【2021年・上半期ベストアルバム】

【2021年・上半期ベストアルバム】

 

・2021年上半期に発表されたアルバムの個人的ベスト20(順位なし)です。

 

・評価基準はこちらです。

 

http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2014/12/30/012322

 

個人的に特に「肌に合う」「繰り返し興味深く聴き込める」ものを優先して選んでいます。

個人的に相性が良くなくあまり頻繁に接することはできないと判断した場合は、圧倒的にクオリティが高く誰もが認める名盤と思われるものであっても順位が低めになることがあります。「作品の凄さ(のうち個人的に把握できたもの)」×「個人的相性」の多寡から選ばれた作品のリストと考えてくださると幸いです。

 

・これはあくまで自分の考えなのですが、他の誰かに見せるべく公開するベスト記事では、あまり多くの作品を挙げるべきではないと思っています。自分がそういう記事を読む場合、30枚も50枚も(具体的な記述なしで)「順不同」で並べられてもどれに注目すればいいのか迷いますし、たとえ順位付けされていたとしても、そんなに多くの枚数に手を出すのも面倒ですから、せいぜい上位5~10枚くらいにしか目が留まりません。

(この場合でいえば「11~30位はそんなに面白くないんだな」と思ってしまうことさえあり得ます。)

 

たとえば一年に500枚くらい聴き通した上で「出色の作品30枚でその年を総括する」のならそれでもいいのですが、「自分はこんなに聴いている」という主張をしたいのならともかく、「どうしても聴いてほしい傑作をお知らせする」お薦め目的で書くならば、思い切って絞り込んだ少数精鋭を提示するほうが、読む側に伝わり印象に残りやすくなると思うのです。

 

以下の20枚は、そういう意図のもとで選ばれた傑作です。選ぶ方によっては「ベスト1」になる可能性も高いものばかりですし、機会があればぜひ聴いてみられることをお勧めいたします。もちろんここに入っていない傑作も多数存在します。他の方のベスト記事とあわせて参考にして頂けると幸いです。

 

・いずれのアルバムも10回以上聴き通しています。

 

 

 

[上半期best20](アルファベット音順)

 

 

black midi:Cavalcade

 

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 プレスリリースで名前を挙げられていることもあってかKing Crimsonを引き合いに出して語られることが多いようだが、こちらのインタビュー(質問作成と本文構成および注釈を私が担当)でも述べられているように、本人達はKCの存在感と活動姿勢に惚れ込んではいるもののそのスタイルを直接的になぞる様子は全くないし、そもそもKC自体が「プログレッシヴ・ロック」の枠を越えてメタル・ハードコア・ポストロック・マスロックなど極めて広い領域に決定的な影響を与えてきた(それこそThe BeatlesBlack Sabbathにも勝るとも劣らない)永遠の定番・基礎教養的な存在なわけで、King Crimsonとblack midiを並べて語るのは「無意味」とまでは言えないが「だからどうした」というところに留まりがちなことだと思われる。その上であえて比較するならば、ここまでKCの影響を受けているにもかかわらず直接的に似ている部分が殆どないことや、一部でなく全ての時期のKCを網羅し全く異なる形に変容させていることが凄いわけであって、「KCは好きだがその特徴的な要素をそのまま引用し自身の個性を損なっている音楽(非常に多い)は苦手」という自分のような聴き手が抵抗感なくハマれる理由はそのあたりにもあるように思う。膨大な音楽情報を消化吸収し混沌や勢いを損なわず再構成する手管は過去作とは段違いで、即興主体から作曲主体に切り替えた活動方針が最高の成果に繋がった作品。サウスロンドンのシーンとか現行ポップミュージックの傾向うんぬんを反映したものと見るよりは(そういう解釈も無駄ではないだろうが)、凄いバンドが独自の路線を突っ走った結果たまたまこんな姿になってしまった異形の音楽であり、これが周囲に影響を及ぼして潮流を生んでいく、影響関係を分析するのならそちらの方を追うのが有意義なのでは、という気がする強烈な一枚。そういう意味においても紛れもない傑作なのだと思う。

 

 

 

 

Cassandra Jenkins:An Overview on Phenomenal Nature

 

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 「アンビエントフォークとチェンバーポップを融合させたような音楽性」と形容されることが多いようだが、聴いてみると確かにそういう味わいもあるものの「両極のイレギュラーなものを足したら結構普通になった」感じの仕上がりだし、その2つのジャンル用語から連想される儚くつかみどころのない印象とは異なるどっしりした質感の方が耳を惹く。そして、そうしたある種のふてぶてしさも伴う出音(リズムアンサンブルが地味ながら素晴らしい)こそが本作の一つの肝で、瞑想的ではあるが浮世離れはしておらず、大きな喪失が依然として影を落としているけれども前を向いて歩き出せるようにはなっている、という感じの状態や力加減をとてもよく具現化しているように思う。声をかけて無理に元気を出させようとするのではなく、多くを語らず傍に寄り添い痛みを分かち合ってくれるようなほどよい距離感があり、それが何より好ましい。そうした居心地が一枚を通して絶妙に表現されていて、何度でも繰り返し聴き続けることができてしまうしリピートするほどに滋味が増す。本当に良いアルバムだと思う。

