【2020年・年間ベストアルバム】

【2020年・年間ベストアルバム】

 

・2020年に発表されたアルバムの個人的ベスト20(順位なし)です。

 

・評価基準はこちらです。

 

http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2014/12/30/012322

 

個人的に特に「肌に合う」「繰り返し興味深く聴き込める」ものを優先して選んでいます。

個人的に相性が良くなくあまり頻繁に接することはできないと判断した場合は、圧倒的にクオリティが高く誰もが認める名盤と思われるものであっても順位が低めになることがあります。「作品の凄さ(のうち個人的に把握できたもの)」×「個人的相性」の多寡から選ばれた作品のリストと考えてくださると幸いです。

 

・これはあくまで自分の考えなのですが、他の誰かに見せるべく公開するベスト記事では、あまり多くの作品を挙げるべきではないと思っています。自分がそういう記事を読む場合、30枚も50枚も(具体的な記述なしで)「順不同」で並べられてもどれに注目すればいいのか迷いますし、たとえ順位付けされていたとしても、そんなに多くの枚数に手を出すのも面倒ですから、せいぜい上位5~10枚くらいにしか目が留まりません。

(この場合でいえば「11~30位はそんなに面白くないんだな」と思ってしまうことさえあり得ます。)

 

たとえば一年に500枚くらい聴き通した上で「出色の作品30枚でその年を総括する」のならそれでもいいのですが、「自分はこんなに聴いている」という主張をしたいのならともかく、「どうしても聴いてほしい傑作をお知らせする」お薦め目的で書くならば、思い切って絞り込んだ少数精鋭を提示するほうが、読む側に伝わり印象に残りやすくなると思うのです。

 

以下の20枚は、そういう意図のもとで選ばれた傑作です。選ぶ方によっては「ベスト1」になる可能性も高いものばかりですし、機会があればぜひ聴いてみられることをお勧めいたします。もちろんここに入っていない傑作も多数存在します。他の方のベスト記事とあわせて参考にして頂けると幸いです。

 

・いずれのアルバムも30回以上聴き通しています。

 

・2020年はこちらの記事

 

 

closedeyevisuals.hatenablog.com

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で各作品の背景説明も絡めた詳しいレビューを書いたので、ここでは個人的な感想のみを簡潔に綴ることにします。2020年の音楽シーンを代表する作品群というよりは「2021年以降も付き合い続けることになる」自分にとって良くも悪くも浅からぬ縁が出来つつある相手達というほうが正確か。過去の総括でなく今後の個人的指針としてのベスト記事というのもあるといいのではないかと思います。少なくとも自分はそういうものを読ませていただけると幸いですね。

 

・上半期ベストに選んだ作品に関してはこちらの記事

 

 

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のほうで詳しめな説明をしています。

 

 

 

 

[年間best20](アルファベット音順)

 

 

赤い公園:THE PARK

 

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たとえば2曲目「紺に花」を聴くと自分は10代~20代前半の学生がカラオケで爽やかに盛り上がっている姿を想起するのだが、これは皮肉でもなんでもなく本当に素晴らしいことなのだと思う。赤い公園は非常に豊かな音楽的バックグラウンドを持ったバンドで、スティーヴ・アルビニ録音作のように荒れ狂うギターやMOTORHEAD的に硬く分厚いベースが「なんでそんな動きをする??」感じのフリーキーなフレーズを多用するのだけれども、それらはアレンジの一要素として自然に収まり機能していて、全体としてはあくまで親しみやすく煌びやかな歌ものになっている。エキセントリックなアイデアをつぎ込みまくっていても捻くれた感じは薄く、深い屈託を湛えつつ衒いなく明るく弾けることができてしまう。こんな形で王道J-POP感を発揮し表現上の強みにしてしまえるバンドは滅多にいないし、それはメジャーデビュー後8年に渡る試行錯誤を経たからこそ到達できた境地でもあるのだろう。石野理子の信じられないくらい素晴らしいボーカルもそうした立ち位置や雰囲気表現に完璧に合っている。全曲良いしアルバム全体の構成も見事。リーダーの早逝うんぬん抜きで聴き継がれるべき傑作だし、この後の展開を見続けていたかった。

