DOMMUNE【SWANS来日記念プログラム「All about SWANS」(1/26)】トーク部概略

DOMMUNE:SWANS来日記念プログラム「All about SWANS」(1/26)トーク部概略


SWANS来日公演(1/27東京・1/28大阪)に伴い、DOMMUNEで特集番組が組まれました。
そのうち、リーダーであるGiraを囲んだトークイベントの部分だけ、内容のメモを取りました。
文字起こしはどなたかがやってくださると思いますので、内容の概略だけまとめておきます。
(情報内容は合っているはずですが、会話の細かい順序はわかりやすいように整理し組み替えた箇所もあります。)
来日公演の予習復習など、何かしらのお役に立てれば幸いです。

速報性を重視したため、文章が崩れている部分も多いかと思います。
後日時間を見つけて整える予定です。ご容赦いただけると幸いです。

箇所によっては敬称略しています。
失礼をお詫びいたします。


【前説(21:25〜22:00)】

小野島大・行川和彦・中原昌也の3名が出演。
Michael Giraの到着を待ちつつ、SWANSの歴史を振り返っていく。

まず、小野島氏が司会となり、行川・中原両氏に、SWANSとの馴れ初めや思い入れについて質問する。

〈行川和彦の場合〉

Cop/Young God/Greed/Holy Money

Cop/Young God/Greed/Holy Money


出会いは『Cop』(84年・2nd)。
 (『Filth』(1st・83年)とどちらなのかは不確かだが、たぶん『Cop』。)
B5版だった頃の「フールズ・メイト」で知ったのではないかと思う。
84年頃、ハードコアパンクの勢いが落ちてきて、イギリスやアメリカからポジティブ・パンクなどが出てきた。「フールズ・メイト」は、そういったものと併せて、SONIC YOUTHBIG BLACKなどの先鋭的な音楽を紹介していた。そうした流れでSWANSを教えられたのではないかと思う。
レビューでは「拷問系」と書いてあったと記憶している。実際、速いハードコア(DISCHARGEやCONFLICTなど)に慣れていた状態で聴くとまさに拷問という感じで、反復のしつこいスローな音楽性は、正直はじめは退屈に思えた。
しかし、「買ったからには聴く」の精神で繰り返し接していたら、いつのまにか深くハマっていた。
(小野島氏:自分もやはり『Cop』から入り、中毒になっていった。)
このアルバムは後のNAPALM DEATHやGODFLESHにも繋がるもので、そういうこともあわせ、自分の人生の中でデカい位置を占めている作品だと思う。

(『Cop』の1曲目「Half Life」をかけながら:中原氏が首を振って無言でノっている)
この曲のベースラインが「グラインドコア」の「グラインド」の原型なのではないかと思う。
NAPALM DEATHがどのアルバムでも1曲目に必ずスローな曲を持ってくるのは、ここからの影響が大きいのではないか。

1st『Filth』は酷評されていた。
(「フールズ・メイト」の編集者で“ある時期までは「日本で一番SWANSに詳しい」と言われた”石井孝浩氏によると、「これが編集部でかかるとみんな机の下に逃げた」とのこと)
(註:音楽之友社の名ディスクガイド「ロック・オルタナティヴ  パンク / ニュー・ウェイヴ & 80'」(94年刊)のSWANSの項を書いているのはこの方です)
しかし、2nd『Cop』が大手レーベルのSome Bizzareから発売されると
(中原氏:あの頃Some Bizzareってなんであんなにメジャーだったんでしょうね)、
各メディアは手のひらを返してこれを絶賛。こうしてSWANSは市民権を得たのだと思う。

Filth/Body to Body, Job to Job

Filth/Body to Body, Job to Job


『Filth』は自分は苦手。少し退屈だと思う。
(中原氏:自分は大好き。1曲目の「Stay Here」とか特に。No Waveって感じがあるじゃないですか。今でも満員電車の中とかで聴いて暴れたくなる。暴れないけど。)

中原昌也の場合〉

中学の頃はSome Bizzareレーベルのものを全て買って聴いていた。SWANS初体験が何だったのかはよく憶えてないが、たぶんその流れで買った「Time Is Money」(『Holy Money』(86年)1曲目)のシングルだったのではないかと思う。
『Cop』は後追いで、中学からの帰り道にあったレコード屋で日本盤を買った。はじめはよくわからなかったけど(SWANSをわかる中学生ってキモチワルイじゃないですか)、その後は死ぬほど聴いた。親が心配するくらい。というか親は自分が何を聴いてても心配した。部屋の前を通るたびに。THROBBING GRISTLEを聴いてたら「これって、勉強するな・仕事するなとか歌ってるんじゃないか」というふうに言われた。そんな歌詞じゃないんだけど、当時は「ああそうなんだな」と思ってた。実際いまそうなってますね。正しかったということなのかな?