 

制作背景や音楽性の具体的な説明としてはこの日本語レビューが素晴らしい:

Cassandra Jenkins : An Overview on Phenomenal Nature | TURN (turntokyo.com)

 

 

 

 

Cerebral Rot:Excretion of Mortality

 

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 アメリカ・ワシントン州シアトル出身バンドの2ndフル。デスメタル史上屈指の傑作といえる素晴らしいアルバムである。2019年の1stフルではフィンランドの“テクニカルデスメタル”寄りバンド(Bolt Throwerの系譜:AdramelechやDemigodあたり)に近い比較的クリーンな音作りと起伏の大きいリフを志向していたが、本作ではAutopsyや初期Carcassからフィンランドのドゥーム寄りデスメタルに至るラインに大きく接近。デモ期DisgraceとDemilichとをDisincarnate経由で接続するような路線をシンプルながらオリジナリティ溢れるリフで構築する音楽性は最高の仕上がりとなった。特に見事なのがサウンドプロダクションで、デモ音源的な生々しい艶やかさと正式音源ならではの整ったマスタリングをこの上ないバランスで両立する音響はこのジャンルの一つの究極なのではないだろうか。アルバムジャケットは確かに酷い。しかし、それを差し引いたうえでも個人的には「これをこの記事から外すのは自分を偽ることになる」と認めざるを得ないくらい素晴らしい音源だし、グロテスクな印象を備えつつデスメタル的な基準からすればファンシーな感じもある画風は独特の親しみやすさがある音楽性を絶妙に表現しているわけで、やはり入れるべきだという結論に達することとなった。近年のOSDM(Old School Death Metal=初期デスメタルリバイバルが生み出した最高到達点のひとつであり、名盤扱いされるようになること間違いなしの傑作。マニアックな音楽性ではあるが理屈抜きの旨みと取っつきやすさを備えてもいるし、デスメタル入門的にでも聴いてみてほしい作品である。

 

 

 

 

Claire Rousay:a softer focus

 

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 明確な構成をもつクラシカルな作編曲と生活音のサンプリングを混ぜた音楽なのだが、その双方がともに絶妙に“遠い”ところにあって自然に一体化し、配合比率が変わり続けるのを気付かせないくらい滑らかに推移していく。駅のアナウンス、車のクラクション、遠くで花火が弾ける音、水のせせらぎというか水流に包まれるような響きなど、採用される具象音は多彩だが、その一部にドラムス演奏(を変調させたもの)を忍ばせているような箇所も散見され、こうした音色の数々はいずれもある種の打楽器音として等価に扱われているようにも思われる。衣擦れのようにさりげない異物感を伴う音の流れは全編を通して極上で、気付いたら聴き終えてしまっているような流麗さと必要最低限の絶妙な引っ掛かりがスムーズに両立されている。何も考えず快適に聴き通せるのに聴き飽きないのは何故なのか知りたくなり、それを考えるために各音色を意識的にみつめるようになるとさらに味が増す、という循環も好ましい。薄靄がかった虹色のような情景も素晴らしいアルバム。傑作だと思う。

 

 

 

 

Danny Elfman:Big Mess

 

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 自分が本作を聴いていて想起するのはWaltari(のデスメタル交響曲『Yeah! Yeah! Die! Die!』)やSepticflesh、JG Thirlwell & Simon Steensland、SwansやPrimusあたりで、本人がインタビューで言及しているとおりToolを直接的に連想させるリフも随所にある(「Native Intelligence」ラスト10秒から次曲への流れなど)。というように、一言でいえば「古今東西のヘヴィロック語彙をオーケストラ編曲もできる映画音楽家ニューウェーブ出身)が緻密に組み上げた歪な組曲」的な音楽性で、スタイルとして新しいかというと特にそんなことはない内容ではある。本作を特別なものにしているのは何より演奏の素晴らしさで、卓越したサポートメンバー(Nine Inch NailsやGuns N` Rosesなどにも参加した歴戦の名手揃い)による“鋼鉄のゴム鞠が機敏に跳ね回る”的な質感は他に比すべきものがない。このバンドサウンドはメタルとハードコアの良いところのみを掛け合わせたような(結果的にそのいずれとも異なる)グルーヴを確立していて、そこに異様にキレの良いオーケストラ(これもロックとの共演ものでは稀な出来栄え)を加えたアンサンブルは唯一無二の美味といえる。そのうえ本人によるリードボーカルも素晴らしく、たとえば「In Time」で微妙にフラット気味な微分音程がこの上なくうまくハマり完全に“正解”になっているところなどはなかなか真似できない技なのではないだろうか。ダークとか黙示録的みたいな惹句が連発されているが実はユーモラスで楽しい(そしてそれこそが勢いや凄みにつながっている)様子も含め、生演奏による代替不可能な表現力に満ちた傑作。2部構成72分の長さを難なく聴かせてしまう素晴らしいアルバムである。

