プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界:参考資料集【ゴシック〜ドゥーム〜アヴァンギャルド寄り篇】(内容説明・抄訳更新中)

こちらの記事
の具体的な内容・抄訳です。


【ゴシック〜ドゥーム〜アヴァンギャルド寄り】

Thomas Gabriel (Warrior/Fischer)関連(HELLHAMMER〜CELTIC FROST〜APOLLYON SUN〜TRIPTYKON)
CATHEDRAL
CONFESSOR
UNHOLY
THE 3RD & THE MORTAL
MISANTHROPE
MAUDLIN OF THE WELL
ATROX
RAM-ZET
UNEXPECT
AARNI〜UMBRA NIHIL
DIABLO SWING ORCHESTRA
ORPHANED LAND

(内容説明・抄訳のあるものは黒字にしています)


CONFESSORアメリカ)》


Steve SheltonBrian Shoafインタビュー(Earache)(Ivan Colonのトリビュート・ショウに前後して)
影響源:(Brian)TROUBLE・BLACK SABBATH、(Steve)TROUBLE・NASTY SAVAGE・KING DIAMOND・DESTRUCTION
(あくまで出発点とみるべき?)

デスメタル勃興期以前にスタイルを確立していた
('86年結成、'88・'89・'90年にデモ作成)
「速ければヘヴィ」というのは違うのではないかと考えていた

NC(North Carolina)(Raleigh)のシーンは小さく、大きなハコでやるのが困難だった:客の2/3は現地のミュージシャンだった

まずリフ(バッキング)が先に書かれ、Scottがそこに歌メロをつける

ヒッピー風の(Tシャツ着用でない)プロモーション写真も、周囲(の凡庸なもの)からは一線を画していようというような姿勢からきていた?

興味を示したのはEaracheとPeacevilleのみ(Metal Bladeは興味を示さなかった)

Gods of Grindツアー(欧州)は規模・待遇ともに良いものだった
NOCTURNUSとの北米ツアーは十分なプロモーションを得られなかった

BLACK SABBATHトリビュート『Masters of Misery』に「Hole in The Sky」で参加


Scott Jeffreysインタビュー(2005)
Ivan Colon:心臓関係の合併症で逝去、それにより奥さんに残った医療費を援助するためにベネフィット・ショウを開催→その手応えから活動を継続
自分達の音楽がどう呼ばれるかは気にしない(→それをふまえての『Unraveled』?)

BLACK SABBATHの音楽やALICE IN CHAINSのボーカルからは確かに影響を受けている

過去音源が再発されなかったのは、過去を振り返りたくなかったから


Cary Rowells(ベース)インタビュー('05:『Unraveled』発表前)
Ivanは7ヶ月の闘病の末逝去→妻に多額の負債→共通の良い友人が連絡を取ってきてCONFESSORの再結成・ベネフィットショウを進言→他メンバーに連絡→オリジナルメンバーのGraham Fry(3枚のデモに参加:Ivan Colonはその後任)込みでライヴ→援助してお釣りがくるほどの収益を得る→そのショウの半年後にFLY MACHINEを解散→CONFESSORとして曲作りを開始

CaryとSteveはFLY MACHINEとLOINCLOTHで常に演奏を続けていた
Brian Shoafも一時期FLY MACHINEに参加していたが、数年間演奏していなかった
ScottはDRENCHというバンドに少しの間いたが、程なくして学校に戻っていた
新曲では以前より“協働”の度合が増している
誰かが持ってきた1つか2つのリフに、ギターの2人(Brian・Shawn)と自分のうちの誰かが取り組み、それを変化させたり他のリフを繋げたりして、全体の構造を作っていく→繰り返し演奏して概形を作ったら、そこにドラムス・ベース・リードギターを加える→その上でScottがボーカルをのせる(作曲の段階で意識的にボーカルラインを書いてはいるが、Scottのインプットでそれを変更することも度々ある)
ShawnはまずFLY MACHINEのギタリストとして(長年の知り合いの中から)採用され、そのままCONFESSORに加入した

この時点では『Condemned』『Confessor』を再発する意思はなし

主な影響源はBLACK SABBATHとTROUBLEだと思うけれども、メンバーが独自に成長し相互作用を及ぼしていった部分も多いと思う:どうやってこうなったかはよくわからない
(Carolinaのシーン:CORROSION OF COMFORMITYが有名)

聴いているもの:GODFLESH『Hymns』、STRAPPING YOUNG LAD『SYL』、BLACK SABBATH『Past Lives』、OPETH『My Arms Your Hearse』、THE BLACK CROWS『Three Snakes And One Charm』


UNHOLYフィンランド)》




Jarkko Toivonenインタビュー(2008.10)

UNHOLYには沢山のファンサイトがあり、名前・別名にUNHOLYの曲名をつけている人さえいる。忘れられる心配はしていない。

UNHOLYは1988年にPasi Äijö(ボーカル・ベース)と自分(Jarkko Toivonen:ギター)により結成された。当初はHOLY HELL名義で、'89年にUNHOLYに改名する以前にデモを一枚のみ発表(『Kill Jesus』)。'90年にはIsmo Toivonen(ギター)を加えて2枚目のデモ『Procession of Black Doom』を、'91年にはJan Kuhanen(ドラムス)を加えてEP『Trip to Depressive Autumn』を発表する。両作品でアンダーグラウンドシーンで好評を得たのち、'93年にLethal Recordsから1stフルアルバム『From The Shadows』を発表。続く'94年に発表された『The Second Ring of Power』は賛否両論で、同年の遅く(12月)には解散してしまう。その後メンバーはソロプロジェクトに身を投じ、自分以外の3人は'96年の中頃にUNHOLYを再結成するが、自分は自身のバンドTIERMESに残ることになる。UNHOLYは'98年に3rd『Rapture』を、'99年にはVeera Muhil(キーボード)を加え4th『Gracefallen』を発表し、再び解散することになる。

自分は他の3人がUNHOLYをゴシカルでコマーシャルな方向に導こうとしていたことに失望し、'94年にTEMPLE OF TIERMESを結成。それが'96年にTIERMESに発展することになった。前者はソロプロジェクトで(自分が全ての作曲をこなすというわけではない)、後者は(バンドとして)パーマネントな編成になったもの。前者に比べ後者の方がより“スピリチュアル”な志向を持っていた。

初期作品に投げつけられた酷評はいまだによく覚えている。コマーシャルな音楽雑誌『Rumba』で2ndをこきおろしたライターはSpinefarm Records(当時フィンランドで唯一メタルを取り扱っていた流通業者)に勤めていた人間で、そいつがUNHOLYの作品をそこで取り扱わないよう取計らったため、ファンは輸入盤を買わなければならなくなった。一個人の好みで取扱いを禁じるなんてとんでもないことだ。それから、『Metal Hammer』も本当に酷いレビューを載せてくれたが、まあそれはレビュアーが狭量なだけで自分に責任はないから気にしていない。アンダーグラウンドシーンのファンジンでは自分達の作品は高く評価されていたし、自分はUNHOLYの音楽をコマーシャルなものにしたくはなかったから、そうしたコマーシャルな雑誌に音源をレビューしてもらうつもりなんてなかった。自分は今でもアンダーグラウンドな出版物を100%支援しているし、コマーシャルな雑誌は一切読まない。

歌詞に関しては「UNHOLYは深遠(esoteric)だ」としか言いようがない。初期の作曲者はPasiと自分で、自分が離れてからはよくわからないが、たぶんIsmo(幼少期からクラシックを学んでいた)だったかもしれない。1stアルバムの製作時、宿の横が娼家で、娼婦達からもらったドラッグで自分達はいつもハイになっていた。スタジオでキメて演奏できなくなったためプロデューサーに蹴り出されたことが3回ほどある。2ndの時はちゃんと朝来て録音して夜には帰る生活をしていた。どちらのアルバムもレコーディング&ミックスを2週間以内にやらなければなかったため、リハーサルも入念に行っていた。

確かにUNHOLYの音楽は「時代の先を行っていた」し「誤解されていた」ものだと思う。『Metal Hammer』をバイブルとしているような若いメタルファンはそこに「駄作だ」と書かれていたらそう信じるし、「クソだ」と書かれていたら買わないだろう。もっと耳の肥えた人達からは良い反応を得ていたし、さっき述べたようにアンダーグラウンドシーンのファンジンからは高く評価されていた。フィンランドAhdistuksen Aihio RecordsがイタリアのAvantgrade Music(UNHOLYの旧作を発売したレコード会社)から版権を買って再発をしてくれるなど再評価も進んでいるし、自分達に影響を受けたバンドも多数存在する。

