【2018年・年間ベストアルバム】

【2018年・年間ベストアルバム】

 


・2018年に発表されたアルバムの個人的ベスト20です。

 


・評価基準はこちらです。

 


http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2014/12/30/012322

 


個人的に特に「肌に合う」「繰り返し興味深く聴き込める」ものを優先して選んでいます。

 

 

 

・これはあくまで自分の考えなのですが、ひとさまに見せるべく公開するベスト記事では、あまり多くの作品を挙げるべきではないと思っています。自分がそういう記事を読む場合、30枚も50枚も(具体的な記述なしで)「順不同」で並べられてもどれに注目すればいいのか迷いますし、たとえ順位付けされていたとしても、そんなに多くの枚数に手を出すのも面倒ですから、せいぜい上位5~10枚くらいにしか目が留まりません。

 


(この場合でいえば「11~30位はそんなに面白くないんだな」と思ってしまうことさえあり得ます。)

 


たとえば一年に500枚くらい聴き通した上で「出色の作品30枚でその年を総括する」のならそれでもいいのですが、「自分はこんなに聴いている」という主張をしたいのならともかく、「どうしても聴いてほしい傑作をお知らせする」お薦め目的で書くならば、思い切って絞り込んだ少数精鋭を提示するほうが、読む側に伝わり印象に残りやすくなると思うのです。

 


以下の20枚は、そういう意図のもとで選ばれた傑作です。選ぶ方によっては「ベスト1」になる可能性も高いものばかりですし、機会があればぜひ聴いてみられることをお勧めいたします。もちろんここに入っていない傑作も多数存在します。他の方のベスト記事とあわせて参考にして頂けると幸いです。

 

 

 

・コメントが二言三言のは短評を書けていないもの。完成時に随時差し替えていきます。

 (2018.12.28時点で残り18枚)

 (2019.1.30時点で残り17枚)

 

 

 

 

 

[年間best20]

 

 

 

第20位:altopalo『frozenthere』

 

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Pan SonicやCLUSTERがFKA TwigsやThe Weekndを演奏しているような音楽。音数を極端に絞った静かな展開も含め4人編成の生バンドで演奏しているとのことで、超低域もしっかり鳴らしながら隙間を活かす空間表現力が素晴らしい。抑制された情感が心地よくも切ない傑作。

 

 

 

第19位:長谷川白紙『草木萌動』

 

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マッツ&モルガンやフランク・ザッパブレイクコアにしたような音楽性で、複雑な仕掛けを多用しながらもストレートに流れていく楽曲は聴きやすく聴き飽きにくい極上の歌モノばかり。一日中寝床でダラダラするぼんやりした居心地のよさとそれに伴う微かな苛立ちが圧倒的なエネルギーで具現化されているような趣がある。レコメン系~プログレフュージョンのファン、Brainfeeder系やMESHUGGAHなどを好む方はドツボだろうし、テクニカルな音楽を聴く習慣がない人も問題なく楽しめるだろう傑作。

 


詳しくはこちら

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1075732022499237889?s=21

 

 

 

第18位:NONAME『Room 25』

 

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ポエトリーリーディングというかお喋り声の延長のように滑らかなライミングで超精密にビートに絡むラップがとにかく素晴らしすぎる。ネオソウル~ジャジーヒップホップの一番いいところを抽出したようなトラックも最高に心地よい。アルバムとしては終盤の展開が少し尻切れ気味に感じられるのが個人的に気になるけれども、慣れればもっと評価が上がるだろうと思います。

 

 

 

第17位:cali≠gari『14』

 

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〔2018.12.27記〕

過去作で例えれば『再教育』+『10』+『春の日』という感じか。アルバムとしての構成が非常に良く、流れまとまりの良さはこのバンド史上No.1では。あまりにも滑らかに流れていきすぎて少し薄味にも思えてしまうけれどもその上でしっかり引っ掛かるものがあり何度でも快適に聴き通せてしまう(発売から一週間で30回聴きました)。そして最後の曲はいつも通り名曲。長く付き合い吟味し続けていきたい不思議な一枚。

 

 

〔2019.1.30追記〕

あらゆる音楽要素を融解し個性的なポップスに統合してしまうヴィジュアル系バンドが活動25周年に出したフルアルバム。楽曲ごとに全く異なるスタイルを提示しつつ全体としては自然なまとまりを生む作風が最高の形で結実した作品で、驚異的に流れが良い一方で明快な起承転結のない(このバンドとしては珍しい)「常に過程にある」感じの構成が超強力なリピート喚起力を生んでいます。過去作で前面に出ていたイキリ感というか険がほどよく取れてきたのも好ましく、彼らにしか出せない渋くうわつく佇まいが素晴らしい寄り添い力を醸し出しているのもたまらない。聴き込んでも聞き流しても楽しめる、他に類例のないタイプの居心地を楽しめる大傑作だと思います。

 

cali≠gariカリガリ)はヴィジュアル系という「音楽的にはなんでもあり、雑多な要素をポップな歌モノに整理して提示するという点で同じ枠に括られる」感じのジャンルの面白さを最も強力に体現するバンドの一つです。メインソングライターである桜井青(ギター)と石井秀仁(ボーカル、DTM)の2人は国内屈指の超絶音楽マニア(ニューウェーブ~ゴシックロック/インダストリアル~80/90年代オルタナハードコアパンク~エモ~ポストロック、歌謡曲や特撮主題歌、裸のラリーズあたりから地下方面に流れるアングラ/アヴァンギャルドなどあらゆるものを網羅)にして唯一無二の個性を持つプレイヤーですし、日本を代表する超絶ベーシストである村井研次郎も一応メタル出身ながら全くそこに留まらない演奏語彙と卓越したフレーズセンスを備えています。そういう驚異的な守備範囲の広さもあって音楽性は楽曲単位で大きく変化するのですが(この点「超テクニカルなBUCK-TICK」という趣も)、そうした楽曲を集めたアルバムは常に優れた流れまとまりを持っています。このような卓越したバランス感覚が過去に最もはっきり顕れたのが活動再開後最初のフルアルバム『11』(2012年発表)で、曲間の繋ぎは微妙な飛躍のあるものばかり、しかし全体としてはまとまりがよく真球に近い輪郭を生む、という構成はTHE BEATLES『Revolver』のような“寄せ集めだからこそ可能になる”アルバムの好例となっています。このような持ち味がいびつな棘を表面に出す方向に働いたのが前作『13』で、曲単位でもアルバム単位でもまとまりに優れるものの、場面単位での緩急の落差が大きく、良くも悪くも引っ掛かりが強い仕上がりになっていました。本作『14』はそれとある意味対照的な仕上がりで、曲間の繋がりとアルバム全体の流れはこのバンドの全作品中最も滑らかなものになっています。そして見方によってはその圧倒的な流れまとまりの良さが少し行き過ぎてしまっているのではないかと思える一枚でもあり、自分は聴き始めの頃「ちょっと薄味すぎ?でも飽きないしなんか気になる」と思いながらついリピートしてしまう不思議な聴き味をどう解釈していいか戸惑うことになりました。ベースなどはこのバンド史上屈指に変で格好良いフレーズも多く、印象的な見せ場は全パート山ほどあるのに、それにいちいちこだわらず全体的な流れの良さを優先している感じがあって、何も考えずに聞き流しているとアンビエント系の(BGMに適したタイプの)音楽のように「快適に浸れるし全く飽きさせられないけれども細かいところはあまり記憶に残らない」タイプの居心地にばかり注意が向いてしまう。しかしその上で各所のフレーズや歌詞を意識的に吟味していくとそれに応じて確実に手応えが増していくのです。そういうことを考えつつ勘所をなかなか掴めない状態で書いたのが本稿冒頭のコメントであり、「こんなよくわからないアレンジで曲単位でもアルバム単位でも徹底的に滑らかな流れを生んでいる作品は他にほとんど聴いたことがないかも」「自分にとって大事な一枚になるかどうかを判断する勘所もまだ得られていない状況だけど、極めて興味深い取り組み対象として独特の存在感を示し続けてくれそう」というくらいの印象に留まっていたのでした。

 

そうした印象が大きく動くことになったのが年明けに始まった本作のツアーでした。自分は1月20日の大阪公演に参加し、ライヴの出来にはムラのあるこのバンドのパフォーマンス水準が全ての面で大きく向上していることに感銘を受けたのですが

(特に同期音源を乗りこなすリズムアンサンブルのうまさ:詳しくはこちらhttps://twitter.com/meshupecialshi1/status/1086930970513571840?s=21)、

そこで初めて実感させられたのが本作収録曲の巧みなポジショニングと個々の魅力でした。「カメラ オブスキュラ」「天国で待ってる」「飛燕騒曲」「火葬遊戯」「いつか花は咲くだろう」といった本作の曲はそれぞれ「禁色(or誘蛾灯)」「東京ロゼヲモンド倶楽部」「-187-」「せんちめんたる」「青春狂騒曲(orブルーフィルム)」といった過去作に似た曲調になっていますが、その上で色合いは絶妙に異なり、これまでにないニュアンスを示し巧みに差別化してしまいます。過去曲とうまく並び絶妙な変化を生む“パズルのピース的な接合力”は楽曲構成の滑らかさによるところが大きいのでしょうし、これまでの作品にあまりなかったものだと思えました。当日のセトリで実際に連続演奏された「せんちめんたる」「飛燕騒曲」「-187-」「火葬遊戯」の流れはその真骨頂という感じでしたし、セトリ全体として描ける雰囲気や流れの感覚もこうした本作収録曲が加わったことでこれまで以上に多様かつ滑らかになったのではないかと思います。そしてもう一つこのライヴ体験で重要だったのが「各曲をアルバムの流れと切り離して個別に吟味する」機会が得られたことでした。本作は一枚全体としての流れがあまりにも滑らかすぎるために各曲の味が十分に舌に残らない状態で聴き通してしまえる、つまり裏を返せば各曲の吟味が不十分な状態で全体としての流れ(いうなれば“喉ごし”)ばかりに注意が向く状態になりやすいわけで、自分が何度繰り返し聴いてもなかなか掴み所が得られなかったのはこうした構成の良さに反応しすぎてしまっていたからというのが大きかったわけです。自分はアルバム単位聴取至上主義的なところがあり「曲単位としてどうか」というのをわりと無視して「一枚全体としてどうか」というところに注目しすぎる傾向があったのもこうした難点を招きやすい一因だったのだと思います。つまり読み込むには各曲を意識的に噛み締める作業が必要であり、ライヴにおいてアルバムの流れと切り離された状態で各曲を聴けた(しかも生ならではの集中力を引き出される環境で)ことにより初めてそうした気付きが得られたのでした。実際その後にシャッフル再生でアルバムの流れを強制的に崩して聴くとそれまで見えなかったものがどんどん見えてくるし、そうして楽曲単位の理解を深めてからアルバム単位で聴いてみると滑らかな流れが完全に良い意味で機能してきます。本作は言うなれば「膨大な情報量からなる流線型の音楽的キメラが高速で通り過ぎていく」ような作品で、うまく観測できるようになるためにはまず構成要素ごとに分けて個別対応できるようにし、しかるのちに全体の速度についていけるようにするべきなのです。そういう気付きのきっかけが得られたこともあわせ、やっぱり生で観るのはスタジオ音源の理解を深めるためにも本当に大事なんだなと実感させてくれる素晴らしいライヴだったのでした。

 