 

 

 

 

Diego Schissi Quinteto:Te

 

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 まず印象的なのが冒頭の「Árbol」。ティグラン・ハマシアンなどに連なるピアノdjentとマイルス・デイヴィス「Nefertiti」をタンゴ経由で接続したようなスタイルで、ドラムレスとは思えないヘヴィなサウンドが素晴らしい(打楽器音は楽器ボディを叩いてカホンのように扱っているものだと思われるが、それもスティーヴ・ライヒパット・メセニーのハンドクラップのような捻りの効いた絡みになっていて一筋縄ではいかない)。こうした重い鳴りはメタルファンなども一発で耳を惹かれるだろう大変シャープなものだが、その上でアコースティック楽器でなければ難しい風通しの良さとクリアな芯を兼ね備えた響きにもなっており、ある意味「ジャンル外からきた理想のメタルサウンド」と言えるものでもある。以降の曲では先述のようなdjent形式は出てこないもののこうした響きの魅力は全編で発揮されており、アントニオ・ロウレイロやレコメン系プログレッシヴロックに通じる複雑な和声感覚は出自であるタンゴを(その傾向や嗜好的なものはおそらく活かしつつ)大きく逸脱し発展させている。本作はPescado Rabiosoの1973年作『Artaud』収録曲「Por」の歌詞に含まれる単語を全19曲のタイトルに採用したトータルアルバムで、各曲の音楽性はそれぞれ異なるが全体としての流れまとまりは申し分なく良い。タンゴの歌謡曲的音進行やそれに対応するメロウさの質が好みでない人も積極的に楽しめる内容だと思う。掛け値なしの傑作である。

 

 

 

 

Eli Keszler:Icons

 

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 最初の一音から理屈抜きに惹き込まれる音響的快楽に満ちた一枚で、淡く輝く光に包まれながら夢うつつになる感じがたまらない。乳白色の霧で眼鏡が曇るような湿度の高い空気感は熱帯雨林を連想させるが(ロックダウン中のマンハッタンやそれ以前の日本でのフィールドレコーディングが駆使されているという話からはだいぶ離れた印象)風通しは不思議と良く、ミストシャワーを浴びているような涼しさがある。ぼやけた音像とは対照的に作編曲は複雑で、ドラムンベース~EDMをトロピカリズモ化したような「The Accident」などアクティブに攻める場面も少なくないのだが、全体としてはリラックスした鎮静効果のほうが勝る感じで、そこに微かな苛立ちを滲ませる兼ね合いが代替不可能な個性になっているように思う。薫り高い媚薬にさりげなく煽動されるような没入感が素晴らしいアルバム。

 

 

 

 

Emptiness:Vide

 

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 ベルギーのブラックメタル出身バンド、活動23年目の6thフルアルバム。いちおうメタル領域から出てきたバンドではあるのだが、2014年のインタビューで「最近の好み」としてLustmord、MGMT、コナン・モカシン、ワーグナー、Beach House、ジャック・ブレル、デヴィッド・リンチ的なもの、Portisheadなどを挙げているように、メタルの定型的なスタイルからためらいなく離れる志向を早い時期から示していた。まだメタル要素をだいぶはっきり残していた2017年の5thフル『Not for Music』から4年ぶりに発表された本作はポータブルレコーダーを持ち歩きながら様々な場所(森の中や街頭、屋根裏など)で録ったという音源を組み合わせて作られた(メタル要素はほぼなくむしろポストパンクに近い)アルバムで、様々な距離感および残響の具合が交錯し焦点を合わせづらい音響が複雑な和声感覚と不可思議な相性をみせている。楽曲や演奏の印象を雑にたとえるならば「スコット・ウォーカーシド・バレットとベン・フロストをPortishead経由で融合したような暗黒ポップス」という感じだが、総合的なオリジナリティと特殊な雰囲気(アブノーマルだが共感させる訴求力も濃厚に持ち合わせている)は他に比すべきものがない。DodheimsgardやVirus、Fleuretyなどの代表作にも並ぶ一枚であり、どちらかと言えばメタルを知らない人にこそ聴いてみてほしい奇怪なポップスの傑作である。

 

 

 

 

Flanafi with Ape School:The Knees Starts to Go

 