 

 

 

 

Aksak Maboul:Figures

 

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 いわゆるレコメン系(音としてはジャズロック~現代音楽とポストパンク~ニューウェーヴが交錯するところにあるプログレッシヴロックみたいなもの)の最高峰とされるベルギーのバンドで、この単体名義としては実に40年ぶりとなるフルアルバム。2枚組計76分の盛り沢山な構成で、音楽的にも上記のような複雑かつ高度な要素が続出するマッシヴな内容なのだが、実際に聴いてみると取っつきにくい印象は全くない。ライヒ風の厳粛なイントロから脱力トラップパートに移行する1曲目をはじめ、背筋を伸ばしつつ肩肘張らない独特の親しみやすさに満ちていて、入り組んだ構造を底抜けに楽しく聴かせる素晴らしい作編曲&演奏もあってかとにかく聴きやすい。高齢者だからこそ出せるタイプの瑞々しさに溢れた雰囲気は近年のビートミュージック成分も巧みに取り込む(ロートル感の一切ない)姿勢にもよるものだろう。SLAPP HAPPYなどに通じる(この系統で伝統的に培われてきた)偏屈なチャーミングさが最高の鮮度で示された傑作。北海道の高校生テクノバンドLAUSBUBのメンバーが年間ベスト上位に挙げていたのをみておおっと思ったが、確かにそれも頷けるアクセスしやすさ(話題の土俵に上がる音楽スタイルや実際に聴いて良いと思わせる訴求力など)を備えたアルバムだといえる。

 

 

 

Ambrose Akinmusire:on the tender spot of every calloused moment

 

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 アレンジの美味しさ奥深さやフリー的展開における間合いの取り方など、音楽構造や演奏表現の面において研究されるべき達成に満ちた一枚だが、そんなことを何も考えなくても心地よく浸り通せるアルバムの構成も素晴らしい。寝起ちの際にある半覚醒状態で機敏に反応するような瞑想/酩酊感覚がどこまでも味わい深い。アフロポップとMAGMAを現代の感覚で接続開拓するような趣もあるし、ジャズに馴染みのない人でも聴きやすく容易にハマれる傑作だと思う。

 

 

 

 

青葉市子:アダンの風

 

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 自分は本作を聴いているとなぜか三上寛の傑作アルバム『負ける時もあるだろう』を連想してしまう。特に「海男」。青葉市子の音楽は清廉で爽やかな空気感に包まれているが、それはギリギリ魚が住める程度に透き通った水という感じのものでもあり、生と死が静かにせめぎあう際を漂っている印象が常に伴う。大自然にむけて開かれているがそれだからこその寄る辺なさがつきまとい、それを力みなく引き受けてすいすい泳いでいく。梅林太郎を共同作曲家に迎えアレンジ面での強度を格段に増した本作は多彩なスタイルの曲からなるが、そうした様々な場面が並びながらもカラフルさよりもモノトーンな印象の方が勝るのは上記のような在り方やそれを反映する演奏表現によるところも大きいのだろうし、こうしたことはアルバムの完成度の高さに大きく貢献しているように思う。三上寛のようなあからさまな激情表現はないが、内にたぎる何か(“想い”といった次元に回収できなさそうなもっと大きく抽象的なもの)は引けを取らないし通じるものもある。非常に聴きやすいし心地よく浸れるが、ただならぬものに満ちた傑作なのだと思う。

 

 

 

 

Blake Mills:Mutable Set

 

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 2020年を代表するプロデューサー~共同制作者となり(サム・ゲンデルなどと並び)、ソロ作品である本作も「生演奏なのに全然生演奏的でない」音作りの興味深さなどの面から決定的な名作という定評も固まりつつあるわけだが、そういった制作面での凄さ新しさはもちろんのこと、とにかく曲と演奏が良いという点においても素晴らしいアルバムだと感じる。冒頭を飾る「Never Forever」の気付いたら懐に入られているようにさりげなく急激な導入、「Money Is The One True God」や「Mirror Box」などの気の長い時間感覚(しかもそれぞれ語り口が異なる)など、緩急の構成やそのつなぎ方がとにかく巧みで心地いい。アメリカーナを土台にラテン諸国にも欧州にも接続するような豊かな構成成分も実に滋味深いし、聴きやすいのに聴き飽きようのないポップミュージックとして稀有の出来栄えなのではないかと思う。悪酔いしにくいこともあってつい口にしてしまう銘酒のような音楽。時間をかけて読み込んでいきたい傑作だと思える。

