【2018年・上半期ベストアルバム】(短評随時更新)

【2018年・上半期ベストアルバム】

 


・2018年上半期に発表されたアルバムの個人的ベスト10です。

 

 

・評価基準はこちらです。



 http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2014/12/30/012322

 


個人的に特に「肌に合う」「繰り返し興味深く聴き込める」ものを優先して選んでいます。

  

・これはあくまで自分の考えなのですが、ひとさまに見せるべく公開するベスト記事では、あまり多くの作品を挙げるべきではないと思っています。自分がそういう記事を読む場合、30枚も50枚も(具体的な記述なしで)「順不同」で並べられてもどれに注目すればいいのか迷いますし、たとえ順位付けされていたとしても、そんなに多くの枚数に手を出すのも面倒ですから、せいぜい上位5~10枚くらいにしか目が留まりません。

(この場合でいえば「11~30位はそんなに面白くないんだな」と思ってしまうことさえあり得ます。)

 

たとえば一年に500枚くらい聴き通した上で「出色の作品30枚でその年を総括する」のならそれでもいいのですが、「自分はこんなに聴いている」という主張をしたいのならともかく、「どうしても聴いてほしい傑作をお知らせする」お薦め目的で書くならば、思い切って絞り込んだ少数精鋭を提示するほうが、読む側に伝わり印象に残りやすくなると思うのです。

 

以下の10枚は、そういう意図のもとで選ばれた傑作です。選ぶ方によっては「ベスト1」になる可能性も高いものばかりですし、機会があればぜひ聴いてみられることをお勧めいたします。もちろんここに入っていない傑作も多数存在します。他の方のベスト記事とあわせて参考にして頂けると幸いです。

 

・ランキングは暫定です。6月下旬に出たものをはじめ面白そうなのに聴けていないものが大量にあるので、今後の聴き込み次第で入れ替わる可能性も高いです。

 

 

上半期best10

 


9・10位のみに短評をつけました(2018.7.6)

8位に短評をつけました(2018.7.7)

7位に短評をつけました(2018.7.8)

4位に短評をつけました(2018.9.3)

 


第10位:HOWLING SYCAMORE『Howling Sycamore』

 

 

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 Spotify

 https://open.spotify.com/album/1sVdcMXesp1TJ33TAOgYvA?si=KYWXJyXlQWSVp9aGiUi0pA

 

 

 Apple Music

 https://itunes.apple.com/jp/album/howling-sycamore/1308676955

 

 


  Davide Tiso(ギター・ベース:ex. EPHEL DUATH)、Hannes Grossman(ドラムス:ALKALOID, BLOTTED SCIENCE、ex. OBSCURA, NECROPHAGIST)、Jason McMaster(ボーカル:ex. WATCHTOWER)からなるバンドの1stフルアルバム。初期WATCHTOWERをアヴァンギャルドブラックメタル化したようなスタイルで、作編曲・演奏の両面においてありそうでない独自の領域を開拓。現時点では全く注目を集めていないのが勿体なさすぎる大傑作です。

 

 ブラックメタルについてご存知ない方はこちらの記事もあわせてご参照ください:

http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2015/03/27/050345

 

  EPHEL DUATHはイタリアのブラックメタル寄りバンドで、知名度は低いものの、2005年に発表した4thアルバム『Pain Necessary to Know』(THE DILLINGER ESCAPE PLANをダウナーなブラックメタルに溶かし込んだような唯一無二の味わいを持つ)などにより一部で極めて高く評価されています。このバンドは実質的にDavideのソロプロジェクトだったようで、エリック・ドルフィーのようなフリー寄りジャズから近現代クラシック音楽に通じる高度な音遣いを独特のリズム構成とともに展開する音楽性には素晴らしい個性がありました。2009年発表の6thアルバム『Through My Dog`s Eyes』ではその最高の成果が聴けます。


 同バンドは2011年からKaryn Crisis(Davideの妻となる)をボーカルに据えるのですが、発声自体は悪くないものの生硬く表現の幅に欠ける歪み/がなりスタイルが個人的には馴染めず、バッキングは非常に良いけれどもアンサンブル全体としてはちょっと…と感じた自分はそれ以降興味を失ってしまいました。Karyn込みでの最初のフルアルバム『Hemmed by Light, Shaped by Darkness』を2013年末に発表した翌年にEPHEL DUATHは「Davideの個人的事情」により解散。(離婚ではない模様?)それから目立った話が聞こえてこない状況が続いていたのですが、先月たまたまEPHEL DUATHのことを思い出してMetal Archivesで検索してみたところ、2016年の4月にこのHOWLING SYCAMOREを結成し、今年の1月に最初の公式音源となる本作を発表していたということを知るに至ったのでした。

 

  自分がHOWLING SYCAMOREに興味を惹かれたのはなによりもまず「あのDavide Tisoのバンド」だったからですが、そこにこの他2名のメンバーが加わっていることにも新鮮な衝撃を受けました。ドラムス担当のHannes GrossmanはNECROPHAGISTが2004年に発表した2ndアルバム『Epitaph』(クラシカルな旋律を前面に押し出す超絶テクニカルデスメタルの名盤として後続に大きな影響を与えた傑作)などで叩いている達人で、同じ「プログレッシヴデスメタル」のカテゴリを代表する名バンドOBSCURAやBLOTTED SCIENCEでも凄まじい名演を多数残しています。また、自身が全ての作詞作曲を担当するソロプロジェクトHANNES GROSSMAN(演奏はドラムス以外委託)でも個性的で強力なテクニカルデスメタル作品を発表しており、作編曲能力についても優れたものがあります。そしてJason McMasterは超絶テクニカルスラッシュメタルの歴史的名バンドWATCHTOWERの1stアルバムで歌っていた“ハイトーン”ボーカリスト。一聴して「スピードメタル(伝統的なメタルの一つの本流NWOBHMが高速化したスタイルでハードコアパンク由来のスラッシュメタルとは音遣いの傾向などが異なる)声だ」と思わせる典型的なクセと個性的な味わいを持っています。この3人の名前を見たとき自分はこのバンドの音楽性について「BLOTTED SCIENCE(WATCHTOWERのギタリストRon Jarzombekが主催する超絶テクニカルインストデスメタルバンドでHannesも参加している)にブラックメタル色を加えた」的なものを想像したのですが、そういう場面もなくはないにせよ、実際の音ではだいぶスピードメタル寄りのストレートなスタイルになっています。それでいて構成要素は全然オーソドックスでない。非常に面白い内容です。

 

  本作においては、EPHEL DUATHやHannes関連作で多用される複雑なリズムチェンジは殆どなく、ストレートな拍構成のもとでアヴァンギャルドブラックメタル的な音遣いがうまく整理された形で展開されています。EPHEL DUATHよりIHSAHNやVED BUENS ENDE~VIRUSに近いフレーズ/コード進行をスピードメタル的なそれ(WATCHTOWERやTOXIKに通じる感じ)と巧みに融合させたような音遣いは全編抽象的ながら非常にキャッチー。聴くほどにハマります。(「NEVERMOREとIHSAHNを足してスピードメタル~スラッシュメタル化した」ような趣もあり、個人的にはその2バンドよりもこちらの方が好きです。)そして演奏も実に素晴らしい。Hannesのドラムスがメタル的に硬く整ったビート処理(“跳ねない”扁平なノリ)を保ちつつ膨大な打音の全てで微細なニュアンスを描き分ける(間違いなくこのジャンルの最高級品である)一方で、Davideのギターはビル・エヴァンス(ピアノ)的な「ビートを迂回して弾く」リズム処理が巧みで、ドラムスが描く均一な座標軸の上で艶やかにヨレる動きを加えていきます。そしてその2名に負けず劣らず素晴らしいのがJasonのボーカル。スピードメタルらしいヒステリックで素っ頓狂な歌いまわしは真面目な佇まいと滑稽味を自然に両立しており、ブラックメタル由来の暗く蠱惑的な雰囲気を絶望一直線に導かないバランス感覚に大きく貢献しています。

 

  このような作編曲と演奏が組み合わることにより生まれる味わいはブラックメタル・スピードメタル両方の歴史において(少なくともこのレベルでは)ありそうで全くなかったもので、「80年代末から現在に至る地下メタルの金脈で培われた深く豊かな音楽性を、80年代中頃以前における正統派メタルの“シリアスかつコミカル”な在り方のもとでうまくまとめた」ような趣があります。優れた歌モノとしてコンパクトにまとめられた楽曲は全曲がうまく異なる形に描き分けられており、その上でアルバム全体の流れまとまりも素晴らしい。この1ヶ月間で40回ほど聴き通しましたが全く飽きません。他では聴けない魅力に満ちた大傑作だと思います。

 

 こちらの記事

http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/

 でいろいろ書いたように、「メタル」シーンで語られる音楽の中には、ハードコアパンク寄りの躍動感を持つ(体を突き動かす)ものから、アンビエントに流れていく瞑想向きの(フィジカルには殆ど作用しないがメンタルに効く)ものまで、ありとあらゆるスタイルのものが存在します。そうした広がりがメタル外に少しずつ知られるようになるにつれて「メタルは様式美に縛られた進歩のない音楽だ」というイメージ(実はメタル外だけでなくメタル内にも存在する先入観)は80~90年代の頃と比べるとだいぶ薄まってきてはいるのですが、いまだに色濃く残っている面もあるように思います。本作が興味深いのはそうしたイメージを利用しつつそこから逸脱できていることで、EPHEL DUATHなどでメタル的な定型を放棄し開拓した結果得られたもの(非常に面白く豊かだが聴き手からすると難解で敷居の高い印象を生む)を正統派ヘヴィメタル~スピードメタル的な“歌モノ”スタイル(ある種の様式美)のもとで吞み込みやすくまとめるという難事を成し遂げてしまっています。こういう在り方が非常に面白く、なにより単純に楽しく心地よく没入できる。今からでも広く注目されてほしい大傑作です。

 

 

 

〈参考資料〉

Davide Tisoインタビュー

http://www.heavymusichq.com/howling-sycamore-interview/ 

http://www.metaltitans.com/howling-sycamore-exclusive/ 

Jason McMasterインタビュー

https://www.axs.com/interview-jason-mcmaster-talks-debut-howling-sycamore-album-new-ignito-127000 

 

 

 

第9位:cero『POLY LIFE MULTI SOUL』

 

 