90年代のクラブギグでは3〜6のバンドが一緒にブッキングされることが多く、その組み合わせも今のように巧みなものではなかった。また、交通費がもらえたり飲み物がタダだったら儲けものというぐらいの感じだった。自分達が良いライヴバンドだったかどうかは、モチベーションと観客の質による。自分達がヘッドライナーだった場合は観客もドゥームファンばかりでライヴもうまくいったが、自分達以外すべてデスメタルバンドだったりした場合は、観客もデスメタルの熱狂的なファンだったから、良い結果にはならなかった。

2ndはそもそもAvantgrade Music用に録音されたものだったから、再結成して3rdを発表するにあたりそこを選んだのは自然な流れだったようだ。再結成以後のことは自分は関わっていないのでなんとも言えない。

3rdと4thは商業的なアルバムで、再結成UNHOLYは1stの時とはもう別のバンドだった。1stと2ndは、オリジナルな音楽のために全メンバーが全てをかけて打ち込んだが、3rdと4thは商業的な仕上がり。これについてはこれ以上言うことはない。

HOLY HELL結成前にのめり込んでいたのは、初期CELTIC FROST、VOIVOD、POSSESSED、KREATOR、SLAYER。もちろんBLACK SABBATH(特に最初の4枚)にも決定的な影響を受けている。自分達はそういうバンドより過激でオリジナルなものを作りたかった。György Ligetiや“奇妙な”クラシックもたくさん聴いていた。

(音楽を始めた頃の?)2年間は1日12時間Yngwie Malmsteenの曲で運指の練習をしていた。Yngwieの曲は練習曲として完璧だが、そこに魂はない。





音楽的野望は今でも持ち続けている。サポートしてくれてありがとう。


Ismo Toivonenインタビュー
(2009.1.3:『Worm Gear #7』から再掲:『Rapture』発表直後?)

〈よろしく、Ismo!陰鬱なるUNHOLYがこのアンダーグラウンドシーンに帰還するのを嬉しく思います。バンドの進化をよく知らない者のために、UNHOLYにまつわる一通りの話をお聞かせ願えないだろうか。〉
わかった。長くなるけど。
休止期間のときから今に至るまで、我々のうち何人かは自分のプロジェクトを抱えている。そのうち幾つかは成功し、幾つかはうまくいかなかった。1996年の夏、自分はJanとPasiに再び一緒にやらないかと持ちかけた。Jarkkoに声をかけなかったのは、TIERMESで活動していて、Imatra(訳注:フィンランド東部の町)から遠く離れた所に住んでいたため、一緒にやろうとしてもうまくいかないだろうと考えたからだ。自分は今ではギターとキーボードを担当している。我々は新たな素材に真剣に取り組み始めた。Avantgradeに契約をもちかけ、最終的には全てがうまくいった。『Second Ring〜』を作ったのと同じスタジオで夏中レコーディングをし、今に至るわけだ。おっと、これは短くまとめた話だよ。長いバージョンは我々のウェブサイトで読むことができる。



〈バンドの発展過程初期においては、コープスペイントが演劇的な見せ方の一要素をなしていたね。これは今でもUNHOLYにとって何かしら大きな意義を持っているのかな?コープスペイントは今や何の気なしにやる流行になってしまっているけれども、それを中身のないギミックに貶めてしまっているバンドが増えていると思う?〉
コープスペイントは、我々がステージに立つときに力を与え心を尖らせてくれるものだった。自分にとってはそれ以外の意味はない。フィンランドで初めてコープスペイントをしたのはBEHERITやIMPALED NAZARENE、そして我々だったが、それからすぐにありとあらゆる類のクソバンド達が同じ装いをするようになった。コープスペイントはとてもトレンディなものになってしまったから、我々はもうやらないことに決めたんだ。

〈あなた個人としては、音楽を創るときに最も大事な要素は何だと考える?そして、そうしたことを『Rapture』で捉えることができたと感じる?このメランコリックな作品がどうやってできたのか話してくれないだろうか。〉
楽器を持って演奏を始め、何かがやって来るのに耳を澄まさなければならない。それだけのことだ。我々はいつもこのやり方で曲を作ってきた。
しかし、初期においては一人の男が全てのリフを単独で作り、それを他のメンバーに示していた。時も場所も全く異なる所で生み出されたそれらのリフを、我々が組み合わせてアレンジしていたわけだ。これだと「うーん、演奏うまいね!」と言わせるような複雑なものにはなるが、「曲」とは言えない。そこに魂はないんだ。『Rapture』ではそれとは全く異なるやり方で曲を作った。リハーサル・セッションのとき、我々はとりあえず何かしら演奏をし始め、即興をしてみる。そのなかで良いリフが生まれたら、それをときには一時間くらい演奏し続け、何か新しいことを付け加え続けていく。そして同時に、次のリフを作っていく。そうした作業に全力で打ち込み、うまく協働する幾つかのリフを生み出すことができたなら、それをテープに録音し、家に持ち帰って聴き返す。そうやって聴いてなお良いと思えたならば、それに磨きをかけていく。この作業には何週間もかかる。こうしてやっと曲というものが形をなすんだ。少数の独立したリフを並べただけのものではない。我々3人はみなこうした作業に始めから関わっている。ただ、これは現在のUNHOLYのメンバーが3人しかいないからできていることでもある。以前のUNHOLYではできなかったことなんだ。そして、こうした作業に役立っていることが一つある。我々はみな自分の担当パート以外の楽器もできるから、曲作りの過程において楽器を交換してみるようなこともできる。それが音楽に新たな色合いを加えるんだ。この新しい曲作りのスタイルは我々に新たな視点を与えてくれていて、メンバー全員が以前よりも「単なる曲の一部」以上のものになることができている。今の我々は、UNHOLYの音楽が「バンドによって作られた」ものと言い切ることができる。うん、本当に満足しているよ。

〈あなたの音楽が醸し出す、自殺を誘発するような雰囲気はどこから来ているものなのだろうか。あなたや他のメンバーは、音楽から想像されるように実際残酷なのだろうか?〉
自分達の音楽がそういう雰囲気を生み出しているとかいう話を聞いたことはないけど、あなたがそう言うのならそうなんだろう。それはたぶん、演奏する時の我々が全身で音楽に没入してしまっていることから来るものなのかもしれない。5時間もリハーサルをしていると本当に疲れる。リハーサルの時は暴れたり跳ねたりせず、ただ単に集中して、とても落ち着いた状態でやっている。それは本当に精魂尽き果てることだ。我々は家や街中では恐ろしい人間などではない。演奏するとそうなるだけなんだ。

〈UNHOLYの音楽は、非常に強力でアヴァンギャルドなスタイルを保ちながらも、メタルと分類されるべき特徴を備え続けている。デス・ダーク・ブラック・ゴシック・ドゥームメタルなどなど、あらゆるジャンル付けをされてきているけれども、あなた自身はそのうちどれが最もしっくりくるだろうか?〉
個人的には、どんな音楽であれ分類をするのは賢いことだとは思わない。そうしたことはバンドを何がしかの鎖で縛りつけ、「自分達は○○メタルをやってるんだからこれこれこんなふうに演奏しなければならない」と考えさせてしまいかねないからだ。これはそこまでよく起こることではないかもしれないけれども、そうした区別に影響されてしまう人もいるだろう。
そうした分類が良くないという理由はもう一つある。今は多くのカテゴリーがあるけれども、それは今のバンドが80年代や90年代初頭よりも個性的な音楽をやっているからだ。このままいくと、あらゆるバンドが別個の分類用語をつけられることになってしまいかねない。そういうのは実に愚かなことだ。自分達は、常にどんな分類からも自由であれるよう努めてきた。80年代後期には、デスメタルスラッシュメタル(訳注:原文は「Trash」表記だが文脈的に「Thrash」の誤記と思われる)、ヘヴィメタル、そしてCELTIC FROSTくらいしかジャンルがなかったから、話は簡単だったんだけどね。
こういう話をした上でそういう質問に答えるならば、よくわからないが「ドゥーム」と言うことになるのかね。幾分マシに感じられる。

