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プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界:参考資料集【比較的メジャーなバンド・個人篇】(内容説明・抄訳更新中)

こちらの記事
の具体的な内容・抄訳です。


【比較的メジャーなバンド・個人】

QUEENSRHYCHE
Devin Townsend
WALTARI

(内容説明・抄訳のあるものは黒字にしています)


OPETHスウェーデン)》


Mikael Åkerfeldインタビュー(2014.8.22)

OPETHはいつもプログレッシヴな要素をすすんで前面に出してきた。どのアルバムでもそうで、『Pale Communion』(11th:'14年発表)はそうした漸進的研鑽の頂点にある作品なのだろうと思う。これはバンドとしての意識的な方向性なのだろうか。それとも、もっと本能的な何かが徐々に表れてきたということなのだろうか?〉

そうだね… バンドの経歴と作品を分析してみれば、それぞれの作品の間で起きた進歩とか、一連の作品がどういう関連性を持っているかということが確かに聴き取れるけれども、それは意図的になされたものではないんだよ。自分は、その時々に聴いているものとか、例えば「今日はJUDAS PRIESTの『Sad Wings of Destiny』が聴きたいな。うん!なんて素晴らしい作品なんだろう!」というような、ほとんどDNAみたいになっている(昔から聴き込んで“血肉化”している)ものに、間違いなく影響を受けている。作品の間で起きた進歩というのは、たとえ進歩的なものにしようと願っていたのだとしても、よく考えてなされたものではない。これは質問としてはとても単純なんだろうけど、答えるのはクソ難しいことなんだよ。

〈もう少し地に足の着いた話から始めるべきだったかな(笑)〉

(笑)そうだね、「そっちの天気はどうだい?」とか。
(註:電話もしくはメールインタビューなのだと思われる)

〈こうしたことはあなたの書く曲にハッキリ表れているから、OPETHの音楽がよりダイナミックなものに変化していくのは驚くべきことではない。意識的にしろ無意識的にしろ、何かに影響を受けると創るものにも影響が出るから、そうした影響がどのようにして創作物に浸透していくのかということを観察するのはとても面白いんだ。プログレッシヴ・ロックは、あなたが一番はじめにハマったものなのかな?それともだいぶ後で見つけたものなのかな?〉

うちは音楽一家じゃなかったし、ロックに関しては特に縁がなかった。THE BEATLESの『Abbey Road』('69年発表)- 彼らの最後の作品でかなりプログレッシヴな、間違いなく世界最高のレコードの一つ - だけはあったけど、プログレッシヴ・ロックは、基本的には、自分の手で見つけたものだったんだ。自分はヴァイナル(註:LPなど、塩化ビニール製レコードのこと)からCDに完全に切り替えたことがない。それどころか、CDメディアが出てきた頃はレコード店のヴァイナル売り場に行って、ヴァイナルをタダ同然で手に入れていたものだよ。その頃も今も自分はヴァイナルの方が好きだ。CDメディアが出た頃は、みんなヴァイナルのコレクションを手放していた。自分のような人間がそれを二束三文で買い漁っていたというわけだ。

自分はBLACK SABBATHの大ファンで、関連記事の切り抜きを集め、レコードやポスターなど、買えるものならなんでも揃えていた。このバンドに関するものならなんでも集め、カッコイイと思っていたんだ。SABBATHはルックスが良いと思っていたよ。LED ZEPPELINBLACK SABBATHはルックスが良かったし、当時は自分もそういう格好をしたいと思っていた。ラッパズボンを買って、ヒッピーみたいに見えるようにしていたんだ。そういうこともあって、正直に言えば、ヴァイナル・ショップに行ったらそういう格好をしたメンバーのいるバンドを探していた。YESのレコードを見つけたときは「おお、SABBATHみたいなアルバムカバーだな。長髪だし、カッコイイズボンを履いてる」と思ったから、2ドルかそこらでそれを買った。『Time And A Word』('70年発表)か何かの初期作品だったな。そしてこう思ったよ。「クソッ、大好きだよコレ。素晴らしい。」
このアルバムは1969年か1970年あたりに出たものだった。そして、その次に、「アルバムカバーに絶叫している顔が載っているこのバンドはなんだ?」というレコードに出会った。1969年に出たもので、自分はそれを聴いたことがなかったんだ。バンドの名前はKING CRIMSONと言った。(註:1st『In The Court of The Crimson King』のこと。)レコードは2ドルだったから、「いいだろう、これも買おう」となったんだ。こういう感じのことをどんどん繰り返していった。レコードを手に取ることから始めて、良いレコードを買うことで学んでいったんだ。メンバーが着ている服を見る必要はもうなかった(笑)レコードのジャケットを見て、芸術的だったり風変わりだったりするアートワークがあって、'71年頃に録音されたものだったら、たぶん良い作品なんだろう、というように。そうやってあらゆるものをタダ同然で手に入れていった。GENESIS、CAMEL、VAN DER GRAAF GENERATOR、といったバンドを発見していったんだ。こうしたことと並行して、同時代のバンドであるDREAM THEATERにも出会った。DREAM THEATERは自分が発見した先述のバンドに影響を受けていたし、自分は大ファンになった。だいたいこんな感じかな。

〈RUSHもそうしたバンドの中の一つだったのかな、と訊かなけれなならないな。〉

うん。でも、自分はRUSHのことをいつもハードロックバンドだと考えていた。プログレバンドだと見なしたことはないよ。彼らのレコードで最初に買ったのは『Moving Pictures』('81年発表)で、ポップな曲よりも「YYZ」の方に惹きつけられた。変な拍子(註:5拍子など)があったし、少し邪悪な感じもしたからだ。RUSHのそういう曲にはBLACK SABBATHを連想させる和音がある。そういう邪悪な和音も使っていたね。自分はもっと後にVOIVODも聴くようになるけど - これは別の話だね - RUSHは自分にとってはハードロックバンドなんだ。DEEP PURPLEみたいな。(プログレとは)ちょっと違うんだよね。

〈あなたの幅広いボーカルスタイルはあなたのトレードマークみたいになっていて、あなたは様々なプロジェクトでそれを示してきているけれども、最初にそれをやったのはどこなのかな?そのボーカルスタイルをいつ発見して、どうやって発展させてきたのだろう?〉