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Spotify

https://open.spotify.com/album/6JD9GiACPTf4symuPbpfPG?si=i2N3_wfKQHGoGhEu1g-yyQ

 Apple Music

 https://itunes.apple.com/jp/album/poly-life-multi-soul/1374692619

 

 

  2015年発表の3rdアルバム『Obscure Ride』で一世を風靡、シティ・ポップやネオソウル歌謡などと呼ばれるカテゴリの代表格となったグループの4thアルバム。前作で全面的にフィーチャーされていた“ヨレる”“訛る”リズム処理(ディアンジェロロバート・グラスパーを参照したもの)は後景に引っ込み、ティポグラフィカやいわゆるアフロ・ポップに通じる多層リズムアレンジ、南米音楽などを参照しつつ独自の配合を確立した高度なコード進行が、微細なニュアンスを描き分ける超強力なアンサンブルによって巧みに統合されています。複雑な構造を過剰に難しく感じさせないプレゼンテーションの手管は完璧で、アルバム全体としても“聴きやすく聴き飽きにくい”理想的な仕上がりになっている。R&B~ヒップホップ~クラブミュージックのファンはもちろんプログレッシヴロックやポストロックのファンなどにも強くアピールしうる内容で、各所の年間ベストアルバムを獲得しまくること間違いなしの大傑作です。

 

  本作のこのような音楽的方向性は、前作発表後に国内外で同様のスタイルを志すグループがあまりにも多くなりすぎた状況によるところも大きいようです。各所に掲載されたインタビュー(文末にリンクをまとめて掲載:いずれも非常に興味深く内容の被りも少ないので御一読をお勧めします)では、

  「『JAZZ THE NEW CHAPTER』で紹介されてきたような現行のジャズをリスナーとして探求する一方、ロバート・グラスパーのフォロワーが激増して「良いけどみんな一緒じゃん」となった時に、『Obscure Ride』同様そうしたもののフォロワーとして活動していくのに嫌気がさした」

「グラスパーのフォロワーが「ビートもの(ヒップホップなど)を参考にして打ち込みを生演奏に置き換える」ことばかりにフォーカスする一方で、自分たちの興味はブラジルやアフリカにも向かっていて、それらを研究しつつも未来のことを考えていく」

「何か一つのムーブメントに熱を上げ翻訳を試みる、というのではなく、世界中・古今東西の音楽を切り貼りしてめちゃくちゃ雑多なものをつくる」

 という意識・判断があったことが語られています。そうした音楽的志向は「『Obscure Ride』のようなスタイル(ネオソウル歌謡、シティポップなど)は現状すでに供給過多なのではないか」(ひいては「そこを回避することによりうまく音楽ファンにアピールできるのではないか」)という現状認識にうまく合致するものでもありました。戦略的な見方と音楽好きとしての志向性が軌を一にした結果本作が生まれた、という面も少なからずありそうです。

 

  そうした方向性のもと製作された本作では、前作のような「シンプルな4拍子系のなかで一つ一つの出音がビートに対して大きくズレ揺らぐ」タイプの(ネオソウル的な)リズム処理は控えめになり、それぞれのパートが異なる拍子(4拍子と3拍子など)・分割(4連符と3連符など)を描きながら並走するポリリズミックなアレンジが多用されています。こうしたリズム構成は、いわゆるアフロポップや、菊地雅章ティポグラフィカ、DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDENほか菊地成孔関連、水谷浩章のphonolitetなどを参照しつつ、サポートを含むメンバー全員のアイデアを柔軟に取り入れて作られたもので、膨大な情報量が非常にうまくまとめられています。「ベッテン・フォールズ」(8分音符の長さを変えず5拍子から9拍子に移行→その8分音符1個ぶんの長さを3連符1個ぶんの長さに移し変えた4拍子に移行→既出の5拍子パートに移行、中盤では9拍子のところから8拍子に移行する)と「Buzzle Bee Ride」(アフリカ音楽のリズム型のひとつを7拍子に変形させ、そこにいわゆるアフロ・ビートが混ざってくる展開にした:アイデアの着想としてはアフリカがあるけれども民族音楽をやりたいわけでは全くないとのこと)の2曲以外でいわゆる変拍子(4または3でない拍子)が土台になる場面は一切なく(「夜になると鮭は」のトラックなども4拍子で割り切れます)、ストレートに流れる拍子の上で捻りの利いたフレーズが機能衝突を起こさず互いを引き立てあっているのです。前作の“ヨレる”“訛る”リズム処理が控えめになったのはこうしたクロスリズム的な構造を明快に提示するための(こういう構造が必然的に要求する)ものでもあるわけですが、だからといって完全に棄却されたわけでもありません。本作ではそういうニュアンス表現ができる演奏力を前提としたアンサンブル構築がなされており、微細ではありますがそういうヨレもしっかり描かれています。最終曲最後の4ツ打ちパートでも「縦割りで踊らせるものではなく、ずっと揺らいでいる感覚」が意識されているのです。インタビューで語られている

「ロウレンソ・ヘベチス(ブラジルのジャズギタリスト)の『O Corpo de Dentro』からは、民族音楽をジャズやヒップホップ、ビートミュージックといった都市的なものと接続する意志が感じられ、今回のアルバムと通じるものがあると思う。民族音楽電子音楽をただ一緒に鳴らすというようなイージーな発想ではなく、たとえば民族音楽の太鼓のリズムの訛りがヒップホップのビートの揺らぎと似ている、だから接続可能なんだ、という考え方に立脚していると思うし、そこに共感している」

という話は、微細な揺らぎを意識的に表現する演奏とクロスリズム的な(譜面上で/記号的に交錯する)楽曲構造を両立する本作のスタイルをよく表したものと言えます。

 

  そして、このようなリズムアレンジ以上に意識的に取り組まれたというのがコード面での探求です。

「前作『Obscure Ride』までは、エキゾチカやブラックミュージックなど様々な音楽に影響を受けてアレンジが変わっていったけれどもコードに関してはいわゆる邦楽の範疇に留まっていた。そういうところから脱するために、リズムについての歴史や楽理を独学で研究した後、コードについても勉強しなおした」

「今回、リズムが変わったと思う人が多いかもしれないけど、実はコードの方が凝っている」

という本作の音遣いは、エグベルト・ジスモンチマルコス・ヴァーリ、エルメート・パスコアールといったブラジルの高度なポピュラー音楽に通じつつ独自の落とし所を見つけているものばかりで、前作ではまだ色濃く残っていた「シティ・ポップ」的なスタイルを完全に回避することができています。

(前作に最も近い曲調の「Double Exposure」も何かの亜流と感じさせない個性的な進行に仕上げることができています。)

ブラジル音楽の薫りを漂わせながらも70年代フュージョン的な定型オシャレ進行に縛られない本作の音遣いは、そうした進行を多用するジャジーヒップホップ~トロピカルハウスや「シティ・ポップ」の一種として済ませられない独自の境地に到達できており、そうした点においてFLYING LOTUSやアンダーソン・パークなどに並び立つ(音楽構造の強度ではむしろ凌駕する)ものになっています。こうしたコード面の作りこみを先述のような多層リズム構造を活かすモーダルな(=コードでなくフレーズ“から”構築していく)作曲スタイルと両立する楽曲の完成度は大変なもので、聴けば聴くほど味が増す、汲めども尽きせぬ滋味に溢れているのです。

 

 こうした構造の強度を支えるのがグループの卓越したアンサンブルです。

「便宜的にバンドと称することはあっても、自分(髙城)の中ではとっくにそれは終了していて、プロジェクト・チームみたいな」「主役になるのはサポートメンバーの人達で、その人達が遊べる容れ物を作る、かつ、それ(サポートメンバーが遊ぶことにより生まれる成果)をいただいて、ceroが新しいプレゼンテーションを世間にやれる、という関係が望ましい」(『ミュージック・マガジン』2018年6月号 p36より)

というふうに、本作のアンサンブルは

ceroの3人:髙城昌平(vocal, guitar, flute)、橋本翼(guitar, chorus)、荒内佑(keyboard, sampler)に

サポート:光永渉(drums)、厚海善朗(bass)、古川麦(trumpet, chorus)、小田朋美(keyboard, chorus)、角銅真美(percussion, chorus)

を加えた固定メンバー(在り方としてはTALKING HEADSなどに通じるかも)が1年以上にわたるライヴ活動を通して熟成したもので、「練習が足りないと複雑に聴こえる」という楽曲の数々を明快に解きほぐされた形で提示することができています。リズムと和声進行の大枠を提示した上で「A地点からB地点に行くまでにこの旗とこの旗をタッチしてください、というルールを設定した上で、途中のルートは各自にお任せします」というふうにし、その「ルート」をセッションやライヴを通して作り込んでいったという製作過程が示すように、各メンバーのアイデアや演奏の持ち味がアレンジにおいて必要不可欠な構成要素として活かされ、このグループにしか生み出せない“アンサンブル全体としての味わい”を作り上げていく。7~8割はメンバー全員による一発録りだという演奏は以上のような関係性の賜物なのでしょう。どのパートに注目して聴いても面白く、全体としての一体感(=グルーヴ)も素晴らしい。こうした点においても稀にみる傑作になっています。

 

このような楽曲構造の発展に呼応するかのように、本作では作詞の面でも素晴らしい達成がなされています。

「リズムやコードによって選ばされる言葉が変わってくる」「言葉と音楽の関係が、どっちが優位に立っているかで在り方が変わってきますよね」「言葉と音楽、どちらもイニシアチブを持ってるものがあるかというと、それはわらべ歌なんじゃないか。「あんたがたどこさ/肥後さ/肥後どこさ」(「肥後手まり唄」)って変拍子ですけど、言葉の区切りがリズムを生んでるので言葉が優位なのかというと、言葉と音楽がイコールだとも言える。それに近いものをつくりたいという思いはあったかな」