そして、そうやってこのアルバムのノリに対応できるようになってくると更にいろんなことが見えてきます。なかでも特徴的に思われるのが、このバンドにしては珍しくアルバム通してのストーリーを描こうとしていないようなところです。先述のようにcali≠gariの音楽性は楽曲単位で大きく変化するのですが、それらを並べて構築されるアルバムには常に明晰な起承転結の構成があり、特にいつも最後を飾る桜井作の名曲は映画のラストシーン的な“満を持して繰り出される”エンドロール感を持つものばかりになっていました。しかし、本作ではアルバム全体の中で強い“終止感”を示す曲が一つもなく、「こういう曲がきたからそろそろ終わりかな」という予定調和の気配を感じさせる場面がありません。過去作でアルバムの最後を飾っていた「ブルーフィルム」や「青春狂騒曲」に通じる雰囲気のある「いつか花は咲くだろう」も畳み掛ける展開やテンポの速さもあって“じっくり留まる余韻を残す”という感じはありませんし、そこに至るまでの流れも“いろいろやり尽くしたからそろそろスローダウンしよう”という雰囲気を出すものではないため、もったいぶらずガンガン流れていく勢いの良さがアルバム全体を通して連結され続けます。その結果、一枚を通して終始「過程にある」感じが貫かれ、淀みなく流れ続ける進行感が聴き終えた後も保たれる。そうした“雰囲気展開的に留まらない”流れがそれなりの落ち着きや「一枚聴き通したところで初めて一段落ついた感じがくる」緩急構成と絶妙に両立された結果、「最後から最初にすぐ戻って聴き返したくさせるリピート喚起力」と「一枚聴き通した時点で再生をやめてもふんぎりがつかない感じにならない収まりの良さ」が同時に得られるということなのだと思います。こうした構成は

https://www.diskgarage.com/digaonline/interview/99043 

で語られている

 

桜井「僕としては、アルバムに最初から10曲入れるっていうのが決まっているとしたら、1曲目っぽいものとか、4、5曲目っぽいのとか、最後っぽいのとかを想定して作っていて。必ずしもそれらがそこの位置に入るっていうことでもないし、結果的に並びとしてそこの位置に入らなくてもいいんですけどね。最終的に全曲揃ったところで、何を何処に置くかパズルみたいに並べ替えていく感じなので。曲順ひとつでアルバムの見え方って変わるじゃないですか」

 

という話のようにやはりかなり意識的になされているようで、アルバム全体としてどうなるをちゃんと意識しつつ“つじつまを合わせる”作業がうまくいった結果こうなったもののようです。アンビエントな歌モノ「月白」(げっぱく)の位置などアルバムのセクション分けが秀逸だし(しかもそれが秀逸だといちいち考えさせないくらい当たり前のように自然に洗練されている)、「火葬遊戯」と「いつか花は咲くだろう」のように雰囲気は真逆といっていいくらい違うけれどもテンポの繋がりは自然な曲を並べることにより、雰囲気が暗い方向・明るい方向のいずれか一方に寄りすぎず“フラットに揺れながら全体としては安定する”構成(各曲を前曲のチェイサー(口直し)的に機能させてバランスをとる流れ)を生むような仕掛けも非常に良い効果をあげている。隅々まで本当によくできたアルバムだと思います。本作の「グラフ盤」(インタビュー・セルフライナーノーツ・写真集・ハイレゾ音源ダウンロードコード)収載の下記発言は以上のような在り方をよく反映したものであり、大言壮語でもなんでもなくその通りの素晴らしい作品です。

 

石井「(前略)今回青さんが4曲作ってるんですけど、その4曲でアルバムとしては出来上がっているんですよ。で、その世界観の軸になっているのが『カメラ オブスキュラ』と『いつか花は咲くだろう』と『死は眠りを散歩する』で。極端な話、俺の中ではですけど『カメラ オブスキュラ』と『いつか花は咲くだろう』の2曲で世界観は出来ていて、『死は眠りを散歩する』と『火葬遊戯』は青さんの中での色付けかなっていうところがあって。もうそれで“ああ、こういう感じね”っていうのがガッツリときてたので、あとはどんな曲を作っても大丈夫っていうのはあったんです。だから、パッと聴いて、その曲調から遠くならないというか、楽曲のクオリティとしてのパワー感みたいなものと、ちゃんとコントラストがつくようにって考えましたね。あくまで感覚でしかないんですけど、例えばイケイケの曲があるから自分はちょっと抑えた感じの曲を作ろうっていうふうに思える時もあるし、こんなにイケイケの曲があるんだから、さらに輪をかけてイケイケな曲を作ろう、とかね。そういうバランスです。それはもう、あくまで青さんの作る楽曲と自分の作る楽曲のバランス感、自分の中でのバランス感でしかないんだけど。そうやって出来たアルバムなんですけど、俺はもう完璧だと思ってますけどね。たぶん、現時点でどうやってもこれ以上のものはできない。録音レベルとかそういうものは時間があれば高めることはできるけど、楽曲を作るということにおいては、今のベストはこれだろうっていう感じがしてます」

-それは本当にそう思います。今まで以上に、ずっとこの先も長く聴いていけるだろうなと思えるアルバムですよ。

石井「キャリアもこういう感じですからね。これからどんどんそういうものを作っていかないと、っていう感じなんですよね。俺がいつも思っているのは、新しいアルバムを出すときに、昔のアルバムなんか聴く必要がないぐらいのものを作ろうと思うわけですよ。いつでも。とは言え、昔のものがなんでいつまでも人の心に残っているかというと、技術とか曲のレベルの高さではなくて、ほとんどが聴いている人の“想い”があるからなんですよ。だからいつまでも昔の曲って色褪せないわけじゃないですか。時間は止まってますから。その曲自体はね。だからさっき言ったことはほぼほぼ無理な話なんですけど、でも作る側としては本当に“この一枚で全部いらなくなるぐらいのものを作ろう”って気持ちではいるんです。別にそれは言わないけどね。でも、今回は本当にそういうアルバムができたかなって。この『14』の中に、今のcali≠gariの持ち味が全部入ってるなと思うんです。あと、変に“○○っぽい”みたいなのが今回の曲にはなくて。例えば“ジャズっぽい”とかね。そういう小手先っぽいのがないのがいいなと思っているんですよ。“ジャズっぽい”っていうのもわりとcali≠gariの持ち味ではあるんだけど、cali≠gariっぽいっていう感じでしかないというか。それでいて、曲調としてはライトユーザーにも優しいみたいなね、そんな気がしますよ」

(『14』[グラフ盤]p32から引用)

 

以上のようなことを踏まえた上で興味深いのが、本作はメンバーが一度も顔を合わせず作ったアルバムだということです。グループLINE(メンバー&エンジニア)にデモ音源などを投げ、それを聴いて確認しつつ個別に作業を進める。彼らがここ数年間続けてきたこの手法は一般的には意思の疎通を欠き作品の完成度を下げる危険性を高めかねないものだと思われるのですが、cali≠gariの場合はむしろこのやり方がメンバーの関係性的にも音楽的な相互作用の面でも素晴らしい効果をあげているようです。これに関しては「グラフ盤」収載の村井発言が良い説明になっています。

 

-「動くな!死ね!甦れ!」(注:村井曲を桜井が補作曲・編曲)の方は、わりと早くから青さんが仕上げつつあったんですか?

村井「これはなんかね、青さんに投げて、レコーディングで上領さん(注:上領亘、GRASS VALLEYなどでの活動で知られる超絶ドラマー)が叩いてる時に『わあ、SOFT BALLETだ!』って言い出して、確かにそれっぽいから……それで秀仁くんもそんな感じで歌ってるんじゃないですかね。キーも低くて嵌まりが良かったというか。僕自身はSOFT BALLETを通ってきてないんで、そういうふうにしようという意図もなかったし、むしろ“ふーん”という感じではあったんですけど、結果的にはめずらしくもドラムにインスパイアされてそういう変化が起きたわけなんですよね。僕、上領さんとは前々から音楽とは無関係なところで繋がってるんですよ。大学時代の人脈からなんです。ドラマーだってことは知らされていたけど、どこで叩いてる人なのかも知らなかったし、SOFT BALLETも聴いたことがなかったんで。でも、そういう繋がりであるがゆえに最初から僕自身が変な先入観を持つこともないし(注:上領は2015年の『12』からcali≠gari楽曲の一部にサポート参加してきている)、だからこそ今回みたいな、想定以上の変化が起こりうるんだと思う」

-まさしく化学反応ですね。

村井「そういうミラクルが起こるんですよ、このバンドは。この曲自体はそもそも、なんか歌モノになりそうな感じになっちゃったんで、ソロアルバムでは置き場所がなさそうだったので、こっちに持ってきたわけなんです。実際、ドラムから触発されてそういう何かが起きるというのはめずらしいことですけど、そうなり得るのはやっぱりそこに芸術性があるからだと思うんです。ソツなくこなしてるだけのドラムだったら、そういうことは引き起こし得ないわけで。こちらの要求に対して100で返してくるプレイヤーというのも貴重ですけど、それがミラクルに繋がることはないんです。だけど上領さんの場合は、200とか300で返してくるんで。やっぱりドラマーの域を超えた人なんです。芸術家なんですよね。そういう意味では青さんも、秀仁くんも同じですよね。お互いに200とか300で返しあえるようじゃないと成り立たない。仮にそこで100で投げたデモに対して80のものしか戻ってこなければ、デモの劣化みたいな音源にしかなり得ないわけです。そこにやっぱり、その人なりの芸術魂をぶち込んでもらわないと駄目だし、cali≠gariのメンバーとしてそれは常に意識しないといけないことだと思う。もちろんそういうことができる人って、限られてるわけですけどね」

-そういう意味では、お互い付かず離れずの関係のようでありながら、絶対に100を超えるものが返ってくるという信頼関係がお互いの間にあるわけですよね。

村井「信じてるのかな、そこは。期待じゃなくて確信できてるんじゃないかな。不思議ですよね。こんなのって、cali≠gariだけなのかな?でも、そういうスキルは確実に各々、持ってますよね。青さんにも秀仁くんにも、ずいぶんなアレンジ力があるし、やっぱりそこには敵わないというかリスペクトできる部分がある。もちろん僕自身もソロアルバムではそういうことをやりましたけどね。アレンジの見せ合いみたいなことは。cali≠gariでの僕はベース・アレンジ以上のことはできませんけど、そこで芸術性を高められるようでありたい。ベースでそれをやるのはなかなか難しいことではあるんですけど、cali≠gariでの僕のパートには伸び代の部分が結構あるんで(注:編曲者の想定したルート音を変えたフレーズを入れた上で採用されることも少なからずある模様)、そういうことに挑めるんですよ」

(『14』[グラフ盤]p59・60から引用)

 

以上のような“投げ出しつつその上で信頼している”感じ、相手のセンスや技量を認めきった上で干渉せず任せる関係性は、2003年に一度活動休止(実質的には解散)し旧マネージャー(故人)の呼びかけで2009年に復活するまではメンバーの誰もが再始動など考えてもいなかったということもあってか、あえてそんなに仲良くなろうとしなくていいと完全に了解しあい程よい距離感で安定した腐れ縁状態をとてもうまく熟成した感じのものでもあるのですが、このバンドの場合はそういったある種の没交渉状態が音楽的にも非常に良い効果をもたらしているようです。「グラフ盤」収載セルフライナーノーツの「死は眠りを散歩する」(作詞/作曲/編曲:桜井)に関する桜井・石井のコメントはそれを非常によく表したものと言えるでしょう。

 

「ミニマルにミニマルに、とにかく歌詞をミニマルにという感じで作りたかった。あまりにも全部説明してしまうと、なんか嘘っぽくなっちゃうから。純粋にこれは死のことを歌っているんですけど、我々は毎日死の練習をしているなって感じなんですよ。寝るってそうじゃないですか。毎日死と対話しているのかなって。そういうことをつらつらと書き綴りました。人間って嫌なことがあると防御本能で眠りたくなるんですよ。その時に、このまま死んじゃえば幸せなのにって思うじゃないですか。ということは、死ってもしかしたら幸せに直結してるのかなって感じのことも思ったんです。穏やかな死に対する憧れみたいなものを淡々と書き連ねてみました」

(『14』[グラフ盤]p49 桜井青セルフライナーノーツより引用)

 

