【2020年・メタル周辺ベストアルバム】中編 歴史と共振、様式美と革新
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【一覧】
Black Curse
Ulcerate
GreVlaR
Eternal Champion
Rebel Wizard
Sweven
Lugubrum
Ulver
Black Curse:Endless Wound(2020.4.24)
「デスメタル」というと一般的には “ただ単にうるさい音楽”の代名詞的存在であり、その意味において今やかつての「ヘビメタ」とほぼ同じ立ち位置にある。これは『デトロイト・メタル・シティ』(特に実際に楽曲が流れる映画のほう)のような作品の影響が大きいと思われるが、その背景にはやはり「デスメタル」というジャンル名のキャッチーさというか、そういった音楽を実際に聴いたことがなくても「死」「金属」だからヤバそうだなと感じさせる言葉そのもののイメージ喚起力があるのではないだろうか。「メタル」と呼ばれる音楽が具体的に指し示すものも時代の経過につれて変化し(註1)、マキシマムザホルモンやそれに通じるメタルコア的なスタイルが一般的な「メタル」だと(メタルファンだろうがそうでなかろうが一定以下の年齢層には)認識されるようになった昨今では、「デスメタル」が本来指し示す音楽とその“一般的な「メタル」”のサウンドはあまり離れていないわけで、そう考えてみると、いわゆる音楽ファンでないリスナー層(つまり社会全体)の音楽一般に対する“このくらいのラウドさなら許容できる”水準が過去に比べ明らかに高くなりメタル的なうるささが広く浸透してきたこと(これは本記事前編のGhostemaneやPoppyの項に通じる話でもある)や、それと並行してメタルが“過激さの表現”としての社会的インパクトを減じてきていることを実感させられるし、そうした状況を経てなお(またはそうした状況だからこそ)“うるさい音楽の代名詞”となりうる「デスメタル」という言葉の強さに感嘆させられたりもする。メタルの領域を越えて話題を博したディスクガイド『デスメタルアフリカ』(註2)で扱われているバンドの大半が音楽スタイル的にはデスメタルではないというのが(これは編集者がブルータルデスメタルに精通していることを考えると“わかっていてあえてやっている”のだということもあわせ)実に象徴的だし、POSSESSEDやDEATHのようなバンドが編み出したDeath Metalというフレーズがサブジャンルのお題目として未曽有の繁栄を導いたのも当然の流れなのだなと納得できるわけである。
そうしたジャンル名のイメージとも少なからず絡む「デスメタル」の実像を一言で表すなら、「音楽的に高度でありたいという知的欲求とうるさく破壊力のある音を出したいという衝動的欲求、その2つの志向を両立させるための音楽スタイル」ということになるだろう。近現代クラシックやジャズにも通じる高度な楽曲構造に暗く残忍な歌詞およびアートワークを掛け合わせることで表現上の説得力を持たせ(これは現代音楽がホラー映画の劇伴に重宝されそこが発展の場にもなってきた歴史的経緯にも対応することだろう)、それを軽々弾きこなす圧倒的な演奏技術をもって具現化する。音楽における破壊力に直結する要素である速さ(または遅さ)・重さ・騒々しさは過剰に強調され、ライヴ現場の爆音で培われた音量の基準感覚がスタジオ音源に反映される(註3)こともあわせ、繰り返し接して慣れなければ何をやっているかすら聴き取れない極端なサウンドプロダクションが生み出される。以上全ての要素を美しく両立した初期MORBID ANGEL(1989年発表の1stフルは永遠の名盤)を筆頭に、このジャンルを代表するミュージシャン達は1バンド1ジャンルとも言えるような個性的な新境地開拓を重ねており、それらを踏まえた後続が上記の各要素を洗練していくことにより、混沌を損なわず整理する手法の蓄積を伴うジャンル全体としての発展がなされてきた(註4)。80年代末に形成されたこのジャンルが10年単位で存続していくと、それに伴う歴史的視座、ファンとしての先達への憧れ、傑作が見過ごされリアルタイムでは正当に評価されない状況への鬱憤や反骨心などが培われ、先行研究を踏まえた音楽的探究が行われるようになる。ここ数年で注目されるようになってきた初期デスメタル(OSDM:Old School Death Metal)リバイバルの背景にはそうした積み重ねがあり、再評価を実現させることを表現上の原動力として新たなオリジナルを生み出してしまう優れたバンドが多数出現してきている。理想的な循環を成立させているジャンルだと思うし、それだけに追っていくのが本当に面白いシーンなのである。
BLACK CURSEはその初期デスメタルリバイバルの中でも特に注目されるバンド群(BLOOD INCANTATION、SPECTRAL VOICEなど)のメンバーで構成されたグループで、そうしたバンド群が様々な角度から取り組むフィンランドの初期デスメタル(いわゆるメロディックデスメタルでないもの)をVENOM~CELTIC FROSTやMASTERあたりのハードコア寄りメタル~1st Wave of Black Metal的なラインから再構築するような探究を驚異的なクオリティでやっている。プリミティヴなデスメタルのlo-fiならぬraw-fiなサウンドは最高の仕上がりだし、勢い一発で突っ走っているようでいて繊細なニュアンス表現に満ちた演奏も隅々まで素晴らしい。本稿前編最後のNAPALM DEATHの項でふれたようなハイコンテクストかつキャッチーな音楽性、批評をするのは難しいが「一見さんお断り」には必ずしもなっていないつくりをマニアも納得させるバランスで達成した一枚。歴史に残るレベルの傑作だと思う。
ジャンル論的なことも含めた詳説はこちら:
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1255855250621120513?s=21
註1
メタルファンであっても世代によって音進行などの好みが異なる傾向があるなどこのあたりの話は非常に興味深いのだが、この項の主旨からは逸れるのでさておく。
参考:
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1285210089989656576?s=21
註2
『デスメタルアフリカ』出版に際し2015年10月16日に開催されたトークイベント「デスメタルアフリカンナイト」の一部始終
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/654956138178281477?s=21
註3
これも本稿の主旨からは外れるのでさておくが、コロナ環境下でライヴ体験ができない状況が続いた結果、現場の過剰な大音量(耳栓があって初めてまともにフレーズを聴き取れるようになるくらいの)を体験したことがないミュージシャンがそうしたジャンルの音楽をやることにより、一般的な家庭環境での音量基準(爆音を出せない)およびそのもとで再生された音源(音量面でのインパクトが付加されない)に対応する感覚のみを土台に構築された作品が多数リリースされるようになり、コロナ環境以前と以後とで音楽の在り方が(表面的には同じようでも)根本的に変わってしまう、ということが生演奏・DAWを問わず様々なジャンルで起きてくるのではないかという気もする。
註4
このようなジャンルの発展に伴う初期衝動とスポーツ化とのせめぎ合い(いわゆる「初期デスメタル」と「ブルータルデスメタル」の違い、支持層の間にある溝など)については拙ブログのCRYPTOPSYの項を参照
https://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/04/131054
Ulcerate:Stare Into Death And Be Still(2020.4.24)
