プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界【プログレッシヴ・ブラックメタル篇】(解説部分更新中)

参考資料はこちら:
(英語インタビューなどは抄訳付き)



Ihsahn関連(THOU SALT SUFFEREMPERORPECCATUMIHSAHN
SIGH
ULVER
ARCTURUS
VED BUENS ENDE…
VIRUS
DØDHEIMSGARD(DHG)
FLEURETY
SOLEFALD
FURZE
LUGUBRUM
ORANSSI PAZUZU
PESTE NOIRE
EPHEL DUATH
THOU

(解説を書いたものについては名前を太字にしています。)

ここではノルウェー・シーン以降のブラックメタル(いわゆる「The Second Wave of Black Metal」以降のもの)について触れています。
ブラックメタルというと「思想性が最も重視され音楽的な決まり事はない」という話になりがちですが、少なくともノルウェー産のものに関して言えば、ありとあらゆる音楽ジャンルに分化する一方で、音遣いなど明確に共通する要素を持っています。
そうした話についてはこちらの記事
で概説しています。併せて読んで頂ければ幸いです。


Ihsahn関連(ノルウェー
THOU SALT SUFFEREMPERORPECCATUMIHSAHN

After

After


(EMPERORの1st『In The Nightside Eclipse』フル音源)'94

(EMPERORの4th『Prometheus:The Discipline of Fire & Demise』フル音源)'01

(PECCATUMの3rd『Lost in Reverie』フル音源プレイリスト)'04

(IHSAHNの3rd『After』フル音源)'10

(IHSAHNの5th『Das Seelenbrechen』フル音源)'13

ノルウェーブラックメタルシーンを代表する早熟の天才('75.10.10生)。映画音楽(Jerry Goldsmith、Ennio Morriconeなど)やクラシック音楽方面の楽理を活かし、ノルウェー特有の“薄くこびりつく”引っ掛かり感覚(上記記事http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2015/03/27/050345 をご参照ください)と滑らかな進行感を融合しました。高い構築性と溢れる情熱を両立する作品は優れたものばかりで、その全てが“知的な勢い”を強力に備えています。EMPERORの初期作品は「シンフォニック・ブラックメタル」のルーツの一つになりましたし、EMPEROR解散後も、独特の音楽性をより高度に発展させ、前人未踏の境地を切り拓き続けています。今後のさらなる飛躍が楽しみな実力者です。

上の記事に補足するかたちで書くと、Ihsahnの音楽性は、ハードコア〜スラッシュメタルの尖った引っ掛かり感覚はあまり持ち合わせておらず、映画音楽にMERCYFUL FATE〜KING DIAMOND的な欧州クサレメタルのエッセンスを加えたような味がベースになっています。
デスメタルスタイルだった初期THOU SALT SUFFERや、プリミティブ・ブラックメタル寄りだったEMPERORのデモ『Wrath of The Tyrant』(以上すべて'92年発表)は比較的そういう“尖った引っ掛かり感覚”を備えているのですが、EMPERORの1stフルアルバム以降は殆ど引っ込められることになりました。)
フレーズ一つ一つは滑らかに流れていくものばかりなのですが、曲全体を通してみると、はっきり“解決”しきることはなく、微妙にしこりを伴う後味が残る。EMPERORの1st『In The Nightside Eclipse』('94年発表)は特にその傾向が顕著な作品で、連発される華麗なフレーズだけみていると「格好いいけど手応えに欠ける」気がしてしまう一方で、先述のような“はっきり解決しきらない”微妙な引っ掛かりを意識しながら聴いていくと、“薄くこびりつく”必要十分な手応えを感じ取ることができるのです。本稿【プレ・テクニカル・スラッシュメタル】で扱う作品になぞらえるならば、小気味良いキメを連発してどんどん突き進んでいくMEGADETHよりも、長いスパンで流れていく(クラシックの大曲などに通じる「長さ」がある)METALLICA『Master of Puppets』に近い性格を持っていると言えます。その点で、派手なリードフレーズよりもブルース的な“引っ掛かる”手応えを重視する人からは理解されにくい作品なのですが(私がそうでした)、ノルウェー特有の引っ掛かり感覚はしっかり備わっていて、慣れればそれに心地よく浸れるわけです。

Ihsahnのこのような音楽性は、EMPERORの諸作(4枚とも大傑作)はもちろん、それ以後の活動でも維持され、より解きほぐされたかたちに発展され続けています。

ソロプロジェクトであるIHSAHNにおいては、EMPERORの最終作『Prometheus』('01年発表)で(いささか未洗練な形で)示された複雑なコードワークが引き継がれ、様々な音楽要素と掛け合わされることにより、いわゆる「ブラックメタル」の暗く沈鬱なイメージに留まらない豊かな表情を描き出しています。
3rdアルバム『After』('10年発表)はそうした方向性がひとつの完成をみた大傑作で、先述のようなノルウェー特有の引っ掛かり感覚にジャズ的なヒネリを加えることにより、EXTOLやENSLAVEDのような同郷の優れたバンド、そしてMESHUGGAHなどに通じる独特の浮遊感が生まれています(“オーロラが不機嫌に瞬く”イメージ)。SPIRAL ARCHITECTのドラムス・ベースをサポートに従えたアンサンブルも超一流で、完璧なサウンドプロダクションもあって、優れた音楽性をあらゆる面において良好に楽しめるようになっています。本稿で扱う全作品の中でも「入門編」として特におすすめできる一枚です。
また、目下の最新作である5th『Das Seelenbrechen』('13年発表)では、前作4thにおいて再び(ジャズ的な“アウト感”を控えめにして)EMPEROR寄りに戻った音遣い感覚を引き継ぎつつ、アンビエント電子音楽の要素(PECCATUMなどでは用いられていたけれどもメタル寄りのIHSAHNにおいては控えられていた要素)を大幅に導入し、作編曲の構成も、フリーな展開をする余地を残したラフな形に仕上げられています。従って、従来のメタル寄りの要素を求めると肩透かしを食らってしまう場面も多いのですが、ノルウェー・シーンの成り立ち(もともとジャーマンロックや電子音楽との親和性が高い)を考えると自然な流れとも言える方向性ですし、実際、先述のような“薄くこびりつく”引っ掛かり感覚や“気の長い”時間感覚は一層成熟したものになっており、慣れれば非常に心地よく浸ることができます。ぜひ聴いてみてほしい傑作です。
ただ、こうしたアンビエントな感覚が活かされた作品としては、PECCATUM(奥様であるIhrielとのユニット)の3rd『Lost in Reverie』('04年発表)の方が完成度が高いかもしれません。このアルバムでは、先述のような音遣い感覚にヨーロピアン・ジャズ的な味わいが加わっていて、それがEMPERORの4thに通じるメタルパートと滑らかに組み合わされています。そうした静・動の対比や緩急構成が実に素晴らしく、全体を通して何も余計なことを考えず浸りきることができるのです。深い森の中でまどろむような柔らかく神秘的な雰囲気も絶品で、Ihsahn関連作の中で最も優れた作品の一つなのではないかと思います。強くおすすめできる大傑作です。

Ihsahnの人となりや音楽的バックグラウンドについては、2013年のソロ来日時に行われた、インタビュー(聴き手はSIGHの川嶋未来さん)が優れた資料になっているので、これを一読されることをおすすめします。
ここでもよく表れているのですが、Ihsahnには「影響を受けるのを恐れない」(言ってしまえば“ミーハー”な)ところがあります。たとえば、インタビューで言及されているRADIOHEADMiles Davis(『Sketches of Spain』はクラシック「アランフェス協奏曲」のモーダルなビッグバンドアレンジなので“ジャズの本流”とはだいぶ異なります)、そして共演したDevin TownsendやOPETHなど。ソロプロジェクトIHSAHNの作品を聴くと、そうしたものの影響がだいぶあからさまに示されている場面が多く、つい笑わされてしまうこともあります。しかし、そうした「対象にかなりはっきり寄せている」ところでも、その対象の要素をそのまま持ってきて“亜流”になってしまうようなことは全くなく、「似てはいるけれども完全に独自の仕上がりになっている」のです。このような柔軟で逞しい“在り方”は驚異的で、Ihsahnという音楽家の優れた持ち味を示すものだと思います。この若さ(2015年3月現在でまだ39歳!)にしてこれだけの作編曲力・演奏表現力を身につけてしまえているのも、そうした持ち味によるところが大きいのではないでしょうか。既に達人と言える境地にありながら、これからもなお成長の可能性を感じさせてくれる素晴らしいミュージシャン。今後の活動が楽しみです。



SIGH(日本)

Graveward

Graveward


(3rd『Hail Horror Hail』フル音源)'97

(5th『Imaginary Sonicscape』フル音源)'01

(9th『In Somniphobia』フル音源プレイリスト)'12




In Times

In Times


(2nd『Frost』フル音源)'94

(10th『Vertebrae』フル音源プレイリスト)'08

(11th『Axioma Ethica Odini』フル音源プレイリスト)'10

(13th『In Times』フル音源)'14

ノルウェー・シーンを代表する現役最強バンドのひとつ。北欧神話を題材とした歌詞もあって「ヴァイキング・メタル」の枠で語られることが多いのですが、一般的な「ヴァイキング・メタル」の定型的なスタイル(勇壮で扇情的な“クサメロ”の多用など)とは一線を画す、個性的な音楽性を持っています。豊かな音楽要素を親しみやすく融合させる作編曲・演奏表現力は素晴らしく、アルバム毎に最高到達点を更新し続ける“バンドとしての地力”も驚異的。現代ヘヴィ・メタルシーンにおけるトップランナーのひとつと言える存在です。

