【2019年・年間ベストアルバム次点】

【2019年・年間ベストアルバム次点】

2019年に発表されたアルバムの個人的ベスト次点36枚です。
順位は無し。並びはアルファベット順です。

評価基準はこちら
http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2014/12/30/012322
個人的に特に「肌に合う」「繰り返し興味深く聴き込める」ものを優先して選んでいます。
アルバムを付き合う相手にたとえるならば、恋の激しさよりも愛の深さ、もしくは微妙な緊張関係があったとしても腐れ縁的に長く付き合えるものを。家にたとえるならば、時々訪れてキレイさ面白さに感心するアミューズメントパークみたいなものよりも、終の棲家として長く過ごせるだろうものを優先して選んでいます。

上半期ベストで扱ったものに関しては基本的にはそのまま転載しています。

ベスト20はこちら(機会があれば本記事と同様にまとめます)
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1211688912432709634?s=21


【次点36枚】


《一覧》

あいみょん
Anna Meredith
Arthur Moon

Billie Eilish
black midi
THA BLUE HERB
BRING ME THE HORIZON
cali≠gari
clipping.
DARKTHRONE
Dos Monos
・・・・・・・・・
FKA twigs
FLOATING POINTS
FLYING LOTUS
細野晴臣
Jacob Collier
空間現代
ももいろクローバーZ
MON/KU
MORRIE
NOT WONK
THE NOVEMBERS
Ossia
O Terno
小袋成彬
OPETH
Pedro Kastelijns
崎山蒼志
Suchmos
THANK YOU SCIENTIST
Tyler, The Creator
Uboa
VAURA
WASTE OF SPACE ORCHESTRA
WILDERUN

 

 


《短評》

 


あいみょん『瞬間的シックスセンス

 

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ここ数年「90年代J-POP的なものを“おふくろの味”とする音楽が増えてきたな」と感じることが多い。ひとくちに歌謡曲とかJ-POPと言ってもそれが作られた時期によって音進行の傾向は異なり、大雑把に括っても70年代に売れた曲と90年代に売れた曲のコード進行はそれぞれ感覚的ながら明確に聴き分けられる薫りやクセのようなものがあるように思う。フレーズやコードの反復から生じるループ感覚を滑らかな解決感(「AメロやBメロでどれだけ複雑な進行をしていてもサビでは一気に単純な泣きの進行になる」と言われがちだったJ-POPのサビの部分に顕著)のもとでどう残すかという具合、さらに言えばその参照元には年代ごとに大まかな傾向があり、そしてそれを聴いて育った後の世代はそれを無意識的に身に付けていく。大森靖子(音源発表は2012年頃から)の楽曲に小室哲哉ハロプロに通じるコード進行が多いように、90年代に大ヒットしたタイプの音進行を血肉化(「日本人の舌は醤油を欲するように育てられてしまっている」的に)した音楽がこのところ明らかに増えてきた、というか基本的なスタイルのいくつかとして定着してしまった感がある。個人的に興味深いのはそうした90年代的な要素がまったく忌避の対象になっていないことで、これは自分(1982年生)のように当時の売れ線J-POPに全く馴染めなかった立場からすると意外ではあるのだが、その一方で自然でとても好ましいことにも思える。時代が一周してフラットな立場から健全に向き合えるようになったというか。スピッツ浜田省吾の影響を公言するあいみょん(1995年生)もそのひとりで、親の代または直近のミュージシャンからそうした要素を受け継いできた面も多いのかもしれない。

ミュージック・マガジン』2020年1月号「特集 ベスト・アルバム2019」の「Jポップ/歌謡曲」の選者評に以下のようなコメントがあった。「19年はヒット・チャート的にはあいみょんOfficial髭男dismの年だったが、両者ともに売れるだけの質はあるもののドメスティックな音楽の縮小再生産という感は否めず、図らずも日本社会の景気の悪さを体現した印象。対照的にここに選ばれた、我が道を行く人たちの作品は力強い。」これは“新陳代謝が盛んなアメリカのポップシーンと比較して日本はどうしてそうならないのか”というもどかしい思いも背景にあるのだろうし、90年代J-POP的なもの(CDバブル時代の“悪貨が良貨を駆逐する”ような傾向を含め)に嫌悪感があるだろうことも考えれば無理もない話なのだが、「ドメスティックな音楽の再生産」なのは誤りでないとしてもそれは「縮小」なのか、そして「我が道を行く」ものでないと言えるのか、ということについては議論の余地がある。90年代~00年代的な音楽語彙を駆使していてもその使い方は当時のそれとは異なり、特有のエッセンスを受け継ぎつつより味わい深い個性を確立できているものが多いし、オリジナルは化学調味料的な不自然な成り立ちをしていたとしてもそれを血肉化した現世代は優れた自然物として再構築してしまえている(商業的なヒットソングを健康的に咀嚼した上で自らの我が道を行く表現に活用してしまっている)ものも少なからずあるのではないか。ガワもダシも似ているが総体としてはしっかり別物で、そしてそれは海外の音楽には真似できない優れたオリジナリティを確立できている。そうした表現を「90年代J-POP的なものを“おふくろの味”とした」上でやってのける音楽がここ数年明らかに増えてきていて、そうしたものを適切に評価するには90年代J-POP的なものに対する偏見や生理的抵抗感はとりあえず脇に置いておかねばならない。あいみょんOfficial髭男dismが今の10代や20代からも大きな人気を得ているのをみるとそう実感させられる。

あいみょんについていうと、音楽的には上記のようなこともあってそこまで深くのめり込めるタイプのものではないのだが、とにかく歌唱表現力が素晴らしいので聴けば惹きつけられるし良いと思わざるを得ない感はある。これが売れるのは当然というか健全なことだし、こうした方向性でなければ到達できない音楽性をどんどん開拓していってほしいと思う次第です。


本作についてはこちらで詳しく書きました
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1095676568662228993?s=21
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1095541829636784128?s=21

 

 

Anna Meredith『FIBS』

 

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雑にたとえれば「Moebius, Plank , Neumeier『Zero Set』とGENTLE GIANTを混ぜてSt. Vincentでまとめたソフト&ハイパーな音楽をアカデミックなクラシック音楽の側から構築している」という感じの音楽。ポストパンク的な音色も多用してはいるが音進行はクラシック音楽の機能和声(それもヴィヴァルディやモーツァルトホルストあたりの不協和音があまりきつくないもの)で育ったことを窺わせる滑らかなものばかりで、複雑で層の厚いアレンジをしながらも極めて聴きやすく整った構造が美しい。構成は曲単位でも一枚全体でみても非常によく整っていて、ポップミュージックのアルバムとして完璧に近いウェルメイドだと思う。ポストパンクやビートミュージックからクラシック音楽にアプローチしたというよりも、本業であるクラシック音楽の感覚をエレクトロポップの語法を用いて構築したような趣の音楽で、センス一発のモーダルな進行に陥らずその上で安易に解決しすぎない引っ掛かりを備えるバランス感覚が素晴らしい。傑作だと思います。
特筆すべきはそれこそヴィヴァルディ「四季」のような健康的で爽やかな昂揚感で、ライヒ的なミニマル要素やONEOHTRIX POINT NEVERのような電子音響を駆使しながらもあまり“アヴァンギャルド”であることを目さない配合がポップミュージックとしてはむしろ非常に良い塩梅で機能しているように思う。個人的にはもう少しジャズ寄りの切れ味鋭い和声進行が好きなのでそこまでストレートにのめり込む対象にはなっていないのだけれども、それでも何度でも飽きずに聴き通せる素晴らしいアルバムになっている。GENTLE GIANTをわりとそのまま連想させる「Killjoy」が特にお気に入りです。


本作についての優れた紹介記事
https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/23546

 

 

Arthur Moon『Arthur Moon』

 

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DIRTY PROJECTORSやBon Iver以降の感覚から生まれたSLAPP HAPPY」というふうにたとえられるような気もするが、既存の何かに似た響きを持ちながら何にも似ていない。テクニカルだが嫌味さは全くなく、偏屈なところもありつつ底抜けに素直な印象もある。複雑で親しみ深い、魔法のような音楽です。

 

本作についてはこちらで詳しく書きました
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1157308177550958594?s=21

 

 

Billie Eilish『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?』

 

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今年のポップミュージックを代表し象徴するアルバム。ビリー・アイリッシュと本作については『ユリイカ』の特集号に寄稿しいろいろ書きましたが
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1186103169375326208?s=20
(チルウェイヴ/ダブステップ、ASMR、ストリーミングサービスで有利な音響、ビリーの楽曲の歌いやすさ、健全な自己肯定感などについて、「声量」から「声質」というテーマでまとめた)
ここ数年から今年に至る社会情勢や音楽的流行を反映し以降への流れを示す点においても(「チル、暴力、そして健康」というキーワードをツイッターで見かけたが過不足なく完璧な謳い文句と言える)そうしたことを超越したタイムレスでオリジナルな傑作としても稀有の傑作だったと思います。様々なジャンルの音楽メディアで高く評価されるのも当然の内容だし、音楽一般に馴染みがない人が無理なく多方面に接続する入口としても素晴らしい。近いうちに実現するだろう来日公演や2ndフルアルバムの発表が楽しみです。


こちらでも詳しく書きました
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1111345274494943233?s=21

 

 

black midi『Schlagenheim』

 

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本作については最初「NOMEANSNOと70年代前半GENESISをかけあわせたようなハイエナジー&超繊細な演奏、全盛期GENTLE GIANTと初期SWANSをCAPTAIN BEEFHEART経由で融合したような異常に豊かな作編曲。SLINT『Spiderland』にも並ぶような化け物級傑作」と形容して、これは今でも誤りではないと思っているのだが、聴いた人の数だけ異なる比較対象が挙がるのを見ているとそうしたことはやはりあくまで膨大な音楽要素の一部分に過ぎないのだろうなという気がする。ハードロックにもハードコアにもなりきらない演奏感覚とか静と動を滑らかに接続する(オンかオフかではなくその間の様々なパラメータを繊細に行き来する)ダイナミクスコントロールが本当に凄いバンドだし、今年9月の来日公演ではそうしたポテンシャルの凄さが多少のムラとともに非常によく示されていた。本作を余裕で超える作品を連発してくれそうでもあるし、来年あたり急に解散してしまう可能性もゼロではなさそう、というふうに刹那的な危うさと安定感が同居するところもすごく面白い。また生で観たいしできるだけ長続きしてほしいものです。


本作についてはこちらで詳しく書きました
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1141735775563730944?s=21

来日公演感想(大阪・京都)
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1169941189534961664?s=21
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1170284432764235778?s=21

 

 

THA BLUE HERBTHA BLUE HERB

 