前項のBLACK CURSE(に関する連続ツイート)で詳説したraw-fiサウンド(ライヴの爆音の身体的衝撃/快感を可能な限り損なわず録音作品に捉えるための生焼き的にきわどい音作り)およびそれを活かすための単音フレーズ中心のリフ進行は確かにデスメタルの主流のひとつだが(バンドによっては聴き取られることを期待せずに「不協和音+劣悪な音質」という組み合わせを選ぶ場合も少なからずある)、それとは別に、複雑な和声構造や速く入り組んだメロディ進行を明確に伝えるために比較的クリーンな音作りをするテクニカルなバンドも存在する。GORGUTSが1998年に発表した歴史的名盤『Obscura』はその好例だし(註5)、それに影響を受けたバンド群もそうした性質を程度の差こそあれ引き継いできた。今年発表されたアルバムでいえば、ASEITASやPYRRHON、NERO DI MARTEなどはいずれも稀有の達成をしていたし、こちら方面で最高のバンドという定評のあるULCERATEも素晴らしい作品を届けてくれた。4年ぶりの新譜となったこの6thフルアルバムはギタートリオがマーラーの交響曲を歌い上げるような音楽性で、薄暗くくぐもりながらも各パートの動きを明瞭に見通せるように磨き抜かれた音作りの助けもあって、高度に入り組んだ楽曲構造や演奏の全てを快適に吟味できるようになっている。クリスチャン・スコットやBohren und der Club of Goreのような近年のジャズにインスパイアされたという手数一辺倒にならないドラムスは特に興味深い。超絶技巧を全開にしながらもそれらを一切無駄撃ちせず伝える意欲と配慮に満ちた傑作。
詳しくはこちら:
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1253645537363914752?s=21
註5
GORGUTSの絶対的リーダーであるLuc Lemayの音楽遍歴については拙ブログで詳説
https://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/04/131420
GreVlaR:Disposal of Unhumankind(2020.3.10)
前2項では現在の「デスメタル」というカテゴリにおける基本的な在り方についてふれたが、その黎明期はこうした傾向から外れるミュージシャンも多かった。ジャンルが形を成し始めた80年代末頃のデスメタルは音楽的には殆ど何でもありで、スタイル形成の母体となったスラッシュメタルの型を土台としながらも他の様々な音楽要素を無節操に取り入れ個性を確立しようとする風潮があった。それにあたっては自身の演奏技術では手に負えない難度のフレーズに取り組む者も多く、CARCASS(註6)のドラマーだったケン・オーウェンなどはそういう無茶をやるからこそ生み出される唯一無二の味わいで後続に絶大な影響を与えた。前2項で示したような(技術的洗練を要する)傾向はこの時点ではあまり固まっておらず、そこから外れる破天荒な個性をもつものが多かったわけで、それがいわゆる初期デスメタルの魅力に繋がっていた面も少なからずあったのである。
ただ、ジャンルが歴史を重ね「こういう音楽をやるにはこれくらいの技術が必要だろう」ということが予め想定できるようになってしまうと、それがある種の参入障壁になり無謀な挑戦をする新人が現れにくくなる。IMPERIAL TRIUMPHANTのリーダーであるイリヤの発言「デスメタルも好きなんだけど、自分にとってデスメタルは常にブルータルさ(残忍さ)と技術的熟練が必要で、それに対してブラックメタルは自分が良いか悪いかなんて気にせず、自分達が目指す雰囲気を表現するだけなのがいい」(註7)はそうした状況を言い表したものでもあるだろう。現在のブラックメタルの直接的なルーツと言える90年代前半のノルウェーシーン(いわゆる2nd Wave of Black Metal)も音楽的に何でもありという点では初期デスメタルと同様だが、デスメタルの技術志向を否定するところから出発している面もある(その上で驚異的にテクニカルなプレイヤーが素人レベルのプレイヤーと当たり前のように組んで活動しているのが面白い)ブラックメタルは参入にあたっての敷居が圧倒的に低い。一人多重録音で制作を完結するミュージシャンがブラックメタルには非常に多いのにデスメタルにはあまりいないのも、前者の個人主義傾向が強い(註8)という以前に、各々のジャンルにおいて意識される技術水準に大きな違いがあり、デスメタルの各楽器に期待される技術を個人が生演奏で網羅しきるのは困難だという事情が関係しているのではないだろうか。デスメタルは極端で反社会的だというイメージを抱かれやすいけれども、音楽のテーマとしては確かにそうでも演者のパーソナリティはそうでない場合が多い。卓越した技術を時間をかけて磨き上げる勤勉さ、他者とバンドを組んで活動するためのコミュニケーション能力など、デスメタルはある程度の社会性がないと続けられない音楽なのである(註9)。
しかし、そうした状況を踏まえてもなお以上のような傾向から外れるミュージシャンやバンドも存在する。コズミックデスメタルの始祖として再評価が進むTIMEGHOULが1992年に発表した1stデモ(このバンドが活動中に制作した音源は2枚のデモのみでそれらはともに名作)にギタリストとして参加したマイク・スティーヴンス(註10)はその数少ない好例で、この人は現在GreVlaRという名義で“ひとりデスメタル”活動を行っている。近年まで(少なくともメタルの領域では)CAUSTICというバンドのデモ1作を除きミュージシャンとしての記録を殆ど残してこなかったマイクは、2014年に始動したというGreVlaR名義での1stフル『Levitating Phosphorescent Orbs』を2018年末にリリース、今年になってからは3月に2ndフル『Disposal of Unhumankind』を、そして9月には3rdフル『Cloud of Death』を発表するなど何かのスイッチが入ったように活発な活動を開始。その音楽性はCHROMEがPESTILENCEやGORGUTSを演奏しているような感じで、艶やかだが荒々しい演奏および音作りで特殊な音進行を録り整えずに放り出したようなサウンドはアシッドフォーク的脱力感と初期デスメタル的な無鉄砲さを濃密に同居させている。後期CARBONIZED(註11)にも通じる怪しい力加減は“個人のクセやヨレが複数パート間で共有され足並みはともかく息は合う”一人多重録音だからこそ可能になると思われるもので、AMON DÜÜLやSPKなどにも通じるプリミティヴなコミューン~インダストリアルノイズ的パートが醸し出す異様な雰囲気も含め、初期TIMEGHOUL的なコズミックデスメタルの流れにありながらもここでしか聴けない謎の個性を確立している。GreVlaRのこうした音楽性はこのジャンルのマニアであっても初めて聴いたときは当惑すること必至だが、Sci-Fi Metal(SFメタル)とも言われるこの手の音楽スタイルの始祖であるVOIVODがバンド全体として似た感じの“在り方レベルで浮いた感じ”をまとっていたことを考えれば、ある面では本当の意味での正統後継者と言えるのかもしれない。自分は「変態を自称する者の99%は表面的に奇を衒っているだけで在り方としては凡庸」「何かを“変態”と評すのは表面的な奇妙さに気をとられている状態または具体的に読み込み理解するのを放棄する姿勢の表れで好ましくない」と考える立場で、異様な見かけをしたものを軽々しくアウトサイダーアート的に扱い好奇の目をもって距離を置きつつ楽しむようなことは極力避けたいと考えているのだが、このGreVlaRに関しては“本物”と言わざるを得ない凄みと説得力を感じる。30年にわたり我が道を行くミュージシャンがデスメタルというアートフォームを選んだ(選んでしまうことができた)からこそ可能になる稀有の傑作群といえる。
以上のような“アウトサイダーアートとしてのデスメタル”枠に入りうる今年の作品としてはOKSENNUS(註12)やKhthoniik Cerviiks(註13)も凄かった。黎明期と比べれば定型的なバンドの比率が増えてくるのはどんなジャンルでも避けられないわけだが、その上でいまだに豊穣の海としての面白さを多分に残し続けている素晴らしい領域だなと実感させられる。
註6
CARCASSについてはこちらで詳説
http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/04/120134
註7
ech(((10)))es and dust「INTERVIEW: ZACHARY ILYA EZRIN FROM IMPERIAL TRIUMPHANT」
(2020.8掲載)
https://echoesanddust.com/2020/08/zachary-ilya-ezrin-from-imperial-triumphant/
註8
DIES IRAE「ブラックメタル対談2020」における以下のやりとりはブラックメタルとデスメタルの傾向の違いをよく表しているものだと思う。
こるぴ:ファンジンを作ってる方の経験でも、海外のバンドのインタビューを取り付けるのが一番大変で苦労するって仰っていました。デスメタルの方はどうですか?
