【2015年・年間ベストアルバム記事リンク集】(随時更新)

各媒体から発表された2015年「年間ベストアルバム」記事のリンク集です。

(日本語の説明があるものを中心に集めました)
備忘録としてここに載せておきます。

なお、海外の《音楽雑誌・サイト》に関しては、集計サイト
が概ね網羅してくれています。
英語に抵抗がない方はこちらも読むことをお勧めします。


音楽雑誌・サイト

Rough Trade(100)
MOJO(50)
Q(50)
Uncut(75)
Decibel Magazine(40)
SPIN(50)
Stereogum(50)
Rolling Stone(50)
Rolling Stone(メタル25)
Rolling Stone(EDM・エレクトロニック25)
Gorilla vs. Bear(50)
Consequence of Sound(50)
Consequence of Sound(メタル25)
Paste(50)
NME(50)
TIME(10)
Loudwire(20)
FACT Magazine(50)
Pitchfork(50)
Pitchfork(メタル25)
Pitchfork(エクスペリメンタル20)
The Prog Report(15)
The Guardian(40)
SoulTracks(30)
The Vinyl Factory(50)
NPR(ジャズ60)
Sounds Better With Reverb(50)
Guitar World(50)

JET SET RECORDS
国内アーティスト / DJが選ぶ2015年ベストディスク

only in dreams
2015年ベストアルバム


ARBAN
2015 Best Disk Review あの人が選ぶ3枚

ラテン・ブラジル・ワールド音楽(12/30)


OREメディア
「OREとアーティストによるベストアルバム2015」
(各人10枚選択)
(※今年より前に発売されたものが含まれる場合もあります)
D/P/I(12/1更新)
sugar me(12/2更新)
SHIT AND SHINE(12/3更新)
森大地Aurole)(12/4更新)
Chihei Hatakeyama(12/11更新)
sgt. 大野均(12/12更新)
Ayl_E(12/13更新)
Pawn / Hideki Umezawa(12/21更新)
平山カンタロウ(12/25更新)
OREメディア編集部(12/31更新)

ototoy Award
クラブ/エレクトロニカ(12/18更新)


個人サイト・ブログ

When The Sun Hits(12/10)
雨にぬれても(12/13)
いまここでどこでもない(12/14・)
atochi. sub. jp(12/16)
daino 14(12/24)
RocBox 2(12/24・)
四年級の渦(12/24)
あーりんマッギー(12/27)
偏愛音盤コレクション序説(12/27)
ぐらいんどこあせーるすまん(12/31)

Tokyo Music Gypsies - Music Frontline of Tokyo(1/1)


G.I.S.M.関連英語記事【リンク&和訳集】(随時更新)

この稿は、このたび活動再開することが決定した伝説のハードコアパンク/メタルバンドG.I.S.M.に関連する英語記事を集めたものです。
(基本的には“公式”情報のみを取り扱う予定です。)
各記事へのリンクの下には内容全文の日本語訳を載せています。読みやすさや判りやすさを重視するため、構文やニュアンスをつかんだ上で意訳している場合もあります。その点ご了承いただけると幸いです。

G.I.S.M.についてはこちらの記事でも触れています。ここで初めて知られた方はぜひ聴いてみて下さい。この世界の音楽史において最も影響力のあるバンドの一つであり、その作品は後続の多くが超えることのできない金字塔です。興味本位で触れてみる価値は高いと思います。



Roadburn Festival 2016 出演発表(2015.11.19)

G.I.S.M.が復活し、Roadburn 2016のLee Dorrian主催イベントで初の海外公演を行う〉

これが現実かどうかハッキリさせようと頬をつねり続けているけど、いまだに目が覚めきらない。RoadburnにG.I.S.M.が来るんだ!カルトという言葉の意味を真に体現する、絶対的な伝説である日本のバンド。ハードコアパンクとメタルを橋渡しした最初の存在の一つ。そして、その橋渡しの過程において、暴力的なステージングと音楽自体の狂った攻撃性により、何が危険で何が予測不可能なのか、ということを再定義してしまったバンドだ。

活動を停止してから10余年、G.I.S.M.が復活の機会に選んだのは、母国日本の外では初めてとなるコンサートだ。4/15金曜日、場所は013 venue。
(訳注:ティルブルフにある南オランダ最大のライヴ会場:中にはコンサートホールが3つあり、最も広いJupiler Zaalのキャパシティは2200人とのこと:Roadburnは毎年ここで開催されている)
Lee Dorrianの「Rituals For The Blind Dead, Part 1」(訳注:4/15のイベント全体をさす名称)に出演する。我々は両腕が紫色になるまでつねり続けることだろう。(本当に実現するかどうかわからないから。)

このブッキングの経緯について、Lee Dorrianが内部事情を教えてくれた。
「自分は長年、いくつもの素晴らしい活動に関わることができてきたけれども、今回の達成はその中でも相当のものだし、興奮させられたという点では一番だ。Roadburn 2016のキュレーター(訳注:4日間のうち1日のヘッドライナーで、その日の出演バンドを全て決める立場)を依頼されたとき、自分は好きなバンドをリストアップして、そのリストを消していく作業に取り掛かった。
(訳注:声をかけたバンドに断られ続けたということだと思われる)
RUDIMENTARY PENIにもお願いしたけど、残念なことにそれは成らなかった。それで、次に考えたのがG.I.S.M.だったんだけど……様々な理由から、これはとんでもなく無謀な企てに思えた。彼らは日本国外で公演したことがないし、そればかりか、日本国内でも10年以上ライヴをしていないからだ。」

「'93年にCATHEDRALで東京公演をしたとき、G.I.S.M.のボーカリストであるサケビが観に来てくれて、翌日には自分たちを彼のアパートに招いてくれた。我々はそこでダラダラ過ごし、キメたり人間解体ビデオ(!)を観たり、いろんなことをした。この夜のことは一生忘れないだろう。G.I.S.M.がエクストリーム・ミュージックに及ぼした影響を過小評価するのは難しい。特にハードコアパンクに長年及ぼしてきた影響は甚大なものだ。メタリックな質感のある本物のノイジーなハードコアの生々しく汚らしい世界においては、たぶん(訳注:十中八九というくらいのニュアンス)世界で最も影響力のあるバンドだよ。並び立つのはDISCHARGEくらいだろう。」

「まあそれはともかく、共通の友人を介してサケビの所在をなんとか突き止め、「Rituals For The Blind Dead」にG.I.S.M.で出演してくれるよう真剣にオファーした。何度かメールをやり取りした後、彼は出演を承諾してくれたよ。これが本当に実現するのかまだ全然信じられない。でも、飛行機はもう予約してしまったし、彼らの方も、ここにやって来てお前らを残忍にブッ飛ばす準備をしているところだぞ!!!」

サケビが加えて言うことには:
「こんな素晴らしいフェスティバルに参加できて光栄です。これは我々の初めての国外公演で、そしておそらく、2002年2月以来初めてのショウになるでしょう!いわゆる「クラシック・セット」でいくつもりですし(訳注:この声明記事にタグ付けで「Detestation」とあるので、歴史的名盤である1stの曲がメインになると思われる)、Roadburnで大いに楽しめることを今から期待しています。」

Roadburn Festivalは、2016年の4/14〜4/17に、オランダ・ティルブルフの013 venueで開催される。チケット発売中!



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Roadburn 2016 2日目のレポ @ linkawales.co.uk(2016.4.15)

G.I.S.M.の話が出てくる部分だけ抜粋して訳しています)

Terzij de Hordeが空気を切り裂くブラックメタルをやっているのをEcstase(註:Roadburnの最小ステージ)の後方で少し観て一休みした後、私はメインステージのバーに戻り、リー・ドリアンを捕まえた。Wrexham Memorial Hallから続く旧交を温め、この企画を運営した彼の労をねぎらい、そして、これから出演するG.I.S.M.を心待ちにする興奮を分かち合うためだ。(リーとG.I.S.M.の)交友関係は彼がNAPALM DEATHで日本ツアーをした25年前から続くもので(註:'89年の初来日ツアー:2ndアルバム時のラインナップ)、この日本産ハードコアパンクバンドの13年ぶり・出身国外では初となるギグが実現したのは、そうした強力な(そして精神的な)繋がりがあってこそのことだったのだろう。このイベントだけのためにあらゆる所から(このバンドを含む)パンクスが集結し、このイベントのメロウな環境(註:しっとりめの音楽をやる出演者が多かったという筆者の印象)においては極めて稀な狂騒状態が引き起こされた。バンドの音はまったくもって素晴らしく、彼らの一部の品質の悪いスタジオ音源よりも遥かに良かった。この凄まじいライヴの音源を何曲かでも発売してくれることを望む。メンバーは素晴らしい存在感をいまだ保っていた。特にボーカリストの何かに急き立てられているような(誰かに小便を引っ掛けられているかのような)ステージングは凄かった。ステージ後方のスクリーンに流された、カーマ・スートラをえげつなく描いたようなアニメーション(註:宇川直宏作のVJ)も、とても楽しく心を溶かすものだったよ!


Kim KellyによるRoadburn 2016 2日目のレポ @ VICE(2016.4.16)
リンク先に写真あり

(まずDARK BUDDHA RISINGとULFSMESSAの話があり、その後にG.I.S.M.の話が出てくる:その部分だけ抜粋して訳しています)

以上の2つと並び金曜最大の目玉となったのは、遠く海外から来たバンドだった。カルトなハードコアパンクの伝説G.I.S.M.が日出づる国からやってきて、80年代頭のレパートリーによる荒々しいセットで我々のノドをカッ切ってくれたのだ。結成35年・休止期間14年の(そしてこのRoadburnのクソデカいメインステージが日本国外での最初のショウになった)トリオ(訳注:G.I.S.M.は4人編成だが原文ではtrioという単語が使われている)は、とんでもなく素晴らしいパフォーマンスをしてくれた。1985年なんて来なかったんだ、というような雰囲気があった。

私はRoadburnのピット(訳注:スタンディングフロアにおける人々の密集地帯のこと)がこんなに暴力的かつ熱狂的になったのをいまだかつて見たことがなかった。(自分の知る範囲で近いのを挙げるなら、2012年のHet PatronaatでのDOOMで、群衆の上をステージダイバーが埋め尽くし、YOBのMike Scheidtもそこに参加していた、という状況だろうか。)これは、Roadburnの守備範囲の幅広さと、“ヘヴィ・ミュージック”というものの定義がどれほど広範なものになりうるか、ということをうまく思い起こさせてくれるものだった。そして、愛すべきギタリスト・ランディ内田…バンドが最後のアルバムを出した直後の2001年に癌で亡くなった(訳注:実際はランディ内田の没後の2002年にその『SoniCRIME TheRapy』が発売された)…がいなくても、G.I.S.M.はステージ上で素晴らしい存在感を発揮し、群衆を狂乱状態に陥れることができるのだ。日がな時間潰しをして生きてきた無数のパンクスが013(訳注:このライヴが行われた会場)の仄暗いメインフロアになだれ込み、デニムとブラック・レザーで揃えるRoadburnの典型的なスタイルに身をやつして、肩と肩をつきあわせて、集団的熱狂状態になったのである。

(以後はNIGHT VIPERについての話:後略)



Roadburn 2016 2日目のレポ @ THE SLEEPING SHAMAN(2016.4.25)

G.I.S.M.の話が出てくる部分だけ抜粋して訳しています)

(この会場に来た)全てのパンクスが013(註:メインステージのあるフロア)にへばりついているのを訝しがる向きもあっただろう。彼らのお目当てはただ一つ。リー・ドリアンが「Rituals For the Blind Dead」企画のために獲得した日本産プロト・ハードコアバンドG.I.S.M.だった。これまでこのバンドは日本国外での公演経験がなく、Roadburnがその流れを変えようとしていたところだったのだ。横山“サケビ”茂久率いるこのバンドは、彼らのトレードマークである混沌とした・生々しい・耳触りなハードコアパンクを携え、多くを語らずその場に飛び込んだのだった。

ステージ上のスクリーンでは気味の悪いアニメーションが垂れ流され、その描写は曲が進むにつれどんどんあからさまになっていった。音楽は激しく暴れまわり、ほとんど手のつけようがなかった。サケビはステージ上を跳ね回り(註:youtubeに上がっている動画では終始ゆっくり歩き回っていてそこまでアクティブな印象がないが、これはこれで異様な迫力があり素晴らしい)、マイクに向かって吠え、そこに居ることを概ね楽しんでいるようだった。(それまでの出演者のときは)だいたい寛いだ感じだった観衆は、最初の一音が鳴るやいなや、ステージ前に形成された暴力的なピットへなだれ込んだ。なぜならば…そりゃそうだろう、G.I.S.M.なんだぜ。パンク系のバンドはふつう小箱でこそ映えるものなんだけれども、G.I.S.M.と観衆の間に生まれた相互作用は、殆ど言葉を交わさないものだったのに並外れて強力で、巨大なメインステージは一時間弱にわたり、反逆の拳を掲げた汚らしいパンクスによって占拠されたのだった。


Roadburn 2016 2日目のレポ @ METAL STORM(2016.5.13)

G.I.S.M.の話が出てくる部分だけ抜粋して訳しています)

〈Cheによるレビュー〉

今年のRoadburnにG.I.S.M.が出演するというニュースは全ての人に衝撃を与えた。知らない人のために説明すると、彼らは80年代初期に日本に現れたハードコアパンクのカルト・スーパースターだ。(バンド名の頭文字が示すものは年々変わり続けているが、元々は「Guerilla Incendiary Sabotage Mutineer(註:強引に訳するなら“扇動的な破壊活動をゲリラ的に行う反逆者”という感じだろうか)」だった。)Roadburnのステージは彼らの2002年以来初めてとなるショウであり、日本国外で行う初めてのショウでもあった。それを聞けば、この特別な、おそらく一回限りのイベントに、どれだけの期待がかかっていたか想像できるだろう。クレイジーな衣装を身にまとい色とりどりの髪型をしたメンバー(フロントマンの横山サケビだけは“普通の風体”だった)がステージ上に現れた瞬間、我々は自分たちがこれから真に特別なものを目撃することになるんだということを知った。

G.I.S.M.のショウは力強い「Endless Blockades For The Pussyfooter」で幕を開け、前日のCONVERGE同様、モッシュピットが即座に形成されバンドが演奏をやめるまでそれは止まることがなかった。JUDAS PRIEST〜IRON MAIDEN的ヘヴィ・メタルの影響を取り込んだハードコアの精力的爆撃と、このフェスティバル史上最高にクレイジーなヴィジュアルにより、アドレナリンはとめどなく放出され続けた。そのヴィジュアル(註:ステージ上のスクリーンに流されたVJ:宇川直宏の手によるもの)を言葉でうまく言い表すのは不可能だが、PCPをキメたDr.スース(註:アメリカの絵本作家/児童文学作家/漫画家)という感じの絵柄による、情け容赦ない虐殺の(殆どがアニメーションからなる)超現実的なコラージュ、アナーコ・パンクのイメージ、セックスシーンなどの映像は、G.I.S.M.の音楽の攻撃的な本質を幻覚的に補完していたのだ。私を含む全ての観衆は、畏敬の念を伴う朦朧とした状態でメインステージを後にすることになった。我々はそれなりのものを期待してはいたが、今のG.I.S.M.が昔と同じくらい素晴らしいと想像していた者は一人もいなかっただろう。この日最もfunな(註:“fun”というのは(特にハードコア以前の)パンクにおいて重視される姿勢の一つで、G.I.S.M.の音楽にもそういう“へらへらした”“ふざける”感じが備わっている:単に“楽しい”という以外にそういうニュアンスが含まれているのだと思われる)ステージであり、このフェスティバルのハイライトの一つだったと言い切れる。日本から生まれた最も凄いものは何だと思う?『アキラ』(註:大友克洋作品の劇場版アニメ)?いや、G.I.S.M.だよ。


〈Rodによるレビュー〉

G.I.S.M.が(Roadburnのラインナップに)追加されたという話は各方面に大きな驚きを与え、噂を聞いて真偽を確かめようとした人々が殺到したためRoadburnのホームページが落ちることになった。(註:これは事実。)正直言って自分はG.I.S.M.のことを全く知らなかったのだが、彼らのことを調べるにつれどんどん興奮させられていった。G.I.S.M.は風変りな・本当の意味で独自なスタイルのハードコアパンクをやっていて、ヘヴィ・メタルのフック(註:“耳を捉える音楽的な引っ掛かり”というふうな意味)とリード(註:ギターソロのこと)、暴力的な叫び声、とんでもないキャッチーさを伴う、型に嵌らない曲を持っていた。このショウは彼らが日本国外で初めて行うものであり、ここ10年以上において初めてやるものでもあって、古参・新参の両ファンにとって伝説的なステージになることが運命付けられていた。青/オレンジ色の髪とパンク・ファッションに身を包んだバンドメンバーが現れるやいなや、観衆は大声で叫び始めた。最初のコード(註:和音)が演奏されると、即座に血がたぎり、誰もがジャンプ・モッシュをし始めた。混沌としながらも極めてfunな雰囲気は、私がこれまで観た中でも最もクレイジーな映像があってこそのものでもあった。奇妙な性的・政治的イメージで埋め尽くされた心臓発作を呼び起こすようなヴィジュアルを前にしたら、アシッドなんて要らないだろう。私はここ数年ハードコアパンクを興味深く探求してきたが、G.I.S.M.は私の期待を遥かに上回ってくれた。全般的に、グルーヴィーで精力的、funでとにかく激しい。私はモッシュピットに何度も飛び込まされてしまったよ。


Roadburn 2016(4/15)セットリスト

setlist.fm記載のものは

1. Endless Blockades for The PossyFooter
2. A.B.C. Weapons
3. Death Agonies And Screamt
4. (Tear Their) Syphillitic Vaginas to Pieces
5. Nuclear Armed Hogs
6 Document One
7. Nightmare
8. Shoot to Kill
9. Still Alive
11. Death Exclamations
12. Fire
13. Anthem

ベストアルバム(1st全曲+初期音源集)『Determination』15曲から13曲。「クラシック・セット」という予告通りの内容になったようです。


現地で撮影された動画のリンクなど(紐付け連続ツイート)

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2017年8月9日に名古屋Red Dragonで行われた公演の様子はこちら
G.I.S.M.・WARHEAD・九狼吽というラインナップ:G.I.S.M.はギターレスの3人編成)

某大学アカペラサークル「Winter Live 2015」第一次オーディションの音源審査について

かつて所属していた大学アカペラサークルが、12月末に全体ライヴを開催します。その第一次オーディション(20バンド)について、このたび動画での審査を頼まれまして、一昨日結果を送信してまいりました。


以下は、その審査にあたっての評価基準について書いたものです。

先方から与えられた5項目

・「メロディ(リード力・主旋律)」

・「ハーモニー(和音の正確さ・鳴り)」

・「リズム(グルーヴ・ノリ)」

・「表現・ダイナミクス

・「訴求力(お客さんを引き込む力)」

についての内容。

書き上げてみると、これが意外に個人的な音楽観一般を網羅したものになっていると気付きます。自分としては興味深く読めるものですし、せっかくまとまった量になりましたので、ここに載せておこうと思います。

何かの参考や反面教師などになれば幸いです。

(前2回分

http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2014/11/12/003727

http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2015/05/23/010659

の修正版です。)





「Winter Live 2015 第一次オーディション」審査基準

(以下は、講評とともに、必ず各バンドに配布してください。)


【各項目の内容と評価基準】


各評価項目について、個人的な解釈に基づいて「どういう要素を評価するのか」といった内容を振り分けています。

ここでは、それについて簡単に説明いたします。


基本的には、「バンド全体の力」をみています。

うまいメンバーがいれば魅力は当然増しますが、アンサンブル全体をうまくまとめることができなければ、そうしたメンバーを活かすことはできません。逆にいえば、看板になるようなメンバーがいなくても、全体としての仕上がりが見事なら、他では出せない素晴らしい味が生まれます。

今回は、このような観点から、「アンサンブル全体を審査」しています。

「メロディ(リード力・主旋律)」に関しては、リード及び間奏(歌詞がない箇所)の主旋律など“一部のパート”のみに注目し評価していますが、他の4項目は全て「アンサンブル全体の出来・味」を評価しています。

従って、その4項目に関しては、例えば「他のパートがダメでもリードがうまいから点が高くなる」「全体のまとまりは素晴らしいけどリードがパッとしないから点が低くなる」ようなことは、まずありません。ご了承ください。



(1)〈技術・体裁〉


個人的好みをできるだけ排除して、演奏の完成度をパラメタ的に評価しています。



①メロディ


下記「④-1 表現」の所に書いた「フレージング」「トーンコントロール」「サウンドバランス」について、アレンジの“顔”となる部分(リードだけでなくイントロの主旋律など)がどれだけうまく歌えているか・そしてそれをバンドがどれだけ活かせているかを評価しています。

主旋律そのものがうまく歌えていても、「他のパートの音量が大きすぎて主旋律が注目されづらくなってしまっている」場合は、(もちろん主旋律のみに注目して評価しようとはしていますが)響きが他のパートにマスクされ聴き取りづらくなってしまうこともあるため、評価が伸びないこともあります。

これは本番で聴いてくれるお客さんが感じることでもあります。そういった「バランス」に注意を払うのも大事です。



②ハーモニー


・「この曲」ができているか


楽譜どおりの和音がつくれているか。

一部メンバーの音程が完璧であっても、どこかのパートが致命的にズレていれば、全体としての和音は崩壊します。そういう場合の評点は必然的に辛くなります。

また、複雑な和音に挑戦して崩れ気味になっている箇所などは容赦なく減点しますし、簡単な和音であっても綺麗に仕上げられている場合は評価が高くなります。

バンドによっては「もっと簡単な曲をやれば完璧に仕上げられる」だろうケースも見受けられますが、それはやっている曲の完成度とは関係ありません。

ほとんどのお客さんはバンドやメンバーの事情など鑑みてはくれないので、「難しい曲をやっているから少しくらいできていなくても構わない」という言い訳は通じません。



③リズム


・グルーヴ(一体感)


全メンバーの足並み(ビート感)が揃っているかどうか。

(「縦が合う」という状態を、音の入りや語尾の処理なども含めた「響きのコントロール」のレベルで突き詰めて表現すると、一般にいう「グルーヴ」感が生まれます。)

一部が巧くても、全体が合っていなければ減点されています。

リズムキープ(BPMの維持)は、必ずしも厳密にできている必要はありません。

ビートが均一に保てていてもフレーズの間につながりがなければリズムアンサンブルはぶつ切りになりますし、ビートを随時変化させていても、それが曲や場面に合っていれば、アンサンブルとしての完成度は上がります。

以上のような観点のもと、一体感のある流れがあるか否かを評価しています。


・「止まらずつなげる」ことができているか


具体的には、

「フレーズとフレーズの間につながりを持たせることができているか」

「小節線で意識を切らずに、1曲通して音をつなげ続けることができているか」

ということなどをみています。

上記「グルーヴ」をつくり続けることができているか否かが評価対象となります。



(2)〈解釈・アイデア


曲の全体および細部を吟味し、それをもとにどういう音を出し構成していくか、という「考え」の緻密さ及び達成度をみています。

そうした「考え」のないものは陰影のない単調な仕上がりになりがちで、聴き手にとっては面白くありません。

飽きさせず惹き込むために重要な要素です。



④-1 表現


・フレージング(ミクロの視点)


フレーズ(メロディ)ひとかたまりがどこからどこまでか判断し、それを表情をつけて歌うことができているか否か。楽譜の解釈・自分の声のコントロールの両方がどれだけできているかということをみています。

たとえばスピーチをする際は、文節やアクセントの位置に気をつけたり、ひといき間をおく箇所を考えたりする、というような“細部の解きほぐし”が重要で、これができていると聴き手に伝わる力が格段に増します。

音楽においてもこうした細部の解釈は大変重要になります。


・トーンコントロール


音色(声の響き)を随時変化させ、その場に応じた色彩を提示することができているか否か。これができていれば、曲全体の表情がとても豊かになります。

逆に、これができていないと、曲全体の表情が均一で単調になり、「飽きさせる」ものになってしまいます。

なお、「原曲のイメージに合っているか否か」は問題ではありません。全員の解釈やその方向性さえ一致されていれば、それが原曲からかけ離れているものでもあっても、独自の説得力ある着地点に到達することができるものです。

ここでは、以上のような観点から、「トーンコントロールによる表情の描きわけ」や「バンド全体でうまく音色を合わせることができているか」をみています。


・サウンドバランス


パート間の基本的な音量バランスはもちろん、リード交換がある場合はそれらのつなぎがうまくいっているか(前後の流れを無視して一人だけ大声を出しすぎていないかetc.)など、効果的なやり方で整った“かたち”に仕上げることができているかを、音量や響きの目立ち方の観点から評価しています。


④-2 ダイナミクス


・構成力(マクロの視点)


:曲全体を俯瞰した構成がなされているか、そしてそれがうまく機能しているかどうかをみています。

ただ単に音量の大小をつけていればいいということはありません。

たとえば演劇において、ストーリーにおいて見せ場となる「おいしいセリフ」を言う場合、前後の脈絡を無視していきなり大声で叫んでしまうのは得策ではありません。大声で言いたいのであっても、その場の雰囲気やそこまでの展開が許す範囲内に留めなければなりませんし、そもそも見せ場だからといって大声を出す必要もありません。静かに余韻を残すような言い方のほうが観る者の印象に残りうることもありますし、刺激を与えたい場合でも、あえて押し殺すように“控えめに、しかし強く”言うやり方もあります。また、その「見せ場」を活かすためにそこに至る部分を丁寧に作り込む、というのも大切です。「見せ場」そのものよりもそうした“伏線”の処理の方が重要になる場合もあります。

曲の構成においても、そうした意識や考えが重要になります。全体の流れをうまく作りつなげていくために、各場合に合った力加減(音量・響きの質や厚みetc.)を考え、アンサンブル全体としてそれを形にできるように、実際の練習におけるすり合わせを繰り返さなければなりません。

こうした意味においての構成・構成力こそが、バンド表現において最も重要な要素なのだと言えます。

(①②③を仕上げた上でそれを活かし映えさせるための要素です)

ここではその出来映えを評価しています。

なお、「はっきりした強弱の変化があるか否か」は問題ではありません。曲や場面によっては、あまり大きな強弱をつけず、しかし淡々とした流れの中で微細な変化をつける、という方法のほうが向いている場面もあります。(均一なテンション・雰囲気の中で感情が高まりしぼんでいく、というような感じ。)今回の審査音源の中でも、そうしたやり方で素晴らしい成果を生み出しているものが幾つかあります。



(3)〈印象点〉


ひとことで言えば「刺さる」力です。初めて聴くお客さんを惹き込んでしまう要素や力について評価しています。

これはかなり感覚的な要素なので、私の個人的な嗜好(音楽性についてではなく、「どういうものが人を惹きつけるのか」という、持論のようなもの)も排除せずみています。

(完全に「客観的な」評価というものは不可能ですし、一個人の徹底的に「主観的な」考えをつきつめた方がむしろある種の一般性を獲得する場面も多くあります。

これは音楽をやる全ての方に心においてほしいことでもあります。まず完全に「自分(達)を納得させる」ことができるやり方でないと、他人を十分納得させることはできないものです。まず自分(達)の好みこそを優先し、その上でそれを受け入れられうる形に整える、ということが大事です。)



⑤訴求力


・わかりやすさ


:「わかりやすい」=「簡単」「単純」ではありません。

音楽性が複雑であっても、よく解きほぐされた明晰な論理的構成の上にそれをおいていくことができれば、音楽にあまり興味のない人にも抵抗なく楽しませてしまうことができます。そうした意味での「わかりやすさ」、言い換えれば「語り口のうまさ」「説明のうまさ」のようなものはとても重要です。

スピーチをする際は、自分の意見をうまく伝えるために、聴き手にできるだけ労力をかけないようなかたちに原稿を洗練させておく。これと同様に、編曲(アレンジ)も、無闇に情報を詰め込むのではなく、聴き手に伝わりやすいかたちに整理・構成しておくべきです。

こうした観点から、聴き手に「わかりやすく伝わる」曲・アレンジを用意できているかをみています。

「誰もが知っている曲を選ぶ」というのは、そうした意味において実は大事なことです。(「誰も知らない曲」であっても、初見で惹き込める作編曲がなされていればそれに十分対抗できます。)

POPであるというのは、とても大事なことなのです。


・代替不可能性(個性・オリジナリティ)


主に演奏表現力の個性(他では聴けない何か)の大小や“味わい深さ”(聴き飽きなさ)をみています。リードの特徴的な歌い回しとか、アンサンブル全体のグルーヴ(響きとリズムの一体感)およびその変化のさせ方、勢いや落ち着きのある雰囲気作りなど、表現力や解釈力のうちの「結果の面白さ」を評価しています。

(④表現・ダイナミクスのところでは、その「結果」を出すための工夫や技術力についてみています。)


アレンジについては、よほど気の利いたものでなければ勘案していません。楽譜をもとに音を出すにあたっての「結果の面白さ」を重視・評価しています。


・思い入れ


:「この曲でこういうことをやりたい」という気持ち・やる気・情熱が、トーンコントロールや種々の力加減の操作を通して、音に十分現れているか否か。

ここまで挙げてきた各要素は、こうした「思い入れ」「気持ち」をうまく伝えるための道具に過ぎません。

(心・技・体でいうなら技・体の部分)

聴き手の心に届くためには、こちらの心を示さなければならない。

一番大事な要素としてみています。



【点数の基準について】


おおまかにこんな感じでつけています。


〈9.0〜10.0〉

素晴らしい。お金とれるレベルです。


〈8.0〜8.5〉

優れた仕上がり。余計なことを考えさせず惹き込める。


〈6.5〜7.5〉

悪くない。無難に仕上がっているだけでなく、何かしらの付加価値がある。


〈6.0〉

形にはなっている。無料ライヴなら文句を言われるべきでない。


〈4.0〜5.5〉

弱点がある。無闇に練習するよりも、自分の音源をよく聴いて問題点を洗い出したほうがいい。

気付きがあればすぐに改善できるレベルだが、このまま本番に出るのは望ましくない。


〈0.0〜3.5〉

今回の出場は難しい。基本から丁寧にチェックしていくべき。



【評価方法】


聴取環境:イヤホン(Etymotic Research ER-4)

全音源の評点を出すにあたって、全20曲を

「1番→20番の順に通して聴きながら採点」(初日)

「20番→1番の順に通して聴きながら採点修正」(2日目)