という意識から編み出された「かわわかれわだれ」というフレーズは、「かわわかれ(川は枯れ)」と「かれはだれ(彼は誰)」と「だれかわわかれ(誰かは別れ)」という言葉がポリリズミックにループする、音楽的な響きと言語的な意味を兼ね備えた“音楽的な言葉”で、複数の曲(1・8・12)でリズム・意味の両面において効果的な引っ掛かりを生み、アルバム全体にテーマ面での統一感を与えるのにも貢献しています。その他にも、「TWNKL」における「ちょっとレゲエ・マナーというかステッパーみたいなリズムに複雑な譜割の歌詞を乗せてみよう」「『Obscure Ride』のときは多用していたR&B的フェイクを減らしたことにより歌がトラックと調和し、いなたさがなくなった。こういう3拍子のビートダウン・ハウスみたいなものにどうやって日本語をのせるかと考えた時にゲットしたやり方のひとつ」という試みなど、作詞/ボーカルの面においても楽器陣の卓越した演奏にひけをとらない音楽表現がなされています。その上で、「生」と「死」の境界線上で遊ぶというイメージ、その象徴としての“川”、といった従来からの物語的な表現力もしっかり活かされている。聴きどころは非常に多いです。

 

  以上のような音楽的探求をする一方で、彼らが本作の製作過程で最も気を遣ったのは

「複雑なことをやっているけれどもそれを難しく聴かせない」

「難しいことをやってますというプレゼンを絶対にしない」

ということだったようです。

 「車で言ったら、エンジンの構造は複雑なんだけど単純に乗り心地が良い、みたいな感じが理想」

「途中でダンスが止まらない、踊りやすい形に調整していく」

「変わったリズムの曲をつくると言っても必然性が必要」

 という考え方は、japantimesのインタビューで語られている

「目標は理解させることではなく踊らせること。なので踊らせられなければ失敗」

 という意識に通じるもので、その背景には少なからずクラブミュージックからの影響がある模様。そうした姿勢がはっきり表れているのがアルバムの最後を飾るタイトルトラック「Poly Life Multi Soul」です。

アルバムを通して“ポリ”だったり“マルチ”だったりする側面を強調していた演奏が、最後の4ツ打ちパートに向かって同期・収束する。この曲はBPM120で、DJにハウスミュージックに繋いでもらうという明確な意図をもって作られているとのことです。

「通して聴いてここまで来て、4ツ打ちが入ってきた瞬間に「あ、これってダンスミュージックのアルバムだったんだ」と気付いてもらいたかった」

「DJにおけるしごきタイム(複雑なリズムで簡単には踊れない展開:このアルバムでは最初から最後の曲の途中までの部分)を経た上でのカタルシス

「最後、4ツ打ちに集約されて駆け抜けていく感じが、DJユースじゃないですけど、そこから次の曲がかかって夜が始まっていくような感じ」「ここから各々、いろいろな夜で次の曲に橋渡しされていくのかな、それの一部になれるのかな」

 といったイメージをもって作られた本曲は、「このアルバムがダンスミュージック集なんだというプレゼン」であり、アルバム全体のコンセプトを明快に示すものでもあります。

 本作では、このタイトルトラックに限らず、たとえば

「「レテの子」や「Poly Life Multi Soul」がソリューション(解決)の曲だとしたら「Waters」は問いかけの曲」

というふうに、複雑なコンセプトを可能な限り呑み込みやすいように整理した巧みなプレゼンテーションがなされています。作編曲や演奏はもちろんアルバム全体の流れまとまりも非常に良いですし、それを聴かせるためのサウンドプロダクションに関しても

「都市的というか、レンジがワイドすぎず、ワールド・ミュージックっぽい響きにならないこと」「レンジを広げないで、R&Bやヒップホップが好きな子でも聴けるアフロビートにしたいんだという話をエンジニアにした」

というように、接しやすさということを考え抜いた上での着地点が選ばれている。聴き込んでも聴き流しても楽しめるし、細かいことを考えずに聴き浸っているうちに複雑な構造への理解度が自然に深まる優れた“教育効果”もある。あらゆる面において心憎いまでによくできた、ポップミュージックとして歴史的名盤クラスの大傑作だと思います。

 

  個人的には、以上のような「計算しつくした」「図式化してプレゼンテーションするのが良くも悪くも非常にうまい」感じが微かながら確実に気になるようなところはあります。音楽構造が必然的に抱える深く豊かなカオスをしっかり捉えスポイルせずに提示することはできているけれども、そのカオスを生のカオスのまま放り出すことが良くも悪くもできていなく、「身構えている」「ほんの少しだけ火を通しすぎに感じられる」感じが出てしまっていて、そうした気配が微妙に気になるからか無防備にハマるのを避けてしまう、というか。こういう「図式化してプレゼンテーションするのが良くも悪くも非常にうまい」感じはインタビューで自分たちの音楽を饒舌に図式化し説明してしまえる様子などにもよく表れていて、彼らの“プレイヤーであるのと同時に研究者/批評家的な視点も濃く持ち合わせる”在り方を示すものだと思うのですが(そう考えると「主役になるのはサポートメンバーの人達」というような姿勢は“プレイヤー”成分を補い増やすためのある意味必要に迫られてのものなのかも)、逆に言えば本作はこのような在り方をしている人たちにしか作れないタイプの作品ですし、そういう在り方から滲み出る小賢しさが良い意味での隠し味として機能するギリギリのラインでうまくまとめられている内容だとも思います。自分は前作『Obscure Ride』を数十回聴き通し生でも2回観たうえで上記のような感じになじめず離れてしまったのですが、本作においてはそれが鼻につく部分は殆どありません。こうした面においても最良のバランスを突き詰めた大傑作なのではないかと思います。今までピンと来なかった方もぜひ聴いてみることをお勧めします。

 

 

 ちなみに、本作のリズム・コード面における志向性は、R+R=NOW(ロバート・グラスパーをはじめとする現代ジャズシーンのスタープレイヤーが集結したスーパーバンド)に絡めた対談

前編

http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/18371 

後編

http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/18376 

 で語られている

「いわゆる現代ジャズの話をしていると、いまだに〈ヨレたリズム〉がどうこうって言われるけど、それはとっくにトピックではなくなっている」

「リズムの次は何かとなったときにフォーカスしたのがウワモノ。ズレたりヨレたり複雑だったりはしないけど、滅茶苦茶グルーヴしているリズムセクションがあって、その上で何をやるか、そこにどんな新鮮なハーモニーを乗せるか、それをいかに難しくは聴かせないかということが、今のジャズで試みられていることだと思う」

J・ディラ的なリズムやネオソウル的なハーモニーはもはや基礎教養になっていて、そこを通らないと次のセオリーには行けない」

「みんなそれを通過した上でその後に自分の音楽を探さなければならないというモードになっている」

 といったトピックに見事に合致するもので、そうした点においても実にタイムリーで“戦略的”(どのくらい意図的なものであるかはともかく)な作品なのではないかと思います。非常に興味深いアルバムです。

 

 

 

〈参考資料〉

 

公式HP掲載インタビュー

http://kakubarhythm.com/special/polylifemultisoul/#/interview 

ナタリー掲載インタビュー

https://natalie.mu/music/pp/cero05 

japantimes掲載インタビュー

https://www.japantimes.co.jp/culture/2018/05/10/music/cero-chooses-complicated-kind-pop-poly-life-mutli-soul/#.WzrM0oRcWaM 

OTOTOY掲載インタビュー

https://ototoy.jp/feature/20180516 

b*p掲載インタビュー

https://www.bepal.net/bp/47139 

 

ミュージック・マガジン』2018年6月号 掲載インタビュー

 

 


第8位:AT THE GATES『To Drink from The Night Itself』

 

 

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Spotify

 https://open.spotify.com/album/338ifJImqTbQYtUyQANHdf?si=lpb8P9zKRzCnzNCyof7tTQ

Apple Music

https://itunes.apple.com/jp/album/to-drink-from-the-night-itself/1352528251

 

 

いわゆるメロディック・デスメタルメロデス)を代表する名バンドの復活(2010年)後第2作。これまでメインソングライターだったAnders Björler抜きで製作された初めての作品で、もう一人の作曲家Jonas Björler(Andersの双子の弟)のセンスが全面的に開花した一枚になっています。もともとメロデスの枠に留まらなかったこのバンドの音楽性が深化拡張された上で非常にうまくまとめられた内容は見事の一言で、スウェーデンの初期デスメタルハードコアパンクをゴシックロックのエッセンスを加えつつ統合したようなスタイルは当地のシーン史上屈指の成果では。個人的にはこのバンドの最高傑作だと思います。

 

  AT THE GATESがカテゴライズされることが多いメロデス(この略語は日本発祥のようですが、英語圏のメディアでも使われることがあります)というジャンルは、90年代のハードロック/ヘヴィメタルシーンで大きな人気を博す一方で、コアなメタルファンからはかなりの抵抗感を示されてきました。
そもそも、メロデス登場の背景となった北欧(特にスウェーデン)の初期デスメタルシーンでは、スカンジナビアハードコアパンクの“すっきり流れる一方で常に渋みを伴う”音遣い感覚に、CARCASS的な暗黒浮遊感、そして欧州フォーク〜クラシック音楽的な振幅の大きい美旋律を加えるスタイルが育まれてきました。そうした初期デスメタルの名バンド(DISMEMBERやENTOMBEDなど)は最近のハードコアパンクシーンにも大きな影響を与える強力な魅力を持ったものばかりで(先述のような音遣い感覚はもちろん硬く躍動感のあるグルーヴなども)、これはコアなメタルファンにも歓迎されることが殆どです。このような「それ以前のスラッシュ/ハードコアの渋みを残したまま美旋律を導入した」北欧デスメタルも所謂メロデスに括られることが多いのですが、現在広く認知される(そしてコアファンから敬遠される)タイプのメロデスは、美旋律の導入を優先する余り先述の“渋み”を失っていることが多いです。具体例はあえて挙げませんが、特に90年代後半に日本盤が乱発された類のメロデスは、クラシカルなスケール(ハーモニックマイナー主体で殆ど半音を使わない)の薄味演歌的フレーズと安易な解決(ドミナントモーション)を連発するコード進行が極めて多く、そのワンパターンで底の浅い構造が様々な層から批判されてきました。そうした傾向は「メロデス」と最初に呼ばれるようになった幾つかのバンドより後に登場した(フォロワー的な)バンド群にかなりはっきり共通し、先述のようなスタイルの「わかりやすく刺激は強いものの味の質が単調で浅い」感じが悪い意味でジャンル全体の特徴として認識されてしまうことになったのです。
このような抵抗感は名サイト『Thrash or Die!』
http://www.geocities.co.jp/Broadway/4935/hm.html
のレビューにおける評価の分かれ方でもよく示されています。実際、スラッシュメタル/ハードコアを聴き込み訓練された耳からすればそうした評価は妥当なものばかりで、私も良くも悪くも大きな影響を受けました。
しかし、全ての「メロデス」バンドがそうしたワンパターンなスタイルに陥っていたわけではありません。ARCH ENEMYはそこに分類されつつ最初から一線を画す音遣い感覚を備えていましたし、DARK TRANQUILLITYやIN FLAMES、SOILWORKなどはそこに分類されつつ優れた拡張/発展を繰り返してきました。

