不協和音エクストリームメタルのすすめ(An Introduction to Dissonant Death Metal and Others)

 

 本稿は、“Dissonant Death Metal”(不協和音デスメタル)という括りで近年広く認知されるようになってきた先鋭的なメタルの系譜およびその周辺(デスメタルに限らない)を俯瞰的にまとめたものである。こちらの記事でもふれたように、80年代末から90年代頭にかけて下地が築かれた“テクニカルスラッシュメタル”や“プログレッシヴデスメタル”などのシーンでは、定型化した以降のフュージョンなどが持て余していた高度な楽理や演奏技術に表現上の説得力を持たせた個性的な音楽が追求され、様々な形で素晴らしい成果が生み出されてきたのだが、それらを系統立てて語る言説は十分に確立されているとは言い難い。歴史的名盤であっても一般に知られていないものが殆どだし、この領域をそれなりに知る者でも、最初期のレジェンドの名前(DeathやCynic、Gorgutsなど)のみを挙げて新しいバンドの音楽性や影響関係を云々していることが非常に多い。初期デスメタル(Old School Death Metal=OSDM)リバイバルやプログデスといった系譜で括るのが適当でない領域が拡大し続けているにもかかわらず、それを語る批評の観点や表現がいつまでも更新されずにいるのは好ましいことではなく、活発に新陳代謝を繰り返すシーンの実情とその認知状況との乖離がどんどん大きくなっていってしまう。そうしたことを踏まえた上で、この記事は、上記のようなシーンの現状を把握するための見取り図を描くことを目的としている。不十分な部分も少なからずあるだろうし、これを叩き台としてさらに充実した論を構築していただけると幸いである。

 

 

 

参考記事:

 

closedeyevisuals.hatenablog.com

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【まずはここから】本流を把握するための10枚

 

 

Gorguts:Obscura(1998)

 

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 このジャンルにおける最重要アルバム。ペンデレツキやショスタコーヴィチなど無調寄り近現代音楽の要素をテクニカルデスメタルの形式に落とし込んだ大傑作で、奇怪なフレーズやコード感に異常な必然性と説得力を持たせる作編曲が素晴らしい。演奏表現力もサウンドプロダクションも極上で、複雑な構造を細部まで快適に見通すことができることもあってか、デスメタル領域のみならず現代ジャズ(Dan Weissほか)など様々な方面に絶大な影響を与えている。実は1993年には殆ど完成しており(デモ音源集『...And Then Comes Lividity / Demo Anthology』で聴くことができる)、1998年の発表当時ですら時代の数歩先を行っていた(異形すぎる音楽性を歓迎しない反応がデスメタルファンの中にも多かった)このアルバムが順調にリリースされていたら音楽史はどんなふうに変わったのだろうか、と考えさせられてしまったりもする。メタルの歴史において最も魅力的な謎に満ちた作品の一つである。

 

 

 

Immolation:Close to a World Below(2000)

 

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 Immolationは初期デスメタルを代表するバンドの一つで、曲構成(特にコード進行)の抽象化傾向を先導する歴史的傑作を数多く発表してきた。本作は第2のキャリアハイとなった名盤で、後発組であるGorgutsなどの和声感覚を通過した上で独自の音楽性をさらに発展。激しさをあえて抑えたリズム構成や演奏表現も相まって、真似しようのない極上の旨みが生まれている。「不協和音デスメタル」というジャンル名で括られうるものの中では最も聴きやすいアルバムの一つだと思われるし、これを入門編とするのもいいかもしれない。

 

 

 

Today Is The Day:Sadness Will Prevail(2002)

 

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 Today Is The Dayは豊かすぎる音楽性もあってかジャンルの狭間に落ち込んでしまい十分な評価を受ける機会を逃してきたバンドである。DeathやSlayer、Morbid Angelといったスラッシュメタル~初期デスメタルを主な影響源とする一方で、MelvinsやButthole Surfers、UnsaneやThe Jesus Lizardといったハードコア寄りの越境的バンドからも多くを得ており、一言で表すのは殆ど不可能な広がりがある。本作はそうした音楽性を2時間半弱の大ボリュームに詰め込んだ代表作で、デスメタルからカオティックなハードコア経由で優美な初期ポストロックに接続するような混沌ぶりが凄まじい。アルバム全体としての構成はあまり解きほぐされておらず、その点においては欠陥の多い作品と見れなくもないのだが、その歪な形状自体が優れた表現力を生んでいる面も確かにあり、良くも悪くも唯一無二の魅力を湛えた傑作になっている。後続への影響力も絶大。メタル界最大のデータベースサイトMetal Archivesに登録を拒否されているのが信じられない重要バンドである。

 

 

 

Ulcerate:Everything Is Fire(2009)

 

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 現代の“不協和音デスメタル”を代表するバンド。ImmolationやGorguts、Today Is The Dayらの影響を消化し独自の個性を確立した作編曲は壮大な交響曲のようであり(インタビューによれば、よく比較されるDeathspell Omegaからの影響はないとのこと)、現代ジャズ方面の語法を取り込みテクニカルデスメタルの形式を発展させた演奏は超絶技巧を無駄打ちしない必然性に満ちている。本作はバンドの音楽性が最初の完成をみせた2ndフルで、以降の傑作群と並べても見劣りしない(今なお最高作の一つとされる)充実の内容になっている。作品を発表するたびに影響力が増す現代最強バンドの一つである。

 

 

 

Deathspell Omega:Paracletus(2010)

 

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 Deathspell Omegaはブラックメタルの領域における歴史的名バンドであり、日本では2004年の『Si Monvmentvm Reqvires, Circvumspice』(ハイライトとなる大曲で滝廉太郎「荒城の月」の荘厳な合唱が入る)が大きな話題を呼んだことからそのあたりのイメージを引きずっている人も多い。しかし、続く2005年の『kenose』でそれまでの定型的ブラックメタル寄り音進行(19世紀クラシック音楽に通じる素直な展開が主)に不穏な響きを加え始めたあたりから路線転換がなされていき、2010年発表の本作『Paracletus』では上記の4バンドと並べても違和感のない“不協和音デスメタル”的なスタイルが確立された。ライヴもインタビューも殆ど行わない覆面バンドなので音楽的バックグラウンドも謎な部分が多いのだが、ConvergeやThe Dillinger Escape Planをはじめとするカオティックハードコア(これは日本での通称で英語圏では一般にMetalcoreとかMathcoreといわれる)とデスメタルの間にあるような独特の質感や曲展開もあわせ、独自の非常に優れた音楽性を築き上げている。メンバー(と目されている人物)にはネオナチ疑惑があり、シーン内での批判も多く手放しで持ち上げることはできないのだが、作品の魅力や実際に及ぼしてきた影響の大きさを否定することは難しい。好んで聴くかどうかはともかく非常に重要な役割を担ってきたことは認めざるを得ないし、不協和音デスメタル的な音楽性の作品を語る際に比較対象として挙げられることが非常に多い(そしてそれは誤っていることも多い)バンドでもある。

 

DsOの影響力についてはこちらの記事が参考になる:

DIES IRAE:Deathspell Omegaに似てるバンド・アルバム集 (livedoor.jp)

 

 

 

Gorguts:Colored Sands(2013)

 

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 2005年に一度活動停止、体制を刷新した上での復活作。2010年代以降のこのシーンにおける歴史的名盤である。交響曲的な作編曲の強度は『Obscura』および次作『From Wisdom to Hate』より数段上、演奏と音響の練度も驚異的(2014年7月の来日公演でも信じられないくらい素晴らしい出音&PAを聴かせてくれた)。それに加えて重要なのがメンバーの人脈で、現在も在籍するColin Marston(KralliceやDysrhythmiaなど多数)とKevin Hufnagel(DysrhythmiaやVauraなど)、2014年に脱退するJohn Longstreth(Hate Eternal, Origin)、そして絶対的リーダーLuc Lemayという布陣は、初期デスメタルからブルータルデスメタルを経由しNYの越境的アンダーグラウンドメタルに繋がる歴史を総覧し接続するものでもある。現代の“不協和音デスメタル”を象徴する最重要アルバム。

 

 

 

Portal:Vexovoid(2013)

 

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 Portalはメタルという形式の上での抽象表現を突き詰めたようなバンドである。出発点は確かにImmolationやIncantationのような“リチュアル系”荘厳儀式デスメタルなのだが、作品を重ねるほどに唯一無二の境地を拓き続け、似たようなスタイルを選ぶことはできるが同じ味は出せないというポジションを確立してきた。慣れないと音程を聴き取ることも難しい暗黒音響もさることながら、最も個性的なところは「どうしてそんな展開をするのか何度聴いてもよくわからない」曲構成だろう。コード感的にはGorguts系の無調的なものではなく、19世紀末クラシック音楽あたりの比較的わかりやすい響きが主なのだが、フレーズの並びというか起承転結の作り方が不可解で、ある種のドラマ(およびその傾向)は確かに存在するのだが一体どこに連れていかれるのかわからない印象が付きまとう。そう考えると、例えばラヴクラフト的な荘厳&理不尽の表現(顔の見えないローブをまとう儀式的なライヴパフォーマンスもそれに通じる)としては至適なものに思え、コネクトしやすい部分も備えつつ総合的には全く手に負えないというこの按配こそが肝なのではないかという(くらいのところに留まらざるを得ない)納得感が得られる。本作は代表作として挙げられることが多い4thフルで、スタイルというか表現の方向性自体は2003年の1stフルの時点で概ね固まってはいる。どれを聴いても似たような具合によくわからない、しかし各々で描かれる気分や情景は確かに異なっている、という積み重ねも凄まじい。大きな影響力を発揮しつつ余人の追随を許さない重要バンドである。

 

 

 

Blood Incantation『Starspawn』2016

 

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 Blood Incantationは昨今の初期デスメタル(Old School Death Metal=OSDM)リバイバルにおける代表的なバンドである。1stフルである本作はTimeghoulとImmolationの美味しい所をMorbid Angel経由で混ぜ合わせたような音楽性で、不協和音をキャッチーに聴かせる作編曲の良さや、生々しいヨレや揺らぎを魅力的に聴かせる演奏および録音など、OSDMのエッセンス(特にコズミックデスメタル)を現代的に料理する巧みな仕事により2016年を代表するデスメタルアルバムとして多方面から高い評価を得た。このバンドはメンバーの兼任バンドも非常に重要で、diSEMBOWELMENT路線の昇華が見事なSpectral Voice、フィンランドデスメタルの再構築が素晴らしいBlack Curseなど、シーン最重要バンドの多くが数珠つなぎ状に連関している(その2つのバンドの要素も本作に含まれ豊かさを増している)。

2019年の2ndフルは中期DeathやMorbid Angelの要素を増しつつDemilichオマージュ(同バンドのリーダーAntti Bomanがゲスト参加)をするなど、ここ数年のOSDMリバイバルをある意味総括する内容になったが、PitchforkのBest New Music(その週の最高評価)として8.3点を獲得、年間ベストでも41位(メタルは本作のみ)にランクインしたりと、ジャンル外からも熱い注目を浴びることとなった。その理由はよくわからないのだが(1stフルの高評価を受けて「この作品を押さえておけば専門外ジャンルの地下シーンも分かってることが示せてセンス良く見える」的な枠に入れられた感もある)、それに見合った内容や文脈的価値を備えた作品ではある。こうした面においても非常に重要なバンドである。

 

 

 

Pyrrhon:What Passes for Survival(2017)

 

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 Pyrrhonは作品のクオリティ的にも人脈的にも“不協和音デスメタル”の先端部を代表するバンドである。Gorgutsにヘヴィ・ジャンク的な質感やグラインドコア流フリーミュージック的な展開(即興から構築されるアンサンブルも含まれる)を加えフォーク~アメリカーナ的な仄暗い豊穣に潜っていくような音楽性は、Swansに代表されるニューヨークならではの文化の坩堝的特質を継承するものだし、Today Is The Dayの混沌を損なわずデスメタル形式に完璧に落とし込んだような趣もある。SeputusやImperial Triumphantといった強力なバンドとの人脈的接続(または重複)も重要で、現代ジャズなどジャンル外の様々な領域に繋がる窓口にもなっている。このシーンの結節点・羅針盤としても外せないバンドである。

 

 

 

Krallice:Mass Cathexis(2020)

 

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 Kralliceは初期の“ポストブラックメタル”的な音楽性で知られるが、一時期以降はそこを脱し、地下メタルのエッセンスを巧みに掛け合わせ新たなものを生み出す活動を続けてきた。本作はその集大成とも言える傑作で、TimeghoulやNocturnusが土台を築き上げBlood Incantationが昇華させたことにより脚光を浴びるようになったコズミックデスメタル、EmperorやLimbonic Artに連なる宇宙的なシンフォニックブラックメタル、Ved Buens Ende...や一時期以降のDodheimsgardに連なる現代音楽~フリージャズ寄りのアヴァンギャルドブラックメタル、Gorgutsの系譜にある不協和音デスメタル、そしてそれら全てに大きな影響を与えたVoivodなど、様々なスタイルおよび文脈がこのバンドにしか成し得ない形で魅力的に統合されている。Colin Marston(Gorgutsのメンバーであり、近年のテクニカル系デスメタル作品の多くに関与する名エンジニアでもある)をはじめとしたメンバーの膨大な関連プロジェクトも鑑みれば、Kralliceは音楽的達成の面においても人脈の面においても現代メタル最重要グループの一つと言っても過言ではない。このシーンを掘り下げる際は必ず注目しなければならないバンドである。

 

 

 

 

 

【ルーツ】背景理解を助けてくれる20枚

 

 

Swans:Filth(1983)

 

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 ヘヴィな音楽の歴史において最も重要なバンドの一つ。ポストパンク~ノーウェーヴの無調的コード感をさらに推し進めた音進行(または反復)感覚、グラインドコアに繋がる重苦しいジャンク音響、それらに表現上の必然性を与える殺伐とした雰囲気など、同時代以降の音楽に与えた衝撃は測り知れないものがあるし、“不協和音デスメタル”周辺のバンドも間接的または直接的に大きな影響を受けている。ニューヨークの越境的な地下シーンを紐解くにあたっても外せない存在である。

 

 

 

G.I.S.M.:DETESTation(1983)

 

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 G.I.S.M.は元祖メロディック・デスメタルと言われるくらい流麗な旋律を前面に押し出した音楽性で知られるが、クラシック音楽や歌謡曲に通じるリードフレーズに対しそれを包むコード感はかなり特異で、伝統的ハードロック~ヘヴィメタルやそれに連なるメロデスよりも、和声構造の複雑なデスメタルやSwansなどに通じるところが多い。これはインダストリアル~ノイズからの影響を解きほぐし巧みにまとめ上げたことにより生まれたと思われるもので、それを初期パンク~ハードコア的な流儀のもとで提示するG.I.S.M.の音楽は、様々なヘヴィミュージックが変遷混淆し新たなスタイルを生み出していった80年代初頭における、そうしたもの全てにとっての結節点なのだと言える。世界的に神格化されているだけのことはある(Meshuggahのようなバンドも影響を受けている)歴史的名盤。

 

 

 

Metallica:Master of Puppets(1986)

 

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 本作はスラッシュメタルの代表的名盤として語られることが多いが、メタルの歴史においては交響曲的な作編曲(曲単位でもアルバム単位でも)を確立した記念碑的傑作とみる方がしっくりくる。あまり注目されないけれども重要なのが「The Thing That Should Not Be」で(MeshuggahのMarten Hagstromはこれを「生まれ変わったら書いてみたいこの1曲」に挙げている)、Morbid Angelなどに直接的に通じるコード感覚は“不協和音デスメタル”の系譜にも非常に大きな影響を与えていると思われる(それとラヴクラフト的な歌詞テーマの組み合わせも)。史上最高のメタルアルバムの一つである。

 

 

 

Voivod:Killing Technology(1987)

 

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 “不協和音メタル”という括りを考える際に真っ先に名前が挙がるバンドがVoivodだろう。King Crimsonをはじめとしたプログレッシヴロックの音進行をNWOBHM的なパワーコード感覚で肉付けした音遣いは蠱惑的な魅力に満ちており、7拍子や5拍子を効果的に使いこなすリズム構成もあわせ、本稿に挙げたバンドのほぼ全てが直接的または間接的な影響下にある。本作は独自の大曲志向が最初に確立された傑作で、宇宙的な広がりと土着的な荒々しさを両立する独特の世界観~雰囲気表現は、“Sci-Fiメタル”“コズミックデスメタル”と呼ばれるスタイルの雛型となった。アンダーグラウンドなメタルおよびハードコアの歴史において最も重要なバンドの一つである。

 

 

 

Watchtower:Control And Resistance(1989)

 

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 テクニカルなメタルの世界における金字塔的傑作。Rushに連なるプログレッシヴハードロックの変拍子構成を高速スラッシュメタルに落とし込み、フュージョン(というかジョン・コルトレーンマイケル・ブレッカーの系譜)をより複雑にしたようなコード進行と掛け合わせた音楽性で、Dream Theaterを含む同時代以降のバンドに絶大な影響を与えた。特に素晴らしいのが圧倒的な演奏表現力で、超絶技巧をひけらかし感なく必要十分に使いこなすアンサンブルは、どんな場面でも理屈抜きの生理的快感に満ちている。いわゆるマスコアとは異なるめまぐるしいビートチェンジ(13拍子や44拍子なども滑らかに駆使)はプログレッシヴデスメタルやテクニカルデスメタルの礎となり、その上で超えられない頂点として君臨し続けている。本稿に挙げた全作品の中で最も優れたアルバムの一つである。

 

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Toxik:Think This(1989)

 

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 スラッシュメタルというよりはスピードメタル(NWOBHMを高速化したもので音進行の傾向が異なる)の系譜にあるバンドなのだが、この2ndフルではMahavishnu Orchestra経由でストラヴィンスキーに接続するような入り組んだ音楽性に変化。複雑な構造を極上のリードギター(エディ・ヴァン・ヘイレンやウリ・ジョン・ロートをさらに流麗にした感じ)で彩る作編曲が圧巻で、何度聴いても汲み尽くしきれない妙味に満ちている。メタルの歴史全体を見渡してもトップクラスの実力があるのに一般的にはほとんど無名なのが残念。影響関係を云々するのも難しいオーパーツ的傑作である。

 

 

 

Morbid Angel:Altars of Madness(1989)

 

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 Morbid Angelはデスメタルの世界に最初に複雑なコード感覚を持ち込んだバンドの一つである。19世紀末~20世紀初頭のクラシック音楽(無調になる前あたり)の暗黒浮遊感あふれるコード感をラヴクラフト的な世界観と併せて魅力的に聴かせる作編曲が圧倒的に素晴らしく、ジャンルの立ち上げに関わった古参でありがら今も最強の一角として君臨し続けている。“不協和音デスメタル”の系譜で重要なのは中期の傑作『F』『G』(このバンドのアルバム名はアルファベット順に考案されている)あたりだが、一枚選ぶならやはり『A』だろう。最初期ならではの衝動的な勢いが既に卓越した演奏技術と絶妙に融合し、作編曲もまだ抽象的になりすぎず程よいキャッチーさに満ちている。個人的には“デスメタル”に括られるあらゆる作品の中で最も好きなアルバムの一つ。永遠の名盤である。

 

 

 

Carcass:Symphonies of Sickness(1989)

 

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 初期のCarcassはゴアグラインドの始祖として語られることが多いが、独特の暗黒浮遊感を伴う特殊なコード感覚の面でも後のエクストリームメタル全域に絶大な影響を与えている。この2ndフルは低域に密集した轟音が整理され構造の細部を見通しやすくなってきた時期の作品で、それに対応するかのように曲構成も長尺・複雑化。慣れないと音程を聴き取るのも一苦労だが、ひとたび耳が馴染めば最高級の珍味に没入することができる。グラインドコアや北欧のデスメタルを通過した音楽は多かれ少なかれCarcass的な音進行傾向を血肉化しているし、“不協和音デスメタル”の系譜を読み込むにあたっても無視できない重要なバンドだと思われる。

 

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Pestilence:Consuming Impulse(1989)

 

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 Pestilenceは初期デスメタルからプログレッシヴデスメタルが立ち上がっていく流れを象徴するバンドである。スラッシュメタルの速さを損なわず重く安定させたような最初期の作風に次第に特異なコード感が加わっていき、1994年の解散前から2008年の再結成以降にかけては独自の音進行感覚を完全に確立。他の何かと比較するのが無意味に思われるほど個性的な(初聴では良し悪しを評価するのも難しい)路線を開拓し続けている。本作2ndフルはデスメタルの一般的なスタイルにまだ留まっていた時期に発表した歴史的名盤で、Morbid Angelを少しジャズに寄せたような和声感覚はいわゆるプログレッシヴデスメタルにおける重要な雛型となった。聴きやすさも鑑みれば総合的にはキャリア最高作と言っていいだろう一枚。簡潔的確なプレゼンテーションの大事さを実感させてくれる傑作である。

 

 

 

Obliveon:From This Day Forward(1990)

 

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 本稿に挙げたバンドは一般的にはほぼ無名ではあるものの一定の文脈では極めて高く評価されているものも多いのだが、Obliveonはそうした領域でさえ実力や功績に見合った認知を得ていない不遇の存在である。VoivodやGorguts、Martyrなどを生んだカナダ(特にケベック)のシーンでも屈指の実力者で、作品のクオリティはそれらの傑作群にも勝るとも劣らない。本作1stは最もスラッシュメタル色の強い1枚であり、同郷の伝説的クロスオーバーハードコアバンドDBCをDestructionのような欧州スラッシュメタルに寄せた趣の傑作になっている。Voivodの音進行感覚を数段洗練し暗黒浮遊感を増したような作編曲は唯一無二の個性に満ちており、2000年代に入ってからVektorやNegative Planeといったバンド群がリバイバル的に立ち上げた“Sci-Fiメタル”“コズミックデスメタル”の潮流をより高い完成度で先取りしている感もある。それに加えて重要なのが音楽制作スタッフとしての役割で、ギターのPierre Remillardはエンジニアとしてカナダ周辺バンドの傑作の多くに関与(Cryptopsy、Gorguts、Martyr、Voivodなど)。裏方として大きな信頼と影響力を得ていることが窺える。発表した作品は全て廃盤、各種ストリーミングサービスはおろかBandcampにすら音源が上がっていない現状をみると、十分に知られるのはまだまだ先になりそうなのだが、“テクニカルスラッシュメタル”から“プログレッシヴデスメタル”を経由し“不協和音デスメタル”にも深く関与(Gorgutsの最重要2作にもエンジニアとして参加)するこのバンドが見過ごされたままでいいわけがない。注目される機会を得て適切に評価されてほしいものである。

 

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Atheist:Unquestionable Presence(1991)

 

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 AtheistはDeathやCynicと並ぶ“プログレッシヴデスメタル”黎明期の伝説的名バンドとして挙げられることが多いが、確かに初期デスメタルシーンに所属してはいたもののそれらとはだいぶ毛色が異なるし、現在“プログデス”として認識されるスタイルと直接的には繋がらない音楽性を確立していた。1stフル『Piece of Time』(1989)再発盤のライナーノーツでリーダーのKelly Shaeferが述べているように、成り立ちの基本は「Rush+Slayer+Mercyful Fate」という感じで、そこに様々な音楽要素を溶かし込みながらも形式面では大きく離れない出音は「モードジャズ化したNWOBHM寄りスラッシュメタルを超一流のジャズロックプレイヤーが演奏している」ような趣がある。フュージョンクラシック音楽~現代音楽に学びコード進行的な考え方から楽曲を構築する多くの“不協和音デスメタル”とは異なり、Atheistは転調(広く定着した誤用としてのビートチェンジではなく、tonal centerを変更するキーチェンジ)を繰り返す単旋律リフの積み重ねによって複雑な表情を描く傾向があり、それを支える感覚が特殊で唯一無二のものだということもあってか、同様の味わいをそのまま継承しているものは殆ど見当たらない。それは圧倒的なアンサンブルについても同様で、全パートがシーン屈指の超絶技巧を駆使して命を削るような演奏表現を繰り返すさまは、音楽史における一つの頂点をなしていると言っても過言ではない(特にSteve Flynnの神憑かったドラムスは誰にも真似できない)。以上のようなことを鑑みると、このジャンルの流れを語るにあたっては実は必要でないようにも思われるのだが、80年代までの伝統的なHard Rock / Heavy Metalがスラッシュメタルを経由して90年代以降のエクストリームメタルに繋がる系譜を体現する存在としては極めて重要だし、そこに留まらずメタル史上屈指の成果と言える作品群は広く聴かれるべき価値がある。“プログデス”云々のイメージを越えて高く評価されてほしいバンドである。

 

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Death:Human(1991)

 

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 デスメタルというジャンル全体を代表する名バンドDeathには二つの側面がある。一つは88年2ndフルまでの“初期デスメタル”路線、そしてもう一つは本作4thフル以降の“テクニカルデスメタル”“プログレッシヴデスメタル”路線である。1990年の3rdフルからチャック・シュルディナーのワンマンバンドとなったDeathは作品ごとにメンバーを入れ替えるようになり、本作では界隈を代表する超絶技巧ベーシストであるスティーヴ・ディジョルジオとCynicの2名(ギターのポール・マスヴィダル、ドラムスのショーン・レイナート)を招集。このジャンル全体をみても最も豪華な座組が出来上がることとなった。その3名も深く関与した作編曲は全編素晴らしく、繊細なニュアンスと膨大な手数を美しく両立するレイナートのドラムス(Cryptopsyのフロ・モーニエなど多くの達人を魅了した)をはじめとする歴史的名演もあわせ、後続に絶大な影響を与えている。シュルディナーは独特の和声感覚を持ってはいるもののコード弾きなどのアレンジでそれを具体的に掘り下げることはできなかった(Deathの楽曲は大部分が単旋律のリフから構築されている:その意味において“不協和音デスメタル”に括るのは不適切にも思われる)のだが、本作ではマスヴィダルの貢献もあってか、単旋律主体アレンジからくるモノトーン感とそこから醸し出されるコード感が絶妙なバランスで両立されている。ジャンルの確立を告げる(オリジネーターとしてではなく編集者的な意味での)記念碑的傑作である。

 Deathの項に関連して述べておきたいのが、本作を起点とした“プログレッシヴデスメタル”の語られ方の歪さである。この領域のファンはいわゆるプログメタル(Dream Theaterなどの系譜)を好む一方で初期デスメタルは殆ど聴いていないタイプの人も多く、新しいバンドの音楽性や影響関係を云々する際、Death(本作4th以降のみ)やCynic、AtheistやGorgutsといった“プログレッシヴデスメタル”枠の名前を挙げて良しとすることが非常に多い。しかし、例えばBlood IncantationはDeathはともかくCynicやGorgutsと比較するのは不適切、較べるならImmolationやTimeghoulの方が遥かにしっくりくるし、GorgutsのリーダーLuc Lemayが「Deathの『Scream Bloody Gore』(1987年1stフル)を聴いたとき人生が変わった」と言っていることも鑑みれば、“プログレッシヴデスメタル”以外の(綺麗に整ってはいない)デスメタルも参照しなければ適切な理解を深めることができないのは明らかである。その“プログレッシヴデスメタル”とは異なる文脈も多い“不協和音デスメタル”ではその傾向は一層強くなるだろうし、活発に新陳代謝を繰り返すシーンの実情とその認知状況との乖離をこれ以上拡大させないようにするためには、こうしたルーツの把握も踏まえた批評の更新が必要になる。本稿がその一助になれば幸いである。

 

 

 

Disharmonic Orchestra:Not to Be Undimensional Conscious(1992)

 

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 Disharmonic Orchestraはオーストリア出身のトリオバンドで、グラインドコアと初期デスメタルが不可分に接続しながら立ち上がっていくシーンの黎明期(1987年)に結成された。ギター+ベース+ドラムス+ボーカル(音程変化のない歪み声)の最小編成でOrchestraを名乗るのはどうなのかと思われるかもしれないが、このバンドはその名のとおりの素晴らしい不協和音アンサンブル構築に成功している。Napalm DeathやCarcassの系譜にある変則的なコード遣いにゴシックロック的なアウト感覚を加えた音進行は蠱惑的な魅力に満ちており、異常にうまい演奏(渋くまとまっているがAtheistやCynicに勝るとも劣らない)もあわせ代替不可能な滋味を確立。「The Return of the Living Beat」後半におけるスクラッチ+ラップの導入(90年代頭のメタルシーンでは嫌われた試み)なども全く違和感なくこなす本作の楽曲はいずれも名曲級であり、このジャンルで最も優れたアルバムの一つとさえ言える。しかしバンドはそれに見合った注目を得ることができず、今に至るまで一般的な知名度はゼロに近いまま。90年代前半のデスメタル周辺シーンにはこうしたオーパーツ的傑作が多く、マニア的な探究をする者にとっては金脈のようでとても楽しいのだが、正当な評価がなされるべきという観点からすればやはり好ましくないし、そういう状況におかれても傑作を発表し続けているこのバンドの活動も多少はやりやすくなるようサポートできたのではないかと思ってしまう。The Dillinger Escape Planのメンバーが愛聴するなどシーン内での影響力も少なくないだろうし、もう少し注目されていいバンドなのではないかと思う。

 

 

 

 

Cynic:Focus(1993)

 

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 “プログレッシヴデスメタル”の頂点として君臨し続ける永遠の名盤。メンバーはジャズやプログレッシヴロックなどメタル外からの影響の方が大きく、そうした超絶技巧や楽理を活かす場としてのエクストリームメタルという意義が理想的な形で具現化されている。参照元と思われるYesやアラン・ホールズワース、世界各地の民俗音楽やアンビエントなどに通じるパーツはあるものの、全体としては完全に別物で、溶けかかった金属のスープが蠢くような不思議なグルーヴは似たものが見当たらない。デスメタルに明確な歌メロやオートチューンを導入し美しく活かすなど、本作が切り拓いた可能性は枚挙に暇がなく、その存在感はKing Crimsonの1stフルにも比肩する。作編曲も演奏も最高レベル。究極のロックアルバムの一つである。

 

 

 

 

Demilich:Nespithe(1993)

 

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 1990-1993年の本活動時は完全に無名で、マニアの間でのみカルトな名盤として語り継がれてきた本作も、ここ数年のOSDMリバイバルを経たことで史上最も重要なデスメタルアルバムの一つとみなされるようになってきた感がある。自分はAmazonレビューで本作を知り、ディスクユニオン御茶ノ水店でたまたま見つけて買ったことからその圧倒的な個性と完成度に惹き込まれるようになったわけだが、20周年記念盤記載のAntti Boman(バンドの絶対的リーダー)インタビューなどを参考にこの記事をまとめた2015年時点ではここまで再評価の気運が盛り上がるとは想像することもできなかった。しかし、Chthe'ilistやTomb Moldのような現行シーンの超一流バンドがDemilichのエッセンスを土台に各々の個性を開花させることによって知名度は着実に増していき、Blood Incantationの2019年2ndフルでAntti Bomanがゲストボーカルとしてフィーチャーされたことでその名声は決定的になったといえる。

本作がここまで注目されるようになったのは、アルバム全体の完成度が極めて高い(曲順構成や雰囲気的な統一感は完璧)というのもあるだろうが、素材としてそこに様々なものを付け加えやすい音楽性だからというのが最大の理由なのではないかと思われる。単旋律のリフを並べてモノトーンな広がりを生んでいく構成はAtheistやDeathにも通じるが(瞬間的に転調を繰り返しつつ足場は揺るがない感じの進行はその2者とはタイプが異なる)、そこに肉付けするコードの質によって様々に異なる表情を描くことができる“素材としての自由度”に関してはDemilichの方が格段に上で、パーツを拝借してもアレンジ次第で独自の個性へ昇華しやすい。上に名前を挙げたChthe'ilist・Tomb Mold・Blood Incantationも(他に溶けている要素が多くそれぞれ異なるからでもあるが)全く別のオリジナリティを確立しているし、そうしたシンプルで奥深い持ち味、いうなれば“異界の鰹節”的な特性が卓越しているからこそ、時を越えてここまで大きな流れを生むことができたのだろう。その上で、その特性を単体で提示する本作の抽象的表現力も後続と同等以上に素晴らしい。現行シーンの作品と併せて聴くことで双方の理解が深まる稀有の傑作である。

 

 

 

diSEMBOWELMENT:Transcendence into the Peripheral(1993)

 

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 デスメタルという音楽の可能性を最も体現する究極のアルバムの一つ。The CureJoy DivisionからDead Can Danceあたりに連なるゴシックロックと初期Napalm Deathのようなグラインドコアの暗黒浮遊感を足し合わせ、中東音楽~ビザンティン音楽~古楽を経由してアンビエントに接続したような音楽性で、フューネラルドゥームと呼ばれるジャンルの一つの雛型にもなった。7曲60分の長さを難なく聴き通させる構成力は圧巻で、アルバム全体を覆う厳粛な雰囲気や固有の時間感覚もあわせ、他では得られない特別な音楽体験を提供してくれる。これもDemilichと同じく知る人ぞ知るカルト名盤だったのだが、Blood Incantationの兼任バンドSpectral Voice(4人中3人が共通)がオマージュを捧げたこともあって知られる機会が増えてきている。現行デスメタルシーンを理解する資料としての重要度も年々高まっていくだろうし、作品それ自体の内容もこの上なく素晴らしい。未聴の方はこの機会にぜひ聴いておかれることをお勧めする。

 

詳しくはこちら

 

 

 

Timeghoul:Panaramic Twilight(1994)

 

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 Timeghoulは、近年熱い注目を浴びる“コズミックデスメタル”の始祖としてカルトな信奉を集めるバンドである。前身のDoom`s Lyre(1987-1991)を含め1994年の解散までに発表した作品は2つのデモ音源のみで、流通の問題もあって知る人ぞ知る存在に留まる期間が長かったのだが、その2作をまとめた音源集『1992-1994 Discography』が2012年に再発されてから一気に認知度が高まり、Blood Incantationをはじめとした現代デスメタルの代表的バンドがスタイルを援用したこともあわせ、重要バンドとしての地位がほぼ固まった感がある。この系統の先駆者としてよく知られるNocturnus(初期Morbid Angelと人脈的な繋がりがあり注目されやすかった)よりも高く評価されるようになってきた理由としては、Timeghoulの方が圧倒的に曲が良いのが大きいだろう。Nocturnusは「デスメタルシンセサイザーやSFテーマの歌詞を最も早く導入したバンドの一つ」と言われるとおり音遣いや世界観の表現は面白いのだが、リフや曲展開は比較的凡庸で、固有の味はあるものの突き抜けた説得力には欠けるという難があった。それに対しTimeghoulは全ての要素が強力で、ショスタコーヴィチストラヴィンスキーとも比較される刺激的な作編曲は、Gorguts『Obscura』以降の“不協和音デスメタル”とそのまま並べてしまえるものになっている。2ndデモである本作は音質の良さもあってそうした魅力がわかりやすく提示されている傑作で、『Obscura』の項でふれた「実は1993年には殆ど完成しており、1998年の発表当時ですら時代の数歩先を行っていたこのアルバムが順調にリリースされていたら音楽の歴史はどんなふうに変わったのだろうか」という仮定の話を実現したかのような存在感がある(こちらも発表当時は十分な知名度を得ることはできなかったのだが)。“コズミックデスメタル”についてどうこう言う際には絶対に聴いておかなければならないバンドである。

 

 

 

Meshuggah:Destroy Erase Improve(1995)

 

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 Meshuggahはメタルのリズム・和声・音響に革命を起こした最重要バンドである。パーツは変拍子だがフレーズ全体では4拍子に収まり4~8~16小節を1周期とする拍構造(その意味で「ポリリズム」は誤り)、アラン・ホールズワースなどの無調的コード遣いを発展させた高度な音進行、そうした複雑な構造が分からなくても楽しめる重く切れ味の良い音作り。こうした音楽性はDjent(ジェント)という直系ジャンルを生み大流行させたほか、現代ジャズなど他領域にも絶大な影響を与えている。デスメタルの文脈で語ることはできないが、Car Bombをはじめ“不協和音デスメタル”周辺のバンドに及ぼした影響も大きく、併せて聴き込む価値は高い。本作は以上の要素が未洗練ながら魅力的に確立された一枚で(13拍子などの変拍子も残存)、過渡期だからこその豊かさと驚異的な完成度を両立。90年代北欧ならではの薫り高い雰囲気も絶品な名盤である。

 

 

 

Ved Buens Ende...:Written in Waters(1995)

 

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 いわゆる“アヴァンギャルドブラックメタル”を代表するバンド。唯一のフルアルバムである本作は、ノルウェー以降のブラックメタルシーン(たまたまメタルを主題としているだけで音楽的には何でもありの豊かな領域)が生み出した最高の達成の一つというだけでなく、90年代のあらゆる音楽ジャンルをみても屈指の傑作である。音楽性を一言で表すのは困難で、基本軸を示す饒舌なベースの上でギターが無調寄りの複雑なコード付けを繰り返し、それらを卓越したドラムスがじっくり彩る、というアンサンブルは「現代音楽に通じるフリー寄りモードジャズ(エリック・ドルフィーあたり)をAmebixと組み合わせてブラックメタル化したもの」とか「King Crimson~Voivodとノルウェー特有の音進行感覚を混ぜ合わせて独自の暗黒浮遊感を生み出したもの」というふうに言うことはできるが、作編曲や演奏表現の底知れない豊かさはそうやって形容できるレベルを遥かに超えている。“アヴァンギャルドブラックメタル”という括りで認識されるスタイルはここで練り上げられた不協和音感覚を発展させたものが多く、メンバーのVicotnikが結成したDodheimsgardやCarl-Michael Eideが率いていたVirusなどはその代表格として未踏の境地を切り拓き続けてきた。現行の “不協和音デスメタル”周辺でもこうした“アヴァンギャルドブラックメタル”的な要素を駆使するバンドが存在することを鑑みれば、Ved Buens Ende...関連の音楽を聴いておくことはシーンの理解に少なからず役立つのではないかと思われる。

なお、こちらの記事では2007年に再解散したと書いたが、Ved Buens Ende...は2019年に再々結成し、オリジナルの3人+サポートドラマーの編成で今も活動を続けている。メンバーはいずれも驚異的な傑作を作り続けてきた才人だし、この名義でも新たなアルバムを生み出してくれることを願うばかりである。

 

 

 

The Dillinger Escape Plan:Calculating Infinity(1999)

 

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 いわゆるカオティックハードコアを代表するバンド(これは日本での通称で英語圏では一般にMetalcoreとかMathcoreといわれる)。この1stフルはジャンルのイメージを決定付けた歴史的名盤で、King CrimsonやMahavishnu Orchestraといったプログレッシヴロック~ジャズロック、CynicやMeshuggahのような“プログレッシヴデスメタル”周辺、DeadguyやDazzling Killmenに代表されるメタリックなハードコア、DeathやToday Is The Dayのようなデスメタル周辺など様々な領域のエッセンスを咀嚼し、Aphex TwinSquarepusherAutechreなどのIDM(Intelligent Dance Music)を人力で再現できてしまう驚異的な演奏表現力をもって統合した結果、複雑な和声と変拍子が目まぐるしく切り替わるのに快適に聴き通せてしまう異常な音楽が生まれている。このバンドが何より素晴らしいのはこれほどの超絶技巧を備えているのにそれに全く溺れないところで、最後の来日公演でも十全に示されていたように、20年の活動期間の全編にわたって衝動を最優先する表現を続けてきた。こうした姿勢は“不協和音デスメタル”周辺にも大きな刺激を与えており、Car Bombのような重要バンドが参考にしたことを公言するだけでなく、Deathspell OmegaやEphel Duathなどを通してジャンル外(ハードコアそのものは好まないだろう領域)にも少なからず影響を及ぼしていると思われる。“不協和音デスメタル”はメタルの中でも特に高度な作編曲が求められる音楽スタイルであり、シンプルな構造と勢い一発で突っ走る演奏のイメージが強いだろうハードコアとはあまり結び付かない印象もあるかもしれないが、作編曲もアンサンブルも超絶的に高度なバンドはハードコア方面にも多数存在し、特に2000年代に入ってからはメタル方面全域に影響を与えている。TDEPはその嚆矢となる存在であり、今なお聴き込む価値の高い名盤を多数遺した重要バンドなのである。

 

 

 

 

【その他の重要作】現行シーンを俯瞰する20枚

 

 

Martyr:Feeding the Abscess(2006)

 

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後期DeathやCynicを“プログレッシヴデスメタル”の第1世代とするならば、Martyrはそれらに直接影響を受けた第2世代の代表格であり、この系譜における史上最高のバンドの一つでもある。メンバー全員が音楽学校で正規の教育を受け、そこで得た楽理や技術を駆使しつつ衝動的な勢いや神秘的な深みの表現を追求。知識があるからこそ到達できる個性を確立した音楽性は第1世代の名作群の味を損なわず強化するもので、活動期間中に遺したフルアルバム3作とライヴアルバムはいずれもこのジャンルの歴史を代表する傑作といえる。本作3rdフルは最終作で、前作2nd(後期DeathやCynic直系の作品としてはこれ以上望めないレベルの内容)に較べると格段に入り組んだ展開を直情的に駆け抜ける音楽性は音響構築も含め完璧な仕上がり。Watchtower~Blotted Scienceを後期Emperor経由でバルトークあたりに接続し禍々しい怨念を注入したようなサウンドは、多くの定型的な“プログレッシヴデスメタル”が陥りがちなルーチンワーク的味気無さとは一線を画している。行きつくところまで行きついてしまったのでこれで解散、となるのもむべなるかなと思える驚異的な作品である。

上記のような作品自体のクオリティとは別に、Martyrはこのシーンにおける人脈的繋がりを象徴するバンドでもある。リーダーのDaniel MongrainはGorgutsの4th『From Wisdom to Hate』やCryptopsyの2004年ツアーにも参加したのち、不協和音メタルの始祖といえる名バンドVoivodに加入、絶対的リーダーだった先代Piggy(2005年に脳腫瘍のため逝去)に勝るとも劣らない素晴らしい仕事をし続けている(なお、Martyrの3rdフルにはVoivod「Brain Scan」のカバーが収録されている)。2018年発表のフルアルバム『The Wake』ではPiggyのリフ構築を換骨奪胎、個性を損なわずKing Crimson要素の呪縛から解き放つ手管が絶品だったし、2019年のモントリオール・ジャズ・フェスティヴァルでは『The Wake』収録曲をオーケストラとの共演編成にリアレンジ。ストラヴィンスキーフランク・ザッパをVoivod(同曲はホルスト「火星」を意識してもいると思われる)経由で接続するような極上の達成をしている。これを収録したライヴEP『The End of Dormancy』で示されているようにオーケストラ抜き4人編成の演奏も圧巻で、2019年1月の来日公演でも本当に素晴らしいステージをみせてくれた。また、Martyrの2ndフルおよび3rdフルに参加したドラマーPatrice Hamelinは現在はGorgutsの正メンバーを務めているし、その2作にはエンジニアとしてObliveonのPierre Remillardが全面的に関与している。以上のように、Martyrはカナダ・ケベック周辺シーンの密接な関わりを示す結節点的な存在でもあり、自身の作品群の凄さも併せれば“不協和音デスメタル”関連における最重要バンドの一つと言っても過言ではない。2012年の解散には知名度面での苦戦も少なからず関係していただろうし、今からでも注目され正当な評価を得てほしいものである。

 

 

 

Car Bomb:Centralia(2006)

 

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 Car Bombの音楽性は一言でいえば「Meshuggah+The Dillinger Escape Plan」という感じで(これはメンバー自身が公言している)、そこにDeftonesMy Bloody ValentineRadioheadAphex TwinAutechreなどを加えれば構成要素は一通り揃うとみてよさそうではある。その上で、出音はそれらから連想されるよりも数段複雑で、TDEPにスローパートを多数追加しつつ緩急の起伏(というか瞬発力表現の見せ場)を増やしたような展開構成は数回聴いた程度では楽曲の輪郭すら掴めない。こうした音楽性は一応マスコアに括られるものではあるが、Meshuggah~ジェントの系譜を通過した新世代の“プログレッシヴデスメタル”的な存在として(Car Bomb自体にデスメタルの要素は殆どないと思われるけれども)、“不協和音デスメタル”周辺のバンドにも大きな影響を与えている。本稿の冒頭で「初期デスメタルリバイバルやプログデスといった系譜で語るのが適当でない領域が拡大し続けているにもかかわらず、それを語る批評の観点や表現がいつまでも更新されずにいるのは好ましいことではなく、活発に新陳代謝を繰り返すシーンの実情とその認知状況との乖離がどんどん大きくなっていってしまう」と書いたが、その分水嶺となっているのがまさにCar Bombあたりの高度なハードコア出身バンドなのではないかと思われる。そうした点においても注目されるべき重要な存在である。

 

参考:

2019年4thフルの発表当時には長谷川白紙が感銘を受けた旨を話していたこともあり、エクストリームメタルとは別種の激しさを拡張し続ける現代ポップミュージックの文脈でも今後参照される機会が増えていく可能性はある。

 

 

 

Virus:The Black Flux(2008)

 

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 ノルウェー以降のブラックメタルシーンを代表する奇才の一人Carl-Michael Eide(通称Czral)が率いていたバンド。Carl-Michael自身が「Talking Heads+Voivodと呼ばれることが多い」というとおりのポストパンク寄りスタイルのもと、Ved Buens Ende...の複雑な和声感覚を洗練する形で掘り下げる活動を続けていた。「Virusは“avant-grade heavy rock”であり、ブラックメタルとは繋げて考えたくない(そもそも何かの一部として扱われたくない)。メタルファンにもオルタナファンにもアピールしうると考えている」というこのバンドの雰囲気表現は、アンドレイ・タルコフスキーフェデリコ・フェリーニピーター・グリーナウェイデヴィッド・リンチ達の不穏な映画から大きな影響を受けているとのことで、Ved Buens Ende...の時点ではまだ無自覚・無意識レベルに留まっていた毒性を抽出し濃縮したという印象もある。社交的に洗練された殺人的ユーモア感覚を漂わせる音楽表現は“精製された呪詛”のような趣もあり、サウンド面ではボーカルも含め歪み要素は殆どないにもかかわらず非常に怖い。本作2ndフルはCarl-Michaelが2005年にビルの4階から転落しドラムス(メタル周辺の音楽史においては史上最高のプレイヤーの一人だった)の演奏能力を失ってから初めて発表されたアルバムで、深く沈みこむように落ち着いた雰囲気のもと、卓越した作編曲能力と鬼気迫る演奏表現力(このバンドではボーカルとギターを担当)が示されている。Virusは地下メタルシーンの最深部から出発しながらメタルを逸脱していくような方向性もあってリアルタイムでは妥当な評価を得ることができなかったが、いわゆる“アヴァンギャルドブラックメタル”の音進行面での定型確立に最も貢献したバンドの一つであり、その影響力は“不協和音デスメタル”周辺にまで及んでいる。再結成を果たしたVed Buens Ende...とあわせて今からでも注目を集めてほしいものである。

 

 

 

Ephel Duath:Through My Dog`s Eyes(2009)

 

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 Ephel Duathはイタリアのブラックメタルシーン出身バンドで、ギタリストのDavide Tisoによるワンマンプロジェクト的な活動を続けていた。比較的よく知られているのが2005年にリリースされた3rdフル『Pain Necessary to Know』で、The Dillinger Escape Planモダンジャズ風にマイルドにしたような入り組んだ展開のもと、Ved Buens Ende...系列とはまた質の異なるジャズ的コード感(60年代後半のモーダル/コーダル的なものをブラックメタル的イメージでまとめた感じ:ブラックメタルの定型そのものはあまりなぞらない)を掘り下げる音楽性は、同時期に注目度を増していったDeathspell Omegaなどと並べても見劣りしない(そして明確に毛色の異なる)素晴らしい個性を確立している。このアルバムの電子音響的な要素に焦点を当てて全体を再構築したリミックスアルバム『Pain Remixes the Known』(2007)のトリップホップブレイクコア的な仕上がりはCar Bombなどにも通じるところがあるし、ブラックメタルシーン内ではある種キワモノとして知る人ぞ知る存在に留まっていたこのバンドは、今から振り返ってみれば“不協和音デスメタル”周辺の系譜にこそうまく位置づけられるのではないかとも思えてくる。とはいえそこからもさらに逸脱するのがEphel Duathの面白いところで、2009年に発表された4thフル『Through My Dog`s Eyes』では、メタル周辺領域を代表する超絶ポリリズムドラマーMarco Minnemanとの実質的なデュオ(Luciano George Lorussoのボーカルも要所で入るがインスト部分の方が多い)形態で極めて個性的なアンサンブルを構築。不穏な現代ジャズに近い音楽性はメタル系メディアでは殆ど注目されなかったが、Dan Weissのようなメタル影響下のジャズミュージシャンや、Imperial Triumphantに代表されるNYのジャズ~メタル隣接シーンに通じるものが多く、時代を先取りしていたオーパーツ的傑作として再評価すべき価値がある。Davideは現在Howling Sycamoreで“アヴァンギャルドブラックメタル+テクニカルスラッシュメタル”的な路線を開拓しており(ボーカルは元WatchtowerのJason McMaster)、それを理解するためにもEphel Duathを参照するのはとても意義深いことなのではないかと思われる。

 

 

 

Vektor:Outer Isolations(2011)

 

