【2017年・年間ベストアルバム】(短評未完成)

【2017年・年間ベストアルバム】(短評未完成)

 

・2017年に発表されたアルバムの個人的ベスト20です。

 


・評価基準はこちらです。

http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2014/12/30/012322

個人的に特に「肌に合う」「繰り返し興味深く聴き込める」ものを優先して選んでいます。

 


・これはあくまで自分の考えなのですが、ひとさまに見せるべく公開するベスト記事では、あまり多くの作品を挙げるべきではないと思っています。自分がそういう記事を読む場合、30枚も50枚も(具体的な記述なしで)「順不同」で並べられてもどれに注目すればいいのか迷いますし、たとえ順位付けされていたとしても、そんなに多くの枚数に手を出すのも面倒ですから、せいぜい上位5~10枚くらいにしか目が留まりません。

(この場合でいえば「11~30位はそんなに面白くないんだな」と思ってしまうことさえあり得ます。)

たとえば一年に500枚くらい聴き通した上で「出色の作品30枚でその年を総括する」のならそれでもいいのですが、「自分はこんなに聴いている」という主張をしたいのならともかく、「どうしても聴いてほしい傑作をお知らせする」お薦め目的で書くならば、思い切って絞り込んだ少数精鋭を提示するほうが、読む側に伝わり印象に残りやすくなると思うのです。

以下の20枚は、そういう意図のもとで選ばれた傑作です。選ぶ方によっては「ベスト1」になる可能性も高いものばかりですし、機会があればぜひ聴いてみられることをお勧めいたします。もちろんここに入っていない傑作も多数存在します。他の方のベスト記事とあわせて参考にして頂けると幸いです。

 


・ランキングは暫定です。3週間ほどかけて細かく練りましたが、今後の聴き込み次第で入れ替わる可能性も高いです。

 

 


[年間Best20]

 

 

第20位:DIABLO  SWING ORCHESTRA『Pacifisticuffs』

 

f:id:meshupecialshi1:20180520234846j:image


スウェーデンの通称「アヴァンギャルドメタル」が5年ぶりに発表した4th。19世紀あたりのクラシック音楽や20世紀序盤のビッグバンドジャズを世界各地の歌謡曲と混ぜ合わせつつ独自の味わいに熟成するやり口が過去最高にうまくいった傑作で、一枚モノとしての流れまとまりの良さと容易に底をつかませない不思議な引っ掛かりが絶妙に両立されています。ついリピートしてしまうアルバムで、とりあえず20位ということにしましたが、今後の聴き込み次第ではもっと上位に食い込む可能性が高い気もします。

 


DIABLO SWING ORCHESTRAは「アヴァンギャルドメタル」と呼ばれ「奇怪で変態なセンスが凄い」的な扱われ方をすることが多いですが、その音楽性はべつにアヴァンギャルド(前衛的)ではありませんし、演奏面をみれば3rdアルバム以降は「スウィング」してさえいません。使われる和声はオールドスクールといってもいいくらいオーソドックスなものばかりですし(20世紀初頭以降の近現代クラシックや1960年代以降のモード/フリージャズあたりで用いられる複雑なコードは一切出てこない)、初期ドラマー(2ndアルバムの冒頭で「全ての打音の響きが美しく3連に割れている」完璧なひとりスウィングを提示)が抜けてからはスクエアな(3連感がない or 分割ビート感覚を“響きの処理”で提示できていない)ドラムスが全体のグルーヴ強度を損なう状態が続いていて、他のパートの完璧なリズム処理をいまいち活かせずにいます。2012年に発表された3rdアルバムはそうしたアンサンブルの関係性が最も悪い形で現れた作品で(録音に参加したドラマーはすぐに脱退)、作編曲の幅やポップソングとしての強度は前2作より大きく増したものの、先述のような演奏面に魅力を見出していたファンにとってはかなり厳しい内容になってしまっていました。本作(土台は2016年の7~10月に録音)の完成にかなりの時間がかかってしまったのはそういうアンサンブル構築に取り組まざるを得なかったせいもあるのではないかと思われます。邪推ですが。

 


