プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界:参考資料集【ゴシック〜ドゥーム〜アヴァンギャルド寄り篇】(内容説明・抄訳更新中)

こちらの記事
の具体的な内容・抄訳です。


【ゴシック〜ドゥーム〜アヴァンギャルド寄り】

Thomas Gabriel (Warrior/Fischer)関連(HELLHAMMER〜CELTIC FROST〜APOLLYON SUN〜TRIPTYKON)
CATHEDRAL
CONFESSOR
UNHOLY
THE 3RD & THE MORTAL
MISANTHROPE
MAUDLIN OF THE WELL
ATROX
RAM-ZET
UNEXPECT
AARNI〜UMBRA NIHIL
DIABLO SWING ORCHESTRA
ORPHANED LAND

(内容説明・抄訳のあるものは黒字にしています)


CONFESSORアメリカ)》


Steve SheltonBrian Shoafインタビュー(Earache)(Ivan Colonのトリビュート・ショウに前後して)
影響源:(Brian)TROUBLE・BLACK SABBATH、(Steve)TROUBLE・NASTY SAVAGE・KING DIAMOND・DESTRUCTION
(あくまで出発点とみるべき?)

デスメタル勃興期以前にスタイルを確立していた
('86年結成、'88・'89・'90年にデモ作成)
「速ければヘヴィ」というのは違うのではないかと考えていた

NC(North Carolina)(Raleigh)のシーンは小さく、大きなハコでやるのが困難だった:客の2/3は現地のミュージシャンだった

まずリフ(バッキング)が先に書かれ、Scottがそこに歌メロをつける

ヒッピー風の(Tシャツ着用でない)プロモーション写真も、周囲(の凡庸なもの)からは一線を画していようというような姿勢からきていた?

興味を示したのはEaracheとPeacevilleのみ(Metal Bladeは興味を示さなかった)

Gods of Grindツアー(欧州)は規模・待遇ともに良いものだった
NOCTURNUSとの北米ツアーは十分なプロモーションを得られなかった

BLACK SABBATHトリビュート『Masters of Misery』に「Hole in The Sky」で参加


Scott Jeffreysインタビュー(2005)
Ivan Colon:心臓関係の合併症で逝去、それにより奥さんに残った医療費を援助するためにベネフィット・ショウを開催→その手応えから活動を継続
自分達の音楽がどう呼ばれるかは気にしない(→それをふまえての『Unraveled』?)

BLACK SABBATHの音楽やALICE IN CHAINSのボーカルからは確かに影響を受けている

過去音源が再発されなかったのは、過去を振り返りたくなかったから


Cary Rowells(ベース)インタビュー('05:『Unraveled』発表前)
Ivanは7ヶ月の闘病の末逝去→妻に多額の負債→共通の良い友人が連絡を取ってきてCONFESSORの再結成・ベネフィットショウを進言→他メンバーに連絡→オリジナルメンバーのGraham Fry(3枚のデモに参加:Ivan Colonはその後任)込みでライヴ→援助してお釣りがくるほどの収益を得る→そのショウの半年後にFLY MACHINEを解散→CONFESSORとして曲作りを開始

CaryとSteveはFLY MACHINEとLOINCLOTHで常に演奏を続けていた
Brian Shoafも一時期FLY MACHINEに参加していたが、数年間演奏していなかった
ScottはDRENCHというバンドに少しの間いたが、程なくして学校に戻っていた
新曲では以前より“協働”の度合が増している
誰かが持ってきた1つか2つのリフに、ギターの2人(Brian・Shawn)と自分のうちの誰かが取り組み、それを変化させたり他のリフを繋げたりして、全体の構造を作っていく→繰り返し演奏して概形を作ったら、そこにドラムス・ベース・リードギターを加える→その上でScottがボーカルをのせる(作曲の段階で意識的にボーカルラインを書いてはいるが、Scottのインプットでそれを変更することも度々ある)
ShawnはまずFLY MACHINEのギタリストとして(長年の知り合いの中から)採用され、そのままCONFESSORに加入した

この時点では『Condemned』『Confessor』を再発する意思はなし

主な影響源はBLACK SABBATHとTROUBLEだと思うけれども、メンバーが独自に成長し相互作用を及ぼしていった部分も多いと思う:どうやってこうなったかはよくわからない
(Carolinaのシーン:CORROSION OF COMFORMITYが有名)

聴いているもの:GODFLESH『Hymns』、STRAPPING YOUNG LAD『SYL』、BLACK SABBATH『Past Lives』、OPETH『My Arms Your Hearse』、THE BLACK CROWS『Three Snakes And One Charm』


UNHOLYフィンランド)》




Jarkko Toivonenインタビュー(2008.10)

UNHOLYには沢山のファンサイトがあり、名前・別名にUNHOLYの曲名をつけている人さえいる。忘れられる心配はしていない。

UNHOLYは1988年にPasi Äijö(ボーカル・ベース)と自分(Jarkko Toivonen:ギター)により結成された。当初はHOLY HELL名義で、'89年にUNHOLYに改名する以前にデモを一枚のみ発表(『Kill Jesus』)。'90年にはIsmo Toivonen(ギター)を加えて2枚目のデモ『Procession of Black Doom』を、'91年にはJan Kuhanen(ドラムス)を加えてEP『Trip to Depressive Autumn』を発表する。両作品でアンダーグラウンドシーンで好評を得たのち、'93年にLethal Recordsから1stフルアルバム『From The Shadows』を発表。続く'94年に発表された『The Second Ring of Power』は賛否両論で、同年の遅く(12月)には解散してしまう。その後メンバーはソロプロジェクトに身を投じ、自分以外の3人は'96年の中頃にUNHOLYを再結成するが、自分は自身のバンドTIERMESに残ることになる。UNHOLYは'98年に3rd『Rapture』を、'99年にはVeera Muhil(キーボード)を加え4th『Gracefallen』を発表し、再び解散することになる。

自分は他の3人がUNHOLYをゴシカルでコマーシャルな方向に導こうとしていたことに失望し、'94年にTEMPLE OF TIERMESを結成。それが'96年にTIERMESに発展することになった。前者はソロプロジェクトで(自分が全ての作曲をこなすというわけではない)、後者は(バンドとして)パーマネントな編成になったもの。前者に比べ後者の方がより“スピリチュアル”な志向を持っていた。

初期作品に投げつけられた酷評はいまだによく覚えている。コマーシャルな音楽雑誌『Rumba』で2ndをこきおろしたライターはSpinefarm Records(当時フィンランドで唯一メタルを取り扱っていた流通業者)に勤めていた人間で、そいつがUNHOLYの作品をそこで取り扱わないよう取計らったため、ファンは輸入盤を買わなければならなくなった。一個人の好みで取扱いを禁じるなんてとんでもないことだ。それから、『Metal Hammer』も本当に酷いレビューを載せてくれたが、まあそれはレビュアーが狭量なだけで自分に責任はないから気にしていない。アンダーグラウンドシーンのファンジンでは自分達の作品は高く評価されていたし、自分はUNHOLYの音楽をコマーシャルなものにしたくはなかったから、そうしたコマーシャルな雑誌に音源をレビューしてもらうつもりなんてなかった。自分は今でもアンダーグラウンドな出版物を100%支援しているし、コマーシャルな雑誌は一切読まない。

歌詞に関しては「UNHOLYは深遠(esoteric)だ」としか言いようがない。初期の作曲者はPasiと自分で、自分が離れてからはよくわからないが、たぶんIsmo(幼少期からクラシックを学んでいた)だったかもしれない。1stアルバムの製作時、宿の横が娼家で、娼婦達からもらったドラッグで自分達はいつもハイになっていた。スタジオでキメて演奏できなくなったためプロデューサーに蹴り出されたことが3回ほどある。2ndの時はちゃんと朝来て録音して夜には帰る生活をしていた。どちらのアルバムもレコーディング&ミックスを2週間以内にやらなければなかったため、リハーサルも入念に行っていた。

確かにUNHOLYの音楽は「時代の先を行っていた」し「誤解されていた」ものだと思う。『Metal Hammer』をバイブルとしているような若いメタルファンはそこに「駄作だ」と書かれていたらそう信じるし、「クソだ」と書かれていたら買わないだろう。もっと耳の肥えた人達からは良い反応を得ていたし、さっき述べたようにアンダーグラウンドシーンのファンジンからは高く評価されていた。フィンランドAhdistuksen Aihio RecordsがイタリアのAvantgrade Music(UNHOLYの旧作を発売したレコード会社)から版権を買って再発をしてくれるなど再評価も進んでいるし、自分達に影響を受けたバンドも多数存在する。

90年代のクラブギグでは3〜6のバンドが一緒にブッキングされることが多く、その組み合わせも今のように巧みなものではなかった。また、交通費がもらえたり飲み物がタダだったら儲けものというぐらいの感じだった。自分達が良いライヴバンドだったかどうかは、モチベーションと観客の質による。自分達がヘッドライナーだった場合は観客もドゥームファンばかりでライヴもうまくいったが、自分達以外すべてデスメタルバンドだったりした場合は、観客もデスメタルの熱狂的なファンだったから、良い結果にはならなかった。

2ndはそもそもAvantgrade Music用に録音されたものだったから、再結成して3rdを発表するにあたりそこを選んだのは自然な流れだったようだ。再結成以後のことは自分は関わっていないのでなんとも言えない。

3rdと4thは商業的なアルバムで、再結成UNHOLYは1stの時とはもう別のバンドだった。1stと2ndは、オリジナルな音楽のために全メンバーが全てをかけて打ち込んだが、3rdと4thは商業的な仕上がり。これについてはこれ以上言うことはない。

HOLY HELL結成前にのめり込んでいたのは、初期CELTIC FROST、VOIVOD、POSSESSED、KREATOR、SLAYER。もちろんBLACK SABBATH(特に最初の4枚)にも決定的な影響を受けている。自分達はそういうバンドより過激でオリジナルなものを作りたかった。György Ligetiや“奇妙な”クラシックもたくさん聴いていた。

(音楽を始めた頃の?)2年間は1日12時間Yngwie Malmsteenの曲で運指の練習をしていた。Yngwieの曲は練習曲として完璧だが、そこに魂はない。





音楽的野望は今でも持ち続けている。サポートしてくれてありがとう。


Ismo Toivonenインタビュー
(2009.1.3:『Worm Gear #7』から再掲:『Rapture』発表直後?)

〈よろしく、Ismo!陰鬱なるUNHOLYがこのアンダーグラウンドシーンに帰還するのを嬉しく思います。バンドの進化をよく知らない者のために、UNHOLYにまつわる一通りの話をお聞かせ願えないだろうか。〉
わかった。長くなるけど。
休止期間のときから今に至るまで、我々のうち何人かは自分のプロジェクトを抱えている。そのうち幾つかは成功し、幾つかはうまくいかなかった。1996年の夏、自分はJanとPasiに再び一緒にやらないかと持ちかけた。Jarkkoに声をかけなかったのは、TIERMESで活動していて、Imatra(訳注:フィンランド東部の町)から遠く離れた所に住んでいたため、一緒にやろうとしてもうまくいかないだろうと考えたからだ。自分は今ではギターとキーボードを担当している。我々は新たな素材に真剣に取り組み始めた。Avantgradeに契約をもちかけ、最終的には全てがうまくいった。『Second Ring〜』を作ったのと同じスタジオで夏中レコーディングをし、今に至るわけだ。おっと、これは短くまとめた話だよ。長いバージョンは我々のウェブサイトで読むことができる。



〈バンドの発展過程初期においては、コープスペイントが演劇的な見せ方の一要素をなしていたね。これは今でもUNHOLYにとって何かしら大きな意義を持っているのかな?コープスペイントは今や何の気なしにやる流行になってしまっているけれども、それを中身のないギミックに貶めてしまっているバンドが増えていると思う?〉
コープスペイントは、我々がステージに立つときに力を与え心を尖らせてくれるものだった。自分にとってはそれ以外の意味はない。フィンランドで初めてコープスペイントをしたのはBEHERITやIMPALED NAZARENE、そして我々だったが、それからすぐにありとあらゆる類のクソバンド達が同じ装いをするようになった。コープスペイントはとてもトレンディなものになってしまったから、我々はもうやらないことに決めたんだ。

〈あなた個人としては、音楽を創るときに最も大事な要素は何だと考える?そして、そうしたことを『Rapture』で捉えることができたと感じる?このメランコリックな作品がどうやってできたのか話してくれないだろうか。〉
楽器を持って演奏を始め、何かがやって来るのに耳を澄まさなければならない。それだけのことだ。我々はいつもこのやり方で曲を作ってきた。
しかし、初期においては一人の男が全てのリフを単独で作り、それを他のメンバーに示していた。時も場所も全く異なる所で生み出されたそれらのリフを、我々が組み合わせてアレンジしていたわけだ。これだと「うーん、演奏うまいね!」と言わせるような複雑なものにはなるが、「曲」とは言えない。そこに魂はないんだ。『Rapture』ではそれとは全く異なるやり方で曲を作った。リハーサル・セッションのとき、我々はとりあえず何かしら演奏をし始め、即興をしてみる。そのなかで良いリフが生まれたら、それをときには一時間くらい演奏し続け、何か新しいことを付け加え続けていく。そして同時に、次のリフを作っていく。そうした作業に全力で打ち込み、うまく協働する幾つかのリフを生み出すことができたなら、それをテープに録音し、家に持ち帰って聴き返す。そうやって聴いてなお良いと思えたならば、それに磨きをかけていく。この作業には何週間もかかる。こうしてやっと曲というものが形をなすんだ。少数の独立したリフを並べただけのものではない。我々3人はみなこうした作業に始めから関わっている。ただ、これは現在のUNHOLYのメンバーが3人しかいないからできていることでもある。以前のUNHOLYではできなかったことなんだ。そして、こうした作業に役立っていることが一つある。我々はみな自分の担当パート以外の楽器もできるから、曲作りの過程において楽器を交換してみるようなこともできる。それが音楽に新たな色合いを加えるんだ。この新しい曲作りのスタイルは我々に新たな視点を与えてくれていて、メンバー全員が以前よりも「単なる曲の一部」以上のものになることができている。今の我々は、UNHOLYの音楽が「バンドによって作られた」ものと言い切ることができる。うん、本当に満足しているよ。

〈あなたの音楽が醸し出す、自殺を誘発するような雰囲気はどこから来ているものなのだろうか。あなたや他のメンバーは、音楽から想像されるように実際残酷なのだろうか?〉
自分達の音楽がそういう雰囲気を生み出しているとかいう話を聞いたことはないけど、あなたがそう言うのならそうなんだろう。それはたぶん、演奏する時の我々が全身で音楽に没入してしまっていることから来るものなのかもしれない。5時間もリハーサルをしていると本当に疲れる。リハーサルの時は暴れたり跳ねたりせず、ただ単に集中して、とても落ち着いた状態でやっている。それは本当に精魂尽き果てることだ。我々は家や街中では恐ろしい人間などではない。演奏するとそうなるだけなんだ。

〈UNHOLYの音楽は、非常に強力でアヴァンギャルドなスタイルを保ちながらも、メタルと分類されるべき特徴を備え続けている。デス・ダーク・ブラック・ゴシック・ドゥームメタルなどなど、あらゆるジャンル付けをされてきているけれども、あなた自身はそのうちどれが最もしっくりくるだろうか?〉
個人的には、どんな音楽であれ分類をするのは賢いことだとは思わない。そうしたことはバンドを何がしかの鎖で縛りつけ、「自分達は○○メタルをやってるんだからこれこれこんなふうに演奏しなければならない」と考えさせてしまいかねないからだ。これはそこまでよく起こることではないかもしれないけれども、そうした区別に影響されてしまう人もいるだろう。
そうした分類が良くないという理由はもう一つある。今は多くのカテゴリーがあるけれども、それは今のバンドが80年代や90年代初頭よりも個性的な音楽をやっているからだ。このままいくと、あらゆるバンドが別個の分類用語をつけられることになってしまいかねない。そういうのは実に愚かなことだ。自分達は、常にどんな分類からも自由であれるよう努めてきた。80年代後期には、デスメタルスラッシュメタル(訳注:原文は「Trash」表記だが文脈的に「Thrash」の誤記と思われる)、ヘヴィメタル、そしてCELTIC FROSTくらいしかジャンルがなかったから、話は簡単だったんだけどね。
こういう話をした上でそういう質問に答えるならば、よくわからないが「ドゥーム」と言うことになるのかね。幾分マシに感じられる。

〈UNHOLYの優れて個性的なスタイルはバンドが有名になるのを妨げていたと思う?このジャンルのファンは、新しいものに対し心を閉ざすことがあるように見える〉
もちろんだ。UNHOLYの音楽は大衆向けというには個性的すぎるものだと思う。我々の音楽を「普通の」メタルファンに薦めるのは、フュージョン・ジャズをクラシック音楽のファンに薦めるようなものだ。人々は我々のスタイルを理解できない。『Rapture』は幾分理解しやすいかな。クラシック音楽の要素が増えていて、よりメロディックになっているから。

〈『Rapture』からは、こういったジャンルに普通にある“邪悪”に叫び立てるものとか、「3人の男達がジャムセッションしたがっている」だけの典型的なものとは異なる、深い意味や目的が存在しているという印象を受けた。これは深読みだろうか?それとも実際に何か特別なものがあるのだろうか?〉
あなたは正しいよ。確かに深い意味がある。そうしたことは以前から常に在り続けていたんだけれども、最近更にはっきり見えるようになってきている。『Rapture』の歌詞は全て、あらゆるものがどこに向かうのか、ということについて人々に考えさせるために書かれている。我々は病んだ世界に生きていて、そこには「騎士道精神」や誇りのようなものは残されていない。高貴な心を持つ人々はみな何も言えない状態まで打ち砕かれてしまっていて、あらゆる自尊心は失われ、人類は自然との繋がりを失っている。そうした全てのことが人々を不安にさせる。

〈『Rapture』は過去の作品よりも遥かに成熟し陰鬱になっていると思う。キーボードやシーケンスにより描かれる折衷的な雰囲気のおかげだろうか。この楽器の重要性と、バンドにおける発展について語ってくれないだろうか。〉
先にも述べたように、我々は音楽のやり方を変えてきた。そうすることにより、キーボードをより自由に活用できるようになり、曲作りの段階でも使えるようになっている。ドラムスとベースから作業を始め、その上にのるキーボードやギターなど、必要なパートを作曲していく。キーボードのメロディが陰鬱になったのは、それが作曲されたものだからだと思う。我々はただ単に曲を「作る」のではなく「作曲する(組み立てる)」んだ。

〈こういう中庸路線が導く将来の音楽性はどんなものになると思う?〉
次のアルバムはよりメロディックでシンフォニックなものになると思う。また一方で、より陰鬱で心の琴線に触れるものになると思う。

〈『Rapture』に含まれる多様で情緒的なアイデアをみると、あなたは他のジャンルの音楽(例えばダークウェイヴなど)も深く理解しているに違いないと思える。あなたが影響を受けた他ジャンルの音楽・バンドのうち、音楽的視野を広げる助けになるものとしてお薦めできるのは何だろう?〉
我々はみな、ブラックメタルデスメタルも聴いているよ。本当に良い音楽であるのなら、それがブラックメタルだろうと機甲将軍メタルだろうと気にしない。一番大事なのは、それが機能しているかどうかということなんだ。だから、我々の音楽嗜好は我々の音楽に影響を及ぼしているんだろうけれども、その影響が具体的にどう生まれているかはわからない。我々はクラシック音楽からテクノまで聴く。(テクノはそんなに聴かないけれども、良いものならば排除しない。)自分が聴くのは、LED ZEPPELINBLACK SABBATHPINK FLOYDJimi Hendrix、SIELUN VELJET(訳注:フィンランドのバンド)、VOIVOD、CIRCLE(訳注:Chick Corea関係のフリージャズグループではなくフィンランドのバンドと思われる)、J.S.Bach、Dvorakなどなど。

〈UNHOLYの音楽背景についてはこれで理解を深めることができた。それでは、歌
詞のコンセプトについての手掛かりを与えてくれないだろうか。善と悪、天国と地獄のような概念について、バンドの立ち位置はどこにあるのだろうか?そしてそうした考えは、創作上のアウトプットと同様、あなたの日常生活においても必要なものなのだろうか?〉
自分はそういう類のことを信じない。自分の神は自分の中にいるし、誰にとっても同じことが言えると思う。

スカンジナビアのメタルシーンを見渡すと、世界的に注目を集めているのはノルウェースウェーデンだけれども、フィンランドも非常に健康的なシーンを持っている。(SKEPTICISM、IMPALED NAZARENE、UNHOLY、THY SERPANTなど数えきれないくらい多数。)ブラックメタルのムーブメントにおける犯罪的な側面はこうした状況をもたらした原因と言えるだろうか?こうした同時代の全てのことに関連して、フィンランドでも同様の有害な活動はあったのだろうか?〉
そういう犯罪的な物事は音楽に何も貢献しない。ティーネイジャーはそういうバンドが社会的権威に立ち向かったらそのぶん沢山のアルバムを買うものだけど。幾つかのバンドは実際にそれをやったし、そういうバンドがいなければシーンの形は今とは違っていただろう。しかし、我々がそうした活動を支持したことはない。

フィンランド人として、自分はいつも、フィンランド人とスウェーデン人が強く反目しあうのは何故だろうと不思議に思い続けてきた。このことについて何か考える手掛かりを与えてくれないだろうか。〉
フィンランドに少数のスウェーデン人が住んでいること、そしてフィンランド人が学校でスウェーデン語を学ばなければならないということが原因なのではないかと思う。殆どの人は一生スウェーデン語を使わないが、それでも学ばなければならない。スウェーデン人はフィンランドで、人数の少なさのわりに巨大な権力を持っている。こうしたことが、スウェーデン側にとっても憎しみを抱く原因になっているのではないかと思う。一つの考えであり、本当かどうかはわからないけれども。

〈アルバムが発売されたわけだけど、これに伴うツアーはあるのかな?バンドにとってライヴで演奏することはどれだけ重要?UNHOLYのライヴではどんなことが期待できる?〉
たぶんツアーはないと思う。メンバーが3人しかいなくて、キーボードプレイヤーと女性シンガーなしでギグをする理由が見出せないからだ。ギグをするには少なくともあと2人のメンバーを集める必要がある。ただ、それは不可能ではない。良い申し出があれば全てがうまくいき、再び喜んでライヴをやることができるだろう。

〈Ismo、こんな膨大なインタビューに取り組んでくれて本当にありがとう。あなたの行く先が順風満帆でありますように。UNHOLYの新しい音源を聴けて良かったよ!何か最後にコメントなどあるかな?〉
この手の質問に答えることができて嬉しかったよ。こんなに知的なインタビューを受けたのは初めてだった。
最後に付け加えるなら:
“A Thought Unchained,
Unpredictably Drifting In Wider Spaces, 
Beyond The Limitations Of The Spirit Of Time…”


Ismo Toivonenインタビュー(1998.1.9:『Gracefallen』録音作業中)

〈『Rapture』はアルバム全体として形容するのが幾分難しい作品だ。いわゆる葬送ドゥーム(dirgeful doom)とかミドルテンポのドゥーム〜デス、女性ボーカルのいるドゥームとか言われるようなものではあるけれども。あなた自身はこれをどう形容しますか?〉
ひとこと「UNHOLYの音楽」だ。他の言い方で表す必要はないと思う。ドゥームメタルデスメタルブラックメタルといった用語を人々は使いたがるものだが、自分はそれを好まない。『Rapture』を聴く人は、それがそういった普通の用語で形容するのが難しいとわかるだろう。だから個人的には、単に「UNHOLYの音楽」とだけいうのが適切だと思う。

〈それぞれの曲のスタイルが大きく異なっているのはどういうことだろうか?〉
いろんなタイプの曲を作るのは気晴らしになる。10年も同じようなやり方を続けていたら、全曲が同じような音になってきてしまうからね。そして我々は、音楽的変化をして違ったことを試すよう常に努め続けている。そうすることにより物事全体が興味深いものになるからだ。
次のアルバムについていうと、みんなが知っているスタイルとは再び大きく違ったものになると思う。わかっているとは思うけど、一番大事なのは感情なんだ。そして、音楽的な特徴が作品ごとに変わっていったとしても、感情は常に同じように保たれる。

〈曲作りはどういうふうに行われるのだろうか。UNHOLYの曲の構造は(良い意味で)普通のものとは大きく異なる。〉
普通ってどういうことだろう?

〈サビのある4分くらいの曲のことです。〉
なるほど。いいかな、自分達は普通のやり方で曲を書いていると思っているんだ。やり方は主に2つある。一つは、ただ単にリフを書き、それを繋ぎあわせるということ。そしてもう一つ。自分としてはこっちの方が興味深いやり方だと思う。とりあえず演奏を始め、即興をして、そこから一つ二つの良いリフを作り出す。それから、そのリフを演奏し、あらゆる類の改変を施して、先に述べた「古いやり方」でやるよりもうまく機能し合う、複数の良いリフを手に入れるんだ。この新しいやり方がバンドの中で用いられる機会はどんどん増えてきている。『Rapture』収録曲のうちのいくつがそうやって作られたか覚えていないが、次のアルバムの曲は半数以上がそのやり方で書かれている。しかしもちろん、曲作りのやり方はもっとたくさんあるし、自分達としてもこの2つのやり方の間にあること全てをやっている。全ての曲についてその状況は異なるから、我々の曲作りが何か特定の定型に基づいてなされていると言うことはできない。他にこういうやり方もあるよ。Pasiや自分がだいぶ前に作ったリフを演奏し、即興を交えて新たなパートを付け加えていくというものなど。

〈アルバムの曲順に論理的な連続性はあるのだろうか?つまり、例えば、好ましい女性ボーカルの出てくる「For The Unknown One」の次に「Wunderwerck」のように殺風景な曲が来る、ということに特別な意味はあるのだろうか。〉
論理的な連続性はある。ただ、それはアルバムの曲順についてのことではない。各曲の「芸術的な」連続性についてはUNHOLY公式ウェブサイトの歌詞のページに書かれている。(インタビュアーによる補足:トラック番号でいうと6・5・3・7・1・4・2・8の順に並んでいるとのこと。)歌詞はある種の物語のようなものを表しているんだけど、それを理解するのは容易ではない。順番通りに鑑賞しても殆どの人は理解できなかっただろうから、曲をその通りに並べるのはやめた。単純に音楽的に一番うまくいくように並べたんだ。このことについて聞いてきたのはあなたが初めてだよ。「For The Unknown One」が3曲目にある理由?わからないな。もしかしたら『The Second Ring of Power』の3曲目にも女性ボーカルがあるからかな。ハハ!

〈Veera Muhilが「For The Unknown One」に参加した経緯はどんなものなのかな?〉
あなたが具体的にどういうことを聞きたいのかわからないな。自分は彼女のことを知らなかったけど、Pasiが彼女は良いシンガーだと知っていたんだ。それで我々は彼女にアルバムで歌ってくれないかと頼んだ。彼女はそれを受けてくれて、その曲のためにメロディを作ってくれた。その結果に大満足したから、彼女は今ではパーマネント・メンバーになっている。新作でも半分の曲で歌う予定だよ。

〈「Wunderwerck」は長いアコースティック・セクションを含む15分にわたる大曲で、アルバム全体の特徴をよく表すものだと思う。これを作っているとき、どれだけ長いものになるんだろうと悩まされたことはなかったかな?〉
いや。曲を作るとき、それがどれだけ長くなるのがいいかと考えることはない。曲が仕上がり、あるべき要素が全て備わっているのであれば、自分達はそれをチェックして「おお、15分か。わかった。」と言うだけだ。「これは長すぎないか?短すぎないか?」などと考えながら曲を作り始めると、大きく誤った方向に進んでしまうことになる。そうやって作った『Rapture』はもっと長いアルバムになる可能性があったんだけど、全曲のミックスが終わった段階で、最も望ましい形で活かすことができないとわかった1曲を外すことになった。しかし、その曲はさらなる変化を遂げていて、次のアルバムに収録される予定だ。全てがうまくいけば、前作より長い70分ほどの作品になるはずだけど、そのことについては何も心配していない。

〈奇妙な「Unzeitgeist」はどうやってできたのだろう?〉
これはUNHOLYが解散していた時期に自分が書いた曲で、一緒に演奏したJanは良い曲だと言ってくれ、バンドの活動が再開した時にも覚えてくれていたため、UNHOLYの曲として使うことに決めたものなんだ。「Wretched」にも同様の経緯がある。解散中に自分がシーケンサーで書いた曲で、復活後にアレンジしなおして使ったんだ。

〈あなたにこれほどドゥーミーな曲作りをさせているものは何なのだろう?〉
自然そのもの。自分達のまわりにあるもの全て。フィンランド人であるということ。そんなところだろうか。数百万はあるだろう理由のうちの一つや二つを挙げることはできない。これは「なんであなたは生きるのか」というのと同じような質問だよね。

ドゥームメタルのシーンに属しているという意識はある?〉
いいや。自分達の音楽はそうしたものとは大きく異なると思うから、その言葉は好まない。時には自分から「ドゥームメタルをやっている」と言うことはあるけれど、他の音楽、例えばパンクやクラシック音楽よりも自分達の音楽に近いからそう言うだけのことで、自分達の音楽そのものではない。そして、次のアルバムを聴いてなお「ドゥームメタルだ」と言う人がいたならば、それは自分にとって著しく心外なことだ。何か新しい言葉を探しておいてほしいね。

〈何かしら関わりあいのあるドゥームバンドはいる?〉
殆どいない。ただ、SKEPTICISMの歌詞を読んだとき、我々と考え方が非常に似ていると気付かされた。音楽的には異なるものだけれども(彼らの音楽の方がシンプルで遅い)、音楽の根本となる感じ方の部分では共通するものをもっているのだと思う。彼らによろしく!

〈他のアヴァンギャルドなバンドについてはどう思う?〉
あまり数を聴いたことはないが、幾つか前途有望なバンドがいる。KATATONIAは好きだと言わなければならないな。初期の音源と新作(『Discouraged Ones』)から1曲聴いただけだけれど。(訳注:KATATONIAの前身バンドは'87年から活動していて、前身バンドの活動開始が'88年であるUNHOLYよりも歴史は古い。)彼らは非常にシンプルなやり方でうまく語る方法を心得ている。

〈UNHOLYについて、今後の計画は?〉
まだない。新作を完成させなければならないからだ。できれば年末、遅くとも来年('99年)の1月か2月までに発表することになると思う。
(訳注:実際の発売日は1999.7.12)
録音が終わったら、冬の間に何度かギグをやり、アルバムの発表後には更に活発にギグをするつもりだ。今はブッキング・エージェントを探しているところ。フィンランド国外でのツアーを自分達の手で組むのは難しすぎるからね。

〈読者にむけて言っておきたいことはあるかな?〉
次のアルバムを待っていてくれ。気に入るかもしれないし、気に入らないかもしれない。自分は気に入っているよ!