うーんとね、今日の夕飯はたまたま母親と一緒だったんだけど、彼女は(Mikaelのことを)とても誇りに思ってくれてるんだよ。以前は何度も「Mikael、ちゃんとした仕事に就きなさい」と言われたけれども、今では誇りに思ってくれているし、だいたいこんなふうに言ってくれる。「おまえは小さい頃からよく歌ってたよね。私と一緒に童謡を歌ってたりしてた。」で、自分が「そうだね」と返すと、「そうよ、子供らしく本当に高い声で歌ってた。本当に素晴らしかったけど、あるとき突然歌うのをやめてしまったよね。そして今まで殆ど歌うことがなかった」と言ってくるんだ。これは興味深いことだね。自分はシンガーになりたかったという記憶がなく、いつもギター・プレイヤーになりたいと思っていたから。自分はリードギター・プレイヤーになりたくて、勉強とか最初の仕事を放っぽり出して音楽や演奏に取り組んでいた。そして、練習をするよりもリフを書くことに多くの時間を費やしていた。
たしか13歳か14歳のときに、VAN HALENの曲名からとった(笑)「Eruption」という名前のバンドを結成した。VAN HALENはデカいバンドだったけど、彼らからの影響は全くなかったね。SACRED REICHみたいなブラック・スラッシュをやりたかった。このバンドは基本的には3人組だった。自分と友達2人。「誰が歌う?」と言い合って、友達2人が「そんなのごめんだ」と言ったから、それで自分が「わかった、それなら俺だな」ということになったんだ。自分は、バンドの中心的な存在になりたかった。リードギター・プレイヤーな上にシンガーでもある。カッコイイじゃないか。唯一の問題は、自分は歌えない、ということだった。歌う能力がなかったから。バンド初期のレパートリーはMISFITSやGlenn Danzigの曲だった。少なくとも自分達が選んだ曲においてはDanzigの声はバリトンの低音だったし叫んだりもしていなかったから、凄く歌いやすかったんだよ(笑)MISFITSの曲をやっているうちに、自分達は結果的にいろんなタイプのスクリーム(註:いわゆるデスヴォイスなど、歪んだ響きの歌い方のこと)をこなせるようになった。声を無理に使っていなかったから、良い叫び方を見つけることができたんだ。
OPETHを始めた時も、自分はシンガーではなかった。はじめはベース・プレイヤーで、他にシンガーがいたんだけど、彼が脱退してしまったから、また同じように「おまえが歌えよ」と言われて「わかった、リードシンガーをやるよ」ということになったんだ。そうこうして、デスメタル・スクリームができるということに気付いたんだ。
スクリームはそうやって身につけたんだけど、MORBID ANGELやDEATH、AUTOPSYやENTOMBEDなどを好む一方で、自分はクラウス・マイネ(SCORPIONS)やデイヴィッド・カヴァーデール(WHITESNAKE / ex. DEEP PURPLE)を崇拝していた。イアン・ギラン(DEEP PURPLE)やブルース・ディッキンソン(IRON MAIDEN)、ロニー・ディオ(DIO / ex. RAINBOW、BLACK SABBATH)も。そういうシンガーが自分の好みで、そういうふうに歌えるようになりたくて成長していったんだ。(OPETHの)最初の1枚では邪悪なパートと対比するものとしてこういう歌のパートを入れていて、次のアルバムではそういう歌のパートを増やし、その後はもっと増やしていく…というふうになっていった。16歳のときよりも良いリードシンガーになっているという自信があるよ。誇張抜きに。でも、そうなるためにはたくさん練習しなければならなかったんだよ。
人前で歌う姿を誇示するというのはとても思い切った行為だ。歌というのは、音楽における感情というものに、ギターなどと比べてもおそらく遥かに大きく影響するパートだからだ。感情を生み出すのはボーカル。自分はそれを磨いてきたんだ。他のシンガーを加入させるという選択肢もあったけれども、しばらくしたら自分でやりたくなった。シンガーになりたかったから、自分を励まし、自分は自分で思っている以上に良いシンガーなんだと信じ込むようにした。

〈バンドを長続きさせようとするにあたって大事なのは、外界の影響や雑音に惑わされず、ただやりたいことをそのままやる、ということだと思う。これはOPETHにも通じることだと思うし、実際OPETHは、特定のジャンルやファン層におもねることなく独自の創造的欲求を追求し続けてきている。OPETHサウンドの進化の背景にあるのは、(既存の)プログレッシヴ・ロックへの志向なのかな?それとも、創造性の停滞に抗うプログレッシヴ(進歩的)な創作姿勢や、より多様な要素を持ち込もうとする動きがあるということなのだろうか?〉

まったくもってその通り。(註:〈それとも〜〉以降への同意。)「プログレッシヴ」というのは自分にとってある種の自由をさす言葉だ。一方、その言葉を、特定のスタイルや音楽ジャンルを表すものとして使い(Mikaelの言うそれと)混同する人達もいる。そういうスタイルやジャンルも格好いいと思うけれども、自分にとっては、そして自分自身の音楽について話す場合は、“プログレッシヴ”というのはやりたいことをやる自由を感じさせてくれるものを指すんだ。自分を取り巻く状況はこんな感じ。で、自分たちの音源について誰かが「こんなのはクソだ」と言ってきたとしたら、その作品はそういう人々のためのものではないんだなと思う。ライヴではヘマをするかもしれないけど、音源は良いよ(笑)自分にとってプログレッシヴ・ロックというものは、ジャンルを自在に横断して、どこから来た要素なのかを問わず影響として取り込んでしまう自由なものなんだ。古めかしく聴こえてほしくはない。新しい感じのものでありたいんだよ。影響源の殆どが昔の音楽だというだけのことさ。

〈あなたはOPETH以外にもBLOODBATHやKATATONIA(註:こちらはライヴのサポートメンバーのみ)など無数のバンド・プロジェクトに参加し、今世紀のヘヴィ・ミュージックに大きな影響を与えてきた。あなたが最初にヘヴィ・ミュージックに関わったときから、このシーンはどのように進歩・発展してきたと思う?〉

正直言って、自分は回答者として適任とは思えない。自分のやりたいことにこだわり抜くタイプの人間だから。影響源の90%は60年代や70年代の音楽だし、バンドの活動を振り返ってみれば、多くの変化や出来事があった。ヨーロッパ、特にスカンジナビアでは、ブラックメタルのブームがあって、音楽史的にもこれは重要な時期だったと思うし、自分達もそのさなかにいた。しかし、興味深かったそうしたことも、数年もすれば変わっていってしまった。現在のヨーロッパ〜スカンジナビアにはある種のリバイバルシーンがある。自分が聴いて育った80年代のバンドに似たリバイバル・バンドがいて、それも格好良いとは思う。ただ、自分にとっては、あなたが先に(このインタビュー中の質問として)挙げたRUSHのように、あまり重要とは思えないものなんだ。
自分達は他のバンドのやっていることをちゃんと意識して見ているけれども、特定の流行とかシーン、それに類するものに乗らなければいけないと感じたことはない。自分達自身のことをやってきただけだし、今でもそうし続けていると思う。自分達自身にとって正しいと思えることから離れるのには興味がなく、そしてその“正しいこと”はその時々に応じて変化していく。『Deliverance』(6th:'02年発表)と並行して製作し対をなすアルバムとした『Damnation』(7th:'03年発表)は、それがまさにその時やるべきことなのだと思って作ったものだったし、その後様々な音楽的変遷を経て作った『Heritage』(10th:'11年発表)も、その時の自分達にとっての“正しいこと”だったんだ。これから新作(『Pale Communion』)が出るけれども、自分達はそれに思いっきり打ち込んでいて、自分達自身がやるべきことをやっている。そして、こういうことをやっているのが自分達だけだという状況も気に入っている。自分達と同じことをしているバンドは存在しないと思うし、同じようなディスコグラフィや進化の過程を経てきたバンドもいないと思う。自分達はただ自分達自身のことをやっているだけなんだ。