ゲルマニウム:デスメタルの方はみんなファンジン好きなので、中の人もやってるし。全然やってくれるっていうか、凄い良い人が多いんですよ。ブラックメタルの排他性とはちょっと違う感じです。
田村:ブラックメタル界は変人が多い(笑)
こるぴ:基本的に、人間嫌いですからね。
https://blog.livedoor.jp/needled_2407/archives/52206579.html
註9
卓越した技術と異様な発想力を持ってはいるが人付き合いは得意でなくアルバムごとにメンバー交代を生じさせてしまうワンマンリーダー的ミュージシャンも少なからず存在し、個人の能力が突き抜けて優れていれば社会性がなくてもバンド形態の活動を続けてしまえることを実証している。PESTILENCEなどはその好例だろう。
http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/04/162431
註10
Metal Archives - Mike Stevens
https://www.metal-archives.com/artists/Mike_Stevens/103110
註11
CARBONIZEDについてはこちらで詳説
http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/04/120520
註12
OKSENNUSについてはこちらで詳説した。ここ2年の作品についてはここではふれていないが、メタル要素を大幅に減じたり1人ユニット化したことなどもあってか更に訳のわからない方向(作品によって仕上がりが全然異なる)に進んでいて本当に凄い。
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1008674359953592320?s=21
註13
Khthoniik Cerviiksについてはこちらで詳説
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1289907528311087105?s=21
Azusa:Loop Of Yesterdays(2020.4.10)
本ブログが2015年3月9日に立ち上げた(かなり網羅した上で現在は停止中の)企画『プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界』の冒頭(註14)には以下のような宣言文がある。本項と直接関わってくる内容なのでまずはそれを引用させていただきたい。
この稿では、いわゆる「ヘヴィ・メタルの様式美」から大きく外れた、高度で個性的なメタルについて紹介しています。
「ヘヴィ・メタル」というと、80年代初期に音楽メディアなどによって付けられた印象の名残から「ワンパターンで変化のない音楽」というイメージがありますが、実際は全くそんなことはありません。
ある種の硬く肉厚な音作り(特にギターやドラムスの質感)さえ備えていれば、どんな音楽性であっても「メタル」扱いされるものになり得ます。実際、「メタル」シーンで語られる音楽の中には、ハードコアパンク寄りの躍動感を持つ(体を突き動かす)ものから、アンビエントに流れていく瞑想向きの(フィジカルには殆ど作用しないがメンタルに効く)ものまで、ありとあらゆるスタイルのものが存在します。
そういう意味で、「メタル」シーン(特に'90年付近)の音楽的広がりは、「ロック」シーン全体の最盛期としてよく語られるプログレ('70年代)やオルタナ('80年代)のシーンにも匹敵します。技術と個性を高度に両立したバンドが数多く存在し、音楽史上においても屈指といえる傑作が量産されているのです。
また、特に「テクニカル・スラッシュメタル」「プログレッシヴ・デスメタル」と呼ばれるシーンは、ある意味「音楽的に成功したフュージョン」と言えるものでもあります。
70年代以前のいわゆる「モダン・ジャズ」のシーンで(Miles DavisやJohn Coltraneなどによって)道筋のつけられた音楽理論は、それ以後のいわゆる「フュージョン」シーンにおいて、より高度で複雑なものに発展させられました。しかし、それを使う人の多くは、「複雑だが教科書的な」「“自分の頭で考えない”」ワンパターンな音楽しか生み出せず、音楽的必然性の伴わない衒学をこねくりまわすような傾向に陥ってしまいました。「フュージョン」が「凄いけど魂がない」「お洒落だけどつまらない」と言われがちなのは、そういうところに大きな理由があるのではないかと思われます。
そうした「フュージョン」のシーンが一通り発展し硬化した(限られたパターンの「様式美」を使い回す傾向に縛られるようになった)後に、全く別のところから現れたのが、先に述べたような「テクニカルスラッシュ」「プログレデス」の流れです。フュージョンやプログレにおいて得られた音楽的収穫を、優れたアイデアをもって個性的に使いこなしているバンドが多く、ある意味、そうしたシーンの“正常進化”形とさえ言えるのです。
例えば、Ron Jarzombek(WATCHTOWERほか)は、John Coltrane〜Michael Breckerなどによって掘り下げられた複雑なコードワークを独創的なものに仕上げ、“教科書的なつまらなさ”のない個性的な音楽を生み続けています。
また、CYNICやMESHUGGAHのようなバンドは、Allan Holdsworthが殆ど独力で編み出した無調的な音遣い感覚を独自に発展させ、後進に大きな影響を与えるだけでなく、同じ方向性で超えることが不可能と思えるくらい傑出した作品を生み出しました。
このシーンにはそういう偉業を成し遂げたバンドが数多く存在し、「1バンド1ジャンル」といえる様相を呈しています。音楽的興味深さと表現力の豊かさをハイレベルで両立しているという点では、モダンジャズやブラジル音楽の全盛期にも劣りません。掘る価値の高い、金脈と言えるシーンなのです。
この稿では、「メタル」というジャンルの外からも中からも注目されづらいそうした優れたバンドについて、歴史的な流れを踏まえつつ網羅しようと試みています。
ここでふれた歴史的な流れは今読み返しても誤りでないと思うが、いわゆるプログレッシヴデスメタルやその(MESHUGGAHに絶大な影響を受けた上での)発展形であるジェントが今なお「教科書的なつまらなさのない個性的な音楽」であり続けることができているかというと疑わしい部分も多い。60年代末に同時多発的に発生したジャンル越境的なロック周辺バンド群に共通する在り方、すなわち既存のフォームを打ち破ろうとする姿勢を指していう「プログレッシヴ」という言葉と、そうしたバンド群に影響を受けたRUSH(註15)やDREAM THEATERなどが魅力的な形で確立した変拍子のキメ連発+シンフォニックなアレンジといった具体的な音楽スタイルを指す「プログレッシヴ」という言葉の意味は大きく異なり、革新と保守という立ち位置についていえば真逆とすら言える。メタル領域で用いられる「プログレッシヴ」が殆どの場合後者を指しているのをみればその言葉を冠するメタル(プログレッシヴメタル、プログレッシヴデスメタルなど)が限られたパターンの「様式美」を使い回す傾向に縛られるようになっていくのは自然な流れなのだろうし、上記のような「プログレッシヴ」が指す対象の変遷は先に引用した「テクニカル・スラッシュメタル」「プログレッシヴ・デスメタル」のシーンにもそのままあてはまる。ジャンルの黎明期の方が確立期よりも縛りの少なさの面では恵まれがちになるこうした傾向は音楽に限らずあらゆるものに通じる話だと思うが、「プログレッシヴ」と冠されない領域のデスメタルが近年は黎明期に通じる豊かさを非常にわかりやすいかたちで取り戻してきているのに対し、「プログレッシヴ」という“形容”がつきまといそれを意識せざるを得ないタイプのメタルが良くも悪くもかつてのフュージョンと同じような隘路に陥っているのをみると、ジャンルの名前はそこに関係する音楽の在り方に少なからず影響を与えるのだなということを実感させられてしまう。もちろん「様式美」にも重要な側面はあり、それを土台にすることで初めて未踏の境地が開拓可能になる場合もあるので、上記2つの「プログレッシヴ」のどちらの価値が上だとか一概に決めることはできない。ただ、革新的であろうとしているつもりでも在り方のレベルでみればどちらかと言えば保守的だったり、表面的には伝統的な要素を散りばめていて一見保守的にみえても根本的な姿勢は革新的だったりする場合もあるわけで、そのあたりはよく読み込まれなければならないのだと思う。
