2016年・年間ベストライヴ

【2016年参加したLive(知り合いのものは除く)】


[Best20]

・ライヴに参加した後は、帰宅後かならず数十分かけて感想をまとめています。そうすることで、(終盤よりも印象に残りにくい)序盤や中盤の流れも含め、全体を思い出して俯瞰することができるようになります。また、考えをまとめながら細部を吟味することで、現場ではあまり気にしていなかった要素にも注意を向けられるようになり、もやもやした後味をかみくだくための手掛かりが得られることもあります。
翌日になると、終演後のある種の昂奮状態が落ち着いてきて、あまり刺激的でない、「地味ではあるが味わい深い」要素の方にも注意が向きはじめます。この段階になると、ライヴの全体像をバイアスの少ない状態で見渡せるようになってきます。「余計なことを考えず満足することはできなかったが、なにかもやもやした手応えがくすぶり続ける」ような場合は、一晩寝かせることで、そうしたもやもや感がうまく受け入れられたり、そうするための気付きが得られる場合もあるのです。
このようにして数日経つと、ライヴの全体像を把握した上で、それをちょうどいい立ち位置から吟味できるようになります。ここでは、この状態での評価や思い入れを比較し、ランキングをつくっています。「音楽や演奏、音響や演出の出来映え」そして「自分が終演直後にどれだけ満足できたか」ということはもちろん、「自分がそれを通してどのような気付きを得られたか(=そういう気付きを与えてくれる興味深い要素がどれだけあったか)」ということなども考え、総合的な手応えの多寡を感覚的に比べたものになっています。

・複数回観たものは、その中で最も良いと思えた公演ひとつを選んでいます。

・各公演名の下にあるのは直後の感想ツイート(紐付け)へのリンクです。一般的なブログ記事より長いものも多いです。


第1位岡村靖幸@Zepp DiverCity Tokyo(4/29)

第2位BELLRING少女ハート@渋谷WWW(3/23)

第3位ムーンライダーズ@京都 磔磔(11/9)

第4位氷室京介@東京ドーム(5/21)

第5位ENSLAVED@さいたまスーパーアリーナ(10/9:LOUD PARK 2016 2日目)

第6位SWANS@梅田Club Quattro(12/8)

第7位amiinA@渋谷WWW X(12/28:WONDER TRAVELLER act.5)


第9位:SCORPIONG@グランキューブ大阪(10/11)

第10位Caetano Veloso@NHK大阪ホール(10/5)

第11位有安杏果@横浜アリーナ(7/3)

第12位THA BLUE HERB@豊田市千石公園(5/28:橋の下音楽祭)

第13位ゆるめるモ!@渋谷WWW(3/23)

第14位KING@Billboard Live Osaka(5/4:1st Set)

第15位聖飢魔II@日本武道館(2/19)

第16位Brian Wilson@オリックス劇場(4/15)


第18位Egberto Gismonti@練馬文化センター 大ホール(4/20)

第19位:3776@新宿LOFT(8/15)

第20位sora tob sakana(12/28:WONDER TRAVELLER act.5)


[各要素Best3]


パート別プレイヤー

声:
Klaus Meine(SCORPIONS

ギター:
白石良明(ムーンライダーズ
藤田タカシ(DOOM

鍵盤:
John Medeski
Paris Strother(KING)

ベース:
村井研次郎(cali≠gari

打楽器:
Milford Graves
Vyl(KEEP OF KALESSIN)
Chris Dave(D'ANGELO AND THE VANGUARD)

電子音響(ラップトップetc.):


フロントマン

Michael Gira(SWANS)


音響

日本武道館(2/19・20:聖飢魔Ⅱ
京都 磔磔(11/9:ムーンライダーズ
渋谷WWW X(12/28:Wonder Traveller!!! Act.5)


イベント・フェスティバル

5/28・29:橋の下世界音楽祭@豊田市千石公園
THA BLUE HERB・FORWARD・羊歯明神Jr.・TURTLE ISLAND・転)
(藍羽 with 竹舞&NOB・リボー・柳家睦&THE RATBONES)



[参加したLive一覧](計56ヶ所)

1/2:3776@渋谷タワーレコード 4Fイベントスペース(インストアミニライヴ)

1/25:SCHAFT@恵比寿Liquidroom



3/2:生ハムと焼うどん@赤坂Blitz

3/6:DOOM・HELLCHILD@千葉LOOK

3/13:KERA@Billboard Live Tokyo(2nd Set)

(Jim O'rouke・PhewJuana Molina大森靖子・Flo Morrisseycero・KIMONOS)



3/28:D'ANGELO AND THE VANGUARD@パシフィコ横浜

3/29:John Medeski@DOMMUNE STUDIO


4/9:ツチヤニボンド・入江陽・ムーズムズ@京都ネガポジ



4/26:TAME IMPALA@なんばHatch


5/4:KING@Billboard Live Osaka(1st Set)

5/7:cali≠gari@梅田AKASO

5/14:THE REAL GROUP@Billboard Live Osaka(1st set)

5/21:氷室京介@東京ドーム

5/24:Rodrigo y Gabriela@大阪IMPホール

5/28・29:橋の下世界音楽祭@豊田市千石公園
THA BLUE HERB・FORWARD・羊歯明神Jr.・TURTLE ISLAND・転)
(藍羽 with 竹舞&NOB・リボー・柳家睦&THE RATBONES)

6/10:ARCA & JESSE KANDA・seiho・行松陽介・Keita Kawakami・sou@CIRCUS OSAKA


7/10:さんピンCAMP@日比谷野外音楽堂
(般若・THE FOREFRONT RECORDS(十影、KUTS DA COYOTE、Y'S)・FLY BOY RECORDS(KOWICHI、YOUNG HASTLE、DJ TY-KOH)・THE OTOGIBANASHI'S・B.D.・紅桜・9SARI GROUP(漢、DARTHREIDER、D.O.、MASTER、HI-BULLET)
(+T2K、DUTCH MONTANA)・10・DJ NOBU・RINO LATINA Ⅱ(secret)・BUDDHA MAFIA(secret)・韻踏合組合・R-RATED RECORDS
(RYUZO、T.O.P.、GAZZILA、SMITH-CN)・田我流 feat. STILLICHIMIYA・サイプレス上野とロベルト吉野・NORIKIYO・OZROSAURUS・DJ 8MAN・Nitro Microphone Underground(secret)・ANARCHY)

7/30:5lack+PUNPEE・SHOWTY(DJ)・DONUTS+白ごはん(DANCE SHOW CASE)・Yotaro/ENDRUN(BEAT LIVE)@CIRCUS OSAKA

8/7:Krallice・Vampillia@心斎橋CONPASS


8/15:3776@新宿LOFT

8/17:DEATH SIDE・ASYLUM・RAPES・鉄アレイ@新宿LOFT

8/20:HOSTESS CLUB ALL-NIGHTER@幕張メッセ
ANIMAL COLLECTIVEDinosaur Jr.・Asgeir・DEERHUNTER)

8/21:SUMMER SONIC 2016@QVCマリンフィールド・幕張メッセ

8/29:Chassol@Billboard Live Tokyo(1st・2nd set)

9/3:ALMA MUSIC BOX@みやこめっせ 第3展示場

9/4:Milford Graves・土取利行@京都ロームシアター
百田夏菜子玉井詩織「ももたまい婚」(ライヴビューイング)@MOVIX京都

9/15:HIGH & LOW THE LIVE(ライヴビューイング)@MOVIX京都



10/11:SCORPIONG@グランキューブ大阪

10/13:ムーンライダーズ@心斎橋 MUSIC CLUB JANUS


11/13:KEEP OF KALESSIN・SOLEFALD・ETHEREAL SIN@渋谷CHELSEA HOTEL

11/15:KEEP OF KALESSIN・SOLEFALD@心斎橋SOMA


12/8:SWANS@梅田Club Quattro

12/11:岡村靖幸@豊洲PIT

12/27:HOMESICK30@京都メトロ
(田我流とカイザーソゼ・MIGHTY MARS・nutsman)

12/28:Wonder Traveller!!! Act.5@渋谷WWW X



[ミュージシャン一覧]


〈国内出身:91組〉

藍羽 with 竹舞&NOB
ASYLUM
ANARCHY
amiinA(8/15・12/28)
ALMA MUSIC BOX
入江陽

岡村靖幸(4/29・12/2・12/11)
OZROSAURUS
THE OTOGIBANASHI'S
GAZZILA
KUTS DA COYOTE

KIMONOS
963
Keita Kawakami
KOWICHI
SMITH-CN
SHOWTY

5lack+PUNPEE
聖飢魔II(1/26・2/19・2/20)
seiho
sou
DARTHREIDER
DUTCH MONTANA
TURTLE ISLAND

D.O.
T.O.P.
DJ 8MAN
DJ TY-KOH
DJ NOBU
T2K
DEATH SIDE
鉄アレイ
10

田我流 feat. STILLICHIMIYA
田我流とカイザーソゼ
十影
DONUTS+白ごはん
Nitro Microphone Underground
nutsman
生ハムと焼うどん
NORIKIYO
HI-BULLET

HIGH & LOW THE LIVE
般若
B.D.
FORWARD
BUDDHA MAFIA
紅桜
HELLCHILD

MIGHTY MARS
MASTER
3776(1/2・8/15・12/28)
ムーズムズ
ムーンライダーズ(10/13・11/9)
ももいろクローバーZ(4/2・4/3・4/29・8/14)
柳家睦&THE RATBONES

YOUNG HASTLE
行松陽介
羊歯明神Jr.
Yotaro/ENDRUN
リボー
RYUZO
RAPES

Y'S


〈国外出身:34組〉

ARCA & JESSE KANDA
Aristophanes
Asgeir
KEEP OF KALESSIN(11/13・11/15)

KING
Krallice
Milford Graves&土取利行
Rodrigo y Gabriela
SCORPIONG
SOLEFALD(11/13・11/15)
SWANS

TAME IMPALA
WITH THE DEAD





【2016年・上半期ベストアルバム】(未完成)

【2016年・上半期ベストアルバム】(未完成)



・2016年1〜6月に発表されたアルバムの個人的ベスト20です。

・評価基準はこちらです。
個人的に特に「肌に合う」「繰り返し興味深く聴き込める」ものを優先して選んでいます。

・これはあくまで自分の考えなのですが、ひとさまに見せるべく公開するベスト記事では、あまり多くの作品を挙げるべきではないと思っています。自分がそういう記事を読む場合、30枚も50枚も(具体的な記述なしで)「順不同」で並べられてもどれに注目すればいいのか迷いますし、たとえ順位付けされていたとしても、そんなに多くの枚数に手を出すのも面倒ですから、せいぜい上位5〜10枚くらいにしか目が留まりません。
(この場合でいえば「11〜30位はそんなに面白くないんだな」と思ってしまうことさえあり得ます。)
たとえば一年に500枚くらい聴き通した上で「出色の作品30枚でその年を総括する」のならそれでもいいのですが、「自分はこんなに聴いている」という主張をしたいのならともかく、「どうしても聴いてほしい傑作をお知らせする」お薦め目的で書くならば、思い切って絞り込んだ少数精鋭を提示するほうが、読む側に伝わり印象に残りやすくなると思うのです。
以下の20枚は、そういう意図のもとで選ばれた傑作です。選ぶ方によっては「ベスト1」になる可能性も高いものばかりですし、機会があればぜひ聴いてみられることをお勧めいたします。もちろんここに入っていない傑作も多数存在します。他の方のベスト記事とあわせて参考にして頂けると幸いです。

・ランキングは暫定です。1ヶ月ほどかけて細かく練りましたが、今後の聴き込み次第で入れ替わる可能性も高いです。

・説明部分が未完成のまま放置していたら9月末になってしまったので、残りは年末の「年間ベストアルバム」記事(30枚を予定)に先送りすることにしました。不完全な内容で申し訳ありませんが、何かのお役に立てれば幸いです。



上半期Best20



第20位入江陽SF

SF

SF


“若手”を代表するシンガーソングライター/映画音楽家・入江陽(いりえよう)セルフプロデュースによる3rdアルバム。全ての歌詞を自身で書き、7人の音楽家と共同で作編曲しています。

私はこの人のことを前作『仕事』が発売された頃に知り、評判の高さを知りつつもなんとなく音源を聴かずにいたのですが、今年4月の京都公演でたまたま観てたちまち感銘を受けることになりました。
ツチヤニボンド・ムーズムズとの対バン:感想はこちら
この時はソロピアノの弾き語り(数曲で中川裕貴が特殊奏法のチェロで参加)で、ジャズ〜歌謡曲をフリー/アンビエント音楽的な“気の長い”時間感覚で引き伸ばしていくスタイルだったのですが、全編でフィーチャーされる歌が圧倒的に素晴らしく、個性的で卓越した味わいに深く酔わされることになりました。スガシカオ槇原敬之の良い部分だけを綺麗に融合させたような歌声で、柔らかく塩辛い声質をもってミックスヴォイス〜ファルセットを完璧な力加減で繋げ通す。中高域を滑らかに飛翔するフレージングの技術は完璧で、これほど“これは何でも歌えるだろう”と思わせてくれる人はそういるものではありません。その上この人にはそういう技術をひけらかすようなところが全くなく、聴き手に抵抗感を抱かせず染み入る表現力を勝ち得ているのでした。
他人に何かを評価してもらうための最も大事な条件に「自画自賛をしない」というものがあります。これは「自意識を押し出さない」「聞く耳を持たない姿を見せない」とも言い換えられるもので、入江陽にはこうした「技術に溺れるいやらしさ」や「聴き手を不必要に驚かせ感情を揺さぶる様子」が全くないのでした。
そうした歌の見事さに加え、MCにおける“韜晦しながら柔らかく煙に巻いていく”ようなユーモアも、微妙にねじくれた美しさに満ちた作編曲も、上記の“自意識を押し出しすぎない”絶妙なバランス感覚を示してくれるもので、終始余計なことを考えさせず楽しませてくれる内容になっていたと思います。これは、いわゆる音楽通の間でハイプ気味に持ち上げられているような気がしてなんとなく距離を取っていた自分の偏見を良い意味で覆してくれるもので、既発のスタジオ音源もぜひ聴いてみようと思う機会になったのでした。

そうしてまず聴いたのがこの3rdアルバム『SF』です。評判通り確かに非常に良い内容で、この人を評する際によく用いられる「ネオソウル歌謡」(※ネオソウル:D'Angeloなどに代表される「ヒップホップを通過したソウルミュージック」)を土台に、様々な音楽要素が個性的な按配で巧みに溶かし込まれています。ブラジル音楽と80年代ニューウェーヴのエッセンスを衝突させずにすっきりまとめたような音遣い感覚は淡白だけど実に味わい深いですし(ブラックミュージックがベースになっているわりにブルース的な引っ掛かりが強くないのはやはり“歌謡曲”だからということでしょうか)、そうした音遣いを巧みに捻ったリズム構造でほどよく刺激的に仕上げる作編曲も見事です。その上で素晴らしいのが先述のような卓越した歌唱表現力で、鼻歌で聞かせても問題なく映えるような“よく立った”歌メロを、どこまでも魅力的にカタチにしてくれています。どこか“やさしくいやがらせする”感じのある飄々とした歌詞は、以上のような音楽の性格を過不足なく示すものと言えるでしょう。

アルバムの流れはやや“一方通行”(最後の曲から最初の曲に繋げた時に少し違和感がある)という気もしますし、作編曲的にも更に良くなる余地はあるだろうという気もしますが、十分楽しんで聴き込める一枚になっていると思います。
他にない奇妙な味わいを聴きやすく親しみやすいカタチで示してしまう、優れた“歌モノ”の傑作です。


参考:入江陽による「無人島アルバム」10選



第19位BELLRING少女ハートBeyond

BEYOND

BEYOND


現代アイドルシーンを代表する実力派グループの3rdフルアルバム。それまでの持ち味を活かしつつ新境地を開拓した傑作で、他では聴けない凄まじい個性が一層魅力的に示されています。

自分がBELLRING少女ハート(べるりんしょうじょはーと:略称ベルハー)に興味を持ったきっかけはこの記事でした。
もともと「楽曲派アイドルファンが最も推すグループのひとつ」という話は聞いていながらも聴かずにいたところ、この記事で紹介されていた超絶的特殊パッケージ(CDを据え付けるプレートがブックレットからバンジージャンプ風に垂れ下がる仕様:上記記事の写真をぜひご覧ください)に興味を持ち、過去作は再発されずにプレミアがついているという状況にも後押しされ、試聴もせずにこの新譜『Beyond』を買ったのでした。

そうして聴いた『Beyond』は、個人的には近年稀にみる衝撃的な傑作でした。60年代後半〜70年代初頭の英国ロックや日本の歌謡曲のエッセンスをダシの部分に備えた「インダストリアルテクノ+北欧ゴシックメタル」という趣のトラックは非常に強力で、複雑な味わいをすっきり聴かせてしまう作編曲も“冷たく潤う”サウンドの雰囲気表現力も抜群に素晴らしい。そしてそれ以上にボーカルが凄すぎるのです。“ハードコア化したSHAGGS”という趣の下手声の活かし方は天才的で、他では聴けない味と説得力に満ちています。