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 “プログレッシヴSFスラッシュメタル”としても知られるVektorは、ここ数年の“コズミックデスメタル”ブームの直接の起爆剤になったバンドだと思われる。最大の影響源の一つだというVoivod(バンドロゴのデザインは完全にVoivodを意識している)との音楽的な共通点は実はあまりなく、ギターリフやボーカルスタイルはDestructionのような欧州スラッシュメタルの系譜にあるものだし、コード感に関してもVoivodの特徴的な音進行傾向はほとんど引用しておらず、その後の世代であるObliveonやTimeghoulの方が直接的な類似点は多い。そうした音進行傾向をデスメタル以降のドラムスタイルで装飾し大曲構成にまとめ上げる音楽性は、ギター周りの軽さ重視のサウンドプロダクションは確かにスラッシュメタルではあるものの総合的にはOSDMリバイバル以降の“コズミックデスメタル”の方に近く、実際に影響を受けているバンドも多い。本作2ndフルは2009年の1stフルで注目を集めた上でその粗削りな部分を解きほぐし飛躍的な発展を成し遂げた大傑作で、新世紀の『Master of Puppets』とさえ言える素晴らしい完成度もあわせ、アンダーグラウンドシーンを越えた広い領域で高評価を獲得した。本稿に挙げたバンドは大部分が“知る人ぞ知る”ものばかりで、地下シーン内で影響を及ぼし合い音楽性を発展させてきた経緯はリアルタイムで並走するマニアでないかぎり把握しづらいのだが、Vektorはその枠を越えて知られる存在であり、後追い的に参照する際にも発見しやすいマイルストーンとして歴史に名を刻まれている。“不協和音デスメタル”方面への入門編としても優れた重要バンドである。

 

 

 

Mitochondrion:Parasignosis(2011)

 

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 Mitochondrionは2010年代以降に広く認知されるようになったカオティックなブルータルデスメタルの型を確立したバンドの一つである。暗黒宇宙を吹き荒れる大海嘯のようなデスメタルサウンドに関していえば、PortalやRites of Thy Degringoladeのような先駆者が2000年代前半の時点で概形を築き上げてはいたのだが、MitochondrionやAntediluvian(ともにカナダ出身)はそこにIncantationに代表される高速ドゥームデスメタルの分厚い重さを加え、漆黒の中に微かに星が瞬くかのような手応えのなさと足元に何かが粘りつく異様な安定感とを両立することに成功した。その聴き味はThornsやBlut Aus Nordのようなアンビエントブラックメタルに通じ、Behemothなどが90年代後半に推し進めたブラックメタルデスメタルの融合をブルータルデスメタル側から行ったような趣もある。本作2ndフルはそうした流れを象徴する記念碑的傑作で、最後を飾る完全アンビエントなトラック(メタル要素ゼロ)も含めアルバムの構成は完璧。楽曲構成には明確な展開があり慣れれば意外とわかりやすい魅力に満ちている作品だし、Portalに馴染めない場合はこちらから入ってみるのも良いのではないかと思われる。

 

 

 

Gigan:Multi-Dimensional Fractal-Sorcery And Super Sience(2013)

 

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 Gigan(名前の由来は東宝映画『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』)は、Gorguts『Obscura』の影響から出発して優れたオリジナリティを確立したものとしてはUlcerateなどと並び最初の世代とみていいバンドだろう。これは個人的な反省も兼ねての話なのだが、こちらの記事でまとめたように、初期デスメタルの混沌とした表現力を愛するリスナーはテクニカルデスメタルの技術点至上主義的な無味乾燥さを嫌う傾向があるし、テクニカルデスメタルやブルータルデスメタルの側からすると初期デスメタルの精神に訴えかけるドロドロした歪みを好まないきらいがある。『Obscura』リリース当時の反応に否定的なものが多かったというのは、ガワはテクデス/ブルデス的だったのに芯の部分では表現志向が強く、両方の要素を徹底的に突き詰めた音楽性がリスナーの許容範囲を超えていたというのが大きいのかもしれない。自分は完全に初期デスメタル派で、メカニカルで無味乾燥なテクデス/ブルデスは(それだからこその気楽な心地よさがあることも承知しつつも)あまり面白く聴けない傾向がいまだに残っているのだが、そういう立場でもGiganのようなバンドには2010年頃の出現当時から惹かれていた。本作3rdフルはバンドのオリジナリティが自分のようなタイプのリスナーにもわかるくらい明確に確立された傑作で、『Obscura』の複雑なコード感をいわゆるSci-fiメタル方面に発展させた音進行感覚が素晴らしい魅力を発揮している。リーダーであるEric Hersemannは『Obscura』を崇拝する一方でマイルス・デイビス(70年前後のいわゆる電化マイルス期)やチャールズ・ミンガス、Captain BeyondやRush、フランク・ザッパやPrimusなどから影響を受けているとのことで、それを踏まえて本作を聴くと、奇怪で楽しげなノリやコード進行は確かにPrimusに通じる部分が多く、他のデスメタルにはない味わい深い個性になっているように感じられる。宇宙的なテーマや演出はTimeghoulやVektorを想起させはするがそれらとは別の文脈から登場したバンドであり、いわゆる“コズミックデスメタル”と比較することはできるもののやはり区別して吟味されるべき音楽なのだと思う。このように、テクデス的なスタイルの良いところのみを抽出(というかつまらなくないテクデスのみを下敷きに発展)しそれを土台にオリジナルを構築する世代が出現すると、それをさらに発展させ独自の興味深い個性を確立できる後続も自然と増えていく。そうした流れを示す存在としても重要なバンドである。

 

 

 

Kayo Dot:Hubardo(2013)

 

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 Kayo DotはMaudlin of The Wellがさらなる音楽的拡散を意図し発展的解散・改名したことにより誕生したバンドで、メタル的な要素も残しつついかなる領域にも接続する音楽性は、このジャンルから発生したあらゆる音楽の中でも最も魅力的な豊かさを湛えている。現在も在籍する唯一のオリジナルメンバーであるToby Driverは、Tiamatの知る人ぞ知る傑作『Wildhoney』をはじめとする欧州ゴシックメタルやUlverの脱ジャンル的活動に魅了されて音楽活動を始め、マサチューセッツ州ボストンを拠点としたMaudlin of The Wellでは様々なポストロック~インディーロックと交錯する特殊メタルの傑作群を発表。2003年にKayo Dotに移行してからはニューヨークを拠点とし、当地の越境的ミュージシャンとの交流を通してメタルに留まらない異形の作品を生み出し続けてきた。本作『Hubardo』はそのひとまずの集大成と言えるアルバムで、MoTW以来となるデスメタル的なエッジと室内楽ジャズオーケストラ的な管弦アレンジを融合する作編曲が最高の仕上がりをみせている。10分超の大曲も4つ含む全100分の長尺を難なく聴かせきるアルバム全体の構成も完璧で、巨大で奇怪な印象に満ちているのに吞み込みづらさは全くない。本稿のタイトルに掲げた“不協和音エクストリームメタル”を最も体現する不世出の傑作である。

 Kayo DotやToby Driver関連作品(Vauraやソロなど音楽的な振り幅は無尽蔵)を聴いていて考えさせられることの一つに「新しい音楽をプログレッシヴと呼ぶのはそろそろやめようぜ」というものがある。この記事Azusaの項でもふれたように、既存のフォームを打ち破ろうとする姿勢を指していう「プログレッシヴ」と、そうした音楽に影響を受けたバンド群が確立した定型的音楽スタイルを指していう「プログレッシヴ」とは、字面は同じでも意味合いは異なり、革新と保守という立ち位置について言えば真逆とすら言える違いがある(しかも後者は保守なのにもかかわらず革新のイメージを利用しているきらいがある)。“プログレッシヴメタル(プログメタル)”や“プログレッシヴデスメタル(プログデス)”という言葉も、特定の音楽性を明確に指し示すのでそれを語るにあたっては重要だが、一見それ風に見えるけれども実は別の文脈から出てきている音楽(例えばGorgutsの系譜は“プログメタル”や“プログデス”に含まれないはず)を括るのは筋違いだし、30年近く前に生み出されたそうした言葉を用いて新しい音楽を語るのも、規格外に豊かなものを古く漏れの多い概念に押し込むようなことであり適切な姿勢ではないだろう。大事なのは批評言語の更新または創出であり、それにあたっては様々な要素を一般論に括らず丁寧に精読していく姿勢が必要になる(Kayo Dotのような豊かすぎる音楽に対しては特に)。本稿がそれにあたっての見取り図や足掛かりになれば幸いである。

 

 

 

Morbus Chron:Sweven(2014)

 

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 2010年代の初期デスメタルリバイバルにおける記念碑的傑作である。90年代前半までのいわゆる初期デスメタルが多分に備えていた混沌とした表現力を愛するファンはこれ以前も根強く存在し、テクニカルデスメタル~ブルータルデスメタル~スラミングデスメタルといった技術&過激志向が一段落する2000年代中盤には初期デスメタルならではの生々しく豊かな滋味に再び注目が集まり始めていたのだが、リバイバル参照元を超えるオリジナリティを獲得するバンドは稀で、ムーブメントとしてのパンチというか、注目する価値があると説得するだけの存在感は今一つだったようにも思われる。それが2010年代に入ると、初期デスメタルの様々なスタイルを参照しつつ独自の配合で組み合わせることにより新たな個性を生み出してしまう優れたバンドが明らかに増えてきた。Morbus Chronはその代表格で、最終作となった本作2ndフルでは過去の歴史的名盤群に勝るとも劣らない神秘的な深みが具現化されている。Autopsyのようなドゥームデスからスピードメタル~NWOBHMを経由してブラックメタルに接続するようなスタイルは既存の様々な要素をモザイク状につなぎ合わせたような仕上がりだが、起伏が多く唐突な印象は散見されるもののぎこちなさは不思議となく、「夢」を意味するアルバムタイトルに非常によく合っている(というかこういう解釈をすることで初めて理解の糸口が得られるタイプの作品なのだと思う)。ジャンルの歴史が回顧的に想起されそこから新たなものが生まれてくる瞬間を捉えた本作は、そうした音楽構造が示す批評性の面でも、そうしたことを意識しなくても心に深く染み入る只ならぬ雰囲気表現力の面でも、文字通りの“歴史的”名盤なのだと言える。

なお、Voivod的な成分を含みインナースペース的な音響表現をしていることもあってか“コズミックデスメタル”に通じる印象もある本作だが、TimeghoulやNocturnus、ObliveonやVektorのような系譜とはおそらく別のところにある作品で、その枠に括るのは不適切な気もする。しかし、本作に影響を受けたと思われるバンドがコズミックデスメタル的な音楽性を志向し、それがそのスタイル名で形容される展開が少なからず生じているのをみると、そういう細かい分類にこだわるのは野暮で些末なことにも思える。現代デスメタルシーンを考えるにあたっての重要作品の一つというくらいに考えておくのがいいのかもしれない。

 

 

 

Dodheimsgard:A Umbra Omega(2015)

 

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 Dodheimsgardはノルウェー以降のブラックメタルの発展史を単独で体現するバンドである。そもそもノルウェーブラックメタルシーン(それ以前のスラッシュメタル近傍のブラックメタル=1st Wave of Black Metalと区別するために2nd Wave of Black Metalと呼ばれる)というのは、たまたまメタルを主題としているだけで音楽的には何でもありの豊かな領域で、このジャンルを立ち上げた筆頭バンドMayhemが1987年に発表した公式初作品『Deathcrush』冒頭にはコンラッド・シュニッツラー(Tangerine Dreamなどで知られるジャーマンロック~電子音楽の代表的音楽家)の音源が使われていたり、黎明期の最重要バンドというかソロユニットの一つBurzumはそのままミニマル音楽に接続する作品群を発表していたりと、ジャンル越境的な志向を持った天才達が“他人と被ったら負け”精神のもと鎬を削っていた。ULVERはその最大の好例だし、このジャンルの一般的なイメージを示すプリミティヴブラックメタルにしても、後続がそれを模倣し厳格に守る対象としたためにワンパターンな印象ができてしまっただけで、Darkthroneが雛形を作りだした時点ではそれまでにない斬新な音楽スタイルだったのである。Ved Buens Ende...でギターを担当するVicotnikも同シーンの筆頭的天才として語られるべき奇才で、様々な楽器を使いこなす演奏表現力と卓越した作編曲能力をもってカルトな傑作を発表し続けてきた。

DodheimsgardはそのVicotnikが率いるバンドで、各作品に参加したミュージシャンの豪華な一覧ノルウェーシーンにおける梁山泊のようでもある。1995年の1stフル『Kronet till konge』はDarkthroneの名盤3部作(1992~1994年)を模倣せず発展させるようなプリミティヴブラックメタルの傑作、1996年の2ndフル『Monumental Possession』はノルウェー以降のブラックメタルに1st Wave Black Metal的なスラッシュメタルを掛け合わせたブラックスラッシュの傑作(そのスタイルの誕生を告げるAura Noirの名盤1stフル『Black Thrash Attack』と同年発表)。そこからシンフォニックブラックメタルに接近した1998年の名作EP『Satanic Art』に続く1999年の3rdフル『666 International』はブラックメタル史を代表するカルト名盤で、アヴァンギャルド方面のブラックメタルを代表する名人のみで構成されたメンバーがインダストリアル~トリップホップ領域にも闖入する音楽的実験の限りを尽くしている。その路線を拡張しつつ少し焦点を見失った感もある2007年の4thフル『Supervillain Outcast』を経て長い沈黙ののち発表したのが2015年の本作5thフル『A Umbra Omega』であり、ここではVed Buens Ende...やVirus(リーダーのCarl-Michaelは『666 International』で極上のドラムスを披露している)に通じる“アヴァンギャルドブラックメタル”系統のコード感覚がそのオリジネーターにしか成し得ない形で高度に発展されている。冒頭曲を除けば全曲が10分を超える6曲67分の長さを難なく聴かせきるアルバム全体の構成は見事の一言で、変則的な展開の一つ一つに異様な説得力がある。聴いた者からは軒並み高い評価を得ている本作は“不協和音デスメタル”周辺のミュージシャンがインタビューで名前を挙げることも多く、カルトな立ち位置の作品ではあるが現代のシーンへの影響力は少なくないように思われる。マニア以外には上記のような広がりが意外と知られていないブラックメタルというジャンルを理解するにあたっても必須の存在だし、今後この人脈から生まれるだろう傑作の数々に備えるためにも、ぜひ聴いてみてほしいバンドである。

 

 

 

Plebeian Grandstand:False High, True Lows(2016)

 

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 不協和音を用いた表現を追求するエクストリームメタルの流れにおいて重要なトピックの一つに、ハードコアとブラックメタルの影響関係がある。Mayhemの歴史的名盤『De Mysteriis Dom Sathanas』(1994年)収録の名曲「Freezing Moon」の執拗な半音上下往復パートに顕著な、ブルース的な反復(解決せずに行きつ戻りつする展開)が欧州スラッシュメタルとジャーマンロック~現代音楽などを通過することで確立されたミニマル感覚は、メタルとハードコアの音進行傾向の結節点として以降の音楽全域に絶大な影響を与えた。アンダーグラウンドメタルのマニアとして知られるサーストン・ムーア(Sonic Youth)はMayhemのパーカーを愛用する写真があるようにこのジャンルの紹介に熱心で、そこ経由でアメリカのアンダーグラウンド〜インディシーンにおけるブラックメタルの注目度が高まったというのもあるだろう。Convergeが2001年の歴史的名盤『Jane Doe』の頃からブラックメタルの要素を大きく取り込んでいく流れをみてもわかるように、ハードコアの楽曲構造や衝動重視の演奏表現とブラックメタルとは音楽的に非常に相性が良く、思想的な面では水と油でシーン的な交流は活発ではなかったと思われるが(National Socialist Black MetalとAnti-fascist Hardcoreの対比など)、録音作品を通しての影響関係は水面下でかなり密に構築されてきたのではないかと思われる。ここで重要なのがハードコアからブラックメタルへの影響で、Converge系統のカオティックな不協和音の感覚はそれ以前のブラックメタルにはなかったのが、ブラックメタル要素を取り込んだハードコア作品における達成を逆輸入する形で、新たにブラックメタル側にも流入するようになった印象がある。Deathspell Omegaはそうした展開における最重要バンドの一つで、2000年代には上記のような配合を成し遂げたブラックメタル関連バンドが急増した。こうした交流(というよりも盗み合いという方が近いかも)が2010年代以降のAlcestやDeafheavenのような越境的影響関係を隠さないバンドの出現を準備した面もあっただろう。メタルの枠内を見ているだけでは現代メタルシーンの実情はつかめないということをよく示す話だと思う。

 Plebeian Grandstandはフランス出身のバンドで、ハードコアシーンに所属しながらもブラックメタルの要素を積極的に取り込む活動を続けてきた。本作3rdフルはその傾向が一気に高まった傑作で、「Deathspell Omegaをカオティックハードコア化した感じ」と言われるような感触も確かにあるのだが(Spotifyのプレイリスト「Deathspell Omega Like but Not Nazis」に入れられていたりもする)、音進行の微細な配合や演奏感覚はやはり異なるし、その上で優れた個性を確立している。一般的にはほぼ無名だが、“不協和音デスメタル”のバンドがインタビューで名前を挙げることが多く、地下シーンではかなりの影響力を持っていることが窺われる。それも頷ける強力な作品だし(終盤にハイライトが続く構成が素晴らしい)、聴いておく価値は非常に高いと思われる。

 

 

 

Chthe'ilist『Le dernier crépuscule』2016

 

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 Demilichの項でふれた「素材としてそこに様々なものを付け加えやすい音楽性」「単旋律のリフに肉付けするコードの質によって様々に異なる表情を描くことができる“素材としての自由度”」を最もよく体現するバンドの一つ。現時点で唯一のフルアルバムである本作はDemilichをDisincarnate経由で中期Emperor(2nd~3rdあたり)と融合したような音楽性で、リフまわりの変拍子やストップ&ゴーの入れ方は笑えるくらいDemilichそのものなのだが、その並びやコード付けから生じる総合的な音進行感覚は明確に異なり、参照元の魅力を格段にわかりやすく引き出している点においてこちらの方が好きだと感じる人も(面倒くさいマニアの中にも)多いのではないかと思われる。初期デスメタルの理想を体現する2010年代屈指の傑作である。

 本作に関連して注目しておきたいのが現代デスメタルシーンにおける兼任バンドの多さである。Chthe'ilist のリーダーであるPhillippe Tougasはフューネラルドゥーム寄りバンドAtramentusも運営(2020年発表の1stフル『Stygian』は同年屈指の傑作)、Zealtoryの名盤『The Charnal Expanse』(2013)に貢献しFunebrarumやVoidceremonyにも参加するなど、現代デスメタル周辺シーンを代表するバンドの多くに関与し、個性的な傑作を連発している。Metal Archivesの兼任バンド一覧ページを漁るだけでも興味深い作品が大量に見つかり、その豊かさに驚かされつつさらなる深みにはまっていくことができる。シーンを網羅的に把握するにあたってはまずこうしたキーパーソン(Phillippe以外にも多数存在)を探し出すのが良いのではないかと思う。

 ちなみに、本作の末尾を飾る「Tales of the Majora Mythos Part Ⅰ」は『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』を題材にしている模様。そもそもDemilichという名前の由来が『ダンジョンズ&ドラゴンズ』であり(ルールブックにあった単語を採用したとのこと:『Nespithe』20周年記念盤ブックレットのインタビューより)、Tomb Moldをはじめとする多くのバンドが『Dark Souls』シリーズにインスパイアされているという話を聞くと、非日常的な世界観表現を重視するデスメタルのような音楽において、ダークファンタジー方面のゲームが重要な主題になっているという傾向は確かにあるのではないかと思える。コズミックデスメタルの流行もそれと切り離して語れるものではない気もするし、ゲームとエクストリームメタルの両方に精通した識者の話を伺いたいところである。

 

 

 

Imperial Triumphant:Vile Luxury(2018)

 

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 Imperial Triumphantはニューヨークを拠点に活動するテクニカルなブラックメタル出身バンドで、初期は19世紀クラシック音楽の和声感覚を複雑な曲構成のもとで繰り広げるタイプの比較的オーソドックスな音楽をやっていた。そこから大きな路線変更がなされたのが2015年の2ndフル『Abyssal Gods』で、創設者/リーダーであるZachary Ilya Ezrin(Cal Artsで作曲の学位を得たクラシック音楽寄りプレイヤー)、2012年に加入したKenny Grohowski(New Schoolでジャズ・パフォーマンスの学位を得たドラマー、ジョン・ゾーン人脈のキーパーソン)、そして2015年に加入したSteve Blanco(Suny Purchaseでジャズ・パフォーマンスの学位を得たベーシスト、ジャズ方面ではむしろピアニストとして有名)というトリオ編成になったことで楽曲構造が大幅に複雑化。それをうけて制作された本作3rdフル『Vile Luxury』は、Gorguts系統の現代音楽寄りデスメタルを40~60年代ジャズ(プレモダンからモーダル/コーダルまで)のコード感とブラックメタル+ジャズ的な演奏表現で悪魔改造したような音楽性で、入り組んだ展開をすっきり聴かせる驚異的な構成力もあって様々なメタル系メディアの年間ベストに選出されることになった。メンバーが特に影響を受けたというジャズのアルバムは、マイルス・デイビス『Nefertiti』、ジョン・コルトレーン『Interstellar Space』、セロニアス・モンク『Monk`s Dream』、デューク・エリントン『Money Jungle』、ベン・モンダー『Hydra』で、確かにこの5枚の和声感覚や静謐かつハードコアなアンサンブル表現、そして複雑な変拍子遣い(例えば「Lower World」はそのまま『Hydra』に通じる)を足し合わせれば『Vile Luxury』になると言ってしまえる感もある。壮大ながら柔らかい肌触りもあるシンフォニックなサウンド金管プレイヤー5名やYoshiko Ohara(Bloody Panda)のような現地の優れたミュージシャンを多数招いたからこそ実現できたものでもあり、Kralliceのコリン・マーストンによる素晴らしい音作りなどもあわせ、NYという地域の特性が様々な面において反映されたものだと言える。事実、バンド自身にとってもNYは音楽表現における主要なテーマであるようで、2020年に発表された4thフル『Alphaville』に関するインタビューでの質問「『Vile LuxuryはNYへのオマージュだったが『Alphaville』はそのテーマの延長線上にあるものか』と問われたIlyaは、「ある意味ではね。我々はNYのバンドだし、曲の多くはNYの街をテーマにしている。自分が知っていることを書くのが一番だと思うし、ここは自分の人生の中で一番の故郷なんだ」と答えているし、別のインタビューでも、「Imperial Triumphantの音楽はNYの活気と威厳からどれほどのインスピレーションを得ているのか」と訊かれて、「活気と威厳、そしてその下にある不潔さと腐敗からインスピレーションを得ている。観光客でも認識できる刺激的な二面性があり、我々はそれを自分達の音楽に可能な限り反映させようと試みている」と答えている。このシーンにおける現代メタル-ジャズ間越境の象徴ともいえる立ち位置にいるバンドなのである。

 なお、Imperial Triumphantの前任ベーシストErik Malaveは現Pyrrhon(Seputusにも所属)、前任ドラマーのAlex Cohenも2015年までPyrrhonに在籍し卓越した演奏表現力を披露していた。Kenny GrohowskiはImperial Triumphantでの活動の傍らPyrrhonのライヴドラマーと務めていたこともあるし、人脈的繋がりはかなり密接なものがある。NYのシーンは今後メタルシーン全体に無視できない影響(特にジャンル外との越境的交流傾向)を生んでいくだろうし、Kayo Dotなどもあわせ、このあたりのバンドに注目しておく価値は非常に高いのではないかと思われる。

 

 

 

Inter Arma:Sulphur English(2019)

 

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 本稿に挙げたバンドはいずれも唯一無二の個性を確立しているものばかりで、こうした「1バンド1ジャンル」的な様相を見ていると、よく言われる「メタルは様式美に縛られた音楽でいつまでも同じようなことを繰り返している」という定説は実情を全く反映していないようにも思えてくる(“様式美”にもいろいろあり時代によって変遷していくのだということはこの記事でも詳説した)。しかし、それはアンダーグラウンドな世界の話であり、こちらのインタビューでも述べられているように、保守的で変化を好まない気風はいまだに多くの部分に残っている。Inter Armaはそうした風潮に真っ向から対立するバンドで、別項でふれたNYシーンなどとはまた異なる方向性での越境的発展を積極的に繰り返している。2020年発表のカバーアルバム『Garbers Days Revisited』には、Ministry、ニール・ヤング、Cro-Mags、Nine Inch Nails、Husker Du、Venom、Tom Petty & The Heatbreakers、プリンスの楽曲が収められており、ブルースやカントリー、ファンク~ブラックロック、ハードコアとスラッシュメタル、それらと隣接するインダストリアルメタルといったジャンル的振り幅は、このバンドの複雑な音楽的広がりをとてもよく説明してくれているようにも思われる。2019年の4thフル『Sulphur English』はMorbid AngelとNeurosisを混ぜてエピックメタル経由でPink FloydやCSN&Y(Crosby, Stills, Nash & Young)に接続するような音楽性で、所々で顔を出すGorguts的コード感にアメリカ音楽の豊かなエッセンスが加わったような出音は極上の滋味に満ちている。Sleep『Dopesmoker』あたりに通じるマッシヴなロックグルーヴも素晴らしく、他の多くの“不協和音デスメタル”では得られない手応えを与えてくれるように思う。メタルを音楽史に位置付けなおしつつ発展させる系譜の急先鋒としても重要なバンドの一つである。

 

詳しくはこちら

 

 

 

Tomb Mold:Planetary Clairvoyance(2019)

 

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 Morbus Chronの項でもふれたように、2010年代に入ると、初期デスメタルの様々なスタイルを参照しつつ独自の配合で組み合わせることで新たな個性を生み出してしまうバンドが明らかに増えてきた。ジャンルのマニアとしての博識を備え、参照対象の特性を深く理解しそれらの美点や自分達自身との違いを把握しているために、この程度の使い方では新たな味わいは出せないという厳しい基準が備わり、それを超えるための入念な練り込みを通して独自の音楽性を確立することが可能になる。Tomb Moldはその点において現代メタルシーンを代表する存在であり、2015年の結成当時からこのジャンルの歴史に残る傑作を連発してきた。このバンドが凄いのはハイコンテクストさとキャッチーさの両立が極めて見事なところで、様々な名盤を聴き込んだ経験と文脈把握がなければ読み込めない部分が多い一方で、そういった知識がなくても直感的に楽しめる訴求力にも満ちている。2017年1stフル『Primordial Malignity』はPestilenceやBolt Thrower、2018年2ndフル『Manor of Infinite Forms』はDemilichやAutopsyにも通じるスタイルというように比較対象を挙げることは難しくないが、全てのフレーズが高度に捻り解きほぐされ、何かの亜流といった次元を遥かに超えた個性を身につけている。2019年の3rdフル『Planetary Clairvoyance』はそうした蓄積を踏まえつつ新たな味わいを確立した大傑作で、DemigodやRippikouluのようなフィンランド型ドゥームデスを土台としつつ、TimeghoulやVektor、Morbus Chronといった先達とはまた異なる“コズミックデスメタル”的な世界観表現を達成。各楽曲の構成はもちろん全体の流れも一続きの物語のように美しくまとまっており、各リフの強力さ(ミクロ)の面でもトータルアルバムとしての完成度(マクロ)の面でもデスメタル史上最高傑作の一つなのではないかとすら言える。くぐもり気味の音質は個人的にはそこまでツボではないが(そういう音質自体はデスメタルによくあるので問題ではないのだがくぐもり方の質がやや合っていない気もする)、微妙に細部が聴き取りにくいために繰り返し取り組みたい気にさせる絶妙な仕上がりも含め、これはこれでうまく機能しているように思う。初期デスメタルリバイバルの最高到達点の一つとしてぜひ聴いてみてほしいアルバムである。

 それにしても、ここまで見てきて改めて実感させられるのがカナダシーンの凄さである。Voivod、Obliveon、Gorguts、Martyr、Mitochondrion、Chthe`ilist、Tomb Moldという名前の並びはメタルの歴史全体を見回しても屈指のラインナップなのに、デスメタルの中心地としてよく語られるアメリカや北欧に比べ、カナダは地域単位では注目される機会が少なかったように思う。本稿で体系的に示したように先鋭的なメタルの系譜において非常に重要な役割を果たしてきたシーンだし、正当な評価を得る機会が増えてほしいものである。

 

 

 

Titan to Tachyons:Cactides(2020)

 

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 Titan to Tachyons はOrbweaverやGiganといった“不協和音デスメタル”的バンドに参加してきたギタリストSally Gatesが結成したインストゥルメンタルの“avant-rock/jazz metal”バンドで、ドラムス担当のKenny Grohowski(Imperial Triumphant)およびベース担当のMatt Hollenberg(Cleric)からなる。KennyとMattジョン・ゾーン楽曲を本人から委託され演奏する直系バンドSimulacrumのメンバーでもあるわけで、Titan to Tachyonsはニューヨークのジャズ~メタル越境シーンをジャズ寄りに体現する存在といえる。本作は2020年に発表された1stフルで、音楽性を一言でまとめるなら、GorgutsやEphel Duathのような現代音楽寄り和声感覚をもつエクストリームメタルの語彙を用いてKing Crimsonの『Starless And Bibile Black』と『The ConstruKction of Light』の間にあるような渋く複雑なアンサンブルを繰り広げる、という感じだろうか。楽曲構成は作曲と即興のミックスで、Sallyが全曲をギターで作曲した上で他の2名が各自のパートを追加、そこからさらにスタジオでのジャムセッションでアイデアを拡張していったとのこと。その結果、細部まで緻密に書き込まれた作り込みと勢いある閃きが自然に両立され、異形ながら艶やかな構造美が生み出されている。ドラムスのフレーズや各楽器のサウンドプロダクションは明らかにメタル寄りだが、全体的な聴感はむしろ現代ジャズに近く、メタルを全く聴かないそちら方面のリスナーにも訴求する仕上がりになっていると思われる。3名がそれぞれ関与してきたエクストリームメタルの技法が随所で駆使されているのに音作りを柔らかめにすればラウンジジャズとしても通用するような落ち着きぶりがなんとも不気味で(『ツイン・ピークス』シリーズに強くインスパイアされているとのこと)、そうした力加減が得難い個性にも繋がっている。直接的な関係はなさそうではあるがEphel Duath『Through My Dog`s Eyes』の発展版としても聴ける非常に興味深い音楽。傑作だと思う。

 

 

 

ここから先は今年発表のアルバム。いずれも驚異的な作品だが、現時点では聴き込みが足りない(各々10回以上聴き通してはいるが時間経過の面で十分でない)ことも鑑みて紹介コメントは簡潔なものに留めておく。

 

 

 

Ad Nauseam:Imperative Imperceptible Impulse(2021)

 

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 イタリア出身。本作は5年ぶりのリリースとなる2ndフルアルバムで、ストラヴィンスキーやペンデレツキのような現代音楽寄り作曲家、アンダーグラウンドメタルの名バンド群、その他多岐に渡る影響を消化した上で、GorgutsやUlcerateを参照しつつその先の世界を切り拓くような高度な音楽性を構築している。なにより驚異的なのは音響で、スティーヴ・アルビニを崇拝し理想の環境を作り上げるために自前のスタジオを建てたという蓄積のもと、イコライザーやコンプレッサーを殆ど使わない録音作業を膨大な時間をかけて完遂したという。爆音と過剰な手数を伴うデスメタルスタイルでそうした手法を成功させるというのはとても信じ難い(つまり演奏技術からして常軌を逸するレベルで凄いという)ことだが、本作の異様な音の良さを聴くと確かに納得させられるものがある。同様の音楽性を志向するミュージシャンの間では既に高い評価を得つつある(インタビューで名前が挙がることが少なくない)し、稀有の傑作としての定評がこれから固まっていくのではないかと思われる。

 

 

 

Siderean:Last on Void`s Horizon(2021)

 

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 スロベニアSci-FiメタルバンドTeleportが改名し遂に完成させた(本来は2019年後半リリース予定だった)1stフルアルバム。Teleportの頃はVektorやVoivodあたりのプログレッシヴなスラッシュメタルをGorguts的な無調寄りデスメタルと組み合わせるスタイルを追求していたが、本作ではDodheimsgardやEphel Duathに通じるアヴァンギャルドブラックメタル的な音進行が大幅に増加。スラッシュメタルならではの軽く切れ味の良い質感を保ちつつ複雑なリフをキャッチーに聴かせる音楽性は、VirusとVektorを理想的な形で融合するような趣もあるし、Howling Sycamoreあたりと並走する意外と稀なスタイルでもある。6曲40分のアルバム構成も見事な傑作である。

 

 

 

Seputus:Phantom Indigo(2021)

 

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 Seputusは3人全員がPyrrhonのメンバーだが(そちらのリーダーと目されるDylan DiLellaのみ不在)、テクニカルデスメタル形式を土台にしながらもPyrrhonとは大きく異なる音楽性を志向している。神経学者オリバー・サックスの著書『Hallucinations』(邦題:見てしまう人びと 幻覚の脳科学)を主題に5年かけて作り上げられたという本作2ndフルは、Gorguts『Colored Sands』あたりの不協和音デスメタルDeftones経由でNeurosisに繋げたような音楽性で、何回聴いてもぼやけた印象が残る(“焦点が合わない具合”が安定して保たれる感じの)特殊な音響構築のもと、驚異的に優れた作編曲と演奏表現で走り抜ける作品になっている。この手のスタイルにしては不思議な明るさが嫌味なく伴う音楽性は代替不可能な魅力に満ちており、“不協和音デスメタル”の系譜のもと新たな世界を切り拓く姿勢が素晴らしい。個人的にはPyrrhonよりもこちらの方が好き。今年を代表する傑作の一つだと思う。

 

 

 

Emptiness:vide(2021)

 

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 ベルギーのブラックメタル出身バンド、活動23年目の6thフルアルバム。元々はアヴァンギャルドブラックメタル的な音楽性だったのだが、2014年のインタビューで「最近の好み」としてLustmord、MGMT、コナン・モカシン、ワーグナー、Beach House、ジャック・ブレル、デヴィッド・リンチ的なもの、Portisheadなどを挙げているように、メタルの定型的なスタイルからためらいなく離れる志向を早い時期から示していた。まだメタル要素をだいぶ残していた2017年の5thフル『Not for Music』から4年ぶりに発表された本作は、ポータブルレコーダーを持ち歩きながら様々な場所(森の中や街頭、屋根裏など)で録ったという音源をスタジオ録音部分と組み合わせて作られた(メタル要素はほとんどなくむしろポストパンクに近い)作品で、様々に揺らぐ距離感や残響の具合が交錯し焦点を合わせづらい音響が複雑な和声感覚と不可思議な相性をみせている。楽曲や演奏の印象を雑にたとえるならば「スコット・ウォーカーシド・バレットとベン・フロストをPortishead経由で融合したような暗黒ポップス」という感じだが、総合的なオリジナリティと特殊で特別な雰囲気(アブノーマルだが共感させる訴求力も濃厚に持ち合わせている)は他に比すべきものがない。DodheimsgardやVirus、Fleuretyなどの代表作に比肩する一枚であり、本稿でまとめた系譜から生まれつつそこから躊躇いなく飛び立つものでもある。どちらかと言えばメタルを知らない人にこそ聴いてみてほしい、奇怪なポップスの大傑作である。

 

 

【2021年・上半期ベストアルバム】

【2021年・上半期ベストアルバム】

 

・2021年上半期に発表されたアルバムの個人的ベスト20(順位なし)です。

 

・評価基準はこちらです。

 

http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2014/12/30/012322

 

個人的に特に「肌に合う」「繰り返し興味深く聴き込める」ものを優先して選んでいます。

個人的に相性が良くなくあまり頻繁に接することはできないと判断した場合は、圧倒的にクオリティが高く誰もが認める名盤と思われるものであっても順位が低めになることがあります。「作品の凄さ(のうち個人的に把握できたもの)」×「個人的相性」の多寡から選ばれた作品のリストと考えてくださると幸いです。

 

・これはあくまで自分の考えなのですが、他の誰かに見せるべく公開するベスト記事では、あまり多くの作品を挙げるべきではないと思っています。自分がそういう記事を読む場合、30枚も50枚も(具体的な記述なしで)「順不同」で並べられてもどれに注目すればいいのか迷いますし、たとえ順位付けされていたとしても、そんなに多くの枚数に手を出すのも面倒ですから、せいぜい上位5~10枚くらいにしか目が留まりません。

(この場合でいえば「11~30位はそんなに面白くないんだな」と思ってしまうことさえあり得ます。)

 

たとえば一年に500枚くらい聴き通した上で「出色の作品30枚でその年を総括する」のならそれでもいいのですが、「自分はこんなに聴いている」という主張をしたいのならともかく、「どうしても聴いてほしい傑作をお知らせする」お薦め目的で書くならば、思い切って絞り込んだ少数精鋭を提示するほうが、読む側に伝わり印象に残りやすくなると思うのです。

 

以下の20枚は、そういう意図のもとで選ばれた傑作です。選ぶ方によっては「ベスト1」になる可能性も高いものばかりですし、機会があればぜひ聴いてみられることをお勧めいたします。もちろんここに入っていない傑作も多数存在します。他の方のベスト記事とあわせて参考にして頂けると幸いです。

 

・いずれのアルバムも10回以上聴き通しています。

 

 

 

[上半期best20](アルファベット音順)

 

 

black midi:Cavalcade

 

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 プレスリリースで名前を挙げられていることもあってかKing Crimsonを引き合いに出して語られることが多いようだが、こちらのインタビュー(質問作成と本文構成および注釈を私が担当)でも述べられているように、本人達はKCの存在感と活動姿勢に惚れ込んではいるもののそのスタイルを直接的になぞる様子は全くないし、そもそもKC自体が「プログレッシヴ・ロック」の枠を越えてメタル・ハードコア・ポストロック・マスロックなど極めて広い領域に決定的な影響を与えてきた(それこそThe BeatlesBlack Sabbathにも勝るとも劣らない)永遠の定番・基礎教養的な存在なわけで、King Crimsonとblack midiを並べて語るのは「無意味」とまでは言えないが「だからどうした」というところに留まりがちなことだと思われる。その上であえて比較するならば、ここまでKCの影響を受けているにもかかわらず直接的に似ている部分が殆どないことや、一部でなく全ての時期のKCを網羅し全く異なる形に変容させていることが凄いわけであって、「KCは好きだがその特徴的な要素をそのまま引用し自身の個性を損なっている音楽(非常に多い)は苦手」という自分のような聴き手が抵抗感なくハマれる理由はそのあたりにもあるように思う。膨大な音楽情報を消化吸収し混沌や勢いを損なわず再構成する手管は過去作とは段違いで、即興主体から作曲主体に切り替えた活動方針が最高の成果に繋がった作品。サウスロンドンのシーンとか現行ポップミュージックの傾向うんぬんを反映したものと見るよりは(そういう解釈も無駄ではないだろうが)、凄いバンドが独自の路線を突っ走った結果たまたまこんな姿になってしまった異形の音楽であり、これが周囲に影響を及ぼして潮流を生んでいく、影響関係を分析するのならそちらの方を追うのが有意義なのでは、という気がする強烈な一枚。そういう意味においても紛れもない傑作なのだと思う。

 

 

 

 

Cassandra Jenkins:An Overview on Phenomenal Nature

 

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 「アンビエントフォークとチェンバーポップを融合させたような音楽性」と形容されることが多いようだが、聴いてみると確かにそういう味わいもあるものの「両極のイレギュラーなものを足したら結構普通になった」感じの仕上がりだし、その2つのジャンル用語から連想される儚くつかみどころのない印象とは異なるどっしりした質感の方が耳を惹く。そして、そうしたある種のふてぶてしさも伴う出音(リズムアンサンブルが地味ながら素晴らしい)こそが本作の一つの肝で、瞑想的ではあるが浮世離れはしておらず、大きな喪失が依然として影を落としているけれども前を向いて歩き出せるようにはなっている、という感じの状態や力加減をとてもよく具現化しているように思う。声をかけて無理に元気を出させようとするのではなく、多くを語らず傍に寄り添い痛みを分かち合ってくれるようなほどよい距離感があり、それが何より好ましい。そうした居心地が一枚を通して絶妙に表現されていて、何度でも繰り返し聴き続けることができてしまうしリピートするほどに滋味が増す。本当に良いアルバムだと思う。

 

制作背景や音楽性の具体的な説明としてはこの日本語レビューが素晴らしい:

Cassandra Jenkins : An Overview on Phenomenal Nature | TURN (turntokyo.com)

 

 

 

 

Cerebral Rot:Excretion of Mortality

 

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 アメリカ・ワシントン州シアトル出身バンドの2ndフル。デスメタル史上屈指の傑作といえる素晴らしいアルバムである。2019年の1stフルではフィンランドの“テクニカルデスメタル”寄りバンド(Bolt Throwerの系譜:AdramelechやDemigodあたり)に近い比較的クリーンな音作りと起伏の大きいリフを志向していたが、本作ではAutopsyや初期Carcassからフィンランドのドゥーム寄りデスメタルに至るラインに大きく接近。デモ期DisgraceとDemilichとをDisincarnate経由で接続するような路線をシンプルながらオリジナリティ溢れるリフで構築する音楽性は最高の仕上がりとなった。特に見事なのがサウンドプロダクションで、デモ音源的な生々しい艶やかさと正式音源ならではの整ったマスタリングをこの上ないバランスで両立する音響はこのジャンルの一つの究極なのではないだろうか。アルバムジャケットは確かに酷い。しかし、それを差し引いたうえでも個人的には「これをこの記事から外すのは自分を偽ることになる」と認めざるを得ないくらい素晴らしい音源だし、グロテスクな印象を備えつつデスメタル的な基準からすればファンシーな感じもある画風は独特の親しみやすさがある音楽性を絶妙に表現しているわけで、やはり入れるべきだという結論に達することとなった。近年のOSDM(Old School Death Metal=初期デスメタルリバイバルが生み出した最高到達点のひとつであり、名盤扱いされるようになること間違いなしの傑作。マニアックな音楽性ではあるが理屈抜きの旨みと取っつきやすさを備えてもいるし、デスメタル入門的にでも聴いてみてほしい作品である。

 

 

 

 

Claire Rousay:a softer focus

 

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 明確な構成をもつクラシカルな作編曲と生活音のサンプリングを混ぜた音楽なのだが、その双方がともに絶妙に“遠い”ところにあって自然に一体化し、配合比率が変わり続けるのを気付かせないくらい滑らかに推移していく。駅のアナウンス、車のクラクション、遠くで花火が弾ける音、水のせせらぎというか水流に包まれるような響きなど、採用される具象音は多彩だが、その一部にドラムス演奏(を変調させたもの)を忍ばせているような箇所も散見され、こうした音色の数々はいずれもある種の打楽器音として等価に扱われているようにも思われる。衣擦れのようにさりげない異物感を伴う音の流れは全編を通して極上で、気付いたら聴き終えてしまっているような流麗さと必要最低限の絶妙な引っ掛かりがスムーズに両立されている。何も考えず快適に聴き通せるのに聴き飽きないのは何故なのか知りたくなり、それを考えるために各音色を意識的にみつめるようになるとさらに味が増す、という循環も好ましい。薄靄がかった虹色のような情景も素晴らしいアルバム。傑作だと思う。

 

 

 

 

Danny Elfman:Big Mess

 

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 自分が本作を聴いていて想起するのはWaltari(のデスメタル交響曲『Yeah! Yeah! Die! Die!』)やSepticflesh、JG Thirlwell & Simon Steensland、SwansやPrimusあたりで、本人がインタビューで言及しているとおりToolを直接的に連想させるリフも随所にある(「Native Intelligence」ラスト10秒から次曲への流れなど)。というように、一言でいえば「古今東西のヘヴィロック語彙をオーケストラ編曲もできる映画音楽家ニューウェーブ出身)が緻密に組み上げた歪な組曲」的な音楽性で、スタイルとして新しいかというと特にそんなことはない内容ではある。本作を特別なものにしているのは何より演奏の素晴らしさで、卓越したサポートメンバー(Nine Inch NailsやGuns N` Rosesなどにも参加した歴戦の名手揃い)による“鋼鉄のゴム鞠が機敏に跳ね回る”的な質感は他に比すべきものがない。このバンドサウンドはメタルとハードコアの良いところのみを掛け合わせたような(結果的にそのいずれとも異なる)グルーヴを確立していて、そこに異様にキレの良いオーケストラ(これもロックとの共演ものでは稀な出来栄え)を加えたアンサンブルは唯一無二の美味といえる。そのうえ本人によるリードボーカルも素晴らしく、たとえば「In Time」で微妙にフラット気味な微分音程がこの上なくうまくハマり完全に“正解”になっているところなどはなかなか真似できない技なのではないだろうか。ダークとか黙示録的みたいな惹句が連発されているが実はユーモラスで楽しい(そしてそれこそが勢いや凄みにつながっている)様子も含め、生演奏による代替不可能な表現力に満ちた傑作。2部構成72分の長さを難なく聴かせてしまう素晴らしいアルバムである。

 

 

 

 

Diego Schissi Quinteto:Te

 

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 まず印象的なのが冒頭の「Árbol」。ティグラン・ハマシアンなどに連なるピアノdjentとマイルス・デイヴィス「Nefertiti」をタンゴ経由で接続したようなスタイルで、ドラムレスとは思えないヘヴィなサウンドが素晴らしい(打楽器音は楽器ボディを叩いてカホンのように扱っているものだと思われるが、それもスティーヴ・ライヒパット・メセニーのハンドクラップのような捻りの効いた絡みになっていて一筋縄ではいかない)。こうした重い鳴りはメタルファンなども一発で耳を惹かれるだろう大変シャープなものだが、その上でアコースティック楽器でなければ難しい風通しの良さとクリアな芯を兼ね備えた響きにもなっており、ある意味「ジャンル外からきた理想のメタルサウンド」と言えるものでもある。以降の曲では先述のようなdjent形式は出てこないもののこうした響きの魅力は全編で発揮されており、アントニオ・ロウレイロやレコメン系プログレッシヴロックに通じる複雑な和声感覚は出自であるタンゴを(その傾向や嗜好的なものはおそらく活かしつつ)大きく逸脱し発展させている。本作はPescado Rabiosoの1973年作『Artaud』収録曲「Por」の歌詞に含まれる単語を全19曲のタイトルに採用したトータルアルバムで、各曲の音楽性はそれぞれ異なるが全体としての流れまとまりは申し分なく良い。タンゴの歌謡曲的音進行やそれに対応するメロウさの質が好みでない人も積極的に楽しめる内容だと思う。掛け値なしの傑作である。

 

 

 

 

Eli Keszler:Icons

 

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 最初の一音から理屈抜きに惹き込まれる音響的快楽に満ちた一枚で、淡く輝く光に包まれながら夢うつつになる感じがたまらない。乳白色の霧で眼鏡が曇るような湿度の高い空気感は熱帯雨林を連想させるが(ロックダウン中のマンハッタンやそれ以前の日本でのフィールドレコーディングが駆使されているという話からはだいぶ離れた印象)風通しは不思議と良く、ミストシャワーを浴びているような涼しさがある。ぼやけた音像とは対照的に作編曲は複雑で、ドラムンベース~EDMをトロピカリズモ化したような「The Accident」などアクティブに攻める場面も少なくないのだが、全体としてはリラックスした鎮静効果のほうが勝る感じで、そこに微かな苛立ちを滲ませる兼ね合いが代替不可能な個性になっているように思う。薫り高い媚薬にさりげなく煽動されるような没入感が素晴らしいアルバム。

 

 

 

 

Emptiness:Vide

 

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 ベルギーのブラックメタル出身バンド、活動23年目の6thフルアルバム。いちおうメタル領域から出てきたバンドではあるのだが、2014年のインタビューで「最近の好み」としてLustmord、MGMT、コナン・モカシン、ワーグナー、Beach House、ジャック・ブレル、デヴィッド・リンチ的なもの、Portisheadなどを挙げているように、メタルの定型的なスタイルからためらいなく離れる志向を早い時期から示していた。まだメタル要素をだいぶはっきり残していた2017年の5thフル『Not for Music』から4年ぶりに発表された本作はポータブルレコーダーを持ち歩きながら様々な場所(森の中や街頭、屋根裏など)で録ったという音源を組み合わせて作られた(メタル要素はほぼなくむしろポストパンクに近い)アルバムで、様々な距離感および残響の具合が交錯し焦点を合わせづらい音響が複雑な和声感覚と不可思議な相性をみせている。楽曲や演奏の印象を雑にたとえるならば「スコット・ウォーカーシド・バレットとベン・フロストをPortishead経由で融合したような暗黒ポップス」という感じだが、総合的なオリジナリティと特殊な雰囲気(アブノーマルだが共感させる訴求力も濃厚に持ち合わせている)は他に比すべきものがない。DodheimsgardやVirus、Fleuretyなどの代表作にも並ぶ一枚であり、どちらかと言えばメタルを知らない人にこそ聴いてみてほしい奇怪なポップスの傑作である。

 

 

 

 

Flanafi with Ape School:The Knees Starts to Go

 

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 ネオソウルとアンビエントを両極において見るならば前者寄りだった1stフルと後者寄りだった2ndフルを経て、Ape Schoolとの共作となる本作(実質的に3rdフル?)はその2作の中間後者寄りになっていると思う。その上でフレーズの冴えは抜群で、ミシェル・ンデゲオチェロと00年代King Crimsonを同時に想起させるスペーシーな「gjuijar」など、独自の心象表現と理屈抜きの訴求力を高度に両立した素晴らしいポップソングを全編で堪能することができる。1曲目「Family, Friends」(冒頭は11+8+9+10+5拍フレーズで以降の変奏は音程変化は似ているものの拍構成が細かく異なる)をはじめリズム展開はさらに変則的になっているが、これは変拍子で聴き手を振り回そうとしているというよりも歌詞に合わせて拍を構成したらこんな感じになったとみるほうがしっくりくる。その意味においてflanafiの音楽はいわゆる戦前ブルースに通じる部分が多く、それを豊かな音楽語彙を用いて発展させることによりこのような異形の美が生まれたということなのかもしれない。過去作にも多用されていたSly & The Family Stone『Fresh』的リズムボックス路線をさらに緻密に組み上げたApe Schoolの仕事も素晴らしい。アルバムとしての輪郭が少し歪に感じられるところも含め文句なしに充実した一枚。flanafi関連ではベストと言っていい傑作だと思う。

