【2020年・メタル周辺ベストアルバム】後編 日本のメタルシーンと「音楽批評」

2020年・メタル周辺ベストアルバム】後編 日本のメタルシーンと「音楽批評」

 

 

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Boris with Merzbow:2R0I2P0(2020.12.11)

 

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 日本の音楽を考えるにあたって避けて通れない問題のひとつに「洋楽至上主義」というものがある。ポップミュージック周辺の音楽はどのジャンルも基本的には外来文化であり、国外で形成された様式や価値観を下敷きにするところから始まった(その上で自在に改変してきた)経緯があるため、意識的に語ろうとするのであればその大元となる“洋楽”に注目しないわけにはいかないし、そうしたジャンルを確立するほどの力があるアーティストやバンドを最上位の存在として賞賛するようにもなる。ここまでは当然の成り行きだし悪いことではないのだけれども、そうした語りには国内のアーティストやバンドすなわち“邦楽”を下位互換的なものとして十把一絡げに低く見る姿勢が伴う場合が多く、各ジャンルの国内での発展に様々な悪影響を及ぼしてきた。このような傾向が生まれる理由はいくつも考えられるが、国外シーンの情報は国内シーンに比べ入手しにくいという(特にインターネット普及以前の)状況に由来するものが多いのではないかと思われる。国外シーンの詳しい情報を国内から得ることは難しく、目立ったもの以外は視界に入りにくいため、自国内では身近にいる凡庸なものにも出会いやすい一方で国外だと傑出したものばかりが目について「隣の芝は青い」的なものの見方に陥りやすい、といった地理的環境的な問題(翻訳ソフトが発展する以前は言語的な問題も大きかった)がまずあるし、そうした情報収集の困難さから国内メディアが国外メディアを主要な情報源とした結果、その言説や状況把握に過度に依存してしまうこともあるだろう。そして、そうやって国外メディアの言説を援用する場合、そこで評価される国外バンドよりもそこでは一切言及されていない国内バンドを高く評価するのは難しくなるし(国外シーンのみで形成される史観にそこと繋がりのない国内バンドを組み込むのは不可能だという事情も関係するだろう)、“本場こそが最高だ”という考え方が行き過ぎれば自然に国内バンドを下にみるようになる。こうした国内メディアが国内リスナーの大部分にとっての数少ない情報源だった時代は特にそういう傾向が強化・再生産されやすかったのだと思われる。

 

 こうした「洋楽至上主義」がもたらす弊害はいくつもある。まず、“邦楽”に対する偏見が評価のバイアスになることや、それだけならまだしも“どうせ邦楽なんて”という意識が生まれるために聴いてみる機会自体が激減すること。日本の音楽に最もアクセスしやすいのは日本にいる人間なのにそこの繋がりが断たれれば日本の音楽が正当に評価(国外からという以前に国内から)される機会が失われてしまうし、そうなると、国内シーンに興味を持った人がそこに参入する可能性が減り衰退傾向に陥ってしまう。また、国外メディアの言説の援用という話に絡めていうと、そういう過度の依存を続けていると国内メディアやリスナーの自発的な評価能力や文脈構築力が育たず、既存の様式から外れた新しい音楽性を解釈しようと試みる姿勢が身につかない。90年代以降の『BURRN!』(一時は日本の洋楽誌で最大の発行部数を記録し、HR/HM=Hard Rock / Heavy Metal関係メディアでは寡占的な最大手である期間が長かった月刊誌)は『BASTARDS!』のような増刊号まで含めれば世間で言われるほど「様式美」的メロディックメタルのみに特化していたわけではなく、そうした音楽のファンからは抵抗感を抱かれやすいグランジ~ニューメタル的なバンドも折に触れて掲載してきたのだが、初代編集長兼バーンコーポレーション(2013年閉鎖)社長の‘正しいヘヴィメタル像’から外れる音楽性や日本のバンドの扱いを悪くするなど(註1・2)、誌面全体としては80年代までの価値観を過剰に引きずりそれにそぐわないものの受容に失敗し続けてきた経緯がある。90年代から00年代にかけて日本で大ヒットしたメロディックパワーメタルメロディックスピードメタル(世界屈指の市場となりそうした国外バンド群の主戦場になることさえあった)は確かに独自の流れを生み出し、それらを率先して取り上げた『BURRN!』は国内メディアならではの史観を形成したが、こうした音楽性はあくまでそれ以前の「様式美」HR/HM観の範疇にあるもので、同時期に世界的に大流行しシーンの中心を占めることになったグルーヴメタル(日本ではモダンヘヴィネスと言われる)~ニューメタルなど、伝統的HR/HM観から外れる音楽スタイルを適切に評価することはできていない。そうした状況を象徴するのが日本のメタル語りで用いられる「モダン」という言葉で、分厚く重い音色によるミドルテンポのヘヴィロックサウンドを指すこの表現がいまだに多用されている、すなわちそうした「モダンヘヴィネス」が発祥以来20年以上の長きに渡ってモダン=現代的なものだと認識され続けていることは、旧来の価値観を引きずるHR/HMファンの認識と現状との乖離を反映しているのではないだろうか。日本国内で独自の方向に孤立特化したものを「ガラパゴス(化した)」という言い回しがあるが、そうしたものの源となる内向き志向の対象は国内コンテンツに限らず、以上のような捩れた国外志向=「洋楽至上主義」に由来する場合もある、ということがこの例でよく示されていると思う。“外来文化だから本場のものを高く評価するのは当然だ”という無邪気な比較では済まされない、複雑で根深い波及効果をもたらす問題なのである。

 

 こうしたことを踏まえた上で注意すべき「洋楽至上主義」のさらなる弊害として、国外で評価されている自国の音楽を見過ごしてしまいやすくなるというものがある。もともと日本の音楽は国外シーンの単なる亜流に留まるものではなく、出身領域や時代を越えて全世界の音楽シーンに絶大な影響を与えてきたアーティストやバンドも少なからずいる。YMOG.I.S.M.やDEATH SIDE、Merzbowなどは各ジャンルの世界的な代表格としてほとんど神格化されているし、少年ナイフボアダムスフィッシュマンズCHAIなども国外での人気の高さがよく知られている。メタル周辺領域でも、80年代にアメリカのチャート上位に食い込みその後は独特な音楽的変遷を続けるLOUDNESSを筆頭に、メジャーフィールドではBABYMETALやDIR EN GREY、地下シーンでいえばSIGHやSABBATなど国外で熱狂的なファンを抱えるものが少なくない。こうしたバンドたちに共通するのは唯一無二の個性を備えていることだろう。国内では“洋楽”的価値観のもとで解釈できる音楽がもてはやされるけれども、その音楽スタイルの発祥地ではそういったものはどこにでもいるような存在であり、むしろこういう価値観から外れるものの方が興味深く受容されやすい(註3)。先述のようなバンドたちの海外での高評価にはオリエンタリズム的な側面もあるだろうが、様々な音楽を味わいつくし優れた吟味能力を鍛え上げたマニアがディグの果てに到達しハマる場合も多く、そこでは定型に回収されない逸脱した個性こそが歓迎される。60年代末~70年代末の日本におけるジャンル未分化的なロック周辺音楽をほとんど初めて(日本国内のメディアに先行するかたちで)評価の俎上にあげたジュリアン・コープ『ジャップ・ロック・サンプラー』(註4)はその好例だし、そうやって時代を越えて注目されるだけの豊かな蓄積が様々な領域でなされ、国内メディアの多くがそれをリアルタイムでは評価せずにきたのである。Boris註5)はそうした歪な評価状況を最もよく体現する存在で、日本の地下シーンを代表するバンドとして国内のマニアから一目置かれる一方で一般的な知名度は殆どなく、音源作品やライヴ活動の売上は国外のほうが遥かに多い状況にあり続けている。RADIOHEADトム・ヨークらに絶賛される(註6・7)などジャンルを越えて非常に高い評価を獲得しているBorisがカルトヒーロー的なポジションに留まり続けているのはそのエクストリームな音楽性に見合った部分もあるだろうが、ここまで述べてきたような国内メディアの「洋楽至上主義」傾向も少なからず関係しているのではないかと思われる。

 

以上のようなことからは少し逸れる話になるが、Borisが国内では十分に評価される機会を得ることができていないのは、そのジャンル越境的な在り方によるところも大きいのかもしれない。メロディアスな歌ものパートが軸になる一方でスラッジコア~ドローンドゥームに連なるウルトラヘヴィな場面も多いBorisの音源は楽曲ごとにスタイルが変わり、ほとんどアンビエントといえるような静謐で気の長い時間感覚を示すものがある一方で1~2分の短尺を駆け抜けるハードコアパンク的な勢いを貫くものもあるなど、作品ごとに求められる聴き方が大きく異なる。ヴィジュアル系註8・9)やアニソン(註10)、ボーカロイド同人音楽註11)といった従来の“シリアスな音楽”関連メディアではまともに評価されてこなかった(しかしそうした“シリアスな音楽”に負けず劣らず奥深い)ジャンルとも交錯するBorisの音楽は広義の“ロック”に関わるほとんどの音楽領域を包含するわけで、アンダーグラウンドシーン出身ならではのDIY精神も相まって多くの商業メディアのジャンル縦割り(棲み分け)的編集がうまく扱えるものではなかったというのはあるだろう。「日本の中にいるわけでも、海外にいるわけでもなく、色んなところに出入りが出来るというか、そういう境界を超えながら、どこにも属せない」(註11)という発言は上記のような在り方をよく示している。Merzbow灰野敬二SUNN O)))、イアン・アストベリー(THE CULT)、ENDON、GOTH-TRAD、Z.O.A.などとのコラボレーション作品群も鑑みれば、Borisは日本のメタル関連領域のうち最も先鋭的な部分を網羅するばかりか他ジャンルや海外の地下シーンなど様々な外部との接点を生み続ける存在でもあり、ある意味では世界で最も重要なバンドの一つなのだと言える。

 

『2R0I2P0』はアルバム単位としては通算8枚目となるBorisMerzbow註12)のコラボレーション作品。この組み合わせで出演した2020年2月29日のオーストラリア・メルボルン公演(Arts Centre Melbourneへの出演)はコロナ禍によるロックダウン開始前に行われた最後の有観客公演となり、このライヴのセットをきっかけに本作の制作が始まったという(註13・14)。Borisの担当部分は2019年欧州ツアーでのマルチトラック録音が元となっており、オーストラリアからの帰国後に編集やオーバーダブを加えていったとのこと。3月にはレコーディングを終え5月には完成品をレーベルに提出していたという本作の発表が12月まで凍結されていたのは、3月24日にレコーディング開始し7月3日にリリースされたハードコアパンクスタイルの傑作フルアルバム『NO』(註15・16・17)における「自分たちが若いときも、いろいろ鬱屈したエネルギーがあったけど、激しい音楽が写し鏡になってくれて癒してくれた。今の若い人に、それと同じものを提供したいんです」といった姿勢を経た上で2020年を締めくくる音楽として相応しいものだとみなされたからなのかもしれない。「2020 R.I.P.」を並び替えたタイトル(註18)を冠する本作は、2019年発表『LφVE & EVφL』7曲のうち6曲、2017年発表『DEAR』から1曲、THE NOVEMBERSとの2018年スプリット『-Unknown Flowers-』から1曲、そしてCOALTAR OF THE DEEPERSおよびMELVINSのカバー(後者はバンド名の由来になった「Boris」)各1曲を再構築したものなのだが、いずれも原曲よりも穏やかな安らぎまたは虚脱感が漂うアンビエント寄りドリームポップ(時折ウルトラヘヴィなスラッジコア)に仕上がっており、アルバム全体の優れた曲順構成もあってか、約78分の長さを全く気疲れせず浸り通せる一枚になっている。特に素晴らしいのがMerzbow担当パートで、聴き手を無慈悲に蹂躙する爆音ノイズのイメージに反しどこまでも艶やかに耳を撫でてくれる音色の数々(雨だれが虹を七色に反射しているかのような輝きがある)は“スピーカーで聴けるASMR”的な極上の音響快楽に満ちている。もちろんBoris楽曲の土台としての強度やそれを絶妙なペース配分で演奏するダイナミクスコントロールも素晴らしく、異常に緻密な構造と感覚的に聴き流し浸れる理屈抜きの機能性との両立具合は完璧といえる。このコラボレーションならではの爆音感とコロナ禍における巣ごもり/隔離環境感が絶妙なバランスで融け合った本作は2020年を代表する“癒しと苛立ち”のアルバムであり、生理的な好き嫌い感覚からすればそこまでBorisが得意でなかった自分(音進行の系統によるところが大きい気がする)も文句なしに良いと思える。冒頭から一瞬で惹き込まれる驚異のサウンドが楽しめる一枚。広く聴かれるべき傑作である。

 

 

 本項ではBorisに限らず日本のバンドが不可避的に影響を被ってきた「洋楽至上主義」についてふれたが、こうした傾向も近年はだいぶ薄れてきているように思う。メインストリームでは宇多田ヒカル、地下寄りのところでいえばティポグラフィカDCPRG註19)が出てきた頃あたり(90年代末頃)から「日本人だから演奏力やリズム感が駄目」という話はどのジャンルでも通用しなくなってきたし(本当はKILLING TIME人脈など80年代の時点で世界屈指のプレイヤーはポップミュージックシーン周辺に既に存在した)、シティポップのように海外からの高評価がいわゆる音楽好きの範疇を越えて広く知られるようになったものもある。そのようにして年々クオリティが上がっていく“邦楽”に接するリスナーは“洋楽”に対するコンプレックスをどんどん減じていくだろうし、「洋楽至上主義」的な姿勢をそもそも身に付ける機会がない人の比率も多くなっていくと思われる。そうなると、次に問題になるのは、日本で評価される“洋楽”の文脈と国外で評価される“邦楽”の傾向に意識的になった上でジャンル内外の繋がりを網羅する語りが(少なくとも一般的に観測しやすいレベルでは)十分に整備されていないことなのかもしれない。国内メタルシーンにおいて(本当は重要で避けては通れないはずの)ヴィジュアル系やアニソン~アイドル込みでの評論があまりなされてこなかったのは、生理的な好みの感覚に溝があるというのも大きいだろうが、それとは別に“海外シーンから離れて自らの手で文脈を構築してみせる”姿勢があまりなかったからというのも大きいのではないだろうか(註20)。外来文化としてだけでなく自国発の文化としてメタル周辺を語る言論がそろそろ増えてきてもいいと思うし、BABYMETALなどをはじめそのための強力な素材は増えてきている。Borisはその筆頭といえる存在だし、可及的速やかに正当な評価がなされてほしいものである。

 

 

註1

Wikipediaを情報源とするのは不適切だが、酒井前編集長(創刊を主導)を中心とした2013年のお家騒動~編集方針刷新に関して概ね正確にまとまっているので、興味をお持ちの方は記事中に挙げられた参考文献(『BURRN!』誌面での経緯説明)もあわせ一読をお勧めする。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/BURRN!

 

註2

BURRN!』1985年11月号に掲載された聖飢魔Ⅱ『悪魔が来りてヘヴィメタる』に対する0点レビューおよびそれに対するバンド側の印象(2006年6月6日発行『激闘録 ひとでなし』p55から)

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/623481311798280192?s=21

 

Billboard Japan「聖飢魔Ⅱ デビュー作に0点を付けたB!誌との因縁に終止符、編集長が正式に謝罪」

(2020.12.21掲載)

http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/95435/2

 

註3

宇多田ヒカルDREAMS COME TRUE、メタル領域でいえばVOW WOWなどが圧倒的な実力を持っていたにもかかわらず海外進出を成功させることができなかった背景にはこうした評価傾向の違い(何を新鮮に感じるのかという判断基準が外来文化を輸入した側=国内と輸入された側=国外で異なること)も少なからず関係しているだろう。

 

註4

ジュリアン・コープ『ジャップ・ロック・サンプラー』について

https://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2015/08/07/215353

 

註5

音楽性によってBORISborisの表記が分かれるが、ここではそれらを総括するBoris表記で統一することにする。

 

参考:

Rooftop「BORISインタビュー:「聴こえないもの」を聴かせる“世界を変える音”」

(2005.11.1掲載)

メンバー自身の中では大文字・小文字表記に大きな区別はなく、聴き手に対し“入口を判りやすくしている”ガイド的な表記というくらいのものである模様

https://rooftop.cc/interview/051101151019.php

 

Quetic「2デイズ・ライブが迫るボリスに直撃インタビュー!小文字“boris”名義での3連続リリースについて語る」

(2013.5.27掲載)

https://qetic.jp/interview/boris/99121/?amp_js_v=0.1&usqp=mq331AQHKAFQArABIA%3D%3D

 

註6

clinamina「Interview Boris with Merzbow

(2016.5.6掲載)

https://clinamina.in/boris_merzbow_2016/

 

註7

rockin`on .com「トム・ヨーク「ギターはまだ好きなんだ。今は日本のメタル・バンドBorisにハマってるし」と伊新聞に答える。レディへ新作、YouTubeなどについても語る」

(2015.12.2掲載)

https://rockinon.com/blog/nakamura/134978.amp

 

註8

Grumble Monster「2013/07/21 DEAD END 主催イベント『四鬼夜行 -五喰-』@赤坂BLITZ」(DEAD END・cali≠gariBorisの3組による対バン企画のライヴレポ)

http://grumblemonster.com/live/20130721deadend/

 

註9

avex.jp:『DEAD END Tribute - SONG OF LUNATICS - 』公式ページ

https://avex.jp/deadendtribute/index.html

 

註10

CYCLIC DEFROST「Boris: “I take heavy as real, beyond reality or fiction.”」

(2012.3.16掲載)

アニソンやJ-POPに接近したことで物議を醸した2011年発表アルバム『New Album』に関連して「アニソンやアニメサントラのような“anti-song”をよく聴いている。そうした楽曲は音楽家のエゴから離れフィクション世界のためだけに書かれたものであり、音楽の別の可能性を提示してくれる。『New Album』はBorisの世界のためにデザインされたものだ」というコメントがある。

https://www.cyclicdefrost.com/2012/03/interview-with-atsuo-from-boris/

 

註11

Mastered「世界の音楽シーンを席捲しながらも、国内メディアでは黙殺されてきた“世界で最も知られる日本のバンド”Boris。その知られざる実態に迫る!」

(2011.3.9掲載)

上記『New Album』に関する詳細なインタビューで、ヴィジュアル系やアニソン、ボーカロイド同人音楽に関する話だけでなく、日本と海外のリアクションの差、日本語・英語の音楽的特性の違いなど、極めて興味深い話題で埋め尽くされた記事。ぜひ一読されることをお勧めする。

https://mastered.jp/feature/interviewboris-new-album/

 

New Audiogram「Boris『New Album』Interview」

(2011.3収録)

ヴィジュアル系やトランスレコード界隈への具体的な思い入れ、海外ツアーで同行したバンドに初音ミクの動画を見せたときの反応などが語られているこちらの記事も非常に興味深い。

http://www.newaudiogram.com/premium/172_boris/

 

註12

Resident Advisor「A Conversation with Merzbow

(2015.11.5掲載)

Relapseレコードからリリースした作品群が代表作扱いされるなどグラインドコアブラックメタルと近いところでの活動歴があり、「新しいメタルはずっと聴いてきている」と発言するなど、メタルシーンとの関わりはBorisに限らず少なくない

https://jp.residentadvisor.net/features/2615

 

Mikiki「Boris with Merzbowの一期一会な〈現象〉に身を委ねて…アルバム2枚再生で完成するドローン作『現象 -Gensho-』に迫る」

(2016.3.16掲載)

Borisの面々に60~70年代ロックを紹介するなど音楽的メンターとしての側面もある

https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/10460

 

註13

Consequence of Sound「Boris on the Making of NO, Pandemic Existence, and the Uncertain Future of Touring」

(2020.11.13掲載)

https://consequenceofsound.net/2020/11/boris-interview-2020/

 

註14

『2R0I2P0』リリースに際してのBoris公式ツイート

https://twitter.com/borisheavyrocks/status/1318936946400317440?s=21

 

註15

Y!ニュース「インタビュー:Borisが突きつけるニュー・アルバム『NO』」

前編(2020.7.14掲載)

https://news.yahoo.co.jp/byline/yamazakitomoyuki/20200714-00187996/
後編(2020.7.18掲載)

https://news.yahoo.co.jp/byline/yamazakitomoyuki/20200718-00188751/

 