AZUSAは以上2つの「プログレッシヴ」の要素を併せ持つバンドで、メンバーの中では最も知名度の高いLian Wilsonが在籍していたTHE DILLINGER ESCAPE PLANの系譜として紹介されることが多いが、実質的にはEXTOL(註16)のメンバー2名、特にドラムスのDavid Husvikが長年培い引き継いできた音楽スタイルが土台になっている。今年発表した2ndフルアルバムの音楽性は中期DEATH(註17:プログレッシヴデスメタルを世に広め現在の定型を生んだという点では最大の立役者のひとつ)をKINGS Xやジョニ・ミッチェル経由でTALK TALKあたりに接続したような感じで、高速変拍子キメの機能的快感と摩訶不思議な音楽的豊かさを非常に聴きやすいかたちで両立するそのさまは、CYNICが歴史的名盤1stフルの後に試みた音楽性(1993年製作のデモ『Portal』で雛型は作られたものの正規のアルバム制作にはつながらなかった)をここにきて結実させたかのような趣もある。未知の領域を開拓し続けようとする意欲と自身の得意技(それを「様式美」ということも可能だろう)を磨き発展させ続けようとする姿勢が理想的なバランスで両立された傑作。人脈的に繋がりのあるMANTRIC(こちらも非常に優れたアルバムを今年発表)とあわせて注目されてほしい素晴らしいバンドである。
詳しくはこちら:
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1250045376775598080?s=21
註14
拙ブログ『プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界』(今となっては微妙な名前だと感じるが扱う対象の示唆という意味では悪くないとも思う)序文
http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/03/155449
註15
RUSHの音楽性についてはこちらを参照
http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/03/163257
註16
EXTOL~LENGSEL~MANTRICについてはこちらで詳説
http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/05/113635
註17
「プログレッシヴデスメタル」と呼ばれる時期のDEATHについてはこちらで詳説
http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/03/170330
【懐古と革新の場としてのヘヴィ・メタル】
Eternal Champion:RAVENING IRON(2020.11.20)
BLACK CURSEの項でも少しふれたように、近年いう意味での「メタル」のスタイルは70~80年代の「ヘヴィ・メタル」とは別物であることが多く、この領域全体を網羅する用語として使われることが多かったHR/HM(Hard Rock / Heavy Metal)という言葉も今の「メタル」を指し示すものとしてうまく機能しなくなってきているように思う。これは90年代以降のブラックメタルやメタルコアを分水嶺とした楽曲の音進行傾向(特にブルース成分の多寡)に関する世代的な好みの違い(註18)も関係しているだろうし、もっと単純にいえばサウンドの激しさの違いによるところも大きいだろう。例えばLED ZEPPELINは、60年代末では同時代のロックの中でもずば抜けてヘヴィで勢いのあるサウンドを出していたために理屈抜きに刺激的なものとして受容され、それに惹かれたファンが積極的に繰り返し聴くうちに固有の複雑な味わいを理解してしまうということが起こりやすかっただろうが、エクストリームメタル登場以降の激しさ基準に慣れた耳で接すると「派手じゃないし味もよくわからない」となりなかなかハマれないことも多いだろう。先述の世代的な好みの違いにはおそらく80年代後半のスラッシュメタル登場~デスメタル/グラインドコアへの発展も大きく関与していて、この時期にロック一般の激しさ基準(特に速さ、次いで低域の強さ)が急激に引き上げられたことが上記ZEPのような世代間の反応の違いを生み、それ以前と以降とでの「メタル」一般のイメージの変化を導いた面は少なからずあるのではないだろうか。JUDAS PRIEST(註19)は1990年に発表した何度目かの歴史的名盤『Painkiller』でこの最大の分水嶺を越えることに成功した(だからこそ今でも広い世代から崇拝される)のだが、いわゆるヘヴィ・メタル(Metal Archivesのジャンル表記では“Heavy Metal”はメタル全体でなく限定的なスタイルを指す)的な「様式美」の代表格として挙げられるIRON MAIDENのようなNWOBHM(New Wave of British Heavy Metal)やDEEP PURPLE~RAINBOW~イングヴェイ・マルムスティーン系列のハードロックはそうではなかった。一口に「様式美」といってもその全てがいつまでも広く継承されていくとは限らないし、こうした流行り廃りの面からみても、「メタル」は様式美的で変化のない音楽だというのは不適切な面もある(十分なリサーチをせずに古いクリシェだけで語る姿勢が垣間見える)言説なのである。
以上のような経緯を踏まえた上で興味深いのが、一度は隆盛を極めながらも80年代後半にはメインストリームからは完全に脱落したNWOBHM系譜の音楽性がここ数年で再び脚光を浴びていることである。もともとこのスタイルはあまり注目されなくなった時期でもその唯一無二のテイストを好むバンド群によって熱心に採用され続けており、MANILLA ROADやCIRITH UNGOLに代表されるエピックメタルのようなNWOBHMの型を直接引き継いだ(その上で発祥地イギリスとは異なるアメリカならではの感覚で改変した)ものだけでなく、80年代以降のBLACK SABBATHやCANDLEMASSをはじめとするエピックドゥームなど、系譜としては少し離れたものも併せてアンダーグラウンドシーンで確かに継承されてきた感がある。今年も含めここ数年のベストアルバム記事で取り上げられることが多いSPIRIT ADRIFTやCRYPT SERMONなどは明らかにこうした音楽的蓄積を引き継いでおり、過去の名盤群からインスピレーションを得つつ現代的なサウンド基準のもとで独自の境地を開拓してきた。ETERNAL CHAMPIONもそうしたバンド群に並ぶもので(註20)、2016年の1stフルではマニアの熱い注目を浴びるに留まっていたのが今年発表の2ndフルで完全にブレイクした感がある。
2ndフルに関する今年のインタビュー(註21)によれば、ETERNAL CHAMPIONは(MANILLA ROADやCIRITH UNGOLは当然として)FATES WARNINGやMORGANA LEFAYのようなプログレッシヴなパワーメタル、CRO-MAGSやTHE ICEMEN、RAW DEALのようなNYハードコアからも影響を受けているという。本作を聴いてまず驚かされるのがNWOBHMのパワーコード歌謡感覚を引き継ぎながらも極めて変則的に捻られたフレーズ構成で、特に1曲目「A Face in the Glare」の冒頭を飾る長大なリフはBLIND ILLUSION(註22)あたりにも通じる魅力的な引っ掛かりに満ちている。また、ミドル~スローテンポでどっしり構えつつ躍動する“stomping”なアンサンブルはNYハードコア的なバウンス感を絶妙な形で活かしており、テンポによってはオールドスクール寄りのヒップホップスタイルに通じる魅力的なグルーヴを醸し出している。とにかくこのバンドは(ボーカルも含め)演奏がうまい上に曲も良く、紹介時に必ずと言っていいくらい引き合いに出される所属メンバーBlake Ibanez(本作には不参加)の兼任バンドPOWER TRIPをも上回るジャンル越境的なエッセンスを滲ませる作り込みが素晴らしい。NWOBHM~エピックメタルの妙味を知り尽くした上でスピードメタル~テクニカルスラッシュの名バンドにも並ぶねじれを加える作編曲は極上で、こちら方面のマニアを唸らせる味わい深さとそんなこと関係なく広い層に訴求するインパクトを両立している。「様式美」を踏まえたからこそ到達できる個性の高みにある一枚で、DECIBEL誌の年間ベスト(註23)で2位を獲得したのも納得の傑作。SpotifyやApple Musicのようなサブスクリプションサービスには配信されていないためあまり聴かれていない感があるのが勿体ない。Bandcamp(註24)では全曲試聴可能なのでぜひそちらでチェックしてみてほしい。