 

flanafiの過去作についてはこちらで詳説した:

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1336354874808659971?s=20

 

 

 

 

GhastlyMercurial Passages

 

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 フィンランドデスメタルバンドによる3rdフルアルバム。バンドということになってはいるが実質的には一人多重録音ユニットで、ボーカルとリードギター以外の全パートを中心人物が担当している。そのおかげもあってかアンサンブル全体のまとまりは極上で(一人のクセが全パートで一貫するため個性が高純度で発露する)、特に本作においてはパート間の響きの干渉がうまくいっていることもあってか「とにかくサウンドが心地よいからそのためだけに聴きたくなる」魅力が生まれている。GorementやPestilenceに通じる和声感覚を発展させ激しくないデスメタルならではのビート感覚で煮込んだような音楽性はそうカテゴライズしてみると(ニッチではあるが)そこまで珍しいものではないもののようにも思えるが、細かく聴きほぐしていくと他のどこにもない固有の魅力に満ちていることが明らかになっていく。Morbus Chron『Sweven』やTiamat『Wildhoney』といった(カルトながら決定的な影響を及ぼした)歴史的名盤にも通じる変性意識メタルの傑作。具体的に何が良いのかうまく説明するのが難しく、それをうまく掴むためにも聴き返す、というふうにしてつい延々リピートしてしまえる素晴らしい作品である。

 

 

 

 

Hiatus Kaiyote:Mood Valiant

 

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 Hiatus Kaiyoteを紹介する際に多用されるジャンル用語に「ネオソウル」というものがあるが、個人的にはこれがどうもよくわからない。ディアンジェロから大きな影響を受けてはいるようだし、ジャンルとしてのイメージが固まってからの「ネオソウル」に特徴的なコード感を採用している楽曲も確かにあるけれども、そうした定型に回収される場面は殆どないし、全体としてはそこから逸脱する部分の方が多い。そうした在り方に通じることとして本作関連で興味深いのが「ブラジリアンフュージョン色がない」こと。「Get Sun」「Stone or Lavender」に参加したアルトゥール・ヴェロカイをはじめ、エルメート・パスコアールやオス・チンコアスなどブラジル音楽を参照している部分も多いのだが、そうした先達をそのままなぞるようなことはなく、自身のフィルターを通して完全に独自なものに変換・昇華してしまえている。亜流感やそれがもたらす不純物に敏感に反応してしまう自分のような聴き手が安心して没入できる理由はこのあたりにもあるのではないかと思う。

 フルアルバムとしては実に6年ぶりのリリースとなる本作の仕上がりは最高の一言。前2作も名作というべき極上の内容だったが、この3rdアルバムではその混沌とした滋味を損なわないまま輪郭を整える作編曲が隅々まで行き届いており、振り回されすぎずに快適に聴き入ることができるようになっている。前作で多用されていた戦前ブルース的な字余り拍構成(ネイ・パームの2017年ソロ作ではさらに剝き出しの形で頻出)は殆どなくなり、5連符を用いる「Rose Water」でも4拍子の滑らかな流れに難なくノることができる…という変化は別ジャンルで例えるなら変拍子多用のプログレッシヴメタルがMeshuggah的洗練(凄まじいアクセント移動を多用するが大局的には全て4拍子系に収まる)を成し遂げたようなものと言えるかも。とにかく全曲の全フレーズがキャッチーで、優れた(しかし異形ではある)ポップソングのみが無駄のない構成で美しい起伏を描く曲順構成も完璧。様々な困難を乗り越え時間をかけただけの甲斐はある、名盤と呼ばれるべき素晴らしいアルバムだと思う。

 本作のひとつ特別なところは、宅録的な密室感&親密さと密林的な(入り組んではいるが確かに外に繋がる)広がりが自然に両立されていることだろう。ブラジルでのレコーディングに際してアマゾンに滞在しヴァリアナ族と交流した(本作にはその音声も収録されている)経験もそこに少なからず貢献しているのかもしれない。こうした点においても代替不可能な魅力に満ちた傑作である。

 

 

 

 

平井堅:あなたになりたかった

 

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 収録曲の大半がタイアップ付きの既発曲、というのが信じられないくらい完璧な構成のアルバム。無難な雰囲気で始まりいつの間にかとんでもないところまで連れていかれ、その上で気付いたらまた安全なところに戻されているように感じる、という流れもとんでもなく、その全てが特に奇を衒っている素振りのない自然体なのも凄まじい。J-POP的な賑やかさ水準を備えているからこそ可能になる表現なのだろうし、そしてそれは平井堅の健全かつ退廃的な歌声があって初めて成立するのだと思う。正直言ってこの人には全く興味がなかったし本作も最初は3曲目で止めてしまったくらいなのだが、その後あらためて全曲聴き通してみたらじわじわ印象が変わっていった。個人的にはJ-POP的なものに対する見方が変わる(適切に読み込むポイントを示唆してもらう)きっかけとなった重要な一枚。非常に優れた作品だと思う。

 

詳しくはこちら:

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1394614085426106372?s=20

 

 

 

 

Jihye Lee Orchestra:Daring Mind

 

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 音楽とは無縁の家庭に生まれ育ちながら音楽に強く惹かれていたという韓国出身のイ・ジヘイは、高校ではロックに傾倒したのちギター(Guns N`Rosesのスラッシュなどをコピーしていたらしい)に挫折、その後は同徳(トンドク)女子大学校で声楽を修め教職で安定した収入を得ることができていたものの、経済的には満たされながらも音楽的には満足できていなかったために渡米、バークリー音楽大学に入学。その時点ではカウント・ベイシーギル・エヴァンスサド・ジョーンズといったビッグバンドジャズの名音楽家を全く知らなかったとのことだが、その3者の音楽を急速に吸収、数ヶ月後には当校のデューク・エリントン賞を勝ち取ることになる。翌年も同賞を受賞したイはジャズの道を志すことを決意し2016年にはニューヨークに移住。そこから今に至る約5年間の集大成となったのが本作である。『Daring Mind』(“でもやるんだよ精神”みたいなニュアンスだろうか)というアルバムタイトルは、ウェイン・ショーターの2013年の発言「ジャズには“こうあるべき”みたいなことはない。自分にとって“jazz”とは“I dare you(あえてやる)”という意味だ」からきているとのことで、「カウント・ベイシーみたいなビッグバンド曲を書かないでいると時々不安になるけれども、自分は伝統的なタイプのジャズ作曲家ではない。スウィング曲も悪くないけれども、それは自分のやることではないのだ」という思い切りは本作でもよく示されているし、高純度の個性確立につながっていると思う。このアルバムを聴いていて個人的に興味深く感じるのが同系統の音楽との音進行の傾向の違い。上記のような発言をしながらも既存のジャズのセオリーを完全に外しているというわけではないのだが、ゴスペルとビッグバンドジャズの要素を意識的に採用したという「Struggle Gives You Strength」のような曲でも、そうしたコンセプトから連想されやすいアメリカのソウルミュージックとかイギリス・カンタベリーのジャズ~プログレッシヴロックなどとは(通じる景色が全くないわけではないが)根本的な“出汁の感覚”が異なっているように感じられる。12小節のブルースが下敷きになっている「Why is That」も独特な味わいがあるし(どこかモンク的な薫りはある)、ブラジルを想起させる音進行を含む(その点においては本作中では例外的な)「GB」もブラジル音楽そのものやフュージョンに本気で接近しようとする気配は感じられない。そういう意味では「ライオンキングの野菜版みたいなもの」という「Revived Mind」のアジア的な響きが最も地金が出ている部分と言えるのかもしれない。以上のような独自の立ち位置が強靭に鍛え上げられたバンドアンサンブル(個人単位でも全体としての完成度も素晴らしい)によって魅力的に表現される音楽で、あからさまに変で際立つところはないが他と違うことは確かに伝わってくる、という不思議な手応えに惹かれているうちについ聴き通しリピートもしてしまう一枚になっている。とても興味深いアルバムである。

 

イ・ジヘイの活動歴や本作の成り立ちについてはこちらの記事が詳しい:

Jihye Lee: Daring to Lead - JazzTimes

 

 

 

 

君島大空:袖の汀

 

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 匂い立つような情景喚起力のある音楽は、つまるところどんな季節にもよく合うのではないかという気がする。もちろん特定の時期や時間帯にこそ合う音楽も少なからずあって、例えばGenesisの名曲「The Cinema Show」の瑞々しいせせらぎのようなイントロは自分の中では雪融けのイメージと固く結びついているし、Dark Tranquillityの冷たく仄暗い音楽は湿度が下がり少し肌寒くなってきた晩秋にこそ輝きを増すという確信はある。しかしそれは、「The Cinema Show」でいうなら西武新宿線に乗って高田馬場駅に差し掛かり減速する際に差し込む朝の柔らかい光がこの曲のイメージやその時の気分にこの上なくしっくり寄り添ってくれた、という経験を通して刷り込まれたのも大きかったのかもしれないし、こういう思い入れを許す余白は多かれ少なかれどんな音楽にもあるような気もする。そして、その容量が大きかったり間口が広かったりすれば、演者や聴き手の移入を様々なかたちで受けとめ、その時々の気分と情景を融かし合わせる繋ぎの役割を果たしてくれるのだろう。君島大空が本作のリリースに際して4月末の京都で行った紫明会館公演はまさにそんな感じの得難い機会だったが、そうした情景喚起力、いうなれば“一期一会を何度も生み出す力”はこの音源自体にも(卓越したライヴパフォーマンスと比較しても同等以上に)宿っているように思われる。君島の音楽にはもともとフィールドレコーディング性のようなものがあって、生活音などを取り込んで音響の一部として活かす試みが優れた成果をあげてきたのだけれども、そうした感覚を備えた上でアコースティックな編成を選んだ本作の音作りは、そうしたサンプリング音を組み込んでいない箇所でも同様の効果を発揮しやすいというか、聴き手の周囲に漂うその時々の生活音を取り込み音楽の一部としてしまう特性をよく備えているように思われる。遠くを通り過ぎる車の音、イヤホンの外でさえずる鳥の声など、様々な響きが合う音楽だし、そうしたものを引き受ける懐の深さがある作品なのだといえる。もちろんこういう追加要素がなくても楽しめる音楽で、どの曲にも本当に素晴らしい表現力がある。前半も名曲揃いだと思うが個人的には後半の展開が好きで、ギターソロがあまりにも良すぎて何度聴いても声が出そうになる「きさらぎ」、Pink Floyd的な夕闇の浮遊感がたまらない「白い花」、ゆったり噛みしめるような流れから最後の最後にハイライトを持ってくる「銃口」、という構成は最高と言うほかない。夕暮れ(または朝焼け)を情感豊かに描く音楽として様々な季節に寄り添ってくれるだろうし、時間をかけて付き合っていけるのがとてもありがたく思える一枚。稀有の傑作である。

 

 

 

 

L' Rain:Fatigue

 

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 フランク・オーシャンとビョークを混ぜてDirty Projectorsに撹拌させたようなオルタナティヴR&B(ソランジュに通じるものもなくはないと思うがわりと質感が異なるしだいぶポストロック寄りだと感じる:個人的にはなんとなく「森は生きている」を連想する箇所がある)は他の何かに似ているようで安易な比較を退ける個性に満ちており、楽曲の良さに惹かれて快適に聴き通すことができてしまう一方で音だけではなかなか勘所を得にくい印象があるのだが、母の死の後遺症を引きずる状態で制作されたというエピソード(「Blame Me」ではその母からのボイスメールが用いられている)を知った上でフィールドレコーディングを多用する構造を読み込んでみると、これは戻れない郷愁などに様々な角度から向き合っていく音楽なのだなという実感が得られ、何も考えずに聴くと雑で騒々しいだけのインタールードに思える「Love Her」の笑い声から複雑なニュアンスを読み取ることができるようにもなってくる。そうしたことを踏まえてみると、記憶の断片を並べて整った輪郭にまとめたような約30分の(よくわからないが極めて快適に聴き通すことができ何度でもリピートしてしまえる)構成も、思い出に繰り返し接しながら自己の深部に潜り向き合っていく作業を無理なく喚起するために徹底的に練り上げられたものに思える。手が届きそうで届かない、しかし“わかる”ための糸口は確かに遺されている。そういう状態が直接的にも間接的(感情をそのまま表すことはできないがその輪郭を捉えることはできるツールとしての言語と、それに通じる(抽象性を抑え認識しやすいレベルに留めた)ものとしての音楽ジャンル的語法(本作においてはR&B的な楽曲スタイルなど)により描かれる部分)にも表現されていて、その両方があることが大事なのだと実感させてくれる素晴らしい作品。傑作だと思う。

 

 

 

 

Lind:A Hundred Years

 

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 ドイツのプログレッシヴロックバンドSchizofrantikやPanzerballettに参加するドラマーAndy Lindの2ndソロアルバム。これが実に素晴らしい内容で、MeshuggahとDodheimsgardを混ぜてArcturusやHowling Sycamore的な配合で仕上げたコード感(Ram-Zetあたりに通じる箇所も)をdjentの発展版的な緻密なリズム構成とともにまとめたような音楽性になっている。全体のノリとして近いのはX-Legged SallyやSnarky Puppyのような現代ビッグバンドジャズで、ティグラン・ハマシアンやキャメロン・グレイヴスのようなメタル寄りジャズも(ともにMeshuggah影響下ということもあってか)通じる部分が多い。本作が何より好ましいのはとにかく曲が良いことで、上記の比較対象の美味しいところのみを抽出して亜流感ゼロの魅力的なかたちに昇華したような出来栄えの楽曲群はほとんど比肩するもののない境地に達しているように思う。サウンドプロダクションはこの手のプログレッシヴメタル方面にありがちな(言ってしまえば凡庸な)色彩変化に乏しいもので個人的にはあまり好ましくない印象だが、曲と演奏が著しく良いので総合的には積極的に聴きたくなるというところ。80分の長さを曲間なしで繋げとおす組曲構成はやり過ぎ感もあるが、一貫した風合いを保ちながらも曲調は多彩で(ザッパやMr. Bungle、Gentle Giant的になるところも)飽きずに楽しみ通せてしまう。メタルファンよりもむしろジャズやプログレッシヴロックのファンに聴いてほしい傑作である。

 本作を聴いていて気付かされることに「ドラマーがリーダー作で選ぶ魅力的なスタイルとしてのdjent」というものがある。複雑なアクセント移動を楽曲のクオリティに貢献する“音楽的な”アレンジとして多用でき、そういう意味でのクオリティの追求と作編曲のクオリティ追求の利害が一致しやすい。ドラムソロを入れなくてもテクニック的な見せ場を常に作ることができ、多彩な作り込みとストイックなミニマル演奏を両立させることができる。なるほどそういう価値もあるスタイルなのだなと感心させられたし、そういう納得感を与えるだけの説得力にも満ちた音楽なのだといえる。

 

 

 

 

Loraine James:Reflection

 

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 一言でいえばUKドリル/グライム+オルタナティヴR&Bという感じなのだが、音作りと楽曲がとにかく素晴らしい。細かく切り刻まれたシンバルの流れが点描的な網を形成し8 bitサウンド的シンセと絡む「Self Doubt」、タム~キックが雨だれのように重く躍動する「On The Lake Outside」など、各々の曲が異なる響きを駆使して描き分けられていて、そのすべての鳴りが極上なうえにフレーズやコードの動きも魅力的。「Insecure Behaviour and Fuckery」などはトラック単体でも延々聴かせてしまえる超一流のループものだが、そこにラップを載せる余白の作り方も見事で、ボーカルが入ってきた瞬間に理想的な歌伴に切り替わる。打ち込みだからこそ可能なタイトなアタックとその全てが艶やかに繋がる流麗なフレージングの両立がとにかく好ましく、時間帯やノリを問わずにフロアで活躍する(そしてその迫力を家庭のサウンドシステムでも体感できる)大変優れた内容になっていると思う。仄暗くメロウな雰囲気と親しみやすさを兼ね備えた素晴らしいアルバムである。

 

 

 

 

Parannoul:To See the Next Part of the Dream

 

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 こちらのインタビューによれば、本作の殆ど全てのパートはVST、つまり実楽器でない既製のプラグイン音源を用いて制作されているとのことなのだが、そういう種明かしをされた上で聴いても何も気にならないし、生楽器のラフな演奏よりも遥かに瑞々しく切実な念がこもっているようにさえ聴こえる。細かいニュアンス変化を生みやすい生楽器でなくDAWでこれほど繊細な音色表現を作り込むのはその手間も考えればむしろ数段凄い“演奏”だし、それを実現するだけの強い思い入れにほどよい節度を加え絶妙なバランスを生むための縛りにもなっていると考えれば、このやり方でなければ(そしてそれを貫徹できる意志と技術が伴わなければ)実現できない素晴らしいサウンドなのだと言える。シューゲイザーを土台にポストロック~エモ~激情ハードコア的なものを融合させた音楽性と先述のような節度ある演奏の相性は抜群で、冷静さと情熱をこのような形で両立する音楽は他ではなかなか聴けないだろうと思われる。そして本作はとにかく曲が素晴らしい。「僕の音楽は全くクリエイティヴじゃないよ。僕が特に好きなバンドの要素を組み合わせて、新しい音楽を作っている“ふり”をしているだけ」という発言も、手法としてはその通りなのかもしれないが、結果としては代替不可能な表現力に満ちた作品につながっている。BandcampNYPなのが申し訳なくなるくらい素晴らしいアルバム。

 

 

 

 

Pino Palladino & Blake Mills:Notes with Attachment

 

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 参加メンバーは重要人物揃い。ディアンジェロの歴史的名盤『Voodoo』(2000)でいわゆるネオソウルのグルーヴを殆ど誰にも超えられない形で確立したほか、The Whoジェフ・ベック、アデル、Nine Inch Nailsなど膨大なセッション参加でも知られる名ベーシスト:ピノ・パラディーノ(活動開始は1974年だがソロアルバムは本作が初)。Alabama Shakes『Sound & Color』(2015)や自身の『Mutable Set』(2020)など数々の傑作に関与した、現代ポップミュージックシーンを名実ともに代表するプロデューサー/ギタリスト:ブレイク・ミルズ。この2人を軸に、昨今のジャズ周辺シーンを代表するサックス奏者/プロデューサーであるサム・ゲンデルや、ジャズ領域に限らず世界最高の一人といえるドラマー:クリス・デイヴなど、キャリア的にも実力的にも超一流のプレイヤーが勢ぞろいで、その一覧だけでも歴史的に重要なアルバムと言っていいくらい。その上で内容は期待以上に素晴らしいものになっている。The Beach Boys『Pet Sounds』のインスト曲を発展させたような趣もある冒頭の「Just Wrong」は「デューク・エリントンとJ.ディラを繋げることが狙いのひとつだった」というし、ディアンジェロフェミ・クティとの演奏から生み出されたという「Soundwalk」「Ekuté」、エルメート・パスコアール人脈の音楽がインスピレーション源になった「Man from Molise」など、アメリカと深いかかわりをもつ様々な音楽要素が滑らかに溶かし合わされる(その節操のなさも含め映画のサウンドトラック的でもある)楽曲の数々は、驚異的に素晴らしい演奏や音響もあわせ、この座組でなければ達成不可能な形に仕上げられていると言えるだろう。初めて接した時の印象はわりと地味でもあるが、アレンジの細部やフレーズ単位の動き・音作りなどを意識的に吟味するようになると途端に味が増していく(「Ekuté」の強烈に歪んだサックスは曲調もあいまってどことなくKing Crimson『Earthbound』を連想させるなど)。汲めども尽きせぬ素敵な謎に満ちたアルバムである。

 

参考資料としてはこのあたりが興味深い:

ジャズにとっての、そしてジャズのみならず多くの音楽への示唆ピノ・パラディーノとブレイク・ミルズの邂逅が示すもの | TURN (turntokyo.com)

 

ピノ・パラディーノが追求してきた“遅らせた演奏”のグルーブ 〜THE CHOICE IS YOURS - VOL.136 - サンレコ 〜音楽制作と音響のすべてを届けるメディア (snrec.jp)

 

[INTERVIEW] Pino Palladino & Blake Mills | Monchicon! (jugem.jp)

 

 

 

 

Spellling:The Turning Wheel

 

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 本作を再生開始してまず流れてくるのはフィリーソウル~ソフトロック的なオーケストラサウンド(アルバム全体では総勢31名が関与とのこと)で、この時点では「70年代初頭のポップスをシミュレートしたレアグルーヴ志向なのかな」という程度の印象に留まるのだが、そこに入ってくるボーカルが凄すぎる。ケイト・ブッシュマイケル・ジャクソンが憑依したような元気な歌声は節回し的には芝居がかった感じもあるがふざけている気配は全くなく、少し陰りのある御伽噺的世界観を全力で描き切らんとする饒舌な表現力に満ちている。そのさまは60~70年代のアシッドフォーク的アーティストにそのまま通じるもので、ドラッギーなイメージ作りを狙って奇を衒った音作りをする(その結果“奇の衒い方”のパターンにはまった)poserとは対照的な、自らの表現志向を真摯に突き詰めたらいつの間にか一線を越えてしまった感じ、言葉本来の意味での「サイケデリック」を体現する本物のオーラが濃厚に漂っている。それをふまえて作編曲にも注目してみるとこちらも凄まじく、楽曲単体でも優れた酩酊感を生じうるキャッチーなフレーズの数々や、こけおどしのないチャーミングな曲調に仄かなゴシック感を滲ませる独特の雰囲気表現(「Awaken」などはMercyful Fateのような暗黒歌謡メタルに通じる味わいもある)がボーカルに拮抗する存在感を発揮し続けるのである。“Above”と“Below”の2パートで陰陽を交互に描き聴き手をじわじわ引きずり込んでいく構成も見事で、アルバム全体として稀有の傑作に仕上がっていると思う。black midiの項で述べた「現行ポップミュージックの傾向うんぬんを反映したものというよりは、凄いバンドが独自の路線を突っ走った結果たまたまこんな姿になってしまった異形の音楽であり、これが周囲に影響を及ぼして潮流を生んでいく」という在り方をまた異なる形で体現する一枚になるのではないだろうか。こんな作品に前触れなしに出会うことができるわけで、今の音楽は本当に面白いものだなと実感する次第である。

 

 

2021年上半期・メタル周辺ベストアルバム

【2021年上半期・メタル周辺ベストアルバム】

 

 

文中に出てくるサブジャンルや関連シーンについての詳しい説明はこちらの記事を参照

 

 

closedeyevisuals.hatenablog.com

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Backxwash:I Lie Here Buried My Rings And My Dresses

 

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 ザンビアとカナダをルーツにもつケベック州モントリオール拠点のラッパー/プロデューサー(xは発音せずバックウォッシュと読む)。2018年の活動開始当初は比較的明るめなヒップホップ~トラップもリリースしていたが、2020年発表の『God Has Nothing to Do with This Leave Him Out of It』で暗く重いメタルの成分を全面的に導入。「Black Sabbath」からオジー・オズボーンの叫びを引用した冒頭曲や、Led Zeppelin「When the Levee Breaks」の革命的なドラムイントロをサンプリングした「Adolescence」など、70年代のクラシックなハードロック音源を駆使する一方で、全体的な音響はインダストリアルメタルを通過した現代の質感に仕上げられており、作編曲自体も何かの亜流でない個性を見事に確立していた。本作はフルアルバム扱いのものとしては『God Has~』に続く3作目で、初めて30分を超える比較的長めの尺が絶妙なバランス感覚のもとまとめ上げられている。サウンドの系統としてはインダストリアルメタル~トラップメタル的なものが下地にあると思われるが、リズムパターンやテンポ選択はそこからだいぶ離れており(3連を多用するラップはトラップ的ではある)、むしろスラッジ(ドゥームというよりもハードコア寄りの跳ね感がある)やSwans系列のジャンクに近く、そうしたアンダーグラウンドメタルのスタイルをトラップ方面の語法を用いて再現しようとした結果オリジナルな仕上がりになったという印象もある。希死念慮を歌うリリックはそうしたサウンドに通じるヘヴィなものではあるが、自暴自棄にも無気力にも流れず独特なしなやかさを保つラップの存在感(リズム処理の巧さなどよりもこうしたところの表現力が素晴らしい)もあってか不思議な親しみやすさが漂い非常に聴きやすい。ザンビアのチャントとSophieのサンプルパックを駆使した「666 in Luxaxa」の東アフリカ音楽+インダストリアルメタル的サウンドはBackxwash(トランス女性)自身のルーツや立ち位置の表現としてもこの上なく見事だし、Godspeed You! Black Emperorの「Static」を用いてメロウな情景を描く最終曲「Burn to Ashes」など聴きどころはとても多い。個人的には『God Has~』の方が好みだが、アルバムの流れまとまりが非常に良いこともあって本作も延々繰り返し聴いてしまう。1日前倒しのリリース直後から注目度は高く、これを通してメタル的なものの魅力が(メタル内のミュージシャンやリスナーの与り知らぬところで)さらに波及し受け入れられていくだろうという点においても重要な作品だといえる。

 

 

 

 

The Body:I've Seen All I Need to See

 

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 スラッジ/ドゥームを起点にノイズ~アンビエントアメリカの暗黒フォークなどあらゆる“ヘヴィ”ミュージックに取り組むデュオ(現代のメタル関連シーンでは音楽的にも人脈形成的な意味でも最重要バンドのひとつ)、単独名義作としては8枚目のフルアルバム。強烈に重くうるさい鳴りは保ちながらも過去作と比べるとだいぶビートミュージック的なノリを増やした一枚で、冒頭曲「Lament」の音飛びと聴き紛うようなカットアップ(しかしBPMの流れは滑らかに保たれる)をはじめ、生演奏一発では実現できない音の推移が多い音響やリズム構成など興味深い作り込みが多いが、その一方で何も考えずに聴き流してしまえる理屈抜きの心地よさにも貫かれている。これは「アンダーグラウンドはポップミュージックからもっと多くのことを学ぶ必要がある」という発言に繋がるものでもあるのだろうし、メンバーのLee BufordがLingua IgnotaおよびDylan Walker(Full of Hell)と結成したSightless Pitの音楽性に連なる作品でもあるようにも思える。謎も多いがとても聴きやすく、何度でもじっくり吟味したくなるアルバムである。

 

 

 

 

Body Void:Bury Me Beneath This Rotting Earth

 

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 アメリカ・バーモント州のスラッジ/ドゥームデュオ、3枚目のフルアルバム。過去のインタビューではKhanateやDystopia、Godspeed You! Black Emperorといった名前を挙げていて、そうした要素を駆使しつつかなり展開の多い作編曲で引き出しの多さをアピールしていたが、本作では数個のリフを反復しながら微細な緩急変化を描いていくミニマルかつタイトな路線に変化。そうした重苦しい展開の途中にスウェーデン的ハードコアデスメタルの爆走パートを組み込んでくる構成が不自然にならないのが見事で、強引に波を揺らされながらも気の長い時間の流れのなかで朦朧とさせられていくような感覚がクセになる音楽である。リフまわりの低域だけに注目していると「旨いけど決定的なところでなんか物足りないかも」となるが高域に舞うノイズに注目すると突然なにかのピースがはまったように感じられる不思議な聴き味があり、これは個人的には「あえて欠けた形を提示している」「天が欠けている様子を見上げる」「空気の上澄みを観測する」ようなものだと思うようになったのだけれども、それをどう解釈していいのかはまだよくわからない部分もある(という具合ながら30回は聴き通してしまっている)。この手のサウンドに対する慣れや相性など要求するものが多い音楽だが、非常に興味深い作品だと思う。

 

 

 

 

Boss Keloid:Family the Smiling Thrush

 

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 YES(『Relayer』あたり)とKyussがMassacre(デスメタルではなくフレッド・フリスの方)経由で融合しているような感じ、というふうに喩えることはできるもののいまいちうまくエッセンスを表現しきれない個性的な音楽で、90年代の地味なカルト名盤を連想させるようなプロダクションながら全編通してここにしかない味わいに満ちている。再生直後は「そこまで面白くないかな?」と思うが全体を聴き通すころには「なんか良いぞ」という気がしてきてなんとなくリピートしてしまい、聴き返すほどに不思議な滋味深さにじわじわ酔わされていく。演奏も作編曲も素晴らしい。傑作だと思うしそう思う理由をじっくり吟味していきたいアルバムである。

 

 

 

Cerebral Rot:Excretion of Mortality

 

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 アメリカ・ワシントン州シアトル出身バンドの2ndフル。デスメタル史上屈指の傑作といえる素晴らしいアルバムである。2019年の1stフルではフィンランドの“テクニカルデスメタル”寄りバンド(Bolt Throwerの系譜:AdramelechやDemigodあたり)に近い比較的クリーンな音作りと起伏の大きいリフを志向していたが、本作ではAutopsyや初期Carcassからフィンランドのドゥーム寄りデスメタルに至るラインに大きく接近。デモ期DisgraceとDemilichとをDisincarnate経由で接続するような路線をシンプルながらオリジナリティ溢れるリフで構築する音楽性は最高の仕上がりとなった。特に見事なのがサウンドプロダクションで、デモ音源的な生々しい艶やかさと正式音源ならではの整ったマスタリングをこの上ないバランスで両立する音響はこのジャンルの一つの究極なのではないだろうか。アルバムジャケットはなかなか酷いが、グロテスクな印象をしっかり備えつつデスメタル的な基準からすればファンシーな感じもあるこの画風は音楽の独特の親しみやすさを絶妙に表現している。近年のOSDM(Old School Death Metal=初期デスメタルリバイバルが生み出した最高到達点のひとつであり、名盤扱いされるようになること間違いなしの傑作である。

 

 

 

 

code: Flybrown Prince

 

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 イギリス・ロンドン拠点のブラックメタル周辺バンド、6年ぶりとなる5thフルアルバム。1stフルと2ndフルは無調寄りアヴァンギャルドブラックとプリミティヴブラックを絶妙に融合したこのジャンル屈指の傑作だったが、そこに大きく貢献した名ヴォーカリストKvohst(現Hexvessel)が抜けてからの3rd・4thフルは興味深い内容ながらインディーロック方面に一気に接近したスタイルのせいもあってか十分な注目を得ることができなかった。本作はその2作の成果も引き継ぎつつ初期のエッジを取り戻した充実の一枚で、Alice In ChainsをDodheimsgardと混ぜたような蠱惑的な音楽性が卓越した作編曲のもと十全に表現されている。複雑に入り組んだテクニカルメタル的展開と歌ものとしてのわかりやすさを見事に両立する楽曲は全編素晴らしく、前任者と比べるとパッとしない印象のあるボーカルも、微妙に腰が入っていない発声と歌い回しが幽玄かつ意地の悪い雰囲気に絶妙に合っていて、これはこれで非常にうまく機能している。もともとニッチな立ち位置で活動していたためにそもそも知られる機会が少ないのだが、ブラックメタル関連の歴史(あらゆるスタイルがあり傑作も多過ぎる)全体をみても屈指の傑作だと思われるし、これを機に十分な注目を浴びてほしいものである。

 

 

 

 

Emptiness:Vide

 

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 ベルギーのブラックメタル出身バンド、活動23年目の6thフルアルバム。いちおうメタル領域から出てきたバンドではあるのだが、2014年のインタビューで「最近の好み」としてLustmord、MGMT、コナン・モカシン、ワーグナー、Beach House、ジャック・ブレル、デヴィッド・リンチ的なもの、Portisheadなどを挙げているように、メタルの定型的なスタイルからためらいなく離れる志向を早い時期から示していた。まだメタル要素をだいぶはっきり残していた2017年の5thフル『Not for Music』から4年ぶりに発表された本作はポータブルレコーダーを持ち歩きながら様々な場所(森の中や街頭、屋根裏など)で録ったという音源を組み合わせて作られた(メタル要素はほぼなくむしろポストパンクに近い)アルバムで、様々な距離感および残響の具合が交錯し焦点を合わせづらい音響が複雑な和声感覚と不可思議な相性をみせている。楽曲や演奏の印象を雑にたとえるならば「スコット・ウォーカーシド・バレットとベン・フロストをPortishead経由で融合したような暗黒ポップス」という感じだが、総合的なオリジナリティと特殊な雰囲気(アブノーマルだが共感させる訴求力も濃厚に持ち合わせている)は他に比すべきものがない。DodheimsgardやVirus、Fleuretyなどの代表作にも並ぶ一枚であり、どちらかと言えばメタルを知らない人にこそ聴いてみてほしい奇怪なポップスの傑作である。

 

 

 

 

GhastlyMercurial Passages

 

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 フィンランドデスメタルバンドによる3rdフルアルバム。バンドということになってはいるが実質的には一人多重録音ユニットで、ボーカルとリードギター以外の全パートを中心人物が担当している。そのおかげもあってかアンサンブル全体のまとまりは極上で(一人のクセが全パートで一貫するため個性が高純度で発露する)、特に本作においては各パートの響きの干渉がうまくいっていることもあってか「とにかくサウンドが心地よいからそのためだけに聴きたくなる」魅力が生まれている。GorementやPestilenceに通じる和声感覚を発展させ激しくないデスメタルならではのビート感覚で煮込んだような音楽性はそうカテゴライズしてみると(ニッチではあるが)そこまで珍しくないようにも思えるが、細かく聴きほぐしていくと他のどこにもない固有の魅力に満ちていることが明らかになっていく。Morbus Chron『Sweven』やTiamat『Wildhoney』といった(カルトながら決定的な影響を及ぼした)歴史的名盤にも通じる変性意識メタルの傑作。具体的に何が良いのかうまく説明するのが難しく、それをうまく掴むためにも聴き返す、というふうにしてつい延々リピートしてしまえる素晴らしい作品である。

 

 

 

 

Hacktivist:Hyperdialect

 

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 イギリス・ミルトンケインズ出身の2MCラップメタルバンドによる2ndフルアルバム。「ラップメタル」と言われて連想されることが多いだろうバンド(Limp BizkitLinkin Parkなど)に比較的近いスタイルだった2016年の1stフルとはかなり趣の異なる仕上がりで、djent+グライムを基軸に様々なクラブミュージックのエッセンスを加える作編曲が素晴らしい。djentのビートダウンパートに通じる遅めのBPMでじっくりフロウする「Luminosity」~「Lifeform」などはトラップメタルとはまた別の“メタル+クラブミュージック”の可能性を示しているように思うし、Animals As Leadersあたりを連想させるミドルテンポの「Hyperdialect」などを聴くと、djent的リフとラップ(音程変化のないリズム楽器的役割という点においていわゆるデスヴォイスにそのまま通じる)の相性の良さを具体的に認識させられる。全体を通して似たような雰囲気を維持しながらも実は多彩で流れも良い曲順構成も好ましい。非常に完成度の高いアルバムである。

 

 

 

Lind:A Hundred Years

 

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 ドイツのプログレッシヴロックバンドSchizofrantikやPanzerballettに参加するドラマーAndy Lindの2ndソロアルバム。これが実に素晴らしい内容で、MeshuggahとDodheimsgardを混ぜてArcturusやHowling Sycamore的な配合で仕上げたコード感(Ram-Zetあたりに通じる箇所も)をdjentの発展版的な緻密なリズム構成とともにまとめたような音楽性になっている。全体のノリとして近いのはX-Legged SallyやSnarky Puppyのような現代ビッグバンドジャズで、ティグラン・ハマシアンやキャメロン・グレイヴスのようなメタル寄りジャズにも(ともにMeshuggah影響下ということもあってか)通じる部分が多い。本作が何より好ましいのはとにかく曲が良いことで、上記の比較対象の美味しいところのみを抽出して亜流感ゼロの魅力的なかたちに昇華したような出来栄えの楽曲群はほとんど比肩するもののない境地に達しているように思う。サウンドプロダクションはこの手のプログレッシヴメタル方面にありがちな(言ってしまえば凡庸な)色彩変化に乏しいもので個人的にはあまり好ましくない印象だが、曲と演奏が著しく良いので総合的には積極的に聴きたくなるというところ。80分の長さを曲間なしで繋げとおす組曲構成はやり過ぎ感もあるが、一貫した風合いを保ちながらも曲調は多彩で(ザッパやMr. Bungle、Gentle Giant的になるところも)飽きずに楽しみ通せてしまう。メタルファンよりもむしろジャズやプログレッシヴロックのファンに聴いてほしい傑作である。

 本作を聴いていて気付かされることに「ドラマーがリーダー作で選ぶ魅力的なスタイルとしてのdjent」というものがある。複雑なアクセント移動を楽曲のクオリティに貢献する“音楽的な”アレンジとして多用でき、そういう意味でのテクニックの追求と作編曲のクオリティ追求の利害が一致しやすい。ドラムソロを入れなくても技術的な見せ場を常に作ることができ、多彩な作り込みとストイックなミニマル演奏を両立させることができる。なるほどそういう価値もあるスタイルなのだなと感心させられたし、そういう納得感を与えるだけの説得力にも満ちた音楽なのだといえる。

 

 

 

 

Lugubrum:Bruyne Kroon

 

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 ベルギーの“Brown Metal”バンド(個性的すぎる活動については下記記事参照)の14thフルアルバム。昨年発表の13thフル『Plage Chômage』はVoivodとディアンジェロチェンバーロック経由で融合しダブやトラップに寄せたようなメタル色皆無の内容だったが、本作は11thフルや12thフルでフィーチャーされていたブラックスラッシュ路線を軸に据えたスタイルに回帰。傑作8thフル『De Ware hond』あたりで培った味わい深すぎる音進行感覚をDarkthroneやAura Noirに通じる滋味深い80~90年代メタル成分と掛け合わせたような極上のリフをたくさん聴くことができる。黒澤明隠し砦の三悪人』のセリフサンプリングから始まる冒頭曲での(そのセリフに関連して採用されたと思われる)排泄音SEは比較的かわいらしい鳴りとはいえ気持ちの良いものではないが、それも含めこのバンドにしか生み出せない極上の音楽だといえる。

 

  

closedeyevisuals.hatenablog.com

 

 

 

Portal:Avow

 

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 オーストラリア出身バンドの6thフルアルバム。音楽スタイルは一応デスメタルということになっていて、出発点は確かにImmolationやIncantationのような“リチュアル系”荘厳儀式デスメタルなのだが、作品を重ねるほどに唯一無二の境地を切り拓き続け、似たようなスタイルを選ぶことはできるが同じ味は出せないというポジションを完全に確立してしまった感がある。慣れないと音程を聴きとることさえ難しい音響(といってもデスメタルはそういうのばかりだがこのバンドの場合は低域に密集するのではなく中域で磁気嵐が渦巻く感じ)も特徴的ではあるが、Portalの音楽の最も個性的なところは「どうしてそんな展開をするのか何度聴いてもよくわからない」曲構成だろう。コード感的にはGorguts系の無調的なものでなく19世紀末クラシックあたりの比較的わかりやすい響きが主なのだが、フレーズの並び方というか起承転結の作り方が不可解で、ある種のドラマは確かに存在するのだが一体どこに連れていかれるのかわからない印象が付きまとう。そう考えると例えばラヴクラフト的な荘厳&理不尽の表現(顔の見えないローブをまとう儀式的なライヴパフォーマンスもそれに通じる)としては至適なものにも思え、コネクトしやすい部分も備えつつ総合的には全く手に負えないというこの按配こそが肝なのではないかという(くらいのところに留まらざるを得ない)納得感が得られる。この6thフルのサウンドプロダクションは過去作からは到底考えられないくらいバランスよく整えられており、全てのパートの動きが難なく聴き取れるからこそ先述のような不可解さがはっきり伝わってくるようになっている。同日リリースの7thフル『Hagbulbia』(本作とは表裏一体的な存在とのこと)はドラムビートの存在感を過剰に減らしバンド史上最もアンビエントノイズ的な音響に近づいた一枚で、音程を満足に聴き取るのも困難なつくりが上記の不可解さを別の角度からよく示しているように思う。敷居が高くあまり気軽にお勧めできないタイプの音楽ではあるが、Cerebral Rotのような汚さはないし、現代最強メタルバンドの一つであるのも間違いないので、最も接しやすいサウンドの本作から手を付けてみてほしいものではある。

 

 

 

 

The Ruins of Beverast:The Thule Grimoires

 

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 ドイツ出身ミュージシャンAlexander von Meilenwaldの一人多重録音プロジェクト、活動18年目の6thフルアルバム。雑にまとめるなら「Dead Can Dance+Triptykon」というのが近いように思うが、音楽的バックグラウンドの豊かさや作編曲の奇妙さ緻密さは驚異的で、安易にこれと言い切るのは難しい。diSEMBOWELMENTやUnholyのようなプレ・フューネラルドゥームバンドに通じる景色を描いていても俯いた感じがあまりない不思議な明るさがあり何故かジミ・ヘンドリックス(ギターでなく音進行や曲調)を連想させられる場面があるなど、容易には解きほぐせない神秘的な奥行きと奇妙な親しみやすさが同居している。本作は7曲69分の大曲志向だが、各曲の構成は洗練されとてもうまく解きほぐされているからか、長さのわりにとても聴きやすくなっている。アルバム全体としての構成も見事。傑作だと思う。

 

 

 

 

Saidan:Jigoku – Spiraling Chasms of the Blackest Hell

 

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 アメリカ・テネシー州ナッシュヴィル出身バンドの1stフル。タイトルは西條八十(さいじょうやそ)の詩「トミノの地獄」にインスパイアされたものとのことで、印象的なアルバムジャケットはその詩を漫画化した丸尾末広も意識しているのかもしれない。音楽性を一言でいえば「冥丁(近年の日本を代表する電子音楽作家の一人)とジャパニーズハードコアの間にあるプリミティヴブラックメタル」という感じで、民俗音楽としての邦楽およびそれに連なるアンビエントな音響とエピックなブラックメタルとが滑らかに併置される。見事なのはその音進行や柔らかみを伴う出音の微妙な質感がManierismeやArkha Svaのような日本のブラックメタルにそのまま通じることで、日本のホラー映画など(歌詞のテーマにもなっている模様)に感化されて上っ面をなぞっているだけでは再現できない薫り高い味わいが独自の形に昇華されている。個人的にはブラックメタルパートの音進行はそこまで好みではないのだが、比較的ストレートに慟哭しながらも安易に流れない構成はとてもよく練られているし、非メタルパートの仄暗い美しさは絶品と言うほかない。ヴィジュアル系的な嗜好・観点からも興味深く吟味できるだろう素晴らしいアルバムである。

 

 

 

 

Siderean:Lost on Void's Horizon

 

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 スロベニアSci-FiメタルバンドTeleportが改名し遂に完成させた(本来は2019年後半リリース予定だった)1stフルアルバム。Teleportの頃はVektorやVoivodあたりのプログレッシヴなスラッシュメタルとGorguts的な無調寄りデスメタルを前者寄りに組み合わせるスタイルを追求していたが、本作ではいわゆるアヴァンギャルドブラックメタル的な音進行が大幅に増加。スラッシュメタルならではの軽く切れ味の良い質感を保ちつつ複雑なリフをキャッチーに聴かせる音楽性はVirusとVektorを理想的な形で融合したような仕上がり。6曲40分のアルバム構成も見事な傑作である。

 

 

 

 

Spectral Wound:A Diabolic Thirst

 

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 カナダ・モントリオールケベック拠点バンドの3rdフルアルバム。スタイルとしては90年代中盤ノルウェースウェーデン前者寄り型の初期メロディックブラックメタルを丁寧に継承するものなのだが、作編曲はImmortalやDark Funeralといったそちら方面の伝説的名バンドに勝るとも劣らない出来栄え、それに加え演奏やサウンドプロダクションは驚異的にハイクオリティ。このジャンルにおいて重要な仄暗さをしっかり残しつつ圧倒的な技術で駆け抜けるサウンドは完璧で、このジャンルの歴史的名盤群をも上回る内容なのではないかと思われる。その一方でバンドの姿勢はいわゆるNSBMとは真逆のアンチファシスト・アンチレイシスト的なものだということで、そのあたりも含め非常に興味深い音楽である。この手の(越境的な姿勢を前面に出さないタイプの)ブラックメタルの入門編としても理想的な一枚といえる傑作。

 

 

 

Subterranean Masquerade:Mountain Fever

 

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 イスラエルサイケデリック/プログレッシヴメタルバンド、結成24年目の4thフルアルバム。TroubleとDead Can Danceを足したらPain of Salvationになったような音楽性なのだが、全編先が読めないのに超キャッチーな作編曲と熱い演奏は固有の魅力に満ちている。過去にはゴシックロック方面(先掲のDead Can DanceやThe Mission、Peter Murphyソロなど)のカバー経験があるようで、そうしたニューウェーブ~ポストパンク方面の多彩な語彙がブルース~ハードロック的なものとうまく統合されればこうした音楽が可能になるということなのだろうか。こんなにメジャー感に溢れているのに“血が通っている”ことがここまで濃厚に伝わってくるメタルはあまりないし、こんなに凄いバンドが少なくとも日本では完全に無名なわけで(自分は本作で初めて知った)、世界は本当に広いものだと痛感させられる。Orphaned Landなどが好きなら必聴の傑作といえる。

 

 

 

 

 

Swarrrm:ゆめをみたの

 

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 グラインドコア(ブラストビートを駆使した気合いの表現)+剛直歌謡ボーカルという近年のスタイルがさらに突き詰められた6thフルアルバム。安全地帯とUlver『Nattens Madrigal』をDiscordance Axis経由で接続したような音楽性で、それらに似た音進行や雰囲気を備えながらも独自の味わいがあり、それらのいずれにも勝るとも劣らない存在感が確立されている。緻密で豊かな構造とそれを引き受け突き崩す演奏の兼ね合いが素晴らしく、うるささと風通しの良さを両立するサウンドプロダクションも上記のような配合を絶妙に盛り立てている。メロウに湿りながらもべたつかないバランス感覚(一言でいえば“潔さ”か)も見事な傑作。

 

 

 

Thy Catafalque:Vadak

 

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 ハンガリーブラックメタル出身ユニット(正メンバーは一人のみ)、結成23年目の10thフルアルバム。日本では2011年リリースの5thフル『Rengeteg』がディスクユニオンなどで推されていたこともあってか比較的早い時期から知られてはいた。Metal Archivesなどでは「アヴァンギャルドメタル」とされているが、これは和声やリズムが複雑で一般的でないという類の“アヴァンギャルド(前衛的)”ではなく、パーツ単位でみればどちらかと言えば伝統的なものが多い一方で曲展開や雰囲気の流れ方などが変則的で奇妙な印象を与えるので安易にその形容をあてはめているのだと思われる(WaltariやDiablo Swing Orchestraのように)。本作も楽譜的な意味での作編曲は特に新しいものではないと思うのだが、それを表現する演奏の力加減や音響がとても興味深く、全体としては非常に個性的な印象が生まれている。シンセウェイヴとスラッシュメタルを同時に鳴らしたりするサウンドはMaster`s Hammerの勢いを損なわず超ハイクオリティに洗練したような趣があり、厳粛な雰囲気と軽薄で胡散臭いノリが完璧な食い合わせで両立されている(「Gömböc」はその好例だろう)。初期Solefaldを万全の制作体制で現代的にアップグレードしたらこうなるという印象もある文句なしの傑作。聴きやすさと奥深さの両立具合も申し分ないし、これを機に一気に知名度が増す可能性も高いだろう。

 

 

 

 

 

Tideless:Adrift in Grief

 

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 アメリカ・カルフォルニア州サンディエゴ出身バンドの1stフルアルバム。フューネラルドゥームとデスメタルをゴシックロックやシューゲイザー経由で融合するようなサウンドで、“etherealな”抽象的質感と逞しく剛直な量感が見事に両立されている。表面的な印象はDeafheaven型のブラックゲイズに近いが、ブラックメタル的な音進行はあまりなく、インディーロック方面で受けるタイプのメタルサウンドを志向しているようにみえて内部構造はだいぶ地下志向、それでいて非常に聴きやすい。2曲目「Cascading Flesh」に出てくるThe Cure風のパートなど一つ一つのフレーズから垣間見える音楽的バックグラウンドは実に豊かで、単一リフで延々引っ張るような場面でも飽きさせられない絶妙なミニマル感覚はそうした持ち味の賜物なのかもしれない。煌びやかさと仄暗さのバランスが絶妙な音楽性でアルバム全体の構成も非常に良い。メタルを全く知らない人にも聴いてみてほしいアンダーグラウンドメタルの傑作である。

 

 

【2020年・年間ベストアルバム】

【2020年・年間ベストアルバム】

 

・2020年に発表されたアルバムの個人的ベスト20(順位なし)です。

 

・評価基準はこちらです。

 

http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2014/12/30/012322

 

個人的に特に「肌に合う」「繰り返し興味深く聴き込める」ものを優先して選んでいます。

個人的に相性が良くなくあまり頻繁に接することはできないと判断した場合は、圧倒的にクオリティが高く誰もが認める名盤と思われるものであっても順位が低めになることがあります。「作品の凄さ(のうち個人的に把握できたもの)」×「個人的相性」の多寡から選ばれた作品のリストと考えてくださると幸いです。

 

・これはあくまで自分の考えなのですが、他の誰かに見せるべく公開するベスト記事では、あまり多くの作品を挙げるべきではないと思っています。自分がそういう記事を読む場合、30枚も50枚も(具体的な記述なしで)「順不同」で並べられてもどれに注目すればいいのか迷いますし、たとえ順位付けされていたとしても、そんなに多くの枚数に手を出すのも面倒ですから、せいぜい上位5~10枚くらいにしか目が留まりません。

(この場合でいえば「11~30位はそんなに面白くないんだな」と思ってしまうことさえあり得ます。)

 