註16

シンコーミュージック『ヘドバン』Vol.27(2020.9.7発行)掲載インタビュー

 

註17

heavy rock spelldown「自虐“ZIGYAKU”氏インタビュー Part.1」

(2020.11.14掲載)

https://note.com/borisheavyrocks

 

註18

Bandcamp - Boris with Merzbow

https://borismerzbow.bandcamp.com

 

註19

菊地成孔をリーダーとするポリリズミックなラージアンサンブルとしてジャズ~ヒップホップ方面で高い人気を誇るが、BABYMETALのサポート(神バンド)でも知られる超絶ギタリスト大村孝佳が正メンバーとして所属しており、意外なところでメタルシーンとの繋がりをもつバンドでもある。

 

註20

シンコーミュージックから2013年7月に創刊された年3回刊行のムック『ヘドバン』は、第1号からアイドル・ヴィジュアル系グランジ~ニューメタル・日本のメタルなどの再評価に取り組み、同社刊『BURRN!』が取りこぼしてきた文脈の補填を意識的に行い続けている。2020年3月にリットーミュージックから刊行開始された『METAL HAMMER JAPAN』(イギリスで1983年から刊行され続ける『METAL HAMMER』誌の日本独自編集版)や2020年9月にリニューアル創刊された『BURRN!』増刊号『BASTARDS!』(これには私もTOOL『Fear Inoculum』解説記事を寄稿)も『ヘドバン』とは別の角度からシーンを掘り下げており、本文でふれたような問題も少しずつ解消されてきているように思われる。

 

参考:BURRN! ONLINE(紙媒体よりだいぶ“正統派”外の情報が多く攻めた空気がある)

「米国との“成熟度”の差とは?日本のメタル・シーンにおける特異点 CRYSTAL LAKE Ryo × ENDON 那倉太一 対談」

前編(2020.1.16掲載)

https://burrn.online/interview/1572

後編(2020.1.23掲載)

https://burrn.online/interview/1631

 

 

 

 

DIMLIM:MISC.(2020.1.28)

 

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 メタルファンやメタル関連メディアの間に今も根深く残る問題のひとつに「ヴィジュアル系の聴かず嫌い」がある。80年代頭の国内メタルシーン黎明期においてXやDEAD END(註21)など後のヴィジュアル系の始祖とされるバンドが重要な役割を果たしたことを知識として知ってはいても、その系譜にあるバンド群に興味を持つことはあまりなく、そればかりか(何も知らないのに)くだらないものと見下している場合も多い。こうした蔑視/敬遠傾向の形成には前項でふれたような「洋楽至上主義」も関係しているだろう。“どうせ邦楽なんて”という意識があることに加え、ヴィジュアル系のバンド群が“メタルの歴史”に組み込まれておらずシーン内部で言及されることが稀なために自分達が聴くべきものだと認識する機会が少ない。市川哲史と藤谷千明の名著『すべての道はV系へ通ず。』における以下のやり取りはこのような状況が生まれた背景をよく説明している。

 

市川「(前略)その昔、ジャパメタだったりV系だったりアイドル・ロックだったりが差別された時代は確かにあったけれども、そうした差別を生んだ諸悪の根源は雑誌メディア ― 音楽誌の存在だったと思う。総合系も専門系も、「〇〇は本誌に合う/合わない」「△△は載せる/載せない」と各々が勝手に垣根を作ったからこそ、ファンもバンドもレコード会社もマネジメントもロックを〈区別〉するようになった気がする。でも時は流れて、そんな音楽誌文化もすっかり崩れ(※この発言の初出は2017年3月)、強いて言うならいまは〈フェスの時代〉なんだろうけど。」

藤谷「ええ、いまやフェスは好きなアーティストを見つける、コンテンツ・メディアですから。かつての音楽誌のような。」(註22

 

この〈フェスの時代〉に絡めていうと、2006年に立ち上げられ保守的なHR/HMファンからも熱い支持を得てきた音楽フェスティバルLOUD PARK(2017年を最後に休止中)は、国内のメタル関連メディアがリアルタイムでは紹介できていなかった国外バンドを率先して招聘し、ヴィジュアル系のバンドに関してもDIR EN GREY(2006・2010・2012)やMUCC(2007)、the GazettE(2014)、NOCTURNAL BLOODLUST(2016)というふうに積極的に採用してきたのだが、メディアはそれを十分にフォローすることを怠り、メタルファンもラインナップ発表時点から激しい拒否反応を示すなど、シーン内で伝統的に築き上げられてきた抵抗感の強さをあらわにしていた(註23・24)。国内バンドの比率が多いだけでも文句を言いがちな多くのメタルファンからすればヴィジュアル系が貴重な一枠を奪うことなどもってのほかで、上記引用文のような「好きなアーティストを見つける」幸福な出会いをすることができた観客も少数いただろう反面、そうやってとりあえず聴いてみようとすらせずに“飯タイム”にする方が圧倒的に多かったように思われる。ヴィジュアル系に対するメタル側からの偏見にはことほどさように根深いものがあるのである。

 

 このような忌避意識は先述のようなメディアの“教育の失敗”からくるものがやはり大きいだろうが、ハードロック~ヘヴィメタルという音楽領域の基本姿勢といえる“硬派志向”も同等以上に関係していると思われる。「ヴィジュアル系」というジャンル名から不可避的に連想される「見た目に気を遣っている」という印象は「どうせ見た目だけ」「音で勝負できないからお化粧や舞台装置といった視覚的なギミックに走るんだ」という偏見に結びつきやすく、メジャーシーンで売れているものへの反抗的な姿勢(註25)や派手なものへのコンプレックス(註26)も相まって「ヴィジュアル系は実力がない」という誤った認識に至る人が非常に多い(註27)。しかし、実際のところ「ヴィジュアル系」というジャンル名が指し示すのは音楽性よりもどちらかといえばドレスコードのようなもので、華美な装いや暗い世界観のようなおおまかなイメージをまとう一方で音楽的には様々な領域を無節操に越境する多様なミクスチャーであり、技術的に優れたミュージシャンも少なくない。個性と演奏表現力を両立する驚異的な傑作も多いジャンルなのである。

 

 以上の経緯を踏まえた上でメタル領域における「ヴィジュアル系の聴かず嫌い」が問題になる理由を具体的に挙げるなら、「ヴィジュアル系を抜きにしてメタルの歴史を語ることはできない」ということになるだろう。日本のメタルシーンがグルーヴメタル~ニューメタルなど伝統的HR/HM観から外れる音楽スタイルの受容に失敗した(註28)ことについてはBorisの項でふれたが、これはそうした音楽の売上やロックシーン全体への影響力に問題があったからではない。SLIPKNOTオリコンチャートで総合1位を獲得し(註29)同バンドがヘッドライナーを務めたKNOTFESTやOZZFESTのような“ラウドロック”主体の音楽フェスがLOUD PARK以上の盛況を呈していることを鑑みれば、国内のメタル語りで長年言われ続けている「日本ではメロディアスでない(グルーヴ面での快感を前面に押し出す類の)音楽性は売れない」という定説は妥当でない場合も多く、「HR/HMシーン」内に留まる話なのではないかとも思える。LOUD PARKにも出演したMUCCやthe GazettEを筆頭に多数のヴィジュアル系バンドが上記のような音楽性を取り込み大きな人気を得ているのをみれば、そうした“新しいメタル”を偏見抜きに受容し日本流に(メロディアスな要素を強化増量する形で)発展させることができたのはHR/HMシーンのバンドよりもヴィジュアル系方面のバンドだったのではないかと考えることもできるわけである。つまり、00年代から今に至る国内「メタル」の本流はむしろヴィジュアル系方面に引き継がれており、DIR EN GREYの高評価(註30)やBABYMETAL(Xをはじめとしたヴィジュアル系へのリスペクトを公言している)の大躍進など、「国外から国内」だけでなく「国内から国外」方向の影響ルートをメジャーフィールドで築き上げることもできている。こうした状況を無視して(またはそもそも知らずに)「メタル」を語り続けても現状を適切に把握することはできないし、本稿中編のETERNAL CHAMPIONやDARK TRANQUILLITYの項でふれたような世代的なメタル観の変遷・乖離もあわせ、伝統的HR/HMシーンに連なる(「メタル」を名乗る資格を保持し続けている)国内メディア/リスナー層の先細りを止めることができなくなってしまう。『ヘドバン』をはじめとした比較的新しい雑誌メディアが近年取り組んできた文脈の補填・再評価(註20)はこのような状況に対する危機意識からくるものでもあるだろうし、遅きに失した感はあるが今からでも(主にメタル側から)双方の溝を埋めていかなければならないのではないかと思う。

 

 こうした流れと軌を一にするかのように、近年のメタルファンのなかにはメタルとヴィジュアル系を分け隔てなく聴く人が増えてきてはいる。日本を代表するデスメタルバンドCOFFINSのベーシストである“あたけ”氏の発言「BELLZLLEBとcoalesceとWINTERとStrongarmとLUNA SEAとmerrygoroundと人間椅子が血肉となっているのです」(註31)は地下シーンにおけるHR/HMヴィジュアル系~ハードコア~デスメタルの越境的な接続関係を完璧に言い表しているし、ブラックメタルヴィジュアル系の両方を聴く人も(少なくともweb上にいるブラックメタルのコアな国内ファン層においては)多く、そのあたり経由でヴィジュアル系が忌憚なく評価される傾向が少しずつ形作られてきた感もある(註32)。伝統的HR/HMが好む「剣と魔法」的なファンタジーブラックメタルヴィジュアル系における「心の闇」的テーマはともに逃避的な側面をもつ一方、非日常志向と日常(に向き合わざるを得ない)志向、エンタメと純文学、または体育会系と帰宅部というくらい異なる方を向いたもの同士であり、そういう意味では水と油で互いに対する生理的な抵抗感が生じるのも致し方ない面もあったわけだが、世代的なメタル観の変遷を経てブラックメタル的な味わいや雰囲気が広く受け入れられるようになったことで、メタルシーンの内部からヴィジュアル系的な感覚への対応力が培われてきたという経緯もあるように思う。もともとヴィジュアル系は体育会系のノリをも兼ね備えており(註33)、その意味において伝統的HR/HMブラックメタルの間に位置するものでもあった。メイク常備のブラックメタルや儀式的ステージ衣装を多用するエクストリームメタルバンドの存在がヴィジュアル系的なものへの違和感を減じてきた面もあるだろうし、メディアの縦割り撤廃やリスナーの偏見払拭といった諸々の準備が整いさえすればメタル~ヴィジュアル系間の垣根はすぐにでも取り除かれうるのだと思う。

 

 実際、ヴィジュアル系にはメタル的な感覚で聴いても素晴らしいバンドが多数存在する。『BURRN!』をはじめとしたメタル系メディアにも頻繁に取り上げられるポジションを確立したDIR EN GREYは、当初の和風ニューメタル的なスタイルから飛躍し独自の個性を確立した2008年作『Uroboros』以降は“OPETHとDEATHSPELL OMEGAをMR. BUNGLEで連結し日本ならではのゴシック感覚で妖艶に溶解させ抜群のアレンジセンスで異形化した”ような複雑ながら蠱惑的な音楽性(註34)で唯一無二の境地を開拓し続けており、現在のヴィジュアル系シーン全域に良くも悪くも絶大な影響を与えている(註35)。それとは毛色が異なるJ-POP寄りの音楽性でいえばSIAM SHADE(主な活動期間は1995年~2002年)はDREAM THEATERにも肉薄する超強力なアンサンブルでメタルファンの間でも好意的に認識されてきたし、BABYMETALのサポートメンバーとして超絶技巧を披露するLedaが率いていたDELUHI(主な活動期間は2006年~2011年)はそのSIAM SHADEに通じる雰囲気を黎明期djent的プログレッシヴメタルサウンドで強化したような(昨今人気を博しているCHONやPOLYPHIAに先行していたともいえる)音楽性をPERIPHERYより早く編み出していた。NOCTURNAL BLOODLUSTやDEVILOOF、JILUKAやDEXCOREといったメタルコア~デスコア方面出身バンドも国外の代表格に勝るとも劣らない圧倒的な演奏技術とヴィジュアル系的な雰囲気表現を融合することで新鮮な音楽スタイルを切り拓いているし、もとはと言えばSEX MACHINEGUNS陰陽座GALNERYUSのような国内メタルバンドの代表格もヴィジュアル系との関わりが深い。DEAD ENDの頃からこのジャンルの神として君臨し続けるMORRIEもソロやCREATURE CREATUREで国外プログレッシヴブラックメタルの超一流をも上回るような傑作を生み続けているし、gibkiy gibkiy gibkiyやsukekiyoもそれに並ぶ極上の個性を確立している。メタルが好きなのにこうしたバンド群を聴かずにいるのはあまりに勿体ないし、そういう状態で“どうせ邦楽なんて”みたいな話をすることはできないだろう。DIMLIMもその列に名を連ねられるべきバンドであり、2020年の頭に発表された2ndフルアルバム『MISC.』は同年のヴィジュアル系領域において最も革新的な傑作だという評価を各方面から得ている(註36)。

 

 『MISC.』が素晴らしいのは、上で述べたようなバンド群のスタイルを総覧しつつ近年のポップミュージックの音響やビート感覚を全面的に導入、それらをヴィジュアル系ならではの歌謡ロック的音進行感覚でまとめることにより、同時期の国外ポップミュージックやメタルにもない独特な鵺状構造を確立していることだろう。例えば、祭囃子的イントロ(90年代V系的)からPERIPHERY的djent/メタルコアになだれ込む「Funny World」は中盤のNicolas Jaar的な静謐パートを経由しても全体のサウンドイメージを崩さず自然な統一感を保ち続けるし、トロピカルハウス~フューチャーベース的イントロからArca~Flume的なビートにつながるインスト「+&-」の澄明な音響を引き継ぎつつデスコア~djent的な圧力を爽やかに絡める「For the future」のバランス感覚は驚異的と言うほかない。その上で歌メロは歌謡曲系列のコテコテなものになっているのがまた凄いところで、こうしたリードメロディおよびそれにうまくのる歌詞を先述のようなサウンドと強引に融合させてしまえる手腕こそが国外の音楽(メタルに限らずポップス全域)に真似できない個性になっているのだといえる。これはヴィジュアル系ならではの“雅で醜い”歌いまわしをやりきるボーカルがあればこそのもので、その声単体、声とクリーンなサウンドとの対比、楽曲単体(美しくメロディアスながら歪な構造)の全てにおいてそうしたアンビバレントな佇まいを表現することができている。「Before it's too late」のリフがGLAY「誘惑」のイントロに似ているとか同曲のゴシカルなコード進行が欧州メタル〜トリップホップによくある感じということなど、パーツ単位ではわりとありがちなものも散見されるのに全体の配合は個性的になっているのも興味深く、このあたりはCODE ORANGEの同年作にも通じる(しかも格段にうまく整理されている)のではないだろうか。ジャンルの手癖的要素を受け継ぎつつ未踏の境地を切り拓いてみせた稀有の作品なのだと思われる。

 

 こうした在り方は今のヴィジュアル系シーンに対する反骨精神からくるものが多いようで、2018年のインタビュー(註37)における以下のやりとりはそうした姿勢を非常によく表している。

 

〈-かなり現状にフラストレーションを溜めているようですが。

聖:そうですね。今度僕ら初主催イベント(2018年8月8日に渋谷clubasiaにて開催/※取材日は7月末)をやるんですけど、イベント名が"オトノギ"というタイトルなんです。"音楽の儀"、つまり本当に"音楽をしてる"奴らを集めたかったんです。

そこに鳴る、Ailiph Doepa、ichika、K、L.O.V.E、Sailing Before The Windと、バラエティに富んだ布陣ですね。

聖:これはあえて言いますけど、どうしてわけわかんねぇヴィジュアル系バンドがいないかっていうとそういうバンドは"音楽をしてない"からであって......(苦笑)。

鴻志:そこまで言っていいのかな......(※頭を抱える)。

聖:だって、僕らから見ると"音楽をしている"とは到底思えない。集客しか考えていないイベントで"わいわい、キャーキャー、面白かったねー"もいいと思います。でも、それじゃあ別にバンドで、音楽でやる必要もない。僕らはそうじゃないので"音楽をしている"と感じられる人たちを誘いました。まぁ、僕は誘ってないですけど。みんな、他のメンバーが声を掛けました(笑)。

烈:この日に限ったことではないけど、イベント全体を観てほしいんですよね。目当てのバンドだけを観る人だって、それでもいいと思うけど、決して安くはないチケット代を払ってその場所に足を運ぶのであれば、他のバンドも観た方が何か発見があるかもしれない。正直、今のヴィジュアル系シーンって音楽が"二の次"になっているバンドが多いと思うんです。僕らまでそこに右へならえしてしまうと、シーンが終わってしまうような気がして......。シーンを語れるほどじゃないですけど、ヴィジュアル系だけの中で売れたいとも思ってないし、そもそも"ヴィジュアル系"は音楽ジャンルでもないと思うし。だからこそ逆に、なんでもやれるという強みはある。メイクも表現の一環でやってるし、ヴィジュアル系は好きですけど、でも今のヴィジュアル系はうーんですね。

聖:僕らも別に毛嫌いしてるわけじゃない。でも、単に一緒にやりたいと思う人もいなかった。

烈:普段からいろんなバンドをめちゃくちゃチェックしてるんです。でも"ちょっと違うな"って感じるバンドが多いんで。それだったら他のジャンルで必死に音楽をやっているバンドと一緒に盛り上げた方がイベント的にも面白いし、当然どこのジャンルのバンドにも負ける気はさらさらない。

-もしこれを読んで"悔しい"と感じるバンドがいれば......。

聖:自分のこととは思わないかも。今本当にヘイトが溜まってるんで。今回のアルバム(註:1stフル『CHEDOARA』)にもそれは込めていますし、"オトノギ"というタイトルも、そういう気持ちからきているところはあります。

-では最後に激ロック読者に向けてひと言コメントをお願いします。

聖:ひと言......。"もっと音楽を聴け"ですね。

鴻志:これ以上はヤベぇって!