「各曲(順番はランダム)を最大20分ほどリピートしながら採点修正&講評」(3日目)

というふうに聴いて評価しています。

(それぞれの講評は全て15〜20分以内に書き上げたものです。)

スタジオ録音(各パートの定位がキレイに分かれている)とワンマイク録音(全パートがひとつにまとまるダンゴ状なサウンドになっている)とでは、前者の方が明らかに訴求力の強い音質になっています。したがって、何度も聴くことにより(録音におさめられる前の)もとの声質・響きを分析・吟味して、こうした録音の違いによるバイアスをできるだけ排除するように努めました。



とりあえず以上です。

今回あまり良い点の付かなかったバンドも、適切な練習方法に気付いたり、雰囲気や力加減の表現についてのヴィジョンをまとめたりすることができれば、短期間で一気に飛躍する可能性が十分にあると思います。

講評には、そのためのアドバイスも簡単に加えております。

わからないことや納得のいかないことがあれば、私の方まで直接ご連絡ください。できるかぎりお応えします。


お疲れ様でした。

プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界:参考資料集【ハードフュージョン・djent以降】(内容説明・抄訳更新中)

こちらの記事
の具体的な内容・抄訳です。


【ハードフュージョン・djent以降】

GORDIAN KNOT
SPIRAL ARCHITECT
COPROFAGO
TEXTURES
EXIVIOUS
ANIMALS AS LEADERS
PERIPHERY
Tigran Hamasyan

(内容説明・抄訳のあるものは黒字にしています)


ANIMALS AS LEADERS(アメリカ)》


Wikipedia(Tosin Abasi)
(活動歴から使用機材まで非常に詳しい)
影響源:ジャズ〜ポップス〜R&Bなど様々
Steve VaiAllan Holdsworth、Fredrik Thordendal、RADIOHEADのThom Yorke、APHEX TWINSQUAREPUSHER、MESHUGGAH、DREAM THEATERなど


Tosin Abasiインタビュー(2014.5.14)

Javier Reyes(g)
Matt Garstka(dr)

『Weightless』は、1stの路線に慣れていた多くのファンにとって変化球のように感じられたようだ
『Weightless』では、Adam Rogers('65年生、Michael Breckerのグループなどに参加)やKurt Rosenwinkel('70年生)のような現代ジャズ・ギタリストのスタイルにのめり込み始めていた:メロディよりも(そちら方面の)コード志向になっていた:ファンの中でも賛否が分かれた(「好きでない」とはっきり言う人も「ずっとかけている」と言う人もいた)のはそのせいもあったのでは

2012年の1月にギターのみでデモを作成し(Misha Mansoorとともに7曲)、それをもとに『The Joy of Motion』を構築

新ドラマーは驚異的で、基本的なエンジニアを担当したNolly(Adam Getgood:PERIPHERYのベーシストでギターも凄い)の貢献により、過去最高にオーガニックな音色が録れた

“shred guitarist”と呼ばれるポジションを脱したかった
従来の作品に比べ音数を絞り、ブルース・カントリー・ジャズを融合させた音楽(R&B、ゴスペル、ネオソウルなどのプレイヤー)を聴いて、ジャズよりもブルースのルーツに深く分け入っていった(重音奏法や半音階などを増やした):Jairus MozeeやIsaiah Sharkey、Jimmy Herringなどを数年聴き込み、様々なことを学んだ

デモを作成し、9〜10ヶ月後に最終形を録音し始めた年には、演奏スタイルが大きく変わった(それまでは注目していなかったベンド・ビブラートに焦点をあてた)

3rdにおける最大の挑戦は精神的な対話(自問自答)だった。いろいろ考えた結果、新たなことを一からやるのではなく、AALの持ち味を精製することに努めた。それが結果として良い方に働いた。

親指のスラップ奏法を以前は多用していたが、今ではピッキングでそれをやっている(特に注目している技術ではない)。左手薬指をフィンガリングに組み込むなど、今までの作品でやっていないことを沢山導入している。ハンマリング3音に対しピッキングで2音、というくらいの比率で弾いている。
(オルタネイトピッキングではない。ハンマリングとピッキングを使い分けるやり方で、自分は“selective picking”と呼んでいる。)
「kascade」はその好例。
(マイナー3和音5種を、左手のハンマリングによる3音とピッキングによる4〜5音から構成している)
親指スラッピングも上達したが、それはシンコペーションするリズミックなフレーズをタイトに弾かなければならない時に組み込もうとしている。

「Physical Education」は、ミュートをかけたスラッピングにより、キック/スネア様のサウンドが出ている。こういうのをゆっくりめのテンポでやったのは初めてで、アルバムの中でもお気に入りの1曲。

「Another Year」は、1stの頃からあって使われていなかったアイデア(このアルバムに複数活かされている)からなるもの。
Javierの6弦による7thコード(転回形)と自分のGメジャーその他(の転回形)からできた曲で、ゴスペルなどの雰囲気がある。
なんとなく中途半端な感じがあって、使うか使わないか迷ったけれども、Mishaの勧めにより活かすことに決めた。

「Mind-Spun」は低域でのアルペジオ(多くの人は高域でやるもの)を活用したもの。スウィープとパームミュート(ギターのブリッジの部分に右手(ピッキング側)をのせて、ミュートしながらピッキングするテクニック)も使用。上がるコードと下がるコードが交互に現れる。サウンドをより興味深いものにするためだけに、シンセをユニゾンで加えている。

他のギタリストの指遣いを見て真似るしかなかった初心者の頃から、耳で聴いて分析できるようになったり、学校でコードについて学んでいく過程を通して、和音の感覚やそれを扱うセンスは随分広がっていった。「Lippincott」はオンラインで音楽を教えているTom Lippincottの名前に由来にするもの。(自分がそれまで親しんでいたメロディック・マイナーと比べ全然慣れていなかった)メロディック・メジャー(・ハーモニック・メジャー)をそこから学び、この曲でも用いている。オーギュメント・スケールも同じくらい使っている。

「Para Mexer」はJavier(素晴らしいクラシック・ギタリスト:MESTISというバンドにも所属)による曲。ドラムスを加えフルプロダクションで録音した最初の曲で、Godinがくれた7弦ナイロンギターのサウンドが素晴らしい。

新作は基本的に自分のアイデアからなるが、それを発展・結合してくれるMisha(素晴らしいプロデューサー)やNollyによるエンジニアの貢献も大きい。その意味で、自分のヴィジョンが活かされている一方で協同作業からできている作品だと言える。
『Weightless』ではそうした作業をバンド内だけでやっていたが、新作ではMisha(協同でプロデュースと作曲をした)とDiego Farias(プリプロダクションの段階で協同作曲:VOLUMESというバンドに所属)といった外部からのインプットが多い。Nollyも良いサウンドを得るための(演奏に対する指摘を含む)貢献をしてくれた。
新作は、幅広い音楽要素がバランスよく有機的にまとめられたアルバムになっていると思う。

機材の話
(Axe-FX:Daniel Kline、Ibanz TAM100のシグネチャー・ギター、Strandbergギター、Godin Multiac Grand Concert 7のナイロンギター
「Physical Education」のチューニングは通常の8弦をD♭またはC♯に下げたもので(5弦ベースの音域に近い)、そのためにRick Tooneを用いている。スケールは30インチある。)

8弦ギターは「低音が出せる楽器」としても便利だけど、3オクターブに渡るアルペジオやコード・メロディの演奏など、できることはもっと多い。出会うギターキッズは(自分が同じくらい若かったときはスピードにしか興味がなかったのに)音楽教育のことなど深い理解を求める質問をしてくる。
progressiveな音楽はこの手の音楽理解を促進するのに良い素材でもあると思う。自分たちを聴いて新たな世代のギタリストが育っていく展開にあるのではないかと思う。

世界各地で行っているギター・クリニックは、自分の音楽がギター・プレイヤーに与えている衝撃を確認する良い機会であり、「インスパイアされた」と言われるのは最も素晴らしい反応だと感じる。自分が様々なプレイヤーからインスピレーションを受け取ってきたことを考えると、自分が他者にそうしたものを与えることができるのはとても良いことだと思う。

「超絶的なプレイヤーが既にたくさんいる状況で個性を示すのは難しい」というのは確かにその通りだが、音楽にはテクニック以上に大切なものがある。音楽は競争ではなく表現。誰もが他の誰にもできないことを出来うる。

競争は成長を促すが、競争に捉われすぎると自分を見失ってしまう。
心に訴える曲を書くということが忘れられがちだが、とても大事。

「ギター雑誌の表紙を飾る」資格のある素晴らしいプレイヤーは数多い。あまり名声に捉われることのないようにしている。

過去作(1stを例にとって)では、既存のブルース・スタイル(既に素晴らしいプレイヤーが沢山いる)などのような平凡なやり方を避け、自分が良いと思える要素だけをつぎ込んだ。だから今でも面白く聴ける。新作はそういうやり方を精製したもので、ギター奏法というものについての自分の考え方がどこにあるのかということが示されている。人々がそれをどう思うかが興味深い。


Tosin Abasiの選ぶ10枚のギター・アルバム(2014.5.31)
R&Bやゴスペル、いわゆるネオ・ソウルのギタリストを沢山聴いていて、それが異なる物の見方を示してくれる
『The Joy of Motion』では音数を減らし気味:単なるスケール練習ではないリリカルな作品
Yngwie MalmsteenやGreg Howe、John Petrucciなどには衝撃を受けた:作曲・メロディ・サウンド・総合的な創造性・楽器の演奏能力などの全てを網羅している

Steve Vai『Passion & Warfare』('90):始めに買ったギター中心で、リードだけでなくリフなど、作編曲もサウンド面も総合的に素晴らしい。

Yngwie Malmsteen『The Yngwie Malmsteen Collection』('91・ベスト盤):ネオクラだけでなくブルースも素晴らしい。絶大な影響を受けた。

Greg Howe『Introspection』('93):素晴らしいメロディック・シュレッダー。歌声と激テクを両立している。大きな影響を受けた。

DREAM THEATER『Awake』('94):激しいプログレメタルでありながらPINK FLOYDBEATLESのような(ポップな)こともできる。音楽的な深さは測り知れない。Petrucciのフレーズは些細なものでも素晴らしい。『Scenes from A Memory』も素晴らしいが、自分は『Awake』が最も好きだし、最も聴き込んでいる。

Guthrie Govan『Erotic Cakes』('06):曲も演奏も圧倒的
〈このアルバムはApple Musicにない〉

Allan Holdsworth『Secrets』('89):作品はどれも素晴らしいが、これが基本の一枚だと思う。自分が初めて聴いた作品でもある。ホールズワースの存在は世界の音楽にとっての祝福と言える。

Jimmy Herring『Lifeboat』('08):R&Bやブルース方面のプレイヤーだが、メロディの考え方は現代ジャズから来ているように思われる。ギタリストの間ではあまり語られないようだが、非常に素晴らしい。

Kurt Rosenwinkel『The Next Step』('01):現代のビバップをやっていると言われるギタリスト。和音の感覚は信じられないくらい凄く、作曲能力は極めて高い。明確な調性を避けるスタイルをとり、それを聴いて自分も、定型を超えたことをやりたいと動機付けられた。ジャズにのめり込むきっかけになったプレイヤー。

Adam Rogers『Apparitions』('05):クラシックからも影響を受けた現代ジャズギタリスト。彼の作品は全て聴く価値があるが、中でもこのアルバムは必聴だと思う。

Jonathan Kreisberg『Shadowless』('11):演奏も作曲も極めて素晴らしく、全てのギタリストに各々がやってきたことを見返させるだけのものがある。どの作品も聴く価値があるが、自分はこのアルバムが好き。最初から最後まで驚異的な作品。
〈このアルバムはApple Musicにない〉

プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界:参考資料集【比較的メジャーなバンド・個人篇】(内容説明・抄訳更新中)

こちらの記事
の具体的な内容・抄訳です。


【比較的メジャーなバンド・個人】

QUEENSRHYCHE
Devin Townsend
WALTARI

(内容説明・抄訳のあるものは黒字にしています)


OPETHスウェーデン)》


Mikael Åkerfeldインタビュー(2014.8.22)

OPETHはいつもプログレッシヴな要素をすすんで前面に出してきた。どのアルバムでもそうで、『Pale Communion』(11th:'14年発表)はそうした漸進的研鑽の頂点にある作品なのだろうと思う。これはバンドとしての意識的な方向性なのだろうか。それとも、もっと本能的な何かが徐々に表れてきたということなのだろうか?〉

そうだね… バンドの経歴と作品を分析してみれば、それぞれの作品の間で起きた進歩とか、一連の作品がどういう関連性を持っているかということが確かに聴き取れるけれども、それは意図的になされたものではないんだよ。自分は、その時々に聴いているものとか、例えば「今日はJUDAS PRIESTの『Sad Wings of Destiny』が聴きたいな。うん!なんて素晴らしい作品なんだろう!」というような、ほとんどDNAみたいになっている(昔から聴き込んで“血肉化”している)ものに、間違いなく影響を受けている。作品の間で起きた進歩というのは、たとえ進歩的なものにしようと願っていたのだとしても、よく考えてなされたものではない。これは質問としてはとても単純なんだろうけど、答えるのはクソ難しいことなんだよ。

〈もう少し地に足の着いた話から始めるべきだったかな(笑)〉

(笑)そうだね、「そっちの天気はどうだい?」とか。
(註:電話もしくはメールインタビューなのだと思われる)

〈こうしたことはあなたの書く曲にハッキリ表れているから、OPETHの音楽がよりダイナミックなものに変化していくのは驚くべきことではない。意識的にしろ無意識的にしろ、何かに影響を受けると創るものにも影響が出るから、そうした影響がどのようにして創作物に浸透していくのかということを観察するのはとても面白いんだ。プログレッシヴ・ロックは、あなたが一番はじめにハマったものなのかな?それともだいぶ後で見つけたものなのかな?〉

うちは音楽一家じゃなかったし、ロックに関しては特に縁がなかった。THE BEATLESの『Abbey Road』('69年発表)- 彼らの最後の作品でかなりプログレッシヴな、間違いなく世界最高のレコードの一つ - だけはあったけど、プログレッシヴ・ロックは、基本的には、自分の手で見つけたものだったんだ。自分はヴァイナル(註:LPなど、塩化ビニール製レコードのこと)からCDに完全に切り替えたことがない。それどころか、CDメディアが出てきた頃はレコード店のヴァイナル売り場に行って、ヴァイナルをタダ同然で手に入れていたものだよ。その頃も今も自分はヴァイナルの方が好きだ。CDメディアが出た頃は、みんなヴァイナルのコレクションを手放していた。自分のような人間がそれを二束三文で買い漁っていたというわけだ。

自分はBLACK SABBATHの大ファンで、関連記事の切り抜きを集め、レコードやポスターなど、買えるものならなんでも揃えていた。このバンドに関するものならなんでも集め、カッコイイと思っていたんだ。SABBATHはルックスが良いと思っていたよ。LED ZEPPELINBLACK SABBATHはルックスが良かったし、当時は自分もそういう格好をしたいと思っていた。ラッパズボンを買って、ヒッピーみたいに見えるようにしていたんだ。そういうこともあって、正直に言えば、ヴァイナル・ショップに行ったらそういう格好をしたメンバーのいるバンドを探していた。YESのレコードを見つけたときは「おお、SABBATHみたいなアルバムカバーだな。長髪だし、カッコイイズボンを履いてる」と思ったから、2ドルかそこらでそれを買った。『Time And A Word』('70年発表)か何かの初期作品だったな。そしてこう思ったよ。「クソッ、大好きだよコレ。素晴らしい。」
このアルバムは1969年か1970年あたりに出たものだった。そして、その次に、「アルバムカバーに絶叫している顔が載っているこのバンドはなんだ?」というレコードに出会った。1969年に出たもので、自分はそれを聴いたことがなかったんだ。バンドの名前はKING CRIMSONと言った。(註:1st『In The Court of The Crimson King』のこと。)レコードは2ドルだったから、「いいだろう、これも買おう」となったんだ。こういう感じのことをどんどん繰り返していった。レコードを手に取ることから始めて、良いレコードを買うことで学んでいったんだ。メンバーが着ている服を見る必要はもうなかった(笑)レコードのジャケットを見て、芸術的だったり風変わりだったりするアートワークがあって、'71年頃に録音されたものだったら、たぶん良い作品なんだろう、というように。そうやってあらゆるものをタダ同然で手に入れていった。GENESIS、CAMEL、VAN DER GRAAF GENERATOR、といったバンドを発見していったんだ。こうしたことと並行して、同時代のバンドであるDREAM THEATERにも出会った。DREAM THEATERは自分が発見した先述のバンドに影響を受けていたし、自分は大ファンになった。だいたいこんな感じかな。

〈RUSHもそうしたバンドの中の一つだったのかな、と訊かなけれなならないな。〉

うん。でも、自分はRUSHのことをいつもハードロックバンドだと考えていた。プログレバンドだと見なしたことはないよ。彼らのレコードで最初に買ったのは『Moving Pictures』('81年発表)で、ポップな曲よりも「YYZ」の方に惹きつけられた。変な拍子(註:5拍子など)があったし、少し邪悪な感じもしたからだ。RUSHのそういう曲にはBLACK SABBATHを連想させる和音がある。そういう邪悪な和音も使っていたね。自分はもっと後にVOIVODも聴くようになるけど - これは別の話だね - RUSHは自分にとってはハードロックバンドなんだ。DEEP PURPLEみたいな。(プログレとは)ちょっと違うんだよね。

〈あなたの幅広いボーカルスタイルはあなたのトレードマークみたいになっていて、あなたは様々なプロジェクトでそれを示してきているけれども、最初にそれをやったのはどこなのかな?そのボーカルスタイルをいつ発見して、どうやって発展させてきたのだろう?〉

うーんとね、今日の夕飯はたまたま母親と一緒だったんだけど、彼女は(Mikaelのことを)とても誇りに思ってくれてるんだよ。以前は何度も「Mikael、ちゃんとした仕事に就きなさい」と言われたけれども、今では誇りに思ってくれているし、だいたいこんなふうに言ってくれる。「おまえは小さい頃からよく歌ってたよね。私と一緒に童謡を歌ってたりしてた。」で、自分が「そうだね」と返すと、「そうよ、子供らしく本当に高い声で歌ってた。本当に素晴らしかったけど、あるとき突然歌うのをやめてしまったよね。そして今まで殆ど歌うことがなかった」と言ってくるんだ。これは興味深いことだね。自分はシンガーになりたかったという記憶がなく、いつもギター・プレイヤーになりたいと思っていたから。自分はリードギター・プレイヤーになりたくて、勉強とか最初の仕事を放っぽり出して音楽や演奏に取り組んでいた。そして、練習をするよりもリフを書くことに多くの時間を費やしていた。
たしか13歳か14歳のときに、VAN HALENの曲名からとった(笑)「Eruption」という名前のバンドを結成した。VAN HALENはデカいバンドだったけど、彼らからの影響は全くなかったね。SACRED REICHみたいなブラック・スラッシュをやりたかった。このバンドは基本的には3人組だった。自分と友達2人。「誰が歌う?」と言い合って、友達2人が「そんなのごめんだ」と言ったから、それで自分が「わかった、それなら俺だな」ということになったんだ。自分は、バンドの中心的な存在になりたかった。リードギター・プレイヤーな上にシンガーでもある。カッコイイじゃないか。唯一の問題は、自分は歌えない、ということだった。歌う能力がなかったから。バンド初期のレパートリーはMISFITSやGlenn Danzigの曲だった。少なくとも自分達が選んだ曲においてはDanzigの声はバリトンの低音だったし叫んだりもしていなかったから、凄く歌いやすかったんだよ(笑)MISFITSの曲をやっているうちに、自分達は結果的にいろんなタイプのスクリーム(註:いわゆるデスヴォイスなど、歪んだ響きの歌い方のこと)をこなせるようになった。声を無理に使っていなかったから、良い叫び方を見つけることができたんだ。
OPETHを始めた時も、自分はシンガーではなかった。はじめはベース・プレイヤーで、他にシンガーがいたんだけど、彼が脱退してしまったから、また同じように「おまえが歌えよ」と言われて「わかった、リードシンガーをやるよ」ということになったんだ。そうこうして、デスメタル・スクリームができるということに気付いたんだ。
スクリームはそうやって身につけたんだけど、MORBID ANGELやDEATH、AUTOPSYやENTOMBEDなどを好む一方で、自分はクラウス・マイネ(SCORPIONS)やデイヴィッド・カヴァーデール(WHITESNAKE / ex. DEEP PURPLE)を崇拝していた。イアン・ギラン(DEEP PURPLE)やブルース・ディッキンソン(IRON MAIDEN)、ロニー・ディオ(DIO / ex. RAINBOW、BLACK SABBATH)も。そういうシンガーが自分の好みで、そういうふうに歌えるようになりたくて成長していったんだ。(OPETHの)最初の1枚では邪悪なパートと対比するものとしてこういう歌のパートを入れていて、次のアルバムではそういう歌のパートを増やし、その後はもっと増やしていく…というふうになっていった。16歳のときよりも良いリードシンガーになっているという自信があるよ。誇張抜きに。でも、そうなるためにはたくさん練習しなければならなかったんだよ。
人前で歌う姿を誇示するというのはとても思い切った行為だ。歌というのは、音楽における感情というものに、ギターなどと比べてもおそらく遥かに大きく影響するパートだからだ。感情を生み出すのはボーカル。自分はそれを磨いてきたんだ。他のシンガーを加入させるという選択肢もあったけれども、しばらくしたら自分でやりたくなった。シンガーになりたかったから、自分を励まし、自分は自分で思っている以上に良いシンガーなんだと信じ込むようにした。

〈バンドを長続きさせようとするにあたって大事なのは、外界の影響や雑音に惑わされず、ただやりたいことをそのままやる、ということだと思う。これはOPETHにも通じることだと思うし、実際OPETHは、特定のジャンルやファン層におもねることなく独自の創造的欲求を追求し続けてきている。OPETHサウンドの進化の背景にあるのは、(既存の)プログレッシヴ・ロックへの志向なのかな?それとも、創造性の停滞に抗うプログレッシヴ(進歩的)な創作姿勢や、より多様な要素を持ち込もうとする動きがあるということなのだろうか?〉

まったくもってその通り。(註:〈それとも〜〉以降への同意。)「プログレッシヴ」というのは自分にとってある種の自由をさす言葉だ。一方、その言葉を、特定のスタイルや音楽ジャンルを表すものとして使い(Mikaelの言うそれと)混同する人達もいる。そういうスタイルやジャンルも格好いいと思うけれども、自分にとっては、そして自分自身の音楽について話す場合は、“プログレッシヴ”というのはやりたいことをやる自由を感じさせてくれるものを指すんだ。自分を取り巻く状況はこんな感じ。で、自分たちの音源について誰かが「こんなのはクソだ」と言ってきたとしたら、その作品はそういう人々のためのものではないんだなと思う。ライヴではヘマをするかもしれないけど、音源は良いよ(笑)自分にとってプログレッシヴ・ロックというものは、ジャンルを自在に横断して、どこから来た要素なのかを問わず影響として取り込んでしまう自由なものなんだ。古めかしく聴こえてほしくはない。新しい感じのものでありたいんだよ。影響源の殆どが昔の音楽だというだけのことさ。

〈あなたはOPETH以外にもBLOODBATHやKATATONIA(註:こちらはライヴのサポートメンバーのみ)など無数のバンド・プロジェクトに参加し、今世紀のヘヴィ・ミュージックに大きな影響を与えてきた。あなたが最初にヘヴィ・ミュージックに関わったときから、このシーンはどのように進歩・発展してきたと思う?〉

正直言って、自分は回答者として適任とは思えない。自分のやりたいことにこだわり抜くタイプの人間だから。影響源の90%は60年代や70年代の音楽だし、バンドの活動を振り返ってみれば、多くの変化や出来事があった。ヨーロッパ、特にスカンジナビアでは、ブラックメタルのブームがあって、音楽史的にもこれは重要な時期だったと思うし、自分達もそのさなかにいた。しかし、興味深かったそうしたことも、数年もすれば変わっていってしまった。現在のヨーロッパ〜スカンジナビアにはある種のリバイバルシーンがある。自分が聴いて育った80年代のバンドに似たリバイバル・バンドがいて、それも格好良いとは思う。ただ、自分にとっては、あなたが先に(このインタビュー中の質問として)挙げたRUSHのように、あまり重要とは思えないものなんだ。
自分達は他のバンドのやっていることをちゃんと意識して見ているけれども、特定の流行とかシーン、それに類するものに乗らなければいけないと感じたことはない。自分達自身のことをやってきただけだし、今でもそうし続けていると思う。自分達自身にとって正しいと思えることから離れるのには興味がなく、そしてその“正しいこと”はその時々に応じて変化していく。『Deliverance』(6th:'02年発表)と並行して製作し対をなすアルバムとした『Damnation』(7th:'03年発表)は、それがまさにその時やるべきことなのだと思って作ったものだったし、その後様々な音楽的変遷を経て作った『Heritage』(10th:'11年発表)も、その時の自分達にとっての“正しいこと”だったんだ。これから新作(『Pale Communion』)が出るけれども、自分達はそれに思いっきり打ち込んでいて、自分達自身がやるべきことをやっている。そして、こういうことをやっているのが自分達だけだという状況も気に入っている。自分達と同じことをしているバンドは存在しないと思うし、同じようなディスコグラフィや進化の過程を経てきたバンドもいないと思う。自分達はただ自分達自身のことをやっているだけなんだ。

〈それは多くのOPETHファンにアピールすることだと思うよ、Mikael。バンドが長年かけてやってきたサウンドの変化を好まず・理解せず中傷する人々も必ず現れるわけだけれども。実験や変化にはちょっとしたリスクがつきまとう。特に、初期からOPETHのファンだったような層においては。〉

自分達はまだしっかりメタルシーンに属していると思うし(註:メタリックな要素を減らし70年代ロック(ハードロックとプログレッシヴロックの境目が曖昧だった頃のもの)に近いスタイルに寄ってきているとはいえメタルから離れているつもりもない、ということだと思われる)、メタルシーンはとても興味深いところだと思う。ただ、一方でとても恐ろしいこともある。メタルバンドがもはや実験というものをしようとしない、というのにはちょっとガッカリさせられるね。特にメタルシーンの中においては、これはとても奇妙なことに思える。メタルというのは反抗的な音楽形式だと思うんだけど、それに携わる人達はそれにやすやすと満足し安住してしまう。多くのバンドが結成され、(はじめは)貪欲でやる気があって、自分達の音やあらゆるものを用いて世界を征服してやろうとするんだけども、作品を3枚も作れば「よし、このサウンドのままであと10作品作ろう」というふうになる。自分達はそういうバンドとは一線を画し続けてきた。自分達の音楽の中でやったら面白いだろうなということを探し、古い音楽からも新しい音楽からも新鮮な影響を取り入れようとすることで、新たなやり方を追い求め続けているんだよ。自分はバンドを停滞させたくないし、安心してしまうのもイヤだ。ルールに従って演奏するのはイヤだし、外野の要望に影響を受けるのも好まない。ファンの意見に屈したくはないね。常に興味深く芸術的な本物でありたいんだ。1stアルバムでやったことのように、無邪気で実験精神に満ち、常に意欲をたぎらせていた19歳の頃の気分を保っていたい。バンドの一員でいて、バンドを長続きさせ、飽きるということがないようにするための唯一の秘訣は、自分自身にハッパをかけることだ。落ち着いてはいけないんだ。
バンドというものがある種のプロフェッショナルなあり方を続けていくのはとても簡単だと思う。ツアーをし、住まいを確保して、銀行に預金を貯める。スタッフを引き連れ、キャリアを築き上げる。貪欲であることとか、創造性あふれるアーティストでありたいという欲求は、バンドをこういう会社みたいなものとみなして市場調査をしたりしていくことと引き換えに失われるものだし、それは自分にとっては身の毛がよだつくらい恐ろしいことだ。OPETHが会社みたいなものになるのを見るくらいなら死んだ方がマシ。自分達のやっていることには確かにビジネスの側面もあるけれど、音楽がそういうクソなものに成り果てることはありえない。OPETHの音楽は、常にあるべきかたちの興味深いものであり続けているし、自分達をミュージシャンとしてもバンドひとまとまりとしても前進させ続けてくれている。OPETHを企業みたいなバンドとかトレードマークとしてみなすことは今後もないね。この業界にいれば、自分達のバンドをブランドとしか見なしていなくてそのブランドのために音楽をやっている、というようなクソマクドナルドみたいなヤツらが沢山いるのがわかるよ。メタルバンドでもそういうのが多い。

〈あなたがそうしたことについて情熱的でブレないということはとても良くわかった、Mikael。その上で興味深く思うことなんだけど、『Orchid』(1st:'95年発表)から『Pale Communion』(11th:'14年発表)に至る進化の過程において、あなた個人の音楽一般に対する関わり方はどんなふうにあり続けてきたと思う?〉

総合的に言えば、音楽というものは自分にとって一生の恋人みたいなものだ。それか、食べたり飲んだりすることのようなもの。うぬぼれているように聞こえるかもしれないけど、「人生において、自分が幸せになるために音楽というものは本当に必要なのか?」と考えたことが何度かある。プレイステーションのゲームをしたりしていても幸せを感じられるからね。「(音楽を作るんじゃなくて)ゲームをしたり、ただレコードを集めていたりするだけでもいいんじゃないか?」と考えてきたわけだ。でも、そう考え始めると間もなく「ええい、クソッタレ。スタジオに行くぞ。曲を書きたいからな。ギターを抱えて腰を下ろし、何かやりたいな」というふうに考えていることに気付く。いつもそうだったわけじゃないよ。4歳くらいの頃はサッカーやテニスをやっていた。けれども、自分が曲を書けるということに気付き、実際書き始めたら、そうすることが大好きなんだってわかったし、自分を解放してくれることなんだということもわかったんだ。これは、「自分は価値ある存在なんだ」という実感を初めて与えてくれたことでもある。率直に言って、自分は他のことはうまくできないんだ。曲を書くということが本当に大好きだし、自分の書いた曲を振り返ってみると、「クソッ、幸せだ。何もないところからこんな曲を書き上げたんだぞ」と思う。その上、この世界には「あなたの書いたこの曲が大好きです」と言ってくれる人達がいる。なんて素晴らしいんだろう。これこそが自分の必要としていることなんだ。とても良い気分にさせてもらえる。こうしたことを自分から切り離したとしたら、もう自分は自分でなくなってしまうね。自分をよく知ってくれている人達に「Mikaelについて考えたときまず思い浮かぶことは何?」と聞いたら、全員が音楽関連の何かを挙げるだろう。それが一番大事なことなんだ。自分の音楽は自分と同義の存在になってきているし、そしてこれはもう自分だけのものではない(他の人にとっても意義のある音楽なんだ)よ。
自分は音楽を消費し続けている。おそろしく膨大な量の音楽を。音楽を消費し、音楽を聴き、怒ったり荒れ狂ったり幸せだったりするその時々で音楽を愛する。音楽は、自分の人生の(過去の)その時々をあらわすものになってもいる。音楽は決断の後押しをしてくれるし、何かをしないようにしむけたり、するようにしむけたりすることもできる。様々な状況に導いてくれるし、自分を救ってくれさえしうる。音楽は自分にとって大事なものだから、音楽が好きでない人は自分と関係があるとは思えないし、そうした人に親近感を覚えることもできない。感じのいい人と話していても、「音楽には興味がないね。これは自分に限ったことじゃない。」なんて言われたら、(性別を問わず)その人と友達になることはできないだろう。音楽は自分にとって本当に大事なものなんだ。