メンバーの歌い方は“やる気を感じさせないハードコアパンク”という感じで、音程やリズムのブレも強烈なのですが、それを小綺麗に整えず意図的に活かす“下手残し(ピッチを修正せず粗を残して味とする手法)”の度合いが常識を遥かに超えており、しかも全編に渡って完璧に成功しているのです。特に微分音アンサンブルの味は唯一無二。こうした歌はカルトな脱力感に満ちていて、制作側もそういう味を意図的に演出しているようなのですが(「※楽曲にお聞き苦しい箇所がございますが、演出、または歌唱力に起因するもので製品には一切問題ございません」という表記あり)、歌声そのものからは作為的でいやらしい自意識が殆ど感じられません。そればかりか、陰を伴いながら爽やかに突き進んでいく高機能なトラックもあってか、(こんな音楽性なのに)全体としては意外なくらい“アングラな感じ”がないのです。本当に驚異的な味を持つ音楽だと思います。
この異様な(しかも完成度が異常に高い)下手声アンサンブルの味わいは、例えるなら初期MOTHERS AND INVENTION(フランク・ザッパのバンド)やCAPTAIN BEEFHEART、RED CRAYOLAあたりのファンにも強くアピールするのではないかと思います。一方トラックはクラブミュージックのコアなファンにも訴求しそうなクオリティがある。実に面白い成り立ちです。
この作品を初めて聴いたとき、私は「自分の常識で対応できる音楽性を、自分の辞書には載っていないやり方で処理された」ような衝撃を与えられてしまいました。しかもその未知の味わいは、アルバムを聴き通していくうちにしっかり染み入りこびりつく説得力を持っている。そういう「回路」を開発する力が凄いという点でも傑作と言えるでしょう。
このBELLRING少女ハートにしろゆるめるモ!にしろ3776にしろ、ひねくれた味わいを極めて高度な成り立ちで親しみ深く表現してしまう超一流のアヴァン・ポップが「いわゆるアイドル」の領域に少なからず転がっているのをみると、このカテゴリを掘らないのは音楽ファンとして損だ、ということを改めて痛感させられてしまうのでした。

この『Beyond』に感銘を受けてBELLRING少女ハートに興味を持った自分は、3/23(『Beyond』を初めて聴いてから10日後)に渋谷WWWで開催されたゆるめるモ!との対バンを観に行き、そこで更なる衝撃を受けることになります。この日はゆるめるモ!も極めて素晴らしく、病欠なしのフル(6名)編成で完全に持ち味を発揮するステージは文句なしに感動的だったのですが、その後すぐに(インターバルを4分しかおかずに)現れたBELLRING少女ハートは、ゆるめるモ!が前座としては反則的なレベルに引き上げたボルテージをそのまま引き継ぎ高める超絶的なパフォーマンスをやってのけたのでした。曲もパフォーマンスも強すぎる。『アストロ球団』を90年代少年マガジンの絵でやるような、圧巻のライヴでした。

BELLRING少女ハートのステージを観ていて最も唸らされたのは、「そこまでやる必要がどこにあるのか」という位なりふり構わぬ異常な運動量があるのに、まったく切羽詰まった感じがしないことでした。エクストリームなのに和やか。個人的に、こんなライヴ体験は初めてでしたね。
生の歌唱表現力も非常に興味深いものでした。『Beyond』を聴いた時は「これは巧みな“下手残し”による編集の産物なのだろう」と思いましたが、生で聴くと、そうした“下手残し”の編集は、加工して無理矢理そうしているのではなく、メンバーの強力な持ち味を損なわず再現しようとしたものなのだということがよく分かるのです。当日出演していたメンバーのうち“音感が本当にヤバい”のは2人ほどで、かなり上手いのも2人はいます。そして、その前者のヤバさも“味わい深く映えるヤバさ”で、音の外れ方が安定・完成されていて非常に魅力的なのです。その上で、生の複数人アンサンブル全体の仕上がりがまた見事で、スタジオ音源の味が一層魅力的に示されるのでした。
そして、そうした個性的なボーカルアンサンブルに加え、繰り出される曲の数々がどれも非常に強力なのです。(初めて聴く曲も多かったですが全て興味深く聴けました。)音はもちろん動き(フォーメーションなど)も圧倒的に素晴らしく、パフォーマーとして〈特定の方向性において〉完璧。このような“エクストリームなのに和やか”な圧巻のパフォーマンスは、好みの分かれるところもあるでしょうが、どんな相手も理屈抜きに惹き込める魅力に満ちていると思います。「自分がここ2年で観た約300組の中でも上位20には入る」とさえ感じさせるステージは、本当に見事なものでした。

これに前後して1stフル『Bed Hed』と2ndフル『Undo The Union』を入手し聴き始めたのですが、やはり本当に素晴らしい作品で、自分はこのユニットの音楽的引き出し・作編曲能力・歌唱表現力にすっかり魅了されてしまいました。なんといっても「真摯だけどユーモラス」なのが良いですね。気持ちを最短距離でぶつけるような衒いのない姿勢を貫きながらも、暑苦しさとか自意識のアクのようなものは全くない。個性的なユーモア感覚でバランスを取り続け、常に絶妙の力加減を保つ感じを、小難しい印象を一切漂わせない飄々とした姿勢でやり抜いてしまうのです。このような味わい一つとってみても、他では聴けない超一流の音楽なのではないかと思います。

ここではあまり触れませんでしたが、1stや2ndはcali≠gari筋肉少女帯のファンにも強くお勧めできる傑作です。機会があればぜひ体験してみてほしいグループですね。



第18位VIRUSMemento Collider

MEMENTO COLLIDER

MEMENTO COLLIDER


ノルウェーのシーンを代表する奇才Carl-Michael Eide(通称Czral)のリーダー・バンド、実に4年ぶりの新譜です。(フルアルバムとしては5年ぶり・4th。)従来のスタイルを引き継ぎつつ定型から脱した傑作で、以前から持っていた複雑な持ち味を“他の何物にも似ていない”形で提示することに初めて成功したと言える作品です。これまでの作品にうまく馴染めなかった人にはぜひ聴いてみてほしい一枚です。

VIRUSは「VOIVOD+TALKING HEADS」と形容されることの多いバンドで、〈VOIVODのKING CRIMSON(いわゆる第3期:『太陽と戦慄』〜『レッド』期)的要素+ニューウェーヴ〜ノーウェーヴ的要素+ジャズ〉をノルウェーの初期ブラックメタル的な感覚で料理する、というような音遣いを一貫して追及し続けてきました。〈ひたすらコード/アルペジオをかき鳴らすギターとよく動きコードをかき乱すベース、そしてテクニカルながらタイトで余計なことをしないドラムス〉という組み合わせのアンサンブルは「FRICTIONやSONIC YOUTHブラックメタル化した」ような趣きもあり、メタルよりもいわゆるオルタナのファンにアピールするところが多いのではないかと思います。

こうした音楽性は、様々な映画(Andreï Tarkovsky、Federico Fellini、Peter Greenway『コックと泥棒、その妻と愛人』、David Lynchなど)に強く影響を受けたものでもあるようです。上記のような瞬発力あふれる演奏スタイルが、重く停滞するアンビエントな空気感のもとで展開されることで生まれる雰囲気は、前身バンドVED BUENS ENDE…で表現されていた“無自覚の毒性”を抽出し精製したものであり、社交的に洗練された殺人的ユーモア感覚を漂わせることもあって、さながら「精製された呪詛」というような趣きすら漂わせます。こうした雰囲気作りに大きく貢献しているのが先述のVOIVOD〜第3期KING CRIMSON的な音遣いで、VIRUSはそのような要素に強くこだわる作曲スタイルを長く貫いてきました。音楽的バックグラウンドは広く豊かで、他にできることは沢山あるのに、“瘴気をまとった黒い霧で相手のノド元に噛みつく”ような歪んだ切れ味を求めるあまり、KC的な音遣いに固執してしまう。そして、こうした音遣いを軸において肉付けしていく方式から外れられないために、“他にできること”を加えられる余地も大きく制限されてしまう。このようなスタイルのもとで出来ることをやり尽くしたのが『Carheart』(1st:2003)・『The Black Flux』(2nd:2008)・『The Agent That Shapes The Desert』(3rd:2011)といった傑作で、VIRUSはその後(新曲+過去の未発表曲を収録した2012年のEP『Oblivion Clock』をはさんで)長い沈黙状態に入ります。本作『Memento Collider』はそうした長いインターバルを経て発表されたアルバムなのです。

本作では、先述のようなVOIVOD〜KC的音遣いを引き継ぎつつ、「それをどうしてもメインに据えなければならない!」というこだわりが非常に良い意味で薄れているように思われます。それまでは前面に出ていなかったニューウェーヴ〜ノーウェーヴ〜現代音楽的な要素、そしてジャズ〜ブルース的な音遣い感覚が、VOIVOD〜KC的な音遣いと均等なバランスのもとで溶かし合わされ、それぞれの文脈から切り離されたかたちで、独自の混沌とした融合体として示されている。奇妙なギター・アルペジオによく動くベースが絡むことで生まれるコード感は、一定の瞑い色合いを保ちながら複雑に表情を変えていき、いつまでも飽きずに見つめ続けることができてしまいます。そうした音進行を淡々と反復する“気の長い”時間感覚も実に堂に入ったもので、「1stや2ndの時のようなあからさまな殺気/怨念が薄まり、独特の飄々とした力加減のもとに安定している」という感じの力加減もあって、アルバム全体を通しての居心地を(このバンドの音楽性としては稀なくらい)ほどよくゆったりしたものにしてくれています。曲の並びまとまりも申し分なく素晴らしい。作編曲も演奏感覚もそれまでの作品から想像もできないくらい見事に“一皮剥けた”アルバムで、5曲目最後に客演しているDaniel Mongrain(VOIVOD / MARTYR)の極上のギターソロを含め、全ての要素がうまく機能している傑作だと思います。

個人的には、このバンドの作品を3回連続で聴き通してもモタれないという経験は初めてでした。それまでの作品に感じていた「ある部分では強く惹きつけられるが生理的に合わない部分もあり、あまりしつこくは聴けない」という感覚のうち「生理的に合わない部分」が一気に解きほぐされ、日常的に聴き続けても大丈夫になったという感じです。自分のような「KING CRIMSON的音遣いが無防備に引用されている音楽(一時期のVOIVODやDOOMなど)に対する抵抗感がどうしても消えない」者でも楽しめる作品ですし、比較的広い層にオススメできる(ようになった)傑作なのではないかと思います。機会があれば聴いてみてほしい一枚です。



第17位:UNBELTIPO『Un Bon Trouble』

Un Bon Trouble(美味なる騒動)

Un Bon Trouble(美味なる騒動)


(未)



第16位VEKTORTerminal Redux

Terminal Redux

Terminal Redux


新世代スラッシュメタルを代表する実力派バンドの3rdアルバム。前作から5年のインターバルを経て発表された初のコンセプト・アルバム(RUSH『Hemispheres』にインスパイアされたキグナス白鳥座)帝国のエピソード:2nd最後の曲と連続する物語)で、音楽・歌詞の両面において驚異的に充実した傑作になっています。

VEKTORはバンドロゴや1st『Black Future』のアートワークもあってかVOIVOD(ヘヴィ・メタルの歴史を代表する“プログレッシヴ”な名バンド)と比較される機会が非常に多いですが、音楽スタイルをそのまま真似しようとしたことはないようです。2012年のインタビューでは、好きなVOIVODのアルバムとして、中心人物David DiSanto(ギター&ボーカル担当:全楽曲の基本形を一人で構築)が『Nothingface』までの全作品、ベースのFrank Chinが『Killing Technology』『Dimension Hatröss』を挙げてはいますが、同時に
ブラックメタルから70年代のプログレッシヴロックまで幅広いものから影響を受けている」
「基本となるスラッシュメタルのスタイルはDESTRUCTIONから影響を受けていて、そこにEMPERORやABSU(ブラックメタル)、PINK FLOYDやRUSH(いわゆるプログレ)の要素を混ぜようとしている」
とも言っています。
また、別のインタビューではNOFX(メロディック・ハードコアパンクの草分け的存在)への愛情が語られ、VEKTORの曲にもそうした要素があることが示されています。
(どれもDavidの発言:Frankは主な影響源としてIRON MAIDEN、HAWKWIND、MÖTORHEAD、WATCHTOWER、ニール・ヤングを挙げています。)
実際VOIVOD的な要素は1stの時点から希薄で、こうした多様な要素を巧みに溶かし合わせることで生まれる個性的な音遣い感覚が優れた持ち味になっていました。ひねりがあるわりに淡々と流れていく音進行やリズム構造の背景には、先述のようなプログレッシヴロック、そしてノルウェー以降のブラックメタル(初期METALLICAのような長尺スラッシュや70年代ジャーマンロックがともに持つ“気の長い時間感覚”を両者から吸収・融合した音楽)を通過して初めて得られるようなセンスがあり、時に10分を超える長大な構成をダレることなく聴かせてしまいます。このような作編曲の構成力は作品を重ねるにつれどんどん成長していき、今回の新譜3rdでは「アルバム全体として」非常に良い形を描く見事な流れまとまりが出来ているのです。71分もの長さを過不足なく心地よく浸らせる仕上がりは完璧と言っていいでしょう。一枚モノとしての完成度は極めて高いです。

本作の音楽性を強引にまとめるなら
「初期OBLIVEONや後期SACRIFICEのようなカナダ産テクニカル/プログレッシヴスラッシュメタルに、ULVER『Nattens Madrigal』を混ぜて、METALLICA『Master of Puppets』的な大曲構成を施した」
というところでしょうか。カナダの優れたバンドに通じる暗黒浮遊感と、ULVERからいわゆるポスト/シューゲイザーブラックメタルに連なるアンビバレントな激情感覚が絶妙に融合され、70年代の英国ロックに通じる“過剰にエモーショナルにならない”エピックな湿り気のもと渋く仕上げられています。そうした音遣い感覚はほとんど完全にこのバンド独自の味を確立していて、「比較対象を考えたときまずこのバンド自身の名前が挙がる」何かの亜流でない“唯一無二性”をもつものになっており、聴き続けていると「この味を提供してくれるものは他にないから離れがたくなる」感覚を与えてくれるのです。先述のような構成力と卓越した演奏表現力・サウンドプロダクションもそこに大きく貢献していて、70分を超える長さを気軽に何度も聴きたいと思わせる快適な居心地を生んでいると思います。あらゆる面において本当に優れた作品です。

本作『Terminal Redux』は、後に「ヘヴィ・メタルの世界における歴史的名盤」と言われうる傑作でしょう。個性的でキャッチーなフレーズが連発され、嫌みなくテクニカルな演奏が生理的な爽快感をもたらしてくれて、優れた構成力により長丁場を苦もなく没入させてくれる。歌詞〜コンセプトも含め独自の雰囲気表現力を持っていて、他にない深い味わいをもたらし続けてくれる。理屈抜きに楽しめ、理屈ありきの楽しみにも満ちている。非常に広い層に引っ掛かる魅力を持った傑作だと思いますし、普段メタルを聴かない方も機会があれば触れてみることをお勧めします。クラシック音楽が好きな方などは特に楽しめると思いますよ。


参考:
David DiSanto(ギター・ボーカル)インタビュー(2016.5.10)
David DiSantoインタビュー(2016.5.20)(日本語訳付)
David DiSantoとFrank Chin(ベース)のインタビュー付き紹介記事(2012)
David DiSantoインタビュー(2016.2.16)



第15位David Bowie

Blackstar

Blackstar


デヴィッド・ボウイの遺作。肝臓がん治療(判明したのは前作『The Next Day』発表後で闘病期間は18ヶ月とのこと)の寛解期に制作されたアルバムで、亡くなる2日前、今年の1月8日(69歳の誕生日)に発表されました。このような経緯を知った上で聴くと、確かにそうしたことに際しての思いが滲み出ているように思えるのですが、それはあくまで一部の要素に過ぎません。そうした仄暗く不穏な雰囲気に貫かれながらも、独特の柔らかさ、飄々としたユーモア感覚(実に英国的なバランス感覚)を常に伴い、過剰に重たい感じを出すことが全くない。「遺作だからどうのこうの」という言い訳が一切要らない、それでいて最高に格好良い遺作になっていると思います。英国紳士にしか作れない類の傑作です。

このアルバムに関する背景・解釈については、下記の2記事が極めて優れた内容になっているので、そちらを参照して下さるのが良いと思います。

対談:冨田恵一・柳樂光隆

簡単に言えば「新世代ジャズ」(ヒップホップの“揺れる”“訛る”微細なリズム処理感覚を超絶技巧を用いて意識的にコントロールしようとするジャズの新潮流)の代表的な達人ばかりを揃えて作られたアルバムなのですが、そうしたジャズ方面の音楽性をそのまま持ち込んでいる部分は殆どありません。ボウイが辿ってきた(または導いてきた)ニューウェーヴ周縁の要素にゴシカルな雰囲気を導入しつつ、独特の深い味わいをすっきり呑み込ませる個性的なポップミュージックに仕上げている、という趣の作品で、影響源や比較対象を挙げるのが難しい“摑みどころがない”面も確かにあるのですが、繰り返し聴くことでそうした味わいに対応する“回路”を確実に獲得することもできるようになっています。独特の仄暗く生暖かい雰囲気を保ちながら、過剰に浮いたり沈んだりすることなく、一定の水準付近をフラットに揺れていく…というような優れたバランス感覚は、どんな気分の時にも肌に合い、暑苦しくなく“日常に寄り添ってくれる”ものだと思います。(その点、個人的にはMESHUGGAHなどと同じ感覚で重宝しています。)非常に完成度が高く、しかも居心地が良いアルバム。遺作云々は横に置いた上で聴き込まれるべき傑作です。

超絶技巧を駆使しながらそれを全くひけらかさない(意識して聴かないと「凄い」と思わせないながらも代替不可能な味わいを常に発揮する)楽器陣は最高峰の“歌伴”と言えますし、圧倒的な存在感と卓越した音色表現力でそれらを引き締めるボウイのボーカルも、音楽全体の“顔”として完璧だと思います。楽曲も味わい深いものばかり。約10分かけてじわじわ暖まる1曲目「Blackstar」はラヴェルボレロ」やMiles Davis『Sketches of Spain』、SOFT MACHINE『3rd』などに通じながらも全く別のものに仕上がっていますし、3曲目「Lazarus」はSLINT『Spiderland』を想起させる仄暗い空気感が素晴らしい。ジャズ的な音遣いがゴシカルな雰囲気のもとで活用されている2・4・5曲目は、VIRUSやSHINING(ともにノルウェー)といったアヴァンギャルドなジャズ寄りロックバンドに通じます。そうした“新機軸”を全編に渡って披露しながらも、最後の「I Can't Givd Everything Away」では自身の過去作におけるフレーズや音色(ロバート・フリップ風リードギターなど)を嫌味なく取り込み、さりげなく“歴史の総括”のようなこともしてみせる。遺作という印象からだけ捉えるのは勿体ない、聴けば聴くほど味が出てくる豊かなアルバムです。