このような「スクエアなドラムスが完璧にスウィングする他パートの足を引っ張る」傾向は本作でも散見されるのですが(1曲目のカントリー・パートにおけるベースが先導する最高のグルーヴなどに顕著)、その上でこれはこれでとてもうまくまとまっているのではないかという気もします。「歯車の目が微妙に粗く滑らかに噛み合いきらないながらも基幹ビートの流れは外さずしっかり寄り添う」感じのドラムスは作編曲の「歌謡曲的ないなたさ」をひきたて、ベースその他を土台として聴いたときには「滑らかに流れすぎないほどよい引っ掛かり」を感じさせてくれるのです。本作から交代した女声ボーカルも非常に良い味を出していて、エキセントリックで音程も微妙に雑だった(というかビブラートが雑で暴力的な印象を押し出していた)前任者とは異なるスムース&キュートな歌い回しで自然なまとまりの良さを高めています。そうした演奏により提示される作編曲は先述のような“歌謡曲を土台にしたクラシック/ジャズのミクスチュア”スタイルを唯一無二のかたちで完成させたもので、明晰で滑らかな構成力と何度聴いても底が知れない素敵な謎を見事に両立できています。気づいたら聴き通せてしまっていてその上で独特のもやもやした余韻が残り、それでいて不快なモタレ感などはない。非常に優れたアルバムなのではないかと思います。

 


かく言う私も、はじめはこのドラムスの(2ndまでと比べての)硬さが気に入らなくて「やっぱり戻しきれなかったか」「あまり積極的に聴き込まなくてもいいかな」と思ってしまったのですが、独特の引っ掛かりを保ちながら滑らかに流れていく聴き味についリピートさせられているうちに「これって意外と良いんじゃね?」と感じさせられ、気がついたらどんどん聴き込んでしまっている次第です。初期作を好む人やジャズファンなどにはクリーンヒットしない内容だと思いますが、わりとそちら寄りの自分でもじわじわ気に入りいつの間にかOKを出せていたりしますし、聴いてみる価値は結構高いのではないかと思います。

 

 

第19位:CIRCLE『Terminal』

 

f:id:meshupecialshi1:20180520234930j:image


フィンランドの自称“NWOFHM(New Wave of Finnish Heavy Metal”バンド(1991年結成)による33枚目のフルアルバム。一言でいえば「ULVERの1stとKYUSS的ストーナーロックを70年代後半~80年代のHR/HM(ハードロック/ヘヴィメタル)や初期のPINK FLOYD、70年付近のジャーマンロックなどのエッセンスをたっぷり染み込ませつつすっきりまとめた」感じの仕上がりで、驚異的に豊かな音楽性を滑らかな展開とともに呑み込ませる構成力が素晴らしい。聴きやすく聴き飽きにくい大傑作になっています。

 


CIRCLEは一応「メタル」を自称してはいるものの音楽性の幅は異常に広く、プレゼンテーションのスタイルはアルバム毎に大きく変わります。たとえば『Alotus』『Sunrise』はともに2002年発表ですが、前者が「初期ASH RA TEMPEL+HAWKWIND+ストーナーロック」(このバンドに大きな影響を受けたというORANSSI PAZUZUによく似ている)という感じなのに対し、後者は70年代後半のHR~80年代のHMを土台にした比較的ストレートなスタイル。2013年の『Incarnation』では、バンドは作編曲のみを担当し演奏を外部に委託する形で「INCARTATIONやBOLT THROWER、時にVENOM~BATHORYラインを連想させる個性的な音進行を、ANTEDILUVIANあたりに通じるブラッケンド・デスメタル的な音作りで仕上げた」感じの極悪エクストリームメタルを提示するも、翌2014年の『Leviatan』では、「ULVERの2ndとOPETH『Damnation』を混ぜ合わせたようなアコースティック形式のもと、Violeta Päivänkakkaraのようなフリーフォーク風味や、SOFT MACHINEに通じる欧州ジャズ的音遣い、Marcos Valleなどブラジルの高度なポップス(MPB)的な要素も巧みにちりばめる」感じのスタイルを示しています。様々なジャンルの美味しいところを理解し無節操に融合させてしまう音楽性はよくある「雑食」音楽など爪先にも及ばない深みと広がりを持っていて、いわゆるHR/HMのシーンから出発しながらもあらゆるものを取り込んでしまう(HR/HM的感性がなければ生まれないなんでもありスタイルの)素晴らしい作品を生み続けているのです。この点、WALTARIやMOTORPHYCHO、ULVERあたりにも通じる「シーン本流から遠いところにいるからこそ文脈を無視しあらゆるものをすんなり融合させられる」バンドの好例と言えるかもしれません。

