢の制御という点でも、
神経伝達の中心経路に沿った効率の良い運動という点でも、
核心に直接アプローチする無駄のない動きをすることができます。


姿勢のとり方についての話はとりあえず以上です。

それぞれの項目についての説明は、気道の連結による響きの強化など、他の要素と関わる部分が多くなるので、これ以降の話をする際に、改めてふれていくことにします。


それでは、以上をふまえて、横隔膜呼吸の具体的な方法について説明したいと思います。


〈横隔膜呼吸の具体的な方法〉


いままで挙げてきた呼吸の原理をふまえて、
ここからは、「歌う際の」横隔膜呼吸の方法について、具体的に説明していくことにします。


(1)基本的な考え方


とにかく「下」が重要です。

余計なことを考えずに「下」を意識することで、効率良く最大の効果を得ることができます。

「下」を意識する際のポイントは

・力の方向
・力の始点

の2点です。

それぞれについて簡単に説明します。


・力の方向

力の方向は常に下向き。
これが鉄則です。

これを徹底すれば、呼吸筋全体を滑らかに連動させ、ブレのない安定した響きをつくることができます。


横隔膜を下げるためには、背筋や腹筋などの周囲の筋肉を下に下げる必要があります。
その際、胴体の根元にある筋肉(腰まわりやお尻の筋肉)を下に下げておかないと、その上にある背筋や腹筋を下げられる範囲が限定されてしまいます。
また、胴体の根元にある筋肉を下げるには、股関節や大腿部(ふともも)の筋肉との連結を良くする必要があります。

このように、横隔膜を下げることのできる範囲を広げるためには、筋肉を根元から順次引き下げて、土台を低くしていく必要があります。

(土台を下げないことには上にある部分も下がらないので、
×上(胸など)を始点に押し下げる
のではなく、
◯底(胴体の根元や大腿部)を始点に下から引き下げる
動きが求められます。)

この一連の流れには多くの筋肉が関わるので、何も考えずばらばらに動かそうとすると、筋肉の動き同士がぶつかりあって機能衝突を起こしてしまう可能性があります。
(背筋は下に向かっているのに臀筋は上に引き寄せられていて、腰の所で引っ掛かり動きを殺しあう、というようなこと)

力の方向を下方向に一本化すれば、すべての筋肉が同じ方向に動き、ぶつかりあうことがなくなるので、機能衝突を避け、滑らかに連動させることができます。

なお、こうした機能衝突や力の方向の変化など、筋肉の動きに生じたブレは、そのすべてが響きの変化として声にあらわれます。
例えば、それまで下向きだった動きが一瞬上向きにブレると、底に向かってまっすぐ抜けていた響きに引っ掛かりが生じ、微妙に硬く不安定な印象が生まれます。

力の方向が常に下向きになっていれば、このようなブレを起こす危険が少なくなるので、自然と響きが安定します。

余計なことを考えず下向きに意識を集中することが、響きを安定させるための最大の近道になるわけです。


・力の始点

響きの深さは、「下げる」動きの始点となっている部位の低さに対応すると考えることができます。

例えば、腰を始点として引き下げる場合よりも、ふとももを始点として引き下げる場合の方が、声の響きは深くなります。
前者が腰から上の筋肉しか引き下げることができないのに対し、後者はふとももから上の筋肉(つまり胴体の筋肉全体)を引き下げることができるため、
後者の方がより深く横隔膜を引き下げることができ、そのぶん深い呼吸をすることができます。
従って、声の響きも深くなるというわけです。

できるかぎり低い場所を「下げる動きの始点」と考え、そこから上の筋肉をすべて下に引き寄せるように動かすことが、深く安定した呼吸(響き)を生み出す秘訣です。


以上のように、
常に「下」を意識し、頭部共鳴など上の部位を考える際も、根元を始点として深い響きを維持することを忘れない。
そういうクセをつけるだけで、すべての要素がうまく連動するようになります。
とても単純ですが、非常に重要な考え方です。


それでは、この考え方を土台にして、具体的な筋肉の動かし方を説明していきたいと思います。


(2)息をする場所


胴体の筋肉のコントロールについて説明する前に、空気の出入りする場所についてふれておきます。

口呼吸と鼻呼吸のどちらがいいのかという話です。


結論から言えば、両方一緒にやるのがベストです。
その上でどちらを重視するかは、完全に個人の好みによります。
やりやすい方を選ぶのがいいでしょう。


〈息の出入りするしくみ〉でふれたように、
体の中に空間(気道)ができれば、息は自然にそこを通って出入りします。

口を閉じなければ口が出入り口になりますし、
鼻(鼻道の一番狭い部分である鼻弁といわれる場所)を閉めなければ鼻も出入り口になります。
従って、両方閉めずに開けて(放置して)おけば、空気は自然に両方を出入りします。