「どういう理由でこの歌詞を書いたのかとか、そういうことを青さんに聞いてないから分からないんですけど、そういうのがないからcali≠gariはいいわけじゃないですか。歌詞っていうのは歌う人がその歌詞を理解して、言葉を噛み砕いて歌わないと、なんて言われたらバカバカしいと思うタイプだから。一切の伝達事項がないっていう、その温度差みたいなのが面白いかもしれないですよね。特にこういう重たい曲だと。最後こういう曲で終わるのはちょっと重たいのかなと思ったけど、重たくていいのかなって思いますね。もう一回聴いてみようって気持ちになりますよね」

(『14』[グラフ盤]p35 石井秀仁セルフライナーノーツより引用)

 

この曲は暗い歌ものシューゲイザーを志向した結果「ブルース歌謡+ブラックメタル」的なサウンドになったようなスタイルで、歌謡曲的湿り気をもつ音進行の中に凶悪な瘴気を滑らかに仕込んでくる非常に重い曲調なのですが、石井の表現力豊かだけど感情を込めすぎない歌いまわし(情報量の多い無表情という感じ)はそうした雰囲気を汲み取りつつ安易に同調しない姿勢を貫いていて、この曲が求めている暗い穏やかさ、絶望的なだけでない・悲観しすぎない腰の据わり方を、そうした意図を実際には全く聞かされていないのにもかかわらず(聞かされていないからこそ?)理想的な形で具現化しています。こういうふうに付き合いは密ではない(むしろ疎遠)なのにも関わらず非常に相性が良く波長も合う様子は、2人の書く歌詞の方向性が偶然完全に一致した件

http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/20387

にもよく顕れているのではないかと思います。そして、そうした腐れ縁的な様子、互いに興味がなさそうでいてしっかり向き合う関係性があるからこそ、音源やライヴにおける「聴き手に安易な感動を提供したり馴れ馴れしく手を差し伸べたりすることがなく、むしろ“客をあしらう”感じでクールに突き放す一方で、全く取り付く島がないわけでもなく、微妙な温度感を保ちながら側にいてくれる」感じの付き合いの良さ、聴き手との間に保たれる絶妙な距離感(どこか60~70年代の優れた音楽に通じるもの)が生み出されるのでしょう。cali≠gariのライヴにおけるファンたちの良い意味で協調性がなくそれでいて妙な一体感もある感じ、ここの現場ならではの居心地の良さは、こうした客あしらいのうまさ&付き合いの良さからくるものなんだろうな、ということを先述の大阪公演で改めて実感させられたりもしました。『14』がどれだけ繰り返し聴いてもモタれずにいられる仕上がりになっているのはこうした絶妙な距離感によるところも大きいのかもしれません。本作は以上のようなバンドの関係性が理想的な形でアルバムの在り方に反映された大傑作なのだと思います。

 

 

さて、『14』自体の話はとりあえずこれで一段落ついたのですが、本作に代表されるcali≠gariの音楽性を自分が素直に受容できるようになるにはもう一つの作品との出会いが必要不可欠だったという話も付記しておこうと思います。cali+gari(初期名義)時代のデモテープ音源を今の編成で再録したアルバム『0』がそれで、自分が今までこのバンドの音楽性に接する際に意識的/無意識的に除外してしまっていた視点に気付かされるとともに、他の作品が合わない気分の時はここに戻ってくればいいという立脚点にもなりました。このバンドの作品群に食らいついて聴き込む甲斐があるという保証を与えてくれつつそのための方法を補完してくれたという点において、自分にとっての記念碑的な作品と言える一枚になったアルバムです。

 

この『0』は『14』同梱の引換券をライヴ会場に持参することで終演後に入手できる「二十五周年記念贈呈盤」。ゴシックロックやノーウェーヴとNWOBHMNew Wave Of British Heavy Metal:IRON MAIDENに代表される80年代初頭のパワーコード多用型メロディックメタル)などを混ぜたらグランジ寄り歌謡ロックができたという趣の内容で、その圧倒的な素晴らしさについてはこちら

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1087271402237906944?s=21

を参照していただきたいのですが、自分にとって何より衝撃的だったのが「cali≠gariがこんなにメタルど真ん中な音進行をやるのか!」ということでした。本稿の冒頭でも書いたように、このバンドはメインソングライター2名がともにメタル要素をほとんど用いない傾向にあり(「研次郎くんから大量に送られてくるメタル(デモ音源)をcali≠gari流に改変する」的な石井・桜井の発言はそれをよく示すものでしょう)、そうしたものの影響を受けていないばかりかあまり好まない、従って楽曲の旨みの芯もメタル的なものからは離れたところにあるのだろう、というイメージが長く自分の中にあったわけです。しかし『0』の音楽性はそうした先入観を完全に覆すものでしたし、収録曲の原型(『第1実験室』『洗脳』『再教育』収録バージョン)では全然やっていなかったメタル的な素直なコード付けが新たに全面採用されているのです。これはcali≠gariの作品一般に対する自分の見方を一変させるものでした。このバンドを聴き始めた頃(2011年冬)の自分はメタルを中心に70年代ロック(ハードロック~プログレッシヴロック)やソウルミュージック~ファンクなども嗜むという感じのリスナーで、cali≠gari作品で前面に押し出されていたパンク/ハードコアやニューウェーヴ~ポストパンクなどの知識や経験はあまりなかったため『第7実験室』などは聴き方がうまく掴めず(格好良い不協和音に惹かれるプログレデス的嗜好でベースやボーカルのうまさに注目していた)、以降も苦手な部分に過剰に注目しつつそれに目をつぶって飲み込むような接し方が続いていました。それが、この『0』で「メタル要素にも注目していいんだ!」という気付きというか確証、さらに言えば“赦し”のようなものが得られ、今まで意識的/無意識的に除外してしまっていた視点を積極的に取り入れて総合的に吟味できるようになったのです。(メタル成分は主要な要素ではないが重要な構成成分であり、そこから目をそらすと旨みの芯を捉えにくくなってしまう、という状態に陥っていたのをようやく自覚できたということ。)そうなればもう話は早いもので、ここ2年間におけるBUCK-TICKの聴き込みなどを通して確実に育ってきたニューウェーブ~ポストパンク~ゴシックロック的なものに対するリテラシーとあわせ、複雑な成り立ちをもつcali≠gariの楽曲を様々な角度からまんべんなく鑑賞できるようになりました。例えば『14』収録の「マシンガンララバイ」は、THE DAMNEDのアルバム『Machine Gun Etiquette』のような雰囲気を意識して作った曲をライヴ映えするようにメロディアスに作り変えたものだということですが、そういう話を一旦脇に置いてメタル的な視点からみてみるとTOXIKのようなプログレッシヴスラッシュ/スピードメタルに通じる味わいがあります(ちなみにTOXIKもハードコアパンクなどから影響を受けています)。こうやっていろんな視点から鑑賞するよう意識すると、様々なスタイルの曲が違和感なく並ぶアルバムの全体像はもちろん、一つ一つの楽曲も様々な角度から吟味でき、それによってどんどん観方が変わり補完されていきます。アンサンブル〜グルーヴの理解を深めるために異なるパートや帯域に注目したり基幹ビートの把握の仕方を様々に試すのと同様に、異なるジャンルの価値観やそれに対する接し方(として自分がその時々に持っている方法)を様々に試してみることで初めて各曲の持ち味が掴めてくるという傾向がこのバンドは特に強く、意識的にそうやって取り組む必要が少なからずあるわけです。こうした気付きを機に他作品を聴き直したら『0』同様に『14』を読み込むための様々な視角が(パズルのピースを揃えるように)集まっていく感覚が得られましたし、それは『14』以外の(『0』を含む)作品群を聴き込む場合においても言えることなのでしょう。バンドのディスコグラフィを聴き込むということの面白さを改めて強く実感させられましたし、こういう接し方を可能にするcali≠gariの懐の深さや複雑な成り立ちに今更のように感嘆させられます。本当に面白いバンドです。

なお、メタルとcali≠gariの関係については、この対談

https://rooftop.cc/interview/130106000110.php?page=5

で桜井が「表立った所では言わないんだけど、へヴィメタルもそれなりに好きって知らないでしょ」と言っているように、実際に影響もあるようです。

 

そして『0』が自分にとってもう一つ大きかったのは、cali≠gariディスコグラフィ全体を聴きまわるにあたっての一つの立脚点、他の作品が合わない気分の時はここに戻ってくればいいというある種の避難所がついに得られたことですね。『13』までの作品をしつこく聴き込みながらも(『0』で「メタル的視点で聴いていいんだ」という“赦し”が得られるまでは)感じることができなかった「一線を越えて自分の肌に合う」という手応え~相性のようなものが『0』にはあり、他の作品が口に/肌に合わなくてもここに戻ってこれる(ある種のチェイサーともなる)自分にとっての避難所のようなものが初めて現れたわけです。この避難所というのは逃げ場的なものではなく、cali≠gariの作品だけをひたすら聴き続ける生活を可能にしてくれる(他のバンド/アーティストの作品に移らずにいけてしまう)緩衝地帯のようなものであり、バンドの作品全てを「自分好みではない」と諦めきらなくていいことを示してくれる一つの突破口、他作品を時間をかけて好きになっていく糸口や可能性(いつか完全に好きになれるという希望)を信じていいと思わせてくれる作品です。実は『14』も「一線を越えて自分の肌に合う」「聴き続けてもモタれない」という相性を確信できた作品なのですが、『0』を聴く前は解釈の糸口をうまく掴むことができませんでした。そういう意味において、やはり『0』は自分にとっての記念碑的な作品と言える一枚なのではないかと思います。

 

こうした「一線を越えて自分の肌に合う」という手応えが得られたのは、近年のcali≠gariが特有のうわついた感じをほどよく残しつつ落ち着いてきたことで個人的にもうまく付き合えるようになってきたというのも大きい気がします。例えば、『0』と『再教育』を聴き比べてみると、後者にあったイキリ感というか険が前者では良い感じに取れていることがよくわかります。このイキリ感は一時期の大事な味ではあったとも思いますが、現在の落ち着きつつ完全に丸くなったわけではない佇まい、ほどよいチャラさを残す“渋くうわつく”感じも固有の素晴らしい持ち味になっていますし、音楽全体のバランスやまとまりもあわせ個人的には今のほうがより良い状態にあると感じます。そして、そうした良い意味での落ち着きは『0』における新たなコード付けなどアレンジの変化にも反映されているのではないかと思います。例えば「LOVE 4 U」の最初のテイク(1994年のデモテープ『第1実験室』収録、「LOVE FOR YOU」名義)では、歌謡曲的な意味でまっとうに美しい歌メロにつけるコードの流れが「普通の進行は意地でもやらない」姿勢を貫きつつ奇を衒いすぎて失敗した感じで素材の良さを殺してしまっているのですが、『0』での新録はIRON MAIDENのような英国歌謡メタルとCHRISTIAN DEATHのようなゴシックロックそして日本の歌謡曲のエッセンスを繊細かつ緻密に融合した音進行が超絶的に巣晴らしく、その上で各パートの見せ場も完璧に配置されています(この手のジャンルでは歴史的名曲と言っていい芸術的な仕上がりだと思います)。単に不協和音を連発して尖った感じを出そうというような欲目が解消され、楽理的裏付けをしっかり学んだ上で教科書通りのつまらない進行には陥らずに混沌とした滋味をよりうまく活用できるようになった、という感じの変化は上記のような成熟の賜物でしょうし、こうした感覚や方向性は『14』のアレンジにも確実に活かされているはずです。そちらについても早い段階で「一線を越えて自分の肌に合う」感覚が得られた理由がなんとなくわかる気がします。自分がcali≠gariを聴き始めて7年余、やっとタイミングが合ったのだな、というふうに思う次第です。

 

 