一番好きなのは何か、と言われたら、まあ『Filth』の1曲目「Stay Here」と言いたいけど、それは後追いなので、先にも言ったように「Time Is Money」を挙げる。
(「Time Is Money」をかけながら)
当時は「これ、バンドサウンドじゃねーな」と思いながら聴いていた。
(行川氏:実は今日、別の雑誌のインタビューでGiraに聞いてきたんだけど、このメタルパーカッションのような音は、ドリルみたいなのが出す音を録音して作ったということらしい。完全にインダストリアルメタルの原型なんじゃないかと思う。)
(小野島氏:当時は、FRANKIE GOES TO HOLLYWOODみたいに、「演奏=バンドサウンドとは限らない」という流れがあったと思う。石野卓球に以前聞いたんだけど、「バンドサウンドはダサい」という風潮もあったみたいだし。そんな感じ?)
いや、自分にはそんな気分はなかったと思う。
(行川氏の「86年といえばSLAYERが出てきた年
(註:1stは83年。86年は歴史的名盤『Reign in Blood』(3rd)の発表年)
だね」という発言をうけて)
自分は子供の頃メタルが大嫌いだった。中学の頃は学校には洋楽を聴いてるやつなんていなくて、いてもパンクとかそんな感じ。自分はそういうのにわけもなく反発する気持ちがあって、PSYCHIC TVとかを面白くもないのにイキがって聴いてたりした。
姉が星新一を読んでるから自分は筒井康隆、というような感じで。
(註:一般的に、メタルとパンクは対立するものとして捉えられることが多いですが、ここでは、ともに“反発対象”に含まれる(同じ枠の)ものとして言及されているようです)

しかし、石井孝浩さんがこの手の音をインダストリアルと呼んだ意味がわからない。
(3人の対話:もともとNEUBAUTENみたいなのをインダストリアルと呼んでたのが、いつのまにかMINISTRYのようなスタイルをそう呼ぶようになった気がする。…実はSWANSがその橋渡しになってるのかな?今聴くと意外とポップだし。)

〈ここから、小野島氏司会で以降の歴史を振り返る〉

SWANSというとやはり80年代の印象が強いけど、この後Jarboeとの出会いで変わっていく。
(註:雑誌の記者としてSWANSを取材に来た女性で、そこでGiraと意気投合し、86年の『Greed』以降しばらくメンバーとして参加していく)

Children of God / World of Skin

Children of God / World of Skin


Burning World

Burning World


[行川]SWANSがJarboeの影響でメロウになっていったのって許せない?『Children of God』(87年・2枚組)あたりから。
[小野島]そこに収録されてる「Our Love Lies」を前哨戦みたいにして、後の問題作『The Burning World』(89年)に至るわけだ。
[行川]自分は、激しいものは(ちょうど当時出てきた)グラインドコアとかで満足できていたからか、SWANSがそういうふうに変化していっても、メロウなものもOKだと納得できていた。でも、初期からのファンは戸惑う人も多く、かなり離れていったんだよね。
[小野島]『Children of God』は実質的に現在のSWANSの原型。歌モノもあるし、うるさいのもある。欧米ではこれを最高傑作とする声も結構ある。

〈ここでMichael Gira到着(渋谷タワーレコードで19時半から開催されたサイン会を終え、渋谷〜恵比寿間にあるDOMMUNE STUDIOに移動してきた)〉

Giraはレーベルを経営していて、SWANSのバックカタログをこまめに再発しているので、輸入盤でよければ容易に聴くことができる。興味を持った方はガンガン買ってみて下さい。

(それではそろそろお呼びしましょうか…まだ準備中?)