-昨今はひとつの発言だけ切り抜かれて、炎上したりすることもありますからね。

聖:炎上とかしたくないし、ましてや狙ってるつもりもない。単に聴くべきものを聴くべきで、それだけのことです。

烈:でも単純な話、聴いた方がいいと思うけどなぁ。日本って海外よりも遅れているし、やっぱり生活の中で音楽が"二の次"なんですよ。音楽を聴いて人生が変わることってあると思うし、今はいくらでもいろいろな音楽を聴くツールがあるのに、聴かないなんて。僕らのだけじゃなくて、いろいろな音楽を聴いてほしいですね。生意気失礼(笑)!〉

 

棘のある言い回しではあるが、概ねその通りだしこうした発言に見合った作品を作り上げているとも思う。実はこうした姿勢はヴィジュアル系というジャンルを生み出した先達や黎明期の代表格にも共通するもので、BUCK-TICKLUNA SEAのような偉大なバンドがアルバムごとに音楽性を大きく変えつつ傑作を生み続けてきた経緯もあってか「他人と被ったら負け」という感覚はこのシーンの基本的な美学として根付いてきた(註38)。本作収録曲の歌詞(註39)はそうした姿勢を明確に反映しているし、明るい響きのコード進行や現行ポップミュージックの中でも複雑な類のビートといった前作までとは大きく趣を異にする要素を大量に導入できた(註40)のもこのような感覚の賜物だったのだろう。そういった面においても興味深く重要な作品なのだといえる。

 

 

 本項ではメタルシーンにおける「ヴィジュアル系の聴かず嫌い」の歴史とそれがもたらす弊害についてふれてきたが、先に少し述べたようにこうした傾向は以前に比べればだいぶ解消されてきてはいる。先掲『すべての道はV系へ通ず。』における以下のやり取りはそうした状況が導かれた背景をよく説明している。

 

藤谷「ヴィジュアル系バブルが終わった直後は、ヴィジュアル系に影響を受けたミュージシャン - たとえば〈ORANGE RANGEがXに影響を受けていることを周囲が伏せさせていた〉というエピソードが、市川さんの『私が「ヴィジュアル系」だった頃。』にあったじゃないですか。それが2010年代に入ると、見るからに90年代ヴィジュアル系の影響が濃く、後に《ルナフェス》にも出演することになる凛として時雨9mm Parabellum Bulletだけじゃなく、Base Ball Bearみたいな一見音楽性は離れているバンドのメンバーも、Twitterで2008年3月のX JAPAN東京ドーム3デイズ公演やLUNA SEAのREBOOT宣言について、当時つぶやいてたんですよ。さっきのORANGE RANGEの話のようにV系黒歴史扱いされてたからこそ、凛として時雨ピエール中野さんのTwitter上での発言、〈LUNA SEAは日本のバンドマンにいちばん影響を与えているかもしれない〉をよく憶えています。そして世の中的に、LUNA SEAX JAPANみたいな90年代V系はアリ、という空気になっていったわけですよ。」

市川「すべてが水に流れちゃったというか、流されちゃったというか。」

藤谷「そしたらメディアも掌くるりんぱしたというか。なんだかゼロ年代ヴィジュアル系冷遇時代を耐えてきたこちらとしては、「へぇー」みたいになるわけですよ。」(註41)p122-123

 

これはBorisの2014年インタビューにおける以下の発言にも通じる話だろう。

 

Atsuo「現在の30歳あたりにラインがあるような気がしますね。例えば30歳以上のバンドって、高校の頃にビジュアル系とか聴いていても、何となく気恥ずかしさがあって、「ビジュアル系の影響を受けた」とは言えない世代。でも、30歳より下だと公言できる。そこのラインから下は、いろんなジャンルとの付き合い方がかなり均等な距離になっていて、新しい世代だなと思います。そういう子たちの方が、よりいろんなジャンルにアクセスするフットワークの軽さを持っていて、30歳より上の世代は、文脈において音楽の優劣を決めるってことを体感してきている世代なのかなって。」

Takeshi「30歳以上のバンドだと、○○に影響受けたとか、実は○○が好きとかって話は、すごく仲良くならないと言ってくれないよね(笑)」(註42

 

こうした雪融け的な展開があったからこそNOCTURNAL BLOODLUSTをはじめとした「メタル出身バンドがV系化する」流れが生まれるようになったというのもあるのかもしれない。

それに繋がる話でもあるが、「V系化する」のは集客力を高めるためという側面も少なからずあるわけだけれども、その一方でヴィジュアル系ならではの音楽的特徴に魅力を見出したからというのも大きいはずである。ボーカルの発声や歌いまわしが醸し出す独特の力加減はその筆頭で、ヴィジュアル系特有の柔らかくしなやかな力感こそが日本のロック/メタルでなければ出せない唯一無二の質感であり、それは旧来のメタル的価値観(特に生理的感覚)からすると受け入れがたいものだということはよくわかるが(自分もそうだったしDIMLIMの歌い方は今でもギリギリの線ではある)、それを持ち味の一つとして認めることが日本のメタルの強力な武器になるのではないだろうか。国外でBABYMETALやDIR EN GREYが日本を代表するメタルバンドと認識されている(音楽的評価の面でも売上実績の面でも実際に代表している)背景にはそうした要素が少なからず関わっているはず。そういった意味においても、「ヴィジュアル系を抜きにしてメタルの歴史を語ることはできない」し、それを認めることが大事なのだと思う。これまでも、そしてこれからも。

 

 

註21

音楽ナタリー「V.A.『DEAD END Tribute - SONG OF LUNATICS - 』特集 MORRIE×清春MORRIE×HYDE 2つの対談から読み解く超豪華トリビュート」

https://natalie.mu/music/pp/deadend

 

註22

『すべての道はV系へ通ず。』市川哲史・藤谷千明、シンコーミュージック、2018年8月26日初版発行 p121-122

 

註23

こうした拒否反応は国内バンドに限った話ではなく、2011年のLIMP BIZKITや2013年のSTONE TEMPLE PILOTS with Chester Bennington(LINKIN PARKの今は亡きボーカリスト)など、保守的なHR/HMファンからは嫌われるニューメタル~オルタナティヴロック方面のバンドがヘッドライナーを務めた際は出演前~出演中に大部分の観客が帰途についていた。2013年は自分も現地にいてその様子を見ていたが、終演時には(もともとそこまで売れ行きの良くなかった年ではあったがそれを鑑みても)8割方の観客がいなくなっていたように思う。

 

註24

これは毎年驚異的な精度の先物買いを繰り返すサマーソニックのラインナップをみても言えることだが、本来ならば音楽メディアが担うべき現状の音楽シーン把握/批評や未来への播種を日本で主に実行しているのは音楽フェス運営をはじめとしたライヴビジネス業界の方なのではないかとすら思える。その点、雑誌メディアと音楽フェス両方の運営を行い双方を直結することができているロッキングオン社の邦楽部門は、いろんな功罪があるだろうがよくできているものだなと思う。

 

註25

こういうサブジャンルにおいてはカウンターカルチャー的な気質もあってか反メジャー志向をもつ人が非常に多く、「洋楽至上主義」傾向も日本のポップスとか芸能界的なものに対するカウンターとして採用されてきた面も少なからずあると思われる。成り立ちとしては仕方がない面もあるのだが、「メジャーだから駄目」「マイナーだから良い」という図式は妥当でない場合の方が多い。地下志向を徹底的に貫くことで初めて到達できる境地もある(初期デスメタルブラックメタルの名作群などそうして生まれたものも多い)ので実作者の姿勢についていえば一概に否定できないものではあるけれども、シーン全体の動向を俯瞰的に把握していくべき大手メディアがそちら方向に寄りすぎるのは良いことではないし、そうすることにより自身の首を絞める展開に繋がってきた面も多いのではないだろうか。

 

註26

非常に複雑な問題なのでここでは掘り下げないが、“ダサい”と言われがちなメタル側の自意識とかヴィジュアル系の「異性にモテる」イメージ(実際、ライヴでの男女比はメタル=9:1に対しヴィジュアル系=1:9という感じなのだが、これは各ジャンルの歴史的蓄積とか接続する文化領域によるところも大きいだろうし、「モテるからそういう男女比になる」というよりも「そのジャンルに引き寄せられる層がそういう男女比になる状況が社会的に形成・準備されているため、結果として“異性にモテる”ように見える状況が出来上がる」とみた方がよさそうな気もする)がヴィジュアル系に対する偏見を強化している面も少なからずあるように思われる。

 

註27

ヴィジュアル系に属していると上手いプレイヤーであっても下手だと思われがち」な風潮は、ヴィジュアル系外のメディアに掲載されるインタビューで多くのバンドが高頻度で言及する話でもある。

 

参考:

激ロック「INTERVIEW - NOCTURNAL BLOODLUST」

(2014.12.25掲載)

https://gekirock.com/interview/2014/12/nocturnal_bloodlust.php

激ロック「INTERVIEW - Deviloof」

(2016.8.6掲載)

https://gekirock.com/interview/2016/08/deviloof.php

激ロック「INTERVIEW - DIMLIM」

(2017.5.22掲載)

https://gekirock.com/interview/2017/05/dimlim.php

 

註27

BURRN!』2001年10月号のクロスレビューSLIPKNOT『Iowa』が92点・98点・99点という超高得点を獲得するなど、こちら方面の音楽性を伝統的なHR/HMのファンに受容させようとする(やや強引ともいえる)試みはあったのだが、こうした代表格バンドへの評価を高めることはできたものの、ニューメタル以降のメインストリーム寄りメタル全体への偏見を減じることはあまりできていなかったように思われる。

 

註29

ORICON MUSIC♪「スリップノット、15年目で初首位」

(2014.10.21掲載)

https://www.oricon.co.jp/news/2043531/full/

 

註30

Mike Portnoy(DREAM THEATERの創設メンバーでありメタルシーンを代表する超絶ドラマー)公式サイト掲載の2008年ベストアルバム企画で『Uroboros』が次点(A few honorable mentions)に選出

https://www.mikeportnoy.com/bestof/2008.php

BARKS「DIR EN GREY、欧州ツアー開幕!その第一日、世界最大のメタル祭〈ヴァッケン〉に降臨」

(2011.8.9掲載)

https://www.barks.jp/news/?id=1000072285

 

註31

2019年9月28日のツイート

https://twitter.com/fulafura/status/1177626187922755585?s=21

 

註32

90年代ヴィジュアル系最重要バンドの一つMALICE MIZERのリーダーだったManaはソロプロジェクトMoi dix Moisブラックメタルゴシックメタル的な音楽性を追求している。

 

註33

このあたりの話は先掲著『すべての道はV系へ通ず。』の第一章「ヴィジュアル系がヤンキー文化だった頃」などに詳しい記述あり

 

註34

このように壮大で複雑な楽曲は繰り返し聴き込まないと構成を把握するのが難しく、それでいてこのバンドは演奏技術(そしてベストコンディションを安定して供給する管理能力)に難があるため、魅力や持ち味を初見で把握しきるのが容易でない。LOUD PARKでのパフォーマンスやWacken Open Airでの演奏動画がメタルファンの「ヴィジュアル系は下手(または、よくわからない)」というイメージを強化してしまったというのは残念ながら確かにあると思われる。

 

註35

シンコーミュージック『BASTARDS!』Vol.1(2020.9.20発行)掲載のDEVILOOFインタビューにおける以下のやりとりはこうした影響の大きさをよく表している。

 

V系シーンではDIR EN GREYのフォロワーの時代が長かったと個人的には思っていて。ある種のDIR EN GREYコアというか。NOCTURNAL BLOODLUSTの出現以降、それを脱してきている感じがするんです。そういったオリジナリティに対するこだわりはどうですか?

桂佑:オリジナリティは常に大事にしています。そうですね…DIR EN GREYのフォロワーになっていないかにはかなり細心の注意を払っているというか。DIR EN GREYは僕も好きなんですけど、DIR EN GREYの二番煎じ三番煎じが多過ぎて、はっきり言って「おもんないな」とは思っています。それと差別化するには、まあ色々あるんだなとは思いますけど、僕の場合はアンダーグラウンドな音楽が元々好きなので、そういう音楽をV系…割合は少ないかもしれないですけど、V系と融合させて他のバンドと差別化を図るようにはしてます。

 

註36

参考:ファラ「2020年間ベストアルバム50選」など

http://note.com/sikeimusic/n/nc27a7ffe8618

 

註37

激ロック「INTERVIEW - DIMLIM」

(2018.8.8掲載)

https://gekirock.com/interview/2018/08/dimlim.php

 

註38

これは90年代ノルウェーブラックメタル黎明期にそのまま通じる話で、それ以降は様式美化したフォロワーの方が多くなっていった経緯も併せ両シーンの在り方には共通するところが多い。メタルシーンの内部で技術志向からの脱却傾向を(限定された領域にせよ)明確に生みだした点においてもブラックメタルの影響は一般的に認識されているよりも遥かに大きいのかもしれない。

 

註39

以下の歌詞は「他人と被ったら負け」姿勢を示すものとして特に象徴的だと思われる。

 

「Funny world」

“お前らには必ず革命が必要だ!”

 

「Tick Tak」

“時間が経てば経つほど移り変わるの…

どいつもこいつも保守的な思考しか…”

 

「out of the darkness

“不幸を歌えだって?

冗談じゃない

なぜ、お前たちに左右されなきゃいけないんだ

光を閉ざすのはものすごく簡単なのさ

でも、俺たちは暗闇に屈したりはしない”

 

「Lament」

“考えるのをやめた人は死んでるのと同じさ”

 

註40

こういう一般的にお洒落なイメージのあるものを大幅に導入できたのは、そうしたお洒落感に対する抵抗感がジャンル的な傾向として比較的少なかったからというのもあるのかもしれない。これはPERIPHERY的な要素に関しても言える話で(NOCTURNAL BLOODLUSTの近作などを聴いていてもそう思う)、註26と同じく複雑な話なのでここでは掘り下げないが、伝統的HR/HMシーンに属するバンドがそうした要素の導入に慎重(という以前に知るところまでたどり着かない)ということも鑑みると、こういう感覚と音楽的拡散を許容できる方向とはやはり関係があるのではないかと思えてしまう。近年いう意味での「メタル」は伝統的HR/HMと比べれば「ダサい」イメージから(良い意味でも悪い意味でも)遠いように思うし、ヴィジュアル系方面からも引き起こされただろうメタル一般のこうした「ダサさ」のグラデーションの推移が今後も様々な変化をもたらしていくのではないかという気がする。

 

註41

『すべての道はV系へ通ず。』市川哲史・藤谷千明、シンコーミュージック、2018年8月26日初版発行 p122-123

 

註42

CINRA.NET「BORISはなぜ海外で成功し得た?文脈を喪失した時代に輝くバンド」

(2014.6.12掲載)

https://www.cinra.net/interview/201406-boris/amp

 

 

 

 

妖精帝國:the age of villains(2020.3.25)

 

f:id:meshupecialshi1:20210116011309j:image

 

 前2項では「洋楽至上主義」や「ヴィジュアル系の聴かず嫌い」により日本国内の伝統的HR/HMシーンが自らの首を絞めてきたことについてふれたが、そうした流れを経てもこのシーンはそこまで縮小することなく存続し続けている。これは、サム・ダン監督の文化人類学ドキュメンタリー映画『メタル ヘッドバンガーズ・ジャーニー』におけるロブ・ゾンビの発言「“一瞬好きだったけど”とか メタル・ファンにはあり得ない」「“あの夏はスレイヤーが好きだった”なんて そんなヤツはいない」のように、好むメタルの範囲は人によって異なり限られているとしてもその対象への愛はみな深く一定以上の忠誠心を抱き続けていく場合が殆どだというのが最大の理由なのだろうが、それとは別に「ジャンル外から流入する経路がいくつもある」「メタルの隠れファンは意外と多い」というのも実は重要なのだと思われる。90年代に限らず日本の音楽史上最大級の売上を誇るユニットB`zは非常に個性的な音楽的立ち位置(註43)にいながらも出音や演奏スタイルは間違いなくHR/HMを土台としているし、浜崎あゆみをはじめとする多くのポップアーティストの楽曲間奏に頻出する速弾きギターソロなどもあわせてみれば、90年代以降のJ-POPはメタル的な音楽形式を基礎的な語彙のひとつとして多用しており、そうした要素をそれとなくメタル外のリスナーに慣れさせてきたのだといえる(註44)。前項でもふれたとおりヴィジュアル系のバンド群はそうした波及効果をもっと直接的に引き起こしてきたし、聖飢魔Ⅱ筋肉少女帯のようにHR/HM関連メディアでは殆ど取り上げられないがサウンド的には完全にメタルであるバンドも国内の「HR/HMバンド」群を上回る影響をメタル外の音楽ファンに与えてきた。00年代以降でいえば、マキシマム ザ ホルモンSLIPKNOTがメタル周辺のバンドからの影響を公言することでファンのルーツ探究を促しメタル一般にハマるよう仕向けてきた流れは間違いなくあるし、CROSSFAITHやCRYSTAL LAKEが近年繰り返しているジャンル越境的な対バン企画(リサーチ力もブッキングセンスも素晴らしい:註45)は共演した出演組のファンを惹き込みつつ様々なシーンを連結する働きを担っている。BABYMETALやPassCodeをはじめとしたアイドル方面の強力なグループも同様の連結効果を(起こっている場はメタル領域の内部ではないかもしれないが)遥かに大きな規模で実現しているし、メタル関連のメディアでは扱われないアクト経由でメタルファンが増えてきた経緯は間違いなくある。メタルファンは「メタルは蔑視されている」「メタルは無視されている」的な意識をジャンル内の常識とか基本装備といっていいレベルで共有しているが、そうした被害者意識は(以前はともかく今では)適切でない場合も多いし、上述のように自分達が思うほど評価されてこなかったわけでもない(註46)。こうした状況を無視して「メタル」を語り続けても現状を適切に評価することはできないし、この点に関しても認識の是正というか恩恵の把握が必要になるのではないかと思われる。

 

 上記の経路と並んで重要な「ジャンル外から流入する経路」になっているのがアニソン(アニメのOP=オープニングやED=エンディングに流れる主題歌、または挿入歌)・ゲーソン(ゲームの~)や同人音楽である。もともとHR/HMは70年代の頃から伝統的にアニソンと相性が良く、アニソンの勇壮な歌メロおよび曲調はHR/HMファンの間でも広く好まれてきた。日本を代表するメタルミュージシャンを集めて結成されたアニソンカバー企画バンドであるアニメタル(1997~)はそれを象徴するものだし、イタリアのメロディックパワーメタル(メロパワ)~メロディックスピードメタルメロスピ)バンドHIGHLORDやDERDIANが『聖闘士星矢』の主題歌「ペガサス幻想」を英語カバーしたり、やはりイタリアのプログレッシヴパワーメタルバンドDGMが『北斗の拳』の主題歌「愛をとりもどせ!!」を日本語カバーするなど、こうした嗜好はメタル文化圏に広く共通するものでもあるように思われる。そうしたメタル→アニソン方向とは逆に、例えばRHAPSODY(現RHAPSODY OF FIRE)やSONATA ARCTICAのような2000年頃に日本で数万枚単位のヒットを記録したメロパワ/メロスピ~シンフォニックメタルバンドはファンタジックな世界観や映画音楽にも通じる壮麗なサウンド(RHAPSODYは自身の音楽を“ハリウッドメタル”とも称した)を好むジャンル外の音楽ファン(特にアニメやマンガでそうした世界観に慣れ親しんできた人々)にとってのメタルへの入り口になってきた。これはSound Horizon(主催者Revoの別ユニットLinked Horizonは『進撃の巨人』主題歌で国民的な知名度を得た)のようなサウンド的には完全にメロパワ/メロスピの系譜にあるハイクオリティな同人音楽バンドについてもいえるし、Unlucky Morpheusをはじめとした『東方Project』アレンジメタルバンドからメロパワ/メロスピメロディックデスメタルメロデス)にハマる経路も少なからずある(註47)。もっと一般的に知られたゲーム関係でいえば、FINAL FANTASYシリーズの植松伸夫は「いまだに音楽大学の授業の中で若い人達に人間椅子さんを紹介するほどシビれてます」(註48)と公言するくらいHR/HM的な音を好みFFシリーズの楽曲をバンド編成で演奏するプロジェクトTHE BLACK MAGESで活動していたこともあるし、『サガ』『聖剣伝説』シリーズを担当した伊藤賢治対戦格闘ゲームのBGMを制作した作曲家たち(SNKブランドや『GUILTY GEAR』シリーズなど、メタルバンドの名前をキャラクター名に採用した人気シリーズも多い)も優れた劇伴音楽を通しHR/HMやそこに隣接するプログレッシヴロックのエッセンスを多くのゲームファンの記憶や嗜好に刻み込んできた。また、『ジョジョの奇妙な冒険』のDIO(元ネタはHR/HM史上最高のボーカリストのひとりロニー・ジェイムス・ディオおよびそのリーダーバンドDIO)をはじめ人気漫画シリーズを通してメタルを知るルートも多数用意されている。などなど、ジャンルとしてはメタルに括られない外の領域でメタル的な要素を魅力的に伝え広く受容される土壌を作ってきた作家がたくさんいるからこそこのジャンルに流入する人々が絶えずシーンが存続できてきたという経緯も少なからずあるように思われる。そして、そういういわば境界の領域で活動する音楽家だからこそ生み出せる類の傑作もあるわけで、メタル関係のメディアやメタルファンはそうしたものを積極的に評価しつつ内外の連結部として利用するような工夫をしてもいいのではないだろうか。「メタルは見下されている」的な被害者意識を抱え「誰の助けも借りずシーンを守ってきたんだ」みたいな無頼を気取りながらシーン外の協力者の恩恵にあずかり続けているのはフェアではないし、それを続けていたら自力でシーンを拡張する力を放棄し内輪向けアピールにばかり特化する傾向を(作品制作の面でも批評の面でも)さらに推し進めてしまうことになる。メタル内でもメタル外でもほとんど意識されていなさそうな話ではあるが、実はかなり重要な問題なのではないかと思われる。

 