Mikael Åkerfeldインタビュー(2015.5.8:川嶋未来
日本語記事。VOIVODやBATHORYの影響がとても大きいという話など、非常に興味深い内容です。



〈昨年数回開催されたバンド20周年記念公演は、あなたにとってどんな意味をもつものだった?〉

結局ふつうの小規模ツアーみたいなものになったよ。もともとそういうことをやるつもりはなかったんだ。当初はバーに集まって5人でパーティーみたいなことをしようと考えていたんだけど、最終的には大会場でライヴすることになった。とても楽しかったけれど、パブみたいなところで数曲やって済ますという最初の呑気なアイデアからはかけ離れた感じになったね。
20周年記念の何かをやったというよりは、単に良いライヴを数本やっただけのことだと思っている。

〈主に「デスメタル・ボーカルが入っていない」という理由から『Heritage』('11)を『Damnation』('03)と安直に比較する意見も多い。この比較は適切だと思う?〉

イエスでありノーでもある。(新譜『Heritage』と)『Damnation』との共通点は、スクリーム(叫び声)が入っていないということだけだ。他に似ているところはあまりないと思うよ。正直言って。
『Heritage』は(『Damnation』よりも)自分が発想の源として聴いている音楽に近いと思う。正直言って、どんなアルバムと比べられようが気にならないよ。『Damnation』と比べるのがわかりやすいんだろうけど、この2作の共通点は「スクリームがない」ということだけだと思う。

〈曲作りをしていてアルバムの全体像が見え始めたのはいつ頃だった?例えば、『Heritage』の曲を書いていて、このアルバムにスクリームは入らないということや、プログレッシヴ・ロック色の強い音になるだろうということがわかったのはいつ頃だったのかな?〉

当初はもっと現代的な音にするつもりだったんだ。『Watershed』(前作:'08)の続編という感じで。3声のハーモニーをずっとやりたいと思っていたんだよね。メタル版THE BYRDSというか(笑)でも、それはうまくいかなかった。何曲か書いてみたけど、自分にとって十分興味深い仕上がりにはならなかったんだ。
というわけで、それらを放棄してまたイチから曲を書き始めた。そうしてまずできたのが、新譜に収録された「The Lines in My Hand」だったんだ。これは本当にヘンな曲で、自分がこれまでに書いたどの曲とも違うふうになっている。
その曲を書いたら、やりたいことを何でもやれる自由な気分が増してきた。その頃になると、これはヘンなアルバムになるだろうなという予感がし出したし、一番エクストリームでヘヴィなメタルをやろうということにはあまり関心がなくなり、もっと他のことに興味が移っていた。つまり、この作品が超エクストリームなメタルアルバムにならないということは、かなり早い段階でわかっていたというわけだ。

〈このアルバムは、あなたがメタル以外の音楽から受けた影響を幅広く示すものになっている。たとえば「Folklore」にはPINK FLOYDデヴィッド・ギルモア(ギター)の影が窺われる、というふうに。あなたが大きな影響を受けたメタル以外のプレイヤーは誰だろう?〉

そうだね、ギタリストについて言うのなら、良いプレイヤーは本当に沢山いるよ。アコースティックでいうなら、バート・ヤンシュ(Bert Jansch:英国のフォークロックバンドPENTANGLE創立メンバーの一人)、ニック・ドレイクNick Drake)、ジャクソン・C・フランク(Jackson C. Frank:米国フォーク:先の2名にも影響を与える)など。ジェリー・ドナヒュー(Jerry Donahue:英国のフォークロックバンドFAIRPORT CONVENTIONに在籍)も大好きだ。
リッチー・ブラックモア(Ritchie Blackmore:DEEP PURPLE〜RAINBOW〜BLACKMORE'S NIGHT)からは大きな影響を受け続けているよ。彼の高潔さは尊敬に値する。彼が今(BLACKMORE'S NIGHTで)やっているルネサンス音楽についてはそんなにファンではないけれども、自分の衝動に従って活動し続ける芸術家・音楽家は大好きだ。
他にも素晴らしいギタリストは沢山いる。ジョニ・ミッチェルJoni Mitchell:主にフォーク〜ジャズのフィールドで活動した20世紀を代表するロックミュージシャン)はギタリストとしてもピアニストとしても作曲家としても素晴らしい。彼女のあらゆる作品を聴き続けているよ。

リッチー・ブラックモアについていうと、ロニー・ジェイムス・ディオHR/HMを代表する超絶シンガーでRAINBOWにも参加)に捧げた「Slither」は、明らかにRAINBOW的な感触を持っている。この曲の方向性について、彼らの影響はどのくらい意識した?〉

何か曲を書こうとしてスタジオでダラダラしていたんだ。ストラトキャスター(ギター:リッチーが好んで使うモデル)を弾いていたら、在りし日(RAINBOW時代)のブラックモア的なサウンドが生まれた。それを続けた結果(この曲の)フレーズができた。とても格好良いと思えたよ。
この曲は完全にRAINBOWの模造品だけど、ディオが亡くなった(2010.5.16没)ことを考えれば、それは正しいことだと思える。まわりに絶大な影響を与えた彼へのある種のトリビュートになったわけだ。こういうダイナミックな曲は好きだし、それがアルバムに入るのは良いことだと思う。ふざけている一方で真剣でもある曲なんだ。

〈アルバムを作るにあたって何らかの計画を立てたりした?〉

そうだね、実際たくさんの計画を立てていた。リズムセクションの音を分厚くしたかったから、ベースギターの音を前面に出そうとした。殆どのメタルでは、ベースギターは基本的には存在感がない。ステレオ再生装置で低音域を強くすればやっと聞こえるようになる、という感じだ。
多くの曲では、リズムギターではシングルコイル(明るく透明感のある音を得やすい構造)のピックアップを使っている。なんでそうしたかは自分でもわからない。メサブギー(Mesa Boogie)タイプの厚いギターサウンドに飽きていたというのはある。このアルバムではそういうのとは真逆の方法でやりたかったし、この手の音楽においてそれは正しかったと思う。全ての要素が以前よりクリアに聴き取れるようになっているよ。
先に言ったように、自分は最近のメタルのプロダクションに飽き飽きしている。正直言って嫌いだし、ちょっと違ったことをやりたかったんだ。
ただ、ギターの種類について言うと、あらゆる類のものを使っている。PRS(Paul Reed Smith)ギターはたくさん使ったし、ストラトキャスターはもちろんテレキャスターも使っている。ギブソンも。良いギターの音がたくさん入っているよ。

〈アンプやエフェクトについては?〉

マーシャル800の2チャンネルのやつを使っている。友達から借りたんだ。とても良いアンプで、気に入ったから殆どの曲で使うことになった。クリーンな音が欲しいところではフェンダー・デラックス、たぶんツインリヴァーブのものを使った。これはスピーカーが壊れていたので、ラインを通して他の機材から出力した。
ギブソンのとても古いアンプも使っている。古いトランジスタみたいな感じで、誰かが上にクソをしたような見た目をしている(笑)だけど音は素晴らしいよ!ぞんざいに扱ったのにとてもスウィートな音を出してくれた。これは50年代に作られた機材に違いないと思う。アルバムの至る所で使っているよ。

〈ラインナップの変更というのはバンドの歴史につきものだ。その時々のメンバーが音に及ぼした影響はどれほどのものなのだろう?彼ら単独のインプット、またはあなたとの共作を通して。〉

自分は曲のデモを作るようにしている。基本的には、アルバムのデモ・バージョンを作るんだ。いろんな楽器を使って曲を作る。キーボードやドラムス、もちろんギターやベース、ボーカルも。自分(一人)で出来る限り良いものを作り上げようとするんだよ。他のメンバーを威圧したいわけ。「うわっ、これに勝つには相当良いものを持ってこなければならないな」というふうに思わせたいんだ。
そうなるとうまくいくんだよね。彼らが自身の持ち味をアルバムに持ち込んだり、そのアルバムを“彼ら自身のアルバム”にしようとすることで、先述のデモアルバムを超えるものが生まれるんだ。それが良いやり方なのかどうかはわからない。長い目で見たらどうなのかわからないけれども、このアルバムについて言えば、本当にうまく行ったと思う。

〈バンドで共演したギター・プレイヤーのうち、ギタリストとしてのあなたを刺激してくれた人はいた?〉

いや、いない。以前は今より「自分はギター・プレイヤーだ」という意識が強かったけれども、今では自分は(ギター・プレイヤーというより)ソングライターなのだと思っているし、フレドリック(Fredrik Akesson)にギターパートを譲っても何の問題もない。彼がそこで何かができると(Mikaelが)感じたならね。彼の方が上手くできるだろうパートについて争うつもりはないよ。
それはともかく、自分たち2人は強力なチームだと思っている。スタイルの違いをうまく補い合えているよ。このアルバムについて言うと、自分は全てのアコースティックギターを演奏したし、フレドリックは主に高速の刻みを担当し、その上でブルースやジャズなど何でもやってくれている。
自分たちは互いを刺激しあっていると思うけれども、だいたいの場合は、自分はただ求める結果に到達したいとだけ思っている。自分をギター・プレイヤーと考えてはいない。自分たちのやることについて、どうすればそれがうまくいくのかということの方を考えているんだ。

〈フレドリックのギターソロについて何か指示することはある?それとも、それぞれの曲に合うだろうフレーズをフレドリックが作るのかな?〉

自分がデモを作ったら(そしてそれをフレドリックに渡すとき)、たとえば「Slither」については、「こういう曲があるんだ。ここにブラックモアみたいなソロを入れてほしい」と言って、彼はその通りやってくれた。「Nepenthe」だったら「よし、アラン・ホールズワースAllan Holdsworth:この曲のソロはホールズワースから影響を受けたMESHUGGAHの「Organic Shadows」によく似ている)風でお願い」という感じ(笑)
でも、基本的には(こういうふうに)アイデアを示すだけだね。フレドリックは即興が非常に上手い。10回ソロをやったらその全てが違う仕上がりになるんだ。その中から曲に一番合うものを選ぼうとするんだけど、とても難しい。全部良いからね。最終的には、2人の合意のもと、一番合うものを選ぶんだけど。
ギター・プレイヤーの多くはソロのことしか考えない。曲のことを考えず、ただ早弾きしたがる。自分は曲のソロパートを味わい深い良いものにしたいし、その意味において、フレドリックとの作業はとても快適だ。彼は自分たちがやっていること(曲など)を理解してくれるからね。

〈多くのバンドは、標準的な音楽性から外れることをやるとファンを遠ざけてしまう危険を冒し、袋小路にはまり込んでしまうものだと思うんだけど、OPETHの場合は、創造的な方向性がどんなものであろうとそれをうまく提示できるようだ。OPETHという枠内で出来ないことはあるのだろうか?〉

OPETHはとても自由なバンドだよ。どんな方向性でもイケると思う。ただ、そぐわないだろうと思う方向性もある。レゲエ・アルバムとか(笑)グラインドコアのレコードは作ろうと思わないな。
自分は音楽から満足感を得たいんだ。要領を得ない音楽は好きじゃない。自分が作る音楽は、自分が耳にしたい音楽、自分が聴き込みたい音楽であってほしい。アルバムを(無為に・“お仕事”的に)生産しようとは思わないし、“史上最もブルータルでエクストリームなメタル”というようなことを言うつもりもない。そういう言い方は自分にとっては何の意味もないし、単なる言葉に過ぎない。感じ取れる音楽が好きなんだよ。(言葉で)説明しきることはできない、ただただ寄り添ってくれるような音楽が。
そういう音楽を提供できるうちは、そのこと以外の問題はない。自分がそういう音楽を作れなくなったら、バンドを続けることはできないだろうね。だから、全てのアルバムが“最後の作品”だ、と言うこともできる。

〈次の作品がどうなるかというアイデアはある?殆どのファンが「またスクリームを聴くことはできるのだろうか」と考えているはずなんだけど…〉

それは確約できないな。自分は直感に従って音楽を作るから。ただ、最近は、そういうタイプの歌い方にはあまり興味がないんだ。もう長いことやってきたし、これ以上発展させることもできないと感じてもいる。発展させられないことに関しては興味を失ってしまう質なんだ。
作曲能力やクリーンな歌い方(歪みを加えないメロディアスな歌唱スタイル)の技術は絶えず良くなり続けていて、自分にとってどんどん興味深いものになってきている。最もエクストリームでブルータルな歌い方はもうやってしまったし、既に過ぎ去ったことのように感じている。
ただ、これは自分たちにとってのルーツのようなものではある。そこに逆戻りするというのはイヤだけど、音楽が自然に求めるようになれば、再び使うことになるだろう。だから確約はできない。スクリームはこれ以上良くならないけどね。だからと言って前よりヘタになるということもないけど。


Mikael Åkerfeldインタビュー(2003.2.10)

《序文》
Mikael Åkerfeldがギターを弾き始めたのは1986年のことだった。それから間もなく、彼は最初のバンドERUPTIONを結成し、BATHORYやDEATHなどのカバーをやっていた。
David Isborgという友人がMikaelに紹介したMEFISTO(註:スウェーデンスラッシュメタル〜プレ・デスメタルにおける最も重要なバンドの一つ)のデモ『The Puzzle』では、デスメタル・ボーカルとアコースティックパート、そしてギターソロが巧みに融合されており、それが新たなバンドOPETH(Wilbur Smithの著作に出てくる月の都市「Opet」が語源)の誕生につながった。
OPETH(註:1990年結成)のメンバーは入れ替わってきているが、1991年に加入したPeter Lindgren(ギター)は今も在籍している。

OPETHのデビューアルバム『Orchid』は1994年に発表され、バンドは続く1996年の2ndアルバム『Morningrise』によりアンダーグラウンドシーンで初めて注目を集めることになった。続く3rdアルバムの録音に先んじて、バンドにMartin Lopez(ドラムス)とMartin Mendez(ベース)が加入した。Mendezには曲を覚える時間がなかったため同作のベースはÅkerfeldが弾いているのだが、その『My Arms Your Hearse』(1997年)は、音楽誌とファンの両方から“この時点での最高傑作だ”という評価を得た。

Candlelight Recordsとの契約を満了し、Peaceville Recordsと新たな契約を結んだのち、1999年の『Still Life』(4th)の製作が始まった。同作はバンドにとってその当時最も成功した作品となったが、彼らを新たな次元に押し上げたのは2001年の『Blackwater Park』(5th)だった。このアルバムのサウンドと発想の主な影響源となったのは、共同プロデューサーを務めたSteven Wilson(PORCUPINE TREE)だった。

昨年(2002年)、Åkerfeldの大胆な計画である“対となる2枚のアルバム”のうちの第一弾『Deliverance』(6th)が発表された。これはファンが待ち望んだ類のものだった。OPETHの歴史上最も売れた作品というだけでなく、全ての人に満場一致で受け入れられたものである、というのは言うまでもないことだろう。

《本編》
(このインタビュー記事の書き方はやや特殊で、記者が現場で行った質問が“会話の流れを説明する”短文に入れ替えられ、正確な質問内容がつかみづらくなっています。この稿では、その部分をできる限り質問文の形に寄せて訳すように努めています。)

オーストリアグラーツアーノルド・シュワルツェネッガーの故郷)で、MADDER MORTEMノルウェーのバンド)とのツアー中だったMikael Åkerfeldをつかまえ話を訊くことができた。〉

今日は(このツアーの)10回目のギグだね。そしてこれから4週間ツアーが続く。やることが沢山あるよ。でも、全てがとても上手くいっている。イタリアとスペインにも行くしフランスでも数回ギグをやる。みんな明らかに疲れてはいるよ。アメリカで数週間ツアーをやった後、このヨーロッパのツアーに出るまでの間に2日しか休みをとってないからね。デビュー時を除けばこれまでやってきた中で最も規模の大きいツアーで、来年までびっしり予定が埋まってる。異様なまでに忙しいよ。自分は怠け者だからなおさらそう思う!

OPETHの知名度や評価は少しずつ着実に増してきていたけれども、『Deliverance』の好評価はMikaelにとっても驚きだったのではないだろうか?〉

レビューは好評なものばかりだし、ファンも気に入ってくれているようだ。ライヴでもとても上手くやれているよ。関係すること全てがおそろしく上手くいっている。つい先日は、『Deliverance』がスウェーデングラミー賞における「ベスト・ハードロック」のカテゴリを受賞したんだ!スウェーデンのラジオ・アワードも獲得した。自分達のようなガレージ・バンドにとっては過分なことだね。そうしたことに関係するようなもの(音楽要素など)は我々のバックグラウンドにはないから、賞、特にこういう類のものをもらうというのは、とても奇妙なことに思える。自分達の本当の姿とは大きく異なることだし。

OPETHは「ガレージ・バンド」の枠を完全に越えているという意見も多いだろうけど、Mikaelは依然として「OPETHアンダーグラウンドなバンドだ」と強調している。〉

OPETHは間違いなくアンダーグラウンドなバンドだと思うし、スーパースターとかそういう類のものになろうと考えたことはない。自分達は音楽をやるのが好きなミュージシャン、というところだね。自惚れてはいないし、楽しく過ごして音楽をやりたいだけなんだ。こういうことを本当に長いことやってきたし、それ以上のことはあまり気にしない。ただ音楽をやりたいだけ。それが全てだ。ビジネス関係のことには興味がないし、OPETHOPETHらしくやれているかとかその他諸々のことは気にしない。楽しくやりたいだけだ。

〈『Deliverance』は当初2枚一組のアルバムの1枚目に予定されていたもののようだね。Mikaelのはじめの計画では、文字通り2枚組として発表されるはずだったとか。〉

『Damnation』の発売は延期され続けてるんだよね。現時点では5月に発売される予定だ。レコード会社は発表を遅らせ続けている。自分のアイデアは「『Deliverance』と同時発売する」というものだったんだけど、レコード会社はあいだに時間をおいてそれぞれのアルバムを十分に宣伝できるようにしたかったみたいだ。そうすれば両方の作品について別々にインタビューをやることができるし、両方のアルバムに注目を集めることができる、というわけ。『Damnation』はもともと3月に発売される予定だったと思うんだけど、我々のマネージャーは5月まで延期させたがった。『Deliverance』のツアーをやりすぎていて『Damnation』用のインタビューをする時間がとれていなかったからね。

〈音楽の歴史を遡って見ると、2枚組アルバムを発表するということは、レコードレーベルからするとある種の“大罪”となることが多い。彼らの考え方(マーケティング・売上・長持ちするか否かということなど)は「2枚のアルバムを同時に出すのは、聴衆からすると過剰に感じられることなのではないか」というものだ。一度に吞み込むには分量が多すぎるだろう、ということ。〉

自分もそう考えた。しかし、この2枚のアルバムの音は大きく異なっていて、別のバンドの作品のようにも思えるものになっている。同じような音楽が2時間も続くものではない。『Damnation』の長さは約40分で、我々の過去作のどれとも全く違う音楽性になっている。全然違うバンドみたいだよ。そういう(聴く側からすると過剰な内容だというような)ことは全く気にしていない。

〈前回『Blackwater Park』の発表直後にMikaelと話した時、スタジオ入りする前にバンド全員でやったリハーサルは3回だけだと言っていた。『Deliverance』や『Damnation』のためにやったリハーサルがそれより少ないと聞いて驚いたよ。〉

今回リハーサルしたのは1回だけだ。きわどく難しいパートもあるけど、スタジオ内で長い時間を費やしてやってのけた。妙な話に思えるかもしれないけど、『Still Life』の時からそういうやり方をし続けている。その時もスタジオ入りする前は1回しかリハーサルをしていない。スタジオ内でたくさんのことを作り出していくやり方に慣れているんだ。これは、曲素材がその作者にとって新鮮でなくなるのを防ぐためのやり方と言える。自分達はそれはもう音楽にのめり込んでいるから、自身をちょっと驚かせたいんだよね。アルバムが完成したら、自分達自身がそこで何をしたかは忘れてしまう。スタジオで何をやったかについてもね。これは、ファンが好きなバンドの新譜を手に入れるときのような(新鮮な)感覚だ。そうやって作業するのはとても面白い。失敗するリスクを背負うのもね。

〈大部分の音楽メディアは『Deliverance』を賞賛したけど、「それまでの路線から逸れて新しいことをしようとはしていない。コアなファンの支持を失いたくなかったからだろう」という批判も幾つかあった。〉

その通り。もちろん自分達にはおきまりのやり方というのがある。曲の書き方とかね。変化することによって良い結果につながるという要素を見つけられなければ、変化しようとは思わない。こういう音楽性を長いことやり続けていて、それが自分達の流儀になっている。IRON MAIDENがある種の流儀を持っているのと同じようにね。
けれども、『Damnation』では大幅なスタイル変更がなされている。その上で、こうも強調したい。そうしたスタイル変更は、このアルバムのためのものではあるが、OPETHの将来のためのものではない(恒久的なものではない)と言うことを。おそらくね。現時点では何とも言えないけど。『Damnation』に続くアルバムでは、何か全然違ったことをやるのかもしれない。『Deliverance』以降にやるヘヴィなアルバムということについて言うのなら、同じ人間が曲を書いて同じバンドが演奏するわけだから、(『Deliverance』とその新しいアルバムとの間に)いくつかの共通点はできるだろう。新しい曲を書くその時々に自分達がどんなものから影響を受けているか、ということによって、結果は違ってくるだろうね。

〈『Deliverance』がOPETHの古くからのファンにアピールするのは間違いない。しかしながら、アコースティック要素の多い『Damnation』がバンド史最大の売上をもたらす作品になって新たなファンを呼び込む、という可能性も、ないとは言えないんじゃないだろうか。〉

エクストリームメタルでない作品として宣伝されれば、新たな層にもアピールしてもっと売れることになるだろうと思う。『Deliverance』やそれ以前の作品ではあり得なかっただろう妙なインタビューを既に2つ受けているし。最近、イギリスの有力なブルース誌からインタビューされたよ。「それじゃ訊こう。OPETHはなんでブルースバンドになったのかな?」とか言われた。驚いたよ。自分は確かにブルースから影響を受けているけれども、『Damnation』はブルース・アルバムじゃないからね!そういうインタビューは、ラジオにかかる機会とかそれに類することが増えるよう貢献してくれるだろうと思う。『Damnation』を入り口にOPETHにハマってくれる人も多いだろうね。OPETHのファン層にはメタルをメインに聴かない人もいると思うんだよ。PORCUPINE TREEのファンでそれまでメタルを聴いたことがなかったような人が、今ではOPETHを好きになってくれていたりするようなこともある。それは単純に、StevenがOPETHのアルバムをプロデュースしてくれたことによる。PORCUPINE TREEのファンに話を聞いてみると、殆どの人がそれまでメタルを聴いたことがなかったと言う。ある種のメタルファンが言う「エクストリームメタルは音楽じゃない」というのは必ずしも正しくない、ということを示す話だね。

〈Stevenの影響は『Blackwater Park』よりも『Deliverance』に強く出ているようにみえる。Stevenはボーカルラインだけでなく器楽パートを作るのも手伝ってくれているのかな。〉

うん、その通り。共同作業をすることでどんどん特別なことができるようになっていると思う。『Blackwater Park』は彼がプロデュースした最初のOPETH作品で、自分が思うに、彼はOPETHに関わりすぎる(自分の色を加えすぎる)のを好まなかったんじゃないだろうか。でも、最近は、我々はお互いのことをよく知っているから、彼がスタジオに来たらすぐに共同作業を始めることができるようになった。彼が(『Deliverance』のために)スタジオに来てくれたとき、自分はとても疲れていた。そしてそこで、彼は大きな貢献をしてくれた。自分は予めボーカルラインの大部分を完成させていたんだけど、彼はそこに大量のボーカルハーモニーをつけてくれて、キーボードや変なエフェクトなども加えてくれた。(『Deliverance』では)『Blackwater Park』よりも関わってくれている度合いは大きいよ。ただ、『Damnation』では、彼はアルバム全編に関与している。

〈前回Mikaelは「アルバムを作るにあたって一番難しい部分はメロディアスなボーカルのパートで、デスメタルボーカルは“ラップのようなもの”だ」と言っていた。「『Deliverance』のクリーンボーカルはそれ以前の作品よりも明らかに良くなっているけれども、まだまだ努力すべきことはある」とも。〉

これはとても大きな挑戦なんだよね。まず、作品ごとに歌の出来を良くし続けたいということ。次に、全てのボーカルラインを完璧にしたいということ。ボーカル・ハーモニーについてもね。ボーカルを扱うくだりにきたら、無意識のうちに「ベストを尽くさなければならない」と身構えてしまう。スクリームをうまくやれることは自分でもわかっているけど、自分はロニー・ジェイムス・ディオではないから、歌録りの前にはいつもストレスを感じる。どんな成果が得られるかわからないし。その点、Stevenは本当に大きな貢献をしてくれる。彼と仕事するのはとても快適だね。

〈Stevenは『Blackwater Park』『Deliverance』『Damnation』の共同プロデューサーとしてクレジットされてるけど、担当した領域は、彼の能力が最大限に活かされる範囲に限られていたようだね。〉

デスメタルボーカルの録音には関与してないね。プロダクション全体に関わっているわけではないんだ。その3つのアルバム全てにおいて、彼は一度だけスタジオに来て、ドラムス・ギター・ベース全ての録音に立ち会っていた。『Damnation』の場合は、リードギターとクリーンボーカル、キーボードについても手助けしてくれたよ。

〈Mikaelは創作意欲の全てをOPETHだけに注ぎ込んでいるようだね。(BLOODBATHの『Resurrection Through Carnage』(2002)はKATATONIAのJonas Renskeがほぼ全ての素材を作ったため、それは含めない。)それを踏まえた上で、今度はStevenとMikaelが結成したプロジェクトについて話そう。〉

そのプロジェクトについてはずっと話し合っている。自分が次にやるのはたぶんそれだね。OPETHのこの2枚のアルバムの録音とそれに伴うツアーなどを全てこなした暁には、我々(OPETHメンバー)は各自の時間を十分とるべきだと思う。Stevenとのプロジェクトはそのタイミングでやる予定だ。Stevenには、PORCUPINE TREEの最新作(2002年の『In Absentia』)で他のメンバーが「ヘヴィすぎる」と考えたため採用されなかった曲が幾つかある。それを使って何かしらやることになるかもしれない。「Cut Ribbon」という曲とかね。Stevenはそれを自分と一緒にやりたいと言っている。まずそれから手をつけて、その後新しい素材を作ることになると思う。

〈そのコラボレーションを始動する前には、まだまだ大量のツアー予定が入っている。それが終わったら『Damnation』のためのツアーが始まるね。〉

その2つのツアーの間には2週間の休みがあって、そこで『Damnation』ツアーのためのリハーサルをやる予定だ。正直言って休みはあまりない。本当にこなせるかどうかわからないよ!(笑)アルバムを2枚作ると決めたおかげで仕事が物凄く多くなった。まず『Deliverance』のためのツアーが始まる。仕事がたくさん待ち受けているよ。『Damnation』ツアーではアルバムの全曲を演奏するし、過去曲のうちメロウなものも「Face of Melinda」「The Night And The Slilent Water」「Harvest」「To Bid You Farewell」とかね。キーボードプレイヤーも連れてくるつもり。『Damnation』にはヴィンテージ・キーボードが沢山入っているから。SPIRITUAL BEGGARSのPer Wibergと一緒にやる予定だよ。そんな感じで、メロウなものだけに絞ってやることになるだろう。言ってみれば、我々は2つのキャリアを並行して歩んでいる。エクストリームメタルバンドと、メロウな70年代プログレに影響を受けたバンド、という感じで。

〈そういう“並行したキャリア”はこれからもずっと続いていくもののようだ。〉

『Damnation』で起こったことと同じようなことが起きると思うんだよ。メインストリームの人々は、まず『Damnation』を聴き、それを気に入った後、我々が本当はエクストリームメタルバンドだと知ることになる。そして、『Deliverance』『Blackwater Park』などの過去作を買うに違いない。殆どの人がそちらも気に入ってくれることになると思うよ。ソフトなアルバムとヘヴィなアルバムを並行して作るやり方を変だと思う人もいるだろうけど、いろいろ考えてみた結果、これがとても賢いやり方だという結論に至ったんだ!(笑)単純に両方のスタイルが好きというだけのこと。それを混ぜるのに何の問題もない。問題だと思ったことがないし、OPETHのこれからの音楽について言えば、次に何が起こるかなんてわからないんだ。

Travis Smith(OPETHをはじめ数多のバンドのアートワークを担当)が『Deliverance』『Damnation』のカバーアートをやっている。この協働作業は、具体的なアイデアとともに始まった段階では、“両者にとって”明快なものでは全くなかったようだ。〉

両方のアルバムカバーについてのアイデアはこちらにあったんだ。だいたいそんなところだね。古い家具のある寝室の写真が欲しいということを彼に話した。とても暗くてメランコリックな写真が欲しかったんだ。それだけ伝えた上で彼が持ってきてくれた写真がカバーやブックレットに使われた。カバーに欲しい写真のざっくりしたアイデアだけを伝えて、裁量の余地をもたせたんだ。その上で、素晴らしい結果を出してくれた。自分は彼の視点が欲しかった。自分が与えた影響だけに基づいた視点をね!(笑)『Damnation』のカバーは『Deliverance』のそれにとてもよく似ているけど、これはもともと『Deliverance』のブックレットに使われる予定のものだった。とても良い写真だからブックレット用に留めるには勿体ないということで、カバーに使うことを決めたんだ。少し白くて明るいということを除けば『Deliverance』のカバーにとてもよく似ているね。

OPETHの歌詞やアルバムタイトルは神秘的なものばかりだけど、『Deliverance』『Damnation』というタイトルはこれまでのそれに比べ幾分直裁的な感じだね。〉

全くもってその通り。それぞれが物事の“陰”と“陽”のようなもの。それが当初のアイデアだった。オリジナルのアイデアは『Deliverance Part Ⅰ & Part Ⅱ』というもので、カバーも、片方の色調をとても暗く、もう片方をとても明るくするということを除けば、両方まったく同じようにするつもりだった。「Deliverance」という曲タイトルを思いついたとき、アルバムタイトルとしても良いと思った。この曲はこのアルバム全体の雰囲気を代表するものだ。『Damnation』は『Deliverance』と真逆なものにしたかった。友達の一人が『Deliverance』と正反対なものは何かと訊いてきたとき、それは『Damnation』だと即答したね。だいたいそんな感じ。よりメタル風なタイトル『Damnation』がメロウな方のアルバムについてるのも気に入ってる。

〈それから、『Blackwater Part』同様に、「The Master's Apprentices」(註:『Deliverance』5曲目)というタイトルは今は亡きグループ(註:同名のオーストラリア産バンド)に敬意を称すものになっているね。〉

うん。自分流のオーストラリアへのトリビュートだね。このバンドを愛しているから、何かの曲タイトルに冠したかった。彼らのアルバムはアナログ盤で3枚持っている。それを買って聴いていた頃、本当に良いバンド名だなと思っていたから、パクらせていただいたというわけだ。

〈この流れで、話は来るべきオーストラリア・ツアーの件に移る。〉

長いこと行きたかったけど私費では行けなかった場所のひとつなんだ。そこにツアーで行くというのは、バンドとして成し遂げてきた他の何よりも待ち望んできたことなんだよ。オーストラリアというのは…世界の果てみたいなもんだ!(笑)実際、OPETHを長い間待ち望んでくれているファンは多いわけだけど、オーストラリアから届くそういうメールは際立って多かった。今はパース(西オーストラリアの州都)を回ってるところで、とてもいい感じだよ。そこに行ったことがなかったことを叩くメールもこれまで沢山もらっていた。ギグそのものはこの先も良いものになると思うよ。なによりこのツアーは旅行者としての夢のようなものなんだ。この国を見て回りたいし人々にも会いたい。個人的には野生動物にも興味があるよ。サファリ観光にも行きたいね!(笑)これを特に見たいというのはない。全てを見たいから。壁を這いずる蜘蛛が周囲を観察するみたいに、全てのことに興味をそそられる。スケジュールが詰まっているから毎日飛び回ることになるね。Peter(Lindgren)はギグが全て終わったあと数日間オーストラリアに滞在することをもう決めたようだよ。自分はまだ決めていない。オーストラリア・ツアーの後に何が起こりどのくらいの時間が残るか次第だ。現地に行ったらベストを尽くさなければならないし、その上で数日余分に滞在できれば嬉しいね。メンバーはみなオーストラリアに期待しまくってるよ。





プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界:参考資料集【ゴシック〜ドゥーム〜アヴァンギャルド寄り篇】(内容説明・抄訳更新中)

こちらの記事
の具体的な内容・抄訳です。


【ゴシック〜ドゥーム〜アヴァンギャルド寄り】

Thomas Gabriel (Warrior/Fischer)関連(HELLHAMMER〜CELTIC FROST〜APOLLYON SUN〜TRIPTYKON)
CATHEDRAL
CONFESSOR
UNHOLY
THE 3RD & THE MORTAL
MISANTHROPE
MAUDLIN OF THE WELL
ATROX
RAM-ZET
UNEXPECT
AARNI〜UMBRA NIHIL
DIABLO SWING ORCHESTRA
ORPHANED LAND

(内容説明・抄訳のあるものは黒字にしています)


CONFESSORアメリカ)》


Steve SheltonBrian Shoafインタビュー(Earache)(Ivan Colonのトリビュート・ショウに前後して)
影響源:(Brian)TROUBLE・BLACK SABBATH、(Steve)TROUBLE・NASTY SAVAGE・KING DIAMOND・DESTRUCTION
(あくまで出発点とみるべき?)

