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プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界:参考資料集【テクニカル・スラッシュメタル篇】(内容説明・抄訳更新中)

こちらの記事
の具体的な内容・抄訳です。


【テクニカル・スラッシュメタル

Ron Jarzombek関連(WATCHTOWER〜SPASTIC INK〜solo〜BLOTTED SCIENCE)
CORONER
BLIND ILLUSION
PSYCHOTIC WALTZ
TOXIK
HOLY TERROR
REALM
DYOXEN
PARIAH
DEATHROW
MEKONG DELTA
ANACRUSIS
SACRIFICE
OVERTHROW
THOUGHT INDUSTRY
DECISION D
NEVERMORE
VEKTOR

(内容説明・抄訳のあるものは黒字にしています)


CORONER(スイス)》


Tommyインタビュー(2010.7.2.:再結成発表直後)
この時点では再結成というつもりではなかった(これ以前も何度も否定している)・アルバム制作の意志もなかった(どういう気分になるかはわからないが)
CORONERの人気が一番ある国はフランス(→2011年のHellfestで再結成ライヴ)
このインタビューの時(2010年Hellfestにおける69 CHAMBERSの出演後)はまだリハーサルもしていない(RonとMarquisは10年以上演奏すらしていない)
コンピレーション『Coroner』はレーベルとの契約のために作られたもので、その時CORONERは既に解散していたし、(2/4の)新曲の制作時にはMarquisは2年ほどドラムスを演奏していなかった
解散した理由:Noise Recordsのサポート不足、飽きた(メンバー間の不和はなかった)
「New Sound Studio」(スイス最大のスタジオの一つ)を経営、プロデューサーとしての活動を主としていた


Markyインタビュー(2011.12.21)
Marky:完全独学で、正統な教育を受けてはいない
 (note: the intro to Totentanz is a cover of Bourrée by French composer Robert de Visée)
影響源:John Bonham(『Physical Graffiti』)、Stewart CopelandTHE POLICE)、Buddy Rich
「Heavy Discos」(メタルを流す)からシーンが立ち上がった
「Music Land」(Zurichにあったレコード店):VENOMや初期METALLICAなどがそこから広がる、Tom G.(HELLHAMMER始動済)ともそこで出会った
はじめは5人編成(TWISTED SISTERやMOTLEY CRUEのようなのを演奏)→Marky兵役のため停止('84年、半年)→本活動のトリオに
ボーカリストと2人目のギタリストを探したが困難だった
'86年のUSツアー(CELTIC FROST、VOIVOD、RUNNING WILDと)
奥様は日本人
TommyとMarkyがCELTIC FROSTのローディーを経験(USツアー:2ヶ月中ホテルに泊まれたのは数度きり)
最初のツアーはKREATORと('89年)
最初の4〜5年は週に6日はリハーサルしていた:その成果がアルバムの変遷(1st→2nd)にも出ていると思う
「No More Color」時はTHE DOORSをよく聴いていた(他の2人は知らない):従来のクラシック影響下路線から転換しつつあった
(インタビュアー:アンダーグラウンドシーンに目を向けなければ90年代のメタルは低調に思えるのも仕方ないのかもしれない)
CORONERの「芯のある変遷」をPOLICEになぞらえる:その変遷が一般の理解を越えた所に行ってしまったのを自覚したため活動を停止した
メンバー間の仲はいいが、同じラインナップで演奏を続けるのには飽きた
APOLLYON SUN:金の絡んでいるバンド活動へのプレッシャーや、私生活の問題(恋人との破局など)により、活動を楽しめず、脱退してしまう

仕事:グラフィックデザイナー(Zurichのアートスクールに5年通っていた)(コンピューターの前に座り続けるのに疑問を感じた)→APOLLYON SUNのベーシストに紹介され、現代アートインスタレーションを作る手伝いをしたり、Zurichの美術館で現代アートの制作手伝いをするなど、世界中の著名な芸術家とともに作業している