(メタルシーンの奥深くで脱メタル的な探求をし続けているためシーン内からもシーン外からも注目されにくくなり十分な知名度を得られていない、というところも含め。)

そしてその実力は世界的にも超一流です。

 


本作『Terminal』はそうした広大な音楽性が可能な限りシンプルな構成のもと聴きやすく整理されたハードロックの大傑作で、OPETH『Heritage』をストレートに解きほぐし強化したような趣もあります。時にMANILLA ROADやDEATH SSのようなエピック/カルトメタル(NWOBHM的な艶やかなパワーコード感覚を土台に個性的な捻りを加える、メタルシーンからしか生まれない滋味に満ちたスタイル)を匂わせながらも全体の仕上がりはメジャー感十分。フィンランドの音楽特有の臭みをもつ歌謡曲感覚(日本の歌謡曲に通じつつ異なるタイプの出汁感覚)も鼻につきすぎない絶妙なバランスで料理されていて、異物感を至上の珍味として呑み込ませることができる作品になっています。一部のマニアックな(メタル外も含む)音楽メディアが年間ベストに取り上げているのも納得の仕上がり。入門編としても良い一枚です。

 

 

第18位:Minchanbaby『たぶん絶対』

 

f:id:meshupecialshi1:20180520235005j:image


〈メモ〉

 


デスメタルに通じるリズム構成、COILに通じる蠱惑的な雰囲気

柔らかく生温い危険さ

へらへらした鬱感

ふらふらした立ち姿から捨て身で襲いかかってくるような・キレたりはしなさそうだけどいつ刺してくるかわからないような(沈み込んだところで安定しながら力みなくギリギリ平静を保っているかのような)危うさに満ちている

筋力などに頼らない・こけおどし感がないからこその・病んだ体を抱え続けているのが普通になっているような恐ろしさに満ちている

 

 

 

第17位:Kurt Rosenwinkel『Caipi』

 

f:id:meshupecialshi1:20180520235036j:image


第16位:フィロソフィーのダンス『ザ・ファウンダー』

 

f:id:meshupecialshi1:20180520235121j:image


第15位:Calvin Harris『Funk Wav Bounces, Vol.1』

 

f:id:meshupecialshi1:20180520235156j:image


第14位:Jacob Collier『Pure Imagination』

 

f:id:meshupecialshi1:20180520235240j:image


第13位:gibkiy gibkiy gibkiy『in incontience』

 

f:id:meshupecialshi1:20180520235300j:image


いわゆる名古屋系周辺の達人集団による2ndフルアルバム。書き譜/即興の間を漂っていた1stに比べ緻密な構築傾向を強めた作品で、超強力な作編曲&演奏を楽しめる大傑作になっています。

 


これは個人的な話なのですが、HR/HMプログレッシヴロック方面から音楽を聴き始めた自分は「ヴィジュアル系」というものに微妙な偏見を持っていた期間が長くありました。見栄えや“世界観”作りにばかり気を遣っていて音楽的実力はそうでもない、特に演奏技術は貧しいものが多いのではないか、というふうに。これはメタル~プログレ方面の音楽メディアがそういう偏見(ある意味正しい面もある)を持ち読者にも積極的に伝えていたせいもあるのですが、それを鵜呑みにして自分の耳で触れようとしていなかったのも良くなかったと思います。ふとしたきっかけで聴いたcali≠gariの卓越した音楽性はこうした偏見を一気に崩してくれましたし(作編曲の素晴らしさはもちろん、超一流のベース、そしてこちら方面にありがちな“響きの浅さ”が全くない完璧な発声のボーカルが何より大きなインパクトを与えてくれた)、DEAD END~Morrieソロ~CREATURE CREATUREは、いわゆるプログレッシヴ・ブラックメタル(IHSAHNやENSLAVED)やMESHUGGAHに通じる薫り高い暗黒浮遊感(ゴシックロックとKING CRIMSONフュージョン的なアウト感覚を加えるとこういう音遣いが生まれるのでしょう)を独自のやり方で使いこなす高度かつ個性的なスタイルで大きな感銘を与えてくれました。そうした流れから今年初めてちゃんと触れたBUCK-TICKは20枚ものフルアルバムを全て異なる音楽性の傑作に仕上げる(ゴシックロック版BEATLESまたはROLLING STONESともいえる)超絶的な“バンド力”で本格的にハマらせてくれましたし、そうしたメジャーどころだけでなく、sukekiyoの新譜(「ARCTURUS(2nd)+中期OPETH+KATATONIA+UNEXPECT的なスタイルを強力な演奏で柔らかく仕上げる」ような感じ)をはじめ、ややアンダーグラウンドなところにも素晴らしいバンド/作品が数多く存在することがわかってきました。音楽メディアから“正当な評価”を得られていないだけで、実力・広がりともに他ジャンルと比べても何の遜色もない凄いシーンなのだということがやっと理解できましたし、今からでも積極的に掘っていきたいと思っています。