〈UNHOLYの優れて個性的なスタイルはバンドが有名になるのを妨げていたと思う?このジャンルのファンは、新しいものに対し心を閉ざすことがあるように見える〉
もちろんだ。UNHOLYの音楽は大衆向けというには個性的すぎるものだと思う。我々の音楽を「普通の」メタルファンに薦めるのは、フュージョン・ジャズをクラシック音楽のファンに薦めるようなものだ。人々は我々のスタイルを理解できない。『Rapture』は幾分理解しやすいかな。クラシック音楽の要素が増えていて、よりメロディックになっているから。

〈『Rapture』からは、こういったジャンルに普通にある“邪悪”に叫び立てるものとか、「3人の男達がジャムセッションしたがっている」だけの典型的なものとは異なる、深い意味や目的が存在しているという印象を受けた。これは深読みだろうか?それとも実際に何か特別なものがあるのだろうか?〉
あなたは正しいよ。確かに深い意味がある。そうしたことは以前から常に在り続けていたんだけれども、最近更にはっきり見えるようになってきている。『Rapture』の歌詞は全て、あらゆるものがどこに向かうのか、ということについて人々に考えさせるために書かれている。我々は病んだ世界に生きていて、そこには「騎士道精神」や誇りのようなものは残されていない。高貴な心を持つ人々はみな何も言えない状態まで打ち砕かれてしまっていて、あらゆる自尊心は失われ、人類は自然との繋がりを失っている。そうした全てのことが人々を不安にさせる。

〈『Rapture』は過去の作品よりも遥かに成熟し陰鬱になっていると思う。キーボードやシーケンスにより描かれる折衷的な雰囲気のおかげだろうか。この楽器の重要性と、バンドにおける発展について語ってくれないだろうか。〉
先にも述べたように、我々は音楽のやり方を変えてきた。そうすることにより、キーボードをより自由に活用できるようになり、曲作りの段階でも使えるようになっている。ドラムスとベースから作業を始め、その上にのるキーボードやギターなど、必要なパートを作曲していく。キーボードのメロディが陰鬱になったのは、それが作曲されたものだからだと思う。我々はただ単に曲を「作る」のではなく「作曲する(組み立てる)」んだ。

〈こういう中庸路線が導く将来の音楽性はどんなものになると思う?〉
次のアルバムはよりメロディックでシンフォニックなものになると思う。また一方で、より陰鬱で心の琴線に触れるものになると思う。

〈『Rapture』に含まれる多様で情緒的なアイデアをみると、あなたは他のジャンルの音楽(例えばダークウェイヴなど)も深く理解しているに違いないと思える。あなたが影響を受けた他ジャンルの音楽・バンドのうち、音楽的視野を広げる助けになるものとしてお薦めできるのは何だろう?〉
我々はみな、ブラックメタルデスメタルも聴いているよ。本当に良い音楽であるのなら、それがブラックメタルだろうと機甲将軍メタルだろうと気にしない。一番大事なのは、それが機能しているかどうかということなんだ。だから、我々の音楽嗜好は我々の音楽に影響を及ぼしているんだろうけれども、その影響が具体的にどう生まれているかはわからない。我々はクラシック音楽からテクノまで聴く。(テクノはそんなに聴かないけれども、良いものならば排除しない。)自分が聴くのは、LED ZEPPELINBLACK SABBATHPINK FLOYDJimi Hendrix、SIELUN VELJET(訳注:フィンランドのバンド)、VOIVOD、CIRCLE(訳注:Chick Corea関係のフリージャズグループではなくフィンランドのバンドと思われる)、J.S.Bach、Dvorakなどなど。

〈UNHOLYの音楽背景についてはこれで理解を深めることができた。それでは、歌
詞のコンセプトについての手掛かりを与えてくれないだろうか。善と悪、天国と地獄のような概念について、バンドの立ち位置はどこにあるのだろうか?そしてそうした考えは、創作上のアウトプットと同様、あなたの日常生活においても必要なものなのだろうか?〉
自分はそういう類のことを信じない。自分の神は自分の中にいるし、誰にとっても同じことが言えると思う。

スカンジナビアのメタルシーンを見渡すと、世界的に注目を集めているのはノルウェースウェーデンだけれども、フィンランドも非常に健康的なシーンを持っている。(SKEPTICISM、IMPALED NAZARENE、UNHOLY、THY SERPANTなど数えきれないくらい多数。)ブラックメタルのムーブメントにおける犯罪的な側面はこうした状況をもたらした原因と言えるだろうか?こうした同時代の全てのことに関連して、フィンランドでも同様の有害な活動はあったのだろうか?〉
そういう犯罪的な物事は音楽に何も貢献しない。ティーネイジャーはそういうバンドが社会的権威に立ち向かったらそのぶん沢山のアルバムを買うものだけど。幾つかのバンドは実際にそれをやったし、そういうバンドがいなければシーンの形は今とは違っていただろう。しかし、我々がそうした活動を支持したことはない。

フィンランド人として、自分はいつも、フィンランド人とスウェーデン人が強く反目しあうのは何故だろうと不思議に思い続けてきた。このことについて何か考える手掛かりを与えてくれないだろうか。〉
フィンランドに少数のスウェーデン人が住んでいること、そしてフィンランド人が学校でスウェーデン語を学ばなければならないということが原因なのではないかと思う。殆どの人は一生スウェーデン語を使わないが、それでも学ばなければならない。スウェーデン人はフィンランドで、人数の少なさのわりに巨大な権力を持っている。こうしたことが、スウェーデン側にとっても憎しみを抱く原因になっているのではないかと思う。一つの考えであり、本当かどうかはわからないけれども。

〈アルバムが発売されたわけだけど、これに伴うツアーはあるのかな?バンドにとってライヴで演奏することはどれだけ重要?UNHOLYのライヴではどんなことが期待できる?〉
たぶんツアーはないと思う。メンバーが3人しかいなくて、キーボードプレイヤーと女性シンガーなしでギグをする理由が見出せないからだ。ギグをするには少なくともあと2人のメンバーを集める必要がある。ただ、それは不可能ではない。良い申し出があれば全てがうまくいき、再び喜んでライヴをやることができるだろう。

〈Ismo、こんな膨大なインタビューに取り組んでくれて本当にありがとう。あなたの行く先が順風満帆でありますように。UNHOLYの新しい音源を聴けて良かったよ!何か最後にコメントなどあるかな?〉
この手の質問に答えることができて嬉しかったよ。こんなに知的なインタビューを受けたのは初めてだった。
最後に付け加えるなら:
“A Thought Unchained,
Unpredictably Drifting In Wider Spaces, 
Beyond The Limitations Of The Spirit Of Time…”


Ismo Toivonenインタビュー(1998.1.9:『Gracefallen』録音作業中)

〈『Rapture』はアルバム全体として形容するのが幾分難しい作品だ。いわゆる葬送ドゥーム(dirgeful doom)とかミドルテンポのドゥーム〜デス、女性ボーカルのいるドゥームとか言われるようなものではあるけれども。あなた自身はこれをどう形容しますか?〉
ひとこと「UNHOLYの音楽」だ。他の言い方で表す必要はないと思う。ドゥームメタルデスメタルブラックメタルといった用語を人々は使いたがるものだが、自分はそれを好まない。『Rapture』を聴く人は、それがそういった普通の用語で形容するのが難しいとわかるだろう。だから個人的には、単に「UNHOLYの音楽」とだけいうのが適切だと思う。

〈それぞれの曲のスタイルが大きく異なっているのはどういうことだろうか?〉
いろんなタイプの曲を作るのは気晴らしになる。10年も同じようなやり方を続けていたら、全曲が同じような音になってきてしまうからね。そして我々は、音楽的変化をして違ったことを試すよう常に努め続けている。そうすることにより物事全体が興味深いものになるからだ。
次のアルバムについていうと、みんなが知っているスタイルとは再び大きく違ったものになると思う。わかっているとは思うけど、一番大事なのは感情なんだ。そして、音楽的な特徴が作品ごとに変わっていったとしても、感情は常に同じように保たれる。

〈曲作りはどういうふうに行われるのだろうか。UNHOLYの曲の構造は(良い意味で)普通のものとは大きく異なる。〉
普通ってどういうことだろう?