 妖精帝國は上記のような境界領域から出発したバンド(1997~)で、当初は2名編成のトランス~ハードコアテクノユニットだった(ZUNTATA(ゲームメーカーTaitoのサウンド開発部門であり個性的なサントラ群で高い評価を得る)に所属していた小倉久佳の影響が大きいとのこと:註49)のが、2005年に発表したインディーズ最終4thアルバム『stigma』からはインダストリアルメタルがかったゴシックロック的な音楽性に変化。メジャーデビュー(Lantis所属)した翌年からはアニメやゲームへの楽曲提供も並行して行いつつ、2013年にはギター・ベース・ドラムスの3名を加えた5人編成のバンドとなり、メロディアスなメタルのルーツをさらに前面に出していくこととなった。Wikipediaなどを見ると冒頭に「ゴシックメタルバンド」と書かれているわりに各メンバーの影響源として挙げられているのはWITHIN TEMPTATIONやIN THIS MOMENTといった2000年代以降のかなりポップになった世代のバンドやネオクラシカルメタル~メロパワ/メロスピばかりであり、90年代=サブジャンル創成期のゴシックメタル註50)を期待すると「やっぱりありがちな感じか」と肩透かしを食う気分になってしまうと思われるのだが、実際の音はそうした影響源一覧よりも遥かにコアに捻られたものであり、しかもそれを聴きやすくポップに仕上げる作編曲が素晴らしい。2016年発表6thフル『SHADOW CORPS[e]』の最後で『少女革命ウテナ』サントラ(1998)の「体内時計都市オルロイ」をカバーしているのをみてもわかるように、同曲のオリジナルを作詞・作曲・編曲したJ.A.シーザー(日本のロック創成期~プログレッシヴロックを代表するアーティストで寺山修司との関わりも深い)から大きな影響を受けていたり(註51)、メタルバンドでありながらALI PROJECT(同じLantis所属)にも匹敵する近現代クラシック的に複雑な作り込みをしているなど、立ち位置としては「欧米の薄味ゴシックメタルバンドのフォロワー」ではなくむしろ「日本のサブカルチャー方面で培われてきたゴシック感覚(註52)を独自の形に昇華させた上でメタル化した」ようなものなのだといえる。2020年に発表された7thフル『the age of villains』はそうした音楽的特性がメタルコアやdjentといった近年のメタル要素(の滋味深い部分のみ)を取り込んだ形で強化された傑作で、MESHUGGAH的な長尺シンコペーションリフと流麗な歌メロを両立させるスタイルでは最高峰といえるバンドRAM-ZETやゴシックメタルにカオティックハードコア的なめまぐるしい展開を融合させた名バンドUNEXPECTあたりを連想させる部分もある。そうしたものとSEPTICFLESHやDIMMU BORGIRあたりをアニソン系統の超絶技巧で接続するような趣もある本作の収録曲はリードメロディの強さとバッキングの面白さを最大限に両立しており、聴き流しても楽しめる印象の強さといくら聴き込んでも飽きない構造の強度を見事に兼ね備えている。ネオクラシカルメタルとゴシカルなアニソンをメタルコア的な機動力で融合する「IRON ROSE」などわかりやすい歌モノ、TOXIKをBLOTTED SCIENCE経由でデスコアに接続するような「絶」をはじめとするインスト主体のもの、そしてそれらの間におさまるJ.A.シーザー+SEPTICFLESH+SLAYER的な「濫觴永遠」など、という感じの楽曲群がバランスよく配置された本作は全体の流れまとまりも好ましく、2020年のHR/HM屈指の一枚とさえいえる。声優的な歌いまわしのボーカルは好みが分かれるだろうがこの声でなければ表現できない味わいでこのバンドの音楽に唯一無二の個性を与えており、メタル境界領域から生まれたメタルとしてひとつの理想的な境地を示している。広く聴かれるべき傑作だし、メタル内外の連結部として素晴らしい機能を発揮してくれるアルバムなのではないかと思われる。

 

 

註43

参考:サマーソニック2019でB`zを観た直後の感想連続ツイート

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1162348000447852546?s=21

 

註44

BABYMETALが2019年に発表した3rdフルアルバム『METAL GALAXY』の2曲目「DA DA DANCE」における松本孝弘(B`z)の客演はこうした歴史的積み重ねを踏まえたものでもあるのだと考えられる。

 

註45

参考:HYPEBEAST「Crossfaith企画のNITROPOLIS vol.2にInjury Reserveが参戦決定」

(2019.5.14掲載)

https://www. hypebeast.com/jp/2019/5/crossfaith-nitropolis-vol-2-injury-reserve-vein-jin-dogg%3famp=1

 

註46

このあたりの話はこの記事のTRIBULATIONの項における「メタルシーン内外の没交渉傾向」の件で掘り下げた。

https://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2018/12/25/222656

 

註47

BURRN! ONLINE「ふたつのシーンの観測者~“THE ART OF MANKINDのWooming”が出来るまで

前編(2019.10.31掲載)

https://burrn.online/interview/991

後編(2019.11.4掲載)

https://burrn.online/interview/993

 

ロディックハードコア(メロコア)のようなパンク方面のリスナーやヒップホップのファンにHELLOWEENやDRAGONFORCEのような勢いのあるメロパワ/メロスピを聴かせると好感触を示すことが多いのをみても、上記インタビューの話は個人的には納得させられる部分が多い。

 

註48

音楽ナタリー「人間椅子30周年記念アンケート」

一番好きな楽曲として「陰獣」を挙げている

(2019.12.11掲載)

https://natalie.mu/music/pp/ningenisu04/page/2

 

註49

激ロック「INTERVIEW 妖精帝國

(2019.4.29掲載)

ZUNTATA在籍時の小倉久佳作品には上野耕路も参加しており、その上野と戸川純とのユニットであるゲルニカALI PROJECTなどに通じる音楽性を探究していたことを考えれば、妖精帝國の音楽性にも確かに繋がるものであると考えることもできる。

https://gekirock.com/interview/2016/04/dasfeenreich.php

 

註50

参考:砂男の庭園「ゴシックメタルのすゝめ壱:ダーク・メタル」ほか同ブログの記事群

web上で読めるゴシックメタル関係の日本語紹介記事としては網羅範囲も知見の深さも群を抜くものだと思われる。

https://gotishejackrenas.livedoor.blog/archives/4390637.html

 

註51

リスアニ!WEB「約4年半ぶりのリリースとなるアルバム『the age of villains』が完成!妖精帝國インタビュー」

(2020.4.13掲載)

https://www.lisani.jp/0000146601/amp/

 

註52

本項の主題からは逸れるのでここでは掘り下げないが、ボーカロイド楽曲で好まれそちら方面で独自の洗練を遂げてきた音進行/曲展開にはこの“日本ならではのゴシック感覚”の系譜といえるものが存在し、ヴィジュアル系的なものと隣接しつつ昨今のポップミュージック全域にも大きな影響を与えていると考えられる(主にハチ=米津玄師からの流れとして)。HR/HMから実際に影響を受けているボカロPもいるし、このあたりの繋がりを解きほぐすことで見えてくるものも多いのではないかと思われる。

参考:Flat「長谷川白紙を語る上で参考になりそうなボカロ曲を挙げてみる」

https://note.com/lf_flat/n/nbb093b4f5325

 

 

 

 

Damian Hamada`s Creatures:旧約魔界聖書 第Ⅱ章(2020.12.23)

 

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 聖飢魔Ⅱ(せいきまつ、早稲田大学フォークソングクラブ(WFS)で1982年末結成~1985年メジャーデビュー)は世界的にみても史上最高のメタルバンドのひとつだが、国外はもとより日本国内でもそうした評価は殆ど得られていない。これは1stフルアルバム『悪魔が来りてヘヴィメタる』が『BURRN!』1985年11月号で0点(評者は初代編集長)をつけられ同誌との関係が断絶した(註53)ために生じたことなわけだが、果たしてそれはバンドにとって悪いことだったのだろうか?短期的には間違いなく好ましくなかったにせよ、長期的にはむしろ良い面もあったのではないだろうか?という気もする。創設者のダミアン浜田(当時は殿下、現在は陛下)のコアなHR/HM志向により暗黒正統派メタルバンドとしての活動を始める一方で、他の構成員はむしろ「HR/HMもできる他ジャンルの一流」という感じで、ソウルミュージックやファンク、フュージョンプログレッシヴロックそして歌謡曲などの素養を活かした作編曲や演奏表現力を駆使することで個性的な傑作を連発していった経緯がある。聖飢魔Ⅱが本解散(1999年12月31日)までに発表した全フルアルバムの音楽性は以下のとおりである。

 

 

【】内はメインの作曲者

Da:ダミアン浜田殿下(バンドのリーダーだったがメジャーデビュー前に引退)

J:ジェイル大橋代官、A:エース清水長官、L:ルーク篁(たかむら)参謀、De:デーモン小暮閣下

 

〈1st〉悪魔が来りてヘヴィメタる(1985)【Da】

 ダミアン曲主体(序曲からの冒頭を飾る名曲『地獄の皇太子』はデーモン小暮閣下作曲)の暗黒HR/HMプログレッシヴロック路線。MERCYFUL FATELED ZEPPELINがACCEPT経由で接続されたような楽曲群は同時代の国外正統派ヘヴィメタルと比べても超一流といえる出来。この時点では構成員が確定していなかったこともあってボーカル(閣下)以外は日本を代表するフュージョンバンドPRISMのメンバーが担当しており、そうした圧倒的な演奏技術や録音環境の良さに反し妙なアングラ感を醸し出すくぐもった音作りをしていることもあってか、カルトメタルとしても他に類をみない異様な雰囲気を漂わせている。

 

〈2nd〉THE END OF THE CENTURY(1986)【Da】

 構成員が全員演奏に参加した最初のアルバム。収録曲はやはりダミアン曲がメインだが、ジェイル&エースのギターソロはHR/HMの基本を押さえながらもそこから自由自在に逸脱するものばかりで、IRON MAIDENスタイルの疾走曲にフュージョン的音進行が違和感なくのる「JACK THE RIPPER」など、唯一無二の個性が既に確立されている。代表曲「蠟人形の館」(これもダミアン作詞作曲)のヒットもあって最も知名度の高いアルバムであり、国内HR/HMメディアでも名盤として紹介されることが多い。

 

〈3rd〉地獄より愛をこめて(1986)【J】

 ダミアン楽曲のストックがなくなりジェイル大橋がメインソングライターとなった一枚。アメリカ的なブルースロック~LAメタル志向の強いジェイルの尖った音進行および演奏感覚がダミアン的な世界観のもとで自在に表現されたことにより世界的にも類をみない味わいのメタルが完成。バンドイメージもあってか「様式美」という言葉で評されることも多いが、音楽構造的には全く様式美に留まらない不思議な成り立ちの一枚である。「アダムの林檎」「秘密の花園」など名曲も多く、アルバム全体の流れまとまりはやや歪だが奇跡的に充実した傑作。HR/HM関係メディアではここまでの3枚以外の作品が言及されることは殆どない。

 

〈4th〉BIG TIME CHANGES(1987)【A、全員】

 前作のワンマン制作過程での衝突を経てジェイルが脱退(この後しばらくアメリカで活動、聖飢魔Ⅱには1995年・1999年末のライヴおよび2005年以降の5年周期再集結活動に参加)し後任にルーク篁が加入、作曲陣が一新されることとなった一枚。それまでの暗黒様式美ヘヴィメタルとは異なるアメリカンロック志向が前面に出ており、その上でプログレッシヴハード(RUSHあたり)や欧州ゴシックロック、果ては80年代CBSソニーならではのシティポップ的バラード(素晴らしいボーカルは作曲者であるエース清水が担当)など、バンドコンセプトをある程度引き継ぎながらも全く異なる音楽性が探究されている。全曲で異なるスタイルを採用しながらも不思議な統一感を勝ち得たアルバムで、これも他に類をみないタイプの傑作といえる。

 

〈5th〉THE OUTER MISSION(1988)【A、L】

 前作の成果を土台にさらなる音楽的探究がなされた大傑作。JOURNEYあたりを連想させるきらびやかなハードロックサウンドにU.K.やフランク・ザッパにも通じるプログレッシヴなエッセンスを絡める作編曲は極上で、エースの卓越した音進行感覚とルークの闊達なポップセンスが最高の形で活かされている。素晴らしい瞬間は枚挙に暇がないが、ラストを飾る7拍子の表題曲におけるエースのギターソロはジャンルを越えた至高の逸品として特に高く評価されるべき。演奏面に関して言うと、勢いだけで押すことは難しくなった音楽性なこともあって後の達人技と比べると多少の粗が出てしまっているのが惜しくはあるが、ハードロックというよりもファンクとして聴いた方がしっくりくる強靭なリズムアンサンブル(この点においても他のHR/HMバンドとは一線を画す)はこの時点でだいぶ仕上がっている。アルバムとしての構成も完璧。HR/HM史全体をみてもトップクラスに位置する一枚といえる。

 

〈Best〉WORST(1989)

 ここまでの代表曲に新録・再録を加えニューヨークでリミックスしたベストアルバム。初期3枚と体制一新後の2枚との音楽性がバランスよくまとめられ、サウンド的にも低域が極上のバランスで強化された素晴らしい内容になっている。国内出身のHR/HMバンド(関連メディアにはそう認められていなかったかもしれないが)としては史上初のオリコンチャート1位を獲得したとされるアルバムで、末尾に収録されたエース清水作のシティポップ的(MARILLIONのようなポンプロック風味もある)バラード「白い奇蹟」で紅白歌合戦に出場することにもなった。売上や知名度の点ではこのあたりがバンドの全盛期。

 

〈6th〉有害(1990)【A、L】

 前作までのアメリカンロック志向をさらに強めたアルバム。性愛をテーマとした歌詞はだいぶ滑り気味だと思うが、ファンク~フュージョン(後者寄り)的な高機動アンサンブルとは雰囲気表現の面でよく合っているし、初期の欧州ゴシック的な世界観から離れつつ悪魔コンセプトを保つための題材としては良い選択だったのではないかと思う。IRON MAIDENに連なるNWOBHM的スタイルのパワーコード進行感と80年代R&B的に入り組んだ和声感覚が独特のバランスで違和感なく融合している作編曲も興味深く、ややパッとしないイメージもあるがやはり他に類をみないところを掘り下げた優れた一枚だといえる。

 

〈7th〉恐怖のレストラン(1992)【L、De、A】

 直近のポップ路線が既存ファンに歓迎されなかったこともあってか悪魔コンセプトを採用しなおしたアルバムで、同時期に台頭してきたグランジ~グルーヴメタル(ルークは同年頭に発表されたPANTERAの歴史的名盤『Vulgar Display of Power』などを意識したという)を介してスラッシュメタルドゥームメタルに向かうハードな路線が初期よりも過激なヴィジュアルとあわせ提示されている。同時期のエクストリームメタルと比べると(暗くささくれだった質感をちゃんと出してはいるが)クリーンで軽めなサウンドや閣下のコメント「ダミアン浜田殿下の歌詞はあまりにも発想がすごいから、笑えるところまでいくんだけれど、他の構成員だとマジメで現実感がありすぎる」(『Rockin`f』vol.17)のとおりの歌詞が中途半端な印象を生んでいる面はやはりあるが、個々の楽曲はさすがに素晴らしく、スラッシュメタルとグルーヴメタルの間を理想的な具合で突く高速刻みの上でオペラティックなデスヴォイスが炸裂する「ギロチン男爵の謎の愛人」、7拍子のギター&ベースリフ+6拍のシンセリフのポリリズムから始まり5拍子パートも交錯する展開のもとでエースの艶やかなソロが乱舞する(どこかVOIVOD的でもある)「人間狩り」をはじめ、このバンドでなければ作曲&具現化するのが難しいものも多い。これもまた非常に優れた一枚。

 

〈8th〉PONK!!(1994)【L、De】

 ロンドンのアビーロードスタジオ(THE BEATLESの本拠地としても知られる名スタジオ)で制作されたアルバム。バンドの迷走傾向が頂点に達した一枚で、ドラムスまわりでラウドさを担保する音作りは極上の仕上がりだがメタル要素はほぼ消滅、トッド・ラングレン的な一捻りあるポップスとLED ZEPPELINの間を道草しまくりながら無節操に行き来するような構成になっている。各曲方向性が異なる楽曲群を序曲・終曲で強引にくるみコンセプトアルバム風にみせかけるつくりはTHE BEATLES『Sgt. Pepper`s Lonely Hearts Club Band』的でもあるが、歪な起伏を伴う流れは『The Beatles』(通称ホワイトアルバム)をよりとっちらかった感じにしたというほうが近いかもしれない。バンド史上最大の問題作であり他作品のファンであれば必ず当惑させられる内容だが、聖飢魔Ⅱ本活動期間中では全盛期といえるボーカルをはじめ演奏が素晴らしいこと、そして曲の並びが意外とよく前2作などよりも滑らかに聴き通せることなどもあってか、慣れればわりと違和感なくハマれる一枚になっていると思う。個人的には好き。

 

〈9th〉メフィストフェレスの肖像(1996)【L、Da】

 ソニーとの契約が終了しBMGビクター(2008年にソニーの完全子会社化)移籍第一弾となったアルバム。過去に在籍した構成員が一挙集結した前年のライヴイベントSATAN ALL STARSを経て(解散の危機を乗り越えて)制作された一枚で、同イベントで再会を果たしたダミアンとジェイルが楽曲を提供している。初期の暗黒正統派HR/HM路線を意識しつつどこかAOR的な艶やかさを滲ませた楽曲群は“肩の力が抜けたSTEELY DAN”的な雰囲気も漂わせており、低予算で時間をかけられなかったことが迅速なジャッジや良い意味で迷いのない演奏表現につながっている模様。三日月の下で静かに涙を流しているかのような雰囲気が絶品な「PAINT ME BLACK」をはじめ、深く沈みながら不思議とくよくよしていない佇まいは他では味わえないものだろう。地味な印象もあるが唯一無二の薫り高さに満ちた傑作。

 

〈10th〉NEWS(1997)【L】

 前作までの迷走傾向から脱し独自のメロディアスなハードロック路線を貫徹した傑作。10曲中7曲がルーク主導であり、同時期のJ-POP領域で人気を博していた歌謡ロック的な音楽性のもとで後のCANTAにも通じるポップセンスが素晴らしい成果をあげている。歌メロはもちろんギターソロに至るまで印象的なメロディで埋め尽くしつつ安易に流れない引っ掛かりをかませる作編曲はいずれも見事な出来で、明るめのヴィジュアル系に接近しながらも音的にはそう思わせない仕上がりは閣下の声をはじめとするこのバンドの持ち味あってこそのものだろう。後期の聖飢魔Ⅱを代表する名盤といえる。

 

〈11th〉MOVE(1998)【L、A】

 ジョー・リノイエ近藤真彦ミッドナイト・シャッフル」や武富士CM「SYNCHRONIZED LOVE」などを手掛けた)たちをプロデューサーに迎え編曲など制作の方向性を大きく委ねたアルバム。前作の歌謡ロック路線をよりアダルトコンテンポラリー方面に寄せた一枚で、閣下の卓越した発声が楽曲の“シリアスに寄り添う”雰囲気(場合によっては説教臭いギリギリのラインまでいく)を増強していることもあって好みが分かれる内容だが、演奏やサウンドプロダクションのクオリティは全作品中屈指で、アルバム全体の構成も申し分なく良い。リズムギターの音量が絞られたミックスなどHR/HM要素はだいぶ減退したがこの音楽性にはよく合っていると思う。解散後にエースが結成するface to aceにも繋がる音楽性でもあり、近作では担当曲数が減っていたのがここでは10曲中4曲とだいぶ増えている。翌年末に解散が決まっていたことを踏まえた上でこれまで試みていなかった路線を攻める姿勢が結実した一枚。

 

〈12th〉LIVING LEGEND(1999)【L、A、De】

 最後のスタジオ録音作として制作された13曲69分の傑作。冒頭を飾る閣下作の正統派ヘヴィメタル「HEAVY METAL IS DEAD」(聖飢魔ⅡはもちろんHR/HM史全体をみても屈指の名曲)から美しい余韻を残すルーク作のプログレッシヴメタル「GO AHEAD!」(KING CRIMSON「Red」のさりげなさすぎる5連符引用などバンドの実力が理想的に発揮された名曲)までメジャーフィールド寄りHR/HMのあらゆるスタイルを総覧するかのような内容で、演奏もサウンドプロダクションもここまででベストと言える仕上がり。エース最高の一曲「CENTURY OF THE RAISING ARMS」などこのタイミングでなければ生み出せない名曲名演で埋め尽くされた本作は文字通り有終の美を飾る一枚といえる。最高傑作のひとつであり、このバンドを文字通り伝説としたアルバムである。

 