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本作に伴うツアーではアルバム収録時間と同尺の2時間半におよぶパフォーマンスが繰り広げられていたが、その京都公演(8/27)に行って個人的に初めて気付かされたことがあった。自分は最近までTBHのラップというよりもポエトリーリーディングに近い(ビートに一音一音密着するというよりも絡まず並走する感じの)フレージングの魅力がよくわからなかったのだが、そういうタイプの演奏だからこそ生み出せるタイプの表現力が発揮されていたのである。BOSSの微妙に生硬いフロウはミニマル音楽とファンクの中間かなり前者寄りという感じのもので、長いスパンで持続する流れを作りながらも安易に踊らせ忘我に至らせることはない微妙な按配を保つ。BOSSというとハードコアにも通じる気迫・深みを感じさせる声やリリックの魅力が賞賛されることが多いけれども、ある種アンビエントにも通じるこうした緩急コントロールやペース配分、スタミナのほうが音楽的特性としては稀有な持ち分なのではないか。初のセルフタイトルとなった2枚組の本作が2時間半の長さを負担なく聴き通せるものになっているのもBOSSのそうしたアンビエントな声の表現力によるところが大きく、それはO.N.Oのトラックについても言える(過去作に比べれば淡白になったとも言われるが本作の方向性に最適化しあえて刺激を前面に押し出さないようにしたものだと思われる)。特有の揺れるが跳ねないリズム処理は過剰に身体的なノリを作らず語りを聴き手に染み込ませるのに適した形態なのだろうし、2時間半のライヴを非常に短く感じさせてしまえるのもこうした声の表現力にソウルミュージックやファンクに連なるセット構成の技が加わっているからなのだろうと思えた。このような“伝える技術”は音楽うんぬん以前に一般的なコミュニケーション能力として驚異的に優れたもので、しかもそれは大量の言葉を綴れるヒップホップという音楽形式だからこそ最高度に発揮される。そうしたことをひたすら実感できる素晴らしいライヴだった。
そして、そうしたステージに接して強く感じたのが「TBHのライヴは演し物ではなくコミュニケーションなのだ」ということだった。自己主張や自意識を見せつけるための決まりきったセットではなく、観客とのやり取りを通しそこでしか得られないものを生み出す場。セルフボーストをしていてもエゴの押し付けにはならず、あくまで「俺はここにいるぞ(そして、お前はどうなんだ)」という実存の謙虚な主張になっているというか。これほどパーソナルな語りをしているのにBOSSソロではなくあくまでTBHとしての存在感を保っているのはそういう姿勢があるからだろうし、スピーカーから一方通行に流れてくる音であっても行間に“一行一行に反応して考える”間が用意されているから一対一の対話になるようにできている。本作はTBHの以上のようなアンビエント性・対話姿勢を最高の形で具現化することに成功した傑作で、一聴して地味に思えたとしても繰り返し聴き込むほどに味が増していく。長く付き合っていけるように作られている素晴らしいアルバム。ストリーミング配信解禁を待たずに買う価値のある傑作だと思います。


本作に関するインタビュー十数本のリンクまとめなど
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1147082164560785408?s=20

RHYMESTER vs. THA BLUE HERB、BEEFと和解の記録
(本作収録「TRAINING DAYS」の背景を丁寧に解説した素晴らしい記事)
https://twitter.com/sapporo_posse/status/1198524209581838336?s=20
https://twitter.com/tbhr_sapporaw/status/1198811831738892288?s=20

 

 

BARONESS『Gold & Grey』

 

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BARONESSの音楽性はプログレッシヴスラッジメタルなどと呼ばれますが、そのアウトプットの仕方は作品ごとに大きく異なります。1st『The Red Album』(2007)と4th『Purple』(2015)がそうした呼称のよく似合う逞しく神秘的な曲調が並べられた作品になった一方で、2枚組となった3rd『Yellow & Green』(2012)はメタルとかハードロックというよりはむしろブリティッシュフォークをプログレッシヴロックやミニマル音楽のフィルターを通して変容させたような穏やかな歌モノ揃いのアルバムとなり、音楽的バックグラウンドはもともと非常に広く豊かだということが示されていました。2nd『Blue Record』(2009)はそうした豊かな音楽性をうまく整理することができずアルバム全体としてはやや均整を欠いた仕上がりになってしまっていたと個人的には思うのですが、5thフルとなった本作『Gold & Grey』(1枚組扱いですがタイトルや構成を考えれば2枚組を意識してそう)ではその2nd的な路線が非常に良い形で成功しているように感じられます。本作の印象を一言でまとめれば[ソランジュ『When I Get Home』とBLACK SABBATH『Vol.4』の間にあるようなアルバム]で、ミニマル/アンビエント寄りの単曲やOPETHあたりに通じる神秘的なコード遣いなど過去作では前面に出てきていなかった要素を抽出発展させつつ、隣接する各曲間では微妙な溝があるのにアルバム全体としては不思議と整った輪郭が描かれる、という難しい構成を見事に築き上げています。ある場面ではポストパンクやエモの薫りが漂い、また別の場面ではTHIN LIZZYやブリティッシュフォーク的な叙情が立ち上る、そしてそれらに通低する味わいにより異なる音楽性の並びに不思議な統一感が与えられている、というように。ストーナーロック版ロジャー・ウォーターズPINK FLOYD)という趣のボーカルも非常に良い味を出していると思います。BARONESSはインディーロックとメタルの間を繋ぐような音楽性を最も早く体現するバンドの一つとしてALCESTやDEAFHEAVENなどと並びこちら方面の代表格であり続けていましたが、4年ぶりのこの新譜はそうした領域における屈指の傑作になっていると思います。繰り返し聴き込み吟味したいと思わされる不思議な魅力に満ちたアルバムです。

 

 

cali≠gari『ある職業病への見解と、それに伴う不条理な事象とか』

 

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cali≠gariを聴き始めて8年ほどになるが、メジャー感とアングラ感の両立(というか渾然一体化)がここまで異様に発達成熟しているバンドは世界的にも稀なのではないかという印象が年々強くなってきている。陰湿で暗い場面でも突き抜けてポップだったり余裕のある感じが必ず伴っているし、底抜けに明るい曲調でも底知れない闇が常に広がっている。このバンドが凄いのはそうしたアンビバレントな感じを少しも重苦しくなく気安く聴かせてしまえるところで、それは作編曲や演奏(特にボーカル)など全ての要素から無理なく自然に生じる在り方なのではないか。cali≠gariについては昨年の年間ベスト記事
http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2018/12/27/224058
で1万字ほど書いたけれども、それを簡単にまとめれば上記のような「メジャー感とアングラ感の両立」ということになるのだと思う。
本作はcali≠gariが初めて即物的な痛み(ヘルニア)について歌った作品だが、深刻さとそれを不思議と気にしすぎていない感じは過去作とあまり変わらない。ということはつまり、逆に考えれば精神的な痛みを扱うことが多かった過去作も深刻になりすぎていない(しかししっかり深刻ではある)感じこそがキモなのかもしれないということになる。石井秀仁の少しも移入しないけれどもしっかり解釈し丁寧に表現するボーカルはこのような印象や按配を生み出すバランサーとして重要だし、それに当たり前のように拮抗する他メンバーもやはり凄く、本当に得難いバランスを勝ち得てしまったバンドなのだなということを実感させられる。

cali≠gariについてもう一つ思うのは「世間からの評価というものをほとんど気にしないステージに突入してしまっているのかな」ということ。SpotifyApple Musicのようなサブスクリプションサービスには(メジャーなレコード会社から近年発表した作品を除き)全く音源を配信せずCDのみでの発売を継続し、そのCDに関しても一般流通版と限定版(ファンクラブ会員限定や会場販売限定など)とで収録曲数を変えてくることが多い。これはいわゆる「ヴィジュアル系商法」の流儀に従ったものでもあるのだが、それを貫けるのはサブスク解禁による短期的な盛り上がり・一般的評価の上昇・新規ファン参入のようなことを全然求めていていないからなのではないかという気もするのである。これはシーンにおける唯一無二の評価を既に勝ち得てしまっているから一般評価を気にする必要がないというのもあるのかもしれないし、バンドにとって良い客筋(個々のファンについてもファン間の雰囲気や居心地についても)を維持するためにあえて参入障壁を高くしているというのもあるのかもしれない。自分はほぼ全ての音源を既に入手しているので「配信が解禁されなくても別に困らないけれどもサブスクのリンクを貼ることができればおすすめをしやすくなって便利だな」というくらいの立場で、どちらかと言えば配信はした方がいいのではないかと思うのだが、そのタイミングはバンド自身(こういう策謀やリサーチは人一倍やっているグループでもある)が十分見極めているだろうし外野がどうこう言うべきものでもない。ともあれ本当に面白く凄いバンド。活動休止(これも少なからずヘルニアのせいだったとのこと)も無事終わったし、今後も楽しく追い続けていくことができそうなのは間違いない。


本作の素晴らしい内容についてはこちらで詳しく書きました
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1206116213442539520?s=20

会場交換限定(契約の関係?)でリリースされた初期曲再構築アルバム『0』についての話
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1087271402237906944?s=20

 

 

clipping.『There Existed an Addiction to Blood』

 

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アメリカのヒップホップグループがSub Popから発表した3作目のスタジオアルバム。ヒップホップといってもトラックはかなりイレギュラーなもので、たとえば3曲目「He Dead」ではほぼノンビートなダークアンビエントの上で超スキルフルなラップが展開される。一般的に「ノンビート」というとドラム音が入っていないだけでシンセやギターの反復フレーズなどから拍を読み取れるものがほとんどだが、この曲の場合はトラックは定型フレーズ一切なし(単独で流されたらBPMを把握することはほぼ不可能)、その上で正確に高速連打されるフロウが明快なビートを示すようになっている。ここまでくるとトラック自体が想定しているBPMとラッパーが意識しているBPMは果たして同一なのか?という疑問が生じるが、どちらに意識を向けても興味深く聴くことはできるし両者の絡みにも違和感はない。本作はこういう関係性が様々な形で表現されているアルバムであり、アンビエント的にロングスパンで流れる時間感覚が全体を貫いていることもあってとてもまとまりのいい一枚になっている。そうした組み合わせを実現するテーマとしてのSF~ホラー映画というのも実にうまく機能していて、ジョン・カーペンターなどを意識しているというトラックもリリックと相性抜群なのではないかと思う。

本作の最後を飾る18分の「Piano Burning」は実験音楽家Annea Lockwoodの1968年作を実演したもの。「Piano Burningにはアップライトピアノを用いなければならない。グランドピアノよりも燃える姿が美しいから。用いるピアノは完全に修復不能なものでなければならない。どんな調律師や修復者の手をもってしても再生不可能なもの。本当の意味で機能しないピアノを。」という楽譜の指定に本当に従ったかどうかはわからないが、ピアノの木材が崩れ弾けていくときに鳴ると思しき音が静かに捉えられ続けている。この不穏だが不思議と安らぐ曲はその前までの明確なビートがある曲と比べ聴き手に別のモード(音響への反応の仕方、時間の流れ方に対する感覚や身構え方)を要求しそのあたりをうまくスイッチすることを求めてくるのではないか、と始まった瞬間は思わされるのだが、初回から意外と問題なく続けて聴くことができるし退屈させられることもない(もちろんこの手の音響に慣れていればの話だが)。この曲も含めアルバム全体に共通する感覚があり、それがイレギュラーながら魅力的に提示されていることがよく伝わってくる一枚で、理屈を超えるこのようなプレゼンテーション能力も個性や醍醐味のひとつになっている作品なのだろうと思う。