 


gibkiy gibkiy gibkiyのこの新譜はそうしたシーンの中でも出色の大傑作で、複雑で奇怪な音楽性を独特の親しみやすさとともに楽しめる内容になっています。VED BUENS ENDE~VIRUSやLENGSELといった(ノルウェーの初期ブラックメタル~激情ハードコアの中でも特にアヴァンギャルドで尖った)バンドの音遣いを別方面から独力で編み出したような音遣いは強力無比で、7・13・15といった複合拍子の嵐を自然に繋げキャッチーな引っ掛かりを生んでしまう構成力も素晴らしい。そうした作編曲をかたちにする演奏表現力も圧倒的で、ライヴの凄さはCYNICやDOOM(日本)のような超一流にも一歩もひけを取りません。ヴィジュアル系というもの一般に抵抗のある方が聴けば一撃で偏見を打ち砕かれるでしょうし、日本にいればこれほどのバンドのライヴを容易に観られるという現況も実に恵まれているのではないかと思います。機会があればぜひ体験してみてほしいバンドです。

 


7拍子と13拍子が交錯する展開から4拍子系の滑らかな終盤につながる構成が本当に素晴らしい。名曲です。

https://m.youtube.com/watch?v=i8HIpX-jEf0

 


第12位:jjj『Hikari』

 

f:id:meshupecialshi1:20180520235330j:image

 

〈メモ〉

 


ヒップホップの聴き方:ラップとトラックの結節点を見出して基幹ビートの流れをつかみ、そこからはみ出る出音は程よくいいかげんに受け容れる

 


PUBLIC ENEMYPete Rock & C.L. Smooth、A TRIBE CALLED QUESTあたりだけ聴きかじってハマれなかった経験

(サンプリングフレーズを無造作に並べたトラックは聴き手が意識的に基幹ビートを読み取りその繋がりを一曲を通して把握し続けなければうまくノルことができない:作り手自身はその流れを把握することができている(トラックの出音としては繋がりを作ることができきっていない・またはあえてそれを作っていない):その繋がりを解釈し示すのがラップで、そこを通してトラックを聴くことにより全体の流れが把握しやすくなる)

各パートの響きの干渉不足~パサつく音響:↓で書いたものをここで先に示す

 


D' Angeloや所謂新世代ジャズ

THA BLUE HERB

MASSIVE ATTACK

などとの比較

 


パート間の響きの干渉が少ない(もしくは全くない)隙間のある(ある意味デジタル的でもある)音響が、一定の基幹ビートの流れのもとに密着せず並列され、パサついた鳴りのもとまとめられている

このアルバムの場合は各パートがきっちり“小節線を越えて繋がる”(サンプリングフレーズをそれらの繋がりを考えず無造作に並べるというのではおそらくなく繋がりが客観的にしっかり感じ取れる)ように調整されているし、バスドラの一音一音が地面に食い込む引っ掛かりなど、各パートが基幹ビートによく絡みグルーヴするさまがはっきり描かれている

そうした“パート間の絡みは薄い”“パート単位の引っ掛かりは強い”2要素が絶妙なバランスで組み合わされ、スッキリ感と確かな手応えをトラック単体で(ラップを通さずに聴いてもよくわかる形で)表現することができている