〈サビのある4分くらいの曲のことです。〉
なるほど。いいかな、自分達は普通のやり方で曲を書いていると思っているんだ。やり方は主に2つある。一つは、ただ単にリフを書き、それを繋ぎあわせるということ。そしてもう一つ。自分としてはこっちの方が興味深いやり方だと思う。とりあえず演奏を始め、即興をして、そこから一つ二つの良いリフを作り出す。それから、そのリフを演奏し、あらゆる類の改変を施して、先に述べた「古いやり方」でやるよりもうまく機能し合う、複数の良いリフを手に入れるんだ。この新しいやり方がバンドの中で用いられる機会はどんどん増えてきている。『Rapture』収録曲のうちのいくつがそうやって作られたか覚えていないが、次のアルバムの曲は半数以上がそのやり方で書かれている。しかしもちろん、曲作りのやり方はもっとたくさんあるし、自分達としてもこの2つのやり方の間にあること全てをやっている。全ての曲についてその状況は異なるから、我々の曲作りが何か特定の定型に基づいてなされていると言うことはできない。他にこういうやり方もあるよ。Pasiや自分がだいぶ前に作ったリフを演奏し、即興を交えて新たなパートを付け加えていくというものなど。

〈アルバムの曲順に論理的な連続性はあるのだろうか?つまり、例えば、好ましい女性ボーカルの出てくる「For The Unknown One」の次に「Wunderwerck」のように殺風景な曲が来る、ということに特別な意味はあるのだろうか。〉
論理的な連続性はある。ただ、それはアルバムの曲順についてのことではない。各曲の「芸術的な」連続性についてはUNHOLY公式ウェブサイトの歌詞のページに書かれている。(インタビュアーによる補足:トラック番号でいうと6・5・3・7・1・4・2・8の順に並んでいるとのこと。)歌詞はある種の物語のようなものを表しているんだけど、それを理解するのは容易ではない。順番通りに鑑賞しても殆どの人は理解できなかっただろうから、曲をその通りに並べるのはやめた。単純に音楽的に一番うまくいくように並べたんだ。このことについて聞いてきたのはあなたが初めてだよ。「For The Unknown One」が3曲目にある理由?わからないな。もしかしたら『The Second Ring of Power』の3曲目にも女性ボーカルがあるからかな。ハハ!

〈Veera Muhilが「For The Unknown One」に参加した経緯はどんなものなのかな?〉
あなたが具体的にどういうことを聞きたいのかわからないな。自分は彼女のことを知らなかったけど、Pasiが彼女は良いシンガーだと知っていたんだ。それで我々は彼女にアルバムで歌ってくれないかと頼んだ。彼女はそれを受けてくれて、その曲のためにメロディを作ってくれた。その結果に大満足したから、彼女は今ではパーマネント・メンバーになっている。新作でも半分の曲で歌う予定だよ。

〈「Wunderwerck」は長いアコースティック・セクションを含む15分にわたる大曲で、アルバム全体の特徴をよく表すものだと思う。これを作っているとき、どれだけ長いものになるんだろうと悩まされたことはなかったかな?〉
いや。曲を作るとき、それがどれだけ長くなるのがいいかと考えることはない。曲が仕上がり、あるべき要素が全て備わっているのであれば、自分達はそれをチェックして「おお、15分か。わかった。」と言うだけだ。「これは長すぎないか?短すぎないか?」などと考えながら曲を作り始めると、大きく誤った方向に進んでしまうことになる。そうやって作った『Rapture』はもっと長いアルバムになる可能性があったんだけど、全曲のミックスが終わった段階で、最も望ましい形で活かすことができないとわかった1曲を外すことになった。しかし、その曲はさらなる変化を遂げていて、次のアルバムに収録される予定だ。全てがうまくいけば、前作より長い70分ほどの作品になるはずだけど、そのことについては何も心配していない。

〈奇妙な「Unzeitgeist」はどうやってできたのだろう?〉
これはUNHOLYが解散していた時期に自分が書いた曲で、一緒に演奏したJanは良い曲だと言ってくれ、バンドの活動が再開した時にも覚えてくれていたため、UNHOLYの曲として使うことに決めたものなんだ。「Wretched」にも同様の経緯がある。解散中に自分がシーケンサーで書いた曲で、復活後にアレンジしなおして使ったんだ。

〈あなたにこれほどドゥーミーな曲作りをさせているものは何なのだろう?〉
自然そのもの。自分達のまわりにあるもの全て。フィンランド人であるということ。そんなところだろうか。数百万はあるだろう理由のうちの一つや二つを挙げることはできない。これは「なんであなたは生きるのか」というのと同じような質問だよね。

ドゥームメタルのシーンに属しているという意識はある?〉
いいや。自分達の音楽はそうしたものとは大きく異なると思うから、その言葉は好まない。時には自分から「ドゥームメタルをやっている」と言うことはあるけれど、他の音楽、例えばパンクやクラシック音楽よりも自分達の音楽に近いからそう言うだけのことで、自分達の音楽そのものではない。そして、次のアルバムを聴いてなお「ドゥームメタルだ」と言う人がいたならば、それは自分にとって著しく心外なことだ。何か新しい言葉を探しておいてほしいね。

〈何かしら関わりあいのあるドゥームバンドはいる?〉
殆どいない。ただ、SKEPTICISMの歌詞を読んだとき、我々と考え方が非常に似ていると気付かされた。音楽的には異なるものだけれども(彼らの音楽の方がシンプルで遅い)、音楽の根本となる感じ方の部分では共通するものをもっているのだと思う。彼らによろしく!

〈他のアヴァンギャルドなバンドについてはどう思う?〉
あまり数を聴いたことはないが、幾つか前途有望なバンドがいる。KATATONIAは好きだと言わなければならないな。初期の音源と新作(『Discouraged Ones』)から1曲聴いただけだけれど。(訳注:KATATONIAの前身バンドは'87年から活動していて、前身バンドの活動開始が'88年であるUNHOLYよりも歴史は古い。)彼らは非常にシンプルなやり方でうまく語る方法を心得ている。

〈UNHOLYについて、今後の計画は?〉
まだない。新作を完成させなければならないからだ。できれば年末、遅くとも来年('99年)の1月か2月までに発表することになると思う。
(訳注:実際の発売日は1999.7.12)
録音が終わったら、冬の間に何度かギグをやり、アルバムの発表後には更に活発にギグをするつもりだ。今はブッキング・エージェントを探しているところ。フィンランド国外でのツアーを自分達の手で組むのは難しすぎるからね。

〈読者にむけて言っておきたいことはあるかな?〉
次のアルバムを待っていてくれ。気に入るかもしれないし、気に入らないかもしれない。自分は気に入っているよ!



解散の原因は複数ある。まずはじめに『Gracefallen』('99年発表)の商業的失敗。自分はこれが最高傑作だと思うのに、売上は過去最悪だった。古くからのファンにはトレンディ過ぎる一方、メインストリームのアルバムとしては、そしてバンドをメインストリームに押し上げるためのアルバムとしては、十分にトレンディな仕上がりではなかったのだ。自分達は、いや、「自分は」と言うべきか、アンダーグラウンドなバンドであることにうんざりしていた。アンダーグラウンドシーンに繋がるあらゆることが嫌なんだ。劣悪なプロダクションやアレンジ、馬鹿らしいブラックメタルの歌詞や酷い音楽、ブラックメタルなどなど。『Gracefallen』は『Rapture』('98年発表)や他の過去作品と比べるべきアルバムでない、ということは理解されていない。新たな方向性の音楽だったのだ。だから『Gracefallen』は売れなかった!