〈それは多くのOPETHファンにアピールすることだと思うよ、Mikael。バンドが長年かけてやってきたサウンドの変化を好まず・理解せず中傷する人々も必ず現れるわけだけれども。実験や変化にはちょっとしたリスクがつきまとう。特に、初期からOPETHのファンだったような層においては。〉

自分達はまだしっかりメタルシーンに属していると思うし(註:メタリックな要素を減らし70年代ロック(ハードロックとプログレッシヴロックの境目が曖昧だった頃のもの)に近いスタイルに寄ってきているとはいえメタルから離れているつもりもない、ということだと思われる)、メタルシーンはとても興味深いところだと思う。ただ、一方でとても恐ろしいこともある。メタルバンドがもはや実験というものをしようとしない、というのにはちょっとガッカリさせられるね。特にメタルシーンの中においては、これはとても奇妙なことに思える。メタルというのは反抗的な音楽形式だと思うんだけど、それに携わる人達はそれにやすやすと満足し安住してしまう。多くのバンドが結成され、(はじめは)貪欲でやる気があって、自分達の音やあらゆるものを用いて世界を征服してやろうとするんだけども、作品を3枚も作れば「よし、このサウンドのままであと10作品作ろう」というふうになる。自分達はそういうバンドとは一線を画し続けてきた。自分達の音楽の中でやったら面白いだろうなということを探し、古い音楽からも新しい音楽からも新鮮な影響を取り入れようとすることで、新たなやり方を追い求め続けているんだよ。自分はバンドを停滞させたくないし、安心してしまうのもイヤだ。ルールに従って演奏するのはイヤだし、外野の要望に影響を受けるのも好まない。ファンの意見に屈したくはないね。常に興味深く芸術的な本物でありたいんだ。1stアルバムでやったことのように、無邪気で実験精神に満ち、常に意欲をたぎらせていた19歳の頃の気分を保っていたい。バンドの一員でいて、バンドを長続きさせ、飽きるということがないようにするための唯一の秘訣は、自分自身にハッパをかけることだ。落ち着いてはいけないんだ。
バンドというものがある種のプロフェッショナルなあり方を続けていくのはとても簡単だと思う。ツアーをし、住まいを確保して、銀行に預金を貯める。スタッフを引き連れ、キャリアを築き上げる。貪欲であることとか、創造性あふれるアーティストでありたいという欲求は、バンドをこういう会社みたいなものとみなして市場調査をしたりしていくことと引き換えに失われるものだし、それは自分にとっては身の毛がよだつくらい恐ろしいことだ。OPETHが会社みたいなものになるのを見るくらいなら死んだ方がマシ。自分達のやっていることには確かにビジネスの側面もあるけれど、音楽がそういうクソなものに成り果てることはありえない。OPETHの音楽は、常にあるべきかたちの興味深いものであり続けているし、自分達をミュージシャンとしてもバンドひとまとまりとしても前進させ続けてくれている。OPETHを企業みたいなバンドとかトレードマークとしてみなすことは今後もないね。この業界にいれば、自分達のバンドをブランドとしか見なしていなくてそのブランドのために音楽をやっている、というようなクソマクドナルドみたいなヤツらが沢山いるのがわかるよ。メタルバンドでもそういうのが多い。

〈あなたがそうしたことについて情熱的でブレないということはとても良くわかった、Mikael。その上で興味深く思うことなんだけど、『Orchid』(1st:'95年発表)から『Pale Communion』(11th:'14年発表)に至る進化の過程において、あなた個人の音楽一般に対する関わり方はどんなふうにあり続けてきたと思う?〉

総合的に言えば、音楽というものは自分にとって一生の恋人みたいなものだ。それか、食べたり飲んだりすることのようなもの。うぬぼれているように聞こえるかもしれないけど、「人生において、自分が幸せになるために音楽というものは本当に必要なのか?」と考えたことが何度かある。プレイステーションのゲームをしたりしていても幸せを感じられるからね。「(音楽を作るんじゃなくて)ゲームをしたり、ただレコードを集めていたりするだけでもいいんじゃないか?」と考えてきたわけだ。でも、そう考え始めると間もなく「ええい、クソッタレ。スタジオに行くぞ。曲を書きたいからな。ギターを抱えて腰を下ろし、何かやりたいな」というふうに考えていることに気付く。いつもそうだったわけじゃないよ。4歳くらいの頃はサッカーやテニスをやっていた。けれども、自分が曲を書けるということに気付き、実際書き始めたら、そうすることが大好きなんだってわかったし、自分を解放してくれることなんだということもわかったんだ。これは、「自分は価値ある存在なんだ」という実感を初めて与えてくれたことでもある。率直に言って、自分は他のことはうまくできないんだ。曲を書くということが本当に大好きだし、自分の書いた曲を振り返ってみると、「クソッ、幸せだ。何もないところからこんな曲を書き上げたんだぞ」と思う。その上、この世界には「あなたの書いたこの曲が大好きです」と言ってくれる人達がいる。なんて素晴らしいんだろう。これこそが自分の必要としていることなんだ。とても良い気分にさせてもらえる。こうしたことを自分から切り離したとしたら、もう自分は自分でなくなってしまうね。自分をよく知ってくれている人達に「Mikaelについて考えたときまず思い浮かぶことは何?」と聞いたら、全員が音楽関連の何かを挙げるだろう。それが一番大事なことなんだ。自分の音楽は自分と同義の存在になってきているし、そしてこれはもう自分だけのものではない(他の人にとっても意義のある音楽なんだ)よ。
自分は音楽を消費し続けている。おそろしく膨大な量の音楽を。音楽を消費し、音楽を聴き、怒ったり荒れ狂ったり幸せだったりするその時々で音楽を愛する。音楽は、自分の人生の(過去の)その時々をあらわすものになってもいる。音楽は決断の後押しをしてくれるし、何かをしないようにしむけたり、するようにしむけたりすることもできる。様々な状況に導いてくれるし、自分を救ってくれさえしうる。音楽は自分にとって大事なものだから、音楽が好きでない人は自分と関係があるとは思えないし、そうした人に親近感を覚えることもできない。感じのいい人と話していても、「音楽には興味がないね。これは自分に限ったことじゃない。」なんて言われたら、(性別を問わず)その人と友達になることはできないだろう。音楽は自分にとって本当に大事なものなんだ。