以上のように聖飢魔Ⅱは全ての作品で異なる音楽領域に挑戦しており、それは「一番やりたいのはHR/HM」というわけではないミュージシャンばかりが集まった4th以降(本解散前の最終編成)においては各構成員の素養を一定以上活かすために必要不可欠な展開だったのだと言える。本項冒頭で1stフルの「0点」レビューおよびそれによるHR/HMメディアとの断絶についてふれたが、ここでもし真っ当に高い評価を得ていた場合(註54)は3rdまではともかく4th以降の路線転換に踏み切るのは難しかっただろうし、そうなっていれば以降の豊かな音楽的達成もなかっただろう。あの悪魔の姿を一度も捨てずに(註55)いながらそうしたイメージにはそぐわない音楽性(8thフルなど)を選べてしまうのをみればジャンル的なしがらみはないほうがよかったのは確かで、そういう縛りが少なかったからこそ当初の予定である1999年末の解散まで完走することができたのだと思われる。ジャンルの保守的な傾向が強かった時代にそうした重力圏から逃れることができ、その上で出発点となったジャンル特有のサウンドを活かしつつ他領域と融合する傑作を連発し、それを圧倒的なバラエティ人気を通して“お茶の間”にも届けてしまう。聖飢魔Ⅱのこのような活動があったからこそHR/HMを知りジャンルのファンになった人も多いわけで、前項でふれた「ジャンル外から流入する経路」として最も大きな貢献をしてきたバンドでもあるのである。

 

 以上を踏まえて特筆すべきなのがダミアン浜田楽曲の重要さである。聖飢魔Ⅱはスタジオ作品でどんなスタイルに取り組もうがライヴでは最初期の定番曲およびそれに付随する“伝統芸能”的やりとりを欠かさず、それらが醸し出すダミアン流の世界観を示し続けてきた。このバンドがこれほど無節操な音楽的変遷を繰り返すことができたのはあのヴィジュアルやわかりやすく印象的なバンドイメージによって「悪魔だから何をやってもおかしくない」的な納得感を与えてしまえるからでもあり、ダミアンワールドがその軸足(しかもそれはHR/HM史全体をみても屈指の名曲群)となることで“どれだけ遠くに行っても帰ってくる場所がある”状況が維持される。構成員が常にダミアン浜田陛下を最大限に尊重するのは単にサークルの先輩~バンドの創設者だからではなく、こうした貢献の大きさ得難さを身をもって実感しているからでもある。保守的HR/HMメディアから村八分にあった正統派HR/HMの名ソングライターがこのようにして日本のメタル領域に甚大な恩恵をもたらしてきたのをみると、物事の影響関係というのは本当に複雑で何が起こるかわからないものなのだなと思う。

 

 

 Damian Hamada`s Creaturesはダミアン浜田陛下の楽曲群を配下の“改臟人間”が演奏するバンドで、陛下は作詞・作曲・編曲に専念、演奏はプログレッシヴハードロックバンド金属恵比須に『X FACTOR OKINAWA JAPAN』や日本テレビ「歌唱王」のファイナリストとしても知られるシンガーソングライターさくら“シエル”伊舎堂を加えた6人が担当している。大学卒業後に故郷の山口県に戻り“世を忍ぶ仮の姿”の教師として35年間勤務した陛下は、体力の限界を感じたことや最後に受け持った3年間のクラスで有終の美を飾れたこともあって早期退職を決定(註56)。その後はしばらく悠々自適な生活を送っていたが、そうした“自堕落な生活”は1ヶ月ほどで飽き、その繰り返しを虚しく思ったこともあって7~8年ぶりにギター演奏を再開、そしてDAW(2014年に導入したCubaseおよび2019年から使い始めた「サンプリングソフト」)の活用も本格化。21年前に作り放置していた「Angel of Darkness」のイントロに取り組んでみたところスムーズに完成できてしまい、作曲を楽しいと感じ以降の生き甲斐とすることになったのだという。その流れで出来たデモ音源をレコード会社に送ったところバンド形態での作品制作を提案され、「ギターを弾いてもブランクもあってあまりのめり込めなかったが、作曲に関してはいくらでもできる」という自身を顧みて「自分はコンポーザーとしてのみ参加し演奏は専門家に任せる」という分業体制を採用、先述の編成が完成したのだった。レコード会社に送られた音源は曲数もあってかまとめて聴くには重すぎると判断され2枚に分割してのリリースが決定。曲のキーや雰囲気を踏まえ、『第Ⅰ章』は名刺がわり(過去作に通じるもの)として、大作志向で複雑な曲は『第Ⅱ章』に入れることとなったのだという。

 

 このバンドの音楽性については、インタビューでの以下のような発言がとても示唆的である。

 

<──リスナーとしてはどうでしょう? やはりヘヴィメタルを聴き続けていたのでしょうか?

 

90年代半ばまでは、ハードロック、へヴィメタルを聴き漁っていたのだが、少しずつ新しいものを開拓する意欲はなくなってきた。例えばイングウェイ・マルムスティーンだと、熱心に聴いていたのは「セブンス・サイン」(1994年発表のアルバム)まで。そこから先は同じようなパターンが続いている印象もあって、「この人も出し尽くしてしまったのだろうか」と感じた。StratovariusRoyal Huntなども私の好みからすると1995、6年あたりがピークだったと思う。00年代に入るとメロディよりもリズムを重視したバンドが登場してきたわけだが、決して嫌いではないものの、私の好みとは違っていたのだ。わかりやすくいうと、ワクワクしなくなったというか……。よって、00年代以降はそれまでのハードロック、へヴィメタルを繰り返し聴いている。

 

──ニューメタル、へヴィロックと呼ばれたLimp BizkitKornなどは?

 

あまり聴いてなかったな。むしろ私の印象だと、ゲーム音楽やアニメソングの中にヘヴィメタルを感じることが多かった。あとはいわゆるヴィジュアル系のバンドの中にも、ガシガシ攻めている曲があったと思う。

 

──なるほど。陛下としてはやはり、70年代、80年代のメロディアスなヘヴィメタルが最強なのでしょうか?

 

そうだな。一番好きなのはRainbow、Scorpions、そしてマイケル・シェンカー。それが私の核となっているのは間違いない。>(註57

 

ツイッターアカウントで詳しく綴られている音楽遍歴(註58)をみてもわかるように、陛下は欧州のメロディアスなHR/HMおよびプログレッシヴロックを愛するこちら方面では実にオーソドックスなリスナーで、こうした発言をみるぶんには知識・嗜好ともにあまり広がっていないように思われるのだが、そこから出てくる音楽がありきたりでつまらないかというとそんなことは全くないのが面白い。『第Ⅰ章』は初期聖飢魔Ⅱの別バージョンという感じの王道HR/HMで個人的には「良いけどそこまででは…」という印象だったのだが、翌月に発表された『第Ⅱ章』は聖飢魔Ⅱの「悪魔組曲 序曲:心の叫び」や「悪魔の讃美歌」で提示されていた仄暗く神秘的なコーラスを強化し独特のリズム構成とかけ合わせたようなアレンジが素晴らしく、初期MERCYFUL FATEEmerson, Lake & Palmerをトニー・マーティン期BLACK SABBATH註59)経由で融合したような最高レベルの暗黒HR/HMになっている。全編3拍子なのにアクセントの付け方が特殊なため前半が7拍子っぽく聴こえたりする「新月メヌエット」はANEKDOTENのカバーなども難なくこなす金属恵比須ならではのアンサンブル表現が素晴らしいし、最後を飾る疾走曲「Which Do You Like?」は壮絶なシャウトで幕を開けながらもサビであえて盛り上げない構成とその美学を汲み取り凄まじいテンションを保つダイナミクスコントロールが絶品。アルバム全体の構成も良いし、個人的には初期聖飢魔Ⅱにも比肩する(アレンジの興味深さでは勝る)極上の一枚だと思う。そこまでインパクトが強くはない『第Ⅰ章』を出した直後の年末リリースということもあってあまり聴かれていなさそうなのが非常に勿体ない傑作である。

 

 今回発表された『第Ⅰ章』『第Ⅱ章』に際するインタビューで陛下は以下のようなコメントを残している。

 

<──最後にお伺いしたいのですが、陛下の中には「ヘヴィメタルのよさを日本の人間に知らしめたい」「ヘヴィメタル復権させたい」という気持ちはありますか?

 

それはさすがにおこがましいだろう。デスメタルが好きな人間もいるし、最近のリズム重視のメタルが好きな人間もいるし、好みはそれぞれ違うからな。そもそも私は、かつての個悪魔大教典(※ソロ名義のフルアルバム)にしても、初期の聖飢魔Ⅱの楽曲にしても、“ザッツ・ヘビィメタル”とは全然思ってないのだ。ただ私が好きな音楽を作っているし、今回の大聖典2作も好きなことしかやってないからな。メジャー進行の明るい曲も作ろうとすれば作れるが、それでは自分らしさが出せないし、作っていて楽しくない(笑)。やはり私は、暗さの中に美しさがあるヘヴィメタルが好きなのだ。これからもそれは変わらないだろう。>(註57

 

保守的ではあるが排他的ではないこの姿勢は(リスナー歴が長く成熟を経たからこその境地でもあるのかもしれないが)原理主義的なHR/HMファンには珍しいもので、こうした柔軟な感覚があればこその聖飢魔Ⅱでもあったのだなという気もする。陛下によれば「今、生涯で一番曲がどんどん出てきていて、もう次の聖典も準備している。実は頼まれてないが、その次の作品も勝手に作っている(笑)」(註60)とのこと。これからも唯一無二の滋味深い音楽を提供し続けていただきたいものである。

 

 

註53

BURRN!』1985年11月号に掲載された聖飢魔Ⅱ『悪魔が来りてヘヴィメタる』に対する0点レビューおよびそれに対するバンド側の印象(2006年6月6日発行『激闘録 ひとでなし』p55から)

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/623481311798280192?s=21

 

Billboard Japan「聖飢魔Ⅱ デビュー作に0点を付けたB!誌との因縁に終止符、編集長が正式に謝罪」

(2020.12.21掲載)

本解散(1999年12月31日)以前も編集部員のコラムで聖飢魔Ⅱのアルバムが「お気に入りの1枚」として紹介されることはあり、各構成員の個別活動については新譜発売に際するインタビューが掲載される機会も徐々に増えていったが、“聖飢魔ⅡというHR/HMバンド”単位での関係が公式に復活したのは実に35年ぶりのこととなった。

http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/95435/2

 

註54

上記0点レビューは音楽性よりもレコード会社やバンドの雰囲気を問題にしたもので、評文に「技術はあるのに邪道を走ってしまったこのバンドにインテリジェンスを求める僕が悪いのか……。真面目にやってるバンドが可哀いそうだ」とあるように音楽的レベルの高さは認めているため、この理不尽極まりない反応をかいくぐるプレゼンテーションができてしまっていた場合(または評者が別の人だった場合)は期待の新星として同誌と深い関係を築くことになった可能性も十分考えられる。

 

註55

聖飢魔Ⅱの元ネタとみられることも多いKISS(音楽的には一部楽曲を除き全然異なる)も1983年~1995年はメイクなしで活動しており、当初のコンセプトを常に貫徹できていたわけではなかった。

 

註56

ダミアン浜田陛下インタビューのリンク集

https://twitter.com/damian_hamada/status/1344570741036118016?s=21

 

註57

音楽ナタリー「インタビュー Damian Hamada`s Creatures」

(2020.12.14掲載)

https://natalie.mu/music/pp/damianhc/

 

註58

ダミアン浜田陛下の過去ツイートで詳細に綴られている音楽的バックグラウンドは以下のようなものである。

https://twitter.com/damian_hamada?s=21

 

〈好きなアルバム10(HR/HM関連)〉順不同

DEEP PURPLE『Live in Japan』

RAINBOW『Rising』

RAINBOW『On Stage』

RAINBOW『Long Live Rock`n Roll』

LED ZEPPELIN『The Song Remains The Same』(Ⅱ~Ⅳとも迷う)

SCORPIONS『Tokyo Tapes』

JUDAS PRIEST『In The East』

BLACK SABBATH『Heaven and Hell』

MICHAEL SCHENKER GROUP『M.S.G.』(邦題:神話)

QUEEN『A Night at The Opera

 

〈好きなアルバム10(プログレッシヴ・ロック編)〉順不同

Emerson, Lake & Palmer『Tarkus』

Emerson, Lake & Palmer『Brain Salad Surgery』

KING CRIMSON『In The Court of The Crimson King』

KING CRIMSON『Larks` Tongues In Aspic』

YES『Close to The Edge』

YES『Fragile』

U.K.『Night After Night』(3枚ともとても良い)

RENAISSANCE『Novella』(邦題:お伽話)

Mike Oldfield『Tubular Bells』

PINK FLOYD『Animals』(『The Darkside of The Moon』と大いに迷う)

 

プログレ編その他〉

Giles, Giles & Fripp

VAN DER GRAAF GENERATOR

FOCUS

AREA

ATOLL

TRIUMVIRAT(トリアンヴィラート:ドイツ出身)

KANSAS

TANGERINE DREAM

KRAFTWERK

 

〈第1の衝撃〉

小1の音楽の教科書に準拠したLP

ピアノ練習曲「アラベスク」(ブルグミュラー?)に衝撃を受けたが

「フニクリ・フニクラ」(ルイージ・デンツァ、イタリア大衆歌謡)は嫌いだった

:マイナー調の曲を好み明るい曲は敬遠していた

 

〈第2の衝撃〉

アニメや特撮もののレコードを集める

(参謀の「戦闘ものアニメの主題歌のようだ」というコメントはズバリその通り)

ゴジラガメラにはより強い影響を受けた(特に伊福部昭

 

〈第3の衝撃〉

3歳上の兄に影響を受けて聴いたフォーク(井上陽水吉田拓郎かぐや姫の曲全般)

中3のはじめ:自分の作品には全く影響を受けていないが、これを機にフォークギターを弾き始めた

 

〈第4の衝撃〉

Emerson, Lake & PalmerEnigma, Pt.1」(『Trilogy』1曲目)でプログレッシヴ・ロックを知る

ファンクラブに入ったアーティストはELPのみ

 

〈第5の衝撃〉

KING CRIMSON『In The Court Of The Crimson King』

それ以前にDEEP PURPLEの「Burn」や「Black Night」も聴いていたがその時はあまり心が動かされず、ハードロックに目覚めるのはもう少し後になる

 

〈第6の衝撃〉

RAINBOW『Rising』

ダミアン浜田の原点

リッチー・ブラックモアの曲の中では「Kill The King」が一番好き、次いで「Stargazer

 

〈第7の衝撃〉

DEEP PURPLE『Live in Japan』の「Highway Star」に辿り着き、いつかエレキギターを弾こうと決めた(実際に購入できたのはそれから2年先の高校2年)

 

〈第8の衝撃〉

ドヴォルザーク交響曲第9番、特に第1・4楽章

ELPの影響でクラシック音楽を積極的に聴くようになった)

 

〈第9の衝撃〉

SCORPIONS(特にウルリッヒ・ロート)、JUDAS PRIEST

ツインリードの素晴らしさを教わった

 

SCORPIONS:『Virgin Killer』『Taken By Force』『Tokyo Tapes』

 『Taken By Force』がHRとHMのちょうど境界線上に

JUDAS PRIEST:『Sin After Sin』『Stained Class』『Killing Machine』『In The East』

 一番好きなのは「Diamond & Lust」、2番目は「The Green Manalishi」

 

〈第10の衝撃〉

マイケル・シェンカー、ランディ・ローズ(大学2年)

 

〈第10の衝撃後や聖飢魔Ⅱ脱退後によく聴いたもの〉

KINGDOM COME(閣下の薦めで聴いた)

CRIMSON GLORY

ANGRA

DREAM THEATER

STRATOVARIUS

GAMMA RAY

QUEENSRHYCHE

ROYAL HUNT

TNT

 

 ・ GENESISは2014年に入るまであまり聴いていなかった

モルゴーア・クァルテット『21世紀の精神異常者たち』収録の「月影の騎士」に大きな感銘を受けたことがきっかけで聴き始めた

(「静寂の嵐」「そして3人が残った」しか持っておらず、ピーター・ガブリエル時代はあまり聴いていなかった)

 

 ・ EARTH, WIND & FIREは今でもかなり好き

「Fantasy」「Boogie Wonderland」

Simon & Garfunkel「Scarborough Fair」(この世で一番美しい曲)、「冬の散歩道」

ドナ・サマー「Hot Stuff」、THE DOOBIE BROTHERS「Long Train Runnin`」

 

・ KISSは嫌いではない程度(陛下と閣下はKISSからの影響は皆無)

 

註59

激ロック「INTERVIEW Damian Hamada`s Creatures」

(2020.12.28掲載)

BLACK SABBATH『Headless Cross』『Tyr』の頃のトニー・アイオミのようなギターサウンドで」という指示を出し、結果的にそれよりライトな仕上がりとなったが歌にもよくマッチしていて良いと感じた、というコメントあり

https://t.co/u6tayJfPrb?amp=1

 

註60

Music Voice「INTERVIEW ダミアン浜田陛下」

(2020.12.12掲載)

https://t.co/wLE627l9fm?amp=1

 

 

 

 

五人一首:死人贊歌(2020.12.9)

 

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 ここまでの4項では国内メタルシーンの在り方および周囲からの認識のされ方について主にメジャーフィールド方面からふれたが、そうした領域と完全に切り離されているわけではないにしろあまり関係ないところで活動するバンドも存在する。日本を代表するプログレッシヴデスメタルバンドとされる五人一首もそのひとつで、一名を除く全メンバーが音楽で生計を立てていない(註61)ために制作やライヴを頻繁に行うことはできない一方で、殆どの“専業”バンドを上回る驚異的なクオリティの作品を発表してきている。2020年末にリリースされた3rdフルアルバム『死人贊歌(しびとさんか)』は15年に渡る作編曲およびパート別レコーディングを経て完成した一枚で、このサブジャンルの歴史においてはもちろんKING CRIMSON影響下の音楽(プログレッシヴロックやメタルに限らず様々なジャンルにわたり無数に存在する)全域をみても屈指といえる傑作になっている。

 

 「メタル」は“ただ単にうるさい音楽”だというイメージが強い人からすると「プログレッシヴロック」(クラシックやジャズに近い感触をもつ複雑な構造のロック)はジャンルの括りが異なることもあって全くの別物という印象を抱くことが多いと思われるが、実は両ジャンルは伝統的に非常に近いところにある。ハードロックの始祖とされるLED ZEPPELINBLACK SABBATHは幅広い音楽的バックグラウンドを駆使してジャンル越境的な作品を連発してきたし、プログレッシヴロックの代名詞的存在として真っ先に名前が挙がるKING CRIMSONも歴史的名盤『Red』(1975)などで後のメタルやハードコアパンクと並べて聴いても全く遜色のない重く歪んだサウンドを確立していた。全世界で数千万枚単位の売り上げを誇る“プログレッシヴハードロック”の代表格RUSHはその間の地点から出発しあらゆる音楽領域に接続してきたバンドだし、そのRUSHにMETALLICADREAM THEATER、DEATHなどが大きな影響を受けていることを考えれば、それらの系譜にある“プログレッシヴメタル”および“プログレッシヴデスメタル”が70年代頭のハードロック/プログレッシヴロック未分化期からの流れを汲んでいることがよくわかる。メタル関係のメディアもこのような歴史的背景を踏まえた上でプログレッシヴロックを好意的に扱うことが多く、日本でも国内のメタル周辺を代表する音楽ジャーナリスト伊藤政則(『BURRN!』編集顧問でもある)が両ジャンルを好むこともあって積極的な紹介が行われてきた。そうした経緯もあってかメタル領域にはプログレッシヴロック方面の音楽要素を取り込んでいるバンドが多く、そのなかでも最も有名な存在であるKING CRIMSONの影響は極めて大きいといえる。

 