 

メロデス第一世代に数えられるAT THE GATESもそうした優れたバンドの一つです。このバンドが1995年に発表した4thアルバム『Slaughter of the Soul』はメロデスを語る際真っ先に挙げられる歴史的名盤で、先述のような初期スウェディッシュ・デスメタル的爆走感覚をより硬く整ったプロダクションでまとめたサウンド(後に「デスラッシュ」と呼ばれるサブジャンルの雛形になりました)にわかりやすく鮮烈なリードメロディをたっぷり載せるスタイルで大きな人気を博しました。

 (発表当時はあまり注目されなかったようですが、アルバムリリースに伴うアメリカツアーで当地のメタルファンに衝撃を与えた結果、KILLSWITCH ENGAGE、THE BLACK DAHLIA MURDER、AS I LAY DYING、DARKEST HOURといったいわゆるメタルコア(2000年代以降の意味でのくくり)を代表するバンド達に決定的な影響を与えるなど、メインストリームのメタル/へヴィロックバンドの傑作群を上回る存在感を示し続けています。)

 ただ、その名盤4thはこのバンドにとってはむしろ例外的な作品で、それ以前のアルバムではもっと雑多で豊かな音楽要素が様々な形で示されていました。1992年発表の1st『The Red in the Sky Is Ours』では専任バイオリン奏者が在籍し(メタルバンドとしては極めてイレギュラーな編成)、北欧トラッド的なパートと初期北欧デスメタル的なパートがうまく統合されないまま併置されていましたし、2nd『With Fear I Kiss the Burning Darkness』(1993)や3rd『Terminal Spirit Disease』(1994)も、1stに比べればこなれていたものの、ゴシックロック~ゴシックメタル的要素など、スタンダードなデスメタルスタイルからは逸脱する(しかし同時期の当地のシーンではTREBLINKA~TIAMATやGOREMENTなど似た味わいを追求するバンドも確かに存在していた)音楽要素が取り入れられていたのです。4thはそうした要素を隠し味程度に引っ込めつつストレートに勢いのあるスタイルに整理した作品で、それがFredrik Nordströmによるサウンドプロダクション(初期スウェディッシュ・デスメタル特有の冷たくささくれだった音作りを程よくクリアに整えつつダイナミックに仕上げた:これ以降Fredrikはメロデスシーン最大の売れっ子プロデューサーになる)で仕上げられたことにより強い訴求力を獲得し、大きな影響力と名声を勝ち得た。ということなのだと思います。つまり、そもそもAT THE GATESは典型的な「メロデス」の枠内だけで語られるべきバンドではなく、そうしたものにありがちな定型から外れる要素こそを持ち味とする音楽性の持ち主と言えるのです。

 この4thアルバム発表の翌年にはバンドの中心人物だったAnders Björlerがツアー疲れを理由に脱退を表明。それをきっかけに解散したAT THE GATESは、4thアルバム発表時の編成で2007~2008年に一時的な再結成をした後、本格的な再結成を望むファンの声を受けて2014年に同編成での活動を再開。4thをTHE HAUNTED(Björler兄弟が結成した“デスラッシュ”寄りメタル/ハードコアバンド)に近づけつつそれ以前のスタイルも微妙に参照したような佳作5th『At War with Reality』を同年に発表し、その後はライヴ活動を続けていくことになります。そして2016年に再びAndersonがツアー疲れから脱退を表明。バンドはJonas Stålhammar(GOD MACABRE、ex. UTUMNO)を加え、本作6th『To Drink from the Night Itself』を製作することになったのでした。

 

  本作の作詞・作曲はそれぞれTomas Lindberg(ボーカル)とJonas Björler(ベース)が基本的に全て担当し、全員が何かしらの形でアレンジに貢献しているといいます。Jonas Stålhammarが加入した時点では手付かずの部分は殆ど残されていなく、担当リードギターのフレーズ作りを除き関与している部分はあまりないとのことなのですが、本作の音遣いにはそうした話が意外に思えるくらいUTUMNOに通じる要素が多いです。UTUMNOは初期スウェディッシュ・デスメタルの中ではいわゆる“激情ハードコア”に特に近い音楽性を持つバンドで、IHSAHNやENSLAVED(ひいてはMESHUGGAH)に通じる“オーロラが不機嫌にまたたく”ような明るい暗黒浮遊感のあるコード感も魅力の一つでした。本作でもそうした音遣い感覚が各所で効果的に活用されており、AT THE GATESが過去作で培ってきた音楽要素と絶妙な融合をみせています。いわゆるメロデスメロブラ(メロディックブラックメタル:ここではDISSECTIONやNECROPHOBICなど初期スウェディッシュデスメタルシーンの近傍にいたバンドをさす)特有の比較的素直に流れる音進行を軸としつつ、北欧独特のゴシック感覚や暗黒浮遊感がうまく溶かし込まれている感じというか。最終曲『The
Mirror Black』はその好例で、『The Mind`s I』期のDARK TRANQUILLITYに通じるゴシック感覚と初期IN FLAMESのようなNWOBHM由来メロデス的な音進行がこのバンドにしか扱えない按配で自然に融合しているという趣があります。そうした叙情的な音進行がスウェーデンのバンド特有のブルース感覚のもと巧みにコントロールされているのも本作の素晴らしいところです。クラシカルで流麗な旋律が多用されながらもコード的には一定の“解決しなさ”が保たれる音遣いは、定型的メロデスの「泣いて済ます」安易な進行とは異なり、「涙が流れきらない感じをどう描くか」に主眼が置かれている。本作では、そうした音遣い感覚が、複数の旋律が複雑に絡み合う多層構造(ULVER『Nattens Madrigal』などをも凌駕しうる緻密な対位法的アレンジ)のもと、かつてない錬度で熟成されています。このような構造を持った本作は、メロデスとか慟哭とかいう手垢のついた謳い文句ではなく、たとえば「北欧デスメタルシーンから生まれた異形のシンフォニック・ゴシックロックの大傑作」など、もっといろんな視点から吟味されるべき作品なのではないかと思います。

  本作の素晴らしさは以上のような作編曲だけでなく演奏の良さによるところも大きいですね。このバンドのオリジナルメンバーであり地下メタルシーンを代表するセッションプレイヤーでもあるドラマーAdrian Erlandssonはメタル的安定感とハードコアパンク的躍動感を最高のバランスで統合した名人のひとりで、16分音符のシンバルが雑だというような弱点はありますが、一音一音が心地よく切れ込むバスドラムや絶妙のタイミングで引っかかるスネアなどのコンビネーションには他の追随を許さぬ旨みがあります。それが最高の形で発揮されているのが6曲目「The Chasm」で、AT THE GATESには珍しいD-Beat寄り疾走パートを渋く美味しく彩っています。それにぴったり噛み合うJonas BjörlerのベースもTomas Lindbergのボーカル(デスメタルシーンを代表する名ボーカリストのひとりで、ハードコアパンクやファンク~ソウルミュージックの影響を消化した正確で個性的なフレージングが売り)も実に素晴らしい。本作ではこのようなアンサンブルの妙味を多彩なリズム構成のもと様々な側面から楽しめるようになっていて、完璧に滑らかな部分とそうでなくむしろもっさりしている部分の両方が非常に良い形で活かされています。こういう面においても聴きどころの多いアルバムです。

 

  以上のように全ての要素が充実した本作は、スウェーデンの地下メタルシーン史上屈指の一枚というだけでなく、メタルとハードコアパンク両方に影響を受けて生まれた音楽の一つの到達点としてみることもできる大傑作なのではないかと思います。「どうせメロデスだしつまらないんじゃないの」という先入観を持つ人(自分もそうでした)にはぜひ聴いてみてほしいですし、わかりやすく泣けるメロデスを好む人にとっても北欧初期デスメタルハードコアパンクの深い森に分け入る入門編として良い内容と言えます。お薦めです。

 

 

 

〈参考資料〉

DECIBEL MAGAZINE掲載インタビュー

https://www.decibelmagazine.com/2017/11/22/gates-forthcoming-lp-heavier-death-metal-last-one/

METAL WANI掲載インタビュー

https://metalwani.com/2018/04/interview-at-the-gates-tomas-lindberg-on-upcoming-album-concept-i-was-a-big-challenge-to-portray-it-musically-lyrically-in-a-death-metal-setting.html

Tomas Lindbergを創ったアルバム10選

https://www.revolvermag.com/music/gates-tomas-lindberg-10-albums-made-me

 

 


第7位:Sen MorimotoCannonball!』

 

 

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Spotify

 https://open.spotify.com/album/0Gy6pQqmY6QATlaYxqflek?si=Ovk9mNmrSfeGWJbQY1790A

 Apple Music

 https://itunes.apple.com/jp/album/cannonball/1383325829

 

 

京都出身・シカゴ在住の日本人ミュージシャン/プロデューサーのLPサイズとしては初となるフルアルバム。派手なカマしのない落ち着いた雰囲気やローファイな音作りからは容易に想像できないくらい緻密な音楽で、ヒップホップのヨレる感覚をIDM的なビートと融合させたリズムトラック、複雑なコードを単線の旋律を積み重ねることにより構築する音遣いなど、聴けば聴くほど構造の凄さに圧倒されてしまいます。ルーツは異なるのでしょうが「カンタベリープログレとアシッドフォークがジャジーヒップホップのフィールドで融合した」ような趣もあり、Mats/Morganやディグス・デュークなどにもひけをとらない強度がある。偏屈で親しみやすいポップミュージックの大傑作です。

 