たとえば一年に500枚くらい聴き通した上で「出色の作品30枚でその年を総括する」のならそれでもいいのですが、「自分はこんなに聴いている」という主張をしたいのならともかく、「どうしても聴いてほしい傑作をお知らせする」お薦め目的で書くならば、思い切って絞り込んだ少数精鋭を提示するほうが、読む側に伝わり印象に残りやすくなると思うのです。

 

以下の20枚は、そういう意図のもとで選ばれた傑作です。選ぶ方によっては「ベスト1」になる可能性も高いものばかりですし、機会があればぜひ聴いてみられることをお勧めいたします。もちろんここに入っていない傑作も多数存在します。他の方のベスト記事とあわせて参考にして頂けると幸いです。

 

・いずれのアルバムも30回以上聴き通しています。

 

・2020年はこちらの記事

 

 

closedeyevisuals.hatenablog.com

closedeyevisuals.hatenablog.com

closedeyevisuals.hatenablog.com

 

で各作品の背景説明も絡めた詳しいレビューを書いたので、ここでは個人的な感想のみを簡潔に綴ることにします。2020年の音楽シーンを代表する作品群というよりは「2021年以降も付き合い続けることになる」自分にとって良くも悪くも浅からぬ縁が出来つつある相手達というほうが正確か。過去の総括でなく今後の個人的指針としてのベスト記事というのもあるといいのではないかと思います。少なくとも自分はそういうものを読ませていただけると幸いですね。

 

・上半期ベストに選んだ作品に関してはこちらの記事

 

 

closedeyevisuals.hatenablog.com

 

のほうで詳しめな説明をしています。

 

 

 

 

[年間best20](アルファベット音順)

 

 

赤い公園:THE PARK

 

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たとえば2曲目「紺に花」を聴くと自分は10代~20代前半の学生がカラオケで爽やかに盛り上がっている姿を想起するのだが、これは皮肉でもなんでもなく本当に素晴らしいことなのだと思う。赤い公園は非常に豊かな音楽的バックグラウンドを持ったバンドで、スティーヴ・アルビニ録音作のように荒れ狂うギターやMOTORHEAD的に硬く分厚いベースが「なんでそんな動きをする??」感じのフリーキーなフレーズを多用するのだけれども、それらはアレンジの一要素として自然に収まり機能していて、全体としてはあくまで親しみやすく煌びやかな歌ものになっている。エキセントリックなアイデアをつぎ込みまくっていても捻くれた感じは薄く、深い屈託を湛えつつ衒いなく明るく弾けることができてしまう。こんな形で王道J-POP感を発揮し表現上の強みにしてしまえるバンドは滅多にいないし、それはメジャーデビュー後8年に渡る試行錯誤を経たからこそ到達できた境地でもあるのだろう。石野理子の信じられないくらい素晴らしいボーカルもそうした立ち位置や雰囲気表現に完璧に合っている。全曲良いしアルバム全体の構成も見事。リーダーの早逝うんぬん抜きで聴き継がれるべき傑作だし、この後の展開を見続けていたかった。

 

 

 

 

Aksak Maboul:Figures

 

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 いわゆるレコメン系(音としてはジャズロック~現代音楽とポストパンク~ニューウェーヴが交錯するところにあるプログレッシヴロックみたいなもの)の最高峰とされるベルギーのバンドで、この単体名義としては実に40年ぶりとなるフルアルバム。2枚組計76分の盛り沢山な構成で、音楽的にも上記のような複雑かつ高度な要素が続出するマッシヴな内容なのだが、実際に聴いてみると取っつきにくい印象は全くない。ライヒ風の厳粛なイントロから脱力トラップパートに移行する1曲目をはじめ、背筋を伸ばしつつ肩肘張らない独特の親しみやすさに満ちていて、入り組んだ構造を底抜けに楽しく聴かせる素晴らしい作編曲&演奏もあってかとにかく聴きやすい。高齢者だからこそ出せるタイプの瑞々しさに溢れた雰囲気は近年のビートミュージック成分も巧みに取り込む(ロートル感の一切ない)姿勢にもよるものだろう。SLAPP HAPPYなどに通じる(この系統で伝統的に培われてきた)偏屈なチャーミングさが最高の鮮度で示された傑作。北海道の高校生テクノバンドLAUSBUBのメンバーが年間ベスト上位に挙げていたのをみておおっと思ったが、確かにそれも頷けるアクセスしやすさ(話題の土俵に上がる音楽スタイルや実際に聴いて良いと思わせる訴求力など)を備えたアルバムだといえる。

 

 

 

Ambrose Akinmusire:on the tender spot of every calloused moment

 

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 アレンジの美味しさ奥深さやフリー的展開における間合いの取り方など、音楽構造や演奏表現の面において研究されるべき達成に満ちた一枚だが、そんなことを何も考えなくても心地よく浸り通せるアルバムの構成も素晴らしい。寝起ちの際にある半覚醒状態で機敏に反応するような瞑想/酩酊感覚がどこまでも味わい深い。アフロポップとMAGMAを現代の感覚で接続開拓するような趣もあるし、ジャズに馴染みのない人でも聴きやすく容易にハマれる傑作だと思う。

 

 

 

 

青葉市子:アダンの風

 

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 自分は本作を聴いているとなぜか三上寛の傑作アルバム『負ける時もあるだろう』を連想してしまう。特に「海男」。青葉市子の音楽は清廉で爽やかな空気感に包まれているが、それはギリギリ魚が住める程度に透き通った水という感じのものでもあり、生と死が静かにせめぎあう際を漂っている印象が常に伴う。大自然にむけて開かれているがそれだからこその寄る辺なさがつきまとい、それを力みなく引き受けてすいすい泳いでいく。梅林太郎を共同作曲家に迎えアレンジ面での強度を格段に増した本作は多彩なスタイルの曲からなるが、そうした様々な場面が並びながらもカラフルさよりもモノトーンな印象の方が勝るのは上記のような在り方やそれを反映する演奏表現によるところも大きいのだろうし、こうしたことはアルバムの完成度の高さに大きく貢献しているように思う。三上寛のようなあからさまな激情表現はないが、内にたぎる何か(“想い”といった次元に回収できなさそうなもっと大きく抽象的なもの)は引けを取らないし通じるものもある。非常に聴きやすいし心地よく浸れるが、ただならぬものに満ちた傑作なのだと思う。

 

 

 

 

Blake Mills:Mutable Set

 

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 2020年を代表するプロデューサー~共同制作者となり(サム・ゲンデルなどと並び)、ソロ作品である本作も「生演奏なのに全然生演奏的でない」音作りの興味深さなどの面から決定的な名作という定評も固まりつつあるわけだが、そういった制作面での凄さ新しさはもちろんのこと、とにかく曲と演奏が良いという点においても素晴らしいアルバムだと感じる。冒頭を飾る「Never Forever」の気付いたら懐に入られているようにさりげなく急激な導入、「Money Is The One True God」や「Mirror Box」などの気の長い時間感覚(しかもそれぞれ語り口が異なる)など、緩急の構成やそのつなぎ方がとにかく巧みで心地いい。アメリカーナを土台にラテン諸国にも欧州にも接続するような豊かな構成成分も実に滋味深いし、聴きやすいのに聴き飽きようのないポップミュージックとして稀有の出来栄えなのではないかと思う。悪酔いしにくいこともあってつい口にしてしまう銘酒のような音楽。時間をかけて読み込んでいきたい傑作だと思える。

 

 

 

 

BORIS with MERZBOW:2R0I2P0

 

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 とにかく音が心地よすぎる。「スピーカーから聴けるASMR」とすら言える極上音響は生理的なツボだけを大胆に撫で続け、強引に心地よくさせてくるのに過剰になることがない。下記記事で詳しく書いたように、2020年を代表し象徴する癒しと苛立ちの音楽なのだと思う。

 

 

 

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BUCK-TICK:ABRACADABRA

 

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 作編曲についていえば過去作の焼き直しのようなフレーズも少なからずあるが、音響構築や雰囲気表現などがしっかり「今まさにこの時」のものになっていることもあってか全体の印象はどこまでも瑞々しい。陰陽のバランスを絶妙に保ちながら歩を進める構成も“気を張らずにカマす”粋な佇まいも、今のこのバンドでなければ表現できない唯一無二のものなのだといえる。深く打ちのめされる展開もあるのに何度でも気軽に聴き通してしまえる傑作。

 

詳しくはこちら:

 https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1307866206297157632?s=21

 

 

 

DARK TRANQUILLITY:Moment

 

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 このアルバムは今年のメタルシーンの中では際立って目立つ作品ではないし、ジャンルや歴史のプレゼンをするのであれば自分も選ばない。しかしその上で、音楽における根本的な味覚、音進行の傾向が示す“ダシ”の在り方とかそれと音色/音響が組み合わさることにより生まれる空気感の質のようなものに関しては、個人的にこれほど肌に合うバンドは稀なのである(その意味ではMESHUGGAHあたりと並び最も大事なバンドのひとつと言える)。本作はそうした味わいが過去最高に練り上げられたアルバムで、バンドの歴史を追いながら20年間聴いてきたからこそ具体的に吟味できるホーム感と意外性に満ちている。それを言葉で伝えるのはおそらく(文章化して説明することはできても実感させるのは)不可能だろうが、それだけの魅力や奥行きがあることは保証できる。自分にとっては本当に大事なバンドになってしまったんだなということを実感させられる燻し銀の傑作である。

 

 

 

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長谷川白紙:夢の骨が襲いかかる!

 

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本作を聴いていて改めて実感させられるのは長谷川白紙のヴィジョンとその吟味・成否判定能力の素晴らしさ。例えば「LOVEずっきゅん」(相対性理論のカバー)では原曲のばたばたしたアンサンブル感覚(かわいらしさなどのニュアンス・在り方を表現するにあたって不可欠な質感になっている)を意識的に把握、しかも自分に見合った形で再構築してしまえている。「光のロック」(サンボマスターのカバー)ではそうした解釈を通しそれと密接につながる独自の在り方(生き急いでいるんだけれども落ち着いてもいる、切迫感がある一方で地に足が着いてもいる感じ)が表現されていて、教養の深さとはまた別の、そういう一般的な(社会の共有財産的な)ものを積み上げているだけでは身につかない固有の得難い持ち味が熟成されていることを窺わせる。

長谷川白紙の演奏技術は以上のようなヴィジョンをそのまま示すほどにはまだ磨かれきってはいない(もちろん非常にテクニカルではあるけれども、少なくとも発声技法に関しては身体的にも知識的にも開発の余地が多い)のだが、本作においてはそういう到達度の釣り合わなさもむしろ良い方向に機能しているように思われる。例えば「セントレイ」(サカナクションのカバー)の歪んだボーカルは咽頭まわりの脱力が(そしておそらくは背筋のコントロールも)こなれればもっと精密な音色コントロールが可能になるわけだが、このテイクではこのような制限を伴う飛び立ちきれない感じが楽曲の解釈や演奏に不可欠に貢献している。そして、そうやって激情を比較的わかりやすく滲ませつつ崩れきらない瀬戸際を保つボーカルに寄り添い時に前に出そうになる鍵盤のニュアンスが実に見事で、そのふたつを弾き語りで同時に演奏できることの凄さにも痺れさせられる。

本作に収録されているカバーはいずれも非常に良いが(原曲の深い読み込みを踏まえたほとんど自作曲と言っていい出来)、唯一のオリジナル曲「シー・チェンジ」はそれらを上回る最高の仕上がりになっている。上記のようなヴィジョンと演奏技術が完全に良い方向に機能したボーカルは光を当てる角度によって色合いが変わるプリズムのようなニュアンス表現を成し遂げていて、喜怒哀楽が虹のように輝き融けあう歌声がどこまでも素晴らしい。特に3分54秒からの無邪気な愉悦とも嗚咽ともとれる(その両方ともいえる)声は聴く度に泣きそうになる(というか泣く)し、その後のラインごとに表情を変える歌唱表現はもう神がかっている。名曲名演と言っていい音源だと思う。

アルバム最後を飾る「ホール・ニュー・ワールド」カバーを聴くと、この曲をひとりで歌うということやそれが必然性をもって違和感なく成立してしまえていることに思いを馳せさせられる。28分という短さながら完璧に完成された(表現的には未完成の部分も含めひとつの世界系としてまとまった)大傑作。本稿の20枚に順位をつけるならこれが1位で、この人のキャリアでみても現時点での最高作だと思う。ここからさらに進み続けてくれると信頼しています。

 

 

 

 

Igor Pimenta:Sumidouro

 

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 マルコス・ヴァーリに『Vento Sul』という傑作がある。11の小曲からなる計33分のコンパクトな構成ながら、それぞれ大きくスタイルの異なる楽曲が並ぶことで総体として複雑な生態系が立ち現れるような不思議なまとまりの良さがあり、豊かな自然を湛えた離れ小島を散歩しているふうな独特の居心地を与えてくれるアルバムになっている。イゴール・ピメンタの本作もそれに通じるものがあり、近年のジャズを通過しさらに高度になったミナス音楽を土台に、欧州の仄暗いフォークやプログレッシヴロック(GENTLE GIANT『Three Friends』カバーあり)など様々な音楽要素を取り込んだ上で、多方面に拡散する豊かさと全体としての統一感を見事に両立してしまえている。冒頭を飾る「Lamentos de Mãe d Água」の3拍子イントロにおける極上のクロスリズムをはじめ興味深く格好良いアレンジが満載で、陽光の下でうつむき気味に楽しむブラジル音楽ならではの佇まいが高度な構造と不可分に結びつき互いを活かしあっている。リーダー作としては本作が最初の一枚となるイゴール(これより前にTHE BEATLESの素晴らしいカバー曲集あり)よりもアンドレ・メマーリやアントニオ・ロウレイロをはじめとする豪華ゲスト陣のほうが注目されがちだが、多彩な要素をここまでうまくまとめることができたのはやはりイゴールの手腕があってこそなのだろう。非常に聴きやすくいくら聴き通しても飽きない不思議なアルバム。傑作だと思う。

 

 

 

 

Kim Myhr & Australian Art Orchestra:Vesper

 

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 ソロギターと現代オーケストラ(20人余)のアンサンブルということで、基本的には一定の枠組みを用意しつつギター側が自由度多めに即興的変遷をしていく構成なのではないかと思うのだが、そう考えつつオーケストラ側の音色を辿ってみるとそこまでピッタリ揃うよう強制されていないようにも感じられる。フレーズ構成の面では狭い音域から逸脱しないような縛りをかけられながらもその中で自在に動き回ることにより、全体としてのモノトーン感と複雑に反射し偏光面を変え続ける煌めきが両立されているように思うし、それが明確なビートなしで流れていくことで生まれるアンビエントな聴き味もあって、流していると文字通り時間が経つのを忘れてしまう。瞑想用のBGMとしても気軽に使えてしまうような聴きやすさと複雑な奥行きを兼ね備えた素晴らしい作品。様々な意味で重宝しそうだし意識的にも聴き込みたいものである。

 

 

 

 

君島大空:縫層

 

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 和声進行や音響など各々の要素は奇妙で引っ掛かりに満ちているのだが、楽曲やアルバムの流れは極めて滑らかで、何度繰り返し聴いても細部を印象に留めきることができず、総合的にはむしろ渇きのような感覚が際立って残る。ということもあって最初は(正確に言えば、全体の流れを具体的に把握しとりあえず“わかった気になってしまえた”後は)「これはそこまで長く付き合い続けるものにはならないかもな」と考えていたのだが、上に述べたような「細部を印象に留めきることができない」「渇きのような感覚が際立って残る」ことこそがむしろ重要な持ち味なのではないかと考えると、それまで物足りなく思っていた印象が急に反転するかのような納得感が得られた。君島大空はインタビューで「一瞬を音楽によって引き延ばしたい」という表現志向を繰り返し述べているが、このアルバムではその在り方が、“確かに肉眼で捉えられるようにはなっているが掴んで引き留めることはできない”というもどかしい感覚をも併せ持つかたちで具現化されている。春の柔らかい光に包まれた桜並木が心を深く捉えても花弁一つ一つの様子を記憶に残すのは難しいように、『縫層』においては眩い光景の輝かしさと儚さがアルバム全体の時間の流れ方や居心地そのものによって表現されているように思う。

自分はこの見立てを今(2021年3月末)まで得ることができなかったが、それは昨年11月のリリース当時から折に触れ聴き返し考えさせられてきた蓄積と今年の春の風景があって初めて届いたものであり、音楽に出会う(最初に接した時から引っ掛かるものがあることはわかっていたもののそれが何なのか具体的に気付きしかも咀嚼するに至る)ためにはやはりある程度の時間が必要なのだなと改めて実感させられた。理屈抜きに好みに合うかというとそうとも言い切れない作品だが、以上のような意味では個人的に最も大事なアルバムといっても過言ではないかもしれない。こういうことがあると「音楽を聴き続けるのって本当に面白いな」「いろんな角度から考え接してみるのってやっぱり大事だな」と思う。

 

 

 

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Klô Pelgag:Notre-Dame-des-Sept-Douleurs

 

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カナダ・ケベック州出身のシンガー/ソングライター。影響源として挙げているのがダリ、マグリットドビュッシー、ジャック・ブレル、KING CRIMSONフランク・ザッパなどで、ケイト・ブッシュビョークなどと比較されることが多いのだが、声のキャラクターも音楽性(傾向としてはオーケストラルなチェンバーポップという感じか)もそれらと一線を画すただならぬ個性を確立しているように思う。本作はこの人が子供の頃に何度も通り過ぎていた看板(一昨年ひさしぶりに訪れたところ村というよりも35人ほどしか住んでいない小島だったことが判明)の名前を題したもので、そこからイメージしていた不吉な情景とそれに通じる近年の自分の気分が描写されている。ポストパンク~ゴシックロックを16世紀以前の教会音楽の語法で洗練したような楽曲群は大聖堂の地下室でひっそり営業する見世物小屋のような妖しさに満ちており、それはこの整っているがどこか不穏な歌声(真摯で可愛らしくそれでいて確実にネジが何本かぶっ飛んでいる感じ)があればこそ可能になったのだろう。アルバムとしての構成も文句なしに素晴らしく、奇怪なポップさに酔いしれていたらいつのまにか聴き通してしまっていることも多い。それこそ離れ小島のように完結した世界と仄暗い奥行きを窺わせる傑作。

 

 

 

 

(Liv).e:Couldn`t Wait to Tell You...

 

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 正直言ってコード進行はあまり好みのタイプでなく、初期フュージョン~ネオソウル~チルウェイヴの定型を分解しつつわりと色濃く残している感じは「悪くないけどもっと明らかに個性的なものを聴きたい」となってしまうのだが、鳴りがよく不思議な伸縮を繰り返すビートの魅力に惹かれるのか、つい繰り返し聴き通してしまうアルバムになっている。中盤の分水嶺となる「To Unplug」はこうした意味において本作を象徴するトラックだろう。ストーンした電化マイルスの上で霧状のシルクが舞うようなサウンドも気絶級の心地よさ。ソランジュやアール・スウェットシャツ以降のオルタナティブR&B~ヒップホップにおける一つの到達点を示す傑作だという気がするし、これからもなんとなく繰り返し接し読み込んでいきたいと思う。

 

 

 

 

ORANSSI PAZUZU:Mestarin Kynsi

 

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 2020年のメタルシーンを名実ともに代表する傑作となったこのアルバムについては下記記事や連続ツイート(記事中にリンクあり)で詳しく述べたのでそちらを参照いただきたいが、そうした状況/背景的なことを脇において自分がなぜ本作に惹かれるのかということを考えると、生演奏のリズムアンサンブルが素晴らしいというのが最も大きいのではないかと思う。1曲目「Ilmestys」イントロにおけるバスドラムの絶妙な間の活かし方(深い安定感と微細な危なっかしさを完璧に両立)を聴くだけでも演奏のうまさは明らかだろう。結成14年目でライヴレコーディング中心の音源制作を続けてきたこのバンドの強靭な地力はクロスリズムを多用する本作において過去最高の形で発揮されている。その意味において70年代の偉大なハードロック~プログレッシヴロックバンドにも並ぶアンサンブルの魅力に満ちたアルバムだと言えるし、繰り返し聴いても飽きることがない理由はそのあたりにもあるのではないかと思う。ジャンル云々を気にせず広く聴かれるべき傑作である。

 

 

 

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Oumou Sangaré:Acoustic

 

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マリを代表するシンガーであるウム・サンガレによるアコースティックアレンジ再録作。11曲中9曲が2017年の傑作『Mogoya』(10曲収録、現代的ビートを全面導入したヒップホップ~エレクトロ色強めのポップス)から選ばれており、同作の参加メンバーが2019年4月にロンドンで行ったスタジオライヴ録音が土台になっている。ドラムレス・ギター&ハープのみの編成なので『Mogoya』のような多彩な電子ビートは入っていないが、西アフリカのポップスならではの異常に精密なフレージングはそれ自体で強靭なビート感覚を示すことができていて(ボーカルも含め)、特にギターの複雑なフレージングは「ギターは打楽器」というよく言われる話をこの上なく見事に示している。その上で全パートがメロディアスなのもアフロポップならではで(いわゆるブラックミュージックのルーツとされることもあってアフリカ音楽=渋いという印象もあるかもしれないが、アメリカのブルース的な引っ掛かりが希薄な音進行はむしろ日本の演歌などに近い)、耳あたりは非常によくとても聴きやすい。以上のようなスタイルということもあってか超絶テクニカルながらむしろメディテーション向きの音楽になっており、運動(ルーチンワーク)や日常生活の延長で気軽に瞑想に沈ませていくような効能がある。戦闘的ながら柔らかく、添加物のないミルクを通してエネルギーを与えてもらえるような素晴らしい作品。なんとなく聴いていたらいつの間にか立ち上がる気力が湧いているような効能のあるアルバムである。

 

 

 

 

Salmonella beats:Salmonella brain

 

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 初音ミク&生声のラップなのだが、DC/PRGとOneohetrix Point NeverをSIMI LABあたり経由でぶつけ脱臼させたところをChassolで補修したようなビートは複雑の極みで、何度聴いても拍をつかむことができない(基幹ビートをとって数えることはできるので「拍子構成の正解を確定することができない」というほうが適切か)。それも無理もない話で、2020年に制作したもの|松傘|noteによれば、「ある分布に基づいて音階・音長・打点をランダムに配置する」というコンセプトのもと、本作のために自作されたC言語のプログラムから構築されているのだという。しかし、多層リズム/BPMからなるビートは著しく難解ながら不思議な親しみやすさにも満ちていて、聴くほどにパズルのピースが(目隠し状態の手元で)はまるような快感がクセになる。この名義が示すように歌詞は様々な意味でエグいが、それがミクや生声の朴訥とした声質で絶妙に中和されていて、どこか駕籠真太郎の漫画にも通じるエキセントリックな爽やかさを堪能することができる。全体の構成の良さや独特のユーモア感覚のようなものもあってかアルバムとしての居心地も非常にいい感じ。チャクラやMASSACRE、ティポグラフィカDos Monosなどが好きならぜひ聴くべきビートミュージックの傑作。ボカロ音楽一般に対する(よく知らないながらの)偏見を一発で撃ち払う魅力と説得力に溢れた作品だと思う。

 

 

 

 

Speaker Music:Black Nationalist Sonic Weaponry

 

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初期デトロイトテクノをフリージャズ的語彙を援用しつつ精神性のレベルから現代的にアップデートしようとする大傑作。アフリカのトーキングドラムをミルフォード・グレイヴスの超絶ドラムスまたはAutechreSquarepusherなどを参照しながらトラップ以降の高速シーケンスに落とし込んだようなビートはモノトーンながら極めて饒舌で、出自を強烈に主張する一方で汎世界的な広がりに身を沈めるような印象もある。そこにうっすら絡む電子音響など多様なサウンドの抜き差しも絶妙で、THE POP GROUPのような戦闘的姿勢&豊かさを“取り返す”(オリジネーターとしての評価もそこから分岐して他で生まれた音楽的成果なども)ような矜持に満ちてもいる。エクストリームなヒップホップに通じるような激しさと柔らかくしなやかな質感を兼ね備えた空間感覚も絶品。アルバム全体の構成も含めほとんど完璧な一枚といえる。暴力的にもなりうる勢いを直接的な傷害力としてでなく健康的に体を突き動かす音響的魅力に転化してしまうプレゼンテーション能力は本当に凄まじいし、その意味においてハードコアパンクなどに近いところにもある音楽なのだと思う。

 

 

 

 

寺尾紗穂:わたしの好きなわらべうた2

 

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 日本各地のわらべうたを強靭なバンドアンサンブルで再構築するシリーズの2作目。11拍子の「鳥になりたや」(岐阜/本巣のてまり唄)や〈10拍→11拍→12拍→4拍子〉を繰り返す「えぐえぐ節」(北巨摩郡駒城村)など、民謡に多い「拍子の整い方よりもメロディとしての在り方を優先した」ような構造が絶妙に活かされたアレンジを全曲で堪能することができる。アンサンブルにおいて興味深いのが平均律微分音の共存で、ピアノなどの正確な音程と時折飛び込んでくる笛などの不安定な音程がこすれ合うことにより現れる微妙な緊張感が不思議な魅力と説得力を醸し出している。これはボーカルが両者の間にうまくはまり込んでいるからこそ可能な関係性なのかもしれないし、無色透明な印象もあるそうした声がわらべうたの主張強めなメロディと絶妙なバランスを生んでいるというのもあるだろう。アルバム全体の構成も良くつい何度も続けて聴き通せてしまう。同年発表のオリジナルアルバム『北へ向かう』も素晴らしい作品だが個人的にはこちらのほうにより惹かれる。傑作だと思う。

 

 

 

 

Tomoko Hojo + Rahel Kraft:Shinonome

 

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 『東雲』とは、明け方に東の空にたなびく雲、闇から光へ移行する明け方をさす言葉であり、それを冠する本作のコンセプトは「夜明けの音と歩行との関係を探る」ことであるという。視覚的な入力が減ることにより聴覚的な感覚が拡張され、普段は聴こえない音を知覚することができる。ノルウェー北部の極光のもとで制作された本作は、フィールドレコーディングやボイスレコーディング(人の話し声も随所で挟まれる)、電子音やアコースティック楽器の音からなり、一般的な意味で明確な楽曲構造と無加工の環境音との境目にあるような不定形なサウンドが続くが、52分にわたる全体の構成は完璧に滑らかで、聴きづらさを感じることなくあっという間に聴き通してしまうことができる。鳥や猫の鳴く声、踏切や車内アナウンス?の音などは様々な場所や光の濃淡を想起させ、抽象的なBGMにも聞こえる音楽はそうしたものへ意識を向けた瞬間にすぐ隣に佇む世界として立ち現れる。何も考えずに聴いても何も掴めない(その上で心地よく聴き流せてしまう)けれども、目を凝らすほどに聴こえてくるものが多くなり音楽全体の構造も具体的に把握できるようになる。稀有の音楽体験を与えてくれる傑作。様々な時間帯や季節を通して付き合っていきたいアルバムである。

 

 

 

紐付けツイートINDEX 2021(随時更新)

【紐付けツイートINDEX 2021】

 

随時更新中。

長文連続ツイートのアタマに飛ぶリンク集です。

 

2014年版

 

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2015年版

 

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2016年版

 

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2017年版

 

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2018年版

 

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2019年版

 

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2020年版

 

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寄稿など一覧

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《ライヴレポート》


4/18:空間現代・Carl Stone・Sofheso @ 京都 外

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1383695842528219142?s=21


4/24:崎山蒼志・向井秀徳アコースティック&エレクトリック @ 服部緑地 野外音楽堂

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1385823596333858816?s=21


4/30:君島大空 @ 京都 紫明会館

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1388090640039247878?s=21


6/3:折坂悠太 @ 心斎橋 BIG CAT

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1400363965692092419?s=21


7/1:THE NOVEMBERS @ 梅田 CLUB QUATTRO

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1410530672628830215?s=21


7/20:長谷川白紙 @ 恵比寿 LIQUIDROOM

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1417412523591041025?s=21


7/25:Dos Monos・VMO @ CONPASS

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9/16:中村佳穂@Zepp Namba

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1438474134602731523?s=21




《その他》


崎山蒼志『find fuse in youth』

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1354399019166916615?s=21


Sturle Dagsland『Sturle Dagsland』

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1357383009087811585?s=21


Emptiness『Vide』

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1360233253039312897?s=21


G.I.S.M.解体新書@DOMMUNE

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1360951497219956739?s=21


シン・エヴァンゲリオン

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1368915990621212678?s=21


三浦大知『COLORLESS / The Choice is___』

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1364549592524550149?s=21


三浦大知『Backwards』

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1370180664142614536?s=21

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1376914594594050048?s=21


Non Serviam『Le Coeur Bat』

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1385612883300544512?s=21


Sugar Wounds『Calico Dreams』

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1389236714854436872?s=21


平井堅『あなたになりたかった』

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1394614085426106372?s=21


black midi『Cavalcade』

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1397747969475059717?s=21


藤本タツキ『ルックバック』

 https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1416814891839619072?s=21


BUCK-TICK『魅世物小屋が暮れてから』

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1418355648614387715?s=21


ディグの具体的な方法や姿勢について

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1424670189606424581?s=21


Official髭男dism『Editorial』

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1427827894504497159?s=21


ENDRECHERI『GO TO FUNK』

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1430183245468119045?s=21


Leprous『Aphelion』

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1431490154020044800?s=21


betcover!! ワンマンライブ & CD即売会「時間」

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1433052087567351808?s=21

【2020年・メタル周辺ベストアルバム】後編 日本のメタルシーンと「音楽批評」

2020年・メタル周辺ベストアルバム】後編 日本のメタルシーンと「音楽批評」

 

 

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一覧

 

Boris with Merzbow

DIMLIM

妖精帝國

Damian Hamada`s Creatures

五人一首

Arise in Stability

KRUELTY

明日の叙景

君島大空

 

 

 

 

 

 

日本

 

 

Boris with Merzbow:2R0I2P0(2020.12.11)

 

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 日本の音楽を考えるにあたって避けて通れない問題のひとつに「洋楽至上主義」というものがある。ポップミュージック周辺の音楽はどのジャンルも基本的には外来文化であり、国外で形成された様式や価値観を下敷きにするところから始まった(その上で自在に改変してきた)経緯があるため、意識的に語ろうとするのであればその大元となる“洋楽”に注目しないわけにはいかないし、そうしたジャンルを確立するほどの力があるアーティストやバンドを最上位の存在として賞賛するようにもなる。ここまでは当然の成り行きだし悪いことではないのだけれども、そうした語りには国内のアーティストやバンドすなわち“邦楽”を下位互換的なものとして十把一絡げに低く見る姿勢が伴う場合が多く、各ジャンルの国内での発展に様々な悪影響を及ぼしてきた。このような傾向が生まれる理由はいくつも考えられるが、国外シーンの情報は国内シーンに比べ入手しにくいという(特にインターネット普及以前の)状況に由来するものが多いのではないかと思われる。国外シーンの詳しい情報を国内から得ることは難しく、目立ったもの以外は視界に入りにくいため、自国内では身近にいる凡庸なものにも出会いやすい一方で国外だと傑出したものばかりが目について「隣の芝は青い」的なものの見方に陥りやすい、といった地理的環境的な問題(翻訳ソフトが発展する以前は言語的な問題も大きかった)がまずあるし、そうした情報収集の困難さから国内メディアが国外メディアを主要な情報源とした結果、その言説や状況把握に過度に依存してしまうこともあるだろう。そして、そうやって国外メディアの言説を援用する場合、そこで評価される国外バンドよりもそこでは一切言及されていない国内バンドを高く評価するのは難しくなるし(国外シーンのみで形成される史観にそこと繋がりのない国内バンドを組み込むのは不可能だという事情も関係するだろう)、“本場こそが最高だ”という考え方が行き過ぎれば自然に国内バンドを下にみるようになる。こうした国内メディアが国内リスナーの大部分にとっての数少ない情報源だった時代は特にそういう傾向が強化・再生産されやすかったのだと思われる。

 

 こうした「洋楽至上主義」がもたらす弊害はいくつもある。まず、“邦楽”に対する偏見が評価のバイアスになることや、それだけならまだしも“どうせ邦楽なんて”という意識が生まれるために聴いてみる機会自体が激減すること。日本の音楽に最もアクセスしやすいのは日本にいる人間なのにそこの繋がりが断たれれば日本の音楽が正当に評価(国外からという以前に国内から)される機会が失われてしまうし、そうなると、国内シーンに興味を持った人がそこに参入する可能性が減り衰退傾向に陥ってしまう。また、国外メディアの言説の援用という話に絡めていうと、そういう過度の依存を続けていると国内メディアやリスナーの自発的な評価能力や文脈構築力が育たず、既存の様式から外れた新しい音楽性を解釈しようと試みる姿勢が身につかない。90年代以降の『BURRN!』(一時は日本の洋楽誌で最大の発行部数を記録し、HR/HM=Hard Rock / Heavy Metal関係メディアでは寡占的な最大手である期間が長かった月刊誌)は『BASTARDS!』のような増刊号まで含めれば世間で言われるほど「様式美」的メロディックメタルのみに特化していたわけではなく、そうした音楽のファンからは抵抗感を抱かれやすいグランジ~ニューメタル的なバンドも折に触れて掲載してきたのだが、初代編集長兼バーンコーポレーション(2013年閉鎖)社長の‘正しいヘヴィメタル像’から外れる音楽性や日本のバンドの扱いを悪くするなど(註1・2)、誌面全体としては80年代までの価値観を過剰に引きずりそれにそぐわないものの受容に失敗し続けてきた経緯がある。90年代から00年代にかけて日本で大ヒットしたメロディックパワーメタルメロディックスピードメタル(世界屈指の市場となりそうした国外バンド群の主戦場になることさえあった)は確かに独自の流れを生み出し、それらを率先して取り上げた『BURRN!』は国内メディアならではの史観を形成したが、こうした音楽性はあくまでそれ以前の「様式美」HR/HM観の範疇にあるもので、同時期に世界的に大流行しシーンの中心を占めることになったグルーヴメタル(日本ではモダンヘヴィネスと言われる)~ニューメタルなど、伝統的HR/HM観から外れる音楽スタイルを適切に評価することはできていない。そうした状況を象徴するのが日本のメタル語りで用いられる「モダン」という言葉で、分厚く重い音色によるミドルテンポのヘヴィロックサウンドを指すこの表現がいまだに多用されている、すなわちそうした「モダンヘヴィネス」が発祥以来20年以上の長きに渡ってモダン=現代的なものだと認識され続けていることは、旧来の価値観を引きずるHR/HMファンの認識と現状との乖離を反映しているのではないだろうか。日本国内で独自の方向に孤立特化したものを「ガラパゴス(化した)」という言い回しがあるが、そうしたものの源となる内向き志向の対象は国内コンテンツに限らず、以上のような捩れた国外志向=「洋楽至上主義」に由来する場合もある、ということがこの例でよく示されていると思う。“外来文化だから本場のものを高く評価するのは当然だ”という無邪気な比較では済まされない、複雑で根深い波及効果をもたらす問題なのである。

 

 こうしたことを踏まえた上で注意すべき「洋楽至上主義」のさらなる弊害として、国外で評価されている自国の音楽を見過ごしてしまいやすくなるというものがある。もともと日本の音楽は国外シーンの単なる亜流に留まるものではなく、出身領域や時代を越えて全世界の音楽シーンに絶大な影響を与えてきたアーティストやバンドも少なからずいる。YMOG.I.S.M.やDEATH SIDE、Merzbowなどは各ジャンルの世界的な代表格としてほとんど神格化されているし、少年ナイフボアダムスフィッシュマンズCHAIなども国外での人気の高さがよく知られている。メタル周辺領域でも、80年代にアメリカのチャート上位に食い込みその後は独特な音楽的変遷を続けるLOUDNESSを筆頭に、メジャーフィールドではBABYMETALやDIR EN GREY、地下シーンでいえばSIGHやSABBATなど国外で熱狂的なファンを抱えるものが少なくない。こうしたバンドたちに共通するのは唯一無二の個性を備えていることだろう。国内では“洋楽”的価値観のもとで解釈できる音楽がもてはやされるけれども、その音楽スタイルの発祥地ではそういったものはどこにでもいるような存在であり、むしろこういう価値観から外れるものの方が興味深く受容されやすい(註3)。先述のようなバンドたちの海外での高評価にはオリエンタリズム的な側面もあるだろうが、様々な音楽を味わいつくし優れた吟味能力を鍛え上げたマニアがディグの果てに到達しハマる場合も多く、そこでは定型に回収されない逸脱した個性こそが歓迎される。60年代末~70年代末の日本におけるジャンル未分化的なロック周辺音楽をほとんど初めて(日本国内のメディアに先行するかたちで)評価の俎上にあげたジュリアン・コープ『ジャップ・ロック・サンプラー』(註4)はその好例だし、そうやって時代を越えて注目されるだけの豊かな蓄積が様々な領域でなされ、国内メディアの多くがそれをリアルタイムでは評価せずにきたのである。Boris註5)はそうした歪な評価状況を最もよく体現する存在で、日本の地下シーンを代表するバンドとして国内のマニアから一目置かれる一方で一般的な知名度は殆どなく、音源作品やライヴ活動の売上は国外のほうが遥かに多い状況にあり続けている。RADIOHEADトム・ヨークらに絶賛される(註6・7)などジャンルを越えて非常に高い評価を獲得しているBorisがカルトヒーロー的なポジションに留まり続けているのはそのエクストリームな音楽性に見合った部分もあるだろうが、ここまで述べてきたような国内メディアの「洋楽至上主義」傾向も少なからず関係しているのではないかと思われる。

 

以上のようなことからは少し逸れる話になるが、Borisが国内では十分に評価される機会を得ることができていないのは、そのジャンル越境的な在り方によるところも大きいのかもしれない。メロディアスな歌ものパートが軸になる一方でスラッジコア~ドローンドゥームに連なるウルトラヘヴィな場面も多いBorisの音源は楽曲ごとにスタイルが変わり、ほとんどアンビエントといえるような静謐で気の長い時間感覚を示すものがある一方で1~2分の短尺を駆け抜けるハードコアパンク的な勢いを貫くものもあるなど、作品ごとに求められる聴き方が大きく異なる。ヴィジュアル系註8・9)やアニソン(註10)、ボーカロイド同人音楽註11)といった従来の“シリアスな音楽”関連メディアではまともに評価されてこなかった(しかしそうした“シリアスな音楽”に負けず劣らず奥深い)ジャンルとも交錯するBorisの音楽は広義の“ロック”に関わるほとんどの音楽領域を包含するわけで、アンダーグラウンドシーン出身ならではのDIY精神も相まって多くの商業メディアのジャンル縦割り(棲み分け)的編集がうまく扱えるものではなかったというのはあるだろう。「日本の中にいるわけでも、海外にいるわけでもなく、色んなところに出入りが出来るというか、そういう境界を超えながら、どこにも属せない」(註11)という発言は上記のような在り方をよく示している。Merzbow灰野敬二SUNN O)))、イアン・アストベリー(THE CULT)、ENDON、GOTH-TRAD、Z.O.A.などとのコラボレーション作品群も鑑みれば、Borisは日本のメタル関連領域のうち最も先鋭的な部分を網羅するばかりか他ジャンルや海外の地下シーンなど様々な外部との接点を生み続ける存在でもあり、ある意味では世界で最も重要なバンドの一つなのだと言える。

 

『2R0I2P0』はアルバム単位としては通算8枚目となるBorisMerzbow註12)のコラボレーション作品。この組み合わせで出演した2020年2月29日のオーストラリア・メルボルン公演(Arts Centre Melbourneへの出演)はコロナ禍によるロックダウン開始前に行われた最後の有観客公演となり、このライヴのセットをきっかけに本作の制作が始まったという(註13・14)。Borisの担当部分は2019年欧州ツアーでのマルチトラック録音が元となっており、オーストラリアからの帰国後に編集やオーバーダブを加えていったとのこと。3月にはレコーディングを終え5月には完成品をレーベルに提出していたという本作の発表が12月まで凍結されていたのは、3月24日にレコーディング開始し7月3日にリリースされたハードコアパンクスタイルの傑作フルアルバム『NO』(註15・16・17)における「自分たちが若いときも、いろいろ鬱屈したエネルギーがあったけど、激しい音楽が写し鏡になってくれて癒してくれた。今の若い人に、それと同じものを提供したいんです」といった姿勢を経た上で2020年を締めくくる音楽として相応しいものだとみなされたからなのかもしれない。「2020 R.I.P.」を並び替えたタイトル(註18)を冠する本作は、2019年発表『LφVE & EVφL』7曲のうち6曲、2017年発表『DEAR』から1曲、THE NOVEMBERSとの2018年スプリット『-Unknown Flowers-』から1曲、そしてCOALTAR OF THE DEEPERSおよびMELVINSのカバー(後者はバンド名の由来になった「Boris」)各1曲を再構築したものなのだが、いずれも原曲よりも穏やかな安らぎまたは虚脱感が漂うアンビエント寄りドリームポップ(時折ウルトラヘヴィなスラッジコア)に仕上がっており、アルバム全体の優れた曲順構成もあってか、約78分の長さを全く気疲れせず浸り通せる一枚になっている。特に素晴らしいのがMerzbow担当パートで、聴き手を無慈悲に蹂躙する爆音ノイズのイメージに反しどこまでも艶やかに耳を撫でてくれる音色の数々(雨だれが虹を七色に反射しているかのような輝きがある)は“スピーカーで聴けるASMR”的な極上の音響快楽に満ちている。もちろんBoris楽曲の土台としての強度やそれを絶妙なペース配分で演奏するダイナミクスコントロールも素晴らしく、異常に緻密な構造と感覚的に聴き流し浸れる理屈抜きの機能性との両立具合は完璧といえる。このコラボレーションならではの爆音感とコロナ禍における巣ごもり/隔離環境感が絶妙なバランスで融け合った本作は2020年を代表する“癒しと苛立ち”のアルバムであり、生理的な好き嫌い感覚からすればそこまでBorisが得意でなかった自分(音進行の系統によるところが大きい気がする)も文句なしに良いと思える。冒頭から一瞬で惹き込まれる驚異のサウンドが楽しめる一枚。広く聴かれるべき傑作である。

 

 

 本項ではBorisに限らず日本のバンドが不可避的に影響を被ってきた「洋楽至上主義」についてふれたが、こうした傾向も近年はだいぶ薄れてきているように思う。メインストリームでは宇多田ヒカル、地下寄りのところでいえばティポグラフィカDCPRG註19)が出てきた頃あたり(90年代末頃)から「日本人だから演奏力やリズム感が駄目」という話はどのジャンルでも通用しなくなってきたし(本当はKILLING TIME人脈など80年代の時点で世界屈指のプレイヤーはポップミュージックシーン周辺に既に存在した)、シティポップのように海外からの高評価がいわゆる音楽好きの範疇を越えて広く知られるようになったものもある。そのようにして年々クオリティが上がっていく“邦楽”に接するリスナーは“洋楽”に対するコンプレックスをどんどん減じていくだろうし、「洋楽至上主義」的な姿勢をそもそも身に付ける機会がない人の比率も多くなっていくと思われる。そうなると、次に問題になるのは、日本で評価される“洋楽”の文脈と国外で評価される“邦楽”の傾向に意識的になった上でジャンル内外の繋がりを網羅する語りが(少なくとも一般的に観測しやすいレベルでは)十分に整備されていないことなのかもしれない。国内メタルシーンにおいて(本当は重要で避けては通れないはずの)ヴィジュアル系やアニソン~アイドル込みでの評論があまりなされてこなかったのは、生理的な好みの感覚に溝があるというのも大きいだろうが、それとは別に“海外シーンから離れて自らの手で文脈を構築してみせる”姿勢があまりなかったからというのも大きいのではないだろうか(註20)。外来文化としてだけでなく自国発の文化としてメタル周辺を語る言論がそろそろ増えてきてもいいと思うし、BABYMETALなどをはじめそのための強力な素材は増えてきている。Borisはその筆頭といえる存在だし、可及的速やかに正当な評価がなされてほしいものである。

 

 

註1

Wikipediaを情報源とするのは不適切だが、酒井前編集長(創刊を主導)を中心とした2013年のお家騒動~編集方針刷新に関して概ね正確にまとまっているので、興味をお持ちの方は記事中に挙げられた参考文献(『BURRN!』誌面での経緯説明)もあわせ一読をお勧めする。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/BURRN!