 メタル関係のレビューを読んでいると「これはプログレの影響がある。KING CRIMSONとかPINK FLOYDとか」という趣旨の言い回しを見かけることが少なからずある。これは「プログレといえばKING CRIMSONPINK FLOYDみたいな音だろう」というくらいの狭い認識からきている(「プログレ的な音だからその2バンドの名前を挙げれば格好がつく」と思っている)場合が多い、つまりプログレッシヴロックというジャンル名が指し示す音楽領域の広さや層の厚さを知らずにそう言っている可能性が非常に高く、基本的には鵜呑みにしてはいけない言い回しなのだが、その一方でそうしたメタルバンドがKING CRIMSONPINK FLOYDに本当に影響を受けている場合も多い。ここで問題になるのは「影響を受けた」具体的な音楽要素がどれなのかということで、上記のような評文ではKING CRIMSONPINK FLOYD以外の“プログレ”バンドや他ジャンルを由来とする複雑な構造(本記事中編のAZUSAの項でふれた様式的な意味での「プログレッシヴ」要素=変拍子やシンフォニックなアレンジなど)を強引にその2バンドと結び付けていることが多いのだが、実際の影響としてもたらされているのは特定のフレーズ/コード進行や長いスパンで流れる~アンビエント的でもある時間感覚といった要素であることの方が多いはずで、それらはいずれも「プログレ」という印象に回収されはするが基本的には別のものである。KING CRIMSONに関して言えばその影響はもっと具体的で、①「Lament」「The Great Deceiver」「Fracture」といった70年代の楽曲で提示された特徴的な音程跳躍を伴うフレーズ(5拍子や7拍子であることが多い)およびそこから想起されやすいコード進行、そして②「Frame by Frame」「Discipline」のような80年代の楽曲で確立されたガムラン/ケチャ/ミニマル音楽的ポリリズム(7拍子+6拍子など)のいずれかに概ね限られると言っていいだろう(註62)。特にメタル周辺では①の影響が強く、国外ではVOIVOD、国内では人間椅子註63)やDOOMを筆頭に膨大な数のバンドが直接または間接的な影響を受けてきた(エクストリームメタル領域においてはVOIVOD経由での間接的影響の方が大きいかもしれない)。こうした限定的な要素は音楽全体からみると“カニの旨み”のようなもので、本家KING CRIMSONでは他の食材とうまく組み合わされてコース料理的に提示されるため悪目立ちしない(そうした成分が苦手でも気にせず一緒に食べてしまえる)のだが、KING CRIMSON影響下のバンドはそうした成分(しかも養殖物的な単純化バージョン)を前面に押し出し単体で提示する場合が殆どで、“カニ風味”の強い存在感が他の要素の味わいを打ち消し均一な印象を生んでしまいさえする。マネキン買いしたコーディネートが本人の持ち味に合わず没個性的にみえさせてしまうようなこうした現象はまことに由々しきもので、個人的にはOPETH人間椅子のようなごく稀な成功例を除き「KING CRIMSON影響下のバンド(①の場合)」に気兼ねなくハマることはできない。そういう嗜好の者からするとまた複雑な問題なのが「音楽的に高度な地下メタルバンドはVOIVODの影響を受けている場合が非常に多い」ということで、広範な音楽的バックグラウンドに加えロック史上屈指の個性的なアンサンブルを確立した同バンドだからこそギリギリのバランスで扱える(そうした作編曲を主導した故Piggyの後任として加入したChewyはジャズ方面の楽理を援用しつつ見事に別物に昇華できている)①要素をフォロワーのバンドは無防備に導入する場合が多く、それがなかった方が個性が映えただろうに残念だと思えてしまうことも少なからずある。こうした影響関係の系譜はスラッシュメタル(初期VOIVODがカテゴライズされる領域)~デスメタルはもちろんブラックメタルグラインドコア~メタリックハードコアなどパンク方面も含むエクストリームミュージック全域に及ぶわけで、そうした音楽の歴史には「KING CRIMSON要素との格闘(その感染に“敗れた”ものも多い)」という側面もあるのだと言える。ジャンルの発祥から時間が経ちそうした要素の消化手法も蓄積されてきたこともあってか、ある程度影響を受けながらもこうした問題を回避できているバンドの比率も増してきたように感じられるが、KING CRIMSONもVOIVODも各方面のトップクラスとして今なお現役で活動し続けており、上記のような視点からの分析は音楽構造の解釈といった面においてもシーンの歴史把握の面においても重要なのではないかと思われる。

 

 以上を踏まえて五人一首の3rdフル『死人贊歌』についていうと、KING CRIMSON的な要素(①および②)は確かに非常に多いのだが、その全てを独自の個性として改変昇華した素晴らしい仕上がりになっている。KC的な要素の活用部分を具体的に挙げるなら、明らかにインスパイアされている部分だけみても「そして無に帰す」の0:23~や4:20~、「傀儡の造形」の3:14~、「毒薬と再生」の4:06~、「然るべき闇夜へ」の1:49~や8:11~、「呵責」の0:33~、「弔いの月が啼く」の3:13~や14:54~など全曲にあり、それ以外でもKC的な薫りが漂う場面は無数にあるのだが、暗い童謡に通じる和風ゴシック的な音進行やアラン・ホールズワース方面のジャズロックに通じるコード感などが加わることにより、本家KCにはない唯一無二の味わいが生まれているのである。全編5拍子の流麗なリズムアンサンブルが素晴らしい「そして無に帰す」の4:20~は特に絶品で、近年のKC=メタルクリムゾン的なアンサンブルの採用の仕方はもしかしたら本家よりも効果的かもしれない。そうしたアレンジが映える本作の音楽性は「人間椅子と初期CYNICを初期筋肉少女帯Emerson, Lake & Palmerを介して融合した」ような趣もあり、2005年発表の2ndフル『内視鏡世界』(欧州の地下メタル方面を代表するインディレーベルSeason of Mistから世界発売もされた)におけるEmerson, Lake & Palmer~MEKONG DELTA~SPIRAL ARCHITECT的なスタイルから大きく変化しながらも格段にうまく洗練され深みも増したものになっているのではないかと思う。こうした音楽性は、「楽器パートを構成するためにはゲーム音楽(Nintendo Music)を参考にし、プログレッシヴロック、メタル、サウンドトラック、実験音楽などにも影響を受けている」(註64)リーダー百田真史(鍵盤担当)が隅々まで構築したMIDI音源を土台に各メンバーのインプットを加え、ギターとシンセサイザーの音色の相性やチューニングまでこだわりぬいたという緻密なレコーディングを繰り返したことにより完成できたもので、例えば「人間椅子倶楽部」的でも筋少「いくじなし」的でもATROX的でもある「然るべき闇夜」がそれらの亜流に留まらない説得力を備えているのはこのような作り込みの賜物でもあるのだろう。方言や古語を使うことでバンドのコンセプト=“目に見えない畏怖(invisible awe)”を表現しているという歌詞(註65)もサウンドに見合っており、バンドの得難い個性の一端を担っている。7曲60分の長さを難なく聴かせきる構成も見事な傑作である。

 

 五人一首は15年のブランク(ライヴ活動は散発的に繰り返されてきた)を抱える1997年結成のバンドということもあってメタルコアやdjentを通過しておらず、こちら方面のバンドとしてはオールドスクールな音楽性だとも言えるのだが、先述のようなKING CRIMSON要素のうち②のポリリズム~ミニマル音楽的リズム構成がポストロック~マスロック方面を介し近年のポストメタルやプログレッシヴメタルに流入してきた結果、そちら方面を通っていないだろうにもかかわらず音楽構造に共通する部分が多いという奇妙な共振状態が生まれている。時代を超えて影響を与え続けるばかりか分岐した様々な文脈の間に結節点をもたらすこともできるKING CRIMSONの凄さを改めて実感させられる次第である。

 

 

註61

YOUNG GUITAR「五人一首、15年ぶりのフル・アルバム『死人贊歌』は「じっくり聴き込んで頂ける作品になった」

(2020.12.12)

https://youngguitar.jp/interviews/gonin-ish-2020

 

ベース担当の大山氏は『スプラトゥーン』シリーズのアレンジャーやボカロライヴの企画でも知られる専業音楽家であり、『死人贊歌』の制作に時間がかかったのは氏のスケジュール調整によるところも大きいようである。(CD付属のライナーノートに詳しい)

 

参考:ファミ通.com「イイダのショルキー、『あさってColor』の演出。『スプラトゥーン2』ハイカライブに込められた数々のこだわりを、アレンジ担当の大山徹也氏にインタビュー!」

(2018.7.23掲載)

https://www.famitsu.com/news/amp/201807/23161216.php

 

註62

大槻ケンヂKING CRIMSONからの影響を公言しているが、筋肉少女帯や特撮で駆使されるKC成分は①(いわゆる第3期クリムゾンのクリシェ)や②(第4期以降のクリシェ)でなく③「Sailor`s Tale」のような(第2期あたりの)欧州ジャズロック的な要素であることが多く、その引用の仕方が魅力的でバンドの持ち味に合っていることや大槻のボーカルが唯一無二の存在感を確立していることもあってか、KCフォロワー的な印象を一切出さずに活動し続けることができている。

 

註63

人間椅子KING CRIMSONの音楽の関係についてはこの連続ツイートなどでふれた

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/887683195277238273?s=21

 

註64

SEA OF TRANQUILITY「Interview with Japanese Avant-Garde Metal Act Gonin-Ish」

(2009.7.26掲載)

https://www.seaoftranquility.org/article.php?sid=1338

 

註65

各曲の歌詞については以下の小説/漫画にインスパイアされた旨がCDブックレットに掲載されている。

2「そして無に帰す」:小野不由美屍鬼

3「傀儡の造形」:高橋留美子人魚の森 約束の明日』

4「毒薬と再生」:恩田陸『ユージニア』

5「然るべき闇夜へ」:恒川光太郎『風の古道』

6「呵責」:坂東眞砂子『屍の声』

7「弔いの月が啼く」:岩井志麻子『夜啼きの森』

 

 

 

 

Arise in Stability:犀礼 / Dose Again(2020.3.25)

 

f:id:meshupecialshi1:20210116011407j:image

 

 近年のメタルを聴いていて個人的に実感させられることのひとつに「ハードコアパンク的な躍動感(註66)はメタルの世界でもほとんど基礎的な音楽語彙として定着したんだな」というものがある。これは北欧のメロデスメロディックデスメタル)とその直接的な影響下にある2000年代以降のメタルコア註67)を聴き比べると顕著なのだが、フレーズやコードといった音進行には大きな違いがない一方でリズムアンサンブル~グルーヴ表現は明確に異なり、前者は一音一音のアタック感が均一/扁平でメカニカルな質感を生みがちなのに対し、後者は強拍と弱拍の描き分けがはっきりしていてリズムの流れに瞬間的な起伏があり、筋肉が躍動するかのような生々しい質感がある(註68)。ひとつのバンドでこうした質感の違いや変化をみるのであればSOILWORKの3rdフル(2001年)と5thフル(2003年)を聴き比べるのがわかりやすいだろう。いわゆるデスラッシュメロディックデスメタルを高速スラッシュメタルに寄せたスタイル)だった2ndフル(2000年)の時点でもある程度備わっていたハードコア的なアクセント付けが、曲展開が複雑化した3rdフルで一度目立たなくなり、ヒップホップ的なリズムパターンも導入しミドルテンポでのグルーヴ表現を探究した4thフル(2002年)でぎこちないながらも活用され始め、それを踏まえた“いかつさ”の強化とポップミュージック的要素の導入を試みた5thフルで血肉化され美しく駆使されるようになった。こうした変遷の背景には同時期のアメリカにおけるメタルコアの勃興があり、AFTeRSHOCKなどが90年代末に築き上げたハードコア(90年代以降のアメリカ産のもの=いわゆるニュースクール)+メロデス的スタイルを土台としたKILLSWITCH ENGAGESHADOWS FALLが2002年に歴史的名盤を発表してこのジャンルが世界的に注目された一連の流れはそれらのルーツといえる北欧メロデスの側にも影響を与えてきた。先述のSOILWORKはその筆頭だし、このジャンルの代表格であるIN FLAMESも2002年の6thフルでメタルコアに通じるグルーヴを一気に導入した(註69)。こうした流れを通して確立された「正統派HR/HM的なわかりやすいメロディ+ハードコア的な躍動感」という組み合わせは情緒と身体的快感の両方にストレートに刺さる魅力に満ちており、メタル・ハードコアの区分を問わず全世界のバンドに影響を与えてきたのだった(註70)。特に日本においてはこのスタイルの影響力は絶大で、メタルとかハードコアを自称しない“邦ロック”のバンドでも速いテンポの曲では採用している場合が多い。これはおそらく「フェスで初めて聴いても踊れる」特性によるところも大きいだろう。会場の音響環境が悪いと楽曲構造を把握するのが難しくなるが、機動力の高い演奏は曲を知らなくても感覚的に刺さりやすいし、モッシュパートやブレイクダウンといったお約束で盛り上がる展開は“暴れに来る”ような初見の観客もノセやすい(註71)。これはスタジオ音源が街中で流れる場合についても言える話だし、ポップミュージックのフィールドで戦う際にも強力な武器になるのだと思われる。そうしたことを踏まえて考えてみると、演奏の質感はメタルコアにそのまま通じるdjentが複雑なリズム構成のわりに広く用いられているのは上記のような機動力/機能的快感によるところも大きいのではないだろうか。本記事中編のETERNAL CHAMPIONの項で「80年代後半にスラッシュメタルが登場しデスメタル/グラインドコアへ発展するなかでロック一般の激しさ基準(特に速さ、次いで低域の強さ)が急激に引き上げられた」ことにふれたが、先述の「メロデスから2000年代以降のメタルコアが生まれ(ニュースクール的な)ハードコアの躍動感がシーン全体に広まった」ことはそれに勝るとも劣らない劇的な環境変化を招いており、それ以前と以降とでの「メタル」一般のイメージを主に演奏感覚~ノリ方の面で大きく変化させているようにみえる。ここまでで度々ふれている「世代間の嗜好の違い」はこういったところにも表れていて、今の「メタルファン」の感覚にはハードコア的な躍動感を好む感覚が標準装備されているのではないかとさえ思える。

 

 こうしたことはいわゆるプログレッシヴメタルの領域についてもいえる。このジャンルの雛型になったDREAM THEATER(1985~)やCYNIC(1987~)はハードコアの影響をほとんど受けておらず、MESHUGGAH(1987~)も1stフル(1991)ではスラッシュメタル的な跳ね感が強かったものの影響力の大きい2ndフル(1994)以降はメタル:ハードコア=8:2くらいのベタ足寄り安定感を保っているのだが、そのMESHUGGAHの1st~3rd(1998)あたりに絶大な影響を受けたdjent系統のバンド、PERIPHERY(2005~)やANIMALS AS LEADERS(2007~)などは参照元にはないハードコア的躍動感を大幅に導入している(註72)。こうした飛躍の橋渡しとして重要だと思われるのがハードコア出身のバンドで、複雑精緻な楽曲をメタルに通じる超絶技巧と圧倒的な勢いで具現化することで大きな注目を浴びたCONVERGE(1990~)やTHE DILLINGER ESCAPE PLAN(1997~)、SikTh(1999~)、BETWEEN THE BURIED AND ME(2000~)、CAR BOMB(2000~)といったバンドが“プログレッシヴメタル”の領域における作編曲や演奏の感覚を変えてきた面は少なからずあったはずである。その中でも特に重要だと思われるのが瞬発力とか激情の表現で、作り込まれた楽曲を(メカニカルな技巧や音圧で刺激を加えてはいたが)整った形で具現化するヘッドミュージック的な印象が強かったそれまでのプログレッシヴメタルに先述のような躍動感を加え、緻密な構造を突き破るかのような混沌(楽曲が複雑だからこそ表現できる激しさ)を生み出したこのようなバンド群はメタルの歴史においても強大な存在感を示している。このように、先に述べたような「ハードコア的な躍動感」の影響は身体的・精神的双方の感覚基準やそこから導き出されるニュアンス表現に作用し、メタルの在り方やイメージそのものを大きく変えてきたのだといえる。

 

 2004年に結成され国内のプログレッシヴなメタル/ハードコアの代表格として存在感を示してきたArise in Stabilityもそうした流れにあるバンドで、リーダーのMasayoshiは「元々ただの速弾きメタラーだったのが、NOTⅡBELIKESOMEONEのようなバンドを観て急激に国内のニュースクールハードコアにハマっていった」(註73)のだという。こうした話に関連することとして、2020年に発表された2ndフル『犀礼 / Dose Again』に際するインタビューには以下のようなやりとりがある。

 

<――バスドラムとギターリフがシンクロするパートは各所にあるけど、いわゆるブレイクダウンというか、モッシュパートは激減しましたね。でもシンガロングを取り入れていたり、曲の展開でもいわゆるプログレメタル的というより、叙情派ニュースクールを思わせるものがあったりと、ハードコアの解釈が変わったように思います。

 

Masayoshi「NaiadやNOTⅡBELIKESOMEONEを見て衝撃を受けて、こういったバンドをやりたいって思ったのが残っているんじゃないかな」

 

Suguru「結局、根底にあるのは叙情なんですよね(笑)。それは強く感じるし、だから巷にあふれるプログレやDjentバンドとは違うのかなって思いますね」

 

Masayoshi「昔、“Got-Djent”っていうDjentの情報サイト(現在は閉鎖)に英訳したプロフィールを送ったことがあるんですけど “お前らはDjentじゃない” って一蹴されて終わりました(笑)。でも僕らが影響を受けたNOTⅡBELIKESOMEONOE、MISERY SIGNALS、初期のBETWEEN THE BURIED AND MEみたいな2004年前後くらいのプログレッシヴなハードコアバンドって、ほかには絶対できないことをやろうとしていたんですよね。CONVERGEやTHE DILLINGER ESCAPE PLANもそうだし、それこそCAVE INなんかも、地元の先輩のCONVERGEにはそのままだと絶対勝てないから音楽性を進化させたっていうくらいだし。そういう気合が好きだったんですよ」>(註74

 

この発言が示すようにArise in Stabilityはオールドスクールプログレッシヴ(デス)メタルでもdjent以降でもない独特な立ち位置にあるバンドで、その上で先掲のような“プログレッシヴなハードコアバンド”とも異なる素晴らしい個性を確立している。9年ぶりのアルバムとなった2ndフルは叙情ニュースクール(≠メロデス)的なフレーズとANIMALS AS LEADERSにも通じるポストロック~現代ジャズ的コード進行を発展的に融合させたような音楽性で、しかもそのAALよりも格段に洗練されたリズム構成が絶妙なキャッチーさを生んでいる。「僕が作る曲って、分解していくとSiam Shadeと“Frame by Frame”で要約できるんですよね」(註74)というとおりの場面も確かに多いけれども(「木造の念仏」最後の14拍&13拍ポリリズム、「遺物と解釈」の4拍子ラップ~歌唱パートに5拍子で絡み続けるギターなど)、リズム構造はともかくリフやコードの進行感はKING CRIMSONでないこともあってか“何かの亜流”という感じは一切ない。フィボナッチ数列を駆使して作られた「畢竟」のイントロリフ(エピソード的にはTOOLだが音進行はKC「太陽と戦慄 part2」的)や同曲中盤のパット・メセニーライヒ的ハンドクラップから10拍子と11拍子が交錯するリフに至るパートなど複雑な拍子構成も多いが、繰り返し聴いているうちにすぐに楽しく聴きつないでいけるようになるのが凄い。「Yusuke(註75)がプロとして作曲をやっていることもあって、曲をコントロールできるんですよね。その影響はかなりあると思います。どこを聴きやすくするとか、コード進行をすごく大事にするし。Yusukeはコーダル(和音主体)な作り方、僕(Masayoshi)はモーダル(メロディ主体)な作り方っていう分け方になっていると思います。コード進行とかに精通している人間が入って、僕もそれに影響された部分があると思うし、もっと聴きやすい曲を作ろうというのが、1stの反省としてありました」(註74)という配慮が隅々まで行き届いた完璧な構成のアルバムだと思う。ハードコアな真摯さと長尺を無理なく完走するペース配分が絶妙に融合していることもあってか不思議な親しみやすさに満ちていて気軽に浸りとおせる雰囲気も絶品。メタル/ハードコア領域に限らず2020年屈指の傑作といえる。

 

 以上の例をみてもわかるように、メタルは同時代の様々な音楽からの影響を受けてジャンル全体にわたる規模で変化してきた経緯がある。そうやって変化した先のスタイルを「これはメタルじゃない」と言って排除するのは現状把握の失敗やシーンの先細りにつながるし(残念ながらそうした姿勢の方が主流だったわけだが)、そういうスタイルの数々を十分に吟味するためにはメタル以外の音楽についての知識や理解も必要になる。こうしたところに目を向け具体的に掘り下げるメタル話がもっと増えてほしいと思う次第である。