デスメタル勃興期以前にスタイルを確立していた
('86年結成、'88・'89・'90年にデモ作成)
「速ければヘヴィ」というのは違うのではないかと考えていた

NC(North Carolina)(Raleigh)のシーンは小さく、大きなハコでやるのが困難だった:客の2/3は現地のミュージシャンだった

まずリフ(バッキング)が先に書かれ、Scottがそこに歌メロをつける

ヒッピー風の(Tシャツ着用でない)プロモーション写真も、周囲(の凡庸なもの)からは一線を画していようというような姿勢からきていた?

興味を示したのはEaracheとPeacevilleのみ(Metal Bladeは興味を示さなかった)

Gods of Grindツアー(欧州)は規模・待遇ともに良いものだった
NOCTURNUSとの北米ツアーは十分なプロモーションを得られなかった

BLACK SABBATHトリビュート『Masters of Misery』に「Hole in The Sky」で参加


Scott Jeffreysインタビュー(2005)
Ivan Colon:心臓関係の合併症で逝去、それにより奥さんに残った医療費を援助するためにベネフィット・ショウを開催→その手応えから活動を継続
自分達の音楽がどう呼ばれるかは気にしない(→それをふまえての『Unraveled』?)

BLACK SABBATHの音楽やALICE IN CHAINSのボーカルからは確かに影響を受けている

過去音源が再発されなかったのは、過去を振り返りたくなかったから


Cary Rowells(ベース)インタビュー('05:『Unraveled』発表前)
Ivanは7ヶ月の闘病の末逝去→妻に多額の負債→共通の良い友人が連絡を取ってきてCONFESSORの再結成・ベネフィットショウを進言→他メンバーに連絡→オリジナルメンバーのGraham Fry(3枚のデモに参加:Ivan Colonはその後任)込みでライヴ→援助してお釣りがくるほどの収益を得る→そのショウの半年後にFLY MACHINEを解散→CONFESSORとして曲作りを開始

CaryとSteveはFLY MACHINEとLOINCLOTHで常に演奏を続けていた
Brian Shoafも一時期FLY MACHINEに参加していたが、数年間演奏していなかった
ScottはDRENCHというバンドに少しの間いたが、程なくして学校に戻っていた
新曲では以前より“協働”の度合が増している
誰かが持ってきた1つか2つのリフに、ギターの2人(Brian・Shawn)と自分のうちの誰かが取り組み、それを変化させたり他のリフを繋げたりして、全体の構造を作っていく→繰り返し演奏して概形を作ったら、そこにドラムス・ベース・リードギターを加える→その上でScottがボーカルをのせる(作曲の段階で意識的にボーカルラインを書いてはいるが、Scottのインプットでそれを変更することも度々ある)
ShawnはまずFLY MACHINEのギタリストとして(長年の知り合いの中から)採用され、そのままCONFESSORに加入した

この時点では『Condemned』『Confessor』を再発する意思はなし

主な影響源はBLACK SABBATHとTROUBLEだと思うけれども、メンバーが独自に成長し相互作用を及ぼしていった部分も多いと思う:どうやってこうなったかはよくわからない
(Carolinaのシーン:CORROSION OF COMFORMITYが有名)

聴いているもの:GODFLESH『Hymns』、STRAPPING YOUNG LAD『SYL』、BLACK SABBATH『Past Lives』、OPETH『My Arms Your Hearse』、THE BLACK CROWS『Three Snakes And One Charm』


UNHOLYフィンランド)》




Jarkko Toivonenインタビュー(2008.10)

UNHOLYには沢山のファンサイトがあり、名前・別名にUNHOLYの曲名をつけている人さえいる。忘れられる心配はしていない。

UNHOLYは1988年にPasi Äijö(ボーカル・ベース)と自分(Jarkko Toivonen:ギター)により結成された。当初はHOLY HELL名義で、'89年にUNHOLYに改名する以前にデモを一枚のみ発表(『Kill Jesus』)。'90年にはIsmo Toivonen(ギター)を加えて2枚目のデモ『Procession of Black Doom』を、'91年にはJan Kuhanen(ドラムス)を加えてEP『Trip to Depressive Autumn』を発表する。両作品でアンダーグラウンドシーンで好評を得たのち、'93年にLethal Recordsから1stフルアルバム『From The Shadows』を発表。続く'94年に発表された『The Second Ring of Power』は賛否両論で、同年の遅く(12月)には解散してしまう。その後メンバーはソロプロジェクトに身を投じ、自分以外の3人は'96年の中頃にUNHOLYを再結成するが、自分は自身のバンドTIERMESに残ることになる。UNHOLYは'98年に3rd『Rapture』を、'99年にはVeera Muhil(キーボード)を加え4th『Gracefallen』を発表し、再び解散することになる。

自分は他の3人がUNHOLYをゴシカルでコマーシャルな方向に導こうとしていたことに失望し、'94年にTEMPLE OF TIERMESを結成。それが'96年にTIERMESに発展することになった。前者はソロプロジェクトで(自分が全ての作曲をこなすというわけではない)、後者は(バンドとして)パーマネントな編成になったもの。前者に比べ後者の方がより“スピリチュアル”な志向を持っていた。

初期作品に投げつけられた酷評はいまだによく覚えている。コマーシャルな音楽雑誌『Rumba』で2ndをこきおろしたライターはSpinefarm Records(当時フィンランドで唯一メタルを取り扱っていた流通業者)に勤めていた人間で、そいつがUNHOLYの作品をそこで取り扱わないよう取計らったため、ファンは輸入盤を買わなければならなくなった。一個人の好みで取扱いを禁じるなんてとんでもないことだ。それから、『Metal Hammer』も本当に酷いレビューを載せてくれたが、まあそれはレビュアーが狭量なだけで自分に責任はないから気にしていない。アンダーグラウンドシーンのファンジンでは自分達の作品は高く評価されていたし、自分はUNHOLYの音楽をコマーシャルなものにしたくはなかったから、そうしたコマーシャルな雑誌に音源をレビューしてもらうつもりなんてなかった。自分は今でもアンダーグラウンドな出版物を100%支援しているし、コマーシャルな雑誌は一切読まない。

歌詞に関しては「UNHOLYは深遠(esoteric)だ」としか言いようがない。初期の作曲者はPasiと自分で、自分が離れてからはよくわからないが、たぶんIsmo(幼少期からクラシックを学んでいた)だったかもしれない。1stアルバムの製作時、宿の横が娼家で、娼婦達からもらったドラッグで自分達はいつもハイになっていた。スタジオでキメて演奏できなくなったためプロデューサーに蹴り出されたことが3回ほどある。2ndの時はちゃんと朝来て録音して夜には帰る生活をしていた。どちらのアルバムもレコーディング&ミックスを2週間以内にやらなければなかったため、リハーサルも入念に行っていた。

確かにUNHOLYの音楽は「時代の先を行っていた」し「誤解されていた」ものだと思う。『Metal Hammer』をバイブルとしているような若いメタルファンはそこに「駄作だ」と書かれていたらそう信じるし、「クソだ」と書かれていたら買わないだろう。もっと耳の肥えた人達からは良い反応を得ていたし、さっき述べたようにアンダーグラウンドシーンのファンジンからは高く評価されていた。フィンランドAhdistuksen Aihio RecordsがイタリアのAvantgrade Music(UNHOLYの旧作を発売したレコード会社)から版権を買って再発をしてくれるなど再評価も進んでいるし、自分達に影響を受けたバンドも多数存在する。

90年代のクラブギグでは3〜6のバンドが一緒にブッキングされることが多く、その組み合わせも今のように巧みなものではなかった。また、交通費がもらえたり飲み物がタダだったら儲けものというぐらいの感じだった。自分達が良いライヴバンドだったかどうかは、モチベーションと観客の質による。自分達がヘッドライナーだった場合は観客もドゥームファンばかりでライヴもうまくいったが、自分達以外すべてデスメタルバンドだったりした場合は、観客もデスメタルの熱狂的なファンだったから、良い結果にはならなかった。

2ndはそもそもAvantgrade Music用に録音されたものだったから、再結成して3rdを発表するにあたりそこを選んだのは自然な流れだったようだ。再結成以後のことは自分は関わっていないのでなんとも言えない。

3rdと4thは商業的なアルバムで、再結成UNHOLYは1stの時とはもう別のバンドだった。1stと2ndは、オリジナルな音楽のために全メンバーが全てをかけて打ち込んだが、3rdと4thは商業的な仕上がり。これについてはこれ以上言うことはない。

HOLY HELL結成前にのめり込んでいたのは、初期CELTIC FROST、VOIVOD、POSSESSED、KREATOR、SLAYER。もちろんBLACK SABBATH(特に最初の4枚)にも決定的な影響を受けている。自分達はそういうバンドより過激でオリジナルなものを作りたかった。György Ligetiや“奇妙な”クラシックもたくさん聴いていた。

(音楽を始めた頃の?)2年間は1日12時間Yngwie Malmsteenの曲で運指の練習をしていた。Yngwieの曲は練習曲として完璧だが、そこに魂はない。





音楽的野望は今でも持ち続けている。サポートしてくれてありがとう。


Ismo Toivonenインタビュー
(2009.1.3:『Worm Gear #7』から再掲:『Rapture』発表直後?)

〈よろしく、Ismo!陰鬱なるUNHOLYがこのアンダーグラウンドシーンに帰還するのを嬉しく思います。バンドの進化をよく知らない者のために、UNHOLYにまつわる一通りの話をお聞かせ願えないだろうか。〉
わかった。長くなるけど。
休止期間のときから今に至るまで、我々のうち何人かは自分のプロジェクトを抱えている。そのうち幾つかは成功し、幾つかはうまくいかなかった。1996年の夏、自分はJanとPasiに再び一緒にやらないかと持ちかけた。Jarkkoに声をかけなかったのは、TIERMESで活動していて、Imatra(訳注:フィンランド東部の町)から遠く離れた所に住んでいたため、一緒にやろうとしてもうまくいかないだろうと考えたからだ。自分は今ではギターとキーボードを担当している。我々は新たな素材に真剣に取り組み始めた。Avantgradeに契約をもちかけ、最終的には全てがうまくいった。『Second Ring〜』を作ったのと同じスタジオで夏中レコーディングをし、今に至るわけだ。おっと、これは短くまとめた話だよ。長いバージョンは我々のウェブサイトで読むことができる。



〈バンドの発展過程初期においては、コープスペイントが演劇的な見せ方の一要素をなしていたね。これは今でもUNHOLYにとって何かしら大きな意義を持っているのかな?コープスペイントは今や何の気なしにやる流行になってしまっているけれども、それを中身のないギミックに貶めてしまっているバンドが増えていると思う?〉
コープスペイントは、我々がステージに立つときに力を与え心を尖らせてくれるものだった。自分にとってはそれ以外の意味はない。フィンランドで初めてコープスペイントをしたのはBEHERITやIMPALED NAZARENE、そして我々だったが、それからすぐにありとあらゆる類のクソバンド達が同じ装いをするようになった。コープスペイントはとてもトレンディなものになってしまったから、我々はもうやらないことに決めたんだ。

〈あなた個人としては、音楽を創るときに最も大事な要素は何だと考える?そして、そうしたことを『Rapture』で捉えることができたと感じる?このメランコリックな作品がどうやってできたのか話してくれないだろうか。〉
楽器を持って演奏を始め、何かがやって来るのに耳を澄まさなければならない。それだけのことだ。我々はいつもこのやり方で曲を作ってきた。
しかし、初期においては一人の男が全てのリフを単独で作り、それを他のメンバーに示していた。時も場所も全く異なる所で生み出されたそれらのリフを、我々が組み合わせてアレンジしていたわけだ。これだと「うーん、演奏うまいね!」と言わせるような複雑なものにはなるが、「曲」とは言えない。そこに魂はないんだ。『Rapture』ではそれとは全く異なるやり方で曲を作った。リハーサル・セッションのとき、我々はとりあえず何かしら演奏をし始め、即興をしてみる。そのなかで良いリフが生まれたら、それをときには一時間くらい演奏し続け、何か新しいことを付け加え続けていく。そして同時に、次のリフを作っていく。そうした作業に全力で打ち込み、うまく協働する幾つかのリフを生み出すことができたなら、それをテープに録音し、家に持ち帰って聴き返す。そうやって聴いてなお良いと思えたならば、それに磨きをかけていく。この作業には何週間もかかる。こうしてやっと曲というものが形をなすんだ。少数の独立したリフを並べただけのものではない。我々3人はみなこうした作業に始めから関わっている。ただ、これは現在のUNHOLYのメンバーが3人しかいないからできていることでもある。以前のUNHOLYではできなかったことなんだ。そして、こうした作業に役立っていることが一つある。我々はみな自分の担当パート以外の楽器もできるから、曲作りの過程において楽器を交換してみるようなこともできる。それが音楽に新たな色合いを加えるんだ。この新しい曲作りのスタイルは我々に新たな視点を与えてくれていて、メンバー全員が以前よりも「単なる曲の一部」以上のものになることができている。今の我々は、UNHOLYの音楽が「バンドによって作られた」ものと言い切ることができる。うん、本当に満足しているよ。

〈あなたの音楽が醸し出す、自殺を誘発するような雰囲気はどこから来ているものなのだろうか。あなたや他のメンバーは、音楽から想像されるように実際残酷なのだろうか?〉
自分達の音楽がそういう雰囲気を生み出しているとかいう話を聞いたことはないけど、あなたがそう言うのならそうなんだろう。それはたぶん、演奏する時の我々が全身で音楽に没入してしまっていることから来るものなのかもしれない。5時間もリハーサルをしていると本当に疲れる。リハーサルの時は暴れたり跳ねたりせず、ただ単に集中して、とても落ち着いた状態でやっている。それは本当に精魂尽き果てることだ。我々は家や街中では恐ろしい人間などではない。演奏するとそうなるだけなんだ。

〈UNHOLYの音楽は、非常に強力でアヴァンギャルドなスタイルを保ちながらも、メタルと分類されるべき特徴を備え続けている。デス・ダーク・ブラック・ゴシック・ドゥームメタルなどなど、あらゆるジャンル付けをされてきているけれども、あなた自身はそのうちどれが最もしっくりくるだろうか?〉
個人的には、どんな音楽であれ分類をするのは賢いことだとは思わない。そうしたことはバンドを何がしかの鎖で縛りつけ、「自分達は○○メタルをやってるんだからこれこれこんなふうに演奏しなければならない」と考えさせてしまいかねないからだ。これはそこまでよく起こることではないかもしれないけれども、そうした区別に影響されてしまう人もいるだろう。
そうした分類が良くないという理由はもう一つある。今は多くのカテゴリーがあるけれども、それは今のバンドが80年代や90年代初頭よりも個性的な音楽をやっているからだ。このままいくと、あらゆるバンドが別個の分類用語をつけられることになってしまいかねない。そういうのは実に愚かなことだ。自分達は、常にどんな分類からも自由であれるよう努めてきた。80年代後期には、デスメタルスラッシュメタル(訳注:原文は「Trash」表記だが文脈的に「Thrash」の誤記と思われる)、ヘヴィメタル、そしてCELTIC FROSTくらいしかジャンルがなかったから、話は簡単だったんだけどね。
こういう話をした上でそういう質問に答えるならば、よくわからないが「ドゥーム」と言うことになるのかね。幾分マシに感じられる。

〈UNHOLYの優れて個性的なスタイルはバンドが有名になるのを妨げていたと思う?このジャンルのファンは、新しいものに対し心を閉ざすことがあるように見える〉
もちろんだ。UNHOLYの音楽は大衆向けというには個性的すぎるものだと思う。我々の音楽を「普通の」メタルファンに薦めるのは、フュージョン・ジャズをクラシック音楽のファンに薦めるようなものだ。人々は我々のスタイルを理解できない。『Rapture』は幾分理解しやすいかな。クラシック音楽の要素が増えていて、よりメロディックになっているから。

〈『Rapture』からは、こういったジャンルに普通にある“邪悪”に叫び立てるものとか、「3人の男達がジャムセッションしたがっている」だけの典型的なものとは異なる、深い意味や目的が存在しているという印象を受けた。これは深読みだろうか?それとも実際に何か特別なものがあるのだろうか?〉
あなたは正しいよ。確かに深い意味がある。そうしたことは以前から常に在り続けていたんだけれども、最近更にはっきり見えるようになってきている。『Rapture』の歌詞は全て、あらゆるものがどこに向かうのか、ということについて人々に考えさせるために書かれている。我々は病んだ世界に生きていて、そこには「騎士道精神」や誇りのようなものは残されていない。高貴な心を持つ人々はみな何も言えない状態まで打ち砕かれてしまっていて、あらゆる自尊心は失われ、人類は自然との繋がりを失っている。そうした全てのことが人々を不安にさせる。

〈『Rapture』は過去の作品よりも遥かに成熟し陰鬱になっていると思う。キーボードやシーケンスにより描かれる折衷的な雰囲気のおかげだろうか。この楽器の重要性と、バンドにおける発展について語ってくれないだろうか。〉
先にも述べたように、我々は音楽のやり方を変えてきた。そうすることにより、キーボードをより自由に活用できるようになり、曲作りの段階でも使えるようになっている。ドラムスとベースから作業を始め、その上にのるキーボードやギターなど、必要なパートを作曲していく。キーボードのメロディが陰鬱になったのは、それが作曲されたものだからだと思う。我々はただ単に曲を「作る」のではなく「作曲する(組み立てる)」んだ。

〈こういう中庸路線が導く将来の音楽性はどんなものになると思う?〉
次のアルバムはよりメロディックでシンフォニックなものになると思う。また一方で、より陰鬱で心の琴線に触れるものになると思う。

〈『Rapture』に含まれる多様で情緒的なアイデアをみると、あなたは他のジャンルの音楽(例えばダークウェイヴなど)も深く理解しているに違いないと思える。あなたが影響を受けた他ジャンルの音楽・バンドのうち、音楽的視野を広げる助けになるものとしてお薦めできるのは何だろう?〉
我々はみな、ブラックメタルデスメタルも聴いているよ。本当に良い音楽であるのなら、それがブラックメタルだろうと機甲将軍メタルだろうと気にしない。一番大事なのは、それが機能しているかどうかということなんだ。だから、我々の音楽嗜好は我々の音楽に影響を及ぼしているんだろうけれども、その影響が具体的にどう生まれているかはわからない。我々はクラシック音楽からテクノまで聴く。(テクノはそんなに聴かないけれども、良いものならば排除しない。)自分が聴くのは、LED ZEPPELINBLACK SABBATHPINK FLOYDJimi Hendrix、SIELUN VELJET(訳注:フィンランドのバンド)、VOIVOD、CIRCLE(訳注:Chick Corea関係のフリージャズグループではなくフィンランドのバンドと思われる)、J.S.Bach、Dvorakなどなど。

〈UNHOLYの音楽背景についてはこれで理解を深めることができた。それでは、歌
詞のコンセプトについての手掛かりを与えてくれないだろうか。善と悪、天国と地獄のような概念について、バンドの立ち位置はどこにあるのだろうか?そしてそうした考えは、創作上のアウトプットと同様、あなたの日常生活においても必要なものなのだろうか?〉
自分はそういう類のことを信じない。自分の神は自分の中にいるし、誰にとっても同じことが言えると思う。

スカンジナビアのメタルシーンを見渡すと、世界的に注目を集めているのはノルウェースウェーデンだけれども、フィンランドも非常に健康的なシーンを持っている。(SKEPTICISM、IMPALED NAZARENE、UNHOLY、THY SERPANTなど数えきれないくらい多数。)ブラックメタルのムーブメントにおける犯罪的な側面はこうした状況をもたらした原因と言えるだろうか?こうした同時代の全てのことに関連して、フィンランドでも同様の有害な活動はあったのだろうか?〉
そういう犯罪的な物事は音楽に何も貢献しない。ティーネイジャーはそういうバンドが社会的権威に立ち向かったらそのぶん沢山のアルバムを買うものだけど。幾つかのバンドは実際にそれをやったし、そういうバンドがいなければシーンの形は今とは違っていただろう。しかし、我々がそうした活動を支持したことはない。

フィンランド人として、自分はいつも、フィンランド人とスウェーデン人が強く反目しあうのは何故だろうと不思議に思い続けてきた。このことについて何か考える手掛かりを与えてくれないだろうか。〉
フィンランドに少数のスウェーデン人が住んでいること、そしてフィンランド人が学校でスウェーデン語を学ばなければならないということが原因なのではないかと思う。殆どの人は一生スウェーデン語を使わないが、それでも学ばなければならない。スウェーデン人はフィンランドで、人数の少なさのわりに巨大な権力を持っている。こうしたことが、スウェーデン側にとっても憎しみを抱く原因になっているのではないかと思う。一つの考えであり、本当かどうかはわからないけれども。

〈アルバムが発売されたわけだけど、これに伴うツアーはあるのかな?バンドにとってライヴで演奏することはどれだけ重要?UNHOLYのライヴではどんなことが期待できる?〉
たぶんツアーはないと思う。メンバーが3人しかいなくて、キーボードプレイヤーと女性シンガーなしでギグをする理由が見出せないからだ。ギグをするには少なくともあと2人のメンバーを集める必要がある。ただ、それは不可能ではない。良い申し出があれば全てがうまくいき、再び喜んでライヴをやることができるだろう。

〈Ismo、こんな膨大なインタビューに取り組んでくれて本当にありがとう。あなたの行く先が順風満帆でありますように。UNHOLYの新しい音源を聴けて良かったよ!何か最後にコメントなどあるかな?〉
この手の質問に答えることができて嬉しかったよ。こんなに知的なインタビューを受けたのは初めてだった。
最後に付け加えるなら:
“A Thought Unchained,
Unpredictably Drifting In Wider Spaces, 
Beyond The Limitations Of The Spirit Of Time…”


Ismo Toivonenインタビュー(1998.1.9:『Gracefallen』録音作業中)

〈『Rapture』はアルバム全体として形容するのが幾分難しい作品だ。いわゆる葬送ドゥーム(dirgeful doom)とかミドルテンポのドゥーム〜デス、女性ボーカルのいるドゥームとか言われるようなものではあるけれども。あなた自身はこれをどう形容しますか?〉
ひとこと「UNHOLYの音楽」だ。他の言い方で表す必要はないと思う。ドゥームメタルデスメタルブラックメタルといった用語を人々は使いたがるものだが、自分はそれを好まない。『Rapture』を聴く人は、それがそういった普通の用語で形容するのが難しいとわかるだろう。だから個人的には、単に「UNHOLYの音楽」とだけいうのが適切だと思う。

〈それぞれの曲のスタイルが大きく異なっているのはどういうことだろうか?〉
いろんなタイプの曲を作るのは気晴らしになる。10年も同じようなやり方を続けていたら、全曲が同じような音になってきてしまうからね。そして我々は、音楽的変化をして違ったことを試すよう常に努め続けている。そうすることにより物事全体が興味深いものになるからだ。
次のアルバムについていうと、みんなが知っているスタイルとは再び大きく違ったものになると思う。わかっているとは思うけど、一番大事なのは感情なんだ。そして、音楽的な特徴が作品ごとに変わっていったとしても、感情は常に同じように保たれる。

〈曲作りはどういうふうに行われるのだろうか。UNHOLYの曲の構造は(良い意味で)普通のものとは大きく異なる。〉
普通ってどういうことだろう?

〈サビのある4分くらいの曲のことです。〉
なるほど。いいかな、自分達は普通のやり方で曲を書いていると思っているんだ。やり方は主に2つある。一つは、ただ単にリフを書き、それを繋ぎあわせるということ。そしてもう一つ。自分としてはこっちの方が興味深いやり方だと思う。とりあえず演奏を始め、即興をして、そこから一つ二つの良いリフを作り出す。それから、そのリフを演奏し、あらゆる類の改変を施して、先に述べた「古いやり方」でやるよりもうまく機能し合う、複数の良いリフを手に入れるんだ。この新しいやり方がバンドの中で用いられる機会はどんどん増えてきている。『Rapture』収録曲のうちのいくつがそうやって作られたか覚えていないが、次のアルバムの曲は半数以上がそのやり方で書かれている。しかしもちろん、曲作りのやり方はもっとたくさんあるし、自分達としてもこの2つのやり方の間にあること全てをやっている。全ての曲についてその状況は異なるから、我々の曲作りが何か特定の定型に基づいてなされていると言うことはできない。他にこういうやり方もあるよ。Pasiや自分がだいぶ前に作ったリフを演奏し、即興を交えて新たなパートを付け加えていくというものなど。

〈アルバムの曲順に論理的な連続性はあるのだろうか?つまり、例えば、好ましい女性ボーカルの出てくる「For The Unknown One」の次に「Wunderwerck」のように殺風景な曲が来る、ということに特別な意味はあるのだろうか。〉
論理的な連続性はある。ただ、それはアルバムの曲順についてのことではない。各曲の「芸術的な」連続性についてはUNHOLY公式ウェブサイトの歌詞のページに書かれている。(インタビュアーによる補足:トラック番号でいうと6・5・3・7・1・4・2・8の順に並んでいるとのこと。)歌詞はある種の物語のようなものを表しているんだけど、それを理解するのは容易ではない。順番通りに鑑賞しても殆どの人は理解できなかっただろうから、曲をその通りに並べるのはやめた。単純に音楽的に一番うまくいくように並べたんだ。このことについて聞いてきたのはあなたが初めてだよ。「For The Unknown One」が3曲目にある理由?わからないな。もしかしたら『The Second Ring of Power』の3曲目にも女性ボーカルがあるからかな。ハハ!