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 ネオソウルとアンビエントを両極において見るならば前者寄りだった1stフルと後者寄りだった2ndフルを経て、Ape Schoolとの共作となる本作(実質的に3rdフル?)はその2作の中間後者寄りになっていると思う。その上でフレーズの冴えは抜群で、ミシェル・ンデゲオチェロと00年代King Crimsonを同時に想起させるスペーシーな「gjuijar」など、独自の心象表現と理屈抜きの訴求力を高度に両立した素晴らしいポップソングを全編で堪能することができる。1曲目「Family, Friends」(冒頭は11+8+9+10+5拍フレーズで以降の変奏は音程変化は似ているものの拍構成が細かく異なる)をはじめリズム展開はさらに変則的になっているが、これは変拍子で聴き手を振り回そうとしているというよりも歌詞に合わせて拍を構成したらこんな感じになったとみるほうがしっくりくる。その意味においてflanafiの音楽はいわゆる戦前ブルースに通じる部分が多く、それを豊かな音楽語彙を用いて発展させることによりこのような異形の美が生まれたということなのかもしれない。過去作にも多用されていたSly & The Family Stone『Fresh』的リズムボックス路線をさらに緻密に組み上げたApe Schoolの仕事も素晴らしい。アルバムとしての輪郭が少し歪に感じられるところも含め文句なしに充実した一枚。flanafi関連ではベストと言っていい傑作だと思う。

 

flanafiの過去作についてはこちらで詳説した:

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1336354874808659971?s=20

 

 

 

 

GhastlyMercurial Passages

 

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 フィンランドデスメタルバンドによる3rdフルアルバム。バンドということになってはいるが実質的には一人多重録音ユニットで、ボーカルとリードギター以外の全パートを中心人物が担当している。そのおかげもあってかアンサンブル全体のまとまりは極上で(一人のクセが全パートで一貫するため個性が高純度で発露する)、特に本作においてはパート間の響きの干渉がうまくいっていることもあってか「とにかくサウンドが心地よいからそのためだけに聴きたくなる」魅力が生まれている。GorementやPestilenceに通じる和声感覚を発展させ激しくないデスメタルならではのビート感覚で煮込んだような音楽性はそうカテゴライズしてみると(ニッチではあるが)そこまで珍しいものではないもののようにも思えるが、細かく聴きほぐしていくと他のどこにもない固有の魅力に満ちていることが明らかになっていく。Morbus Chron『Sweven』やTiamat『Wildhoney』といった(カルトながら決定的な影響を及ぼした)歴史的名盤にも通じる変性意識メタルの傑作。具体的に何が良いのかうまく説明するのが難しく、それをうまく掴むためにも聴き返す、というふうにしてつい延々リピートしてしまえる素晴らしい作品である。

 

 

 

 

Hiatus Kaiyote:Mood Valiant

 

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 Hiatus Kaiyoteを紹介する際に多用されるジャンル用語に「ネオソウル」というものがあるが、個人的にはこれがどうもよくわからない。ディアンジェロから大きな影響を受けてはいるようだし、ジャンルとしてのイメージが固まってからの「ネオソウル」に特徴的なコード感を採用している楽曲も確かにあるけれども、そうした定型に回収される場面は殆どないし、全体としてはそこから逸脱する部分の方が多い。そうした在り方に通じることとして本作関連で興味深いのが「ブラジリアンフュージョン色がない」こと。「Get Sun」「Stone or Lavender」に参加したアルトゥール・ヴェロカイをはじめ、エルメート・パスコアールやオス・チンコアスなどブラジル音楽を参照している部分も多いのだが、そうした先達をそのままなぞるようなことはなく、自身のフィルターを通して完全に独自なものに変換・昇華してしまえている。亜流感やそれがもたらす不純物に敏感に反応してしまう自分のような聴き手が安心して没入できる理由はこのあたりにもあるのではないかと思う。

 フルアルバムとしては実に6年ぶりのリリースとなる本作の仕上がりは最高の一言。前2作も名作というべき極上の内容だったが、この3rdアルバムではその混沌とした滋味を損なわないまま輪郭を整える作編曲が隅々まで行き届いており、振り回されすぎずに快適に聴き入ることができるようになっている。前作で多用されていた戦前ブルース的な字余り拍構成(ネイ・パームの2017年ソロ作ではさらに剝き出しの形で頻出)は殆どなくなり、5連符を用いる「Rose Water」でも4拍子の滑らかな流れに難なくノることができる…という変化は別ジャンルで例えるなら変拍子多用のプログレッシヴメタルがMeshuggah的洗練(凄まじいアクセント移動を多用するが大局的には全て4拍子系に収まる)を成し遂げたようなものと言えるかも。とにかく全曲の全フレーズがキャッチーで、優れた(しかし異形ではある)ポップソングのみが無駄のない構成で美しい起伏を描く曲順構成も完璧。様々な困難を乗り越え時間をかけただけの甲斐はある、名盤と呼ばれるべき素晴らしいアルバムだと思う。