 

註2

BURRN!』1985年11月号に掲載された聖飢魔Ⅱ『悪魔が来りてヘヴィメタる』に対する0点レビューおよびそれに対するバンド側の印象(2006年6月6日発行『激闘録 ひとでなし』p55から)

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/623481311798280192?s=21

 

Billboard Japan「聖飢魔Ⅱ デビュー作に0点を付けたB!誌との因縁に終止符、編集長が正式に謝罪」

(2020.12.21掲載)

http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/95435/2

 

註3

宇多田ヒカルDREAMS COME TRUE、メタル領域でいえばVOW WOWなどが圧倒的な実力を持っていたにもかかわらず海外進出を成功させることができなかった背景にはこうした評価傾向の違い(何を新鮮に感じるのかという判断基準が外来文化を輸入した側=国内と輸入された側=国外で異なること)も少なからず関係しているだろう。

 

註4

ジュリアン・コープ『ジャップ・ロック・サンプラー』について

https://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2015/08/07/215353

 

註5

音楽性によってBORISborisの表記が分かれるが、ここではそれらを総括するBoris表記で統一することにする。

 

参考:

Rooftop「BORISインタビュー:「聴こえないもの」を聴かせる“世界を変える音”」

(2005.11.1掲載)

メンバー自身の中では大文字・小文字表記に大きな区別はなく、聴き手に対し“入口を判りやすくしている”ガイド的な表記というくらいのものである模様

https://rooftop.cc/interview/051101151019.php

 

Quetic「2デイズ・ライブが迫るボリスに直撃インタビュー!小文字“boris”名義での3連続リリースについて語る」

(2013.5.27掲載)

https://qetic.jp/interview/boris/99121/?amp_js_v=0.1&usqp=mq331AQHKAFQArABIA%3D%3D

 

註6

clinamina「Interview Boris with Merzbow

(2016.5.6掲載)

https://clinamina.in/boris_merzbow_2016/

 

註7

rockin`on .com「トム・ヨーク「ギターはまだ好きなんだ。今は日本のメタル・バンドBorisにハマってるし」と伊新聞に答える。レディへ新作、YouTubeなどについても語る」

(2015.12.2掲載)

https://rockinon.com/blog/nakamura/134978.amp

 

註8

Grumble Monster「2013/07/21 DEAD END 主催イベント『四鬼夜行 -五喰-』@赤坂BLITZ」(DEAD END・cali≠gariBorisの3組による対バン企画のライヴレポ)

http://grumblemonster.com/live/20130721deadend/

 

註9

avex.jp:『DEAD END Tribute - SONG OF LUNATICS - 』公式ページ

https://avex.jp/deadendtribute/index.html

 

註10

CYCLIC DEFROST「Boris: “I take heavy as real, beyond reality or fiction.”」

(2012.3.16掲載)

アニソンやJ-POPに接近したことで物議を醸した2011年発表アルバム『New Album』に関連して「アニソンやアニメサントラのような“anti-song”をよく聴いている。そうした楽曲は音楽家のエゴから離れフィクション世界のためだけに書かれたものであり、音楽の別の可能性を提示してくれる。『New Album』はBorisの世界のためにデザインされたものだ」というコメントがある。

https://www.cyclicdefrost.com/2012/03/interview-with-atsuo-from-boris/

 

註11

Mastered「世界の音楽シーンを席捲しながらも、国内メディアでは黙殺されてきた“世界で最も知られる日本のバンド”Boris。その知られざる実態に迫る!」

(2011.3.9掲載)

上記『New Album』に関する詳細なインタビューで、ヴィジュアル系やアニソン、ボーカロイド同人音楽に関する話だけでなく、日本と海外のリアクションの差、日本語・英語の音楽的特性の違いなど、極めて興味深い話題で埋め尽くされた記事。ぜひ一読されることをお勧めする。

https://mastered.jp/feature/interviewboris-new-album/

 

New Audiogram「Boris『New Album』Interview」

(2011.3収録)

ヴィジュアル系やトランスレコード界隈への具体的な思い入れ、海外ツアーで同行したバンドに初音ミクの動画を見せたときの反応などが語られているこちらの記事も非常に興味深い。

http://www.newaudiogram.com/premium/172_boris/

 

註12

Resident Advisor「A Conversation with Merzbow

(2015.11.5掲載)

Relapseレコードからリリースした作品群が代表作扱いされるなどグラインドコアブラックメタルと近いところでの活動歴があり、「新しいメタルはずっと聴いてきている」と発言するなど、メタルシーンとの関わりはBorisに限らず少なくない

https://jp.residentadvisor.net/features/2615

 

Mikiki「Boris with Merzbowの一期一会な〈現象〉に身を委ねて…アルバム2枚再生で完成するドローン作『現象 -Gensho-』に迫る」

(2016.3.16掲載)

Borisの面々に60~70年代ロックを紹介するなど音楽的メンターとしての側面もある

https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/10460

 

註13

Consequence of Sound「Boris on the Making of NO, Pandemic Existence, and the Uncertain Future of Touring」

(2020.11.13掲載)

https://consequenceofsound.net/2020/11/boris-interview-2020/

 

註14

『2R0I2P0』リリースに際してのBoris公式ツイート

https://twitter.com/borisheavyrocks/status/1318936946400317440?s=21

 

註15

Y!ニュース「インタビュー:Borisが突きつけるニュー・アルバム『NO』」

前編(2020.7.14掲載)

https://news.yahoo.co.jp/byline/yamazakitomoyuki/20200714-00187996/
後編(2020.7.18掲載)

https://news.yahoo.co.jp/byline/yamazakitomoyuki/20200718-00188751/

 

註16

シンコーミュージック『ヘドバン』Vol.27(2020.9.7発行)掲載インタビュー

 

註17

heavy rock spelldown「自虐“ZIGYAKU”氏インタビュー Part.1」

(2020.11.14掲載)

https://note.com/borisheavyrocks

 

註18

Bandcamp - Boris with Merzbow

https://borismerzbow.bandcamp.com

 

註19

菊地成孔をリーダーとするポリリズミックなラージアンサンブルとしてジャズ~ヒップホップ方面で高い人気を誇るが、BABYMETALのサポート(神バンド)でも知られる超絶ギタリスト大村孝佳が正メンバーとして所属しており、意外なところでメタルシーンとの繋がりをもつバンドでもある。

 

註20

シンコーミュージックから2013年7月に創刊された年3回刊行のムック『ヘドバン』は、第1号からアイドル・ヴィジュアル系グランジ~ニューメタル・日本のメタルなどの再評価に取り組み、同社刊『BURRN!』が取りこぼしてきた文脈の補填を意識的に行い続けている。2020年3月にリットーミュージックから刊行開始された『METAL HAMMER JAPAN』(イギリスで1983年から刊行され続ける『METAL HAMMER』誌の日本独自編集版)や2020年9月にリニューアル創刊された『BURRN!』増刊号『BASTARDS!』(これには私もTOOL『Fear Inoculum』解説記事を寄稿)も『ヘドバン』とは別の角度からシーンを掘り下げており、本文でふれたような問題も少しずつ解消されてきているように思われる。

 

参考:BURRN! ONLINE(紙媒体よりだいぶ“正統派”外の情報が多く攻めた空気がある)

「米国との“成熟度”の差とは?日本のメタル・シーンにおける特異点 CRYSTAL LAKE Ryo × ENDON 那倉太一 対談」

前編(2020.1.16掲載)

https://burrn.online/interview/1572

後編(2020.1.23掲載)

https://burrn.online/interview/1631

 

 

 

 

DIMLIM:MISC.(2020.1.28)

 

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 メタルファンやメタル関連メディアの間に今も根深く残る問題のひとつに「ヴィジュアル系の聴かず嫌い」がある。80年代頭の国内メタルシーン黎明期においてXやDEAD END(註21)など後のヴィジュアル系の始祖とされるバンドが重要な役割を果たしたことを知識として知ってはいても、その系譜にあるバンド群に興味を持つことはあまりなく、そればかりか(何も知らないのに)くだらないものと見下している場合も多い。こうした蔑視/敬遠傾向の形成には前項でふれたような「洋楽至上主義」も関係しているだろう。“どうせ邦楽なんて”という意識があることに加え、ヴィジュアル系のバンド群が“メタルの歴史”に組み込まれておらずシーン内部で言及されることが稀なために自分達が聴くべきものだと認識する機会が少ない。市川哲史と藤谷千明の名著『すべての道はV系へ通ず。』における以下のやり取りはこのような状況が生まれた背景をよく説明している。

 

市川「(前略)その昔、ジャパメタだったりV系だったりアイドル・ロックだったりが差別された時代は確かにあったけれども、そうした差別を生んだ諸悪の根源は雑誌メディア ― 音楽誌の存在だったと思う。総合系も専門系も、「〇〇は本誌に合う/合わない」「△△は載せる/載せない」と各々が勝手に垣根を作ったからこそ、ファンもバンドもレコード会社もマネジメントもロックを〈区別〉するようになった気がする。でも時は流れて、そんな音楽誌文化もすっかり崩れ(※この発言の初出は2017年3月)、強いて言うならいまは〈フェスの時代〉なんだろうけど。」

藤谷「ええ、いまやフェスは好きなアーティストを見つける、コンテンツ・メディアですから。かつての音楽誌のような。」(註22

 

この〈フェスの時代〉に絡めていうと、2006年に立ち上げられ保守的なHR/HMファンからも熱い支持を得てきた音楽フェスティバルLOUD PARK(2017年を最後に休止中)は、国内のメタル関連メディアがリアルタイムでは紹介できていなかった国外バンドを率先して招聘し、ヴィジュアル系のバンドに関してもDIR EN GREY(2006・2010・2012)やMUCC(2007)、the GazettE(2014)、NOCTURNAL BLOODLUST(2016)というふうに積極的に採用してきたのだが、メディアはそれを十分にフォローすることを怠り、メタルファンもラインナップ発表時点から激しい拒否反応を示すなど、シーン内で伝統的に築き上げられてきた抵抗感の強さをあらわにしていた(註23・24)。国内バンドの比率が多いだけでも文句を言いがちな多くのメタルファンからすればヴィジュアル系が貴重な一枠を奪うことなどもってのほかで、上記引用文のような「好きなアーティストを見つける」幸福な出会いをすることができた観客も少数いただろう反面、そうやってとりあえず聴いてみようとすらせずに“飯タイム”にする方が圧倒的に多かったように思われる。ヴィジュアル系に対するメタル側からの偏見にはことほどさように根深いものがあるのである。

 

 このような忌避意識は先述のようなメディアの“教育の失敗”からくるものがやはり大きいだろうが、ハードロック~ヘヴィメタルという音楽領域の基本姿勢といえる“硬派志向”も同等以上に関係していると思われる。「ヴィジュアル系」というジャンル名から不可避的に連想される「見た目に気を遣っている」という印象は「どうせ見た目だけ」「音で勝負できないからお化粧や舞台装置といった視覚的なギミックに走るんだ」という偏見に結びつきやすく、メジャーシーンで売れているものへの反抗的な姿勢(註25)や派手なものへのコンプレックス(註26)も相まって「ヴィジュアル系は実力がない」という誤った認識に至る人が非常に多い(註27)。しかし、実際のところ「ヴィジュアル系」というジャンル名が指し示すのは音楽性よりもどちらかといえばドレスコードのようなもので、華美な装いや暗い世界観のようなおおまかなイメージをまとう一方で音楽的には様々な領域を無節操に越境する多様なミクスチャーであり、技術的に優れたミュージシャンも少なくない。個性と演奏表現力を両立する驚異的な傑作も多いジャンルなのである。

 

 以上の経緯を踏まえた上でメタル領域における「ヴィジュアル系の聴かず嫌い」が問題になる理由を具体的に挙げるなら、「ヴィジュアル系を抜きにしてメタルの歴史を語ることはできない」ということになるだろう。日本のメタルシーンがグルーヴメタル~ニューメタルなど伝統的HR/HM観から外れる音楽スタイルの受容に失敗した(註28)ことについてはBorisの項でふれたが、これはそうした音楽の売上やロックシーン全体への影響力に問題があったからではない。SLIPKNOTオリコンチャートで総合1位を獲得し(註29)同バンドがヘッドライナーを務めたKNOTFESTやOZZFESTのような“ラウドロック”主体の音楽フェスがLOUD PARK以上の盛況を呈していることを鑑みれば、国内のメタル語りで長年言われ続けている「日本ではメロディアスでない(グルーヴ面での快感を前面に押し出す類の)音楽性は売れない」という定説は妥当でない場合も多く、「HR/HMシーン」内に留まる話なのではないかとも思える。LOUD PARKにも出演したMUCCやthe GazettEを筆頭に多数のヴィジュアル系バンドが上記のような音楽性を取り込み大きな人気を得ているのをみれば、そうした“新しいメタル”を偏見抜きに受容し日本流に(メロディアスな要素を強化増量する形で)発展させることができたのはHR/HMシーンのバンドよりもヴィジュアル系方面のバンドだったのではないかと考えることもできるわけである。つまり、00年代から今に至る国内「メタル」の本流はむしろヴィジュアル系方面に引き継がれており、DIR EN GREYの高評価(註30)やBABYMETAL(Xをはじめとしたヴィジュアル系へのリスペクトを公言している)の大躍進など、「国外から国内」だけでなく「国内から国外」方向の影響ルートをメジャーフィールドで築き上げることもできている。こうした状況を無視して(またはそもそも知らずに)「メタル」を語り続けても現状を適切に把握することはできないし、本稿中編のETERNAL CHAMPIONやDARK TRANQUILLITYの項でふれたような世代的なメタル観の変遷・乖離もあわせ、伝統的HR/HMシーンに連なる(「メタル」を名乗る資格を保持し続けている)国内メディア/リスナー層の先細りを止めることができなくなってしまう。『ヘドバン』をはじめとした比較的新しい雑誌メディアが近年取り組んできた文脈の補填・再評価(註20)はこのような状況に対する危機意識からくるものでもあるだろうし、遅きに失した感はあるが今からでも(主にメタル側から)双方の溝を埋めていかなければならないのではないかと思う。

 

 こうした流れと軌を一にするかのように、近年のメタルファンのなかにはメタルとヴィジュアル系を分け隔てなく聴く人が増えてきてはいる。日本を代表するデスメタルバンドCOFFINSのベーシストである“あたけ”氏の発言「BELLZLLEBとcoalesceとWINTERとStrongarmとLUNA SEAとmerrygoroundと人間椅子が血肉となっているのです」(註31)は地下シーンにおけるHR/HMヴィジュアル系~ハードコア~デスメタルの越境的な接続関係を完璧に言い表しているし、ブラックメタルヴィジュアル系の両方を聴く人も(少なくともweb上にいるブラックメタルのコアな国内ファン層においては)多く、そのあたり経由でヴィジュアル系が忌憚なく評価される傾向が少しずつ形作られてきた感もある(註32)。伝統的HR/HMが好む「剣と魔法」的なファンタジーブラックメタルヴィジュアル系における「心の闇」的テーマはともに逃避的な側面をもつ一方、非日常志向と日常(に向き合わざるを得ない)志向、エンタメと純文学、または体育会系と帰宅部というくらい異なる方を向いたもの同士であり、そういう意味では水と油で互いに対する生理的な抵抗感が生じるのも致し方ない面もあったわけだが、世代的なメタル観の変遷を経てブラックメタル的な味わいや雰囲気が広く受け入れられるようになったことで、メタルシーンの内部からヴィジュアル系的な感覚への対応力が培われてきたという経緯もあるように思う。もともとヴィジュアル系は体育会系のノリをも兼ね備えており(註33)、その意味において伝統的HR/HMブラックメタルの間に位置するものでもあった。メイク常備のブラックメタルや儀式的ステージ衣装を多用するエクストリームメタルバンドの存在がヴィジュアル系的なものへの違和感を減じてきた面もあるだろうし、メディアの縦割り撤廃やリスナーの偏見払拭といった諸々の準備が整いさえすればメタル~ヴィジュアル系間の垣根はすぐにでも取り除かれうるのだと思う。

 

 実際、ヴィジュアル系にはメタル的な感覚で聴いても素晴らしいバンドが多数存在する。『BURRN!』をはじめとしたメタル系メディアにも頻繁に取り上げられるポジションを確立したDIR EN GREYは、当初の和風ニューメタル的なスタイルから飛躍し独自の個性を確立した2008年作『Uroboros』以降は“OPETHとDEATHSPELL OMEGAをMR. BUNGLEで連結し日本ならではのゴシック感覚で妖艶に溶解させ抜群のアレンジセンスで異形化した”ような複雑ながら蠱惑的な音楽性(註34)で唯一無二の境地を開拓し続けており、現在のヴィジュアル系シーン全域に良くも悪くも絶大な影響を与えている(註35)。それとは毛色が異なるJ-POP寄りの音楽性でいえばSIAM SHADE(主な活動期間は1995年~2002年)はDREAM THEATERにも肉薄する超強力なアンサンブルでメタルファンの間でも好意的に認識されてきたし、BABYMETALのサポートメンバーとして超絶技巧を披露するLedaが率いていたDELUHI(主な活動期間は2006年~2011年)はそのSIAM SHADEに通じる雰囲気を黎明期djent的プログレッシヴメタルサウンドで強化したような(昨今人気を博しているCHONやPOLYPHIAに先行していたともいえる)音楽性をPERIPHERYより早く編み出していた。NOCTURNAL BLOODLUSTやDEVILOOF、JILUKAやDEXCOREといったメタルコア~デスコア方面出身バンドも国外の代表格に勝るとも劣らない圧倒的な演奏技術とヴィジュアル系的な雰囲気表現を融合することで新鮮な音楽スタイルを切り拓いているし、もとはと言えばSEX MACHINEGUNS陰陽座GALNERYUSのような国内メタルバンドの代表格もヴィジュアル系との関わりが深い。DEAD ENDの頃からこのジャンルの神として君臨し続けるMORRIEもソロやCREATURE CREATUREで国外プログレッシヴブラックメタルの超一流をも上回るような傑作を生み続けているし、gibkiy gibkiy gibkiyやsukekiyoもそれに並ぶ極上の個性を確立している。メタルが好きなのにこうしたバンド群を聴かずにいるのはあまりに勿体ないし、そういう状態で“どうせ邦楽なんて”みたいな話をすることはできないだろう。DIMLIMもその列に名を連ねられるべきバンドであり、2020年の頭に発表された2ndフルアルバム『MISC.』は同年のヴィジュアル系領域において最も革新的な傑作だという評価を各方面から得ている(註36)。

 

 『MISC.』が素晴らしいのは、上で述べたようなバンド群のスタイルを総覧しつつ近年のポップミュージックの音響やビート感覚を全面的に導入、それらをヴィジュアル系ならではの歌謡ロック的音進行感覚でまとめることにより、同時期の国外ポップミュージックやメタルにもない独特な鵺状構造を確立していることだろう。例えば、祭囃子的イントロ(90年代V系的)からPERIPHERY的djent/メタルコアになだれ込む「Funny World」は中盤のNicolas Jaar的な静謐パートを経由しても全体のサウンドイメージを崩さず自然な統一感を保ち続けるし、トロピカルハウス~フューチャーベース的イントロからArca~Flume的なビートにつながるインスト「+&-」の澄明な音響を引き継ぎつつデスコア~djent的な圧力を爽やかに絡める「For the future」のバランス感覚は驚異的と言うほかない。その上で歌メロは歌謡曲系列のコテコテなものになっているのがまた凄いところで、こうしたリードメロディおよびそれにうまくのる歌詞を先述のようなサウンドと強引に融合させてしまえる手腕こそが国外の音楽(メタルに限らずポップス全域)に真似できない個性になっているのだといえる。これはヴィジュアル系ならではの“雅で醜い”歌いまわしをやりきるボーカルがあればこそのもので、その声単体、声とクリーンなサウンドとの対比、楽曲単体(美しくメロディアスながら歪な構造)の全てにおいてそうしたアンビバレントな佇まいを表現することができている。「Before it's too late」のリフがGLAY「誘惑」のイントロに似ているとか同曲のゴシカルなコード進行が欧州メタル〜トリップホップによくある感じということなど、パーツ単位ではわりとありがちなものも散見されるのに全体の配合は個性的になっているのも興味深く、このあたりはCODE ORANGEの同年作にも通じる(しかも格段にうまく整理されている)のではないだろうか。ジャンルの手癖的要素を受け継ぎつつ未踏の境地を切り拓いてみせた稀有の作品なのだと思われる。

 

 こうした在り方は今のヴィジュアル系シーンに対する反骨精神からくるものが多いようで、2018年のインタビュー(註37)における以下のやりとりはそうした姿勢を非常によく表している。

 

〈-かなり現状にフラストレーションを溜めているようですが。

聖:そうですね。今度僕ら初主催イベント(2018年8月8日に渋谷clubasiaにて開催/※取材日は7月末)をやるんですけど、イベント名が"オトノギ"というタイトルなんです。"音楽の儀"、つまり本当に"音楽をしてる"奴らを集めたかったんです。

そこに鳴る、Ailiph Doepa、ichika、K、L.O.V.E、Sailing Before The Windと、バラエティに富んだ布陣ですね。

聖:これはあえて言いますけど、どうしてわけわかんねぇヴィジュアル系バンドがいないかっていうとそういうバンドは"音楽をしてない"からであって......(苦笑)。

鴻志:そこまで言っていいのかな......(※頭を抱える)。

聖:だって、僕らから見ると"音楽をしている"とは到底思えない。集客しか考えていないイベントで"わいわい、キャーキャー、面白かったねー"もいいと思います。でも、それじゃあ別にバンドで、音楽でやる必要もない。僕らはそうじゃないので"音楽をしている"と感じられる人たちを誘いました。まぁ、僕は誘ってないですけど。みんな、他のメンバーが声を掛けました(笑)。

烈:この日に限ったことではないけど、イベント全体を観てほしいんですよね。目当てのバンドだけを観る人だって、それでもいいと思うけど、決して安くはないチケット代を払ってその場所に足を運ぶのであれば、他のバンドも観た方が何か発見があるかもしれない。正直、今のヴィジュアル系シーンって音楽が"二の次"になっているバンドが多いと思うんです。僕らまでそこに右へならえしてしまうと、シーンが終わってしまうような気がして......。シーンを語れるほどじゃないですけど、ヴィジュアル系だけの中で売れたいとも思ってないし、そもそも"ヴィジュアル系"は音楽ジャンルでもないと思うし。だからこそ逆に、なんでもやれるという強みはある。メイクも表現の一環でやってるし、ヴィジュアル系は好きですけど、でも今のヴィジュアル系はうーんですね。

聖:僕らも別に毛嫌いしてるわけじゃない。でも、単に一緒にやりたいと思う人もいなかった。

烈:普段からいろんなバンドをめちゃくちゃチェックしてるんです。でも"ちょっと違うな"って感じるバンドが多いんで。それだったら他のジャンルで必死に音楽をやっているバンドと一緒に盛り上げた方がイベント的にも面白いし、当然どこのジャンルのバンドにも負ける気はさらさらない。

-もしこれを読んで"悔しい"と感じるバンドがいれば......。

聖:自分のこととは思わないかも。今本当にヘイトが溜まってるんで。今回のアルバム(註:1stフル『CHEDOARA』)にもそれは込めていますし、"オトノギ"というタイトルも、そういう気持ちからきているところはあります。

-では最後に激ロック読者に向けてひと言コメントをお願いします。

聖:ひと言......。"もっと音楽を聴け"ですね。

鴻志:これ以上はヤベぇって!

-昨今はひとつの発言だけ切り抜かれて、炎上したりすることもありますからね。

聖:炎上とかしたくないし、ましてや狙ってるつもりもない。単に聴くべきものを聴くべきで、それだけのことです。

烈:でも単純な話、聴いた方がいいと思うけどなぁ。日本って海外よりも遅れているし、やっぱり生活の中で音楽が"二の次"なんですよ。音楽を聴いて人生が変わることってあると思うし、今はいくらでもいろいろな音楽を聴くツールがあるのに、聴かないなんて。僕らのだけじゃなくて、いろいろな音楽を聴いてほしいですね。生意気失礼(笑)!〉

 

棘のある言い回しではあるが、概ねその通りだしこうした発言に見合った作品を作り上げているとも思う。実はこうした姿勢はヴィジュアル系というジャンルを生み出した先達や黎明期の代表格にも共通するもので、BUCK-TICKLUNA SEAのような偉大なバンドがアルバムごとに音楽性を大きく変えつつ傑作を生み続けてきた経緯もあってか「他人と被ったら負け」という感覚はこのシーンの基本的な美学として根付いてきた(註38)。本作収録曲の歌詞(註39)はそうした姿勢を明確に反映しているし、明るい響きのコード進行や現行ポップミュージックの中でも複雑な類のビートといった前作までとは大きく趣を異にする要素を大量に導入できた(註40)のもこのような感覚の賜物だったのだろう。そういった面においても興味深く重要な作品なのだといえる。

 

 

 本項ではメタルシーンにおける「ヴィジュアル系の聴かず嫌い」の歴史とそれがもたらす弊害についてふれてきたが、先に少し述べたようにこうした傾向は以前に比べればだいぶ解消されてきてはいる。先掲『すべての道はV系へ通ず。』における以下のやり取りはそうした状況が導かれた背景をよく説明している。

 

藤谷「ヴィジュアル系バブルが終わった直後は、ヴィジュアル系に影響を受けたミュージシャン - たとえば〈ORANGE RANGEがXに影響を受けていることを周囲が伏せさせていた〉というエピソードが、市川さんの『私が「ヴィジュアル系」だった頃。』にあったじゃないですか。それが2010年代に入ると、見るからに90年代ヴィジュアル系の影響が濃く、後に《ルナフェス》にも出演することになる凛として時雨9mm Parabellum Bulletだけじゃなく、Base Ball Bearみたいな一見音楽性は離れているバンドのメンバーも、Twitterで2008年3月のX JAPAN東京ドーム3デイズ公演やLUNA SEAのREBOOT宣言について、当時つぶやいてたんですよ。さっきのORANGE RANGEの話のようにV系黒歴史扱いされてたからこそ、凛として時雨ピエール中野さんのTwitter上での発言、〈LUNA SEAは日本のバンドマンにいちばん影響を与えているかもしれない〉をよく憶えています。そして世の中的に、LUNA SEAX JAPANみたいな90年代V系はアリ、という空気になっていったわけですよ。」

市川「すべてが水に流れちゃったというか、流されちゃったというか。」

藤谷「そしたらメディアも掌くるりんぱしたというか。なんだかゼロ年代ヴィジュアル系冷遇時代を耐えてきたこちらとしては、「へぇー」みたいになるわけですよ。」(註41)p122-123

 

これはBorisの2014年インタビューにおける以下の発言にも通じる話だろう。

 

Atsuo「現在の30歳あたりにラインがあるような気がしますね。例えば30歳以上のバンドって、高校の頃にビジュアル系とか聴いていても、何となく気恥ずかしさがあって、「ビジュアル系の影響を受けた」とは言えない世代。でも、30歳より下だと公言できる。そこのラインから下は、いろんなジャンルとの付き合い方がかなり均等な距離になっていて、新しい世代だなと思います。そういう子たちの方が、よりいろんなジャンルにアクセスするフットワークの軽さを持っていて、30歳より上の世代は、文脈において音楽の優劣を決めるってことを体感してきている世代なのかなって。」

Takeshi「30歳以上のバンドだと、○○に影響受けたとか、実は○○が好きとかって話は、すごく仲良くならないと言ってくれないよね(笑)」(註42

 

こうした雪融け的な展開があったからこそNOCTURNAL BLOODLUSTをはじめとした「メタル出身バンドがV系化する」流れが生まれるようになったというのもあるのかもしれない。

それに繋がる話でもあるが、「V系化する」のは集客力を高めるためという側面も少なからずあるわけだけれども、その一方でヴィジュアル系ならではの音楽的特徴に魅力を見出したからというのも大きいはずである。ボーカルの発声や歌いまわしが醸し出す独特の力加減はその筆頭で、ヴィジュアル系特有の柔らかくしなやかな力感こそが日本のロック/メタルでなければ出せない唯一無二の質感であり、それは旧来のメタル的価値観(特に生理的感覚)からすると受け入れがたいものだということはよくわかるが(自分もそうだったしDIMLIMの歌い方は今でもギリギリの線ではある)、それを持ち味の一つとして認めることが日本のメタルの強力な武器になるのではないだろうか。国外でBABYMETALやDIR EN GREYが日本を代表するメタルバンドと認識されている(音楽的評価の面でも売上実績の面でも実際に代表している)背景にはそうした要素が少なからず関わっているはず。そういった意味においても、「ヴィジュアル系を抜きにしてメタルの歴史を語ることはできない」し、それを認めることが大事なのだと思う。これまでも、そしてこれからも。

 

 

註21

音楽ナタリー「V.A.『DEAD END Tribute - SONG OF LUNATICS - 』特集 MORRIE×清春MORRIE×HYDE 2つの対談から読み解く超豪華トリビュート」

https://natalie.mu/music/pp/deadend

 

註22

『すべての道はV系へ通ず。』市川哲史・藤谷千明、シンコーミュージック、2018年8月26日初版発行 p121-122

 

註23

こうした拒否反応は国内バンドに限った話ではなく、2011年のLIMP BIZKITや2013年のSTONE TEMPLE PILOTS with Chester Bennington(LINKIN PARKの今は亡きボーカリスト)など、保守的なHR/HMファンからは嫌われるニューメタル~オルタナティヴロック方面のバンドがヘッドライナーを務めた際は出演前~出演中に大部分の観客が帰途についていた。2013年は自分も現地にいてその様子を見ていたが、終演時には(もともとそこまで売れ行きの良くなかった年ではあったがそれを鑑みても)8割方の観客がいなくなっていたように思う。

 

註24

これは毎年驚異的な精度の先物買いを繰り返すサマーソニックのラインナップをみても言えることだが、本来ならば音楽メディアが担うべき現状の音楽シーン把握/批評や未来への播種を日本で主に実行しているのは音楽フェス運営をはじめとしたライヴビジネス業界の方なのではないかとすら思える。その点、雑誌メディアと音楽フェス両方の運営を行い双方を直結することができているロッキングオン社の邦楽部門は、いろんな功罪があるだろうがよくできているものだなと思う。

 

註25

こういうサブジャンルにおいてはカウンターカルチャー的な気質もあってか反メジャー志向をもつ人が非常に多く、「洋楽至上主義」傾向も日本のポップスとか芸能界的なものに対するカウンターとして採用されてきた面も少なからずあると思われる。成り立ちとしては仕方がない面もあるのだが、「メジャーだから駄目」「マイナーだから良い」という図式は妥当でない場合の方が多い。地下志向を徹底的に貫くことで初めて到達できる境地もある(初期デスメタルブラックメタルの名作群などそうして生まれたものも多い)ので実作者の姿勢についていえば一概に否定できないものではあるけれども、シーン全体の動向を俯瞰的に把握していくべき大手メディアがそちら方向に寄りすぎるのは良いことではないし、そうすることにより自身の首を絞める展開に繋がってきた面も多いのではないだろうか。

 

註26

非常に複雑な問題なのでここでは掘り下げないが、“ダサい”と言われがちなメタル側の自意識とかヴィジュアル系の「異性にモテる」イメージ(実際、ライヴでの男女比はメタル=9:1に対しヴィジュアル系=1:9という感じなのだが、これは各ジャンルの歴史的蓄積とか接続する文化領域によるところも大きいだろうし、「モテるからそういう男女比になる」というよりも「そのジャンルに引き寄せられる層がそういう男女比になる状況が社会的に形成・準備されているため、結果として“異性にモテる”ように見える状況が出来上がる」とみた方がよさそうな気もする)がヴィジュアル系に対する偏見を強化している面も少なからずあるように思われる。

 

註27

ヴィジュアル系に属していると上手いプレイヤーであっても下手だと思われがち」な風潮は、ヴィジュアル系外のメディアに掲載されるインタビューで多くのバンドが高頻度で言及する話でもある。

 

参考:

激ロック「INTERVIEW - NOCTURNAL BLOODLUST」

(2014.12.25掲載)

https://gekirock.com/interview/2014/12/nocturnal_bloodlust.php

激ロック「INTERVIEW - Deviloof」

(2016.8.6掲載)

https://gekirock.com/interview/2016/08/deviloof.php

激ロック「INTERVIEW - DIMLIM」

(2017.5.22掲載)

https://gekirock.com/interview/2017/05/dimlim.php

 

註27

BURRN!』2001年10月号のクロスレビューSLIPKNOT『Iowa』が92点・98点・99点という超高得点を獲得するなど、こちら方面の音楽性を伝統的なHR/HMのファンに受容させようとする(やや強引ともいえる)試みはあったのだが、こうした代表格バンドへの評価を高めることはできたものの、ニューメタル以降のメインストリーム寄りメタル全体への偏見を減じることはあまりできていなかったように思われる。

 

註29

ORICON MUSIC♪「スリップノット、15年目で初首位」

(2014.10.21掲載)

https://www.oricon.co.jp/news/2043531/full/

 

註30

Mike Portnoy(DREAM THEATERの創設メンバーでありメタルシーンを代表する超絶ドラマー)公式サイト掲載の2008年ベストアルバム企画で『Uroboros』が次点(A few honorable mentions)に選出

https://www.mikeportnoy.com/bestof/2008.php

BARKS「DIR EN GREY、欧州ツアー開幕!その第一日、世界最大のメタル祭〈ヴァッケン〉に降臨」

(2011.8.9掲載)

https://www.barks.jp/news/?id=1000072285

 

註31

2019年9月28日のツイート

https://twitter.com/fulafura/status/1177626187922755585?s=21

 

註32

90年代ヴィジュアル系最重要バンドの一つMALICE MIZERのリーダーだったManaはソロプロジェクトMoi dix Moisブラックメタルゴシックメタル的な音楽性を追求している。

 

註33

このあたりの話は先掲著『すべての道はV系へ通ず。』の第一章「ヴィジュアル系がヤンキー文化だった頃」などに詳しい記述あり

 

註34

このように壮大で複雑な楽曲は繰り返し聴き込まないと構成を把握するのが難しく、それでいてこのバンドは演奏技術(そしてベストコンディションを安定して供給する管理能力)に難があるため、魅力や持ち味を初見で把握しきるのが容易でない。LOUD PARKでのパフォーマンスやWacken Open Airでの演奏動画がメタルファンの「ヴィジュアル系は下手(または、よくわからない)」というイメージを強化してしまったというのは残念ながら確かにあると思われる。

 

註35

シンコーミュージック『BASTARDS!』Vol.1(2020.9.20発行)掲載のDEVILOOFインタビューにおける以下のやりとりはこうした影響の大きさをよく表している。

 

V系シーンではDIR EN GREYのフォロワーの時代が長かったと個人的には思っていて。ある種のDIR EN GREYコアというか。NOCTURNAL BLOODLUSTの出現以降、それを脱してきている感じがするんです。そういったオリジナリティに対するこだわりはどうですか?

桂佑:オリジナリティは常に大事にしています。そうですね…DIR EN GREYのフォロワーになっていないかにはかなり細心の注意を払っているというか。DIR EN GREYは僕も好きなんですけど、DIR EN GREYの二番煎じ三番煎じが多過ぎて、はっきり言って「おもんないな」とは思っています。それと差別化するには、まあ色々あるんだなとは思いますけど、僕の場合はアンダーグラウンドな音楽が元々好きなので、そういう音楽をV系…割合は少ないかもしれないですけど、V系と融合させて他のバンドと差別化を図るようにはしてます。

 

註36

参考:ファラ「2020年間ベストアルバム50選」など

http://note.com/sikeimusic/n/nc27a7ffe8618

 

註37

激ロック「INTERVIEW - DIMLIM」

(2018.8.8掲載)

https://gekirock.com/interview/2018/08/dimlim.php

 

註38

これは90年代ノルウェーブラックメタル黎明期にそのまま通じる話で、それ以降は様式美化したフォロワーの方が多くなっていった経緯も併せ両シーンの在り方には共通するところが多い。メタルシーンの内部で技術志向からの脱却傾向を(限定された領域にせよ)明確に生みだした点においてもブラックメタルの影響は一般的に認識されているよりも遥かに大きいのかもしれない。

 

註39

以下の歌詞は「他人と被ったら負け」姿勢を示すものとして特に象徴的だと思われる。

 

「Funny world」

“お前らには必ず革命が必要だ!”

 

「Tick Tak」

“時間が経てば経つほど移り変わるの…

どいつもこいつも保守的な思考しか…”

 

「out of the darkness

“不幸を歌えだって?

冗談じゃない

なぜ、お前たちに左右されなきゃいけないんだ

光を閉ざすのはものすごく簡単なのさ

でも、俺たちは暗闇に屈したりはしない”

 

「Lament」

“考えるのをやめた人は死んでるのと同じさ”

 

註40

こういう一般的にお洒落なイメージのあるものを大幅に導入できたのは、そうしたお洒落感に対する抵抗感がジャンル的な傾向として比較的少なかったからというのもあるのかもしれない。これはPERIPHERY的な要素に関しても言える話で(NOCTURNAL BLOODLUSTの近作などを聴いていてもそう思う)、註26と同じく複雑な話なのでここでは掘り下げないが、伝統的HR/HMシーンに属するバンドがそうした要素の導入に慎重(という以前に知るところまでたどり着かない)ということも鑑みると、こういう感覚と音楽的拡散を許容できる方向とはやはり関係があるのではないかと思えてしまう。近年いう意味での「メタル」は伝統的HR/HMと比べれば「ダサい」イメージから(良い意味でも悪い意味でも)遠いように思うし、ヴィジュアル系方面からも引き起こされただろうメタル一般のこうした「ダサさ」のグラデーションの推移が今後も様々な変化をもたらしていくのではないかという気がする。

 

註41

『すべての道はV系へ通ず。』市川哲史・藤谷千明、シンコーミュージック、2018年8月26日初版発行 p122-123

 

註42

CINRA.NET「BORISはなぜ海外で成功し得た?文脈を喪失した時代に輝くバンド」

(2014.6.12掲載)

https://www.cinra.net/interview/201406-boris/amp

 

 

 

 

妖精帝國:the age of villains(2020.3.25)

 

f:id:meshupecialshi1:20210116011309j:image

 

 前2項では「洋楽至上主義」や「ヴィジュアル系の聴かず嫌い」により日本国内の伝統的HR/HMシーンが自らの首を絞めてきたことについてふれたが、そうした流れを経てもこのシーンはそこまで縮小することなく存続し続けている。これは、サム・ダン監督の文化人類学ドキュメンタリー映画『メタル ヘッドバンガーズ・ジャーニー』におけるロブ・ゾンビの発言「“一瞬好きだったけど”とか メタル・ファンにはあり得ない」「“あの夏はスレイヤーが好きだった”なんて そんなヤツはいない」のように、好むメタルの範囲は人によって異なり限られているとしてもその対象への愛はみな深く一定以上の忠誠心を抱き続けていく場合が殆どだというのが最大の理由なのだろうが、それとは別に「ジャンル外から流入する経路がいくつもある」「メタルの隠れファンは意外と多い」というのも実は重要なのだと思われる。90年代に限らず日本の音楽史上最大級の売上を誇るユニットB`zは非常に個性的な音楽的立ち位置(註43)にいながらも出音や演奏スタイルは間違いなくHR/HMを土台としているし、浜崎あゆみをはじめとする多くのポップアーティストの楽曲間奏に頻出する速弾きギターソロなどもあわせてみれば、90年代以降のJ-POPはメタル的な音楽形式を基礎的な語彙のひとつとして多用しており、そうした要素をそれとなくメタル外のリスナーに慣れさせてきたのだといえる(註44)。前項でもふれたとおりヴィジュアル系のバンド群はそうした波及効果をもっと直接的に引き起こしてきたし、聖飢魔Ⅱ筋肉少女帯のようにHR/HM関連メディアでは殆ど取り上げられないがサウンド的には完全にメタルであるバンドも国内の「HR/HMバンド」群を上回る影響をメタル外の音楽ファンに与えてきた。00年代以降でいえば、マキシマム ザ ホルモンSLIPKNOTがメタル周辺のバンドからの影響を公言することでファンのルーツ探究を促しメタル一般にハマるよう仕向けてきた流れは間違いなくあるし、CROSSFAITHやCRYSTAL LAKEが近年繰り返しているジャンル越境的な対バン企画(リサーチ力もブッキングセンスも素晴らしい:註45)は共演した出演組のファンを惹き込みつつ様々なシーンを連結する働きを担っている。BABYMETALやPassCodeをはじめとしたアイドル方面の強力なグループも同様の連結効果を(起こっている場はメタル領域の内部ではないかもしれないが)遥かに大きな規模で実現しているし、メタル関連のメディアでは扱われないアクト経由でメタルファンが増えてきた経緯は間違いなくある。メタルファンは「メタルは蔑視されている」「メタルは無視されている」的な意識をジャンル内の常識とか基本装備といっていいレベルで共有しているが、そうした被害者意識は(以前はともかく今では)適切でない場合も多いし、上述のように自分達が思うほど評価されてこなかったわけでもない(註46)。こうした状況を無視して「メタル」を語り続けても現状を適切に評価することはできないし、この点に関しても認識の是正というか恩恵の把握が必要になるのではないかと思われる。

 

 上記の経路と並んで重要な「ジャンル外から流入する経路」になっているのがアニソン(アニメのOP=オープニングやED=エンディングに流れる主題歌、または挿入歌)・ゲーソン(ゲームの~)や同人音楽である。もともとHR/HMは70年代の頃から伝統的にアニソンと相性が良く、アニソンの勇壮な歌メロおよび曲調はHR/HMファンの間でも広く好まれてきた。日本を代表するメタルミュージシャンを集めて結成されたアニソンカバー企画バンドであるアニメタル(1997~)はそれを象徴するものだし、イタリアのメロディックパワーメタル(メロパワ)~メロディックスピードメタルメロスピ)バンドHIGHLORDやDERDIANが『聖闘士星矢』の主題歌「ペガサス幻想」を英語カバーしたり、やはりイタリアのプログレッシヴパワーメタルバンドDGMが『北斗の拳』の主題歌「愛をとりもどせ!!」を日本語カバーするなど、こうした嗜好はメタル文化圏に広く共通するものでもあるように思われる。そうしたメタル→アニソン方向とは逆に、例えばRHAPSODY(現RHAPSODY OF FIRE)やSONATA ARCTICAのような2000年頃に日本で数万枚単位のヒットを記録したメロパワ/メロスピ~シンフォニックメタルバンドはファンタジックな世界観や映画音楽にも通じる壮麗なサウンド(RHAPSODYは自身の音楽を“ハリウッドメタル”とも称した)を好むジャンル外の音楽ファン(特にアニメやマンガでそうした世界観に慣れ親しんできた人々)にとってのメタルへの入り口になってきた。これはSound Horizon(主催者Revoの別ユニットLinked Horizonは『進撃の巨人』主題歌で国民的な知名度を得た)のようなサウンド的には完全にメロパワ/メロスピの系譜にあるハイクオリティな同人音楽バンドについてもいえるし、Unlucky Morpheusをはじめとした『東方Project』アレンジメタルバンドからメロパワ/メロスピメロディックデスメタルメロデス)にハマる経路も少なからずある(註47)。もっと一般的に知られたゲーム関係でいえば、FINAL FANTASYシリーズの植松伸夫は「いまだに音楽大学の授業の中で若い人達に人間椅子さんを紹介するほどシビれてます」(註48)と公言するくらいHR/HM的な音を好みFFシリーズの楽曲をバンド編成で演奏するプロジェクトTHE BLACK MAGESで活動していたこともあるし、『サガ』『聖剣伝説』シリーズを担当した伊藤賢治対戦格闘ゲームのBGMを制作した作曲家たち(SNKブランドや『GUILTY GEAR』シリーズなど、メタルバンドの名前をキャラクター名に採用した人気シリーズも多い)も優れた劇伴音楽を通しHR/HMやそこに隣接するプログレッシヴロックのエッセンスを多くのゲームファンの記憶や嗜好に刻み込んできた。また、『ジョジョの奇妙な冒険』のDIO(元ネタはHR/HM史上最高のボーカリストのひとりロニー・ジェイムス・ディオおよびそのリーダーバンドDIO)をはじめ人気漫画シリーズを通してメタルを知るルートも多数用意されている。などなど、ジャンルとしてはメタルに括られない外の領域でメタル的な要素を魅力的に伝え広く受容される土壌を作ってきた作家がたくさんいるからこそこのジャンルに流入する人々が絶えずシーンが存続できてきたという経緯も少なからずあるように思われる。そして、そういういわば境界の領域で活動する音楽家だからこそ生み出せる類の傑作もあるわけで、メタル関係のメディアやメタルファンはそうしたものを積極的に評価しつつ内外の連結部として利用するような工夫をしてもいいのではないだろうか。「メタルは見下されている」的な被害者意識を抱え「誰の助けも借りずシーンを守ってきたんだ」みたいな無頼を気取りながらシーン外の協力者の恩恵にあずかり続けているのはフェアではないし、それを続けていたら自力でシーンを拡張する力を放棄し内輪向けアピールにばかり特化する傾向を(作品制作の面でも批評の面でも)さらに推し進めてしまうことになる。メタル内でもメタル外でもほとんど意識されていなさそうな話ではあるが、実はかなり重要な問題なのではないかと思われる。

 

 妖精帝國は上記のような境界領域から出発したバンド(1997~)で、当初は2名編成のトランス~ハードコアテクノユニットだった(ZUNTATA(ゲームメーカーTaitoのサウンド開発部門であり個性的なサントラ群で高い評価を得る)に所属していた小倉久佳の影響が大きいとのこと:註49)のが、2005年に発表したインディーズ最終4thアルバム『stigma』からはインダストリアルメタルがかったゴシックロック的な音楽性に変化。メジャーデビュー(Lantis所属)した翌年からはアニメやゲームへの楽曲提供も並行して行いつつ、2013年にはギター・ベース・ドラムスの3名を加えた5人編成のバンドとなり、メロディアスなメタルのルーツをさらに前面に出していくこととなった。Wikipediaなどを見ると冒頭に「ゴシックメタルバンド」と書かれているわりに各メンバーの影響源として挙げられているのはWITHIN TEMPTATIONやIN THIS MOMENTといった2000年代以降のかなりポップになった世代のバンドやネオクラシカルメタル~メロパワ/メロスピばかりであり、90年代=サブジャンル創成期のゴシックメタル註50)を期待すると「やっぱりありがちな感じか」と肩透かしを食う気分になってしまうと思われるのだが、実際の音はそうした影響源一覧よりも遥かにコアに捻られたものであり、しかもそれを聴きやすくポップに仕上げる作編曲が素晴らしい。2016年発表6thフル『SHADOW CORPS[e]』の最後で『少女革命ウテナ』サントラ(1998)の「体内時計都市オルロイ」をカバーしているのをみてもわかるように、同曲のオリジナルを作詞・作曲・編曲したJ.A.シーザー(日本のロック創成期~プログレッシヴロックを代表するアーティストで寺山修司との関わりも深い)から大きな影響を受けていたり(註51)、メタルバンドでありながらALI PROJECT(同じLantis所属)にも匹敵する近現代クラシック的に複雑な作り込みをしているなど、立ち位置としては「欧米の薄味ゴシックメタルバンドのフォロワー」ではなくむしろ「日本のサブカルチャー方面で培われてきたゴシック感覚(註52)を独自の形に昇華させた上でメタル化した」ようなものなのだといえる。2020年に発表された7thフル『the age of villains』はそうした音楽的特性がメタルコアやdjentといった近年のメタル要素(の滋味深い部分のみ)を取り込んだ形で強化された傑作で、MESHUGGAH的な長尺シンコペーションリフと流麗な歌メロを両立させるスタイルでは最高峰といえるバンドRAM-ZETやゴシックメタルにカオティックハードコア的なめまぐるしい展開を融合させた名バンドUNEXPECTあたりを連想させる部分もある。そうしたものとSEPTICFLESHやDIMMU BORGIRあたりをアニソン系統の超絶技巧で接続するような趣もある本作の収録曲はリードメロディの強さとバッキングの面白さを最大限に両立しており、聴き流しても楽しめる印象の強さといくら聴き込んでも飽きない構造の強度を見事に兼ね備えている。ネオクラシカルメタルとゴシカルなアニソンをメタルコア的な機動力で融合する「IRON ROSE」などわかりやすい歌モノ、TOXIKをBLOTTED SCIENCE経由でデスコアに接続するような「絶」をはじめとするインスト主体のもの、そしてそれらの間におさまるJ.A.シーザー+SEPTICFLESH+SLAYER的な「濫觴永遠」など、という感じの楽曲群がバランスよく配置された本作は全体の流れまとまりも好ましく、2020年のHR/HM屈指の一枚とさえいえる。声優的な歌いまわしのボーカルは好みが分かれるだろうがこの声でなければ表現できない味わいでこのバンドの音楽に唯一無二の個性を与えており、メタル境界領域から生まれたメタルとしてひとつの理想的な境地を示している。広く聴かれるべき傑作だし、メタル内外の連結部として素晴らしい機能を発揮してくれるアルバムなのではないかと思われる。

 

 

註43

参考:サマーソニック2019でB`zを観た直後の感想連続ツイート

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1162348000447852546?s=21

 

註44

BABYMETALが2019年に発表した3rdフルアルバム『METAL GALAXY』の2曲目「DA DA DANCE」における松本孝弘(B`z)の客演はこうした歴史的積み重ねを踏まえたものでもあるのだと考えられる。

 

註45

参考:HYPEBEAST「Crossfaith企画のNITROPOLIS vol.2にInjury Reserveが参戦決定」

(2019.5.14掲載)

https://www. hypebeast.com/jp/2019/5/crossfaith-nitropolis-vol-2-injury-reserve-vein-jin-dogg%3famp=1

 

註46

このあたりの話はこの記事のTRIBULATIONの項における「メタルシーン内外の没交渉傾向」の件で掘り下げた。

https://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2018/12/25/222656

 

註47

BURRN! ONLINE「ふたつのシーンの観測者~“THE ART OF MANKINDのWooming”が出来るまで

前編(2019.10.31掲載)

https://burrn.online/interview/991

後編(2019.11.4掲載)

https://burrn.online/interview/993

 

ロディックハードコア(メロコア)のようなパンク方面のリスナーやヒップホップのファンにHELLOWEENやDRAGONFORCEのような勢いのあるメロパワ/メロスピを聴かせると好感触を示すことが多いのをみても、上記インタビューの話は個人的には納得させられる部分が多い。

 

註48

音楽ナタリー「人間椅子30周年記念アンケート」

一番好きな楽曲として「陰獣」を挙げている

(2019.12.11掲載)

https://natalie.mu/music/pp/ningenisu04/page/2

 

註49

激ロック「INTERVIEW 妖精帝國

(2019.4.29掲載)

ZUNTATA在籍時の小倉久佳作品には上野耕路も参加しており、その上野と戸川純とのユニットであるゲルニカALI PROJECTなどに通じる音楽性を探究していたことを考えれば、妖精帝國の音楽性にも確かに繋がるものであると考えることもできる。

https://gekirock.com/interview/2016/04/dasfeenreich.php

 

註50

参考:砂男の庭園「ゴシックメタルのすゝめ壱:ダーク・メタル」ほか同ブログの記事群

web上で読めるゴシックメタル関係の日本語紹介記事としては網羅範囲も知見の深さも群を抜くものだと思われる。

https://gotishejackrenas.livedoor.blog/archives/4390637.html

 

註51

リスアニ!WEB「約4年半ぶりのリリースとなるアルバム『the age of villains』が完成!妖精帝國インタビュー」

(2020.4.13掲載)

https://www.lisani.jp/0000146601/amp/

 

註52

本項の主題からは逸れるのでここでは掘り下げないが、ボーカロイド楽曲で好まれそちら方面で独自の洗練を遂げてきた音進行/曲展開にはこの“日本ならではのゴシック感覚”の系譜といえるものが存在し、ヴィジュアル系的なものと隣接しつつ昨今のポップミュージック全域にも大きな影響を与えていると考えられる(主にハチ=米津玄師からの流れとして)。HR/HMから実際に影響を受けているボカロPもいるし、このあたりの繋がりを解きほぐすことで見えてくるものも多いのではないかと思われる。

参考:Flat「長谷川白紙を語る上で参考になりそうなボカロ曲を挙げてみる」

https://note.com/lf_flat/n/nbb093b4f5325

 

 

 

 

Damian Hamada`s Creatures:旧約魔界聖書 第Ⅱ章(2020.12.23)

 

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 聖飢魔Ⅱ(せいきまつ、早稲田大学フォークソングクラブ(WFS)で1982年末結成~1985年メジャーデビュー)は世界的にみても史上最高のメタルバンドのひとつだが、国外はもとより日本国内でもそうした評価は殆ど得られていない。これは1stフルアルバム『悪魔が来りてヘヴィメタる』が『BURRN!』1985年11月号で0点(評者は初代編集長)をつけられ同誌との関係が断絶した(註53)ために生じたことなわけだが、果たしてそれはバンドにとって悪いことだったのだろうか?短期的には間違いなく好ましくなかったにせよ、長期的にはむしろ良い面もあったのではないだろうか?という気もする。創設者のダミアン浜田(当時は殿下、現在は陛下)のコアなHR/HM志向により暗黒正統派メタルバンドとしての活動を始める一方で、他の構成員はむしろ「HR/HMもできる他ジャンルの一流」という感じで、ソウルミュージックやファンク、フュージョンプログレッシヴロックそして歌謡曲などの素養を活かした作編曲や演奏表現力を駆使することで個性的な傑作を連発していった経緯がある。聖飢魔Ⅱが本解散(1999年12月31日)までに発表した全フルアルバムの音楽性は以下のとおりである。

 

 

【】内はメインの作曲者

Da:ダミアン浜田殿下(バンドのリーダーだったがメジャーデビュー前に引退)

J:ジェイル大橋代官、A:エース清水長官、L:ルーク篁(たかむら)参謀、De:デーモン小暮閣下

 

〈1st〉悪魔が来りてヘヴィメタる(1985)【Da】

 ダミアン曲主体(序曲からの冒頭を飾る名曲『地獄の皇太子』はデーモン小暮閣下作曲)の暗黒HR/HMプログレッシヴロック路線。MERCYFUL FATELED ZEPPELINがACCEPT経由で接続されたような楽曲群は同時代の国外正統派ヘヴィメタルと比べても超一流といえる出来。この時点では構成員が確定していなかったこともあってボーカル(閣下)以外は日本を代表するフュージョンバンドPRISMのメンバーが担当しており、そうした圧倒的な演奏技術や録音環境の良さに反し妙なアングラ感を醸し出すくぐもった音作りをしていることもあってか、カルトメタルとしても他に類をみない異様な雰囲気を漂わせている。

 

〈2nd〉THE END OF THE CENTURY(1986)【Da】

 構成員が全員演奏に参加した最初のアルバム。収録曲はやはりダミアン曲がメインだが、ジェイル&エースのギターソロはHR/HMの基本を押さえながらもそこから自由自在に逸脱するものばかりで、IRON MAIDENスタイルの疾走曲にフュージョン的音進行が違和感なくのる「JACK THE RIPPER」など、唯一無二の個性が既に確立されている。代表曲「蠟人形の館」(これもダミアン作詞作曲)のヒットもあって最も知名度の高いアルバムであり、国内HR/HMメディアでも名盤として紹介されることが多い。