 

 

 

第11位:Peter Hammill『From The Trees』

 

f:id:meshupecialshi1:20180520235425j:image


第10位:Phew『Voice Hardcore』

 

f:id:meshupecialshi1:20180520235446j:image


第9位:FLEURETY『The White Death』

 

f:id:meshupecialshi1:20180520235529j:image


第8位:Nina Becker『Acrílico』

 

f:id:meshupecialshi1:20180520235624j:image


第7位:米津玄師BOOTLEG』  

 

f:id:meshupecialshi1:20180520235700j:image

 

〈メモ〉

 

醒めてはいるが冷めてはいない

(シニカルだがクールではない)

沈み込みながら燃え上がる

(ブラックミュージックの感覚)

いわゆるシティポップをそのままやったりしていない

(系統的には近いものの外している・同じような参照元から独力で別物を作り得ている)

メロウでウェットだけどだらしなく泣き崩れない

 

ロマンティシズムとそれに溺れ切らない恥じらい(シャイさ・自嘲・自制(客観的視点)などの伴う美意識)

:「orion」などを〈アルバムの流れの中で〉聴くと(嫌味なく)そういう感覚が映えているのがわかる

 

日本のポップミュージックシーンにも定着したループミュージックから自然に反復感覚を得てきた面もある?

(アメリカのブラックミュージックもチェックしてはいるがそれらを受容する下地としても:アメリカのそれらがブルースの“濃い味”を減らしてきた傾向とあわせ“両側から近い所に到着した”というふうな流れもあるかも:その上でブルース側からはアプローチできない“滑らかな動きの方がベース”な仕上がり(特にリードフレーズのライン):こういう塩梅は成り立ちとしてある意味岡村靖幸あたりに通じるところもあるかも)

 

語数が多く滑らかに繋がるけれども“結節点”だけをみると結構粘っこい引っ掛かりがあるかもしれない歌メロ(クラシカルでブルージー?英国ロック的なものなどとは質が異なる)

(隣り合う白鍵を高速で渡っていく(半音進行の少ない)動きがメインなのに決して安易にドミナントモーションを起こさない(飛び石状の要石音程に装飾音を加えている」という解釈もできる?):これはバッキングのフレーズについても言える?フレーズ一つ一つの引っ掛かりは強くないのにそれぞれが“切れ込む”角度や絡み合う位置関係が独特なためか妙に個性的で美味しい手応えが生まれている:文節一つ一つはそこまで特殊ではないが“書き入れるポイント”に独特の冴え・センスが感じられる)

ロングトーンがやたら良い

 

BOOTLEG』とは『Rubber Soul』みたいなもの(“まがいもの”:自分なりのソウルミュージック:誤解と誤読を通して新たに独自のものを作ってしまう)

 

ワイルド&ジェントル(前者が勝つ)&朴訥:野生の狼(少し人馴れしてる)

感情が溢れ出るようなところでもこぼれきらない

(「テンションが上がるところもあるが上がりきらない/すぎない」その具合が独自のマナーで美しく完成されている)

非常に滑らかな輪郭を持っているんだけど線が荒そう・不器用そう(器用だけど不器用な感じも残って/伴っている)

ブルース~フィールドハウラー的なラフさと都会的な洗練や落ち着き(~気の小ささ?)が(部分的に完成された自信・誇り高さと)自然に併立されている:俯き気味で堂々とした“ロック”

 

フォーク寄り(そこまで近いわけでもない?)からアメリカの最近のブルース感覚への接近?

(音響やリズム/グルーヴのスタイルを参照してはいるが音遣い感覚はそこまで寄せていない?)

 

響きの素晴らしさ自体もたまらないが、個人的にはそれと同じくらい上記のような佇まい/雰囲気/テンションの在り方が心地よく思える:逞しいが決して暑苦しくならない、真摯でわざとらしさがなくそれでいてシリアスになりすぎない気安さが常にある(ツッコミどころのある親しみやすい美丈夫という感じ):そういう意味で「この声がなければ成立しない」音楽ではある(響きの魅力の面でもキャラクタの面でも)

 

「かいじゅうのマーチ」のような曲を少しもあざとくなく飄々と(リリカルでウェットだけどべたつかない感じで)歌える性格/バランス感覚/美意識が見事だし、楽器としての良さやそれをうまく扱う技術だけでなくこういう資質があり活かされているからこその歌と言える

 

Orion」:そういえばビョークVespertine』風?