 

 

註66

ハードコアパンク的な躍動感」といってもいろいろあって、80年代までの非クロスオーバーなハードコアにおける生硬い量感(D-beatの“コンクリート塊が重く滑る”ような質感など)とクロスオーバースラッシュ系の高速で跳ねる感じは大きく異なるし、ニュースクール以降の(ヒップホップ近傍のミクスチャーロック~グルーヴメタルやデスメタル的なビートダウンを取り込んだ上で重くしなやかに磨き上げられた)グルーヴにもまた別の妙味がある。ここでいう「ハードコアパンク的な躍動感」に最も近いのはニュースクール以降のもので、その成り立ちを掘り下げるのは本項の趣旨から外れるのでさておくが、非常に興味深く重要なテーマだと思われる。

 

註67

この「メタルコア」というジャンル名は時代によって指し示す音楽スタイルが異なり、80年代においてはG.I.S.M.を筆頭とする(特に日本の)メロディアスなメタルの成分を取り込んだハードコアバンドをそう称することが多かった。90年代においてはニュースクールハードコア(従来よりも遅めなテンポとメタル寄りのギターサウンドを組み合わせたスタイル)がそう呼ばれることがあるなど、時代や地域によって意味合いがだいぶ変わってきた経緯があるが、現在は2000年頃に確立された「メロデスの音進行+ハードコアの演奏感覚(主にニュースクール的なもの)」的なスタイルを指す場合が殆どだと思われる。本記事で「メタルコア」という場合は基本的にはこの2000年以降のスタイルを指している。

 

註68

ここでいうメロデスのバンドが主にスウェーデンフィンランド出身、メタルコアのバンドが主にアメリカ出身という地域的な違いもある(欧州ハードコアとアメリカのハードコアの質感の違いに通じるものでもある)が、こうしたリズムアンサンブルの質感はHR/HMおよびハードコアのシーンで個別に築き上げられてきたものであり、そうした文化圏的な出自の違いによるところが大きいと思われる。

 

註69

このIN FLAMES『Reroute to Remain』に関していうと、SLIPKNOTをはじめとするニューメタルの(ハードコア+ヒップホップ+分厚い低域という感じの)グルーヴを意識し多彩な作編曲を試みてアメリカ市場向きのアルバムを作った結果メタルコアに接近したような印象が生まれた、とみる方が適切だと思われる。ただ、ジャンルのオリジネーターがこのように大胆な方向転換を示したことでメタル内からのメタルコアへの注目度が上がったというのは少なからずあるだろう。

 

註70

本記事中編DARK TRANQUILLITYの項でも少しふれたように「メロデス」の音進行はあまりにも捻りがなくそのスタイルを採用することでアレンジの可能性が大きく限定されるため、否定的な反応を示すミュージシャンやリスナーも(地下志向の強い領域では)少なくない。ジャンル名こそ「メロディックデスメタル」だが、リズム構造などが醸し出す総合的な勢い~攻撃力が相対的にマイルドになっていることもあってデスメタルの一種とは(少なくともデスメタル側からは)認められていない場合が殆どである。実際、メロデスは音楽的にもシーンの成立経緯的にもデスメタルから遠ざかる志向をもつものではある。

 

註71

これも本稿の趣旨から外れるのでここでは掘り下げないが、コロナ以降のライヴフロアではモッシュ(おしくらまんじゅう型だけでなく円を描いて走り回るやつも)やクラウドサーフ、ウォールオブデスといった接触必須の動きが禁じられ、演奏に合わせて合唱すること(いわゆるシンガロング)も厳しくなるわけで、そうした定番のやり取りを楽曲構成に組み込むこうした音楽の在り方が根本から問われることは避けられないように思われる。そうした状況を踏まえた上で作編曲スタイルを変えるバンドの増加、このようなライヴマナーをノスタルジーの対象とする作編曲の出現、動かずに聴き入るのに向いたポストメタル的な音楽性が以前より受容されやすくなる可能性、といったことを意識してシーンの動向を観察していくと面白いかもしれない。

 

註72

MESHUGGAHが2008年に来日した際、さいたまスーパーアリーナでのLOUD PARK出演→大阪心斎橋での単独公演が終わった次の日にメンバーと飲む機会をいただけたのだが(ドラムスのトーマスとボーカルのイェンスに加え照明担当・ローディーの計4名、日本側は私を含む4名)、渋谷の立ち飲み屋で音楽の話になったとき「G.I.S.M.は素晴らしい」などハードコアからの影響を語るコメントがいくつも出ていた。ただ、これは比較的古い世代のバンドばかりで、2ndフルのブックレット掲載のインスパイア元一覧もスラッシュメタルは挙がっていてもメタル外のハードコアバンドは殆どなかったので、そういう要素を取り込んでいないわけではないが直接的な影響はあまりないのではないかと思われる。

 

註73

TOPPA「Arise in Stability インタビュー」

(2017.12.13掲載)

https://toppamedia.com/interview-arise-in-stability/

 

註74

LIVEAGE「Arise in Stability『犀礼/DOSE AGAIN』リリースインタビュー。9年の果てにたどり着いた進化の果て」

(2020.4.3掲載)

https://liveage.today/arise-in-stability-interview/

 

註75

2016年に加入したYusuke=平賀優介は国内屈指の超絶メタルギタリストでBABYMETAL“神バンド”のメンバーでもある。

https://bmdb.sakura.ne.jp/bm/profile/198

 

 

 

 

Kruelty:A Dying Truth(2020.3.4)

 

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 前項ではメタル領域におけるハードコアパンクの影響についてふれたが、ハードコアもメタル側から大きな影響を受けている。D-beatと呼ばれる魅力的なリズム&テンポパターンを確立し膨大なフォロワーを生み続けるこのジャンルの神DISCHARGE(註76)はルーツであるHR/HMに大幅に振り切った作品も残しているし、“初めてデスヴォイスを使ったバンド”ともいわれ極めてメロディアスなリフ&リードと特殊なコード進行で同時代以降のメタル/ハードコアに絶大な影響を与えたG.I.S.M.も音楽面での主軸のランディ内田はパンクというよりHR/HM出身である。ハードコアシーンに限らずアメリカのオルタナティヴシーン全体をみても最重要バンドの一つといえるBLACK FLAGもリーダーであるグレッグ・ギンのギターはBLACK SABBATHをはじめとしたHR/HM由来の要素が少なからずある。というふうに、ジャンルの起点となった英米日のシーンが立ち上がった80年代頭の時点でハードコアはメタルからの影響を濃厚に受けており、後のスラッシュメタルの隆盛と並行して急増したクロスオーバースラッシュ、デスメタルの発生と同時進行的に形成されたグラインドコアなど、両ジャンルの歴史は互いに切り離せるものではなく、活動領域的には棲み分けをしながらも常に相互作用を繰り返してきた。「メタルとパンクは仲が悪い」という話はよく言われるし実際そういう傾向はあるのだが、上記の3バンドはもちろん、初期のX(のYoshiki)は日本のHR/HM黎明期のバンドともハードコア方面のバンドとも親交があった(註77)というエピソードなども鑑みれば、2つのシーンは境界を隔てながらも切っても切れないつながりを持ち続けてきたのだといえる。従って、こうした境界領域にある音楽は両方のジャンルを知らなければ勘所をつかみきれないものも少なくない。メタルだけ聴いていても理解しきれないメタルも多いのである。

 

 先述のようにメタルとハードコアは相互作用を続けてきたため似たところも多いのだが、別々の道筋を辿って育ってきたこともあって各々明確に異なる要素を持っている。最もわかりやすいのがサウンドと演奏の質感だろう。輪郭の締まったメタルの出音(固体的)に対しハードコアは崩れ気味に拡散し空気をビリビリ震わせる(気体と固体の間にある)微妙な肌触りがある。演奏のタッチもそれに対応する感じで、メタルは一音一音のアタック感が均一/扁平でメカニカルな質感を生みがちなのに対し、ハードコアは強拍と弱拍の描き分けがはっきりしていてリズムの流れに瞬間的な起伏があり、筋肉が躍動するかのような生々しい質感がある。各々の印象をまとめるなら、几帳面なメタルに対しハードコアはラフ、前者のフットワークが空手的なベタ足なのに対し後者はボクシング的な爪先立ちというところだろうか。もちろんこれはあくまで全体的な傾向で、同じスポーツをやっていても“運動神経”やフォームの練度により動き方が異なるように、一つ一つのバンドの仕上がりにはだいぶばらつきがある。しかし、例えばコード遣いでいえばメタルの滑らかな進行感に対しハードコアは生硬い跳躍がある、そしてリフ=単線フレーズもそうしたコード感に対応する細やかさ/粗さがあるとか、曲構成についてもメタルは構築的でギターソロを好むがハードコアは短距離走的にシンプルでギターソロは基本的には一切入らないなど、サウンド~演奏以外の要素についても「メタルは丁寧だがハードコアは直情的」という大雑把な分類は概ね効果的なのではないかと思われる。こうしたジャンルごとの特徴や傾向を把握するためには双方をよく聴き比較する必要があり、それにあたっては質(聴き込み)と量(サンプル数)の両立が不可欠になるわけだが、そうすることにより「このバンドはメタルとハードコアのどちら寄りなのか」ということがその比率も含め感覚的にわかるようになるし、さらにはその「メタル」「ハードコア」各要素がそれぞれどの時代・地域のどういうバンド系統のものなのか具体的に把握できるようにもなってくる。エクストリームメタルやハードコアのバンド群はそうしたジャンル的知見を作編曲のスタイルはもちろんリズムの噛み合い方のような細かいアンサンブル表現まで含めて意識的に引用することで文脈を提示する場合が多く(D-beatはその代表例といえるだろう)、そうしたスタイルや質感の知識がなければ正確に理解できない部分も多い(これはメタルやハードコアに限らず歴史的蓄積のある“伝承型”のジャンル全てにいえる話ではある)。様々な音楽を聴き“雑食性”を志向する人が「ジャンルなんて関係ない」と言うことがあるが、ジャンルとはある意味で文化圏のようなものであり、それを否定するのは各領域が個別に育んできた概念や歴史的背景を無視することにもつながる。そういったものをしがらみと捉えてあえて排除する聴き方もアリかもしれないが、音の面だけみても各ジャンルには上記のような傾向やセオリーがあるわけで、そこに目を向けないと先行研究を押さえずに論文を読み込むのと同じく的確な理解に至るのが難しくなる。作り手としてジャンルを越境するのは良いことだが、鑑賞する際にはやはりできる範囲で各領域を具体的に意識するほうがうまくいくはずである。

 

 以上を踏まえてハードコアの音楽的特徴について付記すると、構造がシンプルなだけに細かい差異(音進行やアンサンブル表現)が個性に直結する傾向があるように思う。DISCHARGE系列のバンドやクラストコアと呼ばれるスタイルの楽曲は限られた音階および狭い音域内で動くフレーズの並べ方で微細な違いを示すものが大半で、このジャンルに馴染みのない人が聴いてもほとんど違いがわからないものだが、出音やリズムの噛み合いといったサウンド~演奏においては磨き上げられた明確な個性を示すバンドが多い。そういった音源においてはシンプルで似た感じの音進行が演奏の差異を際立たせる構図ができていて、淡白なつくりのもとで陰翳を極めるような絶妙なバランスをなしている。このような音楽性はある意味「塩だけで生肉を味わう」ようなものであり、バンド単位で異なる身体感覚の芯(コア)の部分のみを提示するために最適化されたスタイルともいえる。これに対しメタルは音数を増やし空間を埋める志向や技術水準の高さもあってアンサンブル表現が均一になりやすく、メカニカルな精度を極める一つの方向性のもとでの完成度の多寡が各バンドの個性となる(その上でボーカルやギターソロといったリードパートで差異を生む)感がある。こうした傾向の違いは「メタルは概念志向、ハードコアは行動志向(メタルのニュアンス表現は主に作曲によるがハードコアのニュアンス表現は演奏によるところが大きいetc.)」ともいえるもので、互いの志向を嫌い排除するものも一定数いる一方で、自身にない要素に憧れ取り入れるバンドも少なからず現れてきた。前項でふれたハードコア志向のあるメタルはその好例だし、CONVERGEやTHE DILLINGER ESCAPE PLANのようなバンドは逆にハードコア的な演奏感覚を土台にメタル的な作編曲を取り込んでいった好例だろう。先に挙げたクロスオーバースラッシュやデスメタルもそうした交流志向を示すもので、CARCASSやBOLT THROWERはクラストコアのシーンから現れ黎明期デスメタルの領域において歴史的名盤を連発してきたこともあって、両シーンのミュージシャンやリスナーから絶大な支持を得ている。初期デスメタルの面白さのひとつであるグルーヴ表現の多彩さは以上のようなハードコア的傾向からくる部分も多いのだろうし、XIBALBA(註78)やTERMINAL NATIONなどに至るデスメタリックなハードコアバンドの系譜も上記のようなデスメタルの越境的な在り方があればこそ生まれたものといえる。ジャンル間の複雑な相互影響/交配を通して豊かな成果を生み続ける本当に面白い領域なのである。

 

 2017年に東京で結成され“ビートダウンハードコアとドゥーミーなデスメタルの融合”を標榜した活動を続けるKRUELTY(註79)が2020年に発表した1stフル『A Dying Truth』はそうした領域から生まれたものの中でも屈指の傑作である。自分は初めて聴いたときRIPPIKOULUのようなフィンランド註80)のドゥームデスをアクティブにした感じの音楽性だと思ったのだが、インタビュー(註81)によれば、ビートダウンハードコア(日本のものでいえばSTRAIGHT SAVAGE STYLE、初期SAND、DYINGRACE、SECOND TO NONE)を土台としながらも、GRIEFやCORRUPTED、SEVEN SISTERS OF SLEEP、CROWBERのようなスラッジドゥーム、そしてBOLT THROWERやASPHYXのようなハードコアデスメタルの影響が強い模様。よく聴くと確かにギターの鳴りはハードコア寄りだし(TERMINAL NATIONとDISMEMBERの違いにも通じる)、フィンランド型ドゥームデスはもちろんASPHYXのような(CELTIC FROSTの系譜にある)ハードコアデスメタルとも異なるハードコア側からのグルーヴ表現が主体となっている。その上でリズム展開が多いのが興味深く、先述のような淡白なフレーズ展開が醸し出すモノトーンな印象と絶妙なバランスをなしている。ドゥーミーだがダンスミュージック度が何気に高め、しっかりフロア対応になっていてその上で渋い、というこの感じは荒々しい水墨画のようでもあり、単線/黒白で世界を描く(コード付けがほぼない)からこそ筆遣い(=アンサンブル表現)が映えることの醍醐味を最大限に示している。全体の構成も非常に良く、繰り返し聴くほどに細部の作り込みが見えるようになる過程を快適に過ごすことができる。枯淡の境地と若い覇気を両立するような趣もある素晴らしいアルバムである。

 

 以上の話とも関係することなのだが、いわゆる音楽評論やレビューをみていて考えさせられることの一つに「演奏ニュアンスについて説明する言い回しが殆どない」というものがある。前項と本項でふれたようにメタルやハードコアにおける音作りやアンサンブルの質感は文脈の示唆といった意識的な表現に直結する(註82)ものなのだが、そうした部分を具体的に記述する評文は稀で、「ヘヴィネス」とか「アグレッション」みたいなある意味何にでもあてはまる逃げの言葉(字数稼ぎでしかないので個人的には消えてほしい)で済ますものが非常に多い。これだと評者はわかっているつもりでも読者には伝わらないし、こういう解像度の低い言い回しで満足してしまえている時点で本当にわかっているかも怪しいものである。例えば曲展開の記述を「ツーバスドコドコ」的な解像度の低い言い回しで済ませ、具体的にどんな感じのサウンドやリズム構造での「ドコドコ」なのかといった表現を避ける、またはそもそもそういう読み込みが必要だという意識自体がないレビューが大半を占めるわけで、それを見て「レビューというのはそういうのでいいんだ」という意識水準が定着していってしまうのは良いことではないだろう。こういう演奏ニュアンスの把握~評価はプレイヤー視点が不可欠なこともあってスルーされてきた経緯もあると思うのだが、そういう要素を分析する習慣を身に付け批評言語を練る作業を繰り返さなければ切り拓かれない理解/分析の境地もあり、確かにハードルは高いがこれをしなければ聴く力(の解像度)の水準は上がらない。メディアの担う教育効果には知識の伝達だけでなくこういう部分も含まれるべきで、そもそも教育ということ自体を放棄する(PRのみをする広報誌になる)のも一つの道ではあるだろうが、それを続けているとリスナーの基礎体力が培われなくなり、ハイコンテクストな音楽が売れにくくなるなどシーン全体が弱体化傾向に陥ってしまう。こういった意識を持つだけでも着実に変化が起きていくはずだし、今からでも少しでも良い方に向かってほしいものである。

 

 

註76

参考:DISCHARGEの音楽性について

https://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/03/163839

 

註77

YoshikiNAOKI(ex. LIP CREAM)の訃報によせて

(2021.1.24)

https://twitter.com/yoshikiofficial/status/1353281325118103552?s=21

 

註78

AVE「Interview With Atake(COFFINS, SUPER STRUCTURE)+MCD(KRUELTY, CADAVERIBUS / DEAD SKY RECORDINGS)

(2020.7.3掲載)

https://ave-cornerprinting.com/xibalba-07032020/

 

註79

Bandcamp:KRUELTY

https://kruelty666.bandcamp.com/album/a-dying-truth

 

註80

スウェーデンフィンランドデスメタルバンドは同国のハードコアシーンとの関係が深いこともあって90年代初期からハードコア的要素の強い音楽性を確立。このうちスウェーデンはハードコアの弾丸疾走感+メロディアスな音進行という感じのスタイルでアメリカに並ぶ最重要シーンとなり全世界のバンドに絶大な影響を与えてきた(CONVERGEやBLACK BREATHなども直接的な影響下にある)。これに対しフィンランドスウェーデンのバンドと似た質感を持ちながらもドゥーミーな(重く遅い)展開をするバンドが多く、ドゥームデスやフューネラルドゥームの名産地としてよりアンダーグラウンドな領域で大きな影響を与えてきた。

参考:代表的なバンドについての一言レビュー集

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1158686780368945154?s=21

 

註81

exclaim!「Are Kruelty the Hardest Band on the Planet, or Hilarious Sweethearts Pretending to Be Scary?」

(2020.5.25)

https://exclaim.ca/music/article/are_kruelty_the_hardest_band_on_the_planet_or_hilarious_sweethearts_pretending_to_be_scary

 

 

註82

AVE「Interview:COFFINS」

(2019.9.30掲載)

4人全員に対するインタビューで、世代の違うメンバー=各々得意分野が異なる音楽マニアたちがデスメタルとハードコアなどの微細な違いを具体的に説明する対談になっていて非常に面白い。

https://ave-cornerprinting.com/coffins-09302019/

 

 

 

 

明日の叙景:すべてか弱い願い(2020.12.4)

 

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 ここまでの7項では各ジャンル/シーンが歴史的に培ってきた垣根〜棲み分け状況やそれを越えて個々のミュージシャンやバンドが影響を及ぼし合ってきた経緯についてふれたが、そういう“表面的にはいがみあいながらも秘かに意識し合っている”ような接し方は近年だいぶ解きほぐされてきたように思う。2019年10月末にデジタルリリースされた4way split『Two』(註83)に参加した明日の叙景(あすのじょけい、2014年結成)はそうした状況を体現するバンドで、ポストブラックメタルを標榜しながらもメタルシーンに留まらない活動を続けている。こうした在り方についてメンバーは2018年のインタビュー(註84)で以下のように答えている。

 

布(ボーカル)「自分たちのやっていることはポストブラックだと思っています。(中略)ポストブラックそのものを作ろうというよりは自然に出て来るアイデアをポストブラックに落とし込むという感じなので、聴く人によっては別物だと思うかもしれませんね」

等力(ギター)「自身の音楽に対する価値観やモチベーションは内向きなので、演奏や制作で実際に音を鳴らしている時、ジャンルやスタイルなどの固有名詞を意識することは少ないです。ただ、作品のリリースやライブ活動など、対外的に音楽を奏でることで自分たちの姿勢を主張する場合には、ある種の基準が必要だと考えています。そういう意味で、本アルバム(1stフル)はポストブラックメタルを題材にしている、と言えます」