〈Veera Muhilが「For The Unknown One」に参加した経緯はどんなものなのかな?〉
あなたが具体的にどういうことを聞きたいのかわからないな。自分は彼女のことを知らなかったけど、Pasiが彼女は良いシンガーだと知っていたんだ。それで我々は彼女にアルバムで歌ってくれないかと頼んだ。彼女はそれを受けてくれて、その曲のためにメロディを作ってくれた。その結果に大満足したから、彼女は今ではパーマネント・メンバーになっている。新作でも半分の曲で歌う予定だよ。

〈「Wunderwerck」は長いアコースティック・セクションを含む15分にわたる大曲で、アルバム全体の特徴をよく表すものだと思う。これを作っているとき、どれだけ長いものになるんだろうと悩まされたことはなかったかな?〉
いや。曲を作るとき、それがどれだけ長くなるのがいいかと考えることはない。曲が仕上がり、あるべき要素が全て備わっているのであれば、自分達はそれをチェックして「おお、15分か。わかった。」と言うだけだ。「これは長すぎないか?短すぎないか?」などと考えながら曲を作り始めると、大きく誤った方向に進んでしまうことになる。そうやって作った『Rapture』はもっと長いアルバムになる可能性があったんだけど、全曲のミックスが終わった段階で、最も望ましい形で活かすことができないとわかった1曲を外すことになった。しかし、その曲はさらなる変化を遂げていて、次のアルバムに収録される予定だ。全てがうまくいけば、前作より長い70分ほどの作品になるはずだけど、そのことについては何も心配していない。

〈奇妙な「Unzeitgeist」はどうやってできたのだろう?〉
これはUNHOLYが解散していた時期に自分が書いた曲で、一緒に演奏したJanは良い曲だと言ってくれ、バンドの活動が再開した時にも覚えてくれていたため、UNHOLYの曲として使うことに決めたものなんだ。「Wretched」にも同様の経緯がある。解散中に自分がシーケンサーで書いた曲で、復活後にアレンジしなおして使ったんだ。

〈あなたにこれほどドゥーミーな曲作りをさせているものは何なのだろう?〉
自然そのもの。自分達のまわりにあるもの全て。フィンランド人であるということ。そんなところだろうか。数百万はあるだろう理由のうちの一つや二つを挙げることはできない。これは「なんであなたは生きるのか」というのと同じような質問だよね。

ドゥームメタルのシーンに属しているという意識はある?〉
いいや。自分達の音楽はそうしたものとは大きく異なると思うから、その言葉は好まない。時には自分から「ドゥームメタルをやっている」と言うことはあるけれど、他の音楽、例えばパンクやクラシック音楽よりも自分達の音楽に近いからそう言うだけのことで、自分達の音楽そのものではない。そして、次のアルバムを聴いてなお「ドゥームメタルだ」と言う人がいたならば、それは自分にとって著しく心外なことだ。何か新しい言葉を探しておいてほしいね。

〈何かしら関わりあいのあるドゥームバンドはいる?〉
殆どいない。ただ、SKEPTICISMの歌詞を読んだとき、我々と考え方が非常に似ていると気付かされた。音楽的には異なるものだけれども(彼らの音楽の方がシンプルで遅い)、音楽の根本となる感じ方の部分では共通するものをもっているのだと思う。彼らによろしく!

〈他のアヴァンギャルドなバンドについてはどう思う?〉
あまり数を聴いたことはないが、幾つか前途有望なバンドがいる。KATATONIAは好きだと言わなければならないな。初期の音源と新作(『Discouraged Ones』)から1曲聴いただけだけれど。(訳注:KATATONIAの前身バンドは'87年から活動していて、前身バンドの活動開始が'88年であるUNHOLYよりも歴史は古い。)彼らは非常にシンプルなやり方でうまく語る方法を心得ている。

〈UNHOLYについて、今後の計画は?〉
まだない。新作を完成させなければならないからだ。できれば年末、遅くとも来年('99年)の1月か2月までに発表することになると思う。
(訳注:実際の発売日は1999.7.12)
録音が終わったら、冬の間に何度かギグをやり、アルバムの発表後には更に活発にギグをするつもりだ。今はブッキング・エージェントを探しているところ。フィンランド国外でのツアーを自分達の手で組むのは難しすぎるからね。

〈読者にむけて言っておきたいことはあるかな?〉
次のアルバムを待っていてくれ。気に入るかもしれないし、気に入らないかもしれない。自分は気に入っているよ!



解散の原因は複数ある。まずはじめに『Gracefallen』('99年発表)の商業的失敗。自分はこれが最高傑作だと思うのに、売上は過去最悪だった。古くからのファンにはトレンディ過ぎる一方、メインストリームのアルバムとしては、そしてバンドをメインストリームに押し上げるためのアルバムとしては、十分にトレンディな仕上がりではなかったのだ。自分達は、いや、「自分は」と言うべきか、アンダーグラウンドなバンドであることにうんざりしていた。アンダーグラウンドシーンに繋がるあらゆることが嫌なんだ。劣悪なプロダクションやアレンジ、馬鹿らしいブラックメタルの歌詞や酷い音楽、ブラックメタルなどなど。『Gracefallen』は『Rapture』('98年発表)や他の過去作品と比べるべきアルバムでない、ということは理解されていない。新たな方向性の音楽だったのだ。だから『Gracefallen』は売れなかった!

別の問題点は、ギグをするにあたってのことだった。メインストリームのオーガナイザーからすると我々は無名すぎて、誰もギグをして欲しがらなかったのだ。そしてその一方で、自分達自身としても、無料で・または交通費のためだけに演奏するのにうんざりしていた。(これはアンダーグラウンド業界では普通のことなんだ!)我々の音楽は注意力や準備を要するもので、無料で演奏するのは割に合わない。良いショウと良い音楽を観衆に提供するためには、音楽だけで食っていかなければならない。メンバー全員が普通の仕事をしていなければギターの弦やドラムスティックも買えないという状況では、立ち行かないわけだ。

そして3つ目の問題点。我々は『Gracefallen』がいわゆる「メジャーレーベル」と繋がりを持てるくらい優れたアルバムだと考えていた。大きなレーベルの宣伝力を獲得し、ギグの機会を与えてくれる作品のはずだった。しかしそれは見込み違いだった!このアルバムを考えられる限り全てのレーベルに送り、そしてそのうちのたった1社との交渉が始まった。(訳注:バンド公式HPによるとRelapseだったようだ。)我々は全てが順調に行っていると思い、このレーベルと連絡を取ることにした。それはもしかしたら今でも続いているのかもしれないな。よくわからないけど!交渉はとにかく長引き過ぎた。1年半が経ち、我々はもうたくさんだと考えた。そういう労力こそが求められていたのだとしたら、もう結構ですと言う方がいいだろうね。

こうしたことの全てが我々の創造性に悪影響を及ぼした。単純に言って、音楽以外の件で悩まされることが多すぎた。バンドの魂がすり減らされてしまったんだ。我々は『Gracefallen』も含む過去作品の全てと完全に異なる音楽性の曲を5つ完成させていた。これは過去最大のスタイルチェンジで、新たなスタイルは非常に個性的なものだったから、我々は契約の話に大きな希望を抱いていた。物事が誤った方向に進んだ後の失望が巨大なものになった背景には、こういう理由があるんだ。

こうした全てのことを踏まえ、我々は解散するしかなかった。我々には音楽の世界に与えられるものがあったけれども、それを成し遂げるチャンスが得られなかったわけだ!

(UNHOLYは実際に一度でもライヴをしたことがあるのかという質問に対し)
90年代のはじめ何年かはフィンランドでライヴをしていた。『Gracefallen』の後にも再びライヴをするべきだった。しかし、何年か前に雇ったブッキングマネージャーは一つもライヴを決めてくることができなかったので不要になった。また、一方で、マネージャーなしでライヴの機会を得ることもできなかった。というように、何度かライヴをしたことはあるが、決して多い回数ではなかった。

はじめの活動停止('94〜'97)と今回の解散との間には似た点が幾つもあるが、状況は全く同じというわけではない。'95年のときは、Jarkkoがアルコール問題を抱えていて、音楽やリハーサルへの興味を欠いていた、というのが活動停止の主な原因になった。今回はそういう問題はない。しかし、失望したというのは大きな共通点ではある。

(UNHOLYのメンバーが別名義で音楽をつくる計画はあるかと問われて)
はじめの活動停止期間中の'95〜'96年にはプロジェクトを抱えていたし、今もやはりプロジェクトに関わっている。違いと言えば、家庭や仕事などで時間がなく、活発に活動できないことかな。Pasi(ベース・ボーカル)とJade Vanhala('99年から参加したギター)は何かしらやっているようだが、自分はよく知らない。自分は、Janや数人の友人と'95年から同じプロジェクトをやっているが、Jan(ドラムス)は勉学の方でやることが多いので、現在は参加していない。

(何カ月・何年かしてUNHOLYの音楽が受け入れられやすい状況になったとき、あるレーベルが未発表の録音済アルバムの発売をオファーしてきたとする、そうなったらUNHOLYが再結成するという可能性はありうるか?という質問に対して)
起こりえないことなんてないよ!けれども、正直に言うなら、時間が経てば経つほど再結成の可能性は少なくなっていく。我々は“普通の生活”に日々忙殺されるようになっていて、仕事や家庭を持ち歳をとっていくと、再び活発に活動するのは難しくなっていくんだよ。でも、絶対にないとは言い切れない。あればいいな。

(UNHOLYの音楽は個性的で特別なもので、特定のシーンへの帰属意識があったとは考えづらいんだけれども、アンダーグラウンドシーンの他のバンド・アーティストとの交流や、何かのジャンルに属していたという意識はあったか、という質問に対し)
たとえばSKEPTICISMやESOTERICのようなバンドとは交流があったし、少しは考えを変えていくこともあった。しかし、自分は新たな交流をもち続けるのには消極的で、非社交的とか世捨て人とかみられるような質であり、シーンの一部に属するような些事よりも音楽に集中するのを好む。自分やUNHOLYが何らかのシーンに属していたと思ったことはない。シーンに関わるそういった物事は、音楽に集中することを望まない・集中することを必要としない奴らのためにあるものだ。UNHOLYのやる音楽は包括的なものだから(訳注:過去形でなく現在形で発言:未練が伺えなくもない)、社交を続けたりシーンに関する物事について考えたりする余地はないんだよ。

今のメタルシーンに興味はない(アンダーグラウンド・メインストリームを問わず)。現実問題として、自分は音楽そのものをあまり聴かないし、聴くならメタルよりロックを選ぶ。今のシーンには興味を惹くバンドがいない。

(Veera Muhil(『Gracefallen』のキーボード&女声)のボーカルについては賛否あるが自分はUNHOLYに完璧に合っていたと思う、解雇の理由は何だろうか、と問われて)
彼女は自分が完璧で天才なのだと過剰評価していた。確かに才能はあるが、十分に練習をしなかったためそれを使いこなすことができなかった。そしてそのために、彼女は2つのギグとスタジオ入りの時間2日分を台無しにしてしまった。練習不足と、音楽に対する間違った姿勢のせいで。
自分は本当に欲張りなミュージシャンで、一緒に演奏する相手には「良い」かそれ以上のものを求める。例えば、Veeraは教育を受けたピアニストで、実際非常に上手くピアノを弾いた。だから自分は『Gracefallen』のピアノパートについても上手くやってくれるだろうと考えた。彼女は「全てOK、覚えた」と言ったが、スタジオに入ってみると全てがいい加減で、しまいには依頼したパートの多くを自分が弾くハメになった。これは時間の無駄だったし、自分はそういうのを好まない。この「大先生」がはじめから出来ないと言ってくれれば、教える手間を省き自分で弾くようにした。そして自分はピアノを学んだことががないと気付かされることになっただろう!

Veeraは、『Rapture』(3曲目「For The Unknown One」にボーカルで参加)のようなプロジェクト(≒ゲスト出演)では良かったけれど、バンドに対して心も体も捧げる能力はなかった。エゴが大き過ぎるんだ。それがVeeraの最大の問題点だ!

(未発表のアルバムではゲストボーカリストを複数起用していて、それがレーベルにとってのリスクになったためお蔵入りになってしまった、という話を“内部事情に詳しい人”から聞いたのだがそれはどういうことなのか、と問われ)
そのリスクというのはよくわからない。我々の音楽はロックミュージックとジャズボーカルを組み合わせたようなもので、憂鬱で奇妙ながらロックしてもいるものだ。ゲストボーカリストの件は『Gracefallen』ほどリスキーなことには思えない。問題は音楽ビジネスのもっと根深いところにある。
未発表音源ではVeeraと全く異なる女性シンガーを起用している。彼女は教育を受けていて、自分の声をどう扱えばいいか心得ており、我々の音楽にジャズ的な雰囲気をもたらしてくれた。サウンドは過去の作品と比べて軽く、ディストーションギターよりもアコースティックギターの方が大きな役目を果たしている。これでいくらか想像できるんじゃないだろうか。

(Avantgrade MusicのRoberto Mammarellaが以前このサイトの取材に応じたとき言った「UNHOLYは、価値はあるけれども非常に高くつくバンドだ。音源は素晴らしいが、売上は新作を出すほどに減っていき、それなのに予算のほぼ倍額を要求する。彼らは、絶対にメジャーレーベルの契約してやると言っていた…ミュージシャンというのはナイーヴで浮世離れしたものだ。実際問題として、2年以上経ってどことも契約していないじゃないか。」という発言の論点は理解できるか、それに同意するか、と言われて)
その通り、ドゥームメタルは製作費用が高くつく音楽だ。速く演奏するよりも遅くやる方が難しい。それが現実だ。自分はある種の完璧主義者で、酷い演奏をするのに耐えられない。『Gracefallen』を聴けばそれがわかるはず。自分の弾いたギターやキーボードには一音の間違いもない。METALLICAのブラックアルバムのように全てが完璧に演奏されている!付け加えるなら、我々は、METALLICAがブラックアルバムのギターサウンドを求めて費やしたのと同じくらいの時間を、ギターパートの録音にかけていた。これが質問の答えだ。Avantgradeや他のレーベルがこれだけ完璧なサウンドをより安く作れるというのなら、こうした発言については謝るけれども。

(型破りなサウンドをもつアンダーグラウンドなバンドが浅薄で大量生産にまみれた世界で生き抜く術はあるだろうか、この先インターネットはそういうバンドの宣伝に役立ちうるか、UNHOLYのような妥協しないバンドと契約するような勇気のあるレーベルはまだ残されていると考えているのか、と問われて)
そんな非商業的なレーベルは存在しないよ!彼らは生きるために仕事しているんだ。それは簡単に受け入れられる。ただ、バンドも「生きるために仕事している」とは誰も考えないだろう。バンドが商業的な音楽を演奏するのは悪しきことだけど、レーベルが商業的な音楽を発売するのはそんなに悪いことではない。

芸術がこの世界で生き残るための方法についてこのところよく考えるけれども、自分の意見はまだまだ未熟で、こうした問いにうまく答えることはできない。

(UNHOLYの音楽は非常に不可思議かつ型破りなもので、殆どの聴衆がこうした“難しく”馴染みのないスタイルに接するには早すぎて、それがバンドの崩壊を招いたのだと言っても間違いではないだろう。こういう結果を知った上で全てを始めからやり直せるとしたら、もっと“直接的”で“型にはまった”曲を作ったり、以前よりもしっかりシーンに属するようにしただろうか?という質問に対し)
音楽的なことに関しては一切変えるつもりはない。違ったやり方をとるとすればそれはただ一つ、宣伝にもっと力を入れるということだ。ガレージ・バンドとビッグなバンドを分かつのはそれだけだ。宣伝、そして出版やTVを操る手腕は、バンドの行く末の50%以上を決定付ける。
そうしたことは我々の音楽に影響を与えるだろう。そもそも音楽に集中し相当の時間をさいていたからだ。だから、こうした宣伝活動のために音楽は幾分シンプルになるだろう。意図的ではないにしろ。「有名なバンドは自覚的に商業的な路線を歩む」と多くの人々が考える理由はこういうところにあるのかもしれない。そうしたバンドは、“音楽以外のこと”に煩わされる時間が単純に非常に多いわけだ。

(UNHOLYのオフィシャルHPには、解散発表の他に、KaZaA(訳注:ファイル共有ソフト)を通して未発表トラックの入手が可能になっているという情報も載っていたのだが、我々はその痕跡を見つけることができなかった。発表直後には手に入れることができたのだろうか?そしてそれは、リハーサルトラック、未発表音源といった、今後リリースする予定のものだったのだろうか?という質問に対し)
「Gone」という未発表音源(ミックス済だがマスタリングはされていない)があった。数年前に録音されたのちアルバムには収録されないままでいたもので、(先述の)“新しいスタイル”ではなく、『Gracefallen』に近いものだった。
他の音源は既発のアルバム曲で、まだ入手可能なはず。入手できない理由はわからない。音源の殆どは自分のPCに入っていて、その電源が入ったときのみシェアが可能になる。音源を探すのが難しい理由はそれかもしれない。ただ、ダウンロードする人が増えれば増えるほどKaZaAでの検索に引っかかりやすくなるので、そうしたことが何かの役に立つかもしれない。音源を探すにあたって問題を抱えている人がいれば、自分に連絡してきてほしい。解決できるよう試みるから。

(UNHOLYはアンダーグラウンドシーンに確かな足跡を残したけれども、あなた自身はバンドについてどう回想するか、バンドはどういう地位を目指していたのだろうか、と問われて)
10年20年して人々が自分達のことを思い返してくれれば幸いだ。商業的なバンドは他のものと似たり寄ったりだから10年も経てば忘れられてしまう。自分の夢は、オリジナルで長く記憶される音を作ることと、10ヶ月になる娘が、メタルミュージシャンとしての自分を将来誇りに思ってくれる、ということだな。

UNHOLYの音楽は「幸せ」に対する反抗だったのかもしれない。人は幸せになれない、というつもりはないよ。信じられるかどうかはわからないが、自分も幸福を感じる時がある。自分が言っているのは、人は人生がもたらす好ましくない感情を忘れたり無視することができない、ということだ。メインストリームのポップミュージックにおいては、愛や幸せ、友人や神、セックスや家庭といったことが歌われる。UNHOLYはそういう果てしない幸せの表現に異議を呈するものなんだ。UNHOLYの音楽が人生のそういう(好ましくない)側面について思い起こさせるものであり続けるよう祈る。

インタビューしてくれてありがとう。自分達のことを記憶し続けてくれるファンのみんなにも感謝する。そういう人達が少ないのは残念だけど、それはあなた方のせいではない。ありがとう!


Jan Kuhanen・Ismo Toivonenインタビュー(2012.1.18:2nd再発に際して)

〈今『The Second Ring of Power』を振り返ってみてどう思う?なんというか、二度目の脚光を浴びることになるわけだけど。〉
Jan:我々のアルバムは全て再発されている。『Second〜』も例外ではないということさ。それから、1stを除く全てのアルバムにボーナストラックがある。
Ismo:(インタビュアーに向かって)たぶん他作品の再発を知らなかったと思うんだけど〈インタビュアー「そうですね」〉、それなら読者も同じかな〈インタビュアー「今知ったでしょう」〉。この前の春、我々のデモがRusty Crowbarからアナログ再発された。それに続き、アルバムがPeacevilleから再発されたんだ。理由は単純。アルバムが全て廃盤だったからだ。Avantgradeは再プレスをしたがらず、版権をPeacevilleに売った。それで物事が動き始めたんだ。デモ再発の企画は古くからのファンへのプレゼントだね。デモテープを買いたいという人々がいたけど、自分達は在庫を持っていなかった。だから、Rusty Crowbarが再発を持ちかけてきた時、それを受け入れた。Rusty Crowbarは32ページのヒストリー冊子を印刷し、それをデモにつけてくれた。全“オリジナル”メンバーの最新インタビューに基づく、望みうる限り最も完璧なUNHOLYの歴史が載っている。

〈『Second〜』のカバーアートが変わった理由は?他の再発はそのままだったと思うんだけど。〉
Jan:原版はボロボロになっていて修復も不可能だったから、新しいカバー・レイアウトを用意しなければならなかったんだ。

〈「フューネラル・ドゥームを確立したのは誰か」ということについては幾つもの意見がある。あなた方はどう考える?〉
Jan:くだらない…それは本当に大事なことなのかな?たぶんBLACK SABBATHだろうよ。

〈THERGOTHON、SKEPTICISM、UNHOLYといったバンドが同じ国で同時期(訳注:それぞれ'90年・'91年・'90年(前身は'88年)〜)に活動を開始したことに特別な意味はあると思う?この3バンドは似た特徴を持っている。特に、遅く葬送的なリズムスタイルとか。〉
Jan:そんなこと全く考えたことないよ。THERGOTHONとSKEPTICISMには共通点が多いと思う。ある種のやり方を極端に突き詰めている。しかし、我々はそれらとはどこかしら異なるものだったし、自分は彼らとの間に強い精神的結びつきを感じたことがない。UNHOLYのもつ狂気はその2バンドからは見出せない類のものだ。それぞれが別の方向性で極端なものなんだよ。

〈曲想の源について教えてくれないかな?「Neverending Day」や、それよりストレートなタイトルトラックなどについて。〉
Jan:タイトルトラックはC.Castanedaに想を得たものだと思う。Jarkkoがよく読んでいて、曲名もそこから来ている。シャーマニズムとか、世界の狭間に存在するものについての曲だ。「Neverending Day」は…全く思い出せないな。

〈雑誌(訳注:ファンジンのこと?)では、UNHOLYはドゥームメタルというよりブラックメタルに分類されることが多かった。実際ブラックメタルの要素はあったのかな?あるとしたらどのくらい深いものだった?〉
Jan:バンドの初期、1990年代のはじめに、コープスペイントをしていた頃があった。(それを見た)多くの人々が我々をブラックメタルバンドだと思い、そして深く失望していった。自分達(の演奏スタイル)は全然速くなかったからね。確かにブラック的な要素はあったし、メタルでもあったけれども、自分はUNHOLYをブラックメタル扱いしようとは思わない。どんな状況においてもだ。我々の魅力は全く別の世界から来たものなんだ。
Ismo:我々は特定のジャンルをやろうとしたことはない。単に演奏するだけだ。それをジャーナリストがドゥームメタルとかブラックメタルとか呼ぶだけだ。そんなことは本質的な問題ではない。CANDLEMASSのような古くからいるドゥームメタルバンドと比べると自分達の音楽は著しく異なるスタイルを持っているから、「UNHOLYにはブラックメタルの影響がある」と考える人がいる、ということなのだろう。滑稽なことだ。我々はブラックメタルなんて聴いていなかったんだから。

〈自分はUNHOLYの容易に分類できない所が好きだ。超ドゥーミーな曲のなかに和声的なリードパートとかファンク的なベースを組み込んでいたりする。なんというか、VOIVODを極限まで遅くしてヘンな形に変えてしまったというか。どう思う?〉
Jan:そうかもね。最近Jarkkoが言ってたんだけど、当時はCELTIC FROSTよりもヘヴィで風変わりなことをやるのが目的だったようだ。難しいことではあるけれども、彼がUNHOLYで成し遂げようとしたのはそういうことだったのではないかと思う。
Ismo:我々は、自分達が良いと感じる音楽をやっていた。特定のカテゴリーやジャンルに縛られたくなかったんだ。だから、曲のスタイルはとても多様なものになった。『Rapture』収録の「Into Cold Light」と「Wretched」、『Gracefallen』収録の「Haoma」と「Athene Noctua」を比べればわかるだろう。15分ある「Wunderwerck」では一曲の中でそうした多様な要素を聴くことができる。

〈UNHOLYの後に出てきたバンドについてはどう思う?DOLORIAN、後期COLOSSEUM、ESOTERIC、AHAB、そしてその他の、UNHOLYの音楽的要素を受け継いだ数え切れないくらい多くのバンドについて。〉
Jan:その中ではESOTERICしか知らない。印象的なバンドだ。でも、模倣は誰もがすることだよ。意識的にしろ無意識的にしろ。自分達もそうしたし、誰もがやっていた。だから、自分達の音楽をもとに独自のものを作り出したり、自分達の音楽から着想を得たりした人がいてくれたなら、それはとても素晴らしいことだ。自分達も他の人達から着想を得たんだから。
Ismo:自分はいままであまりメタルを聴いてこなかった。Jarkkoは以前「それは他のバンドから影響を受けないようにしているんだな」と言っていた。しかし、自分としては、単に興味を持てなかっただけなんだ。他のジャンルはもっと興味深かったし、そうしたジャンルから得られた要素を統合することで、音楽が豊かなものになった。UNHOLYとはそういうものだったんだよ。根本的には。

〈UNHOLYには2つの時期があると思う。『Rapture』以前と『Rapture』以後。あなた方自身もそういう区分をするのかな?〉
Jan:その通り。最初の2枚のアルバムは、4人の若く怒れる男達が蒸気を噴出するものだった。対して、後の2枚のアルバムでは、3人の男達が黒い霧と魂を吐き出していた。それが違いだよ。
Ismo:曲の書き方が『Rapture』で大きく変わったんだ。(Jarkko以外の)3人でただジャムセッションをして、即興から音楽を構築する。はじめの2枚のアルバムは、もっとリフが土台になっていた。まずリフを作り、それを繋ぎ合わせて曲にする。これはとても“怒った”音楽だった。生々しく原始的で、病んでいる。後の2枚の曲は内部からしっかり結合されていて、純粋な感情と共感に突き動かされていた。テーマは「日常生活の観察」というようなものであり続けたわけだけど、後の2枚では物の観方が深く成熟していて、「一つの真実を主張する」だけのものではなくなっていたんだ。

〈さて、2012年にはUNHOLYがライヴのために再結成するのではないかという話がある。これは本当?それとも誤り?〉
Ismo:両方さ!まず本当のことについて。やっとリハーサル場所を見つけ、オリジナルのラインナップ(ギター2人・キーボードなし)で一緒に演奏し始めた。これを何週間か続けている。次の夏にはライヴをやるつもりだし、もしかしたら新しい音楽もできるかもしれない。次に誤りについて。物事が計画通りにいかない可能性は常にある。我々はここ10年間一度のリハーサルもしてこなかったんだ。必要な機材(アンプ・エフェクト・PAなど)を誰も持っていないから、まずはそれを手に入れないといけない。そして、我々はお互い数百キロメートルも離れた所に住んでいる。全員をImatraに集めるためにはどう計画を練ればいいのか、などなど。不確定要素はたくさんあるし、これから数ヶ月のうちにそれはさらに増えるだろう。だから、再結成についてはまだ話さないでおこう。でも、次の夏にはファンやギグ・オーガナイザーを驚かせたいものだね。


MAUDLIN OF THE WELLアメリカ)》


Tobias Driverによる回想(2005)

〈『Bath』再発盤:Blood Music 2012.4.13に掲載〉

1992年のこと。高校生活が始まった。Jason Byronと私は互いに通りを隔てた所で暮らし育った間柄なんだけど、初めて出会ったのはスクールバスの中だった。義務過程の宗教(カソリック)の授業で隣同士の席になった私達は喧嘩をしてしまい、私は別の宗教の授業を受講するようになった。そこで後ろの席になったのがGreg(Massi)で、私の肩を叩いてくれてメタルの話をするようになった。友情の始まりだ。

それから2年間は、私もGregも単独で宅録をしていた。Gregと初めて共同作業したのは1994年の「Uncovering the Gift」だね。Byronとは同年に発表された彼の『Twisted Chsistmas Tales』で少し共同作業し、GregとByronも1995年に出たEPで一緒にやった。その上で、単独でのレコーディングも続いていた。私の名義はSPOONION、ByronのはBUTTKEY、GregのはBALISETといった。1995年になると、Gregと自分はCELESTIAL PROVIDENCEというバンドを結成し、そこにはChris KorzinskiとDavid Waters(Jason Bitnerの兄弟)も参加していた。CELESTIAL PROVIDENCEは混じりっけなしの霊的メタルバンドだった。何曲か書いてリハーサルもしたけれど、レコーディングやギグをすることはなかった。私はDavidを通してJason Bitnerに出会った。

当時、Byronと私はTIAMATの『Wildhoney』(1994)を繰り返し聴き、それを霊的プロジェクトに適用しようと試みていた。我々は何十ものバンドのCDを買ったけれども、『Wildhoney』のような音やアルバムカバー、曲タイトルは、TIAMATの他のアルバムも含め、一つも見つけることができなかった。我々は、自分達が買ったそういう音楽に『Wildhoney』的な要素がどうして無いのだろうということや、自分達がバンド音楽に求めるそういう要素を自分達自身の手で作るのはどうだろうか、ということを話し合った。そうして私達は、『Through Languid Veins』(1stデモ:1996年発表)をGregの4トラック機材で録音した。Gregはギターソロのみで参加した。我々は17歳のときにGregの家の地下室でバンド名(MAUDLIN OF THE WELL:以下motW)を決め、このバンドを結成した。『Through Languid Veins』がレビューを書いてもらえたのはこれまで一度だけだね。それはInferno Webzineに掲載された。自分はこのデモを30部用意し、友人達、そして不特定多数の相手(MY DYING BRIDE関係のメーリングリストを通して繋がっていた人々)に送りつけた。1学期(年間2学期制のうち)が経った後、幾つかの新しいデモを4トラック機材で録音した。そこにはJason Bitnerもトランペットで参加していた。それらは後に再録音され、『Begat of the Haunted Oak… An Acorn』(2ndデモ:1997年発表)にまとめられた。

ハンプシャー大学(アメリカ・マサチューセッツ州アマーストにある単科大学)では、Andrew Dickson、Terran Olson、Josh Seipp-Williams、Sky Cooperに出会った。AndrewとJoshと自分はCAPTAIN SMILYというバンドをやっていた。ハンプシャー大学には小さなレコーディングスタジオがあり、音楽を専攻している者は制限付きでいつでも使うことができた。Andrewは幾つかの新曲(『Begat of the Haunted Oak』に収録されることになるもの)でドラムスを叩いた。GregとByronも週末に訪れ、彼らのパートを録音した。我々はこれを完成されたアルバムとみなした。私は気が乗らない勉強を続け、Gregはこのアルバムからオーディオ・サンプルを幾つか作ってネットにアップした。The End Recordsを設立したばかりのAndreas Katsambasは何らかの方法でこのアルバムを聞いたようで、全曲再録音した上で発売しないかと打診してきた。私は『Begat〜』の大変な作業を今さらやり直したくはなかったので、その時は再録音しようという話に乗らなかった。学校生活が続き、『Begat〜』のことは多かれ少なかれ忘れていった。

そのあと私は、Andrew、Terran Olson、Jeff Barnett、Sky Cooperとともに、ジャズ/ファンク/フュージョンバンドGHOST HOUSEをやっていた。ハンプシャー大学の音楽科には下級生がショーケース的に発表を行う場があり、GHOST HOUSEでmotWの曲を初めてライヴ演奏した(『Begat〜』収録の「A Conception Pathetic」)。その時の編成は、Andrew Dickson、Terran Olson、Josh Seipp-Williams、Aaron Germain、Jeff Barnett、そして私だった。他にもいたかもしれないけど、思い出せないな!