 

 

 

 

BORIS with MERZBOW:2R0I2P0

 

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 とにかく音が心地よすぎる。「スピーカーから聴けるASMR」とすら言える極上音響は生理的なツボだけを大胆に撫で続け、強引に心地よくさせてくるのに過剰になることがない。下記記事で詳しく書いたように、2020年を代表し象徴する癒しと苛立ちの音楽なのだと思う。

 

 

 

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BUCK-TICK:ABRACADABRA

 

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 作編曲についていえば過去作の焼き直しのようなフレーズも少なからずあるが、音響構築や雰囲気表現などがしっかり「今まさにこの時」のものになっていることもあってか全体の印象はどこまでも瑞々しい。陰陽のバランスを絶妙に保ちながら歩を進める構成も“気を張らずにカマす”粋な佇まいも、今のこのバンドでなければ表現できない唯一無二のものなのだといえる。深く打ちのめされる展開もあるのに何度でも気軽に聴き通してしまえる傑作。

 

詳しくはこちら:

 https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1307866206297157632?s=21

 

 

 

DARK TRANQUILLITY:Moment

 

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 このアルバムは今年のメタルシーンの中では際立って目立つ作品ではないし、ジャンルや歴史のプレゼンをするのであれば自分も選ばない。しかしその上で、音楽における根本的な味覚、音進行の傾向が示す“ダシ”の在り方とかそれと音色/音響が組み合わさることにより生まれる空気感の質のようなものに関しては、個人的にこれほど肌に合うバンドは稀なのである(その意味ではMESHUGGAHあたりと並び最も大事なバンドのひとつと言える)。本作はそうした味わいが過去最高に練り上げられたアルバムで、バンドの歴史を追いながら20年間聴いてきたからこそ具体的に吟味できるホーム感と意外性に満ちている。それを言葉で伝えるのはおそらく(文章化して説明することはできても実感させるのは)不可能だろうが、それだけの魅力や奥行きがあることは保証できる。自分にとっては本当に大事なバンドになってしまったんだなということを実感させられる燻し銀の傑作である。

 

 

 

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長谷川白紙:夢の骨が襲いかかる!

 

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本作を聴いていて改めて実感させられるのは長谷川白紙のヴィジョンとその吟味・成否判定能力の素晴らしさ。例えば「LOVEずっきゅん」(相対性理論のカバー)では原曲のばたばたしたアンサンブル感覚(かわいらしさなどのニュアンス・在り方を表現するにあたって不可欠な質感になっている)を意識的に把握、しかも自分に見合った形で再構築してしまえている。「光のロック」(サンボマスターのカバー)ではそうした解釈を通しそれと密接につながる独自の在り方(生き急いでいるんだけれども落ち着いてもいる、切迫感がある一方で地に足が着いてもいる感じ)が表現されていて、教養の深さとはまた別の、そういう一般的な(社会の共有財産的な)ものを積み上げているだけでは身につかない固有の得難い持ち味が熟成されていることを窺わせる。

長谷川白紙の演奏技術は以上のようなヴィジョンをそのまま示すほどにはまだ磨かれきってはいない(もちろん非常にテクニカルではあるけれども、少なくとも発声技法に関しては身体的にも知識的にも開発の余地が多い)のだが、本作においてはそういう到達度の釣り合わなさもむしろ良い方向に機能しているように思われる。例えば「セントレイ」(サカナクションのカバー)の歪んだボーカルは咽頭まわりの脱力が(そしておそらくは背筋のコントロールも)こなれればもっと精密な音色コントロールが可能になるわけだが、このテイクではこのような制限を伴う飛び立ちきれない感じが楽曲の解釈や演奏に不可欠に貢献している。そして、そうやって激情を比較的わかりやすく滲ませつつ崩れきらない瀬戸際を保つボーカルに寄り添い時に前に出そうになる鍵盤のニュアンスが実に見事で、そのふたつを弾き語りで同時に演奏できることの凄さにも痺れさせられる。