空気の通り道はすなわち響きのできる空間でもありますから、空間を広くとればとるほど響きは豊かになります。
従って、響きを豊かにしたいのであれば、口腔と鼻腔の両方を活用するのがベストです。
口と鼻の両方に息を通すことで、口腔と鼻腔を広げた状態を保ちやすくなるので、響きやすい体を自然に作ることができます。

その上で、「口と鼻どちらをメインにするか」なんてことはできるだけ考えず、息が最も良く通り、かつノドまわりの筋肉が脱力できている状態を作っていくべきです。

もちろん、いきなり無理に両立する必要はありません。
口と鼻のうち、自分が今慣れている方を突き詰め、無意識的にコントロールできるようになった上で、残りの一方をうまく併用できるように練習していけばいいのです。

口の通りを意識すると、口まわりの筋肉、さらにはそのそばにあるノドまわりの筋肉を意識しやすくなるので、喉頭をはじめとしたノド元の共鳴腔をコントロールしやすくなり、中・低域の響きを豊かにすることができます。
また、鼻の通りを意識することで、鼻腔から頭頂部にかけての空間を意識しやすくなるので、そのあたりの共鳴腔をコントロールしやすくなり、高域の響きを豊かにすることができます。

口呼吸と鼻呼吸を両方意識すれば、こうした感覚が自然に両立されるので、響きの全帯域に注意が向くようになります。
少しずつでもいいので、両方できるように練習していくのがいいと思います。


息の出入りする場所については、とりあえず以上のことがわかっていれば十分ですが、
いちおう参考のために、口または鼻を閉じる呼吸についての説明を加えておきます。
興味をお持ちの方はお読みください。


・息を取り込む際(吸気)

吸う時だけ鼻腔を閉めるというのはあまり意味がありません。息の入る量が減り、鼻呼吸の長所(鼻毛や粘液により異物の侵入を防ぐ働き)が失われるだけです。
また、吸う時だけ口を閉めて鼻から息を取り込むようにすると、異物の侵入や喉の乾燥を防ぐ効果はありますが、
鼻呼吸の技術がよほど優れていなければ、空気の取り込み量が激減するため、息継ぎの余裕が少ないフレーズは歌いにくくなります。
加えて、いちいち口を開け閉めすることで口まわりの筋肉に緊張がかかり、口腔を広く保っておくことがやや難しくなります。
息を取り込む際は、口腔と鼻腔の両方を閉めずに通しておく方が格段に良い効果を生むことができます。

・息を出す際(呼気)

あえて暗い(頭部共鳴による高域の付加をしない)響きを出したいのであれば、息を出す際に口や鼻腔を閉める動作は重要な技術になります。
ただしそれでも、基本的には開いておけるようにすべきです。
力を抜いて広げた状態に力を加えるのが簡単なのに対し、力が加わって閉まった状態から開くのは容易ではないからです。
呼気の際も、口腔と鼻腔の両方を閉めずに通しておく方が望ましいと言えます。

なお、慢性鼻炎などで鼻の通りを良くするのが難しい人は、鼻腔の活用が困難になってしまいますが、その場合はもう仕方ありません。
割り切って口呼吸に撤するか、すぐに治療を始めるか、どちらかを選びましょう。

と言っても、鼻呼吸ができなければ絶望的に不利になる、ということはありません。
鼻呼吸をする意義は主に鼻腔・頭部共鳴のための空間をつくることにあり、高域の響きの付加を除けば、できなくてもそこまで不利になることはありません。
口呼吸の方が空気の交換効率が良く、喉頭などの感覚を得て喉の状態をコントロールするのにも向いています。誰でも行えるこちらの方が(こちらが絡む要素の方が)、響きの良し悪しに影響すると思われます。

なお、慢性鼻炎になどによる鼻づまりには、炎症を抑える薬や、鼻の血管を収縮させて通りを良くする点鼻薬などで対応できるので、使ったことのない方はぜひ試してみてください。だいぶよくなります。