 

〈3rd〉地獄より愛をこめて(1986)【J】

 ダミアン楽曲のストックがなくなりジェイル大橋がメインソングライターとなった一枚。アメリカ的なブルースロック~LAメタル志向の強いジェイルの尖った音進行および演奏感覚がダミアン的な世界観のもとで自在に表現されたことにより世界的にも類をみない味わいのメタルが完成。バンドイメージもあってか「様式美」という言葉で評されることも多いが、音楽構造的には全く様式美に留まらない不思議な成り立ちの一枚である。「アダムの林檎」「秘密の花園」など名曲も多く、アルバム全体の流れまとまりはやや歪だが奇跡的に充実した傑作。HR/HM関係メディアではここまでの3枚以外の作品が言及されることは殆どない。

 

〈4th〉BIG TIME CHANGES(1987)【A、全員】

 前作のワンマン制作過程での衝突を経てジェイルが脱退(この後しばらくアメリカで活動、聖飢魔Ⅱには1995年・1999年末のライヴおよび2005年以降の5年周期再集結活動に参加)し後任にルーク篁が加入、作曲陣が一新されることとなった一枚。それまでの暗黒様式美ヘヴィメタルとは異なるアメリカンロック志向が前面に出ており、その上でプログレッシヴハード(RUSHあたり)や欧州ゴシックロック、果ては80年代CBSソニーならではのシティポップ的バラード(素晴らしいボーカルは作曲者であるエース清水が担当)など、バンドコンセプトをある程度引き継ぎながらも全く異なる音楽性が探究されている。全曲で異なるスタイルを採用しながらも不思議な統一感を勝ち得たアルバムで、これも他に類をみないタイプの傑作といえる。

 

〈5th〉THE OUTER MISSION(1988)【A、L】

 前作の成果を土台にさらなる音楽的探究がなされた大傑作。JOURNEYあたりを連想させるきらびやかなハードロックサウンドにU.K.やフランク・ザッパにも通じるプログレッシヴなエッセンスを絡める作編曲は極上で、エースの卓越した音進行感覚とルークの闊達なポップセンスが最高の形で活かされている。素晴らしい瞬間は枚挙に暇がないが、ラストを飾る7拍子の表題曲におけるエースのギターソロはジャンルを越えた至高の逸品として特に高く評価されるべき。演奏面に関して言うと、勢いだけで押すことは難しくなった音楽性なこともあって後の達人技と比べると多少の粗が出てしまっているのが惜しくはあるが、ハードロックというよりもファンクとして聴いた方がしっくりくる強靭なリズムアンサンブル(この点においても他のHR/HMバンドとは一線を画す)はこの時点でだいぶ仕上がっている。アルバムとしての構成も完璧。HR/HM史全体をみてもトップクラスに位置する一枚といえる。

 

〈Best〉WORST(1989)

 ここまでの代表曲に新録・再録を加えニューヨークでリミックスしたベストアルバム。初期3枚と体制一新後の2枚との音楽性がバランスよくまとめられ、サウンド的にも低域が極上のバランスで強化された素晴らしい内容になっている。国内出身のHR/HMバンド(関連メディアにはそう認められていなかったかもしれないが)としては史上初のオリコンチャート1位を獲得したとされるアルバムで、末尾に収録されたエース清水作のシティポップ的(MARILLIONのようなポンプロック風味もある)バラード「白い奇蹟」で紅白歌合戦に出場することにもなった。売上や知名度の点ではこのあたりがバンドの全盛期。

 

〈6th〉有害(1990)【A、L】

 前作までのアメリカンロック志向をさらに強めたアルバム。性愛をテーマとした歌詞はだいぶ滑り気味だと思うが、ファンク~フュージョン(後者寄り)的な高機動アンサンブルとは雰囲気表現の面でよく合っているし、初期の欧州ゴシック的な世界観から離れつつ悪魔コンセプトを保つための題材としては良い選択だったのではないかと思う。IRON MAIDENに連なるNWOBHM的スタイルのパワーコード進行感と80年代R&B的に入り組んだ和声感覚が独特のバランスで違和感なく融合している作編曲も興味深く、ややパッとしないイメージもあるがやはり他に類をみないところを掘り下げた優れた一枚だといえる。

 

〈7th〉恐怖のレストラン(1992)【L、De、A】

 直近のポップ路線が既存ファンに歓迎されなかったこともあってか悪魔コンセプトを採用しなおしたアルバムで、同時期に台頭してきたグランジ~グルーヴメタル(ルークは同年頭に発表されたPANTERAの歴史的名盤『Vulgar Display of Power』などを意識したという)を介してスラッシュメタルドゥームメタルに向かうハードな路線が初期よりも過激なヴィジュアルとあわせ提示されている。同時期のエクストリームメタルと比べると(暗くささくれだった質感をちゃんと出してはいるが)クリーンで軽めなサウンドや閣下のコメント「ダミアン浜田殿下の歌詞はあまりにも発想がすごいから、笑えるところまでいくんだけれど、他の構成員だとマジメで現実感がありすぎる」(『Rockin`f』vol.17)のとおりの歌詞が中途半端な印象を生んでいる面はやはりあるが、個々の楽曲はさすがに素晴らしく、スラッシュメタルとグルーヴメタルの間を理想的な具合で突く高速刻みの上でオペラティックなデスヴォイスが炸裂する「ギロチン男爵の謎の愛人」、7拍子のギター&ベースリフ+6拍のシンセリフのポリリズムから始まり5拍子パートも交錯する展開のもとでエースの艶やかなソロが乱舞する(どこかVOIVOD的でもある)「人間狩り」をはじめ、このバンドでなければ作曲&具現化するのが難しいものも多い。これもまた非常に優れた一枚。

 

〈8th〉PONK!!(1994)【L、De】

 ロンドンのアビーロードスタジオ(THE BEATLESの本拠地としても知られる名スタジオ)で制作されたアルバム。バンドの迷走傾向が頂点に達した一枚で、ドラムスまわりでラウドさを担保する音作りは極上の仕上がりだがメタル要素はほぼ消滅、トッド・ラングレン的な一捻りあるポップスとLED ZEPPELINの間を道草しまくりながら無節操に行き来するような構成になっている。各曲方向性が異なる楽曲群を序曲・終曲で強引にくるみコンセプトアルバム風にみせかけるつくりはTHE BEATLES『Sgt. Pepper`s Lonely Hearts Club Band』的でもあるが、歪な起伏を伴う流れは『The Beatles』(通称ホワイトアルバム)をよりとっちらかった感じにしたというほうが近いかもしれない。バンド史上最大の問題作であり他作品のファンであれば必ず当惑させられる内容だが、聖飢魔Ⅱ本活動期間中では全盛期といえるボーカルをはじめ演奏が素晴らしいこと、そして曲の並びが意外とよく前2作などよりも滑らかに聴き通せることなどもあってか、慣れればわりと違和感なくハマれる一枚になっていると思う。個人的には好き。

 

〈9th〉メフィストフェレスの肖像(1996)【L、Da】

 ソニーとの契約が終了しBMGビクター(2008年にソニーの完全子会社化)移籍第一弾となったアルバム。過去に在籍した構成員が一挙集結した前年のライヴイベントSATAN ALL STARSを経て(解散の危機を乗り越えて)制作された一枚で、同イベントで再会を果たしたダミアンとジェイルが楽曲を提供している。初期の暗黒正統派HR/HM路線を意識しつつどこかAOR的な艶やかさを滲ませた楽曲群は“肩の力が抜けたSTEELY DAN”的な雰囲気も漂わせており、低予算で時間をかけられなかったことが迅速なジャッジや良い意味で迷いのない演奏表現につながっている模様。三日月の下で静かに涙を流しているかのような雰囲気が絶品な「PAINT ME BLACK」をはじめ、深く沈みながら不思議とくよくよしていない佇まいは他では味わえないものだろう。地味な印象もあるが唯一無二の薫り高さに満ちた傑作。

 

〈10th〉NEWS(1997)【L】

 前作までの迷走傾向から脱し独自のメロディアスなハードロック路線を貫徹した傑作。10曲中7曲がルーク主導であり、同時期のJ-POP領域で人気を博していた歌謡ロック的な音楽性のもとで後のCANTAにも通じるポップセンスが素晴らしい成果をあげている。歌メロはもちろんギターソロに至るまで印象的なメロディで埋め尽くしつつ安易に流れない引っ掛かりをかませる作編曲はいずれも見事な出来で、明るめのヴィジュアル系に接近しながらも音的にはそう思わせない仕上がりは閣下の声をはじめとするこのバンドの持ち味あってこそのものだろう。後期の聖飢魔Ⅱを代表する名盤といえる。

 

〈11th〉MOVE(1998)【L、A】

 ジョー・リノイエ近藤真彦ミッドナイト・シャッフル」や武富士CM「SYNCHRONIZED LOVE」などを手掛けた)たちをプロデューサーに迎え編曲など制作の方向性を大きく委ねたアルバム。前作の歌謡ロック路線をよりアダルトコンテンポラリー方面に寄せた一枚で、閣下の卓越した発声が楽曲の“シリアスに寄り添う”雰囲気(場合によっては説教臭いギリギリのラインまでいく)を増強していることもあって好みが分かれる内容だが、演奏やサウンドプロダクションのクオリティは全作品中屈指で、アルバム全体の構成も申し分なく良い。リズムギターの音量が絞られたミックスなどHR/HM要素はだいぶ減退したがこの音楽性にはよく合っていると思う。解散後にエースが結成するface to aceにも繋がる音楽性でもあり、近作では担当曲数が減っていたのがここでは10曲中4曲とだいぶ増えている。翌年末に解散が決まっていたことを踏まえた上でこれまで試みていなかった路線を攻める姿勢が結実した一枚。

 

〈12th〉LIVING LEGEND(1999)【L、A、De】

 最後のスタジオ録音作として制作された13曲69分の傑作。冒頭を飾る閣下作の正統派ヘヴィメタル「HEAVY METAL IS DEAD」(聖飢魔ⅡはもちろんHR/HM史全体をみても屈指の名曲)から美しい余韻を残すルーク作のプログレッシヴメタル「GO AHEAD!」(KING CRIMSON「Red」のさりげなさすぎる5連符引用などバンドの実力が理想的に発揮された名曲)までメジャーフィールド寄りHR/HMのあらゆるスタイルを総覧するかのような内容で、演奏もサウンドプロダクションもここまででベストと言える仕上がり。エース最高の一曲「CENTURY OF THE RAISING ARMS」などこのタイミングでなければ生み出せない名曲名演で埋め尽くされた本作は文字通り有終の美を飾る一枚といえる。最高傑作のひとつであり、このバンドを文字通り伝説としたアルバムである。

 

以上のように聖飢魔Ⅱは全ての作品で異なる音楽領域に挑戦しており、それは「一番やりたいのはHR/HM」というわけではないミュージシャンばかりが集まった4th以降(本解散前の最終編成)においては各構成員の素養を一定以上活かすために必要不可欠な展開だったのだと言える。本項冒頭で1stフルの「0点」レビューおよびそれによるHR/HMメディアとの断絶についてふれたが、ここでもし真っ当に高い評価を得ていた場合(註54)は3rdまではともかく4th以降の路線転換に踏み切るのは難しかっただろうし、そうなっていれば以降の豊かな音楽的達成もなかっただろう。あの悪魔の姿を一度も捨てずに(註55)いながらそうしたイメージにはそぐわない音楽性(8thフルなど)を選べてしまうのをみればジャンル的なしがらみはないほうがよかったのは確かで、そういう縛りが少なかったからこそ当初の予定である1999年末の解散まで完走することができたのだと思われる。ジャンルの保守的な傾向が強かった時代にそうした重力圏から逃れることができ、その上で出発点となったジャンル特有のサウンドを活かしつつ他領域と融合する傑作を連発し、それを圧倒的なバラエティ人気を通して“お茶の間”にも届けてしまう。聖飢魔Ⅱのこのような活動があったからこそHR/HMを知りジャンルのファンになった人も多いわけで、前項でふれた「ジャンル外から流入する経路」として最も大きな貢献をしてきたバンドでもあるのである。

 

 以上を踏まえて特筆すべきなのがダミアン浜田楽曲の重要さである。聖飢魔Ⅱはスタジオ作品でどんなスタイルに取り組もうがライヴでは最初期の定番曲およびそれに付随する“伝統芸能”的やりとりを欠かさず、それらが醸し出すダミアン流の世界観を示し続けてきた。このバンドがこれほど無節操な音楽的変遷を繰り返すことができたのはあのヴィジュアルやわかりやすく印象的なバンドイメージによって「悪魔だから何をやってもおかしくない」的な納得感を与えてしまえるからでもあり、ダミアンワールドがその軸足(しかもそれはHR/HM史全体をみても屈指の名曲群)となることで“どれだけ遠くに行っても帰ってくる場所がある”状況が維持される。構成員が常にダミアン浜田陛下を最大限に尊重するのは単にサークルの先輩~バンドの創設者だからではなく、こうした貢献の大きさ得難さを身をもって実感しているからでもある。保守的HR/HMメディアから村八分にあった正統派HR/HMの名ソングライターがこのようにして日本のメタル領域に甚大な恩恵をもたらしてきたのをみると、物事の影響関係というのは本当に複雑で何が起こるかわからないものなのだなと思う。

 

 

 Damian Hamada`s Creaturesはダミアン浜田陛下の楽曲群を配下の“改臟人間”が演奏するバンドで、陛下は作詞・作曲・編曲に専念、演奏はプログレッシヴハードロックバンド金属恵比須に『X FACTOR OKINAWA JAPAN』や日本テレビ「歌唱王」のファイナリストとしても知られるシンガーソングライターさくら“シエル”伊舎堂を加えた6人が担当している。大学卒業後に故郷の山口県に戻り“世を忍ぶ仮の姿”の教師として35年間勤務した陛下は、体力の限界を感じたことや最後に受け持った3年間のクラスで有終の美を飾れたこともあって早期退職を決定(註56)。その後はしばらく悠々自適な生活を送っていたが、そうした“自堕落な生活”は1ヶ月ほどで飽き、その繰り返しを虚しく思ったこともあって7~8年ぶりにギター演奏を再開、そしてDAW(2014年に導入したCubaseおよび2019年から使い始めた「サンプリングソフト」)の活用も本格化。21年前に作り放置していた「Angel of Darkness」のイントロに取り組んでみたところスムーズに完成できてしまい、作曲を楽しいと感じ以降の生き甲斐とすることになったのだという。その流れで出来たデモ音源をレコード会社に送ったところバンド形態での作品制作を提案され、「ギターを弾いてもブランクもあってあまりのめり込めなかったが、作曲に関してはいくらでもできる」という自身を顧みて「自分はコンポーザーとしてのみ参加し演奏は専門家に任せる」という分業体制を採用、先述の編成が完成したのだった。レコード会社に送られた音源は曲数もあってかまとめて聴くには重すぎると判断され2枚に分割してのリリースが決定。曲のキーや雰囲気を踏まえ、『第Ⅰ章』は名刺がわり(過去作に通じるもの)として、大作志向で複雑な曲は『第Ⅱ章』に入れることとなったのだという。

 

 このバンドの音楽性については、インタビューでの以下のような発言がとても示唆的である。

 

<──リスナーとしてはどうでしょう? やはりヘヴィメタルを聴き続けていたのでしょうか?

 

90年代半ばまでは、ハードロック、へヴィメタルを聴き漁っていたのだが、少しずつ新しいものを開拓する意欲はなくなってきた。例えばイングウェイ・マルムスティーンだと、熱心に聴いていたのは「セブンス・サイン」(1994年発表のアルバム)まで。そこから先は同じようなパターンが続いている印象もあって、「この人も出し尽くしてしまったのだろうか」と感じた。StratovariusRoyal Huntなども私の好みからすると1995、6年あたりがピークだったと思う。00年代に入るとメロディよりもリズムを重視したバンドが登場してきたわけだが、決して嫌いではないものの、私の好みとは違っていたのだ。わかりやすくいうと、ワクワクしなくなったというか……。よって、00年代以降はそれまでのハードロック、へヴィメタルを繰り返し聴いている。

 

──ニューメタル、へヴィロックと呼ばれたLimp BizkitKornなどは?

 

あまり聴いてなかったな。むしろ私の印象だと、ゲーム音楽やアニメソングの中にヘヴィメタルを感じることが多かった。あとはいわゆるヴィジュアル系のバンドの中にも、ガシガシ攻めている曲があったと思う。

 

──なるほど。陛下としてはやはり、70年代、80年代のメロディアスなヘヴィメタルが最強なのでしょうか?

 

そうだな。一番好きなのはRainbow、Scorpions、そしてマイケル・シェンカー。それが私の核となっているのは間違いない。>(註57

 

ツイッターアカウントで詳しく綴られている音楽遍歴(註58)をみてもわかるように、陛下は欧州のメロディアスなHR/HMおよびプログレッシヴロックを愛するこちら方面では実にオーソドックスなリスナーで、こうした発言をみるぶんには知識・嗜好ともにあまり広がっていないように思われるのだが、そこから出てくる音楽がありきたりでつまらないかというとそんなことは全くないのが面白い。『第Ⅰ章』は初期聖飢魔Ⅱの別バージョンという感じの王道HR/HMで個人的には「良いけどそこまででは…」という印象だったのだが、翌月に発表された『第Ⅱ章』は聖飢魔Ⅱの「悪魔組曲 序曲:心の叫び」や「悪魔の讃美歌」で提示されていた仄暗く神秘的なコーラスを強化し独特のリズム構成とかけ合わせたようなアレンジが素晴らしく、初期MERCYFUL FATEEmerson, Lake & Palmerをトニー・マーティン期BLACK SABBATH註59)経由で融合したような最高レベルの暗黒HR/HMになっている。全編3拍子なのにアクセントの付け方が特殊なため前半が7拍子っぽく聴こえたりする「新月メヌエット」はANEKDOTENのカバーなども難なくこなす金属恵比須ならではのアンサンブル表現が素晴らしいし、最後を飾る疾走曲「Which Do You Like?」は壮絶なシャウトで幕を開けながらもサビであえて盛り上げない構成とその美学を汲み取り凄まじいテンションを保つダイナミクスコントロールが絶品。アルバム全体の構成も良いし、個人的には初期聖飢魔Ⅱにも比肩する(アレンジの興味深さでは勝る)極上の一枚だと思う。そこまでインパクトが強くはない『第Ⅰ章』を出した直後の年末リリースということもあってあまり聴かれていなさそうなのが非常に勿体ない傑作である。

 

 今回発表された『第Ⅰ章』『第Ⅱ章』に際するインタビューで陛下は以下のようなコメントを残している。

 

<──最後にお伺いしたいのですが、陛下の中には「ヘヴィメタルのよさを日本の人間に知らしめたい」「ヘヴィメタル復権させたい」という気持ちはありますか?

 

それはさすがにおこがましいだろう。デスメタルが好きな人間もいるし、最近のリズム重視のメタルが好きな人間もいるし、好みはそれぞれ違うからな。そもそも私は、かつての個悪魔大教典(※ソロ名義のフルアルバム)にしても、初期の聖飢魔Ⅱの楽曲にしても、“ザッツ・ヘビィメタル”とは全然思ってないのだ。ただ私が好きな音楽を作っているし、今回の大聖典2作も好きなことしかやってないからな。メジャー進行の明るい曲も作ろうとすれば作れるが、それでは自分らしさが出せないし、作っていて楽しくない(笑)。やはり私は、暗さの中に美しさがあるヘヴィメタルが好きなのだ。これからもそれは変わらないだろう。>(註57

 

保守的ではあるが排他的ではないこの姿勢は(リスナー歴が長く成熟を経たからこその境地でもあるのかもしれないが)原理主義的なHR/HMファンには珍しいもので、こうした柔軟な感覚があればこその聖飢魔Ⅱでもあったのだなという気もする。陛下によれば「今、生涯で一番曲がどんどん出てきていて、もう次の聖典も準備している。実は頼まれてないが、その次の作品も勝手に作っている(笑)」(註60)とのこと。これからも唯一無二の滋味深い音楽を提供し続けていただきたいものである。

 

 

註53

BURRN!』1985年11月号に掲載された聖飢魔Ⅱ『悪魔が来りてヘヴィメタる』に対する0点レビューおよびそれに対するバンド側の印象(2006年6月6日発行『激闘録 ひとでなし』p55から)

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/623481311798280192?s=21

 

Billboard Japan「聖飢魔Ⅱ デビュー作に0点を付けたB!誌との因縁に終止符、編集長が正式に謝罪」

(2020.12.21掲載)

本解散(1999年12月31日)以前も編集部員のコラムで聖飢魔Ⅱのアルバムが「お気に入りの1枚」として紹介されることはあり、各構成員の個別活動については新譜発売に際するインタビューが掲載される機会も徐々に増えていったが、“聖飢魔ⅡというHR/HMバンド”単位での関係が公式に復活したのは実に35年ぶりのこととなった。

http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/95435/2

 

註54

上記0点レビューは音楽性よりもレコード会社やバンドの雰囲気を問題にしたもので、評文に「技術はあるのに邪道を走ってしまったこのバンドにインテリジェンスを求める僕が悪いのか……。真面目にやってるバンドが可哀いそうだ」とあるように音楽的レベルの高さは認めているため、この理不尽極まりない反応をかいくぐるプレゼンテーションができてしまっていた場合(または評者が別の人だった場合)は期待の新星として同誌と深い関係を築くことになった可能性も十分考えられる。

 

註55

聖飢魔Ⅱの元ネタとみられることも多いKISS(音楽的には一部楽曲を除き全然異なる)も1983年~1995年はメイクなしで活動しており、当初のコンセプトを常に貫徹できていたわけではなかった。

 

註56

ダミアン浜田陛下インタビューのリンク集

https://twitter.com/damian_hamada/status/1344570741036118016?s=21

 

註57

音楽ナタリー「インタビュー Damian Hamada`s Creatures」

(2020.12.14掲載)

https://natalie.mu/music/pp/damianhc/

 

註58

ダミアン浜田陛下の過去ツイートで詳細に綴られている音楽的バックグラウンドは以下のようなものである。

https://twitter.com/damian_hamada?s=21

 

〈好きなアルバム10(HR/HM関連)〉順不同

DEEP PURPLE『Live in Japan』

RAINBOW『Rising』

RAINBOW『On Stage』

RAINBOW『Long Live Rock`n Roll』

LED ZEPPELIN『The Song Remains The Same』(Ⅱ~Ⅳとも迷う)

SCORPIONS『Tokyo Tapes』

JUDAS PRIEST『In The East』

BLACK SABBATH『Heaven and Hell』

MICHAEL SCHENKER GROUP『M.S.G.』(邦題:神話)

QUEEN『A Night at The Opera

 

〈好きなアルバム10(プログレッシヴ・ロック編)〉順不同

Emerson, Lake & Palmer『Tarkus』

Emerson, Lake & Palmer『Brain Salad Surgery』

KING CRIMSON『In The Court of The Crimson King』

KING CRIMSON『Larks` Tongues In Aspic』

YES『Close to The Edge』

YES『Fragile』

U.K.『Night After Night』(3枚ともとても良い)

RENAISSANCE『Novella』(邦題:お伽話)

Mike Oldfield『Tubular Bells』

PINK FLOYD『Animals』(『The Darkside of The Moon』と大いに迷う)

 

プログレ編その他〉

Giles, Giles & Fripp

VAN DER GRAAF GENERATOR

FOCUS

AREA

ATOLL

TRIUMVIRAT(トリアンヴィラート:ドイツ出身)

KANSAS

TANGERINE DREAM

KRAFTWERK

 

〈第1の衝撃〉

小1の音楽の教科書に準拠したLP

ピアノ練習曲「アラベスク」(ブルグミュラー?)に衝撃を受けたが

「フニクリ・フニクラ」(ルイージ・デンツァ、イタリア大衆歌謡)は嫌いだった

:マイナー調の曲を好み明るい曲は敬遠していた

 

〈第2の衝撃〉

アニメや特撮もののレコードを集める

(参謀の「戦闘ものアニメの主題歌のようだ」というコメントはズバリその通り)

ゴジラガメラにはより強い影響を受けた(特に伊福部昭

 

〈第3の衝撃〉

3歳上の兄に影響を受けて聴いたフォーク(井上陽水吉田拓郎かぐや姫の曲全般)

中3のはじめ:自分の作品には全く影響を受けていないが、これを機にフォークギターを弾き始めた

 

〈第4の衝撃〉

Emerson, Lake & PalmerEnigma, Pt.1」(『Trilogy』1曲目)でプログレッシヴ・ロックを知る

ファンクラブに入ったアーティストはELPのみ

 

〈第5の衝撃〉

KING CRIMSON『In The Court Of The Crimson King』

それ以前にDEEP PURPLEの「Burn」や「Black Night」も聴いていたがその時はあまり心が動かされず、ハードロックに目覚めるのはもう少し後になる

 

〈第6の衝撃〉

RAINBOW『Rising』

ダミアン浜田の原点

リッチー・ブラックモアの曲の中では「Kill The King」が一番好き、次いで「Stargazer

 

〈第7の衝撃〉

DEEP PURPLE『Live in Japan』の「Highway Star」に辿り着き、いつかエレキギターを弾こうと決めた(実際に購入できたのはそれから2年先の高校2年)

 

〈第8の衝撃〉

ドヴォルザーク交響曲第9番、特に第1・4楽章

ELPの影響でクラシック音楽を積極的に聴くようになった)

 

〈第9の衝撃〉

SCORPIONS(特にウルリッヒ・ロート)、JUDAS PRIEST

ツインリードの素晴らしさを教わった

 

SCORPIONS:『Virgin Killer』『Taken By Force』『Tokyo Tapes』

 『Taken By Force』がHRとHMのちょうど境界線上に

JUDAS PRIEST:『Sin After Sin』『Stained Class』『Killing Machine』『In The East』

 一番好きなのは「Diamond & Lust」、2番目は「The Green Manalishi」

 

〈第10の衝撃〉

マイケル・シェンカー、ランディ・ローズ(大学2年)

 

〈第10の衝撃後や聖飢魔Ⅱ脱退後によく聴いたもの〉

KINGDOM COME(閣下の薦めで聴いた)

CRIMSON GLORY

ANGRA

DREAM THEATER

STRATOVARIUS

GAMMA RAY

QUEENSRHYCHE

ROYAL HUNT

TNT

 

 ・ GENESISは2014年に入るまであまり聴いていなかった

モルゴーア・クァルテット『21世紀の精神異常者たち』収録の「月影の騎士」に大きな感銘を受けたことがきっかけで聴き始めた

(「静寂の嵐」「そして3人が残った」しか持っておらず、ピーター・ガブリエル時代はあまり聴いていなかった)

 

 ・ EARTH, WIND & FIREは今でもかなり好き

「Fantasy」「Boogie Wonderland」

Simon & Garfunkel「Scarborough Fair」(この世で一番美しい曲)、「冬の散歩道」

ドナ・サマー「Hot Stuff」、THE DOOBIE BROTHERS「Long Train Runnin`」

 

・ KISSは嫌いではない程度(陛下と閣下はKISSからの影響は皆無)

 

註59

激ロック「INTERVIEW Damian Hamada`s Creatures」

(2020.12.28掲載)

BLACK SABBATH『Headless Cross』『Tyr』の頃のトニー・アイオミのようなギターサウンドで」という指示を出し、結果的にそれよりライトな仕上がりとなったが歌にもよくマッチしていて良いと感じた、というコメントあり

https://t.co/u6tayJfPrb?amp=1

 

註60

Music Voice「INTERVIEW ダミアン浜田陛下」

(2020.12.12掲載)

https://t.co/wLE627l9fm?amp=1

 

 

 

 

五人一首:死人贊歌(2020.12.9)

 

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 ここまでの4項では国内メタルシーンの在り方および周囲からの認識のされ方について主にメジャーフィールド方面からふれたが、そうした領域と完全に切り離されているわけではないにしろあまり関係ないところで活動するバンドも存在する。日本を代表するプログレッシヴデスメタルバンドとされる五人一首もそのひとつで、一名を除く全メンバーが音楽で生計を立てていない(註61)ために制作やライヴを頻繁に行うことはできない一方で、殆どの“専業”バンドを上回る驚異的なクオリティの作品を発表してきている。2020年末にリリースされた3rdフルアルバム『死人贊歌(しびとさんか)』は15年に渡る作編曲およびパート別レコーディングを経て完成した一枚で、このサブジャンルの歴史においてはもちろんKING CRIMSON影響下の音楽(プログレッシヴロックやメタルに限らず様々なジャンルにわたり無数に存在する)全域をみても屈指といえる傑作になっている。

 

 「メタル」は“ただ単にうるさい音楽”だというイメージが強い人からすると「プログレッシヴロック」(クラシックやジャズに近い感触をもつ複雑な構造のロック)はジャンルの括りが異なることもあって全くの別物という印象を抱くことが多いと思われるが、実は両ジャンルは伝統的に非常に近いところにある。ハードロックの始祖とされるLED ZEPPELINBLACK SABBATHは幅広い音楽的バックグラウンドを駆使してジャンル越境的な作品を連発してきたし、プログレッシヴロックの代名詞的存在として真っ先に名前が挙がるKING CRIMSONも歴史的名盤『Red』(1975)などで後のメタルやハードコアパンクと並べて聴いても全く遜色のない重く歪んだサウンドを確立していた。全世界で数千万枚単位の売り上げを誇る“プログレッシヴハードロック”の代表格RUSHはその間の地点から出発しあらゆる音楽領域に接続してきたバンドだし、そのRUSHにMETALLICADREAM THEATER、DEATHなどが大きな影響を受けていることを考えれば、それらの系譜にある“プログレッシヴメタル”および“プログレッシヴデスメタル”が70年代頭のハードロック/プログレッシヴロック未分化期からの流れを汲んでいることがよくわかる。メタル関係のメディアもこのような歴史的背景を踏まえた上でプログレッシヴロックを好意的に扱うことが多く、日本でも国内のメタル周辺を代表する音楽ジャーナリスト伊藤政則(『BURRN!』編集顧問でもある)が両ジャンルを好むこともあって積極的な紹介が行われてきた。そうした経緯もあってかメタル領域にはプログレッシヴロック方面の音楽要素を取り込んでいるバンドが多く、そのなかでも最も有名な存在であるKING CRIMSONの影響は極めて大きいといえる。

 

 メタル関係のレビューを読んでいると「これはプログレの影響がある。KING CRIMSONとかPINK FLOYDとか」という趣旨の言い回しを見かけることが少なからずある。これは「プログレといえばKING CRIMSONPINK FLOYDみたいな音だろう」というくらいの狭い認識からきている(「プログレ的な音だからその2バンドの名前を挙げれば格好がつく」と思っている)場合が多い、つまりプログレッシヴロックというジャンル名が指し示す音楽領域の広さや層の厚さを知らずにそう言っている可能性が非常に高く、基本的には鵜呑みにしてはいけない言い回しなのだが、その一方でそうしたメタルバンドがKING CRIMSONPINK FLOYDに本当に影響を受けている場合も多い。ここで問題になるのは「影響を受けた」具体的な音楽要素がどれなのかということで、上記のような評文ではKING CRIMSONPINK FLOYD以外の“プログレ”バンドや他ジャンルを由来とする複雑な構造(本記事中編のAZUSAの項でふれた様式的な意味での「プログレッシヴ」要素=変拍子やシンフォニックなアレンジなど)を強引にその2バンドと結び付けていることが多いのだが、実際の影響としてもたらされているのは特定のフレーズ/コード進行や長いスパンで流れる~アンビエント的でもある時間感覚といった要素であることの方が多いはずで、それらはいずれも「プログレ」という印象に回収されはするが基本的には別のものである。KING CRIMSONに関して言えばその影響はもっと具体的で、①「Lament」「The Great Deceiver」「Fracture」といった70年代の楽曲で提示された特徴的な音程跳躍を伴うフレーズ(5拍子や7拍子であることが多い)およびそこから想起されやすいコード進行、そして②「Frame by Frame」「Discipline」のような80年代の楽曲で確立されたガムラン/ケチャ/ミニマル音楽的ポリリズム(7拍子+6拍子など)のいずれかに概ね限られると言っていいだろう(註62)。特にメタル周辺では①の影響が強く、国外ではVOIVOD、国内では人間椅子註63)やDOOMを筆頭に膨大な数のバンドが直接または間接的な影響を受けてきた(エクストリームメタル領域においてはVOIVOD経由での間接的影響の方が大きいかもしれない)。こうした限定的な要素は音楽全体からみると“カニの旨み”のようなもので、本家KING CRIMSONでは他の食材とうまく組み合わされてコース料理的に提示されるため悪目立ちしない(そうした成分が苦手でも気にせず一緒に食べてしまえる)のだが、KING CRIMSON影響下のバンドはそうした成分(しかも養殖物的な単純化バージョン)を前面に押し出し単体で提示する場合が殆どで、“カニ風味”の強い存在感が他の要素の味わいを打ち消し均一な印象を生んでしまいさえする。マネキン買いしたコーディネートが本人の持ち味に合わず没個性的にみえさせてしまうようなこうした現象はまことに由々しきもので、個人的にはOPETH人間椅子のようなごく稀な成功例を除き「KING CRIMSON影響下のバンド(①の場合)」に気兼ねなくハマることはできない。そういう嗜好の者からするとまた複雑な問題なのが「音楽的に高度な地下メタルバンドはVOIVODの影響を受けている場合が非常に多い」ということで、広範な音楽的バックグラウンドに加えロック史上屈指の個性的なアンサンブルを確立した同バンドだからこそギリギリのバランスで扱える(そうした作編曲を主導した故Piggyの後任として加入したChewyはジャズ方面の楽理を援用しつつ見事に別物に昇華できている)①要素をフォロワーのバンドは無防備に導入する場合が多く、それがなかった方が個性が映えただろうに残念だと思えてしまうことも少なからずある。こうした影響関係の系譜はスラッシュメタル(初期VOIVODがカテゴライズされる領域)~デスメタルはもちろんブラックメタルグラインドコア~メタリックハードコアなどパンク方面も含むエクストリームミュージック全域に及ぶわけで、そうした音楽の歴史には「KING CRIMSON要素との格闘(その感染に“敗れた”ものも多い)」という側面もあるのだと言える。ジャンルの発祥から時間が経ちそうした要素の消化手法も蓄積されてきたこともあってか、ある程度影響を受けながらもこうした問題を回避できているバンドの比率も増してきたように感じられるが、KING CRIMSONもVOIVODも各方面のトップクラスとして今なお現役で活動し続けており、上記のような視点からの分析は音楽構造の解釈といった面においてもシーンの歴史把握の面においても重要なのではないかと思われる。

 

 以上を踏まえて五人一首の3rdフル『死人贊歌』についていうと、KING CRIMSON的な要素(①および②)は確かに非常に多いのだが、その全てを独自の個性として改変昇華した素晴らしい仕上がりになっている。KC的な要素の活用部分を具体的に挙げるなら、明らかにインスパイアされている部分だけみても「そして無に帰す」の0:23~や4:20~、「傀儡の造形」の3:14~、「毒薬と再生」の4:06~、「然るべき闇夜へ」の1:49~や8:11~、「呵責」の0:33~、「弔いの月が啼く」の3:13~や14:54~など全曲にあり、それ以外でもKC的な薫りが漂う場面は無数にあるのだが、暗い童謡に通じる和風ゴシック的な音進行やアラン・ホールズワース方面のジャズロックに通じるコード感などが加わることにより、本家KCにはない唯一無二の味わいが生まれているのである。全編5拍子の流麗なリズムアンサンブルが素晴らしい「そして無に帰す」の4:20~は特に絶品で、近年のKC=メタルクリムゾン的なアンサンブルの採用の仕方はもしかしたら本家よりも効果的かもしれない。そうしたアレンジが映える本作の音楽性は「人間椅子と初期CYNICを初期筋肉少女帯Emerson, Lake & Palmerを介して融合した」ような趣もあり、2005年発表の2ndフル『内視鏡世界』(欧州の地下メタル方面を代表するインディレーベルSeason of Mistから世界発売もされた)におけるEmerson, Lake & Palmer~MEKONG DELTA~SPIRAL ARCHITECT的なスタイルから大きく変化しながらも格段にうまく洗練され深みも増したものになっているのではないかと思う。こうした音楽性は、「楽器パートを構成するためにはゲーム音楽(Nintendo Music)を参考にし、プログレッシヴロック、メタル、サウンドトラック、実験音楽などにも影響を受けている」(註64)リーダー百田真史(鍵盤担当)が隅々まで構築したMIDI音源を土台に各メンバーのインプットを加え、ギターとシンセサイザーの音色の相性やチューニングまでこだわりぬいたという緻密なレコーディングを繰り返したことにより完成できたもので、例えば「人間椅子倶楽部」的でも筋少「いくじなし」的でもATROX的でもある「然るべき闇夜」がそれらの亜流に留まらない説得力を備えているのはこのような作り込みの賜物でもあるのだろう。方言や古語を使うことでバンドのコンセプト=“目に見えない畏怖(invisible awe)”を表現しているという歌詞(註65)もサウンドに見合っており、バンドの得難い個性の一端を担っている。7曲60分の長さを難なく聴かせきる構成も見事な傑作である。

 

 五人一首は15年のブランク(ライヴ活動は散発的に繰り返されてきた)を抱える1997年結成のバンドということもあってメタルコアやdjentを通過しておらず、こちら方面のバンドとしてはオールドスクールな音楽性だとも言えるのだが、先述のようなKING CRIMSON要素のうち②のポリリズム~ミニマル音楽的リズム構成がポストロック~マスロック方面を介し近年のポストメタルやプログレッシヴメタルに流入してきた結果、そちら方面を通っていないだろうにもかかわらず音楽構造に共通する部分が多いという奇妙な共振状態が生まれている。時代を超えて影響を与え続けるばかりか分岐した様々な文脈の間に結節点をもたらすこともできるKING CRIMSONの凄さを改めて実感させられる次第である。

 

 

註61

YOUNG GUITAR「五人一首、15年ぶりのフル・アルバム『死人贊歌』は「じっくり聴き込んで頂ける作品になった」

(2020.12.12)

https://youngguitar.jp/interviews/gonin-ish-2020

 

ベース担当の大山氏は『スプラトゥーン』シリーズのアレンジャーやボカロライヴの企画でも知られる専業音楽家であり、『死人贊歌』の制作に時間がかかったのは氏のスケジュール調整によるところも大きいようである。(CD付属のライナーノートに詳しい)

 

参考:ファミ通.com「イイダのショルキー、『あさってColor』の演出。『スプラトゥーン2』ハイカライブに込められた数々のこだわりを、アレンジ担当の大山徹也氏にインタビュー!」

(2018.7.23掲載)

https://www.famitsu.com/news/amp/201807/23161216.php

 

註62

大槻ケンヂKING CRIMSONからの影響を公言しているが、筋肉少女帯や特撮で駆使されるKC成分は①(いわゆる第3期クリムゾンのクリシェ)や②(第4期以降のクリシェ)でなく③「Sailor`s Tale」のような(第2期あたりの)欧州ジャズロック的な要素であることが多く、その引用の仕方が魅力的でバンドの持ち味に合っていることや大槻のボーカルが唯一無二の存在感を確立していることもあってか、KCフォロワー的な印象を一切出さずに活動し続けることができている。

 

註63

人間椅子KING CRIMSONの音楽の関係についてはこの連続ツイートなどでふれた

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/887683195277238273?s=21

 

註64

SEA OF TRANQUILITY「Interview with Japanese Avant-Garde Metal Act Gonin-Ish」

(2009.7.26掲載)

https://www.seaoftranquility.org/article.php?sid=1338

 

註65

各曲の歌詞については以下の小説/漫画にインスパイアされた旨がCDブックレットに掲載されている。

2「そして無に帰す」:小野不由美屍鬼

3「傀儡の造形」:高橋留美子人魚の森 約束の明日』

4「毒薬と再生」:恩田陸『ユージニア』

5「然るべき闇夜へ」:恒川光太郎『風の古道』

6「呵責」:坂東眞砂子『屍の声』

7「弔いの月が啼く」:岩井志麻子『夜啼きの森』

 

 

 

 

Arise in Stability:犀礼 / Dose Again(2020.3.25)

 

f:id:meshupecialshi1:20210116011407j:image

 

 近年のメタルを聴いていて個人的に実感させられることのひとつに「ハードコアパンク的な躍動感(註66)はメタルの世界でもほとんど基礎的な音楽語彙として定着したんだな」というものがある。これは北欧のメロデスメロディックデスメタル)とその直接的な影響下にある2000年代以降のメタルコア註67)を聴き比べると顕著なのだが、フレーズやコードといった音進行には大きな違いがない一方でリズムアンサンブル~グルーヴ表現は明確に異なり、前者は一音一音のアタック感が均一/扁平でメカニカルな質感を生みがちなのに対し、後者は強拍と弱拍の描き分けがはっきりしていてリズムの流れに瞬間的な起伏があり、筋肉が躍動するかのような生々しい質感がある(註68)。ひとつのバンドでこうした質感の違いや変化をみるのであればSOILWORKの3rdフル(2001年)と5thフル(2003年)を聴き比べるのがわかりやすいだろう。いわゆるデスラッシュメロディックデスメタルを高速スラッシュメタルに寄せたスタイル)だった2ndフル(2000年)の時点でもある程度備わっていたハードコア的なアクセント付けが、曲展開が複雑化した3rdフルで一度目立たなくなり、ヒップホップ的なリズムパターンも導入しミドルテンポでのグルーヴ表現を探究した4thフル(2002年)でぎこちないながらも活用され始め、それを踏まえた“いかつさ”の強化とポップミュージック的要素の導入を試みた5thフルで血肉化され美しく駆使されるようになった。こうした変遷の背景には同時期のアメリカにおけるメタルコアの勃興があり、AFTeRSHOCKなどが90年代末に築き上げたハードコア(90年代以降のアメリカ産のもの=いわゆるニュースクール)+メロデス的スタイルを土台としたKILLSWITCH ENGAGESHADOWS FALLが2002年に歴史的名盤を発表してこのジャンルが世界的に注目された一連の流れはそれらのルーツといえる北欧メロデスの側にも影響を与えてきた。先述のSOILWORKはその筆頭だし、このジャンルの代表格であるIN FLAMESも2002年の6thフルでメタルコアに通じるグルーヴを一気に導入した(註69)。こうした流れを通して確立された「正統派HR/HM的なわかりやすいメロディ+ハードコア的な躍動感」という組み合わせは情緒と身体的快感の両方にストレートに刺さる魅力に満ちており、メタル・ハードコアの区分を問わず全世界のバンドに影響を与えてきたのだった(註70)。特に日本においてはこのスタイルの影響力は絶大で、メタルとかハードコアを自称しない“邦ロック”のバンドでも速いテンポの曲では採用している場合が多い。これはおそらく「フェスで初めて聴いても踊れる」特性によるところも大きいだろう。会場の音響環境が悪いと楽曲構造を把握するのが難しくなるが、機動力の高い演奏は曲を知らなくても感覚的に刺さりやすいし、モッシュパートやブレイクダウンといったお約束で盛り上がる展開は“暴れに来る”ような初見の観客もノセやすい(註71)。これはスタジオ音源が街中で流れる場合についても言える話だし、ポップミュージックのフィールドで戦う際にも強力な武器になるのだと思われる。そうしたことを踏まえて考えてみると、演奏の質感はメタルコアにそのまま通じるdjentが複雑なリズム構成のわりに広く用いられているのは上記のような機動力/機能的快感によるところも大きいのではないだろうか。本記事中編のETERNAL CHAMPIONの項で「80年代後半にスラッシュメタルが登場しデスメタル/グラインドコアへ発展するなかでロック一般の激しさ基準(特に速さ、次いで低域の強さ)が急激に引き上げられた」ことにふれたが、先述の「メロデスから2000年代以降のメタルコアが生まれ(ニュースクール的な)ハードコアの躍動感がシーン全体に広まった」ことはそれに勝るとも劣らない劇的な環境変化を招いており、それ以前と以降とでの「メタル」一般のイメージを主に演奏感覚~ノリ方の面で大きく変化させているようにみえる。ここまでで度々ふれている「世代間の嗜好の違い」はこういったところにも表れていて、今の「メタルファン」の感覚にはハードコア的な躍動感を好む感覚が標準装備されているのではないかとさえ思える。

 

 こうしたことはいわゆるプログレッシヴメタルの領域についてもいえる。このジャンルの雛型になったDREAM THEATER(1985~)やCYNIC(1987~)はハードコアの影響をほとんど受けておらず、MESHUGGAH(1987~)も1stフル(1991)ではスラッシュメタル的な跳ね感が強かったものの影響力の大きい2ndフル(1994)以降はメタル:ハードコア=8:2くらいのベタ足寄り安定感を保っているのだが、そのMESHUGGAHの1st~3rd(1998)あたりに絶大な影響を受けたdjent系統のバンド、PERIPHERY(2005~)やANIMALS AS LEADERS(2007~)などは参照元にはないハードコア的躍動感を大幅に導入している(註72)。こうした飛躍の橋渡しとして重要だと思われるのがハードコア出身のバンドで、複雑精緻な楽曲をメタルに通じる超絶技巧と圧倒的な勢いで具現化することで大きな注目を浴びたCONVERGE(1990~)やTHE DILLINGER ESCAPE PLAN(1997~)、SikTh(1999~)、BETWEEN THE BURIED AND ME(2000~)、CAR BOMB(2000~)といったバンドが“プログレッシヴメタル”の領域における作編曲や演奏の感覚を変えてきた面は少なからずあったはずである。その中でも特に重要だと思われるのが瞬発力とか激情の表現で、作り込まれた楽曲を(メカニカルな技巧や音圧で刺激を加えてはいたが)整った形で具現化するヘッドミュージック的な印象が強かったそれまでのプログレッシヴメタルに先述のような躍動感を加え、緻密な構造を突き破るかのような混沌(楽曲が複雑だからこそ表現できる激しさ)を生み出したこのようなバンド群はメタルの歴史においても強大な存在感を示している。このように、先に述べたような「ハードコア的な躍動感」の影響は身体的・精神的双方の感覚基準やそこから導き出されるニュアンス表現に作用し、メタルの在り方やイメージそのものを大きく変えてきたのだといえる。

 

 2004年に結成され国内のプログレッシヴなメタル/ハードコアの代表格として存在感を示してきたArise in Stabilityもそうした流れにあるバンドで、リーダーのMasayoshiは「元々ただの速弾きメタラーだったのが、NOTⅡBELIKESOMEONEのようなバンドを観て急激に国内のニュースクールハードコアにハマっていった」(註73)のだという。こうした話に関連することとして、2020年に発表された2ndフル『犀礼 / Dose Again』に際するインタビューには以下のようなやりとりがある。

 

<――バスドラムとギターリフがシンクロするパートは各所にあるけど、いわゆるブレイクダウンというか、モッシュパートは激減しましたね。でもシンガロングを取り入れていたり、曲の展開でもいわゆるプログレメタル的というより、叙情派ニュースクールを思わせるものがあったりと、ハードコアの解釈が変わったように思います。

 

Masayoshi「NaiadやNOTⅡBELIKESOMEONEを見て衝撃を受けて、こういったバンドをやりたいって思ったのが残っているんじゃないかな」

 

Suguru「結局、根底にあるのは叙情なんですよね(笑)。それは強く感じるし、だから巷にあふれるプログレやDjentバンドとは違うのかなって思いますね」

 

Masayoshi「昔、“Got-Djent”っていうDjentの情報サイト(現在は閉鎖)に英訳したプロフィールを送ったことがあるんですけど “お前らはDjentじゃない” って一蹴されて終わりました(笑)。でも僕らが影響を受けたNOTⅡBELIKESOMEONOE、MISERY SIGNALS、初期のBETWEEN THE BURIED AND MEみたいな2004年前後くらいのプログレッシヴなハードコアバンドって、ほかには絶対できないことをやろうとしていたんですよね。CONVERGEやTHE DILLINGER ESCAPE PLANもそうだし、それこそCAVE INなんかも、地元の先輩のCONVERGEにはそのままだと絶対勝てないから音楽性を進化させたっていうくらいだし。そういう気合が好きだったんですよ」>(註74

 

この発言が示すようにArise in Stabilityはオールドスクールプログレッシヴ(デス)メタルでもdjent以降でもない独特な立ち位置にあるバンドで、その上で先掲のような“プログレッシヴなハードコアバンド”とも異なる素晴らしい個性を確立している。9年ぶりのアルバムとなった2ndフルは叙情ニュースクール(≠メロデス)的なフレーズとANIMALS AS LEADERSにも通じるポストロック~現代ジャズ的コード進行を発展的に融合させたような音楽性で、しかもそのAALよりも格段に洗練されたリズム構成が絶妙なキャッチーさを生んでいる。「僕が作る曲って、分解していくとSiam Shadeと“Frame by Frame”で要約できるんですよね」(註74)というとおりの場面も確かに多いけれども(「木造の念仏」最後の14拍&13拍ポリリズム、「遺物と解釈」の4拍子ラップ~歌唱パートに5拍子で絡み続けるギターなど)、リズム構造はともかくリフやコードの進行感はKING CRIMSONでないこともあってか“何かの亜流”という感じは一切ない。フィボナッチ数列を駆使して作られた「畢竟」のイントロリフ(エピソード的にはTOOLだが音進行はKC「太陽と戦慄 part2」的)や同曲中盤のパット・メセニーライヒ的ハンドクラップから10拍子と11拍子が交錯するリフに至るパートなど複雑な拍子構成も多いが、繰り返し聴いているうちにすぐに楽しく聴きつないでいけるようになるのが凄い。「Yusuke(註75)がプロとして作曲をやっていることもあって、曲をコントロールできるんですよね。その影響はかなりあると思います。どこを聴きやすくするとか、コード進行をすごく大事にするし。Yusukeはコーダル(和音主体)な作り方、僕(Masayoshi)はモーダル(メロディ主体)な作り方っていう分け方になっていると思います。コード進行とかに精通している人間が入って、僕もそれに影響された部分があると思うし、もっと聴きやすい曲を作ろうというのが、1stの反省としてありました」(註74)という配慮が隅々まで行き届いた完璧な構成のアルバムだと思う。ハードコアな真摯さと長尺を無理なく完走するペース配分が絶妙に融合していることもあってか不思議な親しみやすさに満ちていて気軽に浸りとおせる雰囲気も絶品。メタル/ハードコア領域に限らず2020年屈指の傑作といえる。