  Sen Morimotoはマサチューセッツ育ちで、そこで10歳の頃からジャズスタイルのサックスを学び始めたといいます。当地西部のDIYヒップホップシーンでマルチ楽器奏者/作曲家として活動を開始した後2014年にシカゴに移住し、その豊かな音楽シーンに大きな影響を受けたとのこと。SoundCloudで定期的に新曲を公開/消去するのと平行してBandcampで『For Me & Ladie』(2015年)と『It`s Late Remastered』(2017年)の2枚のEP(収録時間はともに10分台)を発表したのち、同じバンドに所属したこともあった当地のミュージシャンNnamdi Ogbonnayaが経営するSOOPER RECORDSと契約。本作は同レーベルからのデビュー作として製作されたキャリア初のLPで、当初は20曲以上からなる長尺を想定していましたが、より凝縮した構成のアルバムにしたかったこと、そしてパソコンの故障により録音データのかなりの部分を失ったことから、収録する曲数を大幅に絞ることになりました。そうして完成したのが全9曲40分構成の本作『Cannonball!』です。「データ破損の際は打ちのめされ喪失感にさいなまれたけれども、それを再構築する過程を通して製作に集中できるようになり、結果的に良い方向に進むことができた」という本作の仕上がりは実際大変素晴らしく、異なるスタイルに磨き上げられた楽曲全てが“ここしかない”といえる位置で互いを引き立てあう構成は完璧。何度でも快適にリピートし続けられる一枚になっています。

 

  本作はそのローファイなサウンド(ハイファイ(金のかかったクリアでリッチな“高音質”サウンド)とは逆の印象を与える音像)もあってかあまり“技巧的に洗練された”音楽という印象を抱かれないようですが、その構造は驚異的に高度で、同じ枠で語られることの多い“インディーポップ”やジャジーヒップホップの多くとは一線を画します。よく言われるリズムトラックはもちろん和声構造がとにかく凄い。カンタベリー系のプログレッシヴロック(初期SOFT MACHINE、HATFIELD & THE NORTHあたり)やフランク・ザッパといったクラシック音楽寄りジャズロック、そしてミシェル・ンデゲオチェロエスペランサ・スポルディングといったネオソウル~現代ジャズを、両者の共通成分である現代音楽~ポストロック的要素を媒介して融合した…というような趣のあるコード感は、たとえばMats/Morganやディグス・デュークなどにもひけをとらない高度なものですし、それらを凌駕しているのではないかと思える場面すらあります。この人が凄いのはそういう和声構造を鍵盤のコード弾きではなく複数のメロディを積み重ねる手法により構築してしまうことで、サックスやボーカルなどの印象なフレーズが絡み合って魅力的な和音を構成し、その中で各々のフレーズが効果的な引っ掛かりを生む、という理想的なアレンジを随所でみることができます。

(サックスで自分のやりたいことを表現することはできるがボーカリストとしては全く訓練されていないのでそれができない、なので「歌うようにサックスを吹く」のではなく「サックスを吹くように歌う」ことを心がけているという話もあります。)

何も準備していない状態でとりあえずサックスを多重録音することから曲ができていったという「Sections」はその好例ですし、多重録音のボーカルハーモニーから始まる「Die Dumb」にはジェイコブ・コリアーにも通じる高度な和声感覚があります。加えて言えばこの2曲に限らず“コーラス”のアレンジがとにかくうまい。影響源や参照対象について言及した記事が見当たらないのでどういった音楽体験を通してこのようなセンス~技術を獲得したのかよくわかりませんが、稀にみる技術と個性を兼ね備えた音楽家だと思います。

(※2018年8月の来日に際するインタビュー記事で音楽的影響源が詳しく語られていました。短評最後の参考資料集のところに付記しています。)

 

そしてこのようなフレーズ/コード遣いにひけをとらないくらい興味深いのがリズムアレンジ~演奏感覚です。ヒップホップならではのリズム処理(基幹ビートの流れに乗りつつそこからヨレたりズレたりするアンサンブル感覚)が土台になっているというだけではなく、ビートの流れ自体から自在に離れたり再びそこに戻ってきたりしうるフリーな手法がさりげなく活きているという感じ。例えば「Sections」終盤(3分33秒頃~)では4拍子系のトラック(一定のBPMのもとでドラムスやサックスがヨレながら並走)に4拍ループのギターリフが絡み、ギター1拍の長さは土台となるトラック1小節を3で割った3連符1つぶんに相当する、という関係が保たれるようにみえるのですが、ギターリフの1拍の長さは実は徐々に変化し、曲の終わりに近づくにつれて確実に速くなっていきます。これは複数のBPMを重ねるDTMにも通じる構造ですが(テープ使用の多重録音の時代からある手法でもあります)、BPMが変化する側であるギターリフの1音1音が感覚的に非常に心地よくハマる仕上がりは「違ったBPMのトラックを何も考えず重ねてみました」という安易な編集とは一線を画します。生演奏による即興感覚(プレイヤーとしてのジャズ感覚)とクラブミュージックならではのアンサンブル感覚が非常にうまい形で融合していて、打ち込み/サンプリングオンリーのトラック作りでは作りえない“間”の奥行きが生まれているのです。これは本作が基本的にはSen Morimotoひとりによる多重録音(ゲストのラップやコーラスを除く全てのパートを演奏しているとのこと)だからこそ可能になっている部分も多そうです。基幹ビートに対する“ヨレ方”の感覚/クセが全パートで共通しているからこそ大胆に揺らぐリズムアンサンブルを自然にまとめることができるというのはありそうです。

 こうした演奏感覚の味わい深さだけでなく、本作のリズム構造は楽譜的(記号的)にみても非常に興味深いものになっています。「How It Feels」と「How It Is」ではそれぞれ10拍・11拍でループする複合拍子的なフレーズが聴けますが、それらは予め変拍子にしようと考えて作られたものではなく、できたものを聴いて数えてみたらたまたまそういう拍構成になっていたのだといいます。先にコンセプトを設定してそこに縛られるのではなく各々のフレーズ(そしてそこに不可分に関わるコード進行)が自然に要求する形を描いていったらたまたま変拍子になったという成り立ちもあってか、イレギュラーなリズム展開にもかかわらずそこに聴きづらさとかひけらかし感のようなものは一切なく、余計なことを考えず聴き流せる居心地のよさすらあるのです。前者終盤の「10拍ループのトラックに4拍ループのボーカルリフがポリリズミックに絡む」パートや後者の基軸となる「11拍×3で1周するループフレーズ」はそうした感覚の賜物なのではないかと思います。こうした構造が先述のような演奏感覚のもとで具現化されることにより生まれるグルーヴは唯一無二。このような点においても非常に興味深い音楽です。

 

というふうに、Sen Morimotoの音楽はそのローファイな音像からは想像できないくらい高度で個性的な成り立ちをしているのですが、音楽から漂う雰囲気や人柄の表現といったことを併せて吟味すると、そうしたローファイな音像はむしろ必然的に選ばれたもの、この音楽の構成要素として必要不可欠なものなのではないかと思えてきます。たとえば、各所掲載のインタビューによると本作の歌詞は彼自身が抱える強迫観念や過去の精神的苦痛を扱ったものが多く、誰もが持つ普遍的な“不安”を創作のインスピレーションとしつつそれを取り除くことにより得られる平穏さを求めているとのことなのですが、音楽だけ聴く分にはそういうストレスフルな印象が強く感じられる部分は殆どありません。フラストレーションを吐き出す歌詞を歌っていてもそういう印象が過剰に前面に出ない佇まいには、たとえばピーター・アイヴァースに代表されるアシッドフォークのミュージシャンによくある「世間の“普通”に馴染めない苛立ちを常に漂わせつつ、そういう自分を特に悲観せず受け入れ、くよくよせずに生きている」「ヒリヒリした焦燥感と深い落ち着きが違和感なく自然に両立されている」様子に通じるものがありますし、SLAPP HAPPYやHENRY COWといった欧州アヴァンポップ~レコメン系ミュージシャンの偏屈ながら親しみやすい雰囲気を想起させる面もあります。先述のような音楽性の高度で衒いのない(徹底的に作りこんでいるけれどもそういうことをひけらかそうという気配が一切ない)感じはこうした偉大なる先駆者に並び立つものがありますし、奇妙な引っ掛かり(コード進行や変拍子など)を配置しつつ全体としては極めて滑らかに流れていく構成は「ヒリヒリした焦燥感と深い落ち着きが違和感なく自然に両立される」様子を饒舌に示すものでもある。そうした在り方とこういうローファイな(その実とてもよく作りこまれた)音像は非常に相性が良いと思うのです。各曲に印象的な見せ場が用意されている一方でアルバム全体としては大きな浮き沈みがなく、明確な展開を生みながらも聴き手の感情を過剰に揺さぶるようなところがない。これは、聴き手を快適に浸らせるための巧みなプレゼンテーションでもありますが、それ以上に作り手自身がそういう居心地を求めた結果生まれたものなのではないかと思います。LPサイズだからこそのゆったりした構成(前2作の短~中距離走的なつくりに比べ明らかに長距離走的なペース配分/テンションコントロール/時間感覚が想定されている)もそうした居心地に大きく貢献しています。本当によくできた作品です。

 

  以上のように、Sen Morimoto初のLPサイズ作である本作『Cannonball!』は、「宅録マルチプレイヤーによるジャジーヒップホップの変種」といった枠に留まらない音楽で、現代ジャズやアシッドフォークなど様々な方面から注目されるべき内容をもつ大傑作なのではないかと思います。個人的には「Mat/Morganとピーター・アイヴァースを混ぜて落ち着かせた」ようなものとして接している面もあり、勢いはあるけれども肩の力を抜いて浸れるものとして大変重宝しています。ジェイコブ・コリアーやディグス・デューク、WONKやANIMALS AS LEADERSといったものを好む人にもアピールしうる魅力がありますし、今年のサマーソニック&単独公演で一気に注目される可能性も高いのでは。ぜひ聴いてみてほしいです。

 

 

ちなみに、アルバムカバーは絵ではなく、Pete Drake(ピート・ドライク)のビデオに想を得て作ったジオラマを撮影したものだということです。

(下記Interview Magazine掲載インタビューに詳細あり)

 

 

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〈参考資料〉

Bandcamp Daily掲載インタビュー 2018.6.6

https://daily.bandcamp.com/2018/06/06/sen-morimoto-cannonball-interview/

Consequence of Sound掲載の各曲コメント

https://consequenceofsound.net/2018/05/sen-morimoto-cannonball-track-by-track-stream/

Interview Magazine掲載インタビュー 2018.4.26

https://www.interviewmagazine.com/music/chicago-jazz-rapper-sen-morimoto-shows-us-camera-roll