別の問題点は、ギグをするにあたってのことだった。メインストリームのオーガナイザーからすると我々は無名すぎて、誰もギグをして欲しがらなかったのだ。そしてその一方で、自分達自身としても、無料で・または交通費のためだけに演奏するのにうんざりしていた。(これはアンダーグラウンド業界では普通のことなんだ!)我々の音楽は注意力や準備を要するもので、無料で演奏するのは割に合わない。良いショウと良い音楽を観衆に提供するためには、音楽だけで食っていかなければならない。メンバー全員が普通の仕事をしていなければギターの弦やドラムスティックも買えないという状況では、立ち行かないわけだ。

そして3つ目の問題点。我々は『Gracefallen』がいわゆる「メジャーレーベル」と繋がりを持てるくらい優れたアルバムだと考えていた。大きなレーベルの宣伝力を獲得し、ギグの機会を与えてくれる作品のはずだった。しかしそれは見込み違いだった!このアルバムを考えられる限り全てのレーベルに送り、そしてそのうちのたった1社との交渉が始まった。(訳注:バンド公式HPによるとRelapseだったようだ。)我々は全てが順調に行っていると思い、このレーベルと連絡を取ることにした。それはもしかしたら今でも続いているのかもしれないな。よくわからないけど!交渉はとにかく長引き過ぎた。1年半が経ち、我々はもうたくさんだと考えた。そういう労力こそが求められていたのだとしたら、もう結構ですと言う方がいいだろうね。

こうしたことの全てが我々の創造性に悪影響を及ぼした。単純に言って、音楽以外の件で悩まされることが多すぎた。バンドの魂がすり減らされてしまったんだ。我々は『Gracefallen』も含む過去作品の全てと完全に異なる音楽性の曲を5つ完成させていた。これは過去最大のスタイルチェンジで、新たなスタイルは非常に個性的なものだったから、我々は契約の話に大きな希望を抱いていた。物事が誤った方向に進んだ後の失望が巨大なものになった背景には、こういう理由があるんだ。

こうした全てのことを踏まえ、我々は解散するしかなかった。我々には音楽の世界に与えられるものがあったけれども、それを成し遂げるチャンスが得られなかったわけだ!

(UNHOLYは実際に一度でもライヴをしたことがあるのかという質問に対し)
90年代のはじめ何年かはフィンランドでライヴをしていた。『Gracefallen』の後にも再びライヴをするべきだった。しかし、何年か前に雇ったブッキングマネージャーは一つもライヴを決めてくることができなかったので不要になった。また、一方で、マネージャーなしでライヴの機会を得ることもできなかった。というように、何度かライヴをしたことはあるが、決して多い回数ではなかった。

はじめの活動停止('94〜'97)と今回の解散との間には似た点が幾つもあるが、状況は全く同じというわけではない。'95年のときは、Jarkkoがアルコール問題を抱えていて、音楽やリハーサルへの興味を欠いていた、というのが活動停止の主な原因になった。今回はそういう問題はない。しかし、失望したというのは大きな共通点ではある。

(UNHOLYのメンバーが別名義で音楽をつくる計画はあるかと問われて)
はじめの活動停止期間中の'95〜'96年にはプロジェクトを抱えていたし、今もやはりプロジェクトに関わっている。違いと言えば、家庭や仕事などで時間がなく、活発に活動できないことかな。Pasi(ベース・ボーカル)とJade Vanhala('99年から参加したギター)は何かしらやっているようだが、自分はよく知らない。自分は、Janや数人の友人と'95年から同じプロジェクトをやっているが、Jan(ドラムス)は勉学の方でやることが多いので、現在は参加していない。

(何カ月・何年かしてUNHOLYの音楽が受け入れられやすい状況になったとき、あるレーベルが未発表の録音済アルバムの発売をオファーしてきたとする、そうなったらUNHOLYが再結成するという可能性はありうるか?という質問に対して)
起こりえないことなんてないよ!けれども、正直に言うなら、時間が経てば経つほど再結成の可能性は少なくなっていく。我々は“普通の生活”に日々忙殺されるようになっていて、仕事や家庭を持ち歳をとっていくと、再び活発に活動するのは難しくなっていくんだよ。でも、絶対にないとは言い切れない。あればいいな。

(UNHOLYの音楽は個性的で特別なもので、特定のシーンへの帰属意識があったとは考えづらいんだけれども、アンダーグラウンドシーンの他のバンド・アーティストとの交流や、何かのジャンルに属していたという意識はあったか、という質問に対し)
たとえばSKEPTICISMやESOTERICのようなバンドとは交流があったし、少しは考えを変えていくこともあった。しかし、自分は新たな交流をもち続けるのには消極的で、非社交的とか世捨て人とかみられるような質であり、シーンの一部に属するような些事よりも音楽に集中するのを好む。自分やUNHOLYが何らかのシーンに属していたと思ったことはない。シーンに関わるそういった物事は、音楽に集中することを望まない・集中することを必要としない奴らのためにあるものだ。UNHOLYのやる音楽は包括的なものだから(訳注:過去形でなく現在形で発言:未練が伺えなくもない)、社交を続けたりシーンに関する物事について考えたりする余地はないんだよ。

今のメタルシーンに興味はない(アンダーグラウンド・メインストリームを問わず)。現実問題として、自分は音楽そのものをあまり聴かないし、聴くならメタルよりロックを選ぶ。今のシーンには興味を惹くバンドがいない。

(Veera Muhil(『Gracefallen』のキーボード&女声)のボーカルについては賛否あるが自分はUNHOLYに完璧に合っていたと思う、解雇の理由は何だろうか、と問われて)
彼女は自分が完璧で天才なのだと過剰評価していた。確かに才能はあるが、十分に練習をしなかったためそれを使いこなすことができなかった。そしてそのために、彼女は2つのギグとスタジオ入りの時間2日分を台無しにしてしまった。練習不足と、音楽に対する間違った姿勢のせいで。
自分は本当に欲張りなミュージシャンで、一緒に演奏する相手には「良い」かそれ以上のものを求める。例えば、Veeraは教育を受けたピアニストで、実際非常に上手くピアノを弾いた。だから自分は『Gracefallen』のピアノパートについても上手くやってくれるだろうと考えた。彼女は「全てOK、覚えた」と言ったが、スタジオに入ってみると全てがいい加減で、しまいには依頼したパートの多くを自分が弾くハメになった。これは時間の無駄だったし、自分はそういうのを好まない。この「大先生」がはじめから出来ないと言ってくれれば、教える手間を省き自分で弾くようにした。そして自分はピアノを学んだことががないと気付かされることになっただろう!

Veeraは、『Rapture』(3曲目「For The Unknown One」にボーカルで参加)のようなプロジェクト(≒ゲスト出演)では良かったけれど、バンドに対して心も体も捧げる能力はなかった。エゴが大き過ぎるんだ。それがVeeraの最大の問題点だ!

(未発表のアルバムではゲストボーカリストを複数起用していて、それがレーベルにとってのリスクになったためお蔵入りになってしまった、という話を“内部事情に詳しい人”から聞いたのだがそれはどういうことなのか、と問われ)
そのリスクというのはよくわからない。我々の音楽はロックミュージックとジャズボーカルを組み合わせたようなもので、憂鬱で奇妙ながらロックしてもいるものだ。ゲストボーカリストの件は『Gracefallen』ほどリスキーなことには思えない。問題は音楽ビジネスのもっと根深いところにある。
未発表音源ではVeeraと全く異なる女性シンガーを起用している。彼女は教育を受けていて、自分の声をどう扱えばいいか心得ており、我々の音楽にジャズ的な雰囲気をもたらしてくれた。サウンドは過去の作品と比べて軽く、ディストーションギターよりもアコースティックギターの方が大きな役目を果たしている。これでいくらか想像できるんじゃないだろうか。

(Avantgrade MusicのRoberto Mammarellaが以前このサイトの取材に応じたとき言った「UNHOLYは、価値はあるけれども非常に高くつくバンドだ。音源は素晴らしいが、売上は新作を出すほどに減っていき、それなのに予算のほぼ倍額を要求する。彼らは、絶対にメジャーレーベルの契約してやると言っていた…ミュージシャンというのはナイーヴで浮世離れしたものだ。実際問題として、2年以上経ってどことも契約していないじゃないか。」という発言の論点は理解できるか、それに同意するか、と言われて)
その通り、ドゥームメタルは製作費用が高くつく音楽だ。速く演奏するよりも遅くやる方が難しい。それが現実だ。自分はある種の完璧主義者で、酷い演奏をするのに耐えられない。『Gracefallen』を聴けばそれがわかるはず。自分の弾いたギターやキーボードには一音の間違いもない。METALLICAのブラックアルバムのように全てが完璧に演奏されている!付け加えるなら、我々は、METALLICAがブラックアルバムのギターサウンドを求めて費やしたのと同じくらいの時間を、ギターパートの録音にかけていた。これが質問の答えだ。Avantgradeや他のレーベルがこれだけ完璧なサウンドをより安く作れるというのなら、こうした発言については謝るけれども。

(型破りなサウンドをもつアンダーグラウンドなバンドが浅薄で大量生産にまみれた世界で生き抜く術はあるだろうか、この先インターネットはそういうバンドの宣伝に役立ちうるか、UNHOLYのような妥協しないバンドと契約するような勇気のあるレーベルはまだ残されていると考えているのか、と問われて)
そんな非商業的なレーベルは存在しないよ!彼らは生きるために仕事しているんだ。それは簡単に受け入れられる。ただ、バンドも「生きるために仕事している」とは誰も考えないだろう。バンドが商業的な音楽を演奏するのは悪しきことだけど、レーベルが商業的な音楽を発売するのはそんなに悪いことではない。