ENSLAVEDのバックグラウンドとなっているのは、70年代のハードロック〜プログレッシヴ・ロック(両者が不可分だった時期の名バンド)、そして、活動を始めた頃('90年頃)から聴いている様々なエクストリームメタルです。
具体的な名前を挙げれば、
前者:初期のGENESISPINK FLOYD(『Sauserful of Secrets』など)、VAN DER GRAAF GENERATOR、RUSH、KING CRIMSON
後者:DARKTHRONE、MAYHEM、AUTOPSY、CARCASS、BATHORY、CELTIC FROST、MASTER'S HAMMER、ROTTING CHRIST(特に1st)
など。
(全てインタビューで言及されたものです。)
この他にも、THE BEACH BOYSやジャズ、クラシック、実験音楽(ヨーロッパや日本のもの)、EARTHのようなドローン寄りの音楽なども沢山聴いているようで、そうした雑多で豊かな音楽要素を、「他のものからの影響は歓迎する」という姿勢のもと、積極的に取り込み続けているとのことです。
このようにして生まれる音楽は、いうなれば“影響の坩堝”であり、そのうちどれかの安易なコピーにはなりません。大量の影響源が原型を留めないくらいに消化・吸収され、エッセンスのレベルで溶け合わされることにより、このバンドにしか作れない形に再構成されていく。実際、ENSLAVEDの音楽は、上に挙げたような“偉大なオリジネイター”に勝るとも劣らない“混沌とした豊かさ”を持っています。そしてそれが、解きほぐされた明晰な語り口によって提示されることにより、複雑だけど親しみやすい、“聴きやすく興味深い”印象を与えるものになっているのです。
このような“器の大きさ”“構成力”のある作編曲はOPETHなどにも通じるもので(両者の“仕上がり”は異なります)、現代のシーン全体をみても最も優れたものの一つなのではないかと思います。

ENSLAVED('91年結成)は2015年の時点で13枚のアルバムを発表しています。その中から幾つか選ぶのであれば、上に挙げた4枚が良いのではないかと思います。

2nd『Frost』('94年発表)はバンド自身が「最初の到達点」と認める傑作です。'90年頃から演奏していたデスメタルに飽き(トレンディになりすぎたからとのこと)、CELTIC FROSTやBATHORYのようなプリミティブな方向に立ち戻ろうとする一方で、70年代のロックからも影響を受け始めた、という時期の作品で、後につながる“混沌とした豊かさ”が萌芽し始めています。
(このあたりの流れはGrutle Kjellsonの2015年インタビュー:http://crypticrock.com/interview-grutle-kjellson-of-enslaved/に詳しいです。)
ノルウェーの初期シーンに特有の“薄暗く湿った”薫り高い空気感に満ちている(ULVERやEMPERORの1stに通じる雰囲気がある)一方で、ブラックメタルの文脈からは大きく外れる音遣いが既に生まれており、雰囲気表現・音楽ともに得難く特別な味わいがある作品です。後にEMPERORで名をあげる超絶ドラマーTrymの比較的ストレートな演奏も好ましく、ブラックメタルファンには最もおすすめできる作品なのではないかと思います。

この後、3rd『Eld』('97年発表)あたりから70年代プログレッシヴ・ロックのエッセンスが前面に出始め、7th『Below The Lights』('03年発表)から現在につながる方向性が固まることになります。10th『Vertebrae』('08年発表)はそうした試行錯誤が一定の結実をみせた記念碑的傑作で、(バンド自身は「主要な影響源ではない」と言っていますが)PINK FLOYDに通じる“淡白に潤う”深い叙情が前面に出ています。8th『Isa』('04年発表)で揃った現ラインナップの役割分担も素晴らしく、オリジナルメンバーの2人(作編曲の大部分を担当するギタリストIvar Bjørnsonと作詞面のリーダーであるベース・ボーカル(がなり声)Grutle Kjellson)はもちろん、素晴らしいクリーン・ボーカル(落ち着きと苛立ちを同時に感じさせるジェントルな声質)でバンドの顔となる鍵盤奏者Herbrand Larsen、リードギターを担当するIce Dale、小気味よい機動力と“ロックらしいドタバタ感”を両立するドラマーCato Bekkevoldなど、優れたメンバーが見事なアンサンブルを確立しています。バンドに「ミキシング作業というものの大事さに気付かされた」と言わしめたJoe Barresiのミックスも素晴らしく、音作りの面でも申し分のない仕上がり。優れた内容を快適に聴き込める良い作品になっています。

続く11th『Axioma Ethica Odini』('10年発表)・12th『Riitiir』('13年発表)・13th『In Times』('15年発表)はいずれも甲乙つけ難い大傑作で、このバンドが“全盛期”に入っていることを示してくれる素晴らしい作品揃いです。再びミキサーに起用しようとしたJoe Barresiとはスケジュールが合わなかったため、OPETHの作品(『Ghost Reveries』『Watershed』)で見事な成果を挙げたJens Bogrenが(OPETHのMikaelの紹介を経て)起用されているのですが、そのどれもが大変優れた仕上がりで、ENSLAVEDの“静かに荒れ狂う”“大自然の突き放した包容力を感じさせる”音楽性が、柔らかめなメタル・サウンドにより巧みに強化されています。
この時期になると、11thの3曲目「Waruun」
のように、同郷のIHSAHNやEXTOLと共通する(MESHUGGAHの音遣いをノルウェー流に解釈したような)“オーロラが不機嫌に瞬く”仄暗い浮遊感のある音進行が生まれはじめており、独特の音遣い感覚がより高度で魅力的なものに熟成されているように感じられます。どのアルバムも、作編曲・構成ともに素晴らしいものばかりで、どこから入っても楽しめるのではないかと思います。個人的には13th『In Times』が最高傑作なのではないかと思っていますが、全て聴いてみることをおすすめしたいです。

ENSLAVEDの音楽は、メタルシーンに限らず、ノイズやプログレ、ジャズ方面にもファンがいるとのことです。奥行きが深く高度で親しみやすい音楽性をみれば、確かに頷ける話です。
(12th発表後のインタビューhttp://venia-mag.net/interview/a-i/enslaved-ivar-i-grutle/?lang=enで「ノルウェーのオールタイム・5大メタルバンドは」と問われ、TNT・MAYHEM・Høst・ULVER・ENSLAVEDの名を挙げているのですが、それが過剰な自画自賛に感じられないくらいの実力があります。)
“バンドとしての実力”も、聴きやすく聴き込みがいのある作品にも、現代ヘヴィ・メタルシーン全体を代表すべき傑出したものがあります。ぜひ聴いてみてほしいバンドです。



ULVERノルウェー

Trolsk Sortmetall 1993

Trolsk Sortmetall 1993


(1st『Bergtatt』フル音源)'95

(3rd『Nattens Madrigal』フル音源)'97

(5th『Perdition City』フル音源)'00

(11th『Childhood's End』フル音源)'12

(12th『Messe Ⅰ.X - Ⅵ.X』フル音源)'13

ノルウェーを代表するなんでもあり音楽集団(1993年結成)。「ULVERみたいな音を出すヤツはいない。ULVER自身ですらその例に漏れない」(“No one sounds like ULVER. Not even ULVER.” by PERIPHERYのギタリストMark Holcomb)というコメントのとおり、作品ごとに大きく異なるスタイルをとり、それらの全てで素晴らしい達成をしてきたバンドです。しかし、メタルシーンでは初期の数枚ばかりが賞賛され以降の作品は全く顧みられない、メタル以外のシーンでは殆ど知られる機会がないというように、“ジャンル間の溝に落ち込んでしまう”ことの悲哀を一身に体現している存在でもあります。なんとかして正当な評価を得てほしいバンドです。

ULVERはノルウェーの初期ブラックメタルを代表するバンドで、シーンを先導する強力なバンドが出揃った時期に革新的な傑作を発表して注目を浴びました。1st『Bergtatt』(1995年)は北欧フォーク〜トラッドとメロディアスなブラックメタルスタイルを融合した大傑作で、現在一つのトレンドをなしているポスト/シューゲイザーブラックメタルと言われるバンド(ALCESTやDEAFHEAVENなど)を先取りする優しく激しい音楽性により、ブラックメタルという音楽の持つイメージ(吹雪が荒れ狂うような陰鬱で攻撃的なスタイル)を拡張しつつ、SLINTのような初期ポストロックに通じる豊かな音遣い感覚を生み出しています。続く2nd『Kveldssanger』(1996年)でメタルはおろかロック色すら一切ないアコースティック・フォークをやった後に発表された3rd『Nattens Madrigal』(1997年)は90年代のアンダーグラウンド音楽を代表する歴史的傑作で、2ndの極めてメロディアスな音楽性が、緻密な対位法的アレンジを施された上で、極悪にこもったハーシュ・ノイズにまみれる“プリミティヴ・ブラックメタル”スタイルのもと表現されています。高域以外が極端に痩せた凶悪なサウンドプロダクションと絶叫一本槍の激しいボーカル(このスタイルを取るのはこのバンドでは本作のみ)で攻撃的な印象を前面に出してはいますが、作編曲や演奏は高度に洗練されたもので、1stや2ndで表現された豊かな音遣い感覚がさらに熟成されているのです。インパクトも深みも超一流と言えるこのアルバムは世界中のエクストリームメタル/ハードコアパンクに絶大な影響を与えており、少なくともメタルシーンにおいては、いまだにこのバンドの代表作とみなされ続けています。