Chicago Tribune掲載インタビュー 2017.9.20

http://www.chicagotribune.com/entertainment/music/ct-ott-chicago-music-local-sounds-0922-story.html

FADER掲載インタビュー 2018.3.27

http://www.thefader.com/2018/03/27/sen-morimoto-people-watching-premiere

 

FNMNL掲載インタビュー(日本語)2018.8.13

http://fnmnl.tv/2018/08/13/57765

 上の記事では一切触れられていなかった(短評を書いた時点では参照できなかった)具体的な影響源がたくさん載っていて非常に参考になります。

Outkast(特に『Stankonia』)、Kanye West、Odd Futureレーベル所属アーティスト、Lil Wayne、Black Hippy(初期)、Stevie Wonder(特に『Music of My Mind』)、SLY & THE FAMILY STONE(『Fresh』)、Wilco(『Yankee Hotel Foxtrot』)、Sun Ra(『The Antique Blacks』)など

 

Spincoaster掲載インタビュー(日本語)2018.8.15

https://spincoaster.com/interview-sen-morimoto

 

 


第6位:宇多田ヒカル『初恋』

 

 

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第5位:A PERFECT CIRCLE『Eat The Elephant』

 

 

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第4位:KIRINJI『愛をあるだけ、すべて』

 

 

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Spotify

https://open.spotify.com/album/1nkblBF6TXGOXe3AGOxbEO?si=ORFpCDp8SuadjCO5MvteBA

Apple Music

https://itunes.apple.com/jp/album/aiwo-arudake-subete/1385940375



日本を代表するポップミュージックバンドの3rdフルアルバム(前身のキリンジ時代から数えれば13th)。近年の優れたポップスに張り合おうとする試みが音楽的ブレイクスルーをもたらした一枚で、ダンスミュージックやヒップホップのループするノリと歌謡曲~J-POPならではの雄弁なメロディ展開が絶妙に両立されています。歌メロが非常によく立っているのにどれだけ繰り返し聴いてもモタレないバランスは奇跡的で、心技体すべてが充実したベテランが最新のトレンドに完全対応することで初めて到達できる境地という点では世界的にも稀な作品かも。個人的には彼らの最高傑作だと思います。広く聴かれてほしい素晴らしいアルバムです。

 

各媒体のインタビュー(この短評の最後に記事へのリンクをまとめています)によると、KIRINJIのリーダー堀込高樹がこのような作風を志した背景には「いま世の中にはこういう音楽が溢れていて日本のシーンはこんな感じ。そこに対し自分たちはどういう音楽を投げかけるか」という考えがあったようです。

この「渡辺志保と宇多丸 ポップスター・ドレイクを語る」

https://miyearnzzlabo.com/archives/52145

というラジオ書き起こし記事でも触れられているように、ここ数年のアメリカのポップチャートはヒップホップやダンスミュージック系統の音楽に席巻されており、しかも売れているものほど音楽的に強力で興味深いという状況が続いています。そのような状況に対し「ポップミュージックだからその時(今の時代)に聴けないとダメだと思う。10年後に良いと言われるのもダメだし、10年前の音楽だと思われるのもダメだし。世の中のいろんな音楽の中で埋没したくもないし遅れをとりたくない」「最近のポップスはほとんどがダンスミュージックかヒップホップの影響下にあるかそれ自体で、そういう中に放り込んだときに〈ゆるい〉とか〈なごむ〉とか思われたくなかった」と考え、その一方でそうした音楽を純粋に好きになり刺激を受けたことが本作におけるスタイル転換につながっているようです。

「ここ数年で音楽の聴かれ方やポップスの成り立ち方もずいぶん変わった。ヒップホップやダンスミュージックを基調とした今のポップスはどれもワンアイデアを広げていくスタイルで、〈イントロです、Aメロです、はい、サビきましたよ!〉という感じではない。同じようなテンションのまま自然にサビへ移るみたいな。なので、自分が慣れ親しんできた〈A→B→C〉みたいな作曲スタイルを生演奏で普通にやったらとてつもなく懐かしい感じのものになってしまう。そのカビ臭さはどうにかしなくちゃならない。だから、ループを軸としたポップスと並べても違和感のない音作りにしたいし、なおかつJ-POPの〈A→B→C〉構成をうまい具合に両立できないかなというのはずっと考えている」

「ダンスミュージックやヒップホップに通じる音楽性に取り組んだのはただ〈トレンドだから〉というよりもそういう音楽を自分が好きになったことが大きい気がする。最近の音楽は未知のものだし〈なんだこれ?〉と驚かされることも多い。そこからヒントを得られることもあるし、新しい音楽を作るための発奮材料になる。ただ、新しい音楽に刺激を受けて曲を作っても、これまで積み上げてきたクセみたいなのもあるし、絶対に同じような感じにはならない。製作中にエンジニアと話していた『Funk Wav Bounces, Vol.1』(カルヴィン・ハリスの2017年作)なんかは、ダンスミュージックだけどポップスでもありラップも入っていて、リスニングとしてちょうどよく聴いていてすごく心地いいし、いろんな要件をバランスよく満たしている。ファンキーでメロウだけど圧があって程よくアガる感じもある、ダンスアルバムとしてもリスニングアルバムとしても聴けてしかもあんまり湿っぽいところがない、というふうに。音はちゃんと立っているんだけれどもリラックスできる、ああいう聴かれ方ができる音楽がいいなということはぼんやり考えていた。感情は中年の気持ちで歌ってるけど音は最新、そのなかで自分のルーツが勝手に滲み出てきちゃうものが格好良いかなと思って作った」

といった発言は先述のような姿勢をよく表しています。

このような姿勢はキリンジ(高樹・泰行の兄弟ユニット)からKIRINJI(泰行脱退を経てのバンド編成)になったことで生まれたものでもあるようです。

キリンジの頃は、過去の自分よりも良い曲を書きたいという〈自分との戦い〉だけだったのだが、ユニットからバンドになって〈次に何をするか?〉を常に考えなければならなくなり、〈世間〉に対しどう対峙するかを意識するようになった。曲を次々に書けるようになったのもバンドになって可能性が広がったからだと思われる(バンドというひとつの〈社会〉を作ったからこそ外の〈社会〉と向き合うようになった)」

というように、同時代のシーンやトレンドを観察しそれに対応する必要性に迫られたことでそれまで試してこなかった手法を積極的に採用するようになった。そうした方向転換が結果的に本来の持ち味を最も効果的に活かすことになり最高の成果をもたらしたのが本作『愛をあるだけ、すべて』なのだと思われます。

 

本作のこのような方向性が具体的に定まったのはアルバム製作開始前に準備できていた唯一の曲「時間がない」のレコーディング中だったといいます。

「打ち込みでバキバキにしすぎるのもあんまりなので、楠均(ドラムス)が踏んだキックをサンプリングし、それを均等かつジャストに貼っていった上で(タイミングも音色も均一になる)、それに合わせてハットとスネアを叩くことにより、マシーンっぽい音と生音(人間的なグルーヴ)を両立させた」

という手法は

「前作『ネオ』でもバンド演奏とエレクトロニクスの融合に手応えを感じてはいたがまだ生々しさがある気がした。RHYMESTERとの共演曲「The Great Journey」もKIRINJIなりにガツンといけた感じはあったが、それでも生演奏っていう感じではあるから、ダンスミュージックのトラックに比べると若干いなたく感じるときがあって、今回はそれを解消したいという気持ちがあった」

「〈機械に聞こえる、でもこれはやっぱり生だよね〉というところに落とし込みたかった」

という意図から導き出されたもので、ヒップホップ~ダンスミュージック的な硬く逞しいビート感覚と生演奏ならではの表情豊かなダイナミズムがうまく両立されています。

この曲で試された

「生のドラムでシンバルを叩くとハットやスネアなど他のマイクに音が全部かぶってしまい、どうしてもライヴ感が出て密閉感が損なわれてしまう。なので今回はシンバルだけ別に録るようにした」

「KIRINJIの場合いつもはサビではコーラスを入れてボーカルをダブルにしてみたいなアプローチが多いのだが、それだと70年代後半のニューミュージックみたいなコーラスサウンドになってしまい古臭く聴こえる。なので今回それは抑え、エフェクトで作るコーラスを採用した。複数の人の声が入るとどうしても緊密な感じがなくなりふわっとしてしまう(それぞれの歌い方をしているからバラける)ので、それを避けるために堀込単独コーラスをもとにデジタルでコーラスを作った」(Bon Iver作品におけるデジタルクワイアの使い方に少なからずインスパイアされたとのこと)

といったレコーディング手法や

「今このタイミングでこういう曲調をA・B・Cと展開する起承転結のあるポップス形式で作るとなんかダサいので、〈Aメロと同じシンセのフレーズを弾いてベースラインだけ変えることでサビとして機能するようにした〉Aメロ・Bメロのみの構成にし、ポップスとしても聴けるけど構造はダンスミュージック的、というバランス感覚を意識した」

というふうな作編曲スタイルは一定の成果を挙げ、他の曲でも様々なやり方で採用されていくことになります。

「After The Party」ではドラムスを打ち込みでスクエアに貼ったところにベースやギターがずらした演奏を乗せるネオソウル~現行ジャズ的なアンサンブル表現を試み、The Weekndを意識しつつだいぶ異なるかたちに仕上げた「新緑の巨人」では、録音したキックをサビで均一に貼りなおす一方でその前のパートではポストロックっぽい不均一な生ドラムを採用し両者をミックス段階で自然に繋げる。本作収録曲のテンポは最近のダンスミュージックやヒップホップと同程度(BPM100付近)のものが多く、アルバム通して大きな変化を生まない構成になっているのですが、上記のようにして全曲異なるグルーヴ作りがなされているため、全体としてのまとまりと微細な変化が絶妙に両立され続けます。大枠としての方向性を絞りつつそのなかで多彩な試みをすることにより統一感と表情の豊かさが両方得られる。本作のこのような持ち味は〈ループ中心の曲でもベースを細かく変化させるなど、どうしても曲を構成したくなってしまう〉嗜好の持ち主が〈同じようなテンションのまま自然にサビへ移る〉ダンスミュージック寄りポップスを志向したからこそ生まれたのだと思われます。

 