 

 以上の例をみてもわかるように、メタルは同時代の様々な音楽からの影響を受けてジャンル全体にわたる規模で変化してきた経緯がある。そうやって変化した先のスタイルを「これはメタルじゃない」と言って排除するのは現状把握の失敗やシーンの先細りにつながるし(残念ながらそうした姿勢の方が主流だったわけだが)、そういうスタイルの数々を十分に吟味するためにはメタル以外の音楽についての知識や理解も必要になる。こうしたところに目を向け具体的に掘り下げるメタル話がもっと増えてほしいと思う次第である。

 

 

註66

ハードコアパンク的な躍動感」といってもいろいろあって、80年代までの非クロスオーバーなハードコアにおける生硬い量感(D-beatの“コンクリート塊が重く滑る”ような質感など)とクロスオーバースラッシュ系の高速で跳ねる感じは大きく異なるし、ニュースクール以降の(ヒップホップ近傍のミクスチャーロック~グルーヴメタルやデスメタル的なビートダウンを取り込んだ上で重くしなやかに磨き上げられた)グルーヴにもまた別の妙味がある。ここでいう「ハードコアパンク的な躍動感」に最も近いのはニュースクール以降のもので、その成り立ちを掘り下げるのは本項の趣旨から外れるのでさておくが、非常に興味深く重要なテーマだと思われる。

 

註67

この「メタルコア」というジャンル名は時代によって指し示す音楽スタイルが異なり、80年代においてはG.I.S.M.を筆頭とする(特に日本の)メロディアスなメタルの成分を取り込んだハードコアバンドをそう称することが多かった。90年代においてはニュースクールハードコア(従来よりも遅めなテンポとメタル寄りのギターサウンドを組み合わせたスタイル)がそう呼ばれることがあるなど、時代や地域によって意味合いがだいぶ変わってきた経緯があるが、現在は2000年頃に確立された「メロデスの音進行+ハードコアの演奏感覚(主にニュースクール的なもの)」的なスタイルを指す場合が殆どだと思われる。本記事で「メタルコア」という場合は基本的にはこの2000年以降のスタイルを指している。

 

註68

ここでいうメロデスのバンドが主にスウェーデンフィンランド出身、メタルコアのバンドが主にアメリカ出身という地域的な違いもある(欧州ハードコアとアメリカのハードコアの質感の違いに通じるものでもある)が、こうしたリズムアンサンブルの質感はHR/HMおよびハードコアのシーンで個別に築き上げられてきたものであり、そうした文化圏的な出自の違いによるところが大きいと思われる。

 

註69

このIN FLAMES『Reroute to Remain』に関していうと、SLIPKNOTをはじめとするニューメタルの(ハードコア+ヒップホップ+分厚い低域という感じの)グルーヴを意識し多彩な作編曲を試みてアメリカ市場向きのアルバムを作った結果メタルコアに接近したような印象が生まれた、とみる方が適切だと思われる。ただ、ジャンルのオリジネーターがこのように大胆な方向転換を示したことでメタル内からのメタルコアへの注目度が上がったというのは少なからずあるだろう。

 

註70

本記事中編DARK TRANQUILLITYの項でも少しふれたように「メロデス」の音進行はあまりにも捻りがなくそのスタイルを採用することでアレンジの可能性が大きく限定されるため、否定的な反応を示すミュージシャンやリスナーも(地下志向の強い領域では)少なくない。ジャンル名こそ「メロディックデスメタル」だが、リズム構造などが醸し出す総合的な勢い~攻撃力が相対的にマイルドになっていることもあってデスメタルの一種とは(少なくともデスメタル側からは)認められていない場合が殆どである。実際、メロデスは音楽的にもシーンの成立経緯的にもデスメタルから遠ざかる志向をもつものではある。

 

註71

これも本稿の趣旨から外れるのでここでは掘り下げないが、コロナ以降のライヴフロアではモッシュ(おしくらまんじゅう型だけでなく円を描いて走り回るやつも)やクラウドサーフ、ウォールオブデスといった接触必須の動きが禁じられ、演奏に合わせて合唱すること(いわゆるシンガロング)も厳しくなるわけで、そうした定番のやり取りを楽曲構成に組み込むこうした音楽の在り方が根本から問われることは避けられないように思われる。そうした状況を踏まえた上で作編曲スタイルを変えるバンドの増加、このようなライヴマナーをノスタルジーの対象とする作編曲の出現、動かずに聴き入るのに向いたポストメタル的な音楽性が以前より受容されやすくなる可能性、といったことを意識してシーンの動向を観察していくと面白いかもしれない。

 

註72

MESHUGGAHが2008年に来日した際、さいたまスーパーアリーナでのLOUD PARK出演→大阪心斎橋での単独公演が終わった次の日にメンバーと飲む機会をいただけたのだが(ドラムスのトーマスとボーカルのイェンスに加え照明担当・ローディーの計4名、日本側は私を含む4名)、渋谷の立ち飲み屋で音楽の話になったとき「G.I.S.M.は素晴らしい」などハードコアからの影響を語るコメントがいくつも出ていた。ただ、これは比較的古い世代のバンドばかりで、2ndフルのブックレット掲載のインスパイア元一覧もスラッシュメタルは挙がっていてもメタル外のハードコアバンドは殆どなかったので、そういう要素を取り込んでいないわけではないが直接的な影響はあまりないのではないかと思われる。

 

註73

TOPPA「Arise in Stability インタビュー」

(2017.12.13掲載)

https://toppamedia.com/interview-arise-in-stability/

 

註74

LIVEAGE「Arise in Stability『犀礼/DOSE AGAIN』リリースインタビュー。9年の果てにたどり着いた進化の果て」

(2020.4.3掲載)

https://liveage.today/arise-in-stability-interview/

 

註75

2016年に加入したYusuke=平賀優介は国内屈指の超絶メタルギタリストでBABYMETAL“神バンド”のメンバーでもある。

https://bmdb.sakura.ne.jp/bm/profile/198

 

 

 

 

Kruelty:A Dying Truth(2020.3.4)

 

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 前項ではメタル領域におけるハードコアパンクの影響についてふれたが、ハードコアもメタル側から大きな影響を受けている。D-beatと呼ばれる魅力的なリズム&テンポパターンを確立し膨大なフォロワーを生み続けるこのジャンルの神DISCHARGE(註76)はルーツであるHR/HMに大幅に振り切った作品も残しているし、“初めてデスヴォイスを使ったバンド”ともいわれ極めてメロディアスなリフ&リードと特殊なコード進行で同時代以降のメタル/ハードコアに絶大な影響を与えたG.I.S.M.も音楽面での主軸のランディ内田はパンクというよりHR/HM出身である。ハードコアシーンに限らずアメリカのオルタナティヴシーン全体をみても最重要バンドの一つといえるBLACK FLAGもリーダーであるグレッグ・ギンのギターはBLACK SABBATHをはじめとしたHR/HM由来の要素が少なからずある。というふうに、ジャンルの起点となった英米日のシーンが立ち上がった80年代頭の時点でハードコアはメタルからの影響を濃厚に受けており、後のスラッシュメタルの隆盛と並行して急増したクロスオーバースラッシュ、デスメタルの発生と同時進行的に形成されたグラインドコアなど、両ジャンルの歴史は互いに切り離せるものではなく、活動領域的には棲み分けをしながらも常に相互作用を繰り返してきた。「メタルとパンクは仲が悪い」という話はよく言われるし実際そういう傾向はあるのだが、上記の3バンドはもちろん、初期のX(のYoshiki)は日本のHR/HM黎明期のバンドともハードコア方面のバンドとも親交があった(註77)というエピソードなども鑑みれば、2つのシーンは境界を隔てながらも切っても切れないつながりを持ち続けてきたのだといえる。従って、こうした境界領域にある音楽は両方のジャンルを知らなければ勘所をつかみきれないものも少なくない。メタルだけ聴いていても理解しきれないメタルも多いのである。

 

 先述のようにメタルとハードコアは相互作用を続けてきたため似たところも多いのだが、別々の道筋を辿って育ってきたこともあって各々明確に異なる要素を持っている。最もわかりやすいのがサウンドと演奏の質感だろう。輪郭の締まったメタルの出音(固体的)に対しハードコアは崩れ気味に拡散し空気をビリビリ震わせる(気体と固体の間にある)微妙な肌触りがある。演奏のタッチもそれに対応する感じで、メタルは一音一音のアタック感が均一/扁平でメカニカルな質感を生みがちなのに対し、ハードコアは強拍と弱拍の描き分けがはっきりしていてリズムの流れに瞬間的な起伏があり、筋肉が躍動するかのような生々しい質感がある。各々の印象をまとめるなら、几帳面なメタルに対しハードコアはラフ、前者のフットワークが空手的なベタ足なのに対し後者はボクシング的な爪先立ちというところだろうか。もちろんこれはあくまで全体的な傾向で、同じスポーツをやっていても“運動神経”やフォームの練度により動き方が異なるように、一つ一つのバンドの仕上がりにはだいぶばらつきがある。しかし、例えばコード遣いでいえばメタルの滑らかな進行感に対しハードコアは生硬い跳躍がある、そしてリフ=単線フレーズもそうしたコード感に対応する細やかさ/粗さがあるとか、曲構成についてもメタルは構築的でギターソロを好むがハードコアは短距離走的にシンプルでギターソロは基本的には一切入らないなど、サウンド~演奏以外の要素についても「メタルは丁寧だがハードコアは直情的」という大雑把な分類は概ね効果的なのではないかと思われる。こうしたジャンルごとの特徴や傾向を把握するためには双方をよく聴き比較する必要があり、それにあたっては質(聴き込み)と量(サンプル数)の両立が不可欠になるわけだが、そうすることにより「このバンドはメタルとハードコアのどちら寄りなのか」ということがその比率も含め感覚的にわかるようになるし、さらにはその「メタル」「ハードコア」各要素がそれぞれどの時代・地域のどういうバンド系統のものなのか具体的に把握できるようにもなってくる。エクストリームメタルやハードコアのバンド群はそうしたジャンル的知見を作編曲のスタイルはもちろんリズムの噛み合い方のような細かいアンサンブル表現まで含めて意識的に引用することで文脈を提示する場合が多く(D-beatはその代表例といえるだろう)、そうしたスタイルや質感の知識がなければ正確に理解できない部分も多い(これはメタルやハードコアに限らず歴史的蓄積のある“伝承型”のジャンル全てにいえる話ではある)。様々な音楽を聴き“雑食性”を志向する人が「ジャンルなんて関係ない」と言うことがあるが、ジャンルとはある意味で文化圏のようなものであり、それを否定するのは各領域が個別に育んできた概念や歴史的背景を無視することにもつながる。そういったものをしがらみと捉えてあえて排除する聴き方もアリかもしれないが、音の面だけみても各ジャンルには上記のような傾向やセオリーがあるわけで、そこに目を向けないと先行研究を押さえずに論文を読み込むのと同じく的確な理解に至るのが難しくなる。作り手としてジャンルを越境するのは良いことだが、鑑賞する際にはやはりできる範囲で各領域を具体的に意識するほうがうまくいくはずである。

 

 以上を踏まえてハードコアの音楽的特徴について付記すると、構造がシンプルなだけに細かい差異(音進行やアンサンブル表現)が個性に直結する傾向があるように思う。DISCHARGE系列のバンドやクラストコアと呼ばれるスタイルの楽曲は限られた音階および狭い音域内で動くフレーズの並べ方で微細な違いを示すものが大半で、このジャンルに馴染みのない人が聴いてもほとんど違いがわからないものだが、出音やリズムの噛み合いといったサウンド~演奏においては磨き上げられた明確な個性を示すバンドが多い。そういった音源においてはシンプルで似た感じの音進行が演奏の差異を際立たせる構図ができていて、淡白なつくりのもとで陰翳を極めるような絶妙なバランスをなしている。このような音楽性はある意味「塩だけで生肉を味わう」ようなものであり、バンド単位で異なる身体感覚の芯(コア)の部分のみを提示するために最適化されたスタイルともいえる。これに対しメタルは音数を増やし空間を埋める志向や技術水準の高さもあってアンサンブル表現が均一になりやすく、メカニカルな精度を極める一つの方向性のもとでの完成度の多寡が各バンドの個性となる(その上でボーカルやギターソロといったリードパートで差異を生む)感がある。こうした傾向の違いは「メタルは概念志向、ハードコアは行動志向(メタルのニュアンス表現は主に作曲によるがハードコアのニュアンス表現は演奏によるところが大きいetc.)」ともいえるもので、互いの志向を嫌い排除するものも一定数いる一方で、自身にない要素に憧れ取り入れるバンドも少なからず現れてきた。前項でふれたハードコア志向のあるメタルはその好例だし、CONVERGEやTHE DILLINGER ESCAPE PLANのようなバンドは逆にハードコア的な演奏感覚を土台にメタル的な作編曲を取り込んでいった好例だろう。先に挙げたクロスオーバースラッシュやデスメタルもそうした交流志向を示すもので、CARCASSやBOLT THROWERはクラストコアのシーンから現れ黎明期デスメタルの領域において歴史的名盤を連発してきたこともあって、両シーンのミュージシャンやリスナーから絶大な支持を得ている。初期デスメタルの面白さのひとつであるグルーヴ表現の多彩さは以上のようなハードコア的傾向からくる部分も多いのだろうし、XIBALBA(註78)やTERMINAL NATIONなどに至るデスメタリックなハードコアバンドの系譜も上記のようなデスメタルの越境的な在り方があればこそ生まれたものといえる。ジャンル間の複雑な相互影響/交配を通して豊かな成果を生み続ける本当に面白い領域なのである。

 

 2017年に東京で結成され“ビートダウンハードコアとドゥーミーなデスメタルの融合”を標榜した活動を続けるKRUELTY(註79)が2020年に発表した1stフル『A Dying Truth』はそうした領域から生まれたものの中でも屈指の傑作である。自分は初めて聴いたときRIPPIKOULUのようなフィンランド註80)のドゥームデスをアクティブにした感じの音楽性だと思ったのだが、インタビュー(註81)によれば、ビートダウンハードコア(日本のものでいえばSTRAIGHT SAVAGE STYLE、初期SAND、DYINGRACE、SECOND TO NONE)を土台としながらも、GRIEFやCORRUPTED、SEVEN SISTERS OF SLEEP、CROWBERのようなスラッジドゥーム、そしてBOLT THROWERやASPHYXのようなハードコアデスメタルの影響が強い模様。よく聴くと確かにギターの鳴りはハードコア寄りだし(TERMINAL NATIONとDISMEMBERの違いにも通じる)、フィンランド型ドゥームデスはもちろんASPHYXのような(CELTIC FROSTの系譜にある)ハードコアデスメタルとも異なるハードコア側からのグルーヴ表現が主体となっている。その上でリズム展開が多いのが興味深く、先述のような淡白なフレーズ展開が醸し出すモノトーンな印象と絶妙なバランスをなしている。ドゥーミーだがダンスミュージック度が何気に高め、しっかりフロア対応になっていてその上で渋い、というこの感じは荒々しい水墨画のようでもあり、単線/黒白で世界を描く(コード付けがほぼない)からこそ筆遣い(=アンサンブル表現)が映えることの醍醐味を最大限に示している。全体の構成も非常に良く、繰り返し聴くほどに細部の作り込みが見えるようになる過程を快適に過ごすことができる。枯淡の境地と若い覇気を両立するような趣もある素晴らしいアルバムである。

 

 以上の話とも関係することなのだが、いわゆる音楽評論やレビューをみていて考えさせられることの一つに「演奏ニュアンスについて説明する言い回しが殆どない」というものがある。前項と本項でふれたようにメタルやハードコアにおける音作りやアンサンブルの質感は文脈の示唆といった意識的な表現に直結する(註82)ものなのだが、そうした部分を具体的に記述する評文は稀で、「ヘヴィネス」とか「アグレッション」みたいなある意味何にでもあてはまる逃げの言葉(字数稼ぎでしかないので個人的には消えてほしい)で済ますものが非常に多い。これだと評者はわかっているつもりでも読者には伝わらないし、こういう解像度の低い言い回しで満足してしまえている時点で本当にわかっているかも怪しいものである。例えば曲展開の記述を「ツーバスドコドコ」的な解像度の低い言い回しで済ませ、具体的にどんな感じのサウンドやリズム構造での「ドコドコ」なのかといった表現を避ける、またはそもそもそういう読み込みが必要だという意識自体がないレビューが大半を占めるわけで、それを見て「レビューというのはそういうのでいいんだ」という意識水準が定着していってしまうのは良いことではないだろう。こういう演奏ニュアンスの把握~評価はプレイヤー視点が不可欠なこともあってスルーされてきた経緯もあると思うのだが、そういう要素を分析する習慣を身に付け批評言語を練る作業を繰り返さなければ切り拓かれない理解/分析の境地もあり、確かにハードルは高いがこれをしなければ聴く力(の解像度)の水準は上がらない。メディアの担う教育効果には知識の伝達だけでなくこういう部分も含まれるべきで、そもそも教育ということ自体を放棄する(PRのみをする広報誌になる)のも一つの道ではあるだろうが、それを続けているとリスナーの基礎体力が培われなくなり、ハイコンテクストな音楽が売れにくくなるなどシーン全体が弱体化傾向に陥ってしまう。こういった意識を持つだけでも着実に変化が起きていくはずだし、今からでも少しでも良い方に向かってほしいものである。

 

 

註76

参考:DISCHARGEの音楽性について

https://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/03/163839

 

註77

YoshikiNAOKI(ex. LIP CREAM)の訃報によせて

(2021.1.24)

https://twitter.com/yoshikiofficial/status/1353281325118103552?s=21

 

註78

AVE「Interview With Atake(COFFINS, SUPER STRUCTURE)+MCD(KRUELTY, CADAVERIBUS / DEAD SKY RECORDINGS)

(2020.7.3掲載)

https://ave-cornerprinting.com/xibalba-07032020/

 

註79

Bandcamp:KRUELTY

https://kruelty666.bandcamp.com/album/a-dying-truth

 

註80

スウェーデンフィンランドデスメタルバンドは同国のハードコアシーンとの関係が深いこともあって90年代初期からハードコア的要素の強い音楽性を確立。このうちスウェーデンはハードコアの弾丸疾走感+メロディアスな音進行という感じのスタイルでアメリカに並ぶ最重要シーンとなり全世界のバンドに絶大な影響を与えてきた(CONVERGEやBLACK BREATHなども直接的な影響下にある)。これに対しフィンランドスウェーデンのバンドと似た質感を持ちながらもドゥーミーな(重く遅い)展開をするバンドが多く、ドゥームデスやフューネラルドゥームの名産地としてよりアンダーグラウンドな領域で大きな影響を与えてきた。

参考:代表的なバンドについての一言レビュー集

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1158686780368945154?s=21

 

註81

exclaim!「Are Kruelty the Hardest Band on the Planet, or Hilarious Sweethearts Pretending to Be Scary?」

(2020.5.25)

https://exclaim.ca/music/article/are_kruelty_the_hardest_band_on_the_planet_or_hilarious_sweethearts_pretending_to_be_scary

 

 

註82

AVE「Interview:COFFINS」

(2019.9.30掲載)

4人全員に対するインタビューで、世代の違うメンバー=各々得意分野が異なる音楽マニアたちがデスメタルとハードコアなどの微細な違いを具体的に説明する対談になっていて非常に面白い。

https://ave-cornerprinting.com/coffins-09302019/

 

 

 

 

明日の叙景:すべてか弱い願い(2020.12.4)

 

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 ここまでの7項では各ジャンル/シーンが歴史的に培ってきた垣根〜棲み分け状況やそれを越えて個々のミュージシャンやバンドが影響を及ぼし合ってきた経緯についてふれたが、そういう“表面的にはいがみあいながらも秘かに意識し合っている”ような接し方は近年だいぶ解きほぐされてきたように思う。2019年10月末にデジタルリリースされた4way split『Two』(註83)に参加した明日の叙景(あすのじょけい、2014年結成)はそうした状況を体現するバンドで、ポストブラックメタルを標榜しながらもメタルシーンに留まらない活動を続けている。こうした在り方についてメンバーは2018年のインタビュー(註84)で以下のように答えている。

 

布(ボーカル)「自分たちのやっていることはポストブラックだと思っています。(中略)ポストブラックそのものを作ろうというよりは自然に出て来るアイデアをポストブラックに落とし込むという感じなので、聴く人によっては別物だと思うかもしれませんね」

等力(ギター)「自身の音楽に対する価値観やモチベーションは内向きなので、演奏や制作で実際に音を鳴らしている時、ジャンルやスタイルなどの固有名詞を意識することは少ないです。ただ、作品のリリースやライブ活動など、対外的に音楽を奏でることで自分たちの姿勢を主張する場合には、ある種の基準が必要だと考えています。そういう意味で、本アルバム(1stフル)はポストブラックメタルを題材にしている、と言えます」

布「ヘヴィメタルハードコアパンクというイデオロギーの異なる2つの音楽の共通項を自分たち独自の視点で見つけだそうとしていると思います」

 

このインタビューで印象的なのが『アイフォーン・シックス・プラス』(註85)発表直後の長谷川白紙(註86)への感銘を語っていることで、メタルとは全く交錯しない“インターネット発の音楽”を探究していたり、企画イベントの出演者がジャンル越境的だったりと、特定シーン内にこもるのではない姿勢や考え方が自然体として身に付いているのがみてとれる。以下の発言はそうした姿勢をよく表すものだろう。

 

等力「特定のジャンルやシーン、文脈に依存しないものを作ることが自分のほとんど生理的とも言い切れるレベルの欲求なので、そうなると必然的に横断的な活動を行うことになります。もっと強く言ってしまえば、複数の要素が混じらない音楽を作ることが自分には不可能なので、そこから誕生した処世術とも言えますね。他のメンバーについてもそういう傾向があるので、明日の叙景としてもそういう動き方になるのかなと思います」

 

公式音源リリース前だった2016年の最初期インタビュー(註87)ではDIR EN GREYLUNA SEAからの影響を公言している(註88)ことからもわかるように、明日の叙景はヴィジュアル系ブラックメタルのような越境的ジャンルの在り方や「他と被ったら負け」という姿勢を意識的に受け継いでおり、それが以上のような活動方針に繋がっているのだと思われる。2018年に発表され国外からも熱い注目を浴びた1stフル『わたしと私だったもの』の音楽性はそうした様子をそのまま反映していて、例えばプログレッシヴブラックメタル的に変則的な展開をする「火車」はポストブラックメタルというよりもブラックメタル要素を取り込んだメタリックハードコア(CONVERGEあたり)の流れにある音楽という感じもするし、「鉤括弧」の南米音楽に通じる(ブラックメタル系統では殆ど出てこない)音進行やダブ的な音響などは、等力の大きな影響源であるCOALTER OF THE DEEPERS由来の要素をたまたまポストブラック的なフォームに落とし込んだという印象もある。2016年の1st EPリリース時点ではプリミティヴブラックメタルや激情ハードコアに精通しているメンバーはおらず「OATHBREAKERとDEAFHEAVENを足して2で割ったような形を模索中」と言っていたところからかなり遠いところにきているこの1stフルの仕上がりが示すように、様々な音楽要素を現在進行形で吸収し持ち分やニュアンス表現力を豊かにし続けているバンドであり、その背景には上記の“当たり前のように境界を越えていく”姿勢があるのだといえる。2020年末に発表された2nd EP『すべてか弱い願い』も素晴らしい内容で、1stフルの変則的な曲展開が解きほぐされ大幅にストレートになりつつも音進行やニュアンス表現は格段に深化した本作はポストブラックメタル周辺の音楽全域をみても屈指の傑作といえる。

 

 『すべてか弱い願い』を聴いていて個人的に特に考えさせられることに「エクストリームメタルにおける歌詞/歌唱表現」がある。デスメタルブラックメタルをはじめとしたエクストリームメタルのボーカルは強烈に歪んでいることもあってネイティヴでも歌詞を聴き取るのは困難で、音程も一定で(メロディラインを描かず)楽曲全体の音進行状態にほとんど影響を及ぼさないため無視してバッキングに集中するリスナーが多いと思われる。実際こうした音楽スタイルはそういうボーカルの在り方を前提とした上で「ギターリフがリードパートを担う」ようなつくりをしていることが多く、楽曲構造の把握という面では声を除外して聴いても殆ど問題ないのだが、そうやっていると音響の吟味という点では大きな損をすることになる。ボーカルの関連帯域を無視するとそれと被るバッキングの音色も部分的に無視することになってしまい、ボーカルが入っていない場所でもボーカルあり部分の“聴き方のクセ”を引き継ぐかたちで不完全にしか把握できなくなってしまう。これは「洋楽」リスナーの「ボーカルは歌詞がわからなくても楽器として聴く」というのにも通じる話で、“楽器として聴く”にせよ歌詞の音韻まで聴き取らなければその楽器としての在り方を十分に把握できない。つまり、歌詞を認識しようとすることを避けているとボーカル単体の音色/音響表現力も音楽全体の音響表現力もうまく把握できなくなってしまうわけである。これは『すべてか弱い願い』の全曲についても言えることで、リズムの譜割や歌詞文節の切り方が変則的なこともあって絶叫部分の歌詞は前情報抜きでは殆ど聴き取れないのだが、歌詞カードを読みながら聴くと一気に情景が鮮明になる。冒頭を飾る名曲「修羅」のブレイク「あの日~」はその好例だし、3曲目「影法師の夢」のアルペジオ部分から「朝と夜を〜」に至る流れや、最終曲「生まれたことで」の「何も映さない瞳」のあたりで静かに緊張感を高める音響など、歌詞を読むことでその展開と軌を一にする楽曲の場面転換を初めて至適なペースで把握できるようになる。本作のサウンドプロダクションは声とバッキングのこのような関係性に対応したもので、ボーカルを無視してギターなどのメロディラインにばかり注目しているとドラムスの太い鳴りに“足止め”され音響の奥に立ち入っていくことができないのだが、遠景で謙虚に鳴り響く絶叫に(歌詞を読みながら聴くことで初めて)注目すると、ドラムスを背にしてギターまわりの深い音響に包まれる感覚に到達できるようになるのである。ボーカルが音響的没入のガイドになっているこのミックスは本当に見事だし、それを理想的な形で磨きぬいたNoe Summerville(Autechre作品で知られる名エンジニアで2020年作『SIGN』『PLUS』も手掛けている)のマスタリングも隅々まで素晴らしい。このような音楽スタイルでなければ成しえない音響構築と表現力を発揮した傑作だと思う。

 

 以上のことに加えて特筆しておきたいのが、本作は歌詞を聴き取れなくても楽しめる(日本語が母語でないリスナーも楽しめる:ブックレットには英訳が付記されてはいる)音響作品になっているということである。最終曲「生まれたことで(Birth)」はその真骨頂を示す一曲で、郷愁を煽る美しいメロディラインが輝きを保ちながら暗転する最後の混沌としたパートは、断末魔または生誕の絶叫、入水と羊水、走馬灯でもあり前世の記憶ともいえる混沌、哀しいが清々しい門出といった複雑なニュアンスを、輪廻転生とそこからの解脱を示唆する歌詞テーマとあわせて音響だけで完璧に表現しきっている。「個人的なモチベーションや好みとして、日本の夏の原風景を音楽で表現したいという気持ちはあるので、それが少しにじみ出ている可能性はあります」(等力)や「つくづく自分は水、ないしは水面に乱反射する光や水中から見た水面が好きなんだなと感じます」(布)(註89)といったメンバーの嗜好が理想的に反映された楽曲だし、ポストブラックメタルという表現形態を最も活かした名曲と言っていいのではないかと思う。

 

本作の店舗限定特典CD-Rにはメンバー4名が本作について語る「収録楽曲解説」(約24分)があり、1曲目「修羅」については以下のような話が出ている。

 

  • アニメ『ARIAネオ・ヴェネツィアの劇伴におけるブラジル音楽的な転調を意識した
  • ブレイクの視界が開ける場所は君島大空「遠視のコントラルト」をイメージ
  • BLOOD INCANTATIONの2019年作がPitchforkなどで高く評価されたのは音作りがヒップホップ~ローファイ的だったからなのではないか。そういった解釈をもとに本作ではアナログ機材的な一発録り感を採用した(註90
  • おしゃれコードで乗り切る感じは自分(等力)的にはCOALTER OF THE DEEPERSっぽいと思っているが、ドラム録音を担当した方にはラルクっぽいと言われた。自分がDEEPERSと思っている箇所は世間的にはV系的なのかもしれない。SUGIZOはDEEPERSが好きと公言しているし、LUNA SEAをはじめとしたV系を全く通っていないのにV系感が出ているのはDEEPERSを通っているからなのだろうか

 

こうした話はNHKみんなのうた』でもいけるんじゃないかというくらい美しい楽曲の複雑な成り立ちをよく示しているし、そこにこういうエクストリームなボーカルが乗っていることで生まれる新たな形のポップさ、そうした要素に馴染みのない人を徐々に惹き込んでしまう可能性(等力の母もよく聴いているとのこと:註91)がどのようにして生まれているかということをよく表しているのではないかとも思う。こういうジャンル越境的な姿勢を前面に押し出す世代が素晴らしい作品を連発してくれている状況は「メタル」全体にとっても有難いことだし、今後のさらなる活躍が楽しみである。

 

 

註83

BURRN! ONLINE「『デジタルはパンク』という新境地 明日の叙景 Kei Torikiインタビュー」

(2019.11.11掲載)

https://burrn.online/interview/1031

 

註84

3LA「Interview with 明日の叙景」

(2018.2.20掲載)

http://longlegslongarms.jp/music/user_data/asunojokei.php

http://longlegslongarms.jp/music/user_data/asunojokei2.php

 

註85

こちらのSoundCloudページで全曲聴くことができる

https://m.soundcloud.com/maltine-record/sets/maru168

 

註86

長谷川白紙についてはこちらの記事で詳説した。

KOMPASS『崎山蒼志と長谷川白紙、逸脱した才能の輪郭。メールで取材し考察』

(2020.6.19掲載)

https://kompass.cinra.net/article/202006-sakiyamahakushi2_ymmts

 

註87

3LA「Interview with 明日の叙景」

(2016.1.1掲載)

http://longlegslongarms.jp/music/user_data/interview-with-asunojokei.php

 

註88

各メンバーがコメントしている影響源は以下のとおり。

 

布(ボーカル):

人生の一枚はCOCK ROACH『赤き生命欲』

envy、heaven in her arms、Lifelover、Ghost Bath、DIR EN GREYMUCC

ポストブラックメタル、アトモスフェリックブラックメタル

 

等力(ギター):

人生の一枚はCOALTER OF THE DEEPERS『NO THANK YOU』

COALTER OF THE DEEPERS、9mm Parabellum Bullet、DEATH『Symbolic』

Endon、kamomekamome、Self Deconstruction

 

関(ベース):

人生の一枚はOPETH『Ghost Reveries』

THE BACK HORNDIR EN GREYMEW、TOOL

 

齊藤(ドラムス):

人生の一枚はSUGIZO『C:LEAR』

DIR EN GREYLUNA SEAをはじめとしたヴィジュアル系(「他と被ったら負け」精神も)

SUGIZO赤い公園

 

註89

Innertwine ZINE 第1号

(2019年3~4月のメールインタビュー)

https://innertwinezine.hatenablog.com/entry/2019/09/06/193907

 

註90

ツイッターでも同様の発言あり

https://twitter.com/kei_toriki/status/1256776082050568192?s=21

https://twitter.com/kei_toriki/status/1334867097457836035?s=21

 

註91

https://twitter.com/kei_toriki/status/1342109651886739457?s=21

 

 

 

 

君島大空:縫層(2020.11.11)

 

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 君島大空は近年の国内ポップミュージックシーンを代表する若手超絶ギタリストで、サポートプレイヤーとして高井息吹、坂口喜咲、婦人倶楽部、吉澤嘉代子、adieu(上白石萌歌のアーティスト名義)などのライヴや録音へ参加。劇伴音楽やsora tob sakanaなどへの楽曲提供でも知られ、一人多重録音のソロ活動においても、崎山蒼志や長谷川白紙、諭吉佳作/menなどと並んで近年最も注目されるシンガーソングライターの一人である。それがなぜ本記事に出てくるのかというと、この人はテクニカル/プログレッシヴなメタルをルーツに持ち、そちら方面を聴き込みひたすらコピーする10代を過ごしてきており、一度はそこから離れながらも2020年発表の2nd EP『縫層』でそうした要素を全開にした素晴らしい音楽を生み出したからというのが大きい。

 

<――メタルはどのようなものを聴いていましたか。

君島:メシュガーですね。福生ライヴハウスのセッションに通っていた時期があって、そこでドラムを叩いていた人がメシュガーのCDを貸してくれました。なんというか、「融けた鉄」のような感触があって、すごいかっこよかった。

それから、ドリーム・シアターもよく聴きました。特に『Train of Thought』(2003年)というアルバムが本当に大好きで。この作品には絵に描いたような絶望の音が鳴っています(笑)。ドロドロした重たさ、暗さがずっと続いていく。心がおかしくなった時に聴くと優しさを感じられる気がします。

あとはジャズ/フュージョンの馬鹿テクな人達を聴いてました。グレッグ・ハウとかリッチー・コッツェンとか、ただギターが素晴らしく達者な人達(笑)。メタルとかフュージョンはスポーツのような、どれだけ正確に弾けるか、競技のような美しさがあります。聴いていると元気が出てきます。「手」を動かす人がやっぱり好きなのかも知れません。>(註92

 

他にもツイッター註93)でTHE FACELESSやVildhjartaといったプログレッシヴなデスコア~ジェント(djent)を好きだと言っているように、この人は近年のテクニカルなメタルの技術および演奏感覚を身体に刻み込んでおり、こうした要素を基本的には前面に出さないながらも重要なエッセンスの一つとして自身の音楽に反映させ続けている。表現の嗜好/志向性もあって一時は以上のような持ち味を黒歴史註94)として封印していたが、コロナ禍を経て制作されることになった『縫層』でそうした成分を意図的に解禁。特に「笑止」という楽曲は、CYNIC(2ndフルと3rdフルの間)とVildhjartaあたりを混ぜ爽やかにした感じの音楽性で、シルクのように柔らかくしなるメタルサウンドで7拍子と8拍子を滑らかに行き来する素晴らしいプログレッシヴメタルに仕上がっている。

 

<君島「“笑止”は西田が一緒に編曲してくれています」

――初めて合奏形態の3人(西田修大、新井和輝、石若駿)が全員参加してるんですよね?

君島「そうです。僕メタラーなのを黒歴史だと思ってたんですけど、逆に今、周りでメタルをやってる人がいないなと思って。メタルというか、ジェントをやりたかったんです。

実は、西田は“笑止”でギターを弾いてなくて、サウンド・デザインをしてくれたんです。音色やドラムは自分で打ち込んだのと、KAKULULUで駿さんに叩いてもらったものをエディットしたりして。和輝さんにはめちゃくちゃなベース・ソロをお願いしました。だから、遠隔で作業した初めての作品でもありますね」

――合奏メンバーが参加しているとはいえ……。

君島「一発録音とかではまったくない。スーパー・エディット・ジェント、みたいな感じ(笑)。

次はもっとライブっぽいものも作ってみたいんですけど、“散瞳”みたいな方向性でも何かもっとできないかなっていうのもあって。急にディケイ(音の減衰)がなくなるとか、現実的にない音を作るのが好きなので、そういうのを……ジェントでできないかなって(笑)。

タイトルは〈笑止千万〉からで、わりと皮肉った内容ではあるんですけど、笑っちゃうようなものを作りたかったんですよね」>(註95

 

「曲中のギターは全てメタラー期の君島を現在に呼び戻して彼に弾かせています。ギターソロはallan holdsworthさんとeddie van halenさんに捧げます。合奏形態の音を今までの僕のフォーマットでやるような、ひとつ鮮度の有る奇妙な体温のやりとりを見つけられたのかなと思います。」(註96

 

こういったセンスがアントニオ・ロウレイロやレオナルド・マルケスをはじめとするブラジル~南米音楽のエッセンスなどと融け合って独自の形に固着した音楽性(註97)はこの人でなければ作り上げられないものだが、メロディ/コード進行の傾向や音響の質感もあってか、CYNICが3rdフルで到達するはずだった領域を遥かに豊かで自由な形でやってのけてくれた感もある。メタルを好む耳で聴いても違和感なく楽しめる傑作だし、メタル内外を鮮やかに接続してくれる作品としても素晴らしい内容になっていると思う。

 

 

 自分がこの人の作品を本記事の最後に挙げる最大の理由は「メタルのことがよくわからなければうまく吟味できないメタル外の音楽も多い」からである。本作はその好例で、メタルを通っていない音楽ファン(本作を聴く人の大半がそうだろう)はそれを気兼ねなく楽しみきることはできるだろうが、その成り立ちまで含め理解することはできないし、そのための知識(参考音源やサブジャンルの成り立ちなど)がメタルシーンの中でもそこまでポピュラーでない領域に留まるものだということもあってか、メタルに詳しい人の紹介なしに独力でそれを得るのも難しい。そして「メタルに詳しい人」は他ジャンルにあまり興味がなくジャンル外と交流を持たない場合が多いため、以上のような知識が本作を好む人のところまで届く機会は相当限られてしまうことになるだろう。本記事で度々ふれてきたように、メタル内の言論や歴史認識はまだまだ十分に整備されておらず扱う範囲も不十分で、それはジャンル内だけでなくジャンル外にも不都合を生じさせてしまう。そうなると本作のようなメタル外の境界領域からメタル内に新たなファンが流入する機会が失われるし、それで最も損するのはメタル側なのではないだろうか。メタラーはポップスを見下しがちな傾向があるが、本作に参加している石若駿(現代ジャズを代表する世界的にも超一流なドラマー/ピアニスト)や新井和輝(KING GNUのベーシストとしても知られる卓越したセッションプレイヤー)など、メタルを通過していなくてもここまで凄いメタルができる、メタルを通過していないからこそこういうメタルを弾けるという実例に触れればそうした偏見も解きほぐされていくだろうし、中村佳穂をはじめとした超絶ミュージシャンとの活動でも知られる西田修大(ギター)もあわせた本作の共演者3名から辿れる人脈は今の日本のポップミュージックシーンの中でも最も美味しい部分だといえる。このような接点を入口としていろいろ聴いていったほうが面白いし、それを利用してメタルの概念を内から拡張し外にも届けていけばシーンの持続可能性も格段に増していく。こういう“楽しい意識改革”が少しずつ広がっていってもいいのではないかと思う次第である。

 

 

本作についてはこちらで詳しくふれた:

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1326895527846350849?s=21

 

 

註92

TOKION「コラージュから読み解く君島大空」

(2020.11.4掲載)

https://tokion.jp/2020/11/04/ohzora-kimishima-collage/

 

註93

君島大空のメタル関連ツイート

https://twitter.com/ohzr_kshm/status/938032746630279168?s=21

 

註94

ギターの鳴らし方にせよ「男性性や女性性の強いものをあまり音楽に持ち出してほしくない」というスタンスにせよ、過剰に存在感を主張しない、押しつけがましさのないような在り方を好んでおり、それに通じる「たとえば、初恋の人の横顔を横目でかすめた瞬間とか、その一瞬を音楽によって引き延ばしたい。引き延ばして、瞼の裏に立ち現わすことができないだろうかっていうのが、自分のなかのテーマとしてあります。音楽による可視化。それが、自分のやりたいことです」という志向(本人はそういう自身の在り方を「アシッドフォーク」と言っている)もあって、メタル的な主張は現在は好まないようである。ただ、そういう要素は音作りの基本感覚にも表れているし(明日の叙景が「修羅」で参照した「遠視のコントラルト」におけるギターの鳴りはシューゲイザーストーナーロックを経由してHR/HMにそのまま繋がるものである)、メタルに徹した「笑止」と他の曲を並べても違和感が生じない背景にはそうしたことが少なからず関係しているのではないかと思われる。

 

註95

Mikiki「石若駿と高井息吹と君島大空、音楽の〈色〉や〈景色〉を共有する3人 『Songbook5』『Kaléidoscope』『縫層』リリース記念鼎談」

(2020.10.22掲載)

https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/26407

 

註96

君島大空「11/12/20 縫層についての徒然」

https://note.com/yagiza_kimishema/n/n110f2343e6a1

 

註97

ディスクユニオン ラテン・ワールド部門 年間ベスト企画「君島大空が聴く/選ぶ年間ベストアルバム2020」

(2020.12.23)

優れた音楽マニア/ディガーによる出し惜しみなしの面白い話を延々楽しんでいる気分になれる素晴らしい対談で、2020年にweb上で公開された音楽関連記事の中で最も面白いものの一つだったと思う。メタルの話は一切出てこないがぜひ読まれることをお勧めする。

https://diskunion.net/latin/ct/news/article/1/93398

 

【2020年・メタル周辺ベストアルバム】中編 歴史と共振、様式美と革新

2020年・メタル周辺ベストアルバム】中編 歴史と共振、様式美と革新

 

 

closedeyevisuals.hatenablog.com

 

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一覧

 

Black Curse

Ulcerate

GreVlaR

Azusa

 

Eternal Champion

Rebel Wizard

Dark Tranquillity

Sweven

 

Lugubrum

Ulver

 

 

 

 

豊饒の海としてのデスメタル

 

 

Black Curse:Endless Wound(2020.4.24)

 

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 「デスメタル」というと一般的には “ただ単にうるさい音楽”の代名詞的存在であり、その意味において今やかつての「ヘビメタ」とほぼ同じ立ち位置にある。これは『デトロイト・メタル・シティ』(特に実際に楽曲が流れる映画のほう)のような作品の影響が大きいと思われるが、その背景にはやはり「デスメタル」というジャンル名のキャッチーさというか、そういった音楽を実際に聴いたことがなくても「死」「金属」だからヤバそうだなと感じさせる言葉そのもののイメージ喚起力があるのではないだろうか。「メタル」と呼ばれる音楽が具体的に指し示すものも時代の経過につれて変化し(註1)、マキシマムザホルモンやそれに通じるメタルコア的なスタイルが一般的な「メタル」だと(メタルファンだろうがそうでなかろうが一定以下の年齢層には)認識されるようになった昨今では、「デスメタル」が本来指し示す音楽とその“一般的な「メタル」”のサウンドはあまり離れていないわけで、そう考えてみると、いわゆる音楽ファンでないリスナー層(つまり社会全体)の音楽一般に対する“このくらいのラウドさなら許容できる”水準が過去に比べ明らかに高くなりメタル的なうるささが広く浸透してきたこと(これは本記事前編のGhostemaneやPoppyの項に通じる話でもある)や、それと並行してメタルが“過激さの表現”としての社会的インパクトを減じてきていることを実感させられるし、そうした状況を経てなお(またはそうした状況だからこそ)“うるさい音楽の代名詞”となりうる「デスメタル」という言葉の強さに感嘆させられたりもする。メタルの領域を越えて話題を博したディスクガイド『デスメタルアフリカ』(註2)で扱われているバンドの大半が音楽スタイル的にはデスメタルではないというのが(これは編集者がブルータルデスメタルに精通していることを考えると“わかっていてあえてやっている”のだということもあわせ)実に象徴的だし、POSSESSEDやDEATHのようなバンドが編み出したDeath Metalというフレーズがサブジャンルのお題目として未曽有の繁栄を導いたのも当然の流れなのだなと納得できるわけである。

 

 そうしたジャンル名のイメージとも少なからず絡む「デスメタル」の実像を一言で表すなら、「音楽的に高度でありたいという知的欲求とうるさく破壊力のある音を出したいという衝動的欲求、その2つの志向を両立させるための音楽スタイル」ということになるだろう。近現代クラシックやジャズにも通じる高度な楽曲構造に暗く残忍な歌詞およびアートワークを掛け合わせることで表現上の説得力を持たせ(これは現代音楽がホラー映画の劇伴に重宝されそこが発展の場にもなってきた歴史的経緯にも対応することだろう)、それを軽々弾きこなす圧倒的な演奏技術をもって具現化する。音楽における破壊力に直結する要素である速さ(または遅さ)・重さ・騒々しさは過剰に強調され、ライヴ現場の爆音で培われた音量の基準感覚がスタジオ音源に反映される(註3)こともあわせ、繰り返し接して慣れなければ何をやっているかすら聴き取れない極端なサウンドプロダクションが生み出される。以上全ての要素を美しく両立した初期MORBID ANGEL(1989年発表の1stフルは永遠の名盤)を筆頭に、このジャンルを代表するミュージシャン達は1バンド1ジャンルとも言えるような個性的な新境地開拓を重ねており、それらを踏まえた後続が上記の各要素を洗練していくことにより、混沌を損なわず整理する手法の蓄積を伴うジャンル全体としての発展がなされてきた(註4)。80年代末に形成されたこのジャンルが10年単位で存続していくと、それに伴う歴史的視座、ファンとしての先達への憧れ、傑作が見過ごされリアルタイムでは正当に評価されない状況への鬱憤や反骨心などが培われ、先行研究を踏まえた音楽的探究が行われるようになる。ここ数年で注目されるようになってきた初期デスメタル(OSDM:Old School Death Metal)リバイバルの背景にはそうした積み重ねがあり、再評価を実現させることを表現上の原動力として新たなオリジナルを生み出してしまう優れたバンドが多数出現してきている。理想的な循環を成立させているジャンルだと思うし、それだけに追っていくのが本当に面白いシーンなのである。

 

 BLACK CURSEはその初期デスメタルリバイバルの中でも特に注目されるバンド群(BLOOD INCANTATION、SPECTRAL VOICEなど)のメンバーで構成されたグループで、そうしたバンド群が様々な角度から取り組むフィンランドの初期デスメタル(いわゆるメロディックデスメタルでないもの)をVENOM~CELTIC FROSTやMASTERあたりのハードコア寄りメタル~1st Wave of Black Metal的なラインから再構築するような探究を驚異的なクオリティでやっている。プリミティヴなデスメタルのlo-fiならぬraw-fiなサウンドは最高の仕上がりだし、勢い一発で突っ走っているようでいて繊細なニュアンス表現に満ちた演奏も隅々まで素晴らしい。本稿前編最後のNAPALM DEATHの項でふれたようなハイコンテクストかつキャッチーな音楽性、批評をするのは難しいが「一見さんお断り」には必ずしもなっていないつくりをマニアも納得させるバランスで達成した一枚。歴史に残るレベルの傑作だと思う。

 

 

ジャンル論的なことも含めた詳説はこちら:

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1255855250621120513?s=21

 

 

 

註1

メタルファンであっても世代によって音進行などの好みが異なる傾向があるなどこのあたりの話は非常に興味深いのだが、この項の主旨からは逸れるのでさておく。

参考:

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1285210089989656576?s=21

 

註2

デスメタルアフリカ』出版に際し2015年10月16日に開催されたトークイベント「デスメタルアフリカンナイト」の一部始終

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/654956138178281477?s=21

 

註3

これも本稿の主旨からは外れるのでさておくが、コロナ環境下でライヴ体験ができない状況が続いた結果、現場の過剰な大音量(耳栓があって初めてまともにフレーズを聴き取れるようになるくらいの)を体験したことがないミュージシャンがそうしたジャンルの音楽をやることにより、一般的な家庭環境での音量基準(爆音を出せない)およびそのもとで再生された音源(音量面でのインパクトが付加されない)に対応する感覚のみを土台に構築された作品が多数リリースされるようになり、コロナ環境以前と以後とで音楽の在り方が(表面的には同じようでも)根本的に変わってしまう、ということが生演奏・DAWを問わず様々なジャンルで起きてくるのではないかという気もする。

 

註4

このようなジャンルの発展に伴う初期衝動とスポーツ化とのせめぎ合い(いわゆる「初期デスメタル」と「ブルータルデスメタル」の違い、支持層の間にある溝など)については拙ブログのCRYPTOPSYの項を参照

https://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/04/131054

 

 

 

 

Ulcerate:Stare Into Death And Be Still(2020.4.24)

 

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 前項のBLACK CURSE(に関する連続ツイート)で詳説したraw-fiサウンド(ライヴの爆音の身体的衝撃/快感を可能な限り損なわず録音作品に捉えるための生焼き的にきわどい音作り)およびそれを活かすための単音フレーズ中心のリフ進行は確かにデスメタルの主流のひとつだが(バンドによっては聴き取られることを期待せずに「不協和音+劣悪な音質」という組み合わせを選ぶ場合も少なからずある)、それとは別に、複雑な和声構造や速く入り組んだメロディ進行を明確に伝えるために比較的クリーンな音作りをするテクニカルなバンドも存在する。GORGUTSが1998年に発表した歴史的名盤『Obscura』はその好例だし(註5)、それに影響を受けたバンド群もそうした性質を程度の差こそあれ引き継いできた。今年発表されたアルバムでいえば、ASEITASやPYRRHON、NERO DI MARTEなどはいずれも稀有の達成をしていたし、こちら方面で最高のバンドという定評のあるULCERATEも素晴らしい作品を届けてくれた。4年ぶりの新譜となったこの6thフルアルバムはギタートリオがマーラー交響曲を歌い上げるような音楽性で、薄暗くくぐもりながらも各パートの動きを明瞭に見通せるように磨き抜かれた音作りの助けもあって、高度に入り組んだ楽曲構造や演奏の全てを快適に吟味できるようになっている。クリスチャン・スコットやBohren und der Club of Goreのような近年のジャズにインスパイアされたという手数一辺倒にならないドラムスは特に興味深い。超絶技巧を全開にしながらもそれらを一切無駄撃ちせず伝える意欲と配慮に満ちた傑作。

 

 

詳しくはこちら:

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1253645537363914752?s=21

 

 

註5

GORGUTSの絶対的リーダーであるLuc Lemayの音楽遍歴については拙ブログで詳説

https://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/04/131420

 

 

 

 

GreVlaR:Disposal of Unhumankind(2020.3.10)

 

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 前2項では現在の「デスメタル」というカテゴリにおける基本的な在り方についてふれたが、その黎明期はこうした傾向から外れるミュージシャンも多かった。ジャンルが形を成し始めた80年代末頃のデスメタルは音楽的には殆ど何でもありで、スタイル形成の母体となったスラッシュメタルの型を土台としながらも他の様々な音楽要素を無節操に取り入れ個性を確立しようとする風潮があった。それにあたっては自身の演奏技術では手に負えない難度のフレーズに取り組む者も多く、CARCASS(註6)のドラマーだったケン・オーウェンなどはそういう無茶をやるからこそ生み出される唯一無二の味わいで後続に絶大な影響を与えた。前2項で示したような(技術的洗練を要する)傾向はこの時点ではあまり固まっておらず、そこから外れる破天荒な個性をもつものが多かったわけで、それがいわゆる初期デスメタルの魅力に繋がっていた面も少なからずあったのである。

ただ、ジャンルが歴史を重ね「こういう音楽をやるにはこれくらいの技術が必要だろう」ということが予め想定できるようになってしまうと、それがある種の参入障壁になり無謀な挑戦をする新人が現れにくくなる。IMPERIAL TRIUMPHANTのリーダーであるイリヤの発言「デスメタルも好きなんだけど、自分にとってデスメタルは常にブルータルさ(残忍さ)と技術的熟練が必要で、それに対してブラックメタルは自分が良いか悪いかなんて気にせず、自分達が目指す雰囲気を表現するだけなのがいい」(註7)はそうした状況を言い表したものでもあるだろう。現在のブラックメタルの直接的なルーツと言える90年代前半のノルウェーシーン(いわゆる2nd Wave of Black Metal)も音楽的に何でもありという点では初期デスメタルと同様だが、デスメタルの技術志向を否定するところから出発している面もある(その上で驚異的にテクニカルなプレイヤーが素人レベルのプレイヤーと当たり前のように組んで活動しているのが面白い)ブラックメタルは参入にあたっての敷居が圧倒的に低い。一人多重録音で制作を完結するミュージシャンがブラックメタルには非常に多いのにデスメタルにはあまりいないのも、前者の個人主義傾向が強い(註8)という以前に、各々のジャンルにおいて意識される技術水準に大きな違いがあり、デスメタルの各楽器に期待される技術を個人が生演奏で網羅しきるのは困難だという事情が関係しているのではないだろうか。デスメタルは極端で反社会的だというイメージを抱かれやすいけれども、音楽のテーマとしては確かにそうでも演者のパーソナリティはそうでない場合が多い。卓越した技術を時間をかけて磨き上げる勤勉さ、他者とバンドを組んで活動するためのコミュニケーション能力など、デスメタルはある程度の社会性がないと続けられない音楽なのである(註9)。

 

 しかし、そうした状況を踏まえてもなお以上のような傾向から外れるミュージシャンやバンドも存在する。コズミックデスメタルの始祖として再評価が進むTIMEGHOULが1992年に発表した1stデモ(このバンドが活動中に制作した音源は2枚のデモのみでそれらはともに名作)にギタリストとして参加したマイク・スティーヴンス(註10)はその数少ない好例で、この人は現在GreVlaRという名義で“ひとりデスメタル”活動を行っている。近年まで(少なくともメタルの領域では)CAUSTICというバンドのデモ1作を除きミュージシャンとしての記録を殆ど残してこなかったマイクは、2014年に始動したというGreVlaR名義での1stフル『Levitating Phosphorescent Orbs』を2018年末にリリース、今年になってからは3月に2ndフル『Disposal of Unhumankind』を、そして9月には3rdフル『Cloud of Death』を発表するなど何かのスイッチが入ったように活発な活動を開始。その音楽性はCHROMEがPESTILENCEやGORGUTSを演奏しているような感じで、艶やかだが荒々しい演奏および音作りで特殊な音進行を録り整えずに放り出したようなサウンドはアシッドフォーク的脱力感と初期デスメタル的な無鉄砲さを濃密に同居させている。後期CARBONIZED(註11)にも通じる怪しい力加減は“個人のクセやヨレが複数パート間で共有され足並みはともかく息は合う”一人多重録音だからこそ可能になると思われるもので、AMON DÜÜLやSPKなどにも通じるプリミティヴなコミューン~インダストリアルノイズ的パートが醸し出す異様な雰囲気も含め、初期TIMEGHOUL的なコズミックデスメタルの流れにありながらもここでしか聴けない謎の個性を確立している。GreVlaRのこうした音楽性はこのジャンルのマニアであっても初めて聴いたときは当惑すること必至だが、Sci-Fi Metal(SFメタル)とも言われるこの手の音楽スタイルの始祖であるVOIVODがバンド全体として似た感じの“在り方レベルで浮いた感じ”をまとっていたことを考えれば、ある面では本当の意味での正統後継者と言えるのかもしれない。自分は「変態を自称する者の99%は表面的に奇を衒っているだけで在り方としては凡庸」「何かを“変態”と評すのは表面的な奇妙さに気をとられている状態または具体的に読み込み理解するのを放棄する姿勢の表れで好ましくない」と考える立場で、異様な見かけをしたものを軽々しくアウトサイダーアート的に扱い好奇の目をもって距離を置きつつ楽しむようなことは極力避けたいと考えているのだが、このGreVlaRに関しては“本物”と言わざるを得ない凄みと説得力を感じる。30年にわたり我が道を行くミュージシャンがデスメタルというアートフォームを選んだ(選んでしまうことができた)からこそ可能になる稀有の傑作群といえる。

 

 以上のような“アウトサイダーアートとしてのデスメタル”枠に入りうる今年の作品としてはOKSENNUS(註12)やKhthoniik Cerviiks(註13)も凄かった。黎明期と比べれば定型的なバンドの比率が増えてくるのはどんなジャンルでも避けられないわけだが、その上でいまだに豊穣の海としての面白さを多分に残し続けている素晴らしい領域だなと実感させられる。

 

 

註6

CARCASSについてはこちらで詳説

http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/04/120134

 

註7

ech(((10)))es and dust「INTERVIEW: ZACHARY ILYA EZRIN FROM IMPERIAL TRIUMPHANT」

(2020.8掲載)

https://echoesanddust.com/2020/08/zachary-ilya-ezrin-from-imperial-triumphant/

 

註8

DIES IRAEブラックメタル対談2020」における以下のやりとりはブラックメタルデスメタルの傾向の違いをよく表しているものだと思う。

 

こるぴ:ファンジンを作ってる方の経験でも、海外のバンドのインタビューを取り付けるのが一番大変で苦労するって仰っていました。デスメタルの方はどうですか?