本作に収録されているカバーはいずれも非常に良いが(原曲の深い読み込みを踏まえたほとんど自作曲と言っていい出来)、唯一のオリジナル曲「シー・チェンジ」はそれらを上回る最高の仕上がりになっている。上記のようなヴィジョンと演奏技術が完全に良い方向に機能したボーカルは光を当てる角度によって色合いが変わるプリズムのようなニュアンス表現を成し遂げていて、喜怒哀楽が虹のように輝き融けあう歌声がどこまでも素晴らしい。特に3分54秒からの無邪気な愉悦とも嗚咽ともとれる(その両方ともいえる)声は聴く度に泣きそうになる(というか泣く)し、その後のラインごとに表情を変える歌唱表現はもう神がかっている。名曲名演と言っていい音源だと思う。

アルバム最後を飾る「ホール・ニュー・ワールド」カバーを聴くと、この曲をひとりで歌うということやそれが必然性をもって違和感なく成立してしまえていることに思いを馳せさせられる。28分という短さながら完璧に完成された(表現的には未完成の部分も含めひとつの世界系としてまとまった)大傑作。本稿の20枚に順位をつけるならこれが1位で、この人のキャリアでみても現時点での最高作だと思う。ここからさらに進み続けてくれると信頼しています。

 

 

 

 

Igor Pimenta:Sumidouro

 

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 マルコス・ヴァーリに『Vento Sul』という傑作がある。11の小曲からなる計33分のコンパクトな構成ながら、それぞれ大きくスタイルの異なる楽曲が並ぶことで総体として複雑な生態系が立ち現れるような不思議なまとまりの良さがあり、豊かな自然を湛えた離れ小島を散歩しているふうな独特の居心地を与えてくれるアルバムになっている。イゴール・ピメンタの本作もそれに通じるものがあり、近年のジャズを通過しさらに高度になったミナス音楽を土台に、欧州の仄暗いフォークやプログレッシヴロック(GENTLE GIANT『Three Friends』カバーあり)など様々な音楽要素を取り込んだ上で、多方面に拡散する豊かさと全体としての統一感を見事に両立してしまえている。冒頭を飾る「Lamentos de Mãe d Água」の3拍子イントロにおける極上のクロスリズムをはじめ興味深く格好良いアレンジが満載で、陽光の下でうつむき気味に楽しむブラジル音楽ならではの佇まいが高度な構造と不可分に結びつき互いを活かしあっている。リーダー作としては本作が最初の一枚となるイゴール(これより前にTHE BEATLESの素晴らしいカバー曲集あり)よりもアンドレ・メマーリやアントニオ・ロウレイロをはじめとする豪華ゲスト陣のほうが注目されがちだが、多彩な要素をここまでうまくまとめることができたのはやはりイゴールの手腕があってこそなのだろう。非常に聴きやすくいくら聴き通しても飽きない不思議なアルバム。傑作だと思う。

 

 

 

 

Kim Myhr & Australian Art Orchestra:Vesper

 

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 ソロギターと現代オーケストラ(20人余)のアンサンブルということで、基本的には一定の枠組みを用意しつつギター側が自由度多めに即興的変遷をしていく構成なのではないかと思うのだが、そう考えつつオーケストラ側の音色を辿ってみるとそこまでピッタリ揃うよう強制されていないようにも感じられる。フレーズ構成の面では狭い音域から逸脱しないような縛りをかけられながらもその中で自在に動き回ることにより、全体としてのモノトーン感と複雑に反射し偏光面を変え続ける煌めきが両立されているように思うし、それが明確なビートなしで流れていくことで生まれるアンビエントな聴き味もあって、流していると文字通り時間が経つのを忘れてしまう。瞑想用のBGMとしても気軽に使えてしまうような聴きやすさと複雑な奥行きを兼ね備えた素晴らしい作品。様々な意味で重宝しそうだし意識的にも聴き込みたいものである。

 

 

 

 

君島大空:縫層

 