註18
この記事のDARKTHRONEの項で詳説
https://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2019/12/29/202217
註19
JUDAS PRIESTの“正統派だが流行も積極的に取り込む”姿勢および活動歴はこちらの連続ツイートで詳説した。こうして考えてみるとJPこそ「懐古と革新」を最も体現してきたバンドと言っていいのかもしれない。
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/878289203125080065?s=21
註20
バンドのコンセプトの背景に関してはこちらの『メタル好きがメタルのCDについて書くメタルのブログ』に詳しい
(2016年11月21日掲載)
http://blog.livedoor.jp/sss_metal/archives/67067426.html
註21
FORGOTTEN SCROLL:INTERVIEW with ETERNAL CHAMPION
(2020年11月1日掲載)
https://www.forgotten-scroll.net/metal-interviews/interview-with-eternal-champion
註22
BLIND ILLUSIONについてはこちらで詳説
http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/03/170612
註23
DECIBEL「SPOILER: Here Are Decibel`s Top 40 Albums of 2020」
https://www.decibelmagazine.com/2020/11/12/spoiler-here-are-decibels-top-40-albums-of-2020/#
註24
Bandcamp – ETERNAL CHAMPION
https://eternalchampion.bandcamp.com/album/ravening-iron
Rebel Wizard:Magickal Mystical Indifference(2020.7.10)
ETERNAL CHAMPIONの項では既存の「様式美」を踏まえた上で様々な要素を注入しそれを現代的にアップデートする動きについてふれたが、その音楽性の土台には特定のフォームに対する思い入れがまずあり、それをいかに強化し訴求力の高いものにしていこうかという心の動きがあるように思われる。言い換えれば、ジャンルに対する忠誠心がまずあり、それを盛り立て復権を願うことが自身の表現志向とそのまま一致しているから作品の“純度”は損なわれないものの、そこで大事なのは自由度よりも型の方であり、前提条件を越えて我を押し通そうという自由さや柔軟さは(少なくともそのバンド名義の括りの中では)あまりない。これは多くの真摯なメタルミュージシャンに共通する良くも悪くも真面目で頑固な性質なのだが、数は少ないとはいえそうした傾向から外れる者も確かに存在する。別項でふれるLUGUBRUMやULVERはその極端な好例だし、この項で扱うREBEL WIZARDもそれらに比べれば音楽スタイル上の縛りが強いとはいえ似た傾向を持っていると思われる。
REBEL WIZARDはオーストラリア人ミュージシャンBob Nekrasov(註25)の一人多重録音プロジェクトで、音楽性としてはブラックスラッシュ(1st Waveと2nd Waveの間に位置するようなスラッシュメタル寄りブラックメタル)に連なるスタイルをコンセプトとし続けている。しかし、その音楽的バックグラウンドは異常に広汎で、メタルに限らずあらゆるジャンルを網羅しうる貪欲な消化吸収能力を窺わせる。インタビュー(註26)によれば、Bobが影響を受けたバンドやミュージシャンは以下の通りであるという。
- MAN IS THE BASTARD、DISCHARGE、BOLT THROWER、CRASS
(ハードコアパンクからデスメタルを経由してノイズなどアヴァンギャルドな方面に拡散するライン)
- IRON MAIDEN、MERCYFUL FATE / KING DIAMOND、MY DYING BRIDE
(NWOBHM系列の暗く抒情的なヘヴィ・メタル~ゴシックメタル)
- BURZUM、DARKTHRONE、SATYRICON
(ノルウェー発2nd Wave of Black Metalの代表格のうち特にプリミティヴ/ミニマルなもの)
(ファストコアからいわゆるパワーヴァイオレンス(スラッジコアに高速パートを加えたような重くギアチェンジの多いスタイル)に至る激しいハードコアパンク)
- ビル・ラズウェル関連作(PRAXISなど)
(ジョン・ゾーンをも上回る越境志向のミュージシャン/プロデューサーでP-FUNK人脈とNAPALM DEATH人脈を組み合わせたバンドを組んだりもしている)
- MERZOW、BIZARRE UPROAR
(ノイズ~パワーエレクトロニクス)
- アル・ディ・メオラ、スティーヴ・モーズ、DIXIE DREGS、MAHAVISHNU ORCHESTRA、アラン・ホールズワース
(プログレッシヴロック~フュージョン寄りの超絶テクニカルギタリスト)
(近現代クラシック~現代音楽の作曲家)
- ブルース・ディッキンソンの『Accident of Birth』でメタルに戻ってきた
- ヒップホップからの影響もある
- マイケル・ジャクソンの『Bad』ツアー(1987~1989、ギタリストはジェニファー・バトゥン)に行き衝撃を受けた
- ホラー映画のサウンドトラック
(NEKRASOV名義にとってはアンビエントやノイズ系統の音楽よりもこちらからの影響が大きいとのこと)
というように音楽的にはほとんど何でもありで、実際もうひとつの一人多重録音プロジェクトNEKRASOVではインダストリアルブラックメタルからロック色ゼロのシンフォニックなノイズ/アンビエントに至る電子音響を追求している。こうした多名義活動や音楽的な棲み分けは実は2nd Wave以降のブラックメタルにおいてはそこまで珍しいものではなく、Vicotnik(DODHEIMSGARD、VED BUENS ENDE...ほか多数)やCarl-Michael Eide(VIRUS、VED BUENS ENDE...、AURA NOIRほか多数)を筆頭に数々のミュージシャンが同様のプロジェクト両立活動を行っている。ただ、それを鑑みてもこれほどの越境的振り幅を持っている個人は稀で、それをあえてREBEL WIZARDのような限定的なスタイルに落とし込み素晴らしい成果を挙げ続けてきたということまで考えれば唯一無二の存在なのではないかと思える。本作は最初のデモから数えれば7年目に発表された3rdフルアルバムで、音楽性を一言でまとめれば「ACCEPTやDESTRUCTIONがTHIN LIZZYやBLIND ILLUSIONを経由してBATHORYやUTUMNOに接続している」感じの90年代前半スウェーデン寄りな仕上がりだと言うことはできるものの、上記のような多彩すぎるエッセンスが端々に注入されることにより生まれる味わいは他のスラッシュメタル~ブラックスラッシュとは一線を画している。その意味で、REBEL WIZARDにおける「様式美」は他者との差異を際立たせるためのツールとして機能しており、ジャンルの型という縛りをかけていながらもむしろ作り手の自由な発想の方を映えさせているように思われる。このような関係性を成立させてしまうバランス感覚はまことに稀有なものだし、その在り方を具体的に読み込むのは比較対象を大量に知るマニアでなければ難しいが、優れた引っ掛かりとわかりやすさを両立したキラーフレーズばかりが飛び出してくる楽曲および演奏は、そんなことを全く考えなくても惹き込まれる理屈抜きの楽しさに満ちている。現時点ではBandcampで音源を掘る習慣のある人以外には殆ど知られていないのが残念。広く聴かれるべき優れたアーティストである。