芸術がこの世界で生き残るための方法についてこのところよく考えるけれども、自分の意見はまだまだ未熟で、こうした問いにうまく答えることはできない。

(UNHOLYの音楽は非常に不可思議かつ型破りなもので、殆どの聴衆がこうした“難しく”馴染みのないスタイルに接するには早すぎて、それがバンドの崩壊を招いたのだと言っても間違いではないだろう。こういう結果を知った上で全てを始めからやり直せるとしたら、もっと“直接的”で“型にはまった”曲を作ったり、以前よりもしっかりシーンに属するようにしただろうか?という質問に対し)
音楽的なことに関しては一切変えるつもりはない。違ったやり方をとるとすればそれはただ一つ、宣伝にもっと力を入れるということだ。ガレージ・バンドとビッグなバンドを分かつのはそれだけだ。宣伝、そして出版やTVを操る手腕は、バンドの行く末の50%以上を決定付ける。
そうしたことは我々の音楽に影響を与えるだろう。そもそも音楽に集中し相当の時間をさいていたからだ。だから、こうした宣伝活動のために音楽は幾分シンプルになるだろう。意図的ではないにしろ。「有名なバンドは自覚的に商業的な路線を歩む」と多くの人々が考える理由はこういうところにあるのかもしれない。そうしたバンドは、“音楽以外のこと”に煩わされる時間が単純に非常に多いわけだ。

(UNHOLYのオフィシャルHPには、解散発表の他に、KaZaA(訳注:ファイル共有ソフト)を通して未発表トラックの入手が可能になっているという情報も載っていたのだが、我々はその痕跡を見つけることができなかった。発表直後には手に入れることができたのだろうか?そしてそれは、リハーサルトラック、未発表音源といった、今後リリースする予定のものだったのだろうか?という質問に対し)
「Gone」という未発表音源(ミックス済だがマスタリングはされていない)があった。数年前に録音されたのちアルバムには収録されないままでいたもので、(先述の)“新しいスタイル”ではなく、『Gracefallen』に近いものだった。
他の音源は既発のアルバム曲で、まだ入手可能なはず。入手できない理由はわからない。音源の殆どは自分のPCに入っていて、その電源が入ったときのみシェアが可能になる。音源を探すのが難しい理由はそれかもしれない。ただ、ダウンロードする人が増えれば増えるほどKaZaAでの検索に引っかかりやすくなるので、そうしたことが何かの役に立つかもしれない。音源を探すにあたって問題を抱えている人がいれば、自分に連絡してきてほしい。解決できるよう試みるから。

(UNHOLYはアンダーグラウンドシーンに確かな足跡を残したけれども、あなた自身はバンドについてどう回想するか、バンドはどういう地位を目指していたのだろうか、と問われて)
10年20年して人々が自分達のことを思い返してくれれば幸いだ。商業的なバンドは他のものと似たり寄ったりだから10年も経てば忘れられてしまう。自分の夢は、オリジナルで長く記憶される音を作ることと、10ヶ月になる娘が、メタルミュージシャンとしての自分を将来誇りに思ってくれる、ということだな。

UNHOLYの音楽は「幸せ」に対する反抗だったのかもしれない。人は幸せになれない、というつもりはないよ。信じられるかどうかはわからないが、自分も幸福を感じる時がある。自分が言っているのは、人は人生がもたらす好ましくない感情を忘れたり無視することができない、ということだ。メインストリームのポップミュージックにおいては、愛や幸せ、友人や神、セックスや家庭といったことが歌われる。UNHOLYはそういう果てしない幸せの表現に異議を呈するものなんだ。UNHOLYの音楽が人生のそういう(好ましくない)側面について思い起こさせるものであり続けるよう祈る。

インタビューしてくれてありがとう。自分達のことを記憶し続けてくれるファンのみんなにも感謝する。そういう人達が少ないのは残念だけど、それはあなた方のせいではない。ありがとう!


Jan Kuhanen・Ismo Toivonenインタビュー(2012.1.18:2nd再発に際して)

〈今『The Second Ring of Power』を振り返ってみてどう思う?なんというか、二度目の脚光を浴びることになるわけだけど。〉
Jan:我々のアルバムは全て再発されている。『Second〜』も例外ではないということさ。それから、1stを除く全てのアルバムにボーナストラックがある。
Ismo:(インタビュアーに向かって)たぶん他作品の再発を知らなかったと思うんだけど〈インタビュアー「そうですね」〉、それなら読者も同じかな〈インタビュアー「今知ったでしょう」〉。この前の春、我々のデモがRusty Crowbarからアナログ再発された。それに続き、アルバムがPeacevilleから再発されたんだ。理由は単純。アルバムが全て廃盤だったからだ。Avantgradeは再プレスをしたがらず、版権をPeacevilleに売った。それで物事が動き始めたんだ。デモ再発の企画は古くからのファンへのプレゼントだね。デモテープを買いたいという人々がいたけど、自分達は在庫を持っていなかった。だから、Rusty Crowbarが再発を持ちかけてきた時、それを受け入れた。Rusty Crowbarは32ページのヒストリー冊子を印刷し、それをデモにつけてくれた。全“オリジナル”メンバーの最新インタビューに基づく、望みうる限り最も完璧なUNHOLYの歴史が載っている。

〈『Second〜』のカバーアートが変わった理由は?他の再発はそのままだったと思うんだけど。〉
Jan:原版はボロボロになっていて修復も不可能だったから、新しいカバー・レイアウトを用意しなければならなかったんだ。

〈「フューネラル・ドゥームを確立したのは誰か」ということについては幾つもの意見がある。あなた方はどう考える?〉
Jan:くだらない…それは本当に大事なことなのかな?たぶんBLACK SABBATHだろうよ。

〈THERGOTHON、SKEPTICISM、UNHOLYといったバンドが同じ国で同時期(訳注:それぞれ'90年・'91年・'90年(前身は'88年)〜)に活動を開始したことに特別な意味はあると思う?この3バンドは似た特徴を持っている。特に、遅く葬送的なリズムスタイルとか。〉
Jan:そんなこと全く考えたことないよ。THERGOTHONとSKEPTICISMには共通点が多いと思う。ある種のやり方を極端に突き詰めている。しかし、我々はそれらとはどこかしら異なるものだったし、自分は彼らとの間に強い精神的結びつきを感じたことがない。UNHOLYのもつ狂気はその2バンドからは見出せない類のものだ。それぞれが別の方向性で極端なものなんだよ。

〈曲想の源について教えてくれないかな?「Neverending Day」や、それよりストレートなタイトルトラックなどについて。〉
Jan:タイトルトラックはC.Castanedaに想を得たものだと思う。Jarkkoがよく読んでいて、曲名もそこから来ている。シャーマニズムとか、世界の狭間に存在するものについての曲だ。「Neverending Day」は…全く思い出せないな。

〈雑誌(訳注:ファンジンのこと?)では、UNHOLYはドゥームメタルというよりブラックメタルに分類されることが多かった。実際ブラックメタルの要素はあったのかな?あるとしたらどのくらい深いものだった?〉
Jan:バンドの初期、1990年代のはじめに、コープスペイントをしていた頃があった。(それを見た)多くの人々が我々をブラックメタルバンドだと思い、そして深く失望していった。自分達(の演奏スタイル)は全然速くなかったからね。確かにブラック的な要素はあったし、メタルでもあったけれども、自分はUNHOLYをブラックメタル扱いしようとは思わない。どんな状況においてもだ。我々の魅力は全く別の世界から来たものなんだ。
Ismo:我々は特定のジャンルをやろうとしたことはない。単に演奏するだけだ。それをジャーナリストがドゥームメタルとかブラックメタルとか呼ぶだけだ。そんなことは本質的な問題ではない。CANDLEMASSのような古くからいるドゥームメタルバンドと比べると自分達の音楽は著しく異なるスタイルを持っているから、「UNHOLYにはブラックメタルの影響がある」と考える人がいる、ということなのだろう。滑稽なことだ。我々はブラックメタルなんて聴いていなかったんだから。