その後バンドはハンプシャーのスタジオに戻り、『Odes to Darksome Spring』(3rdデモ:1997年発表)を録音した。メンバーは私、Andrew、Greg、Byron、Jason、そしてTerranとSky。次の年(ハンプシャー在学中)には『For My Wife』(4thデモ:1998年発表)を録音、Aaron GermainとScott Paukerも部分的に参加した。アルバムが完成しつつある頃に私はMaria Fountoulakisに出会い、数曲で歌ってもらう話をとりつけた。このアルバムの制作期間はずっと雨が降っていた記憶がある。11月か3月か、それともそういう天気の良くない時期に作ったんだろうな。そうしてこのアルバムも完成した。

〈『Leaving Your Body Map』再発盤:Blood Music 2012.4.13に掲載〉

1999年のはじめに、AUTUMN TEARSのTed Tringoからeメールが送られてきた。AUTUMN TEARSの作品を発表するために最近Dark Symphoniesというレーベルを設立し、そこから発表する他のバンドを探しているということだった。Gregがネットにアップしたオーディオ・ファイル(長く忘れ去られていた)を聴いて、このバンドの作品を発売したいと思ったとのこと。私達はその音源を何にも使っていなかったから、「べつにいいよ」と答えた。この時点では、私達はmotWが今後なにかしらの活動をすることになるだろうとは考えていなかった。

今では“デモ”とみなされている3枚のアルバムから私達が選曲し、それをAdam Dutkiewicz(のちにKILLSWITCH ENGAGEで超有名になる)がリミックスしたものが、『My Fruit Psychobells』というタイトルで1999年に発売された。

Tedは我々に2000年のMilwaukee Metalfestへ出演するよう誘ってくれたが、Andrewは昨年(ハンプシャー大学を)卒業しており、『My Fruit Psychobells』を発表はしたもののmotWは実質的に終了していた。Andrewが旅立ってから1年もの間、新しいことは何もしていなかったし、私も学校での他のプロジェクトに創作意欲を注ぎ込んでいた。しかし、Milwaukee Metalfestは多くのメンバーが何年も出たいと思っていたものだし、あきらめたくもなかった。私は、ある授業で一緒になっていたSam GuttermanがULVERのTシャツを着ているのを見て、それをきっかけに話をしてみた。motWとMilwaukee Metalfestの実現可能性が高まってきたね。Samは興味を持ってくれて、まず、主にギターで手伝ってくれるという話になった。彼は自身の音源(ブラックメタル色が強い)を聴かせてくれて、私はそれに大変な感銘を受けた。音楽そのものはもちろん、彼がドラムスを演奏できるということに。というわけで、Tedが決めてきた複数のフェスティバルに、彼はドラマーとして加わることになった。Josh Seipp-WilliamsとCas Lucasがギタリストとしてそれらのフェスティバルに参加し、Emily EynonもMilwaukee Metalfestだけに参加した。

そういう寄せ集めのラインナップで、我々は数週間のギグをやることになった。motWの最初の3つの“プロフェッショナルなギグ”はフェスティバルだった。Worcester MetalfestとNew Jersey Metalfest、そしてMilwaukee Metalfest。WorcesterとMilwaukeeの間にハンプシャー大学で非公式のショウもやり、そこにはEmma WalkerとEmily Eynonが参加した。フェスティバルのギグの出来はひどいものだったな。即席のライヴバンドで、リハーサルも各ショウの前にたしか一度ずつしかやっていなかったし(夏になり学校が始まっていたせいもある:アメリカの新学期は早くて8月中旬に始まる)、フェスティバルの音響担当者の無礼で理解のない態度のせいもあった。メタルフェスの音響担当者はギター/ベース/ドラムス/ボーカル編成でのやり方しか知らないようだ。実生活で管楽器を一度も見たことがないんじゃないかというくらいに。

それはともかく、Milwaukee Metalfestの後、Greg、Byron、Terran、Jason、そしてCasは全員ボストンに移り住み、ご近所さんになって、大学卒業後の良い計画なしにバンドを続けていた。SamとJoshの住む西マサチューセッツはそこから数時間の距離だったけど、それぞれの生活に慣れるまでの数ヶ月間、motWは基本的に活動を停止していた。その間、私はずっと曲を書き続け、『Bath』と『Leaving Your Body Map』(ともに2001年発表)のための素材を全て用意した。

2000年末も間近となった頃、Samと私は新曲のデモをハンプシャー大学のスタジオで作り始めた。ギターとドラムスを3曲ぶん録音したのち、私達は卒業し、私はボストンに移住した。その地域にはリハーサル場所がなかったので、Samと私はコネチカット州にある私の両親の家の地下室で新譜のためのリハーサルをした。私達がスタジオ入りする直前にCasがオークランドに引っ越ししてきて、メンバーが遠距離に散らばっている状態ではあるけれども、録音を始めることになった。レコーディングの過程で我々は再びライヴをやることに決め、アルバムの録音が終わってから1ヶ月ほど経ってからNick Kyteの参加が決まった。Nickのことは大学在学中から知っていた。彼は西マサチューセッツに住んでいて、ハンプシャー大学の近くの郵便室で私と一緒に働いていた。私の着ていたKING DIAMONDのTシャツについて会話し、彼のバンドTHE YEAR OF OUT LORDのCDを送ってもらい、そしてmotWの『My Fruit Psychobells』を買ってもらった。彼は「一緒にやりたい」という手紙も送ってくれた。私はそれを覚えていて、それから約2年経って彼がたまたまボストンに移り住んできたとき(2001年)に連絡したというわけだ。

もともと『Bath』『Leaving Your Body Map』は2枚組アルバムになる予定だった。Tedは過去曲と新曲を合わせて出すよう勧めていたんだ。作曲の過程は無垢で夢見がちで独特な感じだった。実際のところはどのアルバムの制作過程も独特で、だからこそそれぞれの作品が特徴的なものに仕上がるわけなんだけど。それぞれの作品がその時々の自己を表現するものなんだ。この当時、私は“霊的な図書館(astral library:既存のあらゆる芸術が存在する特別な平面空間)”というアイデアに熱心に打ち込んでいた。芸術家は、変性意識のもとその“霊的な図書館”を訪れ、何かを読んだり見たり聴いたりして、それを持ち帰って報告したり解釈したりして、この世界に還元するメッセンジャーになる、という考えだ。ニューエイジ版ミューズ(註:ギリシア神話における、文学を司る女神達)とも、幻視のより冒険的な形とも言えるかな。

私は自分の琴線に奇妙なかたちで触れるチューニング方法を思いつき、アコースティックギターにそれを施して、ベッドの横に置いて毎晩寝る前に弄んだ。眠りを誘うような響きを出すために弦を爪弾いたんだ。その実験は結果的にとてもうまくいった。「Interlude 4」(『Leaving Your Body Map』収録)は完全に夢うつつな感じだね。このチューニングで書いた曲は、それが書かれた順に2枚のアルバムに収録されていて、意識状態から無意識状態に至る創作過程を示している。Byronはこのプロジェクトのコンセプトに従って歌詞とライナーノーツ(各ページの歌詞の横に記載されている説明文)からなる謎かけを考案した。文字通りの、ホンモノのミューズだね。「Interlude 4」はmotWの音楽の頂点であり、motWが結成以来6年に渡って模索してしたことの究極の到達点なんだ。


RAM-ZETノルウェー)》


Zetインタビュー(2001
SAMAEL、MESHUGGAH、KING DIAMOND、QUEENSRYCHESLIPKNOTDREAM THEATERVAN HALEN
メタル以外ではMASSIVE ATTACKPINK FLOYDPeter GabrielBjorkなど多数


Zetインタビュー(2005.7.4.)


SflnXインタビュー(2011.2.15)

MESHUGGAHがお気に入りで、ゴシックメタルのバンドよりもそちらの方に近いと思う
好きなバンドは気分によって変わるけど、MESHUGGAH、PANTERA、NIN、SOILWORKSLIPKNOTMADDER MORTEM、FINNTROLL、LED ZEPPELINBLACK SABBATHほか多数


プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界:参考資料集【プログレッシヴ・ブラックメタル篇】(内容説明・抄訳更新中)

こちらの記事
の具体的な内容・抄訳です。



Ihsahn関連(THOU SALT SUFFER、EMPEROR、PECCATUM、IHSAHN)
SIGH
ULVER
ARCTURUS
VED BUENS ENDE…
VIRUS
DØDHEIMSGARD(DHG)
FLEURETY
SOLEFALD
FURZE
LUGUBRUM
ORANSSI PAZUZU
PESTE NOIRE
EPHEL DUATH
THOU

(内容説明・抄訳のあるものは黒字にしています)


SIGH(日本)》


インタビュー(1997.12)
TERRORIZER』誌で年間9位
浮世絵的な美意識、「綺麗だけど怖い」




奥村裕司インタビュー(2010
まずアルバムのコンセプトを決めてから製作を始める

カレンニコフやフレンニコフグリンカや有名どころではチャイコフスキーなど、ロシアの作曲家からの影響は大きい
スヴェトラーノフのようなロシア/ソヴィエトの指揮者の演奏も、非常に気に入っている
最近では、ゲルギエフとか

今回のアルバムを作るに当たり、伊福部昭のスコアをかなり研究した
管弦楽法も一から読み返した)
伊福部氏の音楽に対する姿勢には非常に共感を持てるところが多い

『SCENES FROM HELL』にはデイヴィッド・チベットPSYCHIC TV〜CURRENT93)が朗読で参加(オリジナルの詩も書いてくれた)
『DOGS BLOOD RISING』('84)や『IN MENSTRUAL NIGHT』('86)辺りが怖くてお勧め


ペキンパー第弐号(2011
ペキンパー第参号(2012


増田勇一によるインタビュー(2012.4.1)


SIDEMILITIA inc.によるインタビュー(2012


奥村裕司インタビュー(2012


構成の意図:1曲目は非常にストレート、2曲目で少しおかしくなって、3曲目から本格的にその世界に入っていく──そして、「Far Beneath The In-Between」が悪夢の一番深いところで、そこからまただんだん現実に戻ってきて、「Fall To The Thrall」からはかなり普通の世界に…という感じ

全体を貫くストーリーラインというのはないが、コンセプトとしては、現実と空想の中間のような悪夢的世界を描く…というモノ
例えば、筒井康隆の『遠い座敷』や『エロチック街道』のような、夢なのか現実なのかよく分からない──特に理由はないけど何となく怖い世界であるとか、『ジェイコブズ・ラダー』('90)や『恐怖の足跡』('62)などの映画に出てくる、生と死が交錯するような世界。
現実のモノではないけど、完全に空想のモノでもない、未知のモノに対する恐怖というもの。
異国の地に対する漠然とした恐怖と、自分達と異なる文化を持つ者への漠然とした恐怖(誤解・偏見)。
現実ではないにしても、完全な想像でもないような気がしていた世界が、“Lucid Nightmares”なんです。ちなみに“Lucid Dream”というのは、“明晰夢=夢の中で夢と気づく夢”のことで、それの悪夢ヴァージョンという意味。








奥村裕司インタビュー(2015

いつも通り曲を書いて(譜面)、MIDIに打ち込んで聴き、アレンジや構成面をいじって、改めて聴く…を繰り返し、完成型として納得が出来たら、他のメンバーに譜面を渡し、リハを開始…というパターン
(今回はギターの大島氏もアレンジを加えた)


川嶋未来ブログ


日本のブラックメタルバンド・インタビュー(2015



『Scorn Defeat』20周年の回想




Grutle Kjellsonインタビュー(2008.4.11)
アルバム毎に変化し続けていきたい:人々が“プログレッシヴ”と言っている要素は『Eld』(3rd・'97年発表)の時点で既に出現している:新しいものに取り組む時は過去の作品は全く振り返らない
デモや1stの路線を求められることに対して:そんなにイヤなのに新しい音源を聴こうとする気が知れない:デモは確かに自分達の最高傑作と言えるものでもあるが、今聴き返すとシンプル過ぎて脳をかきまわさない
ミュージシャンは自分自身を満足させるために活動すべき(ファンの要求に応えすぎようとするのは違うのではないか)

聴いているもの:ハードロックの古典を沢山(初期のKISSほか多数)、初期のGENESISPINK FLOYDVAN DER GRAAF GENERATOR、RUSH、活動を始めた頃から聴いている様々なエクストリームメタル(DARKTHRONE、MAYHEM、AUTOPSY、CARCASS、BATHORY、CELTIC FROST)など:プログレッシヴなものやジャズなど、大量の“クレイジーな”ものを聴いている:本当に巨大な“大学”だ
BEACH BOYSなんかも素晴らしい(ボーカルハーモニー、プロダクション、アレンジなど、全てが驚異的):意識はしていないが確実に影響を受けているだろう
クリーンボーカルのみにせずブラックメタル流の荒々しいボーカルを入れ続けるのはバランスのため
メタルシーンの外にもファンがいる(ノイズ・プログレ・ジャズ方面のファンなど):音楽は音楽であり、ジャンル関係なしに良いものは良い
聴くものを限定してしまうと、生まれる音楽の幅も狭められてしまう

(メインの作詞家として)常に北欧神話を題材にしてきた(他の素材は扱っていない):他の神話と平行・共通する点は多い(オーストラリアからやってきた“全てを理解している男”に恐れ入った話):「外側から内を見るのではなく、内側から外を見る」

(関連プロジェクトTRINACRIAのミニマルなスタイルに言及されて)確かにミニマル。自分はドローン・ロックのようなものにも興味がある

Ivar Bjørnson(メインの作曲家)とは兄弟のようなもので('90年からずっと共同作業を続けている)、互いの分を完璧に心得た阿吽の呼吸がある:「喧嘩や議論はしない」ことはルールの一つで、その上でうまくいっている

PINK FLOYDは、毎日聴いているわけではないが、週に少なくとも一枚以上は聴く:『Sauserful of Secrets』は本当に素晴らしいアルバムだ
(長く浮遊感ある曲調もあって)「PINK FLOYDの影響」が過大に評価されているが、他にもっと大きな影響源はある:KING CRIMSON、RUSH、GENESIS、DARKTHRONE、初期MAYHEM、BATHORY、ジャーマン・スラッシュメタルのバンドなど、同等に影響を受けているものは多数存在する


Ivarインタビュー(2012.9.14)
『Vertebrae』(10th・'08年発表)で仕事をしたJoe Barresiは、作業の仕方の面でもミックスの仕上がりの面でも新鮮な刺激を与えてくれた(ミキシングの大切さを思い知らされた:バンド自身がプロデューサーになることはできる、資金はむしろ信頼できるミキサーのために使うべき):10thでもJoeを起用したかったがスケジュールが合わず、代わりを探した結果、OPETHのアルバムで良い仕事をしていたJens Bogrenが目に留まったので、Mikaelに「ENSLAVEDとJensは合うだろうか」と質問した上で快く紹介してもらった

「Roots of The Mountain」(『Riitiir』4曲目):数年間暖めていたアイデアの使いどころが見つかり('11年の11〜12月:ポルトガルのフェス出演に向かう飛行機の中でスマホMIDIでアイデアを打ち込んだ→帰宅してから12月を通して作業し、クリスマスから大晦日の間の、予定の11日遅れで第一子(娘)が生まれるまさにその間の2時間に、病院で、曲の最後のピースを完成させた):曲の最後のパートは何かが生まれる様子を連想させ、“the baby riff”と呼ばれている

レコード業界の話(ダウンロードとフィジカルメディアのことなど)

『Isa』のあたりから今の曲作りのスタイル・方向性が出来はじめてきた
曲が長くなってきたのは自然の成り行き
反復しながらの変化・展開

Grutle:70年代ロックからの影響
HerbandとIce Dale:ポップスなど
Cato:80年代の古典的ハードロックなど
Ivarのアレンジ(譜面上の構成)を変えなくても、実質的に異なる味を加えており、それはリアレンジすることと同じと言える:実際に演奏することによりアレンジは変更されていく


Ivar・Grutleインタビュー(『Riitiir』発表後)
Ivar:エクストリームメタル、特に世界中のブラックメタルノルウェー・シーンはもちろん、MASTER'S HAMMERやROTTING CHRIST(の1st)、BATHORYなど)が最大の影響源
歌詞については、北欧の神話や古詩(ルーン)が中心的題材で、音楽からの影響についていえばBATHORYに限られる:幾つかの例外を除けばGrutleとIvarの不可分なコンビネーションによって書かれる

“Riitiir”≒“The rites of man”
異なる文化的背景をもつ人々が(一神教以前の時代から)どのようにして深い相互理解を得ようと努めてきたのか、ということを題材としている(アルバムアートワークもそれに対応している)

ノルウェーのオールタイム・5大メタルバンドは」と問われて:TNT、MAYHEM、Høst、ULVER、ENSLAVED


Ivar Bjørnsonインタビュー(2014.2.20)
音楽の方向性は意識的なものではない:やりたいことをやり続けていたらこうなった
70年代のプログレッシヴ・ロックからの影響が特に大きい

初期ノルウェー・シーンの豊かさについて(そこの部分が外からは蔑ろにされがち)

『Riitiir』(12th・'13年発表):『Axioma Ethica Odini』(11th・'10年発表)に伴う1年に及ぶツアーから得たインスピレーションをもって、'11年からすぐに作業に着手

00年代はじめのメンバーチェンジは、ENSLAVEDの音楽的方向性にバランスと折り合いをつけられなかったのが大きな原因(脱退したメンバーは良い友人であり続けている)
音楽を主な仕事にできている:コンスタントな北米ツアーなどで家を離れることと家庭の問題

なんでも聴く(伝統的なメタル、ブラックメタルデスメタル、ロック、幾つかのポップス、ジャズ、クラシック、実験音楽:ヨーロッパや日本のもの)

ホラー映画ファンとして:David Lynch、『Saw』初期3作、古いもの(『Nosferatu』など):新しいものや日本のものなどはそこまで好みではない


Grutle Kjellsonインタビュー(2015.3.5)
90年頃からIvarと演奏:トレンディになってきたデスメタルに飽き、CELTIC FROSTやBATHORYのようなプリミティブな方向に立ち戻ろうとする一方で、70年代のロックからも影響を受け始めた
最初のマイルストーンは『Frost』(2nd・'94年発表)で、'97年の『Eld』あたりから70年代のエッセンスが出始め、『Below The Lights』(7th・'03年)から現在の方向性が固まった
自分の住んでいたところにあったシーンは極めて小さく、構成員は(自分とIvar、PHOBIA(ENSLAVEDの前身バンド)のドラマーなども含め)10人もいなかった

自分の聴きたいcontemporary music(今の音楽)を作る・同じことは繰り返さない

『In Times』:最新の技術(編集など?)を使わず、スタジオでライヴレコーディング:そのために入念なリハーサルをし、良い結果を得た
曲の長さはそれ自体の要求する自然なもの:(良いテーマであれば)反復する構成は好き:EARTHのようなバンドは好き(少しドローン寄りのもの:夢見るような効果を与えてくれる)
'00年か'01年にデトロイトでライヴした時、自分達が演奏した会場(地下)の上でRUN D.M.C.が出演していて、ショウの終了後に自分達を観に来て楽しんでくれた。ライヴの後には一緒に写真を撮った。
自分達がブラックメタルのバンドとは思っていない(自分にとってブラックメタルとは、サタニズムを題材にした歌詞を用いるもの)

KISS('81年の『The Elder』)、IRON MAIDEN、DEEP PURPLELED ZEPPELIN、'83〜'84年のスラッシュメタルMETALLICA、SLAYER、BATHORY、CELTIC FROST
70年代音楽からの影響は常にあった:RUSH、KISS、LED ZEPPELIN


Ivarインタビュー(2015.)
『In Times』:作曲には9〜10ヶ月(ツアー期間を通して)かかった:それぞれの曲調は異なるが、アルバムを通して一貫した雰囲気がある(以前の作品より「アルバム全体で一曲」という感じが強まっていると思う):よりエクストリームな要素とよりプログレッシヴな要素をうまく融合させようと試みた:いろんな感想が出るのも当然

方向性は(意識下では)定めず、制限を外してやりたいことをやる(成り行きに任せる)

他のものからの影響は歓迎する(影響を受けたくない・自分の音楽は何の影響も受けていないと主張する気持ちもわかるけど、それは愚かなことだと自分は感じる)


ULVERノルウェー)》


Kristoffer Rygg(Garm)インタビュー(2014.5.21)
(記事作成者によるリード文:ドストエフスキーの作品を下敷きにした演劇『Demons 2014』にULVERがサントラ(ドラムス&ピアノによる音楽)を提供)

ここ数年、コラボレーションが自分達にとって最もinspiringなことだった:異なるアイデアやバックグラウンドを交換し対話することで(常にではないが)自分達だけでは辿り着けないところに到達することができた。

映画音楽について:もっとやりたいが、金銭的な問題や依頼者側からの制限はやはりある。商業的な映画作りにおいてはミーティングその他の(音楽とは無関係の)些事が多すぎるし、音楽を担当する者の苦労(イメージを合わせることなど)への周囲からのリスペクトも乏しい。とてもフラストレーションがたまる作業だ。

ULVERについて:直近12回のライヴ(@欧州)では自分達の作品群からの素材を活用したが、それは基本的には即興的な活用だった。5〜6回ギグした後には、自分達がやっていて最も楽しいことに回帰していた。
そうしたギグの殆どは録音していて、次のアルバムの素材として沢山利用する予定。ライヴ感とポストプロダクションとをうまく組み合わせたい。
いくつか取り組んでいることはあるが(劇伴やラジオ用のもの:National Theatreとの協働のもとで出す)、十分な形になってはいない。
9月にイタリアでやる予定の『Messe Ⅰ.X.-Ⅵ.X』(オーケストラとの共演)以外には、この夏には1つか2つくらいしかライヴを入れる予定はない。新しいのものの録音作業を優先したい。

(『Messe Ⅰ.X.-Ⅵ.X』にStravinsky色があると言われて)Terry Rileyのような反復スタイルのあるものの方が近いのではないかと思う。宗教的な感覚をもてあそんでもいる。Arvo Partアルヴォ・ペルト:1935.9.11〜:ミニマリズム古楽など寄りのスタイル)やJohn Travener(ジョン・タヴナー:1944.1.28〜2013.11.12:メシアンシュトックハウゼンに並ぶ神秘主義)のような作曲家を自分達は長年聴いてきていて、(それが『Messe〜』に直接影響を及ぼしているとは言わないが)その美的感覚(spirituality・sanctity:霊性・神聖な感じ)に大いに感化されている。

オーケストラを使うことの難しさと可能性について:精巧なポップスやある種のロック(SPIRITUALIZEDなど)ではうまく機能すると思う。メタルやドラマティックな音楽では、多くの場合成功していないと感じる。
『Messe〜』ではオーケストラがメインになっているが、曲を書いているのは自分達なわけで、それを演奏したのが他人だとしても、十分自分達の作品になっている。作曲は幾分素人芸(dilettante composers)的なものかもしれなかったし、自分達自身それを自覚している。クラシック〜現代音楽をある種のポップスや電子音楽と混淆させたものになっている。

影響源:COIL(インダストリアルのグループ)が最も長い期間に渡って影響源であり続けている。(音楽面というよりも手法面で。)Ian JohnstoneとStephan Throwerとは『Wars of The Roses』(ULVERの2011年作)で共演できたが、それはJohn Balance(〜2004.11.13)とSleazy(Peter Martin Christopherson:〜2010.11.24)が亡くなった後だった。

sunn O)))とのコラボ作について:過剰に「野心的な作品」として解釈されているきらいはある。狙い通りのものになったとは思うし、聴かれないのは勿体ない作品だと思う。
こういうコラボレーション作は時間と予算を十分にとってなされるものだと取られがちだが、実際は、何年も前にやった1回きりのジャム・セッション(24時間以内)を、数回だけ集まってオーバーダブして仕上げたもの。

音楽ビジネスについて:ロマンティックな印象付けをされがちだが、実情はそんなものではない。大袈裟に美化するのはくだらない。

ここ20年以上の間で個人的に好きなレコード:ULVER『Childhood's End』(2012年作:70年代古典ロックのサウンドプロダクションで60年代の古典ロックを演奏):vol.2をやりたいと思っている。(60年代のガレージ・サイケなど。)

ノルウェーの音楽シーンについて:Kichie Kichie Ki Me O、KING MIDAS、WHEN(伝説)、Bergen(ベルゲン)のテクノなどがお薦め。
世界的にみても強力なものがたくさんあるが、ブラックメタルのようによく知られたジャンルでなければ、外からは注目されづらい。


Kristoffer Rygg(Garm)インタビュー(2015.10.15)

〈音楽との関わりはどういったところから始まったのか。音楽に専業として取り組むことを決めた瞬間(時期)というのはあるのか。〉

正直言って、そうした決断を下したことはない。まったくの偶然だった。子供の頃に何度か受けたピアノのレッスンを除けば、メタル(特に90年代のノルウェーブラックメタルシーンで起こったこと)の大ファンではあったけれども、音楽の素養は全くなかった。全てはCarl-Michael Eide(別名Czarl:VIRUS /ex. VED BUENS ENDE… / ULVERの初期ドラムス)に高校一年(16歳:1992年頃と思われる)のとき出会って偶然起きたことだった。同じレコード店でアルバムを買っていて、黒服にガンベルト、HELLHAMMERのTシャツを身にまとい、十分長く髪をのばしていた。すぐに意気投合した。
当時Carl-Michaelは結成したばかりのSATYRICONに在籍していて('91〜92年)、自分もそのリハーサルその他につきまとっていた。その数ヶ月後、Carl-Michaelがバンドを解雇されたとき、「一緒にバンドをやらないか」と声をかけられることになる。当時自分ができることは、歌ったり叫んだりしてみることくらいだった。そしてそれが“始まり”だった。全くの偶然だった。
そのときから、アンダーグラウンドシーンのデモ音源やテープトレードに没頭し、メタルにハマり込んでいた。ファンジンを始めてさえいた。しかし、そうしようと予め計画していたことはないし、ミュージシャンになろうとしてもいなかった。

〈メタルに引き込まれた最初のきっかけは〉

本当に興味を持ったのは、中学校の頃(80年代末)、パンク〜ハードコアを聴き始めたあたりだったと思う。それ以前は、両親の聴いていたものや、ラジオでかかるもの、その時々に流行っていたもの、つまりポップミュージックを何でも聴いていた。KISSやAC/DCSCORPIONSDEF LEPPARDや当時のビッグなスタジアムロックバンド、ヘアメタルのようなものを経由してヘヴィな音に入門し、先に述べたような、少々ポリティカルでエッジーなパンク〜ハードコア〜クロスオーバーを聴き始め(当時スケーターだった)、しかるのちにMETALLICAやSLAYER、SEPULTURA、スラッシュメタルやスピードメタルを聴くようになった。'89〜'90年頃にはグラインドコアデスメタルに出会い、'91年の夏にはEuronymous(Kristofferの7年半歳上)がHelvete(レコード店)をオスロの古い街角に開店する。同じ学校のスラッシャーから、ここのことを、オカルティックで暗いものの取扱いに長けたレコード店だと教えられた。
自分はその話にとても惹きつけられ、たしか開店から1〜2週間経った頃にそこに行き、ノルウェーデスメタルバンド(MORTEMやOLD FUNERAL、AMPUTATIONなど)のデモ音源を買い始める。また、Euronymousや他の同好の志と話す目的で繰り返し通うことになった。Euronymousは自分に好意を持ってくれたようで、MAYHEMや他のブラックメタルなど、一般の人が楽しんで聴くようなものではない音楽を紹介してくれ、人の知りうる最も邪悪な音楽を作る、という野望についても話してくれた。それは自分にとって“契約”というようなものだった。他の若者がするように、常に“より過激なもの”を求めていた。

〈その当時「これがメタルだ」と慣習的に考えられていたであろう領域から逸脱していったわけだ。〉

で、これは大事な一里塚ではあるけれども、終着点だったわけではない。(同世代以上のメタル関係者の多くが保守的な嗜好をもつのは少し奇妙に思えることもある。)自分は新しい音を中古店で貪欲に漁るというだけの人間で、正直言って90年代末はあまりメタルを聴いていなかった。AUTECHREやNURSE WITH WOUNDのレコードを聴くのに忙しかった。
こうした流れは自然なもので、歳を重ねるに従い起こるべくして起こったことなのだと思う。様々な音楽をたくさん聴き、芸術や科学を徹底的に探求して、新たな文化的印象・展望を得る、というような、種々の要素の組み合わせの結果なのだ。ただ、こうしたこととあわせて、自分がメタル嫌いであるという誤解も解いておきたい。自分はメタルを全く嫌っていないし、オールドスクールなブラック/デスメタルに強い郷愁の念を抱いてもいる。

〈メタルのファン層や考え方(ポピュラリティや領域の拡張に抗う姿勢)についてあなたが話すのは興味深い。あなたは、このジャンルが[「アウトサイダー」であるという意識と、「アンダーグラウンド」から「メインストリーム」に移行するものはそれが何であれ軽蔑すべきだという(自身の)偽善に見て見ぬふりをすることにより、成り立っている]危ういものだと考えているのですね。〉

それはその通りだ。ときに滑稽なくらい。90年代のメタルシーン、特にブラックメタルシーンについてみると、自分達は普通の音楽メディアの全てから完全に閉め出しを食っていた。もちろんそうしたことは大きな問題だし、「ふつうの基準に照らして趣味が良いとか受け入れられうるとかみなされる」全てのものから脇にそれて存在するものについて、同じ立場から同情する。しかし、全ての無名なものは確実に、あるとき有名になり、そののち再び無名になるのだ。自分も、20年にわたるいわゆるキャリアのなかでそうしたことが起きるのを見てきたし、時にはそうした時流の理解に苦しむこともあった。だから、そういうことについて考えるのはもうだいぶ前にやめてしまった。とはいえ、その種の言い訳はいまだメタルシーンに確実に存在する。売れなさそうで、純粋な情熱なり何なりに突き動かされているものほど、「ホンモノだ」とする考え方だ。しかし、売り上げと情熱は両立できないものなのだろうか?メタル文化のもつ「これは好きになっていいものだ、これはニセモノ・これはホンモノだ、これはクールでこれはそうじゃない」という類の排他的な姿勢にだけは、時折うんざりさせられる。
個人的には、こうしたことはとても幼稚だと思うし、完全にギャングの考え方だと思う。個人主義を大事にするシーンにはそぐわない考え方だし、「ホンモノであり続ける」とかアンダーグラウンドであることその他を無理強いしてくることについては時に辟易する。単純に非生産的だからだ。自分自身のバンドや好きなバンドが十分な成功をおさめ、良い・素晴らしいレコードを作れる環境を得るのを見たくはないのだろうか?アルバムを聴きたくないのでなければ、そういうことを言うべきではないだろう。この手のことは他のジャンルではそう多くは見られない。そしてメタルは、つまるところ、巨大なサブカルチャーなのだ。現在すぐに首を突っ込める最大の主流のものの一つと言っていい。しかし、メタルヘッド達はいまだに自分達が負け犬で社会の敵なのだとみなしたがっているように思える。実のところ社会の大きな部分を占めているのに。