以上の「初期3部作」の印象が強すぎるためにいつまでも“メタル扱い”されているULVERですが、「メタル要素がある」とはっきり言える作品は3枚しかありません。1st・3rdに続くその最後の1枚が4th『Themes from William Blake's The Marriage of Heaven And Hell』(1998)です。「英国ゴシックメタルとインダストリアルメタルとトリップホップを足して北欧ブラックメタルの音遣い感覚で料理した」趣の本作では、2枚組の全編に渡ってスタイルの異なる曲調が無節操に並べられ、その上で素晴らしい統一感をもってまとめ上げられています。比較対象としてはNINE INCH NAILSPORTISHEADMASSIVE ATTACKPARADISE LOSTなどが挙げられますが、そうしたものに勝るとも劣らない存在感を発揮しつつ完全に独自の味を確立しており、ここでしか得られない旨みにどっぷり浸ることができます。即効性も奥行きも素晴らしいですし、上に挙げたようなバンドを好む方はぜひ聴いてみるべき傑作だと思います。

このような音楽性のシフトを導いたのは中心人物Kristoffer Rygg(通称Garm)の嗜好の変化によるところが大きいのでしょうが(コアなエクストリームメタルファンだった彼は、90年代末にはCOILやAUTECHRE、NURSE WITH WOUNDといったアヴァンギャルドなノイズ〜電子音楽にのめり込んでいきます)、それを支え音作りの主幹を担うTore Ylwizakerの存在も大きかったのではないかと思います。4thはこのToreと3rdまでの腕利き楽器陣がともに在籍した唯一のアルバムであり、上記のような音楽性(豊かな曲想と逞しいフィジカルの両立)はそうした“狭間の時期”だからこそ生まれたものだったのだと言えそうです。

ULVERはこの後しばらく様々なスタイルの電子音楽を追求していくことになります。EP『Metamorphosis』(暗いエレクトロニカという感じで比較的凡庸な仕上がりだが、CDケース内に「最早ブラックメタルではないからそれを期待しても失望するだけ。我々はこれからも予測できない存在であり続ける」という声明あり)を経て発表された5th『Perdition City』は“架空の映画のサウンドトラック”的な作品で、4thをアンビエントエレクトロニカに寄せたような音楽性のもと、アルバム一枚を通して明確な物語を描いていく構成が出来ています。フィールドレコーディング(アパートの5階にあるToreの部屋の窓からマイクを突き出し、夜の街の音を録ったとのこと)も効果的に活用されている本作はKristofferとToreの2名だけで作られており、現在にまで至る音楽製作の体制がこの2作で確立されることになりました。
電子音楽期のULVERは所属シーンの問題もあって触れられる機会が極めて少ないですが(初期3部作ばかりが語られるため、23年の歴史のなかでメタルをやっていた時期は5年に過ぎないのに、メタルシーン以外で言及されることは殆どない)、発表された作品はどれも優れたものばかりです。実際の映画のサウンドトラックとして製作された『Lyckantropen Themes』(6th・2002年)と『Svidd Neger』(7th・2003)は単体でも楽しめるアンビエント〜テクノの傑作ですし、それに続いて発表されたEP『A Quick Fix of Melancholy』も、前2作の時間/空間感覚を引き継ぎつつ印象的なフレーズを軸に据えた構成が見事で、何度でも繰り返し聴きたくなる魅力があります。そうした傑作群の中でもひときわ素晴らしいのが『Teachings in Silence』(インスタレーション用音源として製作され2001年と2002年に分けて発表された2つのEPを一つにまとめたもの)でしょう。アンビエントグリッチ寄りの電子音楽に最も接近した時期の作品なのですが、バンド自身が最大の影響源として挙げるCOILの「ミクロのフレーズに異常にこだわる」音響表現力が見事に引き継がれていて、淡々とした展開にいつまでも浸れてしまいます。(COILの名作『Angelic Conversation』と『Black Antlers』の間にある音楽性を北欧トラッド〜クラシックの洗練された構成力で整理したという趣もあります。)明確な泣きメロを含む最後の「Not Saved」はその中では異色のトラックですが、その素晴らしい仕上がりもあって、ファンからは名曲と評価されています。

こうして何年ものあいだ電子音楽にこだわり続けていたULVERですが、2005年の8th『Blood Inside』からは“歌モノ”のスタイルが全面的に復活しています。様々な電子音楽を通して培われた音響/時間感覚を、過去作よりもさらに熟成された北欧ゴシック的音遣い感覚と組み合わせ、唯一無二の個性と深い味わいを誇るKristofferのボーカルで引き締める…というスタイルは完璧で、一見地味なようでいて「聴きやすく、何度聴き返しても飽きない」渋く奇妙なポップミュージックの傑作になっているのです。インダストリアルメタル的な硬い音作りも魅力的で、メタルファンに非メタル期の作品を一枚だけお薦めするのならこれがベストなのではないかと思います。
これに続いて発表された9th『Shadows Inside』(2007年)では、前作のインダストリアルメタル的音響は完全に排除され、FenneszSIGUR RÓSのような柔らかく雄大な音響が主になっています。黄昏の光に北欧の大自然が包まれ、次第に闇に溶けていく…という趣の雰囲気描写は素晴らしく、同じ路線でこれを上回るものは殆どないのではないかとすら思えます。アンビエントながら印象的な歌モノとしても成り立っている作編曲も好ましく、BLACK SABBATH「Solitude」のカバーも自然に収まり見事な表現力を示しています。バンド自身も代表作として誇るアルバムで、ここ10年に渡る電子音楽路線の一つの完成形を示した傑作と言えます。

その9thで一つの区切りをつけたということなのか、以降のULVERは過去の様々な音楽を参照しつつ新境地を開拓する傾向を強めていきます。2011年の10th『Wars of The Roses』では80年代ニューウェーヴや90年代に至るインダストリアルもののような英国ゴシック音楽のエッセンスが強まり(「Norwegian Gothic」なんてそのものズバリの曲名もある)、COILメンバーとの共演も実現しています。
(Ian JohnstoneとStephan Throwerが最後のアンビエント/ポエトリーリーディングに参加:中心人物John BalanceとPeter Christophersonは亡くなった後)
また、マルチプレイヤーDaniel O'Sullivanが正式加入し楽器の演奏水準が上昇したということもあってか、バンドのアンサンブルは生のダイナミズムを大幅に増すことになりました。Kristofferの素晴らしいボーカルも十分にフィーチャーされ、他では聴けない個性的な味わいがとても聴きやすい形で提供されている本作は、バンドの新たな黄金期の幕開けを告げるものになりました。
翌年に発表された11th『Childhood's End』は60年代末〜70年代前半のサイケデリックロックのカバー集で、アメリカ〜英国のブルース/フォーク的な音遣い感覚が大幅に導入されています。
(北欧から英国に接近した10thの“南下傾向”の延長線上にあるとも言えるのかもしれません。)
その結果は実に素晴らしく、『Shadows of The Sun』などでとりわけ印象的だった美しくも冷たく厳しい雰囲気が、アメリカ〜英国的な程よく大雑把な空気感でときほぐされ、“特有の湿り気を残しつつ深刻になりすぎない”絶妙なバランス感覚が生まれています。こうした仕上がりは、作品の内容自体がバンドの歴史における新境地になっているというだけでなく、どうしても暗く沈み込む方向にこだわりがちだったバンドの“気の持ちよう”にある種の突破口を設けたという意味でも、とても得難く重要なものだったのではないかと思います。ULVERの歴史において最も“コンパクトに洗練された歌モノ”に徹しており、素晴らしいボーカルを思う存分楽しめる…という意味でも貴重な傑作です。
その11th発表前に行われた同作のお披露目ライヴは録音され、『Live at Roadburn』(2013年)として発表されています。同作収録の歌モノから16曲中10曲を演奏し、最後に70年代ジャーマンロック風の長尺インプロヴィゼーション(「CANに捧げる」とのクレジットあり)をやって締める構成は、11thと最新13thをそのまま繋ぐものとみることもでき、非常に興味深いです。