息の出入り口に関する説明は以上です。

ここからは、横隔膜呼吸の具体的な方法について、胴体の筋肉の使い方を中心に説明していくことにします。



(3)吸気


横隔膜呼吸で空気を取り込む動作について、具体的な方法を説明します。


基本的な流れは、
まず

[a]外郭

の動きを整え、空気を自然に流れ込ませた上で、
体内の空間に空気が通る感覚を頼りに

[b]気道

の状態を調整していく、
というものになります。


[a]外郭

体の表面(に近い部分)の筋肉を垂直下に引き下げるイメージで動かし、横隔膜を下げます。
まずは息が深く入る状態を作り、気道の通りを良くする[b]の段階に備えます。
ここでは、以下のような手順を踏むのがいいでしょう。


・背中側の正中線(体の真ん中を通るライン)を意識する。

・正中線の根元のほうにある尾てい骨を意識する。

・尾てい骨の部分から正中線(つまり背骨)をつかみ引き下げる、というようなイメージで、腰まわりの筋肉、続けて背中の筋肉を引き下げる。
この際、胴体の筋肉は水平方向に締めない。
内側の空間をゆったり保ったまま、外郭を垂直下に引き下げる。

・「尾てい骨を始点に、正中線に沿って筋肉を下げる」動きができると、
空気が胴体の根元から地面に向かって通り抜けていくイメージが生まれる。
胴体底面の筋肉を内側に向かって締め付けたりせず、力を抜いて開いておくようにすると、空気の通り抜ける量が増すイメージが得られる。

・「空気が真下に通り抜けていく」イメージが、下方向へ向かう力をコントロールするにあたってのガイドラインになる。
この「通り抜ける」感覚を損わず、下方向から別の方向にブレさせないようにすることができれば、どんな音域を動き回っても響きがブレない状態を保つことができる。

・腹側についても、背中側と同じように正中線に沿って引き下げる。

・正中線の近くの背筋・腹筋も、正中線に沿って真下に引き下げる。
それができたら、胴体の両側面の筋肉も、同じように真下に引き下げる。

・以上の動きにより、胴体の根元の筋肉を十分に下げることができ、息を十分深く取り込むことができるようになる。
はじめはうまくできなくても、意識して繰り返し続けているうちに体が慣れ、しばらくすれば無意識的にこなせるようになる。
垂直下に下げる・水平には締めないという意識を徹底するのが大事。


以上の流れを踏んで練習すれば、深い呼吸を自然に定着させることができます。
いきなり全てできるようになる必要はありません。
一度に全ての段階を意識しようとすると、必ずどこかがおろそかになります。
まずは
「正中線に沿って下方向に差し込む」
感覚を定着させることから始めましょう。
これだけでも深く安定した響きを獲得することができます。
10分で実力が(やっていなかったときに比べ)数十倍に増す方法です。
ぜひともお試しください。

なお、それぞれの過程について、簡単に説明を加えておきます。
理解を深めたい方はご参照ください。


・正中線の意識
:この正中線に沿ったところに背骨があります。

・正中線に沿って筋肉を引き下げる
:「下から引き下げる」ほうが好ましいのですが(理由は(1)を参照)、慣れないうちは、「背骨の根元を尾てい骨に差し込む」ような「押し下げる」イメージでもいいでしょう。
この動きにより、横隔膜(の一部)を十分下げて息の入る部分の最深部を十分深くすることができるのですが、それだけでなく、喉頭を下げて安定させ、原音の共鳴効率を飛躍的に高めることもできます。
喉頭のコントロールについては④で詳しくふれます。)
呼吸が深くなり、しかも喉頭の位置も下がることによって、声の低域の部分が広がり、(下方向への)抜けがよくなります。
この動作を身に付けるだけで、自分の声、ひいてはバンド全体のサウンドの豊かさおよび安定感が、それまでとは比べものにならないくらい向上します。

・空気が通り抜けていくイメージ、胴体底面の筋肉の解放
:胴体底面の緊張を抜いておくと、息の入る空間の底面が広がります。
これによって、響きの低域の抜けと広がりがよくなります。

・「空気が真下に通り抜けていく」イメージを貫く
:下方向への動きを貫くことにより、前述した「横隔膜を深く下げる」「喉頭を下げる」効果を無駄なく安定させることができます。

・腹側についても、背中側と同じように正中線に沿って引き下げる
:体の前側後側の中心軸を安定させることで、呼吸が深く安定します。
ここまでの動作により、基礎の中心が打ち込まれた状態になります。
また、響きが低域に向けて完全にすっきり抜けるようになります。