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 和声進行や音響など各々の要素は奇妙で引っ掛かりに満ちているのだが、楽曲やアルバムの流れは極めて滑らかで、何度繰り返し聴いても細部を印象に留めきることができず、総合的にはむしろ渇きのような感覚が際立って残る。ということもあって最初は(正確に言えば、全体の流れを具体的に把握しとりあえず“わかった気になってしまえた”後は)「これはそこまで長く付き合い続けるものにはならないかもな」と考えていたのだが、上に述べたような「細部を印象に留めきることができない」「渇きのような感覚が際立って残る」ことこそがむしろ重要な持ち味なのではないかと考えると、それまで物足りなく思っていた印象が急に反転するかのような納得感が得られた。君島大空はインタビューで「一瞬を音楽によって引き延ばしたい」という表現志向を繰り返し述べているが、このアルバムではその在り方が、“確かに肉眼で捉えられるようにはなっているが掴んで引き留めることはできない”というもどかしい感覚をも併せ持つかたちで具現化されている。春の柔らかい光に包まれた桜並木が心を深く捉えても花弁一つ一つの様子を記憶に残すのは難しいように、『縫層』においては眩い光景の輝かしさと儚さがアルバム全体の時間の流れ方や居心地そのものによって表現されているように思う。

自分はこの見立てを今(2021年3月末)まで得ることができなかったが、それは昨年11月のリリース当時から折に触れ聴き返し考えさせられてきた蓄積と今年の春の風景があって初めて届いたものであり、音楽に出会う(最初に接した時から引っ掛かるものがあることはわかっていたもののそれが何なのか具体的に気付きしかも咀嚼するに至る)ためにはやはりある程度の時間が必要なのだなと改めて実感させられた。理屈抜きに好みに合うかというとそうとも言い切れない作品だが、以上のような意味では個人的に最も大事なアルバムといっても過言ではないかもしれない。こういうことがあると「音楽を聴き続けるのって本当に面白いな」「いろんな角度から考え接してみるのってやっぱり大事だな」と思う。

 

 

 

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Klô Pelgag:Notre-Dame-des-Sept-Douleurs

 

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カナダ・ケベック州出身のシンガー/ソングライター。影響源として挙げているのがダリ、マグリットドビュッシー、ジャック・ブレル、KING CRIMSONフランク・ザッパなどで、ケイト・ブッシュビョークなどと比較されることが多いのだが、声のキャラクターも音楽性(傾向としてはオーケストラルなチェンバーポップという感じか)もそれらと一線を画すただならぬ個性を確立しているように思う。本作はこの人が子供の頃に何度も通り過ぎていた看板(一昨年ひさしぶりに訪れたところ村というよりも35人ほどしか住んでいない小島だったことが判明)の名前を題したもので、そこからイメージしていた不吉な情景とそれに通じる近年の自分の気分が描写されている。ポストパンク~ゴシックロックを16世紀以前の教会音楽の語法で洗練したような楽曲群は大聖堂の地下室でひっそり営業する見世物小屋のような妖しさに満ちており、それはこの整っているがどこか不穏な歌声(真摯で可愛らしくそれでいて確実にネジが何本かぶっ飛んでいる感じ)があればこそ可能になったのだろう。アルバムとしての構成も文句なしに素晴らしく、奇怪なポップさに酔いしれていたらいつのまにか聴き通してしまっていることも多い。それこそ離れ小島のように完結した世界と仄暗い奥行きを窺わせる傑作。

 

 

 

 

(Liv).e:Couldn`t Wait to Tell You...

 

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 正直言ってコード進行はあまり好みのタイプでなく、初期フュージョン~ネオソウル~チルウェイヴの定型を分解しつつわりと色濃く残している感じは「悪くないけどもっと明らかに個性的なものを聴きたい」となってしまうのだが、鳴りがよく不思議な伸縮を繰り返すビートの魅力に惹かれるのか、つい繰り返し聴き通してしまうアルバムになっている。中盤の分水嶺となる「To Unplug」はこうした意味において本作を象徴するトラックだろう。ストーンした電化マイルスの上で霧状のシルクが舞うようなサウンドも気絶級の心地よさ。ソランジュやアール・スウェットシャツ以降のオルタナティブR&B~ヒップホップにおける一つの到達点を示す傑作だという気がするし、これからもなんとなく繰り返し接し読み込んでいきたいと思う。