なお、その「Piano Burning」をCD音質(Bandcampで安価でダウンロード可能)で聴くとサブスクのストリーミング圧縮音質に比べ暴力的な印象が一気に前景に出てくるし、木材が燃え崩れていく際のくるみを握りつぶすようなサウンドの音響的快楽も格段に増す。再生条件や音響環境が聴取体験にどのような影響を与えるかということが実によくわかるし、サブスクで聴いて好印象を抱いた人はぜひ良い音質で聴いてみてほしいと思います。

 

 

DARKTHRONE『Old Star』

 

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様々な年代の音楽を聴いていると、同じジャンル名に括られる音楽であってもファンの世代によって好みが明確に分かれるのではないかと思えることが多い。例えば、ブラックミュージック(この言い方には少なからず問題があるので自分も“いわゆる”などをつけて慣例的呼称であることを示す場合以外は使うのを避けるようになった)におけるファンクとヒップホップ。もしくは、THE BEATLES以降の60~70年代ロック、80年代のニューウェーヴやポストパンク、90年代以降のいわゆるオルタナやインディーロック。そして80年代までのヘヴィメタルと90年代後半以降の広義のメタルなど。一括りに「ブラックミュージックファン」「ロックファン」「メタルファン」と言っても、その中でのサブジャンル全般を聴く人であってもその全てに同等にのめり込めることは少なく、どれか一つは大好きだが別の一つは苦手ですらあるということが少なくないように思う。その理由の一つにおそらく「ブルース成分の濃淡」というのがあって、例えばブルースのミニマル感覚を強調しつつ参照元の濃い引っ掛かり感覚(ドミナントモーションを起こさずにⅠ→Ⅳ→Ⅰなどのループで宙吊り感を保つ進行の“摩擦”の質や具合)をそのまま残していたファンクに対し、ブルース成分の薄い音楽からも積極的にサンプリングなどを通して影響を取り込んできたヒップホップでは、ループ感覚は保たれてはいるものの引っ掛かりがだいぶ薄いものになっている(これは上記のclipping.と60年代ソウルミュージックなどを聴き比べてみれば容易に実感できるはず)。また、いわゆるロックにおいても、ブルース感覚の積極的な導入に勤しんだ70年代頭までのロックとそれに反発し別のルーツを求めたニューウェーブやポストパンクとでは引っ掛かり感覚の質が大きく異なるし、一周回ってそこから回帰してきたようにみえる90年代以降のインディーロックをみてもハードコアパンクやカントリーのような薄口の引っ掛かり感覚が土台になっていることが多い。これには同時代のいわゆるブラックミュージックがブルース的な濃さを減じている(ヒップホップの影響を受けても濃いタイプのブルース成分は摂取しがたい)ことも少なからず関係しているだろう。メタルの領域においても同様の現象が起こっていて、近年新たにメタルを聴くようになった若い世代は70年代までのハードロック/ヘヴィメタル未分化期のもの(ブルース成分がまだはっきり残っていた時期のバンド)が得意でない場合が多いように思う。その分水嶺となったのがおそらく90年代のブラックメタルメロディックデスメタルメロデス)で、このところ一般的に「メタル」と言われるバンドの多くがメタルコアメロデスの影響が絶大)の系譜にあったり、Pitchforkなどでも好まれる知的なメタルがブラックメタルの音進行や脱ジャンル姿勢から大きな影響を受けているなど、近年の「メタル」の音進行傾向は80年代以前のそれとは全然別のものに入れ替わっている。従って、伝統的なメタルを好んできた人々からすると近年のメタルは速さや重さの基準が大きく異なるというような表面的な問題ではなく芯となる味の質が別物なのでのめり込むのが難しくなるし、近年のメタルにハマった若い世代がジャンル創成期のハードロック/ヘヴィメタルに慣れるのも同様の理由で難しい。冒頭で述べた「同じジャンル名に括られる音楽であっても世代によって明確に好みが分かれる」というのはこういうことで、こうした分断は今後さらに広がっていかざるを得ないように思われる。ブラックメタルとブルースを融合するZeal & Ardorのようなバンドも出てきているのでそれがシーンやメディアにうまく認められれば分断が再接続される可能性も少なからずあるとも思うが。

DARKTHRONEは90年代ノルウェーブラックメタルを代表する偉大な存在(いわゆるプリミティヴブラックメタルの生みの親)として知られるが、実は上記のような分断のちょうど中間に存在し両者を接続し続ける興味深い存在でもある。90年代ノルウェーブラックメタルシーンはもともと脱ジャンル傾向の非常に強い界隈で、当地を代表するバンドMAYHEMが初EP『Deathcrush』の冒頭にコンラッド・シュニッツラー(ex. TANGERINE DREAM, KLUSTER)の電子音楽を使うなど、メタルから出発しながらも伝統的メタル要素からは離れていくものが多かった。
この記事
http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2015/03/27/050345
で概説したように、ブラックメタルは音進行自体もブルース成分を薄め別のものに作り替えていく流れのひとつの終着点に位置していたのだが、DARKTHRONEの2人はその中でも例外的な存在で、90年代中頃に一度ブラックメタルに染まり歴史的名盤3部作を発表した後は再び伝統的メタル方面に回帰する活動に転じていくことになる。70~80年代のハードロック/ヘヴィメタルや80年代ハードコアの超マニアである彼らは、自身がオリジネーターとなったブラックメタル的音進行の妙味はもちろんそれ以前のメタル/パンクの旨みも知り尽くしていて、それらを複雑に掛け合わせ煮詰める作業を人知れず繰り返してきたのである。「人知れず」というのには先述のようなリスナー側の好みの分断もおそらく関係していて、彼らが所属するブラックメタルシーン近傍の音楽を好むリスナーは彼らのメタルパンク的音進行をうまく受容するための回路を持ち合わせていないことが多い。そのため、わかりやすいカマしをほとんどせず渋く深い旨みの錬成をし続けていった彼らの作品は名盤3部作を除きほとんど注目されない状態が続いている。しかしその内容はいずれも素晴らしく、それなりの経験を通して味わい方を身に付けてから聴けば「こんなニッチなメタル的エッセンスをこんなマニアックなハードコアパンク成分と掛け合わせるのか!」というような配合の妙、派手ではないが前人未到の達成に感嘆しながら酔いしれることができる。本作収録曲で言えば、例えば70年代JUDAS PRIESTとPENTAGRAM CHILEを同時に連想させる2曲目の「The Hardship of The Scots」などが好例だろう。そうした異なる要素をMERCYFUL FATECELTIC FROST的な成分で繋ぎ、DARKTHRONEならではの薫り高いNWOBHM寄りプリミティヴブラックメタル風味で仕上げる。一見しただけでは全て同じような色合いに見えるが溶けているものは非常に多く場面ごとに異なるという趣の音楽であり、オールドスクールで目新しさなどどこにもないように見えて実は革新的。非常に優れた作品だと思います。

DARKTHRONEのような音楽を正当に評価するためには少なくともここで述べてきたような背景知識や立ち位置認識をわきまえておく必要があり、たまたまそのジャンルに長く深く慣れ親しんできた経験でもなければ適切に受容するのは難しい。もちろんたまたま出会って不思議な旨みにハマりここからジャンル全体にのめり込んでいくというルートもありえなくはなく、実際それだけの力がある音楽だとも思うのだが、そのジャンル自体においても先述のようにあまり注目されていない以上「門外漢がたまたま出会う」機会もほとんどないだろう。メタルにおけるDARKTHRONEのようなバンドは他ジャンルにもそれぞれ存在するだろうし、そうした“非常に地味だが革新的な追及を続ける最高の珍味”に出会うのは難しい。音楽を探求していくことの面白さと困難を同時に実感させてくれる得難いバンドです。

 

 

Dos Monos『Dos City』

 

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一言で言えばジャジーオールドスクール寄りヒップホップということになるのだろうが、サン・ラやセロニアス・モンクといったフリー寄りジャズ(あくまで“寄り”であって完全な滅茶苦茶でないのがミソかも)とかCAPTAIN BEEFHEARTを4拍子系にまとめたようなトラックは奇怪ながら超聴きやすく、何重にも意味を重ねクレバーにいちびるラップ/リリックにも同様の混沌とした理屈抜きの格好良さがある。超複雑なことをやりながらも常に上質のユーモア感覚があり、ぶっ飛んだ勢いがあるけれどもチャーミング、という感じの在り方は(フランク・ザッパというよりも)X-LEGGED SALLYやSamla Mammas Mannaに通じるものがあるように思う。ヒップホップ方面のリスナー(海外も含む)には既に熱狂的に歓迎されていますが、普段そうしたものを聴かないプログレッシヴ方面の音楽ファンもぜひ聴いてみてほしい傑作です。

というふうなことを上半期ベスト記事では書いたのだが、自分の見る限り本作はどんなタイプの音楽ファンにも驚くほど容易に受け入れられていた。プログレやジャズはもちろんヒップホップにも馴染みのない人が一発でハマる例も少なからず見受けられ、ここで挙げた全ての音楽への入門編としても絶好の一枚なのではないかとすら思えるほど。サンプル元やリリックの参照元アヴァンギャルドだがそういうものに一切興味のない者をも即座に惹きつけるキャッチーさがあり、聴きやすさやカマシの強さわかりやすさなど、卓越したプレゼンテーション能力があるからこそ生み出せるポップさが全ての要素に行き渡っている。個人的にはアルバムの序盤が終盤に比べ良くも悪くも強すぎる(一枚全体としてはややバランスが崩れている)ように感じられるのが気になるところだが、非常に流れまとまりの良い傑作なのは間違いない。近いうちに出るだろう次回作も期待しています。

 

 

・・・・・・・・・『points』

 

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いわゆる楽曲派アイドルポップスの一つの到達点。冒頭の「しづかの海」はMY BLOODY VALENTINELoveless』収録曲と大槻ケンヂ「GURU」を融合させたような至高の名曲だし、中盤のインスト2曲も[UNDERWORLDデトロイトテクノ]とか[あぶらだこDREAM THEATER仄かにグラインドコア風味]という感じの特殊IDM路線が実に良い。そうした各々微妙に異なる展開速度の楽曲が並ぶことでアルバム全体に不思議な時間感覚が生まれているのも興味深く、唯一無二の居心地のある一枚になっています。MASSCREカバーやpan sonicオマージュ(本作のジャケットは『vakio』を土台にしたものと思われる)をしつつ爽やかなシューケイザー/エモ/ドリームポップを基本路線とするグループの姿勢が非常に良い形で活かされた最終作。極めて検索しにくい名前(グループ名はdotsとかdotstokyoと呼ばれる)やアルバムタイトルが勿体なくも思えますが、できるだけ多くの人に聴いてみてほしい傑作です。