解散の原因は複数ある。まずはじめに『Gracefallen』('99年発表)の商業的失敗。自分はこれが最高傑作だと思うのに、売上は過去最悪だった。古くからのファンにはトレンディ過ぎる一方、メインストリームのアルバムとしては、そしてバンドをメインストリームに押し上げるためのアルバムとしては、十分にトレンディな仕上がりではなかったのだ。自分達は、いや、「自分は」と言うべきか、アンダーグラウンドなバンドであることにうんざりしていた。アンダーグラウンドシーンに繋がるあらゆることが嫌なんだ。劣悪なプロダクションやアレンジ、馬鹿らしいブラックメタルの歌詞や酷い音楽、ブラックメタルなどなど。『Gracefallen』は『Rapture』('98年発表)や他の過去作品と比べるべきアルバムでない、ということは理解されていない。新たな方向性の音楽だったのだ。だから『Gracefallen』は売れなかった!

別の問題点は、ギグをするにあたってのことだった。メインストリームのオーガナイザーからすると我々は無名すぎて、誰もギグをして欲しがらなかったのだ。そしてその一方で、自分達自身としても、無料で・または交通費のためだけに演奏するのにうんざりしていた。(これはアンダーグラウンド業界では普通のことなんだ!)我々の音楽は注意力や準備を要するもので、無料で演奏するのは割に合わない。良いショウと良い音楽を観衆に提供するためには、音楽だけで食っていかなければならない。メンバー全員が普通の仕事をしていなければギターの弦やドラムスティックも買えないという状況では、立ち行かないわけだ。

そして3つ目の問題点。我々は『Gracefallen』がいわゆる「メジャーレーベル」と繋がりを持てるくらい優れたアルバムだと考えていた。大きなレーベルの宣伝力を獲得し、ギグの機会を与えてくれる作品のはずだった。しかしそれは見込み違いだった!このアルバムを考えられる限り全てのレーベルに送り、そしてそのうちのたった1社との交渉が始まった。(訳注:バンド公式HPによるとRelapseだったようだ。)我々は全てが順調に行っていると思い、このレーベルと連絡を取ることにした。それはもしかしたら今でも続いているのかもしれないな。よくわからないけど!交渉はとにかく長引き過ぎた。1年半が経ち、我々はもうたくさんだと考えた。そういう労力こそが求められていたのだとしたら、もう結構ですと言う方がいいだろうね。

こうしたことの全てが我々の創造性に悪影響を及ぼした。単純に言って、音楽以外の件で悩まされることが多すぎた。バンドの魂がすり減らされてしまったんだ。我々は『Gracefallen』も含む過去作品の全てと完全に異なる音楽性の曲を5つ完成させていた。これは過去最大のスタイルチェンジで、新たなスタイルは非常に個性的なものだったから、我々は契約の話に大きな希望を抱いていた。物事が誤った方向に進んだ後の失望が巨大なものになった背景には、こういう理由があるんだ。

こうした全てのことを踏まえ、我々は解散するしかなかった。我々には音楽の世界に与えられるものがあったけれども、それを成し遂げるチャンスが得られなかったわけだ!

(UNHOLYは実際に一度でもライヴをしたことがあるのかという質問に対し)
90年代のはじめ何年かはフィンランドでライヴをしていた。『Gracefallen』の後にも再びライヴをするべきだった。しかし、何年か前に雇ったブッキングマネージャーは一つもライヴを決めてくることができなかったので不要になった。また、一方で、マネージャーなしでライヴの機会を得ることもできなかった。というように、何度かライヴをしたことはあるが、決して多い回数ではなかった。

はじめの活動停止('94〜'97)と今回の解散との間には似た点が幾つもあるが、状況は全く同じというわけではない。'95年のときは、Jarkkoがアルコール問題を抱えていて、音楽やリハーサルへの興味を欠いていた、というのが活動停止の主な原因になった。今回はそういう問題はない。しかし、失望したというのは大きな共通点ではある。

(UNHOLYのメンバーが別名義で音楽をつくる計画はあるかと問われて)
はじめの活動停止期間中の'95〜'96年にはプロジェクトを抱えていたし、今もやはりプロジェクトに関わっている。違いと言えば、家庭や仕事などで時間がなく、活発に活動できないことかな。Pasi(ベース・ボーカル)とJade Vanhala('99年から参加したギター)は何かしらやっているようだが、自分はよく知らない。自分は、Janや数人の友人と'95年から同じプロジェクトをやっているが、Jan(ドラムス)は勉学の方でやることが多いので、現在は参加していない。

(何カ月・何年かしてUNHOLYの音楽が受け入れられやすい状況になったとき、あるレーベルが未発表の録音済アルバムの発売をオファーしてきたとする、そうなったらUNHOLYが再結成するという可能性はありうるか?という質問に対して)
起こりえないことなんてないよ!けれども、正直に言うなら、時間が経てば経つほど再結成の可能性は少なくなっていく。我々は“普通の生活”に日々忙殺されるようになっていて、仕事や家庭を持ち歳をとっていくと、再び活発に活動するのは難しくなっていくんだよ。でも、絶対にないとは言い切れない。あればいいな。

(UNHOLYの音楽は個性的で特別なもので、特定のシーンへの帰属意識があったとは考えづらいんだけれども、アンダーグラウンドシーンの他のバンド・アーティストとの交流や、何かのジャンルに属していたという意識はあったか、という質問に対し)
たとえばSKEPTICISMやESOTERICのようなバンドとは交流があったし、少しは考えを変えていくこともあった。しかし、自分は新たな交流をもち続けるのには消極的で、非社交的とか世捨て人とかみられるような質であり、シーンの一部に属するような些事よりも音楽に集中するのを好む。自分やUNHOLYが何らかのシーンに属していたと思ったことはない。シーンに関わるそういった物事は、音楽に集中することを望まない・集中することを必要としない奴らのためにあるものだ。UNHOLYのやる音楽は包括的なものだから(訳注:過去形でなく現在形で発言:未練が伺えなくもない)、社交を続けたりシーンに関する物事について考えたりする余地はないんだよ。

今のメタルシーンに興味はない(アンダーグラウンド・メインストリームを問わず)。現実問題として、自分は音楽そのものをあまり聴かないし、聴くならメタルよりロックを選ぶ。今のシーンには興味を惹くバンドがいない。

(Veera Muhil(『Gracefallen』のキーボード&女声)のボーカルについては賛否あるが自分はUNHOLYに完璧に合っていたと思う、解雇の理由は何だろうか、と問われて)
彼女は自分が完璧で天才なのだと過剰評価していた。確かに才能はあるが、十分に練習をしなかったためそれを使いこなすことができなかった。そしてそのために、彼女は2つのギグとスタジオ入りの時間2日分を台無しにしてしまった。練習不足と、音楽に対する間違った姿勢のせいで。
自分は本当に欲張りなミュージシャンで、一緒に演奏する相手には「良い」かそれ以上のものを求める。例えば、Veeraは教育を受けたピアニストで、実際非常に上手くピアノを弾いた。だから自分は『Gracefallen』のピアノパートについても上手くやってくれるだろうと考えた。彼女は「全てOK、覚えた」と言ったが、スタジオに入ってみると全てがいい加減で、しまいには依頼したパートの多くを自分が弾くハメになった。これは時間の無駄だったし、自分はそういうのを好まない。この「大先生」がはじめから出来ないと言ってくれれば、教える手間を省き自分で弾くようにした。そして自分はピアノを学んだことががないと気付かされることになっただろう!

Veeraは、『Rapture』(3曲目「For The Unknown One」にボーカルで参加)のようなプロジェクト(≒ゲスト出演)では良かったけれど、バンドに対して心も体も捧げる能力はなかった。エゴが大き過ぎるんだ。それがVeeraの最大の問題点だ!

(未発表のアルバムではゲストボーカリストを複数起用していて、それがレーベルにとってのリスクになったためお蔵入りになってしまった、という話を“内部事情に詳しい人”から聞いたのだがそれはどういうことなのか、と問われ)
そのリスクというのはよくわからない。我々の音楽はロックミュージックとジャズボーカルを組み合わせたようなもので、憂鬱で奇妙ながらロックしてもいるものだ。ゲストボーカリストの件は『Gracefallen』ほどリスキーなことには思えない。問題は音楽ビジネスのもっと根深いところにある。
未発表音源ではVeeraと全く異なる女性シンガーを起用している。彼女は教育を受けていて、自分の声をどう扱えばいいか心得ており、我々の音楽にジャズ的な雰囲気をもたらしてくれた。サウンドは過去の作品と比べて軽く、ディストーションギターよりもアコースティックギターの方が大きな役目を果たしている。これでいくらか想像できるんじゃないだろうか。

(Avantgrade MusicのRoberto Mammarellaが以前このサイトの取材に応じたとき言った「UNHOLYは、価値はあるけれども非常に高くつくバンドだ。音源は素晴らしいが、売上は新作を出すほどに減っていき、それなのに予算のほぼ倍額を要求する。彼らは、絶対にメジャーレーベルの契約してやると言っていた…ミュージシャンというのはナイーヴで浮世離れしたものだ。実際問題として、2年以上経ってどことも契約していないじゃないか。」という発言の論点は理解できるか、それに同意するか、と言われて)
その通り、ドゥームメタルは製作費用が高くつく音楽だ。速く演奏するよりも遅くやる方が難しい。それが現実だ。自分はある種の完璧主義者で、酷い演奏をするのに耐えられない。『Gracefallen』を聴けばそれがわかるはず。自分の弾いたギターやキーボードには一音の間違いもない。METALLICAのブラックアルバムのように全てが完璧に演奏されている!付け加えるなら、我々は、METALLICAがブラックアルバムのギターサウンドを求めて費やしたのと同じくらいの時間を、ギターパートの録音にかけていた。これが質問の答えだ。Avantgradeや他のレーベルがこれだけ完璧なサウンドをより安く作れるというのなら、こうした発言については謝るけれども。

(型破りなサウンドをもつアンダーグラウンドなバンドが浅薄で大量生産にまみれた世界で生き抜く術はあるだろうか、この先インターネットはそういうバンドの宣伝に役立ちうるか、UNHOLYのような妥協しないバンドと契約するような勇気のあるレーベルはまだ残されていると考えているのか、と問われて)
そんな非商業的なレーベルは存在しないよ!彼らは生きるために仕事しているんだ。それは簡単に受け入れられる。ただ、バンドも「生きるために仕事している」とは誰も考えないだろう。バンドが商業的な音楽を演奏するのは悪しきことだけど、レーベルが商業的な音楽を発売するのはそんなに悪いことではない。

芸術がこの世界で生き残るための方法についてこのところよく考えるけれども、自分の意見はまだまだ未熟で、こうした問いにうまく答えることはできない。

(UNHOLYの音楽は非常に不可思議かつ型破りなもので、殆どの聴衆がこうした“難しく”馴染みのないスタイルに接するには早すぎて、それがバンドの崩壊を招いたのだと言っても間違いではないだろう。こういう結果を知った上で全てを始めからやり直せるとしたら、もっと“直接的”で“型にはまった”曲を作ったり、以前よりもしっかりシーンに属するようにしただろうか?という質問に対し)
音楽的なことに関しては一切変えるつもりはない。違ったやり方をとるとすればそれはただ一つ、宣伝にもっと力を入れるということだ。ガレージ・バンドとビッグなバンドを分かつのはそれだけだ。宣伝、そして出版やTVを操る手腕は、バンドの行く末の50%以上を決定付ける。
そうしたことは我々の音楽に影響を与えるだろう。そもそも音楽に集中し相当の時間をさいていたからだ。だから、こうした宣伝活動のために音楽は幾分シンプルになるだろう。意図的ではないにしろ。「有名なバンドは自覚的に商業的な路線を歩む」と多くの人々が考える理由はこういうところにあるのかもしれない。そうしたバンドは、“音楽以外のこと”に煩わされる時間が単純に非常に多いわけだ。

(UNHOLYのオフィシャルHPには、解散発表の他に、KaZaA(訳注:ファイル共有ソフト)を通して未発表トラックの入手が可能になっているという情報も載っていたのだが、我々はその痕跡を見つけることができなかった。発表直後には手に入れることができたのだろうか?そしてそれは、リハーサルトラック、未発表音源といった、今後リリースする予定のものだったのだろうか?という質問に対し)
「Gone」という未発表音源(ミックス済だがマスタリングはされていない)があった。数年前に録音されたのちアルバムには収録されないままでいたもので、(先述の)“新しいスタイル”ではなく、『Gracefallen』に近いものだった。
他の音源は既発のアルバム曲で、まだ入手可能なはず。入手できない理由はわからない。音源の殆どは自分のPCに入っていて、その電源が入ったときのみシェアが可能になる。音源を探すのが難しい理由はそれかもしれない。ただ、ダウンロードする人が増えれば増えるほどKaZaAでの検索に引っかかりやすくなるので、そうしたことが何かの役に立つかもしれない。音源を探すにあたって問題を抱えている人がいれば、自分に連絡してきてほしい。解決できるよう試みるから。

(UNHOLYはアンダーグラウンドシーンに確かな足跡を残したけれども、あなた自身はバンドについてどう回想するか、バンドはどういう地位を目指していたのだろうか、と問われて)
10年20年して人々が自分達のことを思い返してくれれば幸いだ。商業的なバンドは他のものと似たり寄ったりだから10年も経てば忘れられてしまう。自分の夢は、オリジナルで長く記憶される音を作ることと、10ヶ月になる娘が、メタルミュージシャンとしての自分を将来誇りに思ってくれる、ということだな。

UNHOLYの音楽は「幸せ」に対する反抗だったのかもしれない。人は幸せになれない、というつもりはないよ。信じられるかどうかはわからないが、自分も幸福を感じる時がある。自分が言っているのは、人は人生がもたらす好ましくない感情を忘れたり無視することができない、ということだ。メインストリームのポップミュージックにおいては、愛や幸せ、友人や神、セックスや家庭といったことが歌われる。UNHOLYはそういう果てしない幸せの表現に異議を呈するものなんだ。UNHOLYの音楽が人生のそういう(好ましくない)側面について思い起こさせるものであり続けるよう祈る。

インタビューしてくれてありがとう。自分達のことを記憶し続けてくれるファンのみんなにも感謝する。そういう人達が少ないのは残念だけど、それはあなた方のせいではない。ありがとう!


Jan Kuhanen・Ismo Toivonenインタビュー(2012.1.18:2nd再発に際して)

〈今『The Second Ring of Power』を振り返ってみてどう思う?なんというか、二度目の脚光を浴びることになるわけだけど。〉
Jan:我々のアルバムは全て再発されている。『Second〜』も例外ではないということさ。それから、1stを除く全てのアルバムにボーナストラックがある。
Ismo:(インタビュアーに向かって)たぶん他作品の再発を知らなかったと思うんだけど〈インタビュアー「そうですね」〉、それなら読者も同じかな〈インタビュアー「今知ったでしょう」〉。この前の春、我々のデモがRusty Crowbarからアナログ再発された。それに続き、アルバムがPeacevilleから再発されたんだ。理由は単純。アルバムが全て廃盤だったからだ。Avantgradeは再プレスをしたがらず、版権をPeacevilleに売った。それで物事が動き始めたんだ。デモ再発の企画は古くからのファンへのプレゼントだね。デモテープを買いたいという人々がいたけど、自分達は在庫を持っていなかった。だから、Rusty Crowbarが再発を持ちかけてきた時、それを受け入れた。Rusty Crowbarは32ページのヒストリー冊子を印刷し、それをデモにつけてくれた。全“オリジナル”メンバーの最新インタビューに基づく、望みうる限り最も完璧なUNHOLYの歴史が載っている。

〈『Second〜』のカバーアートが変わった理由は?他の再発はそのままだったと思うんだけど。〉
Jan:原版はボロボロになっていて修復も不可能だったから、新しいカバー・レイアウトを用意しなければならなかったんだ。

〈「フューネラル・ドゥームを確立したのは誰か」ということについては幾つもの意見がある。あなた方はどう考える?〉
Jan:くだらない…それは本当に大事なことなのかな?たぶんBLACK SABBATHだろうよ。

〈THERGOTHON、SKEPTICISM、UNHOLYといったバンドが同じ国で同時期(訳注:それぞれ'90年・'91年・'90年(前身は'88年)〜)に活動を開始したことに特別な意味はあると思う?この3バンドは似た特徴を持っている。特に、遅く葬送的なリズムスタイルとか。〉
Jan:そんなこと全く考えたことないよ。THERGOTHONとSKEPTICISMには共通点が多いと思う。ある種のやり方を極端に突き詰めている。しかし、我々はそれらとはどこかしら異なるものだったし、自分は彼らとの間に強い精神的結びつきを感じたことがない。UNHOLYのもつ狂気はその2バンドからは見出せない類のものだ。それぞれが別の方向性で極端なものなんだよ。

〈曲想の源について教えてくれないかな?「Neverending Day」や、それよりストレートなタイトルトラックなどについて。〉
Jan:タイトルトラックはC.Castanedaに想を得たものだと思う。Jarkkoがよく読んでいて、曲名もそこから来ている。シャーマニズムとか、世界の狭間に存在するものについての曲だ。「Neverending Day」は…全く思い出せないな。

〈雑誌(訳注:ファンジンのこと?)では、UNHOLYはドゥームメタルというよりブラックメタルに分類されることが多かった。実際ブラックメタルの要素はあったのかな?あるとしたらどのくらい深いものだった?〉
Jan:バンドの初期、1990年代のはじめに、コープスペイントをしていた頃があった。(それを見た)多くの人々が我々をブラックメタルバンドだと思い、そして深く失望していった。自分達(の演奏スタイル)は全然速くなかったからね。確かにブラック的な要素はあったし、メタルでもあったけれども、自分はUNHOLYをブラックメタル扱いしようとは思わない。どんな状況においてもだ。我々の魅力は全く別の世界から来たものなんだ。
Ismo:我々は特定のジャンルをやろうとしたことはない。単に演奏するだけだ。それをジャーナリストがドゥームメタルとかブラックメタルとか呼ぶだけだ。そんなことは本質的な問題ではない。CANDLEMASSのような古くからいるドゥームメタルバンドと比べると自分達の音楽は著しく異なるスタイルを持っているから、「UNHOLYにはブラックメタルの影響がある」と考える人がいる、ということなのだろう。滑稽なことだ。我々はブラックメタルなんて聴いていなかったんだから。

〈自分はUNHOLYの容易に分類できない所が好きだ。超ドゥーミーな曲のなかに和声的なリードパートとかファンク的なベースを組み込んでいたりする。なんというか、VOIVODを極限まで遅くしてヘンな形に変えてしまったというか。どう思う?〉
Jan:そうかもね。最近Jarkkoが言ってたんだけど、当時はCELTIC FROSTよりもヘヴィで風変わりなことをやるのが目的だったようだ。難しいことではあるけれども、彼がUNHOLYで成し遂げようとしたのはそういうことだったのではないかと思う。
Ismo:我々は、自分達が良いと感じる音楽をやっていた。特定のカテゴリーやジャンルに縛られたくなかったんだ。だから、曲のスタイルはとても多様なものになった。『Rapture』収録の「Into Cold Light」と「Wretched」、『Gracefallen』収録の「Haoma」と「Athene Noctua」を比べればわかるだろう。15分ある「Wunderwerck」では一曲の中でそうした多様な要素を聴くことができる。

〈UNHOLYの後に出てきたバンドについてはどう思う?DOLORIAN、後期COLOSSEUM、ESOTERIC、AHAB、そしてその他の、UNHOLYの音楽的要素を受け継いだ数え切れないくらい多くのバンドについて。〉
Jan:その中ではESOTERICしか知らない。印象的なバンドだ。でも、模倣は誰もがすることだよ。意識的にしろ無意識的にしろ。自分達もそうしたし、誰もがやっていた。だから、自分達の音楽をもとに独自のものを作り出したり、自分達の音楽から着想を得たりした人がいてくれたなら、それはとても素晴らしいことだ。自分達も他の人達から着想を得たんだから。
Ismo:自分はいままであまりメタルを聴いてこなかった。Jarkkoは以前「それは他のバンドから影響を受けないようにしているんだな」と言っていた。しかし、自分としては、単に興味を持てなかっただけなんだ。他のジャンルはもっと興味深かったし、そうしたジャンルから得られた要素を統合することで、音楽が豊かなものになった。UNHOLYとはそういうものだったんだよ。根本的には。

〈UNHOLYには2つの時期があると思う。『Rapture』以前と『Rapture』以後。あなた方自身もそういう区分をするのかな?〉
Jan:その通り。最初の2枚のアルバムは、4人の若く怒れる男達が蒸気を噴出するものだった。対して、後の2枚のアルバムでは、3人の男達が黒い霧と魂を吐き出していた。それが違いだよ。
Ismo:曲の書き方が『Rapture』で大きく変わったんだ。(Jarkko以外の)3人でただジャムセッションをして、即興から音楽を構築する。はじめの2枚のアルバムは、もっとリフが土台になっていた。まずリフを作り、それを繋ぎ合わせて曲にする。これはとても“怒った”音楽だった。生々しく原始的で、病んでいる。後の2枚の曲は内部からしっかり結合されていて、純粋な感情と共感に突き動かされていた。テーマは「日常生活の観察」というようなものであり続けたわけだけど、後の2枚では物の観方が深く成熟していて、「一つの真実を主張する」だけのものではなくなっていたんだ。

〈さて、2012年にはUNHOLYがライヴのために再結成するのではないかという話がある。これは本当?それとも誤り?〉
Ismo:両方さ!まず本当のことについて。やっとリハーサル場所を見つけ、オリジナルのラインナップ(ギター2人・キーボードなし)で一緒に演奏し始めた。これを何週間か続けている。次の夏にはライヴをやるつもりだし、もしかしたら新しい音楽もできるかもしれない。次に誤りについて。物事が計画通りにいかない可能性は常にある。我々はここ10年間一度のリハーサルもしてこなかったんだ。必要な機材(アンプ・エフェクト・PAなど)を誰も持っていないから、まずはそれを手に入れないといけない。そして、我々はお互い数百キロメートルも離れた所に住んでいる。全員をImatraに集めるためにはどう計画を練ればいいのか、などなど。不確定要素はたくさんあるし、これから数ヶ月のうちにそれはさらに増えるだろう。だから、再結成についてはまだ話さないでおこう。でも、次の夏にはファンやギグ・オーガナイザーを驚かせたいものだね。


MAUDLIN OF THE WELLアメリカ)》


Tobias Driverによる回想(2005)

〈『Bath』再発盤:Blood Music 2012.4.13に掲載〉

1992年のこと。高校生活が始まった。Jason Byronと私は互いに通りを隔てた所で暮らし育った間柄なんだけど、初めて出会ったのはスクールバスの中だった。義務過程の宗教(カソリック)の授業で隣同士の席になった私達は喧嘩をしてしまい、私は別の宗教の授業を受講するようになった。そこで後ろの席になったのがGreg(Massi)で、私の肩を叩いてくれてメタルの話をするようになった。友情の始まりだ。

それから2年間は、私もGregも単独で宅録をしていた。Gregと初めて共同作業したのは1994年の「Uncovering the Gift」だね。Byronとは同年に発表された彼の『Twisted Chsistmas Tales』で少し共同作業し、GregとByronも1995年に出たEPで一緒にやった。その上で、単独でのレコーディングも続いていた。私の名義はSPOONION、ByronのはBUTTKEY、GregのはBALISETといった。1995年になると、Gregと自分はCELESTIAL PROVIDENCEというバンドを結成し、そこにはChris KorzinskiとDavid Waters(Jason Bitnerの兄弟)も参加していた。CELESTIAL PROVIDENCEは混じりっけなしの霊的メタルバンドだった。何曲か書いてリハーサルもしたけれど、レコーディングやギグをすることはなかった。私はDavidを通してJason Bitnerに出会った。

当時、Byronと私はTIAMATの『Wildhoney』(1994)を繰り返し聴き、それを霊的プロジェクトに適用しようと試みていた。我々は何十ものバンドのCDを買ったけれども、『Wildhoney』のような音やアルバムカバー、曲タイトルは、TIAMATの他のアルバムも含め、一つも見つけることができなかった。我々は、自分達が買ったそういう音楽に『Wildhoney』的な要素がどうして無いのだろうということや、自分達がバンド音楽に求めるそういう要素を自分達自身の手で作るのはどうだろうか、ということを話し合った。そうして私達は、『Through Languid Veins』(1stデモ:1996年発表)をGregの4トラック機材で録音した。Gregはギターソロのみで参加した。我々は17歳のときにGregの家の地下室でバンド名(MAUDLIN OF THE WELL:以下motW)を決め、このバンドを結成した。『Through Languid Veins』がレビューを書いてもらえたのはこれまで一度だけだね。それはInferno Webzineに掲載された。自分はこのデモを30部用意し、友人達、そして不特定多数の相手(MY DYING BRIDE関係のメーリングリストを通して繋がっていた人々)に送りつけた。1学期(年間2学期制のうち)が経った後、幾つかの新しいデモを4トラック機材で録音した。そこにはJason Bitnerもトランペットで参加していた。それらは後に再録音され、『Begat of the Haunted Oak… An Acorn』(2ndデモ:1997年発表)にまとめられた。

ハンプシャー大学(アメリカ・マサチューセッツ州アマーストにある単科大学)では、Andrew Dickson、Terran Olson、Josh Seipp-Williams、Sky Cooperに出会った。AndrewとJoshと自分はCAPTAIN SMILYというバンドをやっていた。ハンプシャー大学には小さなレコーディングスタジオがあり、音楽を専攻している者は制限付きでいつでも使うことができた。Andrewは幾つかの新曲(『Begat of the Haunted Oak』に収録されることになるもの)でドラムスを叩いた。GregとByronも週末に訪れ、彼らのパートを録音した。我々はこれを完成されたアルバムとみなした。私は気が乗らない勉強を続け、Gregはこのアルバムからオーディオ・サンプルを幾つか作ってネットにアップした。The End Recordsを設立したばかりのAndreas Katsambasは何らかの方法でこのアルバムを聞いたようで、全曲再録音した上で発売しないかと打診してきた。私は『Begat〜』の大変な作業を今さらやり直したくはなかったので、その時は再録音しようという話に乗らなかった。学校生活が続き、『Begat〜』のことは多かれ少なかれ忘れていった。

そのあと私は、Andrew、Terran Olson、Jeff Barnett、Sky Cooperとともに、ジャズ/ファンク/フュージョンバンドGHOST HOUSEをやっていた。ハンプシャー大学の音楽科には下級生がショーケース的に発表を行う場があり、GHOST HOUSEでmotWの曲を初めてライヴ演奏した(『Begat〜』収録の「A Conception Pathetic」)。その時の編成は、Andrew Dickson、Terran Olson、Josh Seipp-Williams、Aaron Germain、Jeff Barnett、そして私だった。他にもいたかもしれないけど、思い出せないな!