それじゃ『The Burning World』以降の話を。
この前年に、JOY DIVISIONのカバー「Love Will Tear Us Apart」をやって、それがこのアルバムに繋がっている。
(「Love Will Tear Us Apart」のPV(youtube)を再生)
(中原氏:自分はこのあたりで興味が離れた。そういうファンも多かった?それ以前よりは聴かなくなった。)
(ここで前回の来日公演の話:行川・中原両氏は観ていない。やたら評判がいいことは聞いている。明日の東京公演はぜひ拝ませていただかなければ。)

『The Burning World』はBill Laswellプロデュース。Robert Mapplethorpeの美しいジャケット写真が示すように、美しいバラード中心のメロウな内容になっている。
[行川]これはこれでイケる。特に「Saved」はよく聴いた。聴くと救われる気持ちになる感じかな。いま聴くとオーバープロデュースな感じもあるけれど…
[小野島]そこはLaswell、坂本龍一みたいな特有の感じがある。
(註:坂本龍一プロデュースの問題作としてよく言われるのがフリクション『軋轢』。そのあたりの評判を調べるとどんな感じかわかるはず。個人的には好きな仕上がりです。)
[行川]MOTORHEADもLaswellプロデュースのがあったよね。あれを聴いたLemmyは「ブッ殺してやろうか」と言ったらしい。

しかしまあ、このアルバムを通してバンドとして得たものも多かった。一度解散(97年)した後の再結成(2010年)以降、今のSWANSは、Giraのソロ(ANGELS OF LIGHT)なども含め、これまでのキャリア全部をすくい取って臨んだものなのではないかと思う。歌詞も含めて。
現在のサウンドは、トータルなアメリカン・ミュージックを追求しているものなのではないか。奥も深いし、なんというか「大人の鑑賞に耐える」ものになっていると思う。実際アメリカでもかなり人気が出てきていて、昨年だけでも200本ものライヴをこなしているとのこと。しかも1回1回が2時間を超えるハードなものだし、Giraももう60歳を越えてるはず。(註:1954.2.19生まれの60歳)凄いものです。

My Father Will Guide Me Up a Rope to the Sky

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The Seer (2CD+DVD)

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To Be Kind [帯解説・歌詞対訳 / 2CD + 1DVD / 国内盤] (TRCP158~160)

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(SWANSからの影響を問われて)
[中原]全然何もやってないときは、とにかくドラムにエコーをかけてSWANSっぽくしていた。
[行川]今のSWANSは、深みもあるしミニマルな感じもある。(初期のミニマルな感じを引き継いで)筋が通っていてカッコイイ。
[中原]それにやっぱり声が素晴らしい。好き。ジャパネットたかたみたいな声ではない。

再結成以降のSWANSは、初期・ビューティフルな中期など全てひっくるめた上での今を生きている。バンドとして一番充実している時なのでは。
こうして『To Be Kind』の日本盤が出たからこそDOMMUNEの番組も組めて良かった。この来日に合わせてタワーレコード限定のコンピレーション『オキシジェン EP』も出ている。Muteレーベル創始者のDaniel Millerがリミックスしたトラックなども入ってるので、ぜひ買って、来日公演に行ってください。


それでは、Michael Giraをお迎えしましょうか。


【Michael Giraインタビュー(22:00〜40)】

(通訳の伴野由里子さんが、メモを取りまくりながら丁寧に対応されていました。)
(Giraのコメントの大意を「」内に記載しています。)


[小野島]日本にはいついらしたのでしょうか。
「Last Night.(昨夜。)」

[小野島]お疲れのところありがとうございます。
「(微笑みながら)Always Tired.(いつも疲れてるよ。お気遣いありがとう。)」
(このように、ニュアンスを汲み取りながら、話が通りやすいように整理し訳する通訳の方の手腕が光るインタビューでした。)

[行川]facebookに、84年頃の写真で、GERMS(LAパンクを代表するバンド)のTシャツを着られているものが載っていました。BLACK FLAGが好きだというお話も伺っています。パンクからの影響というものはあるのでしょうか。
「パンクからは、何をすべきでないかということを学んだ。というのは冗談。一番好きなバンドはGERMSで、彼らは、演奏はヘタクソなんだけど、ライヴには何が起こるかわからない勢いがある。自分はどちらかといえば真面目なタイプなので、学ぶことはとても多かった。実は、GERMSのドラマーDon Bollesは、自分が初めて組んだバンドLITTLE CRIPPLESで叩いてくれてたんだよ。」