・正中線に沿って周囲も引き下げる
:基礎工事の強化です。中心部(正中線)のまわりも十分に下げることで、土台の部分が完成します。
胴体の全周囲の筋肉が協調して下がるようになると、
腰から下の筋肉が「輪になって」連動して下がる感覚が得られます。
この「輪」の感覚を、水平方向に締めてせばめたりせずに確保することで、息を送り出す呼気の部分でも安定して深い響きを保てるようになります。


以上のように意識し動くことにより、[a]外郭の確保を徹底することができます。

こうした動きが定着すると、胴体の根元を扱うだけで深い呼吸ができるようになる、ということを体が覚えます。
胸に力をかけなくても深い呼吸ができ、ノドに力をかけなくても豊かな響きを生み出せるようになるので、胸やノドに力をかける必要はないということを体が覚えるわけです。
その結果、胸やノドにかかる力が自然になくなっていきます。
胴体の根元「だけ」に意識を集中し、体の上の部分を全く意識しない、という習慣をつけることで、体にしみついていた悪いクセが抜け、緊張が消えていくのです。
緊張を意識しすぎてそれにとらわれるのではなく、有意義な一点にのみ集中する。そうすることで、いつのまにか緊張を忘れてしまう。
脱力が十分できた体を作るためにも、上記の方法は非常に有意義なものだと言えます。


さて、このような基本の体作りを仕上げた上で、内部の空間、すなわち空気の通り道(気道)を動かすと、響きのできる空間を精密に調整していくことができます。
こうしたことを扱うのが[b]の段階です。


[b]気道

外郭の筋肉をコントロールすることにより、息が深く入る空間を大雑把に確保する。というのが[a]の作業です。
いわば材木の切り出しの段階である[a]の段階を土台にして、そこに彫刻を施し細かい表情をつけていく。また、それぞれのパーツのつながりをよくして、互いにうまく機能しあうようにする。[b]の作業の意義はそういったところにあります。

響きのボリュームを増やし帯域を広げる[a]の段階だけでは、繊細で豊かなニュアンスを表現することはできません。表現力をどれだけ発揮できるかは、風通しをよくして共鳴効率を高める[b]の段階がどこまで出来るかにかかっています。

ただし、[b]の段階は[a]の段階よりもかなり微妙な力加減が要求されるので、[a]をとばして無理にやるべきではありません。
[a]の意識を十分に定着させ、体にかかる緊張がなくなってきた状態になってからでないと、微妙な力加減をコントロールすることができないので、[b]の段階をうまく掘り下げることができないのです。

手順をひとつひとつ踏むのは遠回りであるようにも思えますが、実は地道なやり方がこそが最も効率の良い方法になります。
[a]が定着するまでは、ここは参考に読み流すくらいで大丈夫です。


さて、気道の通りをよくする作業ですが、
これは[a]の段階で得られる「息が入っている」空間感覚を、ひとつひとつうまくつなげていく作業だと言えます。

胴体の底やヘソのあたり、みぞおち付近やノド元、鼻の根元や頭の空間など、[a]の動作をするだけでも空間ができるように感じられる場所がいくつかあります。
そうした場所を連結する(つながりを良くする)ことで、響きの通りが飛躍的によくなるのです。
これは、喉頭で出来る「響きの芯」(解説①でふれたクリアな音質)を広げ行き渡らせていくために必要な作業でもあります。
共鳴効率を高め、クリアで豊かな響きを生み出すためにも、空間の連結を考えるのはとても重要です。


それでは、連結のポイントとして特に重要(有意義)になる場所と、そこの通りをよくするための方法について、簡単にふれておきます。


・胴体の根元
(空気が真下に抜けるイメージ)
(胴体の根元の筋肉を差し込み引き下げる)

・下腹部あたりの周囲全体
(もちろん背中が重要)
(腰まわりの筋肉を内側からめくるように引き下げ、腹のあたりの空間と根元の穴とをつなげるイメージ)

・みぞおちの下の数cmくらい
(正中線:もちろん背中も)
(そのあたりのラインを軽く押さえて引き下げてやると、喉頭の連結が良くなり、響きの芯が一気に豊かになる)

・首の根元
(アゴを真下に垂らすイメージでちょうどいい位置に保ち、ノドまわりの力を抜くことで、首のつけ根付近の空間が広がりつながる)
(響きの芯のボリュームを増すにあたって重要)

