【参考:ハードコアパンクシーンの流れ】
S.O.D.
LUDICHRIST
SPAZZTIC BLURR
ANGEL HAIR
HIS HERO IS GONE
DISCORDANCE AXIS
CONVERGE
(内容説明・抄訳のあるものは黒字にしています)
《THE STALIN(日本)》
DEAD KENNEDYS(Jello Biafra)からの注目
ザ・スターリン('80〜'85)
ビデオ・スターリン('86〜'88)
新生スターリン('89〜'93)
遠藤ミチロウインタビュー(音楽ナタリー:2012.3.16)
当時のシーンには意外とロンドンパンクっぽい音がなかったので、『Stop Jap』にはあえてSEX PISTOLSっぽい音を入れたりした(「Money」など)
(重ねたギターサウンドなど)
THE CONTORTIONSからPISTOLSまで:わりとニューヨークパンクの影響が大きかった(Patti Smithなども)
ミチロウ自身がギターを弾くとフォークの癖が出る
『Stop Jap』('82年発表)でレコ倫と揉めたせいもあって、歌詞の抽象的な傾向がさらに増していく
『虫』('83年発表)の頃はDISCHARGE(一番好き:混沌とした鉛のような感覚)やG.B.H.を聴き始めていた
『Fish Inn』('84年発表)発表後のあたりから、JOY DIVISIONやBAUHAUSに強く惹きつけられ始めていて、『Stop Jap』や『虫』の世界とは決別したくなっていた(『虫』と『Fish Inn』の間に出したソロ・カセットブック『ベトナム伝説』('84年発表)のあたりから)
THE DOORS〜Patti Smith〜JOY DIVISIONは自分の中ではつながっている。その路線を意識して『Fish Inn』を作った。自分にとってはむしろこちらが自然なもので、『Stop Jap』などは「突然出てきた」ものだった。
メジャーデビュー後も音楽的な制約はなかった。
『Trash』('81年発表)の方が自分達にとっての王道で、『Stop Jap』は寄せ集めだつた。
最後のスターリンはグランジバンドをやりたくて解散した。DINOSAUR JR.などに強く惹きつけられていた。(これもBAUHAUSなどの流れ)
その後はソロ・アコースティック・スタイル(アンプラグドなパンク)が肌に合うことに気付き、それを続けている。
(「天国の扉」がきっかけ)
「ザ・」というのには凄くパンクなイメージがあって、それがない「スターリン」は、自分にとって普通のロックバンドという感じになり、あまり音楽性は絞り切らない、何でもあり・ミクスチャー的なイメージがあった
バンドをやるんだったらどういう音楽性であろうとスターリンという名前を使おうと考えていた
遠藤ミチロウインタビュー(ototoy:2011.8.15のプロジェクト FUKUSHIMA!に際して)
遠藤ミチロウインタビュー(1997.8.6)
「独り」というイメージが強く、家族というものなどにはどうしても馴染めない
自分達が生贄になることにより、客の潜在的な意識を引き出す(→客も自分達も興奮する)
遠藤ミチロウインタビュー(2012.3.11)
プロジェクトFUKUSHIMA関連
遠藤ミチロウインタビュー(1994.6.8)
インディアンの話
居留地(3回目)で歌ったのがソロ・アコースティック・スタイルの始まり
遠藤ミチロウインタビュー(1983.7.1.)
吉本隆明に惹かれるのは「絶対に独りでやる」ところ
日本のロックバンドで日本というものにこだわったのはジャックスだけ:初めて出会った考えさせられる音楽
遠藤ミチロウインタビュー(2006年)
共同幻想的な場で歌を持ち出すのは、歌の自殺行為だと思っている
遠藤ミチロウインタビュー(2007.9.1.)
遠藤ミチロウインタビュー(2007.9.6.)
ジャックスに出会うことで音楽に目覚めた
旅が好き(一人旅)