その後バンドはハンプシャーのスタジオに戻り、『Odes to Darksome Spring』(3rdデモ:1997年発表)を録音した。メンバーは私、Andrew、Greg、Byron、Jason、そしてTerranとSky。次の年(ハンプシャー在学中)には『For My Wife』(4thデモ:1998年発表)を録音、Aaron GermainとScott Paukerも部分的に参加した。アルバムが完成しつつある頃に私はMaria Fountoulakisに出会い、数曲で歌ってもらう話をとりつけた。このアルバムの制作期間はずっと雨が降っていた記憶がある。11月か3月か、それともそういう天気の良くない時期に作ったんだろうな。そうしてこのアルバムも完成した。

〈『Leaving Your Body Map』再発盤:Blood Music 2012.4.13に掲載〉

1999年のはじめに、AUTUMN TEARSのTed Tringoからeメールが送られてきた。AUTUMN TEARSの作品を発表するために最近Dark Symphoniesというレーベルを設立し、そこから発表する他のバンドを探しているということだった。Gregがネットにアップしたオーディオ・ファイル(長く忘れ去られていた)を聴いて、このバンドの作品を発売したいと思ったとのこと。私達はその音源を何にも使っていなかったから、「べつにいいよ」と答えた。この時点では、私達はmotWが今後なにかしらの活動をすることになるだろうとは考えていなかった。

今では“デモ”とみなされている3枚のアルバムから私達が選曲し、それをAdam Dutkiewicz(のちにKILLSWITCH ENGAGEで超有名になる)がリミックスしたものが、『My Fruit Psychobells』というタイトルで1999年に発売された。

Tedは我々に2000年のMilwaukee Metalfestへ出演するよう誘ってくれたが、Andrewは昨年(ハンプシャー大学を)卒業しており、『My Fruit Psychobells』を発表はしたもののmotWは実質的に終了していた。Andrewが旅立ってから1年もの間、新しいことは何もしていなかったし、私も学校での他のプロジェクトに創作意欲を注ぎ込んでいた。しかし、Milwaukee Metalfestは多くのメンバーが何年も出たいと思っていたものだし、あきらめたくもなかった。私は、ある授業で一緒になっていたSam GuttermanがULVERのTシャツを着ているのを見て、それをきっかけに話をしてみた。motWとMilwaukee Metalfestの実現可能性が高まってきたね。Samは興味を持ってくれて、まず、主にギターで手伝ってくれるという話になった。彼は自身の音源(ブラックメタル色が強い)を聴かせてくれて、私はそれに大変な感銘を受けた。音楽そのものはもちろん、彼がドラムスを演奏できるということに。というわけで、Tedが決めてきた複数のフェスティバルに、彼はドラマーとして加わることになった。Josh Seipp-WilliamsとCas Lucasがギタリストとしてそれらのフェスティバルに参加し、Emily EynonもMilwaukee Metalfestだけに参加した。

そういう寄せ集めのラインナップで、我々は数週間のギグをやることになった。motWの最初の3つの“プロフェッショナルなギグ”はフェスティバルだった。Worcester MetalfestとNew Jersey Metalfest、そしてMilwaukee Metalfest。WorcesterとMilwaukeeの間にハンプシャー大学で非公式のショウもやり、そこにはEmma WalkerとEmily Eynonが参加した。フェスティバルのギグの出来はひどいものだったな。即席のライヴバンドで、リハーサルも各ショウの前にたしか一度ずつしかやっていなかったし(夏になり学校が始まっていたせいもある:アメリカの新学期は早くて8月中旬に始まる)、フェスティバルの音響担当者の無礼で理解のない態度のせいもあった。メタルフェスの音響担当者はギター/ベース/ドラムス/ボーカル編成でのやり方しか知らないようだ。実生活で管楽器を一度も見たことがないんじゃないかというくらいに。

それはともかく、Milwaukee Metalfestの後、Greg、Byron、Terran、Jason、そしてCasは全員ボストンに移り住み、ご近所さんになって、大学卒業後の良い計画なしにバンドを続けていた。SamとJoshの住む西マサチューセッツはそこから数時間の距離だったけど、それぞれの生活に慣れるまでの数ヶ月間、motWは基本的に活動を停止していた。その間、私はずっと曲を書き続け、『Bath』と『Leaving Your Body Map』(ともに2001年発表)のための素材を全て用意した。

2000年末も間近となった頃、Samと私は新曲のデモをハンプシャー大学のスタジオで作り始めた。ギターとドラムスを3曲ぶん録音したのち、私達は卒業し、私はボストンに移住した。その地域にはリハーサル場所がなかったので、Samと私はコネチカット州にある私の両親の家の地下室で新譜のためのリハーサルをした。私達がスタジオ入りする直前にCasがオークランドに引っ越ししてきて、メンバーが遠距離に散らばっている状態ではあるけれども、録音を始めることになった。レコーディングの過程で我々は再びライヴをやることに決め、アルバムの録音が終わってから1ヶ月ほど経ってからNick Kyteの参加が決まった。Nickのことは大学在学中から知っていた。彼は西マサチューセッツに住んでいて、ハンプシャー大学の近くの郵便室で私と一緒に働いていた。私の着ていたKING DIAMONDのTシャツについて会話し、彼のバンドTHE YEAR OF OUT LORDのCDを送ってもらい、そしてmotWの『My Fruit Psychobells』を買ってもらった。彼は「一緒にやりたい」という手紙も送ってくれた。私はそれを覚えていて、それから約2年経って彼がたまたまボストンに移り住んできたとき(2001年)に連絡したというわけだ。

もともと『Bath』『Leaving Your Body Map』は2枚組アルバムになる予定だった。Tedは過去曲と新曲を合わせて出すよう勧めていたんだ。作曲の過程は無垢で夢見がちで独特な感じだった。実際のところはどのアルバムの制作過程も独特で、だからこそそれぞれの作品が特徴的なものに仕上がるわけなんだけど。それぞれの作品がその時々の自己を表現するものなんだ。この当時、私は“霊的な図書館(astral library:既存のあらゆる芸術が存在する特別な平面空間)”というアイデアに熱心に打ち込んでいた。芸術家は、変性意識のもとその“霊的な図書館”を訪れ、何かを読んだり見たり聴いたりして、それを持ち帰って報告したり解釈したりして、この世界に還元するメッセンジャーになる、という考えだ。ニューエイジ版ミューズ(註:ギリシア神話における、文学を司る女神達)とも、幻視のより冒険的な形とも言えるかな。

私は自分の琴線に奇妙なかたちで触れるチューニング方法を思いつき、アコースティックギターにそれを施して、ベッドの横に置いて毎晩寝る前に弄んだ。眠りを誘うような響きを出すために弦を爪弾いたんだ。その実験は結果的にとてもうまくいった。「Interlude 4」(『Leaving Your Body Map』収録)は完全に夢うつつな感じだね。このチューニングで書いた曲は、それが書かれた順に2枚のアルバムに収録されていて、意識状態から無意識状態に至る創作過程を示している。Byronはこのプロジェクトのコンセプトに従って歌詞とライナーノーツ(各ページの歌詞の横に記載されている説明文)からなる謎かけを考案した。文字通りの、ホンモノのミューズだね。「Interlude 4」はmotWの音楽の頂点であり、motWが結成以来6年に渡って模索してしたことの究極の到達点なんだ。


RAM-ZETノルウェー)》


Zetインタビュー(2001
SAMAEL、MESHUGGAH、KING DIAMOND、QUEENSRYCHESLIPKNOTDREAM THEATERVAN HALEN
メタル以外ではMASSIVE ATTACKPINK FLOYDPeter GabrielBjorkなど多数


Zetインタビュー(2005.7.4.)


SflnXインタビュー(2011.2.15)

MESHUGGAHがお気に入りで、ゴシックメタルのバンドよりもそちらの方に近いと思う
好きなバンドは気分によって変わるけど、MESHUGGAH、PANTERA、NIN、SOILWORKSLIPKNOTMADDER MORTEM、FINNTROLL、LED ZEPPELINBLACK SABBATHほか多数


プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界:参考資料集【プログレッシヴ・ブラックメタル篇】(内容説明・抄訳更新中)

こちらの記事
の具体的な内容・抄訳です。



Ihsahn関連(THOU SALT SUFFER、EMPEROR、PECCATUM、IHSAHN)
SIGH
ULVER
ARCTURUS
VED BUENS ENDE…
VIRUS
DØDHEIMSGARD(DHG)
FLEURETY
SOLEFALD
FURZE
LUGUBRUM
ORANSSI PAZUZU
PESTE NOIRE
EPHEL DUATH
THOU

(内容説明・抄訳のあるものは黒字にしています)


SIGH(日本)》


インタビュー(1997.12)
TERRORIZER』誌で年間9位
浮世絵的な美意識、「綺麗だけど怖い」




奥村裕司インタビュー(2010
まずアルバムのコンセプトを決めてから製作を始める

カレンニコフやフレンニコフグリンカや有名どころではチャイコフスキーなど、ロシアの作曲家からの影響は大きい
スヴェトラーノフのようなロシア/ソヴィエトの指揮者の演奏も、非常に気に入っている
最近では、ゲルギエフとか

今回のアルバムを作るに当たり、伊福部昭のスコアをかなり研究した
管弦楽法も一から読み返した)
伊福部氏の音楽に対する姿勢には非常に共感を持てるところが多い

『SCENES FROM HELL』にはデイヴィッド・チベットPSYCHIC TV〜CURRENT93)が朗読で参加(オリジナルの詩も書いてくれた)
『DOGS BLOOD RISING』('84)や『IN MENSTRUAL NIGHT』('86)辺りが怖くてお勧め


ペキンパー第弐号(2011
ペキンパー第参号(2012


増田勇一によるインタビュー(2012.4.1)


SIDEMILITIA inc.によるインタビュー(2012


奥村裕司インタビュー(2012


構成の意図:1曲目は非常にストレート、2曲目で少しおかしくなって、3曲目から本格的にその世界に入っていく──そして、「Far Beneath The In-Between」が悪夢の一番深いところで、そこからまただんだん現実に戻ってきて、「Fall To The Thrall」からはかなり普通の世界に…という感じ

全体を貫くストーリーラインというのはないが、コンセプトとしては、現実と空想の中間のような悪夢的世界を描く…というモノ
例えば、筒井康隆の『遠い座敷』や『エロチック街道』のような、夢なのか現実なのかよく分からない──特に理由はないけど何となく怖い世界であるとか、『ジェイコブズ・ラダー』('90)や『恐怖の足跡』('62)などの映画に出てくる、生と死が交錯するような世界。
現実のモノではないけど、完全に空想のモノでもない、未知のモノに対する恐怖というもの。
異国の地に対する漠然とした恐怖と、自分達と異なる文化を持つ者への漠然とした恐怖(誤解・偏見)。
現実ではないにしても、完全な想像でもないような気がしていた世界が、“Lucid Nightmares”なんです。ちなみに“Lucid Dream”というのは、“明晰夢=夢の中で夢と気づく夢”のことで、それの悪夢ヴァージョンという意味。








奥村裕司インタビュー(2015

いつも通り曲を書いて(譜面)、MIDIに打ち込んで聴き、アレンジや構成面をいじって、改めて聴く…を繰り返し、完成型として納得が出来たら、他のメンバーに譜面を渡し、リハを開始…というパターン
(今回はギターの大島氏もアレンジを加えた)


川嶋未来ブログ


日本のブラックメタルバンド・インタビュー(2015



『Scorn Defeat』20周年の回想




Grutle Kjellsonインタビュー(2008.4.11)
アルバム毎に変化し続けていきたい:人々が“プログレッシヴ”と言っている要素は『Eld』(3rd・'97年発表)の時点で既に出現している:新しいものに取り組む時は過去の作品は全く振り返らない
デモや1stの路線を求められることに対して:そんなにイヤなのに新しい音源を聴こうとする気が知れない:デモは確かに自分達の最高傑作と言えるものでもあるが、今聴き返すとシンプル過ぎて脳をかきまわさない
ミュージシャンは自分自身を満足させるために活動すべき(ファンの要求に応えすぎようとするのは違うのではないか)

聴いているもの:ハードロックの古典を沢山(初期のKISSほか多数)、初期のGENESISPINK FLOYDVAN DER GRAAF GENERATOR、RUSH、活動を始めた頃から聴いている様々なエクストリームメタル(DARKTHRONE、MAYHEM、AUTOPSY、CARCASS、BATHORY、CELTIC FROST)など:プログレッシヴなものやジャズなど、大量の“クレイジーな”ものを聴いている:本当に巨大な“大学”だ
BEACH BOYSなんかも素晴らしい(ボーカルハーモニー、プロダクション、アレンジなど、全てが驚異的):意識はしていないが確実に影響を受けているだろう
クリーンボーカルのみにせずブラックメタル流の荒々しいボーカルを入れ続けるのはバランスのため
メタルシーンの外にもファンがいる(ノイズ・プログレ・ジャズ方面のファンなど):音楽は音楽であり、ジャンル関係なしに良いものは良い
聴くものを限定してしまうと、生まれる音楽の幅も狭められてしまう

(メインの作詞家として)常に北欧神話を題材にしてきた(他の素材は扱っていない):他の神話と平行・共通する点は多い(オーストラリアからやってきた“全てを理解している男”に恐れ入った話):「外側から内を見るのではなく、内側から外を見る」

(関連プロジェクトTRINACRIAのミニマルなスタイルに言及されて)確かにミニマル。自分はドローン・ロックのようなものにも興味がある

Ivar Bjørnson(メインの作曲家)とは兄弟のようなもので('90年からずっと共同作業を続けている)、互いの分を完璧に心得た阿吽の呼吸がある:「喧嘩や議論はしない」ことはルールの一つで、その上でうまくいっている

PINK FLOYDは、毎日聴いているわけではないが、週に少なくとも一枚以上は聴く:『Sauserful of Secrets』は本当に素晴らしいアルバムだ
(長く浮遊感ある曲調もあって)「PINK FLOYDの影響」が過大に評価されているが、他にもっと大きな影響源はある:KING CRIMSON、RUSH、GENESIS、DARKTHRONE、初期MAYHEM、BATHORY、ジャーマン・スラッシュメタルのバンドなど、同等に影響を受けているものは多数存在する


Ivarインタビュー(2012.9.14)
『Vertebrae』(10th・'08年発表)で仕事をしたJoe Barresiは、作業の仕方の面でもミックスの仕上がりの面でも新鮮な刺激を与えてくれた(ミキシングの大切さを思い知らされた:バンド自身がプロデューサーになることはできる、資金はむしろ信頼できるミキサーのために使うべき):10thでもJoeを起用したかったがスケジュールが合わず、代わりを探した結果、OPETHのアルバムで良い仕事をしていたJens Bogrenが目に留まったので、Mikaelに「ENSLAVEDとJensは合うだろうか」と質問した上で快く紹介してもらった

「Roots of The Mountain」(『Riitiir』4曲目):数年間暖めていたアイデアの使いどころが見つかり('11年の11〜12月:ポルトガルのフェス出演に向かう飛行機の中でスマホMIDIでアイデアを打ち込んだ→帰宅してから12月を通して作業し、クリスマスから大晦日の間の、予定の11日遅れで第一子(娘)が生まれるまさにその間の2時間に、病院で、曲の最後のピースを完成させた):曲の最後のパートは何かが生まれる様子を連想させ、“the baby riff”と呼ばれている

レコード業界の話(ダウンロードとフィジカルメディアのことなど)

『Isa』のあたりから今の曲作りのスタイル・方向性が出来はじめてきた
曲が長くなってきたのは自然の成り行き
反復しながらの変化・展開

Grutle:70年代ロックからの影響
HerbandとIce Dale:ポップスなど
Cato:80年代の古典的ハードロックなど
Ivarのアレンジ(譜面上の構成)を変えなくても、実質的に異なる味を加えており、それはリアレンジすることと同じと言える:実際に演奏することによりアレンジは変更されていく


Ivar・Grutleインタビュー(『Riitiir』発表後)
Ivar:エクストリームメタル、特に世界中のブラックメタルノルウェー・シーンはもちろん、MASTER'S HAMMERやROTTING CHRIST(の1st)、BATHORYなど)が最大の影響源
歌詞については、北欧の神話や古詩(ルーン)が中心的題材で、音楽からの影響についていえばBATHORYに限られる:幾つかの例外を除けばGrutleとIvarの不可分なコンビネーションによって書かれる

“Riitiir”≒“The rites of man”
異なる文化的背景をもつ人々が(一神教以前の時代から)どのようにして深い相互理解を得ようと努めてきたのか、ということを題材としている(アルバムアートワークもそれに対応している)

ノルウェーのオールタイム・5大メタルバンドは」と問われて:TNT、MAYHEM、Høst、ULVER、ENSLAVED


Ivar Bjørnsonインタビュー(2014.2.20)
音楽の方向性は意識的なものではない:やりたいことをやり続けていたらこうなった
70年代のプログレッシヴ・ロックからの影響が特に大きい

初期ノルウェー・シーンの豊かさについて(そこの部分が外からは蔑ろにされがち)

『Riitiir』(12th・'13年発表):『Axioma Ethica Odini』(11th・'10年発表)に伴う1年に及ぶツアーから得たインスピレーションをもって、'11年からすぐに作業に着手

00年代はじめのメンバーチェンジは、ENSLAVEDの音楽的方向性にバランスと折り合いをつけられなかったのが大きな原因(脱退したメンバーは良い友人であり続けている)
音楽を主な仕事にできている:コンスタントな北米ツアーなどで家を離れることと家庭の問題

なんでも聴く(伝統的なメタル、ブラックメタルデスメタル、ロック、幾つかのポップス、ジャズ、クラシック、実験音楽:ヨーロッパや日本のもの)

ホラー映画ファンとして:David Lynch、『Saw』初期3作、古いもの(『Nosferatu』など):新しいものや日本のものなどはそこまで好みではない


Grutle Kjellsonインタビュー(2015.3.5)
90年頃からIvarと演奏:トレンディになってきたデスメタルに飽き、CELTIC FROSTやBATHORYのようなプリミティブな方向に立ち戻ろうとする一方で、70年代のロックからも影響を受け始めた
最初のマイルストーンは『Frost』(2nd・'94年発表)で、'97年の『Eld』あたりから70年代のエッセンスが出始め、『Below The Lights』(7th・'03年)から現在の方向性が固まった
自分の住んでいたところにあったシーンは極めて小さく、構成員は(自分とIvar、PHOBIA(ENSLAVEDの前身バンド)のドラマーなども含め)10人もいなかった

自分の聴きたいcontemporary music(今の音楽)を作る・同じことは繰り返さない

『In Times』:最新の技術(編集など?)を使わず、スタジオでライヴレコーディング:そのために入念なリハーサルをし、良い結果を得た
曲の長さはそれ自体の要求する自然なもの:(良いテーマであれば)反復する構成は好き:EARTHのようなバンドは好き(少しドローン寄りのもの:夢見るような効果を与えてくれる)
'00年か'01年にデトロイトでライヴした時、自分達が演奏した会場(地下)の上でRUN D.M.C.が出演していて、ショウの終了後に自分達を観に来て楽しんでくれた。ライヴの後には一緒に写真を撮った。
自分達がブラックメタルのバンドとは思っていない(自分にとってブラックメタルとは、サタニズムを題材にした歌詞を用いるもの)

KISS('81年の『The Elder』)、IRON MAIDEN、DEEP PURPLELED ZEPPELIN、'83〜'84年のスラッシュメタルMETALLICA、SLAYER、BATHORY、CELTIC FROST
70年代音楽からの影響は常にあった:RUSH、KISS、LED ZEPPELIN


Ivarインタビュー(2015.)
『In Times』:作曲には9〜10ヶ月(ツアー期間を通して)かかった:それぞれの曲調は異なるが、アルバムを通して一貫した雰囲気がある(以前の作品より「アルバム全体で一曲」という感じが強まっていると思う):よりエクストリームな要素とよりプログレッシヴな要素をうまく融合させようと試みた:いろんな感想が出るのも当然

方向性は(意識下では)定めず、制限を外してやりたいことをやる(成り行きに任せる)

他のものからの影響は歓迎する(影響を受けたくない・自分の音楽は何の影響も受けていないと主張する気持ちもわかるけど、それは愚かなことだと自分は感じる)


ULVERノルウェー)》


Kristoffer Rygg(Garm)インタビュー(2014.5.21)
(記事作成者によるリード文:ドストエフスキーの作品を下敷きにした演劇『Demons 2014』にULVERがサントラ(ドラムス&ピアノによる音楽)を提供)

ここ数年、コラボレーションが自分達にとって最もinspiringなことだった:異なるアイデアやバックグラウンドを交換し対話することで(常にではないが)自分達だけでは辿り着けないところに到達することができた。

映画音楽について:もっとやりたいが、金銭的な問題や依頼者側からの制限はやはりある。商業的な映画作りにおいてはミーティングその他の(音楽とは無関係の)些事が多すぎるし、音楽を担当する者の苦労(イメージを合わせることなど)への周囲からのリスペクトも乏しい。とてもフラストレーションがたまる作業だ。

ULVERについて:直近12回のライヴ(@欧州)では自分達の作品群からの素材を活用したが、それは基本的には即興的な活用だった。5〜6回ギグした後には、自分達がやっていて最も楽しいことに回帰していた。
そうしたギグの殆どは録音していて、次のアルバムの素材として沢山利用する予定。ライヴ感とポストプロダクションとをうまく組み合わせたい。
いくつか取り組んでいることはあるが(劇伴やラジオ用のもの:National Theatreとの協働のもとで出す)、十分な形になってはいない。
9月にイタリアでやる予定の『Messe Ⅰ.X.-Ⅵ.X』(オーケストラとの共演)以外には、この夏には1つか2つくらいしかライヴを入れる予定はない。新しいのものの録音作業を優先したい。

(『Messe Ⅰ.X.-Ⅵ.X』にStravinsky色があると言われて)Terry Rileyのような反復スタイルのあるものの方が近いのではないかと思う。宗教的な感覚をもてあそんでもいる。Arvo Partアルヴォ・ペルト:1935.9.11〜:ミニマリズム古楽など寄りのスタイル)やJohn Travener(ジョン・タヴナー:1944.1.28〜2013.11.12:メシアンシュトックハウゼンに並ぶ神秘主義)のような作曲家を自分達は長年聴いてきていて、(それが『Messe〜』に直接影響を及ぼしているとは言わないが)その美的感覚(spirituality・sanctity:霊性・神聖な感じ)に大いに感化されている。

オーケストラを使うことの難しさと可能性について:精巧なポップスやある種のロック(SPIRITUALIZEDなど)ではうまく機能すると思う。メタルやドラマティックな音楽では、多くの場合成功していないと感じる。
『Messe〜』ではオーケストラがメインになっているが、曲を書いているのは自分達なわけで、それを演奏したのが他人だとしても、十分自分達の作品になっている。作曲は幾分素人芸(dilettante composers)的なものかもしれなかったし、自分達自身それを自覚している。クラシック〜現代音楽をある種のポップスや電子音楽と混淆させたものになっている。

影響源:COIL(インダストリアルのグループ)が最も長い期間に渡って影響源であり続けている。(音楽面というよりも手法面で。)Ian JohnstoneとStephan Throwerとは『Wars of The Roses』(ULVERの2011年作)で共演できたが、それはJohn Balance(〜2004.11.13)とSleazy(Peter Martin Christopherson:〜2010.11.24)が亡くなった後だった。

sunn O)))とのコラボ作について:過剰に「野心的な作品」として解釈されているきらいはある。狙い通りのものになったとは思うし、聴かれないのは勿体ない作品だと思う。
こういうコラボレーション作は時間と予算を十分にとってなされるものだと取られがちだが、実際は、何年も前にやった1回きりのジャム・セッション(24時間以内)を、数回だけ集まってオーバーダブして仕上げたもの。

音楽ビジネスについて:ロマンティックな印象付けをされがちだが、実情はそんなものではない。大袈裟に美化するのはくだらない。

ここ20年以上の間で個人的に好きなレコード:ULVER『Childhood's End』(2012年作:70年代古典ロックのサウンドプロダクションで60年代の古典ロックを演奏):vol.2をやりたいと思っている。(60年代のガレージ・サイケなど。)

ノルウェーの音楽シーンについて:Kichie Kichie Ki Me O、KING MIDAS、WHEN(伝説)、Bergen(ベルゲン)のテクノなどがお薦め。
世界的にみても強力なものがたくさんあるが、ブラックメタルのようによく知られたジャンルでなければ、外からは注目されづらい。


Kristoffer Rygg(Garm)インタビュー(2015.10.15)

〈音楽との関わりはどういったところから始まったのか。音楽に専業として取り組むことを決めた瞬間(時期)というのはあるのか。〉

正直言って、そうした決断を下したことはない。まったくの偶然だった。子供の頃に何度か受けたピアノのレッスンを除けば、メタル(特に90年代のノルウェーブラックメタルシーンで起こったこと)の大ファンではあったけれども、音楽の素養は全くなかった。全てはCarl-Michael Eide(別名Czarl:VIRUS /ex. VED BUENS ENDE… / ULVERの初期ドラムス)に高校一年(16歳:1992年頃と思われる)のとき出会って偶然起きたことだった。同じレコード店でアルバムを買っていて、黒服にガンベルト、HELLHAMMERのTシャツを身にまとい、十分長く髪をのばしていた。すぐに意気投合した。
当時Carl-Michaelは結成したばかりのSATYRICONに在籍していて('91〜92年)、自分もそのリハーサルその他につきまとっていた。その数ヶ月後、Carl-Michaelがバンドを解雇されたとき、「一緒にバンドをやらないか」と声をかけられることになる。当時自分ができることは、歌ったり叫んだりしてみることくらいだった。そしてそれが“始まり”だった。全くの偶然だった。
そのときから、アンダーグラウンドシーンのデモ音源やテープトレードに没頭し、メタルにハマり込んでいた。ファンジンを始めてさえいた。しかし、そうしようと予め計画していたことはないし、ミュージシャンになろうとしてもいなかった。

〈メタルに引き込まれた最初のきっかけは〉

本当に興味を持ったのは、中学校の頃(80年代末)、パンク〜ハードコアを聴き始めたあたりだったと思う。それ以前は、両親の聴いていたものや、ラジオでかかるもの、その時々に流行っていたもの、つまりポップミュージックを何でも聴いていた。KISSやAC/DCSCORPIONSDEF LEPPARDや当時のビッグなスタジアムロックバンド、ヘアメタルのようなものを経由してヘヴィな音に入門し、先に述べたような、少々ポリティカルでエッジーなパンク〜ハードコア〜クロスオーバーを聴き始め(当時スケーターだった)、しかるのちにMETALLICAやSLAYER、SEPULTURA、スラッシュメタルやスピードメタルを聴くようになった。'89〜'90年頃にはグラインドコアデスメタルに出会い、'91年の夏にはEuronymous(Kristofferの7年半歳上)がHelvete(レコード店)をオスロの古い街角に開店する。同じ学校のスラッシャーから、ここのことを、オカルティックで暗いものの取扱いに長けたレコード店だと教えられた。
自分はその話にとても惹きつけられ、たしか開店から1〜2週間経った頃にそこに行き、ノルウェーデスメタルバンド(MORTEMやOLD FUNERAL、AMPUTATIONなど)のデモ音源を買い始める。また、Euronymousや他の同好の志と話す目的で繰り返し通うことになった。Euronymousは自分に好意を持ってくれたようで、MAYHEMや他のブラックメタルなど、一般の人が楽しんで聴くようなものではない音楽を紹介してくれ、人の知りうる最も邪悪な音楽を作る、という野望についても話してくれた。それは自分にとって“契約”というようなものだった。他の若者がするように、常に“より過激なもの”を求めていた。

〈その当時「これがメタルだ」と慣習的に考えられていたであろう領域から逸脱していったわけだ。〉

で、これは大事な一里塚ではあるけれども、終着点だったわけではない。(同世代以上のメタル関係者の多くが保守的な嗜好をもつのは少し奇妙に思えることもある。)自分は新しい音を中古店で貪欲に漁るというだけの人間で、正直言って90年代末はあまりメタルを聴いていなかった。AUTECHREやNURSE WITH WOUNDのレコードを聴くのに忙しかった。
こうした流れは自然なもので、歳を重ねるに従い起こるべくして起こったことなのだと思う。様々な音楽をたくさん聴き、芸術や科学を徹底的に探求して、新たな文化的印象・展望を得る、というような、種々の要素の組み合わせの結果なのだ。ただ、こうしたこととあわせて、自分がメタル嫌いであるという誤解も解いておきたい。自分はメタルを全く嫌っていないし、オールドスクールなブラック/デスメタルに強い郷愁の念を抱いてもいる。

〈メタルのファン層や考え方(ポピュラリティや領域の拡張に抗う姿勢)についてあなたが話すのは興味深い。あなたは、このジャンルが[「アウトサイダー」であるという意識と、「アンダーグラウンド」から「メインストリーム」に移行するものはそれが何であれ軽蔑すべきだという(自身の)偽善に見て見ぬふりをすることにより、成り立っている]危ういものだと考えているのですね。〉

それはその通りだ。ときに滑稽なくらい。90年代のメタルシーン、特にブラックメタルシーンについてみると、自分達は普通の音楽メディアの全てから完全に閉め出しを食っていた。もちろんそうしたことは大きな問題だし、「ふつうの基準に照らして趣味が良いとか受け入れられうるとかみなされる」全てのものから脇にそれて存在するものについて、同じ立場から同情する。しかし、全ての無名なものは確実に、あるとき有名になり、そののち再び無名になるのだ。自分も、20年にわたるいわゆるキャリアのなかでそうしたことが起きるのを見てきたし、時にはそうした時流の理解に苦しむこともあった。だから、そういうことについて考えるのはもうだいぶ前にやめてしまった。とはいえ、その種の言い訳はいまだメタルシーンに確実に存在する。売れなさそうで、純粋な情熱なり何なりに突き動かされているものほど、「ホンモノだ」とする考え方だ。しかし、売り上げと情熱は両立できないものなのだろうか?メタル文化のもつ「これは好きになっていいものだ、これはニセモノ・これはホンモノだ、これはクールでこれはそうじゃない」という類の排他的な姿勢にだけは、時折うんざりさせられる。
個人的には、こうしたことはとても幼稚だと思うし、完全にギャングの考え方だと思う。個人主義を大事にするシーンにはそぐわない考え方だし、「ホンモノであり続ける」とかアンダーグラウンドであることその他を無理強いしてくることについては時に辟易する。単純に非生産的だからだ。自分自身のバンドや好きなバンドが十分な成功をおさめ、良い・素晴らしいレコードを作れる環境を得るのを見たくはないのだろうか?アルバムを聴きたくないのでなければ、そういうことを言うべきではないだろう。この手のことは他のジャンルではそう多くは見られない。そしてメタルは、つまるところ、巨大なサブカルチャーなのだ。現在すぐに首を突っ込める最大の主流のものの一つと言っていい。しかし、メタルヘッド達はいまだに自分達が負け犬で社会の敵なのだとみなしたがっているように思える。実のところ社会の大きな部分を占めているのに。

〈ということは、ヘヴィ・メタルや少なくとも文化一般についてのあなたのものの見方は、時を経てかなり発達してきたわけだ。〉

うん。このことについては2つの論点がある。ある種のバンドは一つのやり方しか持っていない。例えば、MAYHEMが今やっていること以外の何かをやるのを想像できるかな?自分は彼らの30周年記念ギグを見たんだけど、ノルウェーの音楽誌はそれを「ありきたりな演出に埋め尽くされている」と非難した。その気持ちもわかる。しかし一方で、あのバンドがそれ以外のやり方をとることはできたのだろうか、とも自分は思うわけだ。“サタニック・サンダーストーム”(訳注:トレモロギターとブラストビートの組み合わせといった音楽的定型を指すと思われる)とか、人間の頭蓋骨や他の骨、血(血糊)や豚の死骸その他諸々、そして演劇的なステージング、といった“定番”の数々。こうしたことは、彼らが何であるかということの大きな部分を長く占めてきている。彼らが突然別のことをやったとしたら、とても奇妙な感じがするのではないだろうか。例えばKISSが素顔になったときみたいに。自分達(ULVER)について言うと、どのような音楽シーンにも忠誠を誓ったことがなく、特定のイメージに捉われるくらい長く属したことはないと思う。ある種の物事が各々のバンドにおいて良い方や悪い方に働いたり、時にその両方の働きが同時に起こったりするということが、時代や歴史的位置に依りながらどのような仕組みでなされるのか、というのを同時代の観点から分析するのは難しい。興味深く考えられるテーマではある。

〈あなたの仕事、特にULVERでの仕事は、「実験的」メタルとして分類されてきているけれども、これからまたメタルの“ありきたりな”要素を含む作品を出す可能性はあるだろうか?〉

メタルの観点から言えばそれもあると思う。ただ、メタルのバックグラウンドをもつ人からすると実験的というレッテルを貼られるものでも、フリージャズの即興をバックグラウンドにもつ人からすると、必ずしも実験的ととられないこともありうる。言ってしまえば、我々がバンドとして取り組んでいるのはそういうものなんだ。我々は(ジャンル間の)裂け目に落ち込んでしまっているわけ。ULVERが実験的なバンドとは思わない。そうなることも可能だけど、それは主な目的ではない。

〈以前あなたは様々な文学からの影響を口にしていた。そうしたものは今も音楽や歌詞に影響を与えている?〉

我々の読むものは、音楽の嗜好同様、確かに変化してきている。ただ、自分達は活動開始当初より歴史の本から大量にネタをパクっていて、そうしたものの多くは初期に役目を終えてしまっている。古い散文や詩歌を混ぜるのを好む傾向があったわけだ。そして、90年代に入ってRimbaudやWilliam Blakeなどからの盗用をしつくしたのち、おそらく『Blood Inside』('05年発表)あたりのある時点から、自分達なりの語調を築き上げられるようになってきたと思う。それはULVERの成り立ちの一つの柱をなしているだろうもので、うぬぼれているように聞こえるかもしれないが、それが自分達の書き方・考え方なのだ。音楽はプロジェクト単位で思いきった変化をすることができるけれども、歌詞の書き方はほとんど変わらないままでいるのだと思う。