・鼻の根元から首の後ろ側のライン
(そのあたりの空間の通りをよくするイメージにより、喉頭蓋が開き、響きの芯と高域との連結が良くなる)

・鼻の中から頭頂部
(鼻の通りをよくし、さらに頭頂部にむかってまっすぐ空間が開くイメージを持つことで、高域の抜けが完璧によくなる)


こうした部分のコントロールをするときは、吸気の際に息の入る感覚だけでなく、呼気の際に実際に声を出してできる響きがどうなっているか、という「音の状態」を頼りに考えるのが重要です。
筋肉の動きよりも音の状態のほうが把握しやすく、しかも誤解を招きにくいので、
声をコントロールする際には
「響きの状態から体の状態を診断する」
ほうがうまくいくのです。

このように、[b]に関しては、息の出入りだけでなく響きのでき方に関わる部分も多いので、ここではあまり掘り下げた説明はしないでおきます。
④項以降で共鳴を取り扱う際に、随時ふれていきたいと思います。


息を取り込み声を出す準備をする段階に関しての説明は以上です。

これをふまえて、息を出し声にする動作(発声)のうちの「息を出す」部分のみについて、簡単にふれておきたいと思います。
(声をつくる動作については、④以降で詳しく説明します。)



(4)呼気


横隔膜にかけた力をゆるめ、息を解放する段階です。

ここでの筋肉の動かし方は、実は吸気のときとほとんど同じです。
胴体の筋肉を下げ、息(と響き)の方向を真下に一本化する、というイメージを続けて持つことができれば、
吸気の際に準備した空間を損わず、そこで声を豊かに響かせることができます。

〈息の出入りするしくみ〉でふれたように、下がっていた横隔膜が戻れば胸郭がしぼみ、肺の容積が減るので、それに応じて空気は自然に出ていきます。
引き下げていた筋肉の力を緩めれば横隔膜にかかる力も少なくなるため、横隔膜は勝手に上の方に戻ります。
つまり、引き下げていた筋肉の力を緩めれば、それに応じて空気が外に出ていくのです。
上向きに力を加える必要はありません。

従って、外郭の呼吸筋に関しては、息を出す際には力を抜けばいいということになります。

しかし、だからと言って、呼気の際は吸気の際よりも体にかける力の総量が少なくて済むのかというと、どうもそうとは言い切れません。

息が出る際は、通り道の空間に息による圧力が加わります。
従って、通り道の空間をもとの状態に保つことができなければ、響く空間が狭くなってしまいます。
そのため、呼気の際も響く空間を広く保ちたいのであれば、息が加える圧力に拮抗する力が新たに必要になります。
この際、息は肺から頭の方に向けて上向きに昇っていくので、拮抗する力の方向は当然下向きであるべきです。
従って、共鳴腔の型を維持するためには、吸気の際にはかけていなかった(下向きの)力を筋肉にかけなければならなくなります。


つまり、呼気の際には、

・引き下げていた呼吸筋の一部に力をかけるのをやめる

・気道(=共鳴腔)の形を保つべく、呼気圧に拮抗する力を新たに筋肉に加える

必要があるわけです。

(あくまで推測の域を出ませんが、横隔膜の部位には共鳴腔の形に影響を与えるところとそうでないところがあり、影響を与えないところだけ戻して息を出し、影響を与えるところは下向きに保持し続けるようにすれば、呼気を出しながら深い響きを保つことができる。というふうに考えることはできます。)


このとき、どこの力を抜いてどこに力を加えればいいのか、ということを具体的に説明することは困難です。
(3)のおわりに述べたように、実際にどういう響きが出るか聴きながら、ここの筋肉をこう動かせばこういうふうに響きがよくなる、という対応関係を探っていくしかありません。

と言っても、(3)で述べたような「筋肉を引き下げる」動きができるようになれば、響きを良く保ちながら呼気をコントロールするのはそこまで難しくありません。
「引き下げる」動作を強くするだけでも響きは深く豊かになりますし、
空気が通る感覚が得られれば、そのまわりに共鳴腔があるわけですから、空気が通ると感じられる場所のまわりに焦点を絞って「下げる」動作をするのも有効です。
「尾てい骨に差し込む」ような、正中線・背骨ラインのイメージも役に立ちます。
(3)でふれた「引き下げる」動きをベースに、響きを聴きながら力加減を探っていただけるのがいいと思います。