Mikael Åkerfeldインタビュー(2015.5.8:川嶋未来
日本語記事。VOIVODやBATHORYの影響がとても大きいという話など、非常に興味深い内容です。



〈昨年数回開催されたバンド20周年記念公演は、あなたにとってどんな意味をもつものだった?〉

結局ふつうの小規模ツアーみたいなものになったよ。もともとそういうことをやるつもりはなかったんだ。当初はバーに集まって5人でパーティーみたいなことをしようと考えていたんだけど、最終的には大会場でライヴすることになった。とても楽しかったけれど、パブみたいなところで数曲やって済ますという最初の呑気なアイデアからはかけ離れた感じになったね。
20周年記念の何かをやったというよりは、単に良いライヴを数本やっただけのことだと思っている。

〈主に「デスメタル・ボーカルが入っていない」という理由から『Heritage』('11)を『Damnation』('03)と安直に比較する意見も多い。この比較は適切だと思う?〉

イエスでありノーでもある。(新譜『Heritage』と)『Damnation』との共通点は、スクリーム(叫び声)が入っていないということだけだ。他に似ているところはあまりないと思うよ。正直言って。
『Heritage』は(『Damnation』よりも)自分が発想の源として聴いている音楽に近いと思う。正直言って、どんなアルバムと比べられようが気にならないよ。『Damnation』と比べるのがわかりやすいんだろうけど、この2作の共通点は「スクリームがない」ということだけだと思う。

〈曲作りをしていてアルバムの全体像が見え始めたのはいつ頃だった?例えば、『Heritage』の曲を書いていて、このアルバムにスクリームは入らないということや、プログレッシヴ・ロック色の強い音になるだろうということがわかったのはいつ頃だったのかな?〉

当初はもっと現代的な音にするつもりだったんだ。『Watershed』(前作:'08)の続編という感じで。3声のハーモニーをずっとやりたいと思っていたんだよね。メタル版THE BYRDSというか(笑)でも、それはうまくいかなかった。何曲か書いてみたけど、自分にとって十分興味深い仕上がりにはならなかったんだ。
というわけで、それらを放棄してまたイチから曲を書き始めた。そうしてまずできたのが、新譜に収録された「The Lines in My Hand」だったんだ。これは本当にヘンな曲で、自分がこれまでに書いたどの曲とも違うふうになっている。
その曲を書いたら、やりたいことを何でもやれる自由な気分が増してきた。その頃になると、これはヘンなアルバムになるだろうなという予感がし出したし、一番エクストリームでヘヴィなメタルをやろうということにはあまり関心がなくなり、もっと他のことに興味が移っていた。つまり、この作品が超エクストリームなメタルアルバムにならないということは、かなり早い段階でわかっていたというわけだ。

〈このアルバムは、あなたがメタル以外の音楽から受けた影響を幅広く示すものになっている。たとえば「Folklore」にはPINK FLOYDデヴィッド・ギルモア(ギター)の影が窺われる、というふうに。あなたが大きな影響を受けたメタル以外のプレイヤーは誰だろう?〉

そうだね、ギタリストについて言うのなら、良いプレイヤーは本当に沢山いるよ。アコースティックでいうなら、バート・ヤンシュ(Bert Jansch:英国のフォークロックバンドPENTANGLE創立メンバーの一人)、ニック・ドレイクNick Drake)、ジャクソン・C・フランク(Jackson C. Frank:米国フォーク:先の2名にも影響を与える)など。ジェリー・ドナヒュー(Jerry Donahue:英国のフォークロックバンドFAIRPORT CONVENTIONに在籍)も大好きだ。
リッチー・ブラックモア(Ritchie Blackmore:DEEP PURPLE〜RAINBOW〜BLACKMORE'S NIGHT)からは大きな影響を受け続けているよ。彼の高潔さは尊敬に値する。彼が今(BLACKMORE'S NIGHTで)やっているルネサンス音楽についてはそんなにファンではないけれども、自分の衝動に従って活動し続ける芸術家・音楽家は大好きだ。
他にも素晴らしいギタリストは沢山いる。ジョニ・ミッチェルJoni Mitchell:主にフォーク〜ジャズのフィールドで活動した20世紀を代表するロックミュージシャン)はギタリストとしてもピアニストとしても作曲家としても素晴らしい。彼女のあらゆる作品を聴き続けているよ。

リッチー・ブラックモアについていうと、ロニー・ジェイムス・ディオHR/HMを代表する超絶シンガーでRAINBOWにも参加)に捧げた「Slither」は、明らかにRAINBOW的な感触を持っている。この曲の方向性について、彼らの影響はどのくらい意識した?〉

何か曲を書こうとしてスタジオでダラダラしていたんだ。ストラトキャスター(ギター:リッチーが好んで使うモデル)を弾いていたら、在りし日(RAINBOW時代)のブラックモア的なサウンドが生まれた。それを続けた結果(この曲の)フレーズができた。とても格好良いと思えたよ。
この曲は完全にRAINBOWの模造品だけど、ディオが亡くなった(2010.5.16没)ことを考えれば、それは正しいことだと思える。まわりに絶大な影響を与えた彼へのある種のトリビュートになったわけだ。こういうダイナミックな曲は好きだし、それがアルバムに入るのは良いことだと思う。ふざけている一方で真剣でもある曲なんだ。

〈アルバムを作るにあたって何らかの計画を立てたりした?〉

そうだね、実際たくさんの計画を立てていた。リズムセクションの音を分厚くしたかったから、ベースギターの音を前面に出そうとした。殆どのメタルでは、ベースギターは基本的には存在感がない。ステレオ再生装置で低音域を強くすればやっと聞こえるようになる、という感じだ。
多くの曲では、リズムギターではシングルコイル(明るく透明感のある音を得やすい構造)のピックアップを使っている。なんでそうしたかは自分でもわからない。メサブギー(Mesa Boogie)タイプの厚いギターサウンドに飽きていたというのはある。このアルバムではそういうのとは真逆の方法でやりたかったし、この手の音楽においてそれは正しかったと思う。全ての要素が以前よりクリアに聴き取れるようになっているよ。
先に言ったように、自分は最近のメタルのプロダクションに飽き飽きしている。正直言って嫌いだし、ちょっと違ったことをやりたかったんだ。
ただ、ギターの種類について言うと、あらゆる類のものを使っている。PRS(Paul Reed Smith)ギターはたくさん使ったし、ストラトキャスターはもちろんテレキャスターも使っている。ギブソンも。良いギターの音がたくさん入っているよ。