〈歌詞の内容が典型的でなく、重要な意味を含んでいて、少なくとも、慣例に従ったものではない…というのもあなた方の音楽をヘヴィ・メタルという枠の中で特別なものにしている点だと思う。〉

うん、つまり、「何を言いたいのか」によるということかな。Bob Dylanの場合は明らかにそれが大事だし、一方CARCASSの場合は、特定の“らしい”言葉を探すことのほうが大事なのかもしれない。しかしまあ、自分達にとっては間違いなく「何を言いたいのか」が大事なんだ。

〈あなたの仕事はULVERに留まらず多岐に渡ることが知られている。創作のアプローチはそれぞれのプロジェクトに応じたものになるのだろうか?それとも共通する部分が多いのだろうか?〉

自分の関わる多くのプロジェクトは概念論の類のもので、それぞれのプロジェクトの雰囲気や美学に順応する必要はある。ULVERにおいては、それは自分にとって常に二面性のある作業であり続けている。ライヴバンドとしての体をなすまでは、音楽的なことが製作工程の全てをなしていた。その後我々はもっと集団的なバンドになり、関わる人々や他の行程、総合的に考えることが増えてきている。しかし、それ以前は長きにわたって、Tor(Tore Ylwizaker:'98年から在籍、キーボードやプログラミング担当)と自分がスタジオにこもってシンプルなフレーズに取り組んだり、Jørn(Jørn H. Sværen:'00年から在籍、クレジットは“miscellaneous(いろんなこと)”)と自分が歌詞や総合的な見せ方を書き出したり、というのが作業の全てだったわけだ。 
(訳注:先の「二面性のある作業」とはこの音楽構築・歌詞構築の2つを別々に並行してこなしていたことを指すのだと思われる。)
『Shadows of The Sun』('07年発表、バンドの正メンバーはこの3人のみ)では、どちらの作業も、発展させたり好ましい状況に導いたりするのに一年ほどかかっている。細かいことを言って戸惑わせようとしているのではない。しかしそうしたことは、アルバムやそこから滲み出ている感情にとてもはっきり表れていると思う。自分にとっては、2つの異なる実験室で異なる時間をかけ、何を表現したいのか、それについてどう感じてほしいのか、といったことにこだわり抜く、という作業だったわけだけど。『Shadows of The Sun』の歌詞などは、無味乾燥でありきたりなものに見えるかもしれないが、実のところ我々はそれにとても苦労して取り組んでいた。自分達がよく言うことだけど、良い常套句を作るには時間がかかるんだよね。『Shadows of The Sun』は飾り気のないアルバムで、自分が以前言ったことの残響のようなものだ。明らかにメタルではないけれど、自分達がやったことの中では確実に最もヘヴィで圧倒的なもの。そう思う。

〈形態・姿勢の面においてほとんど映画的といえる現在の立ち位置にULVERを導いたのは、確かにそのアルバムだね。〉

そうだ。シネマティックな/フィルム・ノワールな類の音を志向するようになったのは『Perdition City』('00年発表)からだと思う。その後我々は、歌詞が音楽と同じく視覚的な表現力を秘めていることに着目し始めた。もちろん歌詞はそもそもそれ自体が視覚的なものではある。紙の上での見栄えが良ければ、文章の内容がどんなにばかげていたとしても、目を喜ばせてくれるものになりうる。その一方で、歌詞は視覚的・精神的なイメージを喚起してくれるものでもある。我々は、突飛な空想をあらわす語彙や長ったらしい文章から距離をおきながらそうした効果を生むことを試みている。歌詞の面においては、こうしたミニマリズムが自分達にとって興味深いことであり続けているんだ。表現をシンプルに留め、余白に思いをこらせるようにするということ。『Wars of The Roses』('11年発表)では、地理的な、ほとんど事実に即した情景・概念描写において、こうしたことについてたくさん取り組んだ。それぞれの曲において、そうした地域の気象報告とか、そうした地域に関係する感情などを、歴史的に、またはその他のやり方で、描き出したかったわけだ。

〈自分自身の音楽についての考え方は、音楽を作り始めた時からみて成長したり変わったりしてる?〉

根本的な部分が変わってきているかはわからない。そうしたことは、時間、物事の本質、どういう経過を辿り生み出されてきたかという道筋などとともに、変化するものだ。時にそれは、欲求(≒やろうという意思)よりも本能とか癖に導かれてやったり探求したりするものになる。ファンにとってはピンとこないかもしれないが、少しすればしっくりくるというもの。まあ、感情的な領域において変化してきているかどうかはわからない。正直言って、「自分達は同じことを何度もリサイクルし続けている」と感じることも多い。終わりなき憂鬱な円環のようなものに捉えられているというか。しかしもちろん、新たな技術を学んだり様々な人々とともに演奏したりすることは、助けになっているよ。


ARCTURUSノルウェー)》


ICS Vortexインタビュー(2015.4.30)


製作の過程でアレンジは自在に変化

歌詞の内容は個人的でストレート


Garm(Kristoffer Rygg)インタビュー

バンドの活動がうまくいかない状況

ロックンロールのエッセンス
'96年にKISSのコンサートを観てシビれた話

3rdでSverdがIhsahnを呼んだのは、Garmが絶叫をやるつもりがなかったため

ARCTURUSの音楽が他のメタルバンドと異なる理由を挙げるのは難しい:メタルというジャンルに首を突っ込みすぎていないこと、異なるキャラクタの集まりで、あまり活動的でなく頻繁に顔を合わせない、ということは理由になるかもしれない

作編曲には(音響処理などのプロデュースを除いては)関わっていない。歌詞は担当する。

3rdの最終曲「For The End Yet Again」はSamuel Beckettからとったもの

メタルというジャンルには詳しくない:あまり聴かない


ICS Vortexインタビュー(2015.5.22)

ARCTURUSの音楽的支柱はSverdのキーボード('92年当初から使っているショボイもの:ARCTURUSの初めての曲もそれで書いた:今も全ての作曲をそれでやっている)で、それがこのバンドの代替不能な音楽的特徴になっている:持ち運びが極めて難しく、ライヴの途中でも調子を悪くしてしまう:これからもそれに付き合っていくしかないだろう
(これを持ち運べないからライヴはできない、ということではなさそう)

Simenの本業は運送業(経営)
自分のソロアルバム(ICS VORTEX)よりもARCTURUSを優先したい:3年のうちには新作を出したい

両親のヒッピースタイルの歌を聴いて育った:それはpure magicだった
自分の子供たちには実入りの少ないミュージシャンの道は選んでほしくない

新しい音楽に興味は持つが(今回知ったダブステップなど)、すぐに飽きてしまう:聴くのは興味深いメタル。VIRUS(そろそろ新作を出す)など。これは飽きない。


ICS Vortex(Simen Hestnaes)インタビュー(2015.5.27)
バンド内のいさかいで解散したが、冷却期間をおいて良好な状態に戻った
('07年解散・'11年活動再開)

「Crashland」は4thのために作られたデモに収録されていた曲で、Garmが「ARCTURUSにはそぐわない」と言って外されていたものだった。
今回聴き直して良いと判断し、Simenが歌メロをつけて採用された。

(3rd・4thの評価が高かったことにより5thの製作にプレッシャーはかかったかと問われて)メンバーはみな日常の仕事があるから音楽は“趣味”であり、自分達のスタジオ(ギターのKnut所有)を持っていて時間制限がなかったということもあって、純粋に楽しんで製作することができた

Sebastian Grouchot:バイオリンで全曲参加
Twistex:プロデューサー:ダブステップなどの処理で大きく貢献

先のことはわからない:多様性は大事だがいさかいが起こる可能性もある:うまくいっているうちは続けていく


FLEURETY






インタビュー('10)


Svein Egil Hatlevikインタビュー(2013.2.11)

〈まずは、STAGNANT WATERSの新作完成おめでとう。でも、それに触れる前に、よろしければあなたの過去に触れてみたいと思う。あなたの人格形成期について話してくれないだろうか?それから、音楽一般に興味を持つことになったきっかけについて。〉

ありがとう。最初の記憶のひとつは、5歳のとき、あるレコードがどうしようもなく欲しかったことかな。友達のところでジーン・シモンズの写真がカバーに載っているアルバムを見たんだ。当時KISSはキャリアの絶頂期で、全メンバーのソロアルバムを発表していた。そのうちジーン・シモンズのものは、あの有名なメイクをして口元から血をたらしている写真が使われていた。自分は父親にそのアルバムを買ってくれるよう5歳児なりのやり方で何度も何度も何度も頼んだんだけど、そういう悪魔の顔がカバーになっているアルバムを父親は与えてくれなかった。で、父親と自分は結局ひとつの妥協に至った。同じソロアルバムシリーズのうちのポール・スタンレーのやつを買ってもらったんだ。それが人生2枚目の“自分のレコード”になった。一枚目は「クマのプーさん」ね。概して、自分は特別に音楽的な子供時代を送ったわけではなかったように思う。並みの子供達とそう変わらない。友達と同じように、サマンサ・フォックスやBON JOVI、EUROPEみたいなのを聴いていた。そこから入ってW.A.S.P.やAC/DC、IRON MAIDENなどに触れ、ANTHRAXやSLAYER、METALLICAを経由して、デスメタルブラックメタルに至ったんだよ。

〈楽器の演奏に興味を持ち始めたのはいつ頃?学校にいた時?あなたのキャリアの大きな部分を占めるドラムスやシンセサイザーに惹きつけられたきっかけはどんなものだった?〉

ノルウェーの片田舎で育つ子供にできることは、スポーツをするか、地元のマーチング・バンドに参加するか、自分独自の活動を見つけることくらいだ。自分は2年ほどサッカーをやっていたけれど、じきに「両親の言う通りになんてする必要はない」ことに気付いた。友達と自分は完全にメタルにのめり込んでいたから、自分達のバンドを始めたんだ。ドラムスを選んだのは、なんというか偶然の選択だった。他のメンバーが先にギターやベースを選んでいたからそうしただけで。自前の楽器を持ってないのは自分だけだったんだ。だから、自分の初めてのドラムキットは、当時の英語教師からもらった古くてカビの生えたやつだった。

〈(演奏は)独学?それとも正式な教育を受けた?〉

15年前(訳注:DODHEIMSGARD『Satanic Art』('98年発表)に参加した頃だと思われる)にピアノの授業をとっていたことはあるけど、それは2ヶ月くらいしか続かなかった。高校の音楽の授業もごく初歩のレベルに留まるものだったし。自分が正式に受けた教育は、デジタル信号処理の(極めて拘束的な)理論過程だね。これはコンピュータで音楽をつくるのに非常に役立っている。

〈あなたの住んでいた地域は、興味をひく音楽や共同作業の相手を探したりするのにあたってはどうだったのかな?〉

オスロからあまり離れていなかったから、そこにあるレコード店にバスで通っていた。年上の子供達が貸してくれるレコードをテープに録音したりもしていた。ただ、ヘヴィメタルスラッシュメタルを聴いている分にはこのやり方でもよかったんだけど、もっと過激な音楽を聴き始めたとき、年長者はそういうものに全く興味を持っていなかった(からそういうルートで聴き進めることはできなかった)。そんな時、Helvete(訳注:Euronymousが経営していたレコード店で、ノルウェーブラックメタルシーンの音楽的影響源として非常に重要な役割を担った)を見つけたんだ。そこで買った初めてのアルバムはCARCASSの『Necroticism:Descanting The Insalubrious』('91年発表)だった。オスロは、そういう同じような音楽の趣味を持つ人達に出会う場にもなっていた。

〈あなたの参加した最初のプロジェクトとされるのは、Alexander Nordgarenと'91年に結成したFLEURETYだね。
その時あなたは14歳で、最初のデモ『Black Snow』('93年発表)を出した時は16歳のはず。あなたとAlexanderは学校の友達同士だったのかな?他の同級生たちからみて少しはみ出し者という感じだった?〉

そうだね。良い要約だ。

〈『Mid Tid Skal Komme』(1st:'95年発表)は、ノルウェーで頭角を現しつつあったブラックメタルを、その枠内で個性的で実験的なことをするようけしかけた作品として、VED BUENS ENDEなどと並ぶある種の記念碑と多くの人からみなされている。これは意図的に作られたもの?それとも偶然にできてしまったものなのかな?〉

90年代の前半に発表されたノルウェーブラックメタル作品は、殆ど全てのアルバムが記念碑的傑作だよ。90年代初頭のこのシーンはとても競争的で個人主義的だった。全てのバンドに“何かしら個性的な作品をつくる”ことが課されていた。それができないバンドは価値がないとみなされたんだ。そして、そういう意識を特に強くもつバンドもいた。自分達は、同時期の他の殆どのバンドと比べても更に個人主義にとらわれていたのかもしれない。ブラックメタルは他のジャンル(スラッシュメタルデスメタルなど)と比べ芸術的向上心が強い。これは、ブラックメタルやそれに影響を受けたバンドが(他のジャンルに比べ)実験をすることが多い理由でもある。我々は“自分達の”音楽をつくりたかったし、何かの亜流は見下していた。

〈FLEURETYは活発な活動をしてこなかったけれども、1stと『Department of Apocalyptic Affairs』(2nd:'00年発表)の間の5年間で、余人の追随を一層許さない境地に至ったのは間違いないと思う。当時は周囲の理解をあまり得られなかったけれども、この作品の影響源はどんなものだったのだろう?個人的に聴き取れる要素は、ジャズ、フランク・ザッパキャプテン・ビーフハート、オブスキュア・フォーク(訳注:無名の個人が自主制作で発表した、型にはまらない強烈な個性をもつフォーク作品のこと)、CARDIACSのようなバンド、それから、幻覚キノコを食ってサーカスに行ったら聴けるような音楽などかな。〉

エクストリームメタルの文脈において「実験的」という言葉はずいぶん便利に使われている。「アヴァンギャルド」という言葉も同様だね。この「アヴァンギャルド」という言葉を正しく使えるのは“回顧”のときだ。なにかオリジナルなことを最初にやったアーティストこそが「アヴァンギャルド」で、他の者はそれに啓発されたり真似をしたりする。そういう意味で、『Transylvanian Hunger』(DARKTHRONEの4th:'94年発表)は、ブラックメタルの最もミニマルな形式を精製した作品として、標準的に「アヴァンギャルドメタル」と言われるあらゆるバンドよりもずっと「アヴァンギャルド」なのだと言える。同様に、「実験的」という言葉も、本来の意味を失った状態で様々な使われ方をしている。実験をする時は、それをやっていくことにより生じる結果を事前に知ることはできない。で、なんでこういう話をしたかというと、『Department of Apocalyptic Affairs』は確かに「実験」だったからなんだ。見取り図は7曲全てについて予め用意してあったけれども、どういう完成形になるかは全く想像できなかった。参加ミュージシャンをスタジオに送り込み、別々のパートを非常に短い時間で録音させ、(各曲で)複数の異なるバンドが作曲&演奏しているように仕上げたんだ。この意味において、これは“社会音楽的実験”とでも言えるものだ。「他のどんなアーティストに影響を受けたか」と質問してくる理由はわかる。そして実際、自分達は、例えばフランク・ザッパやある種のジャズ的思考に影響を受けている。スウィング・グルーヴを導入しようとした箇所もあったし。だけど、例えば「「Shotgun Blast」はMINISTRYの「Just One Fix」(訳注:'92年発表の『Psalm 69』に収録)に強烈な影響を受けている」と言われたらどう思う?そんなこと誰も想像しないだろう。MINISTRYの曲と全く同じリズムパターンでドラムスを演奏しようとした箇所はある。しかし、あのアルバムのレコーディングで行われた高度に非線形的な実験において、オリジナルのアイデアは完全に消えてしまったんだ。こうしたことは、自分達の予想をどこかに追いやり実験から結果を出すための工程だった。だから、「影響源は何か」というような質問はちょっと的外れだな。このアルバムは偶然生まれたものなんだ。魔法のように。

〈FLEURETYは、イギリスのカルトな(そしてべらぼうに素晴らしい)レーベルAesthetic Deathと長く付き合っているね。彼らの目に留まった経緯は?そして、長い付き合いが続いている理由は?〉

Aesthetic Deathと最初に接触した時のことはよく覚えていない。20年以上前のことだし。レーベルオーナーのStuとは極めて良好な関係を維持できている。利益の出ない7インチ(訳注:『Ingentes Atque Decorii Vexilliferi Apokalypsis』('09年発表)と『Evoco Bestias』('11年発表)のことと思われる)をリリースするような勝手なことを許してくれた彼にはとても感謝しているよ。長年にわたり献身的かつ忠実であり続けてくれている彼に敬意を表する。

〈バンドが長く続いているということは特筆すべきことだし、新しいレコードも間もなくAesthetic Deathから出るよね。FLEURETYをこれだけ長く続けてこれた理由、それから今後の展望について話してくれないかな。〉

いつも言ってることなんだけど、他人と音楽を作るということは、自分が最も好む形の“社会的相互作用”なんだよね。Alexanderとは子供の頃からの友達同士で、出会ったときから一緒に音楽を作りたいと思っていた。彼は地球上のあらゆる場所を移り住んでいるから、顔を合わせるのは一年に一度くらい。FLEURETYが活動するのはその時だ。新しい7インチレコードのタイトルは『Et Spiritus Meus Semper Sub Sanguinantibus Stellis Habitabit』になる予定。『Department of Apocalyptic Affairs』とは全然違う音だよ。過去作の中で一番近いのは『Mid Tid Skal Komme』だけど、それとも全然違うものになっている。片方の曲ではギターが猛烈に刻んでいるけれども、もう一方の曲はもっと気味の悪い感じになっている。願わくば数ヶ月のうちに発売したいけれども、このバンドではいろんなことに時間がかかりがちだし、確約することはできないね。

〈そうしたことからはちょっと離れて、'97年に発表されたAPHRODISIAC唯一のアルバム『Nonesence Chamber』に触れさせてほしい。自分はこれをポーランドのMisanthropyから出たカセットで手に入れ、聴くたびにぞっとしたり戸惑わされたりしてきた。その頃自分はCold Meat Industryレーベルから出ているようなものを沢山聴いていて、連続殺人鬼についての話をいろいろ読んだりしていた。何というかつまり、暗い雰囲気と実験的な電子音楽を混ぜ合わせて味わっていたわけだ。このプロジェクトはあなたとVicotnick(DHG)、そしてKim Sølveによるものでしょう。この作品の背景にあったアイデアはどんなものだったのかな?そして、このプロジェクトがこれ以上発展しなかった理由は?〉

多くの人々が「Kim Sølveはこのバンドの一員だった」と信じているようだけど、それは間違いだ。この誤解は、当初APHRODISIAC名義を使っていて後に「SEX」と発音されるあだ名を持つようになった(別の)プロジェクトを自分とKim Sølveがやっていたことから来ている。APHRODISIACはVicotnickと自分
からなるバンドで、基本的には、できうる限り最も不快なサウンドを作ることを目的としていた。あなたのように、自分達は連続殺人鬼についての話を沢山読んだり、声のサンプルを集めるためにドキュメンタリーをVHSに録画したりしていた。そんなに多くを聴いてはいないけど、Cold Meat Industryのアーティストにも感化されている。APHRODISIACの作品は、単なる「不快なノイズのアイデア」に留まらない、多様な音楽の形式をとっているものだ。当時の自分は、クリシュトフ・ペンデレツキやリゲティ・ジェルジュ、アルネ・ノールヘイムのような、ある種の音色やトーンクラスターで知られる、戦後のアカデミック音楽の作曲家たちを聴いていた。16歳くらい(訳注:'93年頃)の時に『広島の犠牲者に捧げる哀歌』で初めてペンデレツキを聴いたんだけど、これは自分が今まで聴いたことのあるどんなブラックメタルよりも究極的に暗い感じがして、すっかり打ちのめされてしまった。「本当に暗くて不快なことをするプロジェクトをやりたい」と思い始めたのはこの時だね。APHRODISIACではアルバムを一枚つくったけれども、それが完成したとき、自分達の持っていたアイデアを全て注ぎ込んでしまったと感じた。それでプロジェクトは自然消滅したんだ。

〈周知の通り、あなたはDODHEIMSGARDにも鍵盤奏者として'97〜'03年のあいだ在籍していたよね。それで『Satanic Art』('98年発表)と『666 International』('99年発表)の製作に貢献した。バンドに所属していた頃の思い出などは?それから、その2作にはどんな貢献をした?ライヴでの思い出にも興味がある。ショウの数自体は残念ながら非常に少なかったけど、どれも狂った感じの凄いものだったし。〉

その頃の経験はとても刺激的だったよ。自分がはじめて参加したのは、彼らが『Monumental Possession』('96年発表)の後に作ったデモを聴いた後のこと。これは極めて素晴らしい作品だと思った。自分のオールタイム・フェイバリット・ブラックメタル作品のひとつZYKLON - Bに通じるものを感じたんだ。デモ収録曲のうち「Symptom」は再録され、「The Paramount Empire」はそのままの形で、『Satanic Art』に収録された。DODHEIMSGARDは素晴らしいリフの勝利行進といった趣のバンドで、「Traces of Reality」(訳注:『Satanic Art』収録・ブラックメタルを代表する名曲)はその好例だね。自分がVicotnickのところに行ったら、彼は素晴らしいリフを次から次へと演奏してくれた。これは1996年のことで、ブラックメタルの殆どは貧弱で無印なものになっていた。DODHEIMSGARDは、そうした平凡なものが溢れる霧の中における灯台のような存在だったんだ。もちろん自分はそこに加入したいと思った。自分はその頃ピアノのレッスンを少しの間受けていて、エリック・サティフレデリック・ショパンエドヴァルド・グリーグなどピアノ曲の作曲家を沢山聴いていた。ブラックメタルシーンに溢れるつまらないハーモニーと歯応えのないメロディに対する反抗として、ブラックメタルのキーボードで試したいアイデアが沢山あった。当時も今も「ブラックメタルにキーボードなんていらない」という考え方が広くあって(今はだいぶ少なくなったけれども)、自分はそれが誤っているということを証明したかったんだ。DODHEIMSGARDの2作の作曲面における自分の貢献は、自分の担当したキーボードやピアノの部分というところだね。'99年にはDIMMU BORGIRのサポートで6週間に渡り40回ほどのコンサートをした。音楽的に言えば全ての点において滅茶苦茶なツアーだったな。それ以上言うことはない。でも、楽しかった。

〈VIRUSへの客演やSOLEFALD音源のリミックスを除けば、その後しばらく活動をしてなかったよね。音楽に少し飽きていたのかな?それとも他にやることがあった?〉

'99〜'03年はあまり音楽をやっていなかった。一人で作っていたものはあって、それはZWEIZZの素材になった。FLEURETYとDODHEIMSGARDはどちらも活動を休止していた。個人的には最も忙しい時期だったな。コンピュータ科学と数学の勉強をしていたから。学生新聞への寄稿にも多くの時間をさいていた。そのおかげで、今は新聞社で働いているよ。

〈Teloch(MAYHEM、NIDINGRなど)やHellhammerと組んだUMORALではボーカルをやってるね。短いEPを一枚だけ発表していて、そのカバーアートは、自分はよく覚えてないけど、何らかの理由でとても有名になっている。(訳注:黒ボカシ付きのポルノアートがあしらわれている。)これについて何か話してくれないかな?おかしなことに、自分が次にレビューするのはNIDINGRなんだよね。〉

UMORALのデビューアルバム『Der hvor sola aldri skinner』は97%録音完了している。仕上げるには平凡すぎるという理由で作業が長く止まっているんだよね。'13年の新年の目標の一つは、このアルバムを年内に発表することだ。Hellhammerのかわりのドラマーも見つけてある。TSJUDERやTHE CUMSHOTSで知られるAntiChristianだ。

〈この間あなたがステージにいるのを見た時、あなたは便器にうずくまっていて話しかけるチャンスがなかった。あなたは飲み過ぎで吐いたりすることはなかったけど、Zweizzというあだ名のもとで大量のノイズを吐き出していたね。こういう極端な下ネタ電子音楽のスタイルについて何か話してくれないかな?〉

便器をある種のマイクスタンドとして使うというのは、数年前から暖めていたアイデアだった。便器の中にカメラを設置すれば、顔なり体の他の部分なり、好きなところをステージ上のプロジェクターに映すことができる。こうすれば、観客は奇妙で親密でないやり方で顔に大接近できるわけだ。多くの人は恥ずかしく気まずい思いをするだろうし、それが良いんだよ。それから、こういう仕掛けをした便器のカタチ自体が自分の興味をひいた。うまく説明できないんだけど。こういうパフォーマンスでやる音楽は、即興ノイズというようなもので、うまく描写するのは難しい。ショウをすることに没頭して、自分でもどういう音を出しているかハッキリ思い出せないからだ。スイスで一回ショウをしたんだけど、ある評論家の女性は「歯にドリルをあてられるような音」だと言っていた。みんながそう感じるなら、ある意味、自分の出したい音をうまく出せているということなんだろう。殆どのノイズ・ミュージックと同様、自分は音楽による身体的経験にこだわっている。そして、それは不快なものであってほしいんだ。

〈自分が観た時のヘッドライナーはULVERだったんだけど、そのファンである物腰の柔らかいヒップスター達の反応はどんな感じだった?ビンを投げつけられてステージを下されたりした?こういう極端な音楽は極端な反応をされても仕方ないと思う?〉

楽しんでくれた人もいたし、嫌っていた人もいたよ。でも、暴力をふるわれたり汚い言葉を投げつけられたりすることはなかった。ある評論家は「明らかにスラヴォイ・ジジェク(訳注:スロベニアの哲学者:精神分析学)に啓発されたものだ」とか言っていた。これが大学のキャンパスでのコンサートの後だったなら、こういう発言も驚くにあたらないのかもしれないんだけどね。

〈OK。ちょうどSTAGNANT WATERSのセルフタイトル・デビューアルバムを再生し始めたところなので(訳注:これはメールインタビューなので2人は同じ場所にいない)、その話に移ろう。まず気になるのは、“stagnant(淀んだ・停滞した)”という表現がそぐわない活発な曲がいくつもあるのにどうしてこういうバンド名にしたのか、ということなんだけど。〉

バンド名は自分が加入する前から決まっていた。この名前は、このバンドをソロプロジェクトとして始めた創設者・ギタリストCamilleの過ごした苛立たしい時期から来ているのではないかと思う。自分がいろいろ聞いたことから考えるに、彼の人生が停滞しているように感じられていた時期に、この名前がふと浮かんだ、ということなのではないだろうか。バンドの名前と比べこの音楽は熱狂的すぎる、ということは多くの人が言っている。しかし自分はこう考えたいね。淀んだ水の中では、細菌や微生物、小さく奇妙な生き物が繁栄している。たとえばこういうふうに拡大して見てみれば、淀んだ池の中でも、このアルバムの音楽に見合うくらい激しいことが起きていると言えるわけだ。これは淀んだ池の水を飲んではいけない理由でもあるね。死んでしまうこともありうる。

〈このプロジェクトでは、Aymeric ThomasとCamille Giraudeauと作業しているね。2人はフランス人だけど、どうやって出会ったのかな?それから、作業の仕方はどんな感じ?直接顔を突き合わせてやっているのかな?それともデータのやり取りをしているのかな?〉

自分達はMySpaceがまだ活発だった頃にそこを通して知り合った。はじめは全然乗り気じゃなかったよ。自分は既にいろんなプロジェクトに参加しすぎていたし。でも、彼らの素材をじっくり聴いてみたら、すぐに考えが変わった。はねつけるのが勿体ないくらい良かったんだ。それで自分はクレルモン=フェラン(訳注:フランスの都市)に行き、1週間滞在してボーカルを録音した。

〈この音楽はいろんなスタイルやアイデアの素晴らしい融合体で、まったく完全に狂ってしまっているものでもある。バンドの3人はこれをどうやってまとめ上げたのかな?そして、あなたが実際に演奏しているパートはどこ?Metal Archivesはあなたを単にボーカリストとしか記していないけれども。〉

デビューアルバムの音源は、自分が加入した時には既に仕上げられていた。だから、詳しいことはわからない。自分が知っているのは、他の2人もインターネットを介して素材のやり取りをしていたということ。自分がボーカルの録音のためにフランスに行った時が、その2人にとっても初顔合わせの機会だったんだ。我々は次のアルバムのために2曲を作っているところなんだけど、その見取り図は自分が書いていて、他の2人は残りのアレンジを担当している。このバンドが将来どうなるかはわからないけど、興味深いものになるとは思うよ。

〈音のスタイルはランダムに変化していき、曲のタイトルや聞こえてくる歌詞にはあまり意味がないように思われる。全体を貫くコンセプトなどはあるの?〉

殆どの歌詞は、自分が書き始める前から、強固に首尾一貫し明確なコンセプトを持ったものとして存在していた。バンドの他のメンバーが書いたものもあるし、バンド外部のゲストが書いたものもあるけど。自分は、この歌詞が一読してすぐに意味がつかめるようなものにはしたくなかったから、全てをさかさまにひっくり返し、意味が不明瞭になるように殆どを書き直した。これは“しるし”を作るようなことだね。何か表現することがあって、それを形にするときは、それを作り変え、原型とは似ていない形に仕上げるものだ。こういう歌詞が一見意味のないもののように思われるのはわかっているけれども、これは意図して選んだやり方なんだ。不安感や混乱を生み出すための、潜在意識へのアプローチなんだよ。

〈(この音楽では)混沌の中に構造がある。「Of Salt And Waters」では、全盛期ハリウッドの叙事詩的冒険映画に通じるサウンドにあなたのメロディアスなクリーン・ボーカルが乗り、その後エレクトリック・ビートが鳴り響いてきて、混沌が再び優勢になる。あなたがリスナーに期待する反応・感情はどんなものだろうか?〉

その質問には、「好きなことをやっただけだ」という古い常套句に頼らずに答えるのが難しいな。先に言ったように、自分が加入する前にこのアルバムがどう作られていたのか話すことはできない。ただ、こう言うことはできる。この音楽は、やり方を知ってさえいれば、自分も全く同じように作っただろうものなんだ。だから、率直に言えば、リスナーには2009年に自分がこの音楽を初めて聴いた時に感じたのと同じ興奮を感じてほしい。自分はこれを理解するために何回か聴き返さなければならなかったし、そしてそうすることで本当に心をかき乱された。