ゲルマニウムデスメタルの方はみんなファンジン好きなので、中の人もやってるし。全然やってくれるっていうか、凄い良い人が多いんですよ。ブラックメタルの排他性とはちょっと違う感じです。

田村:ブラックメタル界は変人が多い(笑)

こるぴ:基本的に、人間嫌いですからね。

ゲルマニウム個人主義な人が多いというか。(後略)

 

https://blog.livedoor.jp/needled_2407/archives/52206579.html

 

註9

卓越した技術と異様な発想力を持ってはいるが人付き合いは得意でなくアルバムごとにメンバー交代を生じさせてしまうワンマンリーダー的ミュージシャンも少なからず存在し、個人の能力が突き抜けて優れていれば社会性がなくてもバンド形態の活動を続けてしまえることを実証している。PESTILENCEなどはその好例だろう。

http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/04/162431

 

註10

Metal Archives - Mike Stevens

https://www.metal-archives.com/artists/Mike_Stevens/103110

 

註11

CARBONIZEDについてはこちらで詳説

http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/04/120520

 

註12

OKSENNUSについてはこちらで詳説した。ここ2年の作品についてはここではふれていないが、メタル要素を大幅に減じたり1人ユニット化したことなどもあってか更に訳のわからない方向(作品によって仕上がりが全然異なる)に進んでいて本当に凄い。

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1008674359953592320?s=21

 

註13

Khthoniik Cerviiksについてはこちらで詳説

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1289907528311087105?s=21

 

 

 

 

Azusa:Loop Of Yesterdays(2020.4.10)

 

f:id:meshupecialshi1:20201229001721j:image

 

 本ブログが2015年3月9日に立ち上げた(かなり網羅した上で現在は停止中の)企画『プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界』の冒頭(註14)には以下のような宣言文がある。本項と直接関わってくる内容なのでまずはそれを引用させていただきたい。

 

 

この稿では、いわゆる「ヘヴィ・メタルの様式美」から大きく外れた、高度で個性的なメタルについて紹介しています。

 

ヘヴィ・メタル」というと、80年代初期に音楽メディアなどによって付けられた印象の名残から「ワンパターンで変化のない音楽」というイメージがありますが、実際は全くそんなことはありません。

ある種の硬く肉厚な音作り(特にギターやドラムスの質感)さえ備えていれば、どんな音楽性であっても「メタル」扱いされるものになり得ます。実際、「メタル」シーンで語られる音楽の中には、ハードコアパンク寄りの躍動感を持つ(体を突き動かす)ものから、アンビエントに流れていく瞑想向きの(フィジカルには殆ど作用しないがメンタルに効く)ものまで、ありとあらゆるスタイルのものが存在します。

そういう意味で、「メタル」シーン(特に'90年付近)の音楽的広がりは、「ロック」シーン全体の最盛期としてよく語られるプログレ('70年代)やオルタナ('80年代)のシーンにも匹敵します。技術と個性を高度に両立したバンドが数多く存在し、音楽史上においても屈指といえる傑作が量産されているのです。

 

また、特に「テクニカル・スラッシュメタル」「プログレッシヴ・デスメタル」と呼ばれるシーンは、ある意味「音楽的に成功したフュージョン」と言えるものでもあります。

70年代以前のいわゆる「モダン・ジャズ」のシーンで(Miles DavisJohn Coltraneなどによって)道筋のつけられた音楽理論は、それ以後のいわゆる「フュージョン」シーンにおいて、より高度で複雑なものに発展させられました。しかし、それを使う人の多くは、「複雑だが教科書的な」「“自分の頭で考えない”」ワンパターンな音楽しか生み出せず、音楽的必然性の伴わない衒学をこねくりまわすような傾向に陥ってしまいました。「フュージョン」が「凄いけど魂がない」「お洒落だけどつまらない」と言われがちなのは、そういうところに大きな理由があるのではないかと思われます。

そうした「フュージョン」のシーンが一通り発展し硬化した(限られたパターンの「様式美」を使い回す傾向に縛られるようになった)後に、全く別のところから現れたのが、先に述べたような「テクニカルスラッシュ」「プログレデス」の流れです。フュージョンプログレにおいて得られた音楽的収穫を、優れたアイデアをもって個性的に使いこなしているバンドが多く、ある意味、そうしたシーンの“正常進化”形とさえ言えるのです。

例えば、Ron Jarzombek(WATCHTOWERほか)は、John ColtraneMichael Breckerなどによって掘り下げられた複雑なコードワークを独創的なものに仕上げ、“教科書的なつまらなさ”のない個性的な音楽を生み続けています。

また、CYNICやMESHUGGAHのようなバンドは、Allan Holdsworthが殆ど独力で編み出した無調的な音遣い感覚を独自に発展させ、後進に大きな影響を与えるだけでなく、同じ方向性で超えることが不可能と思えるくらい傑出した作品を生み出しました。

このシーンにはそういう偉業を成し遂げたバンドが数多く存在し、「1バンド1ジャンル」といえる様相を呈しています。音楽的興味深さと表現力の豊かさをハイレベルで両立しているという点では、モダンジャズやブラジル音楽の全盛期にも劣りません。掘る価値の高い、金脈と言えるシーンなのです。

 

この稿では、「メタル」というジャンルの外からも中からも注目されづらいそうした優れたバンドについて、歴史的な流れを踏まえつつ網羅しようと試みています。

 

 

ここでふれた歴史的な流れは今読み返しても誤りでないと思うが、いわゆるプログレッシヴデスメタルやその(MESHUGGAHに絶大な影響を受けた上での)発展形であるジェントが今なお「教科書的なつまらなさのない個性的な音楽」であり続けることができているかというと疑わしい部分も多い。60年代末に同時多発的に発生したジャンル越境的なロック周辺バンド群に共通する在り方、すなわち既存のフォームを打ち破ろうとする姿勢を指していう「プログレッシヴ」という言葉と、そうしたバンド群に影響を受けたRUSH(註15)やDREAM THEATERなどが魅力的な形で確立した変拍子のキメ連発+シンフォニックなアレンジといった具体的な音楽スタイルを指す「プログレッシヴ」という言葉の意味は大きく異なり、革新と保守という立ち位置についていえば真逆とすら言える。メタル領域で用いられる「プログレッシヴ」が殆どの場合後者を指しているのをみればその言葉を冠するメタル(プログレッシヴメタル、プログレッシヴデスメタルなど)が限られたパターンの「様式美」を使い回す傾向に縛られるようになっていくのは自然な流れなのだろうし、上記のような「プログレッシヴ」が指す対象の変遷は先に引用した「テクニカル・スラッシュメタル」「プログレッシヴ・デスメタル」のシーンにもそのままあてはまる。ジャンルの黎明期の方が確立期よりも縛りの少なさの面では恵まれがちになるこうした傾向は音楽に限らずあらゆるものに通じる話だと思うが、「プログレッシヴ」と冠されない領域のデスメタルが近年は黎明期に通じる豊かさを非常にわかりやすいかたちで取り戻してきているのに対し、「プログレッシヴ」という“形容”がつきまといそれを意識せざるを得ないタイプのメタルが良くも悪くもかつてのフュージョンと同じような隘路に陥っているのをみると、ジャンルの名前はそこに関係する音楽の在り方に少なからず影響を与えるのだなということを実感させられてしまう。もちろん「様式美」にも重要な側面はあり、それを土台にすることで初めて未踏の境地が開拓可能になる場合もあるので、上記2つの「プログレッシヴ」のどちらの価値が上だとか一概に決めることはできない。ただ、革新的であろうとしているつもりでも在り方のレベルでみればどちらかと言えば保守的だったり、表面的には伝統的な要素を散りばめていて一見保守的にみえても根本的な姿勢は革新的だったりする場合もあるわけで、そのあたりはよく読み込まれなければならないのだと思う。

 

 AZUSAは以上2つの「プログレッシヴ」の要素を併せ持つバンドで、メンバーの中では最も知名度の高いLian Wilsonが在籍していたTHE DILLINGER ESCAPE PLANの系譜として紹介されることが多いが、実質的にはEXTOL(註16)のメンバー2名、特にドラムスのDavid Husvikが長年培い引き継いできた音楽スタイルが土台になっている。今年発表した2ndフルアルバムの音楽性は中期DEATH(註17プログレッシヴデスメタルを世に広め現在の定型を生んだという点では最大の立役者のひとつ)をKINGS Xやジョニ・ミッチェル経由でTALK TALKあたりに接続したような感じで、高速変拍子キメの機能的快感と摩訶不思議な音楽的豊かさを非常に聴きやすいかたちで両立するそのさまは、CYNICが歴史的名盤1stフルの後に試みた音楽性(1993年製作のデモ『Portal』で雛型は作られたものの正規のアルバム制作にはつながらなかった)をここにきて結実させたかのような趣もある。未知の領域を開拓し続けようとする意欲と自身の得意技(それを「様式美」ということも可能だろう)を磨き発展させ続けようとする姿勢が理想的なバランスで両立された傑作。人脈的に繋がりのあるMANTRIC(こちらも非常に優れたアルバムを今年発表)とあわせて注目されてほしい素晴らしいバンドである。

 

 

詳しくはこちら:

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1250045376775598080?s=21

 

 

註14

拙ブログ『プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界』(今となっては微妙な名前だと感じるが扱う対象の示唆という意味では悪くないとも思う)序文

http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/03/155449

 

註15

RUSHの音楽性についてはこちらを参照

http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/03/163257

 

註16

EXTOL~LENGSEL~MANTRICについてはこちらで詳説

http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/05/113635

 

註17

プログレッシヴデスメタル」と呼ばれる時期のDEATHについてはこちらで詳説

http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/03/170330

 

 

 

 

 

 

懐古と革新の場としてのヘヴィ・メタル

 

 

Eternal Champion:RAVENING IRON(2020.11.20)

 

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 BLACK CURSEの項でも少しふれたように、近年いう意味での「メタル」のスタイルは70~80年代の「ヘヴィ・メタル」とは別物であることが多く、この領域全体を網羅する用語として使われることが多かったHR/HM(Hard Rock / Heavy Metal)という言葉も今の「メタル」を指し示すものとしてうまく機能しなくなってきているように思う。これは90年代以降のブラックメタルメタルコア分水嶺とした楽曲の音進行傾向(特にブルース成分の多寡)に関する世代的な好みの違い(註18)も関係しているだろうし、もっと単純にいえばサウンドの激しさの違いによるところも大きいだろう。例えばLED ZEPPELINは、60年代末では同時代のロックの中でもずば抜けてヘヴィで勢いのあるサウンドを出していたために理屈抜きに刺激的なものとして受容され、それに惹かれたファンが積極的に繰り返し聴くうちに固有の複雑な味わいを理解してしまうということが起こりやすかっただろうが、エクストリームメタル登場以降の激しさ基準に慣れた耳で接すると「派手じゃないし味もよくわからない」となりなかなかハマれないことも多いだろう。先述の世代的な好みの違いにはおそらく80年代後半のスラッシュメタル登場~デスメタル/グラインドコアへの発展も大きく関与していて、この時期にロック一般の激しさ基準(特に速さ、次いで低域の強さ)が急激に引き上げられたことが上記ZEPのような世代間の反応の違いを生み、それ以前と以降とでの「メタル」一般のイメージの変化を導いた面は少なからずあるのではないだろうか。JUDAS PRIEST註19)は1990年に発表した何度目かの歴史的名盤『Painkiller』でこの最大の分水嶺を越えることに成功した(だからこそ今でも広い世代から崇拝される)のだが、いわゆるヘヴィ・メタル(Metal Archivesのジャンル表記では“Heavy Metal”はメタル全体でなく限定的なスタイルを指す)的な「様式美」の代表格として挙げられるIRON MAIDENのようなNWOBHMNew Wave of British Heavy Metal)やDEEP PURPLE~RAINBOW~イングヴェイ・マルムスティーン系列のハードロックはそうではなかった。一口に「様式美」といってもその全てがいつまでも広く継承されていくとは限らないし、こうした流行り廃りの面からみても、「メタル」は様式美的で変化のない音楽だというのは不適切な面もある(十分なリサーチをせずに古いクリシェだけで語る姿勢が垣間見える)言説なのである。

 

 以上のような経緯を踏まえた上で興味深いのが、一度は隆盛を極めながらも80年代後半にはメインストリームからは完全に脱落したNWOBHM系譜の音楽性がここ数年で再び脚光を浴びていることである。もともとこのスタイルはあまり注目されなくなった時期でもその唯一無二のテイストを好むバンド群によって熱心に採用され続けており、MANILLA ROADやCIRITH UNGOLに代表されるエピックメタルのようなNWOBHMの型を直接引き継いだ(その上で発祥地イギリスとは異なるアメリカならではの感覚で改変した)ものだけでなく、80年代以降のBLACK SABBATHやCANDLEMASSをはじめとするエピックドゥームなど、系譜としては少し離れたものも併せてアンダーグラウンドシーンで確かに継承されてきた感がある。今年も含めここ数年のベストアルバム記事で取り上げられることが多いSPIRIT ADRIFTやCRYPT SERMONなどは明らかにこうした音楽的蓄積を引き継いでおり、過去の名盤群からインスピレーションを得つつ現代的なサウンド基準のもとで独自の境地を開拓してきた。ETERNAL CHAMPIONもそうしたバンド群に並ぶもので(註20)、2016年の1stフルではマニアの熱い注目を浴びるに留まっていたのが今年発表の2ndフルで完全にブレイクした感がある。

 

 2ndフルに関する今年のインタビュー(註21)によれば、ETERNAL CHAMPIONは(MANILLA ROADやCIRITH UNGOLは当然として)FATES WARNINGやMORGANA LEFAYのようなプログレッシヴなパワーメタル、CRO-MAGSやTHE ICEMEN、RAW DEALのようなNYハードコアからも影響を受けているという。本作を聴いてまず驚かされるのがNWOBHMパワーコード歌謡感覚を引き継ぎながらも極めて変則的に捻られたフレーズ構成で、特に1曲目「A Face in the Glare」の冒頭を飾る長大なリフはBLIND ILLUSION(註22)あたりにも通じる魅力的な引っ掛かりに満ちている。また、ミドル~スローテンポでどっしり構えつつ躍動する“stomping”なアンサンブルはNYハードコア的なバウンス感を絶妙な形で活かしており、テンポによってはオールドスクール寄りのヒップホップスタイルに通じる魅力的なグルーヴを醸し出している。とにかくこのバンドは(ボーカルも含め)演奏がうまい上に曲も良く、紹介時に必ずと言っていいくらい引き合いに出される所属メンバーBlake Ibanez(本作には不参加)の兼任バンドPOWER TRIPをも上回るジャンル越境的なエッセンスを滲ませる作り込みが素晴らしい。NWOBHM~エピックメタルの妙味を知り尽くした上でスピードメタル~テクニカルスラッシュの名バンドにも並ぶねじれを加える作編曲は極上で、こちら方面のマニアを唸らせる味わい深さとそんなこと関係なく広い層に訴求するインパクトを両立している。「様式美」を踏まえたからこそ到達できる個性の高みにある一枚で、DECIBEL誌の年間ベスト(註23)で2位を獲得したのも納得の傑作。SpotifyApple Musicのようなサブスクリプションサービスには配信されていないためあまり聴かれていない感があるのが勿体ない。Bandcamp(註24)では全曲試聴可能なのでぜひそちらでチェックしてみてほしい。

 

 

註18

この記事のDARKTHRONEの項で詳説

https://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2019/12/29/202217

 

註19

JUDAS PRIESTの“正統派だが流行も積極的に取り込む”姿勢および活動歴はこちらの連続ツイートで詳説した。こうして考えてみるとJPこそ「懐古と革新」を最も体現してきたバンドと言っていいのかもしれない。

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/878289203125080065?s=21

 

註20

バンドのコンセプトの背景に関してはこちらの『メタル好きがメタルのCDについて書くメタルのブログ』に詳しい

(2016年11月21日掲載)

http://blog.livedoor.jp/sss_metal/archives/67067426.html

 

註21

FORGOTTEN SCROLL:INTERVIEW with ETERNAL CHAMPION

(2020年11月1日掲載)

https://www.forgotten-scroll.net/metal-interviews/interview-with-eternal-champion

 

註22

BLIND ILLUSIONについてはこちらで詳説

http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/03/170612

 

註23

DECIBEL「SPOILER: Here Are Decibel`s Top 40 Albums of 2020」

https://www.decibelmagazine.com/2020/11/12/spoiler-here-are-decibels-top-40-albums-of-2020/#

 

註24

Bandcamp – ETERNAL CHAMPION

https://eternalchampion.bandcamp.com/album/ravening-iron

 

 

 

 

Rebel Wizard:Magickal Mystical Indifference(2020.7.10)

 

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 ETERNAL CHAMPIONの項では既存の「様式美」を踏まえた上で様々な要素を注入しそれを現代的にアップデートする動きについてふれたが、その音楽性の土台には特定のフォームに対する思い入れがまずあり、それをいかに強化し訴求力の高いものにしていこうかという心の動きがあるように思われる。言い換えれば、ジャンルに対する忠誠心がまずあり、それを盛り立て復権を願うことが自身の表現志向とそのまま一致しているから作品の“純度”は損なわれないものの、そこで大事なのは自由度よりも型の方であり、前提条件を越えて我を押し通そうという自由さや柔軟さは(少なくともそのバンド名義の括りの中では)あまりない。これは多くの真摯なメタルミュージシャンに共通する良くも悪くも真面目で頑固な性質なのだが、数は少ないとはいえそうした傾向から外れる者も確かに存在する。別項でふれるLUGUBRUMやULVERはその極端な好例だし、この項で扱うREBEL WIZARDもそれらに比べれば音楽スタイル上の縛りが強いとはいえ似た傾向を持っていると思われる。

 

 REBEL WIZARDはオーストラリア人ミュージシャンBob Nekrasov(註25)の一人多重録音プロジェクトで、音楽性としてはブラックスラッシュ(1st Waveと2nd Waveの間に位置するようなスラッシュメタル寄りブラックメタル)に連なるスタイルをコンセプトとし続けている。しかし、その音楽的バックグラウンドは異常に広汎で、メタルに限らずあらゆるジャンルを網羅しうる貪欲な消化吸収能力を窺わせる。インタビュー(註26)によれば、Bobが影響を受けたバンドやミュージシャンは以下の通りであるという。

 

  • MAN IS THE BASTARD、DISCHARGE、BOLT THROWER、CRASS

ハードコアパンクからデスメタルを経由してノイズなどアヴァンギャルドな方面に拡散するライン)

  • IRON MAIDEN、MERCYFUL FATE / KING DIAMOND、MY DYING BRIDE

NWOBHM系列の暗く抒情的なヘヴィ・メタルゴシックメタル

  • BURZUM、DARKTHRONE、SATYRICON

ノルウェー発2nd Wave of Black Metalの代表格のうち特にプリミティヴ/ミニマルなもの)

  • LAST GASP、BORN AGAINST、ECONOCHRIST、INFEST、RORSCHACH、DROP DEAD

(ファストコアからいわゆるパワーヴァイオレンス(スラッジコアに高速パートを加えたような重くギアチェンジの多いスタイル)に至る激しいハードコアパンク

ジョン・ゾーンをも上回る越境志向のミュージシャン/プロデューサーでP-FUNK人脈とNAPALM DEATH人脈を組み合わせたバンドを組んだりもしている)

  • MERZOW、BIZARRE UPROAR

(ノイズ~パワーエレクトロニクス

プログレッシヴロック~フュージョン寄りの超絶テクニカルギタリスト)

(近現代クラシック~現代音楽の作曲家)

  • ブルース・ディッキンソンの『Accident of Birth』でメタルに戻ってきた
  • ヒップホップからの影響もある
  • マイケル・ジャクソンの『Bad』ツアー(1987~1989、ギタリストはジェニファー・バトゥン)に行き衝撃を受けた
  • ホラー映画のサウンドトラック

(NEKRASOV名義にとってはアンビエントやノイズ系統の音楽よりもこちらからの影響が大きいとのこと)

 

というように音楽的にはほとんど何でもありで、実際もうひとつの一人多重録音プロジェクトNEKRASOVではインダストリアルブラックメタルからロック色ゼロのシンフォニックなノイズ/アンビエントに至る電子音響を追求している。こうした多名義活動や音楽的な棲み分けは実は2nd Wave以降のブラックメタルにおいてはそこまで珍しいものではなく、Vicotnik(DODHEIMSGARD、VED BUENS ENDE...ほか多数)やCarl-Michael Eide(VIRUS、VED BUENS ENDE...、AURA NOIRほか多数)を筆頭に数々のミュージシャンが同様のプロジェクト両立活動を行っている。ただ、それを鑑みてもこれほどの越境的振り幅を持っている個人は稀で、それをあえてREBEL WIZARDのような限定的なスタイルに落とし込み素晴らしい成果を挙げ続けてきたということまで考えれば唯一無二の存在なのではないかと思える。本作は最初のデモから数えれば7年目に発表された3rdフルアルバムで、音楽性を一言でまとめれば「ACCEPTやDESTRUCTIONがTHIN LIZZYやBLIND ILLUSIONを経由してBATHORYやUTUMNOに接続している」感じの90年代前半スウェーデン寄りな仕上がりだと言うことはできるものの、上記のような多彩すぎるエッセンスが端々に注入されることにより生まれる味わいは他のスラッシュメタル~ブラックスラッシュとは一線を画している。その意味で、REBEL WIZARDにおける「様式美」は他者との差異を際立たせるためのツールとして機能しており、ジャンルの型という縛りをかけていながらもむしろ作り手の自由な発想の方を映えさせているように思われる。このような関係性を成立させてしまうバランス感覚はまことに稀有なものだし、その在り方を具体的に読み込むのは比較対象を大量に知るマニアでなければ難しいが、優れた引っ掛かりとわかりやすさを両立したキラーフレーズばかりが飛び出してくる楽曲および演奏は、そんなことを全く考えなくても惹き込まれる理屈抜きの楽しさに満ちている。現時点ではBandcampで音源を掘る習慣のある人以外には殆ど知られていないのが残念。広く聴かれるべき優れたアーティストである。

 

 

詳しくはこちら:

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1285962375724625926?s=21

 

 

註25

Metal Archives - Bob Nekrasov

 

註26

NO CLEAN SINGING:AN NCS INTERVIEW: REBEL WIZARD

(2018.8.15掲載)

https://www.nocleansinging.com/2018/08/15/an-ncs-interview-rebel-wizard

 

 

 

 

Dark Tranquillity:Moment(2020.11.20)

 

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 90年代中盤にスウェーデンフィンランドで確立され大流行、後の(昨今いう意味での)メタルコアの雛型にもなった「メロディック・デスメタル」(日本語略称のメロデス英語圏でも通用する)は、ブラックメタルと同等以上に昨今のメタルの定型に(メインストリームにおいては最も)影響を与えたスタイルなのだが、ほとんどワンパターンと言っていい音進行(半音をほとんど伴わないハーモニックマイナースケールによる起伏の大きい“泣きメロ”+素直なドミナントモーション)を繰り返すのに「様式美」と呼ばれることがあまりない。ということに自分は今初めて気付いたのだが、これは一体なぜなのだろうか?メタルにおける様式美といえばIRON MAIDENみたいなやつという図式というか固定観念が出来上がっていてそれ以外のものはどれだけ多用されているスタイルでも「様式美」と認識されないから?または、その「多用されているスタイル」が実際に多用されていることを「メタル=様式美」という考え方をしたがる(主にメタル外の)人はリサーチしておらず知らないから?そしてそれは、メロデスメタルコアのような一応エクストリームメタル領域に属する音は「メタル=様式美」判定をするような人には届きにくいから?などなど、様々な理由を考えることはできるが実際のところはよくわからないし検証も必要である。ただ、これと関連して言えることもあって、ETERNAL CHAMPIONの項でふれたような「様式美」の流行り廃りは個別のカテゴリでいえば確かに存在するけれども、それらの影響関係を考えれば各々は完全に途切れているわけではなく、長期的に俯瞰すればむしろその多くが連続しているとみることもできるのである。例えば、BLACK SABBATHのようなブルースロックが欧州のハードコアパンクスラッシュメタルを経由してブラックメタルにおける音進行の定型を導く流れ(註27)があるし、IRON MAIDENのようなNWOBHMの粘りある音進行が19世紀クラシック音楽的な和声感覚ですっきり解きほぐされてHELLOWEEN以降のメロディックパワーメタルメロディックスピードメタルを生み、それに影響を受けた北欧のデスメタルシーン出身バンドが先述のようなメロディックデスメタルの音進行を形成する流れもある。つまり、70~80年代のメタルと現在のメタルは大きく異なる形態をとり、世代間の好みの乖離を生むくらい味わいの質も違うのだけれども、その成り立ちには通じる部分があり、歴史的にも確かに接続されている。「メタル」は様式美的で変化のない音楽だというのは不適切な面もある言説だが、「様式美」のかたちを変えながら存続してきた音楽と言えばあながち誤りでもないのである。こう考えてみると「メタル」全体における各サブジャンルの存在意義や位置関係が改めてよく見えてくるし、歴史的つながりを把握することで個々の作品の理解が深まりより楽しめるようになることもよくわかる。メタルファンがジャンルの歴史を学ぶのを好みがちなのは、メタル関係のメディアがそうした学びをしやすいような道筋をつける作業を伝統的に繰り返してきたのも大きいが、そうやって学ぶことで歴史的集積を背負った存在としてのメタルバンドをよりうまく味わえるようになることを感覚的に知り味を占めるようになるからでもあるのかもしれない。

 

 DARK TRANQUILLITYスウェーデンメロディックデスメタルスタイルを築き上げた創始者的バンドの一つだが、次世代以降のメロデスバンドやメタルコアバンドが陥りがちな(爽快で即効性が強いがワンパターンな)定型に捉われることがほとんどなく、IRON MAIDENとHELLOWEENの間にある音進行感覚をスウェーデン流に料理した上でゴシックメタル経由でDEPECHE MODEに接続するようなスタイルを様々な角度から構築してきた。今年4年ぶりに発表された12thフルアルバムはそうした音楽性が何度目かの完成をみた傑作で、渋く煮え切らないが決して中途半端ではない味わいがどこまでも薫り高い。どちらかといえば地味な印象を持たれがちだが、メタルに限らず他のどんな音楽にも出せない唯一無二の雰囲気をまとっている。広く聴かれてほしいバンドである。

 

 

こちらの連続ツイートでは全作品について詳説:

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1330924273431547906?s=21

 

 

註27

拙ブログ:「ブラックメタル」のルーツを探る(欧州シーンを通したブルース感覚の変容)

http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2015/03/27/050345

 

 

 

 

Sweven:The Eternal Resonance(2020.3.20)

 

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 ここまでの7つの項ではメタルシーンにおける「様式美」やそれを取り巻く歴史的営為について様々な角度からふれてきたが、その上で改めて確認しておきたいのが、「様式美」それ自体は良いものでも悪いものでもないし、表面的に「様式美」的に見えるからといって根っこの部分がありきたりであるとは限らないということである。作品の面白さや味わい深さを決めるのは「様式美」よりもその扱い方や関係性のほうだし、既存の「様式美」に似た姿をしていてもそれは自分で一からスタイルを構築した結果たまたま似た形になってしまっただけなのかもしれない。SWEVENが今年発表した1stフルアルバム『The Eternal Resonance』はそうした在り方の好例で、NWOBHMを北欧のエピックドゥーム~ヴァイキングメタルに寄せたようなスタイルをとってはいるが、成り立ちのレベルでは異なる部分も多いのではないかと思われる。紆余曲折を経て別の複雑なルートを探索した結果、欧州のメタル周辺音楽ならではの最適解のひとつとして似たところに到達したという趣もあるのである。

 

2010年代における初期デスメタルリバイバルを先導したスウェーデンのバンドMORBUS CHRONは、2014年発表の2ndフル『Sweven』でAUTOPSY~スピードメタル~NWOBHM系列~ブラックメタルと繋がる様々な要素をモザイク状に混ぜ整えることで前人未到のコズミックデスメタル的傑作を生み出した。バンドはこのあと音楽性の違いを理由に解散してしまうが、同作の路線を主導した中心人物Robert Anderssonは2015年から後継となる作品の制作を始め、それと並行して正規の音楽教育を2年間受けつつ数年かけて大部分のアレンジを一人で構築。SPEGLASというデスメタルバンドのメンバー2名を含む3人で果てしないリハーサルを重ね、エレクトリックギター弾き語りを3層重ねたような(ボーカルこそ唸り声ではあるが)穏やかでメロディアスなメタルアルバムを完成させたのだった。SWEVENのこうした音楽性は表面的には80年代のハードロック/ヘヴィメタルに似た部分も多いが、それは学びを経た上での様式美の再発明とでも言うべきものであり、メタル以前のルーツである欧州トラッド的なものへの回帰志向や、エクストリームメタルなどで培われた現代的な感覚を注入し新たなスタイルを確立せんとする気概に溢れている。豊かな音楽要素が柔らかく融けあう本作の驚異的な展開にふれると、懐古と革新が両立されることもある、両立することができるということを実感させられる。静謐ながら異様なオーラに満ちた素晴らしい作品。あまり注目されていないのが勿体ない傑作である。

 

 

詳しくはこちら:

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1247821725879816192?s=21

 

 

 

 

 

ジャンル間の溝

 

 

Lugubrum:Plage Chômage(2020.2.1)

 

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 ここまでふれてきたバンドはいずれも多かれ少なかれ音楽的な「型」というものを意識しそれを磨き上げることで足場を重ね前進していくものばかりで、「(ジャンル内の)歴史的集積を背負った存在としてのメタルバンド」ということを考えればそれは当然の在り方でもあるのだが、もちろんそういうところから完全に逸脱するものも稀だが存在する。オランダ人Midgaarsとベルギー人Barditusによりベルギーで1992年に結成されたLUGUBRUM(註28)はいちおうブラックメタルの系譜にあるバンドとして扱われているが、初期はノルウェーシーンと軌を一にするようなプリミティヴ寄りブラックメタル(DARKTHRONEがブラックメタル化した歴史的名盤2ndフル『A Blaze in the Northern Sky』が1992年発表なので時期的にはタイムラグがほぼなく非常に早い)をやっていたものの、作品を発表するほどに独特な要素が増えていき、2000年代に入る頃には、70年代ジャーマンロックやTHE GRATEFUL DEADのような長尺ジャムロック、そして70年代マイルス・デイビス(いわゆる電化マイルス)にも通じるアンビエントで混沌とした音楽構造を形成。歌詞世界の表現もそれに対応するかのように変則的なものとなり、最大のテーマは飲酒およびそれに伴う酩酊感覚(良い意味でも悪い意味でも)、そこにベルギーの植民地としてのコンゴやナポレオンのシリア戦役のような歴史の闇を絡めアフリカ~中東的な音楽要素の導入に説得力を持たせるということもやっている。Barditusが脱退してLUGUBRUM TRIO名義になった2014年以降の活動もそれまで以上に興味深く、2015年発表の11thフル『Herval』ではBLACK SABBATH経由でブラックスラッシュとアフリカ音楽(マリやセネガルのような西アフリカのアフロポップに通じる響きが多い)を接続、2017年の12thフル『Wakar Cartel』はブラックスラッシュとポストパンク~インダストリアルを連結し脱力感をもって解きほぐしたような感じ、そして今年発表の13thフル『Plage Chômage』はVOIVODとディアンジェロチェンバーロック経由で融合しダブやトラップに寄せたようなメタル色皆無の仕上がりになっている。こうしてみると音楽的には無節操の極みでアイデア先行型の考えオチばかりなのではないかと思われそうだが、多彩なスタイルをとっていながらもその根底には共通する音進行感覚が強固に貫かれていること、そして演奏がとにかくうますぎることもあって、全ての作品においてこのバンドならではの異様な説得力が生まれている。このような独特の音楽表現をバンド自身はブラックメタルならぬ“Brown Metal”と呼んでおり、これは“brown note”(「可聴域外の超低周波音であり人間の腸を共鳴させて行動不能に陥らせる」とされるが実在は証明されていない音)にならったものであるようなのだが、実際のところはよくわからない。ブラックメタルを強く意識しつつそこから距離を置き我が道を突き進みたいという考えの表れではあるのかもしれない。

 

 以上のような興味深すぎる音楽活動をやっているにもかかわらずLUGUBRUMの知名度は極めて低く、メタル領域の中でも全然知られていないのだが、そうした状況の背景には、ジャンル全体のコードとなり聴きやすさを担保する装置でもある「様式美」から完全に外れることにより理解されづらくなり、従って注目を浴びにくくなってしまうという構図があるように思われる。音楽性的にはむしろ他ジャンル(特にアヴァンプログレやポストロック)のファンにこそ歓迎されそうなのだが、メタルシーンの最深部で活動し外に情報が届きにくいため知られる機会があまりない。こうして“ジャンルの溝”にはまり込んでしまった凄いバンドは比率的には少ないながらもかなりの数存在し、メディアや多くのファンが好んで取り組む体系化から外れて発見されにくいポジションに定着してしまっている。しかし、そういうところにいるバンドでも紹介しようとする動きはあり、メインストリームからはアクセスしにくいものの行き着くルートが山道的に用意されていたりもする。自分がこのバンドを知ったのは掲示板型投稿サイト「HR/HMこの曲を聴け」(註29)を2007年頃に隅々まで読み込んでいたときで、同年発表の傑作8thフル『De ware hond』に感銘を受け、その後はリアルタイムで追いつつ今年のBandcamp配信開始(註30)もあって全音源をコンプリートすることができた。そのBandcampページで最新作13thフルを購入した者は60人(2020.12.28現在)しかいないことを考えると全作品を聴き通している人間はごく少数、というかもしかしたら自分以外いないおそれもあるわけだが、その自分の例が示すように、web上に簡単にでも情報を残していればそれが種となり誰か他の人が実を結ばせる可能性はある。自分が「プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界」や本稿のような記事を書いてきたのはそうやって情報を残し後世に伝えたいという意思(というか欲求)もあるからだろうし、BLACK CURSEの項の註に挙げたゲルマニウム氏(註31)やこるぴ氏(註8)をはじめとするブログの数々(インターネットが普及していない時代においては主にファンジン)も多かれ少なかれ似た動機から更新を続けてきたのではないだろうか。このようにして歴史を編みその一部となる志向はOSDMリバイバルなどにも通じるものでもあるし、そういう自発的な楽しみ~欲求が良い循環を生み出しメタルシーンを駆動・存続させてきた面は少なからずあるように思われる。ジャンルというものの成り立ちの得難さ面白さを改めて実感させられる次第である。

 

 

註28

LUGUBRUMについてはこちらで詳説

http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/05/203102

 

註29

HR/HMこの曲を聴け!』(現『この曲を聴け!』)LUGUBRUM関連ページ

http://hvymetal.com/2524.html

 

註30

Bandcamp - LUGUBRUM

https://lugubrum.bandcamp.com/album/plage-ch-mage-2020

 

註31

偏愛音盤コレクション序説「Best Metal Albums of 2020」

http://abortedeve.blog.jp/archives/1078437302.html

 

 

 

 

Ulver:Flowers Of Evil(2020.8.28)

 

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 1992年に結成されブラックメタルの歴史的名盤を複数残したULVER(註32)は1999年以降メタルから完全に離れており、電子音楽サイケデリックロック、エレクトロポップなど様々な形態に変化し続ける豊かすぎる活動遍歴はLUGUBRUM同様に“ジャンルの溝”にはまり込んでしまっている感がある。1stフル(最初期のポストブラックメタルとされる)および3rdフル(究極のプリミティヴブラックメタルの一つに数えられる)という2つの大傑作がメタル領域全体のオールタイムベストに入り続けるだろうことを考えれば、そもそも知られる機会自体がほとんどないLUGUBRUMに比べれば良い立ち位置にいるとも言えるが、その2枚の存在感があまりにも強すぎるために以降の作品群(雰囲気や味わいの質は共通するものの音楽形態的には比較しようのない部分も多い)が適切な角度から評価されない状態が長年続いているのをみると、初期のイメージに囚われるのは広報的に有利でも総合的には良いことなのか?と疑問に思わざるを得ないところはある。しかしその初期作品経由でメタル外の新たな世界に導かれる音楽ファンも存在しうるし、バンド自身にとってはともかく、シーン全体にとって良い面も確かにある。ジャンル外の人に布教し新たなファンを増やすためにはインターテクスチュアリティ(複数の文脈に関する知識およびそれらを接続する視点・解釈)が必要(註33)という話とも関連することだが、ジャンル外の音楽を聴かない傾向が続く限りメタルに関する議論や評論は広がらないし深まらない、従って先に進むこともできないし、大部分の大手メディアに最も欠けてきたのはそういう視野の広さや語り口といった根本的な部分のアップデートだったのではないだろうか(註34)。ULVERはそういう悪弊の影響を最も被っているバンドのひとつではあるが、その一方で、その悪弊を打破するための道筋を(本人達はもはやメタルに対する思い入れはそんなにないかもしれないが)つけてくれている存在でもある。近年のエレクトロポップス形態を引き継ぐ形で構築された16thフル『Flowers of Evil』(タイトルはボードレール惡の華』にちなんだもの、アルバムジャケットはカール・テオドア・ドライヤー監督の『裁かるるジャンヌ』(1928)の映画セットからのスチル写真)も以上のような意味において素晴らしい作品となっている。

 

 バンドのリーダーであるKristoffer Rygg(通称Garm)が本作およびバンドのヒストリー本『Wolves Evolve』出版に際し答えたインタビューでは、ポップスを意識した近年の音楽性について以下のような説明がなされている。

 

「(『The Assassination of Julius Caesar』に関連して、その作品が括られやすいジャンル“ダークウェーヴ”からの影響を問われて)個人的には影響を受けていない。そのタグは、僕らがメタルやポストパンクなどのダークなバックグラウンドを持っている事実からきているのかもしれないね。正直言って、僕はダークウェーヴを聴いているわけではないんだけど…他のメンバーは聴いているんだよね。もちろん、ダークなサウンドのポップミュージックで、主にシンセやプラグインを使って作られているんだけど、自分はいわゆるシンセポップもあまり聴いていないんだ(笑)個人的には、ULTRAVOXやHUMAN LEAGUREよりもROXY MUSICやブライアン・フェリー、デヴィッド・ボウイやグレイス・ジョーンズの方が好きだ。」

「普段あまりポップスを聴かない人が「あ、DEPECHE MODEに似ているな」と思ってくれるのは便利で、それはDEPECHE MODEがロックやメタルのファンの多くが共感できるようなダークなポップグループだからなんだろうけど、正直言って自分は当時DEPECHE MODEを聴いたことがなかったので、その名前が頻繁に出てくることに驚いている。」

「(同作が「これはシンセポップのレコードだ」と言われることについて)自分にとってシンセポップとはPET SHOP BOYSやERASUREのようなもので、そういうのはあまり聴いたことがない。自分達の音楽のポップさは、TEARS FOR FEARSTALK TALKといったグループとか、EARTH, WIND & FIREのような古いディスコ、ALAN PARSONS PROJECTなどによるところが大きいし、現代的なポップ・プロダクションのひねりを加えた“ロック”の要素もかなり含まれていると思う。だから個人的には、これを“シンセポップ”と呼ぶのは少し単純化されているように感じられる。まあ、シンセサウンド満載でポップであるとは思うよ。」(註35

 

「2017年のアルバム『The Assassination of Julius Caesar』はそこからさらに積み上げていきたい音楽的土台となり(これは初めての経験だった)、ここ2,3枚のアルバムで得たこのサウンドにはもっとやるべきことがあると感じていた」(註36

 

本作はコロナウイルスが世界的に大流行した頃に完成し、4月のツアーが始まる直前に出す予定だったのが中止となり、ヒストリー本の制作を挟んで8月末にリリースされることになった(レーベル公式通販ではアルバム+ヒストリー本のセット販売もなされていた)。「僕らは時間を振り返るのが好きなんだ。最初の『One Last Thing』で言うように、僕らは廃墟を探しているんだ…歴史についてだけでなく、ポップカルチャーについてもね。」(註36)という発言が示すように、タルコフスキーの同名映画のラストシーンについて話し合っていたのが次第に自分自身の子供時代のこと=個人的なノスタルジアについてのものになっていったという「Nostalgia」や、1993年2月にテキサス州ワコでブランチ・ダビディアン(プロテスタント系のセクト)がATF(アルコール・タバコ・火器および爆発物取締局)の強制捜査を受け、連邦捜査官をバビロニア軍隊だと思い込んだ信者の反撃が双方に死者を出した事件を、90年代ノルウェーブラックメタル・インナーサークルが引き起こした教会焼き討ち事件と絡め、それらの奇妙なシンクロニシティについて歌っている「Apocalypse 93」(註37)、広島への原爆投下を主題として“歴史は繰り返す”ことについて考える「Little Boy」など、ダークなテーマと薄暗く柔らかいエレクトロファンク寄りポップスを絶妙なバランスで組み合わせる近年の作風は更なる高みに達している。正直言って自分は最初は『The Assassination of Julius Caesar』(2017年の個人的年間ベストの1位に選んだ)と比べ地味なアルバムだと思いピンとこない印象の方が強かったのだが、最後から最初に完璧に滑らかにつながりいくらでもリピートし続けてしまえる構成もあってか、聴き続けているうちにこちらの方が肌に合うと感じるようにさえなった。非常に快適に聴き流せるのにどれほど繰り返し接しても底がつかみきれない不思議な魅力に満ちたアルバム。傑作だと思うし、以降の作品でさらなる新境地を切り拓いていくことを期待し続けたいものである。

 

 

註32

ULVERの活動遍歴についてはこちらでひととおりまとめた

http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/05/205455

 

註33

こちらのツイートなど参照

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1166825205047558146?s=21

 

註34

このあたりの話はこの記事のTRIBULATIONの項における「メタルシーン内外の没交渉傾向」の件で掘り下げた

https://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2018/12/25/222656

 

註35

mxdwn.com「mxdwn Interview: Kriss Rygg of Ulver Talks Stylistic Changes, Musical Evolution and Celebrating 25 Years of Studio Albums」

(2020.10.15掲載)

全アルバムについてのKristoffer Ryggのコメントあり

https://music.mxdwn.com/2020/10/15/features/mxdwn-interview-kriss-rygg-discusses-25-years-of-ulvers-myriad-stylistic-changes-and-sonic-evolution/

 

註36

LOUDER THAN WAR「Ulver have just released one of the albums of the year: in depth interview」

(2020.9.2掲載)

https://louderthanwar.com/ulver-have-just-released-one-of-the-albums-of-the-year-in-depth-interview/

 

註37

The QUIETUS「Returning To The Shadows: Ulver Interviewed」

(2020.8.26掲載)

https://thequietus.com/articles/28828-ulver-interview-3