電子音楽の活動(Zurichの優れたアンダーグラウンド・クラブ・シーン):『Spoon』(プレイステーションの音楽のみでプレイ)『KnallKids』(Knallは英語で“Bang!”)(ハウス)
Tommyから声を掛けられてはいたが、再び自分の手でドラムスをやってみようと思うまでには、4年ほどの時間を要した
シーンの動静は全くつかめていない(Tommyはつかめている)

人間関係は良好
アルバムを作らなくていい・ツアーだけでいいことの気安さについて言及(後にアルバム制作を拒否して離脱)
アルバム制作をしない理由(真顔になって):毎日の仕事がある(Ronは会社勤め、Marquisはアートコレクターの手伝いで小さな娘もいる、Tommyはスタジオの仕事で極めて忙しい:そのやり方だと時間がかかりすぎる:新曲を一つだけ作ってlive-footage DVDに入れることはできそう)
ツアーはサポートミュージシャン(キーボード・サンプラー担当で'96年の最終ツアーにも同行、今回のツアーではヘルメット・カメラも着用)付きの4人編成


Marquis Markyが2014年2月末に脱退
(アルバムの制作を拒否)したという声明


インタビュー(2014.10.18)
Tommy:バイオリン(3年)→Jimi Hendrix、ペダルボリュームとワウ以外エフェクトは使わない
Ron:サッカーの道を諦めて17歳からベースを開始(「4弦だからやりやすいだろう」)、Geddy Lee(RUSH)を意識してベース兼ボーカルを練習、友人のハンドメイドによるベースを使い続けている(初めてのベースSohnはあまり良くなかった)
Diego Rapacchietti:1%の才能と99%の練習


DBCDEAD BRAIN CELLS)(カナダ)》


Eddie Shahiniインタビュー(2005)
1st『Dead Brain Cells』('87年発表)のときは、Randy Burns(MEGADETHやSUICIDAL TENDENCYなどと一緒に仕事)をプロデューサーにすえ、予め用意してあった曲をもってスタジオに臨んだ。録音はドラマー以外のメンバー全員が初めてで、ノウハウをいろいろ学んだ。

1stも2nd『Universe』('89年発表)も良い評価を得たが、レコード会社のサポート不足により、アメリカ合衆国内のプロモーションは不十分で、ヨーロッパへのツアーは(それが夢だったが)実現しなかった。

Combat Recordsのために3曲録音し、それに納得しなかったレコード会社の指示でさらに3曲録音した('90〜'91年:『Unreleased』として'02年に発表)。同時期に、当時人気が出てきたフォーマットであるミュージックビデオを作るために、契約した額以上の資金をレコード会社に要求したが、北アメリカの経済状況が良くなくなっていたこともあり、Combat Recordsは契約を解除した。その後いくつかのレコード会社と話はしたが、どれも実を結ばなかった。そうしたことにより、'91年に解散した。

Gerry Ouellete(オリジナルメンバーのギタリスト)が'94年に亡くなったときは、彼が数年前からAIDSを患いついには完全に発症していたことを知っていたため、驚きはしなかった。しかし、自分にとっては5年生以来の友人で、ともに一人っ子だったこともあって兄弟のように親しかったから、とても悲しかった。DBCの曲を自分達が演奏するときはいつも彼に捧げている。
『Unreleased』はGerryの人生と記憶、音楽に捧げた作品で、いくつかの曲はバンド史上最も優れたものだと思う。自分はこの方向性が好きだった。

'03年の大晦日にはDaniel Mongrainを加えた編成でライヴを行ったが、これは「1度きりのショウ」ではない。今年('05年)の6月にはトリオ編成でモントリオールでのライヴを行った。年末の12月5日には、モントリオールのMetal Massacre Festivalで演奏する予定。80年代から活動する7つのカナダ出身バンドとともに出演する。間違いなく面白いものになるはず。