以上がcali≠gariの『14』にまつわる個人的受容の経緯なのですが、これは抵抗なく受け入れられるようになるまでの話であり(現時点で既に100回は聴き通しています)、じっくり読み込むことでさらなる発見が得られるという点ではむしろこれからが本番なのだと思います。音楽を聴くにあたって最も楽しいのはこういう「自分と〈どういう具合に合う/合わないのか〉という〈具合〉について徹底的に吟味し少しずつ呑み込んでいく」ことであり、ディスコグラフィ全体を併せて聴き込む作業はそれを大きく助けてくれる。そして、そのための参照点&立脚点となる作品は本当に重要でありがたい。そうしたことを深く実感させてくれる最高の作品だと思います(この17位という順位は昨年末の位置づけであり、現時点では5位以上でもいいのではないかと考えています)。世界的/歴史的にみても類のないタイプのバンド&作品ですし、ぜひ聴いてみることをお勧めします。

 

 

ところで本作の販売形態ですが、買うのであればやはり「グラフ盤」にすることをお勧めします。ここで大量に引用した文章は分量・内容ともにごく一部であり、歌詞解釈や製作背景など理解を深める手がかりになる重要な情報(しかも他媒体に掲載されていないもの)が多すぎる。例えば「火葬遊戯」について、自分は最初CDを買って歌詞だけを読み「バラバラに切断されたのは幼き日の 誇りにまみれた優しいだけの」というくだりなどを見て「VAPから抜けたのはこのあたりがなにかしらのコードに引っかかったからでは?」という間抜けな解釈をしていたのですが、「グラフ盤」の桜井インタビューを読んで自分の浅い読みを恥じつつ深く納得することになりました。引用が多くて申し訳ないですが、こういう重要な情報が多いからぜひこちらを買ってくださいね、という思いをこめてあとこれだけ転載させていただくことにします。

 

桜井「(前略)実家が3年がかりで遺産相続の問題に巻き込まれまして、それでホントにもう疲れてしまって。ウチの母が兄弟たちの問題に巻き込まれたんですけど、母は一族に脅されPTSDになってしまって。その代わりに僕が弁護士を立てて、母には『もう出て来なくていいから……』ってこっちでやったんですけど、“自分の血筋ってこんなに汚いんだ!?”ってことを改めて知ってしまって――そんなことも歌詞には入ってるんですけど、その時に“老い先短い老人が死にもの狂いになると、確かにああなるのかもしれないな”と思って、“自分はこの業界でいつまで生きられるんだろう?”って考えたんですよ。別にウチはものすごく売れているバンドではないけれども、かと言って、そこまで売れていないわけでもない。音楽で飯を食っていけるけど、一寸先は闇で。毎年、武道館や東京ドームでやっているバンドだったら、この先も安泰かもしれないけど、僕なんていつ音楽が仕事でなくなるか分からないと思うんですよ。そういうことを考えたら、本当の寿命での自分の死と、音楽をやる人間としての死までの期間ってどれくらいなんだろうと思い始めて。前々から意識はしていたんですけど、気が付いたら、いつの間にかそういうことを歌詞に落とし込んでいて」

-(中略)先ほど、遺産相続云々と言われたのはM8「火葬遊戯」ですかね。

桜井「まったくそうですね」

-≪老害にプライド≫と言ってますし。

桜井「もうホント直接的に書いただけなんですけど、弁護士を雇って物事を起こそうとした時に、とにかく昔の自分の思い出を殺さないといけなかったんですよね。自分が小さいときにすごく良くしてくれた、やさしくしてもらった伯父、伯母のいいところしか思い出せないですよ。いいところしか思い出せない人たちなのに、その人たちは実際に人が変わったようになって怪物になってしまったという。“こんなことってあるのかな?”って」

(『グラフ盤』p41・42から引用)

 

他にも楽曲解釈の糸口となる重要な情報が多いですし、買う価値は非常に高いと思います。

それからもう一つ大きいというか最大の目玉がハイレゾ音源ですね。本作は非常に録音の良い作品で、CD規格(44.1kHz、16ビット、1000kbps程度)でもこのバンドに限らず2018年時点における最高級のロックサウンドが聴ける逸品なのですが、ハイレゾ版(96kHz、24ビット、4608kbps)の音の良さはそれを遥かに凌ぎます。圧縮なしのCD音質に物足りなさを覚えるレベルの極上音質ですし、本作を聴き込むにあたっても例えば「死は眠りを散歩する」サビ裏のギターコードの推移(毎回微妙にヴォイシングというかどの構成音をどれだけの強さで鳴らしているかの具合が変化する)を鮮明に聴き取る際に非常に大きな助けになります。というかこのあたりはハイレゾ版でないとうまく把握するのは難しいかもしれません。ともあれ、本作をこういう形態で販売してくれたのは非常にありがたいことですし、少しでも興味をお持ちの方はぜひ聴いてみることをお勧めします。

 

 

 

 

第16位:DEAFHEAVEN『Ordinary Corrupt Human Love』

 

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ジャンル問わず様々なメディアの年間ベスト上位に入っているけれども、やはりこれはメタルとしてではなくインディーロックとして評価されていることが多いのでは。しかし演奏スタイルや一部のフレーズ/コード進行はブラックメタルならではの手法で、そうしたものをしっかり残しつつエモ/シューゲイザー/ポストロックなどの要素と融合させそれでなければ表現できない世界を描いているのは素晴らしい。メタルファンにとっては非メタル音楽への良い入り口になるだろうしその逆も言える。アルバム一枚としての完成度も素晴らしい傑作。

 


参考

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1075350246278934533?s=21

 

 

 

第15位:宇多田ヒカル『初恋』

 

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個人的には宇多田ヒカルの音楽は常用するには重すぎるのだけれども、そうした表現力を優れたポップソングにまとめて口当たりよく呑み込ませてしまう手管はやはり素晴らしいというほかない。そして生で観ることによりその表現の質を直観的につかみほどよい距離感で吟味できるようにしてもらえた気はします。

ベストに入れた理由としてはクリス・デイヴのドラムスが良すぎるからというのも大きい。単体としても宇多田ボーカルのリズム処理との相性の面でも最高の音楽的旨みを与えてくれるように思います。

 


参考:大阪公演ライヴレポ

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1067758863867236352?s=21

参考:宇多田ヒカル×小袋成彬×酒井一途 座談会

http://www.utadahikaru.jp/zadankai/

 

 

 

第14位:Rafiq Bhatia:Breaking English

 

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Ben Frost的ヘヴィエレクトロニクスとMADLIBFLYING LOTUSのような複雑なヒップホップ寄りビートをダブステップドゥームメタル的音像のもとで融合させたジャズギター作。中東方面の叙情的な旋律をフィーチャーしつつ音響の昏い快楽を探求するようなビートミュージックで、ジャズのインプロヴィゼーションがどうだとかいちいち考えなくても楽しめる理屈抜きの心地よさに満ちている。全編でわかりやすいリードメロディが用意されている一方で驚異的に緻密な作り込みがなされており、ストリーミングの圧縮音源だと把握できない部分も多い。フィジカル盤やBandcampで非圧縮音源を入手し楽しむのをお勧めします。

 

 

 

第13位:中村佳穂『AINOU』

 

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SLAPP HAPPY+HENRY COWのような歌ものレコメン系がJames BlakeやFKA Twigsやネオソウル系のスタイルを吸収し聴きやすいポップスに昇華されたという感じ、もしくはディアンジェロジョージ・デューク矢野顕子、などなどいろんな形容もできるけれども演奏も作編曲もここにしかない個性的な表現力に溢れている。2年半の準備期間を通して製作されたというこのアルバム単体だけみても最高級のポップスだけどライヴはさらに素晴らしい。いまのうちに観ておくことをお勧めします。

 


参考:『AINOU』

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1060211431906324485?s=21

参考:京都公演ライヴレポ

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1069922720211562496?s=21

 

 

 

第12位:OKSENNUS『Kolme Toista』

 

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バンドとしては今年最大の衝撃。エクストリームメタルの歴史においても最高級の実力者なのに行き過ぎたアンダーグラウンド志向のせいか知名度はゼロに等しいのがもったいない。作品ごとに異なるスタイルの大傑作を生み出す活動を続けていて、最新作(デモを除く)である本作はPORTALのような混沌デスメタルをそちら方面の定番路線とは異なる方向から再発明したかのような3部構成39分の大曲になっている。特殊な音質もあわせ最初は何をやっているか全くわからないけれども、繰り返し聴くうちに対処する回路を形成させられどんどん旨みが増していく。ジャンルを問わず最高級の奇盤だと思います。

 


参考

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1008674359953592320?s=21

 

 

 

第11位:Jacob Collier『Djesse〈Vol.1〉』

 

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一人多重録音(特にアカペラ)の天才による4部作Vol.1。フルオーケストラに加えVoces 8やTake 6など(合唱~アカペラの世界を代表するグループ)も駆使したスケールの大きすぎる宅録音楽で、微分音やネオソウル的ヨレも駆使し出音のレベルでどう仕上げるかまで徹底的に練り込んだ和声&リズムアレンジは偏執的に緻密、それなのに底抜けの親しみやすさに満ちていてどこまでも聴きやすい。何でもできる夢の世界を現出させたかのような驚異的な傑作。

現時点ではフィジカル盤リリース予定は無し、ハイレゾ販売または最大320kbpsの配信/DLで聴くことができるのだが、国内サイトでのハイレゾ販売は¥3800、海外サイトでは$16というふうに価格差がありすぎるのが気になる。(自分は海外サイトで購入)上記のような音楽性もあってハイレゾの方が格段に楽しめるので、配信で聴いて気に入った人はぜひ買ってみてください。

 

 

 

 


第10位:Sen Morimoto『Cannonball!』

 

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京都出身・シカゴ在住の日本人ミュージシャン/プロデューサーのLPサイズとしては初となるフルアルバム。派手なカマしのない落ち着いた雰囲気やローファイな音作りからは容易に想像できないくらい緻密な音楽で、ヒップホップのヨレる感覚をIDM的なビートと融合させたリズムトラック、複雑なコードを単線の旋律を積み重ねることにより構築する音遣いなど、聴けば聴くほど構造の凄さに圧倒されてしまいます。ルーツは異なるのでしょうが「カンタベリープログレとアシッドフォークがジャジーヒップホップのフィールドで融合した」ような趣もあり、Mats/Morganやディグス・デュークなどにもひけをとらない強度がある。偏屈で親しみやすいポップミュージックの大傑作です。

 

  Sen Morimotoはマサチューセッツ育ちで、そこで10歳の頃からジャズスタイルのサックスを学び始めたといいます。当地西部のDIYヒップホップシーンでマルチ楽器奏者/作曲家として活動を開始した後2014年にシカゴに移住し、その豊かな音楽シーンに大きな影響を受けたとのこと。SoundCloudで定期的に新曲を公開/消去するのと平行してBandcampで『For Me & Ladie』(2015年)と『It`s Late Remastered』(2017年)の2枚のEP(収録時間はともに10分台)を発表したのち、同じバンドに所属したこともあった当地のミュージシャンNnamdi Ogbonnayaが経営するSOOPER RECORDSと契約。本作は同レーベルからのデビュー作として製作されたキャリア初のLPで、当初は20曲以上からなる長尺を想定していましたが、より凝縮した構成のアルバムにしたかったこと、そしてパソコンの故障により録音データのかなりの部分を失ったことから、収録する曲数を大幅に絞ることになりました。そうして完成したのが全9曲40分構成の本作『Cannonball!』です。「データ破損の際は打ちのめされ喪失感にさいなまれたけれども、それを再構築する過程を通して製作に集中できるようになり、結果的に良い方向に進むことができた」という本作の仕上がりは実際大変素晴らしく、異なるスタイルに磨き上げられた楽曲全てが“ここしかない”といえる位置で互いを引き立てあう構成は完璧。何度でも快適にリピートし続けられる一枚になっています。

 