〈(このアルバムについての)こういうレビューはもう読んだ?(このインタビュアーのレビューhttp://www.avenoctum.com/2012/10/stagnant-waters-st-adversumが示される)本当に酷いレビューもあるよね。この音楽は万人のためのものではないし、レビューもそれに見合うくらい読み応えのあるものにしなければならないのに。〉

レビューありがとう。実際本当に酷いレビューはあるけれども、熱狂的なレビューの方が遥かに多いよ。他のバンドメンバーについてはわからないけれども、個人的には、この業界に入ってから20年というもの、あらゆる類のレビューに接してきているので、そういうのはもう慣れている。自分でもレビューを書いたりするから、意地の悪い言葉を使ったり、心のこもっていない賛辞を並べたりするのがどれだけ簡単かということはよくわかっているんだ。非常に低い評価をするレビューというのは、殆どの場合、音楽よりも書き手そのものについて多くのことを語るものだ。誰かが私の音楽を嫌いだと言うとき、まあそれも結構なことだけど、そういう場合、そのレビューは単に「ある人間がインターネット上で何かを嫌ってみせている」ということを示すだけのものになっている。そして、インターネット上で何かを嫌うのはとても簡単なことなんだよね。このアルバムについてのとても心温まるレビューをいくつかもらったけれども、そういうレビューでは、書き手が考えをまとめ上げるのに大きな手間をかけてくれているのがはっきりわかる。そういうのを見ると、とても啓発されるよ。

〈このアルバムを出したレーベルAdversumにも触れておくべきだね。このレーベルは幸いにも、あなたが過去に一緒に仕事したことのある人達によって運営されている。彼らのとの関係について話してくれないかな?〉

アヴァンギャルドメタル」という呼称は世間に長いこと存在しているけれども、こういう括りをされたものが「フォーク・ブラックメタル」とか「シューゲイザー/デプレッシヴ・ブラックメタル」よりも売りづらいかというと、自分はそんなことないと思う。いろんな見方が加わると物事が複雑になる。例えば「我々はライヴをしないバンドだ」ということなど。選挙と同じことだね。多くの票を得るためには、多くの人々にアピールしなければならない。Adversumの人々は友達だから、物事を正しく議論しやすくなっている。自分達がどういう音楽を聴いてほしいのか、どういう音楽的アイデアを膨らませていきたいのか、という考えを分かち合うのも簡単だ。とても良い関係を築いているよ。

〈このアルバムを手に入れる前に、ENSLAVEDのトリビュート・アルバムにSTAGNANT WATERSが提供した音源「Større enn Tid – Tyngre enn Natt」も聴いたよ。全然オーソドックスでなくオリジナルに忠実とは言えない仕上がりで、たぶんあなた方にやりたいようにやる自由を与えたのだろうPictonianレーベルも、そしてファンも、驚いたんじゃないかな?これを聴いて阿鼻叫喚になってる人もいそうだけど。〉

どう受け取られるか自分には全くわからないな。自分はこのカバーには一切参加してないんだ。自分がバンドに加入する前から他メンバーがやっていたことなんだよね。この曲について話し合いはしたけど、個人的にはENSLAVEDと親しくはないし、敬意を払う必要もないと思っていたから、自分抜きでカバーをするというふうに合意したんだよ。

〈今後のSTAGNANT WATERSの活動はどうなるのかな?ライヴをすることもありうるのか、それともスタジオ限定のプロジェクトのままでいるのかな?〉

自分達はずいぶん気ままに音楽を作っているからね。やりたい音楽のためにはどんなスタジオ技術も活用してきた。可能性は少ないけれども、もしライヴをやるのなら、そのフォーマットで良い感じに聞こえるような曲を作らなければならないだろうね。

〈STAGNANT WATERSについて調べていたら、SELF SPILLERというのを見つけた。あなただけでなく、SIGHやAGALLOCH、FORMLOFFなど、数えきれないくらい多くのバンドのメンバーを含むプロジェクトだ。Vendlusから出た『Worms In The Keys』というアルバムは聴いてみるつもり。あなたはこれにどういうふうに参加しているのかな?〉

2007年頃にこのプロジェクトを企画したJason Walton(AGALLOCH)に幾つか音のファイルを送っただけだよ。自分の貢献がどんなものかアルバムを何回か聴き返したけど、自分の音がどこに入っているかはわからない。

〈他のバンドやプロジェクトなど、音楽の話でここまで触れずにきたことはあるかな?あなたは音楽ジャーナリズム業界にも属していると思うんだけど?〉

Zweizz & Joey Hopkinsの'11年に出るアルバムをチェックしてみてほしい。'07〜'10年の間に自分が主に力を注いだものの一つだ。悲しいことにJoey Hopkinsは'08年に亡くなってしまったけど、自分は共に制作していたこのアルバムを長い時間をかけて完成させた。彼は巨大な才能の持ち主だったし、STAGNANT WATERSのボーカリスト候補だったこともあるんだよ。
例えばこれをチェックしてみてほしい。

Zweizz & Joey Hopkins – “No clue”: http://www.youtube.com/watch?v=CLNufw1QEDo

Zweizz & Joey Hopkins – “The Goat”:http://www.youtube.com/watch?v=aBYik8wWilI

Zweizz & Joey Hopkins – “Smash, Politics, Gag”: http://www.youtube.com/watch?v=kLFG_3_HdwU 


〈深いインタビューに時間をさいてくれてありがとう。読者に何か言っておきたいことはある?〉

インタビューありがとう。そして、読んでくれたみんな、ありがとう。


LUGUBRUM(ベルギー)》


インタビュー(オフィシャルサイトから)

Metal Maniacs zine(2007)
『De Ware Hond』発売時のインタビュー

まとまりと流動性とのバランスを取るために、予めラフにセッションの全体像を描いてはいた。
同じ部屋でライヴレコーディングしつつ、各人がそれぞれの価値観のもと各自の仕事を尽くした。それにより、今まで体験したことのない新たなエネルギーを生むことができた。
バンドには普通レイドバックした雰囲気がある。
人生には常に「陰陽」がある。
Bhodidharma(sax)はGhentでのセッション(B面)にのみ参加。完全な自由を与えられて演奏した。

ブラックメタルは無限の可能性を持つ最も興味深い音楽ジャンルの一つだと思う。他のジャンルでは、自分の好きな音楽全ての影響を組み込むことはできなかった。自分達は、同じ方向性を突き進み(横道に逸れず)、その上で周囲にあるものを詳細に吟味し取り入れ続けている。その結果、作品毎に違った仕上がりになる。
常にブラックメタルに関連付けられることをやってはいるが、その手法は我々独自のものだ。

Midgaarsはオランダ人だが、隣国オランダよりもベルギーの方が遥かに興味深い国だと思っている。

影響源を述べて混乱を招きたくない。共感を持つものの多くは70年代の音楽。
アウトサイダー・アート」という形容はLUGUBRUMの音楽にとって良い表現だと思う。

アルコールへの思い入れ
(普通のベルギー・ビールで満足:わざわざ特別なものを飲む必要はない)

“brown metal”は“brown note”(「可聴域外の超低周波音で、人間の腸を共鳴させて行動不能に陥らせる」とされる、実在が証明されていない音)を意識したもの?
(冗談とも本気ともつかない返答:自分達の棺が冷たい土に沈み込む直前に、自分達の直腸とともに演奏されるだろう最後の音)


Zero Tolerance zine(2012)
『Face Lion Face Oignon』発売後・Midgaarsインタビュー:

9th『Albino de Congo』はベルギーの植民地だったコンゴがテーマ
10th『Face Lion Face Oignon』はナポレオンのヤッファ攻囲戦がテーマ
ナポレオンの黒歴史(最初の手痛い敗戦)であるシリア遠征というテーマはLUGUBRUMの題材として完璧にそぐうものと思われた
西欧の強い勢力が中東の困難な状況に足を取られてしまう、というのは現代の状況にも通じる。「歴史は繰り返す」というのは歴史の大きな魅力。

熱狂的なファンの多くは折衷的で何でも聴く人々。そうしたファンか送ってくれるコンピレーションにより幾つもの素晴らしい音楽に出会った。

『Bruyne Troon』は(最後に)地下貯蔵庫で録音したもの

音楽的には他の何にも似ていないと思うし、そしてそれは鼻にかけることでもない。様々なスピードでブルースを演奏しているだけ。『Face〜』には殆どブルース・リフばかりで構成されている。それを人々は「初期のLUGUBRUMみたいだ」と言う。つまりおそらく自分達はずっとブルースを演奏し続けてきたということなのだろう。(それぞれのアルバムについてはいちいち気にしていない。)
自分にとって大事なのは音楽をやっていて楽しいかどうかということだけで、楽しくなくなったら他のことを探す。そしてそれがまだ続いている。


Midgaarsインタビュー(2013.9.19)
使用機材はここ20年間変わっていない(最初のデモと最新アルバムとでは同じドラムキットを使っている)。『De Vette Cuecken』から録音のクオリティが上がったと言われても何とも言えないし、LUGUBRUMの音楽についてそういうことを言うのも滑稽なことだ。

同じアートワークを2度使うのは好まない。その時々の状況を反映したものにすべきで、過去と同じことを繰り返すのに意味はないと思う。
アートスクールに少し行ったけれども殆ど独学で、今でも勉強し続けている

Boersk Blek Metle(Black Metal for Farmers):『De Totem』(The Anglo-Boer war(南アフリカにおける農夫の戦争)がテーマ)以降にバンドが用いているテーマ

曲の多くはジャム・セッションから作られる

Star Wars』とLego

ここ20年間でやったライヴの数は約20ほど


ORANSSI PAZUZUフィンランド)》


Onttoインタビュー(2013.9.12掲載)

〈やあ、Ontto!まず、このインタビューのために時間を割いてくれたことに御礼申し上げます。本当にありがたいです。バンドと現在のメンバーについて紹介してくれるかな?〉

どういたしまして。ORANSSI PAZUZUは結成当初から以下のメンバーのままでやっている。
Jun-His:ボーカル&ギター
Moit:ギター
Korjak:ドラムス
Evill:キーボード&特殊効果
Ontto:ベース

〈バンド名の起源についても教えてくれないだろうか?自分の知る限り、“oranssi”は“orange”(オレンジ)を意味し、“Pazuzu”はアッシリアやバビロンの神話における悪魔の名前のようだけど。〉

その通り。ORANSSI PAZUZUという名前は我々の音楽の二元性を象徴するものなんだ。
“Pazuzu”は、闇、未知、神秘、そして未踏の音楽的領域を目指す我々の志向を表している。我々の内にある闇とか、虚無主義的で混沌とした精神領域を象徴するものでもある。自分にとっては、オカルト主義者の象徴というよりも、心理学的・哲学的なものなんだ。
一方、“Oranssi”というのは、我々のサイケデリックな側面とか宇宙のエネルギーを表している。これはブラックメタルの“伝統的な”色合いと対極に位置するものでもある。我々の音楽にはブラックメタル色もあるけれど、それは全体的なものではない。白黒フィルムにいろんな色を重ねたようなものという方が適切だね。

〈自分の認識違いでなければ、あなた方は2つのレーベルと契約しているね。20 Black SpinとSvart。これはアルバムを発表するにあたってどういう意義をもつのだろうか?複数のレーベルと契約することの利点は?〉

幾つかの選択肢について考えた結果、ヨーロッパでの発売を担当するレーベル・アメリカでの発売を担当するレーベルとそれぞれ一つずつ契約するのが賢明だと考えたんだ。業務上さまざまな利点がある。しかし一番大事なのは、どの地域でも全く同じ音源やアートワークを手に入れられるようにするということだ。ヨーロッパと北アメリカの両方で、CDとゲートフォールド(註:見開きタイプのジャケット)のLPが発売されるよ。

〈新譜『Valonielu』は3rdアルバムだね。前2作(1st『Muukalainen Puhuu』・2nd『Kosmonument』)と比べるとどんな感じ?バンドの音楽性の自然な進化形だと思う?〉

そうだね、自然な進化形だ。これは今までの音楽性の延長線上にあるものだ。それはこれからも進み続けていくだろうけれども、常に一定の方向を指し示している。その上で以前のアルバムと比べるなら、『Valonielu』はよりプログレッシヴ(進歩的)で直接的な作品なのだろうと思う。長い時間をかけて自然に育つがままに任せたから、以前の作品より幾分息遣い豊かなものになっているんじゃないだろうか。カッチリ固められた形式にさっさとまとめてしまいたくはなかったんだ。幾つかの曲はとても長くなっているよ。
『Valonielu』では、プロフェッショナルなスタジオを使うことの利点も示されている。バンドサウンドの全体像は以前よりバランスが取れたものになっていると思う。

〈アルバムのサウンドは本当に素晴らしいよ!プロダクションがどんなものだったのか教えてくれないかな?どこで録音し、ミックスやマスタリングを行ったのかということとか、エンジニアは誰だったのかということなど。〉

そう言ってくれるのは嬉しいね。
録音・ミックス・マスタリング・プロデュースを担当したのはJaime Gomez Arellanoだ。Gomezを選んだのは素晴らしい判断だったと思うよ。彼はCATHEDRALやGHOST、ULVERのようなバンドと仕事をしてきた。我々の音楽的美学を深く理解してくれたし、それをスタジオで表現するための術も心得ていた。前2作と同じく、全てのベーシック・トラックをライヴレコーディングしたんだけど、その上でGomezは我々に大量のオーバーダブ(ベーシック・トラックの上に重ね録りすること)をするよう促した。これは以前にはやったことがなかった。そうすることで、アルバム全体のサウンドを非常に豊かにすることができたんだ。

〈『Valonielu』の歌詞にはテーマがあるのかな?アルバムにコンセプト的な背景はある?〉

『Kosmonument』が実存的空間において迷い消え去っていく放浪者を扱ったものだとしたら、『Valonielu』は、人間の(外界から)隔離された意識とか生命の小宇宙(註:生命システムを宇宙空間の縮小版として捉える考え方)などに向かっているものだと言える。厳密なコンセプトアルバムではないけれど、精神とか現実についての考え方といったテーマが繰り返し出てくる。我々人間はその知性に複数の“穴”を抱えていて、それぞれの人がそれに対して異なるやり方で反応するのだ、と自分は考える。未知のものを受け入れたりそれを覗き込んだりすることもできるし、否定したり、幻想やイデオロギーで美化したりすることもできる。人は自分のまわりに真円(完璧な円)を描くことができるけれども、現実的にはその円は真円ではなく、塵で描かれたものにすぎない(註:儚く不確かだ、というニュアンスだと思われる)、というのがこのアルバムの最後で導かれる主な結論なんだ。

〈あなた方の音楽性は非常にバラエティ豊かだね。ブラックメタルから70年代プログレッシヴロック〜サイケデリアまで幅広い。そういう異なる音楽スタイルを自分を見失わずにバランス良くまとめるのは難しいと感じる?〉

我々が曲を書くとき最も大事にしているのは雰囲気だ。音楽ジャンルについて考えすぎることはないし、そうしたものを縛りと捉えることもない。そうしたものは、特定の気分を表すものに過ぎないんだ。別々の辞書から引っ張ってきた言葉を集めて文章を作ったら、それは今まで存在しなかったものだろうけれど、ちゃんとした意味をなすものにもなる。このバンドの音楽は、自分にとっては意味も意図もあるものだけど、それは主観的なものだということもわかっている。作曲の過程で自分を見失なってしまえればいいよね!

〈ORANSSI PAZUZUにおける創作過程はどんなものなのだろう?一人が曲の基本的な構造を固めて持ってきて他メンバーがそれぞれのパートを付け加える、という個人的なプロセスなのか、それとも、ジャムセッションを通して曲を作っていくというような協同作業に近いのだろうか?〉

その両方だね。いろんなアプローチが好きで、ジャムセッションを通した製作方法も、カッチリした作曲に基づくやり方も、両方やってきた。その2つを考えうる限りの様々なやり方で組み合わせている。“予め書かれた”素材を持ち込むのは自分(Ontto)とJun-His(註:この2人が創設メンバー)だけど、それについても、予想外のヒネりが加わりうる余地は常に残してある。バンドメンバー全員がアイデアを持ち込める環境になっていると自分は思うよ。

〈あなた方の音楽を“シュルレアリスティック(超現実主義的)”と形容する人は非常に多い。そういう言い方については同意する?〉

うん。確かにシュルレアリスティックな要素はあると思うよ。何かしら夢のようなものを捉えようとしているし。ただ、そこには意識的な要素と無意識的な要素の両方がある(シュルレアリスティックな要素しかないわけではない)。

〈『Valonielu』のカバー・アートはとても興味深いもので(とてもシュルレアリスティックでもある)、あなた方の音楽を完璧に表現するものだと思う。これを描いたのは誰?そして、描いてもらうにあたってどんな指針を示したのかな?〉

このアートワークは、ルーマニア人アーティストCostin Chioreanuが描いたものだ。彼とはRoadburn Festival(註:オランダで毎年開かれるサイケ〜ドゥーム寄りメタルフェスティバル)で出会ったんだ。歌詞の背景にある哲学について話し、新曲のデモ音源を渡して、我々がこの音楽についてどう感じているのか伝わるようにした。このカバー・アートは、アルバムのテーマを視覚化する素晴らしい仕事だと思うよ。

〈あなた方の最大の音楽的影響源はどんなものなのかな?〉

我々は非常に多くのバンドや音楽スタイルにハマっていて、好みも一人一人違っている。その上で最も重要なものを挙げるとすれば、CIRCLE(フィンランドのPori出身のバンド)、DARKTHRONE、CAN、KING CRIMSONSONIC YOUTH、ELECTRIC WIZARDなどが該当すると思う。

〈似たような質問だけど、音楽以外に発想の源はあるかな?美術とか映画についてはどうだろう?〉

歌詞を書く際、自分の発想を強く刺激してくれるテーマとして、自然の神秘の探求というものがある。映画や絵画、美術一般の影響は、もっと無意識的な領域のものだな。たとえばLars Von Trier『Antichrist』のような偉大な映画作品は、長く頭の中に残って音楽に溶け込むものだけど、それは地下を流れる水脈みたいなものであって、自分では全く気付かないこともあるものなんだよ。

〈ORANSSI PAZUZU以外のプロジェクトに参加しているメンバーはいる?〉

うん、何人かね。Atomikyläというバンドには、自分とJun-His、そしてDARK BUDDHA RISINGに所属している友人2名が参加している。ORANSSI PAZUZUが好きな人にとってはこの先最も興味深いバンドになるだろう。現時点では音源を発表していないけれども。

〈オールタイム・フェイバリット・バンドを訊こうとは思わないけど(難しい質問だろうし)、最近見つけた興味深いバンドがあったら教えてくれないかな?〉

もちろん。現在フィンランドでは、優れたサイケデリック・バンドがいくつか活動を始めている。DARK BUDDHA RISINGやMR. PETER HAYDEN、DOMOVOYD(デビューアルバムはSvartから『Valonielu』と同時に発売される)をまだ知らなければ、ぜひチェックしてみてくれ。フィンランド“シーン”の外について言えば、ALUK TODOLOが昨年出したオカルト・ロック・ライヴ音源に最も感銘を受けたな。新しくはないけど、唯一無二の素晴らしいバンドだよ。

〈気が早い話だけど、どうしても訊いておきたい。新しい素材に取り組んでいる?〉

うん。でも、必要なだけの時間をかけてゆっくりやることになるだろう。今の最優先事項は新譜の発表に際してのライヴをやること。話はその後だね。

〈この先ライヴをやる計画はあるのかな?〉

うん。新譜をサポートするためのライヴを10月下旬から11月頭にかけて行う。少なくともスカンジナビアから中央ヨーロッパには行く予定だよ。日程の発表は全ての準備が整ってからになるけど、それももう間もなくだ。

〈わかった、Ontto!質問に答えるための時間を割いてくれてありがとう。改めて御礼申し上げます。『Valonielu』は素晴らしいアルバムだ。全てがうまくいくように。そして、ライヴでまたすぐに会えることを願っているよ。〉

インタビューしてくれてありがとう!


Onttoインタビュー(メールインタビュー:2016.2.29掲載)

〈新作用の作曲を始めた時、アルバム全体についての包括的なアイデアはあったのだろうか?〉

最初のアイデアは、前作『Valonielu』でやり残したことの続きをやり、宇宙の闇や催眠的反復といった表現をより深く掘り下げていこう、というものだった。そういう要素にこれまでも取り組んではいたけれども、まだまだ開拓の余地があると思えたんだ。そして、音楽をもっと強力なものにしたくもあった。強力な雰囲気を生み出すために膨大な時間と空間を費した結果、とても長くしかも制約のないアルバムに仕上がったんだ。

〈『Värähtelijä』(註:新譜・全69分)は『Valonielu』(註:全46分)の倍近い長さになっている。こうした長尺のもとでより巨大で無秩序に広がったものを創ろうとしたのかな?〉

我々は前作で、バンド内部にあった幾つかの個人的な“音楽的障壁”を打ち砕いたと思う。それで、新作用のジャムセッションを始めたところ、新しいアイデアが湧き出てきた。頑張ってひねり出そうとしなくても、ただ演奏するだけで新たなものが生まれてきたんだ。だから、そのジャムセッションやアイデアを録音し始めたんだけど、ある段階で、一つのアルバムのために整えようとするのが馬鹿らしくなるくらい大量の素材が出揃った。(小綺麗に整理しようとしたら)大事な部分をあまりにもたくさん削らなければならない状況になって、そんなことをしたら(ジャムセッションで得られた)良いノリが損なわれてしまうだろうと思われた。だから、(全体のまとまりを中途半端に意識するよりはむしろ)全てのアイデアを湧き出るがままに任せ、(それぞれの曲を)より巨大で独立したものに仕上げようと決めたんだ。

〈新譜の音楽性は(長尺なだけでなく)とても多彩だ。ORANSSI PAZUZUの音楽要素を拡張しようという意識はどのくらいあったのだろう?落ち着ける場所から(意識的に)外に踏み出そうとしたのだろうか?〉

いろんな音楽性で演奏するのが好きなんだ。エフェクトの魔術師Evill(キーボード・パーカッション)とスペース・ギターのエキスパートMoitは特にオープンマインドで、新しい仕掛けを際限なく考えて、いろんな要素が混ざり合ったサウンド全体に冒険的な感触を付け加えている。ある意味我々は、音楽を“音による風景描写”と考えるのが好きなんだ。はっきりした出来事が起こる一方で、その背後には雄大な風景がある。自分達にとってはその両方が同等に重要なんだ。

〈このアルバムでは、多くの非メタルバンドと仕事をしてきたJulius Mauranenと一緒に作業しているね(註:録音とミックスを担当)。彼がこのアルバムに持ち込んだアイデアはどんなものなのだろう?音楽を一般的で整ったものにすることに特化したプロデューサーと協同作業するというのは重要なことだったのだろうか?〉

Juliusを選んだ理由のひとつは、我々の音楽を一般的なヘヴィ・メタル美学の外から見れる人が欲しかったからだ。我々はいつも、現代のヘヴィ・メタルバンドが出すような音にするのではなく、もっと生々しくかつ霧のようにぼんやりしたサウンドを作ろうとしている。Juppu(註: Julius Mauranenの愛称)はそれを理解してくれた。我々のライヴにおける演奏の感じをテープに捉え、可能な限り宇宙的で激しく息遣いの感じられるものにする、というのが彼の仕事だった。彼は曲そのものには干渉しなかったけれども、サウンドをあるべきものにするべく働いてくれたというわけだ。

〈新譜の作曲における協同作業はどんな感じだった?〉

全員がしっかり関わっていたよ。先述のように、曲の中心となるアイデアジャムセッションから生まれたものだ。それを何度も再考し、新たなものを加え、複数のパートを混ぜ合わせたりした。最初の曲は自分(Ontto:ベース)のリフが大部分の基盤になっていて、最後の2曲に最も貢献しているのはJun-His(ボーカル・ギター)のアイデアだったりするけど、そうした曲においてもメンバー全員が大きく関与しているし、ジャムセッションのパートが大半を占めている。全てのメンバーが持てるものをそこに吐き出している。これこそがまさに我々がこのアルバムでやりたかったことなんだ。

〈この野心的なアルバムは、ライヴで際限するには複雑すぎるものに思える。作曲している時、そういうことは考えた?〉

いいや!もしかしたら間もなくヘマをすることになるかもしれないね。もう3週間のうちにツアーが始まるから!
えーとね、それ(新曲を演奏すること)が期待されているのは間違いないだろうけど、我々は既に新曲の殆どをスタジオで生演奏している。だから、ライヴでもできるだろうという強い自信があるよ。それに、もし演奏しなかったら、少なくとも、ショウの最中なにかしらロックンロールな危険(註:ファンからの好ましくない反応のことを指すと思われる)が起きるだろうね!

〈自分が調べたところによると、“Värähtelijä”という言葉は“oscillator”(振動させるもの・発振器)と訳せるようだね。このアルバムタイトルの起源は何?音楽とどういう関連があるのだろう?〉

おお、良い訳だね。自分なら“resonator”(共鳴するもの・共振器)と訳するかな。“vibrator”(電気マッサージ器・バイブレーター)と言うヤツもいるけど、それはちょっとフロイト的すぎるかな!
(註:フロイト精神分析は性衝動(リビドー)と密接に関連付けられている)
そうだね、このアルバムタイトルは実は同名曲(新譜の3曲目)から取ったんだ。この曲においては、“resonator”は、あなたの消化器官内にいる寄生生物のことを指している。それは消化器官の中で育ち、あなたを変化させていき、最後には自我同一性の痕跡を失わせてしまうんだ。
アルバムタイトルとしては、この言葉はもっと本質的に、このアルバムがあなたとcosmic(宇宙的/広大)な恐怖心との間に生み出す共振のことを指している。

〈バンドの音楽要素の一部としてブラックメタルは常に在ったと思うけれども、これは時間の経過とともに前面に出なくなってきている。こうしたことは、バンドにとってどういう意味を持つのだろうか?〉

ブラックメタルは刺激的で恐ろしげな音楽であり続けてきたし、たぶん今もそうだと思う。ただ、我々は厳密な意味でのブラックメタルバンドというわけではないし、そうしたものの伝統に縛られようとも思わない。我々は独自のことをやっているんだ。ある種の人から気狂いじみたものとみられようと、我々はそれをする。我々の哲学や手法は独自のもの。これからもそれを拡張・発展させていくし、そうしたやり方のもとで新たなことを学んでいくよ。

〈究極的には、『Värähtelijä』の聴取体験を通してリスナーにどうなってほしいと思う?〉

あなたを変性意識状態(アルタード・ステーツ)に導き、精神浄化作用のある体験を通して自身の狂気や恐怖心とじっくり向き合うよう仕向けたいね。こうしたことは、iPadでネットサーフィンしながらこれを再生しても起こらないだろう。でも、聴取体験をあなた自身のための儀式とし、開かれた精神で(この音楽に)飛び込むのであれば、興味深く探求できる次元が見つかるのではないかと思うよ。


プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界:参考資料集【プログレッシヴ・デスメタル篇】(内容説明・抄訳更新中)

こちらの記事
の具体的な内容・抄訳です。


プログレッシヴ・デスメタル

ATHEIST
CYNIC
MESHUGGAH
OBLIVEON
DISHARMONIC ORCHESTRA
GORGUTS
EXTOLLENGSELMANTRIC
MARTYR
CAPHARNAUM
GOJIRA
SADIST
DECAPITATED
AKERCOCKE
ANTEDILUVIAN

(内容説明・抄訳のあるものは黒字にしています)


CYNIC(アメリカ)》


Paul Masvidalインタビュー(2014.3.6)
方向性はとりたてて意識しているものではない。(“staying true”)
自然発生的に、自分の求めるものに正直であろうとする結果こうなっている。
同じ領域に留まるのはつまらない。常に前進を続ける。

製作中は自分達以外の音楽を聴かないようにしていた。音楽はもちろん周囲の環境・人間関係により大きな影響を受ける。
常に同時代の音楽と共にあるようにしている。
3rdが完成して客観的に聴けるようになってみると、KING CRIMSONやRUSHのような(キャリア初期からの)影響源に通じる要素を感じる

Sean MaloneもSean ReinertもRUSHフリーク

3rdでは、従来のCYNICの要素(リフなど)の脱構築につとめた。我々はまだ発展途上にある(in process)。

Spotifyのリストを見ると、昨夜はずっとJ.S.Bachを聴いていた。ピアノのフーガ集は小品の集まりだが傑作ばかりで、脳を活性化させてくれる。聴き終えた後「よし、ギターが弾きたいな!」となる。
3rd製作時はTAME IMPALAの新譜『Lonerism』を聴いていた。60年代のBEATLES系統のサイケデリック風味があり、それは自分達の出自に近いものだと思う。

自分はSFマニア(sci-fi geek)でもある。『ブレードランナー』は人生を変えたし、フューチャリズムには常に興味がある。Syd Mead(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%89:『ブレードランナー』『スタートレック』『エイリアン2』などのデザイナー)のサインも持っている。彼は未来観というものを大きく変えた。(1974年の作品の話など。)Robert Venosa(CYNICのアートワーク担当)も宇宙的・異界的な雰囲気があって惹かれる。

3rdは他の作品よりも自分達のルーツに近く、それでいて(OPETH『Heritage』やSteven Wilson『The Raven』などのように)あからさまに「ヴィンテージ」な見かけをしているものでもない。アンビエント要素なども含む多様な要素の複合体であり、そして個々の影響源が見分けられない仕上がりになっている。

“in-between spaces”
“without genre”
“of its own kind”
『Focus』発売時は「これはメタルじゃない」とシーンからだいぶ嫌われた

『Traced in Air』以降の製作過程:
まず家で、アコースティックギター(またはピアノ)とボーカルだけによるシンプルなデモを作る。そしてそれを聴き返し評価し続ける。(近付け遠ざける・集合離散を繰り返す。)そうやって曲の骨子を形成していく。
こうしてできたものを他のメンバーに示し、各々が自分のパートを作った上で、リハーサルルームに持ち込んで演奏しながら構成を詰めていく。その段階で新たに加えられる要素も多い。
そのあと、バンド形式でのデモを作成する。そこにプリ・プロダクションを加えてさらに精製していく。曲解釈として考えられるあらゆる可能性を試し、時間の許す枠内で作り込んでいく。

作品を作るときはそれへの反応などは考慮しない。(レビューやコメンタリを見ると激しい反応をしてしまうので見ないようにしている。)
作品は「産む」ところまでが自分の役目で、そのあと「育てる」のは受け手。自分の関わるところではない。