 

 

 

 

ORANSSI PAZUZU:Mestarin Kynsi

 

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 2020年のメタルシーンを名実ともに代表する傑作となったこのアルバムについては下記記事や連続ツイート(記事中にリンクあり)で詳しく述べたのでそちらを参照いただきたいが、そうした状況/背景的なことを脇において自分がなぜ本作に惹かれるのかということを考えると、生演奏のリズムアンサンブルが素晴らしいというのが最も大きいのではないかと思う。1曲目「Ilmestys」イントロにおけるバスドラムの絶妙な間の活かし方(深い安定感と微細な危なっかしさを完璧に両立)を聴くだけでも演奏のうまさは明らかだろう。結成14年目でライヴレコーディング中心の音源制作を続けてきたこのバンドの強靭な地力はクロスリズムを多用する本作において過去最高の形で発揮されている。その意味において70年代の偉大なハードロック~プログレッシヴロックバンドにも並ぶアンサンブルの魅力に満ちたアルバムだと言えるし、繰り返し聴いても飽きることがない理由はそのあたりにもあるのではないかと思う。ジャンル云々を気にせず広く聴かれるべき傑作である。

 

 

 

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Oumou Sangaré:Acoustic

 

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マリを代表するシンガーであるウム・サンガレによるアコースティックアレンジ再録作。11曲中9曲が2017年の傑作『Mogoya』(10曲収録、現代的ビートを全面導入したヒップホップ~エレクトロ色強めのポップス)から選ばれており、同作の参加メンバーが2019年4月にロンドンで行ったスタジオライヴ録音が土台になっている。ドラムレス・ギター&ハープのみの編成なので『Mogoya』のような多彩な電子ビートは入っていないが、西アフリカのポップスならではの異常に精密なフレージングはそれ自体で強靭なビート感覚を示すことができていて(ボーカルも含め)、特にギターの複雑なフレージングは「ギターは打楽器」というよく言われる話をこの上なく見事に示している。その上で全パートがメロディアスなのもアフロポップならではで(いわゆるブラックミュージックのルーツとされることもあってアフリカ音楽=渋いという印象もあるかもしれないが、アメリカのブルース的な引っ掛かりが希薄な音進行はむしろ日本の演歌などに近い)、耳あたりは非常によくとても聴きやすい。以上のようなスタイルということもあってか超絶テクニカルながらむしろメディテーション向きの音楽になっており、運動(ルーチンワーク)や日常生活の延長で気軽に瞑想に沈ませていくような効能がある。戦闘的ながら柔らかく、添加物のないミルクを通してエネルギーを与えてもらえるような素晴らしい作品。なんとなく聴いていたらいつの間にか立ち上がる気力が湧いているような効能のあるアルバムである。

 

 

 

 

Salmonella beats:Salmonella brain

 

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 初音ミク&生声のラップなのだが、DC/PRGとOneohetrix Point NeverをSIMI LABあたり経由でぶつけ脱臼させたところをChassolで補修したようなビートは複雑の極みで、何度聴いても拍をつかむことができない(基幹ビートをとって数えることはできるので「拍子構成の正解を確定することができない」というほうが適切か)。それも無理もない話で、2020年に制作したもの|松傘|noteによれば、「ある分布に基づいて音階・音長・打点をランダムに配置する」というコンセプトのもと、本作のために自作されたC言語のプログラムから構築されているのだという。しかし、多層リズム/BPMからなるビートは著しく難解ながら不思議な親しみやすさにも満ちていて、聴くほどにパズルのピースが(目隠し状態の手元で)はまるような快感がクセになる。この名義が示すように歌詞は様々な意味でエグいが、それがミクや生声の朴訥とした声質で絶妙に中和されていて、どこか駕籠真太郎の漫画にも通じるエキセントリックな爽やかさを堪能することができる。全体の構成の良さや独特のユーモア感覚のようなものもあってかアルバムとしての居心地も非常にいい感じ。チャクラやMASSACRE、ティポグラフィカDos Monosなどが好きならぜひ聴くべきビートミュージックの傑作。ボカロ音楽一般に対する(よく知らないながらの)偏見を一発で撃ち払う魅力と説得力に溢れた作品だと思う。