そして、上記の〈統一感と表情の豊かさが両立される〉持ち味はメロディやハーモニーといった音遣いの面でもバランスよく貫かれています。キリンジ~KIRINJIがこれまで作り続けてきた高度なポップスでは独特のブルース感覚からくる引っ掛かりを保ちつつ〈よく動くリードメロディを作る〉ことが特に重視されていましたが、〈同じようなテンションのまま自然にサビへ移る〉ループものを意識した本作ではそうしたメロディの動きが必要最小限に抑えられています。その結果、リードメロディを肉付けするコードの種類もほどよく絞られ、起伏の幅を増やしすぎないまとまりある構成を生むことができているのです。また、その限られたリードメロディも複雑なコード進行を自在に操るこのバンドならではの捻りが効いたものばかりで、ループものを意識したからといって固有の持ち味は少しも減じられていません。多くのダンスミュージック~ヒップホップがリフ(繰り返すフレーズ)の上で短く単純な歌メロを反復する構造から脱却できないのに対し、KIRINJIの場合は歌謡曲~J-POP的なよく動く歌メロをフュージョン~ブラジル音楽に通じる高度なコードワークで彩る技術を磨いた上でループものにアプローチしてきたということもあって、ループ構成のなかでも“リフ一発”の反復スタイルに比べ使える音遣いの種類が段違いに多くなります。その結果、メロディやハーモニーの面でも高次元で〈統一感と表情の豊かさを両立する〉ことが可能になるわけです。

このような成り立ちをした本作の音楽性はアメリカからは絶対に出てこないタイプのもので、実は近年のR&Bやヒップホップにそこまで影響を受けていない(作風の面で参照してはいるがルーツの一部である60~70年代のソウルミュージックなどと比べると血肉化されていない)のではないかということも考えると世界的にみても意外とありそうでないスタイルであるように思われます。

 

本作がなにより素晴らしいのは、以上のような作風がキリンジ~KIRINJIの過去作にはありえなかったタイプの〈アルバム一枚としての流れまとまりの良さ〉をもたらしていることです。

キリンジ期は異なる音楽的嗜好をもつ2人のソングライター

http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2017/07/02/004839 参照)

が個別に曲を書き、それを並べた結果たまたま一枚のアルバムができるという製作体制になっていたため、アルバム全体の設計(音楽的方向性や流れの構成)をあらかじめ考慮し意識的に固めることはできていない印象がありました。どの作品も結果的に非常にまとまりよく仕上がってはいるものの、いろんな曲調が無節操に並べられ、それらの“語り口”や“時間感覚”が微妙に異なるために、曲間の繋がりは滑らかでもアルバム全体としての起伏は多くなりすぎるというか。そういう起伏の多さを物語的な流れまとまりにつなげることができた最大の成功例が『BUOYANCY』(8th、2010年)であり、逆にいまひとつパッとしない印象を生んでしまったのが泰行脱退宣言の直後に発表された『SUPER VIEW』(9th、2012年)だったように思います。もちろん起伏が多いからこそ生まれる良さもありますし、その起伏のかたちがアルバムによって大きく異なるのもキリンジ作品の得難い魅力になっていました。ただ、このような〈一枚全体の流れにおける引っ掛かり〉が良い意味・悪い意味両方での負荷となるために気軽に続けてリピートすることが容易でなくなっていた面もあったように思います。

これに対し、KIRINJI期になってからは5~6人の正メンバー全員がアレンジに関わるとはいえメインソングライターは高樹ひとりであり、アルバム全体の方向性をかなりはっきり統一することができます。特に本作の製作時においては

「KIRINJIを始めたばかりの頃はメンバー各自の引き出しをとにかく全部開けていたが(カントリー、ニューウェーブ、クラシカルなものなど)、メンバーの個性がわかってくるにつれて〈この引き出しは必要ない、開けなくていい〉ということがわかってきた」

という認識ができており、収録曲の音楽性を過剰に多彩にするのを避ける傾向がありました。こうした姿勢のもとで先述のような〈統一感と表情の豊かさが両立される〉ループものを志向した本作は、キリンジ~KIRINJI全期を通してほとんど初めて明確なコンセプトのもとで製作された作品であり、全曲の“語り口のペース”や“時間感覚”が似ています。そうした曲のみが並ぶことにより、同じようなテンションを保ちながら必要最小限のほどよい起伏を描いていく流れが生まれる。つまり、リズム・グルーヴやメロディ・ハーモニーだけでなくアルバム全体の構成においても〈統一感と表情の豊かさが両立されている〉わけです。本作の曲順決めには製作スケジュールの関係もあって9曲中8曲を作曲した堀込高樹はほとんど関与していない(田村玄一(ペダルスティール・スティールパン)を中心にメンバーとスタッフが決定した)のですが、一枚通して淀みなく流れ最後から最初にも滑らかに繋がる完璧な構成ができています。自分はこれほどメロディアスなリードパートをもつ音楽はそこまでしつこく聴き続けられないタイプなのですが、本作は発売日(2018.6.13)から約2ヵ月半で100回以上聴き通せてしまえています。過剰な起伏を生まず、聴き流しても聴き込んでも楽しめる。これはキリンジ~KIRINJIの過去作には(少なくともこれほどのレベルでは)ありえなかったことで、〈ベテランが流行に張り合おうとして初めて試みたスタイルが素晴らしい新境地を切り拓いた〉最高の好例と言えるのではないかと思います。

 

興味深いのは、このような〈何度でも快適に聴き通せるし聴きたくなる〉アルバムの仕上がりがサブスクリプションサービス全盛の現況に完璧に対応していることです。

SpotifyApple Musicといったサブスクリプション(モノの利用権を借り利用した期間に応じて料金を支払う方式)サービスでは本作も含めほとんどの新譜がフィジカル(CDやLPといった“現物を手元に置ける”商品)の発売と同時にフルでストリーミング配信され、月額¥1000程度であらゆる音源が聴き放題になります。そうした配信に用いられる圧縮音源の音質はCDと比べれば良くなく(Spotify有料会員の320kbpsが上限)、より良い音質を求めるのならCDを買う価値はありますが、音楽の再生環境にこだわりを持たずPCのスピーカーやiPhone付属のイヤホン以外では聴かないという人はストリーミングの圧縮音源でも気にしないことが多く、“現物を手元に置く”ことに思い入れがなければ音源を買う必要がなくなります。このようなサービスやYouTubeの普及によりほとんどの新譜を〈買わずに聴く〉ことができるようになった結果、中身を十分に聴かせずに音源を“売り切る”ことが非常に難しくなりました。CDの売り上げがどんどん落ちている背景にはこうした現況も大きく関係しているのではないかと思われます。

ただ、こうした現況が音楽文化に対し悪影響を与えているかというとそうとも言い切れないのが面白いところです。サブスクリプションサービスやYouTubeでは配信音源の再生回数に応じてその製作者に料金が支払われるため(前者の支払いレートは後者の10倍程度)、そこから高い収入を得るためには〈一聴して耳を惹く〉上に〈繰り返し聴きたくなりしかも聴き飽きにくい〉音源を作らなければなりません。つまり、〈即効性〉と〈耐聴性〉を両立した魅力的な音源作り(MVとして配信する場合は動画も)が必要になるわけです。優れたプレゼンテーション能力(わかりやすく印象的なメロディや巧みな楽曲構成など)または圧倒的にうまい(上手い=テクニカルな、もしくは旨い=個性的な)演奏があれば即効性が得られますし、安易に“解決”しない音進行(ループ構成はその最たるもの)や深い没入感を与える音響があれば耐聴性が得られます。このような要素を備えた“普通に高品質”な作品が求められる今の音楽市場は〈耐聴性〉に乏しい音源が乱発された90年代のCDバブル期などに比べればかなり健全だという気がしますし、ここ数年のアメリカの〈売れているものほど音楽的に強力で興味深い〉状況にはこうした事情も少なからず関係しているのではないかと思われます。

KIRINJIの本作『愛をあるだけ、すべて』に話を戻すと、全曲の歌メロが印象的な上に〈統一感と表情の豊かさを両立する〉〈何度でも快適に聴き通せるし聴きたくなる〉つくりにもなっている本作は、曲単位でみてもアルバム単位でみても〈即効性〉と〈耐聴性〉を稀にみるレベルで兼ね備えています。“歌モノ”出身だからこそ作れるタイプのループミュージックというスタイルが音楽的達成だけでなく音楽市場での対応力獲得にもつながっている。自分は配信開始日にApple Musicで5回聴き通した上でCDを買いましたし、似たような経緯でハマった人も少なからずいるのでは。あらゆる面でうまくいった大傑作なのだと思います。

 

それにしても本当に特別な雰囲気を持ったアルバムです。例えば「新緑の巨人」。毎年〈新緑〉が芽吹く3~4月頃に心身の調子が悪くなるという堀込高樹がそうした気分からの解放を願う曲なのですが、メランコリックで哀しげなサビでも元ネタであるThe Weekndほどストレートに絶望一直線にはならず、うつむき気味ながら涼やかな佇まいで“想いが重い”感じを回避することができています。頑張れない人特有の反省と決意を描いたという「明日こそは/It`s not over yet」も見事で、深い倦怠感を滲ませつつカラ元気を捨てない様子を“控えめだけどパワフル”に示すアンサンブルは若手のバンドには難しいのではないかと思われます。これは堀込高樹の〈シニカルだけど嫌味にならない〉柔らかい歌声があってこそ可能になる表現ですし(よりシニカル度の高い堀込泰行込みの編成ではこの味は出ない)、低域を強く意識したというわりには押し出しが控えめなサウンドプロダクションもこうした絶妙なバランスに大きく貢献しています。そして極めつけはアルバム最後を飾る「silver girl」。ガールフレンドの頭に白髪があるのを見つけたポール・サイモンが「君は“silver girl”だね」と言った話からヒントを得て生まれたという歌詞〈黒髪の中に ひとすじ 銀色の細いリボンが光る〉が南米の黄昏を仄かに漂わせる物哀しいコード進行の下で柔らかく歌われ、それをスティールパンの淡く輝く音色が彩る。インスパイア元であるドレイク「Passionfruit」を上回る、マイケル・ジャクソン「The Lady In My Life」にも並びうるメロウなソウルの名曲だと思います。以上のような絶妙な〈力加減〉〈距離感〉の表現は50歳を目前にした成熟したミュージシャンだからこそ可能になるものでしょうし、その上で全く老け込んでいない瑞々しい雰囲気は、本人は「いい加減〈エバーグリーン〉とか言われたくないんです(笑)」と言っていますが、やはりその言葉が相応しい(そういう意味においては岡村靖幸にも通じる)のではないかと思います。心技体すべてが充実したベテランが最新のトレンドに完全対応することで初めて到達できた大傑作。広く聴かれてほしい素晴らしいアルバムです。