 本作のひとつ特別なところは、宅録的な密室感&親密さと密林的な(入り組んではいるが確かに外に繋がる)広がりが自然に両立されていることだろう。ブラジルでのレコーディングに際してアマゾンに滞在しヴァリアナ族と交流した(本作にはその音声も収録されている)経験もそこに少なからず貢献しているのかもしれない。こうした点においても代替不可能な魅力に満ちた傑作である。

 

 

 

 

平井堅:あなたになりたかった

 

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 収録曲の大半がタイアップ付きの既発曲、というのが信じられないくらい完璧な構成のアルバム。無難な雰囲気で始まりいつの間にかとんでもないところまで連れていかれ、その上で気付いたらまた安全なところに戻されているように感じる、という流れもとんでもなく、その全てが特に奇を衒っている素振りのない自然体なのも凄まじい。J-POP的な賑やかさ水準を備えているからこそ可能になる表現なのだろうし、そしてそれは平井堅の健全かつ退廃的な歌声があって初めて成立するのだと思う。正直言ってこの人には全く興味がなかったし本作も最初は3曲目で止めてしまったくらいなのだが、その後あらためて全曲聴き通してみたらじわじわ印象が変わっていった。個人的にはJ-POP的なものに対する見方が変わる(適切に読み込むポイントを示唆してもらう)きっかけとなった重要な一枚。非常に優れた作品だと思う。

 

詳しくはこちら:

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1394614085426106372?s=20

 

 

 

 

Jihye Lee Orchestra:Daring Mind

 

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 音楽とは無縁の家庭に生まれ育ちながら音楽に強く惹かれていたという韓国出身のイ・ジヘイは、高校ではロックに傾倒したのちギター(Guns N`Rosesのスラッシュなどをコピーしていたらしい)に挫折、その後は同徳(トンドク)女子大学校で声楽を修め教職で安定した収入を得ることができていたものの、経済的には満たされながらも音楽的には満足できていなかったために渡米、バークリー音楽大学に入学。その時点ではカウント・ベイシーギル・エヴァンスサド・ジョーンズといったビッグバンドジャズの名音楽家を全く知らなかったとのことだが、その3者の音楽を急速に吸収、数ヶ月後には当校のデューク・エリントン賞を勝ち取ることになる。翌年も同賞を受賞したイはジャズの道を志すことを決意し2016年にはニューヨークに移住。そこから今に至る約5年間の集大成となったのが本作である。『Daring Mind』(“でもやるんだよ精神”みたいなニュアンスだろうか)というアルバムタイトルは、ウェイン・ショーターの2013年の発言「ジャズには“こうあるべき”みたいなことはない。自分にとって“jazz”とは“I dare you(あえてやる)”という意味だ」からきているとのことで、「カウント・ベイシーみたいなビッグバンド曲を書かないでいると時々不安になるけれども、自分は伝統的なタイプのジャズ作曲家ではない。スウィング曲も悪くないけれども、それは自分のやることではないのだ」という思い切りは本作でもよく示されているし、高純度の個性確立につながっていると思う。このアルバムを聴いていて個人的に興味深く感じるのが同系統の音楽との音進行の傾向の違い。上記のような発言をしながらも既存のジャズのセオリーを完全に外しているというわけではないのだが、ゴスペルとビッグバンドジャズの要素を意識的に採用したという「Struggle Gives You Strength」のような曲でも、そうしたコンセプトから連想されやすいアメリカのソウルミュージックとかイギリス・カンタベリーのジャズ~プログレッシヴロックなどとは(通じる景色が全くないわけではないが)根本的な“出汁の感覚”が異なっているように感じられる。12小節のブルースが下敷きになっている「Why is That」も独特な味わいがあるし(どこかモンク的な薫りはある)、ブラジルを想起させる音進行を含む(その点においては本作中では例外的な)「GB」もブラジル音楽そのものやフュージョンに本気で接近しようとする気配は感じられない。そういう意味では「ライオンキングの野菜版みたいなもの」という「Revived Mind」のアジア的な響きが最も地金が出ている部分と言えるのかもしれない。以上のような独自の立ち位置が強靭に鍛え上げられたバンドアンサンブル(個人単位でも全体としての完成度も素晴らしい)によって魅力的に表現される音楽で、あからさまに変で際立つところはないが他と違うことは確かに伝わってくる、という不思議な手応えに惹かれているうちについ聴き通しリピートもしてしまう一枚になっている。とても興味深いアルバムである。

 

イ・ジヘイの活動歴や本作の成り立ちについてはこちらの記事が詳しい:

Jihye Lee: Daring to Lead - JazzTimes

 

 

 

 

君島大空:袖の汀

 