本作についてはこちらで詳しく書きました
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1113869412749041664?s=21

 

 

FKA twigs『Magdalene』

 

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2014年の名作『LP1』における〈エキセントリックな電子音響+不協和音R&B〉的な音楽性で絶賛を博し、アートポップのスターとして大きな注目を浴びながらも、2017年12月の子宮筋腫摘出手術と前後して消息を絶ち、2018年春のアップル向けCM主演でシーンに復帰するも音源制作中に恋人と破局。そうして完成したアルバムでは、ニコラス・ジャー、スクリレックス&ジャック・アントノフ、ダニエル・ロパティン(ONEOHTRIX POINT NEVER)など、『LP1』で共演したアルカと同等以上に強烈な電子音響遣い達が大挙して参加している…という情報をあらかじめ公表されていると、どうしても「これはおそろしく暗い作品に違いない」という危惧を抱いてしまうのではないだろうか。ニコラス・ジャーの底冷えするほどに静謐な名作『Space Is Only Noise』(2011)を素晴らしいと思いつつのめり込めなかった自分はそうだった。しかし、FKA twigsの5年ぶりのフルアルバムとなった本作は(もちろん全体的に暗い雰囲気に包まれてはいるけれども)意外なくらい聴きやすく気軽に接することができるものに仕上がっている。その理由として大きいだろうのがとにかく曲が良いということ。どの曲も歌ものとして圧倒的によくできている上にアルバム全体としての流れまとまりも完璧で、電子音響ゼロの単独弾き語りにアレンジしたとしても聴き手を飽きさせないだろう優れた歌曲集になっているのである。また、タイトルからして切実な2曲目「Home with You」最後の盛り上がり(KING CRIMSON「Islands」激情版とも言えるような“笑顔で慟哭する”感じ)から比較的穏やかな(つまり泣きはらした後に小康状態に至るような?)次曲「Sad Day」へ繋がる流れなど、テーマは哀しいままかもしれないが無理のない解放感を生む展開もあり、そういう場面転換/対比やそれに繊細に寄り添う電子音響アレンジが全体の緩急構成を極限まで美しく整えているようなところもある。こうしたアルバムの成り立ちはミニマル/クラブミュージックというよりはケイト・ブッシュビョークの系譜にしっくりくるものであり、プロダクションがどれだけ実験的になっても優れて聴きやすいポップミュージックであることを忘れない。アルバムジャケットやMVなどで一貫して提示される“醜美”(ビザールでグロテスクな崩れ方と完璧に均整の取れた美しさが常に両立される佇まい)もおそらくは先述のようなバランス感覚の賜物で、サーカスのこけおどし的な振る舞いをある種のユーモアとしても真摯な表現としても求め駆使できているからこそ、どれほど暗くなっても重たくなりすぎはしない独特の雰囲気を生み出し維持できるのではないか。2015年1月の来日公演のシリアスながらもチャーミングでエンターテインメント性にも溢れるステージ(15cmはあろうかという物凄いヒールで高速のダンスをキメまくる姿は理屈抜きの機能的快感に満ちていた)にもそういう印象があった。また来日して素晴らしいパフォーマンスを見せてほしいものです。


RA(電子音楽関連では屈指の音楽メディア)の素晴らしいベスト記事でもNo.1を獲得
https://jp.residentadvisor.net/features/3567

 

 

FLOATING POINTS『Crush』

 

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ダブやテックハウスの最も美味しい響きのみを抽出したような中低域、モジュラーシンセの暴力的で艶やかな音色など、本作はまずなによりもサウンドが圧倒的に素晴らしい。全てのパートの鳴りが極上なうえに音量変化も繊細で、一人で製作する電子音響だからこそ可能になる超絶的に緻密なオーケストラ演奏が具現化されているような音楽になっている。そうした異常な作り込みをしながらも数週間という短期間で即興的に完成されたというアルバムの構成は謎な部分が多く、どのトラックも変則的ながら魅力的なフックに満ちているし全体の流れまとまりも申し分なく良いことはわかるものの、個人的にはいまいちうまく捉えきれていないというのが正直なところ。30回ほどは聴き通したし年間ベスト20に入れようか迷いもしたけれども、とりあえず今回は評価を保留し今後も折に触れ聴き返していくことにしたい。間違いなく傑作だし非常に評価の高い作品でもある。アルバム全体の過ごし方(もしかしたら曲によって異なる時間感覚を想定して接するべきなのかも)や構成の俯瞰的把握ができれば理解の糸口が急に得られるかもしれないとも思う。

本作については非常に興味深いインタビューが多く、特に
agraph牛尾憲輔)による解説記事
https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/23576
は優れた示唆に富むものになっている。
以下のリンク先にまとめた4つの本人インタビューもとても面白い。
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1186592503182422016?s=20


これを書きながらふと思ったのだが、曲単位で雰囲気や居心地がわりと明確に変化し、それぞれに必要最低限浸らせてくれる一方で決して長引かせることなく次へ次へときびきびつないでいく、という展開の仕方(このあたりは実にDJ的)が個人的にしっくりきていないというのはあるのかもしれない。そう考えるとまさに先述のような「曲によって異なる時間感覚を想定して接する」姿勢が必要になるし、それぞれの場面にじっくり浸り余韻を求めようとはせずに繋ぎの手際の良さを楽しんでいく方がうまくノレるのだろう。こういう閃きが得られただけでもこうして短評を書いて良かったなと思えるし、書きながら考えをまとめることの大事さを実感する次第であります。

 

 

FLYING LOTUS『Flamagra』

 

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いわゆるブラックミュージックにおけるプログレッシヴロック的感覚/構造の受容という点において一つの最高到達点と言えるアルバム。FLYING LOTUSは以前からGENTLE GIANTやSOFT MACHINE、CANなどをよく聴いていると発言しており、FINAL FANTASY Ⅶなどのゲームサントラもあわせブルース的引っ掛かりの少ない音楽からも積極的に影響を受けてきたようですが(親族であるジョン・コルトレーンアリス・コルトレーンのようないわゆるスピリチュアルジャズ~フリージャズ方面の音が同様にブルース的引っ掛かりから距離を置くものだったというのもその下地になっていた面もあったかも)、本作においてはそちら方面のアイデアや構築美が楽曲単位でもアルバム単位でも過去最高の形でうまく活用されています。最先端のビートミュージックで培われた知見でカンタベリープログレや近現代クラシック(ストラヴィンスキーあたり)を転生させたような趣も。よく編集し抜かれた一本の映画のような構成力があり(デヴィッド・リンチがナレーションを務める13曲目「Fire Is Coming」を挟む前半後半はともに約32分という凝りよう)、それでいて過剰な解決感もなく繰り返し聴き続けられる。マッシヴなボリューム感を気軽に呑み込ませてしまうクールで熱い大傑作です。


本作についてはこちらで詳しく書きました
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1131575850405548036?s=20

 

 

細野晴臣『HOCHONO HOUSE』

 

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近年海外からの再評価(インディーロック/ポップス方面からの熱い注目など)もめざましいレジェンドが近年のポップミュージックの刺激的な音響に触発されつつ1stアルバム(1973年作)収録曲を逆順でリメイクした1枚。そうした音響(サブスクリプションサービスにおけるラウドネス処理に適した無音・超低音処理など)に完全対応しつつ独自のものを生み出してしまったサウンドプロダクションも素晴らしいですが、そうした音作りの凄さよりも歌モノとしての楽曲強度や細野晴臣という人自身の演奏表現力ひいては人間的魅力そのものが際立つ不思議な作品になっていると思います。オリジナル版に勝るとも劣らない、時代を超える大傑作だと思います。


本作についてはこちらで詳しく書きました
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1105029896277880834?s=20

 

 

Jacob Collier『Djesse - Vol.2』

 

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ジェイコブ・コリアーの音楽については「凄すぎてよくわからない」というのが正直なところではある。この「よくわからない」というのは、複雑な和声理論やそれを微分音まで駆使して実音化するシビアな感覚が自分の理解の範疇を超えているというだけでなく、一体どういう思考回路をしていればこういう構造の音楽を追求することになるのだろうかということの方がむしろ大きいかもしれない。(自分もアカペラを15年ほどやっているので微分音のコントロールまでは真似できないとしても歌唱表現的にはコーラス/ベースも含めそうひけをとらないことはできる。)スティーヴィー・ワンダーなどに影響を受けていることはわかるしそこから得たのだろう要素を音楽性の一部分に見つけることもできるけれども、一体どういう発想をしたらそういう組み込み方または改変の仕方をするに至るのだろうか理解に苦しむというか。その意味で、ジェイコブ・コリアーという人はいわば「たまたま地球のポップミュージックを聴いて育った異星人」のようなものであり、身体能力も優れてはいるだろうけれどもそれ以上にその使い方や発想の仕方自体が別次元に高度なのだと思う。本作収録曲でわかりやすいのは名曲「Moon River」の3分30秒あたりからのエクストリーム過ぎるコーラスワークで、このあたりはアカペラアレンジの常識(この人を聴いていると実にくだらないものに思えてくる)を知っていればいるほど笑える。和声も高音コーラスの動き方もTAKE 6などの系譜に連なるものではあるが、世界最高のアカペラバンドと言われるTAKE 6でさえここまではやらないというか。こういうアレンジを楽譜上で作り込むところまではいいとしてもその実演を要求されて対応可能な人がどれくらいいるかというと実に難しいところで、それに文句を言わずこなしてしまえる人材の確保という点でも彼の「ひとり多重録音」は選ばれるべくして選ばれた製作方式なのだろう。そうした環境におけるセルフしごきを通して作編曲および演奏表現力が鍛えられ続けてきた面もあるのだろうし、この良循環を通してこの人のミュージシャンシップは今後もさらに成長していくはずである。

これが2作目となる『Djesse』シリーズは、数々の偉大なミュージシャン(クインシー・ジョーンズスティーヴィー・ワンダーをはじめ無数の天才たち)から優れた才能と気質を認められたジェイコブが潤沢な製作費を与えられた上で世界中の優れたミュージシャンとコラボレートしまくる“音楽による地球一周”企画で、独特の神経質さを微かに伴う底抜けにポップな雰囲気と異常に高度な音楽構造が密接につながっているような在り方も含め文字通り前人未到の音楽になっている。本作も素晴らしい楽曲とパフォーマンスが目白押しで、マリの超絶シンガーであるウム・サンガレをフィーチャーした「Nebaluyo」からスティーヴ・ヴァイの変態ギターが乱舞する「Do You Feel Love」に至るクライマックスは圧巻というほかない。今後発表が予定されている『Vol.3』『Vol.4』も間違いなくとんでもない内容になるだろうし、既発作品を少しずつ咀嚼しながら楽しみに待ちたいところである。