気軽に聴き流すこともじっくり聴き込むこともでき、何度聴き返しても飽きることがない。本作『★』(Blackstar)は、それを可能にする“素敵な謎”に満ちた傑作です。上記に比較対象として挙げたような音楽(またはそういうコード/フレーズの感覚)に慣れていないと取っ付き辛く感じるかもしれませんが、それは最初だけで、繰り返し接するうちにどんどん惹き込まれていきます。純粋に優れた一枚のアルバムとして、ぜひ手にとってみてほしい作品です。



第14位ULVERATGCLVLSSCAP

Atgclvlsscap

Atgclvlsscap


ノルウェーを代表する音楽集団の13thフルアルバム。作品ごとにスタイルを変え続ける音楽性(「ULVERみたいな音を出すヤツはいない。ULVER自身ですらその例に漏れない」(“No one sounds like ULVER. Not even ULVER.”)というコメント by PERIPHERYのギタリストMark Holcomb がしっくりくるもの)をきれいに総括しつつ新たな境地に踏み出した作品で、このバンドの入門篇としても良い内容なのではないかと思います。プログレッシヴロックやポストロックのファンには特に聴いてみてほしい傑作です。

ULVERはノルウェーの初期ブラックメタルを代表するバンドで、シーンを先導する強力なバンドが出揃った時期(1993年)に革新的な傑作を発表して注目を浴びました。1st『Bergtatt』(1995年)は北欧フォーク〜トラッドとメロディアスなブラックメタルスタイルを融合した大傑作で、現在一つのトレンドをなしているポスト/シューゲイザーブラックメタルと言われるバンド(ALCESTやDEAFHEAVENなど)を先取りする優しく激しい音楽性により、ブラックメタルという音楽の持つイメージ(吹雪が荒れ狂うような陰鬱で攻撃的なスタイル)を拡張しつつ、SLINTのような初期ポストロックに通じる豊かな音遣い感覚を生み出しています。続く2nd『Kveldssanger』(1996年)でメタルはおろかロック色すら一切ないアコースティック・フォークをやった後に発表された3rd『Nattens Madrigal』(1997年)は90年代のアンダーグラウンド音楽を代表する歴史的傑作で、2ndの極めてメロディアスな音楽性が、緻密な対位法的アレンジを施された上で、極悪にこもったハーシュ・ノイズにまみれる“プリミティヴ・ブラックメタル”スタイルのもと表現されています。高域以外が極端に痩せた凶悪なサウンドプロダクションと絶叫一本槍の激しいボーカル(このスタイルを取るのはこのバンドでは本作のみ)で攻撃的な印象を前面に出してはいますが、作編曲や演奏は高度に洗練されており、1stや2ndで表現された豊かな音遣い感覚がさらに熟成されているのです。インパクトも深みも超一流と言えるこのアルバムは世界中のエクストリームメタル/ハードコアパンクに絶大な影響を与えており、少なくともメタルシーンにおいては、いまだにこのバンドの代表作とみなされ続けています。

以上の「初期3部作」の印象が強すぎるためにいつまでも“メタル扱い”されているULVERですが、「メタル要素がある」とはっきり言える作品は3枚しかありません。1st・3rdに続くその最後の1枚が4th『Themes from William Blake's The Marriage of Heaven And Hell』(1998)です。「英国ゴシックメタルとインダストリアルメタルとトリップホップを足して北欧ブラックメタルの音遣い感覚で料理した」趣の本作では、2枚組の全編に渡ってスタイルの異なる曲調が無節操に並べられ、その上で素晴らしい統一感をもってまとめ上げられています。比較対象としてはNINE INCH NAILSPORTISHEADMASSIVE ATTACKPARADISE LOSTなどが挙げられますが、そうしたものに勝るとも劣らない存在感を発揮しつつ完全に独自の味を確立しており、ここでしか得られない旨みにどっぷり浸ることができるのです。即効性も奥行きも素晴らしいですし、上に挙げたようなバンドを好む方はぜひ聴いてみるべき傑作だと思います。

このような音楽性のシフトを導いたのは中心人物Kristoffer Rygg(通称Garm)の嗜好の変化によるところが大きいのでしょうが(コアなエクストリームメタルファンだった彼は、90年代末にはCOILやAUTECHRE、NURSE WITH WOUNDといったアヴァンギャルドなノイズ〜電子音楽にのめり込んでいきます)、それを支え音作りの主幹を担うTore Ylwizakerの存在も大きかったのではないかと思います。4thはこのToreと3rdまでの腕利き楽器陣がともに在籍した唯一のアルバムであり、上記のような音楽性(豊かな曲想と逞しいフィジカルの両立)はそうした“狭間の時期”だからこそ生まれたものだったのだと言えそうです。

ULVERはこの後しばらく様々なスタイルの電子音楽を追求していくことになります。EP『Metamorphosis』(暗いエレクトロニカという感じで比較的凡庸な仕上がりだが、CDケース内に「最早ブラックメタルではないからそれを期待しても失望するだけ。我々はこれからも予測できない存在であり続ける」という声明あり)を経て発表された5th『Perdition City』は“架空の映画のサウンドトラック”的な作品で、4thをアンビエントエレクトロニカに寄せたような音楽性のもと、アルバム一枚を通して明確な物語を描いていく構成が出来ています。フィールドレコーディング(アパートの5階にあるToreの部屋の窓からマイクを突き出し、夜の街の音を録ったとのこと)も効果的に活用されている本作はKristofferとToreの2名だけで作られており、現在にまで至る音楽製作の体制がこの2作で確立されることになりました。
電子音楽期のULVERは所属シーンの問題もあって触れられる機会が極めて少ないですが(初期3部作ばかりが語られるため、23年の歴史のなかでメタルをやっていた時期は5年に過ぎないのに、メタルシーン以外で言及されることは殆どない)、発表された作品はどれも優れたものばかりです。実際の映画のサウンドトラックとして製作された『Lyckantropen Themes』(6th・2002年)と『Svidd Neger』(7th・2003)は単体でも楽しめるアンビエント〜テクノの傑作ですし、それに続いて発表されたEP『A Quick Fix of Melancholy』も、前2作の時間/空間感覚を引き継ぎつつ印象的なフレーズを軸に据えた構成が見事で、何度でも繰り返し聴きたくなる魅力があります。そうした傑作群の中でもひときわ素晴らしいのが『Teachings in Silence』(インスタレーション用音源として製作され2001年と2002年に分けて発表された2つのEPを一つにまとめたもの)でしょう。アンビエントグリッチ寄りの電子音楽に最も接近した時期の作品なのですが、バンド自身が最大の影響源として挙げるCOILの「ミクロのフレーズに異常にこだわる」音響表現力が見事に引き継がれていて、淡々とした展開にいつまでも浸れてしまいます。(COILの名作『Angelic Conversation』と『Black Antlers』の間にある音楽性を北欧トラッド〜クラシックの洗練された構成力で整理したという趣もあります。)明確な泣きメロを含む最後の「Not Saved」はその中では異色のトラックですが、素晴らしい仕上がりもあって、ファンからは名曲と評価されています。

こうして何年ものあいだ電子音楽にこだわり続けていたULVERですが、2005年の8th『Blood Inside』からは“歌モノ”のスタイルが全面的に復活しています。様々な電子音楽を通して培われた音響/時間感覚を、過去作よりもさらに熟成された北欧ゴシック的音遣い感覚と組み合わせ、唯一無二の個性と深い味わいを誇るKristofferのボーカルで引き締める…というスタイルは完璧で、一見地味なようでいて「聴きやすく、何度聴き返しても飽きない」渋く奇妙なポップミュージックの傑作になっているのです。インダストリアルメタル的な硬い音作りも魅力的で、メタルファンに非メタル期の作品を一枚だけお薦めするのならこれがベストなのではないかと思います。
これに続いて発表された9th『Shadows Inside』(2007年)では、前作のインダストリアルメタル的音響は完全に排除され、FenneszSIGUR RÓSのような柔らかく雄大な音響が主になっています。黄昏の光に北欧の大自然が包まれ、次第に闇に溶けていく…という趣の雰囲気描写は素晴らしく、同じ路線でこれを上回るものは殆どないのではないかとすら思えます。アンビエントながら印象的な歌モノとしても成り立っている作編曲も好ましく、BLACK SABBATH「Solitude」のカバーも自然に収まり見事な表現力を示しています。バンド自身も代表作として誇るアルバムで、ここ10年に渡る電子音楽路線の一つの完成形を示した傑作と言えます。

その9thで一つの区切りをつけたということなのか、以降のULVERは過去の様々な音楽を参照しつつ新境地を開拓する傾向を強めていきます。2011年の10th『Wars of The Roses』では80年代ニューウェーヴや90年代に至るインダストリアルもののような英国ゴシック音楽のエッセンスが強まり(「Norwegian Gothic」なんてそのものズバリの曲名もある)、COILメンバーとの共演も実現しています。
(Ian JohnstoneとStephan Throwerが最後のアンビエント/ポエトリーリーディングに参加:中心人物John BalanceとPeter Christophersonは亡くなった後)
また、マルチプレイヤーDaniel O'Sullivanが正式加入し楽器の演奏水準が上昇したということもあってか、バンドのアンサンブルは生のダイナミズムを大幅に増すことになりました。Kristofferの素晴らしいボーカルも十分にフィーチャーされ、他では聴けない個性的な味わいがとても聴きやすい形で提供されている本作は、バンドの新たな黄金期の幕開けを告げるものになっています。
翌年に発表された11th『Childhood's End』は60年代末〜70年代前半のサイケデリックロックのカバー集で、アメリカ〜英国のブルース/フォーク的な音遣い感覚が大幅に導入されています。
(北欧から英国に接近した10thの“南下傾向”の延長線上にあるとも言えるのかもしれません。)
その結果は実に素晴らしく、『Shadows of The Sun』などでとりわけ印象的だった美しくも冷たく厳しい雰囲気が、アメリカ〜英国的な程よく大雑把な空気感でときほぐされ、“特有の湿り気を残しつつ深刻になりすぎない”絶妙なバランス感覚を生んでいます。こうした仕上がりは、作品の内容自体がバンドの歴史における新境地になっているというだけでなく、どうしても暗く沈み込む方向にこだわりがちだったバンドの“気の持ちよう”にある種の突破口を設けたという意味でも、とても得難く重要なものだったのではないかと思います。ULVERの歴史において最も“コンパクトに洗練された歌モノ”に徹しており、素晴らしいボーカルを思う存分楽しめる…という意味でも貴重な傑作です。
その11th発表前に行われた同作のお披露目ライヴは録音され、『Live at Roadburn』(2013年)として発表されています。同作収録の歌モノから16曲中10曲を演奏し、最後に70年代ジャーマンロック風の長尺インプロヴィゼーション(「CANに捧げる」とのクレジットあり)をやって締める構成は、11thと最新13thをそのまま繋ぐものとみることもでき、非常に興味深いです。

翌2013年に発表された12th『Messe Ⅰ.Ⅹ-Ⅵ.Ⅹ』は、ULVERが作曲した楽曲にアレンジを施して室内楽オーケストラが演奏したのち、そこにULVER側がポストプロダクションを加えて電子音楽化した作品で、Alvo Part(アルヴォ・ペルトミニマリズム/古楽寄りスタイル)やJohn Travener(ジョン・タヴナーメシアンシュトックハウゼンに並ぶ神秘主義)といった作曲家に大きな影響を受けているといいます。これが極めて素晴らしい作品で、生演奏の繊細なダイナミクスが電子音響処理により一層緻密に強化されているだけでなく、生演奏単独でも電子音響単独でも成し得ない複雑で表情豊かな音色表現が生み出されていて、約45分の長さを興味深く浸り通すことができてしまうのです。作編曲だけとってみても実に見事で、5部からなるアルバム全体の構成は文句なしに素晴らしい。少し冷たい水の中に無心で漂うような居心地も好ましく、微妙な異物感を伴いながら潤いを与えてくれるような肌触りもあって、永遠に流し浸り続けていたいような気分にさせられてしまいます。仄暗く生温い音遣い感覚は確かに10th〜11thの流れに連なるものですし、あらゆる意味でこのバンドにしか作れない大傑作なのではないかと思います。個人的にはULVERの最高傑作なのではないかと思っています。

2016年に発表された新譜『ATGCLVLSSCAP』は、以上のような流れをかなり意識的に総括するものになりました。2014年2月に行われた欧州ツアー12箇所の音源を加工して作られた本作では、常連サポートメンバーを含むライヴバンドとしての実力と個性が存分に発揮されています。
(ちなみに、アルバムタイトルは12星座(Aries・Taurus・Gemini・Cancer・Leo・Virgo・Libra・Scorpio・Sagittarius・Capricorn・Aquarius・Pisces)の頭文字を並べたもののようです)
音楽性を過去作と比べるならば、『Shadows of The Sun』『Wars of The Roses』『Childhood's End』の音楽性を完璧に溶け合わせ、いわゆるアトモスフェリック・スラッジに通じる迫力ある演奏で形にしていく、という感じでしょうか。SIGUR RÓSROVOを70年代ロックに寄せたような程よく粗いアンサンブルと、打楽器の音をほとんど入れずに淡々と漂う北欧アンビエントのパートとが、全く違和感なく並べられ、ジャスト80分の長さをまったく過剰に思わせない滑らかな流れを作り出していきます。それぞれの曲は即興で生み出された部分を相当多く含んでいるはずなのですが、曲の展開・構成は過不足なくよく整理されたものばかりで、余計なことを考えず快適に浸り通すことができてしまうのです。
(1曲目「England's Hidden」(COILやNURSE WITH WOUND関連音源/書籍の名前でもある)は12thの「Glamour Box」を、3曲目「Moody Stix」は『A Quick Fix of Melancholy』の「Doom Sticks」を、10曲目「Nowhere」は5th最後の同曲をライヴでリアレンジしたものですが、他の曲はこのツアー用に準備された素材を現場で展開し構築した“即興作曲”だと思われます)
このような仕上がりは、ライヴならではの閃きや豊かな演奏表現力と、スタジオでのポストプロダクションを含む優れた整理能力を見事に両立するもので、バンドの音楽的引き出しをあらゆる面において申し分なく示しています。こうした成り立ちはたとえばCAN『Tago Mago』やKING CRIMSON『Starless And Bibleblack』に通じるものですし、音響や雰囲気だけみれば最近のANATHEMAやFenneszを連想させる部分も多いです。10thで掘り下げられた“ノルウェー+英国”的な音遣いに、11thあたりで探求されたアメリカのサイケやジャーマンロックの要素が混ぜ合わされ、非常に豊かで複雑な味を構築している。こういう意味においても、これまでの活動全歴の集大成と言える一枚なのではないかと思います。
70年代ジャーマンロックやシンフォニックなポストロック、いわゆるジャムバンドやネオプログレアンビエントやドローンなど、“気の長い時間感覚”を持つダイナミックな音楽が好きな方なら抵抗なくハマれる傑作です。

過去作については新譜の補足説明として簡単に触れるだけにするつもりだったのですが、まとまった量を書いてしまいました。とても個性的で優れたバンドなので、興味をお持ち頂けた作品がもしあれば、そこを入口にいろいろ聴いてくださるのがいいと思います。間違いなく楽しめるはずです。



第13位Ché-SHIZU火の環

火の環 hi no tamaki

火の環 hi no tamaki


日本を代表する即興音楽家のひとり向井知惠(二胡・歌唱その他)によるロックバンド「シェシズ」が17年ぶりに発表したフルアルバム。2007年にオリジナル編成に戻った後に初めて製作された音源でもあり、同メンバーによるレコーディングは実に30年ぶりになります。これが実に素晴らしい作品で、このバンドにしかできない「歌心あるフリーミュージック」が、印象的なフレーズと混沌とした即興部分の両方を強化されたかたちで示されています。本稿で選んだ20枚の中では最も摑みどころがない一枚かもしれませんが、繰り返し聴くことにより対応するための“回路”が確実に開発されハマっていくアルバムでもあるので、機会があればぜひ聴いてみてほしいものです。

このアルバムに関しては、製作を担当した宮本隆さん(名ブログ「満月に聴く音楽」主催)による素晴らしいライナーノーツが公開されているので(下記リンク集の一番下)、シェシズの過去作品を聴いたことのある方はまずそちらを読むことをお勧めします。

宮本隆による製作記
宮本隆によるライナーノーツ

このバンドの音源を全く聴いたことのない方に乱暴に説明しますと、シェシズは「VELVET UNDERGROUNDや初期AMON DÜÜLを日本〜アジア大陸の歌謡曲にどっぷり漬け込んだ」ようなバンドで、非常に印象的な歌メロと自在に拡散する即興パート(ジャズ色の希薄なフリーミュージックという感じ)を両立する音楽性を長く磨き続けてきました。日本/世界のアンダーグラウンドシーンを代表する名盤『約束はできない』(1st・1984年発表)では上記のようなスタイルが歌謡曲成分多めに示され、フリーに展開する場面も多かったのですが(二胡やボーカルの音程がヨレる箇所も非常に良い味を出しています)、1994年の『A JOURNEY』や1999年の『瞬きの星』では欧州寄りの(クラシック〜欧州トラッド的な)音遣いが増えて“湿り気の質”が変わり、フリーに展開する場面も依然として多いものの比較的整理されるなど、「構築するさなかの様子を見せる」というよりも「構築した後の姿を見せる」ような傾向が微妙に増えてきていたように思います。
ディスコグラフィ上はその『瞬きの星』に続く作品となる本作『火の環(ひのたまき)』では、1st『約束はできない』のアジア大陸的歌謡曲感覚と以降のヨーロッパ大陸的な音遣いの間をいく味わいが生み出されていて、フリーに展開する場面も1stと同等以上に多くなっています。過去作品よりも格段に成長した(それでいて妙なヨレは巧みに残されている)演奏陣は「歌メロを魅力的に“歌う”」ことと「音楽的必然性を保ちながら無茶苦茶に暴れる」ことの両立を自然に成し遂げていて、アルバム全編に渡って「わけのわからないことをやり続けているのになんだかとても耳に残る」不思議な聴き味を生んでいるのです。先に挙げたVELVET UNDERGROUNDやAMON DÜÜL、そしてKING CRIMSON「暗黒の世界」(曲の方)やGASTR DEL SOLのような抽象的なインタープレイが、特濃の歌謡曲的エッセンスにどっぷり漬け込まれ、“しっかりスープが絡みついた”状態で提供され続ける。約68分に及ぶ長尺のアルバムですが、こうした味わいの感覚に慣れれば長さを気にせず何度でも聴き続けられるようになります。始まりも終わりもそっけなく、全体の構成も果たしてこれでいいのかよくわからない仕上がりなのですが、そういう感じさえも“ならでは”の味に思えてくるから不思議です。奇妙な魅力に満ちた傑作です。