 

 

こういう素晴らしい作品が人気のあるアーティストにより発表されてガンガン放送されるというのはとても良いことだと思う

 

「こんなふうに歌ったら聴き手によく刺さるだろう」というような“人目を伺う”感じが殆ど感じられない:自分の美意識に奉仕しひたすら自分を納得させようとした結果できるものを提示し得ている(無理に客に合わせようとしていない):それこそが最も“純度の高い”(聴き手にとっても美味しい)ものになるということをおそらく自覚している(または「それで売れ得た」という展開からそういうスタイルを貫くことができている):「わかりやすく泣き落とししてみせる」というような見せ方ではなく響きそのものの圧倒的な美味しさがキャッチーさの源になっている妙な雑味を加えない純度の高さ~深み奥行きとファーストインパクトの強さを両立することができている

 

ヒネているところはあるかもしれないが底抜けに素直で親しみ深い(音遣いや音響からくる感覚:例えばBUCK-TICKなどは“育ちが良いけど屈折している”感じがあり、それはこの音楽の佇まいとは異なっている:そういえばこういう“素直”な感じは(質は異なるものの)ブラックミュージックに通じるものでもあるかも)

口下手だけど気負いなく人懐っこい感じ

 

音楽的なバックグラウンドとか複雑な作り込み云々に興味がなくても楽しめる“(ほどよく)わかりやすくてキャッチー”な仕上がりが見事だし、その意味において“優れたポップミュージック”に最も必要な条件を見事に満たしている

 

LOSER

イアン(カーティス)

カート(コバーン)

 

砂の惑星

ボーイズドントクライ

 

 

 


第6位:Pierre Kwenders『MAKANDA at the End Space, the Beginning of Time』

 

f:id:meshupecialshi1:20180520235734j:image


第5位:MORBID ANGEL『Kingdoms Disdaned』

 

f:id:meshupecialshi1:20180520235807j:image


第4位:Jlin『Black Origami』

 

f:id:meshupecialshi1:20180520235846j:image


第3位:KING KRULE『The OOZ』

 

f:id:meshupecialshi1:20180520235922j:image


第2位:Hermeto Pascoal & Big Band『Natureza Universal』

 

f:id:meshupecialshi1:20180521000007j:image


第1位:ULVER『The Assassination of Julius Caesar』

 

f:id:meshupecialshi1:20180521000043j:image


〈メモ〉

 


・いつでも何度でも聴ける個人的相性の良さ

 


15枚目のフルアルバム。1993年のデビュー以来ロック周辺のあらゆる音楽を探求してきたバンドの一つの到達点で、膨大な情報量を手際よく整理しわかりやすく聴かせる“歌モノ”スタイルが最高の成果を挙げています。作編曲・音響構築・演奏表現いずれも完璧な仕上がりで、アルバム一枚単位での流れまとまりも素晴らしい。聴きやすく聴き飽きにくいポップミュージックの大傑作です。

 

 

 

歴史云々は別記事

http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/05/205455

に任せ、「個人的にはこのアルバムがULVERの全カタログをうまく吟味するためのマインドセットを導き立脚点になってくれた」というような“感覚面”から作品やバンドについて語る

:『Wars of The Roses』など発表当時はあまりピンとこなかった作品を「なるほどこう聴けばよかったのか」とうまく呑み込む手がかりを与えてくれた作品でもある

ニューウェーヴなど音楽的な構成要素そのものへの回路開発を導くこの作品の“一般的効用”、そうした要素を料理するこのバンドならではのやり方への慣れを生むきっかけ、「あまりシリアスすぎる捉え方をしなくていいんだ」という視角・前面に出ていなくて見えにくくなっていた雰囲気要素を発見させてくれる仕上がり)