詳しくはこちら:
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1285962375724625926?s=21
註25
Metal Archives - Bob Nekrasov
註26
NO CLEAN SINGING:AN NCS INTERVIEW: REBEL WIZARD
(2018.8.15掲載)
https://www.nocleansinging.com/2018/08/15/an-ncs-interview-rebel-wizard
Dark Tranquillity:Moment(2020.11.20)
90年代中盤にスウェーデンとフィンランドで確立され大流行、後の(昨今いう意味での)メタルコアの雛型にもなった「メロディック・デスメタル」(日本語略称のメロデスは英語圏でも通用する)は、ブラックメタルと同等以上に昨今のメタルの定型に(メインストリームにおいては最も)影響を与えたスタイルなのだが、ほとんどワンパターンと言っていい音進行(半音をほとんど伴わないハーモニックマイナースケールによる起伏の大きい“泣きメロ”+素直なドミナントモーション)を繰り返すのに「様式美」と呼ばれることがあまりない。ということに自分は今初めて気付いたのだが、これは一体なぜなのだろうか?メタルにおける様式美といえばIRON MAIDENみたいなやつという図式というか固定観念が出来上がっていてそれ以外のものはどれだけ多用されているスタイルでも「様式美」と認識されないから?または、その「多用されているスタイル」が実際に多用されていることを「メタル=様式美」という考え方をしたがる(主にメタル外の)人はリサーチしておらず知らないから?そしてそれは、メロデスやメタルコアのような一応エクストリームメタル領域に属する音は「メタル=様式美」判定をするような人には届きにくいから?などなど、様々な理由を考えることはできるが実際のところはよくわからないし検証も必要である。ただ、これと関連して言えることもあって、ETERNAL CHAMPIONの項でふれたような「様式美」の流行り廃りは個別のカテゴリでいえば確かに存在するけれども、それらの影響関係を考えれば各々は完全に途切れているわけではなく、長期的に俯瞰すればむしろその多くが連続しているとみることもできるのである。例えば、BLACK SABBATHのようなブルースロックが欧州のハードコアパンクやスラッシュメタルを経由してブラックメタルにおける音進行の定型を導く流れ(註27)があるし、IRON MAIDENのようなNWOBHMの粘りある音進行が19世紀クラシック音楽的な和声感覚ですっきり解きほぐされてHELLOWEEN以降のメロディックパワーメタルやメロディックスピードメタルを生み、それに影響を受けた北欧のデスメタルシーン出身バンドが先述のようなメロディックデスメタルの音進行を形成する流れもある。つまり、70~80年代のメタルと現在のメタルは大きく異なる形態をとり、世代間の好みの乖離を生むくらい味わいの質も違うのだけれども、その成り立ちには通じる部分があり、歴史的にも確かに接続されている。「メタル」は様式美的で変化のない音楽だというのは不適切な面もある言説だが、「様式美」のかたちを変えながら存続してきた音楽と言えばあながち誤りでもないのである。こう考えてみると「メタル」全体における各サブジャンルの存在意義や位置関係が改めてよく見えてくるし、歴史的つながりを把握することで個々の作品の理解が深まりより楽しめるようになることもよくわかる。メタルファンがジャンルの歴史を学ぶのを好みがちなのは、メタル関係のメディアがそうした学びをしやすいような道筋をつける作業を伝統的に繰り返してきたのも大きいが、そうやって学ぶことで歴史的集積を背負った存在としてのメタルバンドをよりうまく味わえるようになることを感覚的に知り味を占めるようになるからでもあるのかもしれない。
DARK TRANQUILLITYはスウェーデンのメロディックデスメタルスタイルを築き上げた創始者的バンドの一つだが、次世代以降のメロデスバンドやメタルコアバンドが陥りがちな(爽快で即効性が強いがワンパターンな)定型に捉われることがほとんどなく、IRON MAIDENとHELLOWEENの間にある音進行感覚をスウェーデン流に料理した上でゴシックメタル経由でDEPECHE MODEに接続するようなスタイルを様々な角度から構築してきた。今年4年ぶりに発表された12thフルアルバムはそうした音楽性が何度目かの完成をみた傑作で、渋く煮え切らないが決して中途半端ではない味わいがどこまでも薫り高い。どちらかといえば地味な印象を持たれがちだが、メタルに限らず他のどんな音楽にも出せない唯一無二の雰囲気をまとっている。広く聴かれてほしいバンドである。
こちらの連続ツイートでは全作品について詳説:
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1330924273431547906?s=21
註27
拙ブログ:「ブラックメタル」のルーツを探る(欧州シーンを通したブルース感覚の変容)
http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2015/03/27/050345
Sweven:The Eternal Resonance(2020.3.20)
ここまでの7つの項ではメタルシーンにおける「様式美」やそれを取り巻く歴史的営為について様々な角度からふれてきたが、その上で改めて確認しておきたいのが、「様式美」それ自体は良いものでも悪いものでもないし、表面的に「様式美」的に見えるからといって根っこの部分がありきたりであるとは限らないということである。作品の面白さや味わい深さを決めるのは「様式美」よりもその扱い方や関係性のほうだし、既存の「様式美」に似た姿をしていてもそれは自分で一からスタイルを構築した結果たまたま似た形になってしまっただけなのかもしれない。SWEVENが今年発表した1stフルアルバム『The Eternal Resonance』はそうした在り方の好例で、NWOBHMを北欧のエピックドゥーム~ヴァイキングメタルに寄せたようなスタイルをとってはいるが、成り立ちのレベルでは異なる部分も多いのではないかと思われる。紆余曲折を経て別の複雑なルートを探索した結果、欧州のメタル周辺音楽ならではの最適解のひとつとして似たところに到達したという趣もあるのである。
2010年代における初期デスメタルリバイバルを先導したスウェーデンのバンドMORBUS CHRONは、2014年発表の2ndフル『Sweven』でAUTOPSY~スピードメタル~NWOBHM系列~ブラックメタルと繋がる様々な要素をモザイク状に混ぜ整えることで前人未到のコズミックデスメタル的傑作を生み出した。バンドはこのあと音楽性の違いを理由に解散してしまうが、同作の路線を主導した中心人物Robert Anderssonは2015年から後継となる作品の制作を始め、それと並行して正規の音楽教育を2年間受けつつ数年かけて大部分のアレンジを一人で構築。SPEGLASというデスメタルバンドのメンバー2名を含む3人で果てしないリハーサルを重ね、エレクトリックギター弾き語りを3層重ねたような(ボーカルこそ唸り声ではあるが)穏やかでメロディアスなメタルアルバムを完成させたのだった。SWEVENのこうした音楽性は表面的には80年代のハードロック/ヘヴィメタルに似た部分も多いが、それは学びを経た上での様式美の再発明とでも言うべきものであり、メタル以前のルーツである欧州トラッド的なものへの回帰志向や、エクストリームメタルなどで培われた現代的な感覚を注入し新たなスタイルを確立せんとする気概に溢れている。豊かな音楽要素が柔らかく融けあう本作の驚異的な展開にふれると、懐古と革新が両立されることもある、両立することができるということを実感させられる。静謐ながら異様なオーラに満ちた素晴らしい作品。あまり注目されていないのが勿体ない傑作である。