こうした(脱力感あふれる)フリーミュージックは「普通の音楽」しか聴かない人に敬遠されがちで、聴きどころを見つけにくいために実際なかなか“入門”しづらいものが多いのですが、シェシズの作品はそうした難しさをかなりうまくクリアしてくれるのではないかと思います。本作『火の環』もその例に洩れぬ傑作です。機会があればぜひ「アルバム一枚通して」聴き流してみてほしいところです。



第12位cali≠gari憧憬、睡蓮と向日葵』(良心盤)

憧憬、睡蓮と向日葵[良心盤(通常盤)]

憧憬、睡蓮と向日葵[良心盤(通常盤)]


(未)

桜井青インタビュー
石井秀仁インタビュー



第11位RADIOHEADA Moon Shaped Pool

A MOON SHAPED POOL

A MOON SHAPED POOL


(未)



第10位Anderson .PaakMalibu

Malibu

Malibu


Dr.Dre『Compton』(2015年発表:Dreの最終アルバムとの声明あり)に同作中最多の6曲でフィーチャーされ注目を浴びた、マルチプレイヤー/音楽プロデューサー:アンダーソン・パーク(パック表記もあり)の2ndアルバムです。これが驚異的に素晴らしい作品で、60年代ファンク/ソウルからハウス/ヒップホップに連なるブラックミュージックの流れが、フュージョン的音遣い感覚を通して滑らかに結合され、それぞれの薫りを漂わせつつ他では聴けない個性的な形に仕上げられています。これからさらに注目されることになるだろう一枚ですし、ここで知ったという方はぜひ聴いてみることをお勧めします。

アンダーソンの複雑な生い立ちやこの作品に関するシーンの話などは以下の記事に詳しいので、興味を持たれた方はそちらをお読みください。

紹介記事:
Pitchforkのインタビュー和訳:

ここで触れられているエピソードでひときわ印象的なのが
Dr.Dreに呼び出され、その場で(別ユニットNxWorriesの)「Suede」を3回Dreに聴かれたのち、新譜『Compton』に入る予定だった「All in The Day's Work」のトラックをいきなり流され、アドリブで歌うことを要求された。そこでのパフォーマンスを気に入られ、結果的に6曲でフィーチャーされることになった」
というものでしょう。ボーカル/ドラムス/キーボードの卓越したマルチプレイヤーであるだけでなく、トラック作りの面でも優れた才能を発揮し、単なるパフォーマーとしてではなく重要な共作者として抜擢されてしまう。本作『Malib』では、アンダーソンのそのような能力が余すことなく発揮され、作編曲/演奏/雰囲気作り全ての面において素晴らしい成果が得られています。

本作においては、SLY AND THE FAMILY STONEのような60〜70年代のファンク/ソウルミュージックと、80年代のトロピカルなハウス、90年代以降のジャジーなヒップホップ〜ネオソウルとが、それらに共通するフュージョン的音遣い感覚(Miles Davis『in a silent way』や初期WEATHER REPORTあたりに連なるタイプのもの:FLYING LOTUSやケンドリック・ラマーの作品でも聴けるこのシーンのトレンド)によって巧みに溶かし合わされた上で、曲によってどれか一つのスタイルを前面に押し出す形で示されています。
(「この曲はファンク、この曲はハウス、この曲はジャジー・ヒップホップ」というふうに)
そのため、それぞれの曲を取り出して比べてみると「結構バラバラなスタイルを集めてるな」という気がするのですが、上記のような音遣いが全ての曲に共通する“ダシ”として存在しているため、続けて聴いた時に違和感を覚えさせてしまうことがありません。アルバムの流れまとまりは完璧で、約60分の長さを完璧に丁度良いものとして浸らせてくれます。ヒップホップ的な硬いアタックを伴うプロダクション&アンダーソン本人による“丸く塩辛い”ハスキーヴォイスはラフで勢いのある印象を生むものですが、それがファンク寄りの控えめなテンポと“くぐもり気味に爽やか”な音遣いと組み合わされることで、全体としては絶妙に“落ち着きすぎないチルアウト感覚”が得られます。元気にいきたい時にもゆったりいきたい場合にもしっくりくる音楽で、午前0時から2時くらいの時間帯に流すとたまらないですね。理屈抜きに心地よい「機能性の高い音楽」としてだけみても良いですし、複雑な生い立ちを親しみ深い雰囲気のもとでさらりと呑み込ませる語り口の見事さなど、「表現力の凄い音楽」としても素晴らしいアルバムです。

以上のような音楽的強度と語り口の見事さは、ブラックミュージックの歴史全体を見渡しても屈指のものなのではないかと思います。ディアンジェロの歴史的名盤『Voodoo』などと並べて賞賛する声もありますが、タイプは異なるものの確かにそれだけの内容を持つ作品と言えます。今年の9月には来日公演も決まっていますし、ぜひこのタイミングで聴いてみてほしい傑作です。



第9位AnohniHopelessness

Hopelessness

Hopelessness


(未)



第8位テニスコーツMusic Exists disc3

Music Exists Disc3

Music Exists Disc3


(未)



第7位SWANSThe Glowing Man

The Glowing Man [2CD+DVD / 特殊パッケージ / 国内盤 ] (TRCP203)

The Glowing Man [2CD+DVD / 特殊パッケージ / 国内盤 ] (TRCP203)


(未)

エレキングのインタビュー
リアルサウンドのインタビュー



第6位大森靖子TOKYO BLACK HOLE

TOKYO BLACK HOLE

TOKYO BLACK HOLE


(未)



第5位KINGWe Are KING

ウィー・アー・キング

ウィー・アー・キング


(未)



第4位No Lie-SenseJapan's Period

JAPAN'S PERIOD

JAPAN'S PERIOD


(未)



第3位Esperanza SpaldingEmily's D+Evolution

Emily's D+Evolution(deluxe)

Emily's D+Evolution(deluxe)


(未)





(未)



第1位岡村靖幸幸福

幸福

幸福


(未)


【残す100枚】(2016.7.1 暫定版)

 【残す100枚】(2016.7.1 暫定版)


中山康樹(音楽評論家)の発言に「コレクション100枚の真理」という話があります。
「『集める』ことと『聴く』ことが無理なく並存できる限界は、せいぜい100枚までではないかと思います」
中山康樹「超ジャズ入門」(集英社新書、2001)p166より引用)
というものです。

「100枚」というのが適切な数字かどうかは場合によると思いますが、これだけ限定された枚数に絞るということは、「自分にとって本当に大事な作品はどれなのか」考えるきっかけを与えてくれるものであり、実際やってみると、かなり面白い結果が得られます。

というわけで、「2016年7月1日(下半期初日)の時点における『この100枚』」を選んでみました。
所持アルバムの総数は(リストは作っていますがカウントは途中で放棄してまして)5000枚+α程度でしょうか。(全てフィジカルコピーです。)そこからぴったり100枚。次点なども作らず、厳密に選びぬきました。
はじめの3枚以外は、思い入れの多寡を問わず単にアルファベット順で並べています。

「この100枚それぞれについて何かしら書く」ことを今年の目標としたいと思います。

それでは。



MESHUGGAHNothing(remix)
 
聖飢魔ⅡThe Outer Mission

PUGSSPORTS



Anderson Paak:Malibu

Anohni:Hopelessness

AREA:1978

ATHEISTUnquestionable Presence

THE BANDMusic from Big Pink

THE BEATLESRevolver

THE BEACH BOYSPet Sounds


Bob DylanBlood on The Tracks

caligari12

CONFESSORCondemned

THE CONGOSHeart of the Congos

CORONERGrin

Curtis MayfieldThere’s No Place Like America Today

CYNICFocus

D`Angelo:Voodoo

DAFT PUNKRandom Access Memories

DARK TRANQUILLITYCharacter


DISCHARGEWhy

DISHARMONIC ORCHESTRAPleasuredome

DØDHEIMSGARD(DHG):A Umbra Omega

THE DOORSStrange Days

Esperanza Spalding:Emily's D+Evolution

EXTOLThe Blueprint Dives

EYEHATEGODTake as needed for pain

FLEURETYDepartment of Apocalyptic Affairs

Frank ZappaOne Size Fits All

Fripp & Eno:No Pussyfooting

G.I.S.M.DETESTation

GENESISSelling England by The Pound

Glenn Gould:(J.S.BachThe Goldberg Variations81

GORGUTSColored Sands

じゃがたら:ニセ予言者ども

JAPANGentlemen Take Polaroids

Jim O'rourke:Simple Songs

Jimi HendrixElectric Ladyland

JUDAS PRIESTScreaming for Vengeance

割礼:ゆれつづける 

Kendrick Lamar:To Pimp A Butterfly

KILIING TIMESkip

KING:We Are KING

KING CRIMSONIn The Court of The Crimson King

キリンジ:ペイパードライヴァーズミュージック

Lightnin` HopkinsLIGHTNIN` STRIKES

Manuel GottshingE2-E4


MAUDLIN OF THE WELL:Leaving Your Body Map

Mats & Morgan[schack tati]

Meshell NdegeocelloComfort Woman

MESHUGGAHKoloss

三上寛Bang!

Miles DavisNefertiti

Milton NascimentoMilton76) 

3776:3776を聴かない理由があるとすれば


MOODYMANNMahogany Brown

MORBID ANGELAlters of Madness

MORRIEHard Core Reverie

No Lie-Sense:Japan's Period

岡村靖幸:家庭教師

岡村靖幸:幸福

大森靖子:TOKYO BLACK HOLE

大槻ケンヂUnderground Searchile-スケキヨ

OPETH:Heritage

PARLIAMENT:Mothership Connection

Peter Hammill…all that might have been…

Peter IversTerminal Love

Phew:ニューワールド

佐井好子:蝶のすむ部屋

SIGH:Imaginary Sonicscape

SLEEPDopesmoker

SLINTSpiderland


SOILWORKNatural Born Chaos

SOLEFALDNeonism

SPEED, GLUE & SHINKIEve

鈴木慶一:Records and Memories

SWANSTo Be Kind

Syd Barrett:The Madcap Laughs

TELEVISIONMarquee Moon

テニスコーツ:Music Exists disc3

Thelonious MonkThelonious Himself

Thighpaulsandra:The Golden Communion

THE 3RD & THE MORTAL:In This Room

TRIPTYKONMelana Chasmata


ULVERMesse .Ⅹ-Ⅵ.

UNDERWORLDBeaucoup Fish


VIRUS:Memento Collider

VED BUENS ENDE…:Written in Waters

VEKTOR:Terminal Redux

THE WAYNE SHORTER QUARTETWithout A Net

やくしまるえつこRadio Onsen Eutopia












2016年・上半期ベストライヴ

【2016年・上半期ベストライヴ】


・2016年上半期に参加したライヴの個人的ベスト10です。
(年末に選定するベスト20(+次点)においては微妙に順位が入れ替わる可能性もあります。)
個人的な評価や思い入れを比較してランキング化したもので、「音楽や演奏、音響や演出の出来映え」そして「自分が終演直後にどれだけ満足できたか」ということはもちろん、「自分がそれを通してどのような気付きを得られたか(=そういう気付きを与えてくれる興味深い要素がどれだけあったか)」ということなども考え、総合的な手応えの多寡を感覚的に比べたものになっています。

・複数回観たものは、その中で最も良いと思えた公演ひとつを選んでいます。

・リンクは各公演のライヴレポートです。観終わった直後の紐付けツイートで、比較的鮮度の高い感想になっていると思います。よろしければあわせてご参照ください。


[上半期Best10]


第1位:岡村靖幸@Zepp DiverCity Tokyo(4/29

第2位:BELLRING少女ハート@渋谷WWW(3/23

第3位:氷室京介@東京ドーム(5/21)

第4位:THA BLUE HERB@豊田市千石公園(5/28:橋の下世界音楽祭)

第5位:ゆるめるモ!@渋谷WWW3/23

第6位:KING@Billboard Live Osaka(5/4:1st set)



第9位:GRIMES@赤坂Blitz1/26

第10位:Egberto Gismonti@練馬文化センター 大ホール(4/20



[参加したライヴ一覧]


1/2:3776@渋谷タワーレコード 4Fイベントスペース(インストアミニライヴ)

1/25:SCHAFT@恵比寿Liquidroom



3/2:生ハムと焼うどん@赤坂Blitz

3/6:DOOM・HELLCHILD@千葉LOOK

3/13:KERA@Billboard Live Tokyo(2nd Set)

(Jim O'rouke・PhewJuana Molina大森靖子・Flo Morrisseycero・KIMONOS)



3/28:D'ANGELO AND THE VANGUARD@パシフィコ横浜

3/29:John Medeski@DOMMUNE STUDIO


4/9:ツチヤニボンド・入江陽・ムーズムズ@京都ネガポジ



4/26:TAME IMPALA@なんばHatch


5/4:KING@Billboard Live Osaka(1st set)

5/7:cali≠gari@梅田AKASO

5/14:THE REAL GROUP@Billboard Live Osaka(1st set)

5/21:氷室京介@東京ドーム

5/24:Rodrigo y Gabriela@大阪IMPホール

5/28・29:橋の下世界音楽祭@豊田市千石公園
THA BLUE HERB・FORWARD・羊歯明神Jr.・TURTLE ISLAND・転)
(藍羽 with 竹舞&NOB・リボー・柳家睦&THE RATBONES)

6/10:ARCA & JESSE KANDA・seiho・行松陽介・Keita Kawakami・sou@CIRCUS OSAKA


某大学アカペラサークル「Summer Live 2016」第一次オーディションの音源審査について

かつて所属していた大学アカペラサークルが、12月末に全体ライヴを開催します。その第一次オーディション(20バンド)について、このたび動画での審査を頼まれまして、一昨日結果を送信してまいりました。


以下は、その審査にあたっての評価基準について書いたものです。

先方から与えられた4項目

・「ハーモニー」

・「リズム」

・「メロディ」

・「ダイナミクス

そして審査員が自由に設定していい1項目

・「訴求力(お客さんを引き込む力)」

についての内容。

書き上げてみると、これが意外に個人的な音楽観一般を網羅したものになっていると気付きます。自分としては興味深く読めるものですし、せっかくまとまった量になりましたので、ここに載せておこうと思います。

何かの参考や反面教師などになれば幸いです。

(前3回分

http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2014/11/12/003727

http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2015/05/23/010659

http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2015/11/12/175825

の修正版です。)





「Summer Live 2016 第一次オーディション」審査基準

(以下は、講評とともに、必ず各バンドに配布してください。)


【各項目の内容と評価基準】


各評価項目について、個人的な解釈に基づいて「どういう要素を評価するのか」といった内容を振り分けています。

ここでは、それについて簡単に説明いたします。


基本的には、「バンド全体の力」をみています。

うまいメンバーがいれば魅力は当然増しますが、アンサンブル全体をうまくまとめることができなければ、そうしたメンバーを活かすことはできません。逆にいえば、看板になるようなメンバーがいなくても、全体としての仕上がりが見事なら、他では出せない素晴らしい味が生まれます。

今回は、このような観点から、「アンサンブル全体を審査」しています。

「メロディ」に関しては、リード及び間奏(歌詞がない箇所)の主旋律など“一部のパート”のみに注目し評価していますが、他の4項目は全て「アンサンブル全体の出来・味」を評価しています。

従って、その4項目に関しては、例えば「他のパートがダメでもリードがうまいから点が高くなる」「全体のまとまりは素晴らしいけどリードがパッとしないから点が低くなる」ようなことは、まずありません。ご了承ください。



(1)〈技術・体裁〉


個人的好みをできるだけ排除して、演奏の完成度をパラメタ的に評価しています。



①メロディ


下記「④ダイナミクス」の所に書いた「フレージング」「トーンコントロール」「サウンドバランス」について、アレンジの“顔”となる部分(リードだけでなくイントロの主旋律など)がどれだけうまく歌えているか・そしてそれをバンドがどれだけ活かせているかを評価しています。

主旋律そのものがうまく歌えていても、「他のパートの音量が大きすぎて主旋律が注目されづらくなってしまっている」場合は、(もちろん主旋律のみに注目して評価しようとはしていますが)響きが他のパートにマスクされ聴き取りづらくなってしまうこともあるため、評価が伸びないこともあります。

これは本番で聴いてくれるお客さんが感じることでもあります。そういった「バランス」に注意を払うのも大事です。



②ハーモニー


・「この曲」ができているか


楽譜どおりの和音がつくれているか。

一部メンバーの音程が完璧であっても、どこかのパートが致命的にズレていれば、全体としての和音は崩壊します。そういう場合の評点は必然的に辛くなります。

また、複雑な和音に挑戦して崩れ気味になっている箇所などは容赦なく減点しますし、簡単な和音であっても綺麗に仕上げられている場合は評価が高くなります。

バンドによっては「もっと簡単な曲をやれば完璧に仕上げられる」だろうケースも見受けられますが、それはやっている曲の完成度とは関係ありません。

ほとんどのお客さんはバンドやメンバーの事情など鑑みてはくれないので、「難しい曲をやっているから少しくらいできていなくても構わない」という言い訳は通じません。



③リズム


・グルーヴ(一体感)