翌2013年に発表された12th『Messe Ⅰ.Ⅹ-Ⅵ.Ⅹ』は、ULVERが作曲した楽曲にアレンジを施して室内楽オーケストラが演奏したのち、そこにULVER側がポストプロダクションを加えて電子音楽化した作品で、Alvo Part(アルヴォ・ペルトミニマリズム/古楽寄りスタイル)やJohn Travener(ジョン・タヴナーメシアンシュトックハウゼンに並ぶ神秘主義)といった作曲家に大きな影響を受けているといいます。これが極めて素晴らしい作品で、生演奏の繊細なダイナミクスが電子音響処理により一層緻密に強化されているだけでなく、生演奏単独でも電子音響単独でも成し得ない複雑で表情豊かな音色表現が生み出されていて、約45分の長さを興味深く浸り通すことができてしまうのです。作編曲だけとってみても実に見事で、5部からなるアルバム全体の構成が申し分なく素晴らしい。少し冷たい水の中に無心で漂うような居心地も好ましく、微妙な異物感を伴いながら潤いを与えてくれるような肌触りもあって、永遠に流し浸り続けていたいような気分にさせられてしまいます。仄暗く生温い音遣い感覚は確かに10th〜11thの流れに連なるものですし、あらゆる意味でこのバンドにしか作れない大傑作なのではないかと思います。個人的にはULVERの最高傑作なのではないかと思っています。

2016年に発表された新譜『ATGCLVLSSCAP』は、以上のような流れをかなり意識的に総括するものになりました。2014年2月に行われた欧州ツアー12箇所の音源を加工して作られた本作では、常連サポートメンバーを含むライヴバンドとしての実力と個性が存分に発揮されています。
(ちなみに、アルバムタイトルは12星座(Aries・Taurus・Gemini・Cancer・Leo・Virgo・Libra・Scorpio・Sagittarius・Capricorn・Aquarius・Pisces)の頭文字を並べたもののようです)
音楽性を過去作と比べるならば、『Shadows of The Sun』『Wars of The Roses』『Childhood's End』の音楽性を完璧に溶け合わせ、いわゆるアトモスフェリック・スラッジに通じる迫力ある演奏で形にしていく、という感じでしょうか。SIGUR RÓSROVOを70年代ロックに寄せたような程よく粗いアンサンブルと、打楽器の音をほとんど入れずに淡々と漂う北欧アンビエントのパートとが、全く違和感なく並べられ、ジャスト80分の長さをまったく過剰に思わせない滑らかな流れを作り出していきます。それぞれの曲は即興で生み出された部分を相当多く含んでいるはずなのですが、曲の展開・構成は過不足なくよく整理されたものばかりで、余計なことを考えず快適に浸り通すことができてしまうのです。
(1曲目「England's Hidden」(COILやNURSE WITH WOUND関連音源/書籍の名前でもある)は12thの「Glamour Box」を、3曲目「Moody Stix」は『A Quick Fix of Melancholy』の「Doom Sticks」を、10曲目「Nowhere」は5th最後の同曲をライヴでリアレンジしたものですが、他の曲はこのツアー用に準備された素材を現場で展開し構築した“即興作曲”だと思われます)
このような仕上がりは、ライヴならではの閃きや豊かな演奏表現力と、スタジオでのポストプロダクションを含む優れた整理能力を見事に両立するもので、バンドの音楽的引き出しをあらゆる面において申し分なく示していると思います。こうした成り立ちはたとえばCAN『Tago Mago』やKING CRIMSON『Starless And Bibleblack』に通じるものですし、音響や雰囲気だけみれば最近のANATHEMAやFenneszを連想させる部分も多いです。10thで掘り下げられた“ノルウェー+英国”的な音遣いに、11thのあたりで探求されたアメリカのサイケやジャーマンロックの要素が混ぜ合わされ、非常に豊かで複雑な味を構築している。こういう意味においても、これまでの活動全歴の集大成と言える一枚なのではないかと思います。
70年代ジャーマンロックやシンフォニックなポストロック、いわゆるジャムバンドやネオプログレアンビエントやドローンなど、“気の長い時間感覚”を持つダイナミックな音楽が好きな方なら抵抗なくハマれる傑作です。

以上、ULVERの活動全歴を簡単に俯瞰してきました。音楽スタイルを自在に変えながら持ち味を深めていった歴史は広く知られるべきですし、そうでなくとも、それぞれの作品がそれを最も楽しめる人のもとに届いてほしいものです。この稿がそうしたことの助けになれば幸いです。



ARCTURUSノルウェー

Arcturian

Arcturian


(1st『Aspera Hiems Symfonia』フル音源)'96

(2nd『La Masquerade Infernale』フル音源)'97

(3rd『The Sham Mirrors』フル音源)'03

(4th『Sideshow Symphoniesフル音源)'05

(5th『Arcturian』から1曲目「The Arcturian Sign」)'15

'91年結成。いわゆるシンフォニック・ブラックメタルの始祖の一つで、ノルウェー流の“引っ掛かり感覚”(こちらの記事http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2015/03/27/050345参照)を最も練度の高いかたちで大成したバンドでもあります。固有の渋い味わいをわかりやすい“歌モノ”スタイルで聴かせてしまう作編曲能力は抜群で、ノルウェー・シーンを代表する名プレイヤー達による演奏も超一流。エクストリームメタルに苦手意識のある方にも是非聴いてみてほしい素晴らしいバンドです。

ARCTURUSの音遣いは、上の記事で述べたようなノルウェー特有の“薄くこびりつく”進行感を少し濃くし、北欧のクラシック音楽シベリウスなど)にも通じる荘厳な歌謡感覚で彩った、というようなものです。シンフォニック・ロックの壮麗なメロディ感覚と(アメリカのブルースにも通じる)鈍く引っ掛かる進行感とが、北欧特有の底冷えする空気感のもとで描かれる。華やかに変化するリードメロディと(彩り豊かではあるけれども)意外と色の種類が変化しないモノトーンなコード感とが両立されていて、展開がはっきりしている歌モノなのに“同じような雰囲気に浸り続ける”感覚を与えてくれます。きびきび流れる構成を持っていながらアンビエントな聴き味があるこうした音楽性はありそうでなかなかないもので、歌モノのファンにも電子音楽や70年代ジャーマンロックなどのファンにもアピールするものではないかと思われます。ブラックメタル特有の味わいや“気の長い”時間感覚を抵抗なく身につけられる素材としても好ましく、そうしたものの入門編としては最適なバンドなのではないかと思います。

ARCTURUSがこれまでに発表した5枚のフルアルバムはどれも大傑作で、他の音楽では得られない固有の味わいをそれぞれ違ったかたちで提供してくれます。どれか一つが気に入ったならば他の全作品を聴き込む価値があるので、入りやすいと思ったところから手を出して、ぜひ全て聴いてみてほしいと思います。

1st『Aspera Hiems Symfonia』('96年発表)は最も一般的なブラックメタルのスタイルに近い作品で、EMPERORやLIMBONIC ART、初期のMANESなどとともに「シンフォニック・ブラックメタル」の雛形として後続に大きな影響を与えました。先に述べたようなこのバンド特有の音遣い感覚は既にかなり出来上がっていて、ボーカルを務めているGarmのメイン・バンドであるULVERの初期作品に程よいハッタリ感を加えたような、高貴で妖しい雰囲気がよく出ています。このバンドの売りは何と言ってもSverd(ブラックメタルシーンを代表するキーボーディストで、バンドの音楽的方向性を殆ど決定)による演奏&オーケストレーションですが、他のパートもシーンを代表する名人揃いです。特にHellhammer(ドラムス)とSkoll(ベース)の組合せはノルウェー・シーン最高のリズムセクションの一つと言ってよく、わりとストレートな場面であってもジャズ的な捻りを加えるなどして、曲全体に巧みな引っ掛かりを付け加えてくれています。気軽に聴き通せるのに聴き込むほどに味が増す素晴らしい仕上がりで、名実ともにブラックメタルというジャンルを代表する傑作の一つです。

2nd『La Masquerade Infernale』('97年発表)は、わりとストレートだった前作の捻りある部分を強調したような作品で、メタル・リフで押す場面は減り、オペラ風のアブノーマルな歌モノが引っ張っていく構成が前面に出ています。印象的なフレーズが小刻みに連発される前作と比べると少々間延びしているようにも感じられるスタイルで、音作り的にもわかりやすい刺激が少ないということもあって、一般的なメタルファンには取っつき辛く思えるところが多いかもしれません。しかし、これはこれで非常に完成度の高い作品で、前作で提示された独自の音遣い感覚が、メタル・リフの反復に縛られない自由度の高い展開のもとで巧みに表現されているのです。メタル的に“ガツンとくる”刺激の少ない音作りも、例えばゴシックロック〜ゴシックメタルなどを聴くつもりで接してみれば、何の違和感もなく受け入れることができ、むしろ心地よく浸れるのではないかと思われます。このバンドの作品の中では(メタルファンからすれば)最もとっつきにくく感じられるだろう一枚ですが、コアなファンは最高傑作に挙げることも多いようです。他の作品にハマったら是非聴いてみてほしいアルバムです。

入門編として最適なのが3rd『The Sham Mirrors』('03年発表)でしょう。前2枚の作風をうまく混ぜた上で両者のいいとこ取りをしたような仕上がりで、自在に展開する曲構成の全てが強力なフレーズで彩られ、間延びした感じを受けずに聴き通せるように作られています。アルバム冒頭を飾る大名曲「Kinetic」をはじめ収録曲は印象的なものばかりで、J-POPやメロディック・パワーメタルなどのファンにも訴えかける“わかりやすさ”とノルウェーブラックメタルならではの渋さとが絶妙に両立されているのです。前作に引き続き歪み声を完全封印したGarmのボーカルも心地よく、エクストリームメタルが苦手な方も抵抗なく聴けるようになっていると思われます。まずはここから聴いてみてほしいアルバムです。