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 匂い立つような情景喚起力のある音楽は、つまるところどんな季節にもよく合うのではないかという気がする。もちろん特定の時期や時間帯にこそ合う音楽も少なからずあって、例えばGenesisの名曲「The Cinema Show」の瑞々しいせせらぎのようなイントロは自分の中では雪融けのイメージと固く結びついているし、Dark Tranquillityの冷たく仄暗い音楽は湿度が下がり少し肌寒くなってきた晩秋にこそ輝きを増すという確信はある。しかしそれは、「The Cinema Show」でいうなら西武新宿線に乗って高田馬場駅に差し掛かり減速する際に差し込む朝の柔らかい光がこの曲のイメージやその時の気分にこの上なくしっくり寄り添ってくれた、という経験を通して刷り込まれたのも大きかったのかもしれないし、こういう思い入れを許す余白は多かれ少なかれどんな音楽にもあるような気もする。そして、その容量が大きかったり間口が広かったりすれば、演者や聴き手の移入を様々なかたちで受けとめ、その時々の気分と情景を融かし合わせる繋ぎの役割を果たしてくれるのだろう。君島大空が本作のリリースに際して4月末の京都で行った紫明会館公演はまさにそんな感じの得難い機会だったが、そうした情景喚起力、いうなれば“一期一会を何度も生み出す力”はこの音源自体にも(卓越したライヴパフォーマンスと比較しても同等以上に)宿っているように思われる。君島の音楽にはもともとフィールドレコーディング性のようなものがあって、生活音などを取り込んで音響の一部として活かす試みが優れた成果をあげてきたのだけれども、そうした感覚を備えた上でアコースティックな編成を選んだ本作の音作りは、そうしたサンプリング音を組み込んでいない箇所でも同様の効果を発揮しやすいというか、聴き手の周囲に漂うその時々の生活音を取り込み音楽の一部としてしまう特性をよく備えているように思われる。遠くを通り過ぎる車の音、イヤホンの外でさえずる鳥の声など、様々な響きが合う音楽だし、そうしたものを引き受ける懐の深さがある作品なのだといえる。もちろんこういう追加要素がなくても楽しめる音楽で、どの曲にも本当に素晴らしい表現力がある。前半も名曲揃いだと思うが個人的には後半の展開が好きで、ギターソロがあまりにも良すぎて何度聴いても声が出そうになる「きさらぎ」、Pink Floyd的な夕闇の浮遊感がたまらない「白い花」、ゆったり噛みしめるような流れから最後の最後にハイライトを持ってくる「銃口」、という構成は最高と言うほかない。夕暮れ(または朝焼け)を情感豊かに描く音楽として様々な季節に寄り添ってくれるだろうし、時間をかけて付き合っていけるのがとてもありがたく思える一枚。稀有の傑作である。

 

 

 

 

L' Rain:Fatigue

 

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 フランク・オーシャンとビョークを混ぜてDirty Projectorsに撹拌させたようなオルタナティヴR&B(ソランジュに通じるものもなくはないと思うがわりと質感が異なるしだいぶポストロック寄りだと感じる:個人的にはなんとなく「森は生きている」を連想する箇所がある)は他の何かに似ているようで安易な比較を退ける個性に満ちており、楽曲の良さに惹かれて快適に聴き通すことができてしまう一方で音だけではなかなか勘所を得にくい印象があるのだが、母の死の後遺症を引きずる状態で制作されたというエピソード(「Blame Me」ではその母からのボイスメールが用いられている)を知った上でフィールドレコーディングを多用する構造を読み込んでみると、これは戻れない郷愁などに様々な角度から向き合っていく音楽なのだなという実感が得られ、何も考えずに聴くと雑で騒々しいだけのインタールードに思える「Love Her」の笑い声から複雑なニュアンスを読み取ることができるようにもなってくる。そうしたことを踏まえてみると、記憶の断片を並べて整った輪郭にまとめたような約30分の(よくわからないが極めて快適に聴き通すことができ何度でもリピートしてしまえる)構成も、思い出に繰り返し接しながら自己の深部に潜り向き合っていく作業を無理なく喚起するために徹底的に練り上げられたものに思える。手が届きそうで届かない、しかし“わかる”ための糸口は確かに遺されている。そういう状態が直接的にも間接的(感情をそのまま表すことはできないがその輪郭を捉えることはできるツールとしての言語と、それに通じる(抽象性を抑え認識しやすいレベルに留めた)ものとしての音楽ジャンル的語法(本作においてはR&B的な楽曲スタイルなど)により描かれる部分)にも表現されていて、その両方があることが大事なのだと実感させてくれる素晴らしい作品。傑作だと思う。

 

 

 

 

Lind:A Hundred Years

 