  本作はそのローファイなサウンド(ハイファイ(金のかかったクリアでリッチな“高音質”サウンド)とは逆の印象を与える音像)もあってかあまり“技巧的に洗練された”音楽という印象を抱かれないようですが、その構造は驚異的に高度で、同じ枠で語られることの多い“インディーポップ”やジャジーヒップホップの多くとは一線を画します。よく言われるリズムトラックはもちろん和声構造がとにかく凄い。カンタベリー系のプログレッシヴロック(初期SOFT MACHINE、HATFIELD & THE NORTHあたり)やフランク・ザッパといったクラシック音楽寄りジャズロック、そしてミシェル・ンデゲオチェロエスペランサ・スポルディングといったネオソウル~現代ジャズを、両者の共通成分である現代音楽~ポストロック的要素を媒介して融合した…というような趣のあるコード感は、たとえばMats/Morganやディグス・デュークなどにもひけをとらない高度なものですし、それらを凌駕しているのではないかと思える場面すらあります。この人が凄いのはそういう和声構造を鍵盤のコード弾きではなく複数のメロディを積み重ねる手法により構築してしまうことで、サックスやボーカルなどの印象なフレーズが絡み合って魅力的な和音を構成し、その中で各々のフレーズが効果的な引っ掛かりを生む、という理想的なアレンジを随所でみることができます。

(サックスで自分のやりたいことを表現することはできるがボーカリストとしては全く訓練されていないのでそれができない、なので「歌うようにサックスを吹く」のではなく「サックスを吹くように歌う」ことを心がけているという話もあります。)

何も準備していない状態でとりあえずサックスを多重録音することから曲ができていったという「Sections」はその好例ですし、多重録音のボーカルハーモニーから始まる「Die Dumb」にはジェイコブ・コリアーにも通じる高度な和声感覚があります。加えて言えばこの2曲に限らず“コーラス”のアレンジがとにかくうまい。影響源や参照対象について言及した記事が見当たらないのでどういった音楽体験を通してこのようなセンス~技術を獲得したのかよくわかりませんが、稀にみる技術と個性を兼ね備えた音楽家だと思います。

(※2018年8月の来日に際するインタビュー記事で音楽的影響源が詳しく語られていました。短評最後の参考資料集のところに付記しています。)

 

そしてこのようなフレーズ/コード遣いにひけをとらないくらい興味深いのがリズムアレンジ~演奏感覚です。ヒップホップならではのリズム処理(基幹ビートの流れに乗りつつそこからヨレたりズレたりするアンサンブル感覚)が土台になっているというだけではなく、ビートの流れ自体から自在に離れたり再びそこに戻ってきたりしうるフリーな手法がさりげなく活きているという感じ。例えば「Sections」終盤(3分33秒頃~)では4拍子系のトラック(一定のBPMのもとでドラムスやサックスがヨレながら並走)に4拍ループのギターリフが絡み、ギター1拍の長さは土台となるトラック1小節を3で割った3連符1つぶんに相当する、という関係が保たれるようにみえるのですが、ギターリフの1拍の長さは実は徐々に変化し、曲の終わりに近づくにつれて確実に速くなっていきます。これは複数のBPMを重ねるDTMにも通じる構造ですが(テープ使用の多重録音の時代からある手法でもあります)、BPMが変化する側であるギターリフの1音1音が感覚的に非常に心地よくハマる仕上がりは「違ったBPMのトラックを何も考えず重ねてみました」という安易な編集とは一線を画します。生演奏による即興感覚(プレイヤーとしてのジャズ感覚)とクラブミュージックならではのアンサンブル感覚が非常にうまい形で融合していて、打ち込み/サンプリングオンリーのトラック作りでは作りえない“間”の奥行きが生まれているのです。これは本作が基本的にはSen Morimotoひとりによる多重録音(ゲストのラップやコーラスを除く全てのパートを演奏しているとのこと)だからこそ可能になっている部分も多そうです。基幹ビートに対する“ヨレ方”の感覚/クセが全パートで共通しているからこそ大胆に揺らぐリズムアンサンブルを自然にまとめることができるというのはありそうです。

 こうした演奏感覚の味わい深さだけでなく、本作のリズム構造は楽譜的(記号的)にみても非常に興味深いものになっています。「How It Feels」と「How It Is」ではそれぞれ10拍・11拍でループする複合拍子的なフレーズが聴けますが、それらは予め変拍子にしようと考えて作られたものではなく、できたものを聴いて数えてみたらたまたまそういう拍構成になっていたのだといいます。先にコンセプトを設定してそこに縛られるのではなく各々のフレーズ(そしてそこに不可分に関わるコード進行)が自然に要求する形を描いていったらたまたま変拍子になったという成り立ちもあってか、イレギュラーなリズム展開にもかかわらずそこに聴きづらさとかひけらかし感のようなものは一切なく、余計なことを考えず聴き流せる居心地のよさすらあるのです。前者終盤の「10拍ループのトラックに4拍ループのボーカルリフがポリリズミックに絡む」パートや後者の基軸となる「11拍×3で1周するループフレーズ」はそうした感覚の賜物なのではないかと思います。こうした構造が先述のような演奏感覚のもとで具現化されることにより生まれるグルーヴは唯一無二。このような点においても非常に興味深い音楽です。

 

というふうに、Sen Morimotoの音楽はそのローファイな音像からは想像できないくらい高度で個性的な成り立ちをしているのですが、音楽から漂う雰囲気や人柄の表現といったことを併せて吟味すると、そうしたローファイな音像はむしろ必然的に選ばれたもの、この音楽の構成要素として必要不可欠なものなのではないかと思えてきます。たとえば、各所掲載のインタビューによると本作の歌詞は彼自身が抱える強迫観念や過去の精神的苦痛を扱ったものが多く、誰もが持つ普遍的な“不安”を創作のインスピレーションとしつつそれを取り除くことにより得られる平穏さを求めているとのことなのですが、音楽だけ聴く分にはそういうストレスフルな印象が強く感じられる部分は殆どありません。フラストレーションを吐き出す歌詞を歌っていてもそういう印象が過剰に前面に出ない佇まいには、たとえばピーター・アイヴァースに代表されるアシッドフォークのミュージシャンによくある「世間の“普通”に馴染めない苛立ちを常に漂わせつつ、そういう自分を特に悲観せず受け入れ、くよくよせずに生きている」「ヒリヒリした焦燥感と深い落ち着きが違和感なく自然に両立されている」様子に通じるものがありますし、SLAPP HAPPYやHENRY COWといった欧州アヴァンポップ~レコメン系ミュージシャンの偏屈ながら親しみやすい雰囲気を想起させる面もあります。先述のような音楽性の高度で衒いのない(徹底的に作りこんでいるけれどもそういうことをひけらかそうという気配が一切ない)感じはこうした偉大なる先駆者に並び立つものがありますし、奇妙な引っ掛かり(コード進行や変拍子など)を配置しつつ全体としては極めて滑らかに流れていく構成は「ヒリヒリした焦燥感と深い落ち着きが違和感なく自然に両立される」様子を饒舌に示すものでもある。そうした在り方とこういうローファイな(その実とてもよく作りこまれた)音像は非常に相性が良いと思うのです。各曲に印象的な見せ場が用意されている一方でアルバム全体としては大きな浮き沈みがなく、明確な展開を生みながらも聴き手の感情を過剰に揺さぶるようなところがない。これは、聴き手を快適に浸らせるための巧みなプレゼンテーションでもありますが、それ以上に作り手自身がそういう居心地を求めた結果生まれたものなのではないかと思います。LPサイズだからこそのゆったりした構成(前2作の短~中距離走的なつくりに比べ明らかに長距離走的なペース配分/テンションコントロール/時間感覚が想定されている)もそうした居心地に大きく貢献しています。本当によくできた作品です。

 

  以上のように、Sen Morimoto初のLPサイズ作である本作『Cannonball!』は、「宅録マルチプレイヤーによるジャジーヒップホップの変種」といった枠に留まらない音楽で、現代ジャズやアシッドフォークなど様々な方面から注目されるべき内容をもつ大傑作なのではないかと思います。個人的には「Mat/Morganとピーター・アイヴァースを混ぜて落ち着かせた」ようなものとして接している面もあり、勢いはあるけれども肩の力を抜いて浸れるものとして大変重宝しています。ジェイコブ・コリアーやディグス・デューク、WONKやANIMALS AS LEADERSといったものを好む人にもアピールしうる魅力がありますし、今年のサマーソニック&単独公演で一気に注目される可能性も高いのでは。ぜひ聴いてみてほしいです。

 

 

ちなみに、アルバムカバーは絵ではなく、Pete Drake(ピート・ドライク)のビデオに想を得て作ったジオラマを撮影したものだということです。

(下記Interview Magazine掲載インタビューに詳細あり)

 

 

 

 

 

〈参考資料〉

Bandcamp Daily掲載インタビュー 2018.6.6

https://daily.bandcamp.com/2018/06/06/sen-morimoto-cannonball-interview/

Consequence of Sound掲載の各曲コメント

https://consequenceofsound.net/2018/05/sen-morimoto-cannonball-track-by-track-stream/

Interview Magazine掲載インタビュー 2018.4.26

https://www.interviewmagazine.com/music/chicago-jazz-rapper-sen-morimoto-shows-us-camera-roll

Chicago Tribune掲載インタビュー 2017.9.20

http://www.chicagotribune.com/entertainment/music/ct-ott-chicago-music-local-sounds-0922-story.html

FADER掲載インタビュー 2018.3.27

http://www.thefader.com/2018/03/27/sen-morimoto-people-watching-premiere

 

FNMNL掲載インタビュー(日本語)2018.8.13

http://fnmnl.tv/2018/08/13/57765

 上の記事では一切触れられていなかった(短評を書いた時点では参照できなかった)具体的な影響源がたくさん載っていて非常に参考になります。

Outkast(特に『Stankonia』)、Kanye West、Odd Futureレーベル所属アーティスト、Lil Wayne、Black Hippy(初期)、Stevie Wonder(特に『Music of My Mind』)、SLY & THE FAMILY STONE(『Fresh』)、Wilco(『Yankee Hotel Foxtrot』)、Sun Ra(『The Antique Blacks』)など

 

Spincoaster掲載インタビュー(日本語)2018.8.15

https://spincoaster.com/interview-sen-morimoto

Rolling Stone Japan掲載インタビュー(日本語)2019.1.8

https://rollingstonejapan.com/articles/detail/29751

 


第9位:折坂悠太『平成』

 

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世界各地の民族音楽要素を併用統合し新しい日本語のポップスを生み出した、という評価をされ各メディアの年間ベストでも上位入りしている(『ミュージック・マガジン』日本のロック部門1位など)アルバムで、確かにそういう要素もあるのだけれども、個人的にはミルトン・ナシメントらの『街角クラブ』やTHE BAND『Music from Big Pink』に並ぶバンド表現の妙味が収められた一枚だという捉え方をしている。とにかく曲が良いしそれと同じくらい演奏が素晴らしい。弾き語りライヴを観て「遠くへ呼びかける」タイプの民謡発声をしているのに接したことも理解を深めてくれたように思います。時代を超えた名盤として語り継がれるだろう大傑作。

 


参考:神戸・湊川神社 神能殿でのライヴレポ

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1076743534135263232?s=21

 

 

 

第8位:Louis Cole『Time』

 

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THE BEACH BOYSとJacob Collierの間にあるような複雑で親しみやすい和声+よく動くのに徹底的にキャッチーな歌メロという配合が極上で、ポップソングとしての粒立ちは全曲最高レベル。しかも演奏が素晴らしい(この人は超一流のドラマーだけどシンセベースなどもたまらなく良い)。すさまじいテンションと底抜けの脱力感が独特のユーモア感覚のもと自然に統合されているような音楽。もちろんライヴも最高でした。

 


参考:京都公演のライヴレポ(動画あり)

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1073512235564060672?s=21

 

 

 

第7位:Dan Weiss『Starebaby』

 