全メンバーの足並み(ビート感)が揃っているかどうか。

(「縦が合う」という状態を、音の入りや語尾の処理なども含めた「響きのコントロール」のレベルで突き詰めて表現すると、一般にいう「グルーヴ」感が生まれます。)

一部が巧くても、全体が合っていなければ減点されています。

リズムキープ(BPMの維持)は、必ずしも厳密にできている必要はありません。

ビートが均一に保てていてもフレーズの間につながりがなければリズムアンサンブルはぶつ切りになりますし、ビートを随時変化させていても、それが曲や場面に合っていれば、アンサンブルとしての完成度は上がります。

以上のような観点のもと、一体感のある流れがあるか否かを評価しています。


・「止まらずつなげる」ことができているか


具体的には、

「フレーズとフレーズの間につながりを持たせることができているか」

「小節線で意識を切らずに、1曲通して音をつなげ続けることができているか」

ということなどをみています。

上記「グルーヴ」をつくり続けることができているか否かが評価対象となります。



(2)〈解釈・アイデア


曲の全体および細部を吟味し、それをもとにどういう音を出し構成していくか、という「考え」の緻密さ及び達成度をみています。

そうした「考え」のないものは陰影のない単調な仕上がりになりがちで、聴き手にとっては面白くありません。

飽きさせず惹き込むために重要な要素です。



ダイナミクス(表現力・緩急構成)


・フレージング(ミクロの視点)


フレーズ(メロディ)ひとかたまりがどこからどこまでか判断し、それを表情をつけて歌うことができているか否か。楽譜の解釈・自分の声のコントロールの両方がどれだけできているかということをみています。

たとえばスピーチをする際は、文節やアクセントの位置に気をつけたり、ひといき間をおく箇所を考えたりする、というような“細部の解きほぐし”が重要で、これができていると聴き手に伝わる力が格段に増します。

音楽においてもこうした細部の解釈は大変重要になります。


・トーンコントロール


音色(声の響き)を随時変化させ、その場に応じた色彩を提示することができているか否か。これができていれば、曲全体の表情がとても豊かになります。

逆に、これができていないと、曲全体の表情が均一で単調になり、「飽きさせる」ものになってしまいます。

なお、「原曲のイメージに合っているか否か」は問題ではありません。全員の解釈やその方向性さえ一致されていれば、それが原曲からかけ離れているものでもあっても、独自の説得力ある着地点に到達することができるものです。

ここでは、以上のような観点から、「トーンコントロールによる表情の描きわけ」や「バンド全体でうまく音色を合わせることができているか」をみています。


・サウンドバランス


パート間の基本的な音量バランスはもちろん、リード交換がある場合はそれらのつなぎがうまくいっているか(前後の流れを無視して一人だけ大声を出しすぎていないかetc.)など、効果的なやり方で整った“かたち”に仕上げることができているかを、音量や響きの目立ち方の観点から評価しています。



・構成力(マクロの視点)


:曲全体を俯瞰した構成がなされているか、そしてそれがうまく機能しているかどうかをみています。

ただ単に音量の大小をつけていればいいということはありません。

たとえば演劇において、ストーリーにおいて見せ場となる「おいしいセリフ」を言う場合、前後の脈絡を無視していきなり大声で叫んでしまうのは得策ではありません。大声で言いたいのであっても、その場の雰囲気やそこまでの展開が許す範囲内に留めなければなりませんし、そもそも見せ場だからといって大声を出す必要もありません。静かに余韻を残すような言い方のほうが観る者の印象に残りうることもありますし、刺激を与えたい場合でも、あえて押し殺すように“控えめに、しかし強く”言うやり方もあります。また、その「見せ場」を活かすためにそこに至る部分を丁寧に作り込む、というのも大切です。「見せ場」そのものよりもそうした“伏線”の処理の方が重要になる場合もあります。

曲の構成においても、そうした意識や考えが重要になります。全体の流れをうまく作りつなげていくために、各場合に合った力加減(音量・響きの質や厚みetc.)を考え、アンサンブル全体としてそれを形にできるように、実際の練習におけるすり合わせを繰り返さなければなりません。

こうした意味においての構成・構成力こそが、バンド表現において最も重要な要素なのだと言えます。

(①②③を仕上げた上でそれを活かし映えさせるための要素です)

ここではその出来映えを評価しています。

なお、「はっきりした強弱の変化があるか否か」は問題ではありません。曲や場面によっては、あまり大きな強弱をつけず、しかし淡々とした流れの中で微細な変化をつける、という方法のほうが向いている場面もあります。(均一なテンション・雰囲気の中で感情が高まりしぼんでいく、というような感じ。)今回の審査音源の中でも、そうしたやり方で素晴らしい成果を生み出しているものが幾つかあります。



(3)〈印象点〉


ひとことで言えば「刺さる」力です。初めて聴くお客さんを惹き込んでしまう要素や力について評価しています。

これはかなり感覚的な要素なので、私の個人的な嗜好(音楽性についてではなく、「どういうものが人を惹きつけるのか」という、持論のようなもの)も排除せずみています。

(完全に「客観的な」評価というものは不可能ですし、一個人の徹底的に「主観的な」考えをつきつめた方がむしろある種の一般性を獲得する場面も多くあります。

これは音楽をやる全ての方に心においてほしいことでもあります。まず完全に「自分(達)を納得させる」ことができるやり方でないと、他人を十分納得させることはできないものです。まず自分(達)の好みこそを優先し、その上でそれを受け入れられうる形に整える、ということが大事です。)



⑤訴求力


・わかりやすさ


:「わかりやすい」=「簡単」「単純」ではありません。

音楽性が複雑であっても、よく解きほぐされた明晰な論理的構成の上にそれをおいていくことができれば、音楽にあまり興味のない人にも抵抗なく楽しませてしまうことができます。そうした意味での「わかりやすさ」、言い換えれば「語り口のうまさ」「説明のうまさ」のようなものはとても重要です。

スピーチをする際は、自分の意見をうまく伝えるために、聴き手にできるだけ労力をかけないようなかたちに原稿を洗練させておく。これと同様に、編曲(アレンジ)も、無闇に情報を詰め込むのではなく、聴き手に伝わりやすいかたちに整理・構成しておくべきです。

こうした観点から、聴き手に「わかりやすく伝わる」曲・アレンジを用意できているかをみています。

「誰もが知っている曲を選ぶ」というのは、そうした意味において実は大事なことです。(「誰も知らない曲」であっても、初見で惹き込める作編曲がなされていればそれに十分対抗できます。)

POPであるというのは、とても大事なことなのです。


・代替不可能性(個性・オリジナリティ)


主に演奏表現力の個性(他では聴けない何か)の大小や“味わい深さ”(聴き飽きなさ)をみています。リードの特徴的な歌い回しとか、アンサンブル全体のグルーヴ(響きとリズムの一体感)およびその変化のさせ方、勢いや落ち着きのある雰囲気作りなど、表現力や解釈力のうちの「結果の面白さ」を評価しています。

(④表現・ダイナミクスのところでは、その「結果」を出すための工夫や技術力についてみています。)


アレンジについては、よほど気の利いたものでなければ勘案していません。楽譜をもとに音を出すにあたっての「結果の面白さ」を重視・評価しています。


・思い入れ


:「この曲でこういうことをやりたい」という気持ち・やる気・情熱が、トーンコントロールや種々の力加減の操作を通して、音に十分現れているか否か。

ここまで挙げてきた各要素は、こうした「思い入れ」「気持ち」をうまく伝えるための道具に過ぎません。

(心・技・体でいうなら技・体の部分)

聴き手の心に届くためには、こちらの心を示さなければならない。

一番大事な要素としてみています。



【点数の基準について】


おおまかにこんな感じでつけています。


〈9.0〜10.0〉

素晴らしい。お金とれるレベルです。


〈8.0〜8.5〉

優れた仕上がり。余計なことを考えさせず惹き込める。


〈6.5〜7.5〉

悪くない。無難に仕上がっているだけでなく、何かしらの付加価値がある。


〈6.0〉

形にはなっている。無料ライヴなら文句を言われるべきでない。


〈4.0〜5.5〉

弱点がある。無闇に練習するよりも、自分の音源をよく聴いて問題点を洗い出したほうがいい。

気付きがあればすぐに改善できるレベルだが、このまま本番に出るのは望ましくない。


〈0.0〜3.5〉

今回の出場は難しい。基本から丁寧にチェックしていくべき。



【評価方法】


聴取環境:イヤホン(Etymotic Research ER-4)およびスピーカー(BOSE Soundlink Color ポータブル)

全音源の評点を出すにあたって、全17曲を

「1番→17番の順に通して聴きながら採点」(初日)

「17番→1番の順に通して聴きながら採点修正」(2日目)

「各曲(順番はランダム)を最大40分ほどリピートしながら採点修正&講評」(3日目以降)

というふうに聴いて評価しています。

(それぞれの講評は全て40分以内に書き上げたものです。)

スタジオ録音(各パートの定位がキレイに分かれている)とワンマイク録音(全パートがひとつにまとまるダンゴ状なサウンドになっている)とでは、前者の方が明らかに訴求力の強い音質になっています。したがって、何度も聴くことにより(録音におさめられる前の)もとの声質・響きを分析・吟味して、こうした録音の違いによるバイアスをできるだけ排除するように努めました。



とりあえず以上です。

今回あまり良い点の付かなかったバンドも、適切な練習方法に気付いたり、雰囲気や力加減の表現についてのヴィジョンをまとめたりすることができれば、短期間で一気に飛躍する可能性が十分にあると思います。

講評には、そのためのアドバイスも簡単に加えております。


また、今回は、過去の発声関連記事では触れていなかった部分(鼻腔〜口腔〜頭部共鳴の具体的な開発法など)についてこちらの記事

http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2016/06/12/172821

にまとめたので、あわせて参照して頂けると幸いです。


わからないことや納得のいかないことがあれば、私の方まで直接ご連絡ください。できるかぎりお応えします。


お疲れ様でした。

【新入生アカペラバンド向けの一夜漬け練習法】:「力を入れすぎずに大きな声を出す」ことの大事さと具体的な方法

本稿は、3日後(当時)に発表会を控えた大学アカペラサークルの新入生バンドに向けて書かれたものです。
以前書いた2つの記事
ではカバーできていなかった
「鼻腔〜口腔〜頭部共鳴」
の具体的なやり方がコンパクトに押さえられていて、新入生/初心者に限らず有用な内容になっていると思うので、ここにまとめて掲載しておきます。


構成:
〈1〉考え方とその裏付け
〈2〉本番直前にやっておく/意識しておくべきこと
(〈1〉をふまえた上での「すぐできるコツ」)

最大のポイントは
「力を入れすぎずに大きな声を出す」
こと。これを意識するだけで全てうまくいきます。具体的な方法や理由については以下をご参照ください。


1考え方とその裏付け


【「力を入れすぎずに大きな声を出す」ことの意義】

・大きな声(というか豊かな響き)を出せるようになると、自分の声が聞こえやすくなり、音程その他をとりやすくなる
・自分が使える音量や音色の幅が広がり、自然に表現力が増す
・喉を傷めずに良い響きを出せるようになり、気持ちよく歌える


【「力を入れすぎずに大きな声を出す」具体的な方法】

・姿勢を整える
・「下顎を力を抜いたまま下げた」状態を保ちつつ“あくび”
・息は必ず鼻から吸い(吐くのは口・鼻どちらからでもOK)、鼻と口の空間の連結を意識する
・体の中の空間を「広げてから」声を出す(×声を出してから広げる)

まず要注意なのが
「声の大きさ(豊かさ)は“ノドにかける力の強さ”と〈比例しない〉」
ということ。
声≒気流(吐く息)なので、その響きの豊かさは「気流が通る空間の広さ」にほぼ比例します。体に無理に力をかけすぎるとその「空間の広さ」が狭まり、響きの豊かさが損なわれてしまいます。

また、声帯がその全体/一部を擦り合わせることで(そこを通る気流から)声の原音が生まれるわけですが、ノド周りに無駄な緊張をかけすぎると、声帯をコントロールする筋肉がロックされるので、滑らかに動かし音程を移行するのが難しくなります。
つまり、「かける力は少ない方が望ましい」のです。

逆に、無理な力を入れなければ「気流が通る空間」=「声が響く空間」を広げやすくなるので、少し息を通すだけで豊かな響き&大きな音量が生まれます。

従って、「良い声」を出すためには
《まず力を抜く》
《そして体の中の空間を広げる》
《空間を広げたまま声を出す》
のが大事なわけです。


【体の中の空間を広げる具体的な方法】
(呼吸の話に関してはここでは省略:最初に挙げた2つの記事を参照)


①姿勢の整え方

・まっすぐ背筋を伸ばした状態から、「背骨を腰骨に置く」イメージでリラックス
・足は肩幅ほどに軽く広げる
・頭は上げず下げすぎず、「下顎やノドの根元を真下に垂らす」イメージでリラックス
・肩や胸の力を抜き、両腕は真下に垂らす
・腰から上は(力を抜きつつ)まっすぐにし、両膝は少し軽く曲げる
(「きをつけ」ではなく「たわみながらもまっすぐ立つ」しなやかな姿勢がベター)

この辺の話を詳しく知りたい方はこちらの本などもご参照ください。
解剖学の授業で学ぶことに直接通じる内容ですし、学問的にもとても興味深いのではないかと思います。

「歌手ならだれでも知っておきたい「からだ」のこと」


②あくび

咽頭まわり:首〜頭の連結部内部を広げるコツ)
最も即効性があるのはこれでしょう。
ただ、ここでいう“あくび”は普段みなさんがやっているそれ(無理な力がかかっていることも多い)とは少し違います。

・まず下顎〜両頬の力を完全に抜き、下顎を“真下に垂らす”ようにする
・その状態で下の顎骨を(無理な力を入れず)内側から外側に広げる
・下顎が上がらないように気をつけつつ、(背筋・腹筋を真下に下げながら)優しくあくび(いつも通りの)をする

この一連の動作をすることにより、
・器の外郭(=骨)を動かし容積を広げる
・しかるのちに中の柔らかい膜(=筋肉・粘膜)を広げ「体内で声が響く空間」を広くとる
ことができるようになります。
文章だけではピンとこないかもしれませんが、是非やってみてください。劇的な効果が得られます。

この“あくび”をリラックスしてできるようになると、それだけで「声量」(響きの構成状態を無視しボリュームだけを評価する言葉なので個人的には好きではない)が一気に増えます。
すると、無理な力を入れなくても十分な響きを出せるようになるので、歌う時に緊張をかける悪癖が解消されていきます。

その上で是非やってみてほしいのが

③息は必ず鼻から吸う

です。
これをやると鼻腔〜口腔の空間的連結が自然にスムーズになり、頭部での響きが非常に豊かになります。
(高域が豊かになり「よく通る/輝く」声になる)
また、高音も出しやすくなります。

(なお、この「息は必ず鼻から吸う」というのは「鼻と口の両方から吸う」でもOKです。鼻の通り〜空間確保さえとれていれば(そして口から吸う際のノド周りに無用な緊張が加わらないのであれば)そちらの方がより良いはずです。)

鼻腔〜口腔の空間を広げ周りの筋肉をほぐすと「声が響く空間」が広がる。また、喉頭蓋(気管のフタ)を開きやすくなり声帯が動くスペースを広くとれ、従って声帯を少ない力で滑らかに伸ばしやすくなる。
声帯を伸ばすと高音が出るので、こうしたほぐす動作は高音域の開発に大きく貢献すると言えます。

歌の練習の前に(というか日常の動作として)この

【体の中の空間を具体的に広げる方法】
①姿勢を整える
②下顎を下げ顎骨を動かしてから優しく“あくび”する
③息を鼻から吸うクセをつけ、その道筋に沿って内部の空間を広げていく

をやるだけで、劇的に“ラクに”歌えるようになります。


これをふまえた上でぜひ気をつけて頂きたいのが

④体の中の空間を「広げてから」声を出す

ということです。
「リラックスした状態から緊張を加える」
のは簡単だけど、
「緊張した状態からリラックスする」
のは難しい。
豊かに響かせたい場合は、まず体内の空間を十分ひろげて「から」歌うべきです。

以上①〜④を意識していただければ、それだけであらゆることが一気に良い方向に向かうはずです。
・各人の響きが豊かになれば全体の音も豊かになり、迫力や表現力が大きく増す
・自分の声が豊かになると全体のなかで埋もれにくくなり、音程やリズムを掴みやすくなる
・従って楽しくなる
からです。


その上で、アカペラバンドで歌う際にぜひ意識してほしいのは

・コーラスもベースもデカイ声で歌う
(「リードを潰さないように」なんて配慮は一切しない)

ことですね。
5人メンバーのうち3人を占めるコーラスが遠慮して小声で歌っていたら、全体の音はどうしてもショボくなってしまいます。

つまり、アカペラバンドの個性や“強さ”を決めるのは、リードではなくコーラス達なわけです。
(ベースやボイパもリズム〜グルーヴの面で最重要。)
リードはバンドの“顔”、コーラスなど他のパートはバンドの“体”や“服装”。 (少なくとも遠目で見たときの)全体の印象を決めるのは後者です。

また、アレンジ的にみても、音程の動きが一番派手なのはリードなので、それよりも控えめにしか動かないコーラスがいかに力強く歌おうと、リードはそう簡単には埋もれてしまいません。
アンサンブル全体のバランスを崩さない範囲内であれば、他のパートもガンガン響かせるのが良いと思います。

以上のようにして「大きな声で歌う」習慣をつけてしまえれば後はもう全てがうまくいきます。
「体内の空間を広げることができる」ならば「それをせばめることもできる」わけですから、響きの構成状態や音量をコントロールできる幅も自然に広がっていく。必然的に表現力が大きく増します。