〈ということは、ヘヴィ・メタルや少なくとも文化一般についてのあなたのものの見方は、時を経てかなり発達してきたわけだ。〉

うん。このことについては2つの論点がある。ある種のバンドは一つのやり方しか持っていない。例えば、MAYHEMが今やっていること以外の何かをやるのを想像できるかな?自分は彼らの30周年記念ギグを見たんだけど、ノルウェーの音楽誌はそれを「ありきたりな演出に埋め尽くされている」と非難した。その気持ちもわかる。しかし一方で、あのバンドがそれ以外のやり方をとることはできたのだろうか、とも自分は思うわけだ。“サタニック・サンダーストーム”(訳注:トレモロギターとブラストビートの組み合わせといった音楽的定型を指すと思われる)とか、人間の頭蓋骨や他の骨、血(血糊)や豚の死骸その他諸々、そして演劇的なステージング、といった“定番”の数々。こうしたことは、彼らが何であるかということの大きな部分を長く占めてきている。彼らが突然別のことをやったとしたら、とても奇妙な感じがするのではないだろうか。例えばKISSが素顔になったときみたいに。自分達(ULVER)について言うと、どのような音楽シーンにも忠誠を誓ったことがなく、特定のイメージに捉われるくらい長く属したことはないと思う。ある種の物事が各々のバンドにおいて良い方や悪い方に働いたり、時にその両方の働きが同時に起こったりするということが、時代や歴史的位置に依りながらどのような仕組みでなされるのか、というのを同時代の観点から分析するのは難しい。興味深く考えられるテーマではある。

〈あなたの仕事、特にULVERでの仕事は、「実験的」メタルとして分類されてきているけれども、これからまたメタルの“ありきたりな”要素を含む作品を出す可能性はあるだろうか?〉

メタルの観点から言えばそれもあると思う。ただ、メタルのバックグラウンドをもつ人からすると実験的というレッテルを貼られるものでも、フリージャズの即興をバックグラウンドにもつ人からすると、必ずしも実験的ととられないこともありうる。言ってしまえば、我々がバンドとして取り組んでいるのはそういうものなんだ。我々は(ジャンル間の)裂け目に落ち込んでしまっているわけ。ULVERが実験的なバンドとは思わない。そうなることも可能だけど、それは主な目的ではない。

〈以前あなたは様々な文学からの影響を口にしていた。そうしたものは今も音楽や歌詞に影響を与えている?〉

我々の読むものは、音楽の嗜好同様、確かに変化してきている。ただ、自分達は活動開始当初より歴史の本から大量にネタをパクっていて、そうしたものの多くは初期に役目を終えてしまっている。古い散文や詩歌を混ぜるのを好む傾向があったわけだ。そして、90年代に入ってRimbaudやWilliam Blakeなどからの盗用をしつくしたのち、おそらく『Blood Inside』('05年発表)あたりのある時点から、自分達なりの語調を築き上げられるようになってきたと思う。それはULVERの成り立ちの一つの柱をなしているだろうもので、うぬぼれているように聞こえるかもしれないが、それが自分達の書き方・考え方なのだ。音楽はプロジェクト単位で思いきった変化をすることができるけれども、歌詞の書き方はほとんど変わらないままでいるのだと思う。

〈歌詞の内容が典型的でなく、重要な意味を含んでいて、少なくとも、慣例に従ったものではない…というのもあなた方の音楽をヘヴィ・メタルという枠の中で特別なものにしている点だと思う。〉

うん、つまり、「何を言いたいのか」によるということかな。Bob Dylanの場合は明らかにそれが大事だし、一方CARCASSの場合は、特定の“らしい”言葉を探すことのほうが大事なのかもしれない。しかしまあ、自分達にとっては間違いなく「何を言いたいのか」が大事なんだ。

〈あなたの仕事はULVERに留まらず多岐に渡ることが知られている。創作のアプローチはそれぞれのプロジェクトに応じたものになるのだろうか?それとも共通する部分が多いのだろうか?〉

自分の関わる多くのプロジェクトは概念論の類のもので、それぞれのプロジェクトの雰囲気や美学に順応する必要はある。ULVERにおいては、それは自分にとって常に二面性のある作業であり続けている。ライヴバンドとしての体をなすまでは、音楽的なことが製作工程の全てをなしていた。その後我々はもっと集団的なバンドになり、関わる人々や他の行程、総合的に考えることが増えてきている。しかし、それ以前は長きにわたって、Tor(Tore Ylwizaker:'98年から在籍、キーボードやプログラミング担当)と自分がスタジオにこもってシンプルなフレーズに取り組んだり、Jørn(Jørn H. Sværen:'00年から在籍、クレジットは“miscellaneous(いろんなこと)”)と自分が歌詞や総合的な見せ方を書き出したり、というのが作業の全てだったわけだ。 
(訳注:先の「二面性のある作業」とはこの音楽構築・歌詞構築の2つを別々に並行してこなしていたことを指すのだと思われる。)
『Shadows of The Sun』('07年発表、バンドの正メンバーはこの3人のみ)では、どちらの作業も、発展させたり好ましい状況に導いたりするのに一年ほどかかっている。細かいことを言って戸惑わせようとしているのではない。しかしそうしたことは、アルバムやそこから滲み出ている感情にとてもはっきり表れていると思う。自分にとっては、2つの異なる実験室で異なる時間をかけ、何を表現したいのか、それについてどう感じてほしいのか、といったことにこだわり抜く、という作業だったわけだけど。『Shadows of The Sun』の歌詞などは、無味乾燥でありきたりなものに見えるかもしれないが、実のところ我々はそれにとても苦労して取り組んでいた。自分達がよく言うことだけど、良い常套句を作るには時間がかかるんだよね。『Shadows of The Sun』は飾り気のないアルバムで、自分が以前言ったことの残響のようなものだ。明らかにメタルではないけれど、自分達がやったことの中では確実に最もヘヴィで圧倒的なもの。そう思う。

〈形態・姿勢の面においてほとんど映画的といえる現在の立ち位置にULVERを導いたのは、確かにそのアルバムだね。〉

そうだ。シネマティックな/フィルム・ノワールな類の音を志向するようになったのは『Perdition City』('00年発表)からだと思う。その後我々は、歌詞が音楽と同じく視覚的な表現力を秘めていることに着目し始めた。もちろん歌詞はそもそもそれ自体が視覚的なものではある。紙の上での見栄えが良ければ、文章の内容がどんなにばかげていたとしても、目を喜ばせてくれるものになりうる。その一方で、歌詞は視覚的・精神的なイメージを喚起してくれるものでもある。我々は、突飛な空想をあらわす語彙や長ったらしい文章から距離をおきながらそうした効果を生むことを試みている。歌詞の面においては、こうしたミニマリズムが自分達にとって興味深いことであり続けているんだ。表現をシンプルに留め、余白に思いをこらせるようにするということ。『Wars of The Roses』('11年発表)では、地理的な、ほとんど事実に即した情景・概念描写において、こうしたことについてたくさん取り組んだ。それぞれの曲において、そうした地域の気象報告とか、そうした地域に関係する感情などを、歴史的に、またはその他のやり方で、描き出したかったわけだ。

〈自分自身の音楽についての考え方は、音楽を作り始めた時からみて成長したり変わったりしてる?〉

根本的な部分が変わってきているかはわからない。そうしたことは、時間、物事の本質、どういう経過を辿り生み出されてきたかという道筋などとともに、変化するものだ。時にそれは、欲求(≒やろうという意思)よりも本能とか癖に導かれてやったり探求したりするものになる。ファンにとってはピンとこないかもしれないが、少しすればしっくりくるというもの。まあ、感情的な領域において変化してきているかどうかはわからない。正直言って、「自分達は同じことを何度もリサイクルし続けている」と感じることも多い。終わりなき憂鬱な円環のようなものに捉えられているというか。しかしもちろん、新たな技術を学んだり様々な人々とともに演奏したりすることは、助けになっているよ。


ARCTURUSノルウェー)》


ICS Vortexインタビュー(2015.4.30)


製作の過程でアレンジは自在に変化

歌詞の内容は個人的でストレート


Garm(Kristoffer Rygg)インタビュー

バンドの活動がうまくいかない状況

ロックンロールのエッセンス
'96年にKISSのコンサートを観てシビれた話

3rdでSverdがIhsahnを呼んだのは、Garmが絶叫をやるつもりがなかったため

ARCTURUSの音楽が他のメタルバンドと異なる理由を挙げるのは難しい:メタルというジャンルに首を突っ込みすぎていないこと、異なるキャラクタの集まりで、あまり活動的でなく頻繁に顔を合わせない、ということは理由になるかもしれない

作編曲には(音響処理などのプロデュースを除いては)関わっていない。歌詞は担当する。

3rdの最終曲「For The End Yet Again」はSamuel Beckettからとったもの

メタルというジャンルには詳しくない:あまり聴かない


ICS Vortexインタビュー(2015.5.22)

ARCTURUSの音楽的支柱はSverdのキーボード('92年当初から使っているショボイもの:ARCTURUSの初めての曲もそれで書いた:今も全ての作曲をそれでやっている)で、それがこのバンドの代替不能な音楽的特徴になっている:持ち運びが極めて難しく、ライヴの途中でも調子を悪くしてしまう:これからもそれに付き合っていくしかないだろう
(これを持ち運べないからライヴはできない、ということではなさそう)

Simenの本業は運送業(経営)
自分のソロアルバム(ICS VORTEX)よりもARCTURUSを優先したい:3年のうちには新作を出したい

両親のヒッピースタイルの歌を聴いて育った:それはpure magicだった
自分の子供たちには実入りの少ないミュージシャンの道は選んでほしくない

新しい音楽に興味は持つが(今回知ったダブステップなど)、すぐに飽きてしまう:聴くのは興味深いメタル。VIRUS(そろそろ新作を出す)など。これは飽きない。


ICS Vortex(Simen Hestnaes)インタビュー(2015.5.27)
バンド内のいさかいで解散したが、冷却期間をおいて良好な状態に戻った
('07年解散・'11年活動再開)

「Crashland」は4thのために作られたデモに収録されていた曲で、Garmが「ARCTURUSにはそぐわない」と言って外されていたものだった。
今回聴き直して良いと判断し、Simenが歌メロをつけて採用された。

(3rd・4thの評価が高かったことにより5thの製作にプレッシャーはかかったかと問われて)メンバーはみな日常の仕事があるから音楽は“趣味”であり、自分達のスタジオ(ギターのKnut所有)を持っていて時間制限がなかったということもあって、純粋に楽しんで製作することができた

Sebastian Grouchot:バイオリンで全曲参加
Twistex:プロデューサー:ダブステップなどの処理で大きく貢献

先のことはわからない:多様性は大事だがいさかいが起こる可能性もある:うまくいっているうちは続けていく


FLEURETY






インタビュー('10)


Svein Egil Hatlevikインタビュー(2013.2.11)

〈まずは、STAGNANT WATERSの新作完成おめでとう。でも、それに触れる前に、よろしければあなたの過去に触れてみたいと思う。あなたの人格形成期について話してくれないだろうか?それから、音楽一般に興味を持つことになったきっかけについて。〉

ありがとう。最初の記憶のひとつは、5歳のとき、あるレコードがどうしようもなく欲しかったことかな。友達のところでジーン・シモンズの写真がカバーに載っているアルバムを見たんだ。当時KISSはキャリアの絶頂期で、全メンバーのソロアルバムを発表していた。そのうちジーン・シモンズのものは、あの有名なメイクをして口元から血をたらしている写真が使われていた。自分は父親にそのアルバムを買ってくれるよう5歳児なりのやり方で何度も何度も何度も頼んだんだけど、そういう悪魔の顔がカバーになっているアルバムを父親は与えてくれなかった。で、父親と自分は結局ひとつの妥協に至った。同じソロアルバムシリーズのうちのポール・スタンレーのやつを買ってもらったんだ。それが人生2枚目の“自分のレコード”になった。一枚目は「クマのプーさん」ね。概して、自分は特別に音楽的な子供時代を送ったわけではなかったように思う。並みの子供達とそう変わらない。友達と同じように、サマンサ・フォックスやBON JOVI、EUROPEみたいなのを聴いていた。そこから入ってW.A.S.P.やAC/DC、IRON MAIDENなどに触れ、ANTHRAXやSLAYER、METALLICAを経由して、デスメタルブラックメタルに至ったんだよ。

〈楽器の演奏に興味を持ち始めたのはいつ頃?学校にいた時?あなたのキャリアの大きな部分を占めるドラムスやシンセサイザーに惹きつけられたきっかけはどんなものだった?〉

ノルウェーの片田舎で育つ子供にできることは、スポーツをするか、地元のマーチング・バンドに参加するか、自分独自の活動を見つけることくらいだ。自分は2年ほどサッカーをやっていたけれど、じきに「両親の言う通りになんてする必要はない」ことに気付いた。友達と自分は完全にメタルにのめり込んでいたから、自分達のバンドを始めたんだ。ドラムスを選んだのは、なんというか偶然の選択だった。他のメンバーが先にギターやベースを選んでいたからそうしただけで。自前の楽器を持ってないのは自分だけだったんだ。だから、自分の初めてのドラムキットは、当時の英語教師からもらった古くてカビの生えたやつだった。

〈(演奏は)独学?それとも正式な教育を受けた?〉

15年前(訳注:DODHEIMSGARD『Satanic Art』('98年発表)に参加した頃だと思われる)にピアノの授業をとっていたことはあるけど、それは2ヶ月くらいしか続かなかった。高校の音楽の授業もごく初歩のレベルに留まるものだったし。自分が正式に受けた教育は、デジタル信号処理の(極めて拘束的な)理論過程だね。これはコンピュータで音楽をつくるのに非常に役立っている。

〈あなたの住んでいた地域は、興味をひく音楽や共同作業の相手を探したりするのにあたってはどうだったのかな?〉

オスロからあまり離れていなかったから、そこにあるレコード店にバスで通っていた。年上の子供達が貸してくれるレコードをテープに録音したりもしていた。ただ、ヘヴィメタルスラッシュメタルを聴いている分にはこのやり方でもよかったんだけど、もっと過激な音楽を聴き始めたとき、年長者はそういうものに全く興味を持っていなかった(からそういうルートで聴き進めることはできなかった)。そんな時、Helvete(訳注:Euronymousが経営していたレコード店で、ノルウェーブラックメタルシーンの音楽的影響源として非常に重要な役割を担った)を見つけたんだ。そこで買った初めてのアルバムはCARCASSの『Necroticism:Descanting The Insalubrious』('91年発表)だった。オスロは、そういう同じような音楽の趣味を持つ人達に出会う場にもなっていた。

〈あなたの参加した最初のプロジェクトとされるのは、Alexander Nordgarenと'91年に結成したFLEURETYだね。
その時あなたは14歳で、最初のデモ『Black Snow』('93年発表)を出した時は16歳のはず。あなたとAlexanderは学校の友達同士だったのかな?他の同級生たちからみて少しはみ出し者という感じだった?〉

そうだね。良い要約だ。

〈『Mid Tid Skal Komme』(1st:'95年発表)は、ノルウェーで頭角を現しつつあったブラックメタルを、その枠内で個性的で実験的なことをするようけしかけた作品として、VED BUENS ENDEなどと並ぶある種の記念碑と多くの人からみなされている。これは意図的に作られたもの?それとも偶然にできてしまったものなのかな?〉

90年代の前半に発表されたノルウェーブラックメタル作品は、殆ど全てのアルバムが記念碑的傑作だよ。90年代初頭のこのシーンはとても競争的で個人主義的だった。全てのバンドに“何かしら個性的な作品をつくる”ことが課されていた。それができないバンドは価値がないとみなされたんだ。そして、そういう意識を特に強くもつバンドもいた。自分達は、同時期の他の殆どのバンドと比べても更に個人主義にとらわれていたのかもしれない。ブラックメタルは他のジャンル(スラッシュメタルデスメタルなど)と比べ芸術的向上心が強い。これは、ブラックメタルやそれに影響を受けたバンドが(他のジャンルに比べ)実験をすることが多い理由でもある。我々は“自分達の”音楽をつくりたかったし、何かの亜流は見下していた。

〈FLEURETYは活発な活動をしてこなかったけれども、1stと『Department of Apocalyptic Affairs』(2nd:'00年発表)の間の5年間で、余人の追随を一層許さない境地に至ったのは間違いないと思う。当時は周囲の理解をあまり得られなかったけれども、この作品の影響源はどんなものだったのだろう?個人的に聴き取れる要素は、ジャズ、フランク・ザッパキャプテン・ビーフハート、オブスキュア・フォーク(訳注:無名の個人が自主制作で発表した、型にはまらない強烈な個性をもつフォーク作品のこと)、CARDIACSのようなバンド、それから、幻覚キノコを食ってサーカスに行ったら聴けるような音楽などかな。〉

エクストリームメタルの文脈において「実験的」という言葉はずいぶん便利に使われている。「アヴァンギャルド」という言葉も同様だね。この「アヴァンギャルド」という言葉を正しく使えるのは“回顧”のときだ。なにかオリジナルなことを最初にやったアーティストこそが「アヴァンギャルド」で、他の者はそれに啓発されたり真似をしたりする。そういう意味で、『Transylvanian Hunger』(DARKTHRONEの4th:'94年発表)は、ブラックメタルの最もミニマルな形式を精製した作品として、標準的に「アヴァンギャルドメタル」と言われるあらゆるバンドよりもずっと「アヴァンギャルド」なのだと言える。同様に、「実験的」という言葉も、本来の意味を失った状態で様々な使われ方をしている。実験をする時は、それをやっていくことにより生じる結果を事前に知ることはできない。で、なんでこういう話をしたかというと、『Department of Apocalyptic Affairs』は確かに「実験」だったからなんだ。見取り図は7曲全てについて予め用意してあったけれども、どういう完成形になるかは全く想像できなかった。参加ミュージシャンをスタジオに送り込み、別々のパートを非常に短い時間で録音させ、(各曲で)複数の異なるバンドが作曲&演奏しているように仕上げたんだ。この意味において、これは“社会音楽的実験”とでも言えるものだ。「他のどんなアーティストに影響を受けたか」と質問してくる理由はわかる。そして実際、自分達は、例えばフランク・ザッパやある種のジャズ的思考に影響を受けている。スウィング・グルーヴを導入しようとした箇所もあったし。だけど、例えば「「Shotgun Blast」はMINISTRYの「Just One Fix」(訳注:'92年発表の『Psalm 69』に収録)に強烈な影響を受けている」と言われたらどう思う?そんなこと誰も想像しないだろう。MINISTRYの曲と全く同じリズムパターンでドラムスを演奏しようとした箇所はある。しかし、あのアルバムのレコーディングで行われた高度に非線形的な実験において、オリジナルのアイデアは完全に消えてしまったんだ。こうしたことは、自分達の予想をどこかに追いやり実験から結果を出すための工程だった。だから、「影響源は何か」というような質問はちょっと的外れだな。このアルバムは偶然生まれたものなんだ。魔法のように。

〈FLEURETYは、イギリスのカルトな(そしてべらぼうに素晴らしい)レーベルAesthetic Deathと長く付き合っているね。彼らの目に留まった経緯は?そして、長い付き合いが続いている理由は?〉

Aesthetic Deathと最初に接触した時のことはよく覚えていない。20年以上前のことだし。レーベルオーナーのStuとは極めて良好な関係を維持できている。利益の出ない7インチ(訳注:『Ingentes Atque Decorii Vexilliferi Apokalypsis』('09年発表)と『Evoco Bestias』('11年発表)のことと思われる)をリリースするような勝手なことを許してくれた彼にはとても感謝しているよ。長年にわたり献身的かつ忠実であり続けてくれている彼に敬意を表する。

〈バンドが長く続いているということは特筆すべきことだし、新しいレコードも間もなくAesthetic Deathから出るよね。FLEURETYをこれだけ長く続けてこれた理由、それから今後の展望について話してくれないかな。〉

いつも言ってることなんだけど、他人と音楽を作るということは、自分が最も好む形の“社会的相互作用”なんだよね。Alexanderとは子供の頃からの友達同士で、出会ったときから一緒に音楽を作りたいと思っていた。彼は地球上のあらゆる場所を移り住んでいるから、顔を合わせるのは一年に一度くらい。FLEURETYが活動するのはその時だ。新しい7インチレコードのタイトルは『Et Spiritus Meus Semper Sub Sanguinantibus Stellis Habitabit』になる予定。『Department of Apocalyptic Affairs』とは全然違う音だよ。過去作の中で一番近いのは『Mid Tid Skal Komme』だけど、それとも全然違うものになっている。片方の曲ではギターが猛烈に刻んでいるけれども、もう一方の曲はもっと気味の悪い感じになっている。願わくば数ヶ月のうちに発売したいけれども、このバンドではいろんなことに時間がかかりがちだし、確約することはできないね。

〈そうしたことからはちょっと離れて、'97年に発表されたAPHRODISIAC唯一のアルバム『Nonesence Chamber』に触れさせてほしい。自分はこれをポーランドのMisanthropyから出たカセットで手に入れ、聴くたびにぞっとしたり戸惑わされたりしてきた。その頃自分はCold Meat Industryレーベルから出ているようなものを沢山聴いていて、連続殺人鬼についての話をいろいろ読んだりしていた。何というかつまり、暗い雰囲気と実験的な電子音楽を混ぜ合わせて味わっていたわけだ。このプロジェクトはあなたとVicotnick(DHG)、そしてKim Sølveによるものでしょう。この作品の背景にあったアイデアはどんなものだったのかな?そして、このプロジェクトがこれ以上発展しなかった理由は?〉

多くの人々が「Kim Sølveはこのバンドの一員だった」と信じているようだけど、それは間違いだ。この誤解は、当初APHRODISIAC名義を使っていて後に「SEX」と発音されるあだ名を持つようになった(別の)プロジェクトを自分とKim Sølveがやっていたことから来ている。APHRODISIACはVicotnickと自分
からなるバンドで、基本的には、できうる限り最も不快なサウンドを作ることを目的としていた。あなたのように、自分達は連続殺人鬼についての話を沢山読んだり、声のサンプルを集めるためにドキュメンタリーをVHSに録画したりしていた。そんなに多くを聴いてはいないけど、Cold Meat Industryのアーティストにも感化されている。APHRODISIACの作品は、単なる「不快なノイズのアイデア」に留まらない、多様な音楽の形式をとっているものだ。当時の自分は、クリシュトフ・ペンデレツキやリゲティ・ジェルジュ、アルネ・ノールヘイムのような、ある種の音色やトーンクラスターで知られる、戦後のアカデミック音楽の作曲家たちを聴いていた。16歳くらい(訳注:'93年頃)の時に『広島の犠牲者に捧げる哀歌』で初めてペンデレツキを聴いたんだけど、これは自分が今まで聴いたことのあるどんなブラックメタルよりも究極的に暗い感じがして、すっかり打ちのめされてしまった。「本当に暗くて不快なことをするプロジェクトをやりたい」と思い始めたのはこの時だね。APHRODISIACではアルバムを一枚つくったけれども、それが完成したとき、自分達の持っていたアイデアを全て注ぎ込んでしまったと感じた。それでプロジェクトは自然消滅したんだ。

〈周知の通り、あなたはDODHEIMSGARDにも鍵盤奏者として'97〜'03年のあいだ在籍していたよね。それで『Satanic Art』('98年発表)と『666 International』('99年発表)の製作に貢献した。バンドに所属していた頃の思い出などは?それから、その2作にはどんな貢献をした?ライヴでの思い出にも興味がある。ショウの数自体は残念ながら非常に少なかったけど、どれも狂った感じの凄いものだったし。〉

その頃の経験はとても刺激的だったよ。自分がはじめて参加したのは、彼らが『Monumental Possession』('96年発表)の後に作ったデモを聴いた後のこと。これは極めて素晴らしい作品だと思った。自分のオールタイム・フェイバリット・ブラックメタル作品のひとつZYKLON - Bに通じるものを感じたんだ。デモ収録曲のうち「Symptom」は再録され、「The Paramount Empire」はそのままの形で、『Satanic Art』に収録された。DODHEIMSGARDは素晴らしいリフの勝利行進といった趣のバンドで、「Traces of Reality」(訳注:『Satanic Art』収録・ブラックメタルを代表する名曲)はその好例だね。自分がVicotnickのところに行ったら、彼は素晴らしいリフを次から次へと演奏してくれた。これは1996年のことで、ブラックメタルの殆どは貧弱で無印なものになっていた。DODHEIMSGARDは、そうした平凡なものが溢れる霧の中における灯台のような存在だったんだ。もちろん自分はそこに加入したいと思った。自分はその頃ピアノのレッスンを少しの間受けていて、エリック・サティフレデリック・ショパンエドヴァルド・グリーグなどピアノ曲の作曲家を沢山聴いていた。ブラックメタルシーンに溢れるつまらないハーモニーと歯応えのないメロディに対する反抗として、ブラックメタルのキーボードで試したいアイデアが沢山あった。当時も今も「ブラックメタルにキーボードなんていらない」という考え方が広くあって(今はだいぶ少なくなったけれども)、自分はそれが誤っているということを証明したかったんだ。DODHEIMSGARDの2作の作曲面における自分の貢献は、自分の担当したキーボードやピアノの部分というところだね。'99年にはDIMMU BORGIRのサポートで6週間に渡り40回ほどのコンサートをした。音楽的に言えば全ての点において滅茶苦茶なツアーだったな。それ以上言うことはない。でも、楽しかった。

〈VIRUSへの客演やSOLEFALD音源のリミックスを除けば、その後しばらく活動をしてなかったよね。音楽に少し飽きていたのかな?それとも他にやることがあった?〉

'99〜'03年はあまり音楽をやっていなかった。一人で作っていたものはあって、それはZWEIZZの素材になった。FLEURETYとDODHEIMSGARDはどちらも活動を休止していた。個人的には最も忙しい時期だったな。コンピュータ科学と数学の勉強をしていたから。学生新聞への寄稿にも多くの時間をさいていた。そのおかげで、今は新聞社で働いているよ。

〈Teloch(MAYHEM、NIDINGRなど)やHellhammerと組んだUMORALではボーカルをやってるね。短いEPを一枚だけ発表していて、そのカバーアートは、自分はよく覚えてないけど、何らかの理由でとても有名になっている。(訳注:黒ボカシ付きのポルノアートがあしらわれている。)これについて何か話してくれないかな?おかしなことに、自分が次にレビューするのはNIDINGRなんだよね。〉

UMORALのデビューアルバム『Der hvor sola aldri skinner』は97%録音完了している。仕上げるには平凡すぎるという理由で作業が長く止まっているんだよね。'13年の新年の目標の一つは、このアルバムを年内に発表することだ。Hellhammerのかわりのドラマーも見つけてある。TSJUDERやTHE CUMSHOTSで知られるAntiChristianだ。

〈この間あなたがステージにいるのを見た時、あなたは便器にうずくまっていて話しかけるチャンスがなかった。あなたは飲み過ぎで吐いたりすることはなかったけど、Zweizzというあだ名のもとで大量のノイズを吐き出していたね。こういう極端な下ネタ電子音楽のスタイルについて何か話してくれないかな?〉

便器をある種のマイクスタンドとして使うというのは、数年前から暖めていたアイデアだった。便器の中にカメラを設置すれば、顔なり体の他の部分なり、好きなところをステージ上のプロジェクターに映すことができる。こうすれば、観客は奇妙で親密でないやり方で顔に大接近できるわけだ。多くの人は恥ずかしく気まずい思いをするだろうし、それが良いんだよ。それから、こういう仕掛けをした便器のカタチ自体が自分の興味をひいた。うまく説明できないんだけど。こういうパフォーマンスでやる音楽は、即興ノイズというようなもので、うまく描写するのは難しい。ショウをすることに没頭して、自分でもどういう音を出しているかハッキリ思い出せないからだ。スイスで一回ショウをしたんだけど、ある評論家の女性は「歯にドリルをあてられるような音」だと言っていた。みんながそう感じるなら、ある意味、自分の出したい音をうまく出せているということなんだろう。殆どのノイズ・ミュージックと同様、自分は音楽による身体的経験にこだわっている。そして、それは不快なものであってほしいんだ。

〈自分が観た時のヘッドライナーはULVERだったんだけど、そのファンである物腰の柔らかいヒップスター達の反応はどんな感じだった?ビンを投げつけられてステージを下されたりした?こういう極端な音楽は極端な反応をされても仕方ないと思う?〉

楽しんでくれた人もいたし、嫌っていた人もいたよ。でも、暴力をふるわれたり汚い言葉を投げつけられたりすることはなかった。ある評論家は「明らかにスラヴォイ・ジジェク(訳注:スロベニアの哲学者:精神分析学)に啓発されたものだ」とか言っていた。これが大学のキャンパスでのコンサートの後だったなら、こういう発言も驚くにあたらないのかもしれないんだけどね。

〈OK。ちょうどSTAGNANT WATERSのセルフタイトル・デビューアルバムを再生し始めたところなので(訳注:これはメールインタビューなので2人は同じ場所にいない)、その話に移ろう。まず気になるのは、“stagnant(淀んだ・停滞した)”という表現がそぐわない活発な曲がいくつもあるのにどうしてこういうバンド名にしたのか、ということなんだけど。〉

バンド名は自分が加入する前から決まっていた。この名前は、このバンドをソロプロジェクトとして始めた創設者・ギタリストCamilleの過ごした苛立たしい時期から来ているのではないかと思う。自分がいろいろ聞いたことから考えるに、彼の人生が停滞しているように感じられていた時期に、この名前がふと浮かんだ、ということなのではないだろうか。バンドの名前と比べこの音楽は熱狂的すぎる、ということは多くの人が言っている。しかし自分はこう考えたいね。淀んだ水の中では、細菌や微生物、小さく奇妙な生き物が繁栄している。たとえばこういうふうに拡大して見てみれば、淀んだ池の中でも、このアルバムの音楽に見合うくらい激しいことが起きていると言えるわけだ。これは淀んだ池の水を飲んではいけない理由でもあるね。死んでしまうこともありうる。