 

 

空間現代『Palm

 

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Sunn O)))のスティーヴン・オマリーが空間現代を気に入り、自身のレーベルIdeologic Organから新作を出そうと提案してきたことをきっかけに製作されたという3rdフルアルバム。『ラティーナ』2019年9月号のインタビューでは本作について以下のような説明がなされている。
「野口:1作目はほぼ一発録りで作ったんだけれども、やっぱり音盤は副産物だなと…。だから2作目は、最初からライヴとは全然別としての音盤を目指し、全ての音を別々に録音した。ハイハットとかキックも全部1音ずつ。それらの素材をデスクトップ上で編集して組み立てるという作業です。生演奏に聴こえるように。
古谷野:当然、大変な手間がかかったんだけど、苦労のわりに効果があまりわからなかった(笑)
野口:そこで今回は、ややこしいことを考えず、シンプルに楽器の音を起点にしようと思ったわけです。タムの一打、ギターのワン・フレーズ、そういった一つの楽器の音からどうやって曲に膨らませてゆくか、という作り方だった。
山田:元々揃っていたものをズラしてゆくのではなく、セッションの初期段階からかなりのズレが3人の中で許容されているけど、それをアンサンブルの中でどう定着させてゆくのか…具体的には…。
古谷野:結局、何回もやって感覚的につかんでゆくしかない。
山田:だから、前はできたのに、なぜかできなくなったりもするし。
古谷野:1曲目「Singou」は、最初ギターとベースで作ったけど、どう絡んでいるのか自分たちも最初全然わからなかった。
野口:僕は今でもよくわからない。」
「山田:ある程度の計算はしつつも、間合いやズレを厳密には決めないで何度もやっていくうちに、だんだん固定化されてゆく感じかな。」
「野口:1作目と2作目は、切断や間や無音など、「ウッ」という感覚を多用している。何か変なことが起きているBGMとしても聞ける、しかしただの流し聴きはさせないぞ、というようなものを作ろうと話し合った。集中して聴くと、わずかの時間にいろんなことが起こっているけど、集中して聴かなくてもなんとなく面白い、みたいな。」
本作はまさにこの通りの音楽であり、何度聴いてもこれ以上のことは具体的にはよくわからない。もちろん繰り返し聴けば「このフレーズはここが最初でここが切れ目なんだろうな」ということは感覚的につかめてくるけれども、そこに決まった拍子のような規則性があるかどうかはわからないし、規則があったとしてもその読み取りが正確かどうか確定することもできない。本作のこうした在り方については佐々木敦
空間現代オフィシャルホームページ掲載の「コード・デコード・エンコード」という優れた作品評
http://kukangendai.com/palm-text/
で的確に指摘しているのでそちらを参照することをお勧めする。ここではそれとは別に、先掲インタビューの発言「BGMとしても聞ける」について個人的な補足をしておきたいと思う。

自分が本作を聴いていて実感することに「一線を大きく超えて複雑だと、あまり丁寧に取り組みすぎなくていいという心理的赦しのような感覚が生じやすくなる」というものがある。本作は上記のようにそもそも決まった拍子のパターンがあるかどうかも不明な(作った当人たちですらよくわからない部分があるというくらい複雑な)音楽なので、聴く側からしたら「そもそも考えるだけ無駄だから何も考えずに聞き流してもいいよな」という判断を「こういう聴き方は誠実ではない」とか「理解できないのは自分のプライドが許さない」などの抵抗感なしに導き出しやすくなるのである。とはいえノンビートのアンビエントとは異なりはっきりしたビートやBPMのある音楽(ギター・ベース・ドラムスのフリーではないアンサンブル)でもあるから「頑張れば正確に理解することも不可能ではないのでは」と思えるようにもなっている。徹底的に聴き込んでもいいし何も考えずに聞き流してもいい(それらが常時可換で気軽に移行を繰り返せる)難解で軽やかな音楽。こう書くとシンプルなコンセプトにも見えるが、実際に実現するのはおそろしく難しいし、個人による打ち込みではなく複数人による共同演奏で成し遂げるのはコンセプトの共有も含めほとんど不可能に近いことなのではないか。2006年の結成以来同一メンバーで活動し2016年には3人揃って京都に移住して自身のスタジオ/ライヴハウス「外」を運営し続けてきた彼らのようなバンドだからこそ生み出し得た作品であり、ほとんど前人未到の音楽なのだと思われる。今回はベスト20に入れなかったが、本稿で挙げた36枚もあわせた56枚の中で最も長く付き合う一枚になる可能性も高い。永遠に飽きることがないだろう素敵な謎に満ちた作品。

 

参考:9/14・15に「外」で開催されたMoe and ghosts×空間現代のライヴについて
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1172800688440524801?s=21
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1173167984753250305?s=21

 

 

ももいろクローバーZ『MOMOIRO CLOVER Z』

 

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ももクロは初期から「全ての楽曲で異なる音楽ジャンルを試みる」「一つ一つの楽曲の中で複数の音楽ジャンルを滑らかに接続する」活動を続けてきましたが、それが最も強力かつ不可解な形で達成されたのが本作(4人体制になってから初めてのアルバム)だと思います。現行ポップミュージックの音響基準に完全対応しつつ全曲で異なる音楽性を追求したアルバムで、一枚通しての謎のまとまり感や居心地は似た作品が見当たらない。The 1975やBRING ME THE HORIZONの近作に通じる無節操に豊かな作品で、彼女たちの声(そしてその源となる人間性)がなければ成立しなかっただろう傑作です。

本作についてはこちらでも詳しく書きました
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1134115350008614913?s=21
所属レーベルEVIL LINEによるショーケース的フェスティバル観覧記録(7/15)
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1150685874348122112?s=21
本作リリース後に自分が初めて観た単独フルセットについて(12/7、大阪城ホール
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1203273476028555264?s=21

自分はこの単独フルセットを観るまでは本作を聴くにあたっての至適な観測ポジションのようなものをあまり掴めていなかったのですが、そこで3時間ほど過ごしてからは見違えるように手応えが増してうまく入り込めるようになりました。これはある意味大会場にこそ合う音楽で、聴く側が想定するスケール感がそこにうまくチューニングできて初めてわかるものがあるというか。室内リスニング向きの親密な感じもある一方で、アリーナ~スタジアムの規模にこそ見合うスケール感があり、そういう大会場で程よい距離を保ちつつ親密なまとまりを生むような表現でこそ真価を発揮する。そしてそれは現場を体験しなければ体で掴むことはできないわけです(ももクロ自体を体験するのが望ましいが、同規模であれば他アーティストのショウでも構わない)。また、本作の例えば「レディ・メイ」のじっくりタメつつ押していくノリと次曲「Sweet Wanderer」のゆったりくつろぐノリは、アルバムの構成的に滑らかに繋がっているので何も考えずに快適に聴き通してしまえますが、それぞれの曲が具体的にどういうテンションや時間感覚を備えているかということはライヴで演者が動いている様子をじっくり見て初めて明確に意識できるものでもあり(ダンスやステージ演出は楽曲のこのような感覚を明示するためのものでもある)、そういった観覧体験を経なければ音源の妙味を的確に把握するのは難しいというのもありますね。こうしたスケール感や現場の空間感覚はあらゆる音楽に関係することで、ベッドルームリスニングのモードでスタジアムクラスの音楽を聴いてもピンとこない部分はあるし(※寝ながらスタジアム体験の気分にチューニングして聴くことはできるしそれが至適な解釈姿勢になる音楽も多いという話)、その逆も言える。その両モードに対応し同時に成立させてしまえるビリー・アイリッシュのような音楽もある。以上のようなことを意識して聴くと理解が深まる作品だし、自分が最初ベッドルームリスニングのモードで接する“勘違い”をしてしまえるような声の不思議な魅力を改めて実感させてくれもする。得難く優れたアルバムだと思います。

 

 

MON/KU『m.p』

 

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2018年12月18日のThe Weeknd来日公演(オープニングアクトは米津玄師)に強く触発され、音楽経験がなく楽器も弾けない状態で勢いそのままにDAWDigital Audio Workstation:音源製作のためのシステム)を購入。翌月1月26日に完成しSoundCloudで公開された楽曲は「初めて」というのが到底信じられないハイクオリティなもので、Web上の音楽ファンの間で絶賛とともに歓迎されることになる。自分はこの曲を初めて聴いたとき「DIR EN GREYとトラップ~エレクトロニカをARCAやBORIS経由で融合したような音楽で作編曲も音作りも素晴らしい」と形容したが、それはあくまでおおまかな印象で、そうした比較対象の亜流に留まらない圧倒的なオリジナリティを既に確立していた。これ以後に発表された楽曲も全てが素晴らしく、同じスタイルを繰り返さない(そう意識しているというよりは好きなように作った結果たまたまそうなってしまう感じ)なのにも関わらず常に固有の空気感や力加減が保たれている。方向性はバラバラなのに一貫して唯一無二の味わいがあるため、聴き手は特定の曲調でなくその味わい自体を楽しむよう自然に仕向けられ、従ってどれだけ急な方向転換があろうとも失望させられることはない。理屈としては簡単な話だが、こんな短期間で圧倒的なクオリティとともに達成してしまえる人は滅多にいないわけで、評価の高さに確かに見合った稀有のアーティストなのだろうと思う。

既発曲についてはこちらで書きました
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1089085822303821825?s=21

この人の音楽的バックグラウンドについては「MON/KU:私を作った55曲」
https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/24004
(特に根幹と言える5曲には、ゴラン・ブレゴビッチ「Ederlezi」、フィッシュマンズ「ナイトクルージング」、テニスコーツとセカイ「てんぐ」、Bibio「The Ephemeral Bluebell」、フジファブリック「銀河」が挙げられている)
でかなり詳しく紹介されているのだが、それと実際に聴き比べても「なるほどそう言われてみれば」というくらいにしか思えないというのはある。膨大なインプットをエッセンスのレベルまで溶解した上で融合し、似てはいるが明らかに異なる成分に変えた上で緻密な多層構造に組み上げてアウトプットしているという感じの音楽なので、出てきたものから元の素材を安易に指し示すことがほとんど不可能だし、本人が「正解はこれだ」と言ったとしてもその自己分析が全体像を十分表しているとは限らないだろう。そのような巨大で異形の構造を極めて耳あたり良く聴かせてしまえるのがまた凄いところで、この仄暗くソフトな語り口や力加減は(直接お会いしたことはないですが)人徳のなせるわざとしか言いようがない。自身の納得できるクオリティさえ満たせればどんなスタイルで作っても素晴らしいものが出来るだろうし、今後もやりたい放題やり続けてほしいものです。