DBC以外のプロジェクトは抱えていない。新しい作品を出したいという意思はある。

本業はグラフィック・アーティストとウェブデザイナー。フルタイムで会社勤めしていて、夜にフリーの仕事を入れている。

メンバー全員が仕事をもっているし、自分は小さな娘がいて、12月にはさらに子供が生まれる。そのため、ヨーロッパツアーをするのは難しい。しかし、ヨーロッパに行くのは夢なので(子供の頃に行ったきりでまた行きたい)、演奏するためでないとしてもぜひ行きたい。これを読んだ誰か裕福な人が費用を出してくれるなら、我々は喜んでツアーしに行く。

「The Genesis Explosion」(2ndの1曲目)が携帯電話(“cell” phone)のCMに使われたのはJeff(ドラムス)のツテ。広告代理店の担当者がこの曲を好きで、Jeffを通して話をもってきて決まった。その携帯電話の名前を冠したショウもやり、自分達にとって大きなプロモーションになった。

仕事や家庭、バンドで忙しいが、それをするのは好き。1stや2ndの再発をし、Tシャツも作る。
('06年から加入するギタリストのQuinnの名前がサポートとしてあげられている)


Eddie Shahiniインタビュー(2014.4.8)
KILL OF RIGHTS('09〜/ 1stは'14発表)について:スラッシュメタルの影響は確かにある。DBCよりストレートで印象に残りやすいスタイルを志向している。
かつて書いたもののDBCには使わなかったリフをいつも意識していて、DBCの再結成を機に、それを集めた作品を作りたいという意欲が高まり、新たなバンドを結成した。
音数を多くしすぎて印象に残らないものでない、キャッチーさを備えた曲作りを、全曲に渡ってするよう心がけた。

Jacques Dupuis(ボーカル)のバックグラウンドはハードコアで、歌詞もどうしてもそうした観点からのものになる。自分としても、歌詞は(未来の世代のためのスナップ写真として)いま何が起こっているかということを反映したものになるべきだと考えている。
アルバムのうち1曲は、DBC用に作って発表していなかったアイデアを用い、Jacquesに加えゲストボーカル(Snake(VOIVOD)やPhil Dakin(DBC)、Vince Peake(GROOVY AARDVARK・GRIM SKUNK)ら)を起用して、ケベックの80年代メタルシーンへのトリビュートとした。

DBCの新しいアルバムを作る予定はないが、3曲入りのEPを楽しんで作ってみようという話はある。それが実現するのなら、過去3作のスタイルを融合させたものになるのではないかと思う。
メタルフェスHeavy Montrealに出演するのが夢。

DBCの再発盤(1st・2nd)では、小さすぎた音量を現在の水準となっている大きさに修正した。

『Universe』('89年発表)では、まず第一に、世界初のメタル・コンセプトアルバム(PINK FLOYD『The Wall』のような)を作りたかった。
QUEENSRYCHE『Operation :Mindcrime』は'88年発表)
アルバム全体のテーマは科学的事実に基づいていて、最後の曲だけはフィクションで、未来の人間がどうなっているか、という予測を描いている(Philのアイデア)。製作時は互いのミュージシャンシップをよく把握していて、各自が大量のパートを憶えられることがわかっていたため、アルバムは極めてテクニカルな仕上がりになった。1曲のなかでどれだけ多くのリフを演奏できているかということや、バンドがこういうジャズやクラシックの要素を持ったメタルスタイルに進化していったことを、人々に見せつけたかった。

自分は伝統的なメタルの歌い方をして欲しかったが、ある一箇所でPhilが提案し良い感じの効果を生んだ歌い回しを聴いたGarth(プロデューサー)が、アルバム全編でそれをやってほしがった。自分はそれを好まなかったが、Philは同意し、このような仕上がりになった。(デモは普通の歌い方をしている。)これはこれで特徴的なものになっているけれども、自分としては思い残すところがある。