その上でぜひやるべきなのが
【曲の構成を考える】
こと。
・バンド全体での音量変化
(「サビの後のしっとりした場面は音量を絞る」「大サビでの音量に合わせて他の場面の音量変化を構成する」など)
・バンド全体での声色変化
を練ると、曲の表現力が驚異的に高まります。まずは前者だけでも。


とりあえずはこんなところですかね。
他にも
・たとえばコーラスだけで歌ってみて正しい和音が出せるようにする
・「はじめの一音」(静かな状態から出す音ならどれでも)を《一発で正しく当てる》ように意識すると全ての音程が自然に滑らかに整う
などありますが、時間がなければ仕方ありません。


2本番直前にやっておく/意識しておくべきこと
(〈1〉をふまえた上での「すぐできるコツ」)

・とにかく大きな声で/フルに響かせて歌うようにしましょう。コーラスもリード以上にパワフルに出して大丈夫。「いままでの練習の5倍以上出す」つもりでいくのが良いと思います。
その際チカラを入れるのは下腹部・背中の下だけで(ここを「真下に引っ張って押さえる」感じ)、ノドまわりはストレスフリーで。
それだけで声の気持ち良さも音程の取りやすさも一気に増します。
音量については、機材の方で適切に調整してくれるでしょうから、出し過ぎを心配する必要はないです。

・発声練習は「ア」系で:
「ウ」「オ」などの“ノドをせばめる”発音でなく、「ア」や「エ」など“ノドの奥が勝手に開く”発音で声出しするのがいいと思います。
特に、
喉の奥を開くのは「ア」「ハ」
息を鼻の奥まで通すのは「サ」(「ナ」「マ」も併用)
で、これをメインに使うのをオススメします。
(「ア」〜「ハ」、「サ」を繰り返すことで良いウォームアップができます)

他の発音(「カ」「タ」など)と比べてみることで、体のどこをどう動かせばどういう響きができる/響きがどう変化するのか、ということを簡単に実感できます。

・コーラスも歌詞を意識して歌うと表現力が一気に増します。
たとえばリードが「きみからだったらワクワクしちゃう」とか「むねがキュンとせまくなる」と歌っているときは、コーラスやベース、ボイパもそういう気持ちを意識した声色にするなど。
そういう工夫をしていくことで、全体の統一感を保ちつつ(全員が一つの歌詞のもと気持ちをまとめるため)、表情の変化を豊かにすることができます。

・それに関連することとして、たとえば
サビ後の(ベースの刻みが細かくなくなる)場面では、サビに比べて少し静かめに歌ってみる→その後のサビでまた徐々に大きくしていく
など、全体の流れに緩急をつけてみるのがいいと思います。(時間が許す範囲で)

・全員が「合わせる相手」を一致させることで、全体のズレが自然になくなります。
音程・リズムともに最も安定しているパートに合わせるよう徹底するのがベストなのではないかと思います。


以上、何かのお役に立てれば幸いです。

ももいろクローバーZの2枚の新譜を読み解く(序説)

2016年の2月17日に、ももいろクローバーZの新譜『AMARANTHUS』(3rdアルバム)と『白金の夜明け』(4thアルバム)が同時に発売されました。これが近年稀にみる大傑作で、このグループにしか出せない唯一無二の味わいが、著しく強力な楽曲とコンセプトによって、理想的なかたちで表現されています。
2枚のアルバムの性格は全く異なるのですが、あわせて聴くことでさらに楽しめるようになる仕掛けも多く、単独の作品としても2枚組の作品としても極めて優れた仕上がりになっています。

この2枚をPINK FLOYDに例えるなら
「『ザ・ウォール』(2枚組)ではなく『狂気』『炎』の2枚を同時に発売したようなもの」。
「『キー・オブ・ライフ』(2枚組)ではなく『インナーヴィジョンズ』『ファースト・フィナーレ』の2枚を同時に発売したようなもの」、
NINE INCH NAILSに例えるなら『The Fragile』(2枚組だがどちらから聴いてもいい)という感じです。
どちらか一つだけ聴いても楽しめるし、あわせて聴くとさらに深く楽しめる。これほど緻密に作り込まれ、しかもそうしたことを考えなくても楽しめる作品は滅多にありません。

本稿は、この2枚の新譜の成り立ちとそれに関係する話題(発声技法・ブラックミュージック・バンドアンサンブルなど)について触れたものです。
どんなジャンルの音楽が好きな方でも楽しめる大傑作なので、興味をお持ちになられた方はぜひ聴いてみられることをお勧めいたします。



参考資料


ナタリー掲載インタビュー(メンバー・作家陣)
モデルプレス掲載インタビュー(メンバー)
ビルボードジャパン掲載インタビュー(音楽プロデューサー)
『SWITCH』2016年3月号(特集)
ミュージック・マガジン』2016年3月号(特集)



もくじ


・はじめに

・アルバムの“音楽的”コンセプト
・2枚同時発売の意義
余談:2ndが賛否両論だった理由の考察
・飛躍的に進化した歌唱表現力とそれを支えたボーカルディレクション

・「桃色空」とブラックミュージックの話
「マホロバケーション」とアンサンブル〜グルーヴの話
・「ROCK THE BOAT」と海外センス導入の話

・「一番目立つところに最高の作品がある」ことの大事さ



はじめに


ももクロの魅力としてよく言われる「全力」というキーワードがあります。「全力」で歌い踊る姿がなにより感動を呼ぶ、それがももクロの魅力なのだ、という話です。
これは確かに間違いではないのですが、個人的にはややピントがズレていると感じます。「全力」でやるパフォーマンスの“力強さ”よりも、むしろ、「全力であることを暑苦しく感じさせない」パフォーマンスの“質”こそが魅力の肝なのではないかと思うのです。

ももクロの重要な個性として「呑気だけど能天気ではない」というのがあると思います。力みすぎない飄々とした軽やかさがあるけれども、何も考えずヘラヘラしているわけではない。彼女たちなりに悩み、深刻に考えることもあった上で、それにとらわれ過ぎずにまっすぐ突き進んでいく。「屈託があるけど屈折してない」とでも言いましょうか。肩肘張らないのにエネルギーに満ちている、押し付けがましくないアツさがあって、出し惜しみせずに「全力」で行くところでもそれが暑苦しく感じられないのです。接する側に「何か重たい」というような心理的負担を一切かけず、さりげなく活力を与えて心を震わせてしまう。こういう絶妙の“力加減”があるからこそどんな相手の懐にもスッと入っていけるのでしょうし、テンションの高い人からも低い人からも丁度いい立ち位置にあって、その両者を取り込めてしまうのだと思うのです。ももクロがここまで広く強い支持を得ることができたのは、パフォーマンスの凄さはもちろんのこと、こうした人柄によるところが大きいのではないかと思います。

そして、こうした人柄は、動いているところを見なくても、録音されている声だけを聴いても伝わってくるものです。むやみやたらにスコーンと抜けたりしない(発声技術的な話でいうなら「頭頂部をひらいて高域のヌケをよくする」ようなことをあまりしていない)程よく“くぐもった”声質は、お行儀よく快活なJ-POP的発声とか、「私上手いでしょ?」というような自意識を力強く押し付けてくるR&B系ディーヴァの歌い上げなどとは異なる、どこか歌謡曲的な湿り気や“控え目”な落ち着きを感じさせます。そうした力加減が基本的なテンションとして維持されているから、どんなに力強く歌うところでも不躾で暑苦しい印象が生まれない。抑え気味な陰翳とまっすぐで衒いのない活力が自然に両立されているのです。
ももクロの楽曲について「別の上手い人が歌えばもっと良くなるのに」ということを言う人はわりと多いですが、フレージングの滑らかさというような「整った技術」に関して言えばその通りでも、上記のような人柄とか力加減について言えば、代わりになるものはありません。そして、音楽においては(少なくとも、完璧に整ったバッキング・トラックの上にのるリードボーカルに関して言うなら)そうした「味」の部分がなにより重要なのです。このメンバーの声質やパフォーマンス(そしてその源となる人柄)がなければ、ももクロの楽曲がこれほど“伝わる力”に満ちたものになることはなかったと思います。

このように、ももクロが成功したのはメンバーのキャラクタ・音楽的個性によるところが大きかったのではないかと思うのですが、運営側の音楽的ディレクションもそれと同じくらい大きな貢献をしているのではないかと思われます。幅広い音楽要素をつぎ込みめまぐるしく展開させる作編曲スタイルは「ジェットコースター的な」刺激と滋味の豊かさを両立するもので、小難しいことに興味がないライト層にも、細かく聴き込んで分析するのが好きなマニア層にも、ともに強く訴求する構造を勝ち得ています。
(この点RUSHあたりに通じるポジションにいるのではないかと思います。)
様々なジャンルを節操なく網羅する持ち曲も、そうして増やしていくうちに「何でもありなグループ」「どんなジャンルを追加しても方向性がブレない」という印象が生まれ、何をやっても(時間をかければ)受け入れられるようになっていく。このような流れを経て生み出されたのが今回の新譜2枚で、「無節操なまでに幅広いジャンルを並べているのにアルバム全体としては非常によくまとまっている」仕上がりは、こうした活動の賜物なではないかと思われます。


アルバムの“音楽的”コンセプト


先掲のメンバーインタビュー(ナタリー第一弾)では、アルバムのコンセプトについて以下のように語られています。

「『AMARANTHUS』(3rd)は“起きて見る夢”で、『白金の夜明け』(4th)は“寝て見る夢”」
「人間が生まれてから死ぬまでを描いたのが『AMARANTHUS』だから、こっちは人間味があるっていうか、すごくリアル。逆に『白金の夜明け』はみんながいつも寝ているときに見る夢の話だから、ファンタジーの世界なんだけど、夢には現実の話も出てくるじゃないですか?だから、ただただファンタジーじゃなくて。夢なのか現実なのかわからなくなる不思議な世界になってます」
「2つの作品は真逆なんだけと“夢”という部分ではつながっているんですよ、どこかで」
「それぞれの世界観がはっきり分かれていて単体でも成立しているんだけど、実は深い部分で2作がつながっているっていう」

このようなコンセプトは、一つ一つの曲の歌詞や音楽性だけでなく、各アルバムの収録曲の組合せにも反映されていて、それぞれがかなり性格の異なる作品になっています。
簡単にまとめるなら、
「3rdはこれまでの路線も意識しそれを足場に新味を加えたもの・勢い重視」
「4thはそこから一転し新境地を開拓・落ち着き重視」
という感じでしょうか。
3rd『AMARANTHUS』では、1st(元気でめまぐるしく変化するアイドルポップス)と2nd(高度で捻りの効いた音楽性)の中間という感じの勢いある曲調がメインで、既存のももクロファンにも今回初めて聴く音楽ファンにもストレートにアピールするものになっていると感じます。
これに対し、4th『白金の夜明け』では、曲調も演奏も“あえてフルパワーではいかない”落ち着いたものが多く、このグループとしては新境地に挑戦している場面が多いと感じます。特に印象的なのは「抑えめの力加減で素晴らしい効果を上げる」歌と、ブルース的な引っ掛かりが強めな音進行ですね。
また後述しますが、一枚のアルバムで人間の生老病死を描いたという3rdは、このグループにとっての「通過儀礼(大人になる通過点)」なのだと思います。これに対し4thは「大人になってからの試行錯誤」でしょうか。アルバム全体の傾向自体でそういう性格がわりと明確に描き分けられているのです。
このような仕上がりをみると、この3rdと4thは「2枚組の作品」ではなく「別々の作品を2枚同時に発売したもの」だと納得できます。区切りのあるものとしてしっかり作り込まれた上で、同時に聴けるようにすることにより様々なメリットも生まれている。よくできたやり方だと思います。

間口の広さや即効性は3rdの方が格段に上で、ももクロのファンもそれ以外の人もこちらを先に聴くのが良いと思います。アルバム全体の流れまとまりも実に良く、このグループ特有の「屈託があるけれども屈折していない」味わいを非常に快適に楽しめます。
先の【はじめに】でも触れましたが、ももクロには「呑気だけど能天気ではない」「全力であることを暑苦しく感じさせない」絶妙の力加減があります。浮きすぎず沈みすぎずのそうしたテンションが、この3rdでは明確に意識されています。
自分が3rdを聴き通してまず感じたのは、ももクロ特有の「浮きすぎず沈みすぎず“フラットに揺れる”」絶妙な力加減が、曲の並びやアルバム全体の構成によって明確に(おそらく意識的に)構築されているということでした。勢いのある曲を連発しすぎず、少し落ち着いた曲調をうまくはさんで流れを作るという構成が意識されているのです。
たとえば2曲〜4曲目の流れ。威勢よく始まりガンガン押していく2曲目からそのまま畳みかけるのかと思いきや、かなり勢いを落とす柔らかい3曲目をはさみ、その上で力強い4曲目につなぐ…というふうにして緩急の波を作る構成になっています。そして、こういう流れはアルバムの他の部分にも幾つも見られます。
こうした緩急の波が巧みに作られているために、元気で勢いがあるのに聴き疲れしにくい絶妙な居心地の良さが、アルバム全体を通して生み出されています。「勢いのある曲だけのブロック」「ゆったりした曲が連発される箇所」があまりなく、アルバム全体を優れたペース配分で走り抜ける構成ができているのです。
たとえば9曲目「デモンストレーション」は、後ろに「泣いてもいいんだよ」を並べると曲調的に非常に滑らかに繋がるのですが、あえてそうせず間にバラードの「仏桑花」を挟んでいます。
そうすることでなだらかな緩急の波を生み、“ペース配分を誤って一気に疲れる”ことがないようにしているのです。
3rdでは、このような「アルバムとして素晴らしい」絶妙の構成のもとで、様々なジャンルの一流の演奏にとても楽しく触れられるようになっています。既存のファンが負担なく入れる作品として優れているだけでなく、ももクロをきっかけに様々な音楽にアクセスする入門編としても見事な傑作と思います。

こうした3rdと比べると、4th(3rd最後の曲の歌メロの引用から始まる)は、緩急構成が巧みという点では同じですが、アルバム全体のテンションはだいぶ異なり、同じ気分で接すると肩透かしを喰らうようになっています。
元気で勢いのある3rdと比べ、4thは落ち着きのある感じが強めです。テンポが遅めな場面やバラードの比率が多く、音進行もブルース的な引っ掛かりが強め(いわゆるカノン進行の“安易に泣く”解決を避けた)ものが多く、クラブミュージックや欧州ゴシックに通じる要素も多く含まれています。
もちろんそうした“落ち着いた曲調”しか入っていないわけではなく、4曲目や9〜12曲目のようにガンガン押していく場面もありますが、アルバム全体として「勢い・落ち着きどちらに寄るか」というバランスは後者寄り。この点、「3rdは“起きて見る夢”」「4thは“寝て見る夢”」という話に通じます。
こうしたこともあって、3rdの元気な雰囲気に慣れた直後に4thを聴くと、流れに馴染めず「なんだか地味で眠くなる」気がしてしまうこともありえます。
しかし、これは「テンションの水準が異なる」だけのことなのです。夜や疲れた時に聴くなら格段にこっちが合いますね。そういう時に聴けばすぐハマるはずです。
6〜8曲目などはその好例です。3rdでは必ず「勢いのある曲調とゆったりした曲調を交互に並べていた」のに、ここでは深くリラックスする7曲目を真ん中におき、どっぷり落ち着く流れが作られています。そして、このアルバムの雰囲気(とそれが合う気分)ではこれがとても良く思えるのです。
また、こうした「落ち着いた感じ」は、曲自体のテンポや雰囲気だけでなく、演奏、特にももクロメンバーの歌唱においてもはっきり意識されています。3rd以前の作品で前面に出ている「ガッツリ声を張る感じ」がセーブされ、抑えめの力加減でなければ出せない陰翳豊かな表現力を生んでいるのです。
その最たるものが最後の「桃色空」(ピンクゾラ:堂本剛作曲)でしょう。60〜70年代のソウルミュージックを彩り豊かな歌メロで料理した素晴らしいバラードで、カーティス・メイフィールドのようなギターも聴ける演奏もたまらないのですが、それ以上にももクロメンバーの歌が良い味を出しています。
終盤の柔らかいロングトーンを聴けばわかるように、この曲では「むやみに声を張る」ことが明らかに禁じられています。10段階のうち8〜10の力加減でうるさく押すのではなく、3〜7位の抑えた柔らかい力加減で豊かな陰翳を描いていく。そうしたディレクションが素晴らしい効果をあげているのです。
これはももクロの過去曲では全く聴けなかった新境地であり(日本のメジャーな音楽全体をみても殆ど聴けません)そうやって「ほどよく力を抜いて歌う」ことで発声技術が成長する効果(脱力の仕方を身につけることも含め)を考えれば、ももクロにとって本当に大事な機会になったのではないかと思います。
この4thアルバムでは、そうした「力押しに頼らない(頼ることを許されない)」歌い回しが様々な曲調で試されていて、技術的にはまだ試行錯誤の段階なのではないかと思いますが、このメンバーにしか出せない音楽的個性をさらに深めた素晴らしい成果をあげているのではないかと思います。

そして、こうした歌唱表現に加え、個人的に好ましく思えるのが「ブルース感覚(ループミュージックの魅力)の強化」です。
(これについては「夢の浮世に咲いてみな」について書いた下記連続ツイートをご参照ください。音楽の味わいを深める良い試みと思います。
このような「引っ掛かり」の旨みが最もよく出ているのが「夢の浮世に咲いてみな」そして「もっ黒ニナル果て」でしょう。特に後者は素晴らしい。MURO/SUIによるフュージョン寄りヒップホップなのですが、トラックのリズムアンサンブルが超極上なだけでなく、メンバーのビート処理も見事です。
こういう「ブルース的な引っ掛かり」を見事に活かす曲が多いこともあわせ、4thはクラブミュージック(アゲアゲでなく夜の深い時間帯に合うほう)が好きな方に強くアピールする傑作なのではないかと思います。一方3rdは、ノリの良いロックやメタルのファンなどに強力にアピールすると思われます。
ただ、かといって4thに元気な曲がないわけではありません。「マホロバケーション」は3rd収録曲以上に爽快な勢いがありますし、「『Z』の誓い」は、このアルバムの曲順によって「サビの強さ」が引き立てられ、本当に感動的な聴き味を生んでいると思います。