本作に関しては、既存曲を並べて最後に新曲を付け加えた構成ということもあってアルバム1枚としての流れまとまりはやや歪で、その点においては個人的にはあまりうまくないかなとも思うのだが、先述のような固有の空気感・力加減が美しく保たれていることもあって統一感はあるし、最後の曲から最初の曲に滑らかに繋がるので何度でも繰り返し聴き続けてしまえるようにもなっている。非常に優れたEPだし、これをふまえて構築されることになるだろうフルアルバムも期待しています。

 

 

MORRIE『光る曠野』

 

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いわゆるヴィジュアル系の領域における神にして日本のアンダーグラウンドシーンを代表する奇才の一人によるソロ名義新譜。同名義の前作『HARD CORE REVERIE』(2014)とCREATURE CREATUREの最新作『DEATH IS A FLOWER』(2017)の中間にあるような作品で、Boris(本作最終曲にも参加)を経由してV系とポストロック/ポストメタルを繋ぐポジションに位置しつつ孤高の音楽性をさらに鍛え上げた傑作です。ゴシックロックとフュージョンプログレッシヴロックを介して融合させるようなコード感覚はいわゆるプログレブラックの代表格(IHSHANやENSLAVEDなど)の上位互換とすら言える蠱惑的魅力がありますし、Z.O.Aの黒木真司をはじめとした達人を従えるバンドとしての演奏表現力も驚異的に素晴らしい。個人的にはアルバムの構成がやや生硬いのが気になってしまうためこの順位としましたが(特にソロ前作の輪郭の整い方との比較で)、これで全く問題ないと思う方もいるでしょうし、安価とはいえないCD(サブスク配信はおろかDL販売すらない)を買って聴く価値は十二分にあると思います。傑作であることは間違いないです。


本作についてはこちらでも詳しく書きました
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1107219870855249922?s=21

 

 

NOT WONK『Down The Valley』

 

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初期エモとソウルミュージック(そして両者の中間としての?RADIOHEADなど)を接続する作編曲の良さはもちろん、バンドとしての演奏表現力がとにかく素晴らしい。自分は本作に伴うツアーの最終公演(7/14渋谷)を観ることができたが、各パート一音一音の鳴りがとことん艶やかで美しいだけでなく、勢いを保ったまま柔らかく音量を下げる緩急の(多要素にわたる)コントロールなど、3人編成のバンドでなければ描けない類の総体としての表現力の見事さに最初から度肝を抜かれたのだった。NOT WONKが凄いのはそうした緩急の持っていき方が限定されていないことで、息が合っているとはいえ別人同士の集まりな以上変化の幅が一致しない場合もあるのを当然の前提として、その場その場でたまたまできた波の形を受け入れつないでいく大局としてのコントロールが常に良い感じ。ミドルテンポで押していく「Of Reality」ではスタジオ音源になかったネオソウル的ヨレのリズムアンサンブルをテンポ変化を交えつつ美しくキメるなど、バンド全体として出来ることの幅が豊かで素晴らしく、本作収録の優れたパフォーマンスもそれがベストだというよりもたまたまこうなった形なのだと思わせてくれるのだった。その意味で、NOT WONKはハードコアパンクやジャズの優れたグループに共通する「音源よりもライヴの方が明らかに凄い」特性を最高の形で受け継ぐバンドであり、その真価は本作や過去作だけを聴いていてもわからないのだと言える。本作は今年屈指のロックアルバムであり聴く価値は高いけれども、それで満足せずできればライヴを体験しに行ってほしいと思う。圧倒的な勢いと衒いのない優しさの両立、特に弱音の鳴らし方の素晴らしさには大きな感銘を受けるはずです。


7/15渋谷公演の感想(素晴らしいインタビュー記事4本のリンクまとめ含む)
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1150376446398849024?s=20
12/7に地元苫小牧で開催された自主企画『Your Name』と、地域性を受け継ぐという話
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1209026490362286081?s=20

 

 

THE NOVEMBERS『Angels』

 

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もともと素晴らしい作品を作り続けていたバンドがさらに数段突き抜けた大傑作。曲単位で設定されたテーマ
(例えば3曲目「Everything」では「tears for fears的なリズムアプローチにL`Arc~en~Cielのピアノリフをオマージュしてユーミン的なソングライティングを当て込んだ」
https://twitter.com/THE_NOVEMBERS/status/1141344816787103746?s=20
とのこと)
のもとで元ネタとは別のエクストリームなポップソングを生み出してしまう手管が本当に素晴らしく、単にコンセプト作りや設計がクレバーというだけでなくそれらに頼りきらず縛られない自由な閃きや化学反応が生じているように思います。全9曲36分という簡潔な構成も絶妙で、何度でも気軽に聴き通せてしまい更にリピートしたくなる聴き味はこのアルバムデザインあってこそのものでしょう。NINE INCH NAILSBUCK-TICK、JAPANらの代表作に並ぶと言っていい一枚で、海外のゴシックロックには出せないV系~歌謡ロック由来と思しき柔らかさもたまらない。個人的にはコード進行の傾向が生理的な好みから微妙にずれる(もっと落ち着くものを求めてしまう)ために順位としてはこのくらいにせざるを得ませんでしたが、日本からしか生まれないタイプの世界的大傑作であることは間違いないです。

本作についてはこちらで詳しく書きました
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1105493099738886144?s=21

 

 

Ossia『Devil's Dance』

 

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「今年のベスト・ダブ・テクノ作品」との評判も高い1stフルアルバム。Ossiaはイギリス・ブリストルのポストダブステップコレクティヴYOUNG ECHOの一員で、そうした出自もあってかベルリン的な(Basic Channelのような)超ミニマルに徹するスタイルというよりもブリストルMASSIVE ATTACKPORTISHEADに連なるもの)寄りの微かにメロディアスなサウンドになっている。仄暗くくぐもった音響はアルバム全編を通しあまり変わらず均一な印象を保つが、そこに溶け込んでいる音楽要素は非常に豊かで、グライム、ステッパーズ的なレゲエ、ダブ、テクノ、ポストパンク~インダストリアル、クラブミュージック文脈でいうタイプのジャズ(レアグルーヴ寄りなやつ)など、似たようなフレーズを使っていてもその背景に出てくるものはトラックごとに変化し続ける。コンクリート打ちっ放しのフロアを連想させる硬い質感に妙な艶やかさを滲ませるサウンドもアルバム全体の構成も絶妙で、軽い気持ちで再生したら最後の「Vertigo」7分時点で出てくるサックスの音(冒頭から42分時点)まであっという間。非常に聴きやすく得体の知れない謎にも満ちた素晴らしいアルバムだと思います。

 

 

O Terno 『〈atrás/alén〉』

 

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近年のブラジル音楽に不案内な自分は本作を他の何かにうまくなぞらえて語ることができないので、音楽スタイルの形容についてはディスクユニオンのよくまとまっているレビュー
https://diskunion.net/portal/ct/detail/XAT-1245711560
などを参照していただくのがいいと思います。そういう状態で聴いて(ブラジル音楽の作編曲の高度さを知りつつ好みとしてはアメリカ音楽のブルース的引っ掛かりを好むこともあってかうまくのめり込みきれない)自分がまず興味深く感じたのは本作の不思議な居心地でした。最初はゆったりした時間の流れ方が少しかったるく思えたりもしましたが、その上で地味ながら滋味深いというか、隙間がありながらも終始身が詰まっている“常に美味しい”感じにどんどん納得させられていくのです。どこかTHE BEATLES「Sun King」(『Abby Road』後半メドレー序盤の最も穏やかな小曲)に通じる「eu vou」などはその好例で、この独特の微かに変な居心地や絶妙な湯加減には得意ジャンルを越えて楽しませてしまう力があると思います。そしてアルバム全体の上記のような流れのペースを「これはこういうもんだ」と把握した上で聴くと理屈抜きに効く度合いが段違いに増すわけで、「音楽は繰り返し聴かないとわからない時間芸術だ」ということを体感的にとてもよく示してくれる一枚になっていると納得させられるのです。実際アルバム全体の流れまとまりは完璧に良く、坂本慎太郎とデヴェンドラ・バンハートがナレーションを務める7曲目「volta e meia」を真ん中に据える構成も見事にキマっていると感じます。そして本作はアレンジやサウンドプロダクションの作り込みも一見薄いようでいて非常に緻密で、何も考えずに聴き流せてしまうシンプルさと意識して聴き込むほどに新しいものが見えてくる奥行きとが実に鮮やかに両立されています。涼しい顔をしているけれども滅茶苦茶構築的な音楽。末永く付き合いじっくり理解を深めていきたいと思わせてくれる傑作です。

 

 

小袋成彬『Piercing』

 

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12/18という年末ギリギリのタイミングで発表されたにも関わらず多くの音楽ファンの年間ベストアルバム選に入った2ndフルアルバム。自分も完璧な傑作だと思います。ソランジュやJPEGMAFIAが今年の新譜で提示したような「1曲単位ではつかみどころのない断片に思えるが数曲単位やアルバム単位では申し分なく美しいまとまりを示す」感じの構成(ストリーミングサービスが主流となった聴取環境でアルバムというアートフォームを聴かせきるための工夫でもあるでしょう)、フランク・オーシャンの歴史的名盤などを通して世界的に肯定されるようになったニューエイジ的雰囲気を伴うチルアウト(落ち着く気分)感の換骨奪胎、そうした要素を日本のフォーク~90年代J-POP的な歌謡メロディを駆使して統合する作編曲の見事さ、そしてそれを圧倒的な説得力と美しい節度をもって聴かせる極上の歌唱表現とトラックメイキング。何度でも気軽に聴き通せてしまう上に飽きない32分15秒という尺の絶妙さも含め、「今年の日本の音楽を代表する1枚」「日本のポップスにおける歴史的名盤」と言っても何の問題もないと思います。とにかく良すぎる。しかし、その上で個人的にはあまり素直にのめり込みたくはない成分や気配を含む作品でもあります。

こちらでも書いたように、
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1207505208722354177?s=20
小袋成彬の本作にはニューエイジ/ゴスペルソウルと90年代J-POPの日常感謝系ヒップホップ/メロコア的なもの(本稿のあいみょんの項で述べた「当時の売れ線J-POPに全く馴染めなかった」ことの最大の要因のひとつ)、言ってしまえばヤンキー的な気分が自然に融合し渋い深みを得ている感じがあります(野球部出身ということを考えればヤンキーというよりも体育会系的なノリというべきか)。
それはアルバムタイトルの『Piercing』
https://twitter.com/nariaki0296/status/1206934703795773442?s=20
https://twitter.com/nariaki0296/status/1206937471105339396?s=20
にもそのまま通じることであり、そういう感じを踏まえた上で前作
(ご本人から「上手くまとめて下さった」というコメントをいただきました)
http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2018/12/25/222656
を振り返ってみるとさらに納得できもするし、そもそもヤンキーとか体育会系ということ自体は良し悪しとも全く関係ないのですが、それがニューエイジ的なものと混ざると個人的には身構えてしまう度合いがどうしても増すのかもしれません。
(そのあたりのことはカニエ・ウェスト『Jesus Is King』に関しての話で書きました)
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1189584049364299776?s=20
これはもう個人的な性向とか主義の問題ですぐにどうにかなるものではなく、とりあえず今は相性があまり良くなくて残念だと思うほかないことではあります。これを書いている時点では発表からまだ2週間も経っていないわけだし、腰をすえて気長に付き合っていきたいですね。それだけの価値はありすぎるほどあると思いますし。