このように、力加減こそ微妙に異なりますが、力をかける方向や基本的な考え方自体は、呼気も吸気とだいたい同じものになります。
息の量を増やしすぎて気道に圧力をかけすぎることのないよう、息を必要十分に使うように気をつけてさえいれば大丈夫です。


横隔膜呼吸の具体的なやり方はとりあえず以上です。
ここまででふれていないことに関しては、④項以降で、共鳴の話などと絡めてすることにします。


(5)声を出す前にしておくべきこと


〈呼吸に注目する意義〉でふれたように、
呼吸とは、響く空間を準備しておく作業でもあります。

ここまで説明してきた方法を利用すれば、響く空間を広く確保することはだいたいできるようになるのですが、
些細ながら有用なコツとして、ちょっとした注意をすることで響く空間にかかる緊張を減らせる方法があります。

横隔膜呼吸の話のまとめとして、簡単にふれておきたいと思います。


・毎回の息継ぎで、必ず一番深いところまで息を取り込む

呼気の際に息を取り込むことはできませんから、
吸気の際に息を取り込めている空間の深さがすなわち響く空間の深さになります。
従って、毎回の吸気の際にきっちり息を取り込んでおかないと、響く空間が浅くなってしまいます。
逆に、これができていれば、安定して深い響きを保つことができますし、空間を広くとれているぶん体に負担がかかりにくくなり、歌い続けていても疲れにくい体になれます。


・取り込む空気の量はほどほどに

空気の入り込む空間さえ深くとれていれば、取り込む量を必要以上に多くする必要はありません。
無理やりたくさん取り込もうとすると、肋間筋の働きによる胸式呼吸の助けをかりることになり、不要な緊張がかかります。
息継ぎに余裕のあるときはともかく、余裕がないときは、次に歌うフレーズに必要な程度の量を取り込むことができれば十分です。

(空気が入りきるのには時間がかかるので、広げた瞬間に空間が空気で満たされるわけではありません。
空間はしっかり広げますが、息が入りきるのを待たず、必要な量が入った時点で取り込むのを止め、呼気に切り替える。ということです。)


・歌いはじめの音や響きを想定し、そのための空間の形をあらかじめ用意してから声を出す

たとえば、「う」で始まる歌詞を歌うのに、呼気を出し始めたときのノドの形は「い」になっている、という場合、呼気の圧力が加わった状態でノドの形を変えなければならないので、緊張がかかりやすくなり、響く空間がせばまってしまいます。

しかし、呼気を出す前に目的の音のための形を用意しておけば、圧力がかからない状態で楽々準備できる上に、新たに無理な緊張をかける危険もほとんどなくなります。


繰り返しになりますが、
呼吸、特に吸気のあいだは、響く空間を最も楽に確保できる段階です。
ここを有効活用するよう気を付けることで、緊張を排除し効率の良い動きをすることができます。


呼吸を意識すれば、歌の基礎体力を格段に高めることができます。
参考にしていただければ幸いです。




〈その他関連項目〉

呼吸の項で扱うべき他の事項について、簡単にふれておきます。


・呼気の量はほどほどに

声を出す際は、呼気の量はほどほどにすべきです。

声を出す際は、声帯を閉じ合わせたところに呼気をあて、そこを通る気流から音をつくります。従って、呼気の量が適切な範囲内にあれば、その量が多ければ多いほど気流の量も多くなるので、大きな音量・響きが生まれます。

しかし、声帯を閉じ合わせた部分に過剰に多くの呼気をぶつけると、閉じ合わせた部分が一度に全ての呼気を通すことができず、息の流れの一部を止めてしまうので、呼気の量に見合った気流が得られなくなります。つまり、呼気の量を過剰に増やしても、それほど大きな音量・響きが得られないということになります。
また、声帯や周囲の共鳴腔に過剰な圧力がかかり、筋肉を滑らかにコントロールできなくなってしまうので、音程を自在に動かすことができなくなる上に、硬く広がりのない響きしか作れない状態になってしまいます。

呼気量を適切な範囲にとどめれば、声帯や響く空間に緊張をかけすぎず、ゆったり使いこなすことができます。従って、音程をコントロールしやすくなる上に、豊かで広がりのある響きを生みやすくなります。
(呼気の過入力により生まれる響きが硬くうるさい印象を与えるのに対し、適切な呼気量と脱力のできた体から生み出される響きは、どれだけ音量を上げてもうるさくない、豊かで柔らかい印象を与えます。)
つまり、無理して息を押し出そうとするのではなく、ほどほどに力を抜いてゆったり響かせてあげた方が、豊かで広がりのある、量感のある音を出すことができるというわけです。