『Dead Brain Cells』('87年発表)は、当時聴いていたSLAYERやハードコアなどから影響を受けている。メタルリフとハードコアのエネルギーとの組み合わせが好きだった。『Universe』製作時にはミュージシャンとして異なるレベルに達していて、スタイルはだいぶ変わっていた。

『Universe』で成し遂げたことに満足してはいたが、それに対する反応は芳しくなかったので、もっとわかりやすく印象的なものを作ったほうがいいのではないかと考えた。『Unreleased』('91年録音・'02年発表)が『Universe』のスタイルを受け継がないストレートな作風になっている背景にはそうした経緯がある。

Gerryは血友病を患っていて、HIVに汚染された血液を輸血することでAIDSに罹患し、それにより亡くなってしまった。(1994.11.12没)

ケベックでは(世界の他の地域とは違い)メタルが廃れたことはない。カナダで最もメタルが盛んなシーン。


OVERTHROW(カナダ)》


Nick Sagiasインタビュー(2010.8.17)
各人が異なるバックグラウンドを持つ
全体としては、KREATORやDARK ANGEL
歌詞的には、Gene Hoglane(DARK ANGELの『Darkness Descends』『Leave Scars』)の影響が大きい
音的には、ジャーマン・スラッシュ(DESTRUCTION、SODOM、KREATOR、HOLY MOSES、KREATOR)、ベイエリアのバンド(POSSESSED、VIO-LENCE)、カナダのバンド(SACRIFICE、VOIVOD)、SLAYERなどの影響が大きいと思う

わりとストレートだったデモ『Bodily Domination』に比べ、フルアルバム『Within Suffering』の製作時には、遅いパートも織り交ぜたテクニカル志向が強まっていた

制作時間節減のために、ベースとドラムスは一緒に録音した

NickがPESTILENCEに参加するためにオランダ行きを決めたため、OVERTHROWは解散することになった:それ以前に音楽的方向性の違いがあって新曲の製作が進んでいなかった
(Nick(ベース)とWayne(ドラムス)はOBITUARY『Slowly We Rot』のような遅いデスメタルに惹きつけられ、一方でギターの2人(IanとKen)はSLAYERやMEGADETHのようなスタイルを志向していた。チューニングを下げるか否かということや、Nickのボーカルスタイルの変化(スラッシュ寄りからデスメタル寄りへの変化)についての議論などもあり、方向性がまとまらなかった。)

PESTILENCEへの加入(4曲入りのデモ『Out of The Body』を録音):Martinの代役としての加入(第1候補だったSUFFOCATIONのJosh BarohnがAUTOPSYに加入したためお鉢が回ってきた)
ベルギーでOBITUARYやMORBID ANGELの前座としてライヴ出演したりもした

PESTILENCEの3rdアルバムを録音するためにフロリダ・タンパに向けて出発する前から、Patrickと「続けるか否か」の話し合いはしていた。Morrisound StudioではちょうどATHEISTが2ndアルバムを録音していて(OVERTHROWもフルアルバムをここで録音していて、その当時CYNICやATHEISTとの共演ライヴを企画しようと試みている)、そこにいたTony Choyの素晴らしさをPESTILENCEに紹介。そこでベースを交代することになる。
(オランダにいる時から既にSOULSTORMとしての素材を作り始めていた)

オランダでPESTILENCEにはそぐわない曲を書いていた時、既にテクニカル志向ではなく雰囲気志向の音楽性に興味が移っていた。
PESTILENCEが3rdアルバムを録音する間、6週間フロリダに滞在しなければならなかったので、バンドを組み、『Control』デモとなる素材を作った。

この時にはCELTIC FROSTの影響が前面に出てきていて、自分を含むバンドメンバーはCARCASS、OBITUARY、MORBID ANGEL、ENTOMBED、GODFLESHなどを聴いていた。
(インダストリアル寄り(SWANS、Einstuerzende Neubauten、MINISTRYなどに影響を受けた)の方向に行きたかったというのもある。シーンにおいてはGODFLESH以外にそういうことをやっているものはいなかった。)