以上のようなことを踏まえた上で本作の特別なところを一つ挙げるなら「ヤンキー的な勢いがチルと同居している」ことですかね。『MUSICA』2019年12月号のインタビューで長谷川白紙が「(そろそろ)チルしてる場合ではない」と言っているように、ビリー・アイリッシュの1stフルアルバムやエモラップ近辺の作品など、2010年代中盤から最近にかけて大きなトレンドとなったチルアウト感覚から脱し新たな表現というか力加減を求める動きがこのところ明らかに増えてきているように思います。小袋成彬の本作は(本人が意識しているというよりもたまたま性向がそこに合ったのではないかという気がしますが)このような流れにぴったりはまるもので、そういう意味でも今年を代表する傑作と言っていいのでは。広く聴かれるべきアルバムです。

 

 

OPETH『In Cauda Venenum』

 

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『Watershed』以降(脱デスメタル路線)の集大成ともいえる大傑作。初期から培い使いまわしてきた特徴的音進行は依然として多用されているのだが、その並べ方が大きく変わったからなのか手癖感は過去最少。演奏や音響も素晴らしい仕上がりで、理想的なバランスを構築しつつ新境地に突入した傑作だと思います。OPETHから3枚選べと言われたら自分は『Blackwater Park』『Damnation』とあわせてこれを挙げますね。Suchmosの新譜を気に入った人などにも強くお薦めしたい一枚。


本作についてはこちらで詳しく書きました
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1178283162239004673?s=21

 

 

Pedro Kastelijns『Som das Luzis』

 

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ブラジル・ゴイアニア出身のマルチ楽器奏者/シンガーソングライター(現在はオランダ・アムステルダム在住とのこと)が5年の歳月をかけて完成させたという1stフルアルバム。70年頃のトロピカリズモ(ブラジル特有のサイケデリックなソフトロックのようなもの)が近年のインダストリアルサウンドやCANをはじめとするジャーマンロックなどのエッセンスを取り込んだ上で異様な個性を確立した趣の音楽性で、印象的なメロディに満ちた優れた歌もの構造を奇妙に歪んだアレンジ&音響で包む作編曲が驚異的。異常な層の厚さと単純な流れの良さを兼ね備えたアルバムで、TAME IMPALAやマック・デマルコに通じるいい湯加減と繰り返し聴くほどに新たな側面が見えてくる奥行きの深さが完璧に両立されている。パーツ単位で似ているものならばマルコス・ヴァーリ『Previsão Do Tempo』とかCAN『Future Days』とかPINK FLOYDの1stなど様々な作品を挙げることもできるが、そうした偉大な先達とも一線を画しつつ並ぶだけの格があるように感じられる。AMON DÜÜLの伝説的怪盤1st『Psychedelic Underground』にも通じる狂騒音響を底抜けの親しみ深さと両立する様子は「曲も含め概ね普通の顔つきをしている(“変態でーす”的アピールを全然しない)のにやけに唯一無二な存在感がある」感じで理屈抜きに惹き込まれるオーラに満ちている。Bandcampで発売された翌日12/6に当サイトのAlbum of the Dayに選ばれたのにもかかわらず現時点(12/30の20:30頃)で23人しか購入していないというのが信じられないほどの傑作。今後も(時間はかかりそうではあるが)間違いなく物凄い作品を生み出してくれるだろう奇才だし、ぜひ聴いておくことをお勧めします。


Bandcamp
https://pedrokastelijns.bandcamp.com/album/som-das-luzis-3

 

 

崎山蒼志『並む踊り』

 

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昨年大きな注目を浴び順調かつ正当に人気を増すなかで発表されたこの2ndアルバムは、良い意味で過渡期の傑作と言うべきものなのではないかと思う。前作の時点で萌芽していたビートミュージック/電子音楽への志向はさらに強まり、トレードマーク的に求められる超絶ギター弾き語りとの比率が収録曲数的にはほぼ半々となっているが、電子音響とギター弾き語りという層の厚さが大きく異なるスタイルが斑状に混在しているにもかかわらず流れつながりに違和感はないし(最初は気になってもすぐに慣れてしまえる)、曲の並びもとても良くアルバム全体としては不思議と綺麗な輪郭が描かれる。これはアルバムというパッケージに対する考え方がバラバラの小曲集から一枚全体で完結するトータル作品としてのものへ推移していった60年代後半~70年頃のロックなどに通じるもので、それにならってTHE BEATLESにたとえれば、1st『いつかみた国』は『Rubber Soul』、本作2ndは『Revolver』のようなものなのではないか。(そういえば「Tomorrow Never Knows」も「Video of Travel」も逆回転を駆使した曲になっている:「Video of Travel」は逆再生しても完璧に別曲として成立するしなかなか凄い歌詞も聴けるのでぜひ試してみることをお勧めする。)また、過渡期というのは本作と崎山蒼志個人に限った話ではなく、ここで共演し今後の音楽シーンで崎山と並ぶキーパーソンになっていくことが間違いない3名(君島大空、諭吉佳作/men、長谷川白紙)が一堂に会したという歴史的意義についても言えることで、その意味で本作はたとえばミルトン・ナシメントの名盤『Clube Da Esquina』(街角クラブ)にも通じる意義深いアルバムなのだとも思う。
インタビュー記事を読むぶんには崎山蒼志は従来の弾き語り形式以外にもやりたいことが多いようで(君島大空との対談で言っていたハードコア+メタルのようなものなど)、今後も音楽的は様々に変化していくだろうが、雑多なスタイルをそのまま並べつつ全体としてはうまくまとめ上げた本作のような構成力があればどんな方向性に手を出しても優れた作品を生み出していけるだろうし、聴き手の側は何も心配する必要はないと思う。その時々に好きなことをやるのが表現力の面でも一番いいわけだし、どんなものがきても楽しく聴かせていただきたいと思う次第です。


本作や驚異的なライヴパフォーマンスについては以下の記事などでたくさん書きました:
3人の共演者について(リアルサウンド寄稿)、その他インタビュー記事へのリンクなど
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1189329470051799040?s=20
昨年発表の1stアルバムについて
http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2018/12/25/222656
曽我部恵一との共演イベント(3/21)
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1108564261221990402?s=21
フジロック3日目(7/28)
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1155419214175358976?s=20
初めて観た単独公演(11/10、長谷川白紙および諭吉佳作/menとの共演)
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1193415941452787714?s=21

 

 

Suchmos『THE ANYMAL』

 

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「STAY TUNE」などのシティポップ寄りビートミュージック曲で人気を集めたバンドがそうした路線を鮮やかに捨てた挑戦作。これが本当に素晴らしい内容で、60年代末あたりのハードロック/プログレッシヴロックリバイバルとも言えるスタイルなのですが、当時はありえなかった(離れたシーンを現代から俯瞰したからこそ一緒の視野に入れられる)要素の組み合わせがこのバンドならではの渋く爽やかな音遣い感覚のもとで美味しくまとめられています。PINK FLOYDやTHE BANDといったブルースベースのロックをソウルミュージックがかった神奈川のセンスで昇華した感じの一枚で、ジャーマンロック(10分におよぶ大曲「Indigo Blues」でのASH RA TEMPELからCANを経由してPINK FLOYDに繋がるような神秘的展開など)や陳信輝~SPEED, GLUE & SHINKIなど70年代日本のニューロックの混沌を損なわず極上の歌モノにまとめた趣も。同じメンバーで続けてきたロックバンドにしか生み出せない“クセのあるまとまり”的珍味に満ちたアンサンブルも素晴らしい。過去作に惹かれたファンにとってはビートミュージック要素(コード感などに注目しなくても楽々ノレるわかりやすい取っ掛かり)をほとんど排除した本作はキツイという意見も多いようですが、ライヴを観る限りでは本作の曲は過去曲と違和感なく並んでいましたし、時間をかけて受容されていくタイプの作品なのではないかと思います。個人的好みからすれば最高の音楽。このバンドに対し「しょせん流行ものでは」的なイメージのある人こそ聴いてみてほしい大傑作です。発表から数ヶ月経過した時点でのインタビューでは本作の音楽性に良い意味で全くこだわりがなさそうな様子が示されていましたし、今後もその時々の志向/嗜好に応じて素晴らしい作品を生み出し続けてくれそうで楽しみです。


本作についてはこちらで詳しく書きました
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1110577415447695360?s=21
本作に伴う単独公演ツアーの感想(5/26神戸)
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1132605374329106432?s=21

 

 

THANK YOU SCIENTIST『Terraformer』

 

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アメリカ・ニュージャージー州出身のプログレッシヴロックバンドの3rdフルアルバム。メンバーは7人編成(ボーカル、ギター/フレットレスギター/シタール/シンセ/プロデュース、エレクトリックバイオリン、ベース/テルミン/ミュージックソー、ドラムス、サックス、トランペット)で、ドラムスとベースまわりにはDREAM THEATERあたりにも通じるメタリックなアタック感があるけれどもギターサウンドは分厚くなくここだけみればメタル的ではないという独特のバランスをとっているが、これは管と弦の音色が映えるスペースを残しつつアンサンブル全体の機動力をほどよく軽やかに高めるための工夫なのかもしれない。作編曲的には「プログレッシヴデスメタル的和声感覚を独自消化した現代ビッグバンドジャズ」という感じで、CYNIC~EXIVIOUSやANIMALS AS LEADERSとSNARKY PUPPYやティグラン・ハマシアンあたりを足して割らないようなスタイルなのに吸収不良を起こしていないのが実に良い。なにより素晴らしいのがリードメロディの充実で、圧力はないが柔らかくしなやかなボーカル(どこにでもいるようでいて個性的な声質がとても良い感じ)による歌メロをはじめアルバムの全編において印象的な(それでいて胸焼けさせられることのない)美旋律が間断なく連射される。それを邪魔せずに絡む副旋律も魅力的なものばかりで、リードパートを同時に4人は動かせる編成がポリフォニックなアレンジのもとで最大限に有効活用されているように思う。4曲目「Son of a Serpent」のギターソロ(現代ジャズ以降のfudjentという趣)の最後に柔らかく勇壮な管&弦が入ってくるところなどは“格好良すぎてズルいだろ”というくらいで、その後のバイオリンのピチカートなどさりげない小技も実に効果的。普通の編成では不可能な美しい反則技を堪能しまくれる一枚になっている。収録時間は約84分とかなりの長尺だが楽曲は後半の方が強力で、聴き疲れせずダレもせずにどんどん満足感が増していく心憎い構成が楽しめる。いわゆるプログレフュージョン近傍のここ20年ほどの歴史を網羅するような内容となった本作はメタル系音楽メディアの年間ベスト企画でも挙げられる機会が多く、理屈抜きの楽しさと高度な構造の両立が広く評価されている感がある。ライヴの方が凄そうなタイプの(たとえばFARMERS MARKETあたりを連想させる)バンドだし、日本でも知名度を増してぜひ来日公演を行ってほしいものです。