「入門編」=単に口当たりが良く接しやすいというだけでなく“理解の糸口”を与えてくれるものとしての1stステップ

その大事さを改めて実感させられる

:「自分は咀嚼力があるから『これは渋めだけど大傑作で聴き込んでいくとここに行き着く』というのをいきなり聴いても大丈夫なはず」と思ってしまうことはよくあるけれども、結局のところ「入門編」から入った方がそういうものの理解もしやすくなるし、それが“最短距離”になるのではないかと思う

 

 

 

MESHUGGAHと同じくらい「どんな時にでも気軽に聴き通せ、ふと思い出して聴きたくなり、しかも全く聴き飽きない」という点において個人的に極めて稀なアルバム

 

 

 

アメリカやイギリスのビートミュージックより『E2-E4』あたりの方が確かに近い(質感や雰囲気からして)

 

 

 

同年末に発表された映画サウンドトラック『Riverhead』(14thアルバム)で静かで不穏な電子音響を探求したのちに発表された本作『The Assassination of Julius Caesar』(2017年・15th)は、バンド史上初めてオリジナルのオーソドックスな“歌モノ”だけで占められた作品になりました。Kristofferの伸びやかな歌声が全曲でフィーチャーされた本作では、『Childhood's End』で切り拓かれた“沈み込みすぎない”雰囲気がさらに垢抜けたかたちで表現されており、過去作からは想像できないくらい気安く親しみやすい感じになっています。しかしその上で“能天気で頭が悪そう”な印象はありません。『Shadows of The Sun』にも通じる暗い叙情が常に仄かに漂っており、飄々としながら深い思索にふける優れたバランス感覚が生まれているのです。こうした雰囲気表現はもちろん、歌モノとしての構成の明快さとアレンジの層の厚さを兼ね備えた作編曲も最高で、全ての面において“聴きやすさ”と“聴き飽きにくさ”が完璧に両立されています。徹底的に洗練されたプレゼンテーション能力のもと、自分のやりたいことを曲げずにわかりやすく伝えきる。ポップミュージックのスタイルでなければ作れない音楽ですし、その一つの理想形を示した大傑作と言えます。

 


本作において特に興味深いのがビート/グルーヴの作り方です。先述のようにULVERはロック周辺のあらゆる音楽を探求してきましたが、いわゆるブラックミュージックに関しては直接影響を受けた形跡が見当たりません。『Themes from William Blake's The Marriage of Heaven And Hell』でのトリップホップ、『Childhood's End』でのサイケ/アシッドフォーク(アメリカのルーツミュージック要素を多分に含む)など、ブラックミュージックの“近傍”を通ってきてはいるのですが、ブルースやヒップホップといったブラックミュージックそのものをしっかり咀嚼している様子は殆どないのです。

(『Perdition City』収録「Catalept」の黒っぽさゼロなブレイクビーツなどを聴くと特にそう思えます)

これはビートミュージックの世界においては不利な要素となる場合が多いですが、本作ではむしろ完全に良い方向に働いているように思います。ブラックミュージックの“無限に割れつつ噛み合っている”緻密で高機動なものとは異なり、もっと“勘”や“間”に頼った上でたわみながらしっかり揃い密着する感じがある。『ATGCLVSSCAP』においてはこの感覚が締まりなくたわむ方向に寄っていて完全にうまく機能してはいなかったのですが、締まったビートとアンビエントの中間にあるような性格を示し、両方の曲調を違和感なく並べることに大きく貢献していました。本作『The Assassination of Julius Caesar』ではそうしたグルーヴがほどよく引き締められた形に仕上げられており、クラシックや欧州テクノなどを通ってこなければ生まれない“非黒人音楽”系ビートミュージックの一つの極みに達しているのではないかと思います。ブラックミュージック由来の定型BPMスタイルとクラシック周辺由来のアンビエント感を殆ど理想形な形で融合した本作のトラックは全篇素晴らしく、特に最終曲「Coming Home」3分35秒頃からの“たっぷりタメるが全くモタらない”4つ打ちキックは究極のビートの一つと言えるでしょう。(私が聴いてきた全ての音楽の中でもベストの一つです。)こうした演奏/音響面でも比類のない成果が示された逸品です。

 


DEPECHE MODEや80年代PINK FLOYDなどに通じつつ独自の世界を作り上げることに成功した本作は、個人的にはULVERの最高傑作だと思います。全ての音楽ファンに聴いてみてほしい一枚です。