〈このプロジェクトでは、Aymeric ThomasとCamille Giraudeauと作業しているね。2人はフランス人だけど、どうやって出会ったのかな?それから、作業の仕方はどんな感じ?直接顔を突き合わせてやっているのかな?それともデータのやり取りをしているのかな?〉

自分達はMySpaceがまだ活発だった頃にそこを通して知り合った。はじめは全然乗り気じゃなかったよ。自分は既にいろんなプロジェクトに参加しすぎていたし。でも、彼らの素材をじっくり聴いてみたら、すぐに考えが変わった。はねつけるのが勿体ないくらい良かったんだ。それで自分はクレルモン=フェラン(訳注:フランスの都市)に行き、1週間滞在してボーカルを録音した。

〈この音楽はいろんなスタイルやアイデアの素晴らしい融合体で、まったく完全に狂ってしまっているものでもある。バンドの3人はこれをどうやってまとめ上げたのかな?そして、あなたが実際に演奏しているパートはどこ?Metal Archivesはあなたを単にボーカリストとしか記していないけれども。〉

デビューアルバムの音源は、自分が加入した時には既に仕上げられていた。だから、詳しいことはわからない。自分が知っているのは、他の2人もインターネットを介して素材のやり取りをしていたということ。自分がボーカルの録音のためにフランスに行った時が、その2人にとっても初顔合わせの機会だったんだ。我々は次のアルバムのために2曲を作っているところなんだけど、その見取り図は自分が書いていて、他の2人は残りのアレンジを担当している。このバンドが将来どうなるかはわからないけど、興味深いものになるとは思うよ。

〈音のスタイルはランダムに変化していき、曲のタイトルや聞こえてくる歌詞にはあまり意味がないように思われる。全体を貫くコンセプトなどはあるの?〉

殆どの歌詞は、自分が書き始める前から、強固に首尾一貫し明確なコンセプトを持ったものとして存在していた。バンドの他のメンバーが書いたものもあるし、バンド外部のゲストが書いたものもあるけど。自分は、この歌詞が一読してすぐに意味がつかめるようなものにはしたくなかったから、全てをさかさまにひっくり返し、意味が不明瞭になるように殆どを書き直した。これは“しるし”を作るようなことだね。何か表現することがあって、それを形にするときは、それを作り変え、原型とは似ていない形に仕上げるものだ。こういう歌詞が一見意味のないもののように思われるのはわかっているけれども、これは意図して選んだやり方なんだ。不安感や混乱を生み出すための、潜在意識へのアプローチなんだよ。

〈(この音楽では)混沌の中に構造がある。「Of Salt And Waters」では、全盛期ハリウッドの叙事詩的冒険映画に通じるサウンドにあなたのメロディアスなクリーン・ボーカルが乗り、その後エレクトリック・ビートが鳴り響いてきて、混沌が再び優勢になる。あなたがリスナーに期待する反応・感情はどんなものだろうか?〉

その質問には、「好きなことをやっただけだ」という古い常套句に頼らずに答えるのが難しいな。先に言ったように、自分が加入する前にこのアルバムがどう作られていたのか話すことはできない。ただ、こう言うことはできる。この音楽は、やり方を知ってさえいれば、自分も全く同じように作っただろうものなんだ。だから、率直に言えば、リスナーには2009年に自分がこの音楽を初めて聴いた時に感じたのと同じ興奮を感じてほしい。自分はこれを理解するために何回か聴き返さなければならなかったし、そしてそうすることで本当に心をかき乱された。

〈(このアルバムについての)こういうレビューはもう読んだ?(このインタビュアーのレビューhttp://www.avenoctum.com/2012/10/stagnant-waters-st-adversumが示される)本当に酷いレビューもあるよね。この音楽は万人のためのものではないし、レビューもそれに見合うくらい読み応えのあるものにしなければならないのに。〉

レビューありがとう。実際本当に酷いレビューはあるけれども、熱狂的なレビューの方が遥かに多いよ。他のバンドメンバーについてはわからないけれども、個人的には、この業界に入ってから20年というもの、あらゆる類のレビューに接してきているので、そういうのはもう慣れている。自分でもレビューを書いたりするから、意地の悪い言葉を使ったり、心のこもっていない賛辞を並べたりするのがどれだけ簡単かということはよくわかっているんだ。非常に低い評価をするレビューというのは、殆どの場合、音楽よりも書き手そのものについて多くのことを語るものだ。誰かが私の音楽を嫌いだと言うとき、まあそれも結構なことだけど、そういう場合、そのレビューは単に「ある人間がインターネット上で何かを嫌ってみせている」ということを示すだけのものになっている。そして、インターネット上で何かを嫌うのはとても簡単なことなんだよね。このアルバムについてのとても心温まるレビューをいくつかもらったけれども、そういうレビューでは、書き手が考えをまとめ上げるのに大きな手間をかけてくれているのがはっきりわかる。そういうのを見ると、とても啓発されるよ。

〈このアルバムを出したレーベルAdversumにも触れておくべきだね。このレーベルは幸いにも、あなたが過去に一緒に仕事したことのある人達によって運営されている。彼らのとの関係について話してくれないかな?〉

アヴァンギャルドメタル」という呼称は世間に長いこと存在しているけれども、こういう括りをされたものが「フォーク・ブラックメタル」とか「シューゲイザー/デプレッシヴ・ブラックメタル」よりも売りづらいかというと、自分はそんなことないと思う。いろんな見方が加わると物事が複雑になる。例えば「我々はライヴをしないバンドだ」ということなど。選挙と同じことだね。多くの票を得るためには、多くの人々にアピールしなければならない。Adversumの人々は友達だから、物事を正しく議論しやすくなっている。自分達がどういう音楽を聴いてほしいのか、どういう音楽的アイデアを膨らませていきたいのか、という考えを分かち合うのも簡単だ。とても良い関係を築いているよ。

〈このアルバムを手に入れる前に、ENSLAVEDのトリビュート・アルバムにSTAGNANT WATERSが提供した音源「Større enn Tid – Tyngre enn Natt」も聴いたよ。全然オーソドックスでなくオリジナルに忠実とは言えない仕上がりで、たぶんあなた方にやりたいようにやる自由を与えたのだろうPictonianレーベルも、そしてファンも、驚いたんじゃないかな?これを聴いて阿鼻叫喚になってる人もいそうだけど。〉

どう受け取られるか自分には全くわからないな。自分はこのカバーには一切参加してないんだ。自分がバンドに加入する前から他メンバーがやっていたことなんだよね。この曲について話し合いはしたけど、個人的にはENSLAVEDと親しくはないし、敬意を払う必要もないと思っていたから、自分抜きでカバーをするというふうに合意したんだよ。

〈今後のSTAGNANT WATERSの活動はどうなるのかな?ライヴをすることもありうるのか、それともスタジオ限定のプロジェクトのままでいるのかな?〉

自分達はずいぶん気ままに音楽を作っているからね。やりたい音楽のためにはどんなスタジオ技術も活用してきた。可能性は少ないけれども、もしライヴをやるのなら、そのフォーマットで良い感じに聞こえるような曲を作らなければならないだろうね。

〈STAGNANT WATERSについて調べていたら、SELF SPILLERというのを見つけた。あなただけでなく、SIGHやAGALLOCH、FORMLOFFなど、数えきれないくらい多くのバンドのメンバーを含むプロジェクトだ。Vendlusから出た『Worms In The Keys』というアルバムは聴いてみるつもり。あなたはこれにどういうふうに参加しているのかな?〉

2007年頃にこのプロジェクトを企画したJason Walton(AGALLOCH)に幾つか音のファイルを送っただけだよ。自分の貢献がどんなものかアルバムを何回か聴き返したけど、自分の音がどこに入っているかはわからない。

〈他のバンドやプロジェクトなど、音楽の話でここまで触れずにきたことはあるかな?あなたは音楽ジャーナリズム業界にも属していると思うんだけど?〉

Zweizz & Joey Hopkinsの'11年に出るアルバムをチェックしてみてほしい。'07〜'10年の間に自分が主に力を注いだものの一つだ。悲しいことにJoey Hopkinsは'08年に亡くなってしまったけど、自分は共に制作していたこのアルバムを長い時間をかけて完成させた。彼は巨大な才能の持ち主だったし、STAGNANT WATERSのボーカリスト候補だったこともあるんだよ。
例えばこれをチェックしてみてほしい。

Zweizz & Joey Hopkins – “No clue”: http://www.youtube.com/watch?v=CLNufw1QEDo

Zweizz & Joey Hopkins – “The Goat”:http://www.youtube.com/watch?v=aBYik8wWilI

Zweizz & Joey Hopkins – “Smash, Politics, Gag”: http://www.youtube.com/watch?v=kLFG_3_HdwU 


〈深いインタビューに時間をさいてくれてありがとう。読者に何か言っておきたいことはある?〉

インタビューありがとう。そして、読んでくれたみんな、ありがとう。


LUGUBRUM(ベルギー)》


インタビュー(オフィシャルサイトから)

Metal Maniacs zine(2007)
『De Ware Hond』発売時のインタビュー

まとまりと流動性とのバランスを取るために、予めラフにセッションの全体像を描いてはいた。
同じ部屋でライヴレコーディングしつつ、各人がそれぞれの価値観のもと各自の仕事を尽くした。それにより、今まで体験したことのない新たなエネルギーを生むことができた。
バンドには普通レイドバックした雰囲気がある。
人生には常に「陰陽」がある。
Bhodidharma(sax)はGhentでのセッション(B面)にのみ参加。完全な自由を与えられて演奏した。

ブラックメタルは無限の可能性を持つ最も興味深い音楽ジャンルの一つだと思う。他のジャンルでは、自分の好きな音楽全ての影響を組み込むことはできなかった。自分達は、同じ方向性を突き進み(横道に逸れず)、その上で周囲にあるものを詳細に吟味し取り入れ続けている。その結果、作品毎に違った仕上がりになる。
常にブラックメタルに関連付けられることをやってはいるが、その手法は我々独自のものだ。

Midgaarsはオランダ人だが、隣国オランダよりもベルギーの方が遥かに興味深い国だと思っている。

影響源を述べて混乱を招きたくない。共感を持つものの多くは70年代の音楽。
アウトサイダー・アート」という形容はLUGUBRUMの音楽にとって良い表現だと思う。

アルコールへの思い入れ
(普通のベルギー・ビールで満足:わざわざ特別なものを飲む必要はない)

“brown metal”は“brown note”(「可聴域外の超低周波音で、人間の腸を共鳴させて行動不能に陥らせる」とされる、実在が証明されていない音)を意識したもの?
(冗談とも本気ともつかない返答:自分達の棺が冷たい土に沈み込む直前に、自分達の直腸とともに演奏されるだろう最後の音)


Zero Tolerance zine(2012)
『Face Lion Face Oignon』発売後・Midgaarsインタビュー:

9th『Albino de Congo』はベルギーの植民地だったコンゴがテーマ
10th『Face Lion Face Oignon』はナポレオンのヤッファ攻囲戦がテーマ
ナポレオンの黒歴史(最初の手痛い敗戦)であるシリア遠征というテーマはLUGUBRUMの題材として完璧にそぐうものと思われた
西欧の強い勢力が中東の困難な状況に足を取られてしまう、というのは現代の状況にも通じる。「歴史は繰り返す」というのは歴史の大きな魅力。

熱狂的なファンの多くは折衷的で何でも聴く人々。そうしたファンか送ってくれるコンピレーションにより幾つもの素晴らしい音楽に出会った。

『Bruyne Troon』は(最後に)地下貯蔵庫で録音したもの

音楽的には他の何にも似ていないと思うし、そしてそれは鼻にかけることでもない。様々なスピードでブルースを演奏しているだけ。『Face〜』には殆どブルース・リフばかりで構成されている。それを人々は「初期のLUGUBRUMみたいだ」と言う。つまりおそらく自分達はずっとブルースを演奏し続けてきたということなのだろう。(それぞれのアルバムについてはいちいち気にしていない。)
自分にとって大事なのは音楽をやっていて楽しいかどうかということだけで、楽しくなくなったら他のことを探す。そしてそれがまだ続いている。


Midgaarsインタビュー(2013.9.19)
使用機材はここ20年間変わっていない(最初のデモと最新アルバムとでは同じドラムキットを使っている)。『De Vette Cuecken』から録音のクオリティが上がったと言われても何とも言えないし、LUGUBRUMの音楽についてそういうことを言うのも滑稽なことだ。

同じアートワークを2度使うのは好まない。その時々の状況を反映したものにすべきで、過去と同じことを繰り返すのに意味はないと思う。
アートスクールに少し行ったけれども殆ど独学で、今でも勉強し続けている

Boersk Blek Metle(Black Metal for Farmers):『De Totem』(The Anglo-Boer war(南アフリカにおける農夫の戦争)がテーマ)以降にバンドが用いているテーマ

曲の多くはジャム・セッションから作られる

Star Wars』とLego

ここ20年間でやったライヴの数は約20ほど


ORANSSI PAZUZUフィンランド)》


Onttoインタビュー(2013.9.12掲載)

〈やあ、Ontto!まず、このインタビューのために時間を割いてくれたことに御礼申し上げます。本当にありがたいです。バンドと現在のメンバーについて紹介してくれるかな?〉

どういたしまして。ORANSSI PAZUZUは結成当初から以下のメンバーのままでやっている。
Jun-His:ボーカル&ギター
Moit:ギター
Korjak:ドラムス
Evill:キーボード&特殊効果
Ontto:ベース

〈バンド名の起源についても教えてくれないだろうか?自分の知る限り、“oranssi”は“orange”(オレンジ)を意味し、“Pazuzu”はアッシリアやバビロンの神話における悪魔の名前のようだけど。〉

その通り。ORANSSI PAZUZUという名前は我々の音楽の二元性を象徴するものなんだ。
“Pazuzu”は、闇、未知、神秘、そして未踏の音楽的領域を目指す我々の志向を表している。我々の内にある闇とか、虚無主義的で混沌とした精神領域を象徴するものでもある。自分にとっては、オカルト主義者の象徴というよりも、心理学的・哲学的なものなんだ。
一方、“Oranssi”というのは、我々のサイケデリックな側面とか宇宙のエネルギーを表している。これはブラックメタルの“伝統的な”色合いと対極に位置するものでもある。我々の音楽にはブラックメタル色もあるけれど、それは全体的なものではない。白黒フィルムにいろんな色を重ねたようなものという方が適切だね。

〈自分の認識違いでなければ、あなた方は2つのレーベルと契約しているね。20 Black SpinとSvart。これはアルバムを発表するにあたってどういう意義をもつのだろうか?複数のレーベルと契約することの利点は?〉

幾つかの選択肢について考えた結果、ヨーロッパでの発売を担当するレーベル・アメリカでの発売を担当するレーベルとそれぞれ一つずつ契約するのが賢明だと考えたんだ。業務上さまざまな利点がある。しかし一番大事なのは、どの地域でも全く同じ音源やアートワークを手に入れられるようにするということだ。ヨーロッパと北アメリカの両方で、CDとゲートフォールド(註:見開きタイプのジャケット)のLPが発売されるよ。

〈新譜『Valonielu』は3rdアルバムだね。前2作(1st『Muukalainen Puhuu』・2nd『Kosmonument』)と比べるとどんな感じ?バンドの音楽性の自然な進化形だと思う?〉

そうだね、自然な進化形だ。これは今までの音楽性の延長線上にあるものだ。それはこれからも進み続けていくだろうけれども、常に一定の方向を指し示している。その上で以前のアルバムと比べるなら、『Valonielu』はよりプログレッシヴ(進歩的)で直接的な作品なのだろうと思う。長い時間をかけて自然に育つがままに任せたから、以前の作品より幾分息遣い豊かなものになっているんじゃないだろうか。カッチリ固められた形式にさっさとまとめてしまいたくはなかったんだ。幾つかの曲はとても長くなっているよ。
『Valonielu』では、プロフェッショナルなスタジオを使うことの利点も示されている。バンドサウンドの全体像は以前よりバランスが取れたものになっていると思う。

〈アルバムのサウンドは本当に素晴らしいよ!プロダクションがどんなものだったのか教えてくれないかな?どこで録音し、ミックスやマスタリングを行ったのかということとか、エンジニアは誰だったのかということなど。〉

そう言ってくれるのは嬉しいね。
録音・ミックス・マスタリング・プロデュースを担当したのはJaime Gomez Arellanoだ。Gomezを選んだのは素晴らしい判断だったと思うよ。彼はCATHEDRALやGHOST、ULVERのようなバンドと仕事をしてきた。我々の音楽的美学を深く理解してくれたし、それをスタジオで表現するための術も心得ていた。前2作と同じく、全てのベーシック・トラックをライヴレコーディングしたんだけど、その上でGomezは我々に大量のオーバーダブ(ベーシック・トラックの上に重ね録りすること)をするよう促した。これは以前にはやったことがなかった。そうすることで、アルバム全体のサウンドを非常に豊かにすることができたんだ。

〈『Valonielu』の歌詞にはテーマがあるのかな?アルバムにコンセプト的な背景はある?〉

『Kosmonument』が実存的空間において迷い消え去っていく放浪者を扱ったものだとしたら、『Valonielu』は、人間の(外界から)隔離された意識とか生命の小宇宙(註:生命システムを宇宙空間の縮小版として捉える考え方)などに向かっているものだと言える。厳密なコンセプトアルバムではないけれど、精神とか現実についての考え方といったテーマが繰り返し出てくる。我々人間はその知性に複数の“穴”を抱えていて、それぞれの人がそれに対して異なるやり方で反応するのだ、と自分は考える。未知のものを受け入れたりそれを覗き込んだりすることもできるし、否定したり、幻想やイデオロギーで美化したりすることもできる。人は自分のまわりに真円(完璧な円)を描くことができるけれども、現実的にはその円は真円ではなく、塵で描かれたものにすぎない(註:儚く不確かだ、というニュアンスだと思われる)、というのがこのアルバムの最後で導かれる主な結論なんだ。

〈あなた方の音楽性は非常にバラエティ豊かだね。ブラックメタルから70年代プログレッシヴロック〜サイケデリアまで幅広い。そういう異なる音楽スタイルを自分を見失わずにバランス良くまとめるのは難しいと感じる?〉

我々が曲を書くとき最も大事にしているのは雰囲気だ。音楽ジャンルについて考えすぎることはないし、そうしたものを縛りと捉えることもない。そうしたものは、特定の気分を表すものに過ぎないんだ。別々の辞書から引っ張ってきた言葉を集めて文章を作ったら、それは今まで存在しなかったものだろうけれど、ちゃんとした意味をなすものにもなる。このバンドの音楽は、自分にとっては意味も意図もあるものだけど、それは主観的なものだということもわかっている。作曲の過程で自分を見失なってしまえればいいよね!

〈ORANSSI PAZUZUにおける創作過程はどんなものなのだろう?一人が曲の基本的な構造を固めて持ってきて他メンバーがそれぞれのパートを付け加える、という個人的なプロセスなのか、それとも、ジャムセッションを通して曲を作っていくというような協同作業に近いのだろうか?〉

その両方だね。いろんなアプローチが好きで、ジャムセッションを通した製作方法も、カッチリした作曲に基づくやり方も、両方やってきた。その2つを考えうる限りの様々なやり方で組み合わせている。“予め書かれた”素材を持ち込むのは自分(Ontto)とJun-His(註:この2人が創設メンバー)だけど、それについても、予想外のヒネりが加わりうる余地は常に残してある。バンドメンバー全員がアイデアを持ち込める環境になっていると自分は思うよ。

〈あなた方の音楽を“シュルレアリスティック(超現実主義的)”と形容する人は非常に多い。そういう言い方については同意する?〉

うん。確かにシュルレアリスティックな要素はあると思うよ。何かしら夢のようなものを捉えようとしているし。ただ、そこには意識的な要素と無意識的な要素の両方がある(シュルレアリスティックな要素しかないわけではない)。

〈『Valonielu』のカバー・アートはとても興味深いもので(とてもシュルレアリスティックでもある)、あなた方の音楽を完璧に表現するものだと思う。これを描いたのは誰?そして、描いてもらうにあたってどんな指針を示したのかな?〉

このアートワークは、ルーマニア人アーティストCostin Chioreanuが描いたものだ。彼とはRoadburn Festival(註:オランダで毎年開かれるサイケ〜ドゥーム寄りメタルフェスティバル)で出会ったんだ。歌詞の背景にある哲学について話し、新曲のデモ音源を渡して、我々がこの音楽についてどう感じているのか伝わるようにした。このカバー・アートは、アルバムのテーマを視覚化する素晴らしい仕事だと思うよ。

〈あなた方の最大の音楽的影響源はどんなものなのかな?〉

我々は非常に多くのバンドや音楽スタイルにハマっていて、好みも一人一人違っている。その上で最も重要なものを挙げるとすれば、CIRCLE(フィンランドのPori出身のバンド)、DARKTHRONE、CAN、KING CRIMSONSONIC YOUTH、ELECTRIC WIZARDなどが該当すると思う。

〈似たような質問だけど、音楽以外に発想の源はあるかな?美術とか映画についてはどうだろう?〉

歌詞を書く際、自分の発想を強く刺激してくれるテーマとして、自然の神秘の探求というものがある。映画や絵画、美術一般の影響は、もっと無意識的な領域のものだな。たとえばLars Von Trier『Antichrist』のような偉大な映画作品は、長く頭の中に残って音楽に溶け込むものだけど、それは地下を流れる水脈みたいなものであって、自分では全く気付かないこともあるものなんだよ。

〈ORANSSI PAZUZU以外のプロジェクトに参加しているメンバーはいる?〉

うん、何人かね。Atomikyläというバンドには、自分とJun-His、そしてDARK BUDDHA RISINGに所属している友人2名が参加している。ORANSSI PAZUZUが好きな人にとってはこの先最も興味深いバンドになるだろう。現時点では音源を発表していないけれども。

〈オールタイム・フェイバリット・バンドを訊こうとは思わないけど(難しい質問だろうし)、最近見つけた興味深いバンドがあったら教えてくれないかな?〉

もちろん。現在フィンランドでは、優れたサイケデリック・バンドがいくつか活動を始めている。DARK BUDDHA RISINGやMR. PETER HAYDEN、DOMOVOYD(デビューアルバムはSvartから『Valonielu』と同時に発売される)をまだ知らなければ、ぜひチェックしてみてくれ。フィンランド“シーン”の外について言えば、ALUK TODOLOが昨年出したオカルト・ロック・ライヴ音源に最も感銘を受けたな。新しくはないけど、唯一無二の素晴らしいバンドだよ。

〈気が早い話だけど、どうしても訊いておきたい。新しい素材に取り組んでいる?〉

うん。でも、必要なだけの時間をかけてゆっくりやることになるだろう。今の最優先事項は新譜の発表に際してのライヴをやること。話はその後だね。

〈この先ライヴをやる計画はあるのかな?〉

うん。新譜をサポートするためのライヴを10月下旬から11月頭にかけて行う。少なくともスカンジナビアから中央ヨーロッパには行く予定だよ。日程の発表は全ての準備が整ってからになるけど、それももう間もなくだ。

〈わかった、Ontto!質問に答えるための時間を割いてくれてありがとう。改めて御礼申し上げます。『Valonielu』は素晴らしいアルバムだ。全てがうまくいくように。そして、ライヴでまたすぐに会えることを願っているよ。〉

インタビューしてくれてありがとう!


Onttoインタビュー(メールインタビュー:2016.2.29掲載)

〈新作用の作曲を始めた時、アルバム全体についての包括的なアイデアはあったのだろうか?〉

最初のアイデアは、前作『Valonielu』でやり残したことの続きをやり、宇宙の闇や催眠的反復といった表現をより深く掘り下げていこう、というものだった。そういう要素にこれまでも取り組んではいたけれども、まだまだ開拓の余地があると思えたんだ。そして、音楽をもっと強力なものにしたくもあった。強力な雰囲気を生み出すために膨大な時間と空間を費した結果、とても長くしかも制約のないアルバムに仕上がったんだ。

〈『Värähtelijä』(註:新譜・全69分)は『Valonielu』(註:全46分)の倍近い長さになっている。こうした長尺のもとでより巨大で無秩序に広がったものを創ろうとしたのかな?〉

我々は前作で、バンド内部にあった幾つかの個人的な“音楽的障壁”を打ち砕いたと思う。それで、新作用のジャムセッションを始めたところ、新しいアイデアが湧き出てきた。頑張ってひねり出そうとしなくても、ただ演奏するだけで新たなものが生まれてきたんだ。だから、そのジャムセッションやアイデアを録音し始めたんだけど、ある段階で、一つのアルバムのために整えようとするのが馬鹿らしくなるくらい大量の素材が出揃った。(小綺麗に整理しようとしたら)大事な部分をあまりにもたくさん削らなければならない状況になって、そんなことをしたら(ジャムセッションで得られた)良いノリが損なわれてしまうだろうと思われた。だから、(全体のまとまりを中途半端に意識するよりはむしろ)全てのアイデアを湧き出るがままに任せ、(それぞれの曲を)より巨大で独立したものに仕上げようと決めたんだ。

〈新譜の音楽性は(長尺なだけでなく)とても多彩だ。ORANSSI PAZUZUの音楽要素を拡張しようという意識はどのくらいあったのだろう?落ち着ける場所から(意識的に)外に踏み出そうとしたのだろうか?〉

いろんな音楽性で演奏するのが好きなんだ。エフェクトの魔術師Evill(キーボード・パーカッション)とスペース・ギターのエキスパートMoitは特にオープンマインドで、新しい仕掛けを際限なく考えて、いろんな要素が混ざり合ったサウンド全体に冒険的な感触を付け加えている。ある意味我々は、音楽を“音による風景描写”と考えるのが好きなんだ。はっきりした出来事が起こる一方で、その背後には雄大な風景がある。自分達にとってはその両方が同等に重要なんだ。

〈このアルバムでは、多くの非メタルバンドと仕事をしてきたJulius Mauranenと一緒に作業しているね(註:録音とミックスを担当)。彼がこのアルバムに持ち込んだアイデアはどんなものなのだろう?音楽を一般的で整ったものにすることに特化したプロデューサーと協同作業するというのは重要なことだったのだろうか?〉

Juliusを選んだ理由のひとつは、我々の音楽を一般的なヘヴィ・メタル美学の外から見れる人が欲しかったからだ。我々はいつも、現代のヘヴィ・メタルバンドが出すような音にするのではなく、もっと生々しくかつ霧のようにぼんやりしたサウンドを作ろうとしている。Juppu(註: Julius Mauranenの愛称)はそれを理解してくれた。我々のライヴにおける演奏の感じをテープに捉え、可能な限り宇宙的で激しく息遣いの感じられるものにする、というのが彼の仕事だった。彼は曲そのものには干渉しなかったけれども、サウンドをあるべきものにするべく働いてくれたというわけだ。

〈新譜の作曲における協同作業はどんな感じだった?〉

全員がしっかり関わっていたよ。先述のように、曲の中心となるアイデアジャムセッションから生まれたものだ。それを何度も再考し、新たなものを加え、複数のパートを混ぜ合わせたりした。最初の曲は自分(Ontto:ベース)のリフが大部分の基盤になっていて、最後の2曲に最も貢献しているのはJun-His(ボーカル・ギター)のアイデアだったりするけど、そうした曲においてもメンバー全員が大きく関与しているし、ジャムセッションのパートが大半を占めている。全てのメンバーが持てるものをそこに吐き出している。これこそがまさに我々がこのアルバムでやりたかったことなんだ。

〈この野心的なアルバムは、ライヴで際限するには複雑すぎるものに思える。作曲している時、そういうことは考えた?〉

いいや!もしかしたら間もなくヘマをすることになるかもしれないね。もう3週間のうちにツアーが始まるから!
えーとね、それ(新曲を演奏すること)が期待されているのは間違いないだろうけど、我々は既に新曲の殆どをスタジオで生演奏している。だから、ライヴでもできるだろうという強い自信があるよ。それに、もし演奏しなかったら、少なくとも、ショウの最中なにかしらロックンロールな危険(註:ファンからの好ましくない反応のことを指すと思われる)が起きるだろうね!

〈自分が調べたところによると、“Värähtelijä”という言葉は“oscillator”(振動させるもの・発振器)と訳せるようだね。このアルバムタイトルの起源は何?音楽とどういう関連があるのだろう?〉

おお、良い訳だね。自分なら“resonator”(共鳴するもの・共振器)と訳するかな。“vibrator”(電気マッサージ器・バイブレーター)と言うヤツもいるけど、それはちょっとフロイト的すぎるかな!
(註:フロイト精神分析は性衝動(リビドー)と密接に関連付けられている)
そうだね、このアルバムタイトルは実は同名曲(新譜の3曲目)から取ったんだ。この曲においては、“resonator”は、あなたの消化器官内にいる寄生生物のことを指している。それは消化器官の中で育ち、あなたを変化させていき、最後には自我同一性の痕跡を失わせてしまうんだ。
アルバムタイトルとしては、この言葉はもっと本質的に、このアルバムがあなたとcosmic(宇宙的/広大)な恐怖心との間に生み出す共振のことを指している。

〈バンドの音楽要素の一部としてブラックメタルは常に在ったと思うけれども、これは時間の経過とともに前面に出なくなってきている。こうしたことは、バンドにとってどういう意味を持つのだろうか?〉

ブラックメタルは刺激的で恐ろしげな音楽であり続けてきたし、たぶん今もそうだと思う。ただ、我々は厳密な意味でのブラックメタルバンドというわけではないし、そうしたものの伝統に縛られようとも思わない。我々は独自のことをやっているんだ。ある種の人から気狂いじみたものとみられようと、我々はそれをする。我々の哲学や手法は独自のもの。これからもそれを拡張・発展させていくし、そうしたやり方のもとで新たなことを学んでいくよ。

〈究極的には、『Värähtelijä』の聴取体験を通してリスナーにどうなってほしいと思う?〉

あなたを変性意識状態(アルタード・ステーツ)に導き、精神浄化作用のある体験を通して自身の狂気や恐怖心とじっくり向き合うよう仕向けたいね。こうしたことは、iPadでネットサーフィンしながらこれを再生しても起こらないだろう。でも、聴取体験をあなた自身のための儀式とし、開かれた精神で(この音楽に)飛び込むのであれば、興味深く探求できる次元が見つかるのではないかと思うよ。