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 ドイツのプログレッシヴロックバンドSchizofrantikやPanzerballettに参加するドラマーAndy Lindの2ndソロアルバム。これが実に素晴らしい内容で、MeshuggahとDodheimsgardを混ぜてArcturusやHowling Sycamore的な配合で仕上げたコード感(Ram-Zetあたりに通じる箇所も)をdjentの発展版的な緻密なリズム構成とともにまとめたような音楽性になっている。全体のノリとして近いのはX-Legged SallyやSnarky Puppyのような現代ビッグバンドジャズで、ティグラン・ハマシアンやキャメロン・グレイヴスのようなメタル寄りジャズも(ともにMeshuggah影響下ということもあってか)通じる部分が多い。本作が何より好ましいのはとにかく曲が良いことで、上記の比較対象の美味しいところのみを抽出して亜流感ゼロの魅力的なかたちに昇華したような出来栄えの楽曲群はほとんど比肩するもののない境地に達しているように思う。サウンドプロダクションはこの手のプログレッシヴメタル方面にありがちな(言ってしまえば凡庸な)色彩変化に乏しいもので個人的にはあまり好ましくない印象だが、曲と演奏が著しく良いので総合的には積極的に聴きたくなるというところ。80分の長さを曲間なしで繋げとおす組曲構成はやり過ぎ感もあるが、一貫した風合いを保ちながらも曲調は多彩で(ザッパやMr. Bungle、Gentle Giant的になるところも)飽きずに楽しみ通せてしまう。メタルファンよりもむしろジャズやプログレッシヴロックのファンに聴いてほしい傑作である。

 本作を聴いていて気付かされることに「ドラマーがリーダー作で選ぶ魅力的なスタイルとしてのdjent」というものがある。複雑なアクセント移動を楽曲のクオリティに貢献する“音楽的な”アレンジとして多用でき、そういう意味でのクオリティの追求と作編曲のクオリティ追求の利害が一致しやすい。ドラムソロを入れなくてもテクニック的な見せ場を常に作ることができ、多彩な作り込みとストイックなミニマル演奏を両立させることができる。なるほどそういう価値もあるスタイルなのだなと感心させられたし、そういう納得感を与えるだけの説得力にも満ちた音楽なのだといえる。

 

 

 

 

Loraine James:Reflection

 

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 一言でいえばUKドリル/グライム+オルタナティヴR&Bという感じなのだが、音作りと楽曲がとにかく素晴らしい。細かく切り刻まれたシンバルの流れが点描的な網を形成し8 bitサウンド的シンセと絡む「Self Doubt」、タム~キックが雨だれのように重く躍動する「On The Lake Outside」など、各々の曲が異なる響きを駆使して描き分けられていて、そのすべての鳴りが極上なうえにフレーズやコードの動きも魅力的。「Insecure Behaviour and Fuckery」などはトラック単体でも延々聴かせてしまえる超一流のループものだが、そこにラップを載せる余白の作り方も見事で、ボーカルが入ってきた瞬間に理想的な歌伴に切り替わる。打ち込みだからこそ可能なタイトなアタックとその全てが艶やかに繋がる流麗なフレージングの両立がとにかく好ましく、時間帯やノリを問わずにフロアで活躍する(そしてその迫力を家庭のサウンドシステムでも体感できる)大変優れた内容になっていると思う。仄暗くメロウな雰囲気と親しみやすさを兼ね備えた素晴らしいアルバムである。

 

 

 

 

Parannoul:To See the Next Part of the Dream

 

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 こちらのインタビューによれば、本作の殆ど全てのパートはVST、つまり実楽器でない既製のプラグイン音源を用いて制作されているとのことなのだが、そういう種明かしをされた上で聴いても何も気にならないし、生楽器のラフな演奏よりも遥かに瑞々しく切実な念がこもっているようにさえ聴こえる。細かいニュアンス変化を生みやすい生楽器でなくDAWでこれほど繊細な音色表現を作り込むのはその手間も考えればむしろ数段凄い“演奏”だし、それを実現するだけの強い思い入れにほどよい節度を加え絶妙なバランスを生むための縛りにもなっていると考えれば、このやり方でなければ(そしてそれを貫徹できる意志と技術が伴わなければ)実現できない素晴らしいサウンドなのだと言える。シューゲイザーを土台にポストロック~エモ~激情ハードコア的なものを融合させた音楽性と先述のような節度ある演奏の相性は抜群で、冷静さと情熱をこのような形で両立する音楽は他ではなかなか聴けないだろうと思われる。そして本作はとにかく曲が素晴らしい。「僕の音楽は全くクリエイティヴじゃないよ。僕が特に好きなバンドの要素を組み合わせて、新しい音楽を作っている“ふり”をしているだけ」という発言も、手法としてはその通りなのかもしれないが、結果としては代替不可能な表現力に満ちた作品につながっている。BandcampNYPなのが申し訳なくなるくらい素晴らしいアルバム。

 

 

 

 

Pino Palladino & Blake Mills:Notes with Attachment

 