2枚同時発売の意義


以上のように、3rdと4thは両方とも「アルバムとして」本当によくできた傑作で、2枚を同時に出すことにより得られる「比べて聴かせ理解させる効果」にも優れたものがあります。
たとえば、ももクロがこれまでに発表してきた元気で勢いのある作品群を考えると、この4thを3rdの一年後に単体で出したとしたら「なんだか落ち着きやがって」という反応をされる可能性もあったのではないかと思います。3rd(従来路線の正統的強化版+α)と一緒に出すことで、そういう批判を薄めつつ対比効果で3rdも引き立ててしまえる。実に見事なやり口だと思います。そういう「ファンに違和感を持たせにくくする」「新たな境地を開拓し、ファンをうまく教育する」ためにも、この「新譜2枚同時発売」という手法は最善の戦略だったのではないかと思われるのです。

この2枚を聴いて改めて感じたことなのですが、いまのご時世、「音楽を売り続ける」ためには、作品としてのクオリティが高くなければならないのです。つまり、「一聴して良いと思わせる(わかった気にさせる)」ことと「聴き込みたい気にさせる(わからない部分を残す)」ことを絶妙に両立しなければならないわけです。
(即効性のインパクトを備えつつ、繰り返し聴いても聴き飽きない“耐聴性”も備え、深く読み込みたいと思わせる“素敵な謎”があるのが望ましい。)
ももクロの今回の新譜2枚においては、神秘的なコンセプトの面白さだけでなく、音楽そのものでそうした楽しい深みが作り上げられているんですよね。
そういう「売るためにも自分の表現意欲のためにも本気で音楽を作る」姿勢が、潤沢な資金があるからこそ可能になる優れた客演陣/音作りによって、実に望ましい形で具現化されているのです。

この2枚の新譜は緻密なコンセプト(意味付け)で関連づけられていて「アルバム全体を聴き込む楽しみ」を積極的に与えてくれます。これは傑作2ndが「芯のないアルバム」として批判されたことへのリベンジでもあるでしょうし、今後を見据え「ファンを育てる」ためのものでもあると思われます。
90年代以降のJ-POPシーンでは、「作りの粗い音楽を売り、客の聴く力を下げて、質を落としたものでも満足してもらえるようにする」焼畑農業のようなサイクルが行われていました。「音楽を聴き込む楽しさ」を薄めて音楽を売るこうした流れは、昨今の音楽不況に少なからず関与していると思われます。
ただ、こうしたやり方はもう上手くいかなくなっていて、最近では「売るためには優れた作品を作らなければならない」ことがはっきりしつつあります。結果として最近の日本のメジャーな音楽には素晴らしい作品が増えています。とても良い流れです。
ももクロはそうした「作品史上主義」的なやり方を1stの時点からやっていて、それを意識的に徹底して作られたのが(ファンの間では賛否両論が生まれた)2ndでした。そこでの成果や反省点を踏まえて作られたのがこの3rd・4thで、そこには「曲単体でも楽しめるが、アルバム全体を聴くともっと面白い」ことを教えようという意図が感じられます。
今後の活動の質と自由度を高めるためには、それを受け入れてもらえる下地を作らなければならない。「ファンの解釈力を高める」ことが必要なのです。アルバム全体を聴き込むマクロの視点、そしてコンセプトを読み込むミクロの視点が育てられれば、ライヴの演出などを理解してもらえる度合も高まります。
そうやって今後の活動をよりよいものにするためにも、「ファンを(楽しませながら)育てる」のがとても大事なわけです。そういう方向性は2ndの時点から既に見えてはいましたが、この3rd・4thにおいて初めて完全に開花したのではないでしょうか。
実際にどう受け入れられるかは今後の展開を待たなければいけませんが
(ツアーにおいて「ライヴを体験することでスタジオ音源の理解度が深まる」効果をどう生み出せるかも見ものです)、
既存のファンにも他の音楽ファン(マニア含む)にもアピールできる大傑作なのではないかと思います。


余談:2ndが賛否両論だった理由の考察


この新譜は2枚ともファンの間で大好評を博しているのですが、3年前に発表されて微妙な評価をされることが多かった2nd(傑作)を改めて聴くと、音楽的な方向性はそこまで変わっていないことがわかります。
それなのにこれだけ反応が異なるのはなぜだろう?ということを少し考えてみたので、簡単に書いておこうと思います。

考えられる理由は大きく分けて2つです。

・メンバーもファンも、新しく用意された音楽性に対応するための準備ができていなかった

・2ndでは幅広い音楽性を1枚に詰め込んでいたが、3rdと4thではそれを2枚に分けてうまく提示することができている

一つずつ説明を加えていきます。

まず、「2nd発売時はメンバーもファンも準備ができていなかった」点。
これは、
・メンバーの歌唱表現力が発展途上で、新しい音楽性に対応しきれなかった
・そのため作品の“刺さる力”が微妙になり、1stからの路線転換に突き抜けた説得力を持たせることができなかった
ということです。
3rd・4thでは発声技術も音色表現の意識も見事に成長していて(後述【飛躍的に進化した歌唱表現力とそれを支えたボーカルディレクション】参照)、どんな曲調でもそれに合った歌い回しで対応できるようになっています。
しかし、2ndの時点では、健闘はしていますが、その点十分とは言えませんでした。
それぞれの曲の仕上がりやアルバムの構成は見事でしたが、それらはメンバーの力量をかなりの度合で“無視して”ハードル高めに用意されていたため、余裕を持ってこなせない場面も多かったわけです。その結果、作品の表現力が“問答無用で凄い”ものにはならず、突き抜けた説得力を得ることはできていませんでした。
そうして“アーティスト路線”に踏み切った音楽性は、1st路線を期待したファンからすると「同じような接し方ができる」ものでなく取っ付き辛い上に、新たな路線としても問答無用の説得力を持ってはいない。従来路線の延長としても、全く新しい路線としても、対応し辛いものだったわけです。
これに対し、今では、2ndとそれ以降のライヴを経験することでファンが“アーティスト路線”に慣れているため、そこから少し1st寄りの雰囲気に寄せるだけで「相対的に接しやすい」印象が得られます。
その上、メンバーの歌唱表現力も飛躍的に成長していて、作品の説得力も格段に増しています。
つまり、メンバーもファンもこうした“新しい”路線に対応する準備がようやくできたわけなのです。
さらに言えば、2ndの曲がメンバーの状態をある意味“無視して”用意されたものだったのに対し、新譜2枚の曲は成長したメンバーの力量を前提に作られているはず。これも大きな違いだと思います。
1stでは、めまぐるしく複雑な展開をする曲が主ではありましたが、基本的には力押しで対応でき、しかもそれがやり方としてベスト、というものばかりでした。そこから路線転換して対応しきれなかった2ndの方向性を、数年かけて見事にこなせるようにした、というのが今回の新譜なのだと思われます。
そうした意味で新譜は、3年近くの時間をかけて様々なことをやってきた成果が見事に結実した作品なのだと思います。
たとえば、映画/舞台『幕が上がる』の指導・経験は、歌における音色/力加減の表現に非常に大きく貢献しているのではないでしょうか。
(「デモンストレーション」などの語り部分に限らず。)
というふうに、今回の3rd・4thの素晴らしい仕上がりは、2ndの試行錯誤とそれ以後の約3年という時間があったからこそ可能になった、今だからこそできるものなのだと思います。
逆に言えば、3rd・4thを聴いた今だからこそ2ndの良さがわかる、というのもあるのではないかと思います。

続いて、
・2ndでは幅広い音楽性を1枚に詰め込んでいたが、3rdと4thではそれを2枚に分けてうまく提示することができている
という点について。
先に述べたように、今回の新譜では
・3rd:勢いがある表現/わりと滑らかな音進行
・4th:落ち着いた表現/“引っ掛かり”のある(ブルース寄りの)音進行
というふうに、収録曲の傾向がかなり意識的に分けられています。
2ndでは、こうした音楽性が全て1枚の中に収められていたのです。

2nd以前の楽曲では、J-POP〜メロディックメタル/パンク寄りの“滑らかに解決する(キレイにドミナントモーションを起こす)”音進行がメインでした。これに対し、2ndでは、ブラックミュージック〜クラブミュージック寄りの“安易に解決しない”音進行が意識的に導入されていました。
これは、ブルース成分のある音楽やクラブミュージックなどに予め慣れ親しんでいる“音楽マニア”であれば対応しやすい要素なのですが、ももクロの既存曲やふつうのJ-POPしか聴かないファンからすると「なんだか渋くて爽快感が足りない」飲み込みづらさを招く要因になってしまっていたと思います。
2ndでは、全曲を同じディスクに収録してまとめて聴かせなければならなかったため、
“引っ掛かりの強い”ものと他のバランスを取るために、全体的な渋さの水準を高めに設定せざるを得なかったのだと思われます。結果として、そうしたものに慣れていないファンはうまくハマれなかったのでしょう。
これに対し、今回の新譜2枚では、そうした渋い要素を両方に仕込んではいるものの、
・3rd:滑らかな進行多め(メタル/プログレ/J-POP寄り)
・4th:引っ掛かり強め(ソウル/ヒップホップ/クラブミュージック/ゴシックロックなど寄り)
という風に、明確な色分けがなされています。
つまり、「1枚の中で並べるのが難しい曲は別の1枚に入れればいい!」という見事な割り切りにより、それぞれのアルバム全体のバランスを巧く取りながら幅広い音楽性を網羅できているのです。
各曲が2nd収録曲よりもうまく解きほぐされているのも大きいですが、こういう構成の妙も大きいと思います。
また、聴き手からしても、「爽快な曲が好き」なら3rd、「クラブミュージック的な“ループの楽しみ”が欲しい」なら4th、というふうに、好みや気分に応じて好きな方を選べるようになっています。こうした非常に巧みな成り立ちにより、どんな客も満足させられる完璧なシフトができているわけです。

現時点で思い当たる「2ndと3rd&4thの違い」はこんなところです。
2ndも大傑作ですが、新譜2枚と比べると渋い仕上がりで、それがハマりにくさにつながっていると思われます。
(2ndが「音楽マニア以外には刺さりにくい」傑作だったのに対し、新譜2枚は「マニアックな内容をライト層にも刺さりやすく解きほぐすことができている」傑作になっている、という感じ。)
ただ、そうした渋さは新譜2枚にない魅力でもあります。新譜をきっかけに再評価するファンが増えるのではないかという気もします。


飛躍的に進化した歌唱表現力とボーカルディレクション


この新譜2枚は、先述のようなコンセプトや作編曲だけでなく演奏がとにかく素晴らしく、聴けば聴くほど表現力の深さに惹き込まれていきます。なかでも特に見事なのはももクロメンバーの歌唱表現力です。5人全員が場面に応じて声色や力加減を意識的に使い分け、TPOに応じた色合いを描き分けられるようになっている上に、他メンバーの表現を引き継いでそれに合う表現をするという“リレー”もばっちり決まっているのです。
ここからは、そうしたももクロメンバーの歌唱表現力と、それを可能にした諸々のボーカルディレクション(指示・指導)について触れていきます。

参考記事(発声関係の話):

この記事にも書いたことですが、歌の表現とは「感情の変化を音色の変化で表現する」ということです。頭の中が感情で一杯になっていても、それが声の響きに反映されなければ、他人に伝わることはありません。新譜2枚においては、そうした“響き”の意識とそれを扱う技術が格段に成長しているのです。
たとえば3rd収録の「モノクロデッサン」と「仏桑花」を聴き比べてみると、“しっとり潤う暖かく切ない曲調”というふうに形容すれば同系統にも思えますが、実際まったく違う力加減や表情を描き分けることができています。
こうした歌唱表現をみても、メンバーが“あるべき方向”に望ましい成長を遂げていることや、製作の現場でそうした音色表現力を良いものにしようという注意が払われていることがはっきり伝わってきますし、それが実際に素晴らしい成果をあげていることがわかるのです。

新譜の初回限定盤に付いてくるBlu-ray収録のドキュメンタリー(各1時間:それぞれ10曲の録音風景を収録)では、そうした“注意”がよく描かれています。

まず、今回のアルバム2枚においては、コンセプトを立ち上げる打ち合わせの段階からメンバーが深く関わっています。「死生観」や「恋愛観」などについての解釈をメンバー全員に述べさせ、それをもとに「仮の歌詞を構築→仮歌(外部の優れたボーカリストを起用)作成→再び歌詞を構築」という作業をしたり、その後の録音において歌の表現を考える際、メンバーが積極的に意見を出したりするなど、フレーズ単位の解釈にもメンバーが関与しているのです。
曲の製作段階からメンバーが自発的に取り組んだ(取り組まされた)ために音色や力加減について考えることが必然的に多くなり、それに必要になる技術&構成力も育ったため、表情豊かな歌唱表現が自発的に構築された、ということなのだと思われます。

また、このような表現力は「優れた指導により歌い方のコツがつかめた」からこそ得られたものでもあるようです。
各曲の録音(一人ずつ別録り)は「個別ボイトレ2時間」「そのあと録音2時間」というスケジュールのもと行われたのですが、そのボイトレでは

・トランペット練習用のマウスピースを使ってウォームアップ
(粘膜を温め、気道を開き、呼吸を深めるための矯正ギブスみたいなもの:「腹式呼吸(横隔膜呼吸)ができていないと鳴らない」のでそれができているか否かの判別にも必要)

・まず音程をつけずに歌ってみてフレージングを身につけ(文節の切り方やブレスの位置など曲の解釈を深める)、その上で音程をつけて歌えるようにする

・高音に跳ぶフレーズのところでは、腹式呼吸による横隔膜の“ささえ”を保持せずにノドだけで歌うと音程がブレてしまうということを理解させるために、水風船を使ってイメージを示し(下の方を押さえずに上に引っ張る・下の方を押さえて上に引っ張るという2動作の対比)、
その上で、“ささえ”を身体で覚えられるように重いもの(ここでは小型スピーカー)を持たせて重心を低くとらせて歌わせる
(「マホロバケーション」の「カ“タ”ルシステム」のところ:ももか)

というような指導がなされています。これはいずれも理にかなったもので、こうした練習を繰り返し重ねてきたことによりメンバーの基礎的な発声技術が育てられてきたことがよくわかります。

そして、このような専任ボイストレーナー岡田実音)の指導と同等以上に重要と思われるのが、「桃色空(ピンクゾラ)」の作詞作曲を担当した堂本剛のボーカルディレクションでしょう。
先掲のインタビューでは

「もう緊張しちゃってどうしても力が入っていたんです。そしたら剛さんが「何かを食べている時とか、ボーッとしている時とか、鼻歌で口ずさむ感じで歌ってみて」と言ってくださいました。レコーディングでそんなことを言われることもなかったので逆に難しかったんですけど、だんだんと力を抜いて歌えるようになりましたね」
(かなこ:モデルプレス掲載)

「堂本さんの場合、ご自身が歌い手でもあるじゃないですか。曲を作るだけじゃなくて、歌う側、レコーディングする側というのもあるから、現場で私たちがレコーディングしやすいように、たとえば余計な音はボリュームを下げて、ボーカルが録りやすいように配慮してくださったり、歌い方のディレクションも『お風呂で鼻歌を歌っている感じで力を抜いて』とか、すごくわかりやすかった。あと、この曲は間奏がすごく長いから、ちょっとフェイク(註:歌詞なしの即興スキャットフレーズのこと)入れてみようよって突発的に言われて。いきなりのことで、しかもご本人が目の前にいるわけで、『え、自分めっちゃ恥ずかしいです!』って、躊躇してたんです。でも『大丈夫大丈夫。最初の一、二回恥ずかしいのは誰でも同じだから」って。『うわあ…』と思ったんですけど、でも何回かやっていくうちにやっぱり楽しくなっていって。本当にその場のテンションや空気から生まれたものだったので、すごく面白かったです」
(ももか:『SWITCH』p.67)

ということが語られています。これを見ると、ももクロの新境地を拓いたのは間違いなく堂本剛なのだのということがわかります。
(ドキュメンタリーによれば、この「桃色空」が収録されたのは一番最後の方だったので、ここで得られた成果は新譜の他の曲には反映されていないようですが。)
先に【アルバムの“音楽的”コンセプト】で述べたように、繊細で奥行きのある表現をするためには「声を張らない」のが大事なのです。力加減の幅を出すためにも、声が響きやすい体を作るためにも、脱力はとても大事。この感覚を身につけたことで、今後飛躍的に歌唱力が上がるはずです。
たとえば、終盤に出てくる「Life is one time」というフレーズ(のうち特に“Life”一語で伸ばすロングトーン)では、ももかの“コブシ”の悪癖(咽頭に過剰な緊張をかけるやつ:「ゴリラパンチ」イントロではこれのせいで一音ごとに響きの低域が不安定に変化している)が完全に抜け、個性的な声質が理想的な形で活かされています。
他メンバーも同様に、そういう“コブシ”を出さない力を抜いた歌い方をしているのですが、だからといって個性が消えてしまうことはなく、各個人の特有の声質が“不純物なしで”スムースに活かされています。小手先の歌い回しに頼る必要のない「この人でしか出せない味」があることがしっかり証明されているのです。
力を抜いて歌うと、体内の“響かせる空間”(=共鳴腔)が自然に広がり、響きの帯域構成(イメージとして「体の根元でできる低域」「頭頂部の方でできる高域」の両方)が幅広く豊かになります。そうなると、小手先の歌い回し(無理な緊張をかけて作る作為的な響き)に頼らず、最大の効果を得られるようになるのです。「桃色空」のボーカルテイクでは、このような望ましい発声状態が全編に渡り保持されていて、5人のメンバー全員が“他のどんなに上手いボーカリストでも代わりになれない”個性を活かした素晴らしい表現力を発揮できています。
そうしたテイクを引き出したという点でも、今後につながる“脱力の感覚”を体で覚えさせたという点でも、堂本剛のボーカルディレクションがもたらしたものは計り知れないくらい大きかったのではないでしょうか。2枚のアルバムの最後を締めくくるこの曲でこうした新境地が示されたことにより、今後の展開がさらに楽しみになる。こういう点でも非常によくできた構成になっているのではないかと思われます。