続く4th『Sideshow Symphonies』('05年発表)では、Garmが脱退し、同じくノルウェーブラックメタルシーンを代表するクリーン・ボーカリストSimen Hestnaes(BORKNAGAR / ex.DIMMU BORGIR)が加入しています。作編曲の方向性は再び2nd的な“気の長い”時間感覚を強調したものになっていて、多彩な場面転換をしながらもメタル的なわかりやすい畳み掛けのあった3rdに比べ、だいぶゆったりした流れが生まれています。Simenの(オペラ〜民謡的な“こぶし”の効いた)一見無表情にも感じられる飄々とした歌い回しもあってか、少し聴いただけでは「間延びしていてかったるい」と感じられるものになっているとも言えるのですが、先に述べたような音遣い感覚やアンビエントな居心地はこれ以前とは比べものにならないくらい高度に熟成されていて、慣れて抵抗なく聴き入れるようになれば、他では得られない極上の聴き味にどっぷり浸かることができるようになります。緻密なキーボード・オーケストレーションの各パートを繊細に聴かせ分ける音作りも素晴らしい仕上がりで、メタル的なエッジは引っ込んだものの、サウンドプロダクションの出来は完璧と言えます。一般的な評価はかなり低いようですが(特に前作のようなわかりやすいものを好むファンからすると取っつき辛く感じられるようです)、個人的には、ノルウェー流シンフォニック・ブルース・ロックの名盤として歴史に残るべき大傑作なのではないかと思います。

ARCTURUSはこの後バンド内での諍いなどもあって'07年に解散することになりますが、冷却期間をおくことによって再び良好な関係を取り戻すことができたようで、'11年には活動を再開しています。音楽をあくまで“趣味”と捉え(メンバーはみな昼間の仕事を持っている)、ギターのKnut所有のスタジオで時間を気にせず製作を続けていた、ということにより新作の発表は何度も遅れましたが、'10〜'14年に録り貯めた素材をもとに、ついに5thフルアルバム『Arcturian』を完成。'15年に無事発表することになりました。
(このあたりの経緯はSimenのインタビューhttp://heavymetal.about.com/od/arcturus/fl/Arcturus-Interview.htmに詳しいです。Sverdのキーボードが'92年からずっと使い続けているもので、そのおんぼろキーボードがARCTURUSのサウンドの代替不可能な特徴になってしまっている、ということなど、興味深いエピソードが多いです。)
この『Arcturian』は本当に素晴らしい作品で、2ndと3rdの中間前者寄りというような作風が、4thを通過することによって得られた高度な音遣い感覚を用いて仕上げられています。緻密で複雑な作り込みを滑らかな“歌モノ”として聴かせてしまう作編曲も演奏も極上で、アルバム一枚を通しての構成も完璧。1st〜4thのどの時期が好きなファンも納得させる出来だと思いますし、この手の音楽性では前人未到の領域に達している作品なのではないかと思います。個人的にはこれが最高傑作なのではないかと思っています。広く聴かれてほしいアルバムです。

ARCTURUSは、ブラックメタルの歴史の中で重要なポジションを占めながらもそこに留まらず独自の進化を遂げたバンドで、「ブラックメタル」として一般的に認識されているスタイルとは(初期を除いて)かけ離れた音楽性を持っています。(その点ULVERやMANESなどと同じような立ち位置にいるバンドです。)しかし、個性的に熟成された音遣い感覚はやはりノルウェーブラックメタルシーンからしか生まれ得ないもので、そしてその中にあっても最高の完成度を誇るものの一つと言えるのです。この【プログレッシヴ・ブラックメタル】の項で触れている他のバンドと比べると「あからさまに変」なものではないかもしれませんが、この“音遣い感覚”とそれを活かす作編曲能力・演奏表現力の面ではむしろ頭一つ抜けたところにいる実力者。エクストリームメタルが苦手な方(特にプログレ(非メタル)ファンやブルース要素のある音楽のファンなど)にもぜひ聴いてみてほしいバンドです。



VED BUENS ENDE…ノルウェー

Written in Waters

Written in Waters


(デモ『Those Who Caress The Pale』フル音源プレイリスト)'94

(『Written in Waters』フル音源)'95

いわゆるアヴァンギャルドブラックメタルを代表するバンド。唯一のフルアルバム『Written in Waters』は、ノルウェー・シーンが生み出した最高の達成の一つというだけでなく、90年代のあらゆる音楽ジャンルをみても屈指の傑作です。音楽性がマニアックなこともあって一般的な知名度は絶望的ですが、知っている人からは極めて高く評価されるバンド。そういう意味ではCONFESSORに通じますし、それに勝るとも劣らない実力者と言うことができます。

VED BUENS ENDEの音楽性を一言で表すのは困難です。「Eric Dolphyのような現代音楽に通じるフリー寄りモードジャズをAMEBIXと組み合わせてブラックメタル化したもの」とか「KING CRIMSON〜VOIVOD的な音遣いとノルウェー特有の音進行を混ぜ合わせて独自の暗黒浮遊感を生み出したもの」と言うことはできますし、実際そういう要素は含まれています。しかし、音遣いや演奏表現の混沌とした豊かさはそうやって括れるレベルを越えています。ギターの奇怪なコードワークも、極めて闊達なベースラインも、ブラックメタルの特徴を備えながらも定型に回収されないアイデアに満ちていて、しかもそれらが複雑に絡み合うことにより、(それこそモードジャズのように)偶発的な広がりとまとまりを両立した音進行を生んでいるのです。そして、それを装飾するドラムスも強力です。CONFESSORのSteve Sheltonにも並びうるジャズ・ロック型の達人で(John BonhamLED ZEPPELIN)〜Neil Peart(RUSH)ラインの最高位という感じ)、パワーとスピードを両立する音色も、複雑で多彩なフレーズも、比類なく優れた個性を持っています。こうした鉄壁のアンサンブルを飄々と乗りこなすボーカルも味わい深く、音楽全体に不穏な柔らかさを付け加えています。作編曲も演奏も、他では聴けない異様な魅力に溢れているのです。

VED BUENS ENDEのメンバーは
Carl-Michael Eide(aka. Czral)(ドラムス・リードボーカル)(VIRUS・AURA NOIR
Vicotnik(Yusaf Parvez)(ギター・歪みボーカル)(DODHEIMSGARD / ex.〈CODE〉)
Skoll(Hugh Steven James Mingay)(ベース)(ARCTURUS / ex.ULVER)
の3名。全員がノルウェー・シーンを代表する名人で、卓越した演奏表現力と個性的な音楽性を両立する達人揃いです。こうしたメンバーにより繰り広げられるアンサンブルは、一般的なブラックメタルの速く単調なものとは大きく異なる、ゆったりしたテンポで不定形に変化し続けるもので、この点について言えばメタルよりも60年代付近のジャズに近いかもしれません。仄暗く抑制された空気感はLennie TristanoLee Konitzなどのいわゆるクール・ジャズに通じますし、全パートが状況に応じてリードにもバッキングにもなる展開は、WEATHER REPORTなどと比べても見劣りしない“均整のとれた自由度”を勝ち得ています。こうしたアンサンブルが、ある種の暗い美意識に基づいて緩やかな変容を繰り返す(枠と広がりを両立する)さまは、本質的な意味において“ジャズ”に通じるもので、所属するシーンは異なりますが、そちら方面のファンにも聴かれなければならない達成なのではないかと思います。こうした演奏表現ひとつ取ってみても、ジャンルを越えて評価されるべき高度な旨みを持っているのです。

また、演奏表現だけでなく、音遣いや作編曲も不可解な謎に満ちています。ノルウェー・シーンで培われつつあった黎明期ブラックメタルの要素が土台になっているとは思うのですが、それがモードジャズ的な“外れることを恐れない”付かず離れずな展開で表現されることにより、それまでのブラックメタルには存在しなかった不思議な音進行が多々生まれているのです。
(60年代のモードジャズが「黒人音楽のブルース感覚を(近現代クラシックの複雑な和声感覚なども援用して)浮遊感あるかたちに拡張していった」ものなのだとすれば、VED BUENS ENDEの音楽は、ノルウェー・シーンに至る過程で生まれていった固有のブルース感覚を改めてモードジャズ的に料理したものだと言えるのかもしれません。)
(そういうこともあってか、アヴァンギャルドで不気味なコードに注目するよりも、ブラックメタル的な“引っ掛かり”感覚を足場として聴いた方が理解しやすいものなのだと思います。)
このような音遣い感覚は、多くのブラックメタルにおいて前面に押し出されている“ストレートに沈み込む”“大声で嘆き続ける”ものとは一線を画しています。どこか曖昧で定まらない印象を持ちながら、落ちきることも浮ききることもなく揺れ漂っていく。こうした“フラットに揺れる”進行感が、どこか脱力したボーカルや霧のように肉感の乏しいギターによって形にされることにより、「薄靄のようにぼんやりした不安が少しずつ形を成していく」さまが描かれているのです。
(ヒリヒリする焦りの感覚はあるけれども、切迫感というのとは異なる。言うなれば、“冷たい泥水に浸かりながら、体温が失われていくのを他人事のように感じている”ような感じ。“朦朧とした意識のなかで遠くの危機を微かに知覚している”というふうな趣もあります。全編が危険な柔らかさに包まれているのです。)
独特のリズム構成もこのような印象に貢献しています。例えば1曲目「I Sang for The Swans」に出てくる13拍子など。こうした変拍子は、「速い展開の中で急な躓きを仕掛ける」よりも「ゆったりした流れの中で一瞬の立ちくらみを誘う」もので、統合不全のプレ・ブルースに通じる緩やかな“字余り”感覚を持っています。基本的には4拍子(3連)系の落ち着いた構成の中に時折このような“揺らぎ”が現れることにより、先に述べたような“フラットに揺れる”進行感が一層強化されているのではないかと思います。