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ジャズドラマーのソロアルバムなのだが、MAGMA やKING CRIMSONのようなスタイルをアヴァンギャルドメタル(最近のGORGUTSやCONFESSORなど:実際に影響を受けている模様)の語法を用いて別方向から発明したような音楽性で、複雑なリズム構成を気にさせず浸らせる蠱惑的な雰囲気がたまらない。アンダーグラウンドな領域におけるジャズとメタルの交流を示すものとして人脈的にも非常に興味深い一枚。素敵な謎に満ちた大傑作です。

 


参考:

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1000721515795496962?s=21

 

 

 

第6位:三浦大知『球体』

 

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avex方面のクラブミュージック寄りポップスが音楽的進化を極めた結果アンビエントR&Bの超一流を追い越したような内容で、76分の長尺を全く飽きさせずちょうどいい塩梅で浸らせる構成力が素晴らしすぎる。J-POPの語法を用いないと作れない類の純文学的作品でボーカルもトラックも最高の仕上がり。邦楽洋楽問わず今年を代表すべき大傑作だと思います。

 


詳しくはこちら

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1017437974064058370?s=21

参考:ライヴレポ

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1064490800136896512?s=21

 

 

 

第5位:VOÏVOD『The Wake』

 

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35年に渡るバンド活動における新たなる最高傑作の一つにしてヘヴィメタル/ハードロック史上の歴史的名盤と言えるレベルの大傑作。VOIVODの過去作といわゆるプログレッシヴデスメタル(ギターのダニエルがMARTYRなどの活動で培った要素)の豊かな成果を接続し徹底的に聴きやすく仕上げた作編曲はもちろん、メタル/ハードコアパンク/プログレッシヴロック/ニューウェーヴなど様々なジャンルのグルーヴ語法を自然に融合させたアンサンブル表現力が素晴らしすぎる。メタルを好まない人にも聴いてみてほしいアルバムです。

 


参考:

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1049212459481878529?s=21

 

 

 

第4位:BUCK-TICK『No.0』

 

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世界屈指のミクスチャーバンドが活動30年目にして生み出した新たなる最高傑作の一つ。このバンドの「同じ料理人が全く違うジャンルの料理を素晴らしい完成度で出す」(アルバム毎に全く異なるタイプの傑作を生み出す)やり方が理想的なかたちで成功している大傑作で、作編曲も演奏も音作りも彼らにしかできない旨みに満ちている。ライヴも素晴らしく、今がベストの状態にあると言っていいのだと思います。

 


参考:

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/973635210855170048?s=21

 

 

 

第3位:Antonio Loureiro『Livre』

 

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ブラジルのドラマー/シンガーソングライターとのことですが、音遣いにはそういう傾向はあまりなく、アラン・ホールズワースからカート・ローゼンウィンケルあたりに至る現代ジャズ(特にギター方面)やMESHUGGAHのような浮遊感溢れるコード感覚がミナスサウンドのそれと絶妙な融合をみせている。ブラジル音楽を好む人からするとむしろ微妙なのかもしれませんが個人的には好みど真ん中の音。作編曲も演奏も音作りも素晴らしくアルバム全体の流れまとまりも文句なし。何度でも飽きずに聴けてしまう大傑作です。

 


参考:

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1055457447240851458?s=21

 

 

 

第2位:KIRINJI『愛をあるだけ、すべて』

 

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日本を代表するポップミュージックバンドの3rdフルアルバム(前身のキリンジ時代から数えれば13th)。近年の優れたポップスに張り合おうとする試みが音楽的ブレイクスルーをもたらした一枚で、ダンスミュージックやヒップホップのループするノリと歌謡曲~J-POPならではの雄弁なメロディ展開が絶妙に両立されています。歌メロが非常によく立っているのにどれだけ繰り返し聴いてもモタレないバランスは奇跡的で、心技体すべてが充実したベテランが最新のトレンドに完全対応することで初めて到達できる境地という点では世界的にも稀な作品かも。個人的には彼らの最高傑作だと思います。広く聴かれてほしい素晴らしいアルバムです。

 

各媒体のインタビュー(この短評の最後に記事へのリンクをまとめています)によると、KIRINJIのリーダー堀込高樹がこのような作風を志した背景には「いま世の中にはこういう音楽が溢れていて日本のシーンはこんな感じ。そこに対し自分たちはどういう音楽を投げかけるか」という考えがあったようです。

この「渡辺志保と宇多丸 ポップスター・ドレイクを語る」

https://miyearnzzlabo.com/archives/52145

というラジオ書き起こし記事でも触れられているように、ここ数年のアメリカのポップチャートはヒップホップやダンスミュージック系統の音楽に席巻されており、しかも売れているものほど音楽的に強力で興味深いという状況が続いています。そのような状況に対し「ポップミュージックだからその時(今の時代)に聴けないとダメだと思う。10年後に良いと言われるのもダメだし、10年前の音楽だと思われるのもダメだし。世の中のいろんな音楽の中で埋没したくもないし遅れをとりたくない」「最近のポップスはほとんどがダンスミュージックかヒップホップの影響下にあるかそれ自体で、そういう中に放り込んだときに〈ゆるい〉とか〈なごむ〉とか思われたくなかった」と考え、その一方でそうした音楽を純粋に好きになり刺激を受けたことが本作におけるスタイル転換につながっているようです。

「ここ数年で音楽の聴かれ方やポップスの成り立ち方もずいぶん変わった。ヒップホップやダンスミュージックを基調とした今のポップスはどれもワンアイデアを広げていくスタイルで、〈イントロです、Aメロです、はい、サビきましたよ!〉という感じではない。同じようなテンションのまま自然にサビへ移るみたいな。なので、自分が慣れ親しんできた〈A→B→C〉みたいな作曲スタイルを生演奏で普通にやったらとてつもなく懐かしい感じのものになってしまう。そのカビ臭さはどうにかしなくちゃならない。だから、ループを軸としたポップスと並べても違和感のない音作りにしたいし、なおかつJ-POPの〈A→B→C〉構成をうまい具合に両立できないかなというのはずっと考えている」

「ダンスミュージックやヒップホップに通じる音楽性に取り組んだのはただ〈トレンドだから〉というよりもそういう音楽を自分が好きになったことが大きい気がする。最近の音楽は未知のものだし〈なんだこれ?〉と驚かされることも多い。そこからヒントを得られることもあるし、新しい音楽を作るための発奮材料になる。ただ、新しい音楽に刺激を受けて曲を作っても、これまで積み上げてきたクセみたいなのもあるし、絶対に同じような感じにはならない。製作中にエンジニアと話していた『Funk Wav Bounces, Vol.1』(カルヴィン・ハリスの2017年作)なんかは、ダンスミュージックだけどポップスでもありラップも入っていて、リスニングとしてちょうどよく聴いていてすごく心地いいし、いろんな要件をバランスよく満たしている。ファンキーでメロウだけど圧があって程よくアガる感じもある、ダンスアルバムとしてもリスニングアルバムとしても聴けてしかもあんまり湿っぽいところがない、というふうに。音はちゃんと立っているんだけれどもリラックスできる、ああいう聴かれ方ができる音楽がいいなということはぼんやり考えていた。感情は中年の気持ちで歌ってるけど音は最新、そのなかで自分のルーツが勝手に滲み出てきちゃうものが格好良いかなと思って作った」

といった発言は先述のような姿勢をよく表しています。

このような姿勢はキリンジ(高樹・泰行の兄弟ユニット)からKIRINJI(泰行脱退を経てのバンド編成)になったことで生まれたものでもあるようです。

キリンジの頃は、過去の自分よりも良い曲を書きたいという〈自分との戦い〉だけだったのだが、ユニットからバンドになって〈次に何をするか?〉を常に考えなければならなくなり、〈世間〉に対しどう対峙するかを意識するようになった。曲を次々に書けるようになったのもバンドになって可能性が広がったからだと思われる(バンドというひとつの〈社会〉を作ったからこそ外の〈社会〉と向き合うようになった)」

というように、同時代のシーンやトレンドを観察しそれに対応する必要性に迫られたことでそれまで試してこなかった手法を積極的に採用するようになった。そうした方向転換が結果的に本来の持ち味を最も効果的に活かすことになり最高の成果をもたらしたのが本作『愛をあるだけ、すべて』なのだと思われます。

 

本作のこのような方向性が具体的に定まったのはアルバム製作開始前に準備できていた唯一の曲「時間がない」のレコーディング中だったといいます。

「打ち込みでバキバキにしすぎるのもあんまりなので、楠均(ドラムス)が踏んだキックをサンプリングし、それを均等かつジャストに貼っていった上で(タイミングも音色も均一になる)、それに合わせてハットとスネアを叩くことにより、マシーンっぽい音と生音(人間的なグルーヴ)を両立させた」

という手法は

「前作『ネオ』でもバンド演奏とエレクトロニクスの融合に手応えを感じてはいたがまだ生々しさがある気がした。RHYMESTERとの共演曲「The Great Journey」もKIRINJIなりにガツンといけた感じはあったが、それでも生演奏っていう感じではあるから、ダンスミュージックのトラックに比べると若干いなたく感じるときがあって、今回はそれを解消したいという気持ちがあった」

「〈機械に聞こえる、でもこれはやっぱり生だよね〉というところに落とし込みたかった」

という意図から導き出されたもので、ヒップホップ~ダンスミュージック的な硬く逞しいビート感覚と生演奏ならではの表情豊かなダイナミズムがうまく両立されています。

この曲で試された

「生のドラムでシンバルを叩くとハットやスネアなど他のマイクに音が全部かぶってしまい、どうしてもライヴ感が出て密閉感が損なわれてしまう。なので今回はシンバルだけ別に録るようにした」

「KIRINJIの場合いつもはサビではコーラスを入れてボーカルをダブルにしてみたいなアプローチが多いのだが、それだと70年代後半のニューミュージックみたいなコーラスサウンドになってしまい古臭く聴こえる。なので今回それは抑え、エフェクトで作るコーラスを採用した。複数の人の声が入るとどうしても緊密な感じがなくなりふわっとしてしまう(それぞれの歌い方をしているからバラける)ので、それを避けるために堀込単独コーラスをもとにデジタルでコーラスを作った」(Bon Iver作品におけるデジタルクワイアの使い方に少なからずインスパイアされたとのこと)

といったレコーディング手法や

「今このタイミングでこういう曲調をA・B・Cと展開する起承転結のあるポップス形式で作るとなんかダサいので、〈Aメロと同じシンセのフレーズを弾いてベースラインだけ変えることでサビとして機能するようにした〉Aメロ・Bメロのみの構成にし、ポップスとしても聴けるけど構造はダンスミュージック的、というバランス感覚を意識した」

というふうな作編曲スタイルは一定の成果を挙げ、他の曲でも様々なやり方で採用されていくことになります。

「After The Party」ではドラムスを打ち込みでスクエアに貼ったところにベースやギターがずらした演奏を乗せるネオソウル~現行ジャズ的なアンサンブル表現を試み、The Weekndを意識しつつだいぶ異なるかたちに仕上げた「新緑の巨人」では、録音したキックをサビで均一に貼りなおす一方でその前のパートではポストロックっぽい不均一な生ドラムを採用し両者をミックス段階で自然に繋げる。本作収録曲のテンポは最近のダンスミュージックやヒップホップと同程度(BPM100付近)のものが多く、アルバム通して大きな変化を生まない構成になっているのですが、上記のようにして全曲異なるグルーヴ作りがなされているため、全体としてのまとまりと微細な変化が絶妙に両立され続けます。大枠としての方向性を絞りつつそのなかで多彩な試みをすることにより統一感と表情の豊かさが両方得られる。本作のこのような持ち味は〈ループ中心の曲でもベースを細かく変化させるなど、どうしても曲を構成したくなってしまう〉嗜好の持ち主が〈同じようなテンションのまま自然にサビへ移る〉ダンスミュージック寄りポップスを志向したからこそ生まれたのだと思われます。