 

 

 

 

Speaker Music:Black Nationalist Sonic Weaponry

 

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初期デトロイトテクノをフリージャズ的語彙を援用しつつ精神性のレベルから現代的にアップデートしようとする大傑作。アフリカのトーキングドラムをミルフォード・グレイヴスの超絶ドラムスまたはAutechreSquarepusherなどを参照しながらトラップ以降の高速シーケンスに落とし込んだようなビートはモノトーンながら極めて饒舌で、出自を強烈に主張する一方で汎世界的な広がりに身を沈めるような印象もある。そこにうっすら絡む電子音響など多様なサウンドの抜き差しも絶妙で、THE POP GROUPのような戦闘的姿勢&豊かさを“取り返す”(オリジネーターとしての評価もそこから分岐して他で生まれた音楽的成果なども)ような矜持に満ちてもいる。エクストリームなヒップホップに通じるような激しさと柔らかくしなやかな質感を兼ね備えた空間感覚も絶品。アルバム全体の構成も含めほとんど完璧な一枚といえる。暴力的にもなりうる勢いを直接的な傷害力としてでなく健康的に体を突き動かす音響的魅力に転化してしまうプレゼンテーション能力は本当に凄まじいし、その意味においてハードコアパンクなどに近いところにもある音楽なのだと思う。

 

 

 

 

寺尾紗穂:わたしの好きなわらべうた2

 

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 日本各地のわらべうたを強靭なバンドアンサンブルで再構築するシリーズの2作目。11拍子の「鳥になりたや」(岐阜/本巣のてまり唄)や〈10拍→11拍→12拍→4拍子〉を繰り返す「えぐえぐ節」(北巨摩郡駒城村)など、民謡に多い「拍子の整い方よりもメロディとしての在り方を優先した」ような構造が絶妙に活かされたアレンジを全曲で堪能することができる。アンサンブルにおいて興味深いのが平均律微分音の共存で、ピアノなどの正確な音程と時折飛び込んでくる笛などの不安定な音程がこすれ合うことにより現れる微妙な緊張感が不思議な魅力と説得力を醸し出している。これはボーカルが両者の間にうまくはまり込んでいるからこそ可能な関係性なのかもしれないし、無色透明な印象もあるそうした声がわらべうたの主張強めなメロディと絶妙なバランスを生んでいるというのもあるだろう。アルバム全体の構成も良くつい何度も続けて聴き通せてしまう。同年発表のオリジナルアルバム『北へ向かう』も素晴らしい作品だが個人的にはこちらのほうにより惹かれる。傑作だと思う。

 

 

 

 

Tomoko Hojo + Rahel Kraft:Shinonome

 

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 『東雲』とは、明け方に東の空にたなびく雲、闇から光へ移行する明け方をさす言葉であり、それを冠する本作のコンセプトは「夜明けの音と歩行との関係を探る」ことであるという。視覚的な入力が減ることにより聴覚的な感覚が拡張され、普段は聴こえない音を知覚することができる。ノルウェー北部の極光のもとで制作された本作は、フィールドレコーディングやボイスレコーディング(人の話し声も随所で挟まれる)、電子音やアコースティック楽器の音からなり、一般的な意味で明確な楽曲構造と無加工の環境音との境目にあるような不定形なサウンドが続くが、52分にわたる全体の構成は完璧に滑らかで、聴きづらさを感じることなくあっという間に聴き通してしまうことができる。鳥や猫の鳴く声、踏切や車内アナウンス?の音などは様々な場所や光の濃淡を想起させ、抽象的なBGMにも聞こえる音楽はそうしたものへ意識を向けた瞬間にすぐ隣に佇む世界として立ち現れる。何も考えずに聴いても何も掴めない(その上で心地よく聴き流せてしまう)けれども、目を凝らすほどに聴こえてくるものが多くなり音楽全体の構造も具体的に把握できるようになる。稀有の音楽体験を与えてくれる傑作。様々な時間帯や季節を通して付き合っていきたいアルバムである。