詳しくはこちら:
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1247821725879816192?s=21
【ジャンル間の溝】
Lugubrum:Plage Chômage(2020.2.1)
ここまでふれてきたバンドはいずれも多かれ少なかれ音楽的な「型」というものを意識しそれを磨き上げることで足場を重ね前進していくものばかりで、「(ジャンル内の)歴史的集積を背負った存在としてのメタルバンド」ということを考えればそれは当然の在り方でもあるのだが、もちろんそういうところから完全に逸脱するものも稀だが存在する。オランダ人Midgaarsとベルギー人Barditusによりベルギーで1992年に結成されたLUGUBRUM(註28)はいちおうブラックメタルの系譜にあるバンドとして扱われているが、初期はノルウェーシーンと軌を一にするようなプリミティヴ寄りブラックメタル(DARKTHRONEがブラックメタル化した歴史的名盤2ndフル『A Blaze in the Northern Sky』が1992年発表なので時期的にはタイムラグがほぼなく非常に早い)をやっていたものの、作品を発表するほどに独特な要素が増えていき、2000年代に入る頃には、70年代ジャーマンロックやTHE GRATEFUL DEADのような長尺ジャムロック、そして70年代マイルス・デイビス(いわゆる電化マイルス)にも通じるアンビエントで混沌とした音楽構造を形成。歌詞世界の表現もそれに対応するかのように変則的なものとなり、最大のテーマは飲酒およびそれに伴う酩酊感覚(良い意味でも悪い意味でも)、そこにベルギーの植民地としてのコンゴやナポレオンのシリア戦役のような歴史の闇を絡めアフリカ~中東的な音楽要素の導入に説得力を持たせるということもやっている。Barditusが脱退してLUGUBRUM TRIO名義になった2014年以降の活動もそれまで以上に興味深く、2015年発表の11thフル『Herval』ではBLACK SABBATH経由でブラックスラッシュとアフリカ音楽(マリやセネガルのような西アフリカのアフロポップに通じる響きが多い)を接続、2017年の12thフル『Wakar Cartel』はブラックスラッシュとポストパンク~インダストリアルを連結し脱力感をもって解きほぐしたような感じ、そして今年発表の13thフル『Plage Chômage』はVOIVODとディアンジェロをチェンバーロック経由で融合しダブやトラップに寄せたようなメタル色皆無の仕上がりになっている。こうしてみると音楽的には無節操の極みでアイデア先行型の考えオチばかりなのではないかと思われそうだが、多彩なスタイルをとっていながらもその根底には共通する音進行感覚が強固に貫かれていること、そして演奏がとにかくうますぎることもあって、全ての作品においてこのバンドならではの異様な説得力が生まれている。このような独特の音楽表現をバンド自身はブラックメタルならぬ“Brown Metal”と呼んでおり、これは“brown note”(「可聴域外の超低周波音であり人間の腸を共鳴させて行動不能に陥らせる」とされるが実在は証明されていない音)にならったものであるようなのだが、実際のところはよくわからない。ブラックメタルを強く意識しつつそこから距離を置き我が道を突き進みたいという考えの表れではあるのかもしれない。
以上のような興味深すぎる音楽活動をやっているにもかかわらずLUGUBRUMの知名度は極めて低く、メタル領域の中でも全然知られていないのだが、そうした状況の背景には、ジャンル全体のコードとなり聴きやすさを担保する装置でもある「様式美」から完全に外れることにより理解されづらくなり、従って注目を浴びにくくなってしまうという構図があるように思われる。音楽性的にはむしろ他ジャンル(特にアヴァンプログレやポストロック)のファンにこそ歓迎されそうなのだが、メタルシーンの最深部で活動し外に情報が届きにくいため知られる機会があまりない。こうして“ジャンルの溝”にはまり込んでしまった凄いバンドは比率的には少ないながらもかなりの数存在し、メディアや多くのファンが好んで取り組む体系化から外れて発見されにくいポジションに定着してしまっている。しかし、そういうところにいるバンドでも紹介しようとする動きはあり、メインストリームからはアクセスしにくいものの行き着くルートが山道的に用意されていたりもする。自分がこのバンドを知ったのは掲示板型投稿サイト「HR/HMこの曲を聴け」(註29)を2007年頃に隅々まで読み込んでいたときで、同年発表の傑作8thフル『De ware hond』に感銘を受け、その後はリアルタイムで追いつつ今年のBandcamp配信開始(註30)もあって全音源をコンプリートすることができた。そのBandcampページで最新作13thフルを購入した者は60人(2020.12.28現在)しかいないことを考えると全作品を聴き通している人間はごく少数、というかもしかしたら自分以外いないおそれもあるわけだが、その自分の例が示すように、web上に簡単にでも情報を残していればそれが種となり誰か他の人が実を結ばせる可能性はある。自分が「プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界」や本稿のような記事を書いてきたのはそうやって情報を残し後世に伝えたいという意思(というか欲求)もあるからだろうし、BLACK CURSEの項の註に挙げたゲルマニウム氏(註31)やこるぴ氏(註8)をはじめとするブログの数々(インターネットが普及していない時代においては主にファンジン)も多かれ少なかれ似た動機から更新を続けてきたのではないだろうか。このようにして歴史を編みその一部となる志向はOSDMリバイバルなどにも通じるものでもあるし、そういう自発的な楽しみ~欲求が良い循環を生み出しメタルシーンを駆動・存続させてきた面は少なからずあるように思われる。ジャンルというものの成り立ちの得難さ面白さを改めて実感させられる次第である。
註28
LUGUBRUMについてはこちらで詳説
http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/05/203102
註29
『HR/HMこの曲を聴け!』(現『この曲を聴け!』)LUGUBRUM関連ページ
註30
Bandcamp - LUGUBRUM
https://lugubrum.bandcamp.com/album/plage-ch-mage-2020
註31
偏愛音盤コレクション序説「Best Metal Albums of 2020」
http://abortedeve.blog.jp/archives/1078437302.html
Ulver:Flowers Of Evil(2020.8.28)