 

 

 

〈参考資料〉

 

ナタリー

https://natalie.mu/music/pp/kirinji07

Veemob

http://veemob.jp/2018/06/11/6471-2/

Mikiki

http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/18152

http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/18387

リアルサウンド

http://realsound.jp/2018/06/post-204929.html

billboard JAPAN

http://www.billboard-japan.com/special/detail/2354

es

https://entertainmentstation.jp/234101

CINRA

https://www.cinra.net/interview/201806-kirinji

 

ビルボードカフェ&ダイニング」トークイベントレポート

http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/65069/2

 

堀込高樹×いつか「AIの逃避行」コラボ対談

https://qetic.jp/interview/kirinji_charisma-pickup/272525/2/

「Passionfruit」の影響を受けた曲

https://www.tbsradio.jp/267465

堀込高樹宇多丸 KIRINJI『silver girl』とDrake『Passionfruit』を語る

https://miyearnzzlabo.com/archives/50808

 

 

〔各曲について〕(上記インタビューのまとめ)

 

「明日こそは / It`s not over yet」

 

同じメロディを繰り返しているから、何かストーリーを組み立てるよりも、感情を乗せた言葉をひとつのフレーズで繰り返したほうが、よりグッとくるかなと思ってこうした。ループを踏まえた作曲スタイルの変化が作詞のあり方にも影響を及ぼした。

60年代後半~70年代頭のモータウンをもう少しダーティにして音圧を増やしたイメージ。曲調そのものは古いソウルを意識しているけど、低域の音をもっと強調している。ベースもDかCまで出していてダンスミュージックやヒップホップに合わせている。Eまでしか使っていないと〈おやっ?〉となるくらい腰高に聴こえてしまう。

SANABAGUN.高橋紘一(Tp)と谷本大河(Sax)はRHYMESTER主催フェス「人間交差点」の出演者つながりで、グループのなかで演奏している人ならではのノリ(セッションマンとしていろんな現場で演奏している人にはない)を求めて起用した。

 

「AIの逃避行」

 

生演奏は入っているが、リズムは4ツ打ちで、トリガーを使ってキックを均一なボリュームにしてみたり、ダンスミュージックに近づけるような音像をがんばって作ろうとした。

(アルバム製作開始に先行し2017年末に作られたこの曲において本作のループミュージック志向が既に明確になっていたという話に関連して)『DODECAGON』以前のキリンジはずっとシミュレーショニズム(大衆芸術のイメージをカットアップ/サンプリング/リミックスといった手法を用いて盗用する:既存のものをその印象を残しつつ繋ぎ合わせるやり方)で曲を作っていた。『DODECAGON』はそうでないものを目指し、それまでのキリンジとは別のイメージを備え付けるために、硬質で機械っぽい、いかにも打ち込み然としたサウンドを使った。それに比べ今回の場合は、現在の音楽シーンにどれくらい寄せていけるかという意識の方が強かった。

自分(堀込高樹)の中ではPREFAB SPROUTがダンスミュージックをやっているようなイメージ。

 

「非ゼロ和ゲーム」

 

映画『メッセージ』(原題Arrival)で知り興味をもち、このタームを解説する歌詞を書こうと考えた。

ループはRHYMESTER「Future Is Born」の雰囲気を意識して作った。

キックサンプリング手法(下記)を用いている。

 

「時間がない」

 

アルバム製作が本格的に始まる前にあった3月のBillboard Liveの時点では「AIの逃避行」(2017年末発表)を除きこの曲しかできていなかった。レコーディングに突入してこの曲を録音しているときに全体のアプローチが定まった気がした。

浦本雅史のミックス(サカナクションAwesome City Club、DAOKOなどで生のドラムサウンドとエレクトロニクスをうまく混ぜなおかつ現代的なミックスをしていたのをみて採用)によりドラムスとベースがバチッとくる感じに仕上がった。堀込が自分でミックスするとストリングスやキーボードを高い音で入れてウワモノでにぎやかしを作してしまいがち。それと比べると歌の聞こえ方が全然違って新鮮だった。

普通にやったらボズ・スキャッグス「Lowdown」みたなパターンで、ただのAOR好きおじさんがやってるなって感じになっちゃうので、下記のキックサンプリング手法を試した。

打ち込みでバキバキにしすぎるのもあんまりなので、楠均(ドラムス)が踏んだキックをサンプリングし、それを均等かつジャストに貼っていった上で(タイミングも音色も均一になる)、それに合わせてハットとスネアを叩く、という手法により、マシーンっぽい音と生音(人間的なグルーヴ)を両立させた。結果的に、いつものKIRINJIっぽさを残しつつ新鮮なものに仕上げられたと思っている。これで手応えを得て「非ゼロ和ゲーム」も同じ手法で作った。

曲の構造はA・B・Cと展開する起承転結のあるポップスとは異なる。今このタイミングでこういう曲調をポップス的に展開する構造で作るとなんかダサい。ポップスとしても聴けるけど構造はダンスミュージック的、というバランス感覚は意識した。

AメロとBメロしかない。サビはAメロと同じシンセのフレーズを弾いてベースラインだけ変えることでサビとして機能するようにしている。

普通に弾くとどうしてもアーシーで土臭いニュアンスが出るペダルスティールを、ダンスミュージック的なサウンドの中でどんなアプローチで用いるべきか、というふうに考えながら(楽曲に合うプレイを意識しながら)弾いてくれている。

メインボーカル(堀込)をコピーしデジタル変調させてコーラスを作ったので細かいビブラートなどのタイミングがピッタリ合っている(→リズムのかみ合いもタイトになっている)。

 

「After The Party」

 

カチッとしたビートに対してそれぞれの演奏者が違う解釈のリズムを重ねていく構造(ヒップホップとかではよくある手法)を採用し、最近のジャズやR&Bがやっているリズムのよれた演奏の感じを出そうと試みた。ドラムを打ち込みでスクエアに貼ったうえにベースやギターをずらして演奏している。この手のサウンドはぼちぼちあるけど、ソウルフルな歌やラップが入っているものが大半で、弓木ボーカルみたいなのが乗っているものは珍しいんじゃないかと思う。ヨレ/タメがあり大人っぽいニュアンスがある歌メロなので最初は心配していたが、ソウルやジャズの感じもあるサウンドに女の子か少年かわからないようなかわいいボーカルが乗ることで特別な雰囲気の曲になった。

今回はバラードを入れたくなかったがミディアム~スロウな曲が1曲は欲しい、ということで書いた曲。

 

「悪夢を見るチーズ」

 

全体的にポップな曲が多いからちょっと変な曲が欲しいなと思っていたところに千ヶ崎から送られてきた曲でまさしく渡りに船だった。

デモはドラムスとベースと仮歌だけのシンプルなもので、そこに堀込がブラジル音楽っぽい変わったハーモニーをつけた。歌詞もそういう曲調や千ヶ崎ボーカルに合わせた変なものにした。

 

「新緑の巨人」

 

もともとはThe Weekndみたいな曲にしようと思っていた。最終的に随分遠いところにいったが(どちらかといえばSimply Redみたいになった)、サビにはその名残りがある。

サビは録音したキックをスクエアに貼りなおしているが、その前段のパートはポストロックっぽい不均一な生ドラムを使っている。そこから均一なビートに自然に移行させるためにミックスで試行錯誤した。

堀込はここ数年〈新緑〉が芽吹く3~4月頃にいつも心身の調子が悪くなる。そういう春先のメランコリックな気分が夏が来ることで早く晴れないかなと考えて作った。

 

「ペーパープレーン」

 

普段どうしてもメロディ(リードとなる歌メロのことだと思われる)を中心にものを考えがちだけど、メロディがなくても音楽は成立するじゃないか、と考えて作った。

メロディと呼べるものはなくアルペジオとビートがあるだけのもので、それで聴ける限界として2分くらいの長さにした。

この曲に明快なメロディがついてしまうともしかしたら凄くつまらないものになってしまうような気がする。これにラップが乗っていたら面白かったなと思ったりもしている。

シンセのアルペジオだけをメンバーに送っていろいろ弾いて送り返してもらった。自分が思ってもみなかったアイデアが返ってくるおかげで曲として魅力的になった。

THUNDERCAT『Drunk』から影響を受けている。

 

「silver girl」

もともとハウスっぽい4ツ打ちを取り入れた割とクールな感じのサウンドだったのだがなんかパッとしなかった。それでどうしようかなと思っていたときに、Drake「Passionfruit」のリフと既にできていたメロディの相性がとてもいいことに気付いた。その上で「Passionfruit」のリフの音形を活かしてみた(リズムを引き継ぎつつ発展させてみた)ら良い感じに出来上がった。

一見ループの曲みたいだけどベースが細かく変わるなどいろいろ展開している。こういう〈どうしても曲を構成したくなってしまう〉やり方は今日的な観点でいうとダサいことなのかもしれないけど、それが自分の特徴でもあるわけだから仕方ない。そこをなくして本当にワンループの曲を作ってしまったらKIRINJIを聴いてきたファンも物足りなく感じるかもしれないし。ポップスや歌謡曲からの影響を殺すことなく今の感じにアップデートしようというのは心がけた。

構造としては「時間がない」と同じで、サビでスティールパンにものすごく長いリバーブをかけることでAメロがサビとして機能するようにしている。世界が変わるというか。

リズムはほとんど打ち込みだが、エレクトロニクスっぽい音色のなかに田村のスティールパンが入ると凄く生々しく感じるし、より存在感が引き立つ。

普通に歌ったデモは茫洋としたつまらない感じだったのだが、オートチューンをかけたらグッとカッコイイ曲に聴こえた。この曲に限らずBon Iverのボーカル処理(ボーカルのデジタルクワイアを中心に音作りをしていて生歌とエフェクター使用との境目が全然分からない箇所がとても多い)もそのままというわけではないが非常に参考にしている。

 

 


第3位:Dan Weiss『Starebaby』

 

 

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第2位:Jim O`Rourke『sleep like it`s winter』

 

 

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第1位:BUCK-TICK『No.0』

 

 

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