 

そして、上記の〈統一感と表情の豊かさが両立される〉持ち味はメロディやハーモニーといった音遣いの面でもバランスよく貫かれています。キリンジ~KIRINJIがこれまで作り続けてきた高度なポップスでは独特のブルース感覚からくる引っ掛かりを保ちつつ〈よく動くリードメロディを作る〉ことが特に重視されていましたが、〈同じようなテンションのまま自然にサビへ移る〉ループものを意識した本作ではそうしたメロディの動きが必要最小限に抑えられています。その結果、リードメロディを肉付けするコードの種類もほどよく絞られ、起伏の幅を増やしすぎないまとまりある構成を生むことができているのです。また、その限られたリードメロディも複雑なコード進行を自在に操るこのバンドならではの捻りが効いたものばかりで、ループものを意識したからといって固有の持ち味は少しも減じられていません。多くのダンスミュージック~ヒップホップがリフ(繰り返すフレーズ)の上で短く単純な歌メロを反復する構造から脱却できないのに対し、KIRINJIの場合は歌謡曲~J-POP的なよく動く歌メロをフュージョン~ブラジル音楽に通じる高度なコードワークで彩る技術を磨いた上でループものにアプローチしてきたということもあって、ループ構成のなかでも“リフ一発”の反復スタイルに比べ使える音遣いの種類が段違いに多くなります。その結果、メロディやハーモニーの面でも高次元で〈統一感と表情の豊かさを両立する〉ことが可能になるわけです。

このような成り立ちをした本作の音楽性はアメリカからは絶対に出てこないタイプのもので、実は近年のR&Bやヒップホップにそこまで影響を受けていない(作風の面で参照してはいるがルーツの一部である60~70年代のソウルミュージックなどと比べると血肉化されていない)のではないかということも考えると世界的にみても意外とありそうでないスタイルであるように思われます。

 

本作がなにより素晴らしいのは、以上のような作風がキリンジ~KIRINJIの過去作にはありえなかったタイプの〈アルバム一枚としての流れまとまりの良さ〉をもたらしていることです。

キリンジ期は異なる音楽的嗜好をもつ2人のソングライター

http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2017/07/02/004839 参照)

が個別に曲を書き、それを並べた結果たまたま一枚のアルバムができるという製作体制になっていたため、アルバム全体の設計(音楽的方向性や流れの構成)をあらかじめ考慮し意識的に固めることはできていない印象がありました。どの作品も結果的に非常にまとまりよく仕上がってはいるものの、いろんな曲調が無節操に並べられ、それらの“語り口”や“時間感覚”が微妙に異なるために、曲間の繋がりは滑らかでもアルバム全体としての起伏は多くなりすぎるというか。そういう起伏の多さを物語的な流れまとまりにつなげることができた最大の成功例が『BUOYANCY』(8th、2010年)であり、逆にいまひとつパッとしない印象を生んでしまったのが泰行脱退宣言の直後に発表された『SUPER VIEW』(9th、2012年)だったように思います。もちろん起伏が多いからこそ生まれる良さもありますし、その起伏のかたちがアルバムによって大きく異なるのもキリンジ作品の得難い魅力になっていました。ただ、このような〈一枚全体の流れにおける引っ掛かり〉が良い意味・悪い意味両方での負荷となるために気軽に続けてリピートすることが容易でなくなっていた面もあったように思います。

これに対し、KIRINJI期になってからは5~6人の正メンバー全員がアレンジに関わるとはいえメインソングライターは高樹ひとりであり、アルバム全体の方向性をかなりはっきり統一することができます。特に本作の製作時においては

「KIRINJIを始めたばかりの頃はメンバー各自の引き出しをとにかく全部開けていたが(カントリー、ニューウェーブ、クラシカルなものなど)、メンバーの個性がわかってくるにつれて〈この引き出しは必要ない、開けなくていい〉ということがわかってきた」

という認識ができており、収録曲の音楽性を過剰に多彩にするのを避ける傾向がありました。こうした姿勢のもとで先述のような〈統一感と表情の豊かさが両立される〉ループものを志向した本作は、キリンジ~KIRINJI全期を通してほとんど初めて明確なコンセプトのもとで製作された作品であり、全曲の“語り口のペース”や“時間感覚”が似ています。そうした曲のみが並ぶことにより、同じようなテンションを保ちながら必要最小限のほどよい起伏を描いていく流れが生まれる。つまり、リズム・グルーヴやメロディ・ハーモニーだけでなくアルバム全体の構成においても〈統一感と表情の豊かさが両立されている〉わけです。本作の曲順決めには製作スケジュールの関係もあって9曲中8曲を作曲した堀込高樹はほとんど関与していない(田村玄一(ペダルスティール・スティールパン)を中心にメンバーとスタッフが決定した)のですが、一枚通して淀みなく流れ最後から最初にも滑らかに繋がる完璧な構成ができています。自分はこれほどメロディアスなリードパートをもつ音楽はそこまでしつこく聴き続けられないタイプなのですが、本作は発売日(2018.6.13)から約2ヵ月半で100回以上聴き通せてしまえています。過剰な起伏を生まず、聴き流しても聴き込んでも楽しめる。これはキリンジ~KIRINJIの過去作には(少なくともこれほどのレベルでは)ありえなかったことで、〈ベテランが流行に張り合おうとして初めて試みたスタイルが素晴らしい新境地を切り拓いた〉最高の好例と言えるのではないかと思います。

 

興味深いのは、このような〈何度でも快適に聴き通せるし聴きたくなる〉アルバムの仕上がりがサブスクリプションサービス全盛の現況に完璧に対応していることです。

SpotifyApple Musicといったサブスクリプション(モノの利用権を借り利用した期間に応じて料金を支払う方式)サービスでは本作も含めほとんどの新譜がフィジカル(CDやLPといった“現物を手元に置ける”商品)の発売と同時にフルでストリーミング配信され、月額¥1000程度であらゆる音源が聴き放題になります。そうした配信に用いられる圧縮音源の音質はCDと比べれば良くなく(Spotify有料会員の320kbpsが上限)、より良い音質を求めるのならCDを買う価値はありますが、音楽の再生環境にこだわりを持たずPCのスピーカーやiPhone付属のイヤホン以外では聴かないという人はストリーミングの圧縮音源でも気にしないことが多く、“現物を手元に置く”ことに思い入れがなければ音源を買う必要がなくなります。このようなサービスやYouTubeの普及によりほとんどの新譜を〈買わずに聴く〉ことができるようになった結果、中身を十分に聴かせずに音源を“売り切る”ことが非常に難しくなりました。CDの売り上げがどんどん落ちている背景にはこうした現況も大きく関係しているのではないかと思われます。

ただ、こうした現況が音楽文化に対し悪影響を与えているかというとそうとも言い切れないのが面白いところです。サブスクリプションサービスやYouTubeでは配信音源の再生回数に応じてその製作者に料金が支払われるため(前者の支払いレートは後者の10倍程度)、そこから高い収入を得るためには〈一聴して耳を惹く〉上に〈繰り返し聴きたくなりしかも聴き飽きにくい〉音源を作らなければなりません。つまり、〈即効性〉と〈耐聴性〉を両立した魅力的な音源作り(MVとして配信する場合は動画も)が必要になるわけです。優れたプレゼンテーション能力(わかりやすく印象的なメロディや巧みな楽曲構成など)または圧倒的にうまい(上手い=テクニカルな、もしくは旨い=個性的な)演奏があれば即効性が得られますし、安易に“解決”しない音進行(ループ構成はその最たるもの)や深い没入感を与える音響があれば耐聴性が得られます。このような要素を備えた“普通に高品質”な作品が求められる今の音楽市場は〈耐聴性〉に乏しい音源が乱発された90年代のCDバブル期などに比べればかなり健全だという気がしますし、ここ数年のアメリカの〈売れているものほど音楽的に強力で興味深い〉状況にはこうした事情も少なからず関係しているのではないかと思われます。

KIRINJIの本作『愛をあるだけ、すべて』に話を戻すと、全曲の歌メロが印象的な上に〈統一感と表情の豊かさを両立する〉〈何度でも快適に聴き通せるし聴きたくなる〉つくりにもなっている本作は、曲単位でみてもアルバム単位でみても〈即効性〉と〈耐聴性〉を稀にみるレベルで兼ね備えています。“歌モノ”出身だからこそ作れるタイプのループミュージックというスタイルが音楽的達成だけでなく音楽市場での対応力獲得にもつながっている。自分は配信開始日にApple Musicで5回聴き通した上でCDを買いましたし、似たような経緯でハマった人も少なからずいるのでは。あらゆる面でうまくいった大傑作なのだと思います。

 

それにしても本当に特別な雰囲気を持ったアルバムです。例えば「新緑の巨人」。毎年〈新緑〉が芽吹く3~4月頃に心身の調子が悪くなるという堀込高樹がそうした気分からの解放を願う曲なのですが、メランコリックで哀しげなサビでも元ネタであるThe Weekndほどストレートに絶望一直線にはならず、うつむき気味ながら涼やかな佇まいで“想いが重い”感じを回避することができています。頑張れない人特有の反省と決意を描いたという「明日こそは/It`s not over yet」も見事で、深い倦怠感を滲ませつつカラ元気を捨てない様子を“控えめだけどパワフル”に示すアンサンブルは若手のバンドには難しいのではないかと思われます。これは堀込高樹の〈シニカルだけど嫌味にならない〉柔らかい歌声があってこそ可能になる表現ですし(よりシニカル度の高い堀込泰行込みの編成ではこの味は出ない)、低域を強く意識したというわりには押し出しが控えめなサウンドプロダクションもこうした絶妙なバランスに大きく貢献しています。そして極めつけはアルバム最後を飾る「silver girl」。ガールフレンドの頭に白髪があるのを見つけたポール・サイモンが「君は“silver girl”だね」と言った話からヒントを得て生まれたという歌詞〈黒髪の中に ひとすじ 銀色の細いリボンが光る〉が南米の黄昏を仄かに漂わせる物哀しいコード進行の下で柔らかく歌われ、それをスティールパンの淡く輝く音色が彩る。インスパイア元であるドレイク「Passionfruit」を上回る、マイケル・ジャクソン「The Lady In My Life」にも並びうるメロウなソウルの名曲だと思います。以上のような絶妙な〈力加減〉〈距離感〉の表現は50歳を目前にした成熟したミュージシャンだからこそ可能になるものでしょうし、その上で全く老け込んでいない瑞々しい雰囲気は、本人は「いい加減〈エバーグリーン〉とか言われたくないんです(笑)」と言っていますが、やはりその言葉が相応しい(そういう意味においては岡村靖幸にも通じる)のではないかと思います。心技体すべてが充実したベテランが最新のトレンドに完全対応することで初めて到達できた大傑作。広く聴かれてほしい素晴らしいアルバムです。

 

 

 

 

 


という感じで、作品評としては上半期ベスト記事で書いた以上のところまででだいたいまとまっているのでないかと思うのですが、個人的にはビートの掴み方・ノリ方について徹底的に考えさせられたアルバムでもあり、その点において独特の思い入れのある作品になりました。

 


詳しくはこちら

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1043093113764380672?s=21

 

本作は、飄々とした佇まいや力押ししないゆるい雰囲気に反してリズムアンサンブルの掴みにくさに関しては一般的な(若い)ビートミュージックよりもかなりシビアで尖っている部分が多いです。非常に快適に聞き流すことができる一方で、演奏をうまく吟味しグルーヴのかたちを正確に掴むにはかなりの集中力が必要になる。それがうまくいった時は比類なき珍味を楽しむことができるのですが、取り組み方が中途半端だと十分にノリきれずにやきもきさせられてしまうという感じです。