〈自分はUNHOLYの容易に分類できない所が好きだ。超ドゥーミーな曲のなかに和声的なリードパートとかファンク的なベースを組み込んでいたりする。なんというか、VOIVODを極限まで遅くしてヘンな形に変えてしまったというか。どう思う?〉
Jan:そうかもね。最近Jarkkoが言ってたんだけど、当時はCELTIC FROSTよりもヘヴィで風変わりなことをやるのが目的だったようだ。難しいことではあるけれども、彼がUNHOLYで成し遂げようとしたのはそういうことだったのではないかと思う。
Ismo:我々は、自分達が良いと感じる音楽をやっていた。特定のカテゴリーやジャンルに縛られたくなかったんだ。だから、曲のスタイルはとても多様なものになった。『Rapture』収録の「Into Cold Light」と「Wretched」、『Gracefallen』収録の「Haoma」と「Athene Noctua」を比べればわかるだろう。15分ある「Wunderwerck」では一曲の中でそうした多様な要素を聴くことができる。

〈UNHOLYの後に出てきたバンドについてはどう思う?DOLORIAN、後期COLOSSEUM、ESOTERIC、AHAB、そしてその他の、UNHOLYの音楽的要素を受け継いだ数え切れないくらい多くのバンドについて。〉
Jan:その中ではESOTERICしか知らない。印象的なバンドだ。でも、模倣は誰もがすることだよ。意識的にしろ無意識的にしろ。自分達もそうしたし、誰もがやっていた。だから、自分達の音楽をもとに独自のものを作り出したり、自分達の音楽から着想を得たりした人がいてくれたなら、それはとても素晴らしいことだ。自分達も他の人達から着想を得たんだから。
Ismo:自分はいままであまりメタルを聴いてこなかった。Jarkkoは以前「それは他のバンドから影響を受けないようにしているんだな」と言っていた。しかし、自分としては、単に興味を持てなかっただけなんだ。他のジャンルはもっと興味深かったし、そうしたジャンルから得られた要素を統合することで、音楽が豊かなものになった。UNHOLYとはそういうものだったんだよ。根本的には。

〈UNHOLYには2つの時期があると思う。『Rapture』以前と『Rapture』以後。あなた方自身もそういう区分をするのかな?〉
Jan:その通り。最初の2枚のアルバムは、4人の若く怒れる男達が蒸気を噴出するものだった。対して、後の2枚のアルバムでは、3人の男達が黒い霧と魂を吐き出していた。それが違いだよ。
Ismo:曲の書き方が『Rapture』で大きく変わったんだ。(Jarkko以外の)3人でただジャムセッションをして、即興から音楽を構築する。はじめの2枚のアルバムは、もっとリフが土台になっていた。まずリフを作り、それを繋ぎ合わせて曲にする。これはとても“怒った”音楽だった。生々しく原始的で、病んでいる。後の2枚の曲は内部からしっかり結合されていて、純粋な感情と共感に突き動かされていた。テーマは「日常生活の観察」というようなものであり続けたわけだけど、後の2枚では物の観方が深く成熟していて、「一つの真実を主張する」だけのものではなくなっていたんだ。

〈さて、2012年にはUNHOLYがライヴのために再結成するのではないかという話がある。これは本当?それとも誤り?〉
Ismo:両方さ!まず本当のことについて。やっとリハーサル場所を見つけ、オリジナルのラインナップ(ギター2人・キーボードなし)で一緒に演奏し始めた。これを何週間か続けている。次の夏にはライヴをやるつもりだし、もしかしたら新しい音楽もできるかもしれない。次に誤りについて。物事が計画通りにいかない可能性は常にある。我々はここ10年間一度のリハーサルもしてこなかったんだ。必要な機材(アンプ・エフェクト・PAなど)を誰も持っていないから、まずはそれを手に入れないといけない。そして、我々はお互い数百キロメートルも離れた所に住んでいる。全員をImatraに集めるためにはどう計画を練ればいいのか、などなど。不確定要素はたくさんあるし、これから数ヶ月のうちにそれはさらに増えるだろう。だから、再結成についてはまだ話さないでおこう。でも、次の夏にはファンやギグ・オーガナイザーを驚かせたいものだね。


MAUDLIN OF THE WELLアメリカ)》


Tobias Driverによる回想(2005)

〈『Bath』再発盤:Blood Music 2012.4.13に掲載〉

1992年のこと。高校生活が始まった。Jason Byronと私は互いに通りを隔てた所で暮らし育った間柄なんだけど、初めて出会ったのはスクールバスの中だった。義務過程の宗教(カソリック)の授業で隣同士の席になった私達は喧嘩をしてしまい、私は別の宗教の授業を受講するようになった。そこで後ろの席になったのがGreg(Massi)で、私の肩を叩いてくれてメタルの話をするようになった。友情の始まりだ。

それから2年間は、私もGregも単独で宅録をしていた。Gregと初めて共同作業したのは1994年の「Uncovering the Gift」だね。Byronとは同年に発表された彼の『Twisted Chsistmas Tales』で少し共同作業し、GregとByronも1995年に出たEPで一緒にやった。その上で、単独でのレコーディングも続いていた。私の名義はSPOONION、ByronのはBUTTKEY、GregのはBALISETといった。1995年になると、Gregと自分はCELESTIAL PROVIDENCEというバンドを結成し、そこにはChris KorzinskiとDavid Waters(Jason Bitnerの兄弟)も参加していた。CELESTIAL PROVIDENCEは混じりっけなしの霊的メタルバンドだった。何曲か書いてリハーサルもしたけれど、レコーディングやギグをすることはなかった。私はDavidを通してJason Bitnerに出会った。

当時、Byronと私はTIAMATの『Wildhoney』(1994)を繰り返し聴き、それを霊的プロジェクトに適用しようと試みていた。我々は何十ものバンドのCDを買ったけれども、『Wildhoney』のような音やアルバムカバー、曲タイトルは、TIAMATの他のアルバムも含め、一つも見つけることができなかった。我々は、自分達が買ったそういう音楽に『Wildhoney』的な要素がどうして無いのだろうということや、自分達がバンド音楽に求めるそういう要素を自分達自身の手で作るのはどうだろうか、ということを話し合った。そうして私達は、『Through Languid Veins』(1stデモ:1996年発表)をGregの4トラック機材で録音した。Gregはギターソロのみで参加した。我々は17歳のときにGregの家の地下室でバンド名(MAUDLIN OF THE WELL:以下motW)を決め、このバンドを結成した。『Through Languid Veins』がレビューを書いてもらえたのはこれまで一度だけだね。それはInferno Webzineに掲載された。自分はこのデモを30部用意し、友人達、そして不特定多数の相手(MY DYING BRIDE関係のメーリングリストを通して繋がっていた人々)に送りつけた。1学期(年間2学期制のうち)が経った後、幾つかの新しいデモを4トラック機材で録音した。そこにはJason Bitnerもトランペットで参加していた。それらは後に再録音され、『Begat of the Haunted Oak… An Acorn』(2ndデモ:1997年発表)にまとめられた。

ハンプシャー大学(アメリカ・マサチューセッツ州アマーストにある単科大学)では、Andrew Dickson、Terran Olson、Josh Seipp-Williams、Sky Cooperに出会った。AndrewとJoshと自分はCAPTAIN SMILYというバンドをやっていた。ハンプシャー大学には小さなレコーディングスタジオがあり、音楽を専攻している者は制限付きでいつでも使うことができた。Andrewは幾つかの新曲(『Begat of the Haunted Oak』に収録されることになるもの)でドラムスを叩いた。GregとByronも週末に訪れ、彼らのパートを録音した。我々はこれを完成されたアルバムとみなした。私は気が乗らない勉強を続け、Gregはこのアルバムからオーディオ・サンプルを幾つか作ってネットにアップした。The End Recordsを設立したばかりのAndreas Katsambasは何らかの方法でこのアルバムを聞いたようで、全曲再録音した上で発売しないかと打診してきた。私は『Begat〜』の大変な作業を今さらやり直したくはなかったので、その時は再録音しようという話に乗らなかった。学校生活が続き、『Begat〜』のことは多かれ少なかれ忘れていった。

そのあと私は、Andrew、Terran Olson、Jeff Barnett、Sky Cooperとともに、ジャズ/ファンク/フュージョンバンドGHOST HOUSEをやっていた。ハンプシャー大学の音楽科には下級生がショーケース的に発表を行う場があり、GHOST HOUSEでmotWの曲を初めてライヴ演奏した(『Begat〜』収録の「A Conception Pathetic」)。その時の編成は、Andrew Dickson、Terran Olson、Josh Seipp-Williams、Aaron Germain、Jeff Barnett、そして私だった。他にもいたかもしれないけど、思い出せないな!