布「ヘヴィメタルハードコアパンクというイデオロギーの異なる2つの音楽の共通項を自分たち独自の視点で見つけだそうとしていると思います」

 

このインタビューで印象的なのが『アイフォーン・シックス・プラス』(註85)発表直後の長谷川白紙(註86)への感銘を語っていることで、メタルとは全く交錯しない“インターネット発の音楽”を探究していたり、企画イベントの出演者がジャンル越境的だったりと、特定シーン内にこもるのではない姿勢や考え方が自然体として身に付いているのがみてとれる。以下の発言はそうした姿勢をよく表すものだろう。

 

等力「特定のジャンルやシーン、文脈に依存しないものを作ることが自分のほとんど生理的とも言い切れるレベルの欲求なので、そうなると必然的に横断的な活動を行うことになります。もっと強く言ってしまえば、複数の要素が混じらない音楽を作ることが自分には不可能なので、そこから誕生した処世術とも言えますね。他のメンバーについてもそういう傾向があるので、明日の叙景としてもそういう動き方になるのかなと思います」

 

公式音源リリース前だった2016年の最初期インタビュー(註87)ではDIR EN GREYLUNA SEAからの影響を公言している(註88)ことからもわかるように、明日の叙景はヴィジュアル系ブラックメタルのような越境的ジャンルの在り方や「他と被ったら負け」という姿勢を意識的に受け継いでおり、それが以上のような活動方針に繋がっているのだと思われる。2018年に発表され国外からも熱い注目を浴びた1stフル『わたしと私だったもの』の音楽性はそうした様子をそのまま反映していて、例えばプログレッシヴブラックメタル的に変則的な展開をする「火車」はポストブラックメタルというよりもブラックメタル要素を取り込んだメタリックハードコア(CONVERGEあたり)の流れにある音楽という感じもするし、「鉤括弧」の南米音楽に通じる(ブラックメタル系統では殆ど出てこない)音進行やダブ的な音響などは、等力の大きな影響源であるCOALTER OF THE DEEPERS由来の要素をたまたまポストブラック的なフォームに落とし込んだという印象もある。2016年の1st EPリリース時点ではプリミティヴブラックメタルや激情ハードコアに精通しているメンバーはおらず「OATHBREAKERとDEAFHEAVENを足して2で割ったような形を模索中」と言っていたところからかなり遠いところにきているこの1stフルの仕上がりが示すように、様々な音楽要素を現在進行形で吸収し持ち分やニュアンス表現力を豊かにし続けているバンドであり、その背景には上記の“当たり前のように境界を越えていく”姿勢があるのだといえる。2020年末に発表された2nd EP『すべてか弱い願い』も素晴らしい内容で、1stフルの変則的な曲展開が解きほぐされ大幅にストレートになりつつも音進行やニュアンス表現は格段に深化した本作はポストブラックメタル周辺の音楽全域をみても屈指の傑作といえる。

 

 『すべてか弱い願い』を聴いていて個人的に特に考えさせられることに「エクストリームメタルにおける歌詞/歌唱表現」がある。デスメタルブラックメタルをはじめとしたエクストリームメタルのボーカルは強烈に歪んでいることもあってネイティヴでも歌詞を聴き取るのは困難で、音程も一定で(メロディラインを描かず)楽曲全体の音進行状態にほとんど影響を及ぼさないため無視してバッキングに集中するリスナーが多いと思われる。実際こうした音楽スタイルはそういうボーカルの在り方を前提とした上で「ギターリフがリードパートを担う」ようなつくりをしていることが多く、楽曲構造の把握という面では声を除外して聴いても殆ど問題ないのだが、そうやっていると音響の吟味という点では大きな損をすることになる。ボーカルの関連帯域を無視するとそれと被るバッキングの音色も部分的に無視することになってしまい、ボーカルが入っていない場所でもボーカルあり部分の“聴き方のクセ”を引き継ぐかたちで不完全にしか把握できなくなってしまう。これは「洋楽」リスナーの「ボーカルは歌詞がわからなくても楽器として聴く」というのにも通じる話で、“楽器として聴く”にせよ歌詞の音韻まで聴き取らなければその楽器としての在り方を十分に把握できない。つまり、歌詞を認識しようとすることを避けているとボーカル単体の音色/音響表現力も音楽全体の音響表現力もうまく把握できなくなってしまうわけである。これは『すべてか弱い願い』の全曲についても言えることで、リズムの譜割や歌詞文節の切り方が変則的なこともあって絶叫部分の歌詞は前情報抜きでは殆ど聴き取れないのだが、歌詞カードを読みながら聴くと一気に情景が鮮明になる。冒頭を飾る名曲「修羅」のブレイク「あの日~」はその好例だし、3曲目「影法師の夢」のアルペジオ部分から「朝と夜を〜」に至る流れや、最終曲「生まれたことで」の「何も映さない瞳」のあたりで静かに緊張感を高める音響など、歌詞を読むことでその展開と軌を一にする楽曲の場面転換を初めて至適なペースで把握できるようになる。本作のサウンドプロダクションは声とバッキングのこのような関係性に対応したもので、ボーカルを無視してギターなどのメロディラインにばかり注目しているとドラムスの太い鳴りに“足止め”され音響の奥に立ち入っていくことができないのだが、遠景で謙虚に鳴り響く絶叫に(歌詞を読みながら聴くことで初めて)注目すると、ドラムスを背にしてギターまわりの深い音響に包まれる感覚に到達できるようになるのである。ボーカルが音響的没入のガイドになっているこのミックスは本当に見事だし、それを理想的な形で磨きぬいたNoe Summerville(Autechre作品で知られる名エンジニアで2020年作『SIGN』『PLUS』も手掛けている)のマスタリングも隅々まで素晴らしい。このような音楽スタイルでなければ成しえない音響構築と表現力を発揮した傑作だと思う。

 

 以上のことに加えて特筆しておきたいのが、本作は歌詞を聴き取れなくても楽しめる(日本語が母語でないリスナーも楽しめる:ブックレットには英訳が付記されてはいる)音響作品になっているということである。最終曲「生まれたことで(Birth)」はその真骨頂を示す一曲で、郷愁を煽る美しいメロディラインが輝きを保ちながら暗転する最後の混沌としたパートは、断末魔または生誕の絶叫、入水と羊水、走馬灯でもあり前世の記憶ともいえる混沌、哀しいが清々しい門出といった複雑なニュアンスを、輪廻転生とそこからの解脱を示唆する歌詞テーマとあわせて音響だけで完璧に表現しきっている。「個人的なモチベーションや好みとして、日本の夏の原風景を音楽で表現したいという気持ちはあるので、それが少しにじみ出ている可能性はあります」(等力)や「つくづく自分は水、ないしは水面に乱反射する光や水中から見た水面が好きなんだなと感じます」(布)(註89)といったメンバーの嗜好が理想的に反映された楽曲だし、ポストブラックメタルという表現形態を最も活かした名曲と言っていいのではないかと思う。

 

本作の店舗限定特典CD-Rにはメンバー4名が本作について語る「収録楽曲解説」(約24分)があり、1曲目「修羅」については以下のような話が出ている。

 

  • アニメ『ARIAネオ・ヴェネツィアの劇伴におけるブラジル音楽的な転調を意識した
  • ブレイクの視界が開ける場所は君島大空「遠視のコントラルト」をイメージ
  • BLOOD INCANTATIONの2019年作がPitchforkなどで高く評価されたのは音作りがヒップホップ~ローファイ的だったからなのではないか。そういった解釈をもとに本作ではアナログ機材的な一発録り感を採用した(註90
  • おしゃれコードで乗り切る感じは自分(等力)的にはCOALTER OF THE DEEPERSっぽいと思っているが、ドラム録音を担当した方にはラルクっぽいと言われた。自分がDEEPERSと思っている箇所は世間的にはV系的なのかもしれない。SUGIZOはDEEPERSが好きと公言しているし、LUNA SEAをはじめとしたV系を全く通っていないのにV系感が出ているのはDEEPERSを通っているからなのだろうか

 

こうした話はNHKみんなのうた』でもいけるんじゃないかというくらい美しい楽曲の複雑な成り立ちをよく示しているし、そこにこういうエクストリームなボーカルが乗っていることで生まれる新たな形のポップさ、そうした要素に馴染みのない人を徐々に惹き込んでしまう可能性(等力の母もよく聴いているとのこと:註91)がどのようにして生まれているかということをよく表しているのではないかとも思う。こういうジャンル越境的な姿勢を前面に押し出す世代が素晴らしい作品を連発してくれている状況は「メタル」全体にとっても有難いことだし、今後のさらなる活躍が楽しみである。

 

 

註83

BURRN! ONLINE「『デジタルはパンク』という新境地 明日の叙景 Kei Torikiインタビュー」

(2019.11.11掲載)

https://burrn.online/interview/1031

 

註84

3LA「Interview with 明日の叙景」

(2018.2.20掲載)

http://longlegslongarms.jp/music/user_data/asunojokei.php

http://longlegslongarms.jp/music/user_data/asunojokei2.php

 

註85

こちらのSoundCloudページで全曲聴くことができる

https://m.soundcloud.com/maltine-record/sets/maru168

 

註86

長谷川白紙についてはこちらの記事で詳説した。

KOMPASS『崎山蒼志と長谷川白紙、逸脱した才能の輪郭。メールで取材し考察』

(2020.6.19掲載)

https://kompass.cinra.net/article/202006-sakiyamahakushi2_ymmts

 

註87

3LA「Interview with 明日の叙景」

(2016.1.1掲載)

http://longlegslongarms.jp/music/user_data/interview-with-asunojokei.php

 

註88

各メンバーがコメントしている影響源は以下のとおり。

 

布(ボーカル):

人生の一枚はCOCK ROACH『赤き生命欲』

envy、heaven in her arms、Lifelover、Ghost Bath、DIR EN GREYMUCC

ポストブラックメタル、アトモスフェリックブラックメタル

 

等力(ギター):

人生の一枚はCOALTER OF THE DEEPERS『NO THANK YOU』

COALTER OF THE DEEPERS、9mm Parabellum Bullet、DEATH『Symbolic』

Endon、kamomekamome、Self Deconstruction

 

関(ベース):

人生の一枚はOPETH『Ghost Reveries』

THE BACK HORNDIR EN GREYMEW、TOOL

 

齊藤(ドラムス):

人生の一枚はSUGIZO『C:LEAR』

DIR EN GREYLUNA SEAをはじめとしたヴィジュアル系(「他と被ったら負け」精神も)

SUGIZO赤い公園

 

註89

Innertwine ZINE 第1号

(2019年3~4月のメールインタビュー)

https://innertwinezine.hatenablog.com/entry/2019/09/06/193907

 

註90

ツイッターでも同様の発言あり

https://twitter.com/kei_toriki/status/1256776082050568192?s=21

https://twitter.com/kei_toriki/status/1334867097457836035?s=21

 

註91

https://twitter.com/kei_toriki/status/1342109651886739457?s=21

 

 

 

 

君島大空:縫層(2020.11.11)

 

f:id:meshupecialshi1:20210116011547j:image

 

 君島大空は近年の国内ポップミュージックシーンを代表する若手超絶ギタリストで、サポートプレイヤーとして高井息吹、坂口喜咲、婦人倶楽部、吉澤嘉代子、adieu(上白石萌歌のアーティスト名義)などのライヴや録音へ参加。劇伴音楽やsora tob sakanaなどへの楽曲提供でも知られ、一人多重録音のソロ活動においても、崎山蒼志や長谷川白紙、諭吉佳作/menなどと並んで近年最も注目されるシンガーソングライターの一人である。それがなぜ本記事に出てくるのかというと、この人はテクニカル/プログレッシヴなメタルをルーツに持ち、そちら方面を聴き込みひたすらコピーする10代を過ごしてきており、一度はそこから離れながらも2020年発表の2nd EP『縫層』でそうした要素を全開にした素晴らしい音楽を生み出したからというのが大きい。

 

<――メタルはどのようなものを聴いていましたか。

君島:メシュガーですね。福生ライヴハウスのセッションに通っていた時期があって、そこでドラムを叩いていた人がメシュガーのCDを貸してくれました。なんというか、「融けた鉄」のような感触があって、すごいかっこよかった。

それから、ドリーム・シアターもよく聴きました。特に『Train of Thought』(2003年)というアルバムが本当に大好きで。この作品には絵に描いたような絶望の音が鳴っています(笑)。ドロドロした重たさ、暗さがずっと続いていく。心がおかしくなった時に聴くと優しさを感じられる気がします。

あとはジャズ/フュージョンの馬鹿テクな人達を聴いてました。グレッグ・ハウとかリッチー・コッツェンとか、ただギターが素晴らしく達者な人達(笑)。メタルとかフュージョンはスポーツのような、どれだけ正確に弾けるか、競技のような美しさがあります。聴いていると元気が出てきます。「手」を動かす人がやっぱり好きなのかも知れません。>(註92

 

他にもツイッター註93)でTHE FACELESSやVildhjartaといったプログレッシヴなデスコア~ジェント(djent)を好きだと言っているように、この人は近年のテクニカルなメタルの技術および演奏感覚を身体に刻み込んでおり、こうした要素を基本的には前面に出さないながらも重要なエッセンスの一つとして自身の音楽に反映させ続けている。表現の嗜好/志向性もあって一時は以上のような持ち味を黒歴史註94)として封印していたが、コロナ禍を経て制作されることになった『縫層』でそうした成分を意図的に解禁。特に「笑止」という楽曲は、CYNIC(2ndフルと3rdフルの間)とVildhjartaあたりを混ぜ爽やかにした感じの音楽性で、シルクのように柔らかくしなるメタルサウンドで7拍子と8拍子を滑らかに行き来する素晴らしいプログレッシヴメタルに仕上がっている。

 

<君島「“笑止”は西田が一緒に編曲してくれています」

――初めて合奏形態の3人(西田修大、新井和輝、石若駿)が全員参加してるんですよね?

君島「そうです。僕メタラーなのを黒歴史だと思ってたんですけど、逆に今、周りでメタルをやってる人がいないなと思って。メタルというか、ジェントをやりたかったんです。

実は、西田は“笑止”でギターを弾いてなくて、サウンド・デザインをしてくれたんです。音色やドラムは自分で打ち込んだのと、KAKULULUで駿さんに叩いてもらったものをエディットしたりして。和輝さんにはめちゃくちゃなベース・ソロをお願いしました。だから、遠隔で作業した初めての作品でもありますね」

――合奏メンバーが参加しているとはいえ……。

君島「一発録音とかではまったくない。スーパー・エディット・ジェント、みたいな感じ(笑)。

次はもっとライブっぽいものも作ってみたいんですけど、“散瞳”みたいな方向性でも何かもっとできないかなっていうのもあって。急にディケイ(音の減衰)がなくなるとか、現実的にない音を作るのが好きなので、そういうのを……ジェントでできないかなって(笑)。

タイトルは〈笑止千万〉からで、わりと皮肉った内容ではあるんですけど、笑っちゃうようなものを作りたかったんですよね」>(註95

 

「曲中のギターは全てメタラー期の君島を現在に呼び戻して彼に弾かせています。ギターソロはallan holdsworthさんとeddie van halenさんに捧げます。合奏形態の音を今までの僕のフォーマットでやるような、ひとつ鮮度の有る奇妙な体温のやりとりを見つけられたのかなと思います。」(註96

 

こういったセンスがアントニオ・ロウレイロやレオナルド・マルケスをはじめとするブラジル~南米音楽のエッセンスなどと融け合って独自の形に固着した音楽性(註97)はこの人でなければ作り上げられないものだが、メロディ/コード進行の傾向や音響の質感もあってか、CYNICが3rdフルで到達するはずだった領域を遥かに豊かで自由な形でやってのけてくれた感もある。メタルを好む耳で聴いても違和感なく楽しめる傑作だし、メタル内外を鮮やかに接続してくれる作品としても素晴らしい内容になっていると思う。

 

 

 自分がこの人の作品を本記事の最後に挙げる最大の理由は「メタルのことがよくわからなければうまく吟味できないメタル外の音楽も多い」からである。本作はその好例で、メタルを通っていない音楽ファン(本作を聴く人の大半がそうだろう)はそれを気兼ねなく楽しみきることはできるだろうが、その成り立ちまで含め理解することはできないし、そのための知識(参考音源やサブジャンルの成り立ちなど)がメタルシーンの中でもそこまでポピュラーでない領域に留まるものだということもあってか、メタルに詳しい人の紹介なしに独力でそれを得るのも難しい。そして「メタルに詳しい人」は他ジャンルにあまり興味がなくジャンル外と交流を持たない場合が多いため、以上のような知識が本作を好む人のところまで届く機会は相当限られてしまうことになるだろう。本記事で度々ふれてきたように、メタル内の言論や歴史認識はまだまだ十分に整備されておらず扱う範囲も不十分で、それはジャンル内だけでなくジャンル外にも不都合を生じさせてしまう。そうなると本作のようなメタル外の境界領域からメタル内に新たなファンが流入する機会が失われるし、それで最も損するのはメタル側なのではないだろうか。メタラーはポップスを見下しがちな傾向があるが、本作に参加している石若駿(現代ジャズを代表する世界的にも超一流なドラマー/ピアニスト)や新井和輝(KING GNUのベーシストとしても知られる卓越したセッションプレイヤー)など、メタルを通過していなくてもここまで凄いメタルができる、メタルを通過していないからこそこういうメタルを弾けるという実例に触れればそうした偏見も解きほぐされていくだろうし、中村佳穂をはじめとした超絶ミュージシャンとの活動でも知られる西田修大(ギター)もあわせた本作の共演者3名から辿れる人脈は今の日本のポップミュージックシーンの中でも最も美味しい部分だといえる。このような接点を入口としていろいろ聴いていったほうが面白いし、それを利用してメタルの概念を内から拡張し外にも届けていけばシーンの持続可能性も格段に増していく。こういう“楽しい意識改革”が少しずつ広がっていってもいいのではないかと思う次第である。

 

 

本作についてはこちらで詳しくふれた:

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1326895527846350849?s=21

 

 

註92

TOKION「コラージュから読み解く君島大空」

(2020.11.4掲載)

https://tokion.jp/2020/11/04/ohzora-kimishima-collage/

 

註93

君島大空のメタル関連ツイート

https://twitter.com/ohzr_kshm/status/938032746630279168?s=21

 

註94

ギターの鳴らし方にせよ「男性性や女性性の強いものをあまり音楽に持ち出してほしくない」というスタンスにせよ、過剰に存在感を主張しない、押しつけがましさのないような在り方を好んでおり、それに通じる「たとえば、初恋の人の横顔を横目でかすめた瞬間とか、その一瞬を音楽によって引き延ばしたい。引き延ばして、瞼の裏に立ち現わすことができないだろうかっていうのが、自分のなかのテーマとしてあります。音楽による可視化。それが、自分のやりたいことです」という志向(本人はそういう自身の在り方を「アシッドフォーク」と言っている)もあって、メタル的な主張は現在は好まないようである。ただ、そういう要素は音作りの基本感覚にも表れているし(明日の叙景が「修羅」で参照した「遠視のコントラルト」におけるギターの鳴りはシューゲイザーストーナーロックを経由してHR/HMにそのまま繋がるものである)、メタルに徹した「笑止」と他の曲を並べても違和感が生じない背景にはそうしたことが少なからず関係しているのではないかと思われる。

 

註95

Mikiki「石若駿と高井息吹と君島大空、音楽の〈色〉や〈景色〉を共有する3人 『Songbook5』『Kaléidoscope』『縫層』リリース記念鼎談」

(2020.10.22掲載)

https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/26407

 

註96

君島大空「11/12/20 縫層についての徒然」

https://note.com/yagiza_kimishema/n/n110f2343e6a1

 

註97

ディスクユニオン ラテン・ワールド部門 年間ベスト企画「君島大空が聴く/選ぶ年間ベストアルバム2020」

(2020.12.23)

優れた音楽マニア/ディガーによる出し惜しみなしの面白い話を延々楽しんでいる気分になれる素晴らしい対談で、2020年にweb上で公開された音楽関連記事の中で最も面白いものの一つだったと思う。メタルの話は一切出てこないがぜひ読まれることをお勧めする。

https://diskunion.net/latin/ct/news/article/1/93398