以上のように、今回の新譜2枚では、優れたプロデュース・ボーカルディレクションによりメンバーの技術や意識が育てられ、全編に渡って他では聴けない素晴らしい歌唱表現力が発揮されています。
今回の新譜2枚は「アルバムとしての構成」が見事なのでまずはそれに従って順に聴くべきだと思いますが、一通り流れを把握した後は、シャッフルしたり気になった曲をピックアップしたりして、ちょっと違った順番で聴いてみると良いと思います。歌における音色表現の幅や凄さがよりよく見えるはずです。




アルバム全編に関しての概説はこんなところです。
ここからは、いくつかの曲を選び、関連する“他の音楽”の話と絡めて簡単に掘り下げておきたいと思います。


「桃色空」とブラックミュージックの話


2枚のアルバムの最後を飾る「桃色空」の仕上がりは本当に素晴らしく、個人的には、キリンジ「スウィートソウル」などに匹敵する国産ソウルの名曲と思います。明らかにブルースというものをわかっている作編曲と、ブルース的な深み(【はじめに】参照)を元々備えているももクロメンバーの歌唱が堪りません。
この曲を聴くと、自分はカーティス・メイフィールドの名曲「Sweet Exorcist」や「So in Love」を連想します。特に1分45秒から始まるリードギター(ファンの方によれば「堂本剛自身が弾いている音だ」とのことです)が素晴らしいですね。“くたびれながらもささやかな幸せを愛おしむ”ゴスペル感覚。本当に見事です。テンポはもう少しディスコ寄りですが、ゴスペル感覚をにじませた苦く爽やかなソウルミュージックという点で、自分はカーティスを連想してしまいます。(ギターの音色も。)個人的には、こういうタイプの曲をももクロで聴けるとは思いませんでした。

この「桃色空」が参照しているファンク〜ソウルミュージックというのは、ロックにおける(同時期の)ハードロック〜プログレッシヴロックのようなものです。ジャンル勃興期ならではの混沌とした豊かさと、高度な技術や理論的裏付けが両立されている。音楽的構造も表現力も本当に素晴らしいものが多いです。
そのなかでも、カーティス・メイフィールドは“常識的で超絶的”な音楽性を持った天才だと言うことができます。黒人音楽の定型的な旨み(ブルース的な引っ掛かり感覚など)をきっちり押さえつつ、ひねりのあるアレンジを非常に緻密にほどこしてしまう。エキセントリックでないのに実に個性的なのです。
一口に黒人音楽と言っても色々ありますが、ひとつの分け方として、文学作品でいう「エンタテインメント」「純文学」になぞらえるとしっくりくることもあるのではないかと思います。
前者の好例がマイケル・ジャクソン、後者の好例がマーヴィン・ゲイスティービー・ワンダーはその中間でしょうか。
これはどちらが良いということではなく、苦いニュアンスをどれだけ前面に出すかという度合いの話です。
黒人音楽を「チョコレート」に喩える考え方がありますが、これも同じですね。ブルース感覚の濃淡をビター/スウィート(またはカカオの%)になぞらえることで、味わいの質を説明できるわけです。
そして、「チョコレート」が(カカオマスが含まれないホワイトでなければ)ビター/スウィートの配分に違いはあるにしろ全て“苦み”を含むのと同様に、黒人音楽においては、「エンタテインメント」も「純文学」も、同じく“苦み”を備えています。複雑なニュアンスの伝え方が違うという話なわけです。
たとえばマイケル・ジャクソン。彼の音楽は煌びやかで親しみ深い雰囲気と快適な聴き味(BEATLESなどに通じるクラシカルなメロディ感覚など)を持っていて、ブルース的な“そう簡単にはいかないぞ”という引っ掛かり感覚は薄いようにも見られがちなのですが、“伝えたい”という切実な想いも常にあって、複雑なニュアンスを楽しく呑み込ませてしまいます。
(その点ディズニーランドなどに通じますね。)
一方で、『What's going on』や『I want you』といった歴史的名盤で純文学的な表現をやり尽くしたマーヴィン・ゲイも、深刻で切実な雰囲気を前面に出してはいますが、そういう生真面目な雰囲気ばかりに頼らず、聴き手の身体に理屈抜きに訴えかける楽しさも提供してくれます。
そういう「純文学/エンタテインメント」「ビター/スウィート」の配分に違いはあるにしろ、喜怒哀楽が渾然一体となった複雑な味わい(=ブルース感覚)を常に持ち、それを理屈抜きの楽しさと共に伝えてしまう。いわゆるソウルミュージックは、そうした黒人音楽の良さを最高度に表現するものなのです。
そのなかでもカーティス・メイフィールドはかなり「純文学」「ビター」寄りの人ですが、厳しい姿勢を貫きながらもそっと勇気付けてくれるような“馴れ馴れしくない暖かさ”があります。先述のような音楽性も本当に凄いです。「So in Love」が収録された『There's No Place Like America Today』(1975)は黒人音楽の歴史における最高傑作の一つであり、山下達郎が「人生のベスト」に選ぶ一枚でもあります。

こうした優れた黒人音楽に共通するのが「でもやるんだよ」(©︎根本敬)という感覚です。簡単には乗り越えられない苦みを常に抱え、時にそれに悩まされながらも、決してくよくよしすぎず、明るく豪快に歩を進めていく。これは、いわゆるファンクにおいて特にはっきり表現されているニュアンスです。
引っ掛かりの強いフレーズを何度も繰り返し(音楽的にブルース感覚を表現する方法としてはこれが最も一般的)、“長期戦を覚悟して”ほどよく緩み滾りながら歩み続けていく。ジェームス・ブラウン(JB)やPARLIAMENTの音楽ではその最高のものが表現されています。
カーティス・メイフィールドの音楽でもこういう「でもやるんだよ」というニュアンス/力強さが濃厚に表現されています。(音楽的にもファンク要素は多いです。)
そういうブルース感覚を丸裸で放り出すのではなく、ある程度口当たりのいい音進行にときほぐして示している、という点でも凄い音楽です。

ファンク〜ソウルミュージックのマナーに則った「桃色空」では、こうした「ビター/スウィート」「でもやるんだよ」という感覚が見事に表現されています。
(そして個人的には、そのバランス感覚はカーティス・メイフィールドに通じるもののように思えます。)
黒人音楽のファンに強くお薦めできる名曲ですし、逆に「桃色空」を深く理解するために黒人音楽を聴くのも良いと思います。


「マホロバケーション」とアンサンブル〜グルーヴの話
 



この「「マホロバケーション」はドラムスが後録りだった」という話、個人的には深く納得させられました。この曲のアンサンブルの完成度は2枚の新譜の中でベストだと思うのですが、それは〈ベースを先に録りそこに自然に注目が集まるようにした〉からなのかもしれません。
基幹ビートを最も直接的に反映し“アンサンブルの結節点”になるのはベースなのです。そこに注目が集まるようにすれば、演奏全体のまとまりが自然によくなります。

音楽を聴くとき「リズムを先導するのはドラム」という考え方が広くあると思うのですが、これは必ずしも正しくない場合が多いです。
一般的には、基幹ビート(アンサンブルが共有する“座標軸”)はベースが担当し、ドラムスはそれを装飾するのみです。
ジャズの4ビートなどはその好例で、基幹ビート(4分音符)のプレーンな姿に最も近いのはベースの動きです。ドラムスはそれに様々なアクセントをつける役割を担うことが多く、タメや突っ込みといった“加工”も含めれば、ビートの“ありのままの姿”を表しているとは限りません。
アカペラのアンサンブルを教える時に自分がよく言うこととして
「出音は“言っていること”、ビートは“考えていること”。
前者でなく後者を掴んで合わせるべき」
というのがあります。
出音は基幹ビートからズレていることが多いので、それにいちいち反応すると正確なビートの流れを見失ってしまいます。
実際に出る音の一つ一つに愚直に合わせるのではなく、その背景にある基幹ビートの流れを読みとり、そこに自分の基幹ビートの流れを一致させて、それを下敷きにした音を出す。
それができていれば、一つ一つの“縦”(楽譜上の音の並び)は合わなくても、全体の流れは完璧に合うのです。
こうして生まれるアンサンブルの「一体感」こそが、いわゆる「グルーヴ」なのだと思われます。
基幹ビートの流れがキレイでなかったとしても、アンサンブル全体でそれを共有することができていれば、個性的で味わい深い「一体感」が生まれる。ROLLING STONESのそれなどは好例ですね。
で、例えばブラックミュージックでは全てのパートがほぼ完璧にときほぐされたリズム処理をしているので、どれを聴いても難なく基幹ビートの流れを掴めます。
ただ、先のROLLING STONESのようなロックバンドなどにおいては、基幹ビートの流れにクセがあり、それに最も近いパートを探す必要があります。
LED ZEPPELIN(ZEP)などはその「クセのあるグルーヴ」を持つバンドとして有名ですね。ベースが最も洗練されたリズム感覚を持っていて、基幹ビートの流れを正確に反映しています。ギターやドラムス、ボーカルはそこからズレて好き勝手にヨレるのですが、ベースがそれを見事にまとめています。
つまり、ZEPの場合「アンサンブルの結節点」がベースで、グルーヴの全体像を正確に観測するためには、ベースを通して全てのパートを聴かなければならないわけです。こうした聴き方のコツはあらゆるバンドに異なる形で存在します。基幹ビートを担当し全体をリードするパートを探す必要があるのです。

こうしたことを踏まえて「マホロバケーション」を聴くと、アンサンブルの鍵になっているのはやはりベースで、よく粘りながらぐいぐい突き進む“高速の重いシャクトリムシ”的なタッチが素晴らしい手応えを感じさせてくれます。ドラムスはそれを土台に瞬発力を生む役目に徹する。ベースが骨格で、ドラムスがその肉付けをするわけです。
その上にのる管楽器セクションはトメハネと勢いを完璧に両立する極上のものですし、音量的に目立たないものの多様な音色でサウンドを豊かに彩るギター(低音タムと重なる歪み音色やアウトロの超絶変態ソロなど)も、超一流の仕事をしています。こうした演奏陣が素晴らしいまとまりをみせているのです。
こうした演奏陣は「アンサンブル全体として」力強くも陰翳豊かなグルーヴ表現をすることができていて、ボーカルを無視してバッキングだけに注目しても終始シビレてしまうことができます。そして、そうした超一流の歌伴に余裕で拮抗するももクロの存在感&歌メロも超強力。本当に凄い曲だと思います。

(この曲を作ったinvisible mannersは「高校時代にSLY & THE FAMILY STONEに最も影響を受けた」といい、SLYの名盤『Fresh』収録「Babies Makin' Babies」のアナログ編集感覚をヒップホップと絡めて語っています。この曲の高速ファンク感覚もあわせ、ブラックミュージックと繋がる要素は多そうです。)

先の「桃色空」にしろこの「マホロバケーション」にしろ、新譜2枚には様々なジャンルの超一流の演奏が贅沢に収録されています。そういう部分を聴き込む楽しさにも満ちたアルバムと言えます。


「ROCK THE BOAT」と海外センス導入の話


『白金の夜明け』にはどんなお題のもとに作られたのかよくわからない曲が複数ありますが、なかでも「ROCK THE BOAT」は特に面白い一曲です。インダストリアルミュージックに60年代末サイケ(アメリカものやGONGなど)を振りかけたようなゴシカルなエレポップ。奇妙で素敵な異物感があります。
実はこの「ROCK THE BOAT」、ブリトニー・スピアーズの未発表曲「Dangerous」(2008年の『Circus』に収録されなかったもの:2011年にネット上に流出しyoutubeなどでも閲覧可能)が原型になっているようです。
インタビューによると、ももクロ側がこの曲の権利を買ったのは1年半〜2年半ほど前とのことで、うまく歌いこなせる時が来るまで寝かしていたとのこと。その上で、バックトラックはデータで貰ってそのまま活かし、歌詞は完全にイチから構築されています。

(それぞれの歌詞はこちら。
ブリトニー版(2008)
ももクロ版(2016)
サビは「Can't stop it」→「Rock The Boat」に変化。その他テーマ等もかなり違います。)

このブリトニー版を知った上でももクロ版を聴くと、その「ROCK THE BOAT」のトラックにも、意図的に解像度を落とした“いかにもデモ音質”というような音作りが採用されていて、しかも非常に良い効果を上げていることがわかります。
ある種のヒップホップや60〜70年代志向のロックでは、わざとmp3圧縮したり(前者)、ビンテージ機材でこもり気味の音色を出したり(後者)というふうに、クリアすぎない音作りを採用し、それによりほどよい影/闇を表現しようとする志向があります。この曲でもそれが実にうまくキマっているのです。
ゴシックロック〜インダストリアルミュージック(70年代末〜80年代)と60年代サイケを足したような音進行も、そうした“陰のある音作り”と良い相乗効果を生んでいますね。ブリトニー版の流出音源がデモなのか完成品なのかはわかりませんが、それをほぼそのまま使った判断は正解だと思います。
そして、あからさまに背徳的な(その上でキュートな)雰囲気を演出しようとしていたブリトニー版に対し、ももクロ版の方では健全な(そしてガッツのある)雰囲気が主になっていて、それがダークなサウンドと補完しあい、全体として“多面性のある”優れた深みを生んでいます。良い仕上がりだと思います。

さて、この「ROCK THE BOAT」と並べられた「夢の浮世に咲いてみな」(KISS作)もそうですが、あえて「日本のポップスの常識を知らない作家に発注する」ことで面白いものを生み出すという手法があります。
たとえば、デーモン閣下の『Girl's Rock』(女性ボーカル曲のカバーアルバム)シリーズでは、アンダース・リドホルム(スウェーデンの名メロディアス・ハードロックバンドGRAND ILLUSIONのリーダー)が、原曲のイメージに囚われないアレンジで素晴らしい効果をあげていました。
たとえば大黒摩季の「熱くなれ」では、原曲の歌謡曲〜J-POP的な“日本特有の湿り気”ある音遣い感覚が北欧HR/HMならではの爽やかなものに入れ替えられていて、日本のポップスとは似て非なる潤いの感覚が出ています。スウェーデン人のアンダースならではの仕事です。
同じ歌メロを使っていてもコード進行を微妙にいじれば仕上がりは大きく変わりますし、その進行を選ぶセンス、言ってみれば“ダシ/味付けの好み”は、育った国やシーンによって大きく異なるのです。

先述の2曲にも日本人作家には出せないタイプの滋味があり、アルバムの中で良い存在感を発揮しています。
ブラックミュージック〜クラブミュージック寄りの反復や“引っ掛かり”ある音遣いが多い『白金の夜明け』においては、この2曲のブルース感覚がほどよい異物感を示しつつ他の曲とうまく並べられているのです。
(これが『AMARANTHUS』だとうまく収まらなかっただろうと思われます。)
このような“海外のセンス”を導入するという試みがなされ、それが優れた曲順構成により見事に成功している、という点でも、興味深く読み込めるアルバムなのではないかと思います。




収録曲の各論は(この記事においては)とりあえず以上です。
それでは最後に、「このようなアルバムがメジャーシーンで発表されることの意義」についての考えを付記し、ひとまずの締めとさせていただきます。


「一番目立つところに最高の作品がある」ことの大事さ


ももクロの新譜2枚で個人的に感慨深いのが、メタル/プログレとブラックミュージックがひとまとめに網羅されていることです。(一般的には双方のファンは被りません)
前者で始まる3rdから、後者で終わる4thに至る。双方を大事な要素として身につけ、ともに良いものとして口当たりよく提示する。見事です。
自分はまずメタル/プログレから入り、その後イチからブラックミュージックを開拓するというルートを通ったのですが、それぞれのジャンルだけにいるともう一方の情報はほぼ入ってきません。そのジャンル/シーンの歴史体系を効率よく掘り下げる道は用意されているのですが、外に出るのは難しいわけです。
最近は(特にJ-POPシーンでは)様々なジャンルの良い所どりをするものが多く、ジャンル意識(メタル好きのヒップホップ嫌いなど)を初めから持たない人も増えていると思います。一つのアルバムを聴いているうちに、ジャンルの壁を易々と越えてしまえるわけです。
ももクロの作品群はその中でもベストの一つですね。こんな素晴らしい作品で育つことができる人達を羨ましく思います。

たとえば60〜70年代の音楽シーンには、「一番売れているものを買えば一番良いものが手に入る」理想的な状況がありました。誰からも目につくところに極上のものがあるから、自分から掘り下げていろいろ探す習慣のない音楽ファンも自然に優れた“教育”を受けることができるし、音楽に興味のなかった天才が衝撃を受けて取り込まれることも多くなり、素晴らしいものが生まれる土壌が育つ。
豊かなポップ・シーンが良い循環を生んでいたのです。
最近の音楽シーンでは、先述のように、一時期の焼畑農業的な粗製濫造から脱し、「売るためには優れた作品を作らなければならない」ことを意識した健全な傾向が生まれつつあります。ももいろクローバーZのこの新譜2枚は、そうした傾向がもたらした記念碑的な大傑作だと言うことができます。

ありとあらゆるジャンルにアクセスしうる豊かな内容が聴きやすくまとめられ、繰り返し接しているうちに素晴らしい演奏によって“聴く力”も自然に鍛えられていく。
しかも、内容的に優れているというだけでなく、チャートの1位&2位を獲得し(発売された週においては)最も注目されるポジションを勝ち得ている。
このような素晴らしい作品にリアルタイムで巡り会えて本当に幸せです。
これからも楽しく聴き込んでいきたいと思います。


(語れることはまだいくらでもあるので、別記事に続くかもしれません)