 


Tyler, The Creator『IGOR』

 

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ヒップホップ~ソウルミュージック史上の歴史的名盤という評価が早くも固まりつつある傑作。「初回はアルバム全体を徹底的に集中して聴き通せ、携帯をチェックしながらとかテレビを観ながらとかはダメだ、それ以降は好きにしてくれ」と本人が言うとおり全体の構成は文句なしに素晴らしく、輪郭を綺麗に磨き抜かれてはいないごつごつした感じこそが唯一無二のまとまり感に繋がっている印象もあります。山下達郎「Fragile」を引用した(サンプリングではなく自ら演奏しなおした)「GONE GONE / THANK YOU」ばかりが注目されますが全体的に非常に興味深い音楽性で、仄かにブラジル風味のある系統の70年代ソウル(スティーヴィー・ワンダーリオン・ウェア)にジャーマンロックや初期SOFT MACHINEのような朦朧とした酩酊感覚が加わった趣もあるし、68~71年頃のプログレッシヴな英米ソフトロック(または73~75年頃のMPB)のリズム的な足腰を超強化した感じもあります。そしてそうした例えができる一方で音作りや和声進行には独特のクセがあり、豪華な客演陣の音をほとんど誰かわからないくらい変調させる(それにより作品全体の統一感を増す)処理なども含め、他では聴けない素敵な謎に満ちた一枚になっていると思います。非常に聴きやすく汲めども尽きせぬ深みもあるという点でも理想的な、異形で美しいポップミュージックの大傑作です。


本作についてはこちらでも書きました
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1129337479230705664?s=21

 

 

Uboa『The Origin of My Drepression』

 

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あまりこういう書き方はしたくないのだが、本作およびそれに関するここの話は閲覧注意。圧倒的に素晴らしい作品であり、極端な音楽性にも関わらずきわめて聴きやすく優れたポピュラリティをも持ち合わせている楽曲集なのだけれども、扱われているテーマは重く厳しすぎる。感情の起伏がショートしたアパシー状態とそれでも拭いきれない絶望的な解放感への欲動がモザイク状に混在する音楽であり、そういった雰囲気が明晰に解きほぐされた形で提示されているために気軽に手を出せてしまい気付いたときは後戻りできないところまで来てしまうおそれもある。そうした効果を(おそらくは)浅ましい自意識の見せびらかしや害意とは無関係に生み出せているところも含め真に優れた音楽だと思うし、このような音響表現を冷静な洞察とともに成し遂げることができた(成し遂げざるを得なかった)魂のありかたに思いを馳せざるを得ない作品でもある。そうしたことを踏まえた上で一度はじっくり聴いてみてほしい傑作です。

UboaことXandra Metcafeの生い立ちについてはこのインタビュー
http://swordfishblog.com/2019/04/interview-xandra-metcalfe-of-uboa-2019/
で詳しく述べられているので、本作に惹かれ繰り返し聴くようなことがあればぜひ読んでほしいと思う。トランスジェンダーとしての在り方、ステージ上で裸になるパフォーマンス(禁忌とフェティシズムを兼ね備える矛盾を示すもの:哲学者ジョルジョ・アガンベンの著作『ホモ・サケル』で議論される「剥き出しの生」=いかなる権利も奪われた状態を示す問題がこの矛盾を説明するものとして腑に落ちるとしている)、音楽的な影響源(インダストリアル、ハードコア、グラインドコア、ノイズ、ドゥーム/スラッジ、ブラックメタル、SophieやARCA、ENDONのような近年のアーティスト/バンド)、そして本作のアルバムジャケット(薬物過剰摂取による自殺に臨んだ際にスマホカメラの反転処理をし忘れていて“最後の自撮り”に失敗した写真)と死生観の話など。
本作に関連して特に重要なのは以下のくだりだろう。

In my life, my music is what Lacan might called a “sinthome”, a symptom that holds my world together. Think of it like a foundation for a building; my music is that foundation. I don’t do it because I enjoy it or need to “express myself” (all art is encrypted communication, but mine is not consciously so in intention) but rather it is something that allows me to exist, keep psychosis at bay and allow relations to other people. When Uboa collapses, I collapse. I suspect this is the case with many other mentally-unstable artists too.
Xandraにとって音楽は存在の基礎であり、世界との関係性を保つよすがとなるものである。Uboa(音楽表現を行うにあたっての別人格)が崩壊したら自分も崩壊する。

I am not aware of any message consciously. I wanted to expose what a suicide attempt is like, like the phenomenological angle of it. Hence the cover – that could of been the last thing I saw before I died, nothing glorious, but something boring and accidental (the photo was taken because I forgot to flip the camera for a selfie). One thing I discovered is the element of the Real when it comes to trying to die – there seemingly is *nothing* there that pushes you from non-suicidal to suicidal. There is suffering, then an act. Death isn’t distant or special, but constant possibility. The everydayness of death and suicide is present directly in the LP – there is no mystical element behind it, no objet petit a, just drive. It’s terrifying; the only thing scarier than death is its plainness and total lack of representability (either symbolically or through the imagination).
本作は何らかのメッセージを発するためのものではなく、自殺という行為がいったいどんなものなのかということを現象面から描写しようと試みたものである。実際に自殺してみてわかったのは、自殺していない状態と自殺するということの間にはおそらく何もなく、両者は離れているものでもその間を分かつ特別なものがあるわけでもない。Objet petit a(ラカンの言うところの欲動の対象、人間が一生を通じて追求するもの)など存在しない単なる運動。死は恐ろしいことではあるが、表現能力がまっさらに消え失せてしまうことの方がさらに恐ろしい。

本作では、以上のような意図や冷静で切実な姿勢のもと、テーマに関する一連の過程がこのうえなく饒舌に洗練されたアンビエントパワーエレクトロニクスをもって描写される。静から動へそしてまた静へ滑らかに移行する力加減の表現力はこの上なく見事で、響きの最も艶やかな部分のみを捉え美しく磨き抜いた音色を細部に配置する手際もどこまでも鮮やか。特に凄いのがトレモロサウンドの処理で、アルバム全編の中央に配置されたショートカットグラインド的な2分弱の電子ノイズ曲「Please Don`t Leave Me」における絶叫とシンセウェーヴの高速同期には強烈な身体的快楽があり、その曲調にこのタイトルをあてているのにあざとさが感じられないのがまたどこまでも痛ましい。作編曲・音作り・演奏・雰囲気表現すべてが完璧な、それでいて何も考えずに肯定することが躊躇われる傑作。

個人的にはやはり本作は日常的に気軽に楽しむには重すぎるので「年間ベスト」に入れることはできなかった。(音響ポルノ的に消費してしまえる機能性もある音楽だし作り手としてもそれを許容するところが全くないわけではないと思うが、やはりそれは失礼すぎるだろう。)しかし、高く評価されなければいけない傑作なのは間違いないし、こういう表現を求める人に届いてほしい作品でもある。不必要に哀れむのはよくないし、過剰に持ち上げたりもすべきではない。ほどよい敬意をもって真摯に接したい素晴らしいアルバムです。

 

 

 

VAURA『Sables』

 

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メタルシーンに属しつつニューウェーヴ~ポストパンクや現代ジャズなどへ自在に越境する達人4名によるバンドが6年ぶりに発表した新譜。前2作はDEAFHEAVENの爽やかさを損なわずアヴァンギャルド方面に大きく寄せたような特異な音楽性でしたが、この3rdフルでは「ブラックメタルのコード進行をJAPAN『Tin Drum』(ポストパンク的な音楽形式のもと無調寄りの音遣いを耽美的な歌モノで魅力的に聴かせた歴史的名バンド)のスタイルに落とし込む」ことで異形のポップスを生み出してしまっています。メタルの領域内ではあまり注目されなさそうな音楽性ですが、ニューヨークの音楽シーンの凄さやメタルという音楽カテゴリの面白さを示す最高の好例の一つだと思います。あらゆるジャンルの音楽ファンに聴いて(そして首をかしげて)みてほしい傑作です。


参加メンバーの関連作や本作の具体的な音楽性についてはこちらで詳しく書きました
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1123200964112994304?s=21

 

 

WASTE OF SPACE ORCHESTRA『Syntheosis』

 

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フィンランドの地下メタルシーンを代表する(知る人ぞ知る)名バンドORANSSI PAZUZUとDARK BUDDHA RISINGの合体バンドによる1stフルアルバムで、後者のラフな混沌を前者のタイトな構成力でまとめる感じの方向性が完全に奏功。同郷のCIRCLEやUNHOLYといった何でもありバンドの気風を最高の形で継承発展する大傑作です。作編曲・演奏・サウンドプロダクション全てが著しく優れたアルバムで、4曲目「Journey to the Center of Mass」における29拍子ベースリフ&3拍子系の上物フレーズ(29拍と30拍の絡みで1周期ごとに1拍絡むポイントがズレる)のような仕掛けを全く小難しく感じさせず[集中しつつ忘我に至る]的感覚の源としてしまうのがまた見事。カルトでマニアックな内容ながら道筋の滑らかさキャッチーさはポストメタル方面の作品の中でもトップクラス。エクストリームメタルの歴史における金字塔になりうる一枚です。


本作についてはこちらで背景も含め詳しく書きました
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1115571744855560192?s=21

 


WILDERUN『Veil of Imagination』

 

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OPETH『Still Life』とデヴィン・タウンゼンド『Terria』をBAL-SAGOTH経由で接続強化したような音楽で、渋く雄大な作編曲や演奏は全編超強力。各所でのインタビューによると、BLIND GUARDIANやMR.BUNGLE、THE CUREやFLEET FOXESなどからも影響を受けているとのことで、本作の出音からするとそういう色合いは正直あまりよく見えないのだが(2015年発表の前作ではTURISASやKEEP OF KALESSINにも通じるヴァイキングメタル~メロディックブラックメタル的な曲調が主体で、EMPERORの1stに影響を受けたというのも確かに頷ける)、以上のような要素が隠し味として活きているからこそOPETHやデヴィンなどに似ていながらも並び立つようなオリジナリティと存在感を確立することができているのだろう。MANILLA ROADや90年代BLACK SABBATHのようなエピックメタル系統を未踏の領域に押し進めるような音進行の錬成も素晴らしい。圧倒的なわかりやすさとほどよい渋さを絶妙に両立した傑作だと思います。


本作についてはこちらで詳しく書きました
https://twitter.com/meshupecialshi1/status/1190233714300579840?s=21