[行川]音楽がスローになっていったきっかけなどはあるのでしょうか?BLACK FLAGの2nd『My War』(83年)やその時期のライヴなどからの影響はあるのでしょうか。
「スローになったのは、Howlin' Wolf(ブルース)の影響が大きいと思う。それから、FLIPPERやBLACK FLAGの影響もある。他のパンクバンドが男性ホルモン全開でスピードを競っていたなか、この2バンドは対照的な方に向かっていた。自分はそうした方向性をさらに推し進めたわけだ。時には“ビートとビートの間でタバコが吸えるくらい”遅くしたこともあるよ。」

[行川]『Cop』のジャケットに映っているものは何でしょう?
(Gira到着前に「これは何だろう」「人体の一部かな?」「来たら聞いてみよう」と話していたことをうけて)
「My mother's soul.」

[行川](はぐらかされた感じで)それじゃ『Filth』の方は?
「Inside my father's brain.」

[中原]初期の頃のライヴ活動で一番不評を買ったとき、どんな感じでしたか?
「はじめの3年位はどのライヴも全く歓迎されなかった。ライヴが始まる前に50人くらいいたら、終わる頃には2〜3人になっているという有様もザラ。そういう正直な反応(naked response)をやる気にかえて活動してきた。」

[中原]音楽的に「Time Is Money」に至る…バンドサウンドからああいう(インダストリアルな)ものになる流れというのはどんなものだったのでしょう。
「Following imagination, intuition.(想像力と直感に従っていった。)客の反応とか、受け入れられているかどうかということは気にせず、自分の道を突き進んできた。そうしたらこうなっていた。」

[中原]初期の歌詞は表面的な在り方としてはシンプルで、とても力強いものです。こうした歌詞を書くにあたり、参考にしたものなどはありますか?
「初期において最も大きく影響を受けたのは、広告。そしてファシストのスローガンなど。人をいかに扇動するかという点において、説得力あるものとして参考にした。アルバムジャケットのイメージなども同じような考えのもとつくられていると思う。ただ、その裏にどのような意味があったのかは、今は憶えていない。」

[小野島]「Love Will Tear Us Apart」〜『The Burning World』以降の、ポップ・メロウになった変化のきっかけなどはありますか?こうした変化は、内面においてどういうふうに起きたのでしょうか。
「こうした変化は“misguided”(誤った方向性)だった。「Love Will Tear Us Apart」(JOY DIVISIONのカバー)も“huge mistake”(大きな誤り)だった。教会音楽みたいにしたかったんだけれども、プロデューサーの人選を誤ったこともあって、ポップな感じになってしまった。
『Children of God』(上記2つの直前の作品)からメロディアスなものを取り入れるようになったのは、それまでのものと対立するものを組み込み、対比することで、それまでのものをより効果的にみせようという狙いがあった。そしてそれとは別に、それまでのラウドな音楽性に惹かれて来た客を前にして“自分達はこれでいいのか”という思いもあった。そうした客に対しアコースティックな楽器を弾いてみせることで、あえて嫌がらせをしてみるというようなことかな。そしてそれが、アコースティックな楽器を使って音楽的な学習をする機会にもなったとは思う。完成度としてはそこまでではなかったと思うけれども。」

[小野島]でもその「Love Will Tear Us Apart」によって日本でのファンが増えたという事実もありますよ。
「それは気付いている。」

[行川]『Children of God』のあたりから“love”という歌詞をよく使うようになったきっかけは?Jarboeの影響はやはりあるのでは?邪推になりますが、自覚などありますでしょうか。
「No. Jarboeは関係ないよ。」

[中原]『Cop』の頃のような、「腕を斬り落とす」「ケーサツを殴る」みたいな歌詞がなくなっていったように思うのですが、それは何故でしょうか。
「(辟易したように笑いながら)そういうのはニュースとかでよく聞くじゃないか。まあ、そういう歌詞がなくなったのは、書き尽くしたということなんだろう。残るのは愛、ということなんじゃないの。」