1992年に結成されブラックメタルの歴史的名盤を複数残したULVER(註32)は1999年以降メタルから完全に離れており、電子音楽やサイケデリックロック、エレクトロポップなど様々な形態に変化し続ける豊かすぎる活動遍歴はLUGUBRUM同様に“ジャンルの溝”にはまり込んでしまっている感がある。1stフル(最初期のポストブラックメタルとされる)および3rdフル(究極のプリミティヴブラックメタルの一つに数えられる)という2つの大傑作がメタル領域全体のオールタイムベストに入り続けるだろうことを考えれば、そもそも知られる機会自体がほとんどないLUGUBRUMに比べれば良い立ち位置にいるとも言えるが、その2枚の存在感があまりにも強すぎるために以降の作品群(雰囲気や味わいの質は共通するものの音楽形態的には比較しようのない部分も多い)が適切な角度から評価されない状態が長年続いているのをみると、初期のイメージに囚われるのは広報的に有利でも総合的には良いことなのか?と疑問に思わざるを得ないところはある。しかしその初期作品経由でメタル外の新たな世界に導かれる音楽ファンも存在しうるし、バンド自身にとってはともかく、シーン全体にとって良い面も確かにある。ジャンル外の人に布教し新たなファンを増やすためにはインターテクスチュアリティ(複数の文脈に関する知識およびそれらを接続する視点・解釈)が必要(註33)という話とも関連することだが、ジャンル外の音楽を聴かない傾向が続く限りメタルに関する議論や評論は広がらないし深まらない、従って先に進むこともできないし、大部分の大手メディアに最も欠けてきたのはそういう視野の広さや語り口といった根本的な部分のアップデートだったのではないだろうか(註34)。ULVERはそういう悪弊の影響を最も被っているバンドのひとつではあるが、その一方で、その悪弊を打破するための道筋を(本人達はもはやメタルに対する思い入れはそんなにないかもしれないが)つけてくれている存在でもある。近年のエレクトロポップス形態を引き継ぐ形で構築された16thフル『Flowers of Evil』(タイトルはボードレール『惡の華』にちなんだもの、アルバムジャケットはカール・テオドア・ドライヤー監督の『裁かるるジャンヌ』(1928)の映画セットからのスチル写真)も以上のような意味において素晴らしい作品となっている。
バンドのリーダーであるKristoffer Rygg(通称Garm)が本作およびバンドのヒストリー本『Wolves Evolve』出版に際し答えたインタビューでは、ポップスを意識した近年の音楽性について以下のような説明がなされている。
「(『The Assassination of Julius Caesar』に関連して、その作品が括られやすいジャンル“ダークウェーヴ”からの影響を問われて)個人的には影響を受けていない。そのタグは、僕らがメタルやポストパンクなどのダークなバックグラウンドを持っている事実からきているのかもしれないね。正直言って、僕はダークウェーヴを聴いているわけではないんだけど…他のメンバーは聴いているんだよね。もちろん、ダークなサウンドのポップミュージックで、主にシンセやプラグインを使って作られているんだけど、自分はいわゆるシンセポップもあまり聴いていないんだ(笑)個人的には、ULTRAVOXやHUMAN LEAGUREよりもROXY MUSICやブライアン・フェリー、デヴィッド・ボウイやグレイス・ジョーンズの方が好きだ。」
「普段あまりポップスを聴かない人が「あ、DEPECHE MODEに似ているな」と思ってくれるのは便利で、それはDEPECHE MODEがロックやメタルのファンの多くが共感できるようなダークなポップグループだからなんだろうけど、正直言って自分は当時DEPECHE MODEを聴いたことがなかったので、その名前が頻繁に出てくることに驚いている。」
「(同作が「これはシンセポップのレコードだ」と言われることについて)自分にとってシンセポップとはPET SHOP BOYSやERASUREのようなもので、そういうのはあまり聴いたことがない。自分達の音楽のポップさは、TEARS FOR FEARSやTALK TALKといったグループとか、EARTH, WIND & FIREのような古いディスコ、ALAN PARSONS PROJECTなどによるところが大きいし、現代的なポップ・プロダクションのひねりを加えた“ロック”の要素もかなり含まれていると思う。だから個人的には、これを“シンセポップ”と呼ぶのは少し単純化されているように感じられる。まあ、シンセサウンド満載でポップであるとは思うよ。」(註35)
「2017年のアルバム『The Assassination of Julius Caesar』はそこからさらに積み上げていきたい音楽的土台となり(これは初めての経験だった)、ここ2,3枚のアルバムで得たこのサウンドにはもっとやるべきことがあると感じていた」(註36)
本作はコロナウイルスが世界的に大流行した頃に完成し、4月のツアーが始まる直前に出す予定だったのが中止となり、ヒストリー本の制作を挟んで8月末にリリースされることになった(レーベル公式通販ではアルバム+ヒストリー本のセット販売もなされていた)。「僕らは時間を振り返るのが好きなんだ。最初の『One Last Thing』で言うように、僕らは廃墟を探しているんだ…歴史についてだけでなく、ポップカルチャーについてもね。」(註36)という発言が示すように、タルコフスキーの同名映画のラストシーンについて話し合っていたのが次第に自分自身の子供時代のこと=個人的なノスタルジアについてのものになっていったという「Nostalgia」や、1993年2月にテキサス州ワコでブランチ・ダビディアン(プロテスタント系のセクト)がATF(アルコール・タバコ・火器および爆発物取締局)の強制捜査を受け、連邦捜査官をバビロニア軍隊だと思い込んだ信者の反撃が双方に死者を出した事件を、90年代ノルウェーのブラックメタル・インナーサークルが引き起こした教会焼き討ち事件と絡め、それらの奇妙なシンクロニシティについて歌っている「Apocalypse 93」(註37)、広島への原爆投下を主題として“歴史は繰り返す”ことについて考える「Little Boy」など、ダークなテーマと薄暗く柔らかいエレクトロファンク寄りポップスを絶妙なバランスで組み合わせる近年の作風は更なる高みに達している。正直言って自分は最初は『The Assassination of Julius Caesar』(2017年の個人的年間ベストの1位に選んだ)と比べ地味なアルバムだと思いピンとこない印象の方が強かったのだが、最後から最初に完璧に滑らかにつながりいくらでもリピートし続けてしまえる構成もあってか、聴き続けているうちにこちらの方が肌に合うと感じるようにさえなった。非常に快適に聴き流せるのにどれほど繰り返し接しても底がつかみきれない不思議な魅力に満ちたアルバム。傑作だと思うし、以降の作品でさらなる新境地を切り拓いていくことを期待し続けたいものである。
註32
ULVERの活動遍歴についてはこちらでひととおりまとめた
http://progressiveundergroundmetal.hatenablog.com/entry/2017/05/05/205455
註33
こちらのツイートなど参照
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1166825205047558146?s=21
註34
このあたりの話はこの記事のTRIBULATIONの項における「メタルシーン内外の没交渉傾向」の件で掘り下げた
https://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2018/12/25/222656
註35
mxdwn.com「mxdwn Interview: Kriss Rygg of Ulver Talks Stylistic Changes, Musical Evolution and Celebrating 25 Years of Studio Albums」
(2020.10.15掲載)
全アルバムについてのKristoffer Ryggのコメントあり
註36
LOUDER THAN WAR「Ulver have just released one of the albums of the year: in depth interview」
(2020.9.2掲載)
https://louderthanwar.com/ulver-have-just-released-one-of-the-albums-of-the-year-in-depth-interview/
註37
The QUIETUS「Returning To The Shadows: Ulver Interviewed」
(2020.8.26掲載)
https://thequietus.com/articles/28828-ulver-interview-3