〈アンプやエフェクトについては?〉

マーシャル800の2チャンネルのやつを使っている。友達から借りたんだ。とても良いアンプで、気に入ったから殆どの曲で使うことになった。クリーンな音が欲しいところではフェンダー・デラックス、たぶんツインリヴァーブのものを使った。これはスピーカーが壊れていたので、ラインを通して他の機材から出力した。
ギブソンのとても古いアンプも使っている。古いトランジスタみたいな感じで、誰かが上にクソをしたような見た目をしている(笑)だけど音は素晴らしいよ!ぞんざいに扱ったのにとてもスウィートな音を出してくれた。これは50年代に作られた機材に違いないと思う。アルバムの至る所で使っているよ。

〈ラインナップの変更というのはバンドの歴史につきものだ。その時々のメンバーが音に及ぼした影響はどれほどのものなのだろう?彼ら単独のインプット、またはあなたとの共作を通して。〉

自分は曲のデモを作るようにしている。基本的には、アルバムのデモ・バージョンを作るんだ。いろんな楽器を使って曲を作る。キーボードやドラムス、もちろんギターやベース、ボーカルも。自分(一人)で出来る限り良いものを作り上げようとするんだよ。他のメンバーを威圧したいわけ。「うわっ、これに勝つには相当良いものを持ってこなければならないな」というふうに思わせたいんだ。
そうなるとうまくいくんだよね。彼らが自身の持ち味をアルバムに持ち込んだり、そのアルバムを“彼ら自身のアルバム”にしようとすることで、先述のデモアルバムを超えるものが生まれるんだ。それが良いやり方なのかどうかはわからない。長い目で見たらどうなのかわからないけれども、このアルバムについて言えば、本当にうまく行ったと思う。

〈バンドで共演したギター・プレイヤーのうち、ギタリストとしてのあなたを刺激してくれた人はいた?〉

いや、いない。以前は今より「自分はギター・プレイヤーだ」という意識が強かったけれども、今では自分は(ギター・プレイヤーというより)ソングライターなのだと思っているし、フレドリック(Fredrik Akesson)にギターパートを譲っても何の問題もない。彼がそこで何かができると(Mikaelが)感じたならね。彼の方が上手くできるだろうパートについて争うつもりはないよ。
それはともかく、自分たち2人は強力なチームだと思っている。スタイルの違いをうまく補い合えているよ。このアルバムについて言うと、自分は全てのアコースティックギターを演奏したし、フレドリックは主に高速の刻みを担当し、その上でブルースやジャズなど何でもやってくれている。
自分たちは互いを刺激しあっていると思うけれども、だいたいの場合は、自分はただ求める結果に到達したいとだけ思っている。自分をギター・プレイヤーと考えてはいない。自分たちのやることについて、どうすればそれがうまくいくのかということの方を考えているんだ。

〈フレドリックのギターソロについて何か指示することはある?それとも、それぞれの曲に合うだろうフレーズをフレドリックが作るのかな?〉

自分がデモを作ったら(そしてそれをフレドリックに渡すとき)、たとえば「Slither」については、「こういう曲があるんだ。ここにブラックモアみたいなソロを入れてほしい」と言って、彼はその通りやってくれた。「Nepenthe」だったら「よし、アラン・ホールズワースAllan Holdsworth:この曲のソロはホールズワースから影響を受けたMESHUGGAHの「Organic Shadows」によく似ている)風でお願い」という感じ(笑)
でも、基本的には(こういうふうに)アイデアを示すだけだね。フレドリックは即興が非常に上手い。10回ソロをやったらその全てが違う仕上がりになるんだ。その中から曲に一番合うものを選ぼうとするんだけど、とても難しい。全部良いからね。最終的には、2人の合意のもと、一番合うものを選ぶんだけど。
ギター・プレイヤーの多くはソロのことしか考えない。曲のことを考えず、ただ早弾きしたがる。自分は曲のソロパートを味わい深い良いものにしたいし、その意味において、フレドリックとの作業はとても快適だ。彼は自分たちがやっていること(曲など)を理解してくれるからね。

〈多くのバンドは、標準的な音楽性から外れることをやるとファンを遠ざけてしまう危険を冒し、袋小路にはまり込んでしまうものだと思うんだけど、OPETHの場合は、創造的な方向性がどんなものであろうとそれをうまく提示できるようだ。OPETHという枠内で出来ないことはあるのだろうか?〉

OPETHはとても自由なバンドだよ。どんな方向性でもイケると思う。ただ、そぐわないだろうと思う方向性もある。レゲエ・アルバムとか(笑)グラインドコアのレコードは作ろうと思わないな。
自分は音楽から満足感を得たいんだ。要領を得ない音楽は好きじゃない。自分が作る音楽は、自分が耳にしたい音楽、自分が聴き込みたい音楽であってほしい。アルバムを(無為に・“お仕事”的に)生産しようとは思わないし、“史上最もブルータルでエクストリームなメタル”というようなことを言うつもりもない。そういう言い方は自分にとっては何の意味もないし、単なる言葉に過ぎない。感じ取れる音楽が好きなんだよ。(言葉で)説明しきることはできない、ただただ寄り添ってくれるような音楽が。
そういう音楽を提供できるうちは、そのこと以外の問題はない。自分がそういう音楽を作れなくなったら、バンドを続けることはできないだろうね。だから、全てのアルバムが“最後の作品”だ、と言うこともできる。

〈次の作品がどうなるかというアイデアはある?殆どのファンが「またスクリームを聴くことはできるのだろうか」と考えているはずなんだけど…〉

それは確約できないな。自分は直感に従って音楽を作るから。ただ、最近は、そういうタイプの歌い方にはあまり興味がないんだ。もう長いことやってきたし、これ以上発展させることもできないと感じてもいる。発展させられないことに関しては興味を失ってしまう質なんだ。
作曲能力やクリーンな歌い方(歪みを加えないメロディアスな歌唱スタイル)の技術は絶えず良くなり続けていて、自分にとってどんどん興味深いものになってきている。最もエクストリームでブルータルな歌い方はもうやってしまったし、既に過ぎ去ったことのように感じている。
ただ、これは自分たちにとってのルーツのようなものではある。そこに逆戻りするというのはイヤだけど、音楽が自然に求めるようになれば、再び使うことになるだろう。だから確約はできない。スクリームはこれ以上良くならないけどね。だからと言って前よりヘタになるということもないけど。


Mikael Åkerfeldインタビュー(2003.2.10)