[行川]初期には4 letter wordsが殆どなかったのに、最近ガンガン使うようになったのは何故でしょう。
(行川さんが例として挙げた“fuck”“cunt”は通訳の方は声に出しませんでした:このあたりは少し言葉を選んだり言い換えたりしている比率が多いかも)
「わからないし、興味ないね。自分は音楽に適したものを書いてるだけで、そんなに意識してはいない。(少しおどけて)自分の口をセッケンで洗ったほうがいいのかな。」

[中原]『The Burning World』のプロデューサーがBill Laswellになった理由は。
「所属レーベルであるMCAがいろいろ間違いをしてしまった。自分達が製作の判断を委ねてしまった、そうせざるを得なかったというのも大きい。レーベルが提示してきた数名のプロデューサーのうち、Laswellは自分達が一緒にやりたいと思える数少ない人のうちの一人だったわけだけど、実際一緒にやってみて、音楽的には合わないことに気付いた。人間的には素晴らしかったんだけどね。
(微笑みながら)そろそろ今世紀の話に入ってもいいかな?」

[小野島]はい。それでは、解散を経た上で、再結成して活動しようと思った理由は何でしょう。
「97年の解散までに15年に渡って良いものをつくってきたが、その報いがあまりなく、壁に頭をガンガン叩きつけているような気分に苛まれていた。ある時、壁に正面からぶつかるのではなく、回り込んで横から行けばいいのではないかと考え、バンドは解散して、別の活動をすることにした。Young Godレーベルを経営して若い才能を輩出したり、ソロ活動(ANGELS OF LIGHT)をやったり。オーケストラやフォークのような軽いものを作っていた。しかし、それを続けているうちに、エレクトリックでパワフルなものへの欲求も高まってきたというわけだ。こうした流れを経て、SWANSを再結成し、充実した活動を続けている。」

[小野島]97年の解散以前と2010年の再結成以後とで、SWANSというものの意味合いが変わってきているところはあるのでしょうか。
「SWANSとは、自分にとって“目の前にある・やらなければならないものを、導かれるまま突き詰めてやるもの”だ。光るものを見つけたら、他のものはそっちのけにして追求していくもの。今のラインナップは非常に充実していて、同じメンバーで一番長く継続できている。密な関係ができていて、嬉しいよ。」

[小野島]昨年は200本もライヴをこなされたそうですし、前回(2013.2.19)の来日公演のエネルギーも凄かったです。そういう活動のモチベーションとなるものは何でしょう?
「(ここまでは殆ど即答だったが数秒考え込んで)非常に良い質問だ。しかしそれは「人はなぜ愛するのか、肉を切るのか、神父は祈るのか」と訊くのと同じことだ。自分に答えられるのはそれだけ。It's a big part of my life.(おどけながら) I also breathe. (人生の大事な一部なんだよ。まあ息もする(別の“大事な一部”もある)けどね。)」

[中原]でも、97年の解散後も休んでなかったじゃないですか。
「とにかく生きていくためには働かなければならない。若い頃、アートスクールに行って覚えたことなんだけど、作品を価値あるものにするためには、それを突き詰めるための努力や根気が必要なんだ。陶芸師・農業をやる人・家具職人など、その道を突き詰めるひとはみな、身を投じて関わっている。自分も同じさ。」
「(カメラに向かって軽く手を振りながら)Jennifer(奥様のお名前)、見てる〜?」

[小野島]そろそろお時間ですね。それでは最後に。明日はどんなライヴになりそうですか?
「(にやにやしながら)Taylor Swiftの曲だけやるよ。女装して。スカートとか結構似合うのよ。」

[小野島]短い間でしたが、ありがとうございました。明日・明後日のショウを楽しみにしています!

(Michael Gira退場)


[小野島]明日はぜひ。当日券も出るというので、O-EASTで是非拝みましょう。
お二人とも、どうでしたか?

[中原]中学以来のアイドルに会えて興奮しています。もう思い残すことはないです。
(最近出た著作の宣伝を促され、心ここにあらずな感じで『知的生き方教室』を紹介)
お小遣いあったら買ってください。

知的生き方教室

知的生き方教室


(明日・明後日の予習用に、SWANS LIVE 2013(野外ライヴ・7曲)の映像が流れる)


(参考:小野島大さんによる取材後記)


(参考:2012年に発表された「Michael Giraのお気に入りアルバム13選」)


(参考:1/27東京公演のライヴレポート)