多くのミュージシャンと同様「最新作が最高傑作」と考える(最も蓄積がある状態で作ったものだから)。しかしどの作品も個々の味を持っていると思う。
最新作は「シンプルになった」と言われることが多いが、メロディもハーモニーも非常に挑戦的でCYNICの作品中最も複雑な仕上がりになっている。CYNICは確かに「プログレッシヴな」バンドではあるが、そういう要素は前面に押し出さないようにしている。本当に大事なのは“魂”の問題であり、ブルータルか・テクニカルかとかプログレッシヴかそうでないかということには全く意味がない。時間が経って残るのはそういう要素ではなく曲のことのみ。


Paul Masvidalインタビュー(2014.5.31)
(記事作成者の序文)BETWEEN THE BURIED AND ME、TEXTURES、SCALE THE SUMMITなど多数がCYNIC(の1st)を主な影響源として引き合いに出す

Walter(ミックス担当)は古い知己で、Maor(マスタリング担当)は以前一緒に仕事したことがありCYNICの音楽に深い愛情と理解を示してくれている。音の仕上がりは自分たちと彼らのコンビネーションの結果生まれたものだ。

予めアイデアが存在している場合もあるが、そうしたことは製作中には背景に追いやられる。CYNICの音楽は“決まった領域を定めずに漂っていく芸術的解放”であり、本能のままに赴く、沢山の可能性を留保したものである。

自分は霊妙(または「空気のように希薄」:ethereal)なボーカル・アプローチのファンで、vocoderはそうした空間表現に大きく貢献してくれる。

各パートの分離と結合を両立する音作りを心掛けた。結果は非常に良いものになったが、ベースをうまく聴かせるのには特に苦労した。

マスタリング作業は数段階に渡って行われた。
まずWaltが少しだけコンプレッサーをかけたミックスを作り、Maorと話し合って、どういうマスタリングにしたいのか自分達自身のアイデアを明瞭にしていった。
その結果、コンプレッションなしでミックスをやり直すことに決め、Maorにマスタリングの細部を全て任せた。コンプレッションを外すことで、均一になってしまっていた細部が変化し、好ましい精製効果が得られた。
最終段階では、Maorによる慎重かつ繊細なコンプレッション処理が行われた。
最近のロックやメタルの音作りは迫力のみを重視した聴き疲れするものが多いが、この作品では、そういうものでない、70年代の音楽に通じる純粋で自然な音作りがなされている。

(「Kindly Bent to Free Us」は密教(Vajrayana)の複数刊の経典の一部である「Kindly Bent to Ease Us」に由来し、「Moon Heart, Sun Head's」の独白パートは東洋哲学者Alan Watts(英国生まれ)から引用)
(So far so good. 
But the truth is funnier than that. 
It is that you are looking right at the brilliant light now
that the experience you are having
that you call ordinary everyday consciousness
pretending you're not it - that experience is exactly the same thing as “IT".
There's no difference at all.
Alan Watts「How Do We Define Ourselves?」から)

自分は90年代からそうした教えの学徒だった。仏教にはここ10年でより深く分け入っていった。歌詞はとても個人的なもので、自分の人生を深く反映している。こうした歌詞の言葉は真実に向かってタマネギの皮を向いていくようなことについて語っているもので、アルバム全体が、個人とその精神との関係についての隠喩(metaphor)になっている。

CYNICにおける禅は、Emersonからの引用“Do not go where the path may lead, go instead where there is no path and leave a trail”に通じるもの。我々は常に自分達の本能に従い、周囲に与える影響を気にせず波を生み出していく。CYNICはジャンルというより原理(principle)に属し、誠実さや真実(integrity and truth)に関わるものだ。

我々はいつも超・折衷的に音楽をやっている。自分は、クラシカル・ギターの演奏、アメリカのフォーク音楽&キューバ音楽の聴取をとおして(マイアミで)育った。ジャズやワールドミュージックに出会い、和音の感覚やリズムの複雑な構造、メロディ言語についての世界観が一変した。スタンダードなものは、一見複雑な曲を書くという自分の関心ごとにいまだ大きな影響を与え続けているし、バッハの音楽は自分の最大の影響源であり続けている。兄にはクラシック・ロックのバンド(LED ZEPPELINBLACK SABBATHPINK FLOYDなど)に目を向けさせてもらい、それらはMETALLICAやSLAYERなどのよりヘヴィな音楽を掘り下げるきっかけになった。THE BEATLES(特に後期)は自分にとって常に重要。Pat MethenyやBen Monderのようなギタリストは新たな見通しを示してくれたし、Charlie ChristianやWes Mongomeryは聴くたびに衝撃を与えてくれる。
自分にとっては、インスピレーション(直感)はeverywhere(遍く存在するもの・どこにでもあるもの)で、自分のアーティストとしての立ち位置を反映するものでもある。他のメンバー2人に同じような質問(「音楽的影響源は何か」)をしたら、自分同様、多様な音楽的反応が返ってくるはず。我々はみな、素晴らしい音楽とアーティスト性に対する単なるファンなのだ。

(PaulがJim Carreyの子供向けの本「How Roland Rolls」のサントラ用にギターを録音した、という紹介とともにインタビュー記事を締める)


DISHARMONIC ORCHESTRAオーストリア)》


Patrikインタビュー('02年?)

Herwig:NAKED LUNCHで演奏・自身のレコーディングスタジオでプロデューサーとして活動
Martin:タクシードライバー→Webデザイナー
Patrik:イタリア人DJとテクノ・ハウスのレーベルを運営→Webデザイナー

Nuclear Blastレーベルが1stの再発を企画したことが再結成の第一歩


Patrikインタビュー


Martinインタビュー
メタルもハードコアも
VOIVOD、NOMEANSNOが二大重要バンド
CELTIC FROSTやPOSSESSEDもバンドにとって重要
テープトレード(MASTER、DEATH、SLAUGHTER、DRI、ATTITUDE ADJUSTMENT)
はじめに買ったレコードはBlondie:ポップスもクラシックもジャズも分け隔てなく聴く


インタビュー


Patrick・Martinインタビュー(2015.5.6)


DILLINGER ESCAPE PLANインタビュー(2014.2.23)
ヘアメタルから入り、友人の導きでアンダーグラウンドシーンに首を突っ込んだ:MORBID ANGELやNAPALM DEATH、そしてDISHARMONIC ORCHESTRAなどのもっとオブスキュアなもの
その後、比較的最近、MINOR THREATやBLACK FLAGのようなパンク寄りのものを聴き始めた


GORGUTS(カナダ)》


Luc Lemay(+他メンバー?)インタビュー(2013.7.13)
IRON MAIDEN『Maiden:Live in Japan』収録の「Running Free」、VAN HALEN『1984』、旧い友人(Frank)達が演奏していたMETALLICA「Jump in The Fire」と同時期に発表された『Master of Puppets』、DIO『Last in Line』(〜8年生)、エレクトリックギター購入(9年生:ギター自体は小学生の時から弾いていた)

初のギターは2年生の時に買ってもらった:父親がカントリーミュージックを演奏していた(Hank Williams、Buster Willy、Johnny Cashなど:ALABAMAのようなバンドも好んでいた):毎週日曜には父親と演奏していた:そのためにギター教室に通ったりもしたが、あまりのめり込めなかった:ピアノで音楽の構造(“言語”)を分析することのほうが楽しかった

同世代の多くの子供達のように「Star Wars」の大ファンで、サウンドトラックをレコードで持っていた
John Williams(映画音楽の作曲家)の大ファンでもあった
8年生のとき観た「Amadeus」に衝撃を受け、Mozartに興味を持った
学校はキリスト教系で、先生を通してMozartのBoxセットや、Paul Abraham Dukasの「The Sorcerer's Apprentice」など、大量のレコードを借りた
クラシック音楽とメタル(VOIVOD『War And Pain』('84)やIRON MAIDEN『Powerslave』('84)など)の双方にのめり込んだ

ある日、別の市に住む大学生の友達に(自分は高校生・ヒッチハイクをして)会いに行ったところ不在で、たまたまあるバンドの人々に会ってリハーサルルームを見せてもらった(バンドの本格的な機材を見たのはその時が初めて)。その時、POSSESSEDやCELTIC FROSTの話になり('85〜'86年頃)、DEATH『Scream Bloody Gore』('87年発表)のテープを「POSSESSEDの『Seven Churches』は好き?これ嫌いだから5ドルで譲ってやるよ」(「Evil Dead」のイントロだけは好きだったようだ)と言われ、即購入した
帰り道にウォークマンでそれを聴き、人生が変わった(たしか11月)(「自分もChuckのように歌ったりギターを弾いたりしたい!」)メタル雑誌を買ってはいたがDEATHの記事には注意を払っていなく、改めてそれを発見して嬉しく思った
そのあたりから自室で作曲を始めたが、その時点ではエレクトリックギター(9年生の時購入)は持っていなかった
次の夏(9年生?)にはSEPULTURA『Beneath The Remains』やOBITUARY『Slowly We Rot』を発見したし、ENTOMBEDのUffeなどとも文通をしていた

「Slayer Magazine」のフライヤーをもらい、自分の録音していた2曲(「Calamitous Mortification」と「Haematological Allergy」、GORGUTS名義)を送った:自分の音源のレビューが載った最初のメディア(記事を書いたのはJohn Kristiansen):これが「アンダーグラウンドに本当に足を踏み入れた瞬間」
(当時、高校在籍時に既に、IMMOLATIONの2ndデモのカバーを担当していた)
7年生の時には、Stephane Provencher(ともにGORGUTSを結成)やSteve Cloutier(3rdや4thで共演)などとも知り合いになっていた。「Slayer Magazine」の存在を教えてくれた友人Frankは彼らと3ピースのバンドを組んでいて、自分はそこに加入したかったが「3人組だから」ということで認められず、自分のバンドを組むことにした

StephanがFrankのバンドを脱退した後、'89年に一緒にGORGUTSを結成した(夏・高校卒業・17歳)

6年生の時ピアノのレッスンを始め、2nd発表直前(21歳)にはバイオリンも学び始めた:その時、ShostakovichやProkofievのようなロシアの作曲家を知った(DEATHの1stと同じくらい衝撃を受けた)
その後Penderecki(「クラシック音楽におけるデスメタルのようなもの」)を知った
バンドがモントリオールに活動拠点を移した'95年にはビオラを1年学び、音楽学校に入って作曲を学び始めた

ヘヴィ・ミュージックにおいて“美学”を表現:デスメタルはPendereckiやShostakovichをメタルの世界で演っているようなもの
IRON MAIDENなども独自の美学のある非常に素晴らしいものだが(絵画におけるルネサンス期に例える)、その形では自分のやりたいことは表現できない(スラッシュメタル以前よりデスメタルに属しているという自意識)
『Colored Sands』はクラシック音楽的に書かれている

Penderecki(完全5度:パワーコード)の少ない暗い雰囲気(マイナー寄りの音遣い)がある:デスメタルもそれに通じる(自分がそこに惹かれる理由)
クリシェにとらわれない実験と美学に満ちたスタイルとして、デスメタルを愛する

Big Steeve(Steeve Hurdle)が('07年か'08年に)モントリオールの繁華街で言った言葉(23時か真夜中):「2年もすればGORGUTSが20周年になる」「ファンのために新しいレコードを作って20周年を祝わないか?」に頷いた
(NEGATIVAはSteeveの完全主導で、あまり満足してはいなかった:インプロでなく緻密に構築されたものが好み
John(ドラムス)はKNIVES OF ICEの音源を聴いてファンになっていた
Colin(ベース)はNEGATIVAのリリース・ショウの時に知り合っていた
Kevin(ギター)〜DYSRHYTHMIAはSteeveに紹介されてyoutubeで知った
その後その全員に手紙を書き、2〜3日中に快諾を得た上で、クリックトラックと合わせたmp3音源と、楽譜&タブ譜を用意し、その上で各メンバーの裁量に任せるようにした
(95%は自分が書き、デモの段階からあまり変わっていない)
(ドラムパートはJohnと一対一で書いた)

『Colored Sands』はまずはじめの週に3曲を完成させた
OPETHPORCUPINE TREE〜Steven Willsonを知り、大ファンになった:長く緩急のある作風に感化され、自分もより“プログレッシヴ”なものを目指すようになった

90年代の初期などはメタルはアンダーグラウンドなもので、優れた作曲家が出てきてもそれを広く知らしめる手段などはなかった。(ラジオに流れる機会を得たとしても人々がまだ寝ている4時台が関の山。)しかし、インターネットが(良くも悪くも)全てを変えた。違法ダウンロードのような問題もあるが、自分達のような複雑で聴きこなしにくい音楽も聴かれる機会を得ることができるようになった。自分もMetalSucksやMetal Injectionのようなサイトを毎日チェックしている。
(机の上にあったNERO DI MARTEというイタリアのメタルバンドをさして、インターネットがなければこれを知ることはなかっただろうと言う。)

『Obscura』('98年発表)は'94年には全て書き上がっていた:自分がインターネットの存在を知ったのは'93年か'94年だが、その頃からネットがもっと発達していれば、『Obscura』の発表を5年も待つ必要はなかったはず(多くの人に届く可能性を考えて)。
SteeveがFacebookの存在も教えてくれた


Luc Lemayインタビュー(2013.7.25)
『Colored Sands』:長くプログレッシヴな、サウンドトラック的なものを書きたかった、『Obscura』〜『From Wisdom to Hate』の要素がありつつ別の形に仕上がっている、単純でない仕上がり
DEATHSPELL OMEGAやULCERATEとは関係ない:このアルバムに影響があるかもしれないものはOPETHPORCUPINE TREE『The Incident』

アルバムの全編をうるさくするのではなく、ダイナミクスを加えた
(友人(60歳ほどで写真や映像撮影をよくする)のプリプロ時の指摘に従う:「Ocean of Wisdom」「Enemies of Compassion」「Ember's Voice」を聴かせた上で):サウンドトラック的なアプローチ(Steven WilsonやOPETHの音楽にはそういう意味で惹きつけられた)
『Saving Private Ryan』の構成に例える:映画的:loud & softのコントラスト:そういう意味では前作までのどのアルバムにも満足していない
過去の曲はよく覚えていないので、アルバム再現ライヴというアイデアは良いと思うけど、やるのはなかなか難しい


EXTOLLENGSELMANTRICノルウェー)》


LENGSEL(John Robert)インタビュー(2000.11)
EMPEROR、AT THE GATES、ULVER、ARCTURUSといったバンドになぞらえるが、自分は(考え方などに共通する部分はあるにしろ)そんなに似ているとは思わない

影響源を挙げるのは難しいが、好きなアルバムを挙げるなら、ANATHENAの新譜、BjorkFOO FIGHTERSLenny Kravitz、CUREなど


LENGSEL(Tor Magne)インタビュー(1stの後)
スラッシュメタルバンドとして90年代の早い時期から活動し、'95年からLENGSELとしての体をなす
“LENGSEL”という言葉は、自分達の歌詞や音楽の激しさを表すのにぴったりだと思っている
『Solace』(慰め)の歌詞は、「我々は何者か(どう在るか)」「沈む気分や希望とどう付き合うか」について表現している。(自分達の生活においての大きな一過程だった:沈んでいるときは歌詞を書きやすい)
ブラックメタルは自分達の表現手段として完璧な(ぴったりな)もの。MAYHEMは素晴らしい。個性的で他に比すべきものがない。DARKTHRONEは正直好みではない。(変化がなさすぎる。)
信仰は音楽そのもの(音楽とほぼ同じもの)であり、それが音楽にどういう影響を与えているか示すのは難しい。(人の身体が食べ物からできるということのように。)


LENGSEL(Tor Magne)インタビュー(2001.2〜3)
ブラックメタル・クリスチャンバンド」という呼ばれ方は自分達に合っているとは思わないが、そう呼ばれることは避けられないだろうとも思う。
“Subchurch”(若者の集まりで、単なる社交クラブという以上の結びつきがある)
Torが'98年にEXTOLから声をかけられたとき、EXTOLの音楽自体を聴いたことがなかった
ステージ上でコスチュームを着用する(パーソナリテイを変えているような印象を与える)ことには否定的
クリスチャンであることで不利益を被ることも確かになくはないが、ノルウェー(クリスチャン国家)ではそんなに深刻な問題はない。クリスチャンであることを拒否することが社会(性)を拒否することにつながるような立場の人もいる。
ノルウェーの音楽市場は小さく、輸出に頼る部分が大きい。


Christer Espevoll(EXTOL)インタビュー(2003)
David HusvikとChrister Espevollにより'93年に結成、'94年にPeter Christer(Christerの2歳下)がフロントマンとして参加、その後Eystein Holm(ベース)が参加した直後の'94年春に初ライヴ
'95年にEmil Nikolaisen(ギター)が参加
'96年にはコンピ用に3曲を録音、スウェーデンストックホルムで公演。その数ヶ月後、Emilが脱退し、かわりにOle Borudが加入する
'97年夏に1st『Burial』を録音し、その後Endtime Productionsと契約して、アメリカでライヴを行い、アメリカと日本でのアルバム発売契約を結んだ
'98年にはHolmが脱退、かわりにTor Magne Gridjeが加入
'99年12月に2nd『Undeceived』を録音した数ヶ月後、Oleが脱退し、Torがギターに転向、John Robert Mjålandがベースとして加入
'02年にはEndtime Productionsとの契約が満了、Century Mediaとの契約を結ぶ

影響源:BELIEVER、TOURNIQUET(初期)、MORTIFICATION(初期)、GALACTIC COWBOYS、DEATH、MESHUGGAH、RUSH

「クリスチャンだから」ではなく「メタルが好きだから」メタルを演奏している


Peter Espevoll(EXTOL)インタビュー(2005)
ノルウェーブラックメタルシーンには特に抵抗感を抱いていない
(教会を燃やすようなことは'94年に終わっていて、その後もメディアがそういうイメージを与え続けている)
個人的にはKINGS'Xは大好き


LENGSEL(Ole Halvard)インタビュー(2006)
'94年から固定の3人で活動
“LENGSEL”=“longing / yearning”(音楽全体に大きな影響を与えている気分)
Peterが結婚してEXTOLの活動がほぼ停止('06年)→2nd制作

影響源:スカンジナビアのバンド(AT THE GATES、ULVER、DISSECTION、EMPEROR、ARCTURUS)、ほか多数

邪悪な音楽性だか、底にはしっかり信仰がある

最近のバンドの多くはセルアウトしている:MASTODONは良いバンドだ


LENGSEL(John Robert Mjåland)インタビュー(2006.12.27)


MANTRIC(Ole Halvard)インタビュー(2010.7.14)
MANTRICはEXTOLの最後の数年(〜2007年)に連なるバンド。
David HusvikとPeter Espevoll(オリジナルメンバーの2人)が個人的な事情で2007年にEXTOLを脱退し、これを機にバンドは解散。これは(LENGSELの3人が楽しみながらやっていた)曲作りのさなかの出来事だったので、残った3人でそれを続けることにした。いくつかの曲はEXTOLメンバーでデモver.を録音していたが、2人が抜けてオリジナルメンバーがいなくなったこともあり、バンド名を変える(新バンドを作るというのではなく)ということにした。アルバム用の素材を殆ど用意したのち、Kim Akerholdt(GANGLIONで共演・ノルウェーのパンクバンドSILVER脱退2年後)をドラムスに招いた。
EXTOLの4thよりもダーティーで神経質な・クレイジーなものにしたかった。
全員がメタルに限らずいろんな音楽を聴いていて、それを混ぜている。
曲作りのプロセス:殆どの場合OleとTorの共同作業から(ギターを使って)曲を作りはじめる。その後、Oleがドラムスにパートチェンジしたりして、リズム・パートを組み立てる。そのようにして曲の主な構造を作り上げたら、デモを録音し、ボーカルや楽器パートの異なるアイデアを出すよう促す。決定版の録音時にもさらにアイデアが出てくる。(Anders Lidelがアナログシンセや変な音色を録音しているとき、John Robertが一緒に長い時間を費やし、それを完成させる。)
『Undeceived』のファンは多くが『Blueprint』にのめり込めず、『Undeceived』パート2を望んでいた。
MANTRICは『Blueprint』の自然でポジティブな進化形。
(Prosthetic Records(アメリカのレーベル)との契約について:)そんなに儲からないことはわかっていたから、ワールドワイドでリリースしてくれるところを選んだ
情報量の多いアルバムだから、繰り返し聴いて“育てて”ほしい


MANTRIC(Ole Halvard)インタビュー(2010.8.23)
『Blueprint』ではTorとOleが主に作曲を担当。
GANGLION(3人が在籍)ではプログレッシヴ・パンクを演奏
TorはBENEA REACHと一緒にやっていたこともある
OleはTim's Familytreeとフォーク・ポップを、Happy Daggerとフォーク・パンクをやっている
Kim Akerholdt(ドラムス)はGANGLIONで共演し、ノルウェーのパンクバンドSILVERにも数年間いた
Anders Lidel(キーボード)はTsunamiでベースを弾き、BENEA REACHやSERENA MANEESHともやってたノルウェーのバンドでおすすめできるもの:SHINING、HEAD DISCO、MOTORPSYCHO


Ole Borud(EXTOL)インタビュー(2012.10.30)
Oleは後から加入
“EXTOL”=“to lift up”
全員クリスチャンで、Jesusの名を音楽を通して伝えることを目的としている

5thでは、音楽はOleとDavid Husvik、歌詞(これについては非常に意識的)はPeter Espevollが担当
バンドとしての影響源は、RUSH、GENESIS、YES、古い教会音楽(讃歌)、ジャズ(Chris Potterなど)、初期デスメタル(DEATHやPESTILENCEなど)ほか

今のお気に入りバンドはOPETHやMASTODONなど

(最後に観たライヴ・最近よく聴いている音楽)
Ole:Donald Fagen『Sunken Condos』、TREPALIUM『HNP』
David:'69〜'74年のジャズ・フュージョンMiles Davis、WEATHER REPORT、MAHAVISHNU ORCHESTRA)
Peter:Iver Kleive (church organ) & Knut Reiersrud (guitars) の『Blå Korall』再現ライヴ、Maria Solheim『In the deep』


David Husvik(EXTOL)インタビュー(2013.8.1)
KINGS'XやYESの影響は大きい
Peterは耳鳴りに悩まされていて、ステージの爆音に耐えるのが難しい
STRYPERの新譜はとても楽しみ
MANTRICの作品が近いうちに出るだろうということにも言及
SEVENTH ANGEL(イギリスのクリスチャン・スラッシュメタルバンド)が音楽を聴き始めた頃からのお気に入りで、EXTOLへの影響も大きい


SADIST(イタリア)》


Tommy Talamancaインタビュー
(2010.11.29)
(Minskのギグの後で行われたインタビュー)

〈(ライヴでは)ギターとキーボードを同時に演奏してるね。この組み合わせを身につけるのにどれだけかかった?このやり方は難しくないの?どのくらい練習した?〉
練習する時間はないんだよ。(ツアーで)旅するのに忙しくて。とても疲れるからできるだけたくさん寝ようとしてしまう。練習したり他の何かをしたりする時間はないね。

自分は子供のときにギターを演奏し始め、20年前にSADISTに加入したときからこのやり方で演奏している。バカバカしいだろ。もちろんギターだけを演奏するよりも難しいことなんだけど、それにしてもバカだ。そして、自分はいまだに楽しんでやっている。このやり方を続けている理由はそんなところだ。

〈ということは、SADISTが別のキーボーディストやギタリストを加入させる予定はないんだね。〉
ないね。活動開始当初からキーボードを使っていなければ、今こんなバカなことをすることもなかっただろうし。多くの人達はSADISTのことを「ギターとキーボードを両方演奏するバカな男(がいるバンド)」として覚えている。滑稽なことだし、バンドを容易に思い出させる特徴にもなっているんだよ。

〈あなたは基本的にはギタリストなんでしょう?〉
子供のときにクラシックギターを学び始めたのち、15歳のときにピアノのレッスンを始めた。その後プロとしてバンドで演奏するようになったら時間がなくなったので、そうした勉強はやめてしまった。

プログレ音楽をやるのは難しくないのかな?〉
そのプログレというのが何を指すのかわからないな。自分にとってはそういうレッテルは意味がないんだ。バンドと一緒に自分自身の音楽を作り、そしてそれを気に入っているというだけのこと。それをプログレッシヴ・デスメタルとかスラッシュメタル、なんとかメタルと言われようと、自分達にとってはどうでもいいんだ。

自分にとってプログレというと、70年代のものに限られる。RUSH、Emerson, Lake & Palmer

〈そしてKING CRIMSON…〉
そう、KING CRIMSONや他のいろんなもの。自分達はだいたい40歳くらいで、育っていった時期が70年代末から80年代頭だから、メンバーはみんなそういうプログレバンドを聴いていた。それはSADISTの大きな影響源にもなってるよ。

〈難しい音楽をうまく演奏したい人達に何かアドバイスはあるかな?〉
大事なのは音楽そのものだ。どれだけ難しいかということではない。少ない音数で良い音楽をつくることもできるし、音数を多くしすぎて酷い音楽にしてしまうということもありうる。

SADISTとして「難しい音楽を作ろう」としたことはない。そんなことは気にしないよ。もちろん自分達はどこかとても奇妙な音楽をやってはいるけれども、そこには口ずさめるメロディがある。個人的な意見だけれども、口ずさめるメロディのない音楽は良い音楽ではないんだ。もちろん自分達のメロディはAnnio Mariconeのようなものではない。最も優れたメロディは既に書かれてしまっていて、自分は遅きに失している。しかしそれでも、良いメロディを書こうと努めているんだ。

〈メインの作曲者は誰?〉
自分。自分とベーシストだ。弦楽器を演奏するAndy(Andy Marchini:ベース担当)と自分が音符について考え、Alessio(Alessio Spallarossa:ドラムス担当)がリズムを考える。しかるのちに両者を統合するんだ。

〈ベーシストはカスタム・ショップ(≒特別仕様)のベースを使ってるね。〉
うん、異なる仕様の2本を使っている。理由の一つは、左利きだということ。そしてもう一つは、弾くフレーズが一般的なメタルとは大きく異なるということだ。今のところ我々は、ギターともクレイジーなドラムスともうまく合う、中域の鳴りが良いベースを求めている。これはとても大事なことなんだ。

〈特に好きなタイプの音楽は?〉
なんでも好きだよ!どんな感情にもそれに合う類の音楽が存在する。例えば、気分を落ち着かせたいならクラシック音楽を聴き、飢えていたりエネルギーを解放したいならロックやメタルを聴く、というふうに。自分にとってはどんな音楽も良いものだよ。

〈あなた方の音楽の、いわゆる東洋音楽的なメロディやリズムは、東洋そのものから来たものなのだろうか。それとも南部や地中海由来のものなのだろうか?〉
(そうした音楽ができるのは)我々がイタリア出身だというのが大きいな。イタリアは地中海中部にあるから、ヨーロッパの南部からも北部からも大きな影響を受けている。我々はそうしたことを、少なくとも理にかなうように混ぜ合わせようと試みているんだ。

我々は奇妙になりたいわけではない。奇妙であるのはカッコいいことだけど、所詮それだけのことだ。我々はそうしたことに捉われない。強い個性を持った良い音楽をつくりたいだけなんだ。

つまり、自分にとって大事なのは、SADISTの音楽を聴いたとき、それがSADISTによるものなのだとすぐにわかるということなんだ。PANTERAみたいなバンドはそれができている。SADISTもそうであってほしいんだ。例えSADISTのことが好きでなかったとしても、はじめの一音を聴けば、「おいおいSADISTじゃないか」とわかる。そうでない凡百のバンドのようになりたくないんだ。

〈『Lego』(4th:'00年発表)をセルフプロデュースした理由はそれかな?〉
うん。『Lego』以降は全てのアルバムを自分達でプロデュースしている。『Sadist』(復活作5th:'07年発表)も最新作『Season in Silence』(6th:'10年発表)もそうして作った。

Lego』の仕上がりは良くなかったかもしれない。バンドの求める音にはっきりした方向性を見出せなかったからだ。だから自分達は休止期間をとり、結成当時のSADISTがどういう音を出していたか考えるようにした。『Lego』はバンド史上最も出来の良くないアルバムだな。沢山の人々が失望したし、自分達自身としてもあまり良いと思えない。

そして、セルフタイトルを冠した『Sadist』で復帰したとき、自分達はこれこそがSADISTの音なのだと確信することができた。そこでは全ての要素を統合した。プログレや東洋の影響、デスメタルスラッシュメタルなど。そしてできたものは、SADISTとしての最良のものだったんだ。自分はこれがよいやり方なんだと思っている。自分達はこういう感じでやり続けるよ!


SADISTインタビュー(2010.11)

〈バイオグラフィについて、詳細を教えてほしい。バンドを始めた頃の影響源は?〉
活動開始当初から様々な音楽に影響を受けているよ。もちろんメタルからの影響もある。我々はキーボードを使った最初のスラッシュ/デスメタルバンドの一つだからね。影響を受けたバンドの名前を言うのなら、まず挙がるのは70年代のプログレだ。Emeson, Lake & Palmer、YES、GOBLINなど。そこから80年代後期のスラッシュメタルデスメタルにつながるわけだ。特に大事なのはSLAYERとANNIHILATORだね。

〈初期のSADISTは、デモ音源で高い評価を受け、ヨーロッパのデスメタルとしては最も将来を嘱望されるバンドの一つだった。そのデモEP『Black Scream』('91年発表)、そして伝説的な1stアルバム『Above The Light』('93年発表)について話してくれないかな?〉
『Black Scream』EPを録音した頃の我々は若く未熟だったし、こんな感じの音楽をやるのはイタリアではとても珍しいことだった。レコーディングスタジオもこの手の音に慣れていなかったから、EPのサウンドは実に酷い仕上がりになってしまったよ!同じ問題は多かれ少なかれ『Above The Light』にもあるけれど、少なくとも音楽自体はとても奇妙で個性的なものだったから、SADISTはヨーロッパ全土で注目されるようになった。このアルバムのサウンドは、プロダクションは悪いけれども未だに個性的だ。全てのSADISTファンに愛される一枚だよ。

〈続く『Tribe』は'96年に発表された。この作品について話してください。〉
『Tribe』では多くの変化があった。シンガーもベーシストも交代したし、音楽の書き方自体が完全に変わった。それまではメンバーがリハーサルルームに集まって一緒に作曲するというやり方が殆どだったけど、『Tribe』では全ての曲をTommyが書いている。この2ndアルバムのサウンドが冷徹でギターとキーボードが前面に出ているのはそのせいだ。

〈'97年発表の『Crust』について話してください。〉
'96年にはオリジナルベーシストのAndyが復帰し(2ndの頃のみ不参加)、音楽の書き方がそれ以前に戻った。しかし、『Tribe』と異なる何かが欲しいとも思っていたから、Tommyは7弦ギターを使い始め、よりヘヴィなサウンドを求めるようになった。

〈'00年の『Lego』はそれまでと比べ一風変わったサウンドで、物議を醸すアルバムになっていた。このアルバムについて話してください。〉
Lego』は失敗作だと思っている。悪くない曲も幾つかあるけれど、作曲の総合的な方向性は、それまでの作品とはかけ離れたものになっていた!何か違うことをやりたかったんだけど、失敗してしまったんだよ。どんなバンドも一枚は駄作を作るものなんじゃないかな!