《序文》
Mikael Åkerfeldがギターを弾き始めたのは1986年のことだった。それから間もなく、彼は最初のバンドERUPTIONを結成し、BATHORYやDEATHなどのカバーをやっていた。
David Isborgという友人がMikaelに紹介したMEFISTO(註:スウェーデンスラッシュメタル〜プレ・デスメタルにおける最も重要なバンドの一つ)のデモ『The Puzzle』では、デスメタル・ボーカルとアコースティックパート、そしてギターソロが巧みに融合されており、それが新たなバンドOPETH(Wilbur Smithの著作に出てくる月の都市「Opet」が語源)の誕生につながった。
OPETH(註:1990年結成)のメンバーは入れ替わってきているが、1991年に加入したPeter Lindgren(ギター)は今も在籍している。

OPETHのデビューアルバム『Orchid』は1994年に発表され、バンドは続く1996年の2ndアルバム『Morningrise』によりアンダーグラウンドシーンで初めて注目を集めることになった。続く3rdアルバムの録音に先んじて、バンドにMartin Lopez(ドラムス)とMartin Mendez(ベース)が加入した。Mendezには曲を覚える時間がなかったため同作のベースはÅkerfeldが弾いているのだが、その『My Arms Your Hearse』(1997年)は、音楽誌とファンの両方から“この時点での最高傑作だ”という評価を得た。

Candlelight Recordsとの契約を満了し、Peaceville Recordsと新たな契約を結んだのち、1999年の『Still Life』(4th)の製作が始まった。同作はバンドにとってその当時最も成功した作品となったが、彼らを新たな次元に押し上げたのは2001年の『Blackwater Park』(5th)だった。このアルバムのサウンドと発想の主な影響源となったのは、共同プロデューサーを務めたSteven Wilson(PORCUPINE TREE)だった。

昨年(2002年)、Åkerfeldの大胆な計画である“対となる2枚のアルバム”のうちの第一弾『Deliverance』(6th)が発表された。これはファンが待ち望んだ類のものだった。OPETHの歴史上最も売れた作品というだけでなく、全ての人に満場一致で受け入れられたものである、というのは言うまでもないことだろう。

《本編》
(このインタビュー記事の書き方はやや特殊で、記者が現場で行った質問が“会話の流れを説明する”短文に入れ替えられ、正確な質問内容がつかみづらくなっています。この稿では、その部分をできる限り質問文の形に寄せて訳すように努めています。)

オーストリアグラーツアーノルド・シュワルツェネッガーの故郷)で、MADDER MORTEMノルウェーのバンド)とのツアー中だったMikael Åkerfeldをつかまえ話を訊くことができた。〉

今日は(このツアーの)10回目のギグだね。そしてこれから4週間ツアーが続く。やることが沢山あるよ。でも、全てがとても上手くいっている。イタリアとスペインにも行くしフランスでも数回ギグをやる。みんな明らかに疲れてはいるよ。アメリカで数週間ツアーをやった後、このヨーロッパのツアーに出るまでの間に2日しか休みをとってないからね。デビュー時を除けばこれまでやってきた中で最も規模の大きいツアーで、来年までびっしり予定が埋まってる。異様なまでに忙しいよ。自分は怠け者だからなおさらそう思う!

OPETHの知名度や評価は少しずつ着実に増してきていたけれども、『Deliverance』の好評価はMikaelにとっても驚きだったのではないだろうか?〉

レビューは好評なものばかりだし、ファンも気に入ってくれているようだ。ライヴでもとても上手くやれているよ。関係すること全てがおそろしく上手くいっている。つい先日は、『Deliverance』がスウェーデングラミー賞における「ベスト・ハードロック」のカテゴリを受賞したんだ!スウェーデンのラジオ・アワードも獲得した。自分達のようなガレージ・バンドにとっては過分なことだね。そうしたことに関係するようなもの(音楽要素など)は我々のバックグラウンドにはないから、賞、特にこういう類のものをもらうというのは、とても奇妙なことに思える。自分達の本当の姿とは大きく異なることだし。

OPETHは「ガレージ・バンド」の枠を完全に越えているという意見も多いだろうけど、Mikaelは依然として「OPETHアンダーグラウンドなバンドだ」と強調している。〉

OPETHは間違いなくアンダーグラウンドなバンドだと思うし、スーパースターとかそういう類のものになろうと考えたことはない。自分達は音楽をやるのが好きなミュージシャン、というところだね。自惚れてはいないし、楽しく過ごして音楽をやりたいだけなんだ。こういうことを本当に長いことやってきたし、それ以上のことはあまり気にしない。ただ音楽をやりたいだけ。それが全てだ。ビジネス関係のことには興味がないし、OPETHOPETHらしくやれているかとかその他諸々のことは気にしない。楽しくやりたいだけだ。

〈『Deliverance』は当初2枚一組のアルバムの1枚目に予定されていたもののようだね。Mikaelのはじめの計画では、文字通り2枚組として発表されるはずだったとか。〉

『Damnation』の発売は延期され続けてるんだよね。現時点では5月に発売される予定だ。レコード会社は発表を遅らせ続けている。自分のアイデアは「『Deliverance』と同時発売する」というものだったんだけど、レコード会社はあいだに時間をおいてそれぞれのアルバムを十分に宣伝できるようにしたかったみたいだ。そうすれば両方の作品について別々にインタビューをやることができるし、両方のアルバムに注目を集めることができる、というわけ。『Damnation』はもともと3月に発売される予定だったと思うんだけど、我々のマネージャーは5月まで延期させたがった。『Deliverance』のツアーをやりすぎていて『Damnation』用のインタビューをする時間がとれていなかったからね。

〈音楽の歴史を遡って見ると、2枚組アルバムを発表するということは、レコードレーベルからするとある種の“大罪”となることが多い。彼らの考え方(マーケティング・売上・長持ちするか否かということなど)は「2枚のアルバムを同時に出すのは、聴衆からすると過剰に感じられることなのではないか」というものだ。一度に吞み込むには分量が多すぎるだろう、ということ。〉

自分もそう考えた。しかし、この2枚のアルバムの音は大きく異なっていて、別のバンドの作品のようにも思えるものになっている。同じような音楽が2時間も続くものではない。『Damnation』の長さは約40分で、我々の過去作のどれとも全く違う音楽性になっている。全然違うバンドみたいだよ。そういう(聴く側からすると過剰な内容だというような)ことは全く気にしていない。

〈前回『Blackwater Park』の発表直後にMikaelと話した時、スタジオ入りする前にバンド全員でやったリハーサルは3回だけだと言っていた。『Deliverance』や『Damnation』のためにやったリハーサルがそれより少ないと聞いて驚いたよ。〉