VED BUENS ENDEのこのような音楽は、このシーンのこの時期にしか生まれ得なかったものなのではないかと思われます。Vicotnikがインタビュー(http://www.mortemzine.net/show.php?id=3634&il=6)で「'91〜'93年頃の“競い合う気風”が90年代中期に至る音楽的豊穣をもたらした」と述べているように、黎明期のノルウェー・シーンには「深い表現力があれば音楽的には何をしてもOK」という風潮がありました。刺激を与え合いながら互いを出し抜こうとする姿勢があり、それが良い循環をもたらして、数々の個性的な名作を生んでいったのです。VED BUENS ENDEの『Written in Waters』('95年発表)はそうしたシーンの勢いや混沌とした豊かさを真空パックしたような作品で、早熟の天才たち(17〜20歳)の技術と情熱が最高の環境のなかで発揮された傑作なのではないかと思います。このような意味において、KING CRIMSONの『In The Court of The Crimson King』やCYNICの『Focus』にも並ぶ、“偉大なる1stアルバム”と言える作品なのです。

また、とかく『Written in Waters』ばかりが語られがちなVED BUENS ENDEですが、前年('94年)に発表されたデモ音源『Those Who Caress The Pale』もそれに見劣りしない傑作です。フルアルバムと比べ一般的なブラックメタルの要素が多めな作風ですが、独特の高度な音遣い感覚と卓越した演奏表現力はこの時点で殆ど確立されており、好みによってはこちらの方が楽しめるかもしれません。アルバムにも収録される「The Carrier of Wounds」「You That May Wither」は(細部のコード処理などは異なるものの)この時点でほぼ同じアレンジで演奏されていて、「あの独特の音楽性は意図的に生み出されたものなのだ」という確認をすることもできます。作品の凄さも資料性の高さも相当のもの。ぜひ聴いてみてほしい傑作です。

以上の2作を発表したのち、VED BUENS ENDEは'97年に解散しました。CzralとVicotnikの間でエゴの衝突があり、互いの才能を極めて高く評価しながらも音楽的方向性をすり合わせることができなかった、というのが主な原因になったようです。各メンバーがシーンで高く評価され、様々なバンド・プロジェクトを抱えている一方で、VED BUENS ENDEとしては「時代の先を行っていて」芳しい評価を得られなかったということもあってか、このバンドの活動は次第にフェイドアウト。その後'06年に一度再結成を果たしますが、アルバムの制作作業において衝突し、再び袂を分かつことになりました。
(Czralのインタビュー(http://www.avantgarde-metal.com/content/stories2.php?id=88)によると、「Vicotnikがクラシック音楽寄りの方向性を進めてきた一方で、自分はブルース・ベースの方向性を進めてきた」「共作は凡庸なものにしかならなかった」というようなことが決裂の原因になったようです。)
Vicotnikの言によれば、「絶対とは言わないが、再結成はまずないだろう」とのこと。メンバーは現在も素晴らしい作品を生み続けていて、その点においては何も心配することはないのですが、VED BUENS ENDEというバンドの歴史について言えば、このまま永遠に閉じることになるとみるのが妥当なようです。
従って、冒頭で述べた「一般的な知名度は絶望的だが一部からは極めて高く評価されるバンド」という立ち位置は、これからも暫くは変わることがなさそうです。それもまあ仕方ないなと思える音楽性ではあるのですが、このような最高レベルの傑作が埋もれたままでいるのはやはり惜しいです。ここで知ったような方などは、これも何かの縁ですし、ぜひ何度か聴いてみて頂きたいです。繰り返し接するほどに深く惹き込まれ、他では味わえない感覚を開拓してくれる音楽。少なくとも10年は聴き飽きないことを保証いたします。



VIRUSノルウェー

Black Flux (Dig)

Black Flux (Dig)


(2nd『The Black Flux』フル音源)'08

(EP『Oblivion Clock』フル音源)'12

ノルウェー・シーンを代表する奇才Czral(Carl-Michael Eide)のリーダー・バンド。VED BUENS ENDEの後継ユニットとされるバンドで、Czralはギターとボーカルを担当しています。アヴァンギャルドな音遣いをお洒落に聴かせてしまう歌モノスタイルなのですが、そこで表現される重い空気はVED BUENS ENDE以上に凶悪です。ブラックメタルのシーンから生み出された音楽の中では最も強力なものの一つでしょう。

VIRUSの音楽的コンセプトはかなりハッキリしています。Czral本人が「TALKING HEADS+VOIVODと言われることが多い」と述べているのに近いスタイルで、「KING CRIMSON〜VOIVODラインの音遣いを濃いめのブルース感覚に溶かしこみ、ジャズ的なエッセンスを振りかけた上で、ディスコやレゲエ方面のテクニカルなベースラインを加えた」ような音楽性が、曲によって様々に配合を変えながら表現されていきます。よく動くベースと余計なことをしないタイトなドラムス、そして複雑なコードをかき鳴らし続けるギターの対比は、「FRICTIONやSONIC YOUTHのようなノーウェーブ寄りバンドをブラックメタル化した」ような感じもあり、そちら方面の“オルタナ”ファンも楽しめるものなのではないかと思います。
(実際、Czral自身も「VIRUSは“avant-grade heavy rock”であり、ブラックメタルとは繋げて考えたくない。(そもそも何かの一部として扱われたくない。)メタルファンにもオルタナファンにもアピールし得る音楽性だと考えている」と発言しています。
:'08年のインタビューhttp://www.avantgarde-metal.com/content/stories2.php?id=88より。網羅的で興味深い内容です。)

こうした音楽性は、様々な映画(Andreï Tarkovsky、Federico Fellini、Peter Greenaway(『コックと泥棒、その妻と愛人』)、David Lynchなど)に影響を受けたものでもあるようです。上記のような瞬発力溢れる演奏スタイルが、重く停滞するアンビエントな空気感のもとで展開される。このようにして表現される雰囲気は、VED BUENS ENDEに含まれる無自覚の毒性を抽出し濃縮したものでもあり、社交的に洗練された殺人的ユーモア感覚を漂わせることもあって、さながら「精製された呪詛」というような趣すらあります。“第3期”KING CRIMSONの独特の暗黒浮遊感とノルウェーブラックメタルを掛け合わせ、アメリカ寄りのブルース感覚でずぶ濡れにしてしまった、という感じの味わいは何ともタチの悪いもので、それが歌モノの聴きやすい形で提供されることにより、聴き手を手際よく中毒症状に陥れる“効き目”を獲得しているのです。

このような音楽性は、VED BUENS ENDEの要素をはっきり受け継いではいるものの、構成要素のバランスに関して言えば異なる部分も多いです。KING CRIMSONになぞらえるならば、VED BUENS ENDEが1st『In The Court of The Crimson King』、VIRUSが“第3期”と“第4期”の中間というところでしょうか。リーダー格のメンバーが複数集まることにより複雑な配合が生まれた1stと、一名のリーダーがはっきりしたコンセプトをもって先導していった“第3期”以降とでは、混沌とした豊かさが(無自覚に)活かされる度合いがどうしても異なります。VED BUENS ENDEとVIRUSの関係は概ねこんな感じに対比できるもので、そうした“成り立ち”の違いを踏まえて聴くと、とても興味深く読み込めるようになっているように思います。

VIRUSの作品から1枚だけ選ぶなら、2nd『The Black Flux』('08年発表)が良いと思われます。Czralの転落事故('05.5.26:ビルの4階から落ちたことで足の自由を失い、ドラマーとしてはリタイアすることになった)以後の初作品で、そうしたことにも関連する心境が反映された「世界の終わりのような音(アーマゲドンのようなものではなくもっと個人的なもの)」という仕上がりになっています。1st('03年発表)で提示された諸要素を洗練して上記のようなスタイルを完成させた作品でもあり、淡々とした暗い雰囲気のもとで勢いよく突き進む演奏は圧巻。再結成VED BUENS ENDE('06年:アルバム制作中に決裂)のために書かれた素材からなる曲が多いという点でも非常に興味深い作品です。
ただ、個人的な感覚で選ぶならば、3rd('11)の翌年に発表された『Oblivion Clock』('12)が最も好ましく思えます。同年制作のEP(新録4曲)と未発表だった3曲を合わせた7曲入りで、新曲であるタイトルトラックは再結成VED BUENS ENDEのセッションで部分的に録音されていた素材から作られているとのことです。ここに収められた新録4曲では、KING CRIMSON〜VOIVOD的な音遣いの使用が幾分控えられていて、ノルウェーブラックメタル寄りの“薄くこびりつく”エッセンスが(VIRUSの作品の中では例外的に)すっきりした形で活かされています。こちらの方が“他の何かを連想させる”雑味が少ないぶんCzral本来の持ち味が出ていると感じますし、先述のようなアンビエント感覚がより純度の高い形で示されているという点でも、現時点での到達点を表しているのではないかと思います。非常に優れた作品です。

VIRUSの音楽はどうしても(音楽性はもちろんそれ以上に雰囲気表現の面で)マニアックと言わざるを得ないものですし、広い認知を得られないのも無理もない面はあります。しかし、そうしたマニアックな要素をとても伝わりやすい形で示すことができているものでもあります。VED BUENS ENDEと併せ、ぜひ聴いてみてほしいバンドです。



DØDHEIMSGARD(DHG)(ノルウェー

A Umbra Omega

A Umbra Omega


(3rd『666 International』フル音源)'99



FLEURETY(ノルウェー

Department of Apocaliptic...