〈このアルバムの後、SADISTは長く沈黙していたね。その頃のことを話してくれないかな。〉
このアルバムについてのレビューや評価は概ね悪く、バンドの雰囲気は非常に悪くなっていたから、休止期間をおくのがいいのではないかと合意したんだ。実際これは良い決断だったと思うよ。2005年に復帰したとき、バンドは2000年の頃と比べて非常に強力なものになっていたからね。

〈2007年以降のSADISTについて話してください。〉
『Sadist』('07年発表)は、自分達が受けた影響すべてを良いバランスで組み合わせることができた作品だった。完璧なSADISTサウンドを獲得できたんだよ!これを作っていたときは、最初の3枚のアルバムをまとめたような音にしたかった。それは成功したと思うよ!SADISTのアルバムに期待されるだろう全ての要素が詰まっている。攻撃性、技術、プログレ要素、実験性…いまだにとても誇りに思っているよ!

〈数ヶ月前に新譜『Season in Silence』('10年)を発表したね。これについて話してください。〉
今回はよりヘヴィでダークな音を作りたかった。冬の寒さとそれに関係する雰囲気がアルバム全体の土台になっているけれども、それは深い苦悶の感覚をもった激しい霜を作り出したかったからだよ!

〈『Above The Light』から『Season in Silence』に至る音楽遍歴を言い表すなら?〉
我々はエクストリーム・ミュージックを演奏するプログレバンドだよ!自分にとっての“プログレ”というのは、長い演奏とか複雑な曲のことではなく、独自のスタイルを開発し続け、新しい音の実験をし続けるということだ!自分からすると、「プログレメタル」と呼ばれるバンドの殆どは、RUSHやYES、PINK FLOYDのメタルバージョンに過ぎないんだよね。

〈バンドの作曲・創作過程はどんなものなのかな?〉
特に決まりはない。バンドのうちの一人が興味深いアイデアを提示したら、全員でそれに取り組むんだ!ただ、問題もある。我々はイタリア人、つまり、とんでもなく怠惰な人間の集まりだから、良いものを作るのにとても時間がかかるんだよ!

〈音楽業界ではどんなことを経験してきた?〉
自分達はとても経験豊かだと言えるよ。Nadir Musicという会社を運営していて、そこではTrevor(ボーカル)がライヴ・プロモーターと広報をやっているし、Tommyはエンジニア・プロデューサーとしてよく知られている。それに、Federico(SADISTのマネージャー)は経験豊かな音楽マネージャーだ。我々はみな音楽業界で長く働き続けている。単なるミュージシャンではないよ。

デスメタルシーンを知る者にとってSADISTは伝説だ。あなた方のいた90年代のデスメタルシーン、そして新しいデスメタルシーン。比べてみてどう思う?〉
プログレデスについて言うのなら、自分はいまだに90年代のバンドが好きだ。CYNICはその中でも最高だね!しかし、最近の新しいバンドにもとても興味深いのがいる。例えばOBSCURAなど。

〈自分の知る限り、SADISTはたくさんツアーもしているね。SADISTにとってツアーはどれだけ大事なことなのかな?ライヴアルバムやDVDを出す可能性はある?〉
SADISTは凄いライヴバンドだよ!!ロックバンドである以上当然のことだ!

〈SADIST以外の話として:あなた方は普通の仕事もやっているのかな?それとも100%ミュージシャンでやっている?他のバンドにも参加している人はいるのかな?〉
我々はとても運がいい。全員が音楽だけでやっていけてるよ。そしてそれはとても良いことだ。経験を積み、バンドにとって何が良いのか知ることができているからね。

〈来年の計画は?〉
一ヶ月以上にわたる東欧ツアーを終えて少し休む。しかし、2月か3月にはまた欧州を回ることになるだろう。その合間に新しい作品にとりかかることになるはず。早めにやれればいいね。

〈インタビューを締めくくるにあたって付け加えておきたいことは?〉
ブルータルであり続けよ!


Tommy Talamancaインタビュー(『Crust』発表後:'98年と思われる)

〈バンドは新しいラインナップになっているのかな?〉
このラインナップは一年ほど続いていて、できる限り保って欲しいと本気で願っている。ラインナップのことで悩んでいるバンドは他にもいるけれども、それはともかく、今はメンバー間の関係も友好的で良いし、SADIST史上最も強固な編成だと思うよ。

〈Wacken Open Festivalでドイツに行った時はどんな感じだった?ファンの反応などは?〉
反応は熱狂的だったよ。出演者はパワーメタルやブラックメタルばかりで、“変な”バンドは、VOIVODを除けば自分達だけだった。

〈あなた方のアルバムは、イタリア国外では一般的にどう評価されている?〉
ここ2年間は殆どイタリアの外で活動している。イタリア国内では自分達の望む評価が得られないだろうことがわかったからだ。英語の歌詞や“変な”音楽性は国内の普通のバンドと比べると浮いていて、活動していくのが難しい。ドイツやオランダではこういう“エクストリームな”ロックバンドが出演できるステージが幾つかあって、イタリアに比べ遥かに受け入れられやすいんだ。

〈Trevor(Nadir:ボーカル)がサッカーをしていて法廷送りになった件について、実際何が起こったのか教えてくれるかな?〉
うちのシンガーは完全に“動物”なんだよ。これは秘密でもなんでもない。ステージ上でヤツに掘られそうになったことは一度や二度じゃないし、コンサートは毎回が悪夢のようなもんだ。彼に一番合うスポーツはボクシングかラグビーだろう。サッカーをやる時なんかは誰かをブチのめさずにいられないんだよ。次のアルバムを監獄で録音することにならないよう祈るよ!

〈新しいアルバムで、歌詞でちょっとやり過ぎて普通のリスナーから「ミソジニー(女卑思想)だ」と叩かれる心配はない?〉
普通の人々は自分達の音楽を上っ面でしか聴かないよ。音楽はいろんな意味である種のエンタテインメントのようなものだから、我々はこういうことについて言い争ったりはしない。深く理解したい人達は、我々の歌詞がサタニズムや失恋やお城や剣について語っているのではない、ということをわかってくれるはずだ。我々は現実の出来事について歌っている。やり方は確かに挑発的だけど、音楽はすべからく挑発的な表現とも言えるし。

〈初期2作に特徴的だったテクニカルな作曲と素晴らしいメロディから離れ、『Crust』のようなブルータルでノイジーなサウンドを志向するようになったのは何故?〉
リズムアレンジに関しては、『Crust』は『Tribe』よりも遥かにテクニカルだと思うよ。この点に関しては、『Tribe』は新作(『Crust』)ほど良いとは思わない。ただ、ギターの演奏に関しては、その意見は正しい。ギターでいろんなことを探求したという点では『Tribe』の方が遥かに上だ。(こういう変化をした)理由は単純。SADISTの3rdアルバムには本物のフロントマンが加わっているからだ。彼は、イタリアに限らず、エクストリーム・ロック・シーンにおける最高の人材の一人だと言える。それで我々は、つまらない断片や退屈なソロのコラージュというのでない、本物の“歌”を作れるようになったんだ。

〈TrevorがSADISTの過去作品について、えーと、質的には時代遅れのものだと言っているのを読んだことがあるんだけど。これは本当?〉
彼は正しいと思うよ。自分はSADISTの全作品、特に『Tribe』が好きだけど、それはその全曲を自分が作っているからだ。でも、過去のSADISTが「選ばれた人間のためのカルト・バンド」と思われているのなら、それは我々の音楽が多くの人から嫌われているということだ。『Crust』は、我々が望むだけの評価をドイツで得ることができた。これは過去作品では起こらなかったことなんだ。

〈ソロプロジェクトの進捗はどう?〉
Nadirスタジオでプリプロをしているところなんだけど、不運なことに、SADIST同様すべてがかなり遅れている。

〈『Help』(イタリアの音楽番組)でRed Ronnieの伴奏をして困らせるなんてことが起こった経緯は?〉
これはまあ仕事として興味深いことではあった。Red Ronnie御大が我々の前でとても困っていたのはよくわかってるよ。我々がやったことを彼が理解できていたとは思わないけど、いろんな意味で人々を不快にできて面白かったとは言える。

〈『Crust』を出したDispleasedレーベルの仕事には満足できた?このレーベルから出ているコンピレーションアルバムに参加していないのは何故?〉
アルバムを出す契約をちょうど破棄したところだよ。そして、他から良いオファーが来ない場合でも、ここと仕事をするつもりはない。ここがシーン唯一のレコード会社ということにならない限りは。答えとしてはこれで充分だろう。我々は毎度レコード会社に恵まれなさすぎるね。

〈過去の同僚だったPesoが率いる偉大なるNECRODEATHが復活したことについてはどう思う?〉
それは「Alba Parietti(訳注:映画俳優)の本をどう思うか」「Valeria Marini(訳注:セクシーなセレブ)は俳優としてはどうだと思うか」と訊いているようなもんだぜ!?

〈今後は?〉
ポルトガルでのツアーを終えたら、新譜の製作に集中するためにライヴの数は絞ることに決めている。新譜に関してはちょっと神経質になってるね。個人的にはNadirスタジオのことでとても忙しい。基本的な設備を大きく入れ替えているところで、貴重な時間がたくさん失われているよ。

〈あと何行か、言いたいことがあれば!〉
ショッキングなことを考えているところなんだけど、それはまだ秘密にしておこう。女の子たちみんなに熱い口づけを!


Tommy Talamancaインタビュー(2013.5.16:ソロアルバム『Na Zapad』発表後)

〈読者のために、簡単に自己紹介お願いします。〉
自分は、ミュージシャン・複数の楽器を演奏する者・作曲家・編曲家・ソングライター・サウンドエンジニア・レコードプロデューサー。10歳の時にクラシカルギターの勉強を始め、15歳の時にエレクトリックギターに転向した。幾つかのローカルなロックバンドで演奏した後、18歳の時(訳注:1990年)にプログレッシヴ・デスメタルバンドSADISTに加入した。その合間の1996年には自分のプロジェクト・スタジオNadirをオープンし、SADISTのプリプロダクションに使ったり、ローカルなロックバンドの録音を手がけたりした。そのNadir Musicは、今では音楽製作一般を取り扱う有力な企業になっている。500平方メートルの敷地に、レコーディング・マスタリング用のハイエンドなプロ機材を備え、プロのミュージシャン用のリハーサル・ルームを4つ持っている。世界中の有力な流通業者と仕事をしているレーベルでもある。

〈あなたはSADISTのメンバーとしてだけでなくNadir Musicの支配人としても知られている。スタジオ録音、レーベル、プロモーションなど。これは初めからやりたかったこと?それとも何年かかけて徐々にやりたいという思いを膨らましてきたことなのかな?〉
子供の頃から音楽の仕事がしたいと思っていた。やり方は問わず。あらゆる面から音楽製作に関わるのが好きなんだ。自分はセッションプレイヤー・作曲家・プロデューサーの全てをこなせるし、その全てを興味をもってやることができる。まだまだ成長していきたいね。

〈全てを一緒にやることの主な利点は?そして良くない点は?〉
良い点は、バンドに本気で集中できるということだ。作業の初めから参加することができ、バンドのやり方に深く入り込むことができる。しまいには、自分がバンドの一部であるようにさえ思えるものだよ。
悪い点?一日の仕事を終えたとき、楽しみのためにコンサートに行ったり音楽を聴いたりしようと思わなくなることかな。聴くとしても、技術的な部分ばかりに注意を払ってしまう。プロダクションとか、スネアの鳴りのサウンドはどうかとか、そういうことなど。

〈ミュージシャンであり技術者でもあるあなたはどういう教育を受けたのだろう。もしかして完全に独学?それから、手伝ってくれる人達はボランティアでやってくれているのかな?それとも、雇い主として給料を払っている?〉
自分はクラシカルギターの勉強から(音楽を)始めたけれども、数年後にはロックに惚れ込み、エレクトリックギターやシンセサイザーに転向した。エンジニアは殆どふざけて始めたことなんだけど、数年後にはむしろそれが本業になっている。自分はいまだにその2つの主な活動に引き裂かれているけれども、一方がもう一方に影響を及ぼすという点で、それは良いことだと思う。プロデューサーであることがミュージシャンとしての成長を助けてくれることがあるし、逆もまた真なりだ。
自分は雇い主じゃなくて、単なる仕事中毒の男だよ!Nadirには何人か仕事仲間がいる。その中には、SADISTのマネージャーで親友の一人でもあるFedericoなどがいるよ。

〈アーティストのレコーディングを手がけている時に起きた面白い話ってあるでしょう。何か話せることはあるかな。それとも、倫理的にそれは無理かな?〉
誰について話しているか言わなければ大丈夫だよ!誰かと仕事していると、とても「可笑しい」「ストレスがかかる」というのが同時に起こることがある。あるバンドの男2人がスタジオで喧嘩を始めたことがあったけど、それは幾つかのくだらないことで意見を合わせることができなかったからだった。
一般的に言うと、初顔合わせのバンドと仕事する時に、はじめの1・2日間はお互いよそよそしい感じなのに、最後の頃はとても打ち解けた感じで汚い言葉を投げ合うようになる、というのが面白いことかな。

〈最近あなたは『Na Zapad』というアルバムを出したね。ここでも良い評価を得た。このアルバムであなたは全てを一人でこなしている。このプロジェクトを完遂するのにどれたけ時間がかかるか予想できた?一日中これだけに取り組むような作業スタイルをとっていた?それとも他の仕事の合間にやったのかな?〉
他の仕事の合間にやった。自分はスタジオのスケジュールを止める(自在に操る)ことができるから、録音したければ時間は自由にあった。殆どの楽器を自分だけで演奏することができたけれども、ドラムスだけはとても上手くファンキーなドラマーにやってもらった。『Na Zapad』のレコーディングとミキシングにかかった時間は約6ヶ月だね。

〈アルバムの発想の源は?そして、その発想をどうやって育てていった?何かしら調査のようなことはしたのかな?発想の源として好きなものは?〉
収録曲の殆どはここ15〜16年間に書いたもの。その多くが、もとはSADIST用に書いたけどメタル度が足りなくて採用しなかったものなんだ。自分はメタルが好きだけど、単なるロック/メタル系ギタリストとは考えていない。だからこのアルバムは、特定の音楽スタイルに縛られないものにしたかった。

〈アルバムにメッセージはあるのかな?〉
自分は哲学者じゃないから、言葉本来の意味での「メッセージ」を語るつもりはない。自分にとってそれは音楽で表現するものだ。概して人生は永遠の旅であり、決まった方向を持たずに進み、死ぬとき終わりを迎えるものだよ。
それはともかく、『Na Zapad』のコンセプトは、アルバムのブックレットに記載されているニーチェからの引用がよく表していると思う。

〈『Na Zapad』の音楽性はSADISTのメタル度を薄めたような感じだね。これはかねてからやりたいと思っていた方向性なのかな?〉
今の音楽の問題点は、プロのミュージシャンの99%が自由と狂気を欠いていることだ。音楽は音楽。人間がやる表現のうち最も次元が高いものであるべきだ。言葉の中の言葉、という感じで。しかし、音楽に関わっているのにそれをやる意味を見失っている者が多すぎる!これは自分にとって最も恐ろしいことだ。例えば、若いバンドと仕事する時、彼らは「ギターのチューニングを可能な限り低くして録音する」とか「キック(訳注:バスドラムの音)究極のサンプルサウンドを使う」というようなことばかり気にしてるんだけど、「なぜ音楽をやるのか」と訊いたらどう答えていいのかわからないんだ!

〈レコーディング中に切った弦は何本?〉
ギターを弾いて約30年になるし、5分ごとに弦を切らずに済むくらい上手くなれていたらいいね!

〈実際に使った楽器はどんなもの?好きな楽器は何?ギター?それとも別のもの?〉
レコーディング・スタジオでの仕事で面白いのは、およそどんな楽器だろうとプロフェッショナルに録音することができるということだ。好きな楽器?ちょっと可笑しい話かもしれないけど、人の声だね!これほど表情豊かな楽器はないよ。自分が楽器を演奏するときは、いつもその表現力に近づけるよう努めているよ。

〈自分自身でボーカルをやろうと考えたことはある?楽器だけのアルバムを作る方がいい?〉
楽器としての人の声が大好きだから、自分でうまくできないのなら全く入れない方がいいと思ってしまう。エクストリーム・ミュージックにおけるボーカルの表現方法というのは限られていて、シンガーは死にそうになるまで叫んでいるだけでいいようなところもあるから(訳注:これまでの語り口にもあるように少しふざけてそう言っている:SADISTではそんな単純な使い方をしていない)、一切ボーカルを入れないというのも良いやり方だと思うよ。

〈映画のサウンドトラック製作を依頼されたことはない?もし無いなら、やってみたいと思う?やってみたいならどんな映画がいい?〉
依頼されたことはあるし、既にジングル(訳注:番組の転換部などに挿入される数秒単位の短い音楽)製作はやっている。その殆どがCMだね。できるならば、数分のスコアのようなものではなく、映画全体の音楽を担当してみたい。まだ何とも言えないけど、将来もしかしたらやることもあるかもしれないね。やったことのないプロフェッショナルな経験はいつでも歓迎するよ!

〈尊敬するミュージシャンはいる?能力だけでなく人柄なども。そして、そうした人に会ったことはある?いつか会ってみたい人は?〉
幸運にも、多くの才能あるミュージシャンと仕事することができている。有名無名を問わず才能のあるミュージシャンはいるよ。才能と知名度は全く関係ない。

〈最近はあらゆるものがデジタル録音されCD媒体で発表されている。それで、みんなCDをMP3に落としている。CD音質と高レートのMP3音質の間に違いはないと言うことはできる?少なくとも訓練されていない耳にとって。〉
プロのサウンドエンジニアなら、どんなフォーマットでも違いはわかるし、デジタル・アナログの違いもわかるよ!でも、「昔は良かった」と主張するつもりはない。世界は変わり、どんなものも変化していくのだから、音楽やその聴き方も変わっていく。確かに今の音楽は圧縮処理をされすぎているけれども、それが今のやり方なんだよ。これはスモッグのようなものだ。悪いものだということはみんな分かっているけれども、車に乗ったり肉を食べたりガスを燃料にしたりすることを止めたいと思う人もいないんだ。

〈いろんなファイル交換サイトで音楽を共有するのは悪いことでしかないと思う?それを止める方法はあると思うかな?それとも、これはテープトレードと同じようにシーンの一部を成していることに過ぎない(訳注:シーンをうまくまわすのに役立っている要素だということ)と思う?〉
悪い点は、レコードなり映画なりの製作を支えている仕事に対し、新しい世代の人々が対価を払おうとしないということだ。彼らは無料で持っていくだけなんだ。
良い点は、インターネットや新しいコミュニケーションの手段のおかげで、“非常に”才能のある人達が注目させる機会を得やすくなっていることだね。

〈音楽業界以外で関わっていることはある?興味のあることとか、やるのが好きなことなどは?〉
自転車に乗ることかな。残念ながらあまり時間がないんだけど。読書も好きだよ。主に読むのは、宗教や政治、経済についてのエッセイだ。

〈2013年の計画は?音楽・プライベートの両方について。〉
Jeroen Paul Thesseling(ベーシスト:ex. PESTILENCE / OBSCURA)とのサイドプロジェクトNUFUTICに取り掛かっている。これはジャズ・フュージョン・エクストリームメタルの実験的なクロスオーバーだ。SADISTの新譜にも取り組んでいて、これは2014年の春には発表したいと思っている。
プライベートでは、今住んでいるアパートから秋には引っ越ししなければならなくて、それが面倒かな。

〈まだ質問されていなくて言っておきたいことはあるかな?好きなビールの銘柄とか…〉
自分はアル中じゃないから、メタルバンドで演奏するには都合が悪いかな。まあそれはともかく、自分の音楽を(できれば合法的な手段で)聴こうとしてくれている人達みんなに感謝するよ!

〈では、このインタビューを締めくくるにあたって、最後の言葉なり、自分で宣伝をするということについての恥じらいなどを示していただければと思います。ありがとう。〉
まだ聴いてない人達へ。『Na Zapad』を文化的先入観(訳注:メタルでないから云々という偏見)抜きに聴いてみてくれ。悪いものではないと思うよ。



〈やあ、Trevor!強大なるSADISTの帰還だね。復帰と新作についてどう思う?〉
新しいアルバムにはみんなとても興奮しているよ。5年ほど前に出した『Season in Silence』はファンにとても良い評価をもらった作品で、『Hyaena』を作るにあたってはそれが大きなプレッシャーになっていた。その一方で、このアルバムには非常に多くの時間を費やしていたから、素晴らしい作品になることはわかっていた。

〈レコーディングは現時点でどのくらい進んでいるのかな?新譜には何曲入る予定?〉
ちょうど完成したところだよ。マスターを2種類作り、どちらを選ぶか決めようとしているところだ。アルバムはおそらく2つの形態で発売されることになるだろう。つまり、アナログとCDとで別の音質(マスタリング)が採用されることになると思う。それはともかく、新譜は10曲入りで、そのうち1曲がインストだ。SADISTの流儀を最良のかたちで受け継いだものになっているよ。

〈アルバムのティーザー(訳注:宣伝として公表されるダイジェスト版音源)を少し前に聴いて、とても良い仕上がりなのではないかと思った。新譜はどういう作品かな?〉
プログレッシヴな感じを攻撃的に表現したものだよ。プログレッシヴな音を出したがっているデスメタルバンドは多いけど、自分達は(そういうのに倣うことはなく)とにかく「SADISTの音」を生み出したかった。つまり、プログレッシヴであるけれどもヘヴィで攻撃的な感じも損なわれていない、ということだ。加えて、新曲のうち幾つかは前作よりもテンポが速く、民族音楽的な要素もやはり沢山あるよ。

〈新曲の製作過程について話してくれるかな?各個人が別々に作業するのが普通?それとも一緒に作業するのかな?〉
今回はベーシストのAndyが殆どのリズムアイデアを提供してくれた。殆どの曲は2〜3年前から存在し、膨大な時間をかけてアレンジしてきた。最終形が最も良い仕上がりになるように。

〈新曲の中にお気に入りはある?最も時間がかかった曲は?〉
全曲が独特の雰囲気や気分を持っていて、特に好きなのを現時点で選ぶのは難しい。1曲目の「The Lonely Mountain」はSADISTの曲としては例外的なものだね。非常に速くトリッキーな感じで幕を開け、民族音楽的な雰囲気を間に挟み、とてもワイルドなスタイルに展開していく。

〈過去作ではTommy Talamancaがプロデュースとマスタリングを担当していたね。今回も関わっているのかな?あなた方の長い友好関係について話してくれないかな。彼がSADISTの音楽に及ぼした影響はどんなものなのかな?(訳注:TommyがSADISTの主幹だということを知らない感じの話ぶりにみえる)〉
経験豊かでバンドのことをよく知っていて、チーム全体から最良の結果を引き出す能力を持っているプロデューサーと仕事するというのは、SADISTにとってとても大事なことだ。加えて、何年も使っているNadir Music StudioはSADISTの活動拠点のようなものになりつつあり、そこではとてもリラックスすることができる。アルバムのサウンドには完全に満足しているよ。これ以上良くすることはできないだろう。

〈歌詞の面で言うと、このアルバムにはコンセプトがあるのかな?今回取り上げた題材は?〉
確かに『Hyaena』にはコンセプトがある。そしてそのテーマは自分にとってとても特別なものだ。ハイエナは最も魅力的で神秘的な野生動物のひとつで、おそらく最も“SADIST”icな(訳注:「嗜虐的」という本来の意味と「SADIST的」という意味合いを掛けているのだと思われる)もののひとつでもある。

〈SADIST以外では、あなたはストーナーロックバンドALLHELLUJAで歌っているね。このプロジェクトについて話してくれないかな。参加することになった経緯は?〉
ALLHELLUJAプロジェクトはイタリアのメタルシーンにおけるある種のオールスターバンドで、友人であり才能ある同僚でもあるGianlula Pertotti(EXTREMA)と一緒にボーカルをとっている。これは“スタジオ”プロジェクトのようなもので、近い将来何か新しい音源を発表するかどうかは自分にはわからない。

〈昔のことについて話そう。あなたは1996年の『Tribe』発表直後にSADISTに加入した。その経緯は?SADISTでの最初のリハーサルがどんなものだったか覚えてる?〉
SADISTに加入してくれないか頼まれた時、自分はとても興奮した。既にSADISTのファンだったからだ。自分が完全に適任だったということはわかっていたし、自分の前のシンガーは3回も交代したのに、自分は約20年間ずっと在籍し続けている。とても良い縁だったということだね!

〈最後の質問。近い将来の計画は?新譜をサポートするための欧州ツアーの計画などはある?〉
現在我々は、新譜のプロモーション活動を計画する作業に完全に集中している。SADISTはライヴバンドだから、できるだけ早くツアーに出たいものだね。観客の新曲に対する反応を見るのが待ちきれないよ!

〈インタビューを受けてくれてありがとう。なにか付け加えておきたいことはある?〉
全てのSADISTファンへ。アルバムを聴いてみてくれ。過去最高のSADISTを記録できるよう膨大な時間を費やした作品だ。SADISTの200%が示されているアルバムで、我々はこれに惚れ込んでいるよ。



プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界:参考資料集【初期デスメタル篇】(内容説明・抄訳更新中)

こちらの記事
の具体的な内容・抄訳です。


【初期デスメタル

DEATH
MORBID ANGEL
CARCASS
PESTILENCE
NOCTURNUS
XYSMA
CARBONIZED
diSEMBOWELMENT
SEPTICFLESH
PAN.THY.MONIUM
DEMILICH
CRYPTOPSY

(内容説明・抄訳のあるものは黒字にしています)


MORBID ANGEL(アメリカ)》


Pete Sandovalインタビュー(『G』発表後)
18〜19歳の頃からドラムスを演奏しはじめた
初期SLAYER、POSSESSED、DARK ANGEL、SODOM、DESTRUCTION、KREATOR、初期METALLICAなどに影響を受けた:最も好きなドラマーはDave Lombardo(ex.SLAYER)

TERRORIZERとSADISTIC INTENTはほぼ同期

逆十字は自由の証
ポジティブなものがポジティブなものを生む:ネガティブなものはネガティブなものを生む

ツアーと節制の話:『Domination』以降は飲酒を控えることにより演奏が良くなった

KORNによる「God of Emptiness」カバー(未発表)


Trey Azagthothインタビュー
よく聴くもの:VADER、ANGEL CORPSE、DEICIDE(初期)、DIABOLIC、THE GATHERING(『Nighttime Birds』)、DEAD CAN DANCE、日本のアニメ音楽


Trey Azagthothインタビュー
R&Bからの影響


Trey Azagthothインタビュー('03.9.23)
(人生の一枚を問われて)選ぶのは難しい:VAN HALEN、THE GATHERING、PINK FLOYD


Trey Azagthothインタビュー(『G』の後:'00年?)