今回リハーサルしたのは1回だけだ。きわどく難しいパートもあるけど、スタジオ内で長い時間を費やしてやってのけた。妙な話に思えるかもしれないけど、『Still Life』の時からそういうやり方をし続けている。その時もスタジオ入りする前は1回しかリハーサルをしていない。スタジオ内でたくさんのことを作り出していくやり方に慣れているんだ。これは、曲素材がその作者にとって新鮮でなくなるのを防ぐためのやり方と言える。自分達はそれはもう音楽にのめり込んでいるから、自身をちょっと驚かせたいんだよね。アルバムが完成したら、自分達自身がそこで何をしたかは忘れてしまう。スタジオで何をやったかについてもね。これは、ファンが好きなバンドの新譜を手に入れるときのような(新鮮な)感覚だ。そうやって作業するのはとても面白い。失敗するリスクを背負うのもね。

〈大部分の音楽メディアは『Deliverance』を賞賛したけど、「それまでの路線から逸れて新しいことをしようとはしていない。コアなファンの支持を失いたくなかったからだろう」という批判も幾つかあった。〉

その通り。もちろん自分達にはおきまりのやり方というのがある。曲の書き方とかね。変化することによって良い結果につながるという要素を見つけられなければ、変化しようとは思わない。こういう音楽性を長いことやり続けていて、それが自分達の流儀になっている。IRON MAIDENがある種の流儀を持っているのと同じようにね。
けれども、『Damnation』では大幅なスタイル変更がなされている。その上で、こうも強調したい。そうしたスタイル変更は、このアルバムのためのものではあるが、OPETHの将来のためのものではない(恒久的なものではない)と言うことを。おそらくね。現時点では何とも言えないけど。『Damnation』に続くアルバムでは、何か全然違ったことをやるのかもしれない。『Deliverance』以降にやるヘヴィなアルバムということについて言うのなら、同じ人間が曲を書いて同じバンドが演奏するわけだから、(『Deliverance』とその新しいアルバムとの間に)いくつかの共通点はできるだろう。新しい曲を書くその時々に自分達がどんなものから影響を受けているか、ということによって、結果は違ってくるだろうね。

〈『Deliverance』がOPETHの古くからのファンにアピールするのは間違いない。しかしながら、アコースティック要素の多い『Damnation』がバンド史最大の売上をもたらす作品になって新たなファンを呼び込む、という可能性も、ないとは言えないんじゃないだろうか。〉

エクストリームメタルでない作品として宣伝されれば、新たな層にもアピールしてもっと売れることになるだろうと思う。『Deliverance』やそれ以前の作品ではあり得なかっただろう妙なインタビューを既に2つ受けているし。最近、イギリスの有力なブルース誌からインタビューされたよ。「それじゃ訊こう。OPETHはなんでブルースバンドになったのかな?」とか言われた。驚いたよ。自分は確かにブルースから影響を受けているけれども、『Damnation』はブルース・アルバムじゃないからね!そういうインタビューは、ラジオにかかる機会とかそれに類することが増えるよう貢献してくれるだろうと思う。『Damnation』を入り口にOPETHにハマってくれる人も多いだろうね。OPETHのファン層にはメタルをメインに聴かない人もいると思うんだよ。PORCUPINE TREEのファンでそれまでメタルを聴いたことがなかったような人が、今ではOPETHを好きになってくれていたりするようなこともある。それは単純に、StevenがOPETHのアルバムをプロデュースしてくれたことによる。PORCUPINE TREEのファンに話を聞いてみると、殆どの人がそれまでメタルを聴いたことがなかったと言う。ある種のメタルファンが言う「エクストリームメタルは音楽じゃない」というのは必ずしも正しくない、ということを示す話だね。

〈Stevenの影響は『Blackwater Park』よりも『Deliverance』に強く出ているようにみえる。Stevenはボーカルラインだけでなく器楽パートを作るのも手伝ってくれているのかな。〉

うん、その通り。共同作業をすることでどんどん特別なことができるようになっていると思う。『Blackwater Park』は彼がプロデュースした最初のOPETH作品で、自分が思うに、彼はOPETHに関わりすぎる(自分の色を加えすぎる)のを好まなかったんじゃないだろうか。でも、最近は、我々はお互いのことをよく知っているから、彼がスタジオに来たらすぐに共同作業を始めることができるようになった。彼が(『Deliverance』のために)スタジオに来てくれたとき、自分はとても疲れていた。そしてそこで、彼は大きな貢献をしてくれた。自分は予めボーカルラインの大部分を完成させていたんだけど、彼はそこに大量のボーカルハーモニーをつけてくれて、キーボードや変なエフェクトなども加えてくれた。(『Deliverance』では)『Blackwater Park』よりも関わってくれている度合いは大きいよ。ただ、『Damnation』では、彼はアルバム全編に関与している。

〈前回Mikaelは「アルバムを作るにあたって一番難しい部分はメロディアスなボーカルのパートで、デスメタルボーカルは“ラップのようなもの”だ」と言っていた。「『Deliverance』のクリーンボーカルはそれ以前の作品よりも明らかに良くなっているけれども、まだまだ努力すべきことはある」とも。〉

これはとても大きな挑戦なんだよね。まず、作品ごとに歌の出来を良くし続けたいということ。次に、全てのボーカルラインを完璧にしたいということ。ボーカル・ハーモニーについてもね。ボーカルを扱うくだりにきたら、無意識のうちに「ベストを尽くさなければならない」と身構えてしまう。スクリームをうまくやれることは自分でもわかっているけど、自分はロニー・ジェイムス・ディオではないから、歌録りの前にはいつもストレスを感じる。どんな成果が得られるかわからないし。その点、Stevenは本当に大きな貢献をしてくれる。彼と仕事するのはとても快適だね。

〈Stevenは『Blackwater Park』『Deliverance』『Damnation』の共同プロデューサーとしてクレジットされてるけど、担当した領域は、彼の能力が最大限に活かされる範囲に限られていたようだね。〉

デスメタルボーカルの録音には関与してないね。プロダクション全体に関わっているわけではないんだ。その3つのアルバム全てにおいて、彼は一度だけスタジオに来て、ドラムス・ギター・ベース全ての録音に立ち会っていた。『Damnation』の場合は、リードギターとクリーンボーカル、キーボードについても手助けしてくれたよ。

〈Mikaelは創作意欲の全てをOPETHだけに注ぎ込んでいるようだね。(BLOODBATHの『Resurrection Through Carnage』(2002)はKATATONIAのJonas Renskeがほぼ全ての素材を作ったため、それは含めない。)それを踏まえた上で、今度はStevenとMikaelが結成したプロジェクトについて話そう。〉