Department of Apocaliptic...


(1st『Min Tid Skal Komme』フル音源+EP音源)'95

(2nd『Department of Apocalyptic Affairs』フル音源)'00



SOLEFALD(ノルウェー

Neonism

Neonism


(1st『The Linear Scaffold』フル音源)'97

(2nd『Neonism』フル音源)'99

(7th『Norron Livskunst』フル音源プレイリスト)'10

(8th『World Metal』フル音源)'15



FURZE(ノルウェー

Utd

Utd


(3rd『UTD』フル音源)'07



LUGUBRUM(ベルギー)

Live in Amsterdam: Trampled Brass/Midget Robes

Live in Amsterdam: Trampled Brass/Midget Robes


(1st『Winterstones』から1曲目「Embracing The Moolight Snowclouds」)'95

(7th『Heilige Dwazen』フル音源プレイリスト)'05

(8th『de ware hond』から1曲目「Opwaartse Hond」)'07

(10th『Face Lion Face Oignon』フル音源プレイリスト)'11

'92年結成。我が道を行くバンドの多いブラックメタルシーンにおいてもトップクラスの個性派で、2015年の現在までに11枚のフルアルバムを発表しています。一般的な知名度は殆どゼロですが、代替不可能な珍味をもつ作品群は熱心なファンを生み、カルトな評価を得つつ気長に活動することができています。多くのブラックメタルと比べ大分渋くドロドロした音楽性で、広く受け入れられるのは難しいかもしれないものではあるのですが、卓越した演奏表現力と飄々としたユーモア感覚は強い“つかみ”を持っており、その点においてはキャッチーで親しみやすい印象さえあります。波長や相性が合う人なら一発で引き込まれうる音楽であり、聴いてみる価値は高いと思います。

LUGUBRUMはオランダ人Midgaars(ギターやバンジョーを扱うマルチ奏者)とベルギー人Barditus(ボーカル・初期作品ではドラムスも演奏)の2人により結成されたバンドで、初期はノルウェーのシーンに通じるプリミティブ寄りブラックメタルをやっていました。しかし、作品を発表するほどに独特な要素が増えていき、2000年代に入る頃には、70年代のジャーマン・ロックやTHE GRATEFUL DEADのような長尺ジャムセッション・ロック、70年代頭頃のMiles Davis(いわゆる電化マイルス)などのような、アンビエントで混沌とした演奏感覚が形成されていきます。バンド自身はこうした音楽スタイルの影響源を明かそうとせず(「共感を持つものの多くは70年代の音楽」と言っている)、「音楽的には他の何にも似ていないと思うし、そしてそれは鼻にかけることでもない。様々なスピードでブルースを演奏しているだけ」と述べています。実際、LUGUBRUMの音楽は(アメリカ寄りブルースの“鈍くドロリとした喉ごし”を除けば)他の何かと容易に比較できないものですし、形容表現としてよく用いられる「アウトサイダー・アート」という言葉が(「狂ってるさまを装う」浅ましさを漂わせない、気取りなくねじれている自然体の佇まいもあわせ)よく合っているものなのです。

LUGUBRUMの音楽における最大のテーマは飲酒で、アルコールへの思い入れには並々ならぬものがあるようです。
(オフィシャルサイトhttp://lugubrum.com/index.htmlに掲載されている2007年のインタビューでは、「ベルギー・ビールは素晴らしく、普通の銘柄で満足できる」「観光客みたいにわざわざ特別なものを飲む必要はない」というふうに、かなりの尺をとって酒の話をしています。)
LUGUBRUMの音楽を聴くと、こうしたアルコールによる酩酊感覚・二日酔いの“アタマが重い”気分などが確かに表現されていて、それが(一般的なブラックメタルと比べると“濃いめ”の引っ掛かりをもつ)ブルース的な濁りの感覚と絶妙に組み合わされていることがわかります。それは作編曲だけでなく演奏によっても生み出されているもので、ほろ酔いで楽しそうにしているような親しみやすい様子と、突然暴れ出して自滅しそうになるような手に負えない様子とが、滑らかに繋ぎ合わされて表現されているのです。

このような独特の音楽表現を、バンド自身は“Brown Metal”(褐色のメタル)と呼んでいるようです。この“Brown”は“brown note”(「可聴域外の超低周波音で、人間の腸を共鳴させて行動不能に陥らせる」とされる、実在が証明されていない音)を意識したものでもあるようなのですが、実際のところはよくわかりません。ブラックメタルを強く意識しつつ、そこから距離をおき自分達を差別化しようとする、という考えの現れなのかもしれません。
(先のインタビューでは、
ブラックメタルは無限の可能性を持つ最も興味深い音楽ジャンルの一つだと思う。他のジャンルでは、自分の好きな音楽全ての影響を組み込むことはできなかった。自分達は、同じ方向性を突き進み(横道に逸れず)、その上で周囲にあるものを詳細に吟味し取り入れ続けている。その結果、作品毎に違った仕上がりになる。常にブラックメタルに関連付けられることをやってはいるが、その手法は我々独自のものだ」
と答えています。)

LUGUBRUMの作品をなにか一つ聴いてみるのなら、8th『de ware hond』('07年発表)か9th『Albino de Congo』('08年発表)、10th『Face Lion Face Oignon』('11年発表)のうちどれかを選ぶのがいいのではないかと思います。先に述べたような豊かな音楽性が洗練された構成力のもと発揮されるようになった時期(7th『Heilige Dwazen』('05年発表)以降)の作品で、複雑に熟成された滋味をとても快適に体験することができます。

8th『de ware hond』は、70年代ジャーマン・ロックやTHIRD EAR BANDのような密教アンビエント感覚を土着的なブルースロックに寄せたようなスタイルで、幾つかのテーマフレーズを用意した上での(ほぼ)一発録りで製作されています。録音場所は2箇所で、それぞれの音源から前半・後半ができています(ともに約14分+約8分の2曲構成)。このバンドの圧倒的な演奏表現力&対応力・展開力が申し分なく発揮されており、アルバム一枚を通してのまとまりも完璧。ブラックメタル・シーンから生まれた作品として出色であるだけでなく、いわゆるジャム・バンド一般が好きな方にもおすすめできる優れものです。
9th『Albino de Congo』ではMiles Davis『in a silent way』的なトロピカルな響きが加わり、そして10th『Face Lion Face Oignon』は9thのブルース成分を少しだけ濃くしたような(8thよりは薄い)仕上がりになっていて、こちらもとても味わい深い内容になっています。聴きやすさではこの2枚の方が上だと思われるので、入門編としてはこちらの方がいいのかもしれません。

こうした最近の作品と比べると、初期作品はあまりわかりやすく“変”な仕掛けが前面に出ていないぶん取っつき辛く思えるかもしれませんが、味わい深さでは決して最近のものに劣っていません。特に1st『Winterstones』('95年発表)は素晴らしい内容です。スタイルとしてはわりとオーソドックスなプリミティブ・ブラックメタルなのですが、DØDHEIMSGARDの1stやULVERの1stに通じる(初期ノルウェー特有の)薫り高い空気感が、それほど絶望に泣き濡れない独特のバランス感覚のもと、見事に個性的に仕上げられているのです。入手はかなり困難だと思われますが、ブラックメタル一般やこのバンドのマニアには是非聴いて頂きたい傑作です。
(知名度が高くなれば名盤扱いされうる一枚だと思います。)

スタジオ録音の作品ではありませんが、ライヴアルバム『live in Amsterdam』('06年発表)も大変優れた作品です。SUNN O)))の前座として出演した2005年6月28日のアムステルダム(オランダ:ベルギーの隣国)公演が収録されており(約46分)、初期〜中期のアルバムからまんべんなく選んだ代表曲が、2004年に固まったラインナップの卓越した演奏表現力により大きく強化されています。正直言って全曲このアルバムのバージョンの方が良い仕上がりですし、一枚モノとしての構成も非常に良く、バンドの代表作とみてもいい傑作だと思います。結成からの20年間で20回程しかライヴをしてこなかったというこのバンドの実力を体験できる貴重な作品でもありますし、機会があれば聴いてみてほしい一枚です。