その後バンドはハンプシャーのスタジオに戻り、『Odes to Darksome Spring』(3rdデモ:1997年発表)を録音した。メンバーは私、Andrew、Greg、Byron、Jason、そしてTerranとSky。次の年(ハンプシャー在学中)には『For My Wife』(4thデモ:1998年発表)を録音、Aaron GermainとScott Paukerも部分的に参加した。アルバムが完成しつつある頃に私はMaria Fountoulakisに出会い、数曲で歌ってもらう話をとりつけた。このアルバムの制作期間はずっと雨が降っていた記憶がある。11月か3月か、それともそういう天気の良くない時期に作ったんだろうな。そうしてこのアルバムも完成した。

〈『Leaving Your Body Map』再発盤:Blood Music 2012.4.13に掲載〉

1999年のはじめに、AUTUMN TEARSのTed Tringoからeメールが送られてきた。AUTUMN TEARSの作品を発表するために最近Dark Symphoniesというレーベルを設立し、そこから発表する他のバンドを探しているということだった。Gregがネットにアップしたオーディオ・ファイル(長く忘れ去られていた)を聴いて、このバンドの作品を発売したいと思ったとのこと。私達はその音源を何にも使っていなかったから、「べつにいいよ」と答えた。この時点では、私達はmotWが今後なにかしらの活動をすることになるだろうとは考えていなかった。

今では“デモ”とみなされている3枚のアルバムから私達が選曲し、それをAdam Dutkiewicz(のちにKILLSWITCH ENGAGEで超有名になる)がリミックスしたものが、『My Fruit Psychobells』というタイトルで1999年に発売された。

Tedは我々に2000年のMilwaukee Metalfestへ出演するよう誘ってくれたが、Andrewは昨年(ハンプシャー大学を)卒業しており、『My Fruit Psychobells』を発表はしたもののmotWは実質的に終了していた。Andrewが旅立ってから1年もの間、新しいことは何もしていなかったし、私も学校での他のプロジェクトに創作意欲を注ぎ込んでいた。しかし、Milwaukee Metalfestは多くのメンバーが何年も出たいと思っていたものだし、あきらめたくもなかった。私は、ある授業で一緒になっていたSam GuttermanがULVERのTシャツを着ているのを見て、それをきっかけに話をしてみた。motWとMilwaukee Metalfestの実現可能性が高まってきたね。Samは興味を持ってくれて、まず、主にギターで手伝ってくれるという話になった。彼は自身の音源(ブラックメタル色が強い)を聴かせてくれて、私はそれに大変な感銘を受けた。音楽そのものはもちろん、彼がドラムスを演奏できるということに。というわけで、Tedが決めてきた複数のフェスティバルに、彼はドラマーとして加わることになった。Josh Seipp-WilliamsとCas Lucasがギタリストとしてそれらのフェスティバルに参加し、Emily EynonもMilwaukee Metalfestだけに参加した。

そういう寄せ集めのラインナップで、我々は数週間のギグをやることになった。motWの最初の3つの“プロフェッショナルなギグ”はフェスティバルだった。Worcester MetalfestとNew Jersey Metalfest、そしてMilwaukee Metalfest。WorcesterとMilwaukeeの間にハンプシャー大学で非公式のショウもやり、そこにはEmma WalkerとEmily Eynonが参加した。フェスティバルのギグの出来はひどいものだったな。即席のライヴバンドで、リハーサルも各ショウの前にたしか一度ずつしかやっていなかったし(夏になり学校が始まっていたせいもある:アメリカの新学期は早くて8月中旬に始まる)、フェスティバルの音響担当者の無礼で理解のない態度のせいもあった。メタルフェスの音響担当者はギター/ベース/ドラムス/ボーカル編成でのやり方しか知らないようだ。実生活で管楽器を一度も見たことがないんじゃないかというくらいに。

それはともかく、Milwaukee Metalfestの後、Greg、Byron、Terran、Jason、そしてCasは全員ボストンに移り住み、ご近所さんになって、大学卒業後の良い計画なしにバンドを続けていた。SamとJoshの住む西マサチューセッツはそこから数時間の距離だったけど、それぞれの生活に慣れるまでの数ヶ月間、motWは基本的に活動を停止していた。その間、私はずっと曲を書き続け、『Bath』と『Leaving Your Body Map』(ともに2001年発表)のための素材を全て用意した。

2000年末も間近となった頃、Samと私は新曲のデモをハンプシャー大学のスタジオで作り始めた。ギターとドラムスを3曲ぶん録音したのち、私達は卒業し、私はボストンに移住した。その地域にはリハーサル場所がなかったので、Samと私はコネチカット州にある私の両親の家の地下室で新譜のためのリハーサルをした。私達がスタジオ入りする直前にCasがオークランドに引っ越ししてきて、メンバーが遠距離に散らばっている状態ではあるけれども、録音を始めることになった。レコーディングの過程で我々は再びライヴをやることに決め、アルバムの録音が終わってから1ヶ月ほど経ってからNick Kyteの参加が決まった。Nickのことは大学在学中から知っていた。彼は西マサチューセッツに住んでいて、ハンプシャー大学の近くの郵便室で私と一緒に働いていた。私の着ていたKING DIAMONDのTシャツについて会話し、彼のバンドTHE YEAR OF OUT LORDのCDを送ってもらい、そしてmotWの『My Fruit Psychobells』を買ってもらった。彼は「一緒にやりたい」という手紙も送ってくれた。私はそれを覚えていて、それから約2年経って彼がたまたまボストンに移り住んできたとき(2001年)に連絡したというわけだ。

もともと『Bath』『Leaving Your Body Map』は2枚組アルバムになる予定だった。Tedは過去曲と新曲を合わせて出すよう勧めていたんだ。作曲の過程は無垢で夢見がちで独特な感じだった。実際のところはどのアルバムの制作過程も独特で、だからこそそれぞれの作品が特徴的なものに仕上がるわけなんだけど。それぞれの作品がその時々の自己を表現するものなんだ。この当時、私は“霊的な図書館(astral library:既存のあらゆる芸術が存在する特別な平面空間)”というアイデアに熱心に打ち込んでいた。芸術家は、変性意識のもとその“霊的な図書館”を訪れ、何かを読んだり見たり聴いたりして、それを持ち帰って報告したり解釈したりして、この世界に還元するメッセンジャーになる、という考えだ。ニューエイジ版ミューズ(註:ギリシア神話における、文学を司る女神達)とも、幻視のより冒険的な形とも言えるかな。

私は自分の琴線に奇妙なかたちで触れるチューニング方法を思いつき、アコースティックギターにそれを施して、ベッドの横に置いて毎晩寝る前に弄んだ。眠りを誘うような響きを出すために弦を爪弾いたんだ。その実験は結果的にとてもうまくいった。「Interlude 4」(『Leaving Your Body Map』収録)は完全に夢うつつな感じだね。このチューニングで書いた曲は、それが書かれた順に2枚のアルバムに収録されていて、意識状態から無意識状態に至る創作過程を示している。Byronはこのプロジェクトのコンセプトに従って歌詞とライナーノーツ(各ページの歌詞の横に記載されている説明文)からなる謎かけを考案した。文字通りの、ホンモノのミューズだね。「Interlude 4」はmotWの音楽の頂点であり、motWが結成以来6年に渡って模索してしたことの究極の到達点なんだ。


RAM-ZETノルウェー)》


Zetインタビュー(2001
SAMAEL、MESHUGGAH、KING DIAMOND、QUEENSRYCHESLIPKNOTDREAM THEATERVAN HALEN
メタル以外ではMASSIVE ATTACKPINK FLOYDPeter GabrielBjorkなど多数


Zetインタビュー(2005.7.4.)


SflnXインタビュー(2011.2.15)

MESHUGGAHがお気に入りで、ゴシックメタルのバンドよりもそちらの方に近いと思う
好きなバンドは気分によって変わるけど、MESHUGGAH、PANTERA、NIN、SOILWORKSLIPKNOTMADDER MORTEM、FINNTROLL、LED ZEPPELINBLACK SABBATHほか多数