そのプロジェクトについてはずっと話し合っている。自分が次にやるのはたぶんそれだね。OPETHのこの2枚のアルバムの録音とそれに伴うツアーなどを全てこなした暁には、我々(OPETHメンバー)は各自の時間を十分とるべきだと思う。Stevenとのプロジェクトはそのタイミングでやる予定だ。Stevenには、PORCUPINE TREEの最新作(2002年の『In Absentia』)で他のメンバーが「ヘヴィすぎる」と考えたため採用されなかった曲が幾つかある。それを使って何かしらやることになるかもしれない。「Cut Ribbon」という曲とかね。Stevenはそれを自分と一緒にやりたいと言っている。まずそれから手をつけて、その後新しい素材を作ることになると思う。

〈そのコラボレーションを始動する前には、まだまだ大量のツアー予定が入っている。それが終わったら『Damnation』のためのツアーが始まるね。〉

その2つのツアーの間には2週間の休みがあって、そこで『Damnation』ツアーのためのリハーサルをやる予定だ。正直言って休みはあまりない。本当にこなせるかどうかわからないよ!(笑)アルバムを2枚作ると決めたおかげで仕事が物凄く多くなった。まず『Deliverance』のためのツアーが始まる。仕事がたくさん待ち受けているよ。『Damnation』ツアーではアルバムの全曲を演奏するし、過去曲のうちメロウなものも「Face of Melinda」「The Night And The Slilent Water」「Harvest」「To Bid You Farewell」とかね。キーボードプレイヤーも連れてくるつもり。『Damnation』にはヴィンテージ・キーボードが沢山入っているから。SPIRITUAL BEGGARSのPer Wibergと一緒にやる予定だよ。そんな感じで、メロウなものだけに絞ってやることになるだろう。言ってみれば、我々は2つのキャリアを並行して歩んでいる。エクストリームメタルバンドと、メロウな70年代プログレに影響を受けたバンド、という感じで。

〈そういう“並行したキャリア”はこれからもずっと続いていくもののようだ。〉

『Damnation』で起こったことと同じようなことが起きると思うんだよ。メインストリームの人々は、まず『Damnation』を聴き、それを気に入った後、我々が本当はエクストリームメタルバンドだと知ることになる。そして、『Deliverance』『Blackwater Park』などの過去作を買うに違いない。殆どの人がそちらも気に入ってくれることになると思うよ。ソフトなアルバムとヘヴィなアルバムを並行して作るやり方を変だと思う人もいるだろうけど、いろいろ考えてみた結果、これがとても賢いやり方だという結論に至ったんだ!(笑)単純に両方のスタイルが好きというだけのこと。それを混ぜるのに何の問題もない。問題だと思ったことがないし、OPETHのこれからの音楽について言えば、次に何が起こるかなんてわからないんだ。

Travis Smith(OPETHをはじめ数多のバンドのアートワークを担当)が『Deliverance』『Damnation』のカバーアートをやっている。この協働作業は、具体的なアイデアとともに始まった段階では、“両者にとって”明快なものでは全くなかったようだ。〉

両方のアルバムカバーについてのアイデアはこちらにあったんだ。だいたいそんなところだね。古い家具のある寝室の写真が欲しいということを彼に話した。とても暗くてメランコリックな写真が欲しかったんだ。それだけ伝えた上で彼が持ってきてくれた写真がカバーやブックレットに使われた。カバーに欲しい写真のざっくりしたアイデアだけを伝えて、裁量の余地をもたせたんだ。その上で、素晴らしい結果を出してくれた。自分は彼の視点が欲しかった。自分が与えた影響だけに基づいた視点をね!(笑)『Damnation』のカバーは『Deliverance』のそれにとてもよく似ているけど、これはもともと『Deliverance』のブックレットに使われる予定のものだった。とても良い写真だからブックレット用に留めるには勿体ないということで、カバーに使うことを決めたんだ。少し白くて明るいということを除けば『Deliverance』のカバーにとてもよく似ているね。

OPETHの歌詞やアルバムタイトルは神秘的なものばかりだけど、『Deliverance』『Damnation』というタイトルはこれまでのそれに比べ幾分直裁的な感じだね。〉

全くもってその通り。それぞれが物事の“陰”と“陽”のようなもの。それが当初のアイデアだった。オリジナルのアイデアは『Deliverance Part Ⅰ & Part Ⅱ』というもので、カバーも、片方の色調をとても暗く、もう片方をとても明るくするということを除けば、両方まったく同じようにするつもりだった。「Deliverance」という曲タイトルを思いついたとき、アルバムタイトルとしても良いと思った。この曲はこのアルバム全体の雰囲気を代表するものだ。『Damnation』は『Deliverance』と真逆なものにしたかった。友達の一人が『Deliverance』と正反対なものは何かと訊いてきたとき、それは『Damnation』だと即答したね。だいたいそんな感じ。よりメタル風なタイトル『Damnation』がメロウな方のアルバムについてるのも気に入ってる。

〈それから、『Blackwater Part』同様に、「The Master's Apprentices」(註:『Deliverance』5曲目)というタイトルは今は亡きグループ(註:同名のオーストラリア産バンド)に敬意を称すものになっているね。〉

うん。自分流のオーストラリアへのトリビュートだね。このバンドを愛しているから、何かの曲タイトルに冠したかった。彼らのアルバムはアナログ盤で3枚持っている。それを買って聴いていた頃、本当に良いバンド名だなと思っていたから、パクらせていただいたというわけだ。

〈この流れで、話は来るべきオーストラリア・ツアーの件に移る。〉

長いこと行きたかったけど私費では行けなかった場所のひとつなんだ。そこにツアーで行くというのは、バンドとして成し遂げてきた他の何よりも待ち望んできたことなんだよ。オーストラリアというのは…世界の果てみたいなもんだ!(笑)実際、OPETHを長い間待ち望んでくれているファンは多いわけだけど、オーストラリアから届くそういうメールは際立って多かった。今はパース(西オーストラリアの州都)を回ってるところで、とてもいい感じだよ。そこに行ったことがなかったことを叩くメールもこれまで沢山もらっていた。ギグそのものはこの先も良いものになると思うよ。なによりこのツアーは旅行者としての夢のようなものなんだ。この国を見て回りたいし人々にも会いたい。個人的には野生動物にも興味があるよ。サファリ観光にも行きたいね!(笑)これを特に見たいというのはない。全てを見たいから。壁を這いずる蜘蛛が周囲を観察するみたいに、全てのことに興味をそそられる。スケジュールが詰まっているから毎日飛び回ることになるね。Peter(Lindgren)はギグが全て終わったあと数日間オーストラリアに滞在することをもう決めたようだよ。自分はまだ決めていない。オーストラリア・ツアーの後に何が起こりどのくらいの時間が残るか次第だ。現地に行ったらベストを尽くさなければならないし、その上で数日余分に滞在できれば嬉しいね。メンバーはみなオーストラリアに期待しまくってるよ。