この「適切な」呼気量の大きさは、空気の通り道として確保できている空間の広さに対応します。
(器が大きくなければ注ぎ込める量も限られてしまうということと同じです。)従って、呼気の量を増やす際は、予めそれを十分受け入れられるだけの空間を用意しておく必要があります。
余計な力を入れずに深く息を取り込み、気道の連結をよくした上で、一度に大量の息を出さず、(加減がわからないうちは)ほどよく抑えた量から少しずつ増やしていく。という手順を踏むべきです。


呼気の量を抑えると、体にかかる緊張を減らすことができます。従って、適切な呼気量を意識することができれば、うまく脱力できる体を少しずつ作っていくことができます。
歌う時に疲れてしまいやすいという方は、
(吸気が浅いため空間を広くとれず、その狭い空間で響かせようと頑張っていたり、ノドまわりに力をかけるクセがあって声帯に疲労がたまりやすい、ということだけでなく)
無理に呼気を強くしてしまっている可能性があります。
そこに気を付ければ、呼気の量を減らすだけで体にかかる負担を減らすことができ、疲れにくい体を作っていくことができます。
そうなれば、繊細な力加減をコントロールする余裕ができるので、歌が自然にうまくなっていきます。


呼気の量を適量に抑えることは、体を良い状態に保つためにも、聴き手に受け入れられやすい表現力を生むためにも、とても重要です。


・筋トレは必要か

腹筋や背筋を鍛える特別な筋トレは必要か、という話です。

結論から言えば、必要ありません。

「歌う際の呼吸」においては、筋肉のパワーよりも筋肉間のバランスの方が遥かに重要になります。
そして、筋肉間のバランスがうまくとれていれば、必要な力は極めて小さなもので十分になります。

筋量を頑張って増やすよりも、今ある筋肉をうまくときほぐして使えるようにすることのほうが大事なのです。

筋量が多い方がやや有利なのは確かです。しかし、それを使いこなす技術がなければ、いくら量があっても直接的には何の役にも立ちません。
逆に言えば、筋肉をバランス良く使いこなす技術さえあれば、筋量は最低限必要な程度あれば全く問題ないわけです。

筋トレにこだわるよりもむしろ、ストレッチをきっちりこなして体をほぐした上で、声を出した状態で筋肉をうまく使えるようにしていくことの方が大事です。
そして、そうすることにより、発声に必要な(目に見えない内部にある)筋肉を効率良く鍛えることができます。
つまり、良い響きを研究しながら歌い続けていれば、必要な筋肉は自然に鍛えられる。しかし、そういう意識がなければ、「歌う際に」必要な筋肉はいつまでたっても鍛えられない。ということです。


歌の練習をするにあたっては、こうした結論がわかっていれば十分です。

ここから先の話は、その結論のための理屈付けのようなものです。
興味のある方だけご覧ください。


・良い呼吸とは

「歌う際における」良い呼吸とは、良い響きが得られる呼吸のことです。

それはすなわち、呼吸筋と喉頭筋(声帯と喉頭を操る筋肉)以外の全身が、姿勢を保つのに必要な筋力を除いて完全に脱力している状態です。
必要最小限の力だけが優れたバランスを保ち働いているとき、空気の通る空間が広く確保され、その中で生まれる声の響きが豊かになります。
「良い響き」を求める過程で身に付く「良い呼吸」は、バランスを保ちながら緊張を徹底的に省いた結果得られるものです。

ただし、これはあくまで「歌う際の」呼吸の話です。


良い呼吸のかたちは運動の種類によって異なります。

呼吸筋をうまく使う方法自体はもちろん同じですが、運動の種類に応じて一緒に使われる筋肉が変わります。
下半身の動きがメインになる陸上競技と全身運動である水泳競技とでは当然筋肉の使い方が変わりますし、持続的な筋力が(特に長距離において)要求されるそうした競技と、重量挙げや打撃系の格闘技のように瞬発的に爆発的な力が要求される競技とでは、同じ筋肉であっても使い方が大きく異なります。
運動の種類によって主に使われる筋肉が異なるので、そうした目的の筋肉と、エネルギー産生活動である呼吸を行うために働く呼吸筋とを組み合わせて使う方法は、力のかけ方もバランスも当然異なってくるわけです。