個人的に、このバンドの作品は2nd『Gedachte & geheugen』('97年発表)を除き(スプリットも含め)ほぼ全て聴いていますが、どの音源も、他では聴けない味わい深い個性に満ちた逸品ばかりだと思います。飄々とした粘りをもって細かいニュアンスを“バンド全体で”表現し分ける演奏力などは達人の域ですし、メタル的でない“たわみ”がある質感は、いわゆるジャム・バンドやハードロック〜プログレッシヴロックのファンにもアピールするのではないかと思います。今年(2015年)は(LP限定とはいえ)新譜を発表しましたし、この機会に少しでも注目されてほしいものです。



ORANSSI PAZUZUフィンランド

Varahtelija

Varahtelija


(1st『Muukalainen Puhuu』フル音源)'09

(2nd『Kosmonument』フル音源その他)'11

(3rd『Valonielu』フル音源)'13

(4th『Värähteijä』フル音源)'16


2007年結成。“ORANSSI”は“orange”(オレンジ)、“PAZUZU”はアッシリアやバビロンの神話における悪魔の名前を指すとのこと。70年代のサイケデリックプログレッシヴロックや90年代のオルタナティヴロックなど、膨大な音楽要素をシンフォニックなブラックメタルに溶かし込むスタイルを探求し続けており、高度で個性的な音楽性によりメタルシーンの内外から大きな注目を集めています。10年間で発表したアルバムは4枚のみですが、その全てが構造的強度と直情的な雰囲気表現力を両立する傑作です。ブラックメタルファンでない方も聴く価値が高いバンドです。

ORANSSI PAZUZUはフィンランドの“シュルレアリスティックなロックバンド”KUOLLEET INTIAANIT(2000〜2007)のメンバーだったJun-His(ギター・ボーカル)がOntto(ベース)と創設したバンドで、結成のきっかけは2人が観たEMPERORのライヴだったようです。2013年のインタビューによれば、「メンバーは非常に多くのバンドや音楽スタイルにハマっていて、好みも一人一人違っている。その上で最も重要なものを挙げるとすれば、フィンランドのCIRCLE(註:同郷のWALTARIにも通じる超絶なんでもありミクスチャーバンド)、DARKTHRONE、CAN、KING CRIMSONSONIC YOUTH、ELECTRIC WIZARDなどが該当すると思う」というふうに、いずれ劣らぬ音楽マニアバンドたちを影響源として並べています。ORANSSI PAZUZUという名前は彼らの音楽の二元性を象徴するもので、“PAZUZU”は彼らの表現志向(闇・未知・神秘・未踏の音楽的領域)を、“ORANSSI”(=オレンジ)はブラックメタルの“伝統的な”色合いに通じつつも対極に位置する(「白黒フィルムにいろんな色を重ねたような」)サイケデリックな側面や宇宙のエネルギーを指すとのこと。そうした姿勢が示すように、スタジオにおいては「ジャムセッションを通した製作方法もカッチリした作曲に基づくやり方も両方採用し、その2つをできうる限りの様々なやり方で組み合わせている」ようです。創設メンバー2人が用意した書き譜をメンバー全員がアレンジし、予想外のヒネりを積極的に生み出すことで、精密に作り込まれた構造と小綺麗にまとまりすぎない勢いを併せ持つ作品が生まれるというわけです。

2009年に発表された1stフルアルバム『Muukalainen Puhuu』では、「初期のARCTURUSやMANES、LIMBONIC ARTといったシンフォニック・ブラックメタルにHAWKWINDや初期ASH RA TEMPELに通じる暗黒宇宙感覚を加えた」感じの雰囲気が、様々な曲調で表現されています。後の作品で主体になるアンビエント〜ドゥーム寄りの展開もありますが、フィンランドブラックメタル(BEHERITなど)に特徴的な(MOTÖRHEAD〜ハードコアパンクに通じる)爆走スタイルも多用されており、Jun-Hisの気合の入ったガナリ声も相まって、“高度で複雑”な音楽のつくりよりも“得体の知れないエネルギーに満ちている”勢いの凄さの方が前面に出ています。メロトロンや各種アナログシンセ音色をフィーチャーした攻撃的なシンフォニック・サウンドも魅力的で、耳の早いブラックメタルファンの間で大きな話題になりました。流通枚数の少なさのためか長らく現物を入手するのが難しいアルバムだったのですが、2017年の4月に再発が決定。後の作品にハマった方はぜひ聴いてみてほしい傑作です。

上記1stアルバムではまだ既存のブラックメタルを参照した形跡が各所に残っていましたが、2010年に発表されたCANDY CANEとのスプリット・アルバム(ORANSSI PAZUZUは4曲27分収録)ではそうした影響源の痕跡を同定するのが難しいくらい“溶かしほぐされた”音遣いが展開されています。長尺をゆったり語り継いでいく曲構成はだいぶアンビエントな感覚を増しており、聴き手をぼんやり没入させる力が確実に増しています。そうした意味で前作1stフルと次作2ndフルを繋ぐ作品と言えるのですが、他の作品にない興味深い要素(例えば4曲目「Farmakologisen kultin puutarhassa」におけるALICE IN CHAINS的リフなど)も多く、単体として楽しめる優れた内容になっています。

この翌年に発表された2ndフルアルバム『Kosmonument』は、以降に連なるORANSSI PAZUZUの“攻撃的なドゥーム&アンビエント”的スタイルが確立された大傑作です。反復するリフの背景で多彩なフレーズが微細に変化する複層アレンジは“モノトーンな没入感覚”と展開の豊かさを見事に両立しており、ELECTRIC WIZARDやCANなどに通じる“気の長い時間感覚”とあわせて強力な酩酊感をもたらしてくれます。既存のシンフォニックなブラックメタルに通じる要素(仮面舞踏会を想起させる荘厳なクラシカルフレーズなど)を含みつつそれらと一線を画してもいる音遣いは優れて個性的で、ノルウェーフィンランドにおける初期ブラックメタルの名バンドに通じる脱ジャンル的存在感を確立しています。朦朧としつつ宇宙の底に沈んでいくような暗黒浮遊感(初期ASH LA TEMPELのようなジャーマン・ロックに通じる)も実に味わい深く、このバンドの作品としてはやや落ち着き気味なテンションもあって、気疲れせず浸れる度合いではこのアルバムがベストだと思われます。個人的には最も肌に合う一枚です。

これに続く3rdアルバム『Valonielu』(2013年発表)では、1st・2ndと同様「全てのベーシック・トラックをライヴレコーディングした」上で、それまでになかった大量のオーバーダブ(重ね録り)が施されているようです。従ってそのぶん作編曲は分厚く緻密になっているのですが、直感的なノリは全く損なわれておらず、攻撃的な勢いはむしろ大きく増しています。10分を越える大曲も初めて収録されており(それまでは約9分が最長だったが本作には15分・12分の曲がある)、その長さをハイテンションで通しきる演奏表現力は大変なもの。構造的強度と直情的な雰囲気表現を高いボルテージで両立しているという点ではベストでしょう。カタログの中ではなんとなく地味な印象のある一枚ですが、非常に充実した作品です。

現時点での最新作『Värähteijä』(2016年発表)はバンドがこれまでに培ってきた全ての要素が最もバランスよくまとめ上げられた大傑作で、メタルシーンの内外で高い評価を集めました。(メタル系・非メタル系メディア双方の年間ベストトップクラスに入るなど。)70年代ジャーマン・ロックや90年代オルタナブラックメタルなどのエッセンスを独自の配合でまとめ上げたような音遣い感覚は正しくこれまでの延長線上にある感じですが、本作においてはそれらが強力なリズム構造の上で実に効果的に活用されています。「5拍子や7拍子の枠内で巧みなアクセント移動をするメインリフをひたすら反復し、そこに絡むフレーズが様々に変化していく」というふうな作りはTOOLにも通じる(しかも見劣りしない)もので、“テンションの高さと朦朧とした鎮静感覚を両立する”独特の演奏表現力との相性は抜群。全編を通しての緩急構成・ペース配分も申し分なく良く、トータルアルバムとしての完成度・洗練度はこれがベストでしょう。(この手の音楽性に慣れている方には)入門編としても良い一枚だと思います。

ORANSSI PAZUZUが何よりすごいのは「豊かな素養をベースにした高度な音楽性なのにペダンティックな感じが全くない」ところでしょう。徹底的に考え抜いて作っているのに小賢しい印象がなく、良い意味で“アタマの悪い”勢いが前面に出ている。ストレートな訴求力と神秘的な奥行きを両立する姿勢は、初期ブラックメタルシーンの精神性を正しく受け継ぐものと言えます。最近注目を集め始めたからか(DEAFHEAVENやALCESTなどと同じく)“ハイプな”扱われ方をする機会も増えてきているようですが、気にせず聴いてみてほしい優れたバンドです。



PESTE NOIRE(フランス)

Folkfuck Folie

Folkfuck Folie


(3rd『Ballade cuntre lo Anemi Francor』フル音源)'09



EPHEL DUATH(イタリア)

Through My Dogs Eyes (W/Dvd)

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(『Through My Dog's Eyes』フル音源プレイリスト)'09



THOU(アメリカ)

Heathen

Heathen


(『Heathen』フル音源)'14