ただ、そういう神経質なまでにタイトなアンサンブル

(バスドラとベースの絡みが極限までシェイプアップされている一方で、直接そこを観察するのではなく、ハイハットの刻みやボーカルなどリード的なパートを「フレーズの全体像を把握すべく一音一音繋げて聴き通す」ようにしさらに「複数のパートについて同時進行でそれをやった上でそれらを絡めて聴き取る」ようにしないとグルーヴを適切なポジションで観測できず、バスドラとベースの絡み方も正確に捉えられない)

を様々なかたちでやり通している一方で、全体の印象はきわめて軽やかで、このような聴き方に必要な集中力を要求する様子が全くないのです。STEELY DANのアルバムなどではそういうことをそれとなく(しかしはっきりと)要求する雰囲気があり長く聴いていると気疲れさせられるのに、KIRINJIの本作ではそういう雰囲気が全くない。敷居は高いけど間口は広い音楽で、BGMとして消費されることとコアな研究対象にされることの両方を許容するような懐の深さがある。自分は本作を年内に200回以上聴き通しましたが、それはそういう試行錯誤をさせつつ快適に聴き通させしかも飽きさせない構造があるからこそなのだと思います。個人的にはエクスキューズ抜きに持ち上げることはできませんが、これほど味わい深い腐れ縁的関係を築かせてくれるものも他にありません。こういうところまで含め稀有の大傑作なのだと思います。

 


 

 

 

 

〈参考資料〉

 

ナタリー

https://natalie.mu/music/pp/kirinji07

Veemob

http://veemob.jp/2018/06/11/6471-2/

Mikiki

http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/18152

http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/18387

リアルサウンド

http://realsound.jp/2018/06/post-204929.html

billboard JAPAN

http://www.billboard-japan.com/special/detail/2354

es

https://entertainmentstation.jp/234101

CINRA

https://www.cinra.net/interview/201806-kirinji

 

ビルボードカフェ&ダイニング」トークイベントレポート

http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/65069/2

 

堀込高樹×いつか「AIの逃避行」コラボ対談

https://qetic.jp/interview/kirinji_charisma-pickup/272525/2/

「Passionfruit」の影響を受けた曲

https://www.tbsradio.jp/267465

堀込高樹宇多丸 KIRINJI『silver girl』とDrake『Passionfruit』を語る

https://miyearnzzlabo.com/archives/50808

 

 

〔各曲について〕(上記インタビューのまとめ)

 

「明日こそは / It`s not over yet」

 

同じメロディを繰り返しているから、何かストーリーを組み立てるよりも、感情を乗せた言葉をひとつのフレーズで繰り返したほうが、よりグッとくるかなと思ってこうした。ループを踏まえた作曲スタイルの変化が作詞のあり方にも影響を及ぼした。

60年代後半~70年代頭のモータウンをもう少しダーティにして音圧を増やしたイメージ。曲調そのものは古いソウルを意識しているけど、低域の音をもっと強調している。ベースもDかCまで出していてダンスミュージックやヒップホップに合わせている。Eまでしか使っていないと〈おやっ?〉となるくらい腰高に聴こえてしまう。

SANABAGUN.高橋紘一(Tp)と谷本大河(Sax)はRHYMESTER主催フェス「人間交差点」の出演者つながりで、グループのなかで演奏している人ならではのノリ(セッションマンとしていろんな現場で演奏している人にはない)を求めて起用した。

 

「AIの逃避行」

 

生演奏は入っているが、リズムは4ツ打ちで、トリガーを使ってキックを均一なボリュームにしてみたり、ダンスミュージックに近づけるような音像をがんばって作ろうとした。

(アルバム製作開始に先行し2017年末に作られたこの曲において本作のループミュージック志向が既に明確になっていたという話に関連して)『DODECAGON』以前のキリンジはずっとシミュレーショニズム(大衆芸術のイメージをカットアップ/サンプリング/リミックスといった手法を用いて盗用する:既存のものをその印象を残しつつ繋ぎ合わせるやり方)で曲を作っていた。『DODECAGON』はそうでないものを目指し、それまでのキリンジとは別のイメージを備え付けるために、硬質で機械っぽい、いかにも打ち込み然としたサウンドを使った。それに比べ今回の場合は、現在の音楽シーンにどれくらい寄せていけるかという意識の方が強かった。

自分(堀込高樹)の中ではPREFAB SPROUTがダンスミュージックをやっているようなイメージ。

 

「非ゼロ和ゲーム」

 

映画『メッセージ』(原題Arrival)で知り興味をもち、このタームを解説する歌詞を書こうと考えた。

ループはRHYMESTER「Future Is Born」の雰囲気を意識して作った。

キックサンプリング手法(下記)を用いている。

 

「時間がない」

 

アルバム製作が本格的に始まる前にあった3月のBillboard Liveの時点では「AIの逃避行」(2017年末発表)を除きこの曲しかできていなかった。レコーディングに突入してこの曲を録音しているときに全体のアプローチが定まった気がした。

浦本雅史のミックス(サカナクションAwesome City Club、DAOKOなどで生のドラムサウンドとエレクトロニクスをうまく混ぜなおかつ現代的なミックスをしていたのをみて採用)によりドラムスとベースがバチッとくる感じに仕上がった。堀込が自分でミックスするとストリングスやキーボードを高い音で入れてウワモノでにぎやかしを作してしまいがち。それと比べると歌の聞こえ方が全然違って新鮮だった。

普通にやったらボズ・スキャッグス「Lowdown」みたなパターンで、ただのAOR好きおじさんがやってるなって感じになっちゃうので、下記のキックサンプリング手法を試した。

打ち込みでバキバキにしすぎるのもあんまりなので、楠均(ドラムス)が踏んだキックをサンプリングし、それを均等かつジャストに貼っていった上で(タイミングも音色も均一になる)、それに合わせてハットとスネアを叩く、という手法により、マシーンっぽい音と生音(人間的なグルーヴ)を両立させた。結果的に、いつものKIRINJIっぽさを残しつつ新鮮なものに仕上げられたと思っている。これで手応えを得て「非ゼロ和ゲーム」も同じ手法で作った。

曲の構造はA・B・Cと展開する起承転結のあるポップスとは異なる。今このタイミングでこういう曲調をポップス的に展開する構造で作るとなんかダサい。ポップスとしても聴けるけど構造はダンスミュージック的、というバランス感覚は意識した。

AメロとBメロしかない。サビはAメロと同じシンセのフレーズを弾いてベースラインだけ変えることでサビとして機能するようにしている。

普通に弾くとどうしてもアーシーで土臭いニュアンスが出るペダルスティールを、ダンスミュージック的なサウンドの中でどんなアプローチで用いるべきか、というふうに考えながら(楽曲に合うプレイを意識しながら)弾いてくれている。

メインボーカル(堀込)をコピーしデジタル変調させてコーラスを作ったので細かいビブラートなどのタイミングがピッタリ合っている(→リズムのかみ合いもタイトになっている)。

 

「After The Party」

 

カチッとしたビートに対してそれぞれの演奏者が違う解釈のリズムを重ねていく構造(ヒップホップとかではよくある手法)を採用し、最近のジャズやR&Bがやっているリズムのよれた演奏の感じを出そうと試みた。ドラムを打ち込みでスクエアに貼ったうえにベースやギターをずらして演奏している。この手のサウンドはぼちぼちあるけど、ソウルフルな歌やラップが入っているものが大半で、弓木ボーカルみたいなのが乗っているものは珍しいんじゃないかと思う。ヨレ/タメがあり大人っぽいニュアンスがある歌メロなので最初は心配していたが、ソウルやジャズの感じもあるサウンドに女の子か少年かわからないようなかわいいボーカルが乗ることで特別な雰囲気の曲になった。

今回はバラードを入れたくなかったがミディアム~スロウな曲が1曲は欲しい、ということで書いた曲。

 

「悪夢を見るチーズ」

 

全体的にポップな曲が多いからちょっと変な曲が欲しいなと思っていたところに千ヶ崎から送られてきた曲でまさしく渡りに船だった。

デモはドラムスとベースと仮歌だけのシンプルなもので、そこに堀込がブラジル音楽っぽい変わったハーモニーをつけた。歌詞もそういう曲調や千ヶ崎ボーカルに合わせた変なものにした。

 

「新緑の巨人」

 

もともとはThe Weekndみたいな曲にしようと思っていた。最終的に随分遠いところにいったが(どちらかといえばSimply Redみたいになった)、サビにはその名残りがある。

サビは録音したキックをスクエアに貼りなおしているが、その前段のパートはポストロックっぽい不均一な生ドラムを使っている。そこから均一なビートに自然に移行させるためにミックスで試行錯誤した。

堀込はここ数年〈新緑〉が芽吹く3~4月頃にいつも心身の調子が悪くなる。そういう春先のメランコリックな気分が夏が来ることで早く晴れないかなと考えて作った。

 

「ペーパープレーン」

 

普段どうしてもメロディ(リードとなる歌メロのことだと思われる)を中心にものを考えがちだけど、メロディがなくても音楽は成立するじゃないか、と考えて作った。

メロディと呼べるものはなくアルペジオとビートがあるだけのもので、それで聴ける限界として2分くらいの長さにした。

この曲に明快なメロディがついてしまうともしかしたら凄くつまらないものになってしまうような気がする。これにラップが乗っていたら面白かったなと思ったりもしている。

シンセのアルペジオだけをメンバーに送っていろいろ弾いて送り返してもらった。自分が思ってもみなかったアイデアが返ってくるおかげで曲として魅力的になった。

THUNDERCAT『Drunk』から影響を受けている。

 

「silver girl」

もともとハウスっぽい4ツ打ちを取り入れた割とクールな感じのサウンドだったのだがなんかパッとしなかった。それでどうしようかなと思っていたときに、Drake「Passionfruit」のリフと既にできていたメロディの相性がとてもいいことに気付いた。その上で「Passionfruit」のリフの音形を活かしてみた(リズムを引き継ぎつつ発展させてみた)ら良い感じに出来上がった。

一見ループの曲みたいだけどベースが細かく変わるなどいろいろ展開している。こういう〈どうしても曲を構成したくなってしまう〉やり方は今日的な観点でいうとダサいことなのかもしれないけど、それが自分の特徴でもあるわけだから仕方ない。そこをなくして本当にワンループの曲を作ってしまったらKIRINJIを聴いてきたファンも物足りなく感じるかもしれないし。ポップスや歌謡曲からの影響を殺すことなく今の感じにアップデートしようというのは心がけた。

構造としては「時間がない」と同じで、サビでスティールパンにものすごく長いリバーブをかけることでAメロがサビとして機能するようにしている。世界が変わるというか。

リズムはほとんど打ち込みだが、エレクトロニクスっぽい音色のなかに田村のスティールパンが入ると凄く生々しく感じるし、より存在感が引き立つ。

普通に歌ったデモは茫洋としたつまらない感じだったのだが、オートチューンをかけたらグッとカッコイイ曲に聴こえた。この曲に限らずBon Iverのボーカル処理(ボーカルのデジタルクワイアを中心に音作りをしていて生歌とエフェクター使用との境目が全然分からない箇所がとても多い)もそのままというわけではないが非常に参考にしている。

 

 

 

第1位:Jim O'Rourke『sleep like it's winter』

 

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アンビエント」を好まないオルークさんが「アンビエントを作ってくれ」という依頼を受けて生み出した44分21秒の1トラック。音色~音響のコントロール/構築精度、そして詩の「概念の輪郭線を描写することでそれに括られる抽象的イメージに読者の意識が仕向けられ括られる以前のニュアンスを吟味させる」感じの表現を音でやるようなところも含め、空前絶後の傑作と言っていいのでは。一生の友になりうる音楽だと思います。本作の習作的位置付けになったという Steamroom音源もあわせてじっくり吟味していきたいです。

 

 

 

参考:本作を再構成したライヴの体験記

https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1063701378701287430?s=21

参考:よろすずさん@yoroszによるSteamroom全作品レビュー

http://listening-log.hatenablog.com/entry/2018/12/01/183538