発声以外の運動では、深い呼吸により十分な換気ができてさえいれば、(基本的には声を出す必要がないため)響く空間の状態など気にする必要は全くありません。
強い腕力を生み出すために胸筋が激しく動き、胸まわりが締め付けられて共鳴腔の状態がブレてしまっても、ほとんど問題がないわけです。
従って、呼吸をする際も、換気のしやすさはともかく、共鳴腔の微妙な形まで考慮する必要はありません。

しかし、歌を歌うという動作、つまり発声においては、声帯の操作に用いられる喉頭筋に加え、響く空間のコントロールに大きく関わる呼吸筋そのものが動作の目的になります。
走ったり持ち上げたりするような動作は(ダンスしながら歌う場合を除き)一切する必要がなく、そのかわり呼吸そのものを(他の運動とは比べものにならないレベルで)精密にコントロールする必要があります。
つまり、発声とその他の運動とでは、要求される(または、こだわることが許される)呼吸の質やレベルが全く異なるわけです。
(他の運動では、しっかり換気できる深い呼吸さえできるようになれば、そこにそれ以上こだわるべきではなく、他の筋肉の扱い方を突き詰める必要があります。)


また、筋肉のコントロールを支配する神経の働きも、発声とそれ以外の運動とでは大きく異なります。

体の活動を調節する自律神経系は交感神経と副交感神経からなり、その両者が同時に拮抗的に働きあい、バランスが調節されます。
前者は身体的活動が活発な時など緊張の度合が強い時に優位に働き、逆に後者はあまり緊張がないリラックスした状態で優位に働きます。
普通の運動においてはエネルギー産生を促進する交感神経の働きが特に重要なので、これが優位になる適度な緊張状態が歓迎されます。
これに対し、発声においては、もちろん交感神経の働きも重要なのですが(気管を広げて換気量を増やす働きがある)、それ以上に副交感神経の働きが重要になります。
声帯を動かす喉頭筋など、発声の主な働きを担う筋肉は、副交感神経の一種である迷走神経によりコントロールされるからです。

つまり、基本的に緊張した状態が要求される普通の運動とは異なり、発声においては(最小限の緊張は必要ですが)むしろリラックスした状態が要求されるのです。


以上のように、発声においては、他の運動とは異なる筋肉を異なるレベルで使うリラックスした状態が求められます。
従って、発声に必要な筋肉とその使い方は、究極的には、発声以外の運動では鍛えることができないということになります。

上で「筋トレは必要でない」とした理由もここにあります。
腹筋や背筋の筋量を増やすトレーニングをしていても、そこに深い呼吸が伴っていなければ、筋肉の上手い使い方は身に付きません。
そもそも、そうした筋トレで鍛えられる筋肉が呼吸の際に使われる筋肉と同じだという保証もありません。
結局のところ、常日頃から(毎回の呼吸で)深い呼吸ができるように試行錯誤し続けるのが、呼吸に使われる筋肉を直接鍛えることができるという意味でもベストなわけです。
(その際は、緊張がかかって固くなってしまわないよう、ラジオ体操程度でもいいので、ストレッチを行い、下半身・胴体下部・首まわりの筋肉をほぐしておくべきです。)


そして、そうした「良い呼吸」ができているか否かを判定する基準は、響く空間の状態を反映している「良い響き」そのものになります。
すでに何度か述べているように、声の響きには全身の筋肉の状態がそのまま反映されます。
逆に言えば、声の響きを聴くことで体の状態を診断できるわけですから、良い響きを求めて体の動かし方を考えていけば、自然に良い呼吸ができるようになるというわけです。

響きに注目しながら徹底的に脱力し、楽に歌える体を作る。
これがうまく歌えるようになるための最大の方法です。




呼吸の話はとりあえずこれで終わりです。

声を出す前の段階なので、おろそかにしていたり全く意識していなかったりする人が大変多い部分なのですが、
実は声の質を決定的に決めてしまう、最も重要な要素のひとつです。
歌の基礎体力ともいえる呼吸の技術をみがいていけば、歌の技術全般が飛躍的に向上します。

皆様の(根本的な)成長に役立てていただければ幸いです。


それでは、ここからは、こうした呼吸の技術をふまえて実際に声を出し、それをコントロールしていく段階に入ります。


④声帯と喉頭のコントロール


(また時間がある時に書きたいと思います)