NOCTURNUS(アメリカ)》


Mike Browningインタビュー(2013.4.4)
MORBID ANGEL『Abominations of Desolation』('86録音)は、Treyなどはデモ扱いしているけれども、自分は最初のフルアルバムだと考えている
録音後、フロリダで、MikeのガールフレンドをTreyが奪っている現場に突入したことで喧嘩になり、MORBID ANGELからは脱退した→INCUBUSを再結成した('86〜'87)
AFTER DEATHでは『The Key』の全曲と『Abominations of Desolation』数曲をやる


SEPTICFLESHギリシャ)》


Sotirisインタビュー(2003.11:解散に前後して)
ドラムマシンの話


Christosインタビュー(2013.12.5)
(別紙にメモ)


Sotirisインタビュー(2014.6.26)
バイオリン(5歳〜)からギターに転向
IRON MAIDEN、DEATH、MORBID ANGEL、POSSESSED、CELTIC FROSTほか
(Christos:the London College of Musicで学ぶ:Stravinskyなどを好む)
CELTIC FROSTのアヴァンギャルドな実験に常に敬服

『Titan』:作曲に6ヶ月、録音に3ヶ月、Logan Maderとのポストプロダクションに3ヶ月
音楽的にはトータル・アルバムで、どれか一つ「お気に入り」を挙げることはできない


Christosインタビュー(2014.7.5)
オーケストレーションはラップトップから出力
ツアーが最も重要、アルバムも大事
意識としては'08年に「バンドが始動した」。('03年の解散前はあまりライヴをできていなかった)(名前を変えたのにはそれなりの意味があるようだ)
休止中にはthe London College of Musicで学び、学士号・修士号を取得
(Spirosはアテネでfine artsを学ぶ)

Prague Phillharmonic Orchestra(『Titan』で4回目の共演)(RHAPSODY OF FIREやDIMMU BORGIR(Wacken2012で共演)の作品にも参加)
レコーディングでは1セッション4時間:よく準備したスコアとディレクションが必須

'14年9月にアテネで演奏される小規模オペラを作曲中
Stravinsky(「春の祭典」:作曲家を志望する動機になった)、Paderewski、Xenakis
映画音楽:Elliot Goldenthal、Hans Zimmer
メタルパートの作曲は他メンバーが担当

常に新しいものを作り続けたい

「25周年」('90年結成)とは思っていないので、レーベルの意向はわからないが、自分達としてはそういう企画の予定はない

Sotirisは銀行勤めの仕事があるためツアーに出られない

Fotis(ドラマー)とスタジオを共有
バンドだけでは食えない:副業があるからこそこうしてツアーすることができている(FLESHGOD APOCALYPSEとの北米ツアー中にインタビュー)


 《PAN.THY.MONIUMスウェーデン)》


Benny Larssonインタビュー(1990:『…Dawn』発表後)

自分達のメインバンドEDGE OF SANITYとは違うことをやろうとしている
PAN.THY.MONIUMは「place of all evil」の意
歌詞に大した意味はなく、音楽自体が語っている
バンドの影響源として大きいのはBOLT THROWERとNOCTURNUS。個人的にはヒップホップ以外なんでも聴き、CELTIC FROSTやGOREFEST、MOTORHEADやNO SECURITY、AGATHOCLESなどがお気に入り
プロジェクト・バンドという位置付けで、ライヴはやらない


Dan Swanö(Day DiSyaah名義・ベース)インタビュー(2011.8.28)

(記事執筆者によるリード文:テーマはおそらくRaagoonshinnah(闇の神)とAmaraah(光の神)との戦いなのだが、ボーカルから歌詞を聴き取ることは不可能で、そもそも具体的な歌詞自体存在しないのではないかとも言われている。)

他のメンバーは意欲を示していたが、Danの意向により解散。

'90年の春に結成(その時はまだライヴで再現できる範囲のことしかやっていなかった)
Robert Ivarsson(Mourning名義・リズムギター)とBOLT THROWER「World Eater」のパクリのようなリフをRobbanのリハーサルルームででジャムしていた時から全てが始まったと思う
CELTIC FROSTやHELLHAMMERのようなスラッジものを好む」Benny Larsson(Winter名義・ドラムス:EDGE OF SANITYでのDanの同僚)が加入してPAN.THY.MONIUMの原型ができたのではないかと思う
Roberth Karlsson(Derelict名義・ボーカル:現SCAR SYMMETRY)はリハーサルルームの辺りで知り合った

(MAGMAのようなZeuhl系バンドとの関連を問われて)そちら方面は知らない。自分達は普通のドゥーム・グラインドバンドだったが、ちょうど自分が最もプログレデスメタル両方にのめり込んでいた時期ということもあって、こんな音楽性になった。

作品の自己評価としては、5点満点で
『…Dawn』(デモ・'90):4点
『Dream Ⅱ』(EP・'91):5点
『Dawn of Dreams」('92):3.5点
『Khaooos』('93):2点
『Khaooos & Kon-Fus-ion』('96):3.7点

再結成の可能性がないとは言い切れないが、元メンバーはそれぞれ異なる生活をしているためなかなか難しい
旧作の再発についての意欲はある


Dan Swanö総論インタビュー
(2010.10.30)

7歳でドラムスを始め(後にマルチプレイヤーに)、'84〜'85年頃ハードロックにハマり、'87〜'88年頃はスラッシュメタルにハマっていた

ENTOMBEDのUffeが送ってきたNIRVANAの『Bleach』は自分にとって「ロックとデスメタルの究極の融合」であり、Kurt Cobainが'94年に亡くなる頃にはグランジの大ファンになっていた
(EDGE OF SANITY『Purgatory Aftergrow』('94)はKurtに捧げた作品)


PAN.THY.MONIUMは、EDGE OF SANITYにはそぐわない奇妙なアイデアを試す場だった




DEMILICHフィンランド)》


再発盤『20th Adversary of Emptiness』ブックレットにおけるAntti Bomanロングインタビュー


音楽クラスでベースを演奏させられたことにより、頭の中のことを音にして表現することの楽しさに取り憑かれ、ギタリストになることを決めた
IRON MAIDENやDIOなどから段階的に入っていって(友人の兄などの影響で)、NAPALM DEATHの『Scum』に衝撃を受けた

DEFORMITYからDEMILICHに改名

'90年に作曲開始
BOLT THROWER・PESTILENCE・CARCASS・NAPALM DEATHなどに惚れ込んでいた

ボーカル:L-G Petrov(ENTOMBED)、Martin van Drunen(PESTILENCE・ASPHYX)、Jeff Walker(CARCASS)などを崇拝しつつ、自分なりの新たなものを作りたかった:USスタイルのガーガー声(croaking)は好きではなかったけれども、結果的にはそれに似た感じになった
ボーカルはエフェクト抜き
(リバーブはエフェクトに数えない)

ABHORRENCE、DEMIGOD、SENTENCEDのメンバーと連絡をとっていた

ドラマーのMikkoが複雑なリズムに興味を持っていた:挑戦的な音楽が好き:単調なものは嫌い

バンド名被りを回避しようとしていて、友達がやっていた「Dungeons & Dragons」のルールブックに載っていた名前を使った

歌詞は全て短い物語になっている

カバーは好まない:自分は常に自分独自のものを作ろうと努めてきた:コピーは二流のやること

フルアルバムが初めて満足できた作品

2ndデモ(『The Four Instructive Tales…Of Decomposition』)の後に書かれた初の新曲「Inherited Bowel Levitation」が、DEMILICHの本領を示す初めての曲となった:エポックメイキングな曲だった

1st:予算の関係から、全作業に6日しかかけられなかった
『Nespithe』は“spine”(棘、脊柱、気骨)の意
「The Plant〜」が最後の曲:予めそう決めていたかどうかは定かではないが、その時少なくとも休息が必要だとは感じていたし、そういうとりとめなく希望もない心境が歌詞に表現されていると思う
これが(アメリカの弱小レーベルNecropolisから)発売された頃は既にシーンからドロップアウトしていて、状況には全く無頓着だった。(音楽自体やめていた:バンドもはっきり解散したわけではなく、デスメタル以外の音楽を演奏していたりしたが、その機会も減っていき、リハーサル場所を失う頃には全くやらないようになってしまった)
'98年頃から若い世代によって再評価され初め、そこからゆっくりと、自分が何を成し遂げたのか気づくようになった

『Nespithe』発表後1週間経った頃、スウェーデンストックホルムの友人(CRYPT OF KERBEROS)に招かれ、DEMIGOD・ETERNAL DARKNESS・UTUMNO・NEZGAROTHらと一夜のみのライヴを行った:これ自体は素晴らしい経験だったが、既に生まれてきていたシーンに対する嫌悪感を拭うものではなかった:これ以降DEMILICHは確実に“衰退して”いくことになる
サブジャンルの間ですら相互扶助のあったシーンが、ブラックメタルやその他のクソガキどもにより分断され、自分はあらゆることに疲れてしまった:何のインスピレーションも得られなくなってしまった)

Ville Koistinen(ベース)はポップ・ロックプロジェクトの方に向かったが、他のメンバーは(音楽的には)何もすることにはならなかった

再評価を通して、'02年のテスト運転、'05年〜'06年の録音やツアー(アメリカ含む)〜“1回目の最終ギグ”、'10年の“最後の最終ギグ”、かつてリハーサル場所としていた建物が取り壊されるということで'13年2月に行った“完全非公式のさよならリハーサル場所ギグ”など、断続的な活動を続けている
確約はできないが、今後も活動を続けていく可能性は十分ある
(はっきりした約束はしたくない)

声だけでなく音楽自体(構造・雰囲気)がオリジナルなもの
オリジナルなことを成し遂げながらも、嫉妬と敵意で自壊した。しかし結局、誇りを取り戻すことができている


CRYPTOPSY(カナダ)》


Jon Levasseurインタビュー(1998.4.13)

デスメタルは終わったのではないか」(理由:流行りが行き過ぎた・古いバンドは変化はできても激しさを維持することができない)という話から:
(3rdのためのスタジオ入りの前)
1曲を2〜4ヶ月かけて作る:そうすれば様々な音楽を聴く時間がとれ、各曲が異なる仕上がりになる

メインソングライターはJon(ギターパートの85%を作曲)とFlo
『Blasphemy Made Flesh』はMALEVOLENT CREATIONとSUFFOCATIONの影響が大きいが、そこから出発して、他の何ものでもない自己を確立しようとしてきた
聴き手を(その予想を裏切った上で)喜ばせたい
デスメタルのサタニズムや血みどろのイメージには泥まない
2ndの「Lichmistress」のリフはブルース・ベース
Lord Wormは大学で心理学を専攻
Mikeはもっと個人的・感情的・一般的な表現ができ、声単体としてはLordよりパワフルだと思う
2ndのカバーはFloが選んだ
ライヴでできないことはアルバムでもやらない
『None So Vile』も発表直後は芳しい評価を得られなかった(前作を求める声が多かった)が、程なくして反応は一変した:3rdアルバムに関してもそうなることを期待している
ライヴ活動とスタジオ作業の両方を同様に重視している
(音楽で食っていくことの話など:ジャンル唯一の成功者(訴求力を維持できている)であるMORBID ANGELなどと絡めて)

'92年にはメンバー全員がデスメタルの大ファンだった:NAPALM DEATH、SUFFOCATION、CANNIBAL CORPSE、MORBID ANGEL、ENTOMBED、DISMEMBER、特にMALEVOLENT CREATION
(SUFFOCATION『Effigy of The Forgotten』(1st・'91)とMALEVOLENT CREATION『Retribution』(2nd・'92)が自分にとってはベスト)
(INTERNAL BLEEDINGやDYING FETUS、AUTUMN LEAVESなどが『Effigy of The Forgotten』の影響を受けていないなどと言うのは嘘だと思っている)
Eric(ベース):PRIMUS、Jaco Pastorius
Miguel(ギター):DEAD CAN DANCE(メンバー全員が好き)、
Mike(ボーカル):ハードコア、ブルータルな音楽
Flo(ドラムス):LED ZEPPELINBjorkJeff Buckley、PRIMUS、DREAM THEATER、Dennis Chambers、Dave Weckels
THE GATHERINGなども
Lord(ボーカル):ホラー映画の音楽、Clive Barker(他メンバーは音楽以外のものからはあまり影響を受けていない)


Flo Mounierインタビュー(2008.7.1:『The Unspoken King』に伴うツアー(“メタルコアに日和った”などと言われる音楽性の変化は不評)をうけて)
新しい路線を歓迎しない雰囲気に対し:「建設的な批判は良いけれども、過剰な失望を示す反応が多く、それは早計に感じた」
影響源はメタルに留まらない:影響のるつぼという感じ:MASSIVE ATTACKから想を得た曲もある


Flo Mounierインタビュー(『Cryptopsy』発売後:'12?)
『Once Was Not』以前は一切クリック・トラックを使っていない
影響源:Dennis Chambers、Heracio Hernandez、Todd Suchermanほか多数


Flo Mounierインタビュー(2012.9.24)
影響源は具体的に語らない:「ただ書いただけ」「Jonも自分も異なる影響源をもつ」


Flo Mounierインタビュー(『The Unspoken King』の頃:インドのメディア)
『None So Vile』の方が良かったというようなニュアンスの質問を受けて:自分達のスタイルは変わるもの
全体的に初期(1stと2nd:Lord Worm期)を持ち上げる雰囲気が漂う(この時期を歓迎していない様子が滲み出る)インタビュー:それをいなしていく


プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界:参考資料集【テクニカル・スラッシュメタル篇】(内容説明・抄訳更新中)

こちらの記事
の具体的な内容・抄訳です。


【テクニカル・スラッシュメタル

Ron Jarzombek関連(WATCHTOWER〜SPASTIC INK〜solo〜BLOTTED SCIENCE)
CORONER
BLIND ILLUSION
PSYCHOTIC WALTZ
TOXIK
HOLY TERROR
REALM
DYOXEN
PARIAH
DEATHROW
MEKONG DELTA
ANACRUSIS
SACRIFICE
OVERTHROW
THOUGHT INDUSTRY
DECISION D
NEVERMORE
VEKTOR

(内容説明・抄訳のあるものは黒字にしています)


CORONER(スイス)》


Tommyインタビュー(2010.7.2.:再結成発表直後)
この時点では再結成というつもりではなかった(これ以前も何度も否定している)・アルバム制作の意志もなかった(どういう気分になるかはわからないが)
CORONERの人気が一番ある国はフランス(→2011年のHellfestで再結成ライヴ)
このインタビューの時(2010年Hellfestにおける69 CHAMBERSの出演後)はまだリハーサルもしていない(RonとMarquisは10年以上演奏すらしていない)
コンピレーション『Coroner』はレーベルとの契約のために作られたもので、その時CORONERは既に解散していたし、(2/4の)新曲の制作時にはMarquisは2年ほどドラムスを演奏していなかった
解散した理由:Noise Recordsのサポート不足、飽きた(メンバー間の不和はなかった)
「New Sound Studio」(スイス最大のスタジオの一つ)を経営、プロデューサーとしての活動を主としていた


Markyインタビュー(2011.12.21)
Marky:完全独学で、正統な教育を受けてはいない
 (note: the intro to Totentanz is a cover of Bourrée by French composer Robert de Visée)
影響源:John Bonham(『Physical Graffiti』)、Stewart CopelandTHE POLICE)、Buddy Rich
「Heavy Discos」(メタルを流す)からシーンが立ち上がった
「Music Land」(Zurichにあったレコード店):VENOMや初期METALLICAなどがそこから広がる、Tom G.(HELLHAMMER始動済)ともそこで出会った
はじめは5人編成(TWISTED SISTERやMOTLEY CRUEのようなのを演奏)→Marky兵役のため停止('84年、半年)→本活動のトリオに
ボーカリストと2人目のギタリストを探したが困難だった
'86年のUSツアー(CELTIC FROST、VOIVOD、RUNNING WILDと)
奥様は日本人
TommyとMarkyがCELTIC FROSTのローディーを経験(USツアー:2ヶ月中ホテルに泊まれたのは数度きり)
最初のツアーはKREATORと('89年)
最初の4〜5年は週に6日はリハーサルしていた:その成果がアルバムの変遷(1st→2nd)にも出ていると思う
「No More Color」時はTHE DOORSをよく聴いていた(他の2人は知らない):従来のクラシック影響下路線から転換しつつあった
(インタビュアー:アンダーグラウンドシーンに目を向けなければ90年代のメタルは低調に思えるのも仕方ないのかもしれない)
CORONERの「芯のある変遷」をPOLICEになぞらえる:その変遷が一般の理解を越えた所に行ってしまったのを自覚したため活動を停止した
メンバー間の仲はいいが、同じラインナップで演奏を続けるのには飽きた
APOLLYON SUN:金の絡んでいるバンド活動へのプレッシャーや、私生活の問題(恋人との破局など)により、活動を楽しめず、脱退してしまう

仕事:グラフィックデザイナー(Zurichのアートスクールに5年通っていた)(コンピューターの前に座り続けるのに疑問を感じた)→APOLLYON SUNのベーシストに紹介され、現代アートインスタレーションを作る手伝いをしたり、Zurichの美術館で現代アートの制作手伝いをするなど、世界中の著名な芸術家とともに作業している

電子音楽の活動(Zurichの優れたアンダーグラウンド・クラブ・シーン):『Spoon』(プレイステーションの音楽のみでプレイ)『KnallKids』(Knallは英語で“Bang!”)(ハウス)
Tommyから声を掛けられてはいたが、再び自分の手でドラムスをやってみようと思うまでには、4年ほどの時間を要した
シーンの動静は全くつかめていない(Tommyはつかめている)

人間関係は良好
アルバムを作らなくていい・ツアーだけでいいことの気安さについて言及(後にアルバム制作を拒否して離脱)
アルバム制作をしない理由(真顔になって):毎日の仕事がある(Ronは会社勤め、Marquisはアートコレクターの手伝いで小さな娘もいる、Tommyはスタジオの仕事で極めて忙しい:そのやり方だと時間がかかりすぎる:新曲を一つだけ作ってlive-footage DVDに入れることはできそう)
ツアーはサポートミュージシャン(キーボード・サンプラー担当で'96年の最終ツアーにも同行、今回のツアーではヘルメット・カメラも着用)付きの4人編成


Marquis Markyが2014年2月末に脱退
(アルバムの制作を拒否)したという声明


インタビュー(2014.10.18)
Tommy:バイオリン(3年)→Jimi Hendrix、ペダルボリュームとワウ以外エフェクトは使わない
Ron:サッカーの道を諦めて17歳からベースを開始(「4弦だからやりやすいだろう」)、Geddy Lee(RUSH)を意識してベース兼ボーカルを練習、友人のハンドメイドによるベースを使い続けている(初めてのベースSohnはあまり良くなかった)
Diego Rapacchietti:1%の才能と99%の練習


DBCDEAD BRAIN CELLS)(カナダ)》


Eddie Shahiniインタビュー(2005)
1st『Dead Brain Cells』('87年発表)のときは、Randy Burns(MEGADETHやSUICIDAL TENDENCYなどと一緒に仕事)をプロデューサーにすえ、予め用意してあった曲をもってスタジオに臨んだ。録音はドラマー以外のメンバー全員が初めてで、ノウハウをいろいろ学んだ。

1stも2nd『Universe』('89年発表)も良い評価を得たが、レコード会社のサポート不足により、アメリカ合衆国内のプロモーションは不十分で、ヨーロッパへのツアーは(それが夢だったが)実現しなかった。

Combat Recordsのために3曲録音し、それに納得しなかったレコード会社の指示でさらに3曲録音した('90〜'91年:『Unreleased』として'02年に発表)。同時期に、当時人気が出てきたフォーマットであるミュージックビデオを作るために、契約した額以上の資金をレコード会社に要求したが、北アメリカの経済状況が良くなくなっていたこともあり、Combat Recordsは契約を解除した。その後いくつかのレコード会社と話はしたが、どれも実を結ばなかった。そうしたことにより、'91年に解散した。

Gerry Ouellete(オリジナルメンバーのギタリスト)が'94年に亡くなったときは、彼が数年前からAIDSを患いついには完全に発症していたことを知っていたため、驚きはしなかった。しかし、自分にとっては5年生以来の友人で、ともに一人っ子だったこともあって兄弟のように親しかったから、とても悲しかった。DBCの曲を自分達が演奏するときはいつも彼に捧げている。
『Unreleased』はGerryの人生と記憶、音楽に捧げた作品で、いくつかの曲はバンド史上最も優れたものだと思う。自分はこの方向性が好きだった。

'03年の大晦日にはDaniel Mongrainを加えた編成でライヴを行ったが、これは「1度きりのショウ」ではない。今年('05年)の6月にはトリオ編成でモントリオールでのライヴを行った。年末の12月5日には、モントリオールのMetal Massacre Festivalで演奏する予定。80年代から活動する7つのカナダ出身バンドとともに出演する。間違いなく面白いものになるはず。

DBC以外のプロジェクトは抱えていない。新しい作品を出したいという意思はある。

本業はグラフィック・アーティストとウェブデザイナー。フルタイムで会社勤めしていて、夜にフリーの仕事を入れている。

メンバー全員が仕事をもっているし、自分は小さな娘がいて、12月にはさらに子供が生まれる。そのため、ヨーロッパツアーをするのは難しい。しかし、ヨーロッパに行くのは夢なので(子供の頃に行ったきりでまた行きたい)、演奏するためでないとしてもぜひ行きたい。これを読んだ誰か裕福な人が費用を出してくれるなら、我々は喜んでツアーしに行く。

「The Genesis Explosion」(2ndの1曲目)が携帯電話(“cell” phone)のCMに使われたのはJeff(ドラムス)のツテ。広告代理店の担当者がこの曲を好きで、Jeffを通して話をもってきて決まった。その携帯電話の名前を冠したショウもやり、自分達にとって大きなプロモーションになった。

仕事や家庭、バンドで忙しいが、それをするのは好き。1stや2ndの再発をし、Tシャツも作る。
('06年から加入するギタリストのQuinnの名前がサポートとしてあげられている)


Eddie Shahiniインタビュー(2014.4.8)
KILL OF RIGHTS('09〜/ 1stは'14発表)について:スラッシュメタルの影響は確かにある。DBCよりストレートで印象に残りやすいスタイルを志向している。
かつて書いたもののDBCには使わなかったリフをいつも意識していて、DBCの再結成を機に、それを集めた作品を作りたいという意欲が高まり、新たなバンドを結成した。
音数を多くしすぎて印象に残らないものでない、キャッチーさを備えた曲作りを、全曲に渡ってするよう心がけた。

Jacques Dupuis(ボーカル)のバックグラウンドはハードコアで、歌詞もどうしてもそうした観点からのものになる。自分としても、歌詞は(未来の世代のためのスナップ写真として)いま何が起こっているかということを反映したものになるべきだと考えている。
アルバムのうち1曲は、DBC用に作って発表していなかったアイデアを用い、Jacquesに加えゲストボーカル(Snake(VOIVOD)やPhil Dakin(DBC)、Vince Peake(GROOVY AARDVARK・GRIM SKUNK)ら)を起用して、ケベックの80年代メタルシーンへのトリビュートとした。

DBCの新しいアルバムを作る予定はないが、3曲入りのEPを楽しんで作ってみようという話はある。それが実現するのなら、過去3作のスタイルを融合させたものになるのではないかと思う。
メタルフェスHeavy Montrealに出演するのが夢。

DBCの再発盤(1st・2nd)では、小さすぎた音量を現在の水準となっている大きさに修正した。

『Universe』('89年発表)では、まず第一に、世界初のメタル・コンセプトアルバム(PINK FLOYD『The Wall』のような)を作りたかった。
QUEENSRYCHE『Operation :Mindcrime』は'88年発表)
アルバム全体のテーマは科学的事実に基づいていて、最後の曲だけはフィクションで、未来の人間がどうなっているか、という予測を描いている(Philのアイデア)。製作時は互いのミュージシャンシップをよく把握していて、各自が大量のパートを憶えられることがわかっていたため、アルバムは極めてテクニカルな仕上がりになった。1曲のなかでどれだけ多くのリフを演奏できているかということや、バンドがこういうジャズやクラシックの要素を持ったメタルスタイルに進化していったことを、人々に見せつけたかった。

自分は伝統的なメタルの歌い方をして欲しかったが、ある一箇所でPhilが提案し良い感じの効果を生んだ歌い回しを聴いたGarth(プロデューサー)が、アルバム全編でそれをやってほしがった。自分はそれを好まなかったが、Philは同意し、このような仕上がりになった。(デモは普通の歌い方をしている。)これはこれで特徴的なものになっているけれども、自分としては思い残すところがある。

『Dead Brain Cells』('87年発表)は、当時聴いていたSLAYERやハードコアなどから影響を受けている。メタルリフとハードコアのエネルギーとの組み合わせが好きだった。『Universe』製作時にはミュージシャンとして異なるレベルに達していて、スタイルはだいぶ変わっていた。

『Universe』で成し遂げたことに満足してはいたが、それに対する反応は芳しくなかったので、もっとわかりやすく印象的なものを作ったほうがいいのではないかと考えた。『Unreleased』('91年録音・'02年発表)が『Universe』のスタイルを受け継がないストレートな作風になっている背景にはそうした経緯がある。

Gerryは血友病を患っていて、HIVに汚染された血液を輸血することでAIDSに罹患し、それにより亡くなってしまった。(1994.11.12没)

ケベックでは(世界の他の地域とは違い)メタルが廃れたことはない。カナダで最もメタルが盛んなシーン。


OVERTHROW(カナダ)》


Nick Sagiasインタビュー(2010.8.17)
各人が異なるバックグラウンドを持つ
全体としては、KREATORやDARK ANGEL
歌詞的には、Gene Hoglane(DARK ANGELの『Darkness Descends』『Leave Scars』)の影響が大きい
音的には、ジャーマン・スラッシュ(DESTRUCTION、SODOM、KREATOR、HOLY MOSES、KREATOR)、ベイエリアのバンド(POSSESSED、VIO-LENCE)、カナダのバンド(SACRIFICE、VOIVOD)、SLAYERなどの影響が大きいと思う

わりとストレートだったデモ『Bodily Domination』に比べ、フルアルバム『Within Suffering』の製作時には、遅いパートも織り交ぜたテクニカル志向が強まっていた

制作時間節減のために、ベースとドラムスは一緒に録音した

NickがPESTILENCEに参加するためにオランダ行きを決めたため、OVERTHROWは解散することになった:それ以前に音楽的方向性の違いがあって新曲の製作が進んでいなかった
(Nick(ベース)とWayne(ドラムス)はOBITUARY『Slowly We Rot』のような遅いデスメタルに惹きつけられ、一方でギターの2人(IanとKen)はSLAYERやMEGADETHのようなスタイルを志向していた。チューニングを下げるか否かということや、Nickのボーカルスタイルの変化(スラッシュ寄りからデスメタル寄りへの変化)についての議論などもあり、方向性がまとまらなかった。)

PESTILENCEへの加入(4曲入りのデモ『Out of The Body』を録音):Martinの代役としての加入(第1候補だったSUFFOCATIONのJosh BarohnがAUTOPSYに加入したためお鉢が回ってきた)
ベルギーでOBITUARYやMORBID ANGELの前座としてライヴ出演したりもした

PESTILENCEの3rdアルバムを録音するためにフロリダ・タンパに向けて出発する前から、Patrickと「続けるか否か」の話し合いはしていた。Morrisound StudioではちょうどATHEISTが2ndアルバムを録音していて(OVERTHROWもフルアルバムをここで録音していて、その当時CYNICやATHEISTとの共演ライヴを企画しようと試みている)、そこにいたTony Choyの素晴らしさをPESTILENCEに紹介。そこでベースを交代することになる。
(オランダにいる時から既にSOULSTORMとしての素材を作り始めていた)

オランダでPESTILENCEにはそぐわない曲を書いていた時、既にテクニカル志向ではなく雰囲気志向の音楽性に興味が移っていた。
PESTILENCEが3rdアルバムを録音する間、6週間フロリダに滞在しなければならなかったので、バンドを組み、『Control』デモとなる素材を作った。

この時にはCELTIC FROSTの影響が前面に出てきていて、自分を含むバンドメンバーはCARCASS、OBITUARY、MORBID ANGEL、ENTOMBED、GODFLESHなどを聴いていた。
(インダストリアル寄り(SWANS、Einstuerzende Neubauten、MINISTRYなどに影響を受けた)の方向に行きたかったというのもある。シーンにおいてはGODFLESH以外にそういうことをやっているものはいなかった。)



プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界:参考資料集【プレ・テクニカル・スラッシュメタル篇】(内容説明・抄訳更新中)

こちらの記事
の具体的な内容・抄訳です。


【プレ・テクニカル・スラッシュメタル

〈準備中です〉

プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界:参考資料集【参考:ハードコアパンクシーンの流れ】(内容説明・抄訳更新中)

こちらの記事
の具体的な内容・抄訳です。


【参考:ハードコアパンクシーンの流れ】

BAD BRAINS
DISCHARGE
THE STALIN
DIE KREUZEN
AMEBIX
S.O.D.
LUDICHRIST
SPAZZTIC BLURR
ANGEL HAIR
HIS HERO IS GONE
DISCORDANCE AXIS
CONVERGE

(内容説明・抄訳のあるものは黒字にしています)


THE STALIN(日本)》


DEAD KENNEDYS(Jello Biafra)からの注目

ザ・スターリン('80〜'85)
ビデオ・スターリン('86〜'88)
新生スターリン('89〜'93)


遠藤ミチロウインタビュー(音楽ナタリー:2012.3.16)
THE DOORSIggy Pop、ジャックス

当時のシーンには意外とロンドンパンクっぽい音がなかったので、『Stop Jap』にはあえてSEX PISTOLSっぽい音を入れたりした(「Money」など)
(重ねたギターサウンドなど)
THE CONTORTIONSからPISTOLSまで:わりとニューヨークパンクの影響が大きかった(Patti Smithなども)
初期の音楽性はギターの金子あつし(『スターリニズム』('81年発表)まで)のインプットが多い(RAMONESやGERMSなど?)

ミチロウ自身がギターを弾くとフォークの癖が出る
『Stop Jap』('82年発表)でレコ倫と揉めたせいもあって、歌詞の抽象的な傾向がさらに増していく

『虫』('83年発表)の頃はDISCHARGE(一番好き:混沌とした鉛のような感覚)やG.B.H.を聴き始めていた

『Fish Inn』('84年発表)発表後のあたりから、JOY DIVISIONやBAUHAUSに強く惹きつけられ始めていて、『Stop Jap』や『虫』の世界とは決別したくなっていた(『虫』と『Fish Inn』の間に出したソロ・カセットブック『ベトナム伝説』('84年発表)のあたりから)
THE DOORSPatti SmithJOY DIVISIONは自分の中ではつながっている。その路線を意識して『Fish Inn』を作った。自分にとってはむしろこちらが自然なもので、『Stop Jap』などは「突然出てきた」ものだった。

メジャーデビュー後も音楽的な制約はなかった。
『Trash』('81年発表)の方が自分達にとっての王道で、『Stop Jap』は寄せ集めだつた。

最後のスターリングランジバンドをやりたくて解散した。DINOSAUR JR.などに強く惹きつけられていた。(これもBAUHAUSなどの流れ)
その後はソロ・アコースティック・スタイル(アンプラグドなパンク)が肌に合うことに気付き、それを続けている。
(「天国の扉」がきっかけ)

「ザ・」というのには凄くパンクなイメージがあって、それがない「スターリン」は、自分にとって普通のロックバンドという感じになり、あまり音楽性は絞り切らない、何でもあり・ミクスチャー的なイメージがあった
バンドをやるんだったらどういう音楽性であろうとスターリンという名前を使おうと考えていた
本当の意味でのパンクバンド「ザ・スターリン」だったのは『ベトナム伝説』の前まで


遠藤ミチロウインタビュー(ototoy:2011.8.15のプロジェクト FUKUSHIMA!に際して)


遠藤ミチロウインタビュー(1997.8.6)
「独り」というイメージが強く、家族というものなどにはどうしても馴染めない
自分達が生贄になることにより、客の潜在的な意識を引き出す(→客も自分達も興奮する)


遠藤ミチロウインタビュー(2012.3.11)
プロジェクトFUKUSHIMA関連


遠藤ミチロウインタビュー(1994.6.8)
インディアンの話
居留地(3回目)で歌ったのがソロ・アコースティック・スタイルの始まり


遠藤ミチロウインタビュー(1983.7.1.)
スターリンは、共同幻想としての政治を自分達の表現のなかで絶対に客観化・対象化していくもので、その意味で政治的なバンド
吉本隆明に惹かれるのは「絶対に独りでやる」ところ
日本のロックバンドで日本というものにこだわったのはジャックスだけ:初めて出会った考えさせられる音楽


遠藤ミチロウインタビュー(2006年)
共同幻想的な場で歌を持ち出すのは、歌の自殺行為だと思っている


遠藤ミチロウインタビュー(2007.9.1.)


遠藤ミチロウインタビュー(2007.9.6.)
ジャックスに出会うことで音楽に目覚めた
旅が好き(一人旅)


NOMEANSNO


インタビュー('13)
Buddy RichやGene Krupaなどに影響を受けた:RUSHのファンだったことはない:ジャズの影響
RAMONESは大好きだが、自分たちの音楽にその要素はない
RESIDENTSなどニューウェーブの影響