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 参加メンバーは重要人物揃い。ディアンジェロの歴史的名盤『Voodoo』(2000)でいわゆるネオソウルのグルーヴを殆ど誰にも超えられない形で確立したほか、The Whoジェフ・ベック、アデル、Nine Inch Nailsなど膨大なセッション参加でも知られる名ベーシスト:ピノ・パラディーノ(活動開始は1974年だがソロアルバムは本作が初)。Alabama Shakes『Sound & Color』(2015)や自身の『Mutable Set』(2020)など数々の傑作に関与した、現代ポップミュージックシーンを名実ともに代表するプロデューサー/ギタリスト:ブレイク・ミルズ。この2人を軸に、昨今のジャズ周辺シーンを代表するサックス奏者/プロデューサーであるサム・ゲンデルや、ジャズ領域に限らず世界最高の一人といえるドラマー:クリス・デイヴなど、キャリア的にも実力的にも超一流のプレイヤーが勢ぞろいで、その一覧だけでも歴史的に重要なアルバムと言っていいくらい。その上で内容は期待以上に素晴らしいものになっている。The Beach Boys『Pet Sounds』のインスト曲を発展させたような趣もある冒頭の「Just Wrong」は「デューク・エリントンとJ.ディラを繋げることが狙いのひとつだった」というし、ディアンジェロフェミ・クティとの演奏から生み出されたという「Soundwalk」「Ekuté」、エルメート・パスコアール人脈の音楽がインスピレーション源になった「Man from Molise」など、アメリカと深いかかわりをもつ様々な音楽要素が滑らかに溶かし合わされる(その節操のなさも含め映画のサウンドトラック的でもある)楽曲の数々は、驚異的に素晴らしい演奏や音響もあわせ、この座組でなければ達成不可能な形に仕上げられていると言えるだろう。初めて接した時の印象はわりと地味でもあるが、アレンジの細部やフレーズ単位の動き・音作りなどを意識的に吟味するようになると途端に味が増していく(「Ekuté」の強烈に歪んだサックスは曲調もあいまってどことなくKing Crimson『Earthbound』を連想させるなど)。汲めども尽きせぬ素敵な謎に満ちたアルバムである。

 

参考資料としてはこのあたりが興味深い:

ジャズにとっての、そしてジャズのみならず多くの音楽への示唆ピノ・パラディーノとブレイク・ミルズの邂逅が示すもの | TURN (turntokyo.com)

 

ピノ・パラディーノが追求してきた“遅らせた演奏”のグルーブ 〜THE CHOICE IS YOURS - VOL.136 - サンレコ 〜音楽制作と音響のすべてを届けるメディア (snrec.jp)

 

[INTERVIEW] Pino Palladino & Blake Mills | Monchicon! (jugem.jp)

 

 

 

 

Spellling:The Turning Wheel

 

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 本作を再生開始してまず流れてくるのはフィリーソウル~ソフトロック的なオーケストラサウンド(アルバム全体では総勢31名が関与とのこと)で、この時点では「70年代初頭のポップスをシミュレートしたレアグルーヴ志向なのかな」という程度の印象に留まるのだが、そこに入ってくるボーカルが凄すぎる。ケイト・ブッシュマイケル・ジャクソンが憑依したような元気な歌声は節回し的には芝居がかった感じもあるがふざけている気配は全くなく、少し陰りのある御伽噺的世界観を全力で描き切らんとする饒舌な表現力に満ちている。そのさまは60~70年代のアシッドフォーク的アーティストにそのまま通じるもので、ドラッギーなイメージ作りを狙って奇を衒った音作りをする(その結果“奇の衒い方”のパターンにはまった)poserとは対照的な、自らの表現志向を真摯に突き詰めたらいつの間にか一線を越えてしまった感じ、言葉本来の意味での「サイケデリック」を体現する本物のオーラが濃厚に漂っている。それをふまえて作編曲にも注目してみるとこちらも凄まじく、楽曲単体でも優れた酩酊感を生じうるキャッチーなフレーズの数々や、こけおどしのないチャーミングな曲調に仄かなゴシック感を滲ませる独特の雰囲気表現(「Awaken」などはMercyful Fateのような暗黒歌謡メタルに通じる味わいもある)がボーカルに拮抗する存在感を発揮し続けるのである。“Above”と“Below”の2パートで陰陽を交互に描き聴き手をじわじわ引きずり込んでいく構成も見事で、アルバム全体として稀有の傑作に仕上がっていると思う。black midiの項で述べた「現行ポップミュージックの傾向うんぬんを反映したものというよりは、凄いバンドが独自の路線を突っ走った結果たまたまこんな姿になってしまった異形の音楽であり、これが周囲に影響を及ぼして潮流を生んでいく」という在り方をまた異なる形で体現する一枚なのではないだろうか。こんな作品に前触れなしに出会うことができるわけで、今の音楽